整理番号 H23-1 ひらがな かわらだいかぐら 名 称 保存会名 所在地 開催場所 川原大神楽 川原町内若組/川原自治会 鹿角市十和田毛馬内 月山神社・地域内各所 開催日 7 月 12・13 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 大神楽 映像提供元 解説文 月山神社(がっさんじんじゃ)祭礼におこなわれる大神楽はいわゆる獅子舞のひとつで、伊勢流大神楽 の系譜とみられる。二人立ち一頭獅子舞。この舞は祭礼で神前に奉納舞をしたあと、門舞といって、神輿 渡御の先祓いを勤めるもので、町内を巡るときにその都度獅子舞をおこなう。獅子舞は 1 演目だけしかな く、四方固めの舞といっているもので、鈴や幣束を採り舞うものである。大神楽には万歳がつき、太夫と 才蔵の軽妙な掛け合いを披露する。始まりは明暦 3 年(1657 年)といわれるが、かつては修験相川家で一 切を取り仕切ってきたもので、明治以降は川原の若組が中心となって伝承してきた。大神楽は隣接地域の 下小路にもあったが途絶えている。構成は舞方と囃子方にわかれ、太鼓、笛、チャガ(鉦)がつけられ、 舞中には唱え言葉が掛けられるが、これを声掛けといって十数人でおこなう。 整理番号 H23-2 ひらがな けまないのぼんおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 毛馬内の盆踊 毛馬内盆踊保存会 鹿角市十和田毛馬内字毛馬内 地域内各所 開催日 8 月 21〜23 日 指 国指定重要無形民俗文化財 定 カテゴリー 盆踊り 映像提供元 解説文 送り盆の時期におこなわれるもので、大太鼓と笛の囃子で踊る大の坂踊りと、囃子が入らないで唄だけ で踊る甚句踊りの 2 演目がある。大の坂踊りは京都の念仏踊りの流れをくむとされ、甚句踊りは南部領で あった約 450 年前に戦から帰った将兵をねぎらう舞であったのが始まりとされている。現在ではこれらに 毛馬内じょんから踊りを加えて盆踊りが構成されている。2 つの踊りはともに篝火(かがりび)を囲んで 踊る輪踊りで、常に内側を向いてゆったりとした調子で舞われている。服装は、箪笥(たんす)の底を着 るといわれるように紋付きに蹴り出し、きらびやかな帯を締めて、男女とも手拭いのほおかむりで踊るの が特徴とされる。 108 整理番号 H23-3 ひらがな けまないばやし 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 毛馬内ばやし 毛馬内ばやし保存会 鹿角市十和田毛馬内字毛馬内 月山神社・地域内各所 7 月 12・13 日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 月山神社(がっさんじんじゃ)祭礼に運行される屋台囃子で、宵宮祭の日には月山神社御休堂で奉納さ れている。その後この囃子屋台は下小路へと移動しながら、道中囃子を奏でていく。本祭日には各町内を 巡行する。演目は宇現響・鞨鼓・霧囃子・拳(剣)囃子・不二田・祇園がある。囃子の起源は不明だが、 祇園囃子があることから京風だとされて、中世には伝承されていたという。囃子の構成は笛、太鼓のみで、 かつてはこれに三味線とあたり(鉦)がつけられていた。この屋台は、底がないために屋台のなかにつけ られた太鼓を叩きながら、屋台移動に歩行を合わせながら運行していく。かつてはそれぞれの町内から囃 子が出されたというが、今は一台のみとなっている。この囃子には踊りもつけられていたというが、調査 時点では囃子のみ伝承される。 整理番号 H23-4 ひらがな けまないおおだいこ 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 毛馬内大太鼓 毛馬内大太鼓保存会 鹿角市十和田毛馬内字毛馬内 地域内各所 8 月 21〜23 日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 毛馬内大太鼓は主に毛馬内の盆踊のなかで演じられてきたことから、盆踊りの囃子として発生したとみ られる。大太鼓というように皮の経は 4 尺(約 1.2m)もあり、胴は桶状に組み立てられた長さ 5 尺(約 1.5m)とされるものである。太鼓は打ち手がひとつの太鼓を帯で担ぎ両手に持ったバチで打ち鳴らす。た いていはそれに補助員がつく。演目は高屋・大拍子・中野・七拍子・七夕などがある。いずれにも笛の伴 奏がつき、合わせて奏でられる。江戸時代に南部藩がこの地の武士の士気を高めようとして打ち鳴らした のが始まりといわれている。 109 整理番号 H23-5 ひらがな おおゆおおだいこ 名 称 大湯大太鼓 保存会名 大湯大太鼓保存会 所在地 鹿角市十和田大湯 開催場所 大圓寺・地域内各所 開催日 8 月 15 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 現在は大湯大太鼓まつりといって、8 月 15 日に大湯の 10 の若組が出演をして太鼓競技としておこなっ ている。太鼓 1 台を一殻(がら)といって、殻を単位として、大会は 50 殻も出演する。この太鼓では最 初に大圓寺の供養太鼓を演じてから競技に入る。曲目は大湯第一大拍子・大湯第二大拍子・中通り大拍子・ 三拍子・五拍子・七拍子・大の坂・シカジャケ(酸酒) ・ケノクダリ(街道下り)がある。盆の期間は地 域内各集落では盛んに盆踊りが開催されることから、盆踊りの囃子としても演じられるもので、呼び太 鼓・大ノ坂踊・甚句踊・送り太鼓の順になっていて、毛馬内の盆踊とほぼ同じである。もともとは、江戸 時代に南部藩がこの地の武士の士気を高めようとして打ち鳴らしたのが始まりといわれている。 整理番号 H23-6 ひらがな おおゆばやし 名 称 大湯ばやし 保存会名 大湯ばやし保存会 所在地 鹿角市十和田大湯 開催場所 開催日 指 下三町・各町の当番制開催 9 月第 2 日曜日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 大湯神明社の祭礼に演じられ、秋の市神様に奉納するものとされる。五穀豊穣を祈願しておこなわれる とされる。祭礼日の日中及び夜に、大湯下三町のうち当番町内の適宜な場所に設けられた舞台で囃子を演 じるものである。囃子の合間には祭りのための演芸も出されるが、基本的にはこの囃子を主としている。 囃子の楽器は宮太鼓・締太鼓(置き太鼓) ・横笛・三味線・鉦である。演目は三味線の二あがりの曲とし て、嫋ばやし・霧ばやし・二本竹・けんばやし、三さがりの曲目では祇園・かっこ・有絃京がある。この うちでも嫋ばやしは大湯ばやしの華といわれるもので、身振りは横降りでしなやかに、風の吹きそよぐ様 を現すように演奏されるものという。顔の動きや身体全身の流れが曲線的だといわれる。 110 整理番号 H23-7 ひらがな にしきぎふるかわおおだいこ 名 称 保存会名 所在地 錦木古川大太鼓 錦木古川大太鼓保存会 鹿角市十和田錦木 開催場所 稲荷神社境内 開催日 8 月 7・14 日 指 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 錦木塚祭及びお盆の 14 日におこなわれる太鼓芸のひとつ。錦木地域には 8 組の若組があって、それぞ れ拍子が異なるものの、錦木第一大拍子だけは同じとされている。錦木古川大太鼓は大太鼓というように 皮の経は 3 尺 8 寸(約 1.15m)もあり、胴は桶状に組み立てられた長さ 5 尺(約 1.5m)とされるもの。重 さは約 45kg という。打ち手がひとつの太鼓を帯で担ぎ、両手に持ったバチで打ち鳴らす。たいていはそ れに補助員がつく。演目には錦木第一大拍子・古川五拍子・古川大拍子・センリツ・錦木スカザケ・古川 三拍子がある。太鼓は 3 ガラ(個)以上を用いて、いずれの演目にも笛の伴奏がつき、合わせて奏でられ る。錦木では他の大太鼓と異なり、一人太鼓の場合の叩き方や襷掛けが異なるとされている。そのため、 もともとは他村には公開しなかったものだった。打ち手の服装は田モンペに野良着、袢纏を着け、手拭い 鉢巻、黒足袋、藁草履としている。 整理番号 H23-9 ひらがな したかわらこまおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 下川原駒踊 下川原駒踊保存会 鹿角市花輪字下川原 稲荷神社・地域内各所 開催日 4 月 19 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 春の稲荷神社の祭礼におこなわれている駒踊りで、前日の宵宮祭の日に稲荷神社境内で演舞される。駒 踊りというが、棒使いや奴踊りもおこなわれるもので、集落の公民館を宿として、ここで衣装などを着け 支度し、神社まで行列を組んで振り込むものである。これを街道渡りといい、太鼓、笛の囃子がつけられ ていく。演目には、街道渡り・棒使い・奴舞(ザイ・扇) ・交駒・奴舞(奥山) ・奴舞(扇)・駒奴(御家 越)を順次におこなう 7 番の演舞となっている。奴舞には特に奥山と呼ばれている演目で、 「奥山そだち はせーセ・・・」という歌詞があり、唯一唄が入る。駒踊りは造り物の駒形を前にして枠のなかに入り、馬 上の状態を表し、馬を操るものは鎧兜で手綱をもって、激しく跳躍しながら舞う。鹿角地方が馬産地であ ったことから、駒踊りがおこなわれたという。 111 整理番号 H23-10 ひらがな ひらもとおおだいこ 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 平元大太鼓 平元地区コミュニティ推進委員会 鹿角市花輪 柴平地域活動センター 8 月 16 日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 平元地区の各集落での盆踊りが終わると、16 日は大太鼓がおこなわれる。平元の若組によっておこなわ れる平元大太鼓は、その発祥は不明というが、十和田大湯の芦名沢が発祥とされ、それがこの地にも伝播 したとされている。この日には盆踊りもおこなわれて、大の坂・甚句踊りの囃子としてもおこなう。この 盆踊りは他の地域と異なり二つ甚句といわれている。大太鼓の演目には三拍子・五拍子・七拍子・わたり 節があり、盆踊りなどの始まりには迎え太鼓という囃子もある。先祖供養と豊作祈願のためにおこなうと される。 整理番号 H23-11 ひらがな はなわばやし 名 称 保存会名 花輪ばやし 花輪ばやし祭典委員会 所在地 鹿角市花輪 開催場所 地域内各所 開催日 8 月 19・20 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 花輪ばやしは花輪総鎮守とされる幸稲荷神社(さきわいいなりじんじゃ)に奉納される祭礼囃子である。 産土神さんとして信仰も篤く、土地の神としても慕われる稲荷神社の祭礼は、8 月 16 日に本殿からの神幸 (神輿渡御)があり、町内を巡幸して 20 日に還御される。この間、19・20 日の 2 日間に囃子屋台を各町 内から出して奉納するものである。19 日夕刻に御旅所前に屋台が勢揃いをしてサンサという行事がおこな われ、それから、鹿角花輪駅前において全町内揃い踏みでお囃子が演じられる。その後屋台は囃子を演じ ながら各町内にもどる。夜半には稲村橋に屋台が再び集合し朝詰め行事をおこない、続けて桝形行事とし て産土神への奉納囃子を演じ、サンサで終わる。20 日は昼間に各町内を巡行すると、夕刻にはその後再び 鹿角花輪駅前に屋台は順次運行して全町揃い踏みをおこない、その後夜半には赤鳥居(組町)に移動し、 赤鳥居行事として、ここでも盛んに囃子を奏でる。最後にサンサをおこなって各町にもどり終了するもの である。 宮形屋根をつけた吹き抜け屋台で、各町では豪華な破風飾り、懸魚に特色を持たせた屋台で、これに囃 子がつくものである。底抜け屋台といって、三味線、笛、鉦は台に乗るが、太鼓は床がないために屋台と ともに移動しながら叩いていく。演目には、平安末期に都から最初に伝えられたという二本滝・宇現響・ 鞨鼓・霧囃子・祇園・本屋台囃子(本囃子)があり、これらは最初に笛だけであったが、後に摺り鉦、太 鼓、三味線がつけられたとされる。追込・不二田・矢車・シャギリは江戸時代地元で独自に創作された囃 子という。拳囃子・吉原格子は幕末に演芸囃子を取り入れ編曲をなしたものといわれている。この花輪ば やしは全部で 12 曲を伝承する。 112 整理番号 H23-12 ひらがな はなわねぷた 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 花輪ねぷた 花輪ばやし祭典委員会 鹿角市花輪 各丁内・鹿角花輪駅前・稲村橋 8 月 7・8 日 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 花輪ねぷたは、ネブリ流し系の七夕祭礼であるが、ここでは将棋の駒をかたどった大きな灯籠を屋台に つけて引き回し、最後に火をつけて川に流すという悪霊祓いとされている。8 月 7・8 日の両日おこなわれ るもので、各丁の若者組が主となり王将大灯籠、中王将、小王将に大太鼓屋台がつけられる。灯籠屋台に つく囃子の太鼓屋台は丁内を引き巡った後、8 日の夜には稲村橋に全丁の灯籠が集合して、川に流される。 巡行の時は七夕囃子を演じるが、流しとその後は大の坂を囃す。七夕囃子は単調な拍子とされるが、笛の 音にサッサッサァーの掛け声が入る。大の坂は哀調を帯びているために流し後におこなわれてきたとされ る。いずれにも太鼓の拍子に笛がつけられている。 整理番号 H23-13 ひらがな はなわのまちおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 花輪の町踊り 花輪の町踊り保存会 鹿角市花輪 各町内 開催日 8 月下旬〜中秋の名月頃 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 この花輪の各町でおこなわれる町踊りは、幸稲荷神社(さきわいいなりじんじゃ)祭礼が終わって、中 秋の名月の日までの間に、各町順次に繰り広げられていく。若者組が中心となり、各町がその年に決めた 日の夜に町内の中心とされる場所でおこなっている。踊り子は浴衣や和装で、手踊りに扇を採り、男女い ずれも輪になって踊る。囃子は太鼓と笛、鉦に三味線が入る。演目は、甚句・よされ・おやまこ・花輪よ しこの・塩釜・毛馬内よしこの・ぎんじがい・あいや節・おえと節・どっこいしょ・豊年万作・本ばやし・ 銚子節・祇園・かごまるがある。幕末の頃、江戸の盛り場で歌われたはやり唄が踊りとともに伝えられた といわれる。踊りは手数が多く、扇使いも江戸風のものがあるといわれる。 113 整理番号 H23-14 ひらがな おおもりしんざんししだいごんげんまい 名 称 保存会名 所在地 開催場所 大森親山獅子大権現舞 大森親山獅子大権現舞保存会 鹿角市尾去沢字西の沢 八幡神社 開催日 5 月 5 日/9 月 15 日(八幡神社例大祭) 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 巫女神楽・湯立神楽 映像提供元 解説文 文明 13 年(1481 年)頃からおこなわれていると伝えられる獅子舞のひとつである。尾去沢鉱山の発見 伝承とともにこの獅子舞があるといわれ、八幡神社では春の祭礼と秋の祭礼に演舞されるものとなってい る。別当である海沼家から囃子を奏でて八幡神社まで参進して、祭式の後、権現舞がおこなわれる。舞は 3 部に分かれて、最初に前舞という幣束の舞・巫子釼の舞・権現形の舞・青柳の舞・釼の舞・鈴の舞・扇 の舞がある。次に本舞として、拝みの手・えちきの手・四方固め・七五三・冠となっている。最後は米汲 みの舞である。米汲みの舞は、最も特徴的で、獅子が柄杓(ひしゃく)を持ち桶から水を汲み飲むという 所作があるもので、これを正月の若水にたとえて黄金(米)を汲むこととみなしている。春の祭礼ではこ の後、境内で湯立て神事がおこなわれていることから、この獅子舞は湯立て神楽の獅子舞といえる。 整理番号 H23-15 ひらがな からめぶしかなやまおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 からめ節金山踊り 尾去沢からめ節保存会 鹿角市尾去沢 鹿角市民センター 開催日 5 月 14・15 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 山ノ神を祀るとされる両社山神社(りょうしゃさんじんじゃ)の祭礼でおこなわれる奉納演舞であるか らめ節金山踊りは、この地帯に江戸時代からあった鉱山(尾去沢鉱山)の発展と安全を祈っておこなわれ たものという。からめ節は別名金山節、または、石からめ節ともいったもので、抗夫や選鉱婦(せんこう ふ)の仕事のなかから自然に生まれた作業歌である。歌詞は方言が多く取り入れられて、素朴さがみられ る。踊りは砕石選鋼の所作を真似た踊りといわれ、楽手の奏でる三味線、鉦、太鼓の旋律に合わせて演舞 される。からめ節というように唄い手による唄もつけられ、かつての舞い手は女性ばかりであったが、現 在は男女の別がない。からめ節にあいや節、花見帰りもおこなわれている。 114 整理番号 H23-16 ひらがな おおなおりおおだいこ 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 大直利大太鼓 大直利大太鼓保存会 鹿角市尾去沢 山神社・圓通寺・地域内各所 8 月 13 日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 大直利大太鼓は、織豊時代の大阪夏の陣に出陣した武将が帰郷した際に伝えたものといい、戦太鼓に由 来すると伝えられるもの。そのために戦死者の供養の意味もあるとされ、山神社(やまじんじゃ)に奉納 した後、圓通寺(えんつうじ)の境内で演舞して魂入れをするのだという。その後、集落を巡り演舞して 廻る。演目は 2 つで、打ち込みの太鼓・大直利大太鼓がある。大直利大太鼓には太鼓を中心として輪踊り をするものがみられたが、調査時点では伝承されていない。直利というのは優良な鉱脈をさすというもの で、鑿(のみ)と鎚を手に取った動作で太鼓を打つものだとされてきた。なお、囃子には太鼓のほかに笛 も入る。 整理番号 H23-18 ひらがな だいにちどうぶがく 名 称 保存会名 大日堂舞楽 大日堂舞楽保存会 所在地 鹿角市八幡平 開催場所 大日霊貴神社 開催日 12 月各集落特定日/1 月 2 日 指 国指定重要無形民俗文化財 定 カテゴリー 舞楽 映像提供元 解説文 正月 2 日に小豆沢の大日霊貴神社(大日堂)でおこなわれる延年舞である。大日霊貴神社の起源は定か ではないが、養老 2 年(718 年)に元正天皇の勅命によって大日堂の再建がなされたといわれ、堂宇の完 成の時に、都から音楽の博士、楽人らが来て奉納をしたのがこの地に伝わり大日堂舞楽といわれるものと なっている。昔はザイドウと呼んできた神事と舞楽全般をいった。楽人は大里、小豆沢・長嶺・谷内、の 4 集落で地付神役(じつきしんやく)としても舞の組織をなしてきた。大日堂舞楽では 4 集落でおこなわ れるのは最初に待ち笛の後、境内で地蔵舞という権現舞(獅子舞)があり、次に堂前では花舞という神子 舞・神名手舞・権現舞が始められる。続いて堂内の舞台上では各集落共通した神子舞・神名手舞が披露さ れる。本舞は大里集落が駒舞・鳥舞・工匠舞、小豆沢集落からは権現舞・田楽舞、長嶺集落の烏遍舞、谷 内集落からは五大尊舞が、それぞれ出される。現在の順番は、権現舞、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、 工匠舞、田楽舞の 7 舞となる。特に五大尊舞は金剛界大日如来、胎蔵界大日如来がだんぶり長者に化身し、 それに普賢、八幡、文殊、不動の 4 大明王が仕えた様を現すとされる。舞人は能衆と呼ばれてきた。囃子 は全て太鼓と笛のみであるが、田楽舞では能衆が天狗鼓やササラを鳴らすところもみられる。 115 整理番号 H23-19 ひらがな まつだててんまんぐうさんだいさんししだい ごんげんまい 松館天満宮三台山獅子大権現舞 名 称 保存会名 所在地 松館天満宮舞楽保存会 鹿角市八幡平字松館 開催場所 菅原神社 開催日 4 月 25 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 松館天満宮(菅原神社)は正安 2 年(1300 年)または治安 2 年(1022 年)ともいうが、京都北野天満 宮から天満大自在綱乗天神(菅原道真公)を勧請して祀ったとされる神社で、村中で万歳楽を唱えて舞い 始めたのがこの大権現舞であるといわれている。 松館天満宮は神仏習合時代には三台山といわれたことから、ここの獅子舞を三台山獅子大権現舞とい う。 大正時代前後は一時途絶えたが、昭和 12 年(1937 年)に現在のような舞楽として再興された。この舞は 毎年 4 月 25 日の松館天満宮の例祭時に奉納される。祭礼のときは宮司宅から神社までは参進、神社から 宮司宅までの退下には大権現舞一行も加わり渡御行列で進む。神社で祭式の後、境内に湯釜を据えた祭場 で舞が演舞される。演目には御幣舞、地舞、榊舞、青柳舞、扇舞、剱舞、獅子権現舞があり、お湯立て神 事の後再び藁太総舞があり、作占いの儀が続き、お湯立て神事湯浴みの儀、獅子権現による霊力授与とな っている。舞人や楽人は修験者の修行姿(白装束)を主としている。 整理番号 H23-20 ひらがな ゆぜしんめいしゃさきばらいまい 名 称 保存会名 湯瀬神明社先祓舞 湯瀬特別財産管理委員会 所在地 鹿角市八幡平字湯瀬 開催場所 神明社・地域内各所 開催日 7 月 16 日(神明社祭礼) 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 先祓舞は神社祭礼でおこなわれる神輿の巡幸に先立って舞われる祓いの舞とされる。900 年ぐらい前に 八幡太郎義家が、阿部一族征伐のために来北した途中、八幡平で病死した。その家来が兄川(現岩手県八 幡平市)に住した時に稲荷神社を祀った際、祭礼に舞ったといわれ、それが大正 14 年(1925 年) 、湯瀬神 明社に伝えられたものという。兄川で始まったとされることから兄川舞ともいわれる。神輿の巡幸に先立 つということから最初は神社境内で舞い、集落各所で神輿の止まるところで舞をおこない、最後は神社に もどる。先祓い舞の巡行ではヨイサッサ(先祓舞)で舞い進み、先祓・二つだんつき・よいこらさ・しち ょかちょ・じゃんじゃんじゃっき・しゃきしこ・ひさひさ・一つだんつき・尻舞・立ち車・後祓・杵取り 舞が演舞される。舞の動作は稲作農作業の一年を表しているともいわれる。囃子は舞いながら叩く踊り太 鼓と大太鼓、鉦(手平鉦)に笛がつき、踊り子はそれぞれの舞で扇子・刀・棒・杵などを手に持ち、取り 替えながら演じる。 116 整理番号 H23-22 ひらがな たにないあまてらすすめみおやじんじゃさき ばらいまい 谷内天照皇御祖神社先祓舞 名 称 保存会名 所在地 開催場所 天照皇御祖神社先祓舞保存会 鹿角市八幡平字上苗代 八坂神社・地域内各所・天照皇御祖神社 開催日 8 月 15・16 日(天照皇御祖神社祭礼) 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 先祓舞は神社祭礼でおこなわれる神輿の巡幸に先立って舞われる祓いの舞とされる。900 年ぐらい前に 八幡太郎義家は、阿部一族征伐のために来北した途中、八幡平で病死した。その家来が兄川(現岩手県八 幡平市)に住して稲荷神社を祀った際、その祭礼に舞ったといわれ、谷内では宝暦の頃(1750 年頃)に兄 川から伝えられたという。兄川で始まったとされることから兄川舞ともいわれている。神輿の巡幸に先立 つということから最初は神社境内で舞い、地域内各所の神輿が止まるところで舞をおこない、最後は神社 にもどる。先祓舞の巡行では 1 番から 11 番まであり、11 番だけは杵取り舞という名がある。1 番から 10 番までは飾り棒と扇子を用いて踊る。杵取り舞は餅搗きをするときの杵を採りながら踊るもので、これは 青年たちでおこなう。太鼓・笛・鉦の囃子がつき、太鼓の囃子が次第に速くなるのは、踊りの始まりの合 図である。 整理番号 H23-23 ひらがな ながみねはちまんじんじゃさきばらいまい 名 称 保存会名 所在地 開催場所 長嶺八幡神社先祓舞 長嶺自治会 鹿角市八幡平字長嶺 八幡神社・地域内各所 開催日 7 月 15 日に近い土・日曜日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 先祓舞は神社祭礼でおこなわれる神輿の巡幸に先立って舞われる祓いの舞とされる。900 年ぐらい前に 八幡太郎義家は、阿部一族征伐のために来北した途中、八幡平で病死した。その家来が兄川(現岩手県八 幡平市)に住した時に稲荷神社を祀った際、祭礼に舞ったといわれ、それが明治 20 年(1887 年)に長嶺 の八幡神社に伝えられたものという。兄川で始まったとされることから兄川舞とも呼ばれた。宵宮祭の日 は神輿の巡幸に先立って宿元まで先祓舞をしながら巡行していく。当日は集落各所で踊り、最後は神社境 内でも踊る。演目には、五つぶつけ・二つぶつけ・拝むの・拝まないの・なえことり・じゃんじゃんじゃ っきん・とかとか・ていしゃれ・立車・ささい・きねとり舞・下ぶつけが演舞される。囃子は舞いながら 叩く踊り太鼓と大太鼓、鉦(手平鉦)に笛がつけられ、踊り子はそれぞれの舞で、扇子・刀・棒・杵など を取り替え持ちながら演じる。主に円陣を組んで舞われるものだが、最後のきねとり舞は餅搗きをすると きの杵を採りながら踊るのが特徴でもある。 117 整理番号 H23-24 ひらがな おおさとかわらいなりじんじゃさきばらいま 名 称 い 大里川原稲荷神社先祓舞 保存会名 所在地 開催場所 大里集落自治会 鹿角市八幡平字大里川原 稲荷神社・地域内各所 開催日 8 月 15・16 日(稲荷神社祭礼) 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 先祓舞は神社祭礼でおこなわれる神輿の巡幸に先立って舞われる祓いの舞とされる。兄畑(現岩手県八 幡平市)から伝えられたという。昭和 24 年(1949 年)頃、大里集落の代表者が兄畑地方に出向き先祓い を習い、昭和 25 年(1950 年)頃からここの祭りの時におこなわれてきた。川原稲荷神社の先祓舞は兄川 舞とは異なるとされ、兄畑舞というものである。宵宮祭では神社境内で踊り、神前に奉納する。本祭の日 は神社から出される神輿の巡幸に先立つということから、最初は神社境内で舞い、巡幸に従って地域内各 所で神輿の止まるところで舞をおこない、最後は神社にもどる。先祓舞の演舞は先祓舞・拝み舞・よいこ らさ・扇舞・ざんざんざき舞・田植え・そらそらそら舞・拝み返し舞・けつふり舞・立車舞・杵取舞・先 祓い返しがある。舞の動作は稲作農作業の一年を表しているといわれるものと、先祓い返しのように道中 を清める舞とがある。囃子は舞いながら叩く踊り太鼓と渡御の触れ大太鼓、鉦(手平鉦)に笛がつき、踊 り子はそれぞれの舞で、扇子・刀・棒・杵などを取り替え持ちながら演じる。 整理番号 H23-122 ひらがな たにないたなばたまつり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 谷内七夕まつり 谷内自治会 鹿角市八幡平谷内 地域内各所 8 月第 1 土曜日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 谷内七夕では、七夕の祭り囃子としての太鼓囃子が付けられている。この囃子はネブリ流し系の七夕祭 礼として将棋の駒をかたどった大きな灯籠を屋台につけて引き回し、本来は川に流すという悪霊祓いとさ れている。谷内ではこの流しはおこなわれない。各町の若者組が主となり王将大灯籠の屋台に太鼓を据え て、それに乗って大太鼓と小太鼓を囃しながら引き回すものである。演目には七夕太鼓といわれるものと、 ネプタ流しがある。ネプタ流しは屋台が各町内に戻るときに演じられるものである。 118 整理番号 H23-130 ひらがな あしなざわおおだいこ 名 称 保存会名 所在地 開催場所 芦名沢大太鼓 芦名沢大太鼓保存会 鹿角市十和田山根 芦名神社・山根農村公園・地域内各所 開催日 8 月 14 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 芦名沢大太鼓は主に芦名沢地区盆踊りのなかで演じられてきたことから、盆踊りの囃子として発生した とみられる。主として拍子を奏でる太鼓は、盆踊りばかりではなく、鹿角地方一帯にみられる虫送りや雨 乞い、鳥追いなどの他、祭り囃子としてのものなど、農耕儀礼にも盛んにおこなわれてきた痕跡がある。 そうした発展の間、当初は大拍子太鼓のように、一人で持ち運べるような太鼓だったが、近代は次第に音 響を競うことなどによって大きくなったらしい。今では、大太鼓というように皮の経は 4 尺(1.21m)も あり、胴は桶状に組み立てられた長さ 5 尺(1.51m)とされるものである。芦名沢の大太鼓はその発祥を 中古まで遡るという見方もあるが、それより、この地方一帯の大太鼓芸の発祥だとする伝承は根強い。太 鼓は打ち手がひとつの太鼓を帯で担ぎ両手に持ったバチで打ち鳴らす。たいていはそれに補助員がつけら れて持つ。演目は大拍子・三拍子・五拍子・七拍子・高屋・キツネ面子・八面ザラシがある。この他に由 来に関わるとされる田内の一郎兵衛(タネノイチロベエ)いう曲もある。いずれにも笛の伴奏がつき、合 わせて奏でられる。笛は大太鼓の拍子をまとめる指揮の役割をするのだという。 整理番号 H23-25 ひらがな でわじんじゃごんげんまい 名 称 保存会名 所在地 開催場所 出羽神社権現舞 出羽神社権現舞保存会 鹿角郡小坂町小坂字上小坂 新山堂跡・出羽神社 開催日 9月8日 指 町指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 獅子神楽 映像提供元 解説文 権現舞はかつて出羽神社の春秋の祭礼にあたって、上・中・下小坂の輪番制で奉納されたという。江戸 時代、出羽神社は新山堂と呼ばれていたもので、獅子頭もまた権現と称されていた。神社での祭式終了後 に、神前から獅子頭を下ろし、太鼓・笛・鉦・法螺貝の囃子に合わせて舞をおこなう。演目には、お国入 りと四方固めがあり、これは太鼓と法螺貝による。四方固めの舞は、太鼓・笛・鉦の囃子によって四方固 め・たすきの舞・太刀の舞が演舞される。獅子舞には、もたろうと米汲みがあって、太鼓・笛・鉦の囃子 がつけられる。この権現舞というのは二人立ち一頭獅子舞であり、米汲みという、桶に入っている米を柄 杓(ひしゃく)で汲むという舞の動作がみられるのが特色でもある。この獅子舞は山伏系神楽のひとつと されている。 119 整理番号 H23-26 ひらがな こさかぼんおどり(ななたきちく) 名 称 保存会名 小坂盆踊り(七滝地区) 七滝地区自治会連絡協議会 所在地 鹿角郡小坂町荒谷 開催場所 七滝公民館前広場 開催日 指 8 月 15 日 定 カテゴリー 盆踊り 映像提供元 解説文 盆の先祖供養としておこなわれる盆踊りであるが、囃子は鹿角一帯でおこなわれている大太鼓を用いて いる。したがって、盆踊りとは別の太鼓芸も盆踊りで披露される。七滝ではこの日の朝、はじめに寺院で 供養太鼓を奏で読経をしてもらう慣わしだとされ、夕方会場で盆踊りとなる。盆踊り会場では最初に呼び 太鼓として、第一大拍子・第二大拍子・古川大拍子・大谷大拍子や一人太鼓の三拍子・五拍子などを叩く と皆が集まるという。盆踊りの曲目には、大の坂という太鼓のみの拍子で踊るものと、次に甚句という節 付きの歌詞を歌い上げて踊るものがある。もうひとつは、じょんがらというもので、これも節のついた唄 で踊る。太鼓には笛がつけられる。大の坂という踊りはゆったりした調子で、手の動きも拍子に合わせて 優雅に動かすのが特徴とされる。じょんがらは少し拍子が速くなるが両手の振り回しが左右前後に動きも 優雅にして踊るものだとされる。大太鼓というように、桶状の太鼓だがすこぶる大きくて重いものが用い られている。 整理番号 H23-117 ひらがな かわかみちくれんごうぼんおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 川上地区連合盆踊り 川上地区自治会連絡協議会 鹿角郡小坂町小坂下川原 川上公民館前 8 月 16 日 定 カテゴリー 盆踊り 映像提供元 解説文 この地域の盆踊りは明暦 3 年(1657 年)頃に南部藩の宮古から伝えられたものという。神送りの一種と されているこの踊りは、櫓(やぐら)や篝火(かがりび)を囲むように輪になって踊る。最初に演奏され る呼び太鼓には、高屋・七拍子・大拍子の 3 曲がある。次に、太鼓の囃子だけの大の坂、そして甚句が演 じられる。鹿角甚句は七七七五調の唄のみで踊るとされ、あの世にゆく寂しさに手向けをするものとして、 恋歌や返し歌もみられている。そして、じょんから踊りがあり、これは南部節で歌われるもので、最後に は留め唄というのがある。甚句の由来は、戦国時代の凱旋の際に遊興として踊られたもので、将兵をねぎ らう陣後唄とされる。じんご唄が、じんこ唄、じんく唄と転訛していったものといわれている。 120 整理番号 H23-123 ひらがな こさかたなばたまつり 名 称 保存会名 所在地 小坂七夕祭 小坂町七夕祭振興会 鹿角郡小坂町小坂 開催場所 地域内各所 開催日 8 月 6・7 日 指 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 小坂七夕の由来は、小坂鉱山で働く抗夫のうち、弘前(現青森県)あたり出身の者が七夕に地元のねぶ たを偲んで始めたものとされる。大きな絵武者のものや武勇物語に因んだものなど、大灯籠を台車に乗せ て引き回す七夕祭礼である。この台車には同時に大太鼓、小太鼓と鉦(レールを裁断したもの)の囃子が 乗せられている。それに合わせて、笛とハーモニカが演奏されるという独特なものとなっている。演目に は、ばか・がんまく・だんだりっこがあり、それに「もとやま」という曲もあったが、調査時点では「も とやま」の伝承は少なくなった。この囃子は、台車を引く歩調に合わせたものだとされ、ゆっくりとした ものとなっているが、町内を巡り終えて自町に帰るときはさらにゆったりめになるという。 整理番号 H23-125 ひらがな こさかまんやおおだいこ 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 小坂万谷大太鼓 小坂万谷大太鼓保存会 鹿角郡小坂町小坂荒谷万谷 萬養寺・鹿角花輪駅前・関善前 8 月 15・20 日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 小坂町の南部にあたる万谷に伝承される大太鼓の囃子である。主に盆踊りに演じられる太鼓であるが、 他にも春彼岸、秋彼岸の行事とするオジナオバナなどでも囃されている。もともと先祖供養の意味があっ て演奏されるものであったというから、彼岸の送り火行事に集落外れで一緒に打ち鳴らしたことに由来す るとされる。大太鼓というように皮の経は 4 尺(約 1.2m)もあり、胴は桶状に組み立てられた長さ 5 尺(約 1.5m)とされるものである。打ち手はひとつの太鼓を帯で担ぎ、両手に持ったバチで打ち鳴らす。たいて いはそれに補助員がつく。盆踊りの演目は、呼び太鼓・大の坂・甚句・ジョンガラ・送り太鼓がある。他 に独自の演奏曲として、大谷大拍子・万谷第一大拍子・万谷第二大拍子・高屋などがある。大太鼓の囃子 には笛も付けられる。 121 整理番号 H23-126 ひらがな かわかみおおだいこ 名 称 川上大太鼓 保存会名 川上地域文化伝承保存会 所在地 鹿角郡小坂町小坂下川原 開催場所 開催日 指 川上公民館前 8 月 16 日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 盆踊りの囃子としても演じられる太鼓囃子であるが、大ノ坂として伝わる。川上地区は野口、濁川、余 路米、砂小沢の 4 集落からなるが、各集落から集まって演じるものとなっている。大太鼓というように皮 の経は 4 尺(約 1.2m)もあり、胴は桶状に組み立てられた長さ 5 尺(約 1.5m)とされるものである。打 ち手はひとつの太鼓を帯で担ぎ、両手に持ったバチで打ち鳴らす。たいていはそれに補助員がつく。演目 は高屋・大拍子・七拍子が伝承されている。もとはいずれにも笛の伴奏がつけられたが、調査時点では笛 は伝承されていない。江戸時代に南部藩領の宮古(現岩手県)から来た桜庭光秀(さくらばみつひで)に よってもたらされたといい、武士の士気を高めようとして打ち鳴らしたのが始まりといわれている。 整理番号 H23-27 ひらがな おおばやしししおどり 名 称 保存会名 所在地 大林獅子踊り 上小阿仁村大林獅子踊保存会 北秋田郡上小阿仁村大林字上村下タ 開催場所 熊野神社 開催日 8 月 13 日 指 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 毎年盆の 13 日の夜に神社でおこなわれるもので、その起源は古代において田村将軍が東征の折に戦の 徒然をいましめて舞ったとか、江戸時代初めに佐竹氏が常陸(現茨城県)から秋田に移封されたときに、 足軽らを癒すために道中宿場で踊ったのが始まりで、それがこの地に伝えられたものともいう。五穀豊穣 を祈る踊りとされるために、地域の神社祭礼の時も踊る。大名行列といって纏、幟指物(のぼりさしもの) 、 長刀、ハサ箱(挟み箱)などを持った行列に獅子や奴踊りの者も加わり、演舞場所に入ってくる。これを ぶっこみといっている。この時、子獅子の舞いがある。次にトラコ奴・あやのしな奴という奴踊りが演舞 され、次に大獅子舞いがおこなわれる。最後にまわり奴で終わる。以前は演目に中奴が入っていて 2 拍子 くらいが踊られた。かつてはほかに下ふき奴・とばし奴などという収穫後の農作業を踊りにしたものあっ て、全部で 10 演目の奴踊りがみられた。獅子踊りは一人立ち一頭獅子舞で三匹によって舞われる。囃子 には太鼓、笛がつけられている。 122 整理番号 H23-28 ひらがな やぎさわばんがく 名 称 保存会名 所在地 開催場所 八木沢番楽 八木沢番楽保存会 北秋田郡上小阿仁村沖田面字八木沢 地域内各所 開催日 8 月 14 日/9 月末 指 村指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 上小阿仁村教育委員会 解説文 八木沢番楽は 8 月 14 日を幕開きとして、9 月の末、稲刈り前には幕納めで舞うものであった。昔は他村 にも公演して廻ったという。番楽の始まりは不明だが、この舞は修験道を奉じた山伏たちによっておこな われたものとみられ、山伏神楽だとされた。番楽舞は表 12 番、裏 12 番と 24 番が本式とされたが、伝承 されてきた舞には、武士舞・鶏舞・曽我兄弟・牛若丸・花車があり、これらは神前で舞うもので、その他 に露祓い・鐘巻などを含めて集落内で演じられた。 ※平成 23 年度調査時点では、保存会としての活動は行っていないが、地元中学生によって披露されてい る。 整理番号 H23-29 ひらがな こさわだこまおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 小沢田駒踊り 小沢田伝統芸能保存会 北秋田郡上小阿仁村小沢田 小沢田橋前 8 月 13 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 かつては小沢田獅子踊りといっていたが、今は駒踊りと称しているもの。獅子踊りがなくなったことか ら駒踊りを主として手踊りのみがつけられている。お盆におこなうものとして先祖供養の意味があるとさ れる。かつては大名行列もあって、棒使い、万歳も演舞されたが、これも今はおこなわない。演目は最初 にぶっ込みという会場の場ならしとされるものがある。次に舎利(しゃり)駒・三番(さんば) 、という 駒踊りが演舞され、次に虎っこ奴、馬引きがある。そして手踊りとされる、ぶっ込み・三島奴・廻奴・虎 っこ奴がある。駒踊りは造り物の馬型と鎧を着けて馬乗したようにして操り、跳躍を繰り返して舞うもの で、駒引きには馬方節や追分の民謡が唄われている。 123 整理番号 H23-30 ひらがな ふじことかみわかほうさくおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 藤琴上若豊作踊 上若郷土芸能保存会 山本郡藤里町藤琴 浅間神社・宝昌寺・地域内各所 開催日 9 月 7・8 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 浅間神社の祭礼に奉納演舞としておこなわれる。豊作踊りというように主として五穀豊穣を祈り、先祖 供養としても演舞されるもの。以前は若勢組が演じていたが、今は特に制限はなく上若と志茂(しも)若 の 2 団体で演じられている。豊作踊りはこの 2 つの若組に分かれているために先番、後番は毎年交互にお こなっている。演目は、ぶっこみ・棒使い・獅子舞・駒踊り・奴子踊り・万才があり、順次披露されてい る。囃子は太鼓と笛であるが、駒踊りには手綱の蛇金、奴子踊りにはササラがつけられる。獅子舞は一人 立ち一頭獅子舞で、三匹の獅子が腰鼓を打ちながら踊る。宵宮祭の日は寺院の境内で先祖への感謝と霊を 慰めるためにこれらが披露されるもので、本祭の日は朝に先番の若組が大名行列をかたどって神社に神輿 を迎えにゆき、後番の若組では囃子方や獅子舞、駒踊りなどで行列を組んで神輿の巡幸を待ち、合流して 行列の先行を勤める。巡行行列では、町の主立ち者の家の前で、きゃど祓いという駒踊りが演じられる。 宿と称する当番長の家の庭では全演目が披露される。その後神社まで神輿について巡行する。夜は町内各 所において再びこの豊作踊りがおこなわれるものである。 整理番号 H23-31 ひらがな ふじことしもわかほうさくおどり 名 称 藤琴志茂若豊作踊 保存会名 志茂若郷土芸術会 所在地 山本郡藤里町藤琴 開催場所 浅間神社・宝昌寺・地域内各所 開催日 9 月 7・8 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 浅間神社の祭礼に奉納演舞としておこなわれる。豊作踊りというように主として五穀豊穣を祈り、先祖 供養としても演舞されるもの。以前は若勢組が演じていたが、今は特に制限はなく上若と志茂若の 2 団体 で演じられている。豊作踊りはこの 2 つの若組に分かれているために先番、後番は毎年交互におこなって いる。演目は、ぶっこみ・棒使い・獅子舞・駒踊り・奴子踊り・万才があり、順次披露されている。囃子 は太鼓と笛であるが、駒踊りには手綱の蛇金、奴子踊りにはササラがつけられる。獅子舞は一人立ち一頭 獅子舞で、三匹の獅子が腰鼓を打ちながら踊る。宵宮祭の日は寺院の境内で先祖への感謝と霊を慰めるた めにこれらが披露されるもので、本祭の日は朝に先番の若組が大名行列をかたどって神社に神輿を迎えに ゆき、後番の若組では囃子方や獅子舞、駒踊りなどで行列を組んで神輿の巡幸を待ち、合流して行列の先 行を勤める。巡行行列では、町の主立ち者の家の前で、きゃど祓いという駒踊りが演じられる。宿と称す る当番長の家の庭では全演目が披露される。その後神社まで神輿について巡行する。夜は町内各所におい て再びこの豊作踊りがおこなわれるものである。 124 整理番号 H23-32 ひらがな かなざわばんがく 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 金沢番楽 金沢番楽保存会 山本郡藤里町藤琴 藤里町総合開発センター 10 月中旬(藤里町町民祭) 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 金沢番楽は神事として金沢不動尊へ奉納するものだといわれた。そのために、番楽を演じる舞台には必 ず御幣を立て、神米や神酒などを供え、その前に龍頭、鬼面、刀などを安置し、拝礼の後に演じられるも のという。かつては演舞において若い者と若勢の区別があって、しかも世襲によって役が異なっていた。 番楽は不作の年や、凶作の年には演じられず、並作以上の収穫が見込まれた年に豊作祝いとしておこなわ れるものだった。番楽の始まりは不明で、旧鷹巣町や阿仁地方から伝播したともいうが確実なものはない。 演目には清浄抜・一ノ谷・宇治川・大物の浦・屋島・五條の橋・富士の巻狩などがある。囃子は笛と太鼓 である。かつて玉取りという演目もあったが、これはまた、宿から出て集落を一巡するときに玉取りと称 した悪霊退散がおこなわれた。番楽の終わった翌日は幕納めとして清浄抜の一幕を演じて、その年の演舞 は一切終えてしまうものであった。 整理番号 H23-33 ひらがな おおさわそうしまい 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 大沢壮士舞 大沢自治会芸能部会 壮士舞保存会 山本郡藤里町大沢 地域内各所 5 月 4 日(熊野神社祭礼) 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 明治 30 年(1897 年)頃、男女数名の勇芸者が諸国巡業の折に大沢集落に数日間滞在したという。この 時、集落の人びとに剣、鎗、長刀などを披露したところ、それを習い伝えたいと志した者がいたために、 武術が教授されたという。特にこの集落にいた戸嶋ナミ(としまなみ)という者に壮士舞が伝授されたこ とから、戸嶋がこれを集落の娘たちにも伝えたのが今の壮士舞といわれている。舞手は三人から五人で、 囃子は締太鼓、笛、鉦と唄い手がつく。調査時点ではこの囃子手は台車に乗って回る。壮士舞は一幕と二 幕のみで扇と刀を持って舞う。ほかに、おけさ・おはら・とおり音頭・鹿児島おはらなども披露されてい る。 125 整理番号 H23-34 ひらがな ねじょうずもう 名 称 保存会名 根城相撲 根城青年団 所在地 山本郡藤里町粕毛 開催場所 旧米田小学校跡地 開催日 9 月中旬の日曜日 指 定 カテゴリー 見せ物芸・小歌踊 映像提供元 解説文 根城の相撲は粕毛地域の青年団を中心として豊作を祈る作相撲としておこなわれてきている。古くは 9 月の望日におこなう収穫祈願の意味があった。この日には早刈りをした新稲で餅を作り食べる風習もあっ た。この相撲は 10 日ぐらい前から土俵造りから始められ、当日早朝は触れ太鼓を地域の中心である熊野 神社境内から地域全体にとどくように叩く。午前の開始前にも集落を巡り触れて歩く。土俵は現在固定さ れているが、毎回必ず整備を施すもので、周囲には相撲幟を掲げている。最初に土俵入りがあり、青年団 団長を大関として、その他役員が順次三役揃い踏みをおこなう。次に初切(ショッキリ)を挙行し、競技 相撲に入る。出世相撲、花相撲、三人抜き、五人抜きなどがあり、午後の千秋楽には東西大関同士の取り 組みとなるが、勝敗を決しないで、勝負は明年に持ち越すものである。引き続いて八幡幣儀式があり、八 幡幣は大関(退団者)がとり、力士全員で土俵周りを甚句踊りで回る。さらに土俵に上がり八幡幣取りの 者を胴上げして終わる。この後、八幡幣送りという儀式もある。力士らは太鼓を鳴らしながら八幡幣取り の者を家まで送っていくもので、家では座敷の柱に御幣を掲げて、若者たちをはじめ近所の人びとで祝宴 がおこなわれる。尚、近年までは、翌日にエボボチ舞という行事を八幡幣取りができない退団者を中心と しておこなうものであった。 整理番号 H23-120 ひらがな おおさわじちかいおおさわちくぼんおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 大沢自治会大沢地区盆踊り 大沢自治会 山本郡藤里町大沢 大沢地区淡路商店前の広場(雨天は大沢会館け やき館) 開催日 指 8 月 14 日 定 カテゴリー 盆踊り 映像提供元 解説文 大沢地区の盆踊りは江戸時代後期に始まったとされ、先祖の霊を慰めて、豊年を祈るものとされる。踊 りは毛馬内(鹿角市)から伝わったともされ、手の動きや動作にも似たものがある。演目には、甚句踊り・ なっとぶし・白神音頭がある。白神音頭は近年の創作曲である。甚句踊り、なっとぶしの伝統的な盆踊り 曲は太鼓と歌のみでおこなわれるものである。 126 整理番号 H23-35 ひらがな つづれこおおだいこ 名 称 保存会名 綴子大太鼓 綴子上町大太鼓保存会/綴子下町大太鼓保存 会 所在地 開催場所 開催日 指 北秋田市綴子 綴子神社・集落会館・地域内各所 7 月 14(宵宮祭) ・15 日(綴子神社例祭) 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 鎌倉時代の弘長 2 年(1262 年)以前、山伏法印神楽から創案されたものとして、太鼓風流、獅子踊り、 源平白赤行列に加えて御湯立神楽などがおこなわれたものという。それぞれの行事は個別におこなってい たもので、雨乞い・日和上げ、五穀豊穣を祈願したものであった。江戸時代元禄年間(1688~1704 年)に は祭礼行事に統合され、さらに棒術、奴踊りなどを加えていった。現在は綴子大太鼓といっても大太鼓だ けではなく、獅子踊り、奴踊り、棒使い、大名行列から構成されている。大太鼓の囃子は、雨乞いや豊作 祈願に大きな音の威力を出すためとして、上町を徳川方、下町を豊臣方とする旗行列の編成として、その 出陣にあたり獅子踊りを演じて競い合うようになったとされる。獅子踊りは一人立ち一頭獅子舞で両親獅 子と小獅子というもので邪気を祓い正気を帰するものとして、ブッコミ・本踊り・山に隠れる・見つけて 三匹で暮らす・お礼の踊りという 5 つに舞態が分かれている。上町の奴踊りには、しだし奴・あさひ山・ ぶっこみ奴・みと奴・とおり奴・さぎり奴・ななず奴・ななば奴・からみ奴・ふたつ奴・扇奴・あや奴・ おんど奴が、下町の奴踊りには、廻り奴・扇奴・サギリ奴・もみじ奴・暇乞い(いとまごい) (綾奴、綾 くずし)が伝えられている。棒使いはヤツパリという演舞である。 整理番号 H23-36 ひらがな ぼうざわししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 坊沢獅子踊り 坊沢獅子踊り保存会 北秋田市坊沢 永安寺・坊澤神明社・地域内各所 8 月 14 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 現在は盆の 14 日だけとなっているが、かつては 13 日から 20 日までの間、村内をはじめ周辺集落にも 出て演じ、お花(祝儀)をもらうものであった。獅子踊りの起源は不明だが、先祖供養の意味で踊られる というので盆の期間が選ばれているという。踊りの日は神社に安置されている獅子頭を神職が鄭重に取り 出して、役員や舞手たち一同で拝礼をしてから始められることとなっている。踊りには決まった順路があ って、永安寺(えいあんじ)から演じて神明社に至り、順次村内を廻って、特定の路上、庭先で踊るもの である。最後は五義民碑の前と決まっている。移動には隊列を組み、踊り場に入ることをぶっこみという。 奴踊りにはこのぶっこみと、廻り奴・あや奴・朝日山があり、退場はしだし奴で終える。この奴踊りはあ や(棒)の振り方、前後にはねる動作、扇のひねり方などに特徴があるとされる。次が獅子踊りであるが、 4 場面に分けられてきた。獅子踊りは手と体のひねり、獅子頭の上下の振りなどが激しいものとなってい る。そして最後には棒使いがおこなわれる。 127 整理番号 H23-37 ひらがな たかのすぼんおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 鷹巣盆踊り 北秋田市観光協会 北秋田市材木町 銀座通り 8 月 14・15 日 定 カテゴリー 盆踊り 映像提供元 解説文 幕末の慶応 3 年(1867 年)に、旧鷹巣町の商人衆の肝煎りによって古くからこの地でおこなわれてきた 盆踊りである。大ノ阪踊りやジョスケ踊りなどを競り市場でおこない、豊作を祈る盆踊りとしたものが今 に伝わっている。盆踊りは中に櫓(やぐら)を立てて、盆踊りの日の宵闇迫る頃に寄せ太鼓が打たれると、 人びとが三々五々集まってくる。唄い手の音頭で踊り、後半はそれについて踊り手も唄いながら輪踊りを していった。盆踊りはかつて次の日の夜明け前まで踊ったともいわれる。服装は浴衣を主とするが、手拭 いを被ったり、仮装したりして踊るものもみられたという。調査時点では、大ノ阪踊りがかろうじて伝承 されるが、ほとんどが近代に流行した盆踊り唄でおこなわれている。 整理番号 H23-39 ひらがな おおたばんがく 名 称 太田番楽 保存会名 太田番楽保存会 所在地 北秋田市栄太田 開催場所 開催日 指 神明社・地域内各所 9 月 13 日 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 太田番楽は、伝承に依れば幕末の頃、太田神明社の別当修験であった六代目の法楽院峰紹(ほうらくい んみねつぐ)が京都遊学の折に神楽能楽などの芸能を勉強したとされ、帰京後にこれらを基に番楽を造り 上げて村人に伝えたというものである。古来は一子相伝のものとされて、その舞や囃子は村の特定の家で しか伝えられてこなかったという。演目には表舞の千代払(露払) ・翁舞・三番叟・千歳鳥舞・根子伐舞・ 若子・わらび折・山神舞などが、裏舞には、玉捕・紅葉狩・大江山・鞍馬・五条の橋・宇治川・一の谷・ 屋島・船弁慶・十番斬・壇ノ浦などがある。もともとは表 12 番、裏 12 番の 24 舞とされていた。囃子は 太鼓と笛だけで構成されている。表舞の特色は囃子に合わせてゆったりとした動作で踊るのが主体とさ れ、裏舞は台詞が入り、花道と舞台が互いに掛け合いをするなど、武士舞が多く演じられる。番楽面はこ の太田の長谷川伊右衛門(はせがわいえもん)作と伝えられている。峰紹はこの番楽を中仕田(旧田代町 早口)や金沢(藤里町藤琴)にも伝えたという。 128 整理番号 H23-40 ひらがな いまいずみこまおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 今泉駒踊り 今泉駒踊り保存会 北秋田市今泉 地域内各所 8 月 14・15 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 駒踊りは、戦国時代の川中島での武田信玄と上杉謙信の勇壮な合戦の様を武芸化したものとされたり、 江戸時代初めに佐竹氏が水戸(現茨城県)から秋田に転封されたときに佐竹殿様の不満を慰めたとか、藩 内巡遊の旅の無聊(ぶりょう)のために時々に演じられたとか、諸伝承があって定かではない。古くは獅 子踊り(一人立ち一頭獅子)もあったといい、近年までは駒踊りと奴踊りを伝えたが、調査時点では駒踊 りのみとなっている。駒踊りは合戦に入る前から終わるまでの騎馬の状況をつぶさに表現したものとい う。演目には、ぶっ込み・馬引き唄・場作り・五拍子・さんば・ひざ折り・おかざき・七五三の肩乗りが ある。ぶっ込みでは一列になって前に進み、場つくりからひざ折りまでは双方向かい合って数回競合して 拍車を掛け、最後の七五三の肩乗りでまたそれぞれ横一列となって退場していくものである。囃子は太鼓 と笛で構成されている。この駒踊りは八幡岱(旧合川町)から伝承されたともいわれるものである。 整理番号 H23-41 ひらがな まえやまきょうどげいのう 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 前山郷土芸能 前山郷土芸能保存会 北秋田市前山 雷皇神社・地域内各所 8 月 13(送り盆行事) ・20 日(獅子納め) 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 前山郷土芸能は、元は前山盆踊りといったもので、獅子踊りや奴踊りなどを披露して送り盆行事とした ものであった。江戸時代中頃に米代川の大洪水によって当時の旧家が現地に移転して新たな村づくりを始 めたとき、豊作と厄除け祈願のために鎮守社に奉納したのが始まりとされる。踊りの構成は佐竹氏転封の 折の行列を真似たといわれる。かつてはブッ込み、獅子踊り、奴踊り、棒使い、雑魚釣り舞があったが、 調査時点では獅子踊りは伝承されていない。大名行列として、露払い・棒使い・長刀・鳥が行列を組み、 奴踊りにはブッ込み・花奴・あや・わきふみ奴・あやの七積り・水戸奴・カジ奴・トラコバカゲなどがあ る。ブッ込みは笛と太鼓の囃子によって行列が続いて円陣になりその中で演じられていく。奴踊りは円陣 のなかに中奴といわれるひとが入り、中奴の音頭で演目が告げられると、それに従って数々の手踊りが演 じられていく。獅子踊りは伝承されていないが、盆の 20 日の獅子納めの儀式だけは執り行われている。 129 整理番号 H23-133 ひらがな かみふなぎこまおどり 名 称 保存会名 上舟木駒踊り 竜森郷土芸能保存会/北秋田市立鷹巣南小学 校 所在地 北秋田市七日市字菅谷地岱 開催場所 随所 開催日 随時 指 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 かつては盆の 13 日、14 日の 2 日間に村の広場、共同墓地などで盛んに演じられてきたが、その後竜森 郷土芸能保存会を結成して大会や特別な祝いの場で披露されるだけになった。発祥は江戸時代初めに佐竹 氏が秋田に転封されたときという伝承がある。今は駒踊りとされる芸能であるが、かつては獅子踊りもあ ったらしく、別に獅子頭が保管されている。その頃の伝承として、獅子納めでは獅子を殺してご神酒をか けて清めるものだったという。かつて演目には 12 種以上あり、馬引きといって、最初に駒踊りの一人を 連れ出し、この時馬引き歌を歌うものがあったが、調査時点では入り駒・乗り戻し・膝折り・岡崎・七五 三の片乗りのみが伝承されている。駒の作り物を腰に据えて、武者の姿をして馬乗りをするような姿で踊 るもので、騎手と馬を表すように激しく跳ねたり、馬頭を上下左右に動かし、手綱をひくようにした動作 がみられる。囃子には太鼓と笛があり、総じて拍子が速いものがみられる。 整理番号 H23-42 ひらがな もちつきおどり 名 称 保存会名 所在地 餅搗き踊り 熊野神社餅搗き踊り保存会 北秋田市米内沢林の腰 開催場所 熊野神社 開催日 8 月 28 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 例年の熊野神社祭礼の宵宮祭にあたって奉納されるものという。米内沢(旧森吉町)でも新町にのみ伝 承されている踊りだが、その起源は明らかではない。口碑によれば、盆の仏の供養として踊ってきたもの らしい。そのため盆の 15 日なると町の中心の通りに大きな臼を持ち出し、仏前に供えられた各家々の赤 飯を集めて回り、それを餅種にして、円陣を組み、餅を搗きながら踊ったものといわれる。搗いた餅は皆 に振る舞われるが、この餅を食べると虫歯にかからないとか、夏負けをしないとかいわれている。昭和 43 年(1968 年)からは、路上でおこなうことに危険を感じ、8 月 29 日の熊野神社例祭前夜の宵宮祭に奉納 することとなった。演目の構成は、餅搗きの全作法を取り入れた餅搗き踊りで、それに続けてメラシ踊り・ 猫竜・通り音頭となり、最後はケンバヤシで終わる。さらにジョンカラ・秋田音頭・台ノ坂などの盆踊り と同様な踊りもおこなわれる。 130 整理番号 H23-43 ひらがな よないざわきょうゆうかいししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 米内沢共勇会獅子踊り 米内沢共勇会 北秋田市米内沢 米内沢神社・龍淵寺・地域内各所 8 月 13 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 初めは米内沢獅子踊りとして発祥したというが、後にはこれを豊年万作踊りともいった。その後、明治 時代初めに地域の若者達によってつくられた共勇会が主としておこなってきたことから、米内沢共勇会獅 子踊りと呼ぶようになった。江戸時代の中頃に始められたともいわれ、特に獅子踊りは、頭固めは 8 月 5 日、獅子納めは 8 月 15 日と決まっていたもので、いずれも神社の境内でおこなう。獅子踊りというが、 獅子だけではなく演舞には奴踊り、駒踊り、棒術がみられる。演舞がおこなわれる場所に移動する場合に は大名行列のような仕立てがあり、これを通りとか打ち込みといってきた。高灯籠・幟・馬印・弓・矢・ 毛槍・はさ箱・長刀・棒・鉄砲・鳩持ち・三本鎗・駒・獅子という順である。囃子方には太鼓と笛がいる。 奴踊りの演目は、通り奴(踏み込み奴・まわり奴・手振り奴・綾の取り・扇奴) 、さじま奴、下ふき奴、 綾のチョコ、綾の身振り、狭霧奴(サンギリ) 、とらこ、ねこじゃ、合間(あへこ)節、三馬である。棒 術には、廻し棒・冠棒・背投げ棒・地がらみ・やわら棒・受け棒などの他、草刈り鎌と棒・刀と棒・刀と 草刈り鎌の演目もある。駒踊りには、三馬・三拍子・五拍子・片乗り・やちのり・膝折・岡崎・小霧・乗 り戻し・乗り違いがある。獅子踊りは一人立ち一頭獅子で、雄獅子、中獅子、雌獅子が踊るものである。 整理番号 H23-44 ひらがな ほんじょうししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 本城獅子踊り 本城郷友団 北秋田市本城 浄福寺・地域内各所 8 月 13 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 かつては本城當田流棒術といったもので、早くから獅子踊りと駒踊り伝承されておらず、本城獅子踊り では奴踊りと棒術を伝えている。これらの演舞は現在では 2 カ所でおこなうが、移動する場合には大名行 列のような仕立てがあり、これを通りとか打ち込みといってきた。高灯籠・幟・馬印・弓・矢・毛槍・は さ箱・長刀・笛・太鼓という順である。囃子方は太鼓と笛である。奴踊りの演目は、ぶっ込み・かみふな ぎ・あやの三拍子・扇奴・やなぎ奴・下ふき奴・まわり奴である。棒使いには一番棒・二番棒・三番棒・ 四番棒・五番棒というものの他に、棒と鎌・棒と太刀・鎌と太刀の演舞があり、特にこの棒術は當田(戸 田)流の流れを汲むものだという。この芸能は嘉永年間(1848~1854 年)に始められたという説があり、 昭和の初めには若勢会でおこなったものだが、その後は郷友団が担ってきた。 131 整理番号 H23-45 ひらがな あにまえだししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 阿仁前田獅子踊 阿仁前田獅子踊保存会 北秋田市阿仁前田 地域内各所 開催日 8 月 13 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 阿仁前田獅子踊は、慶長 7 年(1602 年)佐竹義宣公が水戸(現茨城県)から秋田に国替えを命ぜられた 折、主君を慰めると同時に行軍の士気を鼓舞するために演じられた道中芸が始まりとされている。200 年 ほど前に佐竹義和が阿仁地方を訪れた際にも披露したところ、大層気に入られたという話も伝わる。この 獅子踊の巡行は参勤交代の行列を真似たといわれるもので、大変賑やかな格式の高いものとされた。この 行列をぶっ込み、または通りといっている。囃子は太鼓と笛のみでおこなう。豊作祈願と厄払いの踊りで、 獅子踊、奴踊り、駒踊り(駒踏み) 、棒使い(八つ払い) 、万歳、神楽などがある。獅子踊の雄獅子、中獅 子、雌獅子は、五穀豊穣と獅子たちの恋の葛藤を演舞で表すという。 整理番号 H23-46 ひらがな ししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 獅子踊 浦田獅子踊り保存会 北秋田市浦田 源昌寺・浦田神社・地域内各所 8 月 13 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 浦田の獅子踊は江戸時代に能代より米代川を川舟で上ってきた舟人が伝えたものと、現五城目町、現上 小阿仁村を経て伝えられたものという 2 種があったが、その後次第に両者の違いがわからずに仕草はひと つになったという。獅子踊というが、獅子だけではなく演舞には奴踊り、駒踊り、棒使いがみられる。演 舞がおこなわれる場所に移動する場合には大名行列のような仕立てがあり、これを通りとか打ち込みとい ってきた。高灯籠・幟・馬印・鎗・はさ箱・長刀・棒・鷹匠駒引き(馬方) ・駒・獅子・笛・太鼓という 順である。囃子方には太鼓と笛がいる。奴踊りの演目には、トダナシ奴・音頭奴・しな奴・綾のとり奴・ まわり奴・通り奴・おうぎ奴・こめとぎ奴・さつま奴・身欠き奴がある。棒使いには一番棒・二番棒・三 番棒・四番棒・五番棒・六番棒がある。駒踊りには、さんば・三拍子・五拍子・七五三のかたのり・八つ 乗り・ひざおり・岡崎・小霧・ぬりもどし・乗り違いがある。獅子踊は一人立ち一頭獅子で、雄獅子、中 獅子、雌獅子が踊るものである。 132 整理番号 H23-134 ひらがな ごみほりもちつきおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 五味堀餅搗き踊り 五味堀餅搗き踊り保存会 北秋田市五味堀 天照皇太神宮 9 月第 2 日曜日 定 カテゴリー 風流 映像提供元 北秋田市教育委員会 餅搗き踊りは番楽の演目にもみられるが、それとは別に餅を搗く所作をしながらもっぱら唄 と踊りを主としたもので、かつてはこれを餅搗き舞いと呼んでいたことからも分かる。踊りは 餅搗き臼を囲んで輪になって踊るもので、音頭が数え歌のようになっており、音頭を二つ唄っ た後で三つめから皆で唱和して唄いながら踊るものである。踊りが終わると一升枡にあらかじ め入れておいた搗いた餅を撒き、五穀豊穣家内安全を祈るものとされる。かつては小正月(1 月 15 日)におこなわれたが、調査時点では鎮守社神明社祭礼の時に奉納踊りとしておこなって いる。そのため、境内にある角力土俵脇に臼を据えて、臼の周りを反時計回りに回り、踊って いる。囃子は、拍子を取るために調子よく太鼓を叩くだけのもので、唄を主としてきたもので ある。起源は、東通村(現青森県)にある田植え餅搗き踊りを伝えたというが、その経緯も時 期も不明であることから、踊りの構成の思慮によるものと思われる。 解説文 整理番号 H23-47 ひらがな さるくらにんぎょうしばい 名 称 保存会名 所在地 猿倉人形芝居 猿倉人形芝居吉田千代勝一座 北秋田市増沢村並 開催場所 随所 開催日 随時 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 人形劇・歌舞伎 映像提供元 北秋田市教育委員会 解説文 百宅(旧鳥海町)に発生したという近代民衆人形劇で、一般に猿倉人形芝居と呼ばれてきた。百宅(旧 鳥海町)の池田与八(いけだよはち)が指人形を基礎にして面白い話の筋や劇を組み立てたもので、それ に囃子をつけた人形劇に仕立て上げた。明治 35 年(1902 年)頃から真坂藤吉(まさかとうきち)や丸田 今朝造(まるたけさぞう)の弟子が新しい人形芝居を創造し、さらに三味線の名手でもあった勝若(かつ わか)が興行的に発展させたことによって猿倉人形芝居を完成させたといわれている。矢島(旧矢島町) に生まれた吉田千代勝(よしだちよかつ) (旧姓名木村喜代三)は、昭和 4 年に真坂藤吉に弟子入りした。 千代勝は木戸石(旧合川町)の杉渕ハル(すぎぶちはる)と結婚し、合川での猿倉人形芝居を起こすこと になる。合川を拠点として興行を始めるとともに、海外公演もおこなうなど、この人形芝居の発展をさら に高めていった。千代勝は平成元年に亡くなるが、次男の栄治は千代勝の妻ハルとともに平成 3 年に復活 をはかったのである。演目には三番叟を始め、女山賊鬼神のお松・岩見重太郎大蛇退治・貫鉄和尚傘踊り のほか、弥彦明神利生記・忍術自来也などもある。猿倉人形の操法は指人形挟み式、裾突っ込み式といわ れ、一人で二体の人形を一度に操り、台詞も一人二役で声色を使い分けることが特徴で、これをすべて踏 襲している。また、女山賊鬼神のお松などで見られる、娘が顔色を変えて鬼神になっていく七変化の操法 は手妻式と呼ばれている早業でもある。 133 整理番号 H23-48 ひらがな すももたいこまおどり 名 称 李岱駒踊 保存会名 李岱駒踊り会 所在地 北秋田市李岱 開催場所 地域内各所 開催日 8 月 13 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 李岱の駒踊は道地(現能代市)の常州下御供佐々楽から伝播したものと伝えられていて、江戸時代初期 とされる。駒踊はお盆以外ではおこなうことがないことから、先祖供養のために演じられてきたという。 駒踊といっても奴踊りと獅子踊りも演じられてきたが、駒踊りと奴踊りだけが遺り、これらを継承するた めに平成 3 年(1991 年)から李岱駒踊り会として続けられているものである。最初はぶっこみというもの で、囃子に合わせて灯籠・長刀・棒・奴の順で巡りながらその場所に円陣となる。次に奴踊りが披露され、 これにはまわり奴・扇奴・したふき奴・とらっこ・あわせ奴・鎌倉がある。次に駒踊りには、駒のぶっこ み・さんば・ぬりもどし・鎌倉がある。この駒踊りは戦国時代の騎馬武者の戦いを表現したものといわれ ている。囃子はいずれも太鼓と笛のみとなっている。昔は若勢団といって青年男子ばかりで踊られたが、 戦後は女子も加わり踊るようになった。 整理番号 H23-49 ひらがな ふくだししまい(きたあきたし) 名 称 保存会名 所在地 開催場所 福田獅子舞(北秋田市) 福田獅子舞保存会 北秋田市福田 福田稲荷神社・福田獅子舞伝承館 開催日 8 月 14 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 大神楽 映像提供元 解説文 この獅子舞は伊勢流大神楽系とみられるもので、二人立ち一頭獅子舞である。文化 2 年(1805 年)の頃、 北前船によって上方方面から米代川にもたらされた神楽を能代町(旧能代市)で修行伝授してこの地に伝 えたものといわれる。神楽はもともとこの地の鎮守社稲荷神社祭礼の時に舞っていたものだが、今は盆の 14 日となった。朝に神社から獅子下ろしをして、伝承館に安置させる。この時、獅子頭には煮干しを口の 両脇に咥えさせる。獅子舞をするときはまず最初に神社に上がり、神酒を供えて拝礼の後に獅子を再び下 ろして同じように伝承館に安置して演舞を開始する。演舞では、触れ舞・地の舞・祓いの舞・おかめ舞・ たつまきの舞がある。特色的なものは、触れ舞で、獅子の体内から生まれ出るようにしてささら役が出て くるのである。ささら役は頬被りして鼻の下でとめるなど滑稽な姿をして、すりささらという棒と竹を擦 り合わせて鳴らし、獅子の先々を動き回るものである。獅子が悪魔退治のために猛然と暴れ回る姿を現す という祓いの舞、悪魔を退散させた獅子が天に昇るという所作とされるたつまきの舞は激しい動作が特徴 となっている。囃子は太鼓に笛である。 134 整理番号 H23-50 ひらがな かみすぎだいみょうぎょうれつ 名 称 保存会名 所在地 開催場所 上杉大名行列 上杉大名行列保存会 北秋田市上杉 上杉八幡神社・地域内各所 開催日 9 月第 3 日・月曜日(獅子納め) 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 上杉大名行列は上杉八幡神社の祭礼の神賑(しんしん)行事としておこなわれてきた。江戸時代に始ま ったとされ、神社から大名行列の形をとり、八つ払い・槍手・長刀・鳩持ち・挟箱担ぎ・大名・旗印・槍 手・笠冠・獅子の順で、作の良し悪しをみるといって田圃を巡りながら、最後は寺院で先祖に対してその 作柄の報告をするために獅子踊りを納めるとされている。演舞には奴踊りとして、あやのぶっこみ・まわ りやっこ・ちゅひれんど・おんどやっこ・あやのちょこやっこ・扇やっこ・三島やっこ・猫じゃがある。 駒踊りは駒踏みともいって、岡崎・乗り違い・乗り戻し・膝折り・三番そう・七五三の片乗りがある。駒 は一番二番が青毛、三番四番が鯛、五番六番が水青毛、それに七番八番が続くという。獅子踊りは一人立 ち一頭獅子で、三匹の獅子で激しい動作をともなった舞である。最後の納めの儀式は太鼓の上に馬頭と獅 子頭を並べて、身欠きニシン、昆布、スルメを噛ませて、太刀で気合いもろとも大声を発して首切りをお こなって納めとしている。 整理番号 H23-129 ひらがな かわいこまおどり・やっこおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 川井駒踊り・奴踊り 川井郷土芸能保存会 北秋田市川井 地域内各所 開催日 8 月 13 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 かつては盆の 2 日間を演じていたが、今では 13 日のみとなった。この芸能の起源については全く不明 だが、駒踊りは藤琴(藤里町)で、奴踊りは鶴形方面(旧能代市)から伝播したという。両地区には相当 古くからの芸能があることから、この地にも早くに伝わったと考えられよう。盆 13 日に披露されるのは 先祖供養のためだという。駒踊りの演目には、棒回し・入り駒・チャールフ・サンバ・五拍子・ヌリチガ イ・ヌリモドシ・オカンザケ・島ヌリ・大ヌリチガイ・七五三の片ぬりがみられた。奴踊りでは、棒回し・ 吹込・オンチャマ・廻り奴・山の神・綾の酉・音頭奴・綾奴・綾の品切・気込奴・扇奴・三番叟・薩摩奴 などがみられた。このうち現在ではいずれもほとんど伝承されておらず、奴踊りは 4 番のみとなっている。 ただ、奴踊りには棒回しといって、一般にいう棒使いも入れられていた。この芸能に携わることのできな いとした者に、親方、本家筋の家の者などがいて、他地域とは伝承が異なっていることが分かる。囃子は 笛と太鼓のみである。 135 整理番号 H23-51 ひらがな ねっこばんがく 名 称 保存会名 所在地 開催場所 根子番楽 根子番楽保存会 北秋田市阿仁根子 阿仁公民館根子分館 開催日 8 月 14 日 指 国指定重要無形民俗文化財 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 根子番楽は、源平合戦の遺臣または落ち人が伝えたものとの言い伝えがあり、現在まで伝承されたもの という。言立(いいだて)が文学的に優れた内容を持っていることと、舞の形式が能楽の先駆をなす幸若 舞以前のものであるということの大きなふたつの特色を持つ。舞は勇壮活発な武士舞と静かで古典的な舞 に大別される。東北地方に伝承されている山伏神楽(修験系の神楽)のなかでも、特に言立や芸態の伝承 が確実のものといわれている。毎年 8 月 14 日に五穀豊穣、無病息災、家内安全を祈り阿仁公民館根子分 館(旧根子小学校)で演じられるほか、地元の神社祭礼などでも演じられる。演目には露払い・翁舞・三 番叟・信夫太郎・鞍馬・作祭・曾我兄弟・敦盛・鐘巻などがあり、式舞、武士舞、可笑がみられる。囃子 には太鼓・拍子板・手平鉦・笛・法螺貝・歌い手がある。 整理番号 H23-52 ひらがな かやくさししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 萱草獅子踊 萱草自治会 北秋田市阿仁萱草 山ノ神神社・地域内各所 8 月 13・16 日(平成 23 年度調査時点では休止 中) 指 定 市指定無形民俗文化財 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 萱草自治会 解説文 萱草獅子踊は江戸時代にはすでに始められていたといわれるが、天保 4 年(1833 年)以降途絶えていた ものを明治 24 年(1891 年)に再興したとされる。この時に駒の衣装六匹分は確かに新たにしたことがわ かる。また、万歳については下モ町(旧秋田市)から師匠を頼みこの地に伝承した。このように獅子踊と いっているが、演舞には獅子踊、駒踊、棒使いがあって、これらが演舞されるには大名行列を組んで移動 しながらおこなっていた。かつては親誠団という若者組織によって、先祖供養と豊作祈願のために演じら れるとされた。初めに神社でブッコミが終わると、幟を先頭に灯籠、槍、福兵工槍、ぼんぼり、振りぼん ぼり、松傘、馬印、そして棒使い、長刀、はさ箱、駒、獅子と続いて行列で進む。演舞場所に着くと、門 ほめの唄があり、庭ほめなどをおこない、棒使いによる演舞 8 番が出され、獅子踊では雄獅子が二匹と雌 獅子一匹によって一人立ち一頭獅子舞がおこなわれる。駒踊には 6 種の演目があり、三番叟・乗り戻し・ ひざ折り・おかざき・綾のとり・七五三の片乗りが演舞された。その他に百姓舞、あねこ舞、万歳があっ た。囃子には大太鼓、小太鼓に笛がつく。これらには唄もあり、伝承されていたものは通り唄、ほめ唄、 橋のほめ唄、門ほめ唄、庭ほめ唄、馬ひき唄、獅子唄であった。 136 整理番号 H23-54 ひらがな あらせししおどり 名 称 荒瀬獅子踊 保存会名 荒瀬獅子踊保存会 所在地 北秋田市阿仁荒瀬 開催場所 地域内各所 開催日 8 月 13 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 荒瀬の獅子踊は古く江戸時代には始められていたといい、天保 3 年(1832 年)の大飢饉には中断された ものの、明治には完全に再興されていたという。伝えに依れば秋田の殿様が参勤交代の道中に舞ったもの だといわれる。祖先の霊をまつり、五穀豊穣を祈り、地域の安泰を願って演じられてきた。獅子踊という が内容は大名行列、棒術、駒踊り、獅子踊りからなっている。かつてはこれに万歳も付随していて演目も 多彩であった。調査時点では盆の 13 日だけの披露であるが、この日は、集落内 2 カ所の墓所前、次にコ ミュニティーセンター前でおこなわれ、これら集落内 3 カ所が定例の演じられる場所となっている。ぶっ こみといって大名行列の仕立てがあり、先ぶれの棒・東西人・高灯籠・幟・姉槍・羽根オドルガイ・三本 槍・長ボンボリ・五本槍・号・鉄砲・鷹・ハサ箱担ぎ・駒・馬印・台笠・立ち笠・長刀・廻しボンボリ・ オサヘの槍・獅子・大太鼓・笛・岡太鼓(獅子)の順で演舞の場に入っていく。駒踊りは六頭で、演目に は 1 番駒から 6 番駒まであり、かつては、七五三・三拍子・さん馬・乗り戻し・むずり・片乗り・隅違い などがあった。獅子踊りは雄獅子二頭に雌獅子一頭からなり、踊りには各家の悪魔祓いの意味があるとさ れる。二頭の獅子が雌獅子を取り合う場面がある。囃子は太鼓と笛からなっている。 整理番号 H23-55 ひらがな あにからめぶし 名 称 保存会名 所在地 阿仁からめ節 阿仁からめ節保存会 北秋田市阿仁銀山 開催場所 随所 開催日 随時 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 阿仁鉱山は、享保宝暦年間(1716~1763 年)は日本一の生産を誇り、秋田藩の財政も支えたという名だ たる鉱山であった。からめというのは鉱山の坑道口前に掘り出された鉑(はく)を鎚で細かく叩いて選鉱 する鉑つぶしのことをいうもので、大変きつい仕事であった。この辛さや疲れを紛らわすために合わせて 唄った作業歌がからめ節の基になっているといわれる。歌い手と踊り手からなり、踊り手は鉱石を砕く作 業から始まり、選鉱された金のベゴコ(牛の形をした金の塊)を牛にたとえて手綱を引く囃子で終わる。 歌詞のなかには江戸吉原の花魁であった高尾小紫(たかおこむらさき)の名がみえて、阿仁鉱山全盛時代 ころの若い娘達が手拭いの頬被りと赤い紐のついた前掛け姿で働く様子を再現しているものである。 137 整理番号 H23-56 ひらがな おかしないししおどり 名 称 笑内獅子踊 保存会名 笑内獅子踊保存会 所在地 北秋田市阿仁笑内 開催場所 開催日 墓前・地域内各所・山ノ神神社 8 月 13・16 日(平成 23 年度調査時点では休止 中) 指 定 カテゴリー 市指定無形民俗文化財 ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 笑内獅子踊は室町時代に始められたものとされ、先祖の慰霊と五穀豊穣を祈るために演舞されてきたと 伝える。獅子踊といっているが、獅子踊はもちろんだが奴踊り、駒踊り、棒術も組み入れられていた。棒 術は、八ッ棒・十ッ棒・前田棒・中心車・背負投・牛若・鎌棒・三人棒・五人棒・冠棒・関所破り棒など の 12 種もあったという。奴踊りには、扇奴・籠担ぎ・車奴・米搗奴・飛し奴・さぎり・おかめ・からす 奴・岡崎・ぼんぼり奴・かぐら・相撲甚句、の 12 種があり、駒踊りには、サンバ・乗りもどし・さぎり・ 岡崎・しまのり・七五三などの 7 種があった。獅子踊りは一人立ち一頭獅子舞で、雄獅子二匹と雌獅子一 匹で踊るが、雄獅子らで雌獅子を奪い合うという筋がある。獅子踊りは、明治につくられた 15 才以上の 男子による養誠団が戦後、笑和会となって、後に保存会として演じられてきたものである。演舞は大名行 列といわれて露祓い、ぼんぼり、棒術、奴、馬印、駒、獅子、万歳というような列をなして、ブッコミを おこない順次に演じていく。囃子には大太鼓(径 3 尺(約 90 ㎝) )と笛がつく。 整理番号 H23-57 ひらがな ひたちないししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 比立内獅子踊 比立内獅子踊り保存会 北秋田市阿仁比立内 比立内神社・比立内共同墓地 開催日 8 月 14 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 江戸時代初めの慶長年間(1596~1615 年)に佐竹氏が元常陸太田(現茨城県)から秋田に転封されたと き、家来達が慰労と崩れがちな士気を盛り上げるために、足軽達によって獅子踊を披露した道中芸が始ま りという。獅子踊と呼んでいるが、大名行列、棒使い、駒踊り、獅子踊りからなっている。駒踊りは六頭 からなっていて、これは明治 16 年(1883 年)頃に浦田(旧森吉町)から伝習したといわれ、さらに桂瀬 (旧森吉町)からのひとも加えて伝授したといい、戸沢ささら(旧西木村)などを参考にして今日の比立 内獅子踊ができたとされる。行列は担ぎものといって槍や幟などを持って移動することがある。棒の演目 には、腰車・行き違い・追い討ちなどがあり、駒踊りには、ぶっこみ・場ならし・三拍子・五拍子・三番 叟・よりもどし・鎌倉・島乗り・七五三かたのりなどがみられる。獅子踊りは五穀豊穣を祈願して踊ると され、二匹の獅子が一匹の獅子を巡って奪い合うという物語を表すという。囃子は笛と太鼓のみだが、こ の囃子に合わせて勇ましく掛け声を入れて演じられていく。 138 整理番号 H23-58 ひらがな こうやわたりばんがく 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 幸屋渡番楽 幸屋渡番楽保存会 北秋田市阿仁幸屋渡 熊野神社・地域内各所 旧暦 8 月 13 日/不定日(幕納め) (平成 23 年 度調査時点では休止中) 指 定 市指定無形民俗文化財 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 幸屋渡番楽保存会 解説文 旧暦 8 月 13 日の晩におこなわれていた幸屋渡番楽は、同心会という若者組織でおこなわれてきた。馬 ドッコ(馬頭観音堂)の所に舞台を架けて一晩演じたという。番楽連中による幕納めはないが、熊野神社 の祭礼では宿から囃子を奏でて神社に参進し、露払の舞を舞ってきたものだ。幕納めは、秋の取り入れの 一段落した頃の適当な日に作業場(集会所)に幕を張り、2~3 番舞って直会をするものであった。幕納め をした後は番楽は次の年までやらないとされた。番楽の始まりは不明だが、慶長元和(1596~1624 年)の 頃ともいわれる。演目には、露払・三番叟・四季・那須野が原・伊勢の宮・信夫・牛若・高立・辮慶・屋 島・わらびおり・金巻・定九郎・西了坊などの他に、山ノ神・根子切爺もあった。山ノ神はお膳に盛った 米を一升ずつ持って逆さ返しをしたりして舞うものだったといい、神舞の伝承も豊かだった。作法には踵 だけで足を地に着けたり、扇から目を離さないで踊るなど、厳しい口伝もなされてきた。 整理番号 H23-59 ひらがな こうやししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 幸屋獅子踊 幸屋自治会 北秋田市阿仁幸屋 幸屋神社 9 月第 3 日曜日(幸屋神社例祭)(平成 23 年度 調査時点では休止中) 指 定 カテゴリー 市指定無形民俗文化財 ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 もとは幸屋の獅子踊りと呼ばれていたが、早くから獅子踊りが廃れたために、残された棒使いと奴踊り だけで郷土芸能とした。かつては、集落の中を舞いながら行進する露払いに続けて棒使い、扇奴、獅子踊 りを披露して、また進み、神社に舞を披露して奉納するものであった。昭和 30 年代まではこれに万歳も つけられていたという。棒使いでは、一人棒・二人棒・三人使いなどがある。扇奴は、下拭き奴・もみじ 奴・通り奴・米とぎとなり最後に奴で終わる。これら芸能は荒瀬(旧阿仁町)から伝わったとされ、大名 行列仕立てで移動する様は壮観であったという。この芸能は慶長7年(1602 年)に佐竹氏が常陸から秋田 に転封の時、道中の旅情を慰めようと家臣が編み出した道中芸であったとされる。そのために大名行列風 の仕立てでおこなうものであるとされた。調査時点では獅子踊りの歌詞と万歳の台詞が保存されている。 139 整理番号 H23-60 ひらがな おおだてばやし 名 称 保存会名 所在地 開催場所 大館囃子 大館ばやし保存会 大館市大町 (平成 23 年度調査時の当番町) 町内各所 開催日 9 月 10・11 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 大館囃子は大館神明社の祭礼でおこなわれる囃子、屋台を含めていうものである。神明社の祭礼はもと もと八朔祭礼とし旧暦 8 月 1 日におこなわれていた。八朔日は伊勢信仰でも特に重くみられ、五穀豊穣を 祈るものであった。ここでの囃子は、宮形屋根を架けて吹き抜け屋台に囃子方と踊り手を乗せ、神社に奉 納するとして囃子を奏で、踊りを披露しながら各町内を引き回すものである。大館城主であった佐竹氏が 近世初めに元常陸太田(現茨城県)からの転封にともない道中に奏でてきたものを伝えたという。囃子は 特に京風の流れを汲むものとされ、それは町方や親方衆が若者を京都に送り伝授させたとも伝えるのであ る。囃子は 4 曲があり、最初は寄せ囃子、2 つ目は大館祇園囃子、3 つ目は剣囃子といい武士たちが囃子 に合わせて剣の舞を舞ったとも伝えるものである。4 つ目は還り山というもので、戦場より勇ましく凱旋 する様をあらわす曲とされている。その他に秋田音頭を取り入れたものもある。 囃子は太鼓・三味線・鉦・笛で構成され、踊りには扇を使うことが多い。 整理番号 H23-61 ひらがな 名 称 保存会名 所在地 からからんず からからんず保存会 大館市 開催場所 随所 開催日 随時 指 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 からからんずは一種の民謡であるが、盆踊り唄としても演じられてきたものである。からからんずとは ヨシキリという鳥の俗称といわれ、曲の流れは単調であるが、俗調を交えない良さがあるといわれる。初 め、音頭取りが唄った後に下声を取るひとを中心にして唄いだし、その他のひとはその唄に付けて合唱す るものだが、節回しに難しさがあるといわれる。文句には「からからんず、どこで音コが止また、口の中 コまで、サエ、どよへたな」というように俗謡や民俗的な文句が入れられている。この歌の発祥は下町(旧 大館市)で始まったとされ、元治慶応年間(1864~1868 年)の頃だといわれている。田町(旧大館市)の 愛宕神社の境内では盆踊りの時にもこの唄に踊りをつけて演じられたといい、どんづき(杙突き)と代の 坂もこれに加えておこなわれてきたともいわれている。 140 整理番号 H23-64 ひらがな だいかんとうりゅうからじしおどり 名 称 保存会名 所在地 大関東流唐獅子踊り 松木獅子踊り保存会 大館市松木 開催場所 共同墓地 開催日 8 月 13 日 指 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 享保 20 年(1735 年)に始まったいわれるこの獅子踊りは、一人立ち一頭獅子舞の、いわゆる三匹獅子 舞である。この獅子踊りは佐竹藩主の前でも披露できる格式の高いものであったともいわれた。松木集落 でおこなわれてきたことから松木獅子踊りともいわれた。 『大関東流獅子踊目録』というものをみれば、 舞の型が記され、都合 15 通りのものがあって、このうち神達躍・祈禱躍・開眼躍が極意三番を占めてい たという。少し以前までは橋懸踊・基盤懸踊・供養踊となり、調査時点では供養踊のみ残されている。獅 子頭には角の他に眉間飾があり、雄獅子は満月、雌獅子は半月を戴いている。中獅子は半月に剣というも のであった。奴踊りにも 16 種以上のものがあり、棒術は神闘流・戸田流の 2 流儀あり、棒と棒、棒と刀、 刀と鎌などの型が 25 種も数えられたが、いずれもほとんど伝承されていない。また、この獅子踊りには めずらしくささら振りもついていたというが、もはや言い伝えとなってしまっている。囃子には太鼓と笛 で、口上もつく。 整理番号 H23-68 ひらがな かわぐちししおどり 名 称 保存会名 川口獅子踊り 川口獅子踊り保存会 所在地 大館市川口 開催場所 地域内各所 開催日 指 8 月 13・14 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 川口獅子踊りは獅子踊りと奴踊りからなっている。かつてはこれに棒踊りが付いていたという。獅子踊 りは慶長 7 年(1602 年)に佐竹氏が水戸(現茨城県)から国替えになった際に秋田にもたらされたものと いう。本獅子・橋踊り・座敷踊りとあるが、調査時点では座敷踊りは演じられていない。本獅子では中休 み前と中休み後の青ジャメ・花と大きく 2 つに分かれていて、獅子らは激しく髪を振り乱し荒々しく踊る 様は、身を清め、悪を祓い、大地に踏みつける足で地域の災いを封じ込める意味があるといわれている。 獅子は一人立ち一頭獅子で、雄獅子、雌獅子、中獅子(雄)の三匹で踊る。全体の演舞を通して、雌獅子 をはさんで二匹の雄獅子が時には争い、時には柔らかに踊るというものである。獅子頭にも特徴がみられ、 雄獅子には頭頂に太陽、雌獅子には三日月、中獅子には剣が付けられている。奴踊りには、とおり奴・と ばし奴・ばか奴・したふき奴・しな奴がある。なお、囃子方は太鼓と笛でおこなわれている。 141 整理番号 H23-70 ひらがな しらさわししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 白沢獅子踊り 白沢獅子踊り保存会 大館市白沢 神明社・地域内各所 8 月 14 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 白沢獅子踊りは、佐竹氏が秋田に転封されたときに伴ってきた人びとによって伝承されたものの流れを くむとされる。囃子の拍子は少し異なるものの松木(旧大館市)の獅子踊りと類似していることから松木 獅子踊り(大関東流唐獅子踊り)とは兄弟ではないかともいわれてきた。獅子踊りというが内容は一人立 ち一頭獅子による三匹の獅子踊り、奴踊り、棒使いが演じられている。演舞の場所には、太刀、棒、奴獅 子、囃子方、と続き入ってくる。最初に棒使いの演舞として、長棒と長棒・長棒と太刀・鎌と太刀・半棒 と半棒・半棒と半棒がある。次に奴踊りがあり、オオギヤッコ・ツバキヤッコ・アヤノサンビョウシ・ア ヤノゴビョウシ・アヤノサギリ・カタナノサンビョウシ・カタナノゴビョウシがある。獅子舞は、ハシガ ケ・ヤマガケ・トモヅレの演舞がある。獅子踊りの特色は、先祖供養の意味で踊るときと豊作を祈る踊り とでは踊り方が異なるということである。 整理番号 H23-71 ひらがな しげないやしきかしまだいこ 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 茂内屋敷鹿島太鼓 茂内屋敷町内会 大館市雪沢字茂内屋布 雪沢小学校体育館・地域内各所 旧暦 6 月 1 日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 鹿島太鼓は、この地方の鹿島祭でおこなわれる囃子芸能である。茂内屋敷は米代川の北側支流である長 木川流域に沿った集落で、この地域では、悪霊祓いと五穀豊穣を祈り、古くから田植え後に鹿島祭がおこ なわれてきた。茂内屋敷鹿嶋太鼓はこの鹿島祭や虫ぼい(除蝗) 、穂先祭などでも囃子として打ち鳴らさ れる太鼓だが、総称して雪沢鹿島太鼓と呼ばれていることから、茂内屋敷の太鼓囃子も雪沢地区と同様な ものとみられる。演目には、寄せ太鼓・鹿島太鼓・虫ぼい・豊作太鼓がある。鹿島太鼓は太鼓と笛の囃子 で構成されている。 142 整理番号 H23-118 ひらがな まつばらししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 松原獅子踊り 松原獅子踊り保存会 大館市白沢字松原 山神社・墓地・松原公民館前 5 月 12 日/8 月 13 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 獅子踊りは山神社祭礼の時と、盆 13 日に披露されている。この獅子踊りは一人立ち一頭獅子でいわゆ る三匹獅子舞とされる。調査時点では獅子踊りと棒踊りの 2 種が伝承されている。獅子踊りは最初にぶっ こみを行うがこれは 5 番まである。このぶっこみは綾棒や扇を使い踊るもので、かつては 1 番から 5 番ま で名称があったが忘れられてしまった。次に抹香踊りという先祖供養のための舞、次に橋渡しという橋を 渡り安住の地を求めて旅をするというもの、それに喧嘩という雌獅子をめぐった雄獅子らの戦い、そして 最後に花踊りという、御花(御祝儀)の御礼の舞となる。棒踊りは、道路下り・場均・あわせ棒・引き棒・ 車返し・かぶり棒・刀払い棒などがある。披露する際は最初に山神社に奉納して、墓地の前で供養の踊り をする。その後集落内で披露することになっている。特に儀式はないが、11 月末に獅子納めをしてその年 の踊りを終える。囃子は太鼓と笛のみである。 整理番号 H23-127 ひらがな かすださけこしまい 名 称 保存会名 所在地 粕田酒こし舞 粕田酒こし舞保存会 大館市粕田 開催場所 随所 開催日 随時 指 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 この酒こし舞というのは秋田県内でもめずらしい風流踊りのひとつである。 舞の始まりは安政 2 年 (1855 年)以前のこととされる。その昔、大館(旧大館市)を治めていた殿様が年貢完納を祝い地域の芸能を披 露するように命じた。粕田ではこの時、酒こし舞を踊ったというのが安政 2 年(1855 年)とされるからで ある。酒こし舞は民間でおこなってきた酒造りの過程を踊りにあらわしたもので、ミサイナを唄いながら、 米研ぎ、米蒸かし、瓶に麹を混ぜ、どぶろくの種を入れ、次に水を加えて掻き混ぜるという動作が見られ る。さらに布巾で瓶に蓋をし発酵させ、時々味見をし、酒が首尾よくできあがって慶ぶ、という一連のも のである。そのため踊りは大人数でもって、採り物として水瓶、笊、樽、桶、一升瓶、徳利、ヘラ、升、 布巾、手拭いなど道具が多く用いられ、滑稽味のあふれた所作も多い。囃子には鼓と擦り鉦がある。酒を 造ることができるように、豊かな米がとれたことを祝う意味もあるのだろう。 143 整理番号 H23-128 ひらがな かすだししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 粕田獅子踊り 粕田獅子踊り保存会 大館市粕田 墓地・地域内各所 8 月 13 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 粕田は永正 14 年(1517 年)に佐々木久左衛門氏が勝田村を開拓したことに始まるという。元禄年間(1688 ~1704 年)始めに羽黒修験者によって獅子踊り、奴振り、棒術が伝授されたと伝えられている。毎年盆の 13 日に、五穀豊穣を願うと同時に先祖の霊を慰めるために墓の前で演じたり、村の安泰を願って各戸の門 付けをして演じられる。獅子は神の権現として悪霊の除却、無病息災をもたらすものとして崇められてき た。獅子踊りは、大春子舞・小春子舞・十二廻り・橋架け・丘関舞・雌獅子舞・花踊りなどがある。獅子 頭は、三頭で一人立ち一頭獅子舞であることから舞い手の頭にやや被ることができる程度の大きさであ る。この三匹獅子は、三日月型の冠をつけたのが雌獅子、日輪をつけたのが雄獅子、剣先をつけたのが中 獅子とされる。三匹による獅子争いなどの物語を演じる場面もみられる。 整理番号 H23-72 ひらがな やまだししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 山田獅子踊り 山田獅子踊り保存会 大館市山田 八幡神社・洞雲寺・地域内各所 開催日 8 月 13 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 獅子踊りは、慶長 7 年(1602 年)佐竹義宣公が水戸(現茨城県)から秋田に国替えを命ぜられた折、主 君を慰めると同時に行軍の士気を鼓舞するために演じられた道中芸が始まりとされている。獅子踊りを象 徴する幟を先頭にして、演舞者や付き人など大勢で行列をなして集落内各所を巡り演じられていく。この 移動の際の囃子を街道下りという。演舞する場所に至ると、最初に場ならしとしての棒術、太刀など 4 演 目が披露される。次に襷掛けと蛇腹を付け、扇子を採って踊る奴踊りに、扇奴・綾奴・もみじ奴・みしま 奴・まわりくずし奴・じがらみ奴・おに奴・さぎり奴の 8 種がある。次に獅子踊りがあるが、雄獅子、中 獅子、雌獅子の一人立ち一頭獅子舞である。演目には雌獅子舞・橋・三ッ山がある。囃子は太鼓と笛があ る。 144 整理番号 H23-73 ひらがな だいのばんがく 名 称 代野番楽 保存会名 代野番楽保存会 所在地 大館市岩瀬代野 開催場所 稲荷神社 開催日 1月1日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 代野番楽は今では正月元旦に地域の鎮守社である稲荷神社に奉納されている。この番楽は江戸時代に始 まったとされるが、明確な資料は存在しない。一人の旅芸人(または僧)がこの村に立ち寄ったときに伝 授されたものと伝えられる。俗に番楽岱と呼んでいる地があって、最初はそこで番楽を演じたといわれる。 番楽は武士舞と狂言舞に分かれるとされ、もとは、露払いから始められ、一人武士、金巻、二ノ曽我、高 立、車角力、三馬、翁舞、紅葉狩り、恵比須舞、千才、山神舞、四拍子、根子切があった。調査時点では、 露払い・一人武士・高立・金巻・扇舞・二ノ曽我が伝承されている。囃子は太鼓・横笛・拍子木・鉦であ る。 整理番号 H23-74 ひらがな ひるさわししおどり 名 称 蛭沢獅子踊り 保存会名 蛭沢獅子踊保存会 所在地 大館市岩瀬字桂岱 開催場所 稲荷神社・地域内各所 開催日 8 月 13 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 その昔、近江源氏とされる佐々木一門の頭領が戦に惨敗して、この地に落ち延びて開墾を始めて土着し、 ついにこの地に長百姓となった。一族の末裔といわれる佐々木 15 戸の総領であった善左右衛門(ぜんざ えもん)は天和 2 年(1682 年)に氏神社を建立して、戦死者の鎮魂と一族の繁栄を願い獅子舞を神社に奉 納したのが蛭沢獅子踊りの始まりだと伝えられる。獅子踊りといっても、構成は棒術、奴舞、獅子踊の 3 種別によるものである。調査時点では年一度の盆にだけ、神舞、墓舞、館舞といって 3 カ所で演舞される ことになっている。神舞は神社境内、墓舞は墓地の中庭、館舞は宿で舞うことをさしている。最初におこ なわれる棒術には、バナラシ・三木目・腰車・地ガラミ・行違などの武術演舞が 12 演目あり、奴舞には アヤ踊が 6 種と脇差し踊が 6 種みられる。獅子踊は一人立ち一頭獅子で三頭で踊るという、一ツ山、三ツ 山、早橋・遅橋の演舞があり、特に獅子が山野を飛び跳ねて回る様を表しているという。獅子舞には謡が 付けられる。囃子は太鼓と笛がある。 145 整理番号 H23-75 ひらがな とっこばやし 名 称 保存会名 独鈷囃子 独鈷囃子保存会 所在地 大館市比内町独鈷 開催場所 比内町民舞伝習館 開催日 旧暦 5 月 28 日(大日神社祭礼) 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 独鈷囃子は、天文 7 年(1538 年)に甲斐国(現山梨県)から独鈷に移ったとされる浅利則頼が独鈷城を 築き、その折の祝宴に自ら剣を採って舞ったのが始まりとされている。そのために囃子だけではなく踊り も付けられている。大日神社の祭礼宵宮祭にあたって囃子屋台を引き回して町内を演じて歩く。祭礼の当 日は舞台上でおこなわれるが、その演目は両日ともかわらない。演目としては寄せ囃子・本囃子(独鈷囃 子) ・剣囃子・帰り囃子の 4 種とされる。踊り手は主として大人子どもの女性で、囃子には大太鼓、締太 鼓、笛、三味線がある。この囃子は大館囃子と似通うところがあるとするものの、その関係は明らかにな っていない。 整理番号 H23-76 ひらがな おうぎだぼんおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 扇田盆踊り 扇田民芸振興会 大館市比内町扇田 扇田小学校通り 8 月 17 日 定 カテゴリー 盆踊り 映像提供元 解説文 8 月 17 日の一晩だけ開催されている盆踊りだが、この地独特の踊りとされるハタギ踊りが伝わる。ハタ ギというのはバッタのことで、この踊りがバッタのように跳ねる仕草がつけられているからとか、八の字 の踊り方をするからなどともいわれる。しかし元は、盆踊りそのものをダグジグと呼んで「ダグジグ踊り に行くか」などといったものとされる。ダグジグは太鼓の拍子を表したものと考えられる。盆踊りといっ てもその始まりは中世この地を領した浅利氏から太鼓が下賜されて、それを打って虫追いをしたことから 始まるという伝承もある。盆踊りの曲目には、最初に上り太鼓といって会場に入るときのもの、次に寄せ 太鼓で踊り子を呼び、踊り太鼓が俗にいうハタギ踊りとなる。終わりの太鼓がぶち上げ太鼓で、会場から 退去するのが下り太鼓となっている。他に、大の坂も踊られるが、これは唄のみとなっていて、甚句、秋 田音頭が入っている。婦女子はこの唄による猥雑な文句のために、恥ずかしいとされて家に入ったといわ れる。この盆踊りは盆の供養というより、豊作を祈って踊るものとされている。 146 整理番号 H23-77 ひらがな きんざんだいこ 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 金山太鼓 大葛金山民俗芸能保存会 大館市比内町大葛 金山墓地・金山神社・稲荷神社・地域内各所 8 月 13 日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 金山太鼓は大葛にあった鉱山によって生まれたものといわれる。鉱山で働く人びとの繁栄や癒しのため であったとされる。今日では先祖供養のためとして大太鼓を鳴らして金山墓地や集落内各所を演じて渡る ものである。もともと抗夫達によって奏でられたとされることから、力のあることを誇示するかのように 次第に太鼓も大きくなり、独自の進化を遂げたともいわれる。太鼓の大きさは約 3 尺 5 寸(約 1.1m)もあ るといい、かなり重くなっている。演目には盆踊りの曲もあったが、調査時点では供養太鼓 1 曲のみしか 伝わらない。集落の山々に響くように強打するため、その強く大きな音が特徴とされる。太鼓には笛や鉦 もつけられたというが、調査時点では伝承されていない。 整理番号 H23-78 ひらがな しとばしばんがく 名 称 保存会名 所在地 開催場所 志戸橋番楽 志戸橋番楽保存会 山本郡三種町志戸橋 憩いの家(集落会館) 開催日 8 月 13・14 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 志戸橋番楽は天正年代(1573~1592 年)に、母体(旧能代市)の神官阿部降順(あべこうじゅん) (二 十五代目当主)の祖で、修験者阿部家三代目の大鏡院照山(だいきょういんしょうざん)師が修練のため に上方に上り、田楽の一種である山伏神楽を習得して帰り、檜山舞(母体番楽)を始めたという記録があ り、その番楽をこの地でまた伝えたとされる。そのため、演じ方や囃子などには共通点がみられる。当時 の人びとにとっては、日々の生活は全て神のお恵みによるものと信じられていたことから、番楽もまたそ の神の信仰行事と考えられてきた。それによってこの地にも広まったとされている。演目には、荒舞・三 番叟・信夫太郎・寺狂言・恵比須舞・三剱舞・翁舞・橋かけ・山ノ神・遊山狂言などがある。 147 整理番号 H23-79 ひらがな わだささら 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 和田ささら 和田ささら保存会 山本郡三種町豊岡金田豊岡 里富神社 7 月 7 日(幕開き)/8 月 13~15 日/9 月 1 日 (幕納め) 指 定 町指定無形民俗文化財 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 山本公民館/能代市(有)リアルタイム 解説文 このささらは獅子舞のことをいうが、ここでは獅子舞だけではなく棒使いと奴踊りもあった。五穀豊穣 と先祖供養のためとしておこなわれてきたものである。獅子舞は一人立ち一頭獅子で、男獅子、中獅子と 女獅子がある。この獅子舞の前技に棒はりファ(廻りはりファ・ふきはりファ)というのがあり、その他 に棒使いがおこなわれた。奴踊りには、三番叟奴・車奴・赤坂奴・十六拍子などが演じられた。その他に、 最初と最後の礼として礼拝の形で舞うダイブチというのがあった。調査時点では、幕開きと幕納めはおこ なうが、太鼓と笛のみで舞は演じられていない。 整理番号 H23-80 ひらがな いずみようかささら 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 泉八日ささら 泉八日ささら保存会 山本郡三種町森岳字泉八日 神明社・地域内各所 7 月 1 日(幕開き)/8 月 13 日(先祖供養)/ 9 月 1 日(幕納め) 指 定 カテゴリー 町指定無形民俗文化財 ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 この地域のささら舞は獅子舞・棒術・奴踊りからなっている。獅子舞は一人立ち三匹獅子で腰に小さな 太鼓をつけて、これを叩きながら、大太鼓と横笛の囃子に合わせて踊る。三匹獅子ともいい、とくに礼節 を重んじ、一家団欒をあらわしたとされる。棒術には護身六法の意味があるという。かつて若子舞という のがあったが、調査時点では奴踊りに替えられていた。奴踊りも 10 種以上の演目があったが、鷺奴・三 拍子・拝み奴のみとなった。ささらは元常陸太田(現茨城県)から移封されて秋田に来た佐竹氏とともに この地に伝承されたという。そのため、奴踊りの手の動きは佐竹の家紋をかたどって演じられるともいわ れている。7 月 1 日は幕開きといって神明社に奉納して始められるが、本番は 8 月 13 日のお盆で、9 月 1 日には幕納めがあり、この間だけに演じられるものである。 148 整理番号 H23-81 ひらがな もりたけかぶき 名 称 森岳歌舞伎 保存会名 森岳歌舞伎保存会 所在地 山本郡三種町森岳 開催場所 三種町農村歌舞伎会館 開催日 敬老の日前の日曜日(八幡神社例祭) 指 町指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 人形劇・歌舞伎 映像提供元 解説文 森岳歌舞伎の発祥年代については不明である。しかし、森岳八幡神社の祭礼でおこなわれてきたことか ら、神社に歌舞伎を奉納したことが始まりだと考えられる。古老の言い伝えや識者の推定では、文化文政 年代(1804~1830 年)ではないかといわれる。その昔、巡国の山伏(六部行者とも)がこの地にきたとき、 たまたま病に罹ったという。そこでこの地の神社に篭もり祈願し、村人の看護もあり全治した。そのお礼 にと演じたのが始まりとも伝えられている。毎年、旧暦 8 月 15 日の神社祭礼に神賑(しんしん)行事と して演じられてきた。また、大正時代には各地へ赴き興行し、森岳芝居とも称されるようになった田舎芝 居であった。この歌舞伎を鑑賞した研究者は、江戸のものでも浪花のものでもなく、一種独特の型をもつ 珍しい存在であり「人形浄瑠璃」の流れをくむものではないか、と評した。今日でも規模の大きさや、演 劇には闊達流伸な動作の変化の妙味がよく伝承されているといわれる。現在では、森岳八幡神社境内の農 村歌舞伎会館において奉納演舞されている。 整理番号 H23-82 ひらがな はだちささら(みたねちょう) 名 称 保存会名 所在地 開催場所 羽立ささら(三種町) 羽立ささら保存会 山本郡三種町外岡字羽立 保量神社・地域内各所 開催日 7 月 1 日/8 月 7・13 日/9 月 1 日 指 町指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 羽立ささら(三種町)は、江戸時代の中頃に根田(旧合川町)から伝播したものといわれる。獅子舞と いうこともあるがささらと呼ぶのが正しいとされる。このささらにはかつて棒舞もみられたが調査時点で は奴舞とささら舞のみが演じられている。奴舞には、サシヤッコ・下引きヤッコ・新拍子などがある。さ さら舞は一人立ち一頭獅子で、雄獅子、中獅子、雌獅子の三頭で演じられ、岩川獅子・町獅子の 2 種類が ある。ささら舞には囃子の大太鼓、笛とともに唄がつけられる。毎年 7 月 1 日を幕開きとし、8 月 7 日に は神社に奉納、盆の 13 日には地域の各所で演じて、9 月 1 日を幕納めとしている。 149 整理番号 H23-83 ひらがな たっこささら 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 達子ささら 達子ささら保存会 山本郡三種町下岩川字達子 達子神社・地域内各所 8 月 13・14 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 達子ささらの起源は不明だが、道地(旧能代市)の常州下御供佐々楽を伝習したものと伝える。そのた めこの近辺では類似するものはないという。毎年お盆に演舞され、先祖を慰めると同時に豊作祈願として おこなわれてきた。ささらというが、獅子舞と奴と棒によるものである。戦前から途絶えていたものを昭 和 48 年(1973 年)に復活させたといわれる。そのため全てを正確に伝えているとはいえないとされる。 棒には、ボウツカイ・シタタタキ・ウエタタキ・メンタタキの演目がある。奴には、モミジヤッコ・コメ ツキヤッコ・シマイヤッコ・シタフキヤッコがあり、秋の収穫作業を現した演舞といわれる。獅子舞は一 人立ち一頭獅子舞で、赤獅子を雌、黒獅子と青獅子を雄としている三匹獅子による舞である。獅子舞は 1 演目であるが、最後に奴と一緒になって踊るものをしりごみという。囃子は太鼓と笛である。 整理番号 H23-131 ひらがな むかいたっこばんがく 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 向達子番楽 向達子番楽保存会 山本郡三種町下岩川字向達子 向達子生活改善センター 8 月 13 日 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 向達子番楽保存会 解説文 向達子というところに伝承される番楽のひとつである。この番楽は安政元年(1854 年)に根子番楽(旧 阿仁町)の流れを汲むとされた響村(旧二ツ井町)の神官(元修験とされる)を招いて、向達子の若者が 習得したものだという。また、明治中期に地元のひとが馬場目(五城目町)に出稼ぎ中に習ってきた番楽 も組み合わせて伝えたものだとされる。かつては旧暦 6 月 1 日を幕開きとして鬼面、新舞面、山の神面の 3 面を飾り、お神酒を供えて拝礼をおこない、番楽開きの唄とされた西間節のうちである鳥の海を唄うと した。盆の 13 日は番楽宿で舞う。14 日は、代々この地の番楽興隆につとめたという小沢新蔵家で舞い、 鎮守の神明社へ奉納し、その後見性寺の境内で舞うものであった。幕納めは旧暦 8 月 21 日で、盆の終わ りとする日でもあり、番楽宿で面を並べて拝礼し、幕納めの唄を歌うものであった。調査時点では盆 13 日のみにおこない、演目は、新舞・夷・牛若・弁慶・佐々木・鈴木・山の神・三番叟などを伝承している。 旧盆の行事とされることから先祖供養ともいうが、かつて向達子番才楽と呼ばれていたというから五穀豊 穣を祈願する意味合いが強かったらしい。面は新面、翁をはじめ全部で 12 面あるが、不動田の神官の作 と伝えられている。囃子には太鼓、笛、鉦、拍子木がつけられる。 150 整理番号 H23-84 ひらがな なかだてばんがく 名 称 保存会名 所在地 中館番楽 中館番楽保存会 山本郡三種町鹿渡字中沢 山本郡三種町鹿渡字焼野 開催場所 中沢地区内各所・館村地区内各所 開催日 8 月 13・14 日 指 町指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 中館番楽は中沢と館村の 2 集落で毎年交互に開催している。番楽の始まりは、伝承によると江戸時代以 前といわれている。阿仁の根子(旧阿仁町)地域から山越えをしてきたマタギが、獣の皮や熊の胃などを 売りながら宿をとって伝授したものと伝えられる。そのため根子番楽と同じ系統だとされている。番楽の 演目には、武士舞・三刃抜・高舘・恵比寿舞・鈴木の三郎・華舞・曽我舞・翁舞・三番叟などがあり、か つては 23 番を伝えていたという。番楽は正面に幕を張り、その内側には舞い手が控えて、幕の前右側に は囃子方の太鼓、手平鉦、笛、口上役が着き、左方には拍子木を打つ厚板をおいた囃子方がいる。演舞の うち、鈴木の三郎は太鼓を採って振り回すなど勇壮な場面があり、恵比寿舞では鯛釣りの撒き餌の仕草が あり、実際には飴を撒いているものである。かつて女性は携わることがなかったが、戦後、囃子方には次 第に女性が入るようになってきた。 整理番号 H23-85 ひらがな さたけやまやささら 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 佐竹山谷ささら 佐竹山谷ささら保存会 山本郡三種町鹿渡 常宿・松庵寺 6 月不定日(幕開き)/8 月 13 日/11 月上旬(幕 納め) 指 定 町指定無形民俗文化財 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 佐竹山谷ささら保存会 解説文 この佐竹山谷ささらは、佐竹が冠されているように秋田藩主の佐竹氏と縁が深い。天和元年(1681 年)、 佐竹義処が領内巡検の折に山谷から鷹を献上され、大いに慶ばれた。その報奨に藩楽であったとされる 作々楽(ささら)を伝授して、幟二流と獅子頭を下賜された、という。藩楽とされた作々楽は佐竹義宣が 水戸(現茨城県)から秋田に転封されたときに道中の宿場で慰めとして作々楽を演じたのが作々楽関東と いうものであったが、そのほかに作々楽湯沢というものがあり、この 2 種が山谷に伝承された。これら獅 子舞は舞い方が違うとされるが、今では作々楽関東だけが演じられている。演目に、みちゆきという楽を 奏でて行進をするものがあり、これを道中笛ともいった。次に棒を回して露払いをおこない、寄席太鼓、 先奴があるが、先奴は奴舞のことである。そして、獅子舞、棒術、奴舞となる。奴舞には扇奴、車奴、綾 の三拍子、桜奴、綾の投げ奴、掃奴などがある。最後は花唄という礼の唄が披露される。ささらというよ うに一人立ち一頭獅子舞で、雄獅子、中獅子、雌獅子の三匹で踊るが獅子あやしはついていない。奴舞の 特徴として 8 の字に扇を回す所作があるが、意味は不明とされる。囃子には太鼓、笛、鉦がみられる。 151 整理番号 H23-86 ひらがな かみいさごさわばんがく 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 上砂子沢番楽 上砂子沢番楽保存会 山本郡三種町上岩川字上砂子沢 地域内各所 8 月 13 日 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 番楽の起源は明確でないが、江戸時代初めにはすでにおこなわれていたといわれる。旧阿仁町の根子番 楽と同じ系統だともされてきた。かつては演目が表 12 番、裏 12 番といって 24 番を伝承するといわれた。 そのうちで判明している演目は、露払い・鶏舞・翁舞・三番叟・千歳・若子舞・鈴木舞・機織り・山ノ神・ 三つ扇・弁慶・曽我・塩汲み・高太刀・鐘巻である。ここの番楽は全体的に拍子が速く、舞そのものに勇 壮さがあるといわれている。囃子には、笛、太鼓、手拍子鉦、拍子木(板木)がある。 整理番号 H23-87 ひらがな くもまい 名 称 保存会名 所在地 開催場所 くも舞 東湖八坂神社トウニン行事保存会 男鹿市船越 船越水道水面上 開催日 7月7日 指 国指定重要無形民俗文化財 東湖八坂神社のト 定 ウニン(統人)行事 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 東湖八坂神社の祭礼でおこなわれるもので、例祭に奉納されている。この祭礼では天王側から出される 神人(素戔嗚尊)が黒牛に乗って町を練り歩く「牛乗り」と対になったもので、船越水道(水上)を 2 艘 の舟に立てられた柱に綱を張り、その上を舞台にした、船越側から出される赤い衣で全身を覆った神人(八 岐大蛇)が、とんぼ返りの舞を演じるものである。これは神話を再現したとされ、古事記にみえる「八岐 の大蛇退治」の故事と、地域の水神信仰が習合したものとされ、祭礼では特に豊作・豊漁・悪霊退治を祈 願するとされている。くも舞はもともと細い綱を渡る姿をクモに見立てていう綱渡りの一種で、室町時代 から江戸時代初めにかけて流行したものという。 152 整理番号 H23-88 ひらがな やまだいこ 名 称 保存会名 所在地 開催場所 山太鼓 東湖八坂神社トウニン行事保存会 男鹿市船越・潟上市天王 東湖八坂神社境内 開催日 7 月 6・7 日 指 国指定重要無形民俗文化財 東湖八坂神社のト 定 ウニン(統人)行事 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 東湖八坂神社祭礼におこなわれる太鼓囃子のひとつで、この神社の氏子が大きくふたつに分かれている ので、両町内の子どもたちでおこなわれてきた。山太鼓は大きな太鼓をひとりが担ぎそれをバチで打つの であるが、これに笛と、供養塔婆(くようとうば)で作ったササラもあわせて奏でられる。祭礼日の夕刻 には両町統人による七度半詣(ななどはんまいり)がおこなわれるが、その際にこの太鼓囃子が付けられ る。またこの太鼓は祭礼当日に山太鼓が境内に響くなか、御神輿の巡幸にあわせて、酒部屋で神格をまと った神人(素戔嗚尊)が御神牛に乗り、船越水道(天王岸)へと練ると、くも舞にしたがった山太鼓連中 は山太鼓を一斉に打ち鳴らす。この時同時に船上では深紅の衣で身を包んだ神人(八岐大蛇)がくも舞を 演じて終わると、ササラを船縁に打ち付けて壊し、水道に流してやる。山太鼓はこの行事が終わると終了 する。 整理番号 H23-89 ひらがな かぐらはだて 名 称 保存会名 神楽羽立 菅原神社 所在地 男鹿市脇本脇本字七沢 開催場所 菅原神社・地域内各所 開催日 指 4 月 24(宵宮祭) ・25 日(本祭) 定 カテゴリー 巫女神楽・湯立神楽 映像提供元 解説文 男鹿地域一帯でおこなわれていた神子舞で、湯立神楽のひとつとされる。秋田県内では神子神楽は、ほ ぼ郡市単位で分けることができるもので、この地の神楽は男鹿神楽というより南秋(旧南秋田郡)神楽と も呼ばれてきた。主として神社祭礼で舞われるもので、神職の太鼓、手平鉦、笛の拍子に合わせて鈴や扇 を採って舞うものである。神楽羽立という舞には湯立てがともない、神職の湯立て神事の後、その湯箒を 採ってまた神子舞をする。この神子舞は、元はとり神楽といって、神職と神子による神歌が交互に交わさ れて舞うものもあった。 153 整理番号 H23-90 ひらがな おがばんがく 名 称 保存会名 所在地 開催場所 男鹿番楽 東湖八坂神社トウニン行事保存会 潟上市天王 東湖八坂神社神楽殿 開催日 7月6日 指 国指定重要無形民俗文化財 東湖八坂神社のト 定 ウニン(統人)行事 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 男鹿番楽は寒風山(旧男鹿市)を堺に北と南に分かれていたとされるが、この番楽はもとは修験者の寄 合で舞われたものというから、両者混在してきたのだろう。男鹿番楽は湯立神楽を含めた特殊なものであ ったらしいが、今は湯の舞という神職が担う舞が伝えられているのみである。こうした男鹿番楽はほとん ど途絶えてしまったものだが、現在かろうじて、東湖八坂神社(旧天王町)の祭礼で演じられるのみとな った。かなり崩れた伝承であるが、若子舞が遺されている。この舞は女面を被り舞うもので四方を踏みな がら手を上げ下げする作法がつく、ひとり舞となっている。囃子は太鼓のみである 整理番号 H23-91 ひらがな ふくめざわおくりぼんぎょうじ 名 称 保存会名 所在地 開催場所 福米沢送り盆行事 福米沢送り盆保存会 男鹿市福米沢 地域内各所・墓地 開催日 8 月 16 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 福米沢の送り盆行事に演舞される囃子太鼓である。この送り盆行事は江戸時代の初めにはおこなわれて いたとされ、お盆に迎えた祖霊を囃子にのせて送るというものである。この囃子は送りだけのもので、迎 え行事には一切関係しない。演目名は特にないが、宿から集落の外れにある墓地に行くときと戻るときの 二つの拍子に分けられるのみとなっている。一列になって、太鼓を担いだ者が一人で叩きながら、その歩 みは特別な足捌きで進む。それにささらすりが続く。その後に、笛吹きがつくというものである。この囃 子の行列は新盆を迎えた家の前で盛大に演じながら、墓地を一回りして戻る。この時、橋止めといって途 中で一般人がこの行列を梯子で止めるということがおこなわれる。橋止めを過ごした後は宿に戻り終了す るものである。 154 整理番号 H23-92 ひらがな ひやままい 名 称 保存会名 所在地 開催場所 檜山舞 檜山舞保存会 能代市母体 八幡平神社境内・上母体会館 開催日 8 月 14・28 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 檜山舞はこの地方を檜山と呼んだことによるもので、中世城館である檜山城があったところである。檜 山舞というが番楽のことで、母体という地域の氏神でもある八幡神社の祭礼でおこなわれるものであるこ とから、母体番楽ともいう。母体の修験であった安部氏の 3 代目という大鏡院照山(だいきょういんしょ うざん)が永禄年間(1558~1570 年)の頃、この地に伝えたものとされている。そのために修験の信仰要 素が多く込められている舞とされ、演目には、露払い・鳥舞(岩戸開) ・千歳・翁・三番叟・伊賀(荒舞)・ 若子舞(年寿) ・鈴木三郎重家・月見女(赤間) ・曽我・蕨折・名取川(橋掛) ・高舘・恵比須舞(浦島) ・ 紅葉狩・狐狩・信夫(太鼓取舞) ・機織・山の神舞がある。舞い手と囃子手に分かれていて、囃子手には 笛吹き、太鼓打ち、口上、舞台打ちとなっている。母体番楽の言い立てには西摩節というのがあり、古代 歌謡を彷彿させるものがある。 整理番号 H23-93 ひらがな はだちささら(のしろし) 名 称 保存会名 羽立ささら(能代市) 羽立ささら保存会 所在地 能代市母体 開催場所 地域内各所 開催日 指 8 月 13 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 羽立ささらの起源は、室町時代末か戦国時代初めの頃と推定されている。慶長 15 年(1610 年)に檜山 城代として多賀谷宣家が仙北白岩(旧角館町)から檜山(旧能代市)に移ってきたとき、多賀谷家にささ ら舞を献上したという。多賀谷家からは青赤字の 2 旗に多賀谷家の定紋を下したとされる。以後は毎年盂 蘭盆中には城中にささら舞を上覧したともいわれている。ささら舞といっているが、最初ぶっ込みという 奴踊から始められ、前獅子ザサラを踊り、棒術となる。次に立て棒が演じられ、本ザサラへと移る。それ が終わって、再び奴踊となる。奴はさつま奴・したふき奴・やなぎ奴・米つぎ奴(綾竹) ・綾のしな奴(綾 竹)が演じられる。ささらは一人立ち一頭獅子舞で、腰鼓を付けて獅子頭を被った三頭で演じられ、もと はナミささらとユザささらがあったが、ユザささらは舞えなくなっている。これらの演舞につけられる囃 子には太鼓と笛がある。 155 整理番号 H23-94 ひらがな とりがたししおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 鳥形獅子踊り 鳥形獅子踊り保存会 能代市坂形 鳥形熊野神社・公民館・長泉寺 8 月 7・13・16 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 鳥形獅子踊りには、延宝 4 年(1676 年)と文政 8 年(1825 年)に書かれた獅子踊りの由来書(巻物) が伝わり、それによれば文禄年中(1592~1596 年)に奈良の住人であった男が常陸国(現茨城県)に養子 になり、佐竹氏が秋田に国替えになるときに従って来た。その後、まもなく八森(旧八森町)の新田開発 として移り住み、その時この地に獅子踊りを伝えたとみえる。獅子踊りというが、棒術もあって、演目と しては、首投げ・あらいごしがある。奴踊りには、扇舞・綾竹舞・手奴など 48 手ともいわれたが、今は 12 番くらい伝承されるのみとなっている。獅子踊りは一人立ち一頭獅子舞で、腰鼓を付けて獅子頭を被っ た三頭で演じられる。演目には、先の回り車・大ぎり・中の回り車・後の回り車がある。唄は獅子踊りの 所作に合わせて唄っていく。囃子には太鼓と笛が付けられている。 整理番号 H23-95 ひらがな ながさきぼんおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 長崎盆踊り 長崎盆踊り保存会 能代市長崎 稲荷神社境内 8 月 13 日 定 カテゴリー 盆踊り 映像提供元 解説文 長崎盆踊りは、氏神の稲荷神社境内に櫓を組んでおこなわれている。夕刻、触れ太鼓の音で三々五々集 まると始められる。櫓(やぐら)を中心として太鼓に合わせて輪踊りしていくものだが、唄はない。演目 に特に名称はないが現在 5 曲ぐらいとなっている。かつては地口と甚句があったという。素朴な手踊りが おこなわれている。 156 整理番号 H23-96 ひらがな じょうしゅうくだるおんともささら 名 称 保存会名 所在地 常州下御供佐々楽 常州下御供佐々楽保存会 能代市扇田字道地 開催場所 開道神社・太平山神社 開催日 8 月 13・14・17・20 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 慶長 7 年(1602 年)佐竹氏が元常陸太田(現茨城県)から秋田に転封の折に従ってきた足軽が、佐竹公 長道中の慰めとならず者を防ぐために舞い踊ったのが始まりとされ、転封後その家臣が能代(現能代市) の地にもたらして伝承させたといわれる。そのために常州下御供佐々楽といわれて、佐竹氏が名付けたと もいわれている。佐竹の家紋五本骨扇に月の紋は幟の一本につけられ、もう一本の幟には裏紋である花散 里が印されている。常州下御供佐々楽は、この地名である道地佐々楽ともいわれてきた。棒術、槍術を合 わせて 38 手が演じられるほか獅子舞(佐々楽)は鳥居舞、道行舞、ナミ佐々楽、ユザ佐々楽、墓前佐々 楽の 5 種がある。獅子舞は跳躍がみられ動きが烈しく速いのが特徴でもある。これに付随して奴舞が演じ られるが、扇舞、綾竹舞、手奴など数々の舞がある。囃子は、横笛に合わせて 3 つの太鼓がつけられ、歌 い手は獅子の舞う様子に合わせて唄うとされる。8 月 13、14、20 日は開道神社(かいどうじんじゃ) 、17 日には太平山神社(たいへいざんじんじゃ)で全ての舞が演じられる。 整理番号 H23-97 ひらがな のしろやくたなばた 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 能代役七夕 能代役七夕大町組 能代市大町(平成 23 年度調査時の当番町) 旧能代港町区域内 8 月 6・7 日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 ここで囃される囃子は能代役七夕といわれるネブリ流し行事でおこなわれる太鼓囃子のひとつである。 坂上田村麻呂が蝦夷と戦ったおり、米代川に灯火を流して敵を誘い出したのが始まりといわれる。この民 俗祭礼は祭礼行事を担う組織に特色を持つが、当番組の若者で囃子が構成されている。太鼓は 3 人で吊り 上げ持ちながら一本バチで叩くもので、それに笛が付けられる。この囃子の演目は 2 曲のみで、七夕城郭 灯籠を引き回すときに付けられる道中囃子と、7 日の夜に米代川に鯱灯籠(しゃちとうろう)を流すとき の流し囃子がある。流し囃子に特徴があり、哀調を帯びているとされる。 157 整理番号 H23-98 ひらがな つるがたささら 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 鶴形ささら 鶴形ささら保存会 能代市鶴形 海蔵寺・地域内各所 8 月 13 日 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 鶴形ささらの始まりは明確ではない。伝承によれば慶長 7 年(1602 年)佐竹氏が元常陸太田(現茨城県) から秋田に転封の折に従ってきた足軽が、佐竹公長道中の慰めとならず者を防ぐために舞い踊ったのが始 まりとされ、転封後その家臣が鶴形の地にもたらして伝承させたといわれる。江戸時代始めにはすでにあ ったとされる。ささらといっても獅子舞だけではなく、棒術と奴踊りもおこなわれる。奴踊りは近年新た に付け加えられたもので、かつては奴踊りの替わりに壮士舞(曽我)と万歳の芸がおこなわれていた。演 舞は最初棒術の前祓いから始まり、次に獅子舞となる。獅子踊りは一人立ち一頭獅子であるが、腰の太鼓 は小さく、バチを持たないで素手で打つ仕草のみとなっている。囃子は太鼓と笛であるが、ささらには謡 がつく。 整理番号 H23-115 ひらがな かいらげふちばんがく 名 称 保存会名 鰄渕番楽 鰄渕番楽保存会 所在地 能代市鰄渕 開催場所 鰄渕神明社 開催日 指 8 月 13 日 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 鰄渕番楽は、壇ノ浦での源平合戦の後、諸方に離散した平家一門の家臣によって伝えられたものとして、 阿仁(旧阿仁町)の根子番楽と系譜を一にするという。番楽は神事としてみられ、村落の安泰を祝福し、 五穀豊穣と延命を言祝(ことほ)ぐために神に奉納するとされてきた。演目には、露払い・荒面・千歳・ 翁・三番叟・若子・根っこ切り・鈴木・恵比寿が伝承されている。全て面を付けて舞うもので、言い立て が付けられ、勇壮な動作が多いこともあり、女舞は伝承されていない。舞は露払いに始まり恵比寿で終わ ることになっている。囃子は太鼓、笛、銅拍子があり、それに舞台奥の両角で打ち棒が拍子を合わせてい く。 158 整理番号 H23-100 ひらがな きりいしささらおどり 名 称 切石作々楽踊 保存会名 切石郷土芸術振興会 所在地 能代市二ツ井町切石 開催場所 地域内各所・墓地・ささら宿 開催日 8 月 13・14 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 切石作々楽踊は佐竹義宣公が元常陸太田(現茨城県)から秋田に国替えをした際に随行してきたといわ れている道地村(現能代市)の作々楽から伝授されたものという。演目には大名行列、獅子舞、奴舞、万 歳、棒術がある。舞の勇壮さと拍子のメリハリに特徴がある。盆には切石地区内で、先祖供養と豊作祈願、 人びとの楽しみのためとして演じられている。奴舞の演目は、まわり奴・十六拍子・桜奴・おどり奴・振 奴・綾奴・むじり奴・ちらし奴・田代振奴・綾振り奴・扇奴・すくりさんば・かんむり奴・花奴・流し奴・ 阿仁拍子・とぎ奴・さんばさ・さつま奴・山の神・切り奴・諸三拍子・ぶっこみ奴がある。作々楽は一人 立ち一頭獅子舞で、男獅子、中獅子、女獅子がいて、男獅子と中獅子が女獅子を奪い合うという物語を表 す。跳躍が激しい。棒術はもとは棒使いといい、演目には数種がある。万歳は太夫才蔵の二人で掛け合い の万歳をおこなう。演目には御国万歳・桜万歳がある。囃子は笛と太鼓である。 整理番号 H23-101 ひらがな はだちだいかぐら 名 称 保存会名 所在地 開催場所 羽立大神楽 羽立大神楽保存会 能代市二ツ井町飛根字羽立 愛宕神社・墓地・地域内各所 開催日 7 月 24 日/8 月 13 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 大神楽 映像提供元 解説文 羽立大神楽は、その昔ひとりの至芸(しげい)に達した芸人がこの里に訪れたことから始まったと伝え られている。全ての舞を三角形に舞って進むのが特徴で、7 月 24 日に愛宕神社の祭礼で、8 月 13 日には 集落の墓地の前で舞われる。演目は獅子舞と三勝、おかめ舞がある。祭礼の日は、宿の神前に獅子頭を安 置し灯明を点しておき御神酒を供え拝礼の作法から始まる。終わって御神酒を戴いて神社へ向かう。神社 に参入するときは、獅子は「天の舞」を舞って鳥居をもぐり、社殿まで駈けのぼる。悪魔祓いをし、囃子 を替えて「流しの舞」を舞いながら神輿渡御の先導をして巡行する。この神楽は幕を大きく振るのが特徴 で獅子の体を大きく見せるようにしたもので、伊勢流大神楽の系譜を引くものである。以前には鳥子舞(鳥 刺舞)もつけられていたが調査時点では伝承されていない。鳥子舞は鳥のように飛び跳ねて舞うものであ る。鳥子舞と三勝のいずれにも唄が入っている。 159 整理番号 H23-102 ひらがな にぶなささらおどり 名 称 仁鮒ささら踊 保存会名 仁鮒郷土芸術保存会 所在地 能代市二ツ井町仁鮒 開催場所 地域内各所 開催日 8 月 13・14 日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 仁鮒ささら踊は道地(現能代市)から伝習されたといわれる。このささらは獅子舞と奴舞、駒踊りから なり、これらは大名行列のように先導、旗、幟、ボンボリ、鋏箱、獅子、奴、駒、笛、太鼓による列をな して移動する。この行列はブッコミという手踊りが伴っている。演舞は最初に踊り場につくと獅子踊りの 庭をほめる唄があり、次に順次三匹獅子によるささら踊りがおこなわれる。ささらは獅子舞のことで一人 立ち一頭獅子舞である。駒踊りは、三番叟・岡崎・お庭作り・ひざ折り・乗り戻し・乗り違い・七五三の 片乗り・大乗り違いがある。続いて奴舞には、お庭奴・桜奴・新奴・流し奴・散らし奴・扇子の廻り奴・ 薩摩奴・巻奴・からみ奴・前振・一ツ山・山の神・沢羽立・作り三番・伝拍子・拍子・三拍子・十六拍子 がある。ささらは雄獅子、雌獅子、中獅子による踊りで、中獅子が雌獅子を奪おうとするが最後に仲良く 三匹で踊るというもの。囃子には笛と太鼓が付けられる。獅子舞には唄が入る。 整理番号 H23-103 ひらがな とみねほうとくばんがく 名 称 保存会名 富根報徳番楽 富根報徳番楽保存会 所在地 能代市二ツ井町飛根字富根 開催場所 愛宕神社・愛宕神社前広場 開催日 7 月 23 日/9 月敬老の日前日の日曜日 指 県指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 富根の報徳番楽は、寛政 5 年(1793 年)に川井村(旧合川町)より伝えられたという。当時阿仁川から 米代川に下ったという川井村の筏流しの人びとによって宿場であった飛根に伝承されたものとされるが、 実際は飛根の人びとが川井に習いにいったものとみられている。愛宕神社の祭礼に奉納演舞されている が、平成 24 年(2012 年)からは昔どおり 9 月中旬の作休み豊作祈願にも演舞されている。演目には、荒 舞・鳥舞・千歳舞・翁舞・三番叟舞・朝飯舞・機織舞・蕨折舞・汐汲舞・鈴木舞・さぎり舞・山ノ神舞・ 水の扇・恵比寿舞・大黒舞・三嶋節がある。荒舞により幕開けとなり、三人舞・二人舞・一人舞に分ける ことができる。囃子には太鼓、笛、鉦、拍子木がつく。この拍子木は舞台を叩き囃すものである。 160 整理番号 H23-104 ひらがな たねばんがく 名 称 種番楽 保存会名 種郷土芸能保存会 所在地 能代市二ツ井町種 開催場所 熊野神社・地域内各所 開催日 5月3日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 獅子舞・番楽 映像提供元 解説文 かつて熊野神社祭礼にあたって種番楽が奉納されていた。中世この地の領主の娘が重病にかかった際 に、この神社に祈願をして番楽を奉納したところ治癒された。それ以降、毎年村内の安全と豊穣を祈って 番楽を演じるものとなったといわれる。少し以前では祭礼の夜宮にあたる日に、通り音頭で集落内を巡行 して、祭礼当日は神社拝殿での権現獅子舞の後、集落内を巡行するものであった。そして盆の 14 日には 集落の会館において番楽が演じられた。番楽の演目は、露払い・三番叟・翁舞・松迎・えびす舞・山の神 舞・千才舞・信夫太郎・潮汲舞・女舞・鳥舞・二人曽我・高立・狐上り・荒舞・鈴木舞・紅葉上り・熊谷・ 敦盛・忍田の森・志賀段七・鬼人の小町・寺狂言・釣狂言・遊狂言など多彩であった。この間には芝居も 入れられていた。調査時点では祭礼で獅子舞を演じるのみで、その後、集落内を獅子の巡行門付けをして 廻るものとなっている。 整理番号 H23-105 ひらがな うめないこまおどり 名 称 梅内駒踊 保存会名 梅内郷土芸能保存会 所在地 能代市二ツ井町梅内 開催場所 善徳寺・公民館前 開催日 8 月 13 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 慶長 7 年(1602 年)佐竹氏が元常陸太田(現茨城県)から秋田に転封の折に従ってきた足軽が、佐竹公 長道中の慰めのために舞い踊ったのが始まりとされる。この踊りは先祖の霊を慰め、また秋の豊作を祈り、 七日七夜を唄い踊ったものという。今は盆だけとなるが、行列では道中囃子が奏でられ、先祖の霊を慰め に廻っている。駒踊りとはいうが、獅子踊りと奴舞もあり、大名行列として万歳、挟み箱、棒術、獅子、 奴、駒、囃子が行列を組んだ。棒術は、押し棒・シン棒・廻棒がみられる。駒踊りは大ブッコミ・ブッコ ミ・サンバ・ひざ折・岡崎・乗りもどし・三拍子・七五三のかたのりの演舞がある。奴舞には、ブッコミ・ はたち奴・もみじ奴・あやふり奴・踊奴・ひがき奴・新奴・きくら奴がある。囃子には笛と太鼓が付けら れる。 161 整理番号 H23-106 ひらがな こまがたししおどり 名 称 駒形獅子踊 保存会名 駒形郷土芸能保存会 所在地 能代市二ツ井町駒形 開催場所 愛宕神社・地域内各所 開催日 7 月 24 日/8 月 6 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 駒形では獅子舞と称しているが、明治 35 年(1902 年)の大火によって、それまで伝えられてきた獅子 頭や獅子踊りの用具が全て鳥居に帰したとされたために、古い資料はないという。しかし伝承によると、 鎌倉時代に当地に来た旅僧から伝承されたものとして、先祖の慰めに踊ったものという。ここの獅子踊は、 獅子舞と奴踊りとで構成される。獅子舞は二匹の雄獅子と一匹の雌獅子で踊る一人立ち一頭獅子舞であ る。ささら舞とは、奴踊りと棒術のことをさすという。奴踊りの演目には、サンバ奴・サギリ奴・ものさ んぶし奴・めぶり奴・かぶり奴・ただき奴・バッカラミ奴がある。囃子には太鼓と笛がつく。 整理番号 H23-107 ひらがな にあげばぼんおどり 名 称 荷上場盆踊 保存会名 荷上場郷土芸能保存会 所在地 能代市二ツ井町荷上場 開催場所 梅林寺・浮島神社・地域内各所 開催日 8 月 13・14 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 慶長 7 年(1602 年)佐竹氏が元常陸太田(現茨城県)から秋田に転封の折に従ってきた人びとによって 伝承されたものと伝えられる。初めはササラ(作々楽舞・獅子舞)ともいわれたが、文化文政の頃から盂 蘭盆に踊ることから盆踊りといわれるようになった。獅子踊り、奴踊り、駒踊りから構成されている。こ のうち駒踊りは後に八幡岱(旧合川町)から伝わったとされる。獅子踊りの演目は、一の廻り・二の廻り・ 三の廻り・花立・魂入れの唄がある。獅子には最初、踊る前に魂入れがあり、終わると魂抜きという儀式 がなされる。この時の囃子は決まっている曲がある。奴踊りには、廻り奴・もみじ奴・花奴・流し奴・扇 奴・さんばし奴・しな奴・七つ奴・かざぐり・ひじがらみ・三拍子・とらけ・あや奴・あやくずしなどが ある。奴踊りでは特に扇やササラを採り舞うものがみられる。駒踊りの演舞は、駒引き唄から始まり、三 番叟・乗りもどし・乗り違い・岡崎・五拍子・ひざおり・七五三の片のりがある。囃子には太鼓と横笛が ある。 162 整理番号 H23-108 ひらがな じょうしゅうくだるししおどり 名 称 常州下獅子踊 保存会名 小繋郷土芸能保存会 所在地 能代市二ツ井町小繋 開催場所 地域内各所 開催日 8 月 13 日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 小繋に伝承される獅子踊りは慶長 7 年(1602 年)佐竹氏が元常陸太田(現茨城県)から秋田に転封の折 に常州(現茨城県)から随従し、道中興行した人びとが檜山に移住したという。それを道地(現能代市) の若者に伝えたのが各地に伝播したもので、従って獅子踊りは道地から伝来したとされている。駒踊りは 八幡岱(旧合川町)から習得したのだといわれる。獅子踊りは、大切・中切・女獅子かくれる時・小切り からなる。奴踊りは演目も多く、マワリ奴・モミジ奴・サツマ奴・トラ奴・トラッコ・マスジャ奴・ゴヒ ョウシ・オオギクズス・ニシメ奴・フジガラミ・シラハ奴・アヤ奴・ナガシ奴・カジ奴・シナ奴・テビョ ウシ・ダンダカデンコなどがある。扇とササラを用いて踊るものである。駒踊りには、サンバ・岡崎・ひ ざおり・島乗り・おお乗り違い・五拍子・七五三の片乗りがある。囃子は大太鼓と笛がつけられる。なお、 この獅子踊りを伝える由来書(巻物)が大切に保管されている。 整理番号 H23-109 ひらがな たしろぼんおどり 名 称 田代盆踊 保存会名 田代郷土芸能保存会 所在地 能代市二ツ井町田代 開催場所 地域内各所 開催日 8 月 13 日/9 月第 1 日曜日 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 田代の盆踊りは盆と 9 月上旬の 2 回行われる。大正末期頃までは、上部(高屋敷、向田、八兵衛、七村) 集落ではささら(獅子踊り)があり、下部(中村・名左衛門・出羽田代)集落で番楽がおこなわれていた という。慶応年間(1865~1868 年)に下岩川長面から田代に嫁に来た女性たちが根子番楽を男衆に伝え作 祝いとして踊った。同じ頃また阿仁から来た女性たちは若いとき覚えたという駒踊り、作踊りを踊ったも のだという。不作の年は特に女性たちは赤い着物を着て豊作を祈り、悪病を祓うとして盛んに踊った。し かし、番楽や獅子踊り、駒踊りはすでに途絶えてしまい、調査時点では踊りだけが伝承される。演目には、 ブッコミ・ダラスケ・ソンガヤ・ミツアシ・サンカツ・ネコジャ・ソンデコの 7 種類あるが、それぞれ各 集落が 1 つずつ披露することになる。昔は、旧 6 月 15 日を幕開けとし、旧 8 月 15 日には作踊りをして幕 納めとした。囃子は太鼓と笛で、踊り手は輪になってブッコミから入って、各地で踊って廻る。 163 整理番号 H23-110 ひらがな こがけささらおどり 名 称 小掛ささら踊 保存会名 小掛郷土芸能保存会 所在地 能代市二ツ井町小掛 開催場所 地域内の広場 開催日 8 月 13・14・20 日(獅子納め) 指 市指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 小掛ささら踊というが、ささらという獅子踊りと駒踊りと奴踊りの全部のことをさしている。ささらは 一人立ち一頭獅子舞であるが、慶長 7 年(1602 年)佐竹氏が元常陸太田(現茨城県)から秋田に転封の折 に従ってきた人びとによって当地に伝わったとされる。そのために大名行列の形をとって演舞されていく もので、盆におこなわれ祖先の霊を慰め、豊年万作を祈って踊られる。獅子踊りの演目には、ヨンジャ踊 り・山ノ神踊り・橋渡り踊りがあり一般にはヨンジャ踊が演舞される。獅子はささら宿から踊り場所まで の間にある川の橋は通れないもので、わざわざ川の中を歩いて渡ることがある。駒踊りは駒引き唄から始 められ、駒のぶっこみ・サンバ・ひざおり・乗り違い・岡崎・七五三の片乗りがある。奴踊りもあり、扇 の品奴・綾の品奴・ササラ三拍子・扇の回り奴・米つき奴・扇の回りぶっこみがあり、綾竹や扇を採って 踊る。これら踊りは太鼓と笛の囃子によって大名行列の祓い棒(ボンボリ)を先頭にして入り、駒、獅子 と続いていく。かつては棒術もあった。 整理番号 H23-124 ひらがな しもぶとおりおんど 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 下部通り音頭 下部町内会 能代市二ツ井町飛根 愛宕神社・地域内各所 7 月 24 日 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 地域の鎮守である愛宕神社の祭礼で奉納される踊りのひとつ。この音頭は町内を巡りながら踊ることよ り名付けられたものという。大正の初めに柔道の型が踊りの型に取り入れられたものとされ、そこに特徴 がある。踊り手は全て女性で、鮮やかな風流姿が見られる。囃子には太鼓と笛に唄が入る。かつてはこれ に鉦と三味線があった。 164 整理番号 H23-132 ひらがな こいりかわかしままつり 名 称 保存会名 小入川鹿島祭り 小入川自治会 所在地 山本郡八峰町八森字小入川 開催場所 小入川集会所・地域内各所 開催日 指 6 月第 1 もしくは第 2 日曜日 定 カテゴリー 太鼓風流・祭り囃子 映像提供元 解説文 鹿嶋祭りという民俗祭礼にともなう祭り囃子である。この場所の鹿嶋祭りは田植え後におこなうもの で、鹿嶋舟に人形を乗せて集落を巡行し、その後、海に舟ごと流してやる行事である。この行事に終始付 き添いながら囃して廻るものだが、演目曲に名称はなく、ただ一番から三番までといっている。鹿嶋舟を 流すときは、先ず湾内を舟が三周してから鹿嶋舟を曳き、やや沖まで出ると鹿嶋舟を放す。この間の囃子 が三番であったが、調査時点では三番は伝承されていない。囃子は太鼓、横笛のみである。 整理番号 H23-112 ひらがな いしかわこまおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 石川駒踊り 石川郷土芸能保存会 山本郡八峰町峰浜石川 曽布沢神社・正伝寺・地域内各所 開催日 8 月 13 日 指 町指定無形民俗文化財 定 カテゴリー ささら・駒踊り 映像提供元 解説文 石川駒踊りは石川郷土芸能ともいわれ、駒踊りと奴踊りが伝えられている。この踊りは慶長 7 年(1602 年)佐竹氏が元常陸太田(現茨城県)から秋田に転封の折に従ってきた人びとによって伝承されたという。 祖先の霊を慰めるためとし、また五穀豊穣を祈る舞だとされている。演舞には奴踊りは 40 演目があった とされるが、調査時点では、三拍子・十六拍子・赤坂奴・扇さんぎ・三番そう・あやのこで奴・あやのき んどし・もどり奴などの 14 演目が披露されている。駒踊りは 9 演目で、振っこみ・ひざおり・よつ廻り・ おかざき・乗り違い・七五三などである。始めに神社を参拝し、その後に笛・太鼓の囃子に合わせて奴踊 りを舞う。次に駒が登場して、駒引き唄の後に駒踊りをおこなう。駒踊りは跳躍が激しいもので、また駒 の頭が横向きになっていることも特徴とされる。 165 整理番号 H23-113 ひらがな めながたとおりおんど 名 称 保存会名 所在地 目名潟通り音頭 目名潟通り音頭保存会 山本郡八峰町峰浜目名潟 開催場所 日上神社 開催日 4 月 29 日 指 町指定無形民俗文化財 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 祭礼においておこなわれる風流踊りのひとつである。この踊りは通り音頭と呼ばれているが、調査時点 では日上神社境内でのみとなっていた。元は集落内を廻って踊る、まさに通り音頭であった。実際の音頭 は秋田音頭一曲のみで、太鼓、笛、鉦の囃子に唄がつけられ、それにあわせて輪になって踊るものである。 整理番号 H23-114 ひらがな はたややっこおどり 名 称 保存会名 所在地 開催場所 開催日 指 畑谷奴踊り 畑谷郷土芸能愛好会 山本郡八峰町峰浜畑谷 長泉寺境内・地域内各所・墓地 8 月 16 日 定 カテゴリー 風流 映像提供元 解説文 畑谷では奴踊りが伝承されている。もともと 48 種の演目があったとされるが、調査時点では 8 種のみ となり、まわり奴・十六拍子・まんだら奴・扇音頭・かまくら奴・きつね奴・三十三拍子・もどり奴がみ られる。この奴踊りは道地(旧能代市)から伝えられたというが、再び昭和 52 年(1977 年)に、比八田 (旧能代市)から伝えられた水沢(旧峰浜村)の奴踊りを習い演舞するという。長泉寺に参拝をした後に 墓地や集落内各所で踊る。寺から始められると道中笛にあわせて太鼓を囃し、集落に入ると街笛になり、 踊り場所に着くと囃子笛と変化して奏でられる。通常の演目では、廻り奴から始められて、もどり奴で終 わることになっている。 166 167
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