第 4 章 広告関連産業

第4章
広告関連産業
1.はじめに
このレポートは、ベトナム南部、ホーチミン市の広告会社で副社長兼クリエイティブ
ディレクターとして働いていた「北村隆志氏」と、同じくホーチミン市で CM 制作会
社の責任者を永年務めた「加藤繁美氏」の二人の話をもとに編集されたものである。
2.まず始めに、ベトナムの広告業界全体の実情がどのようになっているのか、
この対談の中で触れて頂きたいと思います。
北村:
それぞれ、もう少し詳しい自己紹介が必要ですね。
私は美術大学のグラフィックデザイン科を卒業以来、ずっとこの広告会社で海外向
けの広告制作に携わってきました。その間、シンガポールの現地法人に赴任した経験
もあります。そこではクリエイティブの責任者として 3 年間過ごしました。その後、
東京に戻り、ヨーロッパ・アメリカ向けの英文広告を制作する仕事を続けてきました。
もう一度海外で働きたいとの希望でベトナムへ来たわけです。主に広告制作部門を
担当しました。海外で働くことの抵抗はありません。苦
労も楽しみのうち、という
より、苦労を上回る勢いで仕事を楽しみました。3 年半後に定年退職し、現在は千葉
市在住です。
加藤:
私は、千葉大学写真工学科を卒業後、すぐに TVCM 制作の仕事に入りました。以
後、企画演出の仕事を続けてきました。2003 年ベトナムで TVCM 制作会社の設立に
参画。その後 3 年半、責任者として経営に携わり、現在はフリーのディレクター。そ
の間、VJCC(ベトナム日本人材協力センター)において半年間、TVCM 制作のワー
クショップ形式の講座をもち、2007 年 11 月より、ホーチミン演劇映画高等専門学
校(短期大学)で広告についての講座を開講します。
北村:
では、「担当業務の紹介」ということでベトナムの広告業界全体の実情について、
併せて関係する皆さんの技術レベル・学校教育などについてお話しましょう。
広告業にとって、とても重要なのがマスメディアとの関係です。ベトナムのマスメ
ディアのほとんどは政府、または地方の省政府の所有です。TV 局・新聞社・雑誌社
だけでなく、新聞・雑誌などを印刷する大手印刷会社もすべて官営です。日本では考
えられないことですが、ここは社会主義の国、政府がマスコミを掌握しておくため、
そして外国資本に支配されるのを防ぐためでしょう。それ故に、それぞれのメディア
間の競争意識が希薄なのも現実です。TV 番組の質、新聞の印刷のクオリティーなど、
64
私たちの目からは十分とはいえません。雑誌の種類は少なく、内容の掘り下げもまだ
まだ。競争を勝ち抜いて、それぞれの媒体の価値を高め、広告収入を増やす、という
発想はこれまであまり見当たらないようです。
TV 局は、ハノイ発の全国ネット局が 1 局、ホーチミンTVなど地方をカバーする
局が 5 局、ほかに、全国 61 省(県)が所有する局、あわせて 64 の TV 局がありま
す。みなさんの想像よりも多いでしょうね。その結果でしょう、メディア別の広告売
り上げの比率はおおよそ、TV が半分の 50%、続いて新聞 15%、雑誌 8%、屋外広告 4%
となり、やはり TV の比率が高いことがわかります。
一方、広告会社の現状ですが、主流を成すのは欧米系の企業が 10 社程度。そして
主な日系の広告会社が 6 社、といったところです。100%外国資本の広告会社は直接
メディアを扱うことができません。現地資本との合弁会社なら OK です。これも政
府がマスメディアに対する外国資本の影響力を排除しようとする考えからでしょう。
日系の広告会社ではどこも日本人は 1 人か 2 人、現地社員を含め、20 人∼40 人程
度。タイ・マレーシアに比べても、未だ小さな規模です。
広告に携わる人の中で、リーダーとなる人達は、まだまだ外国人で占められている
のが現状です。ヨーロッパ、アメリカ、日本のほかにタイ、シンガポール、フィリピ
ンなど、多彩な顔ぶれの人達で成り立っています。海外でマーケティングやデザイン
などの教育を受けたベトナム人(その多くが 1975 年以降、ベトナム南部からボート
ピープルとして海外へ逃れ、最近帰国した人達)も中堅のポジションとして活躍が目
立ってきました。とはいえ、そんな貴重な人材を確保し、長く働いてもらうのは簡単
ではありません。
カメラマンの技術水準も広告のクリエイティブには大切です。残念ながら今はほ
んの一握りの外国人カメラマンに頼っている状況です。ベトナムでは結婚式の写真
アルバム作りが盛んで、ベトナム人カメラマンは、多くはその仕事からの出身です。
それがゆえに人物の写真は何とか撮れても、商品写真をきちんと撮れるカメラマ
ンはほとんど見あたらないのが現状です。
印刷の技術については、かなり低いと言わざるを得ません。民間の小さな製版・
印刷会社が日本の中古印刷機を輸入して仕事を始めるケースが目立ってきました
が、印刷のクオリティーで勝負するという状態には至っていません。
広告に携わる人たちの学校教育などについては、加藤さんがお詳しいと思います
ので TVCM 制作の現状とあわせてお話いただけますか?
加藤:
確かに北村さんのおっしゃる通り、広告のクリエイティブの分野でもメインの人
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達はみな外国人ですね。
私はこのことに長い間疑問を持っていました。と言うのは、ベトナムで流す広告
ですから、ベトナム人の感性や文化的な背景、生活習慣などを考慮しなければ広告
として成り立たないのではないか・・。でも、何故?そんな疑問を持ちながら、こ
こベトナムでの広告制作活動をスタートしたわけです。
ベトナムで TVCM の制作が始まったのは、今から約 11 年前だということです。
当時ベトナムには制作会社というものがなく、最初の制作会社を立ち上げたのは
タイの会社でした。当初どのように人材をリクルートしたのかと言うと・・・。
新聞や口コミで人材募集をした。採用側は、自分たちの経験から、ちゃんとした
ポジション・仕事内容を提示するが、ベトナム人側はそれがどんな仕事か、どんな
力量を要求されているのかわからないまま応募する。とにかく、見よう見まねでプ
ロデューサーやプロダクションマネージャー・アシスタントディレクターの仕事を
始めたわけです。もっとも、プロデューサーの仕事と言うのは、人脈と言う大切な
要素をいかに使っていくか・・という面もあるわけですから、これに関しては上手
くいったかもしれません。経験を要するディレクターやコピーライターなどは、も
ちろんタイ人の役目でした。そのようなわけで採用されポジションが決まってしま
うと、それが出来て当然という考えから社内教育などなかなかしない。仕事が出来
なくて、そのポジションにふさわしくないと分かったら首をすげ替えるか、その前
に本人が出て行ってしまう。
残念ながらこの状況は今も変わっていないようです。日本では会社に入ってから
長い時間をかけて仕事を覚えていくわけですが、ベトナムではそうでは無いようで
す。もっとも、毎日仕事に追われて教育どころではない・・ということなのかもし
れませんが。
ベトナムには、映画を教える大学がハノイに一校、ホーチミンには私が教え始め
る演劇映画高等専門学校(短期大学)が一校と聞いています。ハノイには数年前に
映画専門の学校が政府管掌の下に設立されたそうですが、残念ながら先生がいな
い・・ということで、開校後、活動が止まっているようです。でも、広告となると、
ベトナムには大学というレベルでは存在していません。広告全般ではないのですが、
コピーライターの養成や、マーケティングを教える専門学校がホーチミンに一校あ
ります。これは、常時開校しているというわけではなく、ある程度まとまった生徒
の人数が集まった時に講座を二ヵ月間という短い期間で開くという、変則的な状況
で教えています。それからホーチミン市内に、デザインを一つの授業科目として教
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えている大学があります。デザインの力や広告のスキルなどは、そう簡単に身に付
くものではないのですが、この短い期間しか教育をしていないというのが現状です。
3.業務を進めるための人づくりの留意点について(人間関係、指導面で特に注意
すべき点
3.1
など、成功例、失敗例及び改善方法等を含めてお願いします。)
大切な人間関係―ファミリーになろう
北村:
ベトナムで印象的だったことは、お年寄り・年長者は皆からとても敬われ大切に
されています。おかげで私などは、若い人たちの中で大変いい思いをしてきました。
食事のテーブルではどこでも皆が競って、最年長の私に一番おいしいところを盛
り付けてくれました。レストランで得意先と同席の場で、いつも私からサービスさ
れるので困ったこともたびたびでした。そしてそれぞれの家庭では年長者を頭に家
族の絆を何よりも大切にしています。仕事の中でも同様に、仕事の仲間・友人など
と小さなコミュニティーを大切にしながら仕事をしているようです。おそらく、ず
っと前の日本もこうだったんだろうと思うところがあります。
今ベトナムで、仕事を円滑に進め成功するには、そうしたベトナム人が大切に思
う「人との絆」と、そしてどうしても避けて通れない「ビジネスの合理性」を、ど
のようにバランスをとるべきかを考えることが結構大切なことです。
私たちの会社では、徹底的に家族主義で行くことにしました。23 名の小さな会社
では、厳しい仕事も力をあわせて助け合えば頑張れる。楽しいこともみんなで楽し
めばもっと楽しめる、と考えたからです。
「ビジネスの合理性」は技術と考え、勉強
すればよいと割り切りました。それに、ベトナムでビジネスをスタートさせる日本
の会社として、ベトナムの社会に家族のように受け入れてもらいたい、という気持
ちもあったんでしょうね。
毎月一回、レストランで誕生日会のランチョンパーティー。会社へ戻ってからケ
ーキとお茶、みんなからのプレゼントも楽しみでした。時々何かと理由をつけて、
おやつの時間に全員で会議室に集まり、ちょっとした軽食などを楽しんだこともた
びたびです。私たちが日本へ一時帰国する折にはスタッフ一人一人に小さなお土産
を買ってくることにしていました。ちょっと大変でしたが皆の喜んでくれる顔を見
るのも楽しみでした。年末のパーティーは家族や友人も一緒に参加してもらい、社
員の皆さんがどんな仲間と仕事をしているかを知ってもらうのも、家族にとっては
安心出来るようでした。
いずれも、小さな規模だから出来たというのもホントですが、おかげで駐在員事
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務所としてスタート以来最初の 10 年間に退社したのは、結婚して海外へ移住した
受付嬢一人だけという、ジョブホッピングの激しいベトナムでは驚きの結果となり
ました。優秀な社員が辞めればその補充には高いコストがかかるだけでなく、日常
業務の効率にはたいへんな重荷となります。特にスタートしたばかりの小さな規模
の会社ではそのハンディはとても大変。優秀なスタッフには長く居てもらい、社内
が澱まないよう気をつけていくのが、ここでの落ち着いた経営の基本であると思い
ます。それは日本人には得意のパターンです。またどこの国より、ベトナムではう
まくいく方法だと思います。
加藤さんのご意見はいかがですか?
加藤:
私も仕事の中で同じようなことを感じています。
ベトナムの人達は人と人のつながりをとっても大切にしますね。ここベトナムで
は仕事を円滑に進めていくためには、この家族的な付き合いが必要になることもし
ばしば。事務所ではなかなか話してくれないことも、職場を離れた場所で一緒に飲
んだり食べたりしながら話すと、意外に本人が考えている本音の部分が見えて来る
ものです。ある時、社員の様子が何かおかしくて、本人に聞こうとしたことがあっ
たのですが、なかなか話してくれない。それで、職場の皆んなをつれて夕食会を開
きました。その場では、もちろん仕事の話はしません。とにかく楽しく食事をして
家路につきました。すると、その翌日のこと。当の本人がやって来て「実は・・」
と重い口を開いてくれたことがありました。真剣に社員のことを思って厳しく仕事
を教え、そのことが信頼関係に結びつくかというと、ベトナムでは一概にそのよう
なことは言えないような気がします。家族的な付合い方が、お互いの距離を縮め、
それが仕事の場にも良い影響として表れる・・そんな気がします。もっとも、この
家族を大切にする考え方が時には、どういうこと?という問題に発展してしまうこ
ともあるのです。特に広告の仕事では、自分の時間を犠牲にして仕事に専念しなく
てはいけない状況が、よく発生するのですが、この家族思いが災いして、時に仕事
を途中で放り出して家に帰ってしまうという、そんな場面がよくありました。日本
人のように仕事第一、家族は二の次的な考え方も問題ですが、ベトナム人の家族思
いの強さも時に仕事上のネックになったりしますね。家族を大切にするように、仕
事ももっと大切に思ってもらえるといいのですが。
3.2 率直でドライな若者―サインを見逃すな
加藤:
先に話題になったように、ベトナム人は転職をすることがよくあります。平均
68
すると 2∼3 年で転職をすると聞いたことがあります。これは、転職することで本
人のキャリアアップにつながり、収入を増やすひとつの方法だと考えているようで
す。会社としては、仕事を覚えてバリバリとこなしていってもらいたいと考えるわ
けですが、急に会社に来なくなってしまい、そのまま・・ということもあるようで
す。
社員が何を考えているのか、コミュニケーションがとても大切なのですが、ベト
ナムの人達はシャイなのか、言っても仕方が無いことだと考えているからなのか、
なかなか本人の口から話を切り出すことはしません。私が常に心がけていたのは、
とにかく話すこと。こう見えても、私はとても口数が少ない男なんですよ(笑)。
でも事務所や移動の車の中では、いつも何か社員達と話していました。もしかした
ら、私が社内で一番騒がしい男だったかもしれませんね(笑)。仕事には関係ない
のですが、ベトナム語を教えてもらったり、映画の話をしたり・・。そんなことを
しているうちに、社員のちょっとした変化も見えるようになりました。私が居たの
は少人数の会社だから出来たことかもしれませんが。すると、雑談の中にポロッと
本人が考えていることが出てくる。そういった、初期の変化を見逃さないようにす
ることが大切なんだと思います。
北村:
実は私には苦い経験がありまして、、、。私のアクションが遅れて残念な結果にな
ってしまったことです。
当社には以前、大変有能な女性のアートディレクターが居りました。イギリスで
デザイナーとしての教育を受け、将来もっと上のポジションで頑張れる人だと期待
していました。その後、彼女の下にデザイナーを新たに採用することになりました。
当時給料の水準がどんどん上がっている時期で、新規採用するに当たっては古く
から居る彼女とあまり変らない額の給料が必要でした。そのことを知った彼女が、
「違うポジションで、自分の方がはるかに仕事の内容も高度なのに、給料がほとん
ど変らないのは理解できない」との不満を直接私に、率直に話しに来ました。私は
状況を説明し、あと半年、次の昇給の時期に考慮すると約束し、理解してくれたと
思っていましたが、彼女はしばらくして退社してしまったのです。給料の額は、自
分のポジション、自分の評価を表す大事な物差しであり、同業他社の同じポジショ
ンといつも比較し、会社が自分をどう評価してくれているか、敏感に計っているよ
うです。そんな彼女の出したサインを見逃さず、すぐに私がアクションを起こして
いれば問題の解決はたやすい事だったと、今でも悔やまれます。
私はこの失敗から、実に大きな教訓を学んだと思っています。それは、ベトナム
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の人達のメンタリティーとして、家族的な「和」とか、儒教的な考え(今の日本よ
りもしっかりとした)を大切にしながら、ビジネスの世界では欧米の価値基準も併
せ持つ、ということです。私たちの場合は、欧米の広告会社・CM 制作会社が力を
持っている業界だからという理由もあります。しかし今後どんな業種においても、
欧米で教育を受けた若い人達を幹部として採用する場合、彼らの考えや行動を一面
的な見方では捉えられないケースが起こるはずです。
4.企業内能力開発の実施事例について(現地従業員の具体的な養成事例や技能評価
の実施方法等についてお願いします。)
北村:
私たちが初めてベトナムで仕事をスタートさせた時、仕事の現場では驚くことが
いっぱいありましたよね。ベトナム人の皆さんが打ち合わせの時間を守らないとか、
必要な情報が伝わってなくて、「えっ?そんなこと聞いてないよ!」なんて、日本
ではほとんど意識しなくてすむようなことが、仕事のネックになっていたことが多
かったみたい。
加藤:
そうそう、私の場合も、CM を作る上での技術的なことももちろん苦労はありま
したけど、北村さんが言われるようにこの国で仕事をするには、特にベトナムの人
達の生活の考え方・価値観、大きく言えば根底の「文化」という面から理解して取
り組まなければ、ということ。ま、これはずいぶん後になってから実感したことで
すけどね。
北村:
広告を創る仕事はまさにその国の人たちの「価値観」「文化」に根付いたもので
すからね。ここでは私たちにとって、仕事の上で難しい状況をいくつか挙げてみて、
それにどう働きかけ、結果どうなったか、を話し合ってみたい。それがこのレポー
トの目的である「人材育成」の実例になればいいと思います。それはとりもなおさ
ず、現地従業員のコミュニケーション能力を養成するということにほかなりません。
製品の生産や販売が主である業種なら、生産技術や販売手法の習得・能力開発が
大きなテーマになるでしょう。しかし私たちの場合、いわゆる「技術養成コース」
といったものでは解決できない問題が多いのです。現在まで日々の仕事の中で一緒
に解決しながら共に学ぶ、という形で問題に対処してきました。評価制度について
も同じことが言えます。技能試験とか成績を数字で評価するより、各人が目標設定
し、その目標達成の成果を評価する方法がふさわしいと思っています。私たちの場
合、目標の設定は自由に考えてもいいが、会社へどのような貢献ができるかという
ことを明確にすることが必須でした。その機会をうまく使って、マネジメントの考
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えを直接スタッフに伝えることもできました。うまくいったことばかりではありま
せんし、いまだ試行錯誤の真っ只中、ということもあるでしょうが、それでも私た
ちが学ぶべき優れた点もたくさんあったと思います。
まずは、加藤さんからスタッフの人材育成という視点からいくつか経験を聞かせ
てください。
加藤:
はい。最初から大きな話になってしまいますが、「仕事に対するモチベーション、
情熱」みたいなもの、これがなかなか見えないこと。若い皆さんにはそれさえあれ
ば後は怖くない、くらいに期待していたんですけど、一緒に仕事をしていて、共有・
共感できるものがうすい。とても心細いものでした。「時間を守る」意識に欠ける
ところがあることにも苦労しました。「好奇心」は創造力の源ですが、もっと強く
持ってもらいたかった。会社への「定着率」は仕事に対するモチベーションにもか
かわることですが、なかなか解決が難しい。
北村:
そうですね、私も同じことを感じていますね。他には、ベトナム人のスタッフの
皆さん、「協同作業が苦手」というのがかなり大きなポイントだと私は思っていま
す。
広告の仕事は、今までなかった新しいものを、みんなの手作業で創り出すこと、
と言ってもいいと思います。営業、マーケティングプランナー、メディアプランナ
ー、コピーライター、デザイナー、CM プランナー、それにカメラマンなど、その
ほかの多くの人たち一人一人が違った役割を持っての作業ですから、
「協同作業」が
うまくないと救いようがないわけですね。そのため「情報の共有がうまく出来ない」
とか「必要な報告・レポートのタイミングを逃してしまう」
「長いスパンでプロジェ
クトのスケジュールをうまく立てられない」
「大きな概念でプランニングするのが苦
手」
「ジュニアスタッフの指導がうまくない」などの結果となって、日常業務がスム
ーズにいかないことになります。
4.1 創造力の源「好奇心」を鍛える
加籐:
私はこのベトナムに来てからというもの、何を見ても何を聞いても面白くて仕方
が無い時期がありました。これって、好奇心っていうものだと思うのですが、ベト
ナム人に対して「あれっ?」と思うことがあったんです。もしかしたら、ベトナム
人には「好奇心」というものに弱いのではないかと・・。仕事を一緒にしていても、
一緒に街中を歩いていても、何かを示しながら「あれって、どうしてこうなってい
るの?」とか「あれ、面白いね?」とか言っても眼をキョトンとさせている。仕事
71
をしている時に、皆さん意外に物事を知らないなぁ、と感じさせられることによく
ぶつかったのです。好奇心と言うのは、創造力の原動力になっていると言っても言
い過ぎではありませんよね。この好奇心が無い、弱いというのは、広告制作にあた
っては結構致命傷だったりする。
何故、ベトナム人は好奇心旺盛で無いのか・・?
私なりに原因を考えたのですが、とにかくベトナムの皆さんには(日本に比べ)驚
くほど情報量が少ない。個人にとっても将来の可能性がそれほどオープンではない。
などによるのかなと思いました。好奇心を持ったところで仕方が無い。知ったとこ
ろで、何の役にも立たない。そんな考えがあるのではないのかと思ったりしました。
だから、好奇心がなくても仕方が無いのかも知れないという面もあるけれど、私はも
っともっと毎日目をキラキラさせて、いろんなものを吸収していって欲しいと思いま
すね。それからもう一つ考えられる原因としては、勉強はあくまでも学校でするも
のであり、日常生活から勉強するものではないと思っているふしもあります。「これ
は学校で勉強したことが無いから、わからない。」という言葉をよく口にしています
ね。
で、好奇心を持ってもらうために、いろんなことを経験してもらうために、一緒に
街中を歩き回ることをしました。私にとっては面倒なことではあるけれど、何か面白
いことを見つけた時に、何故私が興味を持ったのかとか、調べたいから一緒に調べて
欲しいとか、その辺の人に聞くとか・・そういったことをしました。わからないこと
があったら、人に聞くように仕向けました。何度も同じことを聞くのは恥ずかしいこ
とですけどね。そうこうしている内に、興味を持ったのかいろんなことを見たり聞い
たりするようになりました。それからと言うもの、様々なものを吸収するスピードが
速くなったような気がします。
4.2 「情報の共有」――生かしてこそ情報
北村: 「情報の共有がうまくできない」、という状況で何をしたか。それについてお話し
します。情報の共有と言ってもいろんなレベルがあります。実に初歩的なことです
が、ここではストックされた資料(情報)などをどう整理してみんなで使うか、と
いう程度のもので、日本ではことさら悩まなくてもいいような事柄です。
私が赴任してすぐの頃、過去の企画書のファイルを参考にしたくてスタッフに尋
ねました。それは○○さんだとか、××さんが持ってるとか、一人一人に自分のキ
ャビネットを開けてもらい探したことがありました。ひとつのプロジェクト、たと
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えば「新しい洗顔フォームの市場導入」があったとして、記録として残しておきた
い資料は A4 の書類ファイルだけに収まるものではありません。新商品の見本、パ
ッケージデザイン、マーケットリサーチの記録、競合商品の見本・分析データ、企
画書、新聞・雑誌広告のサンプル、商品ディスプレイの記録、TVCM のテープ・DVD
など。それらの担当者が自分のパートだけを個人的に、物置に放り込むように保管
していたんです。私が皆さんに解かってもらいたかったのは、情報は再度使うため
に保存する。みんなが有効に使ってこそ価値があるということ。それ以来、個人で
しまいこむな!鍵などかけるな!と。プロジェクトごとに、個人ではなく、それぞ
れのチームで保管することに決めました。
ちょっと話はそれますが、べトナム人にとって「利権」はとても大事なもので、ベ
トナムは長い間「利権」で成り立っている社会のようです。かつて南ベトナム軍将軍
がたびたびクーデターを起こし、次々と政権トップの座に着いたのも、実は当時の軍
が経済的な、おいしい利権を握っていたからだと言われています。現在もベトナムで
は、個人の間でも仕事を世話してリベートをやりとりするなど、あちこちで、民間の
ビジネスでもよく耳にすることです。リベートなど期待できなくても、仕事の情報が
あれば誰に依頼するのが適切か?と考えるより、先ず親戚縁者とか、親しい友達を推
薦するのは当たり前のこと。つまり、個人で得た情報は自分にとって大切な財産、利
権のもとと考えるのもここでは自然のようです。日常の仕事の上でも情報を積極的に
人に渡して協同作業を円滑に進める、などが苦手なのはそんなところからきているの
じゃないかと考えると辻褄が合いそうです。
話が大げさになってしまいましたが、そんな皆さんのメンタリティーを理解した上
で、仕事上の資料(情報)の扱いでは、個人で保管するよりも、オープンにして必要
な時に、必要な人が活用できる方がはるかに自分たちの「利益」になる。ということ
を解ってもらったのです。そうでなければ、仕組みや決まりごとを作っても本当の目
的に届かない。ということですね。
4.3
レポートのタイミング
加藤: 「報告する」ということは、仕事を進める上でとても重要なことです。もちろんそ
の本人に仕事を任せるわけですから、結果が出るまではその仕事を預けておかなくて
はいけません。でも、コミュニケーションとなると話は別ですね。常にコミュニケー
ションを取り合っておかないと、何か問題が発生した時には手遅れになってしまい、
手当をすることも出来ません。実は私は、問題が起こらないと当の本人には危機管理
73
の意識が生まれないのではないかと思ったこともありました。もちろん、問題が起こ
った時には、私自身が問題の収拾に走り回ったわけですが。それでも当の本人は「何
かあったの?」とケロリとした顔をしていたこともありました。仕事を任せるからに
は任せた人間の責任はある。しかし、任されて受けた人間にも責任があるということ
を、本当に時間をかけて話しました。また、社員全員に「ほうれんそう」を教えまし
た。「報告・連絡・相談」この言葉は、日本人は皆が知っていることだと思います。
何故、「ほうれんそう」が必要なのか、そんなことを常に意識し実行すれば、問題
が大きくなってしまう前に解決法が見つかると言うことを根気よく話しました。ベト
ナム人は、先ほどお話ししたように、自分ひとりで抱え込んでしまって、人と情報を
共有することが苦手のように思います。責任感が強いということならいいのですが、
実はそういうことではなく、失敗を恐れるあまりそのことから身を離れたところに置
いている・・、そんなふうに疑ってしまうこともありますね。問題が起こった時は、
そっと離れた場所にいて、時が解決するのを待っている・・そういった傾向があるの
ではないかと思ってしまいます。「ほうれんそう」を徹底するためには、とにかくこ
ちら側から聞くこと。その度に、「ほうれんそう」の実行を促していくこと。忍耐強
く相手に理解させる・・そのことにつきるのではないでしょうか。
北村: 「ほうれんそう」は実にわかりやすくていい方法ですね。大切なのは、レポートは
危機管理の第一歩だ、ということをしっかり理解してもらうことだと思います。
たとえばこんなケース。得意先への請求ミスがあり、金額を少なく請求書を出し
てしまいました。あとで気がついた担当者がすぐに報告しなかったために、請求書
はベトナムの得意先の会社から日本の本社の経理まで通ってしまい、結局訂正する
タイミングを逸してしまった。もし 1 日早く報告していたら、ベトナム側で食い止
められたのに。とこんなことが起こった時には「ほうれんそう」のタイミングがい
かに大切かを理解してもらえることが必要です。報告しにくいことほど早く報告す
る。結果よければそれでよしと、いい意味でスタッフに逃げ場を作ってあげること
にもなりますね。
4.4
プロジェクトのスケジュールを管理する
加藤:
なぜスケジュール表が大切なのか・・。先ずそのことを、理解させました。いざ
仕事を一緒にスタートしてみると、スタッフの皆さんはスケジュール表の書き方す
らわからない、どう制作作業の段取りを組んでいったらいいのかわからないという、
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基本的な問題にぶつかりました。そこで、制作作業をする時には、数多くのスタッ
フが関わること、そのためにはレールを敷く必要があることを説明し、私自らがス
ケジュール表を書いて全ての作業を進めていきました。そんなことを繰り返すうち
に、まずスケジュール表を書き、それから行動に移すという当然と言えば当然の制
作業務が出来るようになりました。ベトナム人には(特に南部の人たちは)イマジ
ネーション能力というか、先々の計画を立てる力・・、そういったものが弱い気が
します。この先どんなことが起こりそうなのか、そのためにはどういった準備をし
なくてはいけないのかという、先を見据えた行動を考える能力。それを培っていく
には時間がかかるかもしれませんね。でも、このスケジュール表の効果は、結構大
きなものでした。スケジュール表に従って作業を進めていけば良い結果が得られる
という自信につながったこと、さらにはコミュニケーションをお互いにとっていく
ための、ツールとなったからです。今では、私が何も言わなくても、スケジュール
はこうなっているけれども、この先何をしていくべきか・・という一歩進んだコミ
ュニケーションがとれるようになっています。
北村:
私もまったく同感です。それぞれのプロジェクトのプランを作り、スケジュール
表におとし込んでゆくというのは、とりもなおさず、大勢の共同作業を円滑に進め
るための指針作りをしている、という理解をもってもらいたいものです。それぞれ
の立場、力量、作業の順序、コスト、不測の出来事などあらゆる可能性をイメージ
することが出来れば、共同作業のリーダーになれるわけです。
私のところでは、それまで社内で各自・各部署がばらばらに、好き勝手なスケジ
ュール表を作っていました。それを使いやすいひとつのフォーマットに統一するこ
とで、スケジュールの突き合せや、スケジュール表の修正など、共同作業がより円
滑に進むよう考えました。でも理解はしても、それぞれ使い慣れたフォーマットを
変えるのは抵抗があるらしく、目下、変革途上というところです。
4.5
クロスオーバー人間になる
加藤: ご存知のように、TVCM の制作では数多くのスペシャリストが一つの作品づくり
に携わっています。違った役割で、協力しあって一つの作品を完成するわけです。
それぞれの作業をつなぎ合わせるのではなく、どこかで融合するところが必要で
す。スペシャリストが仕事に携わっているわけですから、自らがその専門家になる
必要は無い。でも、一つの作品を仕上げていく過程で共同作業はどうしていったら
いいのか、を知っておいてもらいたいのです。時間がある時には、とにかく自ら広
75
く経験をしてみること。能力の幅を広げることが共同作業を引っ張っていく力にな
るということ。やはり、前にお話しした「好奇心を持って事に当たろう」というと
ころに戻ってゆくのかもしれませんね。
北村: 「クロスオーバー人間になる」というのは二つの側面があると思います。
ひとつは、加藤さんにお話いただいた、プロジェクトの共同作業のリーダーになる
ための素質を高めること。もうひとつは一人一人の専門分野をより高度に強固にする
ために、能力の裾野を広げること。いずれにしろ、新しいことへの好奇心と、ちゃん
と判るまでやってみようという粘りが必要ですね。
私はスタッフの一人にある可能性を見つけました。経験の浅い、若いデザイナーで
したが写真が好きで無理をして高価なデジタル一眼レフを持っていました。彼に自社
の卓上カレンダーの制作を丸ごと任せたのです。それまでは毎年、ベトナムの有名な
風景写真作家の作品でカレンダーを作っていました。デザイナーの彼にとって、自分
の写真でカレンダーを作るなんて、もちろんやったことはない、考えてもみなかった
チャンスです。かなり荷が重い仕事で、ずいぶん苦しみました。大変なときだけ私が
ちょっと手助けはしましたが、写真のアイディア・撮影・デザイン・印刷の管理まで、
幅広い初めての経験を何とかやり遂げ、いいカレンダーが出来ました。彼はその後の
仕事の中で、写真のアイディアを出したり、カメラマンといい打ち合わせができるよ
うになり、デザイナーからアートディレクターになる第一歩を踏み出しました。
可能性を見つけ、心配でもどーんと任せて、困ったときにはこっそり助ける。こう
すればスタッフの皆さんの、いろんな可能性を高めてあげられますね。
5.その他
「人材育成」がテーマでありながら、スタッフの皆さんの、「仕事に必要なスキルをど
う向上させるか?」という点に触れなかったのは、日常そうした問題がなかったからでは
ありません。しかしそれよりも、ベトナムの皆さんの「価値観」とか「生活の考え方」な
どを背景とした話が多くなってしまいましたが、それは私たちにとって「どうしてそう考
えるの」「なぜそうするの?」といった疑問が半透明のカーテンのように、いつも私たち
の視界や行動をさえぎっていたからです。
私はそうした疑問に自ら答えを出すための、考え方のバックボーン、判断基準の軸とい
うものを持とうと一生懸命探しました。表題にあった「日本人の派遣者が知っておくべき
ベトナムの事情」という問いに対する答えとして、困ったときにいつでも立ち戻れる、考
え方のバックボーンを持ちたかったのです。
76
考えた結論は、ベトナムの「農業社会のメンタリティー」です。ベトナムは 1986 年の
「ドイモイ」宣言で初めて「工業化社会」への一歩を踏みだすことになりますが、それま
では「農業社会」の骨組みがベトナムを支えてきたと考えます。明治以後、近代工業化社
会を目指してきた日本人にとって、何世代も前のこととして理解できないことが多いのも、
むべなるかな、でしょう。ベトナム戦争の中で、ゲリラ戦は得意でも組織戦はからきしダ
メというのは、ビジネスの世界で「共同作業が苦手」「情報の共有が苦手」というのと、
どこか共通しているのも納得ができます。「好奇心が持てない」のも「長いスパンでプラ
ンが立てられない」のも、メコンデルタの豊かな水と太陽の大地では「好奇心」も「長期
プラン」なども必要なく、お米と果物と川の魚があれば家族が支え合って十分に生きてこ
られた。そこに遠因がありそうです。
思い込みは危険ですが、何かを考える時、何かを判断する時に、過去まで遡ってみて、
よりどころの軸を持つのは悪くないと思います。
誰かが仕事上の問題や事故を起こしても、考えをめぐらせるうちに、そのスタッフのお
父さんやおじいちゃんの顔までが想像できて、なかなか面白い!と思ったこともありまし
た。
組織的に・体系的に「人材育成」が出来たわけではありませんが、ベトナム人の皆さま
のことをもっと深く知りたいと思う気持ちは、いい「人材育成」の力になったかもしれま
せん。
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