PDFダウンロード

革命家」と命名しました。まさに、児童文化の無形文化財ともいう
を「下町のウォルトディズニー」「魔術師」と呼び、
「視聴覚教育の
順先生はとてつもない児童文化財を創案されました。ある人は先生
かつて、久留島武彦が口演童話を、高橋五山が紙芝居を、永柴孝
堂がペープサートを子どもたちにプレゼントしたように、古宇田亮
パネルシアターの誕生から四〇年の節目にあたり、末輩の一人と
して心よりお祝い申し上げます。
テーマに基本計画を策定し、爾来研修会、講演会、海外ボランティ
新 た に こ の 文 化 財 を 育 ん で い こ う と「 こ こ ろ・ 愛・ や さ し さ 」 を
ました。委員一同、その期待に応えるべく、世界に発信すべく、心
「パネルシアター委員会」が二〇〇六(平成十八)年に発足いたし
この素晴らしい「古宇田パネル」の精神を益々広めていこうと、
浄 土 宗 の「 宗 祖 法 然 上 人 八 〇 〇 年 大 遠 忌 」 記 念 事 業 の 一 つ と し て
とを幸せに思っています。
司
べき先生です。
に取り組んでまいりました。今般、全国の活動家のご協力を得、次
パネルシアター委員会委員長 髙橋
そんな文化財も当初はなかなか認知されず、研修会も人が集まら
ず、園・校長が参加の許可を出さず、と産みの苦しみも経験しまし
の世代にさらなる文化財へと受け継がれていくことを願い、パネル
発刊にあたって
た。幼稚園に呼ばれ、パネルシアター公演の館内放送がされるも幼
シアターの『誕生 周年記念誌』を発刊することになりました。
ア、作品集の編纂、資料蒐集、出版、研究・研鑽等、遮二無二活動
微力ながら、新しい文化財の定着・発展・普及にお手伝いできたこ
児が集まらず……。「人形劇とも違う、紙芝居とも違う、楽しいイ
運んでくれたこともありました。一週前の研修が「伝承遊び」
、次
お届けできれば幸甚です。共に手を携え、パネルシアターの魅力を
明治・大正期の子どもが口演童話を、昭和期の子どもが紙芝居を
満喫したように、平成の世に、パネルシアターの限りない可能性を
ベントが始まります」と放送されて、ようやく何名かの幼児が足を
が「手作りおもちゃ」、いずれも四〇名の参加で、その間の「パネ
います。誕生から四〇年の節目に改めて確認します。
パネルシアターで「共生」社会を!
合掌
追究していくことが、古宇田先生に薫習を受けたものの務めだと思
古宇田先生の獅子奮迅・八面六臂のご活躍、そして全国各地にた
くさんの後継者を養成された結果、今ではすっかり市民権を得て、
子どもたちのみならず様々な分野で活用されるようになりました。
ルシアター」の参加者は僅かに五名ということもありました。
40
祝辞
祝辞
法然上人の教え、お念仏のこころを
に宗幸の至りと心よりお慶び申し上げます。
アター四十周年記念誌』をご発刊されますことは、誠
展を期して、創案以来の歩みを回顧しつつ『パネルシ
び『夢と笑顔をはこぶパネルシアター』のさらなる発
宗祖法然上人八〇〇年大遠忌の記念事業の一環とし
て結成されましたパネルシアター委員会では、このた
教化活動が今後さらに広まりますことを念願するとこ
八〇〇年大遠忌をお迎えした今、改めて法然上人の
み教え、お念仏の心を多くの人々にお伝えしていく、
とは、まことに時宜に適うことと思います。
ます。パネルシアターの推進、実演を積極的に行うこ
おいては、その魅力を最大限に発揮できるものと存じ
お伝えする一翼を担う存在として
浄土宗は宗祖法然上人以来、教化宗団として輝かし
い歴史をもっていますが、児童を主対象に、しかもそ
ろです。
実演を見て、楽しそうに話していたことを思い出しま
合 掌
その一翼を担う存在として、パネルシアターを用いた
方々が楽しめる要素を含んでいますので、布教教化に
の心情に添った教化の展開は、そんなに古くからでは
ありません。このようなとき、古宇田亮順上人が創案
されたパネルシアターは、大人をも巻き込んだ画期的
な布教教化法であると存じます。
パネルシアターはパネルボードを使い、絵を動かし
ながらお話をするので、聴覚だけではなく、視覚をも
刺激し、内容がより理解し易くなっています。また創
意工夫をすることによって、魅力的な世界を自由自在
につくり出すことができ、子どもから大人まで多くの
パネルシアターによる
『パネルシアター四〇周年記念誌』発刊に際し、一言
す。この『カレーライス』という作品は、古宇田先生
情操教育の発展と平和を念じて
ご挨拶申し上げます。
改めて認識を深めました。
のお弟子さんの月下和恵先生が創作されたことを知り、
浄土宗教師の古宇田亮順先生が一九七三(昭和四十
八)年に創案されたパネルシアターが、早くも四〇年
一九六四(昭和三十九)年に東京オリンピックが開
会、一九六八(昭和四十三)年に国民総生産が世界二
多くの方がパネルシアターを観賞し、心癒され平和な
られる先生方の益々のご活躍を祈念申し上げると共に、
目を迎えられること慶賀に存じ上げます。
位に躍進、一九七〇(昭和四十五)年は大阪万国博覧
社会の構築を念じてやみません。
情操教育の肝要が、昨今の教育現場で提唱されてい
ます。古宇田先生はじめパネルシアターに携わってお
会が開催。まさに日本の高度成長期を迎え、テレビ・
冷蔵庫・洗濯機が三種の神器と謳われ日本国が上昇志
向の中、古宇田亮順先生は早くも近い将来最も重要な
課題になるであろう児童教化に着眼された先見性に、
敬意を表する次第であります。
保育・教育現場(保育園・幼稚園・小学校)を中心
にパネルシアターの実演が広がり、日本だけに留まら
ず、世界各国に於いて採用されていると聞き及んでい
ます。私の子どもも幼稚園の頃、
『カレーライス』の
2
3
浄土門主
総本山 知恩院 門跡
浄土宗 宗務総長
伊藤 唯眞
里見 法雄
祝辞
祝辞
パネルシアターで難民に笑顔
─
「公安部隊の兵士たちは赤色クメール生えぬきの連中
医師、教師など」
「情勢は緊迫してきた。二回目の処刑は元政府職員や
シャコを思った」
を 食 べ て エ ビ を 思 い 出 し、 ム カ デ を 食 べ て 江 戸 前 の
野ネズミのたぐいをみんな血眼になって探す。サソリ
「食糧事情も日を追って悪くなった。ヘビ、カエル、
あった。
た だ い た の は、 一 九 八 〇( 昭 和 五 十 五 ) 年 の こ と で
生に懇願して、タイ国境の難民キャンプに出向いてい
笑顔を取り戻していただきたいと考え、古宇田亮順先
教育、文化、宗教を極端に否定し、歌うことも、笑
うことも許されなかったカンボジアの人々に少しでも
情は、固く悲愴であった。
古宇田先生とカンボジア動乱
とみえて、恐ろしく残酷だった。赤ん坊が泣くとうる
難民キャンプ中央広場の竹で造られた舞台の上で、
古 宇 田 先 生 の パ ネ ル シ ア タ ー が 始 ま っ た 途 端、 無 表
─
さがり、母親の手から奪いとって空中へ投げ上げ、落
情 だ っ た 難 民 の 顔 が 輝 き、 一 緒 に 手 拍 子 を 打 ち 始 め
と飢餓に追いこみ、二百万とも三百万人ともいわれる
稚園でのご公演を、園児ともども楽しみに待たせてい
その時以来すっかりパネルシアターの虜になって、
アジアの国々にお供させていただいた。今は私共の幼
いた。
い日差しの下、こだまする歓声が仮設舞台を揺らして
「アーイアイ……」の大合唱が広場全体に広がり、強
ちてくるところをナイフで突き殺すようなことまでし
た」
これは、動乱のカンボジアから奇跡的に生還した二
人の日本婦人の手記の一部である。中国の文化大革命
犠牲者を出した。命からがらカンボジア国境を越えて
ただいている。
の指導を受けたポル・ポト政権が、自国民を強制労働
タイの難民キャンプに辿り着いた何十万もの難民の表
未来永 劫
も、
「楽しかった」という感想をいただいたり、パネ
ずっと求め続けられるもの
パネルシアター誕生四〇周年おめでとうございます。
ルや絵人形を触って納得していただいたりするのは、
絵人形を一枚出すと、歌やあそびやおはなしといった
いで、おいでー」と、呼びかけくれます。パネル上に
ネルはいつでも「楽しいことが始まるよ!
映像も、たしかに私たちを楽しませてくれます。しか
さまざまな技術の進んだ現代。コンピューターを駆
使した精巧なアニメーションや3Dのダイナミックな
います。
きっとこの簡単さがゆえの安心感や楽しさだと思って
楽しいパネルシアターの始まりです。この白いパネル
し、古宇田亮順先生の創案されたパネルシアターのよ
子どもたちはパネルシアターが大好き。白いパネル
から、夢いっぱいの楽しい世界が広がります。白いパ
に絵人形を貼るという始まり。無から有。ここに、パ
うに、手作りで素朴な技法、演者と心からふれあう形
みんなお
ネルシアターの魅力が凝縮されているのだと思います。
います。
式は、未来永劫ずっと求め続けられるものと確信して
期待感いっぱいの中で登場した一枚の絵人形は、子
どもたちの興味や関心、好奇心や想像力などを刺激し
て、一瞬にしてパネルシアターの世界に誘ってくれま
す。そこで展開される歌やあそび、おはなしの楽しい
こと楽しいこと。貼り絵という誰もがわかる手軽な手
法とその簡単さが、パネルシアターに安心感を与えて
くれています。また、安心感は心の安定にもつながり
ます。子どもだけでなく、老若男女どの年齢層の方に
4
5
元全日本仏教青年会
カンボジア難民救済プロジェクト会議委員長
高野山真言宗歓成院名誉住職
大倉山アソカ幼稚園園長
道灌山学園保育福祉専門学校保育部長
道灌山幼稚園主事
摩尼之法
阿部 恵
みんなのバンド「トラや帽子店」を1987年に
結成し、2000年4月に惜しまれつつ解散。以
後、旅芸人としてファミリーコンサートやセ
ミナー、講習会を各地で開催。
ろで取り組まれている浄土宗の皆様の御活動に、私も
じております。八〇〇年大遠忌に際し「共生」のここ
法然房源空上人が末法の時代、発見して下さった浄
土教の教えは、今この時代にこそ最も必要であると感
晴らしいのです。
ますが、いつまでもお若く溌剌とされてまたお声が素
ます。初めてお会いしてから、もう三〇年あまり経ち
くしたことを面白く伝えるということを実践されてい
とを簡単にし、簡単にしたことを深く重くし、深く重
「共往」のこころでまいりたいと思っております。
愚かな私の強引な解釈を許していただけるならば、
選びとって選び捨て「選択」し、それを「決定」し、
ともいき
古宇田亮順先生の発見された「パネルシアター」は
ま さ に 大 発 見! な の だ と 思 う の で す。 な ぜ、 あ え
その中にこそ「安心」がある。保育と浄土宗とパネル
ともゆき
て「発見」という言葉を選択したかというと、僧源空
シアターは深く結び付いていると思います。
パネルシアター誕生四〇周年のお祝いとして。
合掌
が 善 導 の『 観 無 量 寿 経 疏 』 巻 第 四『 観 経 正 宗 分 散 善
義』「散善義」の中から、未だかつて誰しも「気づか
なかった」浄土教の教えを再発見したからに他なりま
せん。
法然上人絵伝や行状絵図の伝統を持つ浄土宗の歴史
や宗風のなかで、パネルシアターという今まで誰もが
気づきもしなかったこの世界を創られた古宇田先生と
法然上人が、私には重なりあって見えるのです。しか
も、先生はその教えをあまねく衆生に届け、難しいこ
─
四〇周年記念に際し
パネルシアターも、世界で知識を共有することにお
いて同じ方法をとっています。利用するすべての人々
─
みなさんに愛されてきたパネルシアターの四〇周年
記念に際し、お祝いを申し上げます。
を共有することは最高の悟りを得ることです。古宇田
にとって恩恵であります。仏陀の教えによれば、知識
古宇田亮順先生は、四〇年前に教育と娯楽の両方を
そなえたひとつの方法を創案されました。それは、瞬
先生がこの悟りを満たされたことを喜びに思い、また
合掌
く間に視聴覚(目や耳)を楽しませる方法として人気
Ven Dr Bandagiriye Somawansa Thero
Presidential Advisor on Early Childhood Development and Primary School
Education
Director-National Children's Educational Foundation
先生の大志によるならば、パネルシアターは人々の心
I commemorate and honour Ven Dr Koda on behalf of Sri Lanka with great
respect for the immense efforts taken by the Ven Koda in introducing this
system to the world.
となりました。それ以来、私たちの教育分野において
を表します。
The Panel Theatre System could be used to develop a country spiritually
as well as materially if used in proper way as per the aspiration of Ven Dr
Koda.
を豊かに発展させることができるということです。
しき
The Panel Theatre System introduced by Ven Dr Koda too is following the
same method in sharing knowledge to the world which is a blessing for all
who make use of this system. According to the teachings of the Lord Buddha,
sharing the knowledge is the greatest Perfection (Bodhisatva Paramitha) out
of 10 Perfections. I am glad to mention that Rev Dr Koda has fulfilled this
Perfection by introducing this wonderful Panel Theatre System which is used
by many countries.
は多大な力となっています。今ではさまざまな方法を
ぎょう
For an example, we can take an object seeing by somebody. He will grasp
the knowledge as to what it is with the attention given to object with his
mind when it is seeing through his eyes which happens instantly, where eye,
object and mind meets together. The three dimensional picture he visualize
grasp his attention and develop his mind by transmitting the knowledge
about the object.
用いながら、世界中でパネルシアターを使い、成功を
そう
This system reminds me the Five Sense Organs and Five Aggregrates
of grasping taught in Buddhism which clearly clarifies mentalities of
human beings (Shiki (iro), Ju, So, Gyo, Shiki - goun ). Human beings develop
knowledge with the experience gain through five sense organs.
最後に、古宇田先生が世界にパネルシアターをご紹
介されたご尽力に、スリランカを代表して心より敬意
じゅ
Rev Dr Koda Ryojun introduced this system to Japan 40 years ago as a
method of providing education as well as entertainment. It was popular in no
time as it was an audio and visual system. Since then it was a great relief for
the field of education. Realizing it’s success many countries over the world
use the Panel Theatre System now using various methods. Advantage of the
Panel Theatre System is that there is no age barrier for availing the system
either in the field of education or entertainment. Thanks to Rev Koda it has
become so popular and many people make use of this system worldwide.
収めています。
しき
パネルシアターの長所は、教育でも娯楽の分野でも、
パネルシアターを使うことに年齢の制限がないという
ご うんかいくう
ことです。それは、五感と人間の精神を説く仏陀の教
えである悟りの五蘊皆空(色・受・想・行・識)を私
に思い起こさせてくれます。
人間は、五感を通じて得た経験をもって知識を深め
ます。例えば、人はあるものを見ます。それを見た瞬
間に、心はそれが何であるかという知識を得ようとし
ます。それは、物体と目と心がひとつとなることです。
Commemoration of 40 years of wonderful Panel Theatre System
My congratulations for the wonderful and much popular Panel Theatre
System which celebrates completion of 40 years.
福尾 野歩
選択 決定 安心
スリランカ全国幼児・児童教育振興財団理事長
すばらしきパネルシアター
スリランカ政府教育担当顧問
祝辞
祝辞
バンダギリエ・ソーマワンサ
文責 武智公英
7
6
スペシャル対談
パネルシアターの40年を振り返って
古宇田亮順
1937(昭和12)年生まれ。東
京教区西光寺住職。正力松太
郎賞受賞。淑徳大学講師、淑
徳幼児教育専門学校学術顧問。
パネルシアターの原点
髙 橋 パネルシアターの誕生から四〇年、お
めでとうございます。
節目の年ということで、パネルシアター誕生
への道のり、古宇田パネル誕生の背景に迫らせ
ていただきたいと思います。どうかよろしくお
願いいたします。
まず最初に、先生は大正大学のご出身とお聞
きしました。所属されていた児童研究部では、
どんな活動をされておられたのかを、お聞かせ
ください。
古宇田 基本的には、日曜学校や土曜教園など
ですね。毎週土曜と日曜に、子ども会を指導す
るというクラブです。子どもと一緒に仏教音楽
を歌ったり、お参りをしたり、工作や絵を描い
たりして遊びました。そのあとに人形劇や紙芝
居をしました。いわゆる、宗教教育と児童文化
の活動ですね。
髙 橋 先生のパネルシアターの原点は、そこ
にあるのですね。
と拍手して喜んでくださいました。
紙芝居や絵本、人形劇をして、おはな
しだけでストレートに伝えている先輩がいまし
古宇田
た。人形劇もおもしろいのですが、仏教作品を
も、持っていく準備物が少なくてすむ、という
髙 橋 それは、何年ごろですか?
人形劇をやっていましたから、絵ばなしの中
に人形劇の要素を入れることができました。ど
古宇田 学生時代だから、始めたのは一九五七
(昭和三十二)年ぐらいからです。
ていましたね。それに少し近いかもしれません。
のようにしたら場面がパッと変わるのか、そう
いうおもしろさを覚えたことが良かったのです。
Pペーパーとの出合い
て行きました。
や松谷みよ子さんがいた人形劇団「太郎座」の
ある講習会に行ったとき、私は絵ばなしの講
はるひと
師として呼ばれ、人形劇の講師として松田治仁
古宇田 そのうち保育の関係者から、おもしろ
いからと講習の依頼が来るようになりました。
すると、作者がフジテレビのディレクターで、
奥様が紙芝居作家だったんです。自分で作った
人形や舞台を作る人で、人形や絵の制作におい
さんが来られていました。彼は、瀬川拓男さん
紙芝居をもとにした絵ばなしがどんなものか見
てはすばらしい腕を持っていました。その松田
ら自由にやってくださいと言われ、作者を訪ね
と出版社へ行ったら、廃版になった紙芝居だか
古宇田 『 お さ る の か ご や 』 を 演 じ る と き、 紙
芝居に原作があるので、原作者の了解を得よう
髙 橋 今のパネルシアターの基礎になる部分
ですね。
古宇田 『 かさじぞう』『おさるのかごや』など
に、歌あそびを取り入れながらやっていました。
髙 橋 その当時は、どんな作品をやっておら
れたんですか。
を貼って聖書のストーリーを語る布教活動をし
ランネルグラフといって、絵の裏にフランネル
ても良かったですね。昔、キリスト教では、フ
絵が描けない、という状態でしたが、反応はと
そこで、こういうものが見ておもしろいんだ
なと実感が沸いたんですよね。人形劇に比べて
対談撮影:加藤史人 文:渡辺ゆき
そのまま表現するということは大変なんですね。
コーディネーター:武智公英
利点もありました。
パネルシアターの
40年を振り返って
その当時たまたま、兄が貼り絵の絵ばなしを
見つけてきたのでやってみたんです。片面しか
スペシャル対談
てみたいと言われ、実際に目の前でやってみる
8
9
日本の子どもたちだけではなく、海外の子どもたち、
そして大人たちをも魅了してきたパネルシアター。
創案者の古宇田亮順氏にパネルシアター委員会委員
長の髙橋司氏が話をうかがいながら、パネルシア
ターのこれまでとその魅力を振り返ってみました。
Ryojun Kouda
髙橋 司
Tsukasa Takahashi
1949(昭和24)年生まれ。佛
教大学教育学部教育学科教授、
児童芸術研究所主宰。持田栄
一賞受賞。
スペシャル対談
パネルシアターの40年を振り返って
喜んでくれました。
地では、カンボジアの子どもたちがものすごく
てくれないか」というお話があったんです。現
どもたちが退屈だから、パネルシアターをやっ
のだけれど、ただ薬やお金を持っていっても子
なっている。子どもたちに医療を提供しに行く
先生から、
「今、カンボジアでは大変なことに
大 倉 山 ア ソ カ 幼 稚 園( 神 奈 川 県 ) の 摩 尼 之 法
古宇田 そのころから、各地の保育園や教育現
場の講習会に呼ばれるようになりました。また、
のですね。
髙 橋 一九七三(昭和四十八)年には、白パ
ネルとブラックパネルの両方を発表されていた
丈夫なので、いまだに破けずに残っています。
んには絵を描いてもらいました。Pペーパーは
『くもの糸』の舞台構成は私が考えて、松田さ
古宇田 ブ ラ ッ ク ラ イ ト の 初 の 作 品『 く も の
糸』を観た人は、
「舞台が無いのに、 絵だけが
髙 橋 あの作品は、ブラックライトを使って
いたんですね。
ジージョ』という人形劇の番組です。
があったので、ふとひらめいて買ってみました。
そ
ん な 折、 地 元 の 東 京 で あ る 呉 服 屋 さ ん に
ふ しょくふ
入ったとき、不織布でできた財布のようなもの
や布の博物館を見に行っていましたね。
思い始めたんです。各地を旅をするたびに、紙
ろくなる、いいものが無いはずないだろう」と
「どうしても裏を見せたい、裏があればおもし
見せられない、ということも悩みの種でした。
走 っ て 行 っ た 自 動 車 の 反 対 側( 裏 ) を す ぐ に
親しんでいた私としては、たとえば右から左へ
やペープサートといった両面見せられるものに
てしまうのが嫌だったんです。加えて、人形劇
糊づけをすると、せっかく描いた絵が汚くなっ
実に手間がかかります。それに、画用紙の裏に
古宇田 松田さんが描いた絵の裏にフランネル
の布地を貼りつけるんですが、毛羽だっていて
て、素材をずっと探されていたのですね。
面しか絵が描けない、などの不便さなどもあっ
髙 橋 当時の作品の布地は、フランネルだっ
たので裏面にネルを貼らなければならない、片
田さんと一緒に作品を作り始めました。
欲しい」と言ってくれたんです。それから、松
かりやすく演じている。是非私にも協力させて
しました。あなたは一つのおはなしをとてもわ
さんが、私の絵ばなしを見て「ものすごく感動
名前も知りませんでした。私はそのころペープ
い ま す。 も ち ろ ん、「 パ ネ ル シ ア タ ー」 と い う
髙 橋 私はまだ大学院生だったのですが、父
からとにかく観に来いと言われたことを覚えて
ても印象深いことでした。
ネルシアターを観て喜んでくださったのは、と
古宇田 髙橋良和先生は、児童文学の作家で当
時の児童文学界の重鎮でした。その方が私のパ
ていました。
り、父は「これは視聴覚教育の革命や」と言っ
髙 橋 一九七四(昭和四十九)年に、京都の
家政短期大学附属幼稚園(当時)で研修会があ
て、京都にも呼ばれるようになりました。
和先生にパネルシアターを気に入っていただい
ネルシアターを観せました。そのとき、髙橋良
和先生は記念講演をされ、私は子どもたちにパ
緒に、仙台の講演会に呼ばれたんです。髙橋良
不思議なご縁なのですが、そのころ私は髙橋
司先生のお父様(髙橋良和・児童文学者)と一
れるようになったのです。
それから、国際交流関係の講習会などにも呼ば
い機会かと思い、お受けすることにしました。
もたちが笑うことや国際的な活動をするには良
ですが、日本の子どもだけでなく、世界の子ど
ました。
古宇田 そうですね。おもしろいだけではなく、
白い世界だけでは表現できない夜の世界も考え
髙 橋 そのときには、もうブラックライトの
作品も考えられていたんですか?
一緒に作品を創っていました。
ら、発表する前に創っちゃおうと、松田さんと
て、作品を創る時間がなくなってしまう。だか
らせたら、みんな教えて欲しいと押し寄せてき
じつは、その一、二年前には、すでに作品は
創り始めていたんです。こんなすごいことを知
一九七三(昭和四十八)年のことです。
なくなり、「 パネルシアター」と名付 けました。
いったんです。そろそろ名前をつけないといけ
それで作品を創って演じたところ、絵を書い
た人形がどうしてくっつくのかと評判になって
Pペーパーとの出合いです。
織布しかないということになりました。これが、
自分たちの目指す絵ばなしをやるには、この不
レートにくっつくなんて今までありえなかった
も わ か り ま し た。 描 い た 絵 が、 そ の ま ま ス ト
です。さらに、不織布の両面に絵が描けること
同じ不織布どうしでくっつくことを発見したん
家でその財布に絵を描いてみたとき、両面とも
髙 橋
の反響は、とても良かったですね。
を指導して番組ができました。子どもたちから
シャンソン歌手だった中原美沙緒さんに演じ方
ことから、パネルシアターを取り入れるように
古宇田 歌手が、歌を歌っているだけでは子ど
もたちが楽しくない、とディレクターが言った
で、幼稚園や保育園での勉強会が増えましたね。
れば伴奏をしてやるよ」と言ってくれたので、歌
ディオンが好きだった兄が、「音楽の作品を作
あ そ び を 入 れ た い と 考 え て い ま し た。 ア コ ー
しだけでは子どもたちが飽きてしまうので、歌
しはしゃべる人が大変だということと、おはな
古宇田 仏教的な作品と、みんなが楽しめるよ
うな娯楽的な作品と、両方創りました。おはな
すか?
ここで、作品の内容についてうかがいたいの
ですが、初期の作品は仏教的な作品が多いので
記憶しています。
た絵が自在に動くことに、衝撃を受けたことを
そこでヒントを得たのが、一九六七(昭和四
十二)年当時、テレビで放送していた『トッポ
表現できるものが必要です。普通で考えれば影
にそのおはなしを伝えることができます。静か
えるようにしておけば、語りの雰囲気を壊さず
うんです。ところが、暗いところで絵だけが見
れに、ついついおもしろく言いたくなってしま
見えていると、荘厳さが伝わらないんです。そ
ので「これはすごい!」と松田さんも感動して、
そのあと、読売新聞が取材に来たことで、正
力松太郎賞をいただくことになりました。こん
サートをやっていたので、Pペーパーに描かれ
浮いて観えるのが不思議だ」と驚いていました。
なことでもらってしまっていいのかと思ったん
学習希望者に応じて、講演会や制作研修会を開催
な っ た ん で す。 歌 の お ね え さ ん で、 も と も と
取り上げられたのは、このころですか?
髙 橋 日 本 テ レ ビ の 子 ど も 向 け 番 組『 な ん
じゃ・もんじゃ・ドン!』でパネルシアターが
あそびを入れてみたら、それがいいということ
絵なのですが、実際にやるのは大変なんですね。
なおはなし、夜のおはなしには、暗いところで
れ以前に、『くもの糸』のような仏様のお
そ
はなしをしていたのですが、演者の顔が観客に
制作指導中
辛いお話になりますが、松田先生のこ
10
11
松田治仁氏
スペシャル対談
パネルシアターの40年を振り返って
とで、先生のお顔が一番曇られたときがありま
したよね。
古宇田 そう。一九八五(昭和六〇)年に、突
然交通事故で亡くなられてしまって……。
髙 橋 私が存じ上げているなかで、古宇田先
生から笑顔が消えたのは、そのときが最初で最
後のように記憶しています。
古宇田 そうですね。パネルシアターをやめて
もいいと思ったくらいでした。仏教的な絵、日
本の民話の絵……、松田さんのパネルシアター
パネルシアターの魅力と
普及活動
髙 橋 そんなパネルシアターの魅力を伝えよ
う と、 学 生 な ど の 指 導 に も 力 を 注 い で い ら っ
しゃいますよね。
古宇田 思い出されるのは、一九八三(昭和五
十八)年に、それぞれの大学でばらばらに研修
なすばらしい方と出会っていなければ、こんな
い、と言ってくれたのは光栄でした。あのよう
古宇田 偶然ですが、同い歳でした。松田さん
が、人形劇をやめてもパネルシアターをやりた
髙 橋 松田先生とは、年齢が同じくらいだっ
たのですか。
松田さんさえいれば、いまでももっといい作
品ができると思っています。
いい作品が創れたんですね。
と一緒に、作詞や作曲をしてもらっていたので、
ころだったのです。また、音楽家である私の兄
身には魅力がないかもしれないけれど、パネル
せてよ」と言って、寄ってきてくれます。私自
子どもの方から「おじさん、おもしろいから観
そういう世界に入ってしまったら、終わった
後は握手をしないと帰らせてもらえないのです。
す。
めて出合った世界に真剣にのめり込んでくれま
の喜びになりました。観客の子どもたちは、初
は、パネルシアターを演じている人間ならでは
と感想を書いてくれた子どもがいました。それ
のせたら、お地蔵さんがにこにこして見えた、
笠をおじいさんがお地蔵さんの頭にひとつずつ
郎』でも、北海道の人や沖縄の人がそれぞれの
古宇田 あのときびっくりしたのは、関西弁で
聞くおはなしのおもしろさでした。同じ『桃太
おほめの言葉をいただけたんです。
のそうべえ』の作品を披露した結果、先生から
髙 橋 あの研修会では、京都の参加者はかな
り緊張し ていました。ようやく のこと、『地獄
露しに行きましたね。
研修会の最後には、地域の幼稚園と保育園に披
も連れてきてくれて、一緒に研修会をしました。
橋司先生が、佛教大学の学生さんやその友だち
に行って絵づくりを手伝ってくれたんです。髙
お寺で合同研修会をしました。松田さんも一緒
うがお互いの勉強になるということで、鎌倉の
会をやるよりも、みんなで作品を観せあったほ
に続かなかったと思います。
(笑)。
髙 橋 それだけ魅力がありますね、あの作品
には。
の絵を評価してくれる人が、増えてきていたと
『かさじぞう』を演じたとき、最初、さみし
そうなお地蔵さんが立っていて、売れなかった
髙 橋 あの研修会から、佛教大学の学生たち
の作品づくりは勢いづきました。参加させてい
後に大人が紙芝居を観せてほしいということ
いと言ってくださるのです。お寺でパネルシア
シアターには魅力があるとよくわかりました
ネルシアターは、ただ単に伝達するだけではな
ただいて、本当に良かったです。
界ではないんだと気づきました。通常、法事の
言葉でしゃべってくれたら楽しいですよね。パ
くて、演じる人によって作品が変わっていくこ
古宇田 夜
を徹して、みんなで作品を創りまし
たものね。
は無いのですが、戦争で家族を亡くした人が、
古宇田 ブラックライトなどの表現を使うと、
大人の心にも響くものがある、子どもだけの世
とがおもしろいのです。
髙 橋 夜 の 一 時、 二 時 に な る と み ん な 眠 く
なってくるんですけど、そんなときに古宇田先
『一本の鉛筆』のパネルシアターを観せて欲し
なパッと目が覚め、また創り始めました。
ています。
ターを続けることは、私のライフワークになっ
古宇田 学生だからと『耳なし芳一』を観せた
ら、本当に怖いといってますます眠れなくなっ
髙 橋 深 夜 に 拝 見 し た『 一 本 の 鉛 筆 』
、この
作品にも衝撃を受けました。
「 僕 は こ う い う 風 景 を 見 て、 作 品 の イ メ ー ジ を
お寺に連れて行っていただいたのですが、その
た、とか言っていましたね。
古宇田 ある年の年末に、ラジオからいい音楽
が流れてきたんです。それが美空ひばりさんの
創るんだ」と古宇田先生がおっしゃったんです。
髙 橋 鎌倉の研修会で先生から教えていただ
いたことはもうひとつあります。お昼に近くの
戦争が無い世界がいいという『一本の鉛筆』と
こういうところに心を動かすということが大事
いう作品をたった三分で観せられるというのは、
と思っていた大人が泣いてくれたんです。そう
この『一本の鉛筆』という歌を作品にして演
じたら、パネルシアターは子どもが観るものだ
田さんが絵を描いてくれたんです。
たらいいなと想像が広がるんです。
あるところに農家があり、それをおはなしにし
古宇田 そうですね。東京にいると『かさじぞ
う』の世界は実際には無い、地方に行けば竹の
なんだなと、つくづく教えられました。
うちのひとつにわらぶきのお寺がありました。
いう歌でした。録音をして場面構成したら、松
松田さんの絵の力、ブラックライトの仕掛け、
好奇心があるかぎり、人生は楽しいのです。
パネルシアターがきっかけで、世界中を歩いて
それから音楽の持つ力なんでしょうね。
12
13
日本テレビ『なんじゃ・もんじゃ・ドン!』
中原美沙緒さんとアコーディオンの家入脩氏
生が作品を演じてくださって……。それでみん
大学交流合同研修会(1983年/於:鎌倉・光明寺)
スペシャル対談
パネルシアターの40年を振り返って
まわっています。普通、外国から「来てくださ
い」と言われることはなかなかありませんよね。
私は、幸せな人生を送らせてもらっています。
髙 橋 先生の好奇心は並外れていますからね。
それともうひとつは行動力です。先日も、京都
じる喜びなんですよね。買ったものだけで、こ
こまで心の交流ができるかはわかりません。
現実は、人間はそんなにうれしいことばかり
ではないんですけど、このようなことで解決で
るかと考えたら、すぐに創ってみるんです。
ターでブラックライトを当てて観せたらどうな
こ ん な き れ い な 魚 が い る、 こ れ を パ ネ ル シ ア
たらもったいないですよね。海に潜ってみたら
たとえば、だれだっておいしいお菓子を見た
ら食べたいと思うでしょう。そこで遠慮してい
またいい絵が描けるなと考えるんですね。
羽衣伝説のように天女が降りてきてくれたら、
古宇田 好奇心に導かれて行動したことを、絵
に描いたらいいんじゃないかな、と思います。
五月に泳いでこられる人はいないです。
めに、京都から天橋立まで足を延ばし、しかも
撮りに行くと、実行されました。夕陽をみるた
くなってし まいました。しかし、『 翼をくださ
ん で す が、 そ の う ち の 一 人 が、 一 カ 月 後 に 亡
す。その子たちはにこにこしながら観てくれた
に行って、パネルシアターを観せてあげたんで
や病気で入院している子どもがいる施設へ慰問
す。淑徳大学の学生たちが、障害のある子ども
うな作品を創ると、歌いながら演じられるんで
古宇田 もちろん、絵本や紙芝居でもそういう
世界を描けるのですが、『翼をください』のよ
つことは、忘れてはいけない大切なことですね。
笑顔にすること、温かい思いやりの気持ちを持
本当に大切な時代だと思います。子どもたちを
宇田先生がおっしゃるように、今、児童文化が
ください」という言葉が記されていました。古
「これからは児童文化の時代です、がんばって
髙 橋 私の大学院の恩師が亡くなられて十年
経つのですが、病室で書かれた最後の年賀状に
り込めればいいんです。
ら保育や教育など、、少しでも成長する場に入
貼ってもらうとか、それぞれの得意なところか
あげようとか、影でセリフを語るから他の人に
古宇田 どうしても自分は人前で話すのは苦手
だと思う人は、エレクトーンやギターを弾いて
イコール「パネルシアター」と言っても過言で
ことは、なによりも先生の人間性そのものが、
髙 橋 パネルシアター委員会をやらせていた
だいて古宇田先生と改めて身近に接し、感じる
いう人が増えてきたんですね。
らも、パネルシアターを自分の特技にしたいと
たくなってしまうようなんです。そういう点か
児童文化の時代です
髙 橋 それが、パネルシアターをやってみた
い、と思わせる力なのかもしれませんね。
きる部分があります。
「つまらないことで悩ん
い』を見たからあの世に翼をつけて行ってきま
先生になる人や子どもに伝える仕事をしてい
く人は、演じることを楽しめないといけません。
古宇田 私
自身は、広めて欲しいと言ったこと
はないのですが、みんなパネルシアターをやり
でいたときにパネルシアターを観たら、それが
すと、本人が喜んでいたそうなんですね。この
子どもが、明日またなにかやってくれるよねと
公演の間の一日に、すぐさま天橋立まで夕陽を
いかにばかばかしいかを感じました」という、
ように言ってもらえるのは、自分で創るから感
動きのあるパネルシアターを喜んでくれていま
もったいないと思っています。世界中の人が、
だけがパネルシアターを演じて喜ばれるなんて
みんなそれぞれ、特技はなにかあるはずです。
それを、表現しなさすぎています。私は、自分
て考えてみると、人生が楽しくなる。
入って、少し自分の範囲で歩き出す。そうやっ
と特に日本人は遠慮しがちですよね。真似から
かしいんじゃないか、いけないんじゃないか、
うが、楽しいと思うんです。これをしたら恥ず
ずかしがらずに自分の世界を表現していったほ
に観せて指摘してもらったりしてください。恥
古宇田 パネルシアターをやってみたいと思っ
たら、少し下手な絵でも描いてみたり、友だち
それだけに人前で演じたり歌ったりするのは、
照れ屋の人には抵抗があります。
はないことです。
感想をもらうことも結構あるんですよ。
言ってくれば、また明日も楽しく演じてあげよ
う、いい作品を創ってあげようと思うはずです。
人間は、翌日また出会ったときにお互いの成
長した姿を見せ合うことがいい刺激になるし、
それがうまくいかなかったときの辛さも人生で
す。それをお互いに伝い合えるなら、もっとい
いことです。無関心で生きていると、他の人の
ことを考えないので戦争になってしまいます。
お互いについて考えるということで、戦いが減
るんだと思います。
髙 橋 私は先生にパネルシアターを教えてい
た だ い て、
「 リ ズ ム 」 と「 間 」 と「 テ ン ポ 」 が
大切だと思っているのですが、実際は、演じる
人の心そのものが創り出すものなんですよね。
す。お互いに自分の楽しさを主張しあえば、み
じる人のやり方に目がいってしまう部分もある
大きいのですね。だけど、パネルシアターは演
るのです。工夫することによって、世の中が楽
どうなっているんだろうという向学心につなが
色でも数でも、パネルシアターだと自然に楽
しみながら理解ができるのです。楽しむことで、
るし、観た子どもたちも触ってみたくなります。
した。子どもたちの原風景づくりに、先生にも
の珠玉のお言葉をちょうだいすることができま
年の節目に、創案者の古宇田先生からたくさん
髙 橋 今日は、貴重なお時間を本当にありが
とうございました。パネルシアター誕生四〇周
ますね。
んなで楽しい世界が広がるんじゃないかと思い
のです。
しくなるんだろうということだと思います。
まで以上にパネルシアターに取り組んでいきた
古宇田 演じる人の人間性を全部出そうとして
も、紙芝居や絵本だと脚本にとらわれる部分が
髙 橋 同じ作品でも、演じる人によって違う
のが魅力ですよね。
髙 橋 最後になりますが、パネルシアターを
愛する人たちへ、先生からメッセージをいただ
いと思います。
ますますご活躍いただき、私たちも負けじと今
夫することによって、観たくなったり夢が開か
けますか。
古宇田 そうですね。普通に絵を見せる場合も
あるけれど、ずらして貼ったり裏返したり、工
れてきます。簡単だから大人は演じてみたくな
14
15
ジャパンハート小児外科病院の要請による火傷の対処についての医療
指導(2009年/ミャンマー・浄土宗報恩明照会支援小学校開校式にて)
パネルシアターの世界
白いパネル板の上を 絵 人 形が 自 在に 動 き まわり、おはなしや 歌 が 進 むにつ
れ、観客はどんどんその世界に引き込まれる……。一度観ると、子どもから大人
まで、誰もが魅了されてしまうパネルシアターの世界について、ご紹介します。
キリスト教の布教を中心として世界各国で実演され
ていたのである。
その基盤となったのは、貼り絵の手法である。毛
羽立ちの良い布(フランネル地)を板に貼って舞台
開して行う表現方法である。
したりして、おはなしや歌あそび、ゲームなどを展
ネル板に、絵人形(または文字など)を貼ったり外
宇田亮順が創案した新しい児童文化財で、布地のパ
パネルシアターは、一九七三(昭和四十八)年に
児童文化研究家・浄土宗西光寺(東京都)住職の古
料 用 芯 地 や、 工 業・ 土 木 な ど の 各 種 産 業 資 材 と し
古宇田は、なんとかこの点を改善できないかと、
長年試行錯誤を重ねた結果、ようやく「不織布(衣
る、という欠点も併せ持っていた。
い。そのうえ、裏返しができない、重くなると落ち
こ す り、 条 痕 を つ け て 毛 羽 立 た せ な け れ ば な ら な
かカミソリの刃の角、ビンの王冠などで同一方向に
短所があった。厚手の紙の裏面を、サンドペーパー
パネルシアターの誕生
となるパネル板を作り、紙に描いた絵人形の裏にも
て使用されていたもの)」と出合い、舞台用の布切
ただ、このフランネルグラフは、創り手にとって
手間のかかる裏打ちをしなければならない、という
同様の布を貼り、両者のひっつきを利用して舞台に
(フランネル等)に磁石のように付着するというこ
れば、
「フランネルグラフは、世界の視聴覚教育界
法人キリスト教視聴覚センター、一九六一年)によ
『フランネルグラフ』
(山田稔・清水建至著、社団
前で活用されていた。
Sテックの130番〈標準厚〉、180番〈厚口〉
以 下、 こ の 不 織 布 を パ ネ ル シ ア タ ー・ ペ ー パ ー
(以下、Pペーパー。Pペーパーは三菱製紙のMB
る。
化 財 と し て、 パ ネ ル シ ア タ ー を 誕 生 さ せ た の で あ
じょうこん
絵 人 形 を 貼 っ て、 お は な し を 展 開 し て い っ た も の
とを発見し、限りない可能性を持った新しい児童文
では、アメリカ、イギリスなどで特に発達していま
が適している)と呼び、舞台用の布をパネル布(日
えばなし
で、
「フランネルグラフ」
「ボントン絵話」という名
すが、どのような未開の国でも用いられてない国は
本不織布3150番が適している)と呼ぶ。
パネルシアターは、子どもにも手軽に活用できる
ということから、“大人が与える”というだけでな
ないというほどに広く普及している教材」であり、
パネルシアターの特徴
て利用価値には幅がある。(中略)幼児・児童の情
児童文学者の髙橋良和(一九一一〜一九七七年)
は、「パネルシアターの世界は実に大きく広くそし
の交流の手助けとなるようなものが多く生み出され
すく理解してもらえるような作品や、子どもたちと
初期のパネルシアターは、古宇田が浄土宗の住職
であるということから、仏教教義や説話をわかりや
広がる活用の場
①軽くて丈夫。
操教育に大きな役割を果たすものである」と述べ、
た。やがて児童音楽協会、道潅山学園保育福祉専門
く、“子ども自身が創造できる”文化財でもある。
②両面に絵が描ける。
「パネルシアターは視聴覚文化財の革命である」と
Pペーパーの発見により、パネルシアターは、
③それがそのまま付着する。
開催されるようになり、全国に広まっていった。読
教化、布教など、幅広い分野で活用されている。
察署、消防署、子ども会、国際交流、子育て支援、
校、特別支援学校、福祉施設、児童館、図書館、警
をかけた。今では幼稚園、保育所はもとより、小学
療育相談』などで取り上げられたことも普及に拍車
さんといっしょ』、NHK教育テレビの『こどもの
という三つの基本的な特徴を持つことになるが、
その他に、パネルシアターの特徴として次のような
が紹介され、各地の教育・保育の場で公開研究会が
学校、フジテレビ教育事業部などでパネルシアター
パネル布
記している(古宇田他 前掲書)
。
難民キャンプ訪問打合せ会(タイ)
売テレビの『ロンパールーム』、NHKの『おかあ
④絵に動きがあること。
⑤同じ絵でも貼り方によって異なった見方ができ
ること。
⑥絵を移動することにより位置の交換や組み合わ
せができること。
⑦瞬間的な場面転換ができること。
⑧トリック(例えば、重ね貼り、窓開き……)が
できること。
⑨演者が舞台の裏に隠れることがないので、観る
人 と の 間 に 強 い 親 近 感、 一 体 感 が 生 ま れ る こ
と。
などである。
(
『こうざパネルシアター』古宇田亮順、阿部恵共
著・大東出版社・一九八一年)
小学2年生・算数の授業
16
17
Pペーパー
ものが挙げられる。
フランスの幼稚園でのパネル指導
海外からのパネルシアター短期留学
パネルシアターの種類
現在パネルシアターには三つの手法が考えられ
ている。
①白パネル
白いパネル布を貼った舞台のことである。通常
は明るい場所で行うもので、絵人形の動きや位置
から奥行きを感じることができており、背景の移
り変わりについて観客が自由に想像を膨らませる
ことができる。明るいということから、観客の反
応を見て演じることができ、手あそび、クイズ、
③影絵式パネル
パネル布:付着力のよい布地で、舞台に使う。
Pペーパー:絵人形に使う不織布。
し出すものである。作品の幅が限りなく広がる。
の映写機などで光を当てて影絵的な透視効果を醸
角材やスチールなどで作ったしっかりした枠組
みに白いパネル布をピンと貼り、裏からスライド
舞台を組み立てる
歌あそび、おはなし、ゲーム、マジックなどに適
している。
演者は、黒や紺の服を着用することが望ましい。
囲気を醸し出すことができる。ブラックライトの
絵が美しく、夜空や宇宙などの幻想的な独特の雰
大切である。暗闇の中で浮き上がったように光る
蛍光灯を当てる。会場は、暗転にしておくことが
作用の強い紫外線を発生する特殊蛍光灯)という
ト(正式にはブラックライトランプという。蛍光
黒いパネル布を貼った舞台で、絵人形は蛍光ポ
スターカラーや蛍光ペンで着色し、ブラックライ
②黒パネル(ブラックライトのパネルシアター)
机
絵人形の作り方
絵人形は、ポスターカラーや水性絵具で着色し
(クレヨン・クレパスは、Pペーパーやパネル布
を汚す可能性があり相応しくない)、切り抜いて
創る。
型どりができると着色するが、遠くからでも観
やすいようにしっかりとした色づかいで着色する
ことが大切である。そのあと、再び油性のマジッ
クペンではっきりと縁取りをする。この縁取りが
パネルシアターの命である。太すぎると縁ばかり
が目立つし、細すぎると白の舞台に貼っていると
いうことで色彩が生きてこない。太からず細から
ずということで、3ミリから4ミリ位の太さで描
くとよい。
絵が完成したらはさみで切り取るが、細かい部
分については絵に沿って切り取るのではなく、少
し余裕を残して切り取る。なぜなら、細かな切り
取りは角が折れ曲がる危険性があるからである。
少 し の 余 白 は、 白 い 舞 台 に は 目 立 た な い。 た だ
し、例外的に余白を残さない場合もある。それは
重ね貼りをする場合である。重ねた上の絵人形に
余白があると、余白が余白として目立つからであ
る。
裏と表と違った絵を描く場合、裏の絵が表に透
けるときがある。この場合は、厚口のPペーパー
を二枚重ねてボンドで貼りつけるとよい。
黒パネルの作品は、余白を残しておくとそこが
青く光るので、余白は黒く塗りつぶさなければな
らない。
できあがった作品は、空き封筒などで保存して
おく。袋の表にはタイトル、絵人形の種類、制作
年月日などを記入しておくとよい。
18
19
Pペーパー
以上の三種が現在考えられているが、作品に応
じて使い分けることが大切である。
大学授業の一コマ
パネル板
ブラックライトのパネルシアター『二河白道』
適当なパネル板やイーゼルが用意できないときは、移動
用黒板やホワイトボードなどを利用し、パネル布をクリッ
プや磁石などで貼りつける。
※2011年1月現在、影絵式パネルの舞台
の販売はありません。
イーゼル
▼
▼
▼
▼
⑨音楽の良さを取り入れる
文責:髙橋司
てしまうと、画面が雑然となる。常に剥がすことも
⑥バランス良く貼る
考えておくことが大切である。
①演者は舞台に向かって右側の袖に立つ
絵人形を貼る位置、全体の構成、安定性のある貼
り 方、 絵 人 形 と 残 り の 空 間 の バ ラ ン ス に 留 意 し た
演じ方
右利きの人は舞台に向かって右側、左利きの人は
左側に立って演技する。左側に立って演技する場合
い。
⑦絵人形に細かな動きを求めない
は、舞台下手から出てくる方向に絵人形を描くこと
が大切である。
②演者は黒子ではない
⑧トリックを使い過ぎない
舞台に貼った絵人形は、台詞の度に動かさない。
絵人形の細かな動きは演者が補うとよい。
絵人形はさまざまな表情を持つことになる。
パネルシアターにおいてトリックは魅力的なもの
であるが、使い過ぎは禁物である。ここぞというと
パネルシアターは、舞台と演者の両者によって構
成される。演者の人間性やキャラクターによって、
③利き手で貼る
ある。
位置から遠くまで手を伸ばして貼る必要はない。速
アコーディオン、ピアノ、
ギター、キーボードといった
きに使ってこそ、トリックで
少しでも死角を無くすためにも利き手で貼る。た
とえば、右利きの人が左手で貼ると背中を向けるこ
やかに貼って所定の位置に戻り、演技をする。
楽器を使うのも一考で、効果
とになるので気をつけたい。中腰で貼ったり、横の
④絵人形は台詞・歌詞の少し前に出す
る。
▼
音なども適宜使うと効果があ
絵 人 形 は、 台 詞 や 歌 詞 の 少 し 前 に 出 す こ と に よ
り、みんなでおはなしや歌を共有できるので、わか
りやすくなる。
▼
現在考えられている13の主な「トリック」を以下に記す。
20
21
たとえば、人と影といった場合、通常ひとつの絵で表されるが、別々に描いて組み
合わせる。
3 組み合わせ
同一の絵で左右の変化なら、1枚のPペーパーの表と裏の両面に絵を描く。異なっ
た絵の場合、2枚のPペーパーに描いた絵を貼り合わせる。
1 裏返し
絵人形の上に重ねて貼りたい場合、上に重ねる絵人形の裏にパネル布を裏打ちする
と、重ねて貼ることができる。
2 重ね貼り
⑤貼るタイミングと剥がすタイミングを考える
パネルシアターの特徴のひとつに「トリック」がある。
貼ることばかりに気を取られて剥がすことを忘れ
基本のトリック13
▼
▼
▼
▼
▼
▼
▼
▼
口を動かす、手足を動かすといった場合に、別々に描いたものを
糸で繋ぐ。
6 引っ張り
白い糸を利用して(黒パネルのときは黒い糸)、たとえば山の後ろから太陽を引っ
張り出す。
▼
▼
▼
表裏側面を貼り合わせ、手を入れて人形劇のように使用する。
▼
11 人形パネル
Pペーパー2枚でポケットを作り、その中から絵人形を出す。
5 糸留め(動作づけ)
切り込みを入れて、出し入れする。
▼
10 切り込み
4 ポケット
同じ絵人形を重ねておいて、瞬時にずらす。
▼
9 スライド
たとえば風車を回すとき、滑車を絵人形の裏に貼り合わせ、糸を舞台の後ろに垂ら
しておき、引っ張って回転させる。
7 窓開き
光を蓄えて暗闇の中で光を放つ。ブラックライトの明かりを
消したあと、それまでに見えない画像が現れる。
8 かぶせ
▼
ポケットの逆で、帽子をかぶるときなどに利用する。
▼
13 蓄光シールの活用
▼
窓を開く、口を開けるといった場合に、別々に描いたものをガーゼでPペーパーを
繋ぎ合わせる。
▼
▼
12 回転
23
22
参考図書:『だれにでもできるパネルシアター』 浄土宗発行
写真資料:『お寺でパネルシアター』パネルシアター委員会発行
今から八五〇年以上も昔の事です。
みまさか
ときくに
漆間の時国という
うる ま
岡山県の美 作 という村に、
武士の家がありました。
今なら、警察署のような
地域警備の仕事をしていましたが、
その家には子どもがいないので、
村の人達が
不思議な事も
「どうした事だ。
あるものだ」
と騒いでいました。
赤ん坊の声が、
時国の家の中から
その時、
紫の雲が
せい し まる
子どもの名前は、
勢至丸と名づけられました。
小さいときから良く勉強し、
武道にも励み、
外では友達と良く遊ぶ、
元気な子どもでした。
黙って見ていられない、
いじめられるのを
でも、小さい虫や弱い子どもが、
念願の赤ちゃんが
頭を丸めて
探しました。
みんなが救われる道を
学問に打ち込めない人も、
弱い人も、
繰り返し読み直し、
大切な仏教教典を
厳しい修行を重ね、
遠く比叡山に登って
も別れ、
十三歳の時に優しい母親と
その勢至丸が九歳の時、
お父さんの時国が、
敵の夜討ちにあって
深い痛手をおって、
倒れてしまいました。
くまがい じ ろうなおざね
悩みをもって
という人まで
相談に
熊谷次郎直実
深く入り込んでいきました。
参りました。
お念仏の教えは、戦乱や病気で
弱そうな人ばかりでなく、
悲しくなりました」
しなくてはならないのか、と
こんなみにくい事まで
戦いというものはなんて残酷な事だ、
斬ってしまったときは、
平 敦 盛 という武士を
たいらのあつもり
自分の子どもと同じ年の若者で、
たくさんの敵を討ち負かしたのに、
強い強いとほめられ、
「多くの人から、
最強の武士といわれた、
源平の戦いで
たとえば、
深く関心をもたれました。
もちろん強そうな人からも
苦しんでいた庶民の心に
誰もが救われる、やさしい
大変な被害にも遭いましたが、
迫 害 に あ っ た り 邪 魔 を さ れ た り、
すぐには理解されず、
この新しい教えが
しかし、当時の人々には
心の優しい人でもありました。
生まれたのです。
(一一三三年)四月七日、
長承二年
そうです、
聞こえました。
かかりました。
その家の上に、
不思議な事に
春のある日、
とても寂しい思いでした。
そして、
その雲の中から
二枚の白い旗が、
ほら!
仏教を学ぼうと決意した
修行の道に
そして遂に、
それまでの学問や
修行方法とは違った新しい道、
すなわち、
ひたすら浄土を信じ、
お念仏を真心から称える
生き方を確立したのでした。
そして、
③
入る事にしました。
勢至丸は、
すすめもあって、
またおじさんの
父の遺言に従い、
ひらひらと舞いおりてきました。
探しておくれ」
どうかその真実の道を
見つけ出す事ができるはずだ。
人間の正しい生き方を
賢いお前なら、
別にあるような気がする。
幸せになれる方法が
人間がみんな
そんな殺し合う事の他に、
お前もまたねらわれる。
お前が仇討ちをすれば、
もう戦いはしないでおくれ。
「いやいや、
必ず私がかたきを討ち ま す か ら 」
「お父さん、しっかりし て 下 さ い 。
という勢至丸に向かっ て 、
と言って、
父の時国は
④
⑤
24
25
法然さまという名前を
いただきました。
⑨
⑥
⑩
⑪
⑧
絵 松田治仁
法然さま
①
②
クルリ
作 古宇田亮順
息をひきとってしまい ま し た 。
⑦
ビジュアル実演
馬上では後ろ向きに
「考えてみれば、
多くの人々を殺した自分は、
地獄に落ちてしまう
極悪人です。
心の中が
⑭
帰依するようになりました。
いつかお念仏の道に
教えの深さに感動し、
お人柄や話し方、
立派な法然さまの
邪魔をしていた人達も、
初めはお念仏に反対し、
称えたという事です。
平気でお念仏を
それでも直実は、
とひやかされました。
落っこちる!」
「反対だ! 反対だ! 馬から今にも
見物の子どもからは、
苦しくてたまりません」
と涙ながらに
訴えました。
西方に向かって合掌するため、
西から東に向かう時さえも
その後出家した直実は、
スルリ
なっていました。
⑲
スルリ
お念仏を
「さあ、私と一緒に
申しましょう」
と静かに
諭されました。
そして直実は 、
頭を丸め
白衣に着がえ 、
お念仏の道に
励むように
⑫
⑬
全国にそして国外にも
基点として
すると法然さまは、
「戦いの場では
勝つか負けるかで、
勝たねば自分が
殺されるだけです。
敵とはいえ人を傷つけ
殺してしまった事を悲しみ、
深く反省し、心の底から
阿弥陀さまにおすがりし、
ひたすらお念仏をお称えすれば、
必ず極楽に向う道が
建てられました。
京都に知恩院が
その中心道場として
ますます高まり、
お念仏の大切さが
亡くなられましたが、
八〇歳で
法然さまは
開かれるはずです」
その後、総本山知恩院を
⑮
お念仏が広がっていきました。
26
27
⑯
㉒〈おわり〉
クルッ
⑳
㉑
ペタ
なりました。
⑰
⑱
ペタ
カンボジア難民キャンプで初の国際活動
(古宇田・全日本仏教青年会)
1974
1973
『楽しい絵ばなしと歌あそび パネルシ
アター』(大東出版社)出版祝賀会
幼児教育サマースクール
1980
1974
1978
京都府青少年教化協議会研修会
『パネルシアターのうた
第2集』
(大東出版社)
1975
作る1』
『パネルシ
アターを作る2』
(東
洋文化出版)
鶴田亘弘氏のハーモニカ演奏で影絵式パネ
ルシアターの実演(於:私学会館)
1982
1981
『パネルシアターのうた
第1集』(大東出版社)
松田治仁氏の絵による
株式会社ピタカの試作品
1980
1979
1981
1978
1977
1982
1977
1977
1976
1975
1974
1977
1973
40
パネルシアターのあゆみ
『パネルシアターを
新聞記事と写真で見る
1980
1978
パ ネ ル シ ア タ ー 誕 生 か ら 今 日 ま で の 年 を、 新 聞 記 事 と 写 真 で 振
り返ります。草創期から現在までに出版された書籍や公演の写真、
1980
活動を取り上げた記事など、時系列で紹介します。
1 972~1 982
1972
1975
ア コ ー デ ィ オ ン・ パ ネ ル シ ア
ター合同研修会
マレーシア公演(古宇田)
仏教青年大会(500人参加)にて『少
女の贈りもの(貧者の一灯)』を公演
1975
『手づくりのパネルシア
ター』
(大東出版社)
古宇田亮順第五回正力賞
受賞祝賀会
29
読売新聞
1981年4月8日付
「つくる」展
(於:日本橋高島屋)
朝日新聞1977年4月17日付
全国紙にパネルシアターが紹介
され、以後テレビや教育研修会
などに招かれるきっかけになる
近畿テレビ(東京12チャンネル)で
『少女の贈りもの』ほか実演
28
1 983~1 992
1989
1989
1989
1985
1983
『児童文化Ⅱ』
(佛教大学通信教育部)
カンボジア公演(東京教区浄土宗青
年会「いのちの募金」プロジェクト)
1989
初 心 者 のための パ
ネルシアター講習会
(於:小田原)
古宇田・武智・たけとんぼ)
1983
朝日新聞1989年8月27日付
淑徳大学、大妻女子大学などの活動も、
併せて日曜全国版で紹介される
1992
1991
1990
1992
モンゴル公演(大倉山
アソカ幼稚園)
パネルシアター研修会(於:小田原)
スリランカ公演(大倉山アソカ幼稚園・
1989
『学校におけるレクリエーション教育』
(滋賀県学校レクリエーション研究会)
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1987
1991
1987
韓国の幼稚園指導書
『話し方・聞き方』(内院精舎幼稚園
〈韓国〉
)
1992
1991
1988
1991
第7回キリン劇あそびフェスティバル
『手づくりのパネルシア
ター 1』
(東洋文化出版)
1987
『パネルシアター ピク
ニック』
(大東出版社)
『あつまれパネルシ
『パネルシアター くも
の糸』
(大東出版社)
ア タ ー』
(東洋文化
出版)
『ことばあそび・うたあそび パネ
ルシアター』
(東洋文化出版)
31
ブータン公演(東京教区
浄土宗青年会「いのちの
募金」プロジェクト)
30
1 993~1 999
1998
1997
1994
1994
1993
浄土宗新聞1994年10月1日号付
佛教大学四条センター「遊びの寺子屋」
にて公演
『保育にいかすパネルシアター』
(アイ企画)
『大法輪 1998年6月1日号』(大法輪閣) 1998
1999
1994
『たのしいパネルシアター』
(大東出版社)
モンゴル公演(古宇田)
ゲルの中でモンゴル語を
使っての公演
1999
1998
1999
『パネルシアター百科 』
ドイツ労働者党の児童施設にて公演
1997
1996
1995
1994
1995
1999
(四恩社)
1999
ドイツ公演(武智)
ネパール公演(古宇田・武智)
日本語学校や孤児院、小学校を巡回し公演
イスラエル・ガザ
公演(武智)
ガザ地区のパレス
チナ難民キャンプ
にて公演
カンボジア公演(武智・
大妻女子大学パネルシア
ター部 OG)
大正小学校、プノンペン
子ども図書館、小学校、
中学校を巡回
1999
『だれにでもできるパネルシアター』
(浄土宗)
1996
1993
1995
『ブラック
パネルシア
タ ー』( ア イ
企画)
1996
ビデオ『パネルシアター はじめ
浄土宗新聞1999年5月1日付
33
の一歩』
(紀伊國屋書店)
文部省選定の初心者ビデオが発売
『パネルシアター 保育・
実践講座』
(大東出版社)
32
2000~2005
2002
2003
2004
2000
2000
浄土宗新聞
2000年11月1日付
日本子ども文化学会創立記
『わくわくドキドキ英語でパ
ネルシアター』(アイ企画)
フィリピン公演
(武智)
モンテッソーリスクー
ル2校を巡回公演
2004
パネルシアター5人会(第2回)
2003
2001
『夢がふくらむブラックパ
ネルシアター』
(アイ企画)
2001
2003
ドミニカ共和国
公 演( 古 宇 田 )
村のキリスト教
教会での公演
浄土宗新聞
2004年10月1日付
2005
2005
2004
2005
念第1回学会発表会
2003
オーストラリア教員研修会(於:
東京都・西光寺)
2001 〜 2004年に開催
ルーマニア公演(武智・JOCV)
幼稚園・小学校で日本文化を紹
介する
2002
2001
2002
2005
『江津市人権感覚育成モデル事業
平成14年度』
(江津市人権感覚育
成モデル事業実行委員会)
2000
2002
2005
『動作教育のためのパ
ネルシアター』
(創始
社〈韓国〉)
海外では初となるパネ
ルシアター本の出版
2005
浄土宗新聞
2002年10月10日付
読売新聞九州発2007年4月7日付
太宰府市民図書館開館20周年記念公演
(なむなむ)
浄土宗新聞 2005年10月1日付
35
2002
中外日報
2005年5月19日付
浄土宗児童教化連盟
副理事長郡島晨定氏
らと津波被害のスリ
ランカ南部の海岸を
訪問
グアム新聞
2005年3月3日付
グアムでの教育活動が認
められ、以降、ほぼ毎年
1回訪問
オーストラリア公演
(武智)
ブリスベンのチャイ
ルドケアセンターで、
子どもの心のケアを
テーマに公演
34
2006~2010
2009
2009
2009
2007
2007
2006
2009
グアム公演(古宇田)
『 パ ネ ル シ ア タ ー』
(布布創芸館出版〈台
湾〉)
『DAN パネ団の元気
いっぱいパネルシア
ター』(アイ企画)
2009
浄土宗新聞
2009年10月1日付
2009
『実践講義パネルシ
『乳幼児のことばの
世界』(宮帯出版社)
『実習に役立つパネ
ルシアターハンド
ブック』
(萌文書林)
アターはじめよう』
(アイ企画)
2006
2007
ミャンマー公演(武
智)
寺子屋支援事業
(
(財)浄土宗報恩明
照会主催)による小
学校の開校式と日本
語学校などで公演
パネルシアター誕生
35年記念パーティー
2009パネルシアター
フェスティバル(於:
石川)
『お寺でパネルシア
ター』
(浄土宗)
2010
2009
2010
2010
2010
2008
2007
2008
2006
2008
『児童文化と保育』
(宮帯出版社)
韓国公演(古宇田)
公演後、子どもたちとハ
イタッチで交流
浄土宗新聞2010年4月1日付
公開講座 お寺でパネルシアター
(於:増上寺)
2010
韓国公演(古宇田)
水原市保育園児大会
37
『わくわくいっぱい
パネルシアター』
(大
東出版社)
2010
『パネル法話 イラスト集
〈CD-R〉
』
(浄土宗総合研究所)
2008
2008
『教化研究 第19号』(浄土宗総合
研究所)
浄土宗新聞
2008年12月1日付
36
楽しくふれあう喜びを感じながら
私が初めてパネルシアターという言葉を聞
パネルシアターの活動というと、最
いたのは、1973年2月、日本レクリエーショ
初に頭に浮かぶのは2002年から毎年4
ン協会の上級指導者研究会のプログラムを見
月に行っている「パネルシアター5人
たときでした。
会」です。古宇田亮順先生・関稚子先
「パネルシアター」
。そのときは、誰に聞い
生・藤田佳子先生・月下和恵先生と私
ても首を横に振っていました。そして、御殿
の5人が集まって、研修会を開いてい
場の研修会場でパネルシアターを見たときの
ます。定員450名の会場がいつも満席
ます。5週に渡る講義で約20作品を紹
驚きは、皆さんと一緒です。「なぜ絵が貼り
で、しかも、例年申し込み開始から1
介し、春休みに作品制作の課題を出し
つくの? どうして絵が変わるの? どこか
週間くらいでお断りする人が出てくる
ます。2作品の課題ですが、たいてい
ら出て来たの?」そして、いつの間にか一緒
たり、依頼があれば公演などに行っていまし
ほどの盛況ぶりです。北は北海道から
は4〜5作品の提出があります。毎年、
に歌っている自分がいるのが不思議でした。
た。1985年からは、教室に来るのに道具の準
南は沖縄や台湾まで、多くのパネルシ
先輩たちの努力を目の当たりにしてい
その晩は、深夜まで古宇田亮順先生の宿泊室
備がいるので、書籍・絵の具・Pペーパーな
アター愛好家の方が集まってください
るので、1カ月くらいの休みに1人で
で話し込み、最後に「今度、新幹線が博多ま
どを当会で用意して、手ぶらで参加できるパ
ます。1年に1度の会ですから、まる
10作品以上も作る学生もいます。学生
で開通します。その新幹線で博多に来てくだ
ネルシアター制作教室を市民センターで原則
でパネルシアター愛好家の同窓会のよ
には、卒業後、「学生のときにもっと
さい」とお伝えしました。これが私のパネル
月2回の教室を始め、現在に至っています。
うです。初めて参加された方からは「パ
一生懸命作っておけばよかった」と
シアターとの初めての出会いです。そしてこ
1986年から始まった福岡市の新任教職員の
ネルシアターの熱気に圧倒されまし
言っても共感しないと話しています。
の年が、九州に新幹線とパネルシアターが
宿泊研修で、雨天時のプログラムとして用意
た。また来年、必ず来ます」「5人が
その裏には「勤めると忙しくて、作り
渡ってきた年となりました。
していたパネルシアターを見せたところ、雨
それぞれ違った個性で本当に楽しめま
たくてもできなくて」ということばが
その後、軽井沢や榛名湖、秩父などで行
が降らなくても初任の先生に見せてほしいと
した」など、多くの声が寄せられます。 潜んでいるからです。やる気のある人
われたパネルシアターの研修に参加しまし
のことで、それ以来、福岡市の先生にパネル
この5人会も来年は10周年。また、多
は在学中にも作り続けますし、勤めて
た。福岡では、レクリエーションスクールの
シアターを最低1回は見てもらっています。
くの方と出会えると今からわくわくし
からも、いくら忙しくても時間を見つ
仲間や保育士などの同好の士が次第に集まり、
また1987年から国立夜須高原青少年自然の家
ています。
けて作っているからです。
1976年に「福岡パネルシアター研究会」
(2010
で2泊3日の制作合宿も始めました。この合
本務の道灌山学園保育福祉専門学校
全国のさまざまな研修会に呼んでい
年度登録者数18名)を立ち上げました。
宿は、2007年まで続けていました。2008年か
でも、パネルシアターの指導をしてい
ただくと、熱心な先生方にたくさんお
当初は公民館に集まって合同で作品を作っ
らは「パネルシアター九州4人会」をスター
会いします。
「パネルシアターがなく
トさせ、定期的に活動しています。
ても保育はできますが、パネルシア
ターで楽しい保育ができます。パネル
シアターでも保育全体を考えることが
個人で、グループで、大学で、形はさまざまですが、パネルシアターの活
動に力を注いでいる方々が大勢おられます。日本各地に広がる活動家たちに、
九州での普及に奔走
活動内容をうかがいましたのでご紹介します。
阿部 恵 道灌山学園保育福祉専門学校保育部長
活動家紹介
活動家紹介
中島 宏 「九州あそびの研究所」所長
できます」とお伝えしています。
プロフィール
活動開始:1976年6月
活動実績:
第3回パネルシアター九州4人会
日時 2010年6月
場所 博多小学校表現の部屋(160人)
39
プロフィール
活動開始:1973年秋
活動実績:年間50 〜 60カ所くらいの研修会の講師。
日本仏教保育教会や浄土宗をはじめとする各宗派の
保育研修会の講師。学研・チャイルド本社・ひかり
のくに・小学館・フレーベル館・メイト・東洋文化
出版よりパネルシアター関係の著書35冊。
38
活動家紹介
月下 和恵 淑徳幼児教育専門学校講師
運よく出会えた奇跡に感謝
よし こ
藤田 佳子 淑徳短期大学専任講師/パネルシアター研究会「TEP」代表
パネルシアター劇団「ちちんぷい」主宰 「笑顔の電波」を広げたい
私が幼稚園教諭になるために入った保育学
笑顔で挨拶をすると、笑顔が返ってきます。
校で、古宇田亮順先生と出会ったことがパネ
そんなとき、心が温かくなりますね。笑顔は
ルシアターとの出会いです。パネルシアター
人間だけができる表情だといいます。笑顔は、
を見たとたん、「これってすごい!」とその
α波を脳に発生させると同時に、免疫細胞を
魅力にとりつかれ、次の授業にすぐ作品を
も活性化させるそうです。心・体・脳の機能
作っていき、古宇田先生をびっくりさせたこ
に好影響を及ぼす笑顔は、文字通り心身とも
とを思い出します。
に健康となり、学習効果も上がる妙薬なので
私の代表作となった『カレーライス』
『お
す。その「笑顔」を見る側も演じる側も自然
ばけなんてないさ』は、学生のときに作りま
とにたくさんの作品を発表、発刊できるよう
に交わし合っているのがパネルシアターで
楽しさ、素晴らしさを伝えたい」と思ってい
した。初めは、幼稚園教諭をしながら夏休み
になりました。
す !! その「笑顔パワー」は、それまでも十
ましたが、この十数年は「パネルシアターの
の間だけパネルシアターを教えに行ったり、
現在、淑徳幼児教育専門学校の講師をしな
分に感じていましたが、30歳代に5年間渡米
楽しさ、素晴らしさを伝えていける人を育成
古宇田先生からの紹介で講習に行ったりして
がら、共栄学園短期大学、東京成徳短期大学
した際の小学校や保育園、図書館公演で、一
したい」と思って活動しています。人を育成
いました。そのうち、少しずつ講習の依頼が
の学生たちに毎年パネルシアターを教えてい
層強く心に刻み込まれました。
「人や文化の
するのは難しく、時間のかかるものですが、
増えていきました。地元の図書館で読み聞か
ます。昨年は国立の山梨大学でも非常勤講師
架け橋」の一端を担うとともに、いろいろな
そんなときにいつも思い浮かぶのが古宇田亮
せのボランティアをしていた時期もありまし
をさせていただき、各地の幼稚園、保育園で
ことを感じ、学んだ時期でした。今でも毎年
順先生です。学生時代以来、私自身ずっと古
たが、まだパネルシアターの認知度は低く、
直接子どもたちとも交流しています。年間を
訪問する国々での経験は、いつも私に緊張と
宇田先生に育てていただいています。その「奥
子どもたちはびっくりしながらも目を輝かせ
通して講習会の依頼がありますが、夏は一番
充実を与えてくれています。
義」に私も近づけるよう、感謝の念とともに
て喜んでくれました。幼稚園教諭をしながら
多い時期で、地方の幼稚園、保育園連合会か
いま、私は大学や多くの研修会で、いろい
努力と反省の日々でもあります。
パネルシアターの講師を務めるという状態が
らの依頼、図書館などからの依頼、出版社主
ろな人々にパネルシアターの技術のみならず、
パネルシアターを通して出会う人々との交
定着したのは、始めて8年位たってからです。
催の講習会等さまざまです。
『カレーライス』は私のオリジナルであり、
「笑顔の電波」はどのようにしたら広がって
流は、年齢を超え、性別を超え、国を超えて
こうして私が活動できるのは、古宇田先生
いくかを伝えたいと日々奮闘しています。
「楽
きます。この40周年を機に、パネルシアター
なによりの宝です。これがきっかけで本の出
がパネルシアターというすばらしい児童文化
しいから」
「好きだから」が、意欲や発展に
が日本のみならず世界中の人々に一層認知さ
版もさせていただくようになり、年を追うご
を創案してくださったからであり、運よくそ
繋がっていきます。そのスイッチを押し続け
れ愛されるように、私も微力ながら、そして
れに出会えたということでもあるのです。私
るのが、私の役目だと思っています。パネル
楽しみながら元気に活動していきたいと思っ
はその奇跡に、心から感謝しています。
シアターを始めたころは「パネルシアターの
ています。
プロフィール
活動開始:1978年5月頃
活動実績:2002年より淑徳幼児教育専門学校にてパネルシア
ターの授業と免許更新講習を受け持つ。
神奈川県私立幼稚園連盟
日時 2010年7月27日
場所 神奈川県綾瀬こばと幼稚園
対象 私立幼稚園の先生(120人)
テーマ パネルシアターの楽しさを知り、演じ方を学ぶ
先生方にも演じてもらい批評する
朝日夏季保育大学
日時 2010年7月30日
場所 長野県諏訪市駅前市民会館
対象 保育士と一般(500人)
テーマ パネルシアターの魅力を保育に生かす
41
プロフィール
活動開始:1977年9月
活動実績:1977年に東京女子大学にパネルシアター同好会を
設立。学園祭や児童館、子ども会等で公演活動。1981年から、
公演・研修会講師の活動を積極的に務める。
1989 〜 1994年は、アメリカ合衆国オハイオ州にて活動。帰
国後、蒲田保育専門学校(15年間)
、練馬区公立小学校英語学
習指導員(6年間)を経て、淑徳大学講師、淑徳短期大学特
任講師を務め、
1994年から、
パネルシアター劇団「ちちんぷい」
を主宰。子どもたちへの公演活動を主に行っている。
2000年3月からパネルシアター研究会「TEP」
(Tokyo
Enjoying Panel-theater)の代表を務める。オリジナルのパネ
ルシアターを研究する会で、月例会を持ち、熱心な会員とと
もに毎年数回の研修会を主催する。パネルシアターの普及と
“パネラー”の育成に励んでいる。国際交流も積極的に行って
いる。
40
ゆう こ
わか
こ
活動家紹介
増田 裕子 「ケロポンズ」
関 稚子 淑徳幼児教育専門学校講師/パネル劇場「ぱねるっぱ」主宰
私とミュージックパネル
広がる交流と現場への普及
学生時代、卒業論文のテーマに、パネルシ
きっと、どなたもが体験されていることで
ました。教職に就くという人生設計は微塵も
アターを選びました。当時、卒論の担当教授
しょう。パネルシアターを初めて見たときの
なかったのに、淑徳幼児教育専門学校で、多
であられた繁下和雄先生(元国立音楽大学副
感動と驚き。
いときには1年で400人の教え子を送り出し、
学長)に相談したところ、パネルシアターを
私はフジテレビに入社し、
『ママとあそぼ
パネルシアターの楽しさを現場に普及できる
やるなら「本物を見なくては」ということに
う! ピンポンパン』のディレクターをして
ようになりました。
なり、パネルシアターの考案者、古宇田亮順
いましたが、結婚・出産で退社し、すぐにパ
講師活動と併せて、パネル劇場「ぱねるっ
先生に会わせていただきました。
じているうちに、お客さんや子どもたちとの
ネルシアターの普及活動を始めました。パネ
ぱ」としての劇団活動も広がり、人形劇人と
初めて見た古宇田先生のパネルシアターは、
反応で、次々とアドリブが生まれたりして作
ルシアターを口で説明するのは難しく、
「と
の交流も増え、後輩もどんどん育ち、人形劇
どきどきわくわくの世界でした。
『こぶたぬ
品がますます面白くなります。そういう生の
にかく見て」と知り合いの児童館職員に頼ん
まつり等で仲間と楽しい時間を共有させてい
きつねこ』でこぶたやきつねの顔が、
ささ~っ
やりとりが、パネルシアターの魅力でもあり
だり、地元の公民館活動に参加したり、古宇
ただいています。
とスピーディに動いてもうびっくり!
ます。
田亮順先生のお宅(当時の古い本堂)での仲
パネルシアターとの出会いがなければ、こ
卒論のテーマは「パネルシアターによる歌
現在、ユニット「ケロポンズ」の活動の中
間同士での上演会にお誘いいただいいたり
んな離島に来ることもないだろうな、こんな
唱指導」という、いささか硬いタイトルでし
でも、ミュージックパネルを作り続けていま
……。
単線の無人駅に降り立つこともないだろうな、
たが、パネルシアターの絵人形を見ながら幼
す。最近はケロポンズの2人で作品を作って
そんな私を、古宇田先生はよくご自身の講
こんな景色やこんな風を味わうこともないだ
児がすぐに口ずさめるような簡単なパネルシ
2人で演じています。
習会や上演会にお供のお許しをくださいまし
ろうな、そしてこんなに笑顔になれる時間を
アターを作ろうということになり、そこで初
『ヤダットちゃん』
『だるマン』
『おにぎり
た。お供の回数を重ねるうちに、パネルシア
持つこともなかったろうなと、その都度感謝
めて作ったパネルシアターが『すてきな帽子
くん』など新しいキャラクターが生まれま
ターそのものの楽しさだけではなく、古宇田
の思いを抱いております。
屋さん』です。繁下先生や古宇田先生のアド
した。今の時代に生きる子どもたちの喜ぶ
先生のキャラクターが楽しいんだと解ってき
バイスと、卒論の仲間たちのおかげでできあ
ミュージックパネルをこれからもどんどん作
ました。
がった私の最初のオリジナル作品です。その
り続け、演じ続けていきたいなと思っていま
もし、創案者が古宇田先生でなかったら、
後、バンド「トラや帽子店」の活動の中でオ
す。パネルシアターと出会えたことに本当に
もし、古宇田先生があのキャラクターではな
リジナル作品を作り続け、発表していきまし
感謝しています。こんなにも世の中に広く浸
かったら、パネルシアターはここまで発展し
た。そして、繁下先生が私の作るパネルシア
透したのは、ひとえに古宇田先生のお人柄と
てはいなかったのではないかと思います。
ターにはすべて歌がついているので「ミュー
ご尽力の賜物と思われます。
私の活動の場は古宇田先生の後押しもあり、
ジックパネル」と名付けてくださいました。
40周年、50周年……と、これからもずっと
どんどん増え、著書もおかげさまで増えてき
私はまず、自分がおもしろいっ! と思え
ずっとパネルシアターの楽しい世界が広がる、
るものを作りたいと思っています。歌もでき
平和な世の中であることを願っています。
るだけ歌いやすいようにシンプルに、そして
誰もが演じられるけど、でもオリジナリティ
あふれるおもしろいものを作りたい……。そ
うして作ってきたミュージックパネル『ふし
ぎなたまご』『ねこのお医者さん』
『イグアナ
レストラン』などは、トラや帽子店のステー
ジで人気の作品となりました。ステージで演
43
プロフィール
活動開始:1987年4月
活動実績:バンド「トラや帽子店」(中川ひろたか、福尾野歩、
増田裕子)で、1987 ~ 1998年に通算1100本以上の親子コン
サートや保育セミナーなどで、パネルシアターを演じる。ユ
ニット「ケロポンズ」(増田裕子、平田朋子)で、1999年よ
り年間約80 ~ 90本の親子コンサートや保育セミナーなどで、
パネルシアターを演じる。
対象 一般の親子、保育士、幼稚園教諭など
テーマ オリジナルのパネルシアターを創作。『ねこのお医者
さん』、
『すてきな帽子屋さん』、
『かきのきマン』、
『ふ
しぎなたまご』、
『ふとんのなかで』、
『ヤダットちゃん』
など多数
プロフィール
活動開始:1982年4月頃
活動実績:
パネルシアター5人会
日時 2010年4月29日
場所 日暮里サニーホール
対象 保育士、愛好者(450人)
池袋いけいけ人形劇まつり
日時 2010年5月4日
場所 豊島区民センター
対象 一般(550人)
サマースクール東北大会・北陸大会
日時 2010年8月10日・8月22日
対象 保育者(600人)
よみきかせレクリエーション in 熊本・福井・神奈川・岐阜・
北海道ほか
日時 2010年9月19日・10月24日・11月13日・12月25日・
2011年1月15日ほか
対象 一般(150 〜 200人)
その他、各都道府県保育者研修会。
42
活動家紹介
かくれんぼ
吉田 久子 「石川県パネルシアター研究会」代表
地域に根ざした活動を続けたい
パネルシアター・あれこれ
古宇田亮順先生の作品のテーマは、人間生
1985年、わが子たちの地域の幼児クラブで
活に密着した全ての事象にわたり、その表現
の発表をきっかけにグループを結成。主な活
の面白さ、発想の意外さ、語りのテンポ等々、
動場所は、つくば市とその周辺の保育所・幼
初めてその舞台を観たときの感動は今も忘れ
稚園・学校・高齢者施設・福祉施設などで年
ることができません。
間約60回の公演を行っています。毎年、市立
「これだ! パネルシアターだ!」
図書館共催の公演で新しい作品を発表。シン
当時、短大で幼児音楽を担当していた私は、
プルで夢のある楽しい作品づくりを目指して
います。また、子育て中のお母さんや現場の
先生方への講習会を通して、パネルシアター
の楽しさを伝えています。
「かくれんぼ」らしさは、チームワークの
良さとゆったりした雰囲気! これからも出
会いを大切に地域に根ざした活動を続けてい
きたいと思っています。
プロフィール
活動開始:1985年12月頃
メンバー数:3人(2010年現在)
活動実績:
出版記念会
日時 2008年8月27日
場所 つくば西武ホール
対象 つくば市周辺の一般の方々(1部、2部各約100人)
テーマ 「かくれんぼ」作品集出版記念公演
授業に早速採り入れました。見様見真似で絵
来20数回、広く県外にも呼び掛けて「パネル
筆を手に、「美しく歌う」を視覚に訴え、作
シアターフェスティバル」を実施しています。
品づくりに励みました。学生には、まずは“マ
パネルシアターが人間性の育成や豊かな知
ネルシアター”からと、つくる楽しさとおも
識体得につながればと、これからのますます
しろさを強調しました。やがて彼女たちはい
の発展を心から願っています。
くつかの作品を抱えて、実習にボランティア
に生き生きと励むようになったのです。次に
私の主催で研修会を開くことにしました。以
プロフィール
活動開始:1980年頃
活動実績:金城学園で教師としてパネルシアターを指導。定
年退職後は、「パネルシアターフェスティバル」を主催し、普
及に携わる。講演多数。
わけ みずえ 「パペットマーケット」代表
たけとんぼ
きっかけは作品の絵描きから
子どもが参加できるパネルシアターを目指して
私がパネルシアターに出会ったのは大学1
結成して27年、演じ手と見る側のコミュニ
年生のとき、入部したサークルの先輩が『お
ケーションを大事にして、見せるだけでなく
さるのかごや』
『ロバと親子』を演じている
子どもたちが参加できるパネルシアターを目
のを見たのが最初でした。その数年後に古宇
指してきました。
田亮順先生のパネルシアターを見て、そのお
もしろさにびっくり! 自分で演じるように
なるのは、さらに数年経ってから、古宇田先
生からパネルシアターの絵を描かないかと誘
われたのがきっかけで、そのうち自分でも演
じるようになりました。人形劇と併演でパネ
ルシアターを演じ、やがてオリジナルの作品
も少々作り、講師依頼もぼちぼち増えてきま
した。様々な出会いに感謝の日々です!
45
プロフィール
活動開始:1987年8月頃
活動実績:
『夏だ! 祭だ! パネルシアター大集合 !! 2009 in いいだ』
日時 2009年8月7日
場所 飯田市公民館
対象 一般
2007年から毎年『いいだ人形劇フェスタ』(長野県飯田市)
で企画上演。
『秋だ! 祭だ! パネルシアター大集合 !! 2009』
日時 2010年10月25・26日
場所 新宿南口・プーク人形劇場にて
対象 一般
2005年から毎年『秋だ! 祭だ! パネルシアター大集合 !!』
を企画上演。
洗足こども短期大学非常勤講師として、1年『基礎表現』
の授業の中でパネルシアターを取り上げるほか、2年ゼミ『児
童文化を遊ぶ』も担当。その他、各地で公演、講習会など。
国を越え、世代を超え、一緒に笑ったり
歌ったりすることで、みんなが、温かい気持
ちを共有できるパネルシアターが、私たちは
大好きです。そして、遊び心を忘れず、
「た
けとんぼが演じるパネルシアターは楽しい
ね」と言ってもらえるグループでいられたら、
最高です。
おばあちゃんになっても続けていられたら、
どんなに素敵なことでしょう。
プロフィール
活動開始:1984年11月
メンバー数:4人(2010年現在)
活動実績:
1985年 スリランカにて公演
1986年 サンパール荒川にて第1回自主公演
1987年 青山クレヨンハウスにて公演
1988 〜 1989年 青山こどもの城にて定期公演
1990 〜 1991年 キリン劇あそびフェスティバル出演
日本堤子ども家庭支援センター
日時 2010年11月26日
対象 1〜3歳親子(50人)
テーマ 親子で楽しむパネルシアター
その他、児童館、幼稚園、保育園、お寺など多数公演。
44
まつ
か
活動家紹介
DAN パネ団
松家 まきこ
毎週の練習と最高のチームワークで活動中
楽しみは子どもたちとの触れ合い
ケロポンズの増田裕子さん命名による「男
大妻女子大学在学時より、パネルシアター
子パネルシアタークラブ」として男性3名で
部員として制作および公演活動を行ってきま
結団後、女性の加入で「DANパネ団」と改
した。東京都立の幼稚園教諭、鶴見大学短期
名。様々な活動を通して、すてきな人々と出
大学部講師を経て、現在、全国の幼稚園、保
会い、海外公演や日本と韓国での本の出版な
育所、子育て支援センター、児童館、小学校、
ど貴重な機会に恵まれました。
短大等で公演および講習会を行うかたわら、
DANパネ団の公演のおもしろさは、毎週
家庭教育相談員としても活動しています。
欠かさず行う練習と最高のチームワークにあ
パネルシアター「ぴょんぴょん」では、ギ
ると思っています。美味しいもので結ばれた
ターやピアノの生演奏によるグループ公演と
甘〜い、いやいや固い絆で結ばれた個性豊か
制作講習会で年間50会場以上をこなす日々を
なメンバーたちは、
「働く団長、見守る団員」
と連呼しつつ、今度は何を思いつくのか、期
待と不安で団長の動きを見守っています。
プロフィール
活動開始:1997年12月
メンバー数:7人(2010年現在)
活動実績:土、日、祝日のみの活動で、年間30公演程度。九
州を中心に日本各地で活動中。海外での活動は、毎年、韓国
で公演や講習会を行うほか、台湾・ネパールでも公演を行った。
駒沢女子短期大学講師・児童文化部顧問 練馬区生涯学習団体パネルシアター「ぴょんぴょん」代表 送っています。
パネルシアターを通じて、子どもたちと触
れ合うことがなによりの楽しみです。
プロフィール
活動開始:1991年4月
活動実績:駒沢女子短期大学で週2日児童文化の授業の講師
を務める。練馬区内の子育て支援センター、保育園・児童館
で定期的に親子あそびの会とパネルシアターの公演を行う。
また、年2回『ねりま遊遊スクール・わくわくパネルシアター』
として制作と実演の会を開催。日幼研講師として、2010年7
月30日・広島、8月1日・東京、8月6日・大阪にて保育者
向けパネルシアター研修会を行う。7月25日は、
あそぼら(あ
そぼうボランティアネット)主催の『パネルシアター祭』にて、
大妻女子大学パネルシアター部とパネルシアター「ぴょんぴょ
ん」のコラボ公演。幼児親子から小学生の方を中心にたくさ
んの人々が来場。9月25日・26日、
新宿プーク人形劇場
「秋だ!
祭だ! パネルシアター大集合 !! 2010」に出演。その他、
(2010
は九州、松山、千葉、川崎、横浜など)全国の幼稚園、小学校、
図書館、子育て支援センターで公演や研修会を行う。
ひろ さき
キャンディ・バスケット
弘前 ひさし パネルシアター作家
心豊かに、笑顔いっぱいのひとときを
全国でもらう子どもたちの感謝の笑顔
子どもたちから高齢者まで、地域の方々と
パネルシアターを始めて、早14年。きっか
パネルシアターを通したふれあいの場を持つ
けは古宇田亮順先生の講演会でした。その楽
ことの楽しさ! 歌や、おはなしの世界をパ
しさに魅了され、心の師と仰ぎ創作活動をす
ネルシアターに表現していくことの楽しさ!
るようになりました。出版社に誘われて、本
パネルシアターに出会って、パネルシア
を出版。講演活動とパネルシアターの世界に
ターに魅了されてまる12年が過ぎました。
入りました。
「キャンディ・バスケット」は、地元・島
全国各地の講演活動で、受講生や子どもた
根県江津市を拠点に県内で活動している女性
グループです。「心豊かに、笑顔いっぱいの
ひとときを」をモットーに、一公演一公演、
メンバーと共に“思い”を大切に活動を続け
ています。この小さな町からパネルシアター
を発信し続けていけたらと、今また思いを新
たにしているところです。
47
プロフィール
活動開始:1998年5月頃
メンバー数:6人(2010年現在)
活動実績:
のびのび仲良し交流会
日時 2010年6月12日
場所 三隅中央会館
対象 園児と保護者(約350人)
波子地区サロン(すこやか会)
日時 2010年7月8日
場所 波子保育所
対象 園児と地域の高齢者(約80人)
テーマ 保育園児とお年寄りの交流(七夕会)
ちから感謝の笑顔をもらい、故郷・弘前では
100回以上のボランティア講演を行い、ささ
やかな故郷への恩返しと喜んでいます。パネ
ル5人会の先生方とも交流が持てるなど、パ
ネルシアターは私にとって、人とのつながり
と喜びをもらえる大切なものになっています
(感謝)。
プロフィール
活動開始:1997年4月
活動実績:
日本保育実技研究会・夏季保育実技研修会
日時 毎年7・8月
場所 東京、大阪、名古屋、福岡ほか
対象 幼児教育(保育士、幼稚園教諭ほか)に関わりのあ
る方々
各種幼児教育関係講演会・子ども会・老人ホームでの公演
多数。
46
活動家紹介
堀口泰子 「ひよこちゃんシアター」主宰
こんぺいとう
オリジナル作品で親子活動
たくさんの笑顔をもとめて
「本当に自分のやりたいこと」を探してい
依頼をいただいた先へ伺い、パネルシア
た私が、やっと出会えたパネルシアター。子
ター公演を行うという形で活動をしています。
育て中に、古宇田亮順先生と再会したのが
パネルシアターの魅力の虜になったメンバー
きっかけでした。その後まもなく、パネルシ
がたくさんの笑顔に会うために日常生活に追
アターを取り入れた親子サークル「ひよこ
われながらも楽しく活動を続けています。
ちゃんシアター」を発足。そのサークルを土
台とし、現在はオリジナルの歌や手あそびを
使ったパネルシアターを作り、いろいろなと
ころで公演や親子活動をしています。
また、子育てにパネルシアターを取り入れ
てほしいという願いを込めて『ひよこちゃん
子育てしながらパネルシアター』という本を
自費出版し、子どもとの作品づくりも楽しん
で行っています。
プロフィール
活動開始:2004年6月
活動実績:
親子サークル「ひよこちゃんシアター」
日時 2004年年6月より毎週火曜日(現在月3回)
場所 千葉市あすみが丘プラザ
対象 未就園児の親子
サークル「いっしょにあそぼ」
日時 2006年4月から2009年3月まで毎月2回
場所 千葉市あすみが丘プラザ
対象 幼児
ひよこちゃんのパネルシアターハッピークリスマス会
日時 2006年より毎年12月に主催、出演
場所 千葉市民会館
その他、千葉県人形劇まつり、栃木県「ひよこ教室」ほか、
幼稚園、保育所、児童館、自治会などで公演。
なかなか創れないオリジナル作品ですが、
『だんご虫のおはなし』や『世界に一つだけ
の花』など、反響の大きい作品もできました。
2009年には長野県内で活動しているグルー
プと一緒に「信州パネルシアター研究所らっ
ぽっぽ」を設立し、パネルシアターの普及に
も力を入れています。末永く活動を続けてい
きたいと思っています。
プロフィール
活動開始:1998年6月
メンバー数:5人(2010年12月現在)
活動実績:年間30から40のパネルシアターによる公演。2009
年にはのべ500公演を超える。
活動場所:保育園・幼稚園・子育てサークル・親子広場・小学
校・児童センター・デイサービスセンター・イベントでの講演・
教職員向けの講習会など。
ホームページ http://www.geocities.jp/star_candy_06/
えんがいほいくえん「にゃにゅにょ」
ハッピーメロディー
作品は、子どもと一緒に育てていくもの
コミカルでユーモアあふれるショーを展開
私たちは現役保育士4人からなるグループ
淑徳大学の古宇田亮順先生の授業でパネル
です。日々現場の中で学ぶこと、それは子ど
シアターに出会い、2003年5月にコンビを結
もとのやりとりで、常に作品が変わっていく
成! 古宇田亮順先生から「ハッピーメロ
ことです。同じ作品でも、毎日違う顔を見せ
ディー」という名前をつけていただき、ピン
てくれます。子どもと一緒に育てていくもの、
クと緑の衣装を身にまとい、年間80公演の
それがパネルシアターだと思います。
ペースで活動を続けています。
この楽しさを「保育園の外にいる親子にも
コミカルでテンポのよいユーモアあふれる
伝えたい」と感じ、活動を始めました。楽し
ショーを展開。2人の特技である風船芸・歌・
さを共有することで、親と子が同じ気持ちと
ジャグリング・楽器を作品に織り交ぜるな
なる一つのきっかけになればと願っています。
49
プロフィール
活動開始:2005年2月頃
メンバー数:4人(2010年現在)
活動実績:月に1〜2回、千葉県千葉市の子育て広場を中心に、
未就学児の親子を対象として活動を展開しています。内容は
パネルシアターのほか、親子のふれあい遊びを行っている。
その他、パネルシアターのイベントで公演。
ホームページ http://nya-nyu-nyo.net/
ど、パネルシアターの可能性を常に模索しな
がら活動に励んでいます。ホームページもあ
りますので、よろしかったら 「ハッピーメロ
ディー」で検索してみてくださいね。
プロフィール
活動開始:2003年5月頃
メンバー数:2人
活動実績:
川崎市民プラザ人形劇まつり
日時 2010年7月18日
場所 川崎市市民プラザ屋内広場ステージ
対象 親子連れ中心の一般(約500人)
演目 『ジャグリング刑事』
『鬼のパンツ』ほか
両国にぎわい祭り
日時 2010年5月1〜2日
場所 墨田区回向院本堂
対象 老若男女(約100人)
演目 『大好きプレゼント』
『ひよこちゃん』ほか
他にも保育園、幼稚園、小学校、特別支援学校、子育て支援、
イベントなどで活動中。
48
活動家紹介
八木 英哉 浄土宗
千葉教区 医王寺住職
髙橋 司 佛教大学教授/児童芸術研究所主宰
布教題材となる作品を提供したい
パネルは人なり
私は、主に布教の場面でパネルシアターを
供させていただくために、努力を惜しまない
パネルシアターは、とにかく「夢がある」
活用させていただいています。
つもりです。皆さまからもご要望をお寄せい
ただ惜しむらくは、布教の場に生かせるよ
ただけたら有り難いと思います。
台湾そして日本全国2500カ所を回りましたが、
「広がりがある」「奥が深い」が原点。私の生
毎回、公演や研修ごとに「人間」が問われて
来の内向的・ネガティブな性格を、半分変え
いるような気がします。そして、その度毎の
「悔い」は、私を奮い立たせてくれています。
うなパネルシアターの作品は、まだまだ数が
てくれました。
少ないことです。また実際、布教の場で活用
子どもの「ことばを育む」
「感性を豊かに
古宇田亮順先生からいただいたパネルシア
されているお坊さんも少ないように感じます。
する」という観点から、全国の大学に先駆け、
ターという素敵なプレゼント。これからも、
正直、勿体ないと思います。幸い私が今、在
講義にパネルシアターを取り入れて40年近く
籍させていただいている浄土宗総合研究所の
になります。以来、講義や研修、公演に、韓国・
「ワクワク」
「ハラハラ」「ドキドキ」の世界
を子どもたちにプレゼントし続けます。
古宇田亮順先生、ありがとうございます!
現代布教班は、
パネルシアター作品による
『法
然上人御一代記』の作成などにも力を注いで
いる班で、パネルシアターの原画を収めたC
Dを配布するなど、新たな布教題材となる作
品を続々送り出しています。私も微力ながら、
各寺院で活用していただけるような題材を提
プロフィール
活動開始:1974年
活動実績:大学・短大・専門学校の「児童文化」
、
保育内容「言葉」
の講義。大学・短大の児童文化系クラブの育成・指導。幼稚園・
保育所・小学校・児童館・図書館・高齢者施設等での講演・公演。
教員研修・子育て支援・保幼小連携・国際交流・市民講座など。
プロフィール
活動開始:1994年
活動実績:自坊の花祭りや年回の法事の際の法話、教区の夏
期僧堂、他坊でのお説教。
長崎教区 善隣寺副住職 辻本良明 浄土宗
パネルシアターファミリー劇団「なむなむ」
武智 公英 浄土宗
子どもたちの笑顔が活動のエネルギー
さぁ! 始まるよ……。
「 キ ャ ベ ツ は!」「 キ ャ ッ! キ ャ ッ!
かつて古宇田亮順先生にご公演を依頼する
難しいことを簡単に、そしておもしろく
キャッ!」
。掛け声に応じて大声を出す子ど
立場だった私ですが、1985年のスリランカ公
……。
もたち、照れながらも楽しそうに踊るお父さ
演にお伴させていただいたとき、子どもたち
初心を忘れず、これからも海外の子どもた
ん。家族4人で始めたパネルシアターファミ
を魅きつけるパネルシアターの力に魅了され
ちにパネルシアターの魅力を届けていきたい
リー劇団「なむなむ」のステージは、そんな
ました。
と思います。
東京教区 定泉寺住職
親子の笑顔で始まります。古宇田亮順先生の
研修を受けて感激し、親戚の披露宴で演じた
ことを縁として幼稚園から老人ホームまで、
あちらこちらから声がかかるようになりまし
た。刑務所や少年院、法話や講演会など、ど
こへ行くにもパネルシアターを持参し、視覚
に訴える道具として新たな活用の場を探って
います。なお、劇団名の「なむなむ」は、南
無阿弥陀仏から命名しました。
51
プロフィール
活動開始:2000年3月4日
メンバー数:4人(本人・妻・長男・長女)
活動実績:テレビ局イベント、遊園地ゴレンジャーの前座、
幼稚園、保育園、小学校、老人ホーム、刑務所、少年院、生
涯学習講座、寺院・神社・教員等の研修会多数。
(2010年7月23日現在、計333回)
大人を巻き込んでのステージを目指しながら、子どもから
お年寄りまで幅広い年代を対象に、九州各地で公演や研修会
の講師として活動中。お腹の底から笑ってもらうことがなに
よりの楽しみで、「袈裟を付けた落語家さん」と呼ばれること
もある。
プロフィール
活動開始:1985年12月頃
活動実績:主に海外ボランティア公演が中心。
ミャンマー寺小屋支援プロジェクト(財団法人浄土宗報恩明
照会主催)
日時 2009年8月25日
場所 ミャンマー・マンダレー小学校開校式
対象 小学生500人
テーマ 昔話、レクリエーション、歌、保健指導
フィリピン・モンテッソーリ小学校
日時 2008年7月31日〜 8月1日
場所 ケソン市
対象 幼児〜小学生 200人
テーマ 童話・ゲーム・歌
その他、宗内外や浄土宗寺院の年間行事にて公演。
50
活動家紹介
大妻女子大学 パネルシアター部
後藤 真法 浄土宗 東京教区
文化祭で新作を披露
現代における「絵解き布教」
今年は、当部も創部20周年を迎え、私たち
布教師を志しながら、元来の臆病者で、た
もしっかりと聞いてくださらないでしょう。
にとっても節目の年にあたります。顧問の中
くさんの視線を浴びるような場に立つと緊張
私にとってのパネルシアターは、現代におけ
村圭吾先生のご指導のもと、活動しています。
して、どうしようもありませんでした。しか
る「絵解き布教」なのです。
普段は、保育園や幼稚園、児童館などで公演
し、2005年頃からパネルシアターを使う法話
させていただき、そのかたわら、古宇田亮順
を試みたところ、聴衆の視線が絵の方に集ま
先生のご自宅で開かれる交流会にも積極的に
るため、その分余裕を持てるようになりまし
参加しています。そこで学んだ演じ方を生か
た。
し、文化祭での新作披露にも力を入れていま
また、絵の順番をあらかじめ揃えておくた
す。
これからも、たくさんの子どもにパネルシ
アターの魅力を伝えられるよう、部活動にも
力を入れたいと思います。
プロフィール
活動開始:1979年に同好会設立、1990年にパネルシアター部
が発足
メンバー数:47人(2010年10月現在)
活動実績:
日時 2010年10月23日
場所 大妻女子大学 千代田キャンパス
対象 3歳から大人まで
テーマ 『ヘンゼルとグレーテル』『さるかに合戦』
『赤鬼と青鬼のタンゴ』『花さかじいさん』ほか
その他、児童館、小学校、保育園、幼稚園など多数公演。
圓通寺住職
め、法話の構成がずれることもなく、意外な
ほど効果がありました。何人かの聴衆の方か
ら「とても印象に残りました」という好評を
得て、大分自信もつきました。
もちろん絵を使ったとしても、話し手が「法
を伝えよう」という気持ちが無ければ、聴衆
淑徳大学 パネルシアターサークル「でんでん虫」
関 正見 浄土宗
20年続くハワイ公演
花まつりや地蔵盆に
週3回の部会と、公演前の練習を中心に活
2009年度に滋賀教区児童教化連盟と協力し
動し、パネルシアターの公演は毎年40 〜 50
て「チーム・シャカリン・シガ」を設立しま
回行っています。毎年の山梨、宮城、宇都宮、
した。花まつりや地蔵盆におけるお楽しみ会
茨城、勝浦、佐渡への巡回公演合宿のほかに、
を盛り上げ、仏教のおはなしもしながら子ど
ハワイ公演も20年続いています。学園祭やハ
もたちと遊ぶ活動を目指して、現在研修を積
ワイ公演に向けて、みんなで協力しながら新
んでいるところです。
しい作品を楽しく制作しています。
メンバーは6人。ゲーム、音楽、紙芝居、
各地の保育園、施設などの公演では、たく
さんの子どもたちや地域の方々と笑顔で交流
しています。お互い笑顔になれるうえに、喜
んでくださる姿に感動し、またそれが私たち
の活動の原動力となっています。
53
プロフィール
活動開始:1988年
メンバー数:30名(2010年6月現在)
活動実績:
千葉市子育て支援館
日時 隔月の土曜日 10:30 〜
場所 きぼーる6F 子育て支援館
対象 幼児と保護者
白旗商店街「七夕まつり」
日時 2010年7月(毎年恒例)
場所 蘇我市白旗商店街(淑徳大学のある地域の商店街)
対象 地域の方々
合宿先の保育園、施設など多数。
プロフィール
活動開始:2005年5月頃
活動実績:各寺院における、彼岸、施餓鬼、十夜などでの法話。
滋賀教区 正福寺住職
絵本の読み聞かせ、人形劇、パネルシアター
など、それぞれに多彩な技を持つ集合体にな
ればいいなと思っています。
チームメイト募集中!
プロフィール
活動開始:2006年4月
活動実績:各寺院における春、秋の彼岸、御忌、十夜などの
定期法要。
対象 参詣の方々
テーマ お念仏の教え
各寺院や仏教会(地域)主催の花まつり
対象 幼児、小学生
テーマ おシャカさまの一生やジャータカ、お楽しみ会の
ゲーム
52
活動家紹介
佛教大学 児童教化研究部
淑徳短期大学 児童文化研究会
子どもたちの喜ぶ姿を励みに
2年間の活動で多くを学ぶ
私たちは、保育園やお寺から公演の依頼を
私たちは、「パネルシアター」と夏休みの
いただき、その公演の一環としてパネルシア
知恩院での「おてつぎ活動」を中心に活動を
ターを行っています。
しています。
主な対象としては、幼児〜小学生です。内
公演は、保育園や子育てサークル、障害児
容は童話を用いたものや、童謡などに合わせ
の会、高齢者施設などで行っています。また、
て行うもの、楽しいしかけで楽しませるもの
オープンキャンパスでも毎回サークル紹介で
など、様々です。
発表し、来場者の方々からの「楽しかった」
「生
普段の公演や夏期巡回公演では、全国各地
き生きとして素晴らしい」などの声をいただ
をまわっています。公演先では、子どもたち
いています。夏休み、春休みには合宿を行い、
の喜ぶ姿を励みに、部員一同パネルシアター
を楽しみながら行っています。
プロフィール
活動開始:1920年12月に児童教化研究部が創部
メンバー数:32人(2010年現在)
活動実績:
地蔵盆公演
日時 2010年8月21日
場所 京都市内
対象 各町内会の幼児〜小学生(15 〜 60人)
テーマ 『にんじんなはぜ赤い』『パンパンサンド』
作品制作と公演をしています。
2年間の短い学校生活ですが、児文研の活
動を通して多くのことを学び、充実した学生
生活を送っています。
プロフィール
活動開始:1989年頃
メンバー数:14名(2010月7月現在)
活動実績:
ほほえみの会(ダウン症の会)
日時 2010年7月25日
場所 板橋区
対象 ダウン症者(子ども〜大人)と保護者
板橋区相生保育園
日時 2010年8月9日
対象 保育園児(0〜5歳児)
他多数。
文京学院大学 パネルシアターサークル「ピノキオ」
佛教大学 児童文化活動グループ「どんぐり」
子どもたちの笑顔が見れる喜びを実感
児童文化の楽しみや大切さを学ぶ
私たちは、保育園をはじめとし、多くの幼
との大変さ、難しさを感じています。
私たちはおもに、地元の保育園や児童館で
稚園、児童館、
地域のお祭りなどにボランティ
その反面、子どもたちとふれあうことの楽
パネルシアター、人形劇、ペープサートなど
アとして参加しています。そのなかでパネル
しさや、子どもたちの笑顔が見れる喜びも実
の公演をさせていただき、子どもたちと触れ
シアターと手あそびを通して、多くの子ども
感しています。
合うことで、児童文化の楽しみや大切さなど
たちや保護者とふれあい、日々保育者として
多くのことを学んでいます。
の技術を学ぶとともに、保育者として働くこ
毎年冬には、関西以外の地域へ地方巡回公
プロフィール
活動開始:1995年2月20日
メンバー数:195人(2010年現在)
活動実績:
かすが保育園 あそぼう会
日時 2010年7月17日
場所 埼玉県ふじみ野市 かすが保育園
対象 地域の未満児(0〜2歳児とその親子)
内容 パネル公演と会のお手伝い
おもに埼玉県の幼稚園、保育園、児童館、施設を対象に活動を
展開。パネルシアター公演だけでなく、イベントのお手伝いや壁
面制作活動も行っている。最近では、高齢者対象の施設からの依
頼もいただき、さらに、本大学のオープンキャンパスでの発表を
通して、サークル活動の紹介も行っている。
55
演に行き、たくさんの子どもたちと触れ合っ
ています。現在メンバーは13人と少人数です
が、アットホームな雰囲気でサークル活動を
しています。
プロフィール
活動開始:1987年4月頃
メンバー数:13人
活動実績:
日時 2010年7月3日
対象 幼児、小学校低学年
テーマ 子どもとふれ合う
54
活動家紹介
華頂短期大学 パネルシアター部
「笑顔」と「協力」を大切に活動
駒沢女子短期大学 児童文化部
オリジナル作品づくりに力を入れる
当部の歴史は長く、人形劇やヘビダンスと
当部は今年創立6年目を迎え、
「笑顔」と
いった幅広い財産があります。
「協力」を大切に活動しています。
現在は、オープンキャンパスや幼稚園、保
近年はパネルシアターのオリジナル作品づ
育園、施設、地域からの依頼に応じて公演活
くりに力を入れ、公演を行う地元の保育園、
動しています。本来、パネルシアターは一人
幼稚園だけでなく、夏には大阪、京都、茨城
で演じることができるものですが、公演には
での地方公演も行っています。
登場人物によって役割分担を決めるなど、だ
また、学内のオープンキャンパスや文化祭
いたい4〜5人で演じています。クラブ活動
では、発表形式でお互いに演じて見せあって
意見交換をするなどし、技術を高めています。
部員は幼児教育学科の学生が多く、将来は
保育現場での活躍を目指しています。
プロフィール
活動開始:2004年7月
メンバー数:27人(2010年7月現在)
活動実績:
クリスマス会
日時 2009年12月22日
場所 大阪府吹田市の私立保育園
対象 幼児
オープンキャンパス
日時 2010年6月から開始したオープンキャンパス開催のす
べてに参加(10回)
場所 華頂短期大学
対象 高校生および保護者
などでも発表し、附属こまざわ幼稚園の子ど
もたちにも毎年見てもらっています。
プロフィール
活動開始:1965年に児童文化部が創部
メンバー数:20人
活動実績:
人形劇まつり
日時 2010年7月18日
場所 川崎市民プラザ
対象 幼児〜小学生の親子を中心に80名ほど
テーマ 『ドレミのうた』
『おちたおちた』
『そっくりさん』
『だるまさん』『アイアイ』
『おもちゃのチャチャチャ』他、歌やおはなし
大正大学 児童研究部
別府大学短期大学部 パネルシアター研究会「パネっこ」
古宇田パネルの継承
まずは自分が楽しむこと
現在4月から7月と9月から2月まで、4
それぞれ好きな題材を選び、自分のペース
つの教園において、あわせて毎月8回程度の
で気楽に制作したり実演練習したりできるの
日曜学校と各教園が夏休みの期間中には林間
で、一日の日課を終えた後の夜学にもかかわ
学校、デイキャンプを行っています。そのほ
らず、たくさんの学生たちが楽しみながら参
か、成道会子ども大会などにイベントに参加
加しています。
していますが、いずれにおいても、まだ十分
初めは「わたしにできるだろうか」という
にパネルシアターを活用しきれていません。
不安を抱きますが、現場実習や様々な場での
しかしながら、大正大学児童研究部は、パ
公演を経験し、多くの人々とふれ合うことで、
ネルシアター創案者である古宇田亮順先生の
いつの間にか意欲や自信に変わっていきます。
出身団体でもあり、その技能を継承してゆく
きるよう、技能向上に努力して参りたいと考
学生に混じって社会人も自然な形で溶け込ん
ために、毎年行われる部員の研修合宿では、
えております。
でいる姿もあり、「まずは自分が楽しむこと」
パネルシアターの練習上演を行っています。
将来的には、先に述べた日曜学校などのイ
ベントで、立派にパネルシアターの上演がで
57
を合言葉に、いつも和気あいあいとした自由
プロフィール
活動開始:1928年に児童研究部が創部
メンバー数:44名(2010年8月現在)
な雰囲気で、時が流れています。
プロフィール
活動開始:2001年4月
メンバー数:42人(2010年現在)
活動実績:毎週木曜日19:30 〜 20:45の研究会活動。年間
10回程度の公演活動。12月に研究発表会。
56
貼り絵『くもの糸』
『耳なし芳一』を製作(黒パネル)
不織布(MBSテック130番)が絵人形の素材に適していることを発見、
Pペーパーと名付け、表裏両面使用が初めて可能となる
パネルシアター
パネルシアター年表
年 号
1972年
(昭和 年)
出 版
パネルシアター、
ブラックパネルシアター誕生(創案命名:古宇田亮順/協力: 古宇田亮順著『楽しい絵ばなしと歌あそび パネルシアター』大東出版社
松田治仁)
西日本テレビでパネルシアターが紹介される
MBSテック(Pペーパー)を素材として『三匹の熊』
『とんでったバナナ』
などの作品を印刷し、普及を図る
古宇田亮順・家入脩共著『パネルシアターのうた第1集』大東出版社
子どもと社会のできごと
上野動物園にパンダのカンカンとランラン
が来日
テレビ番組『ひらけ!ポンキッキ』
第 次オイルショック
ジグソーパズル流行
テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』放映開始
テレビゲーム元年
福岡にパネルシアター中心の「九州あそびの研究所」誕生(代表:中島宏)
京都府青少年教化協議会研修会(古宇田/於:京都・家政幼稚園)
影絵の手法を使った総合(透視)パネルシアターを発明
阿部恵・清水和恵共著『みんなのパネルシアター』ピタカ
道灌山学園創造教育研究会編『とびだせ歌とお話 パネルシアター』小学
館
『およげ!たいやきくん』のブーム(発売は
前年)
子どもの自殺増加
ピンク・レディーのブーム
学習指導要領改訂(ゆとりと充実)
ゲーム「スペースインベーダー」のブーム
テレビ番組『ザ・ベストテン』放送開始
第2次オイルショック
国際児童年
テレビアニメ『機動戦士ガンダム』
携帯型カセットプレーヤー「ウォークマン」
発売、若者に大ブーム
ルービックキューブのブーム
古宇田亮順・松田治仁編著『パネルシアターを作る4』東洋文化出版
漫画『 DRAGON BALL
』連載開始
グリコ・森永事件
いじめ問題深刻化
阪神タイガースが創立 年目で初の日本一
ゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』
発売
尾崎豊が歌手デビュー、カリスマ的人気
東京ディズニーランドがオープン
ファミコンゲーム元年
校内・家庭内暴力が頻発化
』が放送開始
MANZAI
スペースシャトル初飛行成功
古宇田亮順・阿部恵共著 松田治仁絵『こうざパネルシアター』東洋文化 『 Dr.
スランプ アラレちゃん』ブーム
出版
漫 才 ブームに火をつけたテレビ番 組『 THE
古宇田亮順著 松田治仁絵『パネルシアターを作る1』
『パネルシアターを
作る2』東洋文化出版
出生率が低下傾向に
テレビ番組『秘密戦隊ゴレンジャー』が人
気
淑徳保育専門学校でパネルゼミナール開講
アコーディオン・パネルシアター合同研修会(於:軽井沢)
。以降、198
年まで毎年開催
アコーディオン・パネルシアター合同研修会にて参加者が次々に創作を発表
し、パネルシアターが広がり始める
朝日新聞(日曜全国版)にパネルシアター創案者として古宇田亮順が紹介さ
れる
日本橋高島屋にて、
「つくる」展が開催
NHKテレビ『おかあさんといっしょ』にて『とんでったバナナ』などが紹
介される
朝日厚生事業団ボランティア講座に出講(古宇田)
東京女子大学にパネル同好会誕生(代表:藤田佳子)
大妻女子大学にパネル同好会誕生(代表:菅原みち)
駒澤大学、大正大学、鶴見大学、共立女子大学などの児童研究部でもパネ
ル研究が盛んになる
幼児教育サマースクール
日本テレビ『宗教の時間』
『ロンパールーム』にて『くものいと』
『コブタヌ
キツネコ』
『山のワルツ』等放映
淑徳大学でパネルシアターの講義が始まり、パネルシアター研究会「パネル
広場」が誕生(代表:佐藤純子)
日本テレビ『なんじゃ・もんじゃ・ドン!』で毎週1本パネル作品を発表(歌:
中原美紗緒 アコーディオン:家入脩)
カンボジア難民キャンプなど、海外を巡演(古宇田・全日本仏教青年会)
読売新聞に紹介記事掲載
古宇田亮順が第5回正力松太郎賞受賞
各地で公演が盛んになり、アコーディオン、ハーモニカトリオとも共演
パイプイーゼル、折りたたみ式パネル板の開発、発売(三輪楽器)
第1回パネルシアター研修会(於:小田原)
。以降、1989年まで毎年開
催
増田裕子が国立音楽大学でパネルシアターの卒業論文「パネルシアターによ
る歌唱指導」を執筆(優秀賞受賞)
佛教大学で卒業論文「幼児文化財の活用と人格形成上の効用について」にお
いて「パネルシアター」が取り上げられる
文京女子短期大学(現・文京学院大学)でパネルシアターの講義が始まる(古
宇田)
『幼児と音楽』
(音楽之友社)に毎月パネル作品を紹介、発表(約1年半)
全国青少年教化協議会主催パネルシアター研修(於:中尊寺)の模様を日
本テレビ『宗教の時間』で放映
パネルシアター美術家・松田治仁氏逝去
スリランカ公演(大倉山アソカ幼稚園、古宇田、武智公英、たけとんぼ)
古宇田亮順・松田治仁共著『パネルシアターを作る5』東洋文化出版
大学交流パネル合宿(於:鎌倉光明寺・文教大学、大妻女子大学、大正大学、 古宇田亮順著 松田治仁絵『パネルシアターを作る3』東洋文化出版
佛教大学、奈良佐保女子短大などが参加)
小林雅代著『私のパネルシアター』日本パネルシアター研修会
マレーシア公演(古宇田)
古宇田亮順著 家入脩絵『パネルシアターのうた第2集』大東出版社
近畿テレビ(東京 チャンネル)でパネルシアター作品発表
古宇田亮順・松田仁峯共著『手づくりのパネルシアター』大東出版社
1
1973年
(昭和 年)
1974年
(昭和 年)
1975年
(昭和 年)
1976年
(昭和 年)
1977年
(昭和 年)
1978年
(昭和 年)
1979年
(昭和 年)
1980年
(昭和 年)
1981年
(昭和 年)
1982年
(昭和 年)
1983年
(昭和 年)
1984年
(昭和 年)
2
58
59
1985年
(昭和 年)
大倉山アソカ幼稚園・園外公演開始(パネルシアター・人形劇など)
50
12
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
1986年
(昭和 年)
1987年
(昭和 年)
1988年
(昭和 年)
1989年
(平成元年)
1990年
(平成2年)
1991年
(平成3年)
1992年
(平成4年)
1993年
(平成5年)
1994年
(平成6年)
1995年
(平成7年)
パネルシアターグループたけとんぼ第 回公演(於:荒川サンパール)
京都パネルシアター研究会発足(代表:髙橋司)
石川県のパネルシアター講義を金沢テレビで報道
スリランカ公演(古宇田・武智・長谷川)
第7回キリン劇あそびフェスティバル(大妻女子大学パネルシアター部出演
/演出:古宇田・長谷川)
第1回ネパール公演(古宇田・武智)
ブータン公演(浄土宗青年会)
トラや帽子店結成。コンサートの中にパネルシアターを導入
弁天宗指導者研修会(髙橋)
日本赤十字社大阪府本部セミナー(髙橋)
第6回パネルシアター研究会にて、筑波のグループ「かくれんぼ」
、宮崎パ
ネル研究会等が活躍
淑徳大学パネルシアター研究会がハワイ公演を開始
石川県で第1回パネルシアターフェスティバル(代表:吉田久子)
、以降毎年
開催(長野県研修センター出演以降、2009年まで開催)
朝日新聞全国版にてパネルシアター紹介(
「イキぬきイキきがい」欄)
日本橋高島屋の「手づくり展」で発表
初心者のためのパネルシアター講習会(於:小田原)
カンボジア公演(浄土宗青年会)
韓国の文部省の言葉遊び研究会に出講(髙橋/於:釜山・内院精舎幼稚園)
韓国の幼稚園の指導書『話し方・聞き方』にパネルシアターが紹介される
天台宗保育大会出講(於:軽井沢)
残像を残したブラックパネルシアター『どんな花火』を発表(古宇田)
古宇田亮順監修・月下和恵著『てづくりのパネルシアター 1』東洋文化出
版
ゲームソフト『ドラゴンクエスト』
ソ連・チェルノブイリ原子力発電所事故
利根川進氏ノーベル生理・医学賞受賞
日本漫画の海外進出
イラン・イラク戦争終結
テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』
国鉄民営化
古宇田亮順著『ことばあそび・うたあそびパネルシアター』東洋文化出版
阿部恵著『せいさくパネルシアター』東洋文化出版
阿部恵著『たのしく遊ぼうパネルシアター』明治図書出版
ショック」で注目さ
テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』放映開
始
子どもの権利条約が国連で採択
髙橋司著「人形劇、
紙芝居、
影絵、
ペープサート、
パネルシアター」『児童文化Ⅱ』 出生率低下が「1・
佛教大学通信教育部
れる
阿部恵著『ときめきパネルシアター』東洋文化出版
増田裕子著『ミュージックパネルで遊ぼう』ひとなる書房
阿部恵著『豊かな感性を育むパネルシアター』フレーベル館
湾岸戦争
岡田明編 古宇田亮順ほか共著「パネルシアター」
『子どもと言葉』萌文書
林
ソビエト連邦消滅
トレンディードラマのブーム
古宇田亮順著 松田治仁絵『パネルシアター くもの糸』大東出版社
阿部恵著『あつまれパネルシアター』東洋文化出版
内院精舎幼稚園著『話し方・聞き方』内院精舎幼稚園〈韓国〉
増田裕子著『増田裕子のミュージックパネル』クレヨンハウス
サッカーJリーグ発足
ゲーム市場1兆6374億円、キャラクター
グッズ1兆7080億円に達す
古宇田亮順・月下和恵共著『たのしいパネルシアター』大東出版社
細川連立政権誕生
テレビアニメ『セーラームーンR』
古宇田亮順・月下和恵共著『ブラックパネルシアター』アイ企画
古宇田亮順編・たけとんぼ他著『うたってパネルシアター』大東出版社
阪神淡路大震災
漫画文庫本ブーム
作田忠一著『パネルシアターの世界 りろんとてんかい』アド・グリーン企
画出版
阿部恵著『パネルシアターセレクト1』東洋文化出版
家庭用ゲーム機「プレイステーション」
「サ
弘前ひさし著『パネルシアターの世界 実技編① たんじょうびおめでとう』 ターン」
アド・グリーン企画出版
水野豊二著『たのしい絵遊び・歌遊び パネルシアター』明治図書出版
古宇田亮順他著「パネルシアター」
『子どもの文化』宣協社
阿部恵著『ザ・パネルシアター1』
『ザ・パネルシアター2』
『ザ・パネルシアター
3』フレーベル館
モンゴル公演(大倉山アソカ幼稚園)
古宇田亮順・中島宏共著 松田治仁絵『パネルシアター ピクニック』大東
月刊誌(
『幼児と保育』
、『保育とカリキュラム』
、『保育のひろば』
、『 Piccolo
』等) 出版社
での紹介記事や作品掲載、書籍の出版が増える
小学校教師指導書『道徳1みんななかよく』に視聴覚教材活用の工夫とし
てパネルシアターが取り上げられる
NHK教育テレビ『言葉を育てる─パネルシアター』放映
イスラエル・ガザ公演(武智)
ライオン歯科衛生研究所研修会(髙橋)
NHK教育テレビ「こどもの療育相談」でパネルシアター紹介
イスラエル・ガザ公演(武智)
佛教大学四条センター「遊びの寺子屋」にて公演(古宇田)
ドイツ公演(武智)
台湾国際世界機会CMP教育連盟研修会(髙橋、於:台中、台北)
イスラエル・ガザ公演(武智)
水野豊二著『たのしい絵遊び・歌遊び パネルシアター2』
『たのしい絵遊び・ オウム真理教事件
歌遊び パネルシアター3』明治図書出版
弘前ひさし著『パネルシアターの世界 実技編② シアターあいうえお』ア
ド・グリーン企画出版
中央教育審議会答申(生きる力とゆとり)
たまごっちが爆発的人気、偽物も横行
中年襲撃の「おやじ狩り」が横行
阿部恵著『パネルシアターセレクト2』東洋文化出版
カンボジア、スイス、ネパール、インド、スリランカ、ミャンマー、モンゴル、 古宇田亮順監修・髙橋司著『パネルシアター 保育・実践講座』大東出版社
オーストラリア、グアム、韓国など、海外での公演、研修活動が盛んになる
阿部恵著『ラクラクかんたんパネルシアター』チャイルド本社
小林雅代著『小林雅代のパネルシアター』小学館
小林雅代著『保育にいかすパネルシアター』アイ企画
ハイパーヨーヨー登場
『ポケットモンスター』大ヒット
フィリピン公演(武智)
関稚子著『パネルシアターであそぼ』大東出版社
弘前ひさし著『パネルシアターの世界 実技編③ シアターマジック』アド・
グリーン企画出版
曹洞宗青少年教化指導者研修会(髙橋)
淑徳大学にてパネルシアター専門講座開始(古宇田)
ビデオ『パネルシアター はじめの一歩』紀伊國屋書店(文部省選定作品)
1997年
(平成9年)
関稚子著『またまたパネルシアターであそぼ』大東出版社
吉田久子著 寅若泰絵『うたおうパネルシアター』東洋文化出版
ケロポンズ結成(増田裕子)
長野冬季五輪開催
1998年
(平成 年)
ネパールのパネルシアター教育交流に淑徳大学、大妻女子大学の学生なども
参加(古宇田・武智)
1996年
(平成8年)
1
増田裕子著『増田裕子のミュージックパネル2』クレヨンハウス
サッカーFIFAワールドカップ、日本初
小林雅代著『小林雅代のかならずできるベストパネルシアター』ひかりのく 出場
に
「 ゆとり 教 育 」を導入した、平 成 年 度 小
中学校新学習指導要領案を発表
第2回ネパール公演(古宇田・武智)
水野豊二著『たのしい絵遊び・歌遊び パネルシアター4』明治図書出版
髙橋司著「幼児のことばを育む文化財・パネルシアター」
『幼児期のことば
の教育』英伝社
14
60
61
57
61
62
63
10
カンボジア公演(武智・大妻女子大学パネルシアター部OG)
小樽市仏教会花祭り公演(古宇田)
藤田佳子著 石井たか子絵『 Enjoy
パネルシアター』大東出版社
阿部恵著『パネルシアター大好き』学習研究社
月下和恵著『不思議がいっぱいパネルシアター』アイ企画
古宇田亮順著『だれにでもできるパネルシアター』浄土宗
モンゴル公演(古宇田)
ハワイ仏教会花祭りに参加(古宇田他)
スリランカ公演(古宇田・武智)
『だんご 兄弟』の歌が大ヒット
アニメの『ポケットモンスター』が全米放
映により大人気
国内初の狂牛病
ベイブレード大ブレイク
歳以上から
阿部恵著『ラクラクかんたんパネルシアター2』チャイルド本社
9・ アメリカ同時多発テロ事件
山本省三著『山本省三のびっくりパネルシアター』小学館
藤田佳子著 吉野真由美絵『わくわくドキドキ英語でパネルシアター』アイ
企画
月下和恵著『夢がふくらむブラックパネルシアター』アイ企画
日本仏教保育協会監修 古宇田亮順構成・脚本 宇田川幸子絵『仏教パネ
ルシアターおしゃかさま』鈴木出版
古宇田亮順著『パネル仏教説話3本』
(ビデオ付き)鈴木出版
新潟中越大地震
スマトラ沖地震
携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」発売
トレーディングカードゲーム『甲虫王者ム
シキング』が大ブレイク
イラク戦争開戦
個人情報保護関連五法が成立
小柴昌俊氏ノーベル化学賞受賞、田中耕一
氏ノーベル物理学賞受賞
サッカーFIFAワールドカップ日韓共同
開催
バウリンガル発売
歳以上
少子化で私立短大の 割が定員割れ状態
増田裕子著『つくってあそぶミュージックパネル』全国社会福祉協議会
刑事処分対象年齢が
に
オーストラリア教員研修会を東京で開催(以降4年連続)
黒澤ちよ子他著『作ってみようペープサート&パネルシアター』小学館
関稚子著 杉山範子絵『やっぱりパネルシアターであそぼ』大東出版社
髙橋司編著 三島麻記子絵『パネルシアター百科』四恩社
水野豊二著『たのしい絵遊び・歌遊び パネルシアター5』明治図書出版
ハワイ公演(淑徳大学でんでん虫)
スリランカ小学校、幼稚園など訪問(古宇田)
日本子ども文化学会創立記念第1回学会発表会(古宇田)
オーストラリア教員研修会、グアム大学講義など、海外でパネルシアターを
学ぶ動きが盛んになる(古宇田・田中正代他)
スリランカ公演(古宇田・武智)
韓国公演(古宇田/於:ソウル・釜山)
第1回パネルシアター4人会(古宇田・阿部恵・藤田佳子・関稚子/於:日
暮里サニーホール)
第2回パネルシアター5人会(古宇田・阿部・藤田・関・月下和恵/於:日
暮里サニーホール)
、以降毎年開催
阿部恵著『パネルシアターひろば』メイト
増田裕子著『増田裕子のミュージックパネルがいっぱい!』チャイルド本社
関稚子著 杉山範子絵『ちょっとの工夫であっとおどろくパネルシアター』
大東出版社
月下和恵著『うたって演じて!パネルシアター』日本幼年教育研究会
弘前ひさし著『パネルシアターの世界 実技編④ パネルはこんなにたのし
くおもしろい』アド・グリーン企画出版
青年海外協力隊がパネルシアターを紹介(於:エクアドル、カメルーン)
阿部恵著『阿部恵のパネルシアターベストセレクション』フレーベル館
関稚子監修『いろいろいっぱいパネルシアター』大東出版社
埼玉県警にて出講(古宇田)
日本仏教保育協会、全国神社保育団体連合会に出講(古宇田)
脳を鍛える、脳を活性化させるコンセプト
商品大ヒット
家 庭用 ゲーム機「 Wii
」
「 プレイステーショ
ン 」発売
愛・地球博開催
JR福知山線脱線事故
佐藤芳子著『みんなであそべるかんたんパネルシアター』一声社
阿部恵著『ふれあいいっぱいパネルシアターこれくしょん』日本幼年教育研
究会
藤田佳子著 吉野真由美絵『よっちゃんのわいわいパネルシアター』大東出
版社
第1回パネルシアター大集合(於:プーク人形劇場)
カンボジア公演(武智)
インドネシア地方津波災害地訪問(スリランカ・タイなど、古宇田他)
韓国・東南保健大学出講(古宇田)
グアム公演(古宇田)
エクアドル公演(武智)
渡辺繁治・柳京和共著『動作教育のためのパネルシアター』創始社〈韓国〉
阿部恵編著『パネルシアターどうぞのいす』チャイルド本社
古宇田亮順編著『パネルシアターであそぶコブタヌキツネコ』大東出版社
関稚子著『笑顔がいっぱいパネルシアターであそぼ』大東出版社
淑徳幼児教育専門学校において「パネルシアター検定」が実施される(担当: 月下和恵著『実践講義パネルシアターはじめよう』アイ企画
関・月下)
浄土宗パネルシアター委員会発足(委員長:髙橋)
ミャンマー公演(武智)
パネルシアターフェスティバル 周年大会(主催:吉田)
韓国東南保健大学の留学生(約 人)が淑徳幼児教育専門学校で学ぶ。以降、 阿部恵著『みんなのパネルシアター』メイト
毎年実施
関稚子著 杉山範子絵『いいねいいねパネルシアターであそぼ』大東出版社
パネルシアター誕生 年記念パーティー
(精養軒、
パネルシアター5人会主催)
藤
田
佳
子
著
吉野真由美絵『みんなわいわいパネルシアター』大東出版社
グアム公演(古宇田)
髙橋司著「幼児のことばを育む文化財・パネルシアター」
『乳幼児のことば
の世界』宮帯出版社
台湾経国大学、中央図書館出講(古宇田)
ネパールカニヤ大学教員養成課程でパネルシアター講座開催(古宇田)
14
関稚子著 杉山範子絵『おいでおいでパネルシアターであそぼ』大東出版社
ケロポンズ著『ケロポンズのごきげんミュージックシアター』学習研究社
フィリピンモンテッソーリスクール公演(武智)
タイ、スリランカ公演(古宇田)
スリランカ公演(武智)
ドミニカ共和国公演(古宇田・小川絵美他)
オーストラリア公演(武智)
フィリピン公演(武智)
島根県江津市で人権感覚育成モデル事業としてパネルシアターが取り上げら
れる
グアテマラ教師研修会(古宇田・小川絵美他)
スリランカ公演(武智)
カンボジア公演(武智)
ベルギー・ルーマニア公演(武智・JOCV)
トラや帽子店解散
16 6
1999年
(平成 年)
200 年
(平成 年)
2001年
(平成 年)
2002年
(平成 年)
2003年
(平成 年)
2004年
(平成 年)
3
フィリピンモンテッソーリスクール公演(武智)
韓国公演(古宇田)
髙橋司編著「パネルシアター」
『児童文化と保育』宮帯出版社
後藤紀子著『つくってうたってあそべるパネルシアター』アイ企画
新・教育基本法が公布・施行
「赤ちゃんポスト」運用開始
少年法改正法案が成立
郵政民営化スタート
月下和恵著 大田理恵絵『実践講義パネルシアターやってみよう』アイ企画 「 脱ゆとり」で 主要 教 科 授 業 増、新 学習 指
文部科学省、教員検定試験にて講義(淑徳幼児教育専門学校)
パネルシアター九州4人会開催(中島宏他/以後毎年継続)
古宇田亮順監修 藤田佳子他著『ワンツーステップパネルシアター』大東出 導要領改定案発表
漫画家の赤塚不二夫さん死去
版社
浄土宗報恩明照会設立のミャンマーの小学校で講演(武智)
パネルシアター委員会発表会(古宇田・辻本良明・長谷川・武智・髙橋/於: 松家まきこ著『保育いきいきパネルシアター』大東出版社
華頂短期大学附属幼稚園)
永崎みさと著『パネルシアターで歌って遊ぼう!』かもがわ出版
フィリピン公演(武智)
11
3
2005年
(平成 年)
2006年
(平成 年)
2007年
(平成 年)
2008年
(平成 年)
20 20
62
63
35
11
0
12
13
14
15
16
17
18
19
20
200 年
(平成 年)
2010年
(平成 年)
2011年
(平成 年)
古宇田亮順・藤田佳子・松家まきこ共著『実習に役立つパネルシアターハン
ドブック』萌文書林
月下和恵著『実践講義パネルシアター楽しもう』アイ企画
渡辺繁治著『DANパネ団の元気いっぱいパネルシアター』アイ企画
関稚子著『子育て支援0・1・2才のふれあいパネルシアター』大東出版社
柳芬玲・中島兼作共著『パネルシアター』布布創芸館〈台湾〉
授業パネルシアター研究会著 大田理恵絵『授業で使おう! パネルシア
ター[小学校低学年編]
』アイ企画
衆議院で民主党が大勝利し、政権交代
改正国籍法施行
裁判員制度施行
サッカーFIFAワールドカップ、初の日
本ベスト 進出
集中豪雨で被害続出
6〜8月の平均気温、気象庁観測史上最高
を記録
法然上人八〇〇年大遠忌正当
月下和恵著『実践講義パネルシアターやってみよう』アイ企画
下川耿史編『近代子ども史年表─昭和・平成編─』河出書房新社
三家英治編『こどもの世界─年表でみる日本経済─』晃洋書房
髙橋司編『児童文化と保育─こころ豊かな文化を育むために─』宮帯出版社
柴田義松・斉藤利彦編著『近現代教育史』学文社
日本子どもを守る会編『子ども白書2009』草土文化
(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp
YOMIURI ONLINE
毎日 (jp
毎日新聞) http: //mainichi.jp
64
ネパールカニヤ大学講義(古宇田他)
財団法人浄土宗報恩明照会寺子屋プロジェクト
ミャンマー公演(武智)
韓国教育団体数カ所にて講義(古宇田)
浄土宗沖縄大会夕陽の集いにて公演(古宇田)
ミャンマー浄土宗寺子屋プロジェクト小学校開校式公演(武智)
浄土宗保育協会・児童教化連盟全国大会などに出講
パネルシアター委員会編『お寺でパネルシアター』浄土宗
パネルシアター委員会編『夢と笑顔をはこぶパネルシアター〜誕生 周年記
念誌〜』浄土宗
』浄土宗
浄土宗総合研究所編『パネル法話 イラスト集(CD─R)
『保育実践 子ども
小林祥子編著 松家まきこ担当執筆「パネルシアター」
と言葉』大学図書出版
第1回浄土宗パネルシアター研修会「公開講座 お寺でパネルシアター」開 阿部恵著『心がはずむどんどんパネルシアター』メイト
催(於:増上寺)
関稚子監修『わくわくいっぱいパネルシアター』大東出版社
韓国・中央僧迦保育学校生が2週間の留学研修に来日(淑徳幼児教育専門 阿部恵著『アレンジ・たっぷりパネルシアター』ひかりのくに
学校)
授業パネルシアター研究会著 大田理恵絵『授業で使おう! パネルシア
韓国水原市保育園児大会にてパネルシアター4回公演(参加者一、
八〇〇名、 ター[小学校高学年編]
』アイ企画
古宇田・渡辺)
『京のうた・こころのうた』出版記念コンサートで 名の合唱団とパネルシア
ターのコラボレーション(髙橋/於:アクティホール)
第2回浄土宗パネルシアター研修会『公開講座 お寺でパネルシアター』開
催(於:華頂短期大学)
パネルシアター委員会編『お寺でパネルシアター 法然上人八〇〇大遠忌作
品集』浄土宗
16
松家まきこ著『保育いきいきパネルシアター』大東出版社
〈参考文献〉
浄土真宗大谷派親鸞上人七五〇年御遠忌事業にパネルシアター制作
40
50
9
21
22
23