人工言語史概説 - 人工言語学研究会

人工言語学研究会著 2006 年秋初版 2011 年 7 月 5 日第二版
人工言語史概説
最古の人工言語から現代に至るまでの人工言語史概説
Copyright(C) 2006-2011 人工言語学研究会. All rights reserved.
●序文
本論はノウルソン(1993)、エーコ(1995)、ヤグェーロ(1990)を中心に、人工言語学研究会
独自の調査を加えて、最古の人工言語から現代に至るまでの人工言語史を概説したもので
ある。
●人工言語における 5 つの要素
人工言語は言語の一種であるから音韻・文法・語彙・文字・非言語を持っている。ただ
自然言語に文字を欠くものがあるように、人工言語にもこれらの要素が全て揃っていると
は限らない。これらの要素を全て持っていれば申し分ないが、実際には一部を欠くことが
ある。
現在使われている自然言語のうち「音韻はないが文法はある」などといったものは考え
られないが、人工言語の場合どの要素が欠けてもよい。
例えば話すことを一切考慮せず、文字と語彙と文法しか決めない言語も考えられる。こ
のような言語は決して絵空事ではない。文字と語彙と文法だけを決め、単語に音価を当て
ない。音価がなければ音韻を定める必要もない。
では読むときはどう読めばいいのか。読み手のそれぞれの母語で読めばよい。この手の
人工言語は 4 世紀も前から存在していた。そしてそれは必ず表意文字か語義を表す数字を
持っていた。音韻がない以上、表音文字にはできないためである。
●暗号としての人工言語
まず最も原初的な人工言語とは何であろうか。それは意外にも 5 つの要素を全て持った
自然言語に極めて近い後験的なものである。最初の人工言語とは暗号のことである。
暗号としての人工言語は古代エジプトやローマにも見つけることができる。最古の暗号
は古代エジプトの石碑に刻まれたヒエログリフとされており、
これは紀元前 1900 年ほど前
のことである。この暗号を人工言語に含めると、人工言語の起源は少なくとも約 4000 年ほ
ど前まで遡ることができる。
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一方、人類最初の文字はメソポタミア地方チグリス=ユーフラテス下流のもので、これ
は 5000 年ほど前に遡る。
意外にも暗号としての人工言語は早くから存在していたことにな
る。
人工言語はその産声を上げたときから長い間もっぱら暗号として機能していた。およそ
この頃は「人工言語=暗号」であったといっても差し支えない。
暗号としての人工言語は資料が残されているわけだから少なくとも文字を持っていたこ
とになる。同時にその文字自体が語彙を形成するので語彙も持っていた。古代人がそれを
声に出して読んでいたかどうかは分からないが、もし読んでいたなら音韻も備えていたこ
とになる。
●人工文字から見る人工言語事情
・東洋の人工文字事情
ヒエログリフにおいて最も意識されることはそれが文字であるという点である。原初の
人工言語が暗号と同義であるならば、文字が人工言語の黎明に大きく関与していることに
なる。そして実際他の例を見ていくと、人工言語において文字がいかに重要な役割を持っ
ていたのかを知ることができる。自然言語において文字を持たない言語が多く存在するた
め、文字は言語にとって必要条件ではないという低い地位に押しやられている。しかし人
工言語では文字が大きな役割を持ち、時には国家まで動かしてきた。
例えば 15 世紀に李氏朝鮮第四代国王世宗(セジョン)が作った朝鮮文字ハングルは人工
文字であり、現在朝鮮半島で実用されている。だがこの人工文字が実用されるまでには相
当な歴史的背景があった。
文字を話題にするのなら更に時代を遡ることができる。紀元前 221 年には秦の始皇帝が
中国を統一し、度量衡とともに漢字を矢継ぎ早に統一した。統一から外れた文字は排斥さ
れた。ただしハングルと違ってこれは既存の文字をまとめたという性質が色濃いため、人
工文字ひいては人工言語の範疇に入れるのは難しい。しかし国家の手によって人為的に文
字が操作された歴史としては取り上げるべき出来事である。
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ハングルにせよ始皇帝の漢字統一業にせよ、古代エジプトやローマの例とは異なり暗号
でない点が注目に値する。朝鮮では百姓が、中国では人民が使うために作られたものであ
るという点で、これらは暗号とは一線を画す。
古い人工言語における文字の役割は大きく、特には政治的背景と相まって形成されてき
た。なお、このことは音韻や文法を制定するよりも文字を制定するほうが簡単だというこ
とにも繋がる。
ハングルは確かに人工文字だが、それは朝鮮語を表すためのものでしかない。世宗は朝
鮮語の音韻や文法まで作ろうとはしなかった。朝鮮語そのものを変えることは彼の目的で
なかったし、何よりやろうとしても当時は技術が足りなかった。音韻、更には音声を百姓
の間に制定しようとするのは政治的以前に印刷技術や録音技術の乏しい時代では極めて難
しいためである。文法を制定するのは音に比べれば容易であるが、それよりも文字のほう
が人の手を加えるのに適した素材であった。
できるできないの話を別としても、音韻や文法に比べて文字のほうが手を加える必要性
があった。暗号として使われる文字は字形を変えたほうが見破られにくいので手を加える
必要性が大きい。
また、暗号を欲しがらなかった朝鮮にも文字に手を加える必要性があった。ハングルが
作られたのは例えば漢字の読めない民衆が不当な扱いを受けた際に裁判を申し立てられな
いなどといった窮状を鑑みた結果である。その他にもハングルが作られた理由はあるが、
いずれにせよ朝鮮が欲したのは暗号ではなく理解しやすい実用的な文字であった。そして
それを得るためには漢字というシステムから脱却する必要があった。なお、このような大
きな政治的な動きがスムーズに運ぶことは稀で、実際当時はこの改革に対する反論があっ
た。1442 年、世宗配下の漢学者崔萬理がこのような反意を上奏した。
「民百姓が犯罪の容疑をうけたとき、かれらが自分の無罪を主張できないという理由で誣
告をうけるという王のおことばは、納得できません。
」金(1984 p111)
ハングルの歴史はこの後、更なる憂き目を見ていくこととなる。いずれにせよこのよう
に古い人工言語にとって人工文字あるいは人為的に選ばれた文字が持つ役割は大きく、し
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ばしばそこには政治的・経済的・社会的な背景が関与していた。主に趣味で作られる芸術
言語などと違い、のっぴきならない理由がそこにはあった。
東洋は歴史的に見れば概ね中国が中心に位置していた。文明は中国(あるいはインド)
から主に伝播されるものであった。この結果、中国の国字である漢字と東洋(特に東アジ
ア)の人工文字は大きな関わりを持った。漢字とは似ても似つかない字形のハングルであ
るが、これでも水面下では漢字との大きな関与があった。
そもそもハングルができたのは国字を持つという朝鮮民族のアイデンティティの問題や
上述のような民衆の社会的問題に対処するためである。そしてそれに対する反論も主に当
時の宗主国である中国の怒りを恐れたことに起因する。従って中国及びその国字である漢
字と独立してハングルを語ることはできない。
つまり人工言語において文字は強い社会的背景を持ち、その背景と切り離せない関係に
あるということである。
ただしエスペラント以降の人工言語の文字はこのかぎりではない。
文字の持つ背景は社会的なものだけではない。宗教などの文化や民族意識を背景とする
こともある。そのような論争はかつて日本にもあった。日本はハングルのような国字を新
たに作るようなことはなく仮名文字で和語を表していたが、その日本にも文字論争があっ
た。神代文字である。
神代文字は日本古来の漢字に依存しない固有の文字とされ、室町時代には少なくとも神
道の間で広まっていた。神代文字を巡っての議論は平行線を辿った。結果、この議論は時
代を下って持ち越された。明治になると神道が主唱する神代文字は偽造であると国語学者
の山田孝雄は述べた。
神代文字は現代では一般に言語学の対象よりもむしろ哲学思想の対象としてみなされが
ちである。この論争の重要な点は、日本は古来から漢字ではない固有の文字を持っていた
という主張にある。神代文字自体が重要なのではない。固有の文字を持つことが中国の精
神的支配からの脱却であり、日本民族のアイデンティティの確保でもあり、何より神道の
思想に沿った。そのことが重要である。この神代文字のように、宗教や思想を背景とした
文字が存在する。
また神代文字にはハングルも似たものがある。阿比留(あひる)文字という。ハングル
を真似て作ったのではないかと言われているが、逆にハングルがこれを真似て作られたと
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主張する者もいる。神代文字は近代現代においてもはや神道よりも日韓の国家関係や民族
意識を反映している。
神代文字が人工文字だとしたら、人工言語における文字は文化・宗教・哲学思想のみな
らず、民族意識や果ては国家関係までを背景とするといえる。
以上から、人工言語における文字は単なる言語を表現するための道具ではなく、その後
ろにある様々な背景を暗示するものであるということが分かる。
・西洋の人工文字事情
今度は目を西洋に向けてみる。西洋を支配してきた文字はアルファベットである。表意
文字である漢字が政治的・社会的・経済的・思想的・宗教的な影響を東洋に与え、人工文
字へ至らしめたのと同じく、表音文字であるアルファベットは西洋の人工文字に影響を与
えた。表音か表意かという違いが西洋の人工文字の運命を大きく左右することになる。で
はまず自然言語に使われる表音文字アルファベットとはどのようなものであるか。
そもそもアルファベットはフェニキア文字に遡ることができる。これは原初は表音文字
でなく表意文字であった。象形文字の一種で、牛の頭や家などを指していた。それがやが
て表音文字として使われるようになり、長い年月を経て現在のアルファベットに至る。フ
ェニキア文字には子音しかなく、母音を加えたのはギリシャ人である。現在最も広範に使
われるラテンアルファベットの祖は音韻と照らし合わせると、このギリシャ文字であると
考えるのが妥当であろう。もっとも、そこにはギリシャ語とラテン語の音韻体系の違いに
よる齟齬が含まれてはいるが。
アルファベットは西洋の各国語を表記するのに用いられてきた。しかし言語は変化する
ものである。そして変化は文語より先に口語に訪れる。発音が変わろうと綴字は暫く残存
する。英語の daughter における gh は黙字だが、かつては読まれていた。その名残は今日の
ドイツ語に残されている。
ただ言語である以上、綴字も変化する。変化が緩慢なだけであって、変わらないわけで
はない。現在の英語は視覚方言によるスペルが増えており、実際の発音に近付けたスペル
が使われている。
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ほかにも例えば technique はフランス語の影響が薄まるに従って technic に座を奪われつ
つある。またインターネットのチャットでは you はしばしば u と書かれる。
このように文字は音を追いかけるように変化していくので、音と文字が一致する期間は
無いかあるいは短い。
綴りと読みが一致しないのは不便である。従って表音文字圏では正書法というものが常
に意識される。漢字の書体とは違い、原音に合わせてどう正しく表記するかというのが問
題になる。そこには美観もさることながらまず整合性・合理性が重視される。正書法が確
立すると暫くの間は音と文字が概ね一致する。
英語に比べてドイツ語の表記が音に忠実なのは、ドイツ語の正書法のほうが遅れて確立
したためである。更にフィンランド語の文字と音がドイツ語より一致するのは、フィンラ
ンド語のほうが正書法の確立が遅かったためである。どこの国でも近代化に伴い正書法が
確立していったというのは、
表音文字圏における正書法の重要性の高さを示す傍証である。
正書法というのはつまるところ音と文字のタイムラグから生まれるものである。音の変
化に文字の変化が付いていかないことが読みと書きの差を生み、ひいては正書法という概
念を生む。このタイムラグはいかなる表音言語でも避けることができない。それは自然言
語であろうと人工言語であろうと同様である。ザメンホフは 1900 年に「国際語思想の本質
と将来」の中でこう述べている。
「大部分の言語の正書法は、学習者にとってじつにやっかいだ。 …人工語は、あらゆる
文字に、明瞭で厳密に規定され常に同一の発音を与えている。そのおかげで、人工語には、
正書法問題はまったく存在しない。
」水野(1997 pp50-51)
ザメンホフはこのように述べているが、言語である以上エスペラントも音と文字のタイ
ムラグを避けることはできない。エスペラントと近代になって正書法を確立させた言語は
本質的に同じである。両者は正書法の制定とともにタイムラグを持ち始める。そして長い
年月をかけて音と文字の差異が開いていく。エスペラントも自然言語同様、時代が下れば
正書法を見直す時期が来る。それを食い止めるには音を一切変化させないことが必要条件
だが、言語の変化を一切食い止めるというのは不可能である。
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さて、このような表音文字アルファベットの支配下にあった西洋で、人工言語における
文字はどのような性質や意味や背景を持っていたのであろうか。
東洋では漢字を基軸とした文字が作られた。仮名文字は漢字を元に作った文字である。
ハングルは漢字を社会的背景として作られた先験文字である。
ちなみに、人工文字にも先験と後験がある。仮名文字は世宗のように誰かが意図的に作
ったものではないため、後験文字ではなく自然文字である。後験文字と自然文字を混同し
ないよう注意がいる。
東洋の人工文字の事情は既に見たとおりであるが、西洋ではどうであっただろうか。
西洋における人工文字はアルファベットの支配下にいただけのことがあり、見事にアル
ファベットの影響を受けている。
まず、各国語のそれぞれのアルファベットはアルファベットのヴァリアントであり、い
ずれも自然文字である。
一方、アルファベットを元にした後験文字は例えばキリル文字である。キリル文字はロ
シア語などのスラブ諸語を表記するための文字であり、ギリシャアルファベットを参考に
した文字である。キリル文字はグラゴル文字を考案したキュリロス・メトディオス兄弟に
因んだ名である。キリル文字は人工文字の一種で、後験文字である。ハングルと異なるの
は先験文字でないという点である。
アルファベットは非常に簡単な造りをしているため、加工がしやすい。しかも表音文字
なので文字の数も少ない。従ってヴァリアントを容易に作ることができる。その結果アル
ファベットの後験文字は多く存在する。表音性を保ったままアルファベットの形だけ変え
ればそれだけで暗号が出来上がるので、表音文字は暗号用に加工しやすい素材でもある。
例えばレオナルド=ダ=ヴィンチは鏡文字を用いて文章を書いた。鏡文字は仮名文字と
違って自然とできていったものでなく、ユニークなアイディアの持ち主の思いつきによる
暗号や遊戯である。この場合、元となっているのは明らかにアルファベットであるため、
アルファベットの後験文字といえる。
・中東の人工文字事情
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今度は中東に目を向けて見る。中東はアジアともヨーロッパともつかない文化の交差点
である。西洋と東洋の要素を兼ねそろえつつ、しかも独自の文化を持っている中東は文字
に関しても面白い歴史を与えてくれる。文化の交差点であるということはそれだけ自己の
文化が他者の文化に侵食されているということである。海に囲まれた日本とは明らかに異
なった環境である。
例えばトルコはトルコ語を使うが、
その表記には伝統的にアラビア文字を使用していた。
ところが 20 世紀前半にケマル=アタチュルクが台頭すると、彼は教育改革を推進した。そ
の中には言語の改革も含まれており、
それまで 1000 年ほど使われてきたアラビア文字を廃
止した。そして代わりにアルファベット表記を採用した。
ここで重要なのが、アタチュルクはアルファベットをそのまま利用したのではなく、ラ
テンアルファベットを元にトルコ語のアルファベットを作ったということである。つまり
は後験文字の作成である。東洋西洋の要素を持ちながら自己の文化を混ぜ合わせるオリエ
ンタルな手法である。
トルコ語のアルファベットは母音が 8 で子音が 21 の合計 29 文字で、ラテンアルファベ
ットと同一ではない。例えばトルコ語のアルファベットには ğ(yumuşak g)などのラテンア
ルファベットにはない文字が存在する。
アタチュルクは世宗と異なり、単に読み書きを簡単にしようとしたのではなかった。ハ
ングルとトルコ文字を後験・先験のみの違いに帰着させるのならばそれは早計であろう。
トルコ語のアルファベットと同時に推進されたのはアラビア語やペルシャ語由来の外来語
を排斥することであった。文字とともに語彙も確立したわけである。そしてそれはトルコ
人の精神面における独立を意味した。トルコ語のアルファベットという人工文字の裏には
民族及び国家のアイデンティティが隠れていたのである。
・人工文字における表音文字と表意文字
ところで、表音文字と表意文字では概して表意文字のほうが人工言語に与える背景が広
範で深淵なようである。言い換えれば人工文字に与える影響が大きい。それはハングルの
血の歴史や神代文字の民族意識を見ても頷けることだが、なぜ表意文字のほうが人工文字
に大きな影響を与えると示唆されるのであろうか。こう書くと西洋の血の歴史を気が滅入
るほどご指摘いただきそうだが、それは無論踏まえての上である。
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背景が広範で深淵という仮説の原因は民族性の違いでもないし、東西文化の違いでもな
い。表意文字は表音文字に比べて文字の象徴性が強い。また、文字数が多く字形が複雑で
習得が難しい。これらが大きく関わっている。
ハングルが起こった理由を思い出してほしい。そもそも漢字が難しくなかったらハング
ルの必要性は無かった。中国が 20 程度からなる表音文字を用いていて、朝鮮語と似たよう
な音韻体系を持っていたら、ハングルは決して生まれなかった。表意文字の持つ難しさが
ハングルを生んだともいえる。
一方、神代文字については民族意識の問題があった。表意文字である漢字は表音文字の
アルファベットよりも象徴性が強いため、
「自分達は固有の文字を持たない」という劣等感
を日本人に強く植え付けた。その劣等感への反動が神代文字を生んだ要素のひとつである
ことは否めない。このように、表意文字はその習得の難しさと象徴性の強さにより、表音
文字に比べて、人工言語の文字に大きな影響を与えると考えられる。
表意文字は絵文字の性質を持っているので、ピクトグラムと重複する点がある。ピクト
グラムという点で見ればアルファベット圏の西洋も、ピクトグラムの持つ象徴性の強さに
翻弄されてきた。
そもそもアルファベットにも象徴性は認められている。たとえば x は相手が入れないよ
うにドアに打ち付けた木の板の象形である。そこから意味が未知に転じた。数学で変数を
x とするのはここから来ている。
また、紋章などをはじめとした象徴的なピクトグラムが西洋には多数ある。中でも最も
象徴的なのは十字である。十字は人工文字ではないものの、極めて象徴的な意味を持つ。
具体的にいえば、十字は包括的にキリスト教を象徴する。十字の象徴はキリストと彼が磔
を被った十字架との間におけるメトニミー
(より厳密にいえばトポニミー)
から作られた。
そのため漢字でいえば象形ではなくむしろ指示といったほうが正しい。
この十字という象徴文字は西洋に多大な影響を与えてきた。西洋人の精神の中に十字は
あまりに象徴的に刷り込まれており、
十字軍やナチスドイツの鍵十字
(ハーケンクロイツ)
などを例に出すまでもなく、十字を背景とするものは多い。
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このように、表音文字圏である西洋でも一部のピクトグラムがその象徴性によって東洋
と同じように広範な背景を持つことは認められる。そしてこのことは表意文字の象徴性が
広範な背景を文字自身に与えることの傍証でもある。
表音文字圏にある西洋人にとって表意文字やピクトグラムは日常的に自分達の言語を表
すためのものではなかった。それゆえ西洋人が表意文字やピクトグラムを見るときは、そ
の象徴性が特に取りざたされた。神話や聖書の解釈を見るとしばしば西洋の象徴性への執
着が見られる。
この執着は 16, 7 世紀の真性文字より前に遡ることができる長きに渡るもの
である。西洋人は日常的に表音文字を使うため、表意性への渇望がこの執着を生んだとも
考えられる。表意文字の持つ象徴性に神秘主義を重ねた一部の真性文字の探求者はまさに
この好例である。
一方、漢字の影響を強く受けた東洋にとって表意文字は日常的で生活臭のするものであ
る。何かを象徴するという神秘的な意味合いは薄れ、単に市場に置いてある桃といった即
物的な日常品などを表すものという側面が大きい。東洋では表意文字が生活に密着してい
る分、表意文字を過度に象徴的に捉えないのが特徴である。
表音文字圏にいる西洋のほうが表意文字に対する慣れがないため、過度な期待や意味を
表意文字に持ちやすく神秘主義に陥りやすい。16 世紀、表意文字ブームがにわかに起こっ
たとき――たとえそのブームが普遍文字を求めたものであったとしても――しばしば表
意文字の象徴性が取りざたされたのはその裏付けである。
まとめよう。人工言語の黎明期は暗号と文字の歴史である。原初の人工言語は暗号であ
った。暗号には文字が使われた。人工言語に使われる文字は自然言語の文字に影響を受け
てきた。東洋では表意文字である漢字の影響を受け、ハングルのような先験文字が生まれ
た。西洋では表音文字であるアルファベットの影響を受け、キリル文字のような後験文字
が生まれた。どちらも自然文字の背景を背負うことに変わりはなく、人工言語における文
字は自然言語の文字から影響を受けてきた。
表意文字の難解さと象徴性の強さにより、表意文字を基にした人工文字のほうが表音文
字を基にした人工文字に比べて広範かつ深淵な背景を有する。表意文字が大きな背景を抱
えるというのは人工文字だけでなく自然文字やピクトグラムにもいえることである。西洋
でも十字などは非常に大きな象徴性を持ち、歴史的事件を何度も背景にしてきた。ただし
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表音文字は背景を持たないというのは全くの誤解で、トルコ語のアルファベットのように
社会情勢や民族意識を背景としたものもあった。
●黎明期
原初の人工言語は暗号で、約 4000 年前に遡ることができる。暗号としての用途は国家規
模から個人の日記に至るまで、広く使われてきた。また、暗号ではなく言語改革として人
工文字が作られることもあった。その場合しばしば文字は歴史的背景を背負うこととなっ
た。神代文字のように現代でも民族意識を背景に論じられ続けているものもある。そうい
った事情を考慮すると、文字という要素は人工言語において最も長く論じられてきたもの
といえる。
・ビンゲンのヒルデガルトによる Lingua Ignota(未知なる言語)
では文字以外に視点を向けてみるとどうなるか。そもそも人工言語は自然言語と同じく
言語の一種であるから、音韻や語彙や文法を持ったものが本来的である。そういう視点で
人工言語を見ると、
自然言語を暗号化したものでない最古の人工言語は 12 世紀に見ること
ができる。もっとも、これは現存している文献から見た史観にすぎないため、人類の歴史
ではそれより前に人工言語が作られていた可能性もある。
最古の人工言語と目されているのはビンゲンのヒルデガルトによる Lingua Ignota(未知
なる言語)である。ヒルデガルトは女子大修道院長であった。
Lingua Ignotaの文字はアルファベットを元にした23字からなる後験的な表音文字である。
彼女は Lingua Ignota の語彙集を残しており、そこには 1011 の単語が記されていた。注釈
にはラテン語などが使われ、説明が施されていた。語彙は驚くべきことに先験語であった
が、修道院長でもあったことから神学的な語が多い。
名詞は神や天使などを頂点にした階級性を持った順序で並べられ、徐々に親族語彙など
の人間を表す語に下っていく。例えば神は Aigonz であり、辞書のヒエラルキーの頂点に位
置する。キリスト教徒であった彼女の発案であるため、この神は勿論一神教の神――キリ
スト教の神――を表している。神の次に来るのは天使を意味する Aieganz である。Aigonz
に近い語形を持っており、アプラウト(母音交替)しているだけの違いという点が興味深い。
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この造語の仕組みは彼女の出自であるビンゲンが今のドイツに当たることから、もっとも
らしく感じられる。
一方、母は Maiz といい、義理の母は Nilzmaiz である。この点を鑑みるに複合概念は合
成語で表すことができた。また合成語は右側の要素が合成語全体の性質を決定している。
ただ、文法についてはラテン語を意識した屈折を持っている。ラテン語の使用は彼女の
社会的階級や出自、そして実際の語彙集における注釈からも濃厚に示される。こういった
ことから Lingua Ignota は人工言語学の類型論においてラテン語と今日でいうドイツ語を参
照言語とした後験語であるといえる。
宗教改革もルネサンスも起きていないこの時代においてキリスト教は世界観そのもので
あった。その点でヒルデガルトが階級的な名詞の序列を定めたことや、ラテン語やゲルマ
ン語からアイディアを得たのは不可避である。ただ語彙が先験性を帯びているため、エス
ペラントと同じ感覚で後験語に篩うことはできない。従って語彙については先験語だが文
法その他については後験語であったと定義するのがより正確である。
なお、Lingua Ignota の語彙は 1011 と言われることが多いが、これは誤りである。この数
は彼女の残した語彙集に収められた語の数であり、彼女が作った例文にはこれに含まれな
い単語がある。従って Lingua Ignota の語彙は 1011 よりも大きい。
ところで Lingua Ignota の用途は何か。色々な議論がなされているが、筆者は個人言語で
はないかと考える。
ときに、なぜ最古とされる人工言語を作ったのが彼女だったのであろうか。別に彼女で
なければ作れなかった理由はないが、彼女の学問的に恵まれた環境がそれを可能にしたも
のと思われる。修道院長という高い立場とそれに由来する深く広い知識というのは一般人
にはないものだった。
もちろん彼女以外に識者は存在したし、有閑なものも中にはいただろう。彼らが個人言
語として人工言語を作らなかった確証はどこにもない。それは西洋だけでなく地球の至る
ところでもいえることである。しかし現存する人工言語で最も古いのが Lingua Ignota であ
るという事実は変わらない。となると、恵まれた環境だけでなく、本人の資質も関与して
いたのであろう。
・ライモンドゥス=ルルスの"Ars magna"
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個人言語については今見たとおりだが、他の類型の人工言語はどのような黎明を迎えた
のであろうか。哲学的言語の兆しについては少なくとも 13 世紀に見ることができる。では
まず、このころの哲学的言語は何を背景にしていたか考えてみよう。
その背景とは何よりもキリスト教の普及である。上述のキリル文字の語源となったキュ
リロス・メトディオス兄弟も 9 世紀に宣教師としてロシアに赴いた。キリルというのは彼
のロシア名である。この時代の人工言語の普及はキリスト教の普及に裏打ちされたもので
ある。勿論キリスト教は実際には自然言語を用いて普及されたが、キリスト教の普及の過
程に人工言語が絡んでいたことは興味深い。
具体的にこの時代に作られたキリスト教の普及を目的とする人工言語について考察して
みる。13 世紀の修道士ライモンドゥス=ルルスを例に挙げよう。この時代は十字軍におけ
るキリスト教徒とイスラム教徒の対立という歴史的背景を持つ。
彼が生まれた 1235 年ごろ
はヨーロッパ側がエルサレムを支配していた希少な時期である。15 世紀まで続いた名目上
の十字軍を度外視すると、事実上の十字軍遠征はこのころ終わる。事実上の十字軍が終わ
るこの時代に生まれた彼の生誕地はちょうど宗教のサラダボールであり、キリスト・イス
ラム・ユダヤが混在していた。従って、彼が非キリスト圏の言語や文化に通じていたこと
は容易に想像できる。
彼はキリスト教の修道士であったため、
非キリスト教徒をどう改宗させようかと考えた。
多くの宣教師と異なり、彼は"Ars magna"という哲学的言語を作った。この言語の目的は異
教徒の改宗である。彼の言語は我々がエスペラントなどからイメージするものとは異なっ
ており、数学的な結合を用いた方法だった。
9 個の文字を幾何学的に組み合わせ、例えば「善は偉大である」というような命題を表
わすことができた。幾何は星型のもの、階段状のもの、円状のものなどがある。有名なの
は円状のもので、これは 3 つの同心円から成る。使われる文字は 9 字で、BCDEFGHIK で
ある(最後は J ではなく K)
。この 3 枚の円盤を回転させることによって任意の 3 文字の組
み合わせを作る。更にこの 3 文字のどこかに T を挿入し、4 字で 1 組を作る。この組み合
わせから適宜命題や問題を得るという仕組みである。
我々の慣れ親しんだ自然言語の方法からは想像しにくいもので、数学的な要素が濃い哲
学的言語である。この機械的な方法だと善と貪欲を組み合わせることもできる。善と貪欲
は受け入れられない組み合わせであるのに算出されてしまう。従ってどの要素とどの要素
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が結び付けられるかといったことを使い手が知っていなければならないという点が問題視
される。しかしそれは思想上の問題であって、言語上は大きな問題でない。日本語でも「丸
い四角」
「貪欲は善である」などという表現が可能であるが、そのことを以って言語上の問
題とはされない。
ヒルデガルトと違い、ルルスは改宗のための哲学的言語を目指した。更にその手法は語
学的なものではなく極めて数学的な方法で、内容も神学的・哲学的なものであった。では
この手法の効果であるが、残念ながら極めてゼロに近かった。その上ルルスは 14 世紀初頭
にアフリカで布教中、イスラム教徒の投石により殉死している。こうして原始的な哲学的
言語は失敗に終わるが、彼の思想はこの後も受け継がれることになる。
●普遍言語論争
・中世後期から近世にかけての西洋の言語事情が普遍言語論争に到った過程
さてルルスが殉死した 14 世紀前半は十字軍国家がイスラム教徒に殲滅されたころでも
ある。西洋人は西アジアから撤退。同時にドミニコ会らによりアラビア語の文献が流入す
る。
続いて 15 世紀に東ローマ帝国がオスマン帝国に滅ぼされたのを期にギリシャ語の文献
が西欧に流入する。まとめると、13〜15 世紀の間にアラビア語の文献とギリシャ語の文献
が西欧に流入したことになる。このことは自然言語における語の翻訳や借用を含意する。
このような歴史的背景にあって言語はどのように変化していたか。当時東欧がギリシャ
語圏であるのに対し、西欧はラテン語圏であった。
ラテン語は 19 世紀まで学位論文の言語でもあり、
現代でも専門用語に多く取り入れられ
ている。その地位と格式の高さは歴史的には浮き沈みしつつも、決して無くなりはしなか
った。ただ保持されてきたのは文語としての、あるいは学問の言葉としてのラテン語であ
り、口語ではない。
12 世紀にはラテン語は西洋の共通語としての地位を復活させた。ただしそれは旧ローマ
帝国時代とは異なり、学問や教育の上という限定付きである。口語としてのラテン語は崩
れ、土着語を生む土壌となった。
12 世紀にはカタロニア語が生まれ、南仏ではプロヴァンス語が生まれる。プロヴァンス
語はフランス・イタリア・スペインの一部で共通語の様相を呈する。しかしその後フラン
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スではカペー王朝のフランス語によって退けられる。
それでも南仏では 19 世紀までプロヴ
ァンス語は日常語であった。
また 13〜14 世紀に近代イタリア語が成立する。これはいわばラテン語の嫡男であり、口
語としてのラテン語がとうに廃れていたことが見て取れる。
一方そのころスペインのほうではカスティリャ語、ガリシア語などが既にあり、14 世紀
中葉ではポルトガル語が成立する。
このようにしてラテン語の崩壊によりロマンス語などの土着語が西欧を占めていく。
(当
然土着語についてはゲルマン語も忘れてはならない)
また文化面において西洋は主に 14 世紀から 16 世紀にかけてルネサンスを迎えた。復活
という語源にふさわしく、それは抑圧され失われた人間性の復古であった。それとともに
ローマ・ギリシャの古典の復興が起こる。
結果、大量の古典単語が西洋語に返り咲くこととなった。島国のイギリスではルネサン
スは遅れて 16 世紀ごろに始まり、そこで英語は古典単語を吸収した。この流れに反対が起
こり、古典単語を英語から排斥しようとするチークらの運動が起こったが、それでもなお
古典単語は学識の象徴から動かなかった。
ラテン語が英語に関わったのはルネサンスだけではない。そもそもキリスト教典の伝来
とともに angel など 400 語強の語彙が流入し、1066 年のノルマンコンクエストまで古英語
に影響を与えてきた。また、中期英語には上述のようにアラブ圏の言葉がラテン語に大量
に翻訳されたため、結果的にこのことが英語にも影響を与えることになる。
そしてもうひとつ述べておきたいのが非西洋圏との関わりである。古代ギリシャの世界
観にとって世界とは地中海周りとオリエントを意味していた。しかしアレキサンダー大王
の東方遠征によって世界観はアジア(インドや中国)にまで拡張される。後にシルクロー
ドによって東西間でやり取りがされるが、その範囲は極めて限定的であった。
時代が下って 11 世紀に始まった十字軍が結果的には東西交易を促進させた。
この交易で
利益を生んだ結果、経済的余裕の生まれたイタリアでルネサンスが起こった。経済を下敷
きに文化が発展してきたわけである。
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13 世紀ごろモンゴル帝国がイスラム勢を征服したことで西洋は東アジアへ進出。ここで
西洋は極東と出会うが、ここで出会った漢字という存在がその後の人工言語の運命を大き
く変える。
15 世紀にモンゴルが弱まるとオスマン帝国が優勢を極める。東西の中間に位置したため、
オスマン帝国は交易品に重税をかけるようになった。既に交易品無しには暮らせない精神
に陥っていた西洋人はルネサンスで磨いた科学技術を利用し、東洋への海路を開こうとし
た。海岸国のスペインやポルトガルがいち早くこれに着手できた。危険な航海ではあった
が利益が大きく一攫千金が狙えることから航海熱が起こる。更にこの動きにローマ教皇が
協賛する。対プロテスタントを目論み、新天地での信者獲得を期待したためでもある。従
って商人以外にも宣教師らが同乗した。こうして西洋は大航海時代を向かえ、アフリカ、
アジア、アメリカなどを発見するに至る。これにより西洋人の世界観は広がっていった。
社会・言語・文化・経済、これらの観点から中世を雑観した。では、こうした時代背景
は人工言語にどのような影響を与えたか。
それは一言でいえば共通語の需要の増加である。
ラテン語は西欧の共通語であるとともに知識の象徴でもあった。つまり共通語と知識の象
徴という 2 面性を持っていた。
17 世紀でもラテン語は今でいう英語のような高い地位を占めており、習うべき言語とさ
れていた。識者は外国人同士であってもラテン語によって辛うじて意思疎通を図ることが
できた。つまり不完全ではあるものの共通語としての機能は死滅したわけではなかった。
しかしラテン語は問題が山積みであった。まずラテン語自体の習得の難しさ。これは特
にラテン語そのものよりもその教育に批判が向けられた。だがいずれにせよラテン語が学
びにくいという点で批判を受けていたのは変わらない。
そして共通性の問題。ラテン語は西欧とりわけロマンス語の中では共通語の意識が強く
持たれるが、東欧やアラブ圏ましてアジアに至ってはまるで通用しない。
西洋人の世界観が広がるにつれ、ラテン語は共通語としての性質を弱められていった。
そしてルネサンス以前に起こっていたラテン語の崩壊とそれに端を発する土着語の普及。
これらの複合的な要因によってラテン語は共通語としての地位を貶められ、そのことが同
時に別なる共通語の需要を高めた。
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特に人工言語史的に見て重要なファクターは土着語の普及と台頭であろう。上述の 13
世紀のルルスは俗語と呼ばれていた土着語で学術書を書いたし、同世代のダンテは『俗語
論』を著している。その後も続々と土着語で文献が作られていく。
このころの著作は写本によって広まっていたが、15 世紀にドイツのグーテンベルクが活
版印刷を実用化したことにより事態は激変する。グーテンベルクは土着語が急激な勢いで
広まるための要因を作った。また 16 世紀前半に同じドイツのルターが宗教改革を行い、聖
書をドイツ語に訳したことも土着語の急激な頒布を示唆している。
文章が各々の土着語で書かれることの弊害は何より翻訳の手間を必要とすることである。
ラテン語で書かれていればどの国の人間にも難しい反面、どの国の人間にも読める。しか
し土着語は違う。母語で書くのは簡単でも読者がそれを読めるとは限らない。それを翻訳
するのは大きな手間であった。これが共通語が求められた原因のひとつである。
以上のような要因で西洋では共通語の必要性が高まってきた。これらの要因が重なった
からこそ 16, 7 世紀に普遍言語論争が起こったといえる。
普遍言語論争を語る際にこれら社
会・経済・文化などの要因は外すことができない。
この時代の人たちは始めからエスペラントのような人工言語を作ろうと意図していたわ
けではない。始めは共通の書字を作ることが目的であった。それは真性文字や普遍文字な
どとも呼ばれたもので、概ね万人に通ずる共通の文字を意味していた。
本論では代表として主に普遍文字という言葉を使う。こう聞くとオリジナルの文字を作
ろうとしたように聞こえるが、必ずしもそうではない。むしろオリジナルの文字を作った
ロドウィックやウィルキンズは例外的で、アルファベットや数字を使ったもののほうが多
い。
普遍文字は誰にでも読めるというのが前提で、主に 2 種類に分かれる。1 つは字は同じ
だけれどもその読みは各国語で読むというもの。もう 1 つは共通の字に固有の読みを与え
るものである。
前者はとりわけヒエログリフや漢字から影響を受けている。死滅してしまったヒエログ
リフに比べ、当時ライブで使われていた漢字は西洋人にとっては開眼的なものであった。
上述の西洋と東アジアとの交流により漢字の使用状況が西洋に伝えられた。中国人や日本
人は互いの言葉が異なるにもかかわらず漢字という共通の文字で意思疎通をしているとい
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う報告が西洋に広まった。これはセンセーショナルであった。実際、ベーコンは漢字を激
賞したことがある。
(ルルス→ベーコン→ライプニッツらの繋がりは哲学的に重要)
漢字を知った西洋人の一部はまさにこれこそ普遍文字であると考えた。しかし研究を重
ねるにあたり、徐々に漢字にも問題が見つかった。ヒエログリフも同様で、他の字につい
てもあれもだめこれもだめという結論に落ち着いていった。
更には既存の自然文字だけでなく、速記に使われる文字なども試された。速記文字は本
来は速記という目的で使われたが、なにせ読める人間が限られているので同時に秘密文字
の性質も持っていたし、意図的に秘密文字の性質を帯びさせられることもあった。そして
その秘密文字が逆説的にも普遍文字の材料として分析された。これらの文字は字形だけに
終始するイメージがあるがそうとは言い切れず、きちんと読み方が定められた文字もあっ
た。
このころは普遍文字ができれば人類にとって非常に有益であるという論調が盛んで、
次々と言語案が提案された。人工言語最大のブームである。この論争は特にこの 16, 7 世紀
に栄え、ベーコン、デカルト、ライプニッツ、パスカル、メルセンヌなど、高名な識者が
大なり小なり関わりを持っている。
ところで普遍文字の探求は目的の上でおおまかに 2 派に分けることができる。ひとつは
ウィルキンズやライプニッツのように普遍文字を哲学的に分析した派閥である。彼らにと
って普遍文字ひいては普遍言語は哲学上の問題であった。後にドゥリンチェコがライプニ
ッツを哲学的言語に分類したのはその思想背景によるものである。
もう一派は普遍文字を神学上・宗教上の問題と分析した派閥である。この宗教というの
は勿論キリスト教のことであるが、なぜ宗教が普遍言語に絡むのだろうか。
聖書の『創世記』では神がアダムに生き物の命名をさせ、そのアダムの名付けがそのま
まそのものの名前になったというくだりがある。
つまりアダムは唯一の言語を持っていた。
ところが大洪水のあと、人間は天に届くバベルの塔を作る。それに怒った神が塔を崩壊さ
せ、罰として人間の言語をばらばらにしてしまう。
聖書のこの話は言語の単一紀元説を表している。単一だったアダムの言語が罰によって
ばらばらにされ、言語のカオスが生まれたのだとする説である。そして当時の一部の人間
はこれを信じていた。
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教徒の中にはアダムの言語を取り戻そうと考えるものがいた。
この思想は 16, 7 世紀の普
遍言語論争以前から存在していた。2 世紀ごろの神学者オリゲネスは既にバベル以前の言
語がヘブライ語であったろうことを示唆していた。これらの神秘主義者はアダムの言語を
発見すべく古典語の探求にいそしんだ。研究された言語は主にヘブライ語である。
無論その研究は現代言語学の成果とは比肩できるものではないが、かなり長きに渡って
研究されてきたことは確かである。この神秘主義は普遍言語論争にあって更に動きを高め
た。アダムの言語の発見だけでは飽き足らず、アダムの言語への回帰を目指した。つまり
アダムの言語の普及によって世界をバベル以前の秩序に引き戻そうとしたわけである。
この時代にアダムの言語への回帰意識が高まった理由は何であろうか。ちょうど普遍言
語論争の時代であったというのも一因であるが、プロテスタントの出現も大きく関与して
いる。プロテスタントは教会が聖書の解釈に介在することを厭ったため、彼らの間では聖
書を直に読もうという意識が高まっていた。教会が認めているラテン語訳でさえ彼らは拒
絶している。それゆえの祖語ヘブライ語への回帰、アダムの言語への回帰である。これ以
上この思想を細分化していくと話が言語から遠ざかりすぎるためここで打ち切るが、この
ように神秘主義によるアダムの言語としての普遍文字や普遍言語というものが存在してい
た。
以上で見たように、この時代の普遍言語論争には大きく分けて哲学的な派閥と神学的な
派閥があったといえる。ただ両者は明確に区別されるとはかぎらない。グレーゾーンにい
る制作者をどちらに分類するかは難しい。例えばウィルキンズはウェブスターに神学派と
混同され、激しく彼を非難したことがある。
普遍言語論争に至った背景は十分に理解できたと思う。では次は具体的にどのような人
工言語案が作られたのかを見ていこう。
・フランシス=ロドウィックの『共通の文字』
フランシス=ロドウィック。17 世紀に人工言語を作成。主な資料は『共通の文字』A
Common Writing(1647)など。
ロドウィックで最も取り上げるべきことは語根が名詞からではなく行為から作られると
いう点である。例えば to drink を表す語根記号が根底にあり、その字に付加記号を付ける
ことによって名詞や形容詞などを派生させる。多くの言語が名詞ありきであるのに対し、
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ロドウィックは動詞ありきである。例えば「飲む」を δ で表すとし、動作主を¬のような
記号で表す。従って δ は「飲む」であり、δ¬は「飲む人(drinker)」となる。¬以外の記号
も存在し、それを δ に付けることによって今度は「酔っ払い」や「居酒屋」などを派生す
ることができる。酔っ払いは「δ+性質記号」
、居酒屋は「δ+場所記号」で示される。
彼の文字は先験要素も持った後験文字である。飲むという記号が δ のような形をしてい
たり、love の語根が L のような形をしていることからも後験性が見て取れる。また付加記
号もヘブライ語などを参考にしているようである。
ロドウィックは行為ありきの言語を作ったが、行為化できないものはどう表せばよいの
だろうか。例えば副詞、前置詞、接続詞、感動詞などである。これらについては語根に付
加記号を付けて表すという方法で整合性を持たせている。ただし固有名詞は自然言語で書
くことになっている。
一方、他の名詞はどうか。神のような語は行為から作れそうにない。これについては to
exist(to be)から派生しているようである。このおかげで覚えなければならない語根数は非常
に圧縮されている。
欠点は少し文字を間違えただけで一瞬にして意味が変わってしまう点である。基本的に
五線譜の上に文字を書いていくのでかなり書くのに気を使う。ならびに背景となる五線譜
が文字を横切って走っていくため、美観を損ね、同時に認識を悪くしている。また、語根
が少なかろうと結局漢字を覚えるのと似たような苦労を強いられる点も難儀である。動詞
から名詞を作る際の意味が恣意的で、ロドウィック式の思考を一々覚えねばならない点も
難点である。
彼は文法を英語から借りている。辞書については英語と普遍文字の対訳辞書を作ろうと
したが、結局実現されなかった。ロドウィックの人工言語は英語を参照言語にした後験語
であるといえる。上述のとおり、文字は L が love に近いようなことからアルファベットを
基にした字であることは分かる。だが変形が激しく参照元が分かりづらいため、先験性を
多少帯びている。
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さて、ロドウィックの人工言語を見てまず気付くことは何か。それは徹底した語彙圧縮
を行っている点である。覚えなければならない事項を減らすという姿勢はこのころの哲学
的言語によく見られるものである。
ロドウィックがこうしたのは覚えづらいという批判に対してというのも確かにある。だ
が実際はそれだけではなく、彼が言語を考案した背景に記憶術があったことが関与してい
る。普遍文字はその汎用性だけでなく、記憶術の応用としての作例でもあった。
言語を作る際は覚えなければならない事項の数が気になる。多ければ多いほど学習者の
負担が増え、広まりにくいと考えられるからである。そこで制作者はどうにか事項の数を
減らそうとする。ところがその方法は非常に限られている。
例えば何種類もある花の名を覚える際、それらが系統だった名前をしていれば覚えやす
い。
だがパンジーやアジサイやバラなどといった何ら規則を見出せない名前は覚えにくい。
そこで制作者は花なら花で分類していく。例えば花は植物の下位概念で、パンジーの上位
概念である。
このように分類を用いることによって単語が整理されるため覚えやすくなる。
その結果、極端な話をすればアジサイはパンジャーでバラはパンジョーといった風にな
る。これだと一見覚えるべき事項は減るかもしれないが、かえって混同して覚えにくく使
い勝手は悪い。だがこの時代の作者は基本的にこういった百科事典的分類に頼っていた。
もともとこの手の分類はアリストテレスの範疇論に由来している。だが先験語の走りと
なった哲学的言語の思想の源流となるアリストテレスの範疇は、普遍言語を作るには頼り
ないものであった。アリストテレスは実体・量・時間・場所・位置・性質・状態・関係・
能動・受動という 10 のカテゴリーを範疇として挙げた。これは認識ではなく存在から見た
カテゴリーである。また能動や受動というのは何かの分類とは考えにくく、むしろ文法上
の概念であろう。このカテゴリーの未熟さは哲学ではカントのような批判者を生んだが、
人工言語学ではウィルキンズのような批判者を生んだ。
ウィルキンズはアリストテレスのカテゴリーと比べると遥かに細かいカテゴリーを唱え、
また実際にそのカテゴリーを作成した。彼は自然物や空間を細かに分類し、それらに普遍
文字を付与した。万物を分類し、その概念に音と文字を充てることによって人工言語を作
る。この哲学的言語の手法は多くの人工言語制作者に影響を与えた。17 世紀に確立した人
工言語作成の手法であるが、その後現代にも引き継がれている。趣味で言語を作る者も普
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及を目指して作る者も、先験語を作ろうと思い立ったときはまずは万物を分類するという
手法に行き着く。
ところが万物の分類を前提とする哲学的言語には欠点があった。
ここでは 2 点挙げよう。
ひとつ目は万物を分類するのは極めて難しく、またそれを覚えて実用するのも難しいとい
う点である。抽象的概念を分類するのは難しいし、まだ科学的に分類がなされていない植
物を何類に分類すればいいかわからないという問題もある。更に科学が発達した現在で万
物を分類するのはおよそ不可能である。科学の概念や産物は個人による分類が追いつかな
い速度で作られるし、新発見自体が新たな分類項目を生むことも考えられる。それゆえ万
物を分類することは極めて難しいと考えられる。よしんばできたとしてもその分類は恐ろ
しいほど細かいだろうから規則を覚えきれない。
よく口上に挙げられる「理性によって一意的に単語を生成できる」というのは誤謬であ
る。
最初はそのように意図して作ってもいずれは恣意的に作らざるをえない局面に遭遇し、
結局学習者はその恣意性をひとつずつ覚えねばならない。そこで規則を設ければ今度はそ
の規則を覚える労力が生じる。実際自然言語を覚えるのと手法が異なるだけで労力は大差
ない。その人工言語を実用するには常に重い辞書を持って歩かなければならないことにな
るし、実際ウィルキンズに当てられた批判もまさにこれであった。ちなみにウィルキンズ
の分類はアリストテレスのものよりは細かかったものの、万物を表すのに十分なだけ細か
かったわけではないことを付け加えておく。
ふたつ目の欠点は、簡単にいえば万物の概念の分類の仕方が人によってまちまちだとい
う点である。概念Aの外延は人によって異なる。言い換えれば、概念はそれぞれ内包が個
別に定義されるものではない。この考えが直接言語に関わる形で現われたのは 19 世紀、ソ
シュールの時代である。
以上は哲学的あるいは科学的な欠点であるが、人工言語としての実用面で見るとこれら
の言語にはどのような欠点があるだろうか。例えば同じ分類に組み込まれた同属概念は互
いに似た文字になりがちで、誤解を受けやすい。また、分類が系統だっているため、それ
を表した普遍文字もまた系統だちすぎていて、少しでも字形が狂えば意味が取れなくなっ
てしまう危険性を孕んでいる。以下に見ていく人工言語の多くも同様の欠陥を持つ。
・ジョージ=ダルガーノの『記号術』 Ars signorum(1661)
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ダルガーノはスコットランド出身だが、大半をオックスフォードで過ごす。ウィルキン
ズと関連があり、創作物も基本的に類似している。ダルガーノがウィルキンズに剽窃の疑
いをかけたことで関係が悪化。多くの識者はウィルキンズ寄りだがライプニッツなどはダ
ルガーノ寄りの考えであった。
ダルガーノは話し言葉としても使える言語を設計しようとした。そこで音声学的な分析
を用いて人間の発声に最も適した音を探した。その考えに基づいた結果、発音しやすくす
るため、単語に母音を挿入している。この母音に概念を分類する機能はない。発音しやす
さを取った結果、分類記号としては認識しづらくなっている。
彼もまた分類に頼って言語を構築した。分類は階層式になっており、そのうち 17 のカテ
ゴリーを基本的な類と呼んでいる。例えば「存在物」
「実体」
「人工物」などが挙がってい
る。基本的な 17 個の類は横並びになっていない。存在物が出発点で、その下位に「具体的
で合成され完全な」ものと「抽象的で単純で不完全な」ものがくる。このうち前者は基本
的な類である。従って基本的な類同士が階層構造を持っている。これはウィルキンズの類
も同様である。
なお、基本的な類には 17 種の大文字が付いており、例えば頂点の「存在物」は A であ
る。使われる大文字は A, I, E, H, U, B, D, P, S, K, G, T, Y, O, N, F, M である。
17 類の下には更に中間的な類がある。この類は小文字で表す。例えば P(感覚のある)
の下位には o(主要な感情)がある。更にその下には種がある。例えば o の下位には喜び
や怒りなどがある。ではこれらの種はどう名付けるのかというと、基本的な類の P と中間
的な類の o にそれぞれの種差を表す子音を付けて表す。例えば喜びは pob で怒りは pod で
ある。
この問題点は種差を表す子音が何であるか予測できず、一々覚えねばならないというこ
とである。希望というのも同じ種に存在しているのだが、これが「po〜」であることは分
かっても次の 1 字が予想できない。ちなみに希望は pof である。しかし一体誰がこの f を
事前に推測できるだろうか。
また言語の運用時には同属概念が最小対語になるため、聞き間違いの恐れが常につきま
とう。ただこの問題を解決する方法もあり、pob などの哲学的記号をラテン語に訳して読
めるよう、ラテン語の対訳を著書に付している。
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ダルガーノも記憶術の流れを汲んでいるため、語彙の圧縮を行っている。例えば R はエ
スペラントの接頭辞 mal-と同じく対義語を作る。この R のような語彙の圧縮に使う字がい
くつか用意されてはいるものの、ダルガーノの分類は運用するには覚束ないものであり、
覚えるにも恣意的要素が多すぎて覚えづらい。また彼の分類はこのように CVC で終わる
ものばかりではない。CVC から成る音節数はかなりのものだが、分類に基づいているので
可能な音節の全てを使うことはできない。分類によって命名をすると下位概念に行くほど
分類が細かくなり、命名が長大になりがちである。
abhorrere(< L abhorreo 尻込む、嫌悪する、ぞっとする。英語では abhor に残る)を見て
みると、ダルガーノはこのラテン語を prebesu sumpren, trof と訳している。なるほど p から
始まるので感覚であることが分かる。e が来るので内感であることも分かる。確かにこれ
は主要な感情ではないので o ではなかろう。そして r が e の前に来ているので反意を表す
ということも分かる。少なくとも始めの 3 字以内で「感覚に関し、内的なもので、反意」
という情報が分かる。しかしその後更に情報が付加されて prebesu となるため、都合かな
りの情報が付加されることになる。単語を発しながらその感覚そのものについて辞書的に
説明しているようなものである。これを覚えて同属の単語と区別して使うのは面倒かつ難
解である。それに、そもそも効率的に覚えるには彼と同じ命名観を持たねばならない。理
性で判断して皆が皆同じ命名に至れば問題ないが、
そのようなことは現実にはありえない。
なお、彼の辞書は事実上未完という形で閉じている。彼が命名しなかった概念について
は使用者側が新たに作らねばならない。しかも音素に法則性はない。e は P の下では内感
を意味するが、N(物理的な)の下にある k(陸生の)の下では「ひづめの裂けた」という
意味になる。同じ音素が何を表すかは相対的に決まり、法則はない。従って未定の単語を
命名すると、人ごとに一致をみない。
ダルガーノの分類が覚えにくいことは間違いないが、彼の分類はライプニッツらと比べ
ると人間的である。
このような命名法だと馬や騾馬は何と命名すればいいのか分からない。
あまり細かく種差を分けていくと馬ひとつ表すのに物凄く膨大な記号数が必要になる。そ
こで恣意的というよりは彼のセンスに基づいた命名がなされている。例えば馬も騾馬もひ
づめの完全な動物に属するが、これらの違いは馬が「勇敢」
、駱駝が「欠如した性」の違い
で表される。馬について「勇敢」という哲学的分類には沿わない主観的な命名をしている。
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ここに彼の、ひいてはスコットランドあるいはイングランドの文化や価値観が見え隠れし
ている。
ダルガーノの分類は哲学的に未熟であったがゆえにかえって命名に関しては後験性の強
いものになっており、今日の人工言語に繋がるところがある。彼のこうした命名方法は長
所もある。彼は同じものであっても観点が違えば命名も異なってよいとしているため、馬
を「勇敢」以外の種差で表しても良いことになる。このことを応用すれば例えば文化によ
って異なる「神」の存在も文化に応じて表現しわけることができる。例えば一神教の神で
あるとか多神教の神であるといった具合に。もっとも当時のキリスト教圏に生きたダルガ
ーノ本人が神についてそのような多解釈を認めたかどうかは疑問であるが、それでもこの
異なる解釈で同じものを表現できるというシステムは現代のピクトグラムを用いた人工言
語に通じるものがある。
ダルガーノの統語論は語順が重要な役を果たす孤立語的な言語であり、当時の哲学的言
語の拠り所であったラテン文法の屈折を捨象している。
ちなみにその語順は SVO である。
また品詞性についてはロドウィックと真逆で、ほぼ完全に名詞しか持たない(他には代名
詞が認められる程度)
。他の品詞は名詞から派生させ、前置詞も名詞として分類枠の中に収
めている。
・ジョン=ウィルキンズの『真性の文字と哲学的言語に向けての試論』 An Essay towards a
Real Character, and a Philosophical Language(1668)
ウィルキンズはロイヤルソサイエティ初代書記長である。もとはダルガーノに呼応し、
分類表を作ることについて助力を申し出たが、ダルガーノは自分のほうがより簡単なもの
を作れると言って拒絶している。これを契機にウィルキンズは自己の言語を可能にする分
類表に着手した。
その方法は要するに百科事典的であり、言語を作るというよりは百科事典の項目やシソ
ーラスを作るようなものであった。このような計画においては人手が必要なため、彼はロ
イヤルソサイエティでの権限を利用し、同僚や友人に協力を依頼した。例えば植物の分類
表はジョン=レイに任せ、動物の分類表についてはフランシス=ウィラビーに任せるとい
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った具合である。その他、航海術などの分類も委託した。まるで現代において百科事典を
分野ごとに作らせるような手法である。
ウィルキンズの人工言語において特筆すべき点は、彼に味方する学会由来の大きなコミ
ュニティが存在したということである。他の研究者が主に個人で作業をしている間に彼は
助力を得て作業をしていた。ロイヤルソサイエティでの地位がそれを実現した。人工言語
の普及や研究に関しては言語そのものの出来よりも社会や経済面での環境のほうが重要だ
という好例である。
ダルガーノが剽窃を疑ったことからも分かるとおり、基本的に 2 人の考察は類似してい
る。彼もまた概念を分類した表を作っている。その表はやはり未完のまま閉じている。そ
して長大で覚えにくく、恣意的であることを逃れられない。また、たとえ科学的な分類を
行ったとはいえ、当時の科学力なので現代から見れば疑問を感じる分類も存在する。更に
当時の文化や社会を反映した分類になっている。例えば「教会の」という概念は公的な関
係に分類されている。キリスト教を反映してか、創造主というカテゴリーが堂々と存在し
ている。ならびに「ヨーロッパの」に対するカテゴリーは「異邦の」であることからも、
社会・文化・風土が背景になっていることが分かる。しかしそれでも当時の彼らは自分た
ちの分類が客観的なものだと考えていたのである。
ウィルキンズの分類において金属や石が「植物性」の下位概念の「不完全」に属するの
も興味深い。ただ、これを以って金属を植物として見なしているとはいえない。
「植物の」
は「感覚のある」の対の類になっている。だからむしろ「感覚がないもの」――現代でい
う無生物や無機物――のように見なすのが自然であろう。
「植物性の」は vegetative で、
「感覚のある」は sensitive である。vegetative は現代医学で
は「植物人間」などでも使われる単語で、これは alive but showing no sign of brain
activity(OALD 7th Edition)の意味も持っている。時代は錯誤するものの、vegetative には元来
日本語の植物と異なる語義イメージがあり、植物のように静的で無生物的なものというニ
ュアンスがある。ウィルキンズの vegetative も恐らく「活気のない」とか「感覚のない」
などといった含意を含んだ上での「植物性の」であろう。従って石や金属がこの類に属す
ことはおかしなことではないと考えられる。
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「ヨーロッパの」や「創造主」などのカテゴリーを見ても分かることだが、ウィルキン
ズの分類は非キリスト文化を始めから考慮していない。ウィルキンズは各民族が母語で普
遍文字を読めるようにするというスローガンを掲げていたが、分類表を見る限り文化の差
異についてまでは考慮していなかったようである。
例えば感情はどの類に属するだろうか。emotional という類がないため、spiritual の下位
であろうと推測される。
「精神的な」の類は「神」と「理解・意思・嗜好や興味に関した精
神」に分かれる。そして「嗜好や興味」は「愛着や感情と称された行為のことであり、単
純と複雑に更に分けられるもの」と定義されている。愛や悲しみなどの感情はこの中の「単
純」に含まれている。名詞が基本なので sad ではなく sadness などの形で含まれている。結
論として感情は spiritual の中に取り込まれている。
そして興味深いことに精神活動は感情だけでなく神の所業も含めている。ウィルキンズ
によれば創造も絶滅もここに加わる。しかも神の所業という超越的な行為は生き物に収束
するとある。人間の感情と神の所業を同じ精神活動に振り分けている点と、更に創造や絶
滅や生き物が神の所業であるという 2 点からキリスト教的な思想が伺える。
その反面、異教や異文化の神話などは考慮されていない。このように、キリスト教式の
世界の切り方をしているため、ウィルキンズは異文化の世界の切り方には対応していない
といえる。
ウィルキンズはダルガーノと違って大きな助力を得ていたため、分類が非常に細かい。
基本的な類だけで 40 個あり、ここで既にダルガーノの類より多い。シソーラスとしては優
れているかもしれないが、言語として実用するにはかなり分厚い辞書を持ち歩いて高速で
引く技術を要するので実践的とはいえない。ダルガーノとの基本的な違いはその種類の多
さにある。40 個の類から 251 個の種を作り、更にその種差から 2030 個の種を作る。
ウィルキンズはダルガーノと違い、完全に先験的な文字を作った。横棒や縦棒に飾りを
付けて細かな意味を表していくものである。一見するとアラビア文字のように見えるが、
後験性はない。
分類の基本的な構造は 3 段階で、類・種差・種である。類は子音+母音で示される。種
差は子音で表される。最下位の種は母音で表される。子音は BDGPTCZSN の 9 種で、母音
は 7 種に二重母音 2 種を加えたものである。
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例えば「行為」という分類の下にある「肉体的」という分類はウィルキンズの扱いでは
「類」として扱われ、 Ca の音価が与えられる。またこれを表す文字は水平線の下に小文
字の c を付けたようなものである。
「肉体的」が類であり、その下の分類には「感覚の」
「理
性の」などがある。更にその下の分類には飢えや乾きなどがある。
ところで「感覚の」は sensuous ではなく sensitive になっている。sensitive はふつう「敏
感な」の意味である。1392 年にはこの意味で英語に流入しているので一見おかしいが、15
世紀以前にスコラ哲学で anima sensitiva のような例で使われ、
「感覚に関係する」という意
味で使われていたようである。よって 17 世紀のウィルキンズは哲学的分類としてあえて
sensitive を使ったと考えられる。
類は CV から成り、種差には子音が付され、種には母音が付される。従って類・種差・
種を通ると CVCV のような音節ができあがる。分類表の同じ階層が必ずしも類になるとは
限らないので注意がいる。
分類表では「関係」の下位概念は 2 つに分岐し「私的」と「公的」に分かれている。そ
して私的は財産などに細分化され、公的は司法的などに細分化される。
「関係」
「私的」
「財
産」の間には 3 段階の区分があるが、これを以って安易に類・種差・種と認定することは
できない。
「関係」は「私的」
「公的」に分岐しているにもかかわらず、この区別は事実上
無視され、
「財産」も「司法」も同じ区分で扱われる。しかもウィルキンズの分類によれば
この段階で初めて類になっている。例えば「財産」は Cy という類であり、
「司法」は Se
という類であるとされる。
品詞についてであるが、ダルガーノ同様ウィルキンズも分類表を利用したため、どうし
ても発想がモノに行きがちである。即ち名詞が基本となる。上述の sadness などが好例で
ある。そしてダルガーノと同じく関係や行為まで名詞と捉えて分類表に含めてしまう。文
法的には繋辞+形容詞で動詞を表す。点・丸・線などの小さな記号で法や時制などを示す
とともに代名詞、冠詞、感動詞、前置詞、接続詞を表す。数、格、性、比較級はそういっ
た記号ではなく種差として表す。
文法的にいえばダルガーノのものより英語の要素を明白に引きずっているといえる。冠
詞、数、格、性、比較級などを見るに、西洋語の性質をそのまま残している。統語につい
ても英語が参照言語である。よって文法的には後験性が強い。
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語彙については分類を用いている上、その音価が機械的に付けられているため、彼の言
語は先験語である。だがやはり彼にもダルガーノと同じく命名に文化や風土や物の見方が
見え隠れしている。
例えば声+狼で「遠吠え」や「叫び」を表す。狼がいない地域のことは考えていない。
実際ウィルキンズが挙げている動物は西洋でよく見られるものである。ダチョウなどはあ
りえない。
一方、息子をオスの子供、娘をメスの子供というように捉える点では先験的である。こ
れは語彙圧縮や文字の規則化の一例であるが、ウィルキンズ自身は哲学的観点を強調して
いる。
ウィルキンズで最も特筆すべきはその分類の細かさとそれを可能にしたコミュニティ及
びそれを表記する先験文字であろう。記号の組み合わせとはいえ、その文字の種類は莫大
な数に及び、我々が漢字を覚えるのと大差ない学習を利用者に強いるものである。普及さ
せるには注文の多い言語であるが、その分類の細かさと文字種の多さには目を見張るもの
がある。
・ライプニッツ。1678 年に一般言語(Lingua Generalis)を作成
ウィルキンズやダルガーノはデカルトやライプニッツと一線を画す。分類(あるいは分
析や分解)という手法を用いる点では両陣営とも共通しているものの、ウィルキンズらが
既に現存しているものを観察して考察して分類しているというトップダウン方式を用いる
のに対し、ライプニッツは最終的には演繹的な算出をするというボトムアップ方式を取っ
ている。俗にウィルキンズが分類魔だとするならば、ライプニッツは計算魔であった。
算出することの利点は、現在は存在しないが将来的には現われるかもしれないものを演
繹のシステムに基づいて導出できる点である。その意味でライプニッツのシステムはむし
ろ未来に向いて開いているといえる。一方、ウィルキンズらの分類は未完のまま閉じてし
まっている。あるいはせいぜい学習者が自ら残りの単語を命名しなければならないという
意味でしか開いていない。
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ライプニッツは自然言語のヴァリエーションを肯定的に捉えており、アダムの言語に対
して否定的であったし、ウィルキンズらの普遍言語についても同様であった。ただ彼が後
世数学で有名になったことからも推測されるとおり、彼には数学的な性向があった。その
ことは命題が真であるための条件を割り算で表現したりしていたことからも伺える。
また、彼は自らの普遍言語について計算の重要性を確信していた。彼によると計算で算
出するのは命題であって数の意味ではない。記号論理学への兆しがこのあたりからも顕著
に見え隠れしている。
そして彼は記号計算を最終的なアダムの言語と捉えるようになった。
以上から、ライプニッツの人工言語はウィルキンズらのものとはかなり異なっていると
いえる。それは未来の歴史を見ても分かることである。ライプニッツの記号論理学や普遍
言語はその数学的性質からコンピュータ技術などに応用された。
特に
『二進法算術の解説』
で考案した二進法の表記法はコンピュータに使われる0と1のブール代数にほぼ相当する。
読者の中にはプログラム言語を人工言語に含めることに違和感を覚えるものもあるかも
しれない。しかしこれが人工言語の一種であることはこうした人工言語史を辿っていけば
明らかになることである。
一方、ウィルキンズらの分類はそのシソーラスとしての価値を認められ、その精神は今
日の百科事典に応用されている。大別すればライプニッツが理数系の人工言語への分かれ
道を作っていったのに対し、ウィルキンズらは人文系の人工言語を進んでいったともいえ
る。世間では人工言語など何にもならないと思われている節があるが、百科事典やプログ
ラム言語は実はこの普遍言語論争に由来するものである。
さてそのライプニッツの数学的な哲学的言語であるが、いったいどのようなものであっ
たのだろうか。彼はまず概念の分類を行い、項目にそれぞれ数字を当てていく。そして数
字を子音に置き換えるという方法を取る。つまり、まず概念を数字で表した後に音素を当
てるという方法である。ここで使われる数字は 10 進数で、百の位、万の位などといった位
の概念は母音で表す。
1 から 9 まで順に b, c, d, f, g, h, l, m, n が当てられる。
位については一、
十、百、千、万の順で a, e, i, o, u を当てる。従って 12,345 は bacedifogu と書き換えられる。
位は母音が表しているのでこれを gufodiceba と置換しても構わない。
もともとライプニッツはウィルキンズのように話せて実用できる言葉を目指しており、
普遍的な百科事典にも興味を示していた。実際ラテン語を簡単にしたような言語案も練っ
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ていた。ところが計算によって自由に命題を算出できる演繹システムを試みてからはもっ
ぱら数学的な言語に没頭していった。
ウィルキンズのような百科全書的な人工言語がある一方で、ライプニッツのようなコン
ピュータ的な人工言語が存在した。これらはどちらも哲学的言語である。これらの区別だ
けでも厄介なのに、アダムの言語という神秘主義が加わる。しかもこの時代の全員がアダ
ムの言語を夢想したわけではない。普遍言語論争は非常に混沌としていた。
●芸術言語
ところで当時の人工言語はウィルキンズらのような哲学的言語しか存在しなかったのだ
ろうか。否。例えば個人言語は速記文字の開発などの形で行われていた。まして当時は剽
窃が多かったため、暗号は必要善であった。
他方この頃、西洋人の世界観の広がりが新たな人工言語を生んだ。芸術言語である。異
邦人の言語に関する興味は古くから存在していたものの、それが爆発的な流行になったの
は西洋人の世界観が広がってからのことである。アジア、アフリカ、アメリカなどが発見
されるにつれて異邦人の言語や文化が西洋に知られるようになる。旅行者や行商や宣教師
から伝え聞いたり、自分自身で見聞したことを基に小説を書く。この中で述べられる異国
はしばしば誇張されたり人伝ゆえに空想的なものであった。小説で述べられる言語はしば
しば現実のものとは異なっていた。
この風潮が広まるにつれて、ジャーナルとしての言語ではなく始めから空想世界の言語
というものが考案されるようになった。当時まだ発見されていなかったのはオーストラリ
アであったから、ここはよく舞台に使われた。また、月やその他の惑星もよく舞台に使わ
れた。知的生命体がいると一部の人々に考えられていたためである。
これらの架空言語や架空世界は西洋人の期待や夢から生まれたものであるため、通常は
理想言語や理想世界と同一視された。トマス=モアに代表されるようなユートピア思想の
一環である。これに当時の普遍言語論争が併行していたため、理想言語は概して簡単な文
法を持ちすぐに習得できる言語と捉えられていた。
このユートピア思想は 19 世紀末のブル
ワー=リットンごろの反ユートピア思想まで優勢であった。
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なお、オーストラリアはアリストテレスやプトレマイオスのころに想像された「南の大
陸」でもあった。これは大航海時代の 1600 年台初頭に発見された。従って例えばフォワニ
ーの『アウストラル大陸発見』(1676)のときは厳密にいえば未発見ではない。
地理上の発見以前から未知の大陸オーストラリアについての想像は多く行われ、実際に
発見されてからもすぐに情報が詳しく伝わるわけではないのでやはり摩訶不思議な世界と
して考えられてた。
ちなみにこれは月も同様で、当時は鳥の渡りの原因が知られておらず、鳥は月に渡るも
のと考えられていた。そういうわけで月はオーストラリアと同じく未知の世界で、架空言
語の格好の舞台であった。他の惑星についても概ね同様である。
著書『ユートピア』で有名なトマス=モアは理想化された世界の中に理想的な言語をも
置いた。理想の世界の言語、言い換えれば想像や架空の中の言語に足を踏み入れた彼は前
衛的な存在であった。ただ彼の創作した架空言語は後験語で、基になった言語はギリシャ
語などの西洋語であった。
ゴドウィンの『月世界の人』(1638)は小説の中で人工言語を展開している。当時は普遍
言語論争の渦中であったため、芸術言語とはいえ彼もまた哲学的言語を構想していた。そ
のためこれを完全な芸術言語と述べることはできないが、大まかに分類するのなら芸術言
語であろう。
ゴドウィンが中国語から影響を受けていたのは明らかで、実際作中で主人公は中国に赴
いている。ここで中国語は音楽的な言語という定義を受けている。そして月世界はという
と、ここではたったひとつの普遍言語が使われていた。アダムの言語を彷彿させるユート
ピアな設定である。月世界の言語は音楽的であり、ここに中国語の影響が見られる。音声
においてゴドウィンの言語が中国語を参照にしていることは明らかである。しかも主人公
は 2 ヶ月で月の言語を習得している。このことは普遍言語の特徴である「覚えやすさ」を
当然のこととして受け入れていることを示唆する。
シラノ=ド=ベルジュラックもまた月世界の言語を小説で展開している。ゴドウィンと
異なるのは唯一の共通語があるというのではなく、社会的地位という位相で言語が二分さ
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れているという点である。上流階級はやはり中国語を意識した音楽的な言語を話し、下層
階級は身振りの多い言語を用いている。
身振り言語をどう見るかというのはこのころ人によって異なっていた。例えば『セヴァ
ランブ族物語』(1677) の著者ドニ=ド=ヴェラスは身振り言語について否定的である。
そのヴェラスのセヴァランブ語であるが、これは意外にもエスペラントの走りともいえ
る言語である。というのも、自然言語から論理的であると考えられた要素を寄り集めてい
る後験語だからである。ただ論理的すぎてしばしば格変化などの文法システムはむしろ自
然言語より細分化されている。かといってそれを一々覚える必要はなく、規則に基づいて
推測することもできる。
エスペラントと異なるのは自然を強く意識し、その性質を言語システムに取り入れてい
る点である。存在を有生・無生ならびにオス・メスに分け、その区別は動詞にまで及んで
いる。つまり主語が有生であるか無生であるかによって動詞が異なった屈折をするという
ことである。従って「石が憎む」というような恐らく考えられない文においても「憎む」
は一々無生用の変化をするということである。憎むのように有生しかできなさそうなもの
であってもこの屈折は及ぶので、動詞の活用形の総数は悪戯に増える。
なお、音については母音が 10 で子音が 30 である。そこに多重母音が加わる。更に音調
などを表す 6 個の記号が使われた。これらの音素は筆記文字で表された。
身振り言語について肯定的ではないヴェラスとは対照的に、ガブリエル=フォワニィは
むしろ言葉は抽象的なことや難解な議論といったものを表すだけのものとされ、他は身振
りで代替するとしていた。それは南方大陸すなわち今日のオーストラリアの言語について
執筆した際に明らかになっている。
フォワニィは普遍言語の影響を受けており、
概念については分析を元に命名をしていた。
例えば母音は火、空、塩などの単純な要素を与えられた。子音は明るい、熱いなどの意味
を与えられた。分析に基づいた文字の組み合わせで単語を表現していた。勿論この過程で
発音しづらい単語が算出されることはいうまでもなく、フォワニィの言語は実用的とはい
えなかった。
語彙については完全に先験語である。また彼は文字も作っており、アルファベットと字
形の異なった筆記文字を作っている。
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ティソ=ド=パトは彼らに後続して『ジャック・マセの冒険旅行』(1710)で人工言語を
展開した。コンセプトは規則性と簡潔性である。
音は母音が 7 種で子音が 13 種である。文字はアルファベットを使用する。文法はラテン
語よりは簡単だが、複合完了や分詞がある点でやはり西洋語が参照言語になっている。
パトで特筆すべき点はヴェラス同様自然言語を参照し、それを易しくしたことにある。
動機は異なるものの、この点でやはりエスペラントの着想に近い。
一般に、芸術言語の作者は普遍言語の作者ほど厳密に概念を分類しようとはしない。普
遍的な完全言語を作るという目的の下では科学的な手法のほかにもミスや漏れのない正確
さや厳密さが重要視される。また記憶術に関連して徹底的な語彙圧縮を行い、習得の容易
さを訴える。
しかし芸術言語にはそういった事情がないので、
「簡便なラテン語」などといった着想に
行き着く傾向にあった。それが原因で、中にはエスペラントに似たものが生まれた。ただ
し彼らが求めたのは創造性や工夫であり、面白味である。
●収束する普遍言語論争
ところで 16, 7 世紀の普遍言語論争時代には様々な人工言語が作られたが、
実際それらは
役を果たしたのだろうか。比較的成功したのはウィルキンズであろう。彼は存命中からそ
れなりの大きさのコミュニティを形成していたし、ダルガーノらに比べてより精巧な分類
表を作るに至っている。更に自身の死後もその仕事が継承されている。分類や分析を素地
とした哲学的言語として隆盛を極めたのはウィルキンズであろう。
しかしそのウィルキンズの文字でさえ書きにくい、読みづらい、覚えづらい、間違えや
すいといった批判が相次いぎ、共通語として日の目を見ることはなかった。
こうした大きな目論見が敗れた結果、悲観的になった社会の人工言語への関心は薄れて
いった。更に 17 世紀の終わりごろにはフランス語が台頭していたため、個々の土着語によ
る混乱をなくすという目標が減じてしまった。もともと普遍言語論争が起こったのはラテ
ン語に代わる共通語を求めてのことであった。フランス語の台頭により、そもそもの目標
が失われてしまったのである。それゆえ人工言語に対する意識自体が薄まっていった。そ
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のため 18 世紀は前世紀と比べると人工言語熱は冷めており、
事実上普遍言語論争はほぼ幕
を閉じていた。あとは散発的な炎が灯っては消えただけである。
18 世紀中葉のデュードネ=ティエボーは普遍言語がいかに有益かを説き、300 ほどの根
―語を選ぶことで己の言語の語彙の分類表が作れると述べた。しかしこれは単なる 17 世
紀の焼き増しにすぎない。
17 世紀の焼き増しはこのころ非常に多く行われた。ドロルメルは分類に基づく哲学的言
語を作ったが、これはウィルキンズ風の分類方式にライプニッツ風の計算方式を組み合わ
せたにすぎない。ただ、このような掛け合わせを用いたところは面白い。また、ウィルキ
ンズの難しい普遍文字の代わりにアルファベットを使った点も興味深い。単にアルファベ
ットを採用しているのではなく、発音に使わない文字は捨象した。こういったことはヒル
デガルトのころから行われていたことであるものの、掛け合わせや改良アルファベットと
いう点を考慮すれば、単なる焼き増しというよりは過去の言語の改良版といえるだろう。
18 世紀も終わりに近付くと哲学的言語の挫折を社会は認知していたため、作者側の断念
も相次いだ。コンドルセはライプニッツの手法を参照していたが、未完のまま挫折した。
こういった中でド=メミィユの成功は異例の事態であった。
18 世紀の終わりに『パシグラフィー』と名を変えた要するに普遍文字計画が出版される
と、これは一躍時代の寵児になった。それはやはりウィルキンズのような複雑な文字であ
った。基本的に 12 文字しかないのだが、その組み合わせのせいで複雑になってしまう。ま
た、西洋で既に定着していた句読法はそのまま採用された。普及しているものをそのまま
使うのは学習者の負担を減らすので合理的といえよう。
また、語彙のレベルを 3 段階に分けたのも実践的である。科学的な分類ではなく実用に
おける頻度や難しさのレベル分けである。すなわち機能語のような頻繁に使われるレベル
1、日常語のレベル 2、学術用語などのレベル 3 である。
なお、パシグラフィーはもともと書き文字として作られたが、読むためのパシラリーと
いうのも後になって作られている。
パシグラフィーはフランスで特に流行り、
ナポレオンに献呈され、
芸術学校で実践され、
一部で教育も行われた。その点ではこれまでの普遍言語の中では際立った存在といえる。
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もっとも、
パシグラフィーはウィルキンズを髣髴させるだけあって批判点も類似している。
結局パシグラフィーの隆盛は一時的なものでしかなかった。
皮肉なことにメミィユのパシグラフィーにおける分類はウィルキンズのものより粗い。
それがひと時の成功を得たのは言語政策の俗化によるところが大きい。宣伝を多くしたこ
とも理由のひとつである。また、それまでの普遍言語が主の祈りなどを翻訳していたのに
対し、俗化した文を訳したことも受け皿を広げたことに繋がる。つまり哲学的な完全性や
純粋性が失われ、逆に世俗性が高まり、その政策の巧さからパシグラフィーは広まったと
いえる。
これは人工言語の普及が完全性や合理性では説明付かないことを物語っている。人にと
って受け入れられやすいかということが普及に関わっている。この点を意識した人工言語
界は徐々に哲学的な性質を脱ぎ去り、社会学的な性質を負うように変化していく。
●19 世紀から 20 世紀にかけての人工言語と国際補助語
・普遍言語論争の終焉
下火にはなったものの、19 世紀になっても哲学的言語は死滅したわけではない。往年の
力は失っているものの、夢想者は後を絶たない。
ジャック=ド=ヴィスムは 19 世紀初頭に音楽的要素を帯びた言語を作る。
アルファベッ
トを 21 字使って 21 の音を表す。そしてこれらは五線譜の上に書かれる。21 音でどうやっ
て 21 概念以上を作るのかというと、和音を用いる。C のような 3 和音(ドミソ)からなる
コードでも 21 の 3 乗分の組み合わせが作れるため(重複は除く)
、相当数表現できること
になる。確かに自然言語で賄っている単語の数くらいは用意に賄えるだろう。
こういった音楽言語は他にもある。むしろフランソワ=スードルのソレソあるいはソル
レソルのほうが有名だろう。これは 1827 年に考案され、1855 年のパリ万博で 1 万フラン
の賞金を得ている。
ソトス=オチャンド『普遍言語の計画案』(1855)も 17 世紀の亡霊で、経験主義で概念を
分類し、規則的にアルファベットを配列して造語する。最小対語の問題は無論残ったまま
である。
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17 世紀と異なるのは科学が発達しているので、当時の最新の科学観を反映している点で
ある。結局分類に頼った方法は作者の経験かそうでなくば当時の科学に依存するしかない
という限界がある。この限界ゆえ、分類法に基づく言語を見ていれば――そして科学史に
精通していれば――いつごろ作られた言語であるかが推測できる。これは現代の我々が人
工言語を分析する上で便利なタグとして機能するが、この機能は普遍言語を目指した当人
からすれば極めて不名誉であったに違いない。
さて、19, 20 世紀に入るとライプニッツらから分岐してきた人工言語がそれまで以上に
ウィルキンズらの人工言語と分離していく。ジョージ=ブール、フレーゲ、ヴィトゲンシ
ュタイン、カルナップ、そして果ては宇宙人との交信用に作られた信号が如きハンス=フ
ルーデンタールのリンコス――これらはいずれも多かれ少なかれライプニッツの影響を
受け、今日のプログラム言語へと繋がっていくものである。
一方、
ウィルキンズらの系譜は 20 世紀に入ると普遍言語ではなく国際補助語へと姿を変
えていく。普遍言語は 1866 年を境にほぼ死滅させられ、それに代わって台頭してきたのが
国際補助語である。
下火ではあったもののまだ残存していた普遍言語は 19 世紀初頭に比較文法学によって
一時脚光を浴びる。哲学的言語においてもアダムの言語を見つけようとする神学的言語に
おいてもやや盛況になった時期だが、特にアダムの言語への夢がこのころは強かった。と
いうのもこの頃は人工言語ではなく、言語の起源が何であるかを巡って論争が行われてい
た時期でもあったからである。
単一起源論者はいうまでもなくアダムの言語に固執し、それを証明しようとした。しか
し比較言語学が進歩していく中で、徐々に単一起源論者は劣勢に追い込まれていった。彼
らの劣勢が疲弊に変わったころ、事態は学会を巻き込んで大きく変化した。
1866 年にパリ言語学会が創立すると、学術的な厳密性を持った議論をすべきであるとい
う主旨がやにわに起こった。そして学会は言語の起源と普遍言語にかかわる論文を受理し
ない方針を明らかにした。
この事実だけを知っていると、これが言語学が人工言語を研究対象としない理由に見え
てしまう。しかしいま述べたような時代背景を知っていればそうでないと分かる。
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学会は根拠が薄く無秩序に繰り返される議論を拒絶した。その議論とは言語の起源に関
するものである。
そして普遍言語は単一起源論者にとって証明の道具として使われていた。
学会にとって言語の起源論を排斥するだけでは足りなかった。その道具として使われる
普遍言語についても排斥する必要があった。普遍言語は言語の起源論が排斥された際に連
座の刑を被ったにすぎない。従ってパリ言語学会の採択を以て普遍言語が言語学の範疇か
ら外れた根拠とするのは不当である。
その上、パリ言語学会が排斥したのは正確にいえば普遍言語であり、人工言語総体では
ない。ゆえに 1866 年の件は人工言語が言語学の対象から外れる正当な理由にはならない。
だがこの言語学会の表明は絶大な影響力があった。
その影響力は今日にすら響いており、
言語学で人工言語を扱わない悪しき因習の一因となっている。パリ言語学会の採択がきっ
かけとなって既に下火だった普遍言語が死滅し、それに取って代わる形で人工言語の潮流
は国際補助語に変わっていった。
・国際補助語の台頭
さてこのころは科学技術の発展に伴い、コミュニケーションも交通も高速で行われるよ
うになり、地球が狭くなった。当然、異文化コミュニケーションが重要になり、西洋での
共通語のフランス語が世界規模で見ると共通語でなくなってきた。つまりは科学の発展が
世界を狭くし、ひいてはバベルの混乱を復活させたわけである。
これに伴い共通語の需要が再び高まった。ところが特定の言語、例えばフランス語を共
通語にするのは現実的に難しいユートピア思想にすぎず、イデオロギーとしてもある特定
の民族の言語を押し付けるという点で難点がある。
また、学術世界の共通語であるラテン語を共通語として再燃させるのも現実的ではなか
った。ラテン語は事実上死語なので中立の立場は取れるものの、ラテン語そのものの曖昧
さや複雑さが共通語としては不適格であると考えられた。
そこで学習者にとって中立でしかも学習が容易な言語を考案し、これを国際補助語とし
て使おうという考えが出てきた。この理念により、人工言語の類型は急激に先験語から後
験語に流れていく。もっともこれは万人の考えではなく、フランス語を国際語として採択
しようという現実的な案のほうが遥かに実践的であったことを加えておく。
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このような国際補助語の観点でクチュラとレオーは『新しい国際語』(1907)において、
数々の案出された言語案を検討している。両者は 1901 年に「国際的補助言語を採択するた
めの委員会」を発足している。こうした委員会ができたということは、当時の社会におい
て国際補助語の必要性があったということである。
・ヴォラピュク
シュライヤーは 1879 年にヴォラピュクを考案した。ヴォラピュクはドイツ・フランスで
広まり、1889 年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアにまで手を伸ばすようになっ
た。
ヴォラピュクは 28 字のアルファベットを使用し、1 字が 1 音に対応している。アクセン
トは最後の音節に来る。すなわち拘束アクセントである。シュライヤーはヴォラピュクの
普及を狙った結果、大きなシェアを持つ中国語が r を発音しないと考え、ヴォラピュクか
ら r 音を除いた。中国しか視野に入れていない点でまだ世界観が全世界にまで広がっては
いないといえる。
ヴォラピュクの参照言語は既に力を付けていた英語である。しかし語彙についてはドイ
ツ語を使っていることが多い。単語は参照言語の単語をかなり切り詰めているため、元の
形を推測するのは難しい。語形が短いのは合理的なのだが、その代わり覚えにくいという
欠点を持つ。何を参考にしたのか分かりにくい点で後験性は若干弱まっている。
形態論としては屈折語の性質を有するが、膠着も豊富である。人工言語らしく規則性は
強い。例えば形容詞は例外なく-ik を持つ。gud は-ik が付いていないので「良い」ではなく
「善」である。
「良い」にするには gudik とせねばならない。
エスペラントの mal-のような劣等を指す lu-は vat(水)と組み合わさると汚水ではなく
尿になる。この辺りの作者による恣意性はダルガーノやウィルキンズ(特にダルガーノ)
の造語法を髣髴させる。
普遍言語が滅んだ後しばらく人工言語は下火であったが、国際補助語の需要が増した時
流に乗れたこともあって、ヴォラピュクは当時かなりの高評価を得ていた。
・エスペラント
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一方、ザメンホフは 1887 年にエスペラントについての手引書をロシア語で出版した。ヴ
ォラピュクに少し遅れて作られたこの言語は国際補助語として最も普及した人工言語であ
る。
エスペラントは 5 母音、23 子音の音素体系を持つ。アクセントは最後から 2 番目の音節
に来る。文字はラテンアルファベットに字上符を付けたもので、28 字である。固有名詞を
除いて q, w, x, y を欠く。
語彙はロマンス語からの流入が最も多く、次いでゲルマン語からの流入が多い。基本語
順は SVO である。類型的には膠着語である。規則性が高い図式派の代表である。文法上
の性は持たないが数を持つ点でやはり西洋語的である。英語と異なり名詞が複数形だと形
容詞も複数形になる。これはややこしいということで現在でも批判を浴びている。
実際エスペラントはかなりの批判要素がある。発表後はとにかく叩き台になり、批判を
受けると同時に他の国際補助語を生む土壌にもなっていった。
・国際補助語の群雄割拠と凋落
19, 20 世紀は国際補助語の時代であった。エスペラントを筆頭に国際補助語が支持者を
獲得していった。だがそれ以上にエスペラントは派生言語を生んだ。エスペラントを参照
言語とした人工言語が数多く作られた。このことはエスペラントが国際補助語の人工言語
の中で異例な度合いで普及したことを反映している。
ただ、歴史的に見て人工言語と普及の関係は言語自体の合理性などといったシステムに
はなく、むしろ社会的な要素にある。なるほどエスペラントより合理的で論理的な言語は
いくつもあろう。そして実際枚挙に暇がないほどそういった類のものは考案された。だが
そのどれもがエスペラントの普及率を上回らなかったことが、人工言語の普及が社会的な
要素にかかっているということを示している。
比較的普及した人工言語を挙げろといわれればまずエスペラントが来るが、それに次い
でヴォラピュク、インテルリングア、イドなどを挙げることができる。インテルリングア
はベアノの考案した言語で、自然派に位置するものである。
ヴォラピュクからはバルタ、エスペラントなどが派生している。インテルリングアから
はラティヌルス、パンリングアなどが派生している。
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一方、エスペラントからは更に数え切れないほど派生しており、改良エスペラント(1894)、
ペリオ、モンドリングォ、イド、ネオ、エスペランテュイショ(1955)などがある。エスペ
ラントから派生した人工言語は世紀を跨いで長きに渡って作られている。
エスペラントから派生したイドにはドゥータリング(1908)、ラティン=イド、ムンディ
アル、インタル、コスモリングォ(1956)などの派生言語があり、こちらも少なくとも半世
紀ほど派生が続いている。
19 世紀終わりごろから 20 世紀はまさにヴォラピュクやエスペラントなどを祖とした国
際補助語の系譜の歴史に他ならない。
またここで観察されたことは普遍言語論争のときと同じく、人工言語の普及は言語のシ
ステムより社会的・経済的要因によるものだということである。
普遍言語にせよ国際補助語にせよ、本来は言語の壁を取り除くことが共通の目的であっ
た。そのアプローチとして哲学的手段や自然言語を参考にする手段などがあった。
またそこには言語の壁を取り除くよりも人類の祖語たるアダムの言語への回帰を目的と
するものもあった。しかしこれもひとつの共通語を得るという結果においてはやはり同じ
である。
結局のところ、普遍言語や国際補助語はいずれのアプローチであろうと共通の言語を目
指してきたといえる。しかし実際には普及は小規模でしか実現せず、最も普及したエスペ
ラントも国際補助語の地位を築けないでいる。更にウィルキンズやライプニッツやザメン
ホフに対する改良案がたびたび出されてきた。普及せぬまま言語の数ばかり増えていった
というのが実情である。
自然言語が減少する一方で人工言語はむしろ増えているのは興味深い。バベルの再建を
目指す行為がむしろ新たなバベルの崩壊を招いたというのは皮肉なものである。
かつてバベルの塔を崩壊させたのは神であった。人工言語の制作者はその言語の命名に
おける創造主としての神であるが、バベルの塔を再び崩壊させるという点においてもまた
神である。
17 世紀ごろ人工言語は社会に歓迎されていた。社会は普遍言語を期待した。しかしいず
れも実用的なものではなく、言語案ばかりが乱立した。普遍言語ができるどころか却って
カオスが生まれた。
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19, 20 世紀における国際補助語の乱立もまた、その主旨に反してカオスを生んだ。もし
今また 21 世紀にカオスを再現するというのなら、それは 20 世紀に起こったエスペラント
の焼き増し運動よりも痛烈な歴史の皮肉になるだろう。
現在の地球は17世紀や20世紀とは事情が異なる。
社会は普遍言語に熱を入れておらず、
土着語がほぼ対等な力で乱立しているわけでもない。18 世紀のヨーロッパにおけるフラン
ス語が普遍言語の熱を醒ましたのと同様、 20 世紀後半から 21 世紀初頭における英語が国
際補助語の熱を醒ましている。
今の地球では人工言語でなく自然言語の英語に共通語の地位を求めるのが妥当であろう。
実際、社会もそれを反映して国際補助語に目を向けていない。そのため、人工言語の意義
やあり方は確実に変わってきている。
英語によって事実上国際補助語熱は冷めた。しかし、だからといって人工言語史が止ま
ったわけではない。国際補助語は人工言語のひとつの類型でしかない。これまで見てきた
ように人工言語には色々な類型があり歴史がある。前世紀に国際補助語が経験した挫折を
人工言語総体の挫折と見なすのは早計である。国際補助語の凋落は人工言語史のひとつの
里程標にすぎない。通時的に見れば人工言語は次の時代に突入したと考えるのが妥当であ
る。
●21 世紀の人工言語
・人工言語の分布の仕方
地球のグローバル化に伴い、それまでほとんど西洋に封印されていた人工言語は世界各
地に広がっていった。日本にも 20 世紀にはエスペラントが持ち込まれている。
ときに世界 3 大宗教と人工言語の分布の仕方を比べると明らかな違いがある。アラブ圏
にいけばイスラム教徒が多く、西欧ではキリスト教徒が多い。地域ごとに比率が異なる。
しかし人工言語はそうでない。概ねどこへ行こうがエスペラントのシェアが最も高い。
人工言語の割合はむしろコンピュータの OS に近い。ウィンドウズが大概最大のシェア
を占めるように、エスペラントが群を抜いている。
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日本でもそれは同じで、エスペラントが最も多くのシェアを占める。書店で購入できる
書籍を比べてみてもインターネットの日本語サイトの件数を比べてみてもそれは明らかで
ある。
・パソコンとインターネットの出現が人工言語史を動かした
グローバル化に伴い西洋から人工言語が伝来し、日本では人工言語といえばエスペラン
トという公式が生まれるに至った。これは今日でも変わらないが、制作者の側では 21 世紀
に入って大きな変化が訪れた。
20 世紀末にパソコンが普及したことにより、インターネットも徐々に普及していく。21
世紀にかけてインターネットの加入者は爆発的に増え、常時接続が普及し、大容量ブロー
ドバンドが普及した。
人工言語が最も社会に歓迎されたのは 17 世紀の普遍言語時代であるが、
この時代でも人
工言語で儲けたり飯を食うのは極めて難しかった。いわんや現代は英語が国際語として機
能している。インターネットによって世界は更に狭くなり、英語はデジタルを通して更に
普及している。
こういった社会的背景でこれからの人工言語はどうなっていくのだろうか。まず最初に
国際補助語は英語のような共通語があるかぎりは凋落したままであると予想される。だか
らといって仮に英語が凋落してもエスペラントのような国際補助語が共通語になるかとい
うとそれはない。19, 20 世紀の歴史がそれを証明している。
これまでの人工言語史を見るに、今後生き残るのは個人言語や芸術言語であろう。
現代のインターネット社会は言語の制作と発表を容易にした。ザメンホフがそうであっ
たように、今までは人工言語を発表するにはしばしば多額の費用をかけて自費出版するし
かなかった。人工言語では金儲けができないので、資金に恵まれた者しか発表することが
できなかった。
その上当時は紙で言語を作っていたが、今はパソコンがある。パソコンとインターネッ
トによって、個人でも簡単に言語を作って発表できるようになった。
よく人工言語史は 17, 8 世紀の焼き増しにすぎないと言われるが、それは違う。パソコン
とインターネットによって人工言語を取り囲む環境は劇的に変わった。これにより、17, 8
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世紀ではできなかったことができるようになった。
人工言語は 21 世紀に入って新たな局面
を迎えたのである。
・アルカ
パソコンとインターネットの登場によって人工言語史は新たな局面を迎えた。そこに登
場したのがアルカである。この言語は 1991 年から作られ、パソコンとインターネットの普
及をリアルタイムで経験している。
これまでの人工言語、特に先験語は非常に作り込みが甘かった。文法も音韻論も辞書も
単語の語法も用例も言語と文化の関連性も、そのすべてにおいて情報量が少なく、粗雑な
代物であった。
エスペラントのような後験語は既に存在する言語から文法だろうが単語だろうがありと
あらゆる要素を引っ張ってくることができる。一方、純粋な先験語はすべてをゼロから作
らねばならない。パソコンとインターネットがなかった時代には純粋な先験語を作り込む
ことができなかった。
パソコンとインターネットがない時代には、紙ベースでの作業を強いられた。これは非
常に効率が悪い。単語を修正するたびに修正液で消した汚い跡が残るし、修正液は同じ箇
所に何度もかけることができない。鉛筆で書いて消しゴムで消す方法も、紙の劣化を考え
ると何回もできない。ボールペンで二重線を引いて余白に修正した内容を書く方法だと、
いずれ紙面が足りなくなる。
また、単語を変更したときの処理も非常に面倒である。例えば gat という語を zap とい
う語に変えた場合、g を z に移動するわけだから辞書の紙面上は相当な距離があり、変更
箇所まで矢印を引くわけにはいかない。仕方がないので zap のところに手書きで gat の内
容を丸写しして、gat については手で消すしかなかった。
それが嫌なら単語カードを作って単語ひとつに一枚のカードを宛てがい、それらのカー
ドをリングなどにまとめておくしかなかった。
紙作業の不便なところはこれだけではない。Ctrl+F 検索ができないため、一度書いた記
述を探そうと思ったとき、場所を覚えていないとそれこそひとつ探すだけで日が暮れるこ
とがある。この検索ができるかどうかというのは作業効率に重大な影響を与える。
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パソコンが普及している現在から考えると、アルカのようにアナログを経験した言語は
恐ろしく非効率的な作業を強いられていたということが分かる。1990 年代もルルスの時代
もザメンホフの時代も作業環境は大差ない。
また、先験語では新語を作る際には自分でその概念について調べて命名を行う必要があ
る。アナログ時代は百科事典が頼りで、グーグルもウィキペディアもなかった。俗語や世
俗の文化は紙の辞書には載っていないことが多々あるため、載ってなければそれまでとい
う事態が多々あった。今からでは信じられないほど不便な時代である。
また、言語を公開・流布しようにも、インターネットがないのでどうにもならない。自
費出版くらいしか手立てはなかった。かといって自費出版した本など置いてくれる書店は
ほとんどなく、たとえ出版社がねじ込んでくれたとしても片隅に置かれるだけで、誰にも
触れられずに返品されるか埃をかぶるかというのが現実であった。
ところが今はパソコンとインターネットがある。単語の修正も登録も簡単で、公開もイ
ンターネットで容易に行える。更にパソコンの画面はフルカラーなので、自費出版する際
は予算の都合で 4 色にできなかった言語も、容易に色を付けて公開できるようになった。
また、ブロードバンドの普及により、文字だけでなく画像や音声や動画すらも公開でき
るようになった。これにより自費出版を行うより安くクオリティの高い資料を公開できる
ようになった。
新語を作る際もインターネットで概念を簡単に調べられるから、インターネット上のユ
ーザーに新語の作成を請求されてもその日のうちに造語することができる。そしてその変
更をその日のうちに相手に伝えることができる。これは今でこそ当たり前だが、アナログ
時代を経験した者にとっては魔法に等しい。
こうした夢のような環境の変化により、今までは作ることのできなかった情報量が大き
く品質の良い、すなわちゼロから細部まで作り込まれた先験語を作ることができるように
なった。
その新しい時流に乗って登場したのがアルカである。今までは自然主義のアプリオリ人
工言語をゼロから作ろうと思っても、アナログ環境ではそれに見合う質と量を実現できな
かった。しかしパソコンとインターネットがそれを可能にした。
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むろん、パソコンとインターネットが普及したときに作られていた人工言語はアルカだ
けではない。しかしあらゆる人工言語が自然主義のアプリオリ人工言語に転向していたわ
けではなかったし、むしろこの類型を作ろうとするのは極めて稀であった。というのも、
あらゆる人工言語の類型の中で最も労力がかかり、制作者に広範な知識を要求するためで
ある。従って、そもそもアルカのような類型に挑戦しようとする制作者は少なかった。
その上、アルカには他にもアドバンテージがあった。通常金銭にも名誉にもならない人
工言語は協力者が得られず制作者が一人で行うものだが、アルカは幸せなことに協力者に
恵まれた。
ユーザーがいるという事実は人工言語にとって大きい。実用してくれることで言語の欠
陥に気付くことができ、修正することができる。また、アルカの場合はユーザーがコンテ
ンツを作ってくれたり、ユーザーが別のユーザーを勧誘してくれたりした。
これは通常の人工言語ではあまり見られない光景である。というのも、ほとんどの人工
言語は制作者が一人で全ての作業を行っており、分担ができず、かつ使用者も存在せず、
作った本人ですら自分の言語をよく喋れないというのが一般的だからである。
アルカのような人工言語は労力の問題で珍しい類型であること、そしてその難しさにも
関わらず協力者がいたこと。これらの恵まれた環境のおかげで、パソコンとインターネッ
トが作り出した新たな人工言語史の局面において、アルカは新しい形の人工言語として人
類初の快挙を成し遂げた。アルカほどの質と量を持った自然主義のアプリオリ人工言語は
それまで存在しなかったのである。
ましてアルカにはそれを支える自然主義のアプリオリ人工世界カルディアが付随する。
言語は世界、すなわち文化と風土の影響から切り離すことができない。従って言語をゼロ
から作る場合は世界も合わせてゼロから作るという選択肢が存在する。
そこで作られたのが自然主義のアプリオリ人工世界カルディアである。これもまた質と
量において人類史上初のものであった。というのも、アナログ時代ではここまで細やかな
世界の作り込みはできなかったからである。
アルカとカルディアは既にそれぞれが史上初の作り込みを持った創作物である。その上
これらは組み合わさってひとつの作品になるという特徴を持つ。人工世界カルディアはあ
くまで人工言語アルカに文化と風土の影響を与えるために存在する。この自然主義のアプ
リオリ人工言語と人工世界の組み合わせというのもまた史上初のものである。
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パソコンとインターネットが普及したことで、人類は言語と世界をゼロから作り込むこ
とができるようになった。そしてそれを初めて豊富な量と高い質で実現したのがアルカと
カルディアである。
だが今後はアルカのような人工言語が出てくる可能性が十分にある。環境がそれを許し
ているからだ。19 世紀にヴォラピュクやエスペラントの発想を真似て様々な人工言語が派
生したように、アルカの二番煎じが将来的には生まれることになるだろう。
もっとも、アルカのような人工言語は極めて労力がかかるため、後験語のエスペラント
ほど気楽に作れるものではない。ゆえに二番煎じとはいえ、その数は限られることであろ
う。
・パソコンとインターネットの功罪
パソコンとインターネットが普及したことで、言語作りと公開は気楽に行えるようにな
った。しかしそれによって起こった問題もある。
確かに現在は人工言語をインターネット接続費用程度の小額で発表できるようになった。
人工言語がインターネットで公開されればそれは他の制作者の資料になるため、他の制作
者にとって更に人工言語作成の敷居は下がる。
こうして人工言語は 17 世紀の普遍言語論争
時代を凌ぐ勢いで増えることとなった。
だが容易に発表できるということは 18 世紀のように前時代の焼き増しでしかない粗い
言語の増加をも意味する。自費出版では大きく自腹を切るため、通常原稿の隅々まで考察
してから出版することになる。
しかしインターネットでは詰めの甘い段階で気軽に言語を公開できる。それは質の低下
にも繋がる。単に言語や語学が好きという好事家が容易に言語を作成し発表できるという
のは一長一短である。
●未来の人工言語
・加速するインターネット上の人工言語
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人工言語の今後についてだが、公開が容易であることと作成のための資料が集めやすく
なったことから、インターネットを基盤とした人工言語の氾濫が予想される。
それに伴い、インターネットを基盤とする人工言語を出版された人工言語より無条件で
格下に見る向きも現れるだろう。だがそれは稚拙な決め付けである。実際のところインタ
ーネットを基盤とする人工言語は玉石混交で、精度の高いものもあれば即興的なものもあ
るというのが正確な見方である。
・出ては消える泡のような人工言語群
言語を作る行為は大変なもので、言語学や語学に留まらず、ウィルキンズのように博学
的知識まで必要とする。更に今まで見てきたように、人工言語は当時の科学力を反映して
いる。
これからの人工言語は二次曲線を描いて昇華した 20 世紀の科学を反映することにな
る。
概念の数はウィルキンズの時代で既に人が一生かけても作りきれないほど多かった。現
代は科学の発展で爆発的に専門用語が増えている。どうやって現代人が個人や小集団でこ
れらを命名しきれるというのだろうか。現代の学術用語が利用しているラテン語を機械的
に流用するのならまだしも、アプリオリで作る場合は到底英語のような規模の語彙を作り
きることはできない。
もっとも、科学技術の単語は必要になった際に作ればよいわけだから語彙の問題は捨て
置くことができる。しかしそれでも言語を作ることは容易いことではない。玉石の石のほ
うは恐らく作者がすぐに飽きて捨ててしまうだろう。
また、人工言語が乱立する一方で学習者の増加はそれほど見込めないだろう。
結局多くの言語が公開から数年も経たぬうちに消えるか更新されない亡霊として残るだ
ろう。そしてその間にもまた新しいものができては消えという連鎖を繰り返すだろう。
・国際補助語の亡霊
今後も国際補助語は歴史や現状を顧みず、無謀にも作られるであろう。だが普及は成功
せず、学習者も極めて少ないと予想される。
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結局は少数の協力者との限られたコミュニティの中でその国際補助語は存続し、時間と
ともに自然と国際補助語から小集団による個人言語へと変貌していくことだろう。そうで
なくば消滅の一途を辿ることになる。
・ポータルサイトと解説サイト
また、インターネットを背景に人工言語が乱立すれば、それらをまとめたリンク集やポ
ータルサイトが出現することだろう。更に、人工言語の作り方や人工言語とは何かを説明
したウェブサイトも現われるだろう。
前者は中世・近世において紙で行われていたことをデジタル化しただけのものであるか
ら、発想としては斬新でない。ただ、紙よりインターネットのリンクのほうが遥かに便利
であるため、その有効性はかつてのものより高いと考えられる。
・自然言語と人工言語の反比例する増減率
自然言語は徐々に減っていっている。一方、人工言語は制作の敷居が下がったことで増
えている。自然言語の総数が減少の一途を辿るのに対し、人工言語が増加の一途を辿ると
いうのは興味深い。
ただ、増えていく人工言語のほとんどは短期間のうちに更新が途絶えるものと予想され
る。
・未来技術と人工言語の展望
人工言語作りにおいて最も労力を必要とするのは辞書の制作である。お遊びのようなク
オリティならまだしも、自然主義のアプリオリ人工言語と人工世界をしっかり作るのであ
れば、辞書の制作は自動化できない。結局は人間がひとつひとつ職人技で検討し、記述し
ていくしかない。
ところが入力に使うキーボードというのは非常に人間の身体に負担を強いる。10 年も打
ち込みの作業を続けていれば、制作者の身体が持たなくなる。
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また、現在のディスプレイは光を放つ VDT である。これも長時間に渡って使用しつづ
けると身体に負担をかけ、眼精疲労や自律神経の失調などに繋がる。
確かにパソコンとインターネットは便利だが、人間工学的にはまだまだ改良の余地があ
る。自然主義のアプリオリ人工言語と人工世界はとにかく労力のかかる作業なので、制作
者の身体にできるだけ負担をかけない必要がある。でなければ途中で体調を崩して作業ペ
ースが落ちたり制作を打ち切ってしまうためである。
環境改善として考えられるのは、まずキーボードである。できるだけこれを使いたくな
い。音声で入力できれば最も身体に負担がかからない。ところが現在の音声認識技術は不
十分である。
次はディスプレイである。電子ペーパーのような発光しない画面が目に優しい。ところ
がこれもまだ動画を再生できるパソコン用のディスプレイとしては一般向けに発売されて
いない。
あとはマウスである。マウスを操作しつづけるのも菱形筋などに大きな負担がかかり、
背中の凝りを形成する。やがてそれは自律神経叢にも影響を与えるようになる。
だからマウスもできるだけ使いたくない。目線などを利用してマウスのポインタを操作
できれば身体の負担が減る。左目のウインクで左クリック、右目で右クリックなどとすれ
ば非常に楽である。瞬きはむろんウインクと区別される。
また、同じ姿勢で原稿を書き続けると、姿勢性の腰痛などに見舞われる。公園などを 5
分ほど散歩して 20 分ほどベンチに座って執筆するというのを繰り返すのが身体を壊さな
い方法だが、現状は無理がある。
ノートパソコンは大きくて重たいし、iPhone のようなスマートフォンは小さすぎて執筆
に向かない。また、Windows が入っていなかったりして辞書ソフトが起動しないことがあ
る。更に画面が発光するので目に負担もかかる。
そこで欲しいのが四つ折りにできる電子ペーパー搭載の端末である。普段はポケットに
入る大きさだが、四つ折りにしてあるので広げると四倍角になる。5 インチなら 20 インチ
にまで広げることができる。電子ペーパーなので目にも優しい。
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当然最新の OS が入っており、起動も早く、動作も軽快で、辞書ソフトも使える。キー
ボードはタッチ式になるが、その反応もすこぶる良い。欲を言えば音声をしっかり認識し
て、喋った文を自動で原稿に起こしてくれると良い。
このような端末が将来的にはいずれできるであろう。そうなればアルカのように手間の
かかる人工言語をもっと効率良く作ることができる。
加えて、電子書籍の台頭も望まれる。言語をゼロからしっかり組み立てるには言語学の
知識がいるが、きちんとした知識を得ようと考えた場合、インターネット上の情報だけに
頼るのは危険すぎる。
そこで書籍を頼ることになるが、書籍は紙に書いてあるので Ctrl+F 検索ができない。必
要な記述がどこに書いてあったか覚えていなければならないが、そんなことはできないの
で、以前見たがどこで読んだか思い出せないということがたびたび起こる。それを調べる
には一日がかりの作業になるし、そして時間をかけたわりにはしばしば見つからないとい
うこともよくある。
電子書籍が普及して文書がテキストデータ化されれば、このような問題は一瞬にして解
決する。人類の進化のためにはとっとと出版社や印刷所や書店や図書館は潰れるか業態を
変えるべきで、すぐにでも既存の書籍を含めた電子書籍化をすべきである。
まずは OCR で読み込んだ紙の本のテキストを人力で校正させ、既存の書籍を電子書籍
化すべきである。天下りの無駄な人件費に税金を投入するくらいなら、よほどこちらの作
業に税金を投入したほうが国益に繋がる。
そしてこれから出す本はすぐにでも電子書籍として販売すべきである。Ctrl+F 検索がで
きれば、特に文系学問の進化する速度は飛躍的に向上する。
なお、それを読むための端末にもすぐさま電子ペーパーを搭載すべきである。
アルカの場合、人間工学的に優しい環境が整っていなかったため、制作者は体を壊して
まで言語を作りきった。
自分たちだけのことを考えれば、
未来技術ができても手遅れだし、
ライバルに抜かれるだけだから旨味がない。それでも人工言語史を止めないためにはその
未来を選ぶべきだと考えている。
未来人はこう言うだろう。
「アルカは時代に恵まれた。自分もあの頃生まれていれば、彼
らよりも早く史上初の快挙を成し遂げることができたかもしれない。
彼らが羨ましい」
と。
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しかしそれはどっちもどっちである。
確かにこちらは歴史には名を残したかもしれないが、
未来人のような恵まれた機械環境が無かったせいで、身体を壊してしまったのだから。
未来技術を使ってアルカのような言語を作った場合、もっと早く楽に作れるだろう。人
工言語の未来はそうなる。パソコンを取り巻く環境が良くなり、今より簡単に早くアルカ
のようなクオリティを持った言語が作れる。つまり、言語作りの敷居が下がるというわけ
である。
敷居が下がるとまた粗雑な言語が出てくる可能性が浮上するが、いずれにせよ未来の人
工言語界はそのように変化していくことであろう。
●人工言語四傑
結びとして、人工言語史上の四人の傑物が作った言語について論ずる。その言語とは制
作者の生まれた順に以下のとおりである。
1:現代ヘブライ語
2:エスペラント
3:中つ国の言葉
4:アルカ
これらを挙げた基準は、
人工言語史上の里程標であること、
それぞれ類型が異なること、
その時代の潮流に乗った新風だったこと、知名度が高く人工言語にしては協賛者が得られ
たこと、などである。
まず現代ヘブライ語について。これは 19, 20 世紀を生きたエリエゼル=ベン=イェフダ
ーによって作られた言語である。いにしえのヘブライ語を彼はほぼ独力で話し言葉として
復活させた。
純粋な人工言語というよりは自然言語寄りである。しかしほぼ彼が独力で再建したこと
から、分類上は後験語の人工言語に振り分けてよかろう。
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イェフダーの作業量は膨大で、使命に対する熱意と根性は四傑の中でも最大のものであ
る。紙ベースでの作業だったため、むろん彼が遺した結果物はアルカほど多くない。しか
し紙ベースでの苦労を知っている筆者としては、彼の尋常ならざる苦労が分かる。間違い
なく彼が四傑の中で人工言語の作業を最も多くこなしているといえる。
エスペラントは既に述べたとおりである。これは西洋語を混ぜた後験語で、世界最大の
シェアを占めるため、四傑に挙げざるをえない。
なぜ「挙げざるをえない」という表現なのかというと、純粋に人工言語の作業をする人
間からすれば、彼はやや異色だからである。
意外かもしれないが、人工言語の制作者としては彼はやや異色である。彼が人工言語の
実務に費やした時間と労力は、イェフダーに比べれば圧倒的に小さい。彼が行ったのはほ
とんどが社会的な活動で、つまりは普及活動である。
これは純粋に学問や芸術として人工言語を作っている人間、あるいは言語を作ること自
体に興味がある人間からすれば、正直尊敬に値しないことである。
ゆえにザメンホフはどちらかというと四傑の中でも人工言語普及の活動に力を入れた人
物という認識であり、言語自体はあまり作り込んでいないと言える。
実際エスペラントは後験語で、語法も文化も細かく設定されていない。彼が成した作業
はイェフダーの血の滲む努力と比べればあまりにも小さい。
中つ国の言葉はトールキンによって作られた言語で、芸術言語に分類される。この点で
イェフダーやザメンホフとは異なる。
中つ国は架空の世界なので人工世界であり、
そこの言語は架空の世界の人工言語である。
中つ国の言葉と中つ国の関係はアルカとカルディアによく似ている。
ただ問題は、この頃はまだパソコンとインターネットがなかったため、言語にせよ世界
にせよゼロから細かく作り込むのは不可能であったという点である。そしてそこがアルカ
やカルディアとの違いである。
とはいえ、パソコンとインターネットがない時代の言語と世界にしては極めてよく作ら
れており、トールキンもまた四傑に数えられるべき人材である。
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そして最後はパソコンとインターネットの登場により人工言語史が動いた時流に乗って
登場したアルカである。これは上述のようにゼロからの作り込みを重んじる自然主義のア
プリオリ人工言語と人工世界という特徴を有する。
パソコンとインターネットの登場は、活版印刷と同じくらい歴史を大きく変えた。その
変化に最初に乗って新たな類型の言語を最初に成し遂げたという意味で、アルカもまた歴
史に残る人工言語である。
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