開発生産性のディレンマの先にあるもの ―産業レベル分析の限界と課題― 筑波大学 システム情報系 生稲史彦 <abstract> 現場の能力向上は需要の創造によって報われる。需要創造が企業や消費者の購入す る意図の積み上げだとすれば、いかにして購入の意図を引き出すかが問題となる。本 報告では、ほぼ需要がない状態から数千億円規模の産業になったゲームソフトの事例 に基づいて、需要創造の背後でどのような現象が生じていたのかを考察する。 ゲームソフト産業では、主たる製品イノベーションの交代があった。重要な製品イ ノベーションが生起し、多数の多様な製品が提供されることで、消費者が買い増しし たいと思うようになった。そうした買い増しの意図が産業を支える需要となった。 ただし、ゲームソフトの「産業」を分析単位とした研究を進めることによって、産業 研究のあらたな課題も見えてくる。現代の文脈の中でいかに産業研究を遂行していく のかは、今後の重要な課題だろう。 1. はじめに 品質と生産性を高めて納期を短くする現場の能力向上は、現場が作り出す製品サー ビスを消費者が購入することによって報われる。この意味において、現場の進化と需 要の創造は両輪であるとされる (中沢・藤本・新宅, 2016)。需要の創造を政府の役割 に期待することもできるが、政府に頼らない需要の創造もまた必要であろう。本報告 では、政府に依らない需要の創造を行う上で、企業が製品の差別化を行い、製品の多 様性が増していくことによって生じる効果を考察する。とくに、企業が製品差別化を 遂行して需要創造に成功する場合、製品がいかに進化して行くのかに焦点を当てる。 企業の製品差別化によって需要の創造に成功し、大きな新しい産業が成立したことか ら、本報告では日本のゲームソフト(家庭用ゲーム機向けソフトウェア)のビジネスを研 究対象にする。 日本のゲームソフトのビジネスは、技術と市場の両面で先行したアメリカのビジネ スと、国内の業務用ゲーム1の影響を受けて成立した2。その契機となったのは、1983 1 業務用ゲームとは、事業者によってゲームセンターなどに設置されるゲームである。1990 年代くらいまでは、家庭用ゲーム機よりも高価なハードウェアを使えたため、ゲームの技術的 水準が高かった。業務用ゲームの変遷については、赤木(2005)を参照されたい。 2 アメリカのコンピュータ・ゲーム、業務用ゲームの動向が日本に及ぼした影響については、 藤田の一連の研究(藤田, 1998; 1999a; 1999b)に詳しい。 1 年に任天堂が発売した家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」であっ た3。ファミコン上で動作するゲームソフトは、1984 年以降、急速にバラエティを増 し、ビジネスは急成長した。しかしながら、革新的な製品イノベーションは 1986 年前 後には現れにくくなり、産業としても成熟した。さらに、1990 年代には小型のハード ウェア(携帯型ゲーム機)を利用するゲームが登場し、2000 年代に入るとインターネッ トを活用したオンライン・ゲーム 4 や、携帯電話もしくは SNS (social networking service)の上で動作するゲームが現れ、新しいビジネスが次々に成立し、成長した。そ の影響もあり、家庭用ゲーム機向けソフトウェアのビジネスは成熟から停滞の局面に 入った。 本報告では、ゲームソフトの製品進化を記述する。その上で、実際に生じた製品進 化を解釈することによって、需要の創造に資する製品の多様性はいかに生じ、いかに 変質し、結果として需要の創造が難しくなるのかを考察する。さらに、ゲームソフト の事例を踏まえて、現代の産業研究の課題についても考えていきたい。本報告の後に 残る問いは、産業の中でなぜある一群の製品の中で「似ている」まとまりとしてジャ ンルができるのか、なぜある一群の製品サービスが産業とみなされるのかという問い かけである。こうした問いかけからは、現在における産業研究の課題と可能性を汲み 取ることができる。 2. 本報告の背景、研究枠組み (1) 既存研究の概観 産業の経時的な変化、成長と衰退については、多くの既存研究がある。たとえば、ラ イフサイクルの理念型を提示したマーケティング分野の Kotler (2000)、イノベーショ ン・パターンの理念型を提示した Abernathy (1978)がその代表である。 産業のイノベーション・パターンについては、Utterback and Abernathy (1975)を 嚆矢とし、Abernathy (1978)や Utterback (1994)といった研究がある。これらの研究 では、新奇性が高い技術や製品が現れにくくなる現象に着目し、産業および企業の盛 衰と結びつけて議論している。とくに、Abernathy (1978)の影響を受けたその後の研 究では、どのような要因がイノベーションの発生に影響を及ぼし、イノベーション・ パターンを生じさせるのかを、より詳細に検討してきた。Henderson and Clark (1990) は、企業が従来の技術に対応している場合、それに基づく組織慣性がイノベーション の発生を制約する要因となって、企業が技術変化に対応できない可能性があることを 示した。これに対し、新宅(1994)は従来の技術に対応した企業であっても、適切な戦略 3 4 ファミリーコンピュータの発売前後の事実については、上村・細井・中村(2013)が詳しい。 オンライン・ゲームについては、野島(2002)、野島(2008)などの研究がある。 2 に基づく企業行動を取れば対応可能であるとし、時期によって取りうるべき競争戦略 が異なることを主張している。また、市場ニーズ、従来の顧客への対応とそれから生 じる組織慣性がイノベーションの発生を制約する要因になりうることを示したのが、 Christensen (1997)である。Christensen (1997)では、ハードディスク産業などを対象 とした実証研究を行い、いかなるタイプのイノベーションが既存企業の衰退、新興企 業 の 隆 盛 を も た ら す の か を 明 ら か に し た 。 そ の 結 果 、 価 値 ネ ッ ト ワ ーク (Value Network)の変革の大きさ、すなわち、破壊的(disruptive)か持続的(sustaining)である かが、イノベーションに対する企業の対応、存続にとって決定的な要因であるとした。 これらの既存研究を踏まえつつ、あらためて産業の経時的変化、イノベーションと そのパターンについての実証研究を報告するのは、日本のゲームソフトの事例がこの 研究課題を考える上で恰好の素材だからである。日本のゲームソフトはわずか 20 年弱 の間に、新しい需要を創造し、新しい産業が成立し、その後に成熟した。さらに、個別 の製品に関する情報が豊富なため、20 年弱の間にどのように製品が進化したのかも記 述できる。したがって、一つの産業においてなぜ革新的な製品イノベーションが現れ にくくなって成熟するのかという問いに答え、新しい知見を得られる可能性がある。 さらに、ゲームソフトの産業を研究する独自の意義は 3 つの事柄が見いだせる。第 1 に、ゲームソフトは製造工程が高度に標準化されているため、一般的な意味でのプロ セスの影響を受けず、プロダクトのイノベーション(製品イノベーション)のみを純粋に 観察、考察できる。第 2 に、物理的な損耗がないので、買替え需要の可能性は非常に 低く、新しい製品がいかに需要を創造するのかを観察、考察しやすい5。このことは、 新製品による需要創造を過大評価するバイアスを生じさせる危惧はあるものの、研究 上のメリットも少なくない。第 3 に、製品発売データが完備されている。 (2) 消費者と企業に関する想定―「新しいもの」への期待と「適度な差別化」の継続的遂行 本報告では、需要について単純な仮定を置く。すなわち、社会全体の需要は購買力 を持つ一人一人の消費者や個別の企業が、製品サービスを購入したいと意図すること の積み上げであると想定する。いままでになかった製品やサービス、消費者がカネを 払ってでも手に入れたいと思うような何かを新しく創り出し、多様な製品サービスに よって消費者や企業が惹きつけることによって、経済社会の中で需要が創造される。 消費者は一人一人が個性的であるからこそ、 「買いたい」という気持ちにさせるために は単一の製品よりも多様な製品を揃えた方が、既存のものよりは新しいものを提示し た方が有効だろうと企業は考え、新製品を投入する。その結果として、経済社会の製 品サービスの多様性は増す。 5 ただし、ハードウェアの世代交代があり、それに伴う(ほぼ)同一製品の買替え需要は存在し ていた。 3 より具体的に需要創造を考えていくと、2 つの状況が考えられる。一つには、現有の 製品が物理的に減耗したり、消尽したりしたとき、一人一人の消費者や企業が製品サ ービスを購入したい、買い換えたいと思うだろう。これは、それまでの日常的な生活 や通常の業務を維持するために、製品サービスを購入する意図が生じる状況である。 この場合、製品サービスが以前と比べて変わっている必要はない。あくまで、それま での日常的な生活や重量の業務を維持するためであるから、以前とまったく同じ製品 サービスであって構わないし、むしろ、まったく同じ製品サービスの方が良い場合す らある。そして、この場合には製品サービスの機能が変更される差別化は、需要の創 造に繋がらない。また、差別化の結果としての製品サービスの多様性の増減、発売済 製品全体としての多様性の高低もそれほど重要ではない。 もう一つには、製品サービスの機能向上が期待できるときである。製品サービスの 機能が向上し、消費者自身にとっては利便性などの向上が期待できる場合、製品サー ビスを購入しよう、買い増そうと思うだろう。しかも、そうした購入の意図は既に利 用可能な製品サービスを購入したか否かとは関係なく決まる可能性がある。似たよう な製品サービスを所有していたとしても、消費者などに「似たものを既に持ってはい るが、もっとよい機能の製品サービスが存在するかもしれない」という期待を抱かせ れば、購買の意図を引き出せる6。したがって、消費者の購買の意図を引き出すために 製品機能の向上を期待させることが有効であり、そうした期待を抱かせるためには、 差別化およびその結果として生じる製品サービスの多様性が大きな意味を持つ。企業 などによって、新しい、なにかが違う製品サービスが提供され始めること、違う製品 サービスが種類豊富に提供されていて多様性があることで、消費者がその中から購買 したいと思うものを見いだす可能性が高まるからである。この意味において、製品サ ービスの差別化を目指す企業の活動は購買の意図を引き出し、需要を喚起するために 有効となる。 そうした企業の差別化を目指す活動は、いわゆる企業の基本的な活動である「つく って、つくって、うる」の全てから発現する。中沢・藤本・新宅 (2016)が描く製造業 の現場は造る活動を通じて、高品質、低価格、短納期で製品サービスを提供できるよ うにし、 「もっとよい機能の製品サービス」を提供することに資する。あるいは、営業 や販売といった売る現場は、製品サービスの機能、他の製品サービスとの違いをアピ ールすることを通じて期待を抱かせる。また、新しい製品サービスを創る開発活動は 新しい製品サービスによって、機能向上に関する期待を喚起し、購買の意図を引き出 す。 実際、ゲームソフトのビジネスに携わる企業は、常に、既存の、目の前の、最新の製 こうした狙いで行動する企業が競争する様子を Penrose (1959/1980/1995)は「新しさを巡る 競争」と表現している。 6 4 品に対して適度な差別化を意図し、遂行する企業であった。既に述べたように、ゲー ムソフトの製造工程は高度に標準化されていたため、造る活動を担う製造の現場では 差別化ができなかった7。販売や営業、マーケティングといった売る活動での差別化は 一定の有効性を持っていたものの、新しい製品が消費者を惹き付ける力には抗しきれ ず、新しい製品が中心になる状況であった。それだけにゲームソフト企業は常に新し い製品を創り出す活動を中心にしていた。 ただし、新しい製品を創り出す開発活動に根ざす差別化は、適度であることが必要 であったと考えられる。なぜなら、新しく市場に提供された製品が、既存製品とそれ ほど変わらないと消費者が認知すれば、消費者はその製品に対し肯定的な評価を下さ ず、したがって購入に踏み切る可能性は低い。他方、新しく市場に提供された製品が 既存製品とあまりにも異なると消費者が認知すれば、消費者はその製品の新奇性の高 さゆえに製品を正しく認知することができない。この場合もまた消費者が新製品の購 入に踏み切る可能性は低い。したがって、製品を市場に提供する企業には、既存製品 とは異なるものの、あまりにもかけ離れてはいない、適度な差別化がなされた製品を 創り出すことが求められてきたと考えられる。 ゲームソフトの製品進化を実証的研究である本報告では、以上のような消費者と企 業に関する想定に基づいて、事例を解釈していく。すなわち、 「新しいなにか」を求め て買い増しをする消費者と、開発を通じて「適度な差別化」を目指す企業の姿を、本報 告では一貫して想定する。 (3) イノベーションの定義と分類―2 つのタイプのプロダクト・イノベーション 次節でゲームソフトにおける製品進化の過程を記述し、産業の盛衰を考察するため に、本報告では、2 つの既存研究に依拠する。その一つはイノベーションに焦点を当て る既存研究である。イノベーションの分類軸を提示した Abernathy and Clark (1985) に依拠して、ゲームソフトに適したイノベーションの定義と類型を使用する。 本報告で採用する製品イノベーションの定義は、「ハードウェア(家庭用ゲーム機)に 依存することなく、新奇性と高い完成度を有することによって、ゲームソフト産業の 刷新、成長、維持を実現した事象」である。Abernathy and Clark (1985)の概念を援 用すれば、市場・顧客関連との関連性(Market/Consumer Linkage)を変化させた事象 を、イノベーションと認定する。ただし、ゲームソフトの製品イノベーションを記述 し、分析するためには、 「市場・顧客関連との関連性」の程度に着目し、製品イノベー ションを 2 つに分類することが有用だと考えられる。 実際、研究対象とした 1980 年代と 1990 年代のゲームソフトは、ゲームソフト企業とプラ ットフォーム企業の間の契約により、任天堂やソニー(ソニー・コンピュータエンタテインメ ント)といったプラットフォーム企業に製造を委託することになっており、製造での差別化は 不可能であった。 7 5 その 1 つは、市場・顧客関連との関連性を変化(desrupt/obsolete existing linkage) させた創造的イノベーションである。このタイプのイノベーションは、ゲームソフト という製品の可能性を広げ、 「こんな楽しみ、ゲームがあったのか」という感慨をユー ザに抱かせて、ゲームソフトに対する認知の地平を広げた。ゲームソフトという製品 の可能性の提示、それによるユーザのゲームソフトに対する認知の範囲の広がりは、 ユーザの購買意欲をかきたてた。その結果、創造的イノベーションは、ゲームソフト 産業の刷新、成長、維持を実現し得た。言い換えれば、創造的イノベーションとは、ホ テリングのモデル(Hotelling, 1929)において、差別化の余地、(既存の)製品空間の拡張 を実現する製品イノベーションであると言える。もう 1 つは、市場・顧客関連との関 連性を維持(conserve/entrench existing linkage)した継承的イノベーションである。こ のタイプのイノベーションは、創造的イノベーションによって切り開かれたゲームソ フトの可能性、広げられたユーザのゲームソフトに対する認知の範囲の中に留まって いる。だが、創造的イノベーションが切り開いたゲームソフトに対する認知や地平の 範囲内で、製品の完成度を高めることで、ユーザの購買を惹起し、ゲームソフト産業 の刷新、成長、維持を実現し得た。換言すれば、継承的イノベーションは既存の製品空 間を維持し、一定の領域の中での密度を高める差別化、積み重ねによってホテリング のモデルの製品空間を充足させる製品イノベーションであるといえる。 依拠するもう一つの既存研究は、Clark (1985)のデザイン・ヒエラルキー (design hierarchies)である。イノベーションとそのパターンという研究視角は、産業全体の変 化を見通して大局観を得られるが、細かな製品進化を記述することには相応しくない。 その一方、個別の製品に着目していては 8,000 を超える製品を記述し、解釈すること は難しい。そこで、ゲームソフトの製品進化をデザイン・ヒエラルキーの枠組みを用 いて解釈する。 次節では、ゲームソフトの製品進化がどのような経路を辿ったのかを紹介する。そ の際、2 つのタイプの製品イノベーションの発生がどのような推移をしたのか、デザイ ン・ヒエラルキーの観点でみていかに整理されうるのかを示す。さらに、ゲームソフ トの製品進化がいかなる要因に根ざし、需要創造もしくは産業成長に対していかなる 影響を持ったのかを考察していく。 3. ゲームソフトの製品進化 (1) ゲームソフトのイノベーション・パターン まず、ゲームソフトが全体として見せる変化を捉えるためにイノベーションに着目 して 1983 年から 1999 年の間に生起した事象を見ていこう。前項で提示した製品イノ ベーションの 2 類型を踏まえると、ゲームソフトでは中心的な製品イノベーションが 変化してきた。それは、非連続的な製品イノベーション―創造的イノベーション―が 6 中心の時期から、連続的な製品イノベーション―継承的イノベーション―が中心の時 期への移行であった。ゲームソフトの変化を発生した主な製品イノベーションに着目 してまとめると<表 1>のようになる。 <表 1>ゲームソフトの時期区分 産業成立の 1983 年から 1986 年頃までの時期は、創造的イノベーションが中心であ った。具体的には、 『スーパーマリオブラザーズ』 、 『ドラゴンクエスト』 、 『ゼルダの伝 説』などの発売が、創造的イノベーションと呼ぶに値する事象である。新しいジャン ルや新しいシリーズの成立に繋がるような新奇性の高い製品が開発、発売され、それ によってゲームソフト産業としても成立し、成長した。この時期には、非連続な製品 イノベーションが少なからず発生することで、ゲームソフトとそのサブカテゴリであ るジャンルが広くユーザに認知された。 これに対し、1987 年以降は、継承的イノベーションが中心であった。具体的には、 1987 年から 1994 年の時期に関しては『ドラゴンクエスト 2』 、『スーパーマリオブラ ザーズ 3』、などが発売された事象が挙げられる。1986 年頃までに開拓されたジャン ルやシリーズを踏まえた製品が、多数開発、発売された。さらに、多くのユーザが購入 した製品も、既に確立したジャンルで、シリーズ化された製品であった。 1987 年以降の中でも、1987 年から 1994 年と、1998 年から 1999 年は、まさに上 記のような傾向が該当する時期である。この時期には、ハードウェアの変化はあった ものの、ゲームソフトそのものの内容は既に存在していたジャンルやシリーズを踏襲 し、その延長線上で開発、発売された製品が多かった。それら既存製品を踏襲した製 品が、産業規模の維持に貢献した。 ただし、1995 年から 1997 年は、やや様相が異なる。この時期は、ソニー・コンピ ュータエンタテインメント(SCE)のプレイステーションに代表されるハードウェアが 提供され、それに対応するゲームソフトが増加した。この時期の新しいハードウェア の特徴は、3 次元 CG という画期的な技術と CD-ROM という媒体を採用したことであ った。そのため、これらの技術を積極的に活用することで、既存のシリーズ、ジャンル に属する製品でありながら、それまでのユーザに強く訴求したり、新しいユーザを惹 き付けたりした製品が現れ、産業規模が増大した。 (2) ゲームソフト産業の盛衰 ゲームソフトの場合、産業成立後の 3~4 年程度は創造的イノベーションが発生して 産業が確立したが、その後は創造的イノベーションが滞って継承的イノベーションが 中心になった。需要を創造するための差別化の観点から言えば、製品イノベーション によって差別化の余地、製品空間が拡張したのは、1986 年頃までの数年であった。そ 7 の後は、既に設定された製品空間の中で、一定の領域内で密度が高まる差別化が進み、 徐々に製品空間が充足されていったのである。 こうした変化が起きた要因は、開発生産性のディレンマに直面しながら企業が開発 活動を継続したからであると考えられる。開発ノウハウという知識を持ってしまった がゆえに、新しいことに取り組むことが難しくなり、創造的イノベーションに繋がる ような新奇性の高い製品を生み出すことができなくなってしまった8。 そうした変化はかなり早い時期に起こった。しかしながら、開発生産性のディレン マが徐々に深刻化したことで画期的な製品が市場に提供されなくなっても、ユーザが いかにそれに反応するかで産業の成長に及ぼす影響は大きく異なるだろう。画期的な ゲームソフトが現れないためにユーザがゲームをすることをやめれば、企業の売り上 げの低下となって企業はその問題に気付くだろうし、産業規模も拡大しないか縮小し たはずである。だが実際には、創造的イノベーションが生起しにくくなった 1980 年代 後半以降、画期的な製品の出現がなくても、ユーザはゲームソフトを買い続け、ゲー ムソフトのビジネスは成長し続けた。そこで重要な役割を果たしたのは、それほど画 期的ではないものの、一定の完成度を有する製品であったと考えられる。確立期を通 じて「ゲームソフトとはなにか」を共有した企業とビジネスパーソン、ユーザは、創造 的イノベーションの影響を受けた製品の発売と購入を 1980 年代後半以降継続した。 それによって、ゲームソフトのビジネスは 1990 年代末に至るまで成長を続けたと考 えられる。これが継承的イノベーションと認定できる事象が果たした現実的な意義だ ったといえる。 (3) ゲームソフトの製品進化―デザイン・ヒエラルキーの観点から― さらに、ゲームソフトの製品進化は Clark (1985)が主張したデザイン・ヒエラルキ ーに沿ったものだったとも考えられる9。創造的イノベーションによって、「ゲームと はなにか」を画する製品空間ないしは境界が設定され、その後はデザイン・ヒエラル キーの階層を降りていく方向の製品進化を辿ったとみなせる。そこで、デザイン・ヒ エラルキーを念頭に置いて、ゲームソフトの製品進化をみてみることにしよう。 1983 年にファミコンが発売され、ゲームソフト・ビジネスが成立したときには、ゲ 8 開発生産性のディレンマの詳しい定義と、それが及ぼした影響については生稲(2012)を参照 されたい。 9 第 2 節で述べたように、本稿では Abernathy and Clark (1985)の「市場・顧客関連との関 連性(Market/Consumer Linkage)を変化(desrupt/obsolete existing linkage)に着目して記 述、分析を加えている。そのため、ここで描くヒエラルキーは、ゲームソフトの技術的な側面 に着目することで記述できる問題解決の論理に従って展開される技術的な進化としての製品設 計のヒエラルキー (the hierarchy of product design) ではない。ここでは、ユーザが認知す る製品の内容もしくは機能に着目した記述と分類によって、製品(群)に関するユーザ達の使用 経験に従い、ユーザの使用を通じた学習によって展開される製品概念のヒエラルキー (the conceptual hierarchy)を確認することになる。 8 ームソフトとは何かについての固定した認識はなかった。しかし、その後の 3~4 年間 に創造的イノベーションが複数生じ、ゲームソフトとは何かに関する固定した、安定 した認識が形作られた。その後は、そうした固定した認識を前提に、より細かな変化 が生じた。これはデザイン・ヒエラルキーの上位階層から下位階層へ、製品差別化が 行われる焦点が移行したと見做すことができる。Clark (1985)が述べているように、上 位階層で決定されている「ゲームソフトとはなにか」を前提にして、製品間の共通点 と相違点をユーザやビジネスパーソンが判断し、グループ化(分類)を行いつつ、開発や 使用の経験を積み重ねることによって、デザイン・ヒエラルキーが徐々に現出したの である。 たとえば、ファミコン向けに最初に発売された製品は『ドンキーコング』と『ポパ イ』であり、すこし時期をずらして『五目ならべ』や『麻雀』が発売された。その後順 次、 『マリオブラザーズ』、 『ポパイの英語遊び』、 『ベースボール』という製品が発売さ れた。こうした一連の製品を見たユーザおよびビジネスパーソンは、ファミコン向け のソフトであり、コンピュータを相手に一人で遊べるという大まかな共通点を見いだ すものの、相違点もまた感じたであろう。 『ドンキーコング』と『ポパイ』の場合には 画面の動きに応じて素早くキャラクターを操作しなければならないのに対し、 『五目な らべ』や『麻雀』はそうした操作は必要とされず、むしろ画面から読み取る状況を熟考 することが求められる。くわえて、 『ドンキーコング』のゲームのルールは独自であり、 一定のストーリーが付されているが、 『五目ならべ』にはストーリーがなく、ルールは 碁石を使った従来からのゲームと同じである。かなり大まかな共通点を持ちつつ、相 違点も認められるというユーザやビジネスパーソンの気づきは、教育的要素を持つ『ポ パイの英語遊び』や、スポーツを題材にした『ベースボール』でも生じたことだろう。 一つ一つの製品がお互いに異なることは当然だが、その相違点が小さい場合と大き い場合があり、相違点が大きい場合には違うグループに判別できるという経験が積み 重ねられる。毎年数百という単位で次々に製品が発売され、そのたびごとにこうした 共通点と相違点の判別が行われ、判別の結果が蓄積されることによって、日常的な感 覚でおおまかに製品群をサブカテゴリにまとめることが行われるようになる。これが いわゆるジャンルであり、製品が進化していく過程で同系統に含まれる製品が逐次認 定されてきた。この意味において、製品群を緩やかに分類するジャンルは、ユーザを 含むゲームソフトに関わる人々が、日常的な使用や開発活動などの行動を通じて学習 した結果が積み重なって形成されたと考えられる。一人ひとりのユーザ、開発者を含 むビジネスパーソンが日々ゲームソフトに触れて学習した成果が、時間を掛けて共有 され、多くの人がそれとなく合意する製品を分類する基準と、その結果としてのジャ ンルが生じたのである。このようにして形成されたジャンルは<表 2>のようにまと められる。 9 <表 2>各ジャンル最初の製品の発売年と、最初のミリオンセラー発売年 <表 2>から見てとれるように、ジャンルが発生した年―そのジャンルの製品が初 めて発売した年―が 1980 年代にほぼ集中していることである。16 のジャンルのうち、 14 のジャンルにおいて、最初の製品が 1983 年から 1989 年までに発売されている。 第 2 に、この表から、ジャンル初製品とミリオンセラーとなる製品、シリーズ元製 品について、大きく 3 つのパターンを見ることができる。1 つ目のパターンは、ジャ ンル初製品が発売された年、その製品がミリオンセラーとなり、さらにシリーズ元製 品となるパターンである。レースの『F1 レース』、RPG の『ドラゴンクエスト』、アク ション RPG の『ゼルダの伝説』がこれに該当する。このパターンでは、これら 3 つの 製品によって、新しいジャンルが形作られ、市場で広く認知されてジャンルが確立し た、といえるであろう。さらにこれらの製品は、シリーズ元製品となっている。 2 つ目のパターンは、ジャンル初製品と初めてミリオンセラーとなる製品が異なる が、初めてミリオンセラーとなる製品はシリーズ元製品となっている場合である。ア クション(『ドンキーコング』と『マリオブラザーズ』)、スポーツ(『ベースボール』と 『ゴルフ』)、シューティング(『ギャラクシアン』と『ゼビウス』)、パズル(『ナッツ & ミルク』と『ロードランナー』)が該当する。これら 4 つのジャンルでは、ジャンル 初製品ではジャンルを確立させるほど大きなインパクトを市場に与えることはできな かった。だが、その中心的な要素を引き継ぎ、完成度を高めた製品が同年か翌年に発 売され、ジャンルが確立したり、シリーズ化されたりした 。 2 つ目のパターンと似ているがやや異なるのは、音楽アクション(『パラッパラッパ ー』と『ビートマニア』)のパターンである。この場合は、ジャンル初製品(『パラッパ ラッパー』)がミリオンセラーとなり、ジャンルを確立させたが、それをシリーズ化し たのは、パラッパラッパーの発売企業であった SCE ではなく、コナミであり、同社が 発売したビートマニアであった。 3 つ目のパターンは、ジャンル初製品から、一定の年数が経ってから、ミリオンセラ ーとなる製品が発売され、ジャンルが確立したと見なせるパターンである。これには、 アドベンチャー(「ポートピア殺人事件」と「バイオハザード」)、恋愛シミュレーショ ン(「中山美穂のトキメキハイスクール」と「ときめきメモリアル」)、対戦格闘アクシ ョン(「ファイティングストリート」と「ストリートファイター2」)が該当する。これ らの製品は、いずれもジャンル初製品と、そのジャンルの初めてのミリオンセラーと なる製品の内容が、同じジャンルでありながら、内容がかなり異なる製品であり、プ ラットフォームも異なっている。いいかえれば、ジャンル初製品はジャンルの開拓を し、先鞭をつけたが、それが市場で広く認知されるには及ばなかった。だが、それとは 別個に開発、発売された製品が、プラットフォームの技術変化の影響もあって、ミリ オンセラーとなるほど優れた製品となり、シリーズ化された 。 10 このような 3 つのパターンが見られるものの、その製品の発売時期は驚くほどに通 っている。1 つ目と 2 つ目のパターンでは、遅くとも 1986 年までにジャンル初製品の みならず、ジャンルで初めてミリオンセラーとなる製品が発売されている。3 つ目のパ ターンとなる 3 つのジャンルと、音楽アクションのみは、ジャンルの発生がそれより も遅く、ミリオンセラーとなる製品が発売されたのは 1996 年、もしくは 1997 年にな っている。したがって、ミリオンセラーという指標に着目した分析からも、ゲームソ フト産業では、1986 年までが 1 つの区切りであるといえよう。それに次ぐ重要な時期 は、1996 年ないし 1997 年にあるといえよう。 以上のように、ジャンルが 1980 年代半ばまでにほぼ全て成立したということは、そ れ以後に発売された製品はおおむね、すでに発売された製品のいずれかとかなりの共 通点を持っており、ジャンルが違うと認定されるほど大きな違いはなかったことを示 唆している。ジャンルの叢生という観点からいっても、ゲームソフト差別化の焦点は 1980 年代半ばに変質したのである。 4. 製品進化と産業の「境界」 (1) ゲームソフトの製品進化の特徴―Clark (1985)との相違点― ゲームソフトの製品進化は、イノベーションの観点とデザイン・ヒエラルキーの観 点で記述し、解釈することができる。ただし、Clark (1985)がデザイン・ヒエラルキー を解釈するときに着目しなかった現象もゲームソフトでは生起していた。そのことを 検討しよう。 第 1 に、ゲームソフトでは一つの産業の中に、複数のドミナント・デザイン10もしく は複数の中核的コンセプト (core concept)が発生していたとみなせる。創造的イノベ ーションの例として挙げた『スーパーマリオブラザーズ』、『ドラゴンクエスト』、『ゼ ルダの伝説』などは、それぞれが相当異なる消費体験をユーザに提供し、異なるジャ ンルの製品として認知されている。創造的イノベーションが発生した後に、多くのユ ーザやビジネスパーソンがなり異なる消費体験を提供するサブカテゴリが存在するこ とを認めた。その後で、サブカテゴリを踏まえた継承的イノベーションが発生し、複 数の系統を形作った。この意味において、ゲームソフトの中には、複数のドミナント・ デザインもしくは複数の中核的コンセプトが発生し、併存して相互に影響を与えつつ も、別個に系統が発展したと考えられる。 第 2 に、Clark(1985)はスタート地点を暗黙の前提にしながらヒエラルキー内の動 き、特に下方向の動きを議論している。具体的に言えば、自動車や半導体の例を挙げ 10 ドミナント・デザインとそれが産業、企業に及ぼす影響を検討した研究としては、Suárez and Utterback (1995)、Murmann and Frenken (2006)が挙げられる。 11 ながら、それらが自動車および半導体と認識された後でいかに技術、市場、生産活動 が変化するのかを議論している。だが、そもそも自動車や半導体という製品群が見直 されると言う意味での大きな上方向の動きは検討していない。 他方、ゲームソフトの場合には、製品進化の系統進化、すなわちヒエラルキーの下 向きの変化とは反対の方向の変化が生じていた。冒頭で述べたように、ゲームソフト ―家庭用ゲーム機の上で動作するソフトウェア―は、コンピュータ・ゲームの一つの 系統でしかない。その根源には、アメリカで発生したコンピュータ・ゲームがある。そ の中で、任天堂のファミリーコンピュータを契機にして、日本を中心としたゲームソ フト産業が、1980 年代に成立し、1990 年代に成長を遂げた。さらにその後、携帯型 ゲーム機を用いるゲームや、インターネットを活用したオンライン・ゲーム、携帯電 話、SNS などの上で動作するゲームなどといった、別のゲームの産業が成立してきた。 しかも、これら諸系統のゲームは、ユーザはもちろんのこと、企業も重複している。さ らにいえば、 「ゲームとは何か」という認識においても、ファミリーコンピュータを契 機に成立したゲームソフト産業で共有された認識が少なからず影響を及ぼしている。 そのため、完全に別個の産業であるとは言いがたい。 ゲームの産業は第 3 節で述べたような過程を経て成長、成熟した。だが、第 3 節で 記述、分析したゲームソフトをみているだけでは分からないものの、まさにソフトウ ェアとハードウェアが共進化することによって、産業がつぎつぎに生じたのである。 経済社会の中で、より多くの価値を生み出すために、複雑多様化しつつ、ときにはそ れを捨てる―成熟化した産業から他の産業に遷移する―ことによって、全面的な破局 ―経済社会の中での没価値化―を避けていく。あたかも生物の進化のように、製品や サービス、それを生み出す企業や個人は変化し続けてきたといえる。 (2) 事後的な産業とジャンルの認定 本報告で想定した企業の姿は、開発を通じて適度な差別化を実現し、消費者に期待 を抱かせ、購買したいという意図を引き出す主体であった。適度な差別化を遂行し続 けるため、開発され、消費者に提示される製品―ゲームソフト産業の製品―は、どん な製品もどこかが似ていて、どこかが異なっていた。そうした「似ている」という共通 点、 「異なる」という相違点が消費者、社会によって共有されることで、ゲームソフト とはなにか、そのサブカテゴリのジャンルとはなにかが事後的に決定されていった。 ゲームソフトの事例で具体的に述べれば、十字型のキーとボタンを押すことでキャ ラクターを操作すること、難易度がコントロールされていること、経験値やスコアの 測定と提示は、ほぼ全ての製品に見られる共通点である。他方で、ゲームとしてのル ール、キャラクターの画像や消費者が鑑賞する世界は少しずつ製品によって異なって いた。さらに前節で述べたように、なんらかの理由や指標に基づいて共通点が見いだ される場合に、同じジャンルに属すると見做されるようになった。多くの場合、ゲー 12 ムのルールや消費者がゲームのプレイにおいて求められる行動―いわゆるゲーム性― がその指標になってジャンルの判断がなされてきたが、そうしたジャンルの指標は絶 対的なものではなく、ジャンルの判断と認定はかなりの主観性と慣習に委ねられてい る。そのため、個別の製品が入れられるジャンルや、ジャンルの名称に若干の違いが ある。だがそれでも、多くの消費者やビジネスパーソンが共有するジャンルの分け方、 ジャンルが成立している。 既に述べたように、多くの人に共有されたジャンル、さらにはゲームソフトとはな にかという緩やかな定義は、産業の成立前ではなく後に、具体的な製品の開発・発売 と消費が行われることを通じて、徐々に形成されてきた。本報告が想定するように、 企業は常に、目前の既に存在する製品との適度な差別化を目指して開発を行い、消費 者に提示してゆくことが繰り返す。消費者もまた、発売された製品を経験し、ゲーム ソフトという製品群に共通する要素と、製品毎に異なる要素が識別してゆく。その積 み重ねの中で、緩やかにゲームソフトとはなにか、 「ゲームソフトらしさ」とはなにか が決まっていく。ジャンルに関してもまた、同様に開発、発売、消費の中で徐々に、あ るジャンルの製品に共通する要素はなにか、あるジャンルと他のジャンルの違いはな にかという境界がつくられていく。この意味において、ゲームソフトとはなにか、ジ ャンルとはなにかは具体的な製品を通じて、事後的に緩やかに決められていくもので ある。 こうした事後的な定義、共通点や相違点を識別する基準に基づき、遡って、ゲーム ソフト全体やジャンルを分ける境界がどこから来たのかが見極められる。すなわち、 ゲームソフトやジャンルのルーツが措定される。さらに、 「ゲームソフトらしさ」を備 えた製品群を扱うゲームソフト産業の定義と認定もまた、同様に事後的になされ、ル ーツが遡及して措定される。言い換えれば、産業の成立や産業化の認定もまた、すぐ れて事後的な、社会的合意に基づく認定となる。われわれは多くの場合、産業成立後 の、製品群の共通性、産業のイメージを反映して産業のはじまりを認識してしまう。 このように考えてみれば、Abernathy (1978)などが理念型で提示したイノベーショ ン・パターン、特にその中のドミナント・デザインの位置づけも再考する必要がある のではないか。産業が成立した後にドミナント・デザインが出現して産業発展、製品 進化の方向性が明確になるのではないのではないか。現在に続く産業、製品カテゴリ から遡って、当該製品群の共通点や当該製品群の「らしさ」を認定し、それをもっとよ く体現した製品サービスをドミナント・デザインと認定している可能性がある。この 意味において、ドミナント・デザインが認定されたあとに産業が認定され、さらに遡 って、産業の始まりが認定されると考えられはしないだろうか。産業の定義と境界の 認定、デザイン・ヒエラルキーの描写とドミナント・デザインの認定、および産業の源 の措定は、事後的な観察者による作業の結果なのではないだろうか。 13 (3) 分析レベルとしての産業の恣意性 このような微視的、巨視的な視点の移動、産業やデザイン・ヒエラルキー、ドミナン ト・デザインといった概念の見直しを行ったときにみえてくるのは、産業という分析 レベルの恣意性である。 本報告を含め、既存研究の多くは、産業成立後を対象にして議論を進めている。プ ロダクトライフサイクルにせよ、イノベーション・パターンにせよ、産業が存在する ことを所与として議論をしている。そのため、そもそも産業がいかにして成立し、そ もそも産業とはなにかを問えない議論になってしまう (清水・生稲・江藤・木村, 2016)。 さらに、Clark (1985)のデザイン・ヒエラルキーについても、実際に製品サービスが辿 った進化の経路に基づいて、その経路の必然性もしくは製品分類の妥当性を議論して いる。このように、産業を所与とし、その産業で実際に成立した製品進化に由来する 分類を所与としているため、産業の成立以前、産業内の分類成立以前を十分に相対化 できない。そのため、異なる製品分類や、異なる製品の進化形路が生じる可能性を過 小評価しがちになってしまう。 本報告でも第 3 節まではゲームソフトを一つの産業とみなして、その成立から成熟 に至る過程を記述した。だが、前述のようにゲームソフトの中に複数の進化の系統が あり、そもそもゲームソフトがコンピュータ・ゲームの一つの系統に過ぎないとすれ ば、はたしてゲームソフトを一つの産業とみなすことが妥当なのかを、あらためて検 討する必要がある。換言すれば、経済社会を記述し、分析する観察者が、どのように時 間的視野を持つかによって、産業と認定する範囲は異なりうるという課題がみえてく る。さらにいえば、経済社会の中の一部に過ぎない産業という分析レベルに囚われる ことによって、産業を超える相互作用が捉えがたくなってしまうという課題もみえて くる。 この課題が重要だと考えられるのは、今日の経済社会において、ますます多くの製 品やサービスが連携するようになっているからである。それをもたらしているのは IT 技術である。IT 技術の進歩と普及によって、これまでは連携がなかったり、連携が難 しかったりした製品やサービスが連携するようになってきている11。より正確に言え ば、消費者は常に個別に購入した製品サービスを自らの判断で組み合わせ、体系とし て消費してきた。IT 技術は、そうした消費者独自の製品サービスの組み合わせ、情報 の体系化を明示的なものとし、それに企業が関わることを可能にする。たとえ消費者 の手元にある製品サービスであっても、企業が繋がりに介入することを可能にしてい る。その結果として、Gawer and Cusumano (2002)などが提示したプラットフォーム およびプラットフォーム・リーダーシップが、多くの領域で常態化し始めている12。逆 こうした変化を藤川(2016)は Melt という言葉で表現している。 立本(2012)のサーベイが指摘する 2000 年以降のビジネス・エコシステムの研究の急激な増 加は、このような IT 技術による製品やサービスの連携の可能性と実現を反映したものだと考 11 12 14 に言えば、研究上、実務上、産業という分析レベルが有用であり得たのは、Abernathy (1978)の自動車産業の研究がそうであったように、製品サービスがそれほど連携をす ることなく、スタンドアロンで消費者に評価され、価値を生み出していたからではな いだろうか。 ただし、このような課題を明示的に意識した上であれば、産業という分析レベルに 異なる意義を見いだすことができる。それは、一定以上の、日常的な関連性をもつ製 品サービスの範囲を示す分析レベル、という意義である。IT 技術によって、これまで に考えられなかったような製品やサービスの連携が可能になるとしても、それが消費 者や企業、集団や個人にとって、すべて受容可能なものであるとは限らない。われわ れは、過去に囚われつつ、目の前の製品やサービス、あるいはそれらの関連性を認め、 自らの生活に取り入れていく。IT 技術を含む技術が、たとえすべての製品やサービス の連携を可能にしたとしても、われわれは「あり得る」関連性と「あり得ない」関連性 に関する一定の枠組みを持っている。この一定の範囲こそが、日常感覚に根ざした産 業という分析レベルを画する。すべての製品サービスが潜在的に関連性を持つ中で、 一定の閾値を超えた関連性の範囲に境界を設定し、有意義な―多くの人が納得できる ―範囲に分析の焦点化をする際に、産業という分析単位が有用性を発揮すると考えら れる13。 5. 結語と今後の課題 本報告では、1980 年代に発生し、一つの新しい産業と見做されるほどに成長したゲ ームソフトの製品進化を記述し、考察してきた。家庭のテレビの前でコンピュータを 相手に遊ぶという状況がほぼない状態、需要がほぼゼロの状態から、数千億円の規模 の市場が発生した点で、ゲームソフトの需要創造には学ぶべき点が多いだろう。 ゲームソフトの産業化、需要創造の過程では、主要な製品イノベーションが交代し、 デザイン・ヒエラルキーに沿った製品進化が生じていた。産業成立当初にいくつかの 創造的イノベーションが発生し、 「ゲームとはなにか」という定義と製品を分類するジ ャンルが形成された。その後は、非連続な創造的イノベーションの発生が滞り、デザ イン・ヒエラルキーの下位の階層での相違点を巡る差別化が中心になった。それは緩 やかに消費者に伝わり、消費者の買いたいという意欲を引き出して買い増し需要を喚 起する力が弱まった。結果として、産業は成熟した。こうした変化の背景には、新しい 製品を生み出そうとする活動そのものに内在する、開発生産性のディレンマという現 えられる。 13 そのような関連性の範囲が変化する、あるいは企業などの経済主体が意図的に変化させる ことが、青島・楠木(2008)が提示した「システム再定義」としてイノベーションであると考え られる。 15 象が存在し、時間の経過と共に深刻化したためであったと考えられる (生稲, 2012)。 ゲームソフトの事例を産業として記述、解釈すると、需要創造と製品進化に関する 示唆が得られるが、同時に産業に依拠した研究の課題も見えてくる。それは、産業が 事後的な認定に基づく、恣意的な分析単位であり、それに依拠する限り「産業とは」を 問い、産業をまたぐイノベーションや産業の境界を変えるイノベーションの発生が見 逃されやすいという課題である。IT 技術によって様々な製品サービスが結び付き易く なっている現代において、この課題をいかに乗り越えていくのかを考えていく必要が あるのではないだろうか。 この課題に対処する一つの方向性は、そもそも境界概念がどのようにして生じるの かを明らかにすることだろう。すなわち、新しい産業を成立させるような契機がいか に生じるのかを探求していくことが求められている。こうした研究課題に応えるため には、 「産業を創った人々」に焦点を当て、かれら当事者に見えていたもの、目指して いたこと、創り出そうとした製品サービスの「らしさ」とその変化を理解することが 必要だと考えられる。未だに産業として成立するか否かが分からない、不確実性と不 安が大きい状況下で、彼らがいかなる認識や意図を持って行為し、適度な差別化を遂 行したのかを明らかにすることが必要であり、そのためこそ、オーラルヒストリーの 蓄積や事例研究が意義を持つと考えられる。 <参考文献> Abernathy, W. 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