Philharmony May 2013 a k a t O i k a a d Ta ©Martin Richardson 今月のマエストロ 尾高忠明 N響の名手たちとの圧倒的な イギリス音楽の名演に期待 文 岩野裕一 今 月 の マ エ ス ト ロ 尾 高 忠 明 現在、N響ともっとも緊密な関係 にウィーンで音楽を学ぶ決意を固め、 にある日本人指揮者であり、毎年定 1972 年にオーストリア政府から奨 期公演の指揮台に立つだけでなく、 学金を得てウィーン国立アカデミー 海外公演や地方公演でもタクトを執 に留学。指揮をハンス・スワロフス ることの多いマエストロ尾高忠明。 キーに師事、さらにオペラをシュパ 60 代も半ばとなり、いままさに ンナーゲルに学んだ。 円熟のときを迎えつつある尾高とこ 日本に戻った 1974 年には、26 歳 のオーケストラとの深い関係は、極 の若さで東京フィルハーモニー交 論すれば、尾高の生まれる前から運 響楽団の常任指揮者に就任、その後 命づけられていたといっても過言で 1991 年まで 17 年間にわたり、東京 はないだろう。 フィルを手塩にかけて育て上げてい 尾 高 の 父 で あ る 尚 忠(1911 ∼ く。もちろんその間もN響との関 1951)は、ウィーンに学んだ作曲 係は続いており、1974 年 2 月の第 家兼指揮者で、N響がもっとも苦し 623 回定期公演で岩城宏之がシュト かった太平洋戦争の戦中から戦後に ックハウゼンの 3 つのオーケストラ かけての混乱期に、専任指揮者のひ が必要とされる大作《グルッペン》 とりとして八面六臂の活躍を続け、 を日本初演した際には、第 2 オー オーケストラの存続に力を尽くした ケストラの指揮者をつとめて定期初 大恩人だった。過労のために 39 歳 出演を果たした。さらに 1976 年 10 の若さで世を去ったとき、1947 年 月には、第 700 回という節目の定期 生まれの次男だった忠明はまだ 3 歳 公演の指揮を委ねられたが、これは であり、父親に関する記憶はおぼろ N響が尾高に寄せる大きな期待の表 げにしかなかったという。だが、志 れであると同時に、父・尚忠へのオ 半ばで倒れた父親のあとを追うよう マージュでもあったはずである。 に、3 つ年上の兄・惇 忠 は作曲家の 道を進む一方で、忠明は指揮者をめ ざして桐朋学園大学に進み、齋藤秀 イギリス音楽の魅力に目覚めた BBCウェールズ響との黄金時代 雄の門下生となる。 尾高にとって大きな転機となった 大学では指揮だけでなく作曲、音 のは、1984 年に東京フィルと行っ 楽理論、ホルンを学んだ尾高は、在 たヨーロッパ公演だった。50 日間 学中にNHK交響楽団指揮研究員に で 7 か国を回り 28 公演を行うとい なり、サヴァリッシュをはじめとす うこのツアーで、たまたま尾高の演 る名指揮者のリハーサルに立ち会う 奏を聴いたイギリスのBBCウェー ことで見識を深めていった。1971 ルズ交響楽団(現BBCウェール 年 4 月、NHKの公開収録でN響 ズ・ナショナル管弦楽団)の事務局 デビューを果たしたのち、父親同様 長が、その音楽性と統率力に惚れ込 として、演奏活動と教育活動の両面 年には同響の首席指揮者に就任。尾 で大車輪の活躍を続けている。とり 高自身も述懐しているように、当初 わけ、1998 年からミュージック・ア はイギリス音楽に対して「食わず嫌 ドバイザー/常任指揮者、2004 年 い」だったというが、職務上の必要 からは音楽監督のポストにある札幌 に迫られてエルガーやディーリアス、 交響楽団との共同作業はきわめて充 ウォルトンといったイギリス音楽を 実したもので、エルガーの《交響曲 指揮していくうちに、その魅力に目 第 1 番 》、 同《 第 3 番 》、 ド ヴ ォ ル 覚めていく。 ザ ー ク《 交 響 曲 第 8 番 》、《 第 9 番 幸運なことに、尾高の情熱を内に 「新世界から」》などのレコーディン 秘めた品格のある音楽づくりとイギ グや、ブリテンの《歌劇「ピータ リス音楽の相性は抜群であった。B ー・グライムズ」》の演奏会形式上演、 BCウェールズ響を率いてロンドン 楽団創立 50 周年を記念したベート の「 プ ロ ム ス 」 ( 毎 年 夏 に 8000 人 ーヴェン・チクルスはいずれも高い 収容のロイヤル・アルバート・ホール 評価を受けてきた。 で開催される音楽祭)の常連とな 札響とは現在、シベリウスの交響 った尾高は、エルガーの《交響曲 曲全曲演奏に取り組んでいるほか、 第 1 番》やウォルトンの《交響曲第 本年 9 月にはブリテンの生誕 100 年 1 番》で絶賛を博し、イギリス音楽 を記念して《戦争レクイエム》を取 のスペシャリストとして英国内外で り上げる。また、定期公演だけでな 広く認められるようになる。BBC く、北海道内各地へのツアーや小中 ウェールズ響との 8 年間で黄金時 学生向けの公演など年間 30 回以上 代を築き上げた尾高は、1996 年か を指揮しており、「子どもたちにこ らは桂冠指揮者として現在も定期的 そ本物の音楽を」という尾高の監督 に招かれており、その功績によって としての誠実な姿勢は、わが国のオ 1997 年には英国エリザベス女王よ ーケストラ界の中でも傑出したもの り大英勲章CBEを、さらに 1999 だ。 年には英国エルガー協会より、エル 2010 年 9 月からは新国立劇場オ ガー音楽の普及に貢献したとして日 ペラ部門芸術監督も務めており、頸 本人初のエルガー・メダルを授与さ 椎の故障からオーケストラ・ピット れた。 の指揮台に立てないことは返すがえ 多くのオーケストラが信頼を置く 傑出した統率能力 出すために尾高が果たしている役割 すも残念だが、高水準の舞台を生み は決して小さくない。 その後も内外での活躍はめざまし 先日も、東京フィルの創立 100 周 く、わが国を代表する指揮者の一人 年記念特別演奏会でシェーンベルク Philharmony May 2013 んだことがきっかけとなって、1987 今 月 の マ エ ス ト ロ 尾 高 忠 明 の大作《グレの歌》を指揮するのを 組んだ今回のN響定期公演への期待 聴いたが、150 名を超える大管弦楽 は、いやがうえにも高まるばかりだ。 に声楽陣を加えて総勢 300 名近い演 いずれも演奏機会が少ない作品だが、 奏家を統率する能力は傑出しており、 尾高はN響の名手たちと圧倒的な名 多くのオーケストラが尾高に絶大な 演を聴かせてくれることだろう。 信頼を置くのもむべなるかな、と思 わせるものがあった。 (いわの・ゆういち 音楽ジャーナリスト) イギリス音楽だけでプログラムを プロフィール 2010 年 1 月からNHK交響楽団 揮者、紀尾井シンフォニエッタ東京 正指揮者の称号を持つ尾高忠明は、 のミュージック・アドバイザー & 首 いまN響ともっとも親密な関係にあ 席指揮者を歴任してきたが、海外で る日本人指揮者の一人というだけで の活躍も目ざましく、メルボルン交 なく、新国立劇場オペラ芸術監督、 響楽団の首席客演指揮者をつとめた 札幌交響楽団音楽監督、東京藝術大 ほか、1987 年に首席指揮者に就任 学指揮科主任教授など、名実ともに したBBCウェールズ交響楽団(現 わが国を代表するマエストロとして BBCウェールズ・ナショナル管弦 活躍を続けている。 楽団)とは、桂冠指揮者としていま 終戦直後の 1947 年、N響の前身 も緊密な関係を続けている。 である日本交響楽団の専任指揮者で、 イギリス音楽への傾倒はウェール 作曲家でもあった尾高尚忠の次男と ズ時代に始まり、1997 年には英国 して生まれる。桐朋学園大学では齋 エリザベス女王より大英勲章CBE 藤秀雄に指揮法を師事したほか、作 を、さらに 1999 年には英国エルガ 曲、 理 論、 ホ ル ン を 学 ん だ。1970 ー協会より、エルガー音楽の普及に 年に同大学を卒業したのち、1971 貢献したとして、日本人初のエルガ 年にN響を指揮してデビュー。その ー・メダルを授与された。それだけ 後ウィーンでハンス・スワロフスキ に、今回のN響とのオール・イギリ ーに師事、オペラをシュパンナーゲ ス・プログラムへの期待はきわめて ルに学んだ。 大きい。 国内では東京フィルハーモニー交 響楽団、読売日本交響楽団の常任指 (岩野裕一) Philharmony May 2013 n u D n a T 今月のマエストロ タン・ドゥン 天真爛漫でエネルギッシュ、 アクチュアルな問題を見抜き 音楽表現に落とし込む 文 白石美雪 今 月 の マ エ ス ト ロ タ ン ・ ド ゥ ン しなやかな肉体をもち、機敏な動 と 2 群のオーケストラという破格の きでオーケストラを率いて、ユニー 編成だったが、なんと当日は聴衆も クな自作の世界へと誘うタン・ドゥ 参加が求められた。指揮者がキュー ン。輝く眼はいたずらっ子そのもの を出したら 30 秒間、「ホン・ミ・ラ・ で、とても 50 代半ばとは思えない。 ガ・イ・ゴ」と唱えよと指示され、私 天真爛漫なふるまいの背後に猛烈な エネルギーを感じる。 もわけがわからず声をあげた一人。 「なんだ、これは」と大いに戸惑っ タンはニューヨークを拠点として、 たのを覚えている。中国の民衆の表 国際的に活躍している作曲家・指揮 現形式さながら、すべての人が参加 者である。作品の受賞歴と委嘱歴は する楽器や声による儀式を実現した 目をみはるもので、文化大革命後に とのこと。鮮烈な登場だった。 北京の中央音楽院で学んだ第一期生、 この時の衝撃はタンの才能という いわゆる「華の78年生」のトップラ より、異文化の出現によるものだ。 ンナーだ。 その後も彼の快進撃にはこの種の驚 第一期生の作曲家たちは文革で抑 きがつきまとう。ヴァイオリン協奏 圧された創作衝動を一気に解き放ち、 曲《アウト・オブ・北京オペラ》では 現代音楽の作曲法を貪欲に学ぶとと 京劇の音楽と欧米の前衛書法を融合。 もに自分のルーツをたどる探求にも N響が委嘱した《オーケストラル・ 熱心に取り組んだ。少年時代を田舎 シアターⅣ「門」》は『覇 王 別 姫 』 で過ごし、洋楽の素養を持たないま 『ロメオとジュリエット』 の虞 姫、 ま、下放された農村で 10 代をすご のジュリエット、『心 中天網島』の したタンにとっては、稲作のかたわ 小春といった、中国、イタリア、日 ら村の結婚式で歌った民謡や、地方 本のヒロインたちが一堂に会し、オ の京劇で弾いた二胡こそが音楽的ル ーケストラとともに京劇、オペラ、 ーツ。ベートーヴェンやバッハと出 文楽が演じられ、映像を組み合わせ 会ったのは何年も後だったのである。 た類例のない劇場作品となった。オ 洋楽からみると逆転したこの教育環 リエンタリズムをかきたてる存在と 境が、アカデミックな枠組みから自 して関心を集めていたタンは、その 由な彼の立ち位置を決めていく。 後も多文化主義の傾向を強めていく。 社会を反映する音楽表現 その頂点となったのがインドのシタ ールからモンゴルのホーミーまで多 日本でタンが脚光を浴びたのは 様な音楽を混在させたオペラ《マル 1993 年の武満徹監修〈サントリー コ・ポーロ》、そして衛星中継で世界 ホール国際作曲委嘱シリーズ〉の個 各地を結んだ記念番組のための音楽 展だった。新作の《オーケストラ 《2000 トゥデイ:ミレニアムのため ル・シアターⅡ 「Re」 》は 2 人の指揮者 のワールド・シンフォニー》である。 を敏感に反映してきた。たとえばア メリカでグローバリゼーションが唱 えられると、多文化主義へと傾斜す るといった具合に。水、紙、石、セ ラミックで多様な音を鳴らすオーガ ニック三部作は五行説によるマテリ アリズムに基づいているが、21 世紀 の環境問題が背景にある。人々にと ってアクチュアルな問題を見抜くセ ンス、それを音楽表現に落とし込ん でいくアイディアは超一流だ。おも しろい素材や人材が吸い寄せられて 一つのテーマにまとまるのをみると、 タンの能力はディレクターのそれと きわめて近いと感じる。 悲しみの涙から明るい未来へ たのかは定かではない。今では女性 も漢字を書くようになり、役割を終 えて消滅しようとしている。こう した事情は遠藤織枝の HP(http:// homepage3.nifty.com/nushu/)や 本 誌 29 ∼ 32 ページ掲載の女書研究家、 劉穎の記事に詳しい。 タンは近代化によって失われよ うとしている故郷の伝統文化とし て、また、細長く流れるような文字 の美しさから「女書」に興味をもち、 5 年ほど前から村を何度も訪問する。 そこには昔ながらの自然とそれに寄 り添う人びとの暮らしがあり、「三 朝書」や姉妹の契りを交す結交書な ど女性の文化があった。タンはノー トを片手にフィールドワークを重ね、 自然音に耳を澄まし、村の民謡を採 今 回、 世 界 初 演 と な る《 女 書: 譜し、いまや 6 人となった女書伝 The Secret Songs of Women ∼ 13 の 承者によるユーモラスで楽しい吟唱 マイクロフィルム、ハープ、オーケ を書きとめていく。そのエッセンス ストラのための》は、まさに彼のデ を作品化しようとする姿は、まるで ィレクター的手腕が発揮されている。 21 世紀のバルトークだ。 映像とともに協奏曲が演奏されるマ 作曲中の現時点では詳細は不明だ ルチメディア作品で、前作の《ザ・ が、全体はプロローグと 12 楽章か マップ》と同じく、湖南省の自然と ら構成され、タン自身が 3 台のカメ 文化がテーマ。湖南省長沙市が彼の ラで現地撮影した映像を 3 つのモ 故郷だが、21 万㎢もある広大な地 ニターから再生する。たとえば「哭 域なので、どちらの取材地もかなり 嫁歌(クー・ジャー・ガー)」は伝統 離れている。 的な花嫁衣裳に身を包んだ娘が母と 「女書」とは湖南省永州市江永県 泣いて別れるシーン。3 音からなる の村で伝承されてきた、世界でも珍 素朴な歌にハープの独奏とオーケス しい女性だけの文字であり、その文 トラが絡んでいく。どの楽章も悲し 字で書かれた詩歌である。漢字を学 みの涙に満ちた詩や民謡ばかりだが、 べなかった女たちが想いを綴るため に作った表音文字だが、いつ作られ 「女書と水のロックンロール」と題 された最終章は女性の強い精神力を Philharmony May 2013 タン・ドゥンの作風は社会の動き 今 月 の マ エ ス ト ロ タ ン ・ ド ゥ ン 表現する。水をたたいて歌う民謡は 震災での津波が多くの命を奪った映 古くから伝承されてきた旋律にタン 像から着想された。人類の悲劇に対 がオリジナルの歌詞をつけたもの。 して自然は悔恨の涙を流す。ここで 「女は水 心の憂いを流す/女は涙 も涙は雨、川、海と結び付けられた。 心の憂いを洗う/女は河 心の歌を 3.11 以降の日本へやってくるタンは 流し出す/女は海 心の夢をめぐ 震災にコミットせずにはいられない る」 。ノリのいいリズムと朗らかな のだろう。思えばストラヴィンスキ 声、水音の清々しさは明るい未来に ーの《火の鳥》も不死鳥の物語。タ つながる。 ンの指揮から色鮮やかな火の鳥が羽 定期公演では《 「The Tears of Nature」 ばたくにちがいない。 ∼マリンバとオーケストラのための (日本の津波犠牲者の追憶に) 》も日 本初演となる。この作品は東日本大 プロフィール タン・ドゥンは現代の中国で最も (しらいし・みゆき 武蔵野美術大学教授、音楽学) 奏と編曲を受け持った。19 歳で初 有名な作曲家の一人である。アカデ めてクラシック音楽に触れ、1978 年、 ミー賞作曲賞(映画『グリーン・デ 北京中央音楽院に入学。1986 年に スティニー』 )やグロマイヤー賞ク 渡米して、1993 年にコロンビア大 ラシック音楽作曲部門(オペラ《マ 学で作曲の博士号を取得。オペラや ルコ・ポーロ》 ) 、ミュージカル・アメ マルチメディア作品を含む幅広いジ リカ年間作曲賞といった栄えある賞 ャンルで個性的な作曲活動を展開し、 に輝いてきた時代の寵児。2009 年、 一作ごとに話題を巻き起こしている。 グーグル(Google)とユーチューブ 指揮者としてはロイヤル・コンセ (YouTube)による委嘱作《インタ ルトヘボウ管弦楽団、ベルリン・フ ーネット・シンフォニー》を、1500 ィルハーモニー管弦楽団、フランス 万を超える人たちがオンラインで聴 国立管弦楽団といった名門と、自作 いたというから快挙である。 を含むプログラムで共演してきた。 1957 年、中国の湖南省で生まれ NHK交響楽団の公演には 2001 年 たタンはシャーマンのいる農村で育 にデビュー。2002 年には自作オペ った。水、石、紙といった素材を好 ラ《TEA ∼茶は魂の鏡》を N 響と んで用いるのは霊力のある自然音に ともに世界初演。2005 年と 2008 年 囲まれていた幼少時代の体験に根ざ には定期公演に登場するなど、十年 している。文化大革命で 2 年間、農 来の親しい関係を築いている。 家で稲作をした時期に二胡を学ぶ。 やがて京劇の劇団に入って二胡の演 (白石美雪) Philharmony May 2013 v e y e s o d e F r i m i Vlad 今月のマエストロ ウラディーミル・ フェドセーエフ 新しいものへ挑戦し 「ロシア的」な演奏を誠実に実現する 正統的巨匠 文 増田良介 今 月 の マ エ ス ト ロ ウ ラ デ ィ ー ミ ル ・ フ ェ ド セ ー エ フ フェドセーエフがNHK交響楽団 に客演するのはこれが初めてだとい う。ちょっと意外な気がする。N響 にはこれまでにコンドラシン、スヴ ェトラーノフ、ゲルギエフといった ロシアの巨匠たちがたくさん訪れて 名演を聴かせてくれているし、フェ ドセーエフも、音楽監督を務めるチ ャイコフスキー交響楽団(旧モスク ワ放送交響楽団)を率いて、あるい は日本のオーケストラを振るために 単身で何度も来日して、我々にはと てもなじみの深い巨匠だからだ。と もあれ、今までなかったのが不思議 なぐらいのこの顔合わせ、楽しみに しておられる方は多いにちがいない。 フェドセーエフの演奏から多くの 人が連想するのは、なんといっても あの温かい音楽だろう。それは彼の 「解釈」というよりも彼の作る音そ のものに根ざしている。特に、厚く 包み込むような弦の響きは、一度聴 いたら忘れられないものである。チ ャイコフスキー響だけではなく西欧 や日本のオーケストラでも、フェド セーエフが指揮するオーケストラは、 例外なくフェドセーエフの色に染ま る。今回演奏されるチャイコフスキ ーの《弦楽セレナード》などは、そ れがたっぷり堪能できる曲だ。N響 とフェドセーエフとの出会いからど んな新しい色が生まれるか、楽しみ なところだ。 その熱意と人柄で保たれてきた 楽団の人気と演奏水準 ところで、フェドセーエフは人 柄もとても温かい人だそうだ。先 日、大阪のザ・シンフォニーホール の事業部長を長年務められた林伸 光氏(現・兵庫県立芸術文化センタ ー ゼネラルマネージャー)が、フ ェドセーエフの演奏会の広告にこん なエピソードを書いておられた。か つて「ザ・シンフォニーホール国際 音楽賞」という賞があったのだが、 1988 年度はフェドセーエフにこの 賞が贈られることになった。受賞の ために大阪にやってきた彼は、「こ の賞金でオーケストラのためにコピ ー機を買って帰りたい」と言ったそ うである。そのころ、モスクワ放送 響の楽員はまだ手書きで写譜を行っ ていた。当時のコピー機は非常に高 価なものだったし、ましてやソ連 末期のモスクワでとなるとなおのこ と入手は難しく、国家を代表するオ ーケストラであっても持っていなか ったのだ。だから、貴重な来日の機 会に、というわけである。この話は 当時の新聞などでも報道され、楽員 の負担を減らすために自分の賞金を 使おうとしたフェドセーエフの私欲 のなさ、そして自分のオーケストラ と音楽を思う気持ちに感銘を受けた 人は多かったと記憶している。やが てソ連は崩壊し、ソ連や東欧の名門 オーケストラも楽員が大量に西側へ 流出したりしたが、モスクワ放送響 変えて生き残り、今なおフェドセー エフとのコンビで高い人気と演奏水 準を保っている。フェドセーエフが 同団の音楽監督及び首席指揮者にな ったのは 1974 年だから、このコン ビはもうすぐ 40 年になる。これは、 彼の楽員の敬意を集める人柄あって のことであることは間違いないだろ う。音楽と人柄は直接に結びつくも のではないだろうが、フェドセーエ フの音楽を聴くと、この話をときど 趣味で弾いていたバヤン(ロシアの アコーディオン)だけだった。後に フェドセーエフはグネーシン音楽学 校に入学するが、まず籍を置いたの はバヤンのクラスだった。 また、指揮者になってからも、フ ェドセーエフは民族楽器オーケスト ラの首席指揮者を十数年間務めてい る。その間に彼は、1971 年にムラ ヴィンスキーの推薦でレニングラー ド・フィルハーモニー交響楽団の指 揮をするなど、クラシックの指揮者 き思い出す。 としての評価を高め、1974 年につ 豊かな経験に裏付けられた ロシア的な演奏 就任することになる。ただ、民族楽 いにモスクワ放送響の首席指揮者に 器オーケストラというものを格下に さて、もう一つ、フェドセーエフ 見る人たちからいわれのない中傷を といえば必ず言われるのが、 「ロシ 受けたこともあったようだ。しかし ア的」ということだ。厚い音色の塗 フェドセーエフは意に介さず、民族 り重ね方、濃厚な歌い回しなど、な 楽器を通して音楽家となり、また指 るほど他の指揮者とはひと味違う。 揮者として成長した自分の経歴を誇 ロシアの民族色の濃い作品で味わい りにしているという。実際、ロシア 深い演奏を聴かせてくれるという点 音楽において民族音楽が果たした役 で、現在、フェドセーエフの右に出 割の大きさを考えると、他の指揮者 る人はいないだろう。 にはない彼の豊かな経験が、たとえ 彼の生い立ちを考えると、これは ばボロディンやリムスキー・コルサ 偶然ではなさそうだ。実はフェドセ コフらの作品を演奏するうえで大き ーエフは、少年時代にナチス・ドイ な強みとなることは想像に難くない。 ツ軍によるレニングラード封鎖を経 ここまで書いてきた、温かい響き 験 し て い る。2 年 4 か 月 の 間 に 67 と、民族音楽の豊かな経験に裏付 万人(ソ連当局の発表)もの人が飢 けられたロシア的な演奏というの えや寒さで亡くなった過酷な包囲戦 は、いわばロシア音楽の正統的巨匠 である。レニングラードに住んでい としてのフェドセーエフである。し たフェドセーエフと彼の一家は命か かし、彼の魅力はそれだけではない。 らがら逃げ出したのだが、そのとき フェドセーエフにはまた、新しいも 持ち出すことができたのは、父親が のへの大胆な挑戦者としての顔があ Philharmony May 2013 はチャイコフスキー交響楽団と名を 今 月 の マ エ ス ト ロ ウ ラ デ ィ ー ミ ル ・ フ ェ ド セ ー エ フ る。彼は、ベートーヴェンやチャイ しいと信じる演奏を誠実に実現して コフスキーのような古典でも、時に いるだけなのだ。そしてこれは、ま は楽譜に逆らうようなテンポの変化 さに正統的な芸術家のあり方である を仕掛けたりすることがあり、時に し、また、こういう人が出てくると は意表を突かれることもある。しか いうところは実にロシア的であるよ し、表面的には奇抜に感じられても、 うにも思えるのである。 フェドセーエフは、常識にとらわれ ることなく、自分が最も正しい、美 プロフィール ウラディーミル・フェドセーエフ (ますだ・りょうすけ 音楽評論家) れることも多く、1997 年から 2004 は、1932 年、レニングラード(現 年までウィーン交響楽団の首席指揮 サンクトペテルブルク)に生まれ、 者を務めたほか、ベルリン・フィル モスクワ音楽院でギンズブルクに指 ハーモニー管弦楽団、バイエルン放 揮を学んだ。彼が国際的に広くそ 送交響楽団、フランス国立管弦楽 の名を知られるようになったのは、 団、クリーヴランド管弦楽団といっ 1974 年、ロジェストヴェンスキー た各地の一流オーケストラに客演し の後任として、モスクワ放送交響楽 た。また、オペラの分野でも精力的 団(現チャイコフスキー交響楽団) で、これまでにモスクワのボリショ の音楽監督及び首席指揮者に就任し イ劇場やサンクトペテルブルクのマ てからである。そして、現代では稀 リインスキー劇場、ウィーン国立歌 有なことに、彼は現在もその地位に 劇場、ミラノ・スカラ座などで指揮 ある。この、40 年に及ぼうとする をしている。日本では、1996 年に 長期間のパートナーシップを通じて、 東京フィルハーモニー交響楽団の首 フェドセーエフは数多くのレコーデ 席客演指揮者に就任し、共演を重ね ィングと世界各国への演奏旅行を行 ているほか、大阪フィルハーモニー い、現代ロシアを代表するマエスト 交響楽団や名古屋フィルハーモニー ロとして尊敬されている。日本もチ 交響楽団の演奏会にも登場し、いず ャイコフスキー交響楽団とともに何 れも好評を博した。NHK交響楽団 度も訪れており、その温かく情感に とは今回が初共演となる。 満ちた音楽にはファンが多い。 ロシア国外の楽団から単独で招か (増田良介) 第 1754 回 NHKホール 5/11[土]開演 6:00pm 5/12[日]開演 3:00pm [指揮] A Philharmony May 2013 Program 1754th Subscription Concert / NHK Hall 11th(Sat.) May, 6:00pm 12th(Sun.)May, 3:00pm 尾高忠明 [conductor] Tadaaki Otaka [テューバ] 池田幸広 [コンサートマスター] 篠崎史紀 [tuba] Yukihiro Ikeda [concertmaster] Fuminori Shinozaki エルガー 序曲「フロアサール」作品 19(15 ) Edward Elgar (1857-1934) “Froissart”, overture op.19 ディーリアス Frederick Delius (1862-1934) 歌劇「村のロメオとジュリエット」から “A Village Romeo and Juliet”, opera 間奏曲「天国への道」 (9 ) Intermezzo “The Walk to the Paradise Garden” ヴォーン・ウィリアムズ テューバ協奏曲(13 ) Ralph Vaughan-Williams (1872-1958) Tuba Concerto Ⅰ 前奏曲:アレグロ・モデラート Ⅱ ロマンツァ:アンダンテ・ソステヌート Ⅲ フィナーレ:ロンド・アラ・テデスカ: アレグロ Ⅰ Prelude: Allegro moderato Ⅱ Romanza: Andante sostenuto Ⅲ Finale: Rondo alla tedesca: Allegro 休憩 Intermission ウォルトン 交響曲 第 1 番(45 ) William Walton (1902-1983) Symphony No.1 Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ アレグロ・アッサイ スケルツォ:プレスト・コン・マリツィア アンダンテ・コン・マリンコニア マエストーソ―アレグロ、ブリオー ソ・エド・アルデンテメンテ―ヴィヴァ チッシモ―マエストーソ Allegro assai Scherzo: Presto con malizia Andante con malinconia Maestoso - Allegro, brioso ed ardentemente Vivacissimo - Maestoso Soloist Program A テューバ 池田幸広 Yukihiro Ikeda 静岡県出身。中学、高校の吹奏楽部で 2005 年NHK交響楽団に入団。N 響 テューバを担当し、1994 年国立音楽大 においては 38 年ぶりのテューバ奏者入 学入学。大学卒業後、1998 年大阪市音 団として話題となった。オーケストラ 楽団に入団した。テューバ奏者として活 での演奏の他、なぎさブラスゾリステ 動するかたわら、数々のコンクールに挑 ン、トウキョウ・ブラス・シンフォニー等 戦する。1998 年、第 15 回日本管打楽器 で、金管アンサンブルの活動にも力を注 コンクール第 1 位、1999 年「コンセー いでいる。2007 年 N 響オーチャード定 ル・マロニエ 21」金管部門優秀賞、2000 期においてヴォーン・ウィリアムズ《テ 年ドイツのマルクノイキルヒェン国際器 ューバ協奏曲》のソリストを務めた。今 楽コンクールのテューバ部門第 4 位、お 回もこの名曲をたっぷりとした音量とニ よび審査員特別賞受賞等、輝かしい成績 ュアンス豊かな表現力で聴かせてくれる を収めてきた。 だろう。 (柴辻純子) 1857-1934 エルガー 序曲「フロアサール」作品 19 「騎士道がその槍の穂先を高々と 掲げたとき」というジョン・キーツ (1795 ∼ 1821) の 詩 の 一 節 が ス コ アの表紙に記された《序曲「フロア サール」 》は、騎士道へのオマージ ュである。1889 年秋、三教区合唱 祭 (Three Choirs Festival) の運営委 員会から、管弦楽小品の依頼を受け たエルガーが題材として選んだのは、 『年代記』の作者ジャン・フロアサ ール(1333 頃∼ 1410 頃)であった。 フロアサールはフランス出身である が、1361 年以降、数年間をイング ランド国王エドワード 3 世の宮廷で 過ごした。 『年代記』が描くエドワ ードの宮廷は、 「忠誠、信義、純愛、 信仰、勇猛、自己犠牲」といったア ーサー王伝説を思わせる騎士道的な 空気に満ちていた。ちなみにオラン ダの文化史家ホイジンガ(1872 ∼ 1945)の名著『中世の秋』は『年 代記』に多くを拠っている。エルガ ーは、 『年代記』に横 する騎士道 精神を称えようとしたのである。 エルガーの騎士道熱にはワーグナ ー(1813 ∼ 1883)の影響もあった。 19 世紀末の英国ではワーグナーが 一世を風靡しており、タンホイザー、 ローエングリン、トリスタン、ワル ター、グルネマンツ、聖杯騎士団と いった騎士たちに英国の音楽愛好家 も親しんでいた。エルガーは、とり わけ《ニュルンベルクのマイスター ジンガー》に心酔していた。 曲は馬上試合の開始を告げるよう なトゥッティのファンファーレ音型 で始まる。次々に繰り出される主題 群やモティーフは、実は《マイスタ ージンガー》前奏曲の第 1 主題が分 解・変容されたものであり、華やか で明朗な旋律がギャラントな中世の 騎士道を彷彿させる。 1890 年 9 月 9 日、 故 郷 ウ ス タ ー の三教区合唱祭でエルガー自身の 指揮によって初演され、かなりの 成功をおさめた。《変奏曲「なぞ」》 や《行進曲「威風堂々」》で世界的 な名声を得るまでには、前途にまだ 10 年近い苦節が待ち受けていたが、 《フロアサール》はオーケストラの 大家エルガーの記念すべき第一歩と なったのである。 (等松春夫) 作曲年代:1889 ∼ 1890 年 楽器編成:フルート 2(ピッコロ 1)、オーボエ 2、 初演:1890 年 9 月 9 日、ウスター、三教区合唱祭、 クラリネット 2、ファゴット 2、コントラファ 作曲者自身の指揮による音楽祭管弦楽団 ゴット 1、ホルン 4、トランペット 2、トロン ボーン 3、ティンパニ 1、シンバル、弦楽 Philharmony May 2013 Edward Elgar Program Frederick Delius 1862-1934 ディーリアス A 歌劇「村のロメオとジュリエット」から 間奏曲 「天国への道」 フレデリック・ディーリアスは英 「天国(Paradise Garden) 」という名 国の生まれだが、両親は 19 世紀半 の居酒屋に赴くが、結局そこでも幸 ばに北部のヨークシャーに移住して せを見出すことはできないことを悟 きたドイツ人であった。作曲家にな り、小舟に乗って川に心中する。 ることを父親に反対され、一時はフ 《間奏曲「天国への道」》は、オペ ロリダのオレンジ農園で働いたが、 ラの最終場の前、サーリとヴレンチ 音楽の道を諦めきれずにライプツィ ェンが故郷の村を逃れ、「天国」に ヒで作曲を学び(同地でグリーグと 向かう間に奏される。これは 1907 親交を結ぶ) 、やがてパリ近郊に居 年のベルリンでのオペラ初演のため を定めた。その作風はワーグナーや に追加で作曲されたが、1910 年の グリーグ、さらには黒人音楽などの ロンドン初演を指揮したトマス・ビ 多様な影響がみられる一方、独自の ーチャムがのちに単独の管弦楽曲と 和声語法と色彩感をもつ。 して編曲、ディーリアスの人気作の ディーリアスは 6 作のオペラを書 一つとなった。 いたが、代表作の《村のロメオとジ レ ン ト、4/4 拍 子。 フ ァ ゴ ッ ト ュリエット》は 1899 ∼ 1901 年に作 とイングリッシュ・ホルンに導かれ、 曲され、1907 年にベルリンのコミッ 弦楽合奏の上でオーボエをはじめと シェオーパーで初演された。原作は する木管のソロが主要旋律を紡いで スイスの作家ゴットフリート・ケラ いく。ゆるやかにたゆたう弦楽は川 ー(1819 ∼ 1890)の短編。スイス の流れを象徴しているかのようだ。 の村に住む若き恋人たちのサーリと この旋律は最後に再び弦楽と木管の ヴレンチェンは、親同士の土地をめ ユニゾンで力強く鳴らされ、二人の ぐる争いのために仲を引き裂かれて 不変の愛が強調される。《トリスタ しまう。それでも愛し合う二人はつ ンとイゾルデ》の世界を想起させる、 いに一緒になることを決意し、一晩 ともに過ごしたのち、幸せを求めて 作曲年代:1906 年 初演:1907 年 2 月 21 日、ベルリン、コミッシ ェオーパー、フリッツ・カッシーラー指揮 はかなくも耽美的な作品である。 (後藤菜穂子) 楽器編成:フルート 2、オーボエ 1、イングリ ッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、ファゴッ ト 2、ホルン 4、トランペット 2、トロンボー ン 3、ティンパニ 1、ハープ 1、弦楽 ヴォーン・ウィリアムズ 1872-1958 テューバ協奏曲 レーフ・ヴォーン・ウィリアムズは、 同時代にヨーロッパ大陸で展開され ていた音楽とは距離を置き、イギリ スの民謡およびルネサンスやバロッ ク音楽の研究などを通して「イギリ ス的」な音楽の復興を目指した作曲 家であった。ロンドンの王立音楽大 学とケンブリッジ大学で作曲を学ん だのち、ベルリンでブルッフに、さ らにパリでラヴェルに師事し、とり わけ後者のもとではオーケストレー ションの腕を磨いた。オーケストラ 曲の分野では 9 曲の交響曲、名作 《タリスの主題による幻想曲》など 数々の管弦楽曲、そして 9 曲の協奏 的作品がある。 作曲家 82 歳の時に書かれた《テ ューバ協奏曲》は、音楽史上初のテ ューバのための協奏曲であったが、 興味深いことにテューバ奏者からの 委嘱作ではなかった。ヴォーン・ウ ィリアムズは前年にハーモニカとオ ーケストラの《幻想曲》を作曲する など、珍しい楽器に対する好奇心が 強かったようで、ロンドン交響楽団 から創設 50 周年記念コンサートの 作曲年代:1954 年 初演:1954 年 6 月 13 日、ロンドン、ロイヤル・ フェスティヴァル・ホール、バルビローリ指揮ロ ンドン交響楽団、フィリップ・カテリネット独奏 ために作品を委嘱された際に、この 協奏曲で応じたのである。 初演を行った英国人テューバ奏者 のフィリップ・カテリネットはその 手記の中で、ある日突然ロンドン響 の事務局から電話がかかってきて初 演を依頼され、同日の午後さっそく 作曲家の自宅にピアニストと行き、 初見で協奏曲を通したことを記して いる。 第 1 楽章 前奏曲:アレグロ・モデラ ート 2/4 拍子。2/4 と 6/8 が交代す る軽快な楽章。旋律には旋法が用い られ、民謡調である。 第 2 楽章 ロマンツァ:アンダンテ・ ソステヌート 3/4 拍子。ヴォーン・ ウィリアムズの得意とする田園風の 楽章で、テューバの叙情的な側面を 引き出している。 第 3 楽章 フィナーレ:ロンド・アラ・ テデスカ:アレグロ 3/4 拍子。ロン ド形式の終楽章はソロとトゥッティ の対比からなるドラマティックな曲 想。カデンツァを含め、テューバの ヴィルトゥオーゾ性が強調される。 (後藤菜穂子) 楽器編成:フルート 2(ピッコロ 1)、オーボエ 1、クラリネット 2、ファゴット 1、ホルン 2、 トランペット 2、トロンボーン 2、ティンパニ 1、小太鼓、トライアングル、シンバル、大太 鼓、弦楽、テューバ・ソロ Philharmony May 2013 Ralph Vaughan-Williams Program William Walton 1902-1983 ウォルトン 交響曲 第1 番 A 1934 年は英国音楽史上、象徴的 な年であった。エルガー、ディーリ アス、ホルストという老大家たちが 相次いで亡くなる一方、12 月 3 日 に 32 歳のウォルトンの《交響曲第 1 番》の初演(ただし第 4 楽章を欠 く)がハミルトン・ハーティー指揮 のロンドン交響楽団によって行われ たのである。古き者たちは去ったが、 新しき者が舞台に登場しつつあった。 イングランド中部オールダムの中 流家庭に生まれたウォルトンは、10 歳でオックスフォード大学クライス トチャーチ・カレッジ附属聖堂の少 年合唱団に入り、16 歳でオックス フォード大学に進学するが、アカデ ミズムに馴染めず大学を中退。そ の後、音楽大学に転じることもな く、作曲技法はほぼ独学で身に付け た。オックスフォード時代に知遇 を得た富豪シットウェル一族からの 支援が、才能 れる青年を英国音楽 界の「恐るべき子供」へと変貌させ ていった。シットウェル家の才媛イ ーディスの前衛的な詩に音楽を付け た《ファサード》 、 《ピアノとオーケ ストラのためのコンチェルタンテ》 、 ヒンデミットが初演時に独奏を担当 した《ヴィオラ協奏曲》などで頭角 を現し、大規模なオーケストラと合 唱を駆使した 1931 年のオラトリオ 《ベルシャザル王のうたげ》ではス トラヴィンスキーの《春の祭典》初 演に匹敵する衝撃を英国の音楽界に 与えた。その「恐るべき子供」が成 熟した作曲家への脱皮を図ったのが 《交響曲第 1 番》である。 ハイドン、モーツァルト、ベート ーヴェンからブラームスを経て、交 響曲こそがクラシック音楽のヒエラ ルキーの頂点に立つもの、との認識 が英国でも確立していた。スタンフ ォード、パリー、エルガー以来、英 国では交響曲の伝統が根付き、1930 年代にはヴォーン・ウィリアムズ、 バックス、ブライアン、ブリス、ラ ブラらが新作に取り組んでいた。英 国音楽復興の立役者であったエルガ ーは「プログラムを持たない抽象的 な音楽こそ芸術の最高形態」と語っ ていたが、ウォルトンの交響曲もこ の系譜に属すると言えよう。 また、1920 ∼ 1930 年代の英国で は、シベリウスが新時代にふさわし い交響曲の規範とみなされており、 交響曲の作曲にあたってウォルトン も多分にシベリウスを意識していた。 シベリウスもまた絶対音楽としての 交響曲の可能性を追求し続けた大家 であった。《ジェロンティウスの夢》 《使徒たち》《神の国》といった大作 オラトリオ群を完成させたエルガー オーボエがシベリウス風の印象深い 作曲にとりかかったように、 《ベル 主題を奏で、金管楽器が低音で咆哮 シャザル王のうたげ》の成功を経た する。硬質なオーケストレーショ ウォルトンも次は交響曲を書かねば、 ンはプロコフィエフの《古典交響 との衝動につき動かされていた。 曲》風でもある。スケルツォにあた こうして 1931 年以来交響曲の作 るプレストの第 2 楽章には「悪意 曲に取り組んでいたウォルトンであ をもって (con malizia)」という人を るが、私生活が作品に影響を与えな ったような発想記号が記されて かったわけではない。第 1 楽章から いる。 「メランコリーをもって (con 第 3 楽章までを書いていた時期、ウ malinconia)」と示されたアンダンテ ォルトンはあるドイツ貴族の未亡人 の第 3 楽章ではフルートの独奏が際 と恋愛関係にあった。しかしやがて 立つ。クールな叙情は、どこかヒン この関係は破綻し、そのショックか デミットの《ウェーバーの主題によ らか作曲が停滞する。なかなか作品 る交響的変容》の緩徐楽章やシベリ が進 ウスの《交響曲第 7 番》を思わせる。 しないことに業を煮やした初 演予定者のハーティーからの圧力も あって、1934 年 12 月に第 3 楽章ま でが初演されたことは冒頭に記した。 難産の末生まれた第 4 楽章には技 巧を顕示する傾向が見られ、とりわ け中間部のフーガが聴きものである。 その後ウォルトンは新たな女性の愛 「ブリオーソ」の部分では第 2 楽章 を得て精神の安定を取り戻し、よう の苦みが回想されるが、間もなくヴ やく第 4 楽章の作曲が軌道に乗る。 ィヴァチッシモに転じる。マエスト 先行する 3 つの楽章に比べて、第 4 ーソのコーダではティンパニとトラ 楽章がどこか軽やかで嬉遊曲風なの ンペット・ソロが妙技を披露し、《ベ は私生活の好転の反映かもしれない。 ルシャザル王のうたげ》の終結に酷 全 曲 の 初 演 は 1935 年 11 月 6 日 に 似した、念を押すような音型で全曲 ハーティーが指揮するBBC交響楽 が締めくくられる。1930 年代にベ 団によって行われた。 ートーヴェン的な精神で作られた正 ア レ グ ロ・ア ッ サ イ の 第 1 楽 章 攻法の交響曲である。 では弱音のティンパニ連打に続い て、弦楽器の無窮動風の刻みの上に 作曲年代:1931 年頃から構想。1933 年に本格 的な作曲開始、1935 年総譜脱稿 初演:1935 年 11 月 6 日、ハーティー指揮BB C交響楽団 (等松春夫) 楽器編成:フルート 2(ピッコロ 1)、オーボエ 2、 クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 4、ト ランペット 2、アルト・トランペット1、トロ ンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 2、シン バル、小太鼓、タムタム、弦楽 Philharmony May 2013 が満を持して《交響曲第 1 番》の Program 第 1756 回 サントリーホール 5/22[水]開演 7:00pm 5/23[木]開演 7:00pm [指揮] B 1756th Subscription Concert / Suntory Hall 22nd(Wed.)May, 7:00pm 23rd(Thu.)May, 7:00pm タン・ドゥン [conductor] Tan Dun [マリンバ] [marimba] [ハープ] [harp] [コンサートマスター] [concertmaster] 竹島悟史 早川りさこ 堀 正文 Satoshi Takeshima Risako Hayakawa Masafumi Hori タン・ドゥン Tan Dun (1957- ) 「The Tears of Nature」∼ “The Tears of Nature” マリンバとオーケストラのための for Marimba and Orchestra (日本の津波犠牲者の追憶に)(2012) (in Memory of Victims from Japan’s [日本初演] (13 ) Tsunami) (2012) [Japan Première] ストラヴィンスキー Igor Stravinsky (1882-1971) バレエ組曲「火の鳥」 (1919 年版) “L’oiseau de feu”, ballet suite (1919 version) (22 ) Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ 序奏 火の鳥とその踊り 王女たちの踊り(ホロヴォート舞曲) カッチェイ王の魔の踊り こもり歌 終曲 Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ Introduction L’oiseau de feu et sa danse Ronde des princesses (khorovode) Danse infernale du roi Kastcheï Berceuse Finale 休憩 Intermission タン・ドゥン Tan Dun 女書:The Secret Songs of Women ∼ “Nu Shu: The Secret Songs of Women” 13 のマイクロフィルム、ハープ、 for 13 micro films, Harp and Orchestra オーケストラのための(2012/13) (2012/13) [NHK交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボ ウ管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団共同 委嘱/世界初演] 映像制作 Ting Ying Xun Lu Culture Exchange Co. [NHK Symphony Orchestra, Royal Concertgebouw Orchestra, and the Philadelphia Orchestra co-commissioned/ World Première] Video: Ting Ying Xun Lu Culture Exchange Co. Soloist Philharmony May 2013 マリンバ 竹島悟史 Satoshi Takeshima 神奈川県出身。16 歳で自作曲《望郷》 メンバーとして、またソリストとして東 を群馬交響楽団と協演。ピアノ、作曲、 京フィルハーモニー交響楽団、オーケス 指揮法、クラリネットなどを専門的に学 トラ・アンサンブル金沢などのオーケス ぶなか、打楽器を音楽活動の中心として トラと協演している。さらにピアニス 歩み始める。東京藝術大学卒業。在学中 ト、作編曲家としての活動も精力的に行 の 1996 年、 第 13 回 日 本 管 打 楽 器 コ ン い、2006 年からリサイタルシリーズ「竹 クール打楽器部門第 2 位。 島 悟 史 Sound garden」 を 始 動。 現 代 音 2003 年NHK交響楽団に入団。オー 楽も得意としていて、2012 年 5 月N響 ケストラの打楽器奏者としての活動に加 定期では、武満徹《フロム・ミー・フロー えて、室内オーケストラ「ARCUS」、な ズ・ホワット・ユー・コール・タイム》の第 ぎさブラスゾリステン、Percussion Unit 1 打楽器奏者を務めた。 UNZARI など、様々なアンサンブルの (柴辻純子) Soloist Program B ©S.Takehara ハープ 早川りさこ Risako Hayakawa 東京藝術大学附属音楽高校を経て、東 枝春恵《ソプラノ、ハープ、オーケスト 京藝術大学卒業。第 3 回日本ハープコン ラのための「地上の平和」》 (世界初演) クール、第 2 回アルピスタ・ルドヴィコ・ にソリストとして出演した。またヒンデ スペイン国際ハープコンクール優勝。パ ミット《木管とハープのための協奏曲》 シフィック・ミュージック・フェスティバ やアルウィン《ハープ協奏曲》を日本初 ルに参加、国内主要オーケストラにもソ 演する他、和楽器との共演等、様々なジ リストとして多数出演するなど、日本を ャンルのコンサートに出演している。現 代表するハーピストとして活躍している。 在東京藝術大学および国立音楽大学にて 1999 年 N 響 「Music Tomorrow 1999」 後進の指導にもあたっている。2001 年N においてリーバーマン《フルートとハー HK交響楽団に入団。 プのための協奏曲》 (日本初演) 、2005 年 の同シリーズもタン・ドゥン指揮で、国 (柴辻純子) 1957- タン・ドゥン 「The Tears of Nature」∼マリンバとオーケストラのための (日本の津波犠牲者の追憶に) (2012) [日本初演] 古代中国には八種の素材─金、 心身に直接浸透するという点で重要 石、糸、竹、匏、土、革、木─に な位置を占めている。2012 年に作曲 基づく楽器分類法、八音があり、自 された《パーカッション協奏曲》も 然、人間、音楽の三者は不可分とさ この路線を踏襲しており、四川大地 れてきた。タン・ドゥンに大きな影 震や東日本大震災など近年の自然災 響を与えた 20 世紀音楽の革命家ジ 害を通して自然から人類へ警鐘を鳴 ョン・ケージは「芸術は自然をその らす。今夜演奏される《The Tears of 作用方法において模倣する」をモッ Nature》は元々はこの協奏曲の第 2 トーに自然現象のメカニズムを音楽 楽章として作曲されたが、今回の日 の形式や構造に写し取る、標題音楽 本初演に際してタイトルを変更した。 とは正反対の極めて抽象的な方法で タイトルの Tears(涙)とは人類 音楽と自然とのあり方を模索した。 を脅威に曝した自然が流す懺悔の涙 21 世紀の今、タン・ドゥンの音楽は である。冒頭、チベット仏教で瞑想 自然とどう向き合うのだろうか。 時に使われる鈴の神秘的な響きの中 中国の賢人の言葉「自然と人との和は からマリンバ独奏の慈愛に満ちた旋 常に一となる」にはタン・ドゥンの自然観 律が浮かび上がる。マリンバ独奏の が反映されている。水、陶器、紙など トレモロと階段状の音の連なりから を楽器として用いたオーガニック三部作 なる旋律は水、雨、海、川を象徴す を始め、彼は人工物たる楽器と自然 る。この旋律は管弦楽全体に広がり、 の音素材との調和を図ってきた。タ 最後には悲嘆の奥底に強さを秘めた ン・ドゥンにとって、パーカッション 大きな一本の線となって哀歌を奏で は音楽的な効果が奏者と聴衆双方の る。 (高橋智子) 作曲年代:2012 年 初演:2012 年 12 月 13 日、ハンブルク。作曲 者自身による指揮、マルティン・グルービンガ ーによるパーカッション独奏、北ドイツ放送 交響楽団による管弦楽 委嘱:北ドイツ放送交響楽団、ロサンゼルス・フ ィルハーモニー管弦楽団、ベルゲン・フィルハー モニー管弦楽団、チューリヒ・トーンハレ管弦楽 団による共同委嘱 楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、バス・クラリネット 1、ファゴット 2、コン トラファゴット 1、ホルン 4、トランペット 2、 トロンボーン 3、テューバ 1、鈴(弓で演奏)、 ハープ 1、弦楽、マリンバ・ソロ Philharmony May 2013 Tan Dun Program Igor Stravinsky 1882-1971 ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」 (1919 年版) B ディアギレフ率いるロシア・バレ 演奏される。 エ団のために書かれた《火の鳥》は、 2. 火の鳥とその踊り ストラヴィンスキーの出世作にして 代表作の一つである。ロシアの民謡 を取り入れ、師匠リムスキー・コル サコフ譲りの華麗なオーケストレー ションを施したこの曲は初演から大 成功を収め、作曲者はその翌年、さ っそく演奏会用組曲(1911 年版) 目の覚めるようなヴィオラのス フォルツァート ( ! ) で雰囲気は一変 し、木管が細かい動きできらきらと 跳ね回るヴァリアシオンとなる。 3. 王女たちの踊り (ホロヴォート舞曲) 民謡に基づく美しい旋律が、さ を作った。ただ、第一次世界大戦後 まざまな楽器に受け渡されて歌われ は社会情勢が不安定になり、大編成 る。 の管弦楽曲を演奏することは難しく 4. カッチェイ王の魔の踊り トゥッティの一撃 ( s" ) で野蛮 なった。そこで作られたのが、今回 演奏される 1919 年版の組曲である。 この版は、原曲の 4 管編成を 2 管と し、打楽器も減らし、格段に演奏し な踊りが始まる。トロンボーンの印 象的なグリッサンドが出てくるが、 これは全曲版にはなく、この版で初 やすくなっている。なお、1945 年 めて登場したものである。 にも新しい組曲が作られたが、演奏 5. こもり歌 効果の高い 1919 年版は現在でも人 気が高い。 全体は 6 つの部分からなる。 1. 序奏 低弦が不気味にうごめく導入部 である。なお、第 1 ∼ 3 曲は続けて 作 曲 年 代:1909 年 冬 ∼ 1910 年 春( バ レ エ ) 、 1919 年(1919 年版組曲) 初演:1910 年 6 月、ガブリエル・ピエルネ指揮、 パリ・オペラ座(バレエ) 1919 年 4 月、エルネスト・アンセルメ指揮、ス イス・ロマンド管弦楽団(1919 年版組曲) 火の鳥の歌うけだるい子守歌。 6. 終曲 コラールが繰り返され、輝かし い大団円へと高まっていく。 (増田良介) 楽器編成:フルート 2(ピッコロ 1)、オーボエ 2(イングリッシュ・ホルン 1)、クラリネット 2、 ファゴット 2、ホルン 4、トランペット 2、ト ロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、大 太鼓、シンバル、トライアングル、シロフォ ン、タンブリン、ハープ 1、ピアノ 1(チェレ スタ 1)、弦楽 2013 年 5 月 22 日 (水)・23 日 (木)第 1756 回定期公演 タン・ドゥン/女書:The Secret Songs of Women 曲目概要・解説 タン・ドゥン 女書:The Secret Songs of Women ∼ 13 のマイクロフィルム、ハープ、 オーケストラのための交響曲(2012/13) [NHK交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボ ウ管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団共同 Tan Dun "Nu Shu: The Secret Songs of Women" Symphony for 13 Micro Films, Harp solo and Orchestra(2012/13) [NHK Symphony Orchestra, Royal Concertgebouw Orchestra, and the Philadelphia 委嘱/世界初演] (46') Orchestra co-commissioned/World Première] Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ Ⅶ Ⅷ Ⅸ Ⅹ Ⅺ Ⅻ XⅢ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ Ⅵ Ⅶ Ⅷ Ⅸ Ⅹ Ⅺ Ⅻ XⅢ 秘密の扇 母の歌 花嫁を飾る歌 嫁入りを泣く歌 女書の村 姉妹を思う 終わりなき道 姉妹に会う 娘の河 高銀仙の旧居 涙の書 心の橋 女書と水のロックンロール 演出・撮影 タン・ドゥン 映像制作 Tyxl/Culture Exchange Co. Secret Fans Mother’s Song Dressing for the Wedding Cry-Singing for Marriage Nu Shu Village Longing for her Sister A Road without End Forever Sisters Daughter’s River Grandmother’s Echo The Book of Tears Soul Bridge Water Rock’n Roll filmed and directed by Tan Dun Video: Tyxl/Culture Exchange Co. 楽器編成 フルート 3(ピッコロ 1、アルト・フルート 1)、オーボエ 2(イングリッシュ・ホルン 1)、 クラリネット 2、バス・クラリネット 1、ファゴット 2、コントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、鈴(弓で演奏)、チャ イニーズ・シンバル、マリンバ、フィンガーベル、トライアングル、石、ウォータース トレーナー(水こし)、洗面器、小太鼓、タムタム、ドラムセット、大太鼓、映像、ハー プ・ソロ、弦楽 作品解説 国際的に著名な作曲家タン・ドゥン は、彼の英雄であるベーラ・バルトー クと同様に、撮影用カメラとレコー ダーを携え、故郷である湖南省に帰っ た。そして世界で唯一の、しかし失わ れつつある女書と女書の音楽を自ら収 集・撮影し、音楽と映画のための記念 碑── 1 つは女性のための、もう 1 つ は音楽のための──を創作した。 タン・ドゥンは 3 年の時間を費やし て野外で撮影し、収集し、音楽的創作 と視覚・聴覚の構成について構想をめ ぐらせた。そのうち最も言及に値する アイデアは、この作品の中の 3 つの芸 術的空間の対位関係である。1 つ目は、 3 つの映画スクリーンの間の時空。2 つ目は、音楽と視覚。3 つ目は、古い 女書文化と未来の文化である。この三 重の対位は 13 の楽章の中で初めから 終わりまで持続する。確かにこの 13 楽章は 1 つのストーリーの展開ではな いけれども、その中のところどころに は物語的な関連性もある。例えば第 1 楽章は女書の起源である。第 2、3、4 楽章は母と娘の関係について。第 5 楽 章 は 空 気 の 音 楽。 第 6、7、8 楽 章 は 老同(義理の姉妹)との間のことにつ いて。第 9、10、11、12 楽章は女性が 永遠に待ち続けることについて。最後 の第 13 楽章はエピローグで、過去と 未来を池の面を打つ音で演繹した観念 的なものである。 この作品は 21 世紀の音楽的言語を 交響楽の中に溶け込ませると同時に、 古い「女書」の中に溶け込ませている。 したがって《女書》は夢のような、時 代を超えた作品であり、人類全体の、 女性たちのものであり、そしてまた大 自然に抱かれた視覚・聴覚作品である。 以下はタン・ドゥンの創作した 13 章の音楽とフィルムの概要である。 1. 秘密の扇 書いては働き、働いてはまた書く ……代々の母親と娘と老同(義理の姉 妹)の間の血肉の情。それこそ女たち が女書と秘密の扇を書く古い文化の源 である。女書にこめられた秘密、美し さ、善良な心とロマンは、女たちの記 念碑として受け継がれている。 2. 母の歌 母親が娘に、娘がまたその娘に、女 たちの聖なる経典『訓女詞』を教え る。こうして家庭のあり方、道徳、性 の営みや女としての生き方が伝わって いく。 3. 花嫁を飾る歌 15 歳で嫁に行く、その日こそこの 地の女にとって一番美しい日である。 別れの前に姉妹たちが着付けを手伝 う。きれいな髪飾りや花嫁衣装に別れ を惜しむ気持ちを隠して。 4. 嫁入りを泣く歌 三日三晩泣き暮らし、涙に濡れた スカーフが母親と娘の 絆 の証となる。 母と娘の情は娘が嫁に行ったあと、ひ そかに書いた「女書」で伝えられる。 5. 女書の村 空気、女たちの村、美しい山水、男 女の情愛、自然の大きさ……。 宋代以来の歴史を持つ 上 甘棠村で、 女たちは自分の一生をかけて自らの文 字、女書を育んできた。 女書村は永遠に河辺にある。河は 女たちの心の琴線であり、母親と娘と 老同(義理の姉妹)を結んでいる。 6. 姉妹を思う 母娘の情だけでなく、姉妹の情も女 書の主要なテーマである。 老同を懐かしむ歌声は、女書の中で は幼い頃の幸福と無邪気さについての 回想となる。 10. 高銀仙の旧居 100 歳になる高銀仙は女書の最も重 要な伝承者である。彼女がいなくなっ てもお茶が冷えることはなく、家の中 は昔のまま、彼女が刺繍をした時の女 書歌がこだまとなって聞こえるようだ ……。 11. 涙の書 莫翠鳳の泣き歌は、50 年前の嫁入 りを思い出している。半世紀の時が流 れ、彼女がいなくなっても、涙はやは り乾かない。 7. 終わりなき道 女のゆく道は、一生かけても終わら ない。 この家からあの家へ、このドアから あのドアへ、この河からあの河へ、こ の時代からあの時代へ……。 女の道は、永遠に終わらない。 12. 心の橋 女の夢は、子供を産み育て、道徳の 本源と家庭の倫理を守り、子孫を繁栄 させる道である。 女書は女たちが交流し合う心のかけ 橋である。 8. 姉妹に会う 老同に会えばすべての悩みを忘れ、 幼い頃の笑顔がよみがえり、胸の内を 泣き泣き語る。 老同たちは互いにぬくもりと思いや りを与えあい、そのぬくもりと思いや りが結婚しても苦しい暮らしの中で変 わらぬ心の支えとなる。 13. 女書と水のロックンロール 女書の村の池は、この地の代々の母 親と娘と老同と共にあった。 毎日ここで洗濯をし、歌を競い…… 今日、池は彼女たちの楽器となり、水 の太鼓となる。池の面は太鼓の皮のよ うに、雨だれ石をうがつリズムを生み だし、水辺で夢を歌いだす。 9. 娘の河 河なのか、それとも涙なのか? 水 だけが答を知っている。 娘の河は、代々の娘と母と祖母の河 である。彼女たちの涙は思い出を歌う 歌から流れだし、夢の中にたゆたう。 女は水、心の憂いが流れゆく。 女書は涙、心の悩みをすすぎ去る。 女は河、心の夢がわき出でる。 女書は海、心のすべてを歌にする。 (タン・ドゥン) 作品解説提供 Parnassus Productions, Inc. 訳 榎本泰子 作品解説 国際的に著名な作曲家タン・ドゥン は、彼の英雄であるベーラ・バルトー クと同様に、撮影用カメラとレコー ダーを携え、故郷である湖南省に帰っ た。そして世界で唯一の、しかし失わ れつつある女書と女書の音楽を自ら収 集・撮影し、音楽と映画のための記念 碑── 1 つは女性のための、もう 1 つ は音楽のための──を創作した。 タン・ドゥンは 3 年の時間を費やし て野外で撮影し、収集し、音楽的創作 と視覚・聴覚の構成について構想をめ ぐらせた。そのうち最も言及に値する アイデアは、この作品の中の 3 つの芸 術的空間の対位関係である。1 つ目は、 3 つの映画スクリーンの間の時空。2 つ目は、音楽と視覚。3 つ目は、古い 女書文化と未来の文化である。この三 重の対位は 13 の楽章の中で初めから 終わりまで持続する。確かにこの 13 楽章は 1 つのストーリーの展開ではな いけれども、その中のところどころに は物語的な関連性もある。例えば第 1 楽章は女書の起源である。第 2、3、4 楽章は母と娘の関係について。第 5 楽 章 は 空 気 の 音 楽。 第 6、7、8 楽 章 は 老同(義理の姉妹)との間のことにつ いて。第 9、10、11、12 楽章は女性が 永遠に待ち続けることについて。最後 の第 13 楽章はエピローグで、過去と 未来を池の面を打つ音で演繹した観念 的なものである。 この作品は 21 世紀の音楽的言語を 交響楽の中に溶け込ませると同時に、 古い「女書」の中に溶け込ませている。 したがって《女書》は夢のような、時 代を超えた作品であり、人類全体の、 女性たちのものであり、そしてまた大 自然に抱かれた視覚・聴覚作品である。 以下はタン・ドゥンの創作した 13 章の音楽とフィルムの概要である。 1. 秘密の扇 書いては働き、働いてはまた書く ……代々の母親と娘と老同(義理の姉 妹)の間の血肉の情。それこそ女たち が女書と秘密の扇を書く古い文化の源 である。女書にこめられた秘密、美し さ、善良な心とロマンは、女たちの記 念碑として受け継がれている。 2. 母の歌 母親が娘に、娘がまたその娘に、女 たちの聖なる経典『訓女詞』を教え る。こうして家庭のあり方、道徳、性 の営みや女としての生き方が伝わって いく。 3. 花嫁を飾る歌 15 歳で嫁に行く、その日こそこの 地の女にとって一番美しい日である。 別れの前に姉妹たちが着付けを手伝 う。きれいな髪飾りや花嫁衣装に別れ を惜しむ気持ちを隠して。 4. 嫁入りを泣く歌 三日三晩泣き暮らし、涙に濡れた スカーフが母親と娘の 絆 の証となる。 母と娘の情は娘が嫁に行ったあと、ひ そかに書いた「女書」で伝えられる。 5. 女書の村 空気、女たちの村、美しい山水、男 女の情愛、自然の大きさ……。 宋代以来の歴史を持つ 上 甘棠村で、 女たちは自分の一生をかけて自らの文 字、女書を育んできた。 女書村は永遠に河辺にある。河は 女たちの心の琴線であり、母親と娘と 老同(義理の姉妹)を結んでいる。 6. 姉妹を思う 母娘の情だけでなく、姉妹の情も女 書の主要なテーマである。 老同を懐かしむ歌声は、女書の中で は幼い頃の幸福と無邪気さについての 回想となる。 10. 高銀仙の旧居 100 歳になる高銀仙は女書の最も重 要な伝承者である。彼女がいなくなっ てもお茶が冷えることはなく、家の中 は昔のまま、彼女が刺繍をした時の女 書歌がこだまとなって聞こえるようだ ……。 11. 涙の書 莫翠鳳の泣き歌は、50 年前の嫁入 りを思い出している。半世紀の時が流 れ、彼女がいなくなっても、涙はやは り乾かない。 7. 終わりなき道 女のゆく道は、一生かけても終わら ない。 この家からあの家へ、このドアから あのドアへ、この河からあの河へ、こ の時代からあの時代へ……。 女の道は、永遠に終わらない。 12. 心の橋 女の夢は、子供を産み育て、道徳の 本源と家庭の倫理を守り、子孫を繁栄 させる道である。 女書は女たちが交流し合う心のかけ 橋である。 8. 姉妹に会う 老同に会えばすべての悩みを忘れ、 幼い頃の笑顔がよみがえり、胸の内を 泣き泣き語る。 老同たちは互いにぬくもりと思いや りを与えあい、そのぬくもりと思いや りが結婚しても苦しい暮らしの中で変 わらぬ心の支えとなる。 13. 女書と水のロックンロール 女書の村の池は、この地の代々の母 親と娘と老同と共にあった。 毎日ここで洗濯をし、歌を競い…… 今日、池は彼女たちの楽器となり、水 の太鼓となる。池の面は太鼓の皮のよ うに、雨だれ石をうがつリズムを生み だし、水辺で夢を歌いだす。 9. 娘の河 河なのか、それとも涙なのか? 水 だけが答を知っている。 娘の河は、代々の娘と母と祖母の河 である。彼女たちの涙は思い出を歌う 歌から流れだし、夢の中にたゆたう。 女は水、心の憂いが流れゆく。 女書は涙、心の悩みをすすぎ去る。 女は河、心の夢がわき出でる。 女書は海、心のすべてを歌にする。 (タン・ドゥン) 作品解説提供 Parnassus Productions, Inc. 訳 榎本泰子 1957- タン・ドゥン 女書:The Secret Songs of Women ∼13 のマイクロフィルム、ハープ、オーケストラのための (2012/13) [NHK交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、 フィラデルフィア管弦楽団共同委嘱/世界初演] タン・ドゥンは活動拠点をニュー なるための人生訓を女書で記した。 ヨークと上海に置くコスモポリタン 嫁いだ女性たちは厳しい暮らしの心 として、北京中央音楽院出身の「華 の拠り所を女書に求め、その中に夢 の 1978 年組」と呼ばれる作曲家た や希望の世界を描いた。それは詩の ちの中でも際立った存在だ。彼は少 形式をとり、歌のような独自の節回 年期に政府事業の一貫として農耕に しで音読される。女書は女性の間で 従事し、音楽が人間の営み全般と結 密かに伝承されてきたが、文化大革 びついていたコミューンでの共同生 命が終了して以降の急激な近代化に 活を通して音楽に目覚めた。それ 伴って、現在では絶滅の危機に は折しも文化大革命の最中だった。 ている。タン・ドゥンは女書のルー 「様々な文化の間を自由に泳ぎ回っ ツを探るために現地で調査し、今で ている」と語る彼の音楽は、中国伝 はたった 6 人となった伝承者から女 統音楽の語法と、青年期に没頭した 書の読み書きを教わった。角張った 西洋の前衛もしくは実験的な語法と かたちの漢字に対して、女書の文字 が行き交う場である。 は流麗な曲線美だ。女書の文字には 当夜に世界初演される《女書: The Secret Songs of Women ∼ 13 の マイクロフィルム、ハープ、オーケ ストラのための》は湖南省南西部に 位置する江永県発祥の、世界で唯一 の女性だけの間で伝承されてきた言 語、女書(ニュウ・シュウ)を主題 とする。かつて漢字の学習を禁じら れていたこの地方の女性たちは漢字 を変形させた表音文字である女書を 作り出し、女性の悲哀や良妻賢母に し 音符、ピーパ(中国琵琶)や、この 協奏曲の独奏を担うハープなど音楽 に関連する事象に似ているものがい くつもある。タン・ドゥンは女書と 音楽との奇跡的な符合を現地調査の 際にスケッチした。タン・ドゥンの HP(http://www.tandunonline.com/ images/nushu.pdf)で公開されてい るので参照されたい。 曲の構成はプロローグと 12 の楽 章。当初、この曲のタイトルは「涙 Philharmony May 2013 Tan Dun Program B の書」と構想されていたようだが、 強く生きる女性たちへの賛歌でもあ タン・ドゥンは逞 しく生きる女性の る。 強さも描きたいと思い、 「女書と水 演奏の際にはタン・ドゥンが江永 のロックンロール」を終楽章に据え 県河淵村で撮影した映像も併せて上 た。川で炊事洗濯を行う彼女たちに 映されることから、この曲はハープ とって、水は命と生活の源だ。タ 独奏、管弦楽、映像における女書の ン・ドゥンが採集し、詩を付けた明 吟唱が一体となった映像交響曲とも るい民謡の旋律が川の水音を用いた いえるだろう。 ビートに乗って歌われる。それは力 作曲年代:NHK交響楽団、ロイヤル・コンセル トヘボウ管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団 が共同委嘱し、2012 ∼ 2013 年作曲 初演:2013 年 5 月 22 日、東京、サントリーホ ール、NHK交響楽団第 1756 回定期公演、作 曲者自身による指揮、NHK交響楽団、早川 りさこの独奏で世界初演 (高橋智子) 楽器編成:管弦楽(詳細未定)、ハープ・ソロ 「女書(ニュウ・シュウ)」とは? 世界で唯一の女性だけの文字と歌 文|劉 穎 5 月のBプログラムではタン・ドゥン作曲の《女書:The Secret Songs of Women ∼ 13 のマイクロフィルム、ハープ、オーケストラのための》が世界初演され ます。この曲は湖南省南西部の江永県で女性だけの間で伝承されてきた女書 (ニュウ・シュウ)の文化をテーマとしています。女書の研究家、劉穎さんに 特徴と魅力を紹介していただきます。 (N響ホームページ http://www.nhkso.or.jp/library/kaleidoscope/3392/ にも 掲載されています) 「蚊文字」と呼ばれた「女書文字」 とにのみ使われました。 「女書」は中国湖南省江永県の山 日本における女書研究の第一人者 村で発見された女性の間だけに伝わ である遠藤織枝先生によると、女書 る̶̶いや、伝わったという方が正 文字は 450 字ほどあります。そのほ しい̶̶消滅寸前の特殊な文字だ、 とんどは漢字に由来したものだと言 という解釈が一般的です。 われています。漢字と異 しかし、 「女書」と言っ なるのは、女書文字は表 た場合は文字のみを指す 意文字ではなく、表音文 のではなく、その文字で 字だということです。漢 綴られた作品も含まれま 字から作られた文字だと す。従って以下の文中で 言われていますが、四角 は、この文字とそれで書 く硬いイメージの漢字と かれた作品を指す場合は 「女書」 、文字のみを指す 場合は「女書文字」 、作 女書文字 の 書かれたハンカチ/女 書伝承者 から筆者へのプレゼント (筆者提供) 品のみを指す場合は「女 は異なり、上右から左下 へと書く細長菱形の文字 で、とてもなめらかで繊 細な文字です。 書作品」を使うことにします。女書 女性が漢字を学ぶチャンスの少な 文字は実用文や契約書などにはまっ かった時代には、女書文字が書ける たく使われず、すべて現地の女性た 人も多くはありませんでした。した ちが口ずさむ韻文の歌を書き記すこ がって、女書文字が書ける女性は Philharmony May 2013 Ռ 特別寄稿 ﹁ 女 書 ︵ ニ ュ ウ ・ シ ュ ウ ︶ ﹂ と は ? 「君子女(ジゥン・ズー・ニュウ) 」と を知る男子は見当たらなかった。」 自称していたそうで、たいへん誇ら 古い文献に女書に関する記載がな しい存在でした。 い理由として、それが女性の間でし 女書文字は、いつ、誰によって作 か伝わらなかったからだということ られたかは、伝説や学者の仮説はあ が考えられます。実際に、研究者が るものの、いまだに解明されていま 調査に行くまでは、現地の男性たち せん。収集された女書資料の鑑定に は、この細長い女書文字に「蚊文 よると、現存の最古資料でも 300 年 字」や「長足文字」とあだ名をつけ ほどしか経っていないものです。よ て、バカにしていたそうです。 り古いものが出ない理由としては、 現地の女性が亡くなったとき、その 親戚や親友たちが、彼女が持ってい 生活の中で女たちが歌った 「女書作品」 た女書作品をあの世に持って行って 女書作品はほとんどが七言句の韻 もらうために焼いてしまったからだ、 文です。主な内容は女性たち自身の と考えられています。 暮らしぶりや波瀾万丈の人生、ある 女書文字について記述されている いは自分の喜怒哀楽を訴えたりした 最も古い文献は、80 年ほど前の『湖 ものです。 南各県調査筆記』 (1931 年 7 月)で 江永県は、山紫水明の自然環境 す。この文献では、女書について以 に恵まれ、比較的豊かなところで 下のように述べられています。 す。女性たちは農作業をせず、自宅 という寺があり、 で「女紅(ニュウ・ゴーン)」と呼 毎年 5 月にお参りに来る各村の女 ばれる針仕事をするのが一般的でし 性たちは、線香を立てて、詩歌が書 た。昔は外からの強盗を防ぐために、 「江永県に花山 かれている扇子を手に合唱して祀る。 村の家は軒という軒がみな連なって、 扇子に書かれた文字は極めて小さく 迷路のように密集して作られていま て細く、モンゴル文字に似ている。 した。そのため、女性たちが 1 か 江永県のどこを探しても、この文字 所に集まって女紅をするのにとても 女書 の里・河淵村の密集して建 てられている家々(筆者提供) 豊 かな自然環境と畑 に囲まれている 河淵村の風景(筆者提供) だけが集まる祭日「闘牛節」や「納 涼節」があるうえに、花嫁を送り出 すために女性たちが一堂に集まって 三日三晩歌い続ける「坐歌堂(ズォ ー・グー・ターン) 」の風習や、新婚 3 日目に「賀三朝(フー・サーン・ ジァオ) 」の風習があり、花嫁の親 族や友人が女書文字で書かれた祝い の歌の「三朝書(サーン・ジァオ・シ ュウ) 」を嫁ぎ先に持って行き、女 書文字がわかる女性に歌ってもらっ て花婿の家に伝えるのでした。それ らの習慣や風習ではみな女性たちが 主役なのでした。 彼女たちは、そ のつど、みんなで好きな歌を合唱し たり、自分の新作を披露したりする ことによって、生活の中の悲しいこ とや寂しい思いなどをぶちまけるの です。女書文字が書けない人は後 日、自分の大好きな歌やこれからも 取っておきたい歌、または誰かにプ レゼントしたい歌を女書文字が書け る「君子女」に頼んで、紙や小冊子、 または扇子やハンカチに書いてもら うのでした。 また現地では、話が合う女性同士 女書最後の伝承者、 何艶新さん ©Tan Dun が義理の姉妹を結ぶ「結拝姉妹(ジ ェー・バイ・ズー・メイ)」の風習もあ り、いったん結拝姉妹になったら、 生涯を通して実の姉妹よりも親しい 関係を持ちつづけました。承諾した 印として女書作品を作り、互いに歌 い聞かせてから、女書文字で書き 記した小冊子を渡すのでした。いま の人はその小冊子を「結交書(ジェ ー・ジァオ・シュー)」と呼んでいま す。 女書作品を大勢で歌って楽しむほ かに、一人で楽しむこともありまし た。その代表的なものは自伝です。 娘の時代から嫁いだ後の暮らし、さ らに老後までの出来事に、自分の苦 しみ、悲しみを綴り、結拝姉妹など に歌って発散するのです。以下はあ る自伝の一部分です。 河淵村の底 が透き通って見 える小川と古 い 橋 ©Tan Dun Philharmony May 2013 便利でした。また、江永県には女性 ﹁ 女 書 ︵ ニ ュ ウ ・ シ ュ ウ ︶ ﹂ と は ? 前年息子が亡くなり、 翌年に夫も亡くなってしまった 前世悪いことをしたからだろうか 息子も夫もいなくて誰に頼れるというのか 朝起きてから暗くなるまで泣き続け 息子と夫を思い泣きながら時間を過ごす 昼間はまるで夢の中で過ごす 夜はまるで地獄にいるようだ 夜ベッドに横になり布団が涙でびしょ濡れに 自分の哀れは誰が知っているのだろうか このように、普通の農家の女性で もみな自分の人生を自伝に綴り、人 に訴えるのです。 女書のもう一つの特徴は吟唱とい う表現法です。女書は、かならず歌 って創作し、歌って相手に伝え、歌 って伝承する、いわゆる口承文学で す。女書はすべて歌の記録です。 江永県は漢民族と少数民族のヤオ 族が混住している地域で、周囲はヤ オ族自治県に囲まれています。君子 女書文化は、誰にも止められない社 会の発展と時代の変遷につれて消え つつあります。女書文化の保護と宣 伝がとても大事です。できるだけ多 くの人に素晴らしい女書文化を知っ てほしいと願っています。 ここ数年来、いろいろな分野で女 書文化が取り上げられてきました。 書道家は繊細な女書文字の美しさに 着目し、音楽界では女書の吟唱と現 代舞踊と結び舞台芸術にアレンジ、 女たちはみな漢民族の風習である纏 さらに 2010 年には、女書文化に題 足をしていたことなどから、女書は 材をとった映画『雪花与密扇』も中 漢民族の文化だと思われています 国国内で公開されました。このよう が、押韻せず、声調の規則がある女 な一連の活動によって、女書文化の 書の文体はヤオ族の歌に一致してい 知名度はかなり高くなったのです。 ます。このような点から女書文化は 今回、女書の吟唱を取り入れた管 ヤオ族の影響を受けていると考える 弦楽作品が誕生するということは、 ことができます。 より一層多くの人に女書文化を知っ てもらうことになるでしょう。女書 消え行く女書文化 研究に携わっているものとして非常 像力と大きな創造力が反映されてお います。 女書文化は、女性が持つ豊富な想 り、女書文字は女性たちの知恵の結 晶です。しかし、この世界で唯一の に喜ばしいことで、大いに期待して (LIU YING リュウ・イーン 成城大学教授) C 1755th Subscription Concert / NHK Hall 17th(Fri.)May, 7:00pm 18th(Sat.)May, 3:00pm 第 1755 回 NHKホール 5/17[金]開演 7:00pm 5/18[土]開演 3:00pm [指揮] ウラディーミル・フェドセーエフ [conductor] Vladimir Fedoseyev [コンサートマスター] 堀 正文 [concertmaster] Masafumi Hori ショスタコーヴィチ 交響曲 第 1 番 へ短調 作品 10(32 ) Dmitry Shostakovich (1906-1975) Symphony No.1 f minor op.10 Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ アレグレット―アレグロ・ノン・トロッポ アレグロ―メノ・モッソ レント―ラルゴ レント̶アレグロ・モルト Allegretto - Allegro non troppo Allegro - Meno mosso Lento - Largo Lento - Allegro molto 休憩 Intermission チャイコフスキー Peter Ilich Tchaikovsky (1840-1893) 弦楽セレナード ハ長調 作品 48(32 ) Serenade for Strings C major op.48 Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ ソナチネ形式の小曲 ワルツ エレジー ロシア風の主題による終曲 ボロディン 歌劇「イーゴリ公」から 「序曲」 「ダッタン人の踊り」 (23 ) Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Pezzo in forma di sonatina Valse Élégie Finale (Tema russo) Aleksandr Borodin (1833-1887) “Prince Igor”, opera Overture, “Danses polovtsiennes” Philharmony May 2013 Program Program Dmitry Shostakovich ショスタコーヴィチ 1906-1975 交響曲 第 1 番 へ短調 作品 10 C 「第 1 番」と「作品 10」という若 活を送ることになった。これがショ い数が示すとおり、この作品はショ スタコーヴィチに大きな出会いをも スタコーヴィチのレニングラード音 たらす。モスクワの著名な言語学者 楽院作曲科(当時)の卒業制作とし の娘タチャーナ・グリヴェンコは彼 て書かれた。1926 年 5 月 12 日の初 とほぼ同い年であり、二人の関係は 演の際、ホールに詰め掛けた聴衆は、 それぞれが結婚した後まで尾を引く 大胆奇抜な着想と熟達した書法、幾 ことになる。この出会いを形にすべ 重にも屈折した精神を内包したこの く、ショスタコーヴィチは《ピアノ 交響曲が、弱冠 19 歳の少年の手か 三重奏曲第 1 番作品 8》を作曲した ら生み出されたことに大きな衝撃を が、その主題は後の交響曲の循環主 覚えたことだろう。革命と内戦によ 題の原型となるものである。父親の る断絶の後、新生ソ連に出現した天 死と自分の病、それにつづく愛の高 才作曲家の交響曲は大きな評判を呼 揚の体験は、特に交響曲の第 3 楽章 び、1928 年にはワルター指揮ベル リン・フィルハーモニー管弦楽団と、 ストコフスキー指揮フィラデルフィ ア管弦楽団が相次いで取り上げ、シ ョスタコーヴィチの名を世界に知ら しめた。 この作品には、ショスタコーヴィ チの個人的な体験と、1920 年代の ソ連の文化状況が紛れもなく刻印さ れている。1922 年突然の病で父を 亡くしたショスタコーヴィチは、家 計を助けるために映画館でのアルバ イトを始めた。当時のサイレント映 画をピアノの即興演奏で伴奏すると いうものである。ところが翌 1923 年には彼自身が肺結核に感染してし まい、母ソフィアの尽力でこの年の 夏、クリミア半島の保養地で療養生 ―ワーグナー《トリスタンとイゾ ルデ》を彷彿させる甘美な叙情と葬 送行進曲が交替する―に影を投げ かけている。 交響曲の最初の 2 楽章を書き上げ た際、ショスタコーヴィチは友人へ の手紙で、この作品を「グロテスク 交響曲」と呼ぶのがふさわしいと述 べている。実際、これらの 2 楽章 を特徴づけるのは、マーチ、ワルツ、 ギャロップといった通俗的なジャン ルのパロディであり、独奏楽器をド ラマの主人公のように見立てるオー ケストレーションとあいまって、ス トラヴィンスキー《ペトルーシカ》 の人形小屋の世界が想起される。ま た、映画のモンタージュや早回しの ようにぎくしゃくした流れの第 1 楽 ク」である。 る仕掛けに満ちた第 2 楽章には、シ 第 3 楽章 レント―ラルゴ 変ニ長調 ョスタコーヴィチの映画伴奏の経験 4/4 拍子。中間部に葬送行進曲を挿 が十二分に活かされている。 んだ緩徐楽章。オーボエが奏する主 第 1 楽章 アレグレット―アレグロ・ 部の旋律は、変ニ長調とあいまって ノン・トロッポ ヘ短調 4/4 拍子。序 ショパンの《夜想曲 作品 27 - 2》を 奏つきのソナタ形式。冒頭、弱音器 彷彿させ、それに絡むチェロの旋律 付きのトランペットとファゴットの はワーグナーの《トリスタン》前奏 対話で提示される主題は、交響曲全 曲を連想させるが、これはどちらも 体の主要主題の核となる。クラリ 循環主題を巧妙に変形したものであ ネットが奏する第 1 主題は作曲者 る。 が「おどけた行進曲」と呼んだもの、 第 4 楽章 レント―アレグロ・モルト フルートによる第 2 主題はアクセン ヘ短調 2/4 拍子。ソナタ形式。以前 トが 1 拍ずらされたワルツである。 の楽章との関連性がつよく、第 1 主 第 2 楽章 アレグロ―メノ・モッソ イ 題は第 1 楽章の第 1 主題から、第 2 プのスケルツォと、ロシア民謡風の 形から導出されている。展開部後半 短調 4/4 拍子。無 窮 動的なギャロッ 主題とその反行形を組み合わせたト リオからなる。再現部では両主題が 重なり合う劇的なクライマックスを 形成するが、それにつづくピアノ・ ソロとのギャップが喜劇映画のズッ コケシーンのような異様な効果を生 み出している。突然、夢から覚めた かのような最後の打楽器のエンディ ングといい、いかにも「グロテス 作曲年代:1924 年 9 月∼ 1925 年 7 月初め。2 台 ピアノ版スコアはモスクワの友人ミハイル・クヴ ァドリに献呈されたが、その後オーケストラ・ス コアからは削除された。 初演:1926 年 5 月 12 日、ニコライ・マリコ指 揮、レニングラード・フィルハーモニー交響楽 団。第 2 楽章がアンコールされた。 主題は第 3 楽章の葬送行進曲の反行 の全休止のあとで度肝を抜くティン パニのソロも、同じ葬送行進曲で現 れたファンファーレ音型を反転させ たものである。最後まで歓喜と悲劇 が入り乱れ、衝動的に結ばれるコー ダは、ショスタコーヴィチの将来を 予見するかのようだ。 (千葉 潤) 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 2)、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 4、 トランペット 3、トロンボーン 3、テューバ 1、 ティンパニ 1、大太鼓、小太鼓、タムタム、シ ンバル、トライアングル、グロッケンシュピ ール、ピアノ 1、弦楽 Philharmony May 2013 章や、いたる所で聴衆の予想を裏切 Program Peter Ilich Tchaikovsky チャイコフスキー 1840-1893 弦楽セレナード ハ長調 作品 48 C こ の 曲 は、1880 年 秋、 わ ず か 1 か月ほどの間に完成された。チャイ コフスキーはこの曲を、興に乗って 一気に書き上げたようで、自己批判 の強い彼には珍しく「この作品は感 情に満ちたものであり、それゆえ真 の価値を失わないものです」とまで 書いている。また彼は、この曲の第 1 楽章について「モーツァルトへの オマージュで、彼の様式の模倣を意 図しています」とも書いた。実際に は、聴けばわかる通り、音楽そのも のは「模倣」というほどモーツァル ト風ではないが、優美で明るい雰囲 気には彼のモーツァルト観がいくら か反映していると思われる。 展開部のないソナタ形式を採用して いる。 第 2 楽章〈ワルツ〉モデラート ( テ ンポ・ディ・ヴァルス ) ト長調。この ワルツは初演時からアンコールされ るほどの人気だった。現在でもしば しば単独で演奏される。 第 3 楽章〈エレジー〉ラルゲット・ エレジアーコ ニ長調。夢見るよう な序奏のあと、ノスタルジックな歌 が歌われる。珍しい長調のエレジー (哀歌)だ。 第 4 楽章〈ロシア風の主題による終 曲〉アンダンテ―アレグロ・コン・ス ピーリト ト長調―ハ長調。遅い序 奏には「ボルガの舟歌」の旋律が用 第 1 楽章〈ソナチネ形式の小曲〉ア いられている。主部は、短い音型を ロ・モデラート ハ長調。印象的な序 するソナタ形式。大詰めには全曲冒 ンダンテ・ノン・トロッポ―アレグ 奏のあと、軽快な 2 つの主題が提 繰り返す舞曲風の主題を第 1 主題と 頭の主題が再登場する。 示される。ソナチネでよく使われる、 作曲年代:1880 年 9 月 21 日∼ 10 月 22 日(旧ロ 楽器編成:弦楽 シア暦 9 月 9 日∼ 10 月 10 日) 初演:1881 年 10 月 30 日(旧ロシア暦 10 月 18 日) 、 サンクトペテルブルク、エドゥアルト・ナプラヴ ニク指揮、ロシア音楽協会演奏会 (増田良介) ボロディン 1833-1887 歌劇「イーゴリ公」から「序曲」 「ダッタン人の踊り」 ムソルグスキー、リムスキー・コ ボロディンならではの美しい旋律の ルサコフとともに「ロシア五人組」 奔流を、グラズノフが見事なバラン の一員であったボロディンは、専業 ス感覚でまとめあげたこの序曲は、 の作曲家ではなく、化学者として多 理屈抜きに心を沸き立たせる。 忙を極める生活のあいまに作曲をし さて、この歌劇の中で最も有名な ていたので、作品の数は非常に少な 部分が、第 2 幕の〈ダッタン人の踊 い。イーゴリ公と遊牧民族ポロヴェ り〉だ。なお、原題は「ポロヴェツ ツ人の戦いを描く叙事詩『イーゴリ 人の踊り」で、これはダッタン(タ 軍記』 (作者不詳、12 世紀)に基づ タール)人とは本来違う民族なのだ く愛国的な《歌劇「イーゴリ公」 》 が、日本では古くから「ダッタン も、18 年の長きにわたって断続的 人」という訳が定着している。これ に作曲が続けられたが、彼の死によ は、囚われの身となったイーゴリ公 って未完に終わり、死後、リムスキ を慰めるために、敵将コンチャク汗 ー・コルサコフとグラズノフによっ の命によって踊られるもので、原曲 て補筆完成された。 では合唱が付いている。ボロディン 序曲もボロディンが書いたもので ならではの甘美な旋律や力強いリズ はなく、ボロディンがピアノで弾い ムにあふれたエキゾティックな音楽 ていたものを、並外れた記憶力の持 で、単独で演奏されることも多い。 ち主であったグラズノフが復元した また、さまざまな編曲によって、C ものである。したがって、どの程度 Mなどにもしばしば用いられている。 までボロディンの作曲と言えるかは 難しい。しかし、劇中に使われた、 作曲年代:序曲:1887 年(グラズノフによる復 元) 、 〈ダッタン人の踊り〉 :1875 ∼ 1879 年 初演:序曲:1887 年 11 月 5 日(旧ロシア暦 10 月 24 日) 、サンクトペテルブルク、リムスキ ー・コルサコフ指揮 〈 ダ ッ タ ン 人 の 踊 り 〉:1879 年 3 月 11 日( 旧 ロシア暦 2 月 27 日) 、サンクトペテルブルク、 リムスキー・コルサコフ指揮、無料音楽学校演 奏会 (増田良介) 楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2(イングリッシュ・ホルン 1)、クラリネット 2、 ファゴット 2、ホルン 4、トランペット 2 、ト ロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、グ ロッケンシュピール、トライアングル、大太 鼓、小太鼓、シンバル、タンブリン、ハープ 1、 弦楽 Philharmony May 2013 Aleksandr Borodin 名 曲 の 深 層 を 探 る シリーズ 名曲の深層を探る 第 8 回 公的音楽と英国の作曲家たち ─王室音楽師範をめぐって─ 文 等松春夫 1.公的作曲家の起源 挙げる人はまずいない。 映画『アマデウス』をご覧になっ 英国でこの「宮廷楽長」に相当す た読者は多いであろう。この中でモ る の が Master of the King s Music(k) ーツァルトの敵役として登場するの である。この官職の起源は清教徒革 がアントニオ・サリエーリ(1750 ∼ 命で処刑された国王チャールズ 1 世 1825)である。彼の肩書は「宮廷 (位 1625 ∼ 1649)がニコラス・レニ 楽長」 。王室の慶事や国家的な祝典 アーにこの称号を与えた 1626 年に など公的な機会に音楽を供するのが る。文字どおりには「王(また 任務である。しかし、18 世紀末の は女王)の音楽教師」であるが「王 ハプスブルク王朝を代表する作曲家 室音楽師範」と訳される。同時代で として、こんにちサリエーリの名を もっとも優秀で人格高潔な作曲家が オーストリア王位継承戦争終結を祝うロンドンのグリーンパークにおける花火 を供することとされた。 とすれば 18 世紀のハノーヴァー 王朝時代にこの地位にもっともふさ わしい作曲家はゲオルク・フリード リヒ・ヘンデル(1685 ∼ 1759)を おいてない。国王ジョージ 1 世(位 1714 ∼ 1727)の舟遊びのために《水 の上の音楽》を、息子のジョージ 2 かし、ハノーヴァー王朝の「無冠の 王室音楽師範」は誰が見てもヘンデ ルであった。エクルズは誰も覚えて いないが、現在に至るまで英国王の 戴冠式ではヘンデルの《祭司ザドク》 が奏されている。 2.王室音楽師範 名実共にこの地位にふさわしい人 世(位 1727 ∼ 1760)の戴冠式のた 物で、初めて王室音楽師範となった めに《祭司ザドク》を、そしてオー のはエドワード・エルガー(1857 ストリア王位継承戦争終結を記念す ∼ 1934) で あ る。1893 年 以 来 王 る平和式典に《王宮の花火の音楽》 室音楽師範の地位に在ったウォル を書いた。しかし、彼はついに「王 ター・パラットが 1924 年に死去す 室音楽師範」にはなれず、同時代に ると、国王ジョージ 5 世(位 1910 その地位に在ったのはジョン・エク ∼ 1936)はエルガーをこの職に任 ルズであった。この地位が終身職で 命した。エルガーは 1897 年のヴィ あったこと、英国国教会の信徒では クトリア女王(位 1837 ∼ 1901)の なかったこと、そして帰化はしたが 在位 60 周年記念式典に《イギリス ドイツ人であったことなどが、ヘン 行進曲》やカンタータ《聖ジョージ デルがなれなかった理由である。し の旗》を書き、1902 年のエドワー ジョージ 1 世とヘンデル 《水の上の音楽》謁見 を描 いた 想像図 Philharmony May 2013 任命され、王室や国家の行事に音楽 名 曲 の 深 層 を 探 る ド 7 世(位 1901 ∼ 1910)の即位に ロンドンで開かれた大英帝国博覧会 は《戴冠式賛歌》を供していた(因 に音楽を提供することであった。こ みにこの作品の終曲が有名な〈希 うして書かれたのが野外ページェン 望と栄光の国〉である) 。エドワー トのための《帝国の祝祭》である。 ド 7 世の崩御に際しては《交響曲第 各地のアマチュア合唱団から選抜さ 2 番》を「亡き国王エドワード陛下 れた歌手 400 名、ロンドンの各オ の思い出に」捧げ、1911 年の新王 ーケストラからの選抜メンバー 110 ジョージ 5 世の登位には《戴冠行 名からなる管弦楽団が動員された。 進曲》を、そして 1912 年には前年 音楽のみは約 30 分であるが、ペー 末の国王夫妻のインド訪問を記念し ジェント全体の上演には 3 日間かか て仮面劇《インドの王冠》を書いた。 り、毎回 5 ∼ 6 万人が観賞した。因 そして第一次世界大戦中には《カリ みにロンドン北郊にあるウェンブリ ヨン》 、 《艦隊の片隅》 、 《イングラン ー競技場はこの時、博覧会用に作ら ドの精神》など、戦意高揚と戦死者 れた会場である。 追悼の音楽で国家に奉仕した。すな 1904 年にエドワード 7 世からナ わちエルガーは既に事実上の「王室 イトに叙されて「サー・エドワード」 音楽師範」であったのだが、正式に となっていたエルガーは 1911 年に 就任するには前任者の逝去を待たね ばならなかった。 はジョージ 5 世からメリット勲章 (文化勲章と国民栄誉賞を合わせた そのエルガーが王室音楽師範とし ようなもの)を授けられ、最晩年に て行った最初の仕事が、1924 年に は准男爵となり、音楽家の社会的地 位の向上を体現した。 3.公式と非公式の公的作曲家たち ウィリアム・ウォルトン(1902 ∼ 1983)もエルガー同様エスタブリッ シュメントとは無縁の出自であった が、功成り名を遂げるにつれ、国家 的祝典に音楽を提供する公的な作曲 家となっていく。ウォルトンは 1937 年の国王ジョージ 6 世(位 1936 ∼ 1952、ジョージ 5 世の次男、エリザ ベス 2 世女王の父君)の戴冠式のた めに行進曲《王冠》を書いた。1951 大英帝国博覧会で 合同大バンドを指揮 する エルガー 年に晩年のジョージ 6 世からナイト に叙されて「サー・ウィリアム」と る英国の作曲家といえばベンジャミ ン・ブリテン(1913 ∼ 1976)であ る。青年期には反体制的な傾向もあ ったブリテンも、円熟期を迎えてか らは公的な音楽の作曲に携わってい る。1953 年のエリザベス 2 世(位 1952 ∼)の戴冠式を祝して書いた オペラ《グロリアーナ》は、英国史 上もっとも有名な同名の女王、エリ ザベス 1 世(位 1558 ∼ 1603)を描 いた大作である。1962 年のコヴェ ントリー大聖堂の再建式典で演奏さ 1953 年 のエリザベス女王の戴冠式 なったウォルトンは、1953 年のエリ ザベス 2 世の即位には行進曲《宝珠 と王笏》、 《 戴冠式テ・デウム》を書き、 ウェストミンスター大聖堂で演奏さ れた。 これだけでもウォルトンは王室音 楽師範の最有力候補であったが、同 時期にその地位に在ったのはウォル フォード・デーヴィス(任 1934 ∼ 1941) 、アーノルド・バックス(任 1942 ∼ 1952) 、 そ し て ア ー サ ー・ ブリス(任 1953 ∼ 1975)である。 バックスは《ティンタジェルの城》 などケルト風の作品で知られる。ブ リスは《色彩交響曲》 、 《王手詰め》 などの作曲者で、1964 年のロンド ン交響楽団の来日に際してはコリ ン・デーヴィスと並んで指揮を執っ た。しかし、彼らの名を知るのはよ ほどの英国音楽ファンだけであろう。 れた大作《戦争レクイエム》は、音 楽を通じてのヨーロッパ諸国の戦後 和解の意味を持っていた。 そのブリテンでも王室音楽師範に はなれなかったが、作曲家で初めて 一代貴族に列せられ、ブリテン・オ ブ・オールドバラ男爵となった。オ ールドバラは北海に面した北イング ランドの村で、ブリテンが主催する 音楽祭が開かれていたことで知られ る。エルガーでさえ准男爵であった ことを思えば、これはブリテンを事 実上の王室音楽師範に任じたような ものであった。 2013 年 現 在 の 王 室 音 楽 師 範 は ピーター・マクスウェル・デーヴィ ス(1934 ∼)である。デーヴィスか ら王室音楽師範は 10 年の任期制と なり、来る 2014 年にはポストを離 れる。さて、21 世紀初めの英国にふ さわしい次の王室音楽師範は誰だろ うか。 (とうまつ・はるお 防衛大学校教授、 英国エルガー協会会員) Philharmony May 2013 ところで、20 世紀半ばを代表す A Program *6 月定期公演の聴きどころ* 6 月の定期公演ではチョン・ミョン フンと下野竜也の 2 人の指揮者が招 かれて今シーズンの掉尾を飾る。ま すますの円熟を深める韓国の名指揮 者チョン・ミョンフンと、意欲的な 活動によって快進撃を続け、先ごろ 芸術選奨に選ばれた下野竜也。とも に持ち味をいかんなく発揮してくれ るであろう魅力的なプログラムを組 星》のテンポ設定はいかに。 また、終曲の〈海王星〉では女声 合唱も加わり、最後は消え入るよう にして終わる。このフェイドアウト をどうやって実現するかというのも 実演の聴きどころ。 20 世紀前半のバッハ観を伝えるエ ルガー編曲の《幻想曲とフーガ》も 楽しみ。シューマンの《ピアノ協奏 んでくれた。 曲》では、アルゼンチン出身の才人 近 年ますます活躍の場を広げる 下野竜也の《惑星》─Aプロ たい。 Aプロを指揮するのは下野竜也。 古典から現代音楽まで、名曲から知 ネルソン・ゲルナーの独奏に注目し 巨匠チョン・ミョンフン 渾身のマーラーを期待 ─Bプロ られざる作品まで、コンサートから Bプロはチョン・ミョンフンが登 オペラまで、と近年の多岐にわたる 場し、モーツァルトとマーラーを取 八面六臂の活躍ぶりには瞠目する。 り上げる。 今回のメイン・プログラムはホルス モーツァルトの《ピアノ協奏曲第 トの《組曲「惑星」 》 。本来占星術由 21 番》で独奏を務めるのはチョ・ソ 来のアイディアにより太陽系の各惑 ンジン。2009 年に浜松国際ピアノ 星に 1 曲ずつが作曲された人気曲で コンクールで史上最年少の 15 歳で あるが、壮麗なオーケストレーショ 優勝を飾り、審査委員長の中村紘子 ンから天文学的なイメージを喚起さ から「桁外れの才能」と評された大 れる方も少なくないだろう。実演で 器である。2011 年のチャイコフスキ 聴く《惑星》は常に心踊る体験をも ー国際コンクールでは第 3 位に入賞。 たらしてくれる。 著名指揮者たちとの共演も多い。 《組曲「惑星」 》には作曲者ホルス 後半はマーラーの《交響曲第 5 番》 ト自身の指揮による録音が残ってい が演奏される。チョン・ミョンフン る。1926 年にロンドン交響楽団を指 とN響によるマーラーはこれまでに 揮した録音では、全曲の演奏時間は 《交響曲第 1 番「巨人」 》 、 《第 3 番》 、 43 分弱。驚くほどの快速テンポで、 《第 9 番》で好評を獲得している。 私たちの時代の慣習的なテンポより マーラーの交響曲はどの作品もオ ずっと速い。果たして下野版《惑 ーケストラの機能美を極限まで追求 の《交響曲第 5 番》も聴きどころは 多い。冒頭のトランペットによるフ ァンファーレ、第 3 楽章のオブリガ ート・ホルン、第 4 楽章の甘美なア ダジェット、第 5 楽章の輝かしいク ライマックスなど、全編にわたって オーケストラを聴く喜びを堪能でき ることだろう。 ロッシーニの貴重な宗教曲 《スターバト・マーテル》─Cプロ 響曲第 2 番》を期待したい。熱気 にあふれた重厚なベートーヴェンを 聴かせてくれるのではないだろうか。 ロッシーニの《スターバト・マー テル》は、作曲者がオペラから退い た後に、当初は非公開の演奏を条件 に作曲した作品。宗教曲ではあるが オペラ的な旋律美にあふれた傑作で ある。作曲者の意図に反して公に出 版されることになったことを感謝す るほかない。 ロッシーニの《スターバト・マー Cプロではチョン・ミョンフン指 テル》といえば、チョン・ミョンフ 揮によるベートーヴェンの《交響曲 ンが深く敬愛する師カルロ・マリア・ 第 2 番》とロッシーニの《スターバ ジュリーニが得意にしていたことを ト・マーテル》が演奏される。 思い出す。マエストロ・チョンにとっ ベートーヴェンの交響曲はもっと ても大切なレパートリーであるにち も大切なレパートリーというチョ がいない。 ン・ミョンフン。円熟味豊かな《交 (飯尾洋一) *6 月の定期公演* ◉ 6/8(土)6:00pm、6/9(日)3:00pm (Aプロ)NHKホール 指揮:下野竜也 ピアノ:ネルソン・ゲルナー 女声合唱:東京混声合唱団* バッハ(エルガー編)/幻想曲とフーガ ハ短調 BWV537 シューマン/ピアノ協奏曲 イ短調 作品 54 ホルスト/組曲「惑星」作品 32 * ◉ 6/19(水)7:00pm、6/20(木)7:00pm (Bプロ)サントリーホール 指揮:チョン・ミョンフン ピアノ:チョ・ソンジン モーツァルト/ピアノ協奏曲 第 21 番 ハ長調 K.467 マーラー/交響曲 第 5 番 嬰ハ短調 ◉ 6/14(金)7:00pm、6/15(土)3:00pm (Cプロ)NHKホール 指揮:チョン・ミョンフン ソプラノ:ソ・ソニョン ソプラノ:山下牧子 テノール:カン・ヨセフ バス:パク・ジョンミン 合唱:東京混声合唱団 ベートーヴェン/交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 36 ロッシーニ/スターバト・マーテル Philharmony May 2013 したかのような大作ぞろいだが、こ
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