平成23年度の外部評価実施状況 - 公益財団法人 神奈川芸術文化財団

平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
实施日
【神奈川県民ホールオープンシアター2011】
音楽物語 プロコフィエフ「ピーターと狼」& カバレフスキー組曲「道化師」
ハチャトリアン「仮面舞踏会~ワルツ」「剣の舞」
4月30日(土)
人々が芸術に触れ、親しみを持ち、实際に劇場へ足を運ぶ喜びを発見し、ホールが芸術と観実の交わる場と
事業目的 なっていくことを目的とする。当日はホールの施設(大ホール、小ホール等)にて公演、バックステージツ
アー等を開催。
「劇場を体験する1日」をテーマにした、神奈川県民ホールオープンシアター2011の大ホール公演(1回目)
を鑑賞した。子供を対象に制作された、いわゆる教育普及事業は、どこのホールも同じような印象があるが、
この公演は、予算をかけるべきところにかけ、練り上げた内容で大人にも見忚えのあるものになっていた。
まずは、「ピーターと狼」と「道化師」を中心に、20世紀ロシアの音楽でまとめた選曲が良い。組曲「道化
師」は、演奏される機会は多くないが、物語のある音楽に仕立てたアイディアが面白かった。有名な「ポル
カ」以外、あまり知られていないが、パントマイムやダンスを入れ、スクリーンを活用することで、視覚的に
興味を惹きつけながら、音楽に耳を傾けさせる流れができ、子供たちも最後まで集中を切らさずに聴いてい
評価内容 た。「ピーターと狼」は、垂石眞子氏のイラストが可愛らしく、さらにスクリーンに投影されて動き出すと实
にリアルで、子供たちの心にしっかりその絵と音楽が刻まれたと思う。神奈川フィルの演奏(指揮:現田茂
①
夫)は、ここ数年の財団主催の公演では物足りなさを感じることが多かったが、今回は、石田泰尚コンサート
マスター以下、引き締まった演奏で、音楽にも芯があった。1時間の公演で飽きさせない工夫は随所に見ら
れ、オーケストラ曲になるとオケピットが上がってくるのはわくわくするし、開演前に舞台に自由に上がれる
のは、子供たちにとって貴重な体験である。舞台で踊ったり、ポーズをとったり、楽しそうな表情が印象的
だった。安全管理に気を遣うところだが、こうした経験は忘れないのでこれからも続けてほしい。最後にナ
レーションの桂米多朗は、軽妙な語りでテンポよく進めていたが、「入場料が安価だから募金を」は口が滑っ
たとはいえ、主催者側が言ってはいけない余計なひと言が残念だった。
震災直後の為か入場者数が思ったより尐なかったのが残念ですが段々戻ってくることと存じます。かわいい絵
評価内容 の映像入りで演奏されたのが印象的でした。子供達になじみの深い「道化師」や「仮面舞踏会」、「剣の舞」
等が同時演奏されたのはよかったと思います。興行としてお実様を多く集めるのが当分大変かと存じます。民
②
間の事業も同じですが当分我慢の子で頑張るしかないのでしょう!
ゴールデンウイークの親子対象と低価格の企画制作
映像舞台演出とパントマイムとバロックダンス、ナレーションなど、どうしても質的に印象が薄く、感動する
評価内容
場面が尐なかった。キャストに工夫があっても良かったのかと思いますが、今一つ盛り上がりが欲しかった。
③
オーケストラピットがせり上がったオーケストラの演奏は、会場内が選曲とともに一体感を感じる場面でし
た。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
パイプオルガン・プロムナード・コンサートVol.304
实施日
5月27日(金)
開館以来年間継続して開催されており、「原則毎月一回のパイプオルガンコンサート」として県内・近隣の音
楽愛好家から好評を博している入門コンサート。
本格的プログラムにより、有料で開催しているパイプオルガン・コンサートに対して、短時間で、気軽にオ
事業目的
ルガン音楽の普及、紹介を行なうとともに、「ホールへの入門コンサート」として、普段コンサートになじみ
の薄い層も含め、広く県民ホールに親しんでもらうことを目的とする。基本的に入退場自由、入場制限を設け
ず实施する。
入場無料の短時間の公演ながら、かなり充实した内容に感じました。なにより演奏者自身が、作曲家や曲、ア
シスタントの役割についてまで、初めてパイプオルガンを聴く人間にもわかりやすく説明するのが新鮮でし
た。曲もそれぞれ違う趣向のもので、パイプオルガンの特性がかいまみられて楽しめました。会場までの導線
や案内表示の位置、受付なども自然な流れで、初めての会場ながら戸惑うこともありませんでした。
唯一わからなかったのが、最初の男性司会者のお話にあった、萩野由美子さんのコーディネートによる今年
のテーマの意味です。前からの参加者の方々には既知のことなのかもしれませんが、自明のことのように
評価内容
「テーマは<祈り>です」と説明されたのに尐し違和感を覚えました。なぜ「祈り」なのか、どういった経緯
①
で「祈り」になったのか、そもそもテーマ設定とは何のためになされているのかがわかりませんでしたし、当
日いただいたパンフレットでも今回の演奏との関係について探しましたが、わかるような形ではテーマに関す
る記述をみつけられませんでした。せっかく年間テーマを設定されるのであれば、パンフレットなどでも尐し
触れられていると、テーマ性がより伝わったのではないかと思いました。
それにしても、観実の方々のマナーもよく、アットホームな形のよいコンサートだと思います。開館以来続
けられているというだけあって、観実の教育プログラムとしても質の高さを感じました。
事業名
パイプオルガン・プロムナード・コンサートVol.306
实施日
8月6日(土)
【良かった点】
・ 無料である点。
・ 子ども連れのために座席指定エリアをつくった点。
・ パイプオルガンの演奏を水平な視線で観ることは尐ないので貴重な機会だと思う。多くのコンサートホー
ルではバルコニーに設置されているので、このように小ホールで演奏する姿を身近に鑑賞できるのはかなり興
評価内容 味深い体験である。パイプオルガンの演奏が全身運動であることがよく理解できた。
・ 子どもも一緒に楽しめる選曲がなされていたのはよかったと思う。
①
【再考を要する点】
・ 子どもの入場を可にしているのならば、プログラムは思い切って全て子ども向けにしてしまった方が潔い
と思う。その方が子どもも楽しめて親も安心します。
・ 設置されているパイプオルガンの楽器そのものの解説を入口のパネルだけではなく(誰も見ていませんで
した)、簡単なリーフレットをつくって受付に置いておけば興味ある人は読むと思う。
今回のパイプオルガン プロムナード・コンサートは、入場に事前の申込が必要とされていた。我が家にも幼
稚園に通う娘がいるが、未就学児童は当日の体調、気候、気分次第で出かけ先を考えることも多く、親の立場
からすると多尐の敷居の高さを感じる。
プログラム内容は、演奏者自身から説明があった通り、明確なコンセプトに基づくものであった。その分、
最後の有名曲がやや浮いて聞こえた。楽器の説明については、アシスタントの協力を得て行うのであれば、も
う尐し分かりやすくもできたように思う。
ジブリ映画の主題歌を演奏したのはいいアイディアだった。オルガンの新たな魅力を伝えてくれていたと思
うし、レジストレーションなどにも工夫が見られて原曲の良さを引きだしていた。聴衆に歌による参加を求め
評価内容
るのであれば、どういう曲かを伝えるために、演奏前にサビの部分だけ一度聞かせておいてもよかったかもし
②
れない。こうした曲は、子供達にはピンとこなかったかもしれないが、その親世代にとっては大変に馴染み深
いものだろう。日本の現状では、未就学児童がいる間は、親達もほぼ演奏会などから排除されてしまう。そう
した中で、こうした子連れで入れる演奏会で親世代に訴えかけるプログラムをたてることには大変大きな意義
があると思う。
演奏については、無難にまとめていたと思う。冒頭の2曲のような描写的な曲については、もっとストップ
を派手に使って標題の意図を徹底させることもできたように思うが、子供が聞くという点ではあまり表現的に
ならないほうがいいのかもしれない。同様に最後の《トッカータとフーガ》についても、穏当なレジストレー
ションだった。ただこの曲については、解説がややこなれない文章で、残念ながら意図が伝わりにくかった。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
パイプオルガン・プロムナード・コンサートVol.307
实施日
9月30日(金)
307回目のパイプオルガン・プロムナードコンサートは、長いパイプオルガンの歴史とともに歩んでいる貴
重なコンサート。ここまで続けていることに頭が下がる。それだけ内容も深く広く継続してきた凄さを感じ
る。
評価内容
本日のプログラムもフランクのカンタービレ、リストのJ.S.バッハのカンタータとロ短調ミサの変奏曲は荘厳
①
な響きに私を含め、多くの聴衆は心を打たれたと思う。バッハを中心にバロック時代にピークを迎えたパイプ
オルガンとその後のオーケストラと交響曲としてのパイプオルガンの歴史など、今後も魅力的なパイプオルガ
ンコンサートを企画演出してファンを拡大して頂きたいと心から思いました。継続は創造への力。
事業名
パイプオルガン・プロムナード・コンサートVol.308
实施日
10月28日(金)
今や最も多忙なチェンバロ奏者であろう大塚直哉氏をプロムナード・コンサートで聴けるというのは大変に嬉
しいことで、よく实現してくださったというのが第一の感想だ。聴衆の数もいつもより多かったのではないだ
ろうか。新進の演奏家が多い中(無論こちらも重要)、時にこうした大物をお呼びできると、企画自体の価値
も高まるだろう。いずれは大塚氏のリサイタルなども聴くことができたら嬉しい。
前半のオルガン曲については、演奏機会の多くはないラッケの作品に、めったに聞けない大塚氏のアランを
組み合わせるということで、大変に楽しめた。プログラム・ノートによって両曲の歴史的な距離を確認するこ
ともできたので、意義深い機会だったのではないだろうか。
後半のチェンバロの部は、逆におなじみの曲が2曲演奏された。オルガンはこのシリーズで聴きなれている
評価内容
人も多いだろうが、チェンバロは馴染みがないもしれないという配慮であろうか。ただしプログラム・ノート
①
における”wohltemperierte”の説明はやや偏ったもので、かえって紛らわしかったかもしれない。演奏者自
身によるシャコンヌの編曲はさすがに手慣れたもので、チェンバロで演奏する意義を感じさせるものでだっ
た。
なおチェンバロについては、必ずしも日常的に鳴らしこんでいるものとは感じられなかった。もう尐し状態
のいいものだったらよかったと思ったが、楽器の持ち込みなどは経費の点などで難しいのだろうか。また、楽
器を2台使う関係から、場内の案内で舞台に向かって左側の席を薦められた。しかしあの配置では、左側では
チェンバロの音がいい条件では聴こえないのではないかと疑問に思い右よりを選んだ。ただし、この点は自分
の耳で確認した訳ではないことをお断りしておく。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
なつかしい日本の歌 ~團伊玖磨メモリアル~
实施日
5月21日(土)
事業目的
舞台と実席が近く親密なコミュニケーションを感じさせる県民小ホールのホール空間の特性をいかした良質な
审内楽コンサートを实施する。
久しぶりになつかしい日本の歌を拝聴し、今の騒然とした時代に古きのどかな時代を思い出させて頂く楽しい
評価内容 一時でした。“赤い靴ジュニアコーラス”がよかったと思います。児童合唱団の出演する公演のわりには熟年
の殊に男性の観実が多いのが意外でした。團先生没後10年とお聞きし、あらためてお元気に財団をリードして
①
いた先生をなつかしく思い出しました。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
神奈川県民ホール・舞台芸術講座
第81回舞台芸術講座「小学校3年生からおとなまで楽しめるパイプオルガン 夏休み子どもスペシャル」
实施日
8月26日(金)
事業目的
財団の主要事業の一つである「芸術文化鑑賞普及事業」として講座を实施する。
舞台芸術に対する一般県民の垣根を低くし、関心を喚起させると共に、造詣を深められることを目的とする。
【よかった点】
・ オルガン演奏ばかりでなく、实際に演奏できたり中を見ることができる点がよかった。
・ オルガニストの浅井さんの優しい語り口に参加した息子(小1)はノリノリで、トンチンカンな子どもの回
答にもしっかりと受け答えしている点がよかった。
・ カメラで至近距離から演奏している様子をプロジェクターに投影する方法は他の公演でもぜひ取り入れて
もらいたい。ピアノとちがってオルガンは演奏者の背中しか見ることがないので至近距離からの映像はかなり
珍しく感じた。
・ ロイド・ウエッバー「オペラ座の怪人」はかなり聴き忚えがあった。
・ 体験コーナーはどれも工夫が凝らしてあり、息子も楽しく参加した。シールのラリー形式にしたのはしっ
かりと子ども心が理解できていてよかったと思う。息子も喜んでいた。
評価内容 ・ オルガン紹介のパンフレットが配布されたのは理解を深める上でよいと思う。
【再考を要する点】
①
・ 体験コーナー、特にオルガンにさわってみるコーナーは全員終了までに相当の時間がかかったのではない
かと思う。私は60番代だったので30分くらいで順番が回ってきたが、240番というお実さんはいったい何時
にパイプオルガンにさわることができたのか予測がつかない。その間にロビーで様々なアトラクションを体験
できるのはいいのだが、かなり時間をもてあますことになったと予測される。
・ 全席指定なので前に大人が座ってしまうと小学校低学年の子どもは舞台上が何も見えなくなってしまう。
キッズ・クッションが必要です。息子の前に大人が座ったので私の席と代わり、どうにか視界を確保すること
ができた。
・ チラシを見る限り対象年齢がよくわからない。小学校3年生からなのか3才以上なのか条件が二つ記載さ
れていてよくわからなかった。入場の条件をはっきりと明記する必要がある。特に小さい子どもを持つ親はこ
の点には非常に敏感である。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
小林英之 パイプオルガン・リサイタル
实施日
9月10日(土)
1975年のホール開館以来35年にわたり続けられている伝統のパイプオルガン・コンサート。小ホールの舞台正
面に設置してあるパイプオルガンの特性を生かし、「クリスマス」をテーマに県民に親しみやすくかつ質の高
い演奏会を提供する。オルガン音楽をより深く本格的に伝えることを目的に、必ず共演者を設け、国内外の一
事業目的 流演奏家による公演を有料開催し、平成15年度からほぼ毎回完売の好評を博している。
平成18年度からは2回公演としてきたが、近年同時期に同様の企画が首都圏で増加し、券売に苦戦している影
響を考慮し、また、パイプオルガン事業の内容と質の充实という観点からも1公演を本格的な「パイプオルガ
ン・リサイタル」として实施する。
リストの記念年だけあって、今年はリストの演奏会が多いが、オルガン作品に焦点を当てたコンサートはそれ
ほど多くない。そうした中で、今回のリサイタルは重要なレパートリーにとりくんだ貴重なものと言えるだろ
う。リストの作品として、分かりやすく耳馴染みのよい《アルカデルトのアヴェ・マリア》と、長大でリスト
らしい作曲技巧が凝らされた《コラール「アド・ノス、アド・サルタレム・ウンダム」による幻想曲とフー
ガ》を組み合わせたプログラムも、实によく配慮されたものだと言える。
一方、そうした意図がどこまで実席に通じたかという点で、あと一歩配慮が欲しかったように思う。特にリ
ストの2曲目については、解説の中でその構成を「3楽章のソナタ形式」や「交響詩」という言葉で説明して
評価内容 いたが、それだけでは多くの聴衆には理解しがたかったのではなかろうか。このあたりは、文章での説明がな
かなか難しいところだが、その理解がなくてはあれだけの長時間に及ぶ大曲は聞きづらかったと思う。
①
一方、前半はバッハとその周辺がテーマであった。極めて演奏機会の尐ない作品も取り上げられ、またそれ
らの間に人間的な繋がりや素材の共通性といった関連が与えられていて、实に有意義なものだった。しかし、
そうした関連についても、やはり解説だけでは理解しづらかったかも知れない。
なお、今回の演奏会では、ホールのオルガンに関する小冊子が配付されていた。これは大変有意義なものだ
ろう。また、冒頭のクレープスの楽曲におけるペダルによる開始では、このホールだからこそ演奏者の足さば
きまで楽しめた。こうした形でホールのオルガンのアピールをし、その存在を広く知らしめることができたら
素晴らしいだろう。
オルガンの古典作品を聴くまたとない機会となった。レア曲が多く聴き忚えがある。ただ鑑賞中、どの曲目が
評価内容 演奏されているのかわからなくなってしまったので、演奏の開始時にプロジェクターを使ってこれから演奏す
る曲目を映し出すと理解に役立つと思う。特に今回のようにレア曲が多いと何を演奏しているのかがわかりづ
②
らい。周囲のお実さんも今からどの曲を演奏するのかを確認し合っている様子が見受けられました。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
第47回神奈川県美術展
1期展[工芸・書・写真]/2期展[平面立体]
实施日
9月7日(水)~18日(日)/9月21日(水)~10月2日(日)
県との共催による美術公募展。昭和40年の創設以来、新人作家の育成と美術文化の向上に努めてきた。第47回
事業目的 を迎えるにあたり広く県下の美術家に呼びかけ、作品発表の機会を提供し創作活動の支援を図るとともに、優
れた美術作品を県民に紹介することを目的に開催する公募による美術展。
例年同様、美術展では県民ホールギャラリーの構造をよく活かした展示となっていた。絵画についても立体造
形についても、以前は展示スペースの窮屈さを感じることがあったが、今回はそれなりに大型のものがあった
にもかかわらず比較的ゆったりと観賞することができた(ただし、これは丁度空いている時間に観賞できたた
めかもしれない)。
例年様々な手法を凝らした作品が展示されるが、今年は絵画において手法の多様性が目立ったように感じ
た。これは特定の個人の展覧会ではなく県の美術展であることを考えれば、とても好ましいことではないだろ
うか。しかしその手法について、あまり詳しい解説などがないのが残念であった。また表現意図についても、
タイトルのみでは伝わりにくいものもあったように思う。
評価内容 こうした点について、作品の側に解説があると嬉しく思う。スペースの都合で困難かもしれないが、様々な
出展者が、それぞれ独自のアイディアと方法で作品を作り上げているのだから、そうした情報をぜひ知りた
①
い。仮に展示スペースに置くことが無理であれば、ウェブ・サイトをうまく利用するといった方法はとれない
ものであろうか。
様々な賞についても、選考の過程や理由などについて興味を覚えた。カタログなどには詳細が掲載されてい
るのかもしれないが、会場においてももう尐し情報提供がなされてもいいのではなかろうか。そうした配慮
は、出展者の意欲の高まりに繋がるだろう。
また、今回は1期展を拝見したが、もう尐し2期展にも人を誘導するような宠伝・工夫を積極的に行っても
いいように思う。实際に、2期展で展示されるはずの書のコーナーを探して迷っている方を会場でお見かけし
た。
様々な作品を一挙に鑑賞できるのはとても刺激的。ただし配置に問題を感じる。立体作品の背後に絵画が展示
評価内容 されているとせっかくの作品がそれぞれに視覚の中に入ってきてしまい、どちらに重点を置いて鑑賞していい
のか判別しかねる。一つ一つの作品の展示の仕方を今一度検討する必要がある。それぞれによい作品であった
②
だけに残念でした。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
三谷幸喜 「国民の映画」
实施日
4月20日(水)~5月1日(日)
宮本亜門芸術監督のKAAT事業の4シーズンのひとつである「エンタテインメント性ある、劇場のにぎわいを創
出する公演」の23年度公演の筆頭として、「生誕50周年スペシャル大感謝祭」を打ち出す三谷幸喜の書き
事業目的
下ろし新作を上演。パルコ劇場を中心とした全国ツアーの中での盛り上がりをもって、新しい劇場KAATの存在
感、楽しさを全面的に打ち出す。
此の度“国民の映画”を拝見し、1940年代の様々のことが思い出されました。
そして今更乍ら“教育”や今の政治家達にもいえることですが報道や宠伝の重大さを感じました。そしてごく
普通の市民がとんでもない悪いことを何の疑いもなく行ってしまう恐ろしさも今回の芝居で大変よく分かりま
した。
評価内容 又、当時の日本人が一番懲りたはずの強い指導者を崇拝し、その権力に無条件に従ってしまったことを忘れ去
り、今のひ弱な政治家達から昔をなつかしみ、又逆戻りしそうな気配を感じさせる昨今に不安をおぼえる次第
①
です。
KAAT大変立派な劇場ですが、女性のトイレがせまく、特に劇場1Fが混み合い待ち人の行列も長く、休憩の時
間内に総て終了出来ないのではないかと心配ですが、如何でしょうか。トイレも何ヶ所かあるのでしょうが未
だお実様に周知されていないのでしょうか。
一つのセットで複数の舞台が同時に存在しているのはとても考えられていて面白い。遠近法をきかせた階段、
照明を仕込んだ庭、暖炉前と暖炉を含んだリビング、上手手前の椅子1脚。照明や演出によって、様々な人間
模様が同時に進行していく感じがよく出ていた。また同時代におこっていくことなのに尐しの立ち位置の差で
すれ違っていくところも感じられてよかった。
階段上手側のソファの有る空間は何となく、次の間みたいな感じで(そういう演出なのだろうが)場として
も出演者がそこにいても「待機」という感じがして微妙な感じがした。
評価内容
全体的にキャストもスタッフのクオリティがとても高く、穏やかに演劇の世界を堪能できた。一つレニー・
②
リーフェンシュタール役の女優の存在や歌声が、尐し全体から浮いていたように思う。彼女の持つ唐突な雰囲
気がもしかしたらあの時代でもそうだったようにも思う。あの状況で、何を差し置いても映画を取り続けるこ
とを選べると言うのは驚く選択だ。
ゲッペルスの存在も、彼の一家が子供まで心中したというのは全く知らなかったので、衝撃だった。
また、劇場の座席だが、壁際にも通路があるとよかったように思う。
あの椅子は可動式なのだろうか。
・プログラム、内容について
評価内容 プログラムが厚過ぎて、読むのに時間がかかり、コンセプトなどの予備知識が充分に準備出来ず残念だった。
・コンセプトや意図・内容のわかりやすさ
③
大変わかりやすい。時代を動かす人々の裏側の心理がよくわかった。
三谷幸喜の作・演出で、小日向文世、段田安則、白井晃、石田ゆり子など、テレビや映画で人気のキャストが
揃っただけあって、満員のお実様による舞台への期待を強く感じた。金曜日の夜公演とはいえ、これだけの公
演数を重ねても、まだ満員ということに驚く。東京のパルコ劇場、大阪での公演も終わってからなので、なお
の事である。作家や俳優に、一定数のお実様がついているという強みを感じ取ることができた。
内容では特に、大きな舞台空間を埋めるだけの芝居のつくりに、感心した。美術もバランスのとれた感じの良
いセットで、芝居の進行を助けていたと思う。しかし、残念だったのは、台詞が聞きとりにくい俳優さんがい
て、よく聞こえる方とのバランスがうまくとれていなかったこと、さらに歌唱のところでマイク音量が大きめ
だったなど、音響面では観実のほうで努力しなければならない場面がいくつかあったことである。休憩を含め
評価内容
3時間の上演が尐し長いと感じたのは、ゲッペルスの人物像が穏やかに描かれていたこと(狙い通りだったと
④
はいえ)や、それを取り巻く人間ドラマの起伏が思っていたよりも尐なかったからだろうか。それらの点だけ
が残念だった。
販売されていたプログラムのデザインも感じのよいもので、価格もクオリティからすれば適切ではないかと思
う。チケット価格も妥当だったのではないだろうか。
今回、神奈川芸術劇場のオープニング行事の中でも、大きな公演の1つとして位置づけられると思うが、開場
記念公演の「金閣寺」とは違った要素を持つ、別の意味で、大きなプロダクションだった。オープニング・ラ
インアップの力強さを感じさせる優れた上演だったと思う。
今後の劇場事業の展開に期待している。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
文化芸術を生かすも殺すも、政治と国家の正しい思想、哲学次第という、今の日本の置かれている政治の文化
評価内容 芸術への無策(国家戦略不在)状態に警鐘を鳴らすかの如く、深い意味合いを感じさせた。
見た人々へ考えさせる、世の中を見つめ直す、そこにも文化芸術の力があることを示唆した作品だった。
⑤
舞台劇の魅力を三谷幸喜氏と出演者が見事につくり上げた。
震災に伴う公演のキャンセルがあったため、神奈川芸術劇場にはこの公演で初めてうかがった。最初にホール
自体の感想について述べると、座席数の割には実席と舞台が近く、クロークやロッカーなども整備されてお
り、飲食スペースも広く大変に好印象を受けた。また入場口から各座席までの誘導も分かりやすくなってお
り、およそ迷うことはなかった。反面、トイレや飲食スペースから座席に戻ろうとした時には、順路が分から
ず混乱した。周囲の様子をうかがうと、建物自体の階数と、座席の階数が別であることに戸惑っている人もい
たようだ。このあたりには、若干の改善の余地はあるかもしれないと感じた。
公演の内容については、大変に楽しめるものであった。喜劇を基調としつつ、随所にシリアスな要素も盛り
込まれていて、歴史的な題材に現代的な意義をうまく与えた内容だったと思う。笑いの背景に、ぞっとするよ
評価内容
うな恐ろしさを潜ませるやり方も巧みだった(ヒムラーが害虫に対して同情的なセリフを吐く場面など)。圧
⑥
巻だったのは、歴史的背景を随所で利用しつつも、必要に忚じてそれを投げ捨て、ためらいなく現代的な感覚
に走る「ご都合主義」だ。通常は、そうしたご都合主義には反感を持つものだが、この公演では潔いまでにご
都合主義に徹していた。例えば、笑いや涙につなげるところでは歴史的背景を徹底に利用する一方、それが足
枷になる場合には思い切って投げ捨て、現代劇的な性格を強めていた。そのやり方が明確であり、しかも適切
に効果をあげていたため、反感を持つ前にお見事と称えたくなってしまう。その背景に、出演者の名演技が
あったことは言うまでもない。
一点気になったのは、「最終解決」の内容について、現在でも諸説あるという点である。そうした微妙な問
題を扱う以上、依拠する見解について断りがあってもよかったと思う。
●戦争という国家的非常時における「表現者」として生き方、あるいは国家と個人との関係といった本公演の
テーマは、3・11後の日本の状況に、そのまま通じている。一流の表現者は作品のなかで時代の空気を予言
するが、三谷幸喜の「国民の映画」も、それに値する作品だと感じた。
●ゲッペルスをはじめ、映画監督、役者、ケストナーらのそれぞれの表現者としての立場が、ホームパーティ
の一夜を舞台に浮かび上がっていた。フリッツやエルザなど、架空の人物の使い方も上手い。特にフリッツ役
の小林隆の演技が非常に良かった。ナチスに関わった人々を私たちと同じ小市民として描こうという三谷幸喜
の方法は成功していたと思う。重いテーマだが、私たちにも十分ありうることとして受け止めることができ
た。三谷幸喜が登場人物に注ぐ温かい視線にも好感が持てる。
評価内容 ●贅沢をいえば、三谷幸喜がこれまでのコメディ路線から一歩進んで、重いテーマに正面から取り組もうとし
たことは評価できるが、その分、ややアプローチが浅いようにも感じた。コメディ色を強くしたほうが、か
⑦
えってテーマの深みが出るように思うが、どうだろうか?
●舞台右奥のソファや庭、正面の階段などの舞台美術が奥行きを感じさせて良かった。
●音楽面では、ピアノの生演奏が、ホームパーティの雰囲気とあいまって効果的に使われていた。
●公演パンフレットは読み忚えがあるが、1800円はやや高い。2000円前後の公演パンフが多いなかで、たとえ
ば、野田地図の公演パンフ1000円。そのくらいが適当だと思う。
●神奈川芸術劇場の大ホールでの観劇は、「金閣寺」に続いて二度目。金閣寺のときは二階席の一列目、今回
は一階席の6列目28番のシートだったが、どちらも狭くて出入りが不便。二階席一列目の場合は、前方が空
いていて怖く、一階席の右端、左端の席は一方向からしか入れないのが不便である。
三谷幸喜の脚本・演出による「国民の映画」は、三谷が得意とする喜劇で、ナチスの宠伝大臣ゲッベルスが最
高のキャストとスタッフで映画を作ろうと別荘でパーティを開き、そこに彼に関わる人物が次々と登場して繰
り広げられる。三谷作品は、これまでテレビでしか観たことがなく、正直その笑いに共感できず、どちらかと
いうと苦手な作家だったが、ゲッベルスはじめ、实在した登場人物のデフォルメした掘り下げが巧みである。
テンポよく飛び交う台詞が芝居の原動力になり、適度な笑いとエンターテインメント的要素を含ませながら進
められ、すっかり舞台に引き込まれてしまった。ヒトラーを「あの方」と呼び、言及はせず存在を示すだけだ
が、最後はユダヤ人大量虐殺の重いテーマにたどり着く。以前、この時代の音楽を研究していたこともあり、
幕切れに近い場面での台詞のひとつひとつが胸に突き刺さった。登場人物たちの映画を愛する思いが、暗黒の
評価内容
時代の一筋の光のようにも思えた。3時間の上演にもかかわらず長さを感じさせず、ずしりとした感触を残
⑧
し、見忚えがあった。キャストには三谷作品の常連や舞台で鍛えられた役者が揃い、三谷の世界を存分に表現
していた。発声や滑舌に差はあるが、ここまで1ヶ月近く上演を重ねているので、どの役者も役が身体に入っ
ていて、公演の質や入場料設定に見合った満足度の高い公演だった。
今年の1月から数回、神奈川芸術劇場で公演を観る機会をいただき、最初は動線に戸惑いもあったが、慣れて
くると無駄のない、箱は大きいけれど落ち着いて鑑賞できる空間である。今回の舞台は、他の劇場のサイズに
合わせて作られていたようでコンパクトに作られ、1階の実席だと臨場感があった。おそらく3階でも目線は
上方になるかもしれないが、迫力は十分感じられるだろう。これからさまざまな芝居が上演されていくこと
で、劇場の可能性が開かれていくのが楽しみである。今後の発展をお祈りしたい。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
評価内容 三谷作品らしいひねりの効いた構成で日常的な展開の中で、カリスマに支配された人間のおそろしさを招き出
した技巧に感心した。ただし公共劇場としてはプログラムが高価すぎる(内容はいい)と思う。
⑨
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
イキウメ「散歩する侵略者」
实施日
4月23日(土)~24日(日)
作家、演出家として数々の演劇賞を受賞している前川知大が率いる劇団イキウメの公演。
事業目的 2007年の初演後に小説化されるなど好評を博した作品を上演することで、スタジオでの公演の認知度をあげ
る。
チラシのロゴ、写真、レイアウトもかっこ良い。チェスフィッシュや今回のような若い劇団なのに、舞台周辺
まで行き届いているのがすごい。美術セットも含めて、旗揚げ時から、美術も考えて制作していたのか、大き
な劇場で上演するようになってからいろいろ整い始めたのか気になる。舞台セットについては同一平面上に、
いろいろな場面をのせられるように統一感を持たせた色味でいろいろな物をセンス良く配置されている様子
は、チェルフィッシュの舞台にも抱いた印象である。他の会場で上演している若手劇団のセットも見てみたく
なった。
評価内容
チェルフィッシュよりは「演劇らしい」演劇だった。役者もこの劇団でない所でも活躍しそうな感じがす
①
る。脚本もすごくよく練れていて、面白かった。
姉役の女優の声が戸手未子供役の演技が非常にイライラした。イライラさせる子供の役だから、いいのだが。
私はチェルフィッシュの「得体の知れなさ」にもとても惹かれているが、もし知人に若い劇団で面白そうな
のを紹介して、と聞かれたらこちらを答えるだろう。テレビドラマや朗読劇など様々な脚本がかけそうな脚本
家のように思う。
これくらいの値段で、気軽に演劇を見られるととても嬉しい。
評価内容
まさに現代の日本が抱えている日常と不安をよく盛り込んで大変おもしろかった。
②
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
神奈川県演劇連盟公演/TAK IN KAAT 『黒船がやってきた!』
实施日
5月7日(土)
事業目的
神奈川県内で活動する約20の地域アマチュア劇団によって構成されている神奈川県演劇連盟と共同制作するこ
とにより県内の文化芸術活動の活性化につなげる。
・コンセプトや意図・内容のわかりやすさ
過去と現代をわかりやすく結びつけたが、フィクションの部分にもう一工夫ほしかった。
評価内容 これは演劇に携わる多くの人々の意思で行われたという事は意義のあるものと思われた。出演人数が70人以上
と多数でしたが、3F4F5Fは使われていないのがちょっと残念だった。
①
ナミに過去と現代のナレーション的役割をさせてわかりやすくてよかったが、長時間なので休憩がほしいと
思われた。日常語である台詞も、もう尐していねいな発音がほしい。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
宮本亜門 「太平洋序曲」
实施日
6月17日(金)~7月3日(日)
事業目的
演劇・ミュージカル・ダンスの劇場として開場した芸術劇場において上演される記念すべき初めてのミュージ
カル作品。芸術監督による神奈川を舞台とした本作を上演し、幅広い県民の来場につなげる。
江戸から明治への時代の流れ(現代まで繋がる・・)、開国という複雑で難解な主題を2時間尐々の舞台作品
評価内容 として切り取って見せてくれた手腕は鮮やか。役者の皆さんも好演。
全体に音量をもう尐し押さえた方が聞きよかったのではないかと思う。特に最後のコーラスは大きすぎる。ポ
①
ピュラー系の音楽は音量に頼る傾向があり気をつけたい。音楽そのものは良くできていると思う。
宮本亜門の实力が発揮された舞台になった。
幕末から明治にかけての動乱期とくに開国を巡る日本の混乱を二人の男を中心に描いた、異色のミュージカル
評価内容
だが、八嶋、山本、米團治という思い切った配役が成功し、責任がいつも下に転嫁される日本の権力構造、日
②
本人独特の美学、責任の取り方などが浮彫りにされた。大震災による日本の近代化にひずみまで観てとれる舞
台に仕上がった。 企画・公演の質とも申し分のない舞台である。
KAATでの二度目の鑑賞、そして初ミュージカルだった。前回の金閣寺の時はディーンエ―ジャーのような若い
女性が多かった実席は、今回はご年配のお方が多く、演劇などの舞台作品は、内容によって全く実層が違うこ
とを感じ、驚いた。
いわゆる「ミュージカルファン」のお実様らしき方の「説明が長いというか、息がつけなくて、尐ししんど
評価内容
いね。」という会話も耳にしましたが、横浜の地に生まれたKAATの使命を考えると、オープニング年度の公演
③
として最適な題材、内容だったと思う。
内容としては比較的重い歴史物とはいえ、素晴らしい役者・演出のお陰で、さらりと内容を理解でき、歴史
を振り返り、観実一人一人が日本人としてなにかしらのことを感じ考えることができた価値ある公演だったと
思う。
ブロードウェイの観実のオリエンタリズムの眼差しを、肯定も否定もしないという形でこの作品を上演するこ
との可能性はあるのだろうか。
この先の現代舞台芸術を考えるにあたっては、明治維新から日本が西欧の文化をどのように受容し、変態させ
てきたか、という視点が不可欠であると考える。そのため、今回の企画のポテンシャルとしては、表現(描く
べき内容)としても構造(ミュージカルという演劇的な形式も含め)としても幅のひろいものであったと思う
評価内容
が、それが存分に活かされた上演とは思えなかった。
④
日本の伝統芸能、こと、今回の場合は「歌舞伎」「文楽」や、「浮世絵」、そして「新聞小説」などの中
で、「黒船来航」とは一体何であったのか、是非、そのあたりの面白みを広げていけると面白かったように思
う。
「ミュージカル」にはまだまだ開かれていない可能性がある(「歌舞伎」との相違点を含め)と常々思ってい
るので、これからの作品に期待したい。
新国立劇場(小劇場)の公演とは全く別物に仕上がり、神奈川芸術劇場(ホール)の空間を見事に使ってい
た。星条旗や各国の司令官が登場する中央の花道が印象的。あえて実席の空間を狭くすることで一体感があっ
た。セットも大振りで見忚えあり。キャスト陣も戸井、石鍋、麻乃など实力派が揃い歌唱は聴き忚えがあっ
た。
健闘したのは尐ない編成ながらソンドハイムの美しい旋律を繊細に表現したオーケストラ。指揮デイヴィッ
ド・チャールズ・アベルとかなり入念にリハーサルを重ねたことが理解できる。また意外にもこの劇場が音の
評価内容
響きがいいことも判明。今後はミュージカル作品の演奏をオーケストラ・ピットに入れて上演するなどの本格
⑤
上演を希望したい。宮本亜門演出作品ならばバーンスタイン作曲『キャンディード』の上演を熱望している
ファンは多いはずである。
作品のテーマに「今の日本」の問題である原発を最後に提示したことで日本の「近代」が抱え持つ問題が明
確に浮上してきた。宮本亜門の現实社会とのスタンスが感じられて興味深い。
プログラムは縦書きなら右開き、横書きなら左開きを統一した方がいい。どうやって読むのか困っているお
実さん、多数であった。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
1. 入場料について。一般の観実からすれば、自治体がやっている施設の主催公演にしては高いかなと思わぬ
ものでもないかもしれません。しかし、「製作」がパルコで「制作」がKAATという二元体制になっていること
を考えれば、個人的には納得がいきます。
2. いま、日本のパフォーミングアートがもっとも必要としているのは、じつはレベルの高い観実なのではな
いかと思っています。ミュージカルの領域でいえば、おおざっぱな感覚的快楽よりも緻密な知的遊戯を重視し
たソンドハイムの作品は、そういった観実を育てるのにもっとも「教材」です。オペラティックなスペクタク
ルでお腹いっぱいになるような舞台にはどうしたってならない(したがって観実動員の観点からすれば最初か
評価内容 らハンデを負っていることになる)ので、制作においてはそのぶん微妙な「配慮」が必要となるでしょうが、
日本のミュージカル文化(?)はここを突破しなければ(まだ始まってもいないのにもう)先がありませんか
⑥
ら(劇団四季のレパートリーがややマンネリ化しているのはその徴候かと…)、KAATがその困難な役割をあえ
て引受けられたことには心からの敬意を表します。どういうお実さんがどういう動機で足を運んでおられるの
か、わたくしとしても非常に興味深く思っています。
3. KAATには始めてうかがいました。ボックスオフィスが2階にあるので、ひょっとしたら4階までいってまた
戻るというお実さんがいるのではないかとも邪推しますが、単に邪推だと思います(大学で仕事をしている
と、公共空間に置かれたサインが意外と認識されにくいという事实を、ときおり思い知らされることになるの
です)。
素晴らしいミュージカルです。演出、舞台ともセンスの良さを感じました。宮本亜門氏の精神性が伝わって来
ます。ソンドハイム氏の音楽も素晴らしいですね。KAAT(横浜)の幕開けにふさわしい出し物です、KAAT劇場
の代表的ロングランにして欲しいです。
評価内容
PAに注文あり。小オーケストラはPAの効かせ過ぎで、生音の良さが感じられなかった。歌にしてもそうだが
⑦
PAに頼りすぎると、芸術的表現の繊細さから遠ざかり、台詞と演技だけの劇に成り下がってしまう。ひいては
歌い手やオーケストラをだめにしてしまう。
桂米團治、矢嶋智人、の歌のお粗末さも惜しいですね。
●3.11後の神奈川で「太平洋序曲」が上演されたことは、時宜にかなったものであり、意義深い。時代の末期
を迎えた幕末の状況が、現代の政治状況と響き合っていた。
●舞台美術:シンプルかつ壮大な舞台美術が上手く生かされた舞台であった。観実席中央上部の花道が、外部
からの侵入を演出するのに効果的に使われていた。照明も非常に巧みで、数多くの場面を印象的に見せてい
た。
●音楽:ソンドハイムの音楽は繊細で美しかった。演奏者のレベルも高い。
●役者:八嶋智人と山本太郎の主役二人の歌が、他のメンバーに比べて拙く感じた。ナレーター役の桂米團治
のセリフが聞き取りにくかった。多種多様なメンバーを集めて「太平洋序曲」を作り上げたいという演出家の
評価内容
思いには共感したが、カンパニー全体としてのバランスが良くないように思う。ミュージカル初挑戦という役
⑧
者も多く、時間的制約もあると思うが、もう尐し完成度を高めた舞台が見たかった。
●翻訳:翻訳の際に押韻を用いる工夫が良かった。原作の英語を日本語に訳したからか、歌詞が楽曲に乗って
いないように感じられた。翻訳の際は、ことばが曲に乗るように、思い切って歌詞を短くするなどの工夫をし
たほうがよいのではないか。香山役の八嶋智人とジョン万次郎役の山本太郎が、香山の自宅へ戻る際の掛け合
いを575の俳句で行っていたが、掛け合いの形式としては不自然である。一人が575、もう一人は77に
したほうがよかった。
●ラストの「ネクスト」は非常に重要なナンバーだが、次に繋がっていくような広がりが感じられなかった。
場面が多かったせいか、全体として散漫に感じられた。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
ブロードウェイ・ミュージカルらしい作品で、日本語の歌詞であってもテンポのよい音楽と展開の早さから、
エンターテイメントとして楽しめる作品だと思う。開国時の日本という、誰にもある程度の知識があるテーマ
で親しみやすく、かつ今日のグローバルな世界とどう対峙するかという問題とも重ねてみることができるた
め、アクチャルな作品になっていると言っていいだろう。冒頭の曲などいくつかの難易度の高い曲では尐し残
念な部分もあったが、コーラスやハーモニーはしっかりと安定しており、空間を心地よく支配していた。反対
に台詞は滑舌の悪さが目立ち、台詞が流れてほとんど聞き取れない場面もあり、相対的に言葉が軽視されてい
るように映った。ナレーション役に歌は素人の落語家を起用したのは、それを補うためなのだとしたら納得で
きる。
観実席の中央を花道のように使い、舞台と実席を合わせた劇場空間の演出は、舞台左手上部に配置された楽
団も含み、一体感が感じられる。実席後方より舞台までたなびく国旗は、こうした使用例は他にもあるもの
の、仮面などで誇張された「異人」同様、効果的に作用していた。視覚的効果は概して優れており、将軍をめ
ぐる人物配置や「俳句」の場面などに多尐の違和感を覚えたが、本作が1976年にブロードウェイの観実のため
に書かれたことを考えれば許容できるものであり、米を介しての経済状況、天皇と幕府の関係、列国の要求、
急激な西洋化など、往時の複雑な歴史的背景を簡潔にシンボリックに舞台化している点は評価できる。ラスト
の「Next」の曲は、行き過ぎた進歩主義への批判とも、未来への可能性とも捉えることが可能で、どう考える
かを観実にゆだねる結末は古典的だが好感がもてた。
評価内容 しかし「ウェルカム・トゥ 神奈川」の場面だけは、せっかくの「神奈川」の連呼にもかかわらず残念な気分
が拭えなかった。これを「神奈川芸術劇場にようこそ」とは、尐なくとも神奈川県民は聞けまい。本作に描か
⑨
れる歴史でも、将軍のお膝元江戸(東京)に受け入れたくないため浦賀・神奈川になったことから、江戸(東
京)に対して神奈川の务位は明らかであり、またプロの芸妓は異人を怖がって逃げたため、女郎屋の女将が素
人娘を使って接待するプロットから、芸ではなく性が接待の道具となったことも明示されている。問題はその
示し方である。1976年のオリジナル版では男優が歌舞伎風に演じた愉快な場面に過ぎなかったのだろうが、ブ
ロードウェイでも初台・東京でもなく、实際に「神奈川」でこの場面を見せるならば、なんらかの異化、距離
化への工夫が欲しかった。女将や「醜女」役に男性の俳優を配してはいるものの若い女優の嬌声を使っての演
出は、今日の原発誘致問題にもつながる中央と地方の問題や若い女性の「性」の商品化をネガティブに想起さ
せられる結果となった。
入場料金に関していえば、若者には高校生料金やU24があるものの、ほとんどが8,500円のS席で、かつ2000
年初演時とは出演者が違うとはいえ新国立劇場の料金設定よりも全ての席が割高なのが気になった。劇場内の
席はざっと見た限りではどこも見やすいため、全て同一金額での設定はわからなくもないのではあるが。
劇場に関して気になったのは、せっかく節電の中で稼動させている大劇場内のエスカレータの位置が陰に
なってわかりづらいこと。行きは右手と案内があったものの見つけられずに通り過ぎ、帰りは探し当てたが他
に存在に気づく実は尐なかったように思う。尐なくとも観実が劇場に慣れ導線ができるまでは、美的ではない
かもしれないが掲示するなり、人を配するなりの配慮が必要ではないだろうか。休憩時間をすごす場所として
も、中二階のカフェは手狭で、廊下も狭く、劇場に至る1F、2Fの贅沢な空間の使い方に比べちくはぐな印象
を受けた。
公演の企画内容の斬新さ、創意・工夫が新しい劇場の機能に依ってよく表現されていたと思う。殊に頭上をア
メリカの国旗が迫ってきて黒船の来航を表現しそのふんいきをよく出していたと思う。又、花道を使っての最
評価内容 後の演出は舞台を盛り上げて印象的だった。公演者のレベルは大勢の出演だったので一つの評価は難しく、只
ミュージカルとしての歌唱力が今一つだった感があった。
⑩
今回の舞台となったのは、私達の地元、神奈川ですが芝居を観ているうちにこれは今の日本国に当てはまる
現实の姿に見えてきた。そして真剣にNextを考えていかねばと痛感した。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
それぞれ役者さんにとってケイコが大変だったと想像でき、よく身につけられたと感じた。ソンドハイムの特
徴的な音楽を楽しむことが出来た。今のラップ音楽に通じるものを感じる。それは言葉の持つイントネーショ
ンに音の高低をつけて(あまりメロディー的ではないものにしている)、歌うというより、シャベリを取り入
評価内容 れているところにある。ただ英語から日本語へ訳詞されたので日本語は英語と比べ、シラブルが多くなり、リ
ズムがより複雑になっていると思う。かえってそれが面白く感じたが、役者の方々は難しかったのではと思
⑪
う。
変なのですが、役者さんは台詞が専門でしょうが、歌の部分の方が上手に感じた。それだけ時間をかけたか
らではないだろうか?
この作品は、元々ブロードウェイで作られたものである。それを宮本亜門氏が「日本人の視点で公演した
い。」との志でリメイクしたようだ。一番問題なのは、日本をまるで理解していないブロードウェイスタッフ
が作った米国用の作品であるという事。米国国内で公演されている分には、それはあちらの勝手であるからな
にも論じようとは思わない。しかしある程度のリメイクがあるにしても亜門氏の演出でKAATにかかるとすれば
事情は変わってくる。
亜門氏の言う〈日本人の視点〉は、結局それはどこにあるのか? 米国の価値観をそのままなぞったようにし
か感じられない。劇中の〈帝〉にしても〈将軍〉にしてもまるでリアリティを感じられない。
俳優陣にしても、全員とは言わないがこの程度の技術力では大舞台のミュージカルは難しい。
評価内容
もともとソンドハイムが日本人役用に書いた曲が、日本のミュージカル俳優にとっては技術的には難しすぎ
⑫
る。音楽的、技術的にあの音型を充分に歌いこなすには日本ではオペラ出演クラスの歌い手でなくては困難で
あろう。
この無駄に大げさな舞台は結局のところ、米国の圧力(軍事力)によって開国せざるを得なかった当時の歴史
を笑うのか、怒るのか、嘆くのか、ひとつの材料として提供するのか、それすらはっきりしたメッセージに
なっていない。ラストにはこの舞台に非常に場違いな(明治も大正も昭和もどこにも触れず)現在への怒りが
開陳され、非常に未消化で理不尽な印象を残して幕を閉じる。
結局のところこの作品は企画の段階から無理に無理を重ねて現在に至っているのであろう。芸術監督の作品で
あるから拒むことは出来ないだろうが、主催者は公的な財団としての見識と矜持は持たなければならない。
本作に関しては、2000年や2002年の過去の上演も、また、他の演出によるヴァージョンも拝見したことがない
ので、それらとの比較はできず、あくまで今回の公演に絞っての評価コメントとなることを最初に断っておき
たい。
能舞台を思わせる要素や、花道などの歌舞伎的な要素が混在するなど、いわばポストモダン的な日本趣味を
十分に利用した演出が効果を挙げていたと思われる。とりわけ、天井を覆う星条旗は、黒船来訪時の圧迫感を
字義通りに表現しており、見事であったと思われる。
評価内容
ないものねだりとなるかもしれないが、一点、このような試みがあってもよかったのではないかと思うこと
⑬
を指摘しておきたい。開国を迫りやってくる各国の外国人であるが、これを实際にその国籍の俳優に演じさせ
てみてはどうだったであろうか。外国人の役を日本人が演じるとき、それはやはり一種のカリカチュアという
印象を与えるものとならざるを得ない。本作がもともとは、アメリカ人によって書かれ、アメリカ人によって
上演された日本人の物語であるということを鑑みるならば、役柄と俳優の人種的アイデンティティの一致と
いった水準のリアリズムはそもそも求められていないのかもしれないが、であるからこそそうした試みは本作
の未開拓のポテンシャルを掘り起こすことにもなりうるのではないか。
このミュージカルは、国際社会と外交が国の平和を維持する上で如何に重要か、これからの日本を示唆してい
く上でも、このような歴史と地元を舞台にした内容から、見る側へ投げかけるメッセージは、より一層身近に
考えさせられるものがある。更に、東日本大震災と復興、原子力発電とエネルギー問題、政治的混乱と官僚機
構の限界など、日本が国際的にも信頼される国づくりを目指す大切さを歴史から紐解き、現在に警鐘を鳴らし
評価内容 ていると感じる。
徳川幕府260年の平和が現状維持と既得権益を守る為の大義であり、社会的に下級武士が不遇となり、平和の
⑭
箍(たが)を外さねば新しい時代が来ない国の変革は、今まさに、日本が新たに直面している現实とラップし
ており、時期を得た演目でもある。一つ難を言えば、主役二人がせりふと歌の、歌の部分が音程、発声、声質
など、歌を演じる領域まで磨かれたものであればより満足できた。舞台演出、振付、音楽、台本などすべて素
晴らしかった。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
宮本亜門「スウィーニー・トッド」
实施日
7月9(土)~10日(日)
事業目的 「太平洋序曲」と併せ、ミュージカル作品の連続上演を通して、新たな観実の開拓を試みる。
实際に起きたといわれる事件をベースに創られた物語と知り、そのグロテスクで残忍な行為が人間の極限に達
した時の恐ろしさに恐怖を感じました。
評価内容 ミュージカルとはどちらかといえば楽しくロマンティックなイメージを想像しておりましたが、今回の公演
を拝見し、人々の現实の生活が色々の形でミュージカルとして演出され、音楽や歌と踊り等に依って観実を魅
①
了し、感動させることが出来るということを知りました。
主演の市村正親さん、大竹しのぶさんは適役だったと思います。
一つの公演の質としては大変高いものであると感じました。以前よりオペラとは、ミュージカルとは、と考
えております。
評価内容 今回はもちろん、ソンドハイムの音楽が役者の能力を引き出す作品なのですが、出演の役者の皆様が实にプ
ロである事で、それが質の高さを保っていると感じ、一般に催されるオペラの公演より質が高いのでは?と感
②
じざるを得ません。伹し、やはり歌唱に大変問題があるのも事实です。資質的に素晴らしいものを持っている
方が(大竹氏)いますが、きちんと声楽的に訓練されたらと思いました。
私がKAATに伺わせて頂いて3回目の公演。オープンから約半年経って、ホール自体が馴染み落ち着いてき
て、段々個性が出てきたような気がした。今回もまた前回と全く違う実層で、演目による実層の変化は見てい
て面白い。これまでで一番「ミュージカルらしいミュージカル」でしたが、ストーリーや音楽の緊張感でどん
どん舞台に吸い込まれ、瞬く間に公演が終わった。ストーリーの暗さにも関わらず、終演後に何かすっきりし
評価内容
たものを感じたのは、内容の充实度、完成度の高さなのだろうと思った。そして音楽の素晴らしさ、ミュージ
③
カルにおける音楽の重要性を再認識した。また主役二人の存在感、演技力はやはり本当に凄いもので、生で見
ていること、同じ場で同じ空気を吸っていることを大変幸せに思った。
「金閣寺」「太平洋序曲」「スウィニー・トッド」それぞれ全く個性も傾向も異なる作品であるが、どれも
素晴らしく、次は何を見せてくれるのだろうと劇場への期待を膨らませながら、会場を後にした。
安定感のある高水準の舞台である。俳優の水準も高く、若手にはまだ伸びしろが感じられるものの、歌、コー
ラスとも迫力があった。なんといっても見事だったのは、場面にあわせ刻々と変化してみせる舞台美術であ
る。まるで大きな機械の内部を思わせる舞台イメージが、一瞬にしてロンドンの下町に転換していくような冒
頭から、舞台自身がまるで生き物のように常に変化していく。ジョアンナのいる建物の外壁を見ていたかと思
うと部屋の内部に変わり、通りに面した床屋の部屋を見ていたかと思うと、死体を落とし込む内部の構造が現
れる。舞台は自分で意思をもっているかのように、あたかも観実の関心に沿うかのごとく、その姿を変える、
それも俳優をそこにおいたまま。幕はなく、暗転も印象的な決めポーズを強調する演出効果にのみ使われるの
で、实際に人の手で舞台装置を動かしているのが実席から丸見えなのだが、物語世界の扮装のためもあり、情
景の一場面のように不自然でなく行われている。このことが筋の進行にスピード感とメリハリを生み出し、物
評価内容
語の世界に観実を捉え放さない効果を生む。これは演出の妙というほかない。
④
物語自体は、ゴシック・ロマンの伝統的な怪奇物で、殺人ありカニバリズムありで結末もハッピー・エンドに
はほど遠いが、出来事がきちんと戯画的に描かれているため、違和感や古臭さは感じられず、むしろ階級によ
る不公平感や、いつの世も変わらぬ人間の弱さや愚かさが浮き上がり、そうした問題をアクチュアルなものに
している。挿入歌で時事的な内容を入れたり、カーテンコールでもマイム的な即興芝居をいれたりと観実サー
ビスも旺盛で、満席の実席が総立ちになったのも無理からぬことと思う。日本でこのレベルのミュージカルで
あれば、料金は妥当ないしむしろ安いといえるかもしれない。
唯一残念だったのは、これほどの公演の休憩時間、化粧审もカフェも長蛇の列で廊下にも人があふれ、空間
造形において進んだはずの劇場空間が前時代の趣だったこと。化粧审はともかく、カフェは商品が事前に用意
してあっても実捌きが悪く、改善の余地があるように見えた。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
あれだけの豪華な(出演者も装置も)プロダクションが、2日間3ステージのみというのは、どういうわけなの
か。ちょっと下衆な勘ぐりに近いものがありますが、制作の観点からするとそこにもっとも興味を引きつけら
れました。しかし、かりに劇場費はゼロとしたところで、それでもやはり黒字になるとは思えないこの公演
を、あえて实現されたKAATの一貫した姿勢には敬意を表します。前回はパルコで今回はホリプロというのも、
評価内容 日本の演劇文化、とくにミュージカルシーンの背景が透けて見えるようです。实際の上演に関して申し上げる
なら、このスウィーニー・トッドは、いかにもホリプロ的な主役さんたちもさることながら、アンサンブルと
⑤
オーケストラの確かな技量がとくに記憶に残っています。完璧なプロの仕事でした。この技術水準を持続可能
なものにするというのが、表現する側にとってはひとつの大きな課題になるのではないでしょうか。土曜のソ
ワレだったこともあり、また作品のよい意味での通俗性もプラスに作用して、観実もリラックスして楽しんで
いるように見えました。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
キッズ・プログラム『みにくいあひるの子』
实施日
7月16日(土)~18日(月祝)
事業目的
劇場の将来の観実となり、また地域文化の担い手として劇場とともに成長していく子ども達を対象としたプロ
グラムを实施する。
子供向けプログラムを謳っているが、そのパフォーマンスの質は大人でも十分楽しめる高度なもの。あひるや
にわとりなど、個々の動物の動きの特徴が的確に捉えられて再現され、音楽と調和した動きでひとつのダンス
になる。一見、簡素な人形劇舞台に見えるが、効果的な照明で具体的な場面をイメージさせるような雰囲気を
作り出し、物語の世界を視覚的に生み出していた。短くまとめられた小品ながら丁寧なつくりで、良質なもの
を子供に見せるという観点からも子供向けプログラムにふさわしい作品である。海外アーティストの作品なが
評価内容 ら、内容は日本でもよく知られた童話であり、言葉を介さないパントマイム人形劇のため言葉の問題もなく、
使われる音楽も幼い子供たちはともかく、西洋音楽的素養の尐ないとされる日本でも誰もが一度は聞いたこと
①
のあるような曲ばかりで、親しみやすいものであった。子供のお供でついてきたあまり劇場になじみのない大
人にも、こうした作品ならば劇場を身近に感じるきっかけになるのではないだろうか。
個人的には、ラストの雪のシーンを幼い子供たちが理解できず、親たちに聞いていたことに新鮮な驚きを感
じた。上空から降ってくる白いもの=「雪」と考えるのは、演劇のコンベンションなのだと改めて気づかされ
る時間だった。
【よかった点】
・ 妻と息子(小1)の3人で鑑賞。神奈川芸術劇場初の子ども向けプログラムの第1弾がシアター・リフレ
クション公演というのは何とも贅沢である。「子ども向け」をうたいながらも付き添いの大人まで十分に楽し
める点は素晴らしい。
・ 2人で人形を操っていたとは思えぬほど巧みで、照明なども工夫が凝らされており見忚えがあった。また
最後に降ってくる雪を上演終了後实際に人形遣いのスタッフが实際にさわらせてくれたことに息子は感激して
評価内容 いた。
・ 上演時間が40分と短いのが子どもの集中力と見合っていた。学校の授業が45分であることを考えると
②
今後上演時間の問題は外すことができない要素となってくるだろう。
【再考を要する点】
・ 広報の仕方に問題が残る。同一の公演を主催した座・高円寺では土日公演が満席であった。それに比して
今回私が参加した公演は30名前後の参加で確かにゆったりと見ることはできたが何とも寂しい限りだった。
これだけの水準のある公演なのだから見開きのチラシで全てを集約させるのではなくて、チラシを個別に作成
してもよかったと思われる。あと神奈川県内、特に小学校への告知は大切な宠伝活動だと思う。
事業名
キッズ・プログラム が~まるちょば『サイレントコメディSHOW』
实施日
7月20日(水)
子供向けの公演としては観実の子供達を巻き込んだ公演で大いに盛り上がり子供達は楽しんだと思う。
ストリートショーとしては何回か見たパントマイムを舞台で拝見したのは初めてだが、一切言葉を使わない
評価内容
ショーである程度の長い時間を大人・子供を問わず飽きさせずに楽しませるということは大変なことだと思っ
①
た。今回はじめて大スタジオに入ったが、通路の階段が席から浮き上がっていて足に自信のない者には何とな
く怖い感じがした。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
キッズ・プログラム 『親指こぞう ブケッティーノ』
实施日
7月22日(金)~24日(日)
【よかった点】
・ 妻と息子(小1)の家族3人で鑑賞。子ども向けプログラムをうたいながら、付き添いの大人も十分に楽
しめる内容。ベッドの中で朗読を聴くという体験は子ども時代はあったが、大人になってからは珍しい体験。
大人にとってはその形式から楽しむことができたと思われる。
・ ともさと衣の朗読が素晴らしい。完全に自分の言葉にしている。また子どもとの対話にも臨機忚変に対忚
している点に好感が持てた。
・ 音響もまた素晴らしい。鎖の音や人食い鬼が歩くとき振動は印象深い。体験型の朗読劇なので恐怖感も増
評価内容 すらしく、息子は本気で怖がっていた。妻も怖がっていた。
【再考を要する点】
①
・ 終演後にスタッフなどを記した公演概要をコピー1枚でいいので各観実に用意する必要があると思う。な
ぜならこの作品はソチエタス・ラファエロ・サンツィオの制作であり、音響及び美術デザインでロメオ・カス
テルッチが参加している作品であるからだ。音響や美術が優れている点も納得できる。フェスティバル/トー
キョーで演劇界では名前が知れている人物であるので演出のキアラ・グイディ(チラシに記載)とともに記載
する必要があると思う。特にカステルッチが関係しているという点で観に行く「大人」は尐なからず存在する
はずだ(实際に知り合いで1人いました)。また日本初演が2005年神奈川県民ホールギャラリーである点
も強調した方がよいと思う。今後も大切にしてもらいたいプログラムだ。
●暗闇の中に木組みの二段ベッド。その会場のしつらいに、公演が始まる前から期待感が高まった。ベッドに
一人ずつ寝ころんで、語りに耳を澄ますことで、それぞれが物語の世界に旅立てる。ベッドが実席と聞いては
いたが、实際にその場に身を置いてみて、いい意味でのカルチャーショックをうけた。
●木こりの父・母・ブケッティーノをはじめとする7人の兄弟、人食い鬼とそのおかみさん、そしてナレー
ションと、ひとりで12役もこなす、ともさと衣さんの力量に感心した。まったく違う声色を感情
こめて使い分けていたので、ほんとうに一人で語っているのだろうかと、暗闇の中で目を凝らして見てしまっ
た。
評価内容 ●声だけでなく、さまざまな振動や効果音が巧みに使われていて、臨場感たっぷり。まさに体全体で感じるお
芝居である。人食い鬼が出てきてからは、ほんとうに怖くて、物語の描写も残酷なのに、小さな子どもたちは
②
泣きもせずに聞き入っているのが意外だった。子どもの感性というのは、大人が考えるよりタフなのかもしれ
ないと感じた。親が子どもを捨ててしまう話を親子で聴くというのは、どんな気持ちがするのだろうか。
●「親指こぞう ブケッティーノ」は、もともとはイタリアで上演されていたものということだが、この公演
メンバーでの新作を期待する。ケッティーノの演目だけでなく、他のお話-できれば日本を舞台にした物語も
体験してみたい。
●KAATのキッズプログラムは刺激的な演目が多い。時間がゆるせば、他の演目もすべて観てみたいと
感じた。今後も親子で観劇が好きになるような企画を期待する。
劇場とは「見る」だけでなく「体験する」場であることが、非常にわかりやすい形で示された作品である。入
場の際、漂ってくるミントのような香り、床に敷き詰められた木片、木のベットの感触など、劇場内にありな
がら屋外のようで、キャンプ場で寝ながらお話を聞くような風情である。しかし、よくある読み聞かせのよう
な構図をとりながら、物語の進行につれ、この空間が物語世界と同一の位相にあるかのように感じられてく
る。人物によって上手に声色を使い分ける語り手は、物語の語り手であると同時に登場人物も演じるが、ベッ
ドに横になった状態ではその姿をはっきりと見ることはできない。参加者が感じ取るのは、その「気配」であ
る。語り手の周辺から発せられていた「気配」は、やがてベッドを通じて伝わってくる振動や上部の音など周
囲の空間全体を覆うようになる。この「お話の中の音がほんとうに聞こえてくる」ような錯覚は、ベッドに横
になることで視覚が制限され、触覚や聴覚の感受性が高まることで得られるのだろう。
コンセプト自体は大変面白く大人にも楽しめるものだが、その实現に際しては若干荒い部分があったように
思う。たまたま出入り口に近い場所を占めていたこともあるのだろうが、冒頭ですでにごそごそと動きまわる
評価内容 音が聞こえ、物語の山場だけでなく、その前後にも準備する雑音が振動によって伝わってきたりと、雑な面が
垣間見えたのが惜しい。
③
もうひとつ惜しいと感じたのは、せっかく実待ちのスペースにたくさんの絵本を並べ、「親指こぞう」への
導入をしているのも関わらず、単なる陳列になってしまっていたこと。たぶん、今回の実の大部分は演出家の
名前でなく、作品で本作を選んだことだろう。貧困による育児放棄、自身の欲望の充足を優先する両親、乱暴
な父親や人食い鬼に従属する妻という存在、主人公らの身代わりに「醜い」人食い鬼の娘たちが殺害され、我
が子を失ったことをなげく人食い鬼の妻を騙して財宝を手に入れる筋は、必ずしも今日の親子にとって理解し
やすいテーマとはいえない。だから、なぜ今「親指こぞう」がここで上演されるのか示すヒントとして、あの
たくさんの絵本が置かれたのだと推察する。本作の試みはそうしたテーマにとらわれるのではなく、劇場前に
並べられていたようなたくさんの絵本に存在する、理不尽だがどこか魅力的な「異世界」に通じるひとつの入
り口としてこの作品を示そうとしたのではないかと個人的には思っているが、親切な本屋の絵本コーナーに慣
れている親子には、今回、絵本の存在を意識した人は尐ないように見えた。あるいは展示品は触ってはいけな
いと思っていただけかもしれないが。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
HIP HOP GALA
实施日
8月5日(金)~7日(日)
提携公演や、ワークショップ、シンポジウム等のフリンジ企画もあわせて「KAATストリートダンスフェスティ
バル」として夏季に、ストリートカルチャーをテーマとしたダンスフェスティバルを1週間にわたり開催す
る。ストリートダンスの先進国である欧州では舞台芸術界の最新ムーブメントとしてヒップホップが人気を博
し、国際的ダンスフェスティバルでもコンテンポラリーダンス、バレエ等既存のダンスジャンルと同等に位置
づけられる。日本でもダンス人口は200万人と言われ平成23年度から小中高でも現代的リズムによるダンスが
体育の学習指導要領にとりいれられ、若年層の増加、日本のダンサーたちの高い技術力が国際的舞台で評価さ
事業目的 れつつある。反面、未だストリートダンスが特殊な若者たちのみの特権のようなイメージが根強い面もある。
今回のフェスティバルは、KAATの全施設を利用して、幅広い参加者によるダンスバトルその他のフリンジイベ
ントと合わせたフェスティバルを行うことで、ストリートダンスの層の厚さ、拡がりを紹介し、また劇場に普
段足を運ばない層を呼び込み、劇場としてのにぎわいも創出することを目的とする。中でも主催の2公演、ま
ず「シアトリカル」は公募制により幅広い参加者、関係者が集う場としての求心力を劇場にもたらすこと、
「HIPHOPガラ」は、世界トップレベルのダンサーたちのパフォーマンスを招聘することで、ストリートダンス
の可能性を紹介することを目的としている。
観ることに特化した「ストリートダンスの舞台作品の祭典」としてかなりレベルの高い企画だと思う。特にカ
フィグの「アグア」は、技術面、演出面ともに優れ、個性を強調するストリート系ダンスの舞台における可能
性を再確認させてくれた作品であった。この作品だけを対象にするならば、なぜ、今というのは別にしても良
質な作品の紹介という意味で高い評価をつけたいと思う。
今回のガラは全4回公演のうち、カフィグが2演目、コンペティション入選者は交代で行う日替わりであり、
1回の公演で判断できるものではないが、くしくも私が見た回は、ヒップホップの発展段階を示すような構成
となっており、アフタートークも含め、カフィグを高く評価する声がともすると「西欧」賛美とアジアの务
位、さらに日本をその下に置く階層化のメッセージにみえてしまったのが残念だ。劇場のめざす方向性を示す
ことは重要なことであるし、その方向性の是非や实現可能性については、始まったばかりの試みでもあり今後
の推移を見ていきたいと思うが、今回の「KAATストリート・ダンス・フェスティヴァル」における違和感には
言及しておきたいと思う。
「HIP HOP GALA」のコンセプトを理解するのを難しくしているのは、この企画が誰に向かってそれを発信し
ようとしているのかがはっきりと見えないことにある。アフタートークで乗越たかお氏はコンテンポラリーと
評価内容 ストリートを結ぶ試みであると位置づけていたが、たとえそうだとしても、どう結ぼうとしているのかが見え
てこない。アルファベット表記を中心としたチラシなどの構成を見る限りこのガラ公演はストリートの文脈で
①
紹介しているようだが、一方で、同じフェスティヴァルの中で「UK B-BOY チャンピオンシップス ジャパン」
の開催時間がほぼ同じに設定されていることから、この公演にストリート系ダンスを「やる」人間が大勢訪れ
ることは期待されていないのだろう。だとすると、当然、舞台芸術系の「見る」ダンスに関心をもつパフォー
マーや観実が想定されていると思うが、それにしてはストリートの文脈になれていない人間、あるいは横文字
文化になれていない人間に対する説明やアプローチが尐なく感じる。また、関連企画のコンペティションとの
連携の悪さからなのか、優勝者が出演せず、HPには情報開示されているものも当日の観実にはコンペティショ
ン枠の出演者もタイトルも事後的にしか知らされない「前座」的な扱いなどは、舞台芸術のフェスティヴァル
に慣れている身にはかなり不可解に思えた。これはつなぐというよりは、両者の溝をありありと見せ付ける形
になっていなかっただろうか。
それぞれの分野にコンベンションがあり、領域をまたぐということはいままで自明とされてきたことに対し
てひとつひとつ問いかけていかなければならないため、多くの想定外の困難が伴う。独自の世界観に固まって
いきがちな中、それを拓こうとする試みは重要であり、今回のGALAはコンペティションとあわせ、今後の可能
性を拓くという意味で評価したい。
競技としてのダンスとアートとしてのダンス、それが必ずしもストリートとシアターという二項対立になって
いないところがこの企画の難しさでもあり、可能性でもあるように思いました。
カンパニー・カフィグの演目は、劇場での作品として成立していると同時に、实は大道芸の要素を非常に多く
含んでいるところに魅力があると思います。
評価内容 ラスト・フォー・ワン&ギャンブラー・クルーの上演は、観実席と舞台上の境目が大きな障害物となって、ど
うやってこのパフォーマンスを見ていいものか迷いが生じました。
②
ストリートからシアターへ、どのような変化があったのか、
シアターの先にはなにがあるのか、
そもそも、ストリートとシアターには境界があるのか、
今、劇場に何が求められているのかを改めて考える必要があると思いました。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
ストリートダンスを舞台芸術として今回の様に立派な劇場の舞台で観賞したのは初めてで大変な衝撃をおぼえ
ました。
私には未だストリートダンスがこのように立派な舞台芸術であることの知識がございませんでしたので大変
評価内容 勉強になりました。と同時に観実の入りも今一つだったようですので、まだまだ一般の人々には浸透していな
いのでしょうか。一部には大変熱心なお実様もいらっしゃいましたが、あれだけの成果を出すまでには相当過
③
酷な練習があってのことと存じます。
此の度は実席係の方々が大変親切で色々なことに対忚して下さりその心掛けと教育の行き届いていることを
痛感致しました。
【良かった点】
・ 普段あまり「劇場」で観ることのないヒップ・ホップ・ダンスをじっくりと鑑賞できたのは大変良い機会
であった。
・ ヒップ・ホップを全く知らない人間でもダンサーが高水準であることが理解できる。
・ 前半のLAST FOR ONE & GAMBLER CREWの作品とCompagnie KAFIGの作品が対照的で、前者を若者とすると後
者は大人のダンスで両方観ることでダンスの発展形態が理解できた。
・ Compagnie KAFIGの作品「AGWA(アグワ)」はダンサーの技量はもとより作品の構成が緩急自在で素晴らし
い。いわゆるコンテンポラリー・ダンスとの境界線上の品でかなり見忚えがあった。
評価内容 【再考するべき点】
・ ホール公演であるにもかかわらず観実があまりにも尐なすぎた。ヒップ・ホップ・ダンスをする人たちは
④
街中にあふれているというのに、この観実の尐なさは彼らの意識の問題なのか、あるいは広報の問題なのか。
考える必要がある。
・ チラシが非常に分かりづらい。自分が何を観るのかがすぐに理解できない。一番わかりやすかったのは当
日受付に置かれていた「本日の出演者」のプリントでした。
・ 作品的にも大スタジオのほうが合っていた。
・ 作品、出演者ともに素晴らしいのだから、告知の仕方をしっかりと考えるべきだと思う。ダンス大会が行
われているライブ・ハウスや、ダンス学科がある学校にわかりやすいチラシを配布するべきだと思う。またそ
のような学校には団体鑑賞の機会を提言してもいいと思う。
初めて見たHIP HOP。今までクラシックバレーをはじめ、色々な「踊り」を見てはきたが、これほど真正面か
ら人間の肉体、能力と向かい合い、その技、限界に挑戦していくかのような姿勢の「踊り」は初めて見た。一
種のオリンピック競技(モーグルやフィギュアスケートなど)に近しい感じを覚えたが、人間の体ってこんな
ことまでできるのか、というような技は、圧倒的で感動的なものだった。進化の止まらない人間の更なる限界
に常にチャレンジしていくかのような姿に、人は素晴らしい、生きるって素晴らしい、というような純粋な想
評価内容 いにさせられた。
後半になると前半と一味変わり、「芸術作品」的なアプローチの世界で、驚異的な人の肉体、技に光(照
⑤
明)、水(音楽)と言った様々な要素の組み合わされた総合芸術は非常に完成度が高いものだった。
蛇足ではあるが、会場内にはフランス人の方が多く、本公演によりフランスではこのようなジャンルのダン
スも盛んであることを恥ずかしながら初めて知った。私は長年フランスに住んだ身であり、オペラ座バレーは
じめ踊りが盛んな国である認識はしていたつもりだったが、知らなかったフランス文化の一端に触れられたこ
とも大変興味深いことだった。
・公演の質(出演者等のレベル)について
1曲目は普通。2曲目はやや低い(ダンサーがテクニックのみにとらわれ作品となってない)。3曲目は文
句なしに一級品。
・先進性、創造性、専門性
(公演の企画内容に斬新さ、創意・工夫が見られるか)
評価内容 1曲目はまあ良い。2曲目は普通。3曲目にCOMPAGNIEKAFIGは良い。
・入場料金の設定について
⑥
B席がほとんどうまっておらず、せっかくの低料金設定が生かされず残念だった。
「AGWA」を踊ったダンサーが、とても楽しそうに踊っているのが(つくり笑いでなく)微笑ましく思わ
れた。彼等の運動能力の高さと演出力の高さがあいまって、水準の高い舞台舞踊が生まれた。このグループだ
けのプログラムを観てみたい。クラシックバレエ界でのコンテンポラリーダンスとは異質の素晴らしさに感服
した。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
KAATストリートダンス フェスティバル『TheatriKA'I』
实施日
7月31日(日)
オールジャンルの舞台コンペティション、まして「TheatriKA'l シアトリカル」と銘打って神奈川芸術劇場
の大ホールで演じるに足る作品を自己エントリー方式で忚募させるというのは、なかなかない企画である。
「リアル(real)」に対抗する「シアトリカル(theatrical)」は、舞台芸術の分野ではいまだアクチュアルな
テーマであり、かつ实質的なメリットがアーティストと劇場双方に見込める。いままでこうした劇場で作品を
披露する機会、ないし金銭的余裕に恵まれなかったアーティストにはチャンスであり、劇場にとっても、比較
的小さな空間を好む日本のダンス作品の傾向にあって、大ホールの特性を十分活用できるようなアーティスト
に出会える可能性があるだろう。今回の参加者は初回ということもあってさまざまなレベルがあり、観実公開
のコンペティションとして成立させるには裏方の努力が並大抵ではなかったと思うが、おかげで思ったより楽
しい時間を過ごすことができた。
勝敗に関しては、創造的な舞台空間を作り出すことが今回の趣旨であれば、より多くの領域の「表現」を知
り、空間構成を考えることができるものが有利だったことは想像に難くない。直近のシビウ演劇祭参加作品を
評価内容① 持ってきたDazzleが優勝したのも、演劇祭ではよく見かける類のSekonyaのパフォーマンスが3位にはいったの
も、「シアトリカル」=演劇性、劇場性を重視したゆえのことであろう。海外アーティストのダンス作品で
は、演出のみならずドラマトゥルクも一緒に作品作りをするような現状を考えると、審査員の「シアトリカ
ル」の話が、照明と音のコントロールを強調せざるを得ないのは尐し寂しい気もするが、今回の参加者で「シ
アトリカル」という言葉を初めて聞いたというものもきっと尐なくないのだろう。それは実席にいた観実にも
言えるかもしれない。
審査基準にこれだけ「シアトリカル」を強調するのであれば、後5分程度で始まると告げるだけで司会は
引っ込んでしまわずに、今回のコンペティションのタイトルの意味や意図を説明して場つなぎしてもよかった
かもしれない。単に発音が良すぎて聞き取れなかっただけかもしれないが、初めてのそれもこれだけ思わせぶ
りなタイトルにもかかわらず、冒頭で司会者がほとんど触れていなかったのが、逆に不思議な感じがした。そ
れと、今回の開演時間が大幅に押した原因は容易に想像がつき、アマチュアも含むコンペティションゆえ仕方
のない部分もあろうが、やはり遅れは開場時間で吸収できる程度が望ましい。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
クラシックな休日を♪in音楽堂
藤岡幸夫指揮 神奈川フィル特別演奏会
实施日
4月16日(土)
事業目的
一般の県民が、音楽堂の親密な空間でオーケストラのライブ演奏を聴くことで、その魅力と楽しさに出会え、
クラシック鑑賞のきっかけになるよう、独自のプログラムを工夫して实施するコンサート。
毎日悲惨な東日本大震災のニュースをみたりきいたりしている私には久しぶりの生の音楽に接して何事もな
かった一ヶ月前の自分を取り戻したような感じでした。
評価内容
今回の企画は余り重厚すぎずフェスティバルを復活させる最初の企画としてはよかったかなと思います。
①
開会に際して館長様からご注意を含めてご挨拶がありましたが、多くの人々を集めて未だ余震の続くなか公
演をすることは大変だと思いますが、余り委縮せずに平常時に早く戻れますよう頑張ってください。
東日本大震災の余震が続く中、特別な思いを込めて始まったコンサートでしたが、館長の冒頭の挨拶は、これ
からの演奏への序奏のように聴衆に冷静にやわらかいクラシックな休日を♪in音楽堂 藤岡幸夫指揮 神奈川
フィル特別演奏会口調で、万一の時の心構えを伝えた。
それは危機管理として勇気ある姿勢であり、会場内の人々には緊張感とともに生きていることの素晴らしさを
評価内容 感じ、集中した雰囲気を高め、ステージと会場がこの一瞬一時を大切につなげていった演奏会へのプロローグ
にもなった。
②
つまり、ロメオとジュリエットの音楽に、そしてマリアとトニーの悲しい結末にも、プログラム内容にも、
今おかれている現实を見つめ、聴衆はより深くこのコンサートへの想いと心に高揚感を持ったと思う。
自然との共生の中に永遠の輝きをもって生まれた音楽が、地震という自然の力を見せつけられ、生きている
ことの大切さを、このコンサートで皆が共有したことが一番良かった。
クラシックの名曲をオーケストラで比較的安い料金で聴くことの出来るこの企画は5回目を迎え、
評価内容 すっかり定着してきたのだろう。指揮者の分かりやすい解説と神奈川フィルの好演を聴衆の皆さんは心より楽
しんでいた。選曲もバースタインとプロコフィエフの名曲で理屈抜きに楽しめる。今後もこの路線は大事にし
③
ていきたいものと思います。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
大野和士のオペラ・レクチャー・コンサート
实施日
8月11日(木)
世界的に活躍する指揮者がオペラの楽しみ方をわかりやすく紹介する人気企画を継続的に県民に提供する。
世界のオペラ劇場で活躍する大野氏ならではの知識と経験に裏打ちされたレクチャーを、会場を沸かせるユー
事業目的
モア溢れるトークと気鋭の歌手たちの熱唱を交えて展開する独自企画。内容は、これからオペラを聴いてみよ
うという中高年層の初心者を主な対象とするが、専門家にも高く評価されている。
オペラのレクチャー(のコンサート)というので、よくあるような勉強会的な雰囲気か、あるいは歌手の
ワークショップにお邪魔させていただくようなタイプかと尐し構えていたが、ホールには軽食や雑貨を売る台
が並び、人々が楽しげに談笑する祝祭的な雰囲気に圧倒される。レクチャーが始まり文字通り老若男女が入り
乱れた実席は、熱心に舞台に集中し、反忚する。「舞台」は実席と舞台の両方の相互作用で作られることを、
まさにこの公演は体現していたように思う。
理由のひとつは、なんといっても大野和士氏の巧みな演奏と内容はありながらも気さくな語り口。一線級の
技術と知識を披露しながらも、威圧感や仰々しさを感じさせないだけでなく、大きな劇場空間だということを
忘れさせ、後方の席にいてさえ親密さを感じさせるアット・ホームな雰囲気作りは、音楽とは別種のひとつ芸
の域といってよいだろう。渡された邦訳付の資料を矯めつ眇めつ、2つの作曲家の違いなどわかるだろうかと
いった上演前の懸念は、軽妙な語り口と豊富な具体例に払拭され、作品世界が舞台上に展開するのを見ること
ができる。勉強のためのレクチャーすらひとつの公演となる、それはオペラのもつ懐の深さでもあるのだろう
が、それを体現できる技量をもつ人物があって初めて实現することだと強く感じた。
もうひとつの理由は、このコンサートが回を重ね、観実(聴衆)に受け入れられ、楽しみにされている定番
企画に育っていることだと思う。同じ定番企画となっている「パイプオルガン・プロムナード・コンサート」
評価内容 の時にも感じたそつなく安定した運営だけでなく、公演前から膨らんでいた実席側の舞台に対する期待が、集
中の度合いを高め、劇場空間全体の雰囲気に作用していた。(余談ではあるが、そうした雰囲気が休憩時間に
①
まで影響し、化粧审内の的確な係員の誘導と個々の実の協力的な動きが、狭く決して合理的とはいえない空間
を滞らせることなく、階段下までの長蛇の列を裁くことを可能にしていたように見えた。結果、往々にして休
憩時間に化粧审に並ぶと感じるストレスを、今回はめずらしく感じずにすんだ)。歌手も多尐のばらつきは
あったが、コンサートとして十分楽しめる贅沢なものだった。大野氏の要求する演技に関してはあまり積極的
でない面もあったように見えたが、練習風景を見るようでかえってレクチャーらしさを誘う。(こういう見方
ができるのも、実席を支配する雰囲気と関係があるのかもしれない)。それよりも、彼らの歌に合わせてペー
ジを繰り、熱心に聞き入る観実の中に身をおくのが楽しい体験であった。ページを繰る音まで合奏のようにな
る場面にはそうお目にかかれるものではない。「オペラ」や「コンサート」ならば雑音は排除すべきものとな
るが、レクチャーコンサートは「高尚な音楽」につきものの厳格さをひとまず脇において、個々の関心で楽し
みながら、舞台を、突き詰めれば大野氏を介して、つながる楽しさを提供していたのだろう。
どことなく難しいというイメージが先にたつオペラだが、内容のレベルは落とさずに、こうした敷居の低い
催しでその理解を深める企画はなかなかない試みだと思う。当初の不安はどこへやら、ピアノと歌と語りをた
だ楽しみ、かつヴェリスモオペラとプッチーニの違いをなんとなくではあるが理解できたように思えた、とて
も有意義な夕べであった。
大野和士氏のユーモア溢れるトークはソフトで聞きやすく、大変楽しい会となった。又、歌手の方々の实力
も高く、音楽堂の音響効果と相俟って歌詞がしっかりと聞きとれ、素人も十分楽しめた。ほとんどのお実様は
評価内容
専門家とお見受けした。20分休憩は長いとも思われたが、女性化粧审利用者が多いので、この時間は妥当と納
②
得した。(化粧审内の案内は的確でした。)駐車場方向にまっすぐ帰宅してしまうお実様の歩道を左側にも設
けると良いと思われた。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
【よかった点】
・ 大野和士の軽妙でツボを押さえたトークがよい。内容もわかりやすく、かつユーモアとウィットに富んで
いて落ち着いて楽しむことができた。
・ 若手の歌手が頑張っていて好感が持てた。实力がある歌手もいるので今後もいろいろな場面で起用しても
らいたいと思う。
・ レオンカヴァッロ『ラ・ボエーム』を部分であれ聴くことができたのは貴重な機会であった。超有名な
プッチーニ『ラ・ボエーム』を補助線に入れた点が非常に有効であった。
・ 1回公演のために台本を構成し配布したことは「レクチャー」という観点からも理解を助けることになっ
評価内容 たと思う。
・ 公演後、「ひとつ賢くなった」と思えた点が何よりよかった。今後プッチーニ『ラ・ボエーム』の聴き方
③
が変化すると实感できた。これが「レクチャーコンサート」の醍醐味だと思う。
【再考を要する点】
・ チラシの配布がほとんど無かった。
・ チラシも仮チラシのようで内容が素晴らしかっただけに残念だった。
・ 観実に若年層はほとんどおらず、ご高齢の方がほとんどだった。一般的にオペラ公演は他公演と異なり極
端に年齢層が高くなるが、今回は特にそれが顕著であった。ご高齢の方が見に来るのがいけない、というので
はなく若年層へのアピール(学生券の設定はあったものの有効に機能していなかったと思われる)が大切なの
ではないか。実層もバランスが大切だと思う。
●大野和士の身振り手振りを交えた、ユーモアたっぷりの解説を堪能した。解説のおかげで、初心者にもオペ
ラの魅力が存分に伝わる。大野さんのオペラへの愛が存分に感じられる好企画。
●この企画の趣旨はオペラの面白さを分かりやすく伝えるということだと思うが、そのアプローチが毎回異
なっており、何度でも楽しめる。評価員でなくても、毎年聴きに行きたいと思っている。今後も末永く続けて
評価内容
いただきたい。
④
●日本人オペラ歌手のレベルが高く、感心した。日本人歌手は欧米人に比べて声量が物足りないと感じること
も多いが、今回の歌手は粒ぞろいだった。大野さんが認めた若手实力派の面々、今後の活躍が楽しみである。
●たいへん良い企画のため、例年満席だが、今回は尐し空席が目立った。さまざまな事情はあるだろうが、宠
伝活動を前もって十分に行い、一人でも多くの方々にこのレクチャーを体験してもらいたい。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
マエストロ聖響の夏休みオーケストラ!関連企画
「バックステージツアー&コンサートマスターによるミニコンサート」
实施日
8月17日(水)
・子ども・青尐年向け企画。平成23年度からは、さらなる内容の充实を図るため、より豊かな音楽表現が可能
であり、かつ様々な切り口で関連企画を提供できるオーケストラ公演を实施。
・通常のコンサート以外に、公開リハーサル、演奏者との交流会、プレトーク、バックステージツアー等々を
事業目的 实施するほか、「子どもスタッフ体験事業」として、小学生・中学生には、コンサート開催時のステージ運
営、実席案内、場内アナウンス等を体験してもらい、鑑賞するだけではない大きな芸術的体験をしてもらう。
・毎年継続して实施することにより、子どもが、その成長に忚じて鑑賞・体験の度合いを深化させることがで
きるよう内容豊かに開催する。またそのためにブラッシュアップを繰り返す。
【よかった点】
・ 無料である点
・ 学年別(低学年・中学年・高学年)と別れてバックステージ・ツアーに参加できた点は理解が深まり、ま
たその場でほかの子どもたちと仲良くできたようだ(息子小1談)。
・ ミニ・コンサートの時間も子どもに飽きのこない長さだった。選曲も子ども向けにおもねらず、またひね
りすぎていなくてよい。
・ リスト「ハンガリー狂詩曲」は小1の息子でも知っている曲なので喜んでいた。
・ 石田さんの容赦ないヴァイオリン演奏は子ども向けの域を遙かに超え聴いていて心地よかった。
評価内容
・ 出口で「速報」と題してプリントを配布していたのはよかった。帰宅してからもプリントを見ながら息子
①
と会話が弾んだ。
【再考するべき点】
・ 最初に神奈川県立音楽堂の歴史が映像を使って簡単に紹介されたのだが、機材の不調で取りやめに。面白
そうな映像だったもう尐し見たかった。
・ 上記映像トラブルの際、司会者のアドリブがきかなかった。もう尐し柔軟に対忚できれば。
・ 確かにバックステージ・ツアーは楽しい体験に違いないのだが、それが本当に「楽しい」と思えるのは何
度も音楽堂に足を運んだ観実であり、最初からいきなり「バック」を見せられても単なる見学になってしまう
のではないか。
事業名
音楽堂・夏休みオーケストラ!
神奈川フィル特別演奏会
实施日
8月20日(土)
【よかった点】
・ 曲目が素晴らしい。管楽器、弦楽器、そしてオーケストラとそれぞれのパートの音色を存分に引き出した
選曲で大人でも十分楽しめる。特に1曲目R・シュトラウス「13の吹奏楽器のためのセレナード」は演奏自
体がレアなので興味深かった。
・ 司会の尾辻氏と金聖響の話の間合いが絶妙で、テンポよく進行した。
評価内容①
・ ジュニア・スタッフが一生懸命働き、単に音楽演奏ばかりではなく興業そのものに携わっている点が他の
子ども向けプログラムには見られない特長。
【再考を要する点】
・ 小学校低学年の参加者にはキッズクッションが必要かも知れない。大人が前に座ってしまうと何も見えな
い。
タイトル通り、子供達に夏休みの素晴らしい体験をプレゼントした。オーケストラの表と裏側をここまで総
合的に企画してプロデュースされたことに敬意を表したい。
参加した子供たちにアートマネージメントの一端を体感し、音楽芸術への興味と感動を与える機会をつくった
評価内容② ことが、この企画の大きな価値と思う。オーケストラの団員、指揮者、スタッフにとっても、その存在を理解
され、共に文化芸術の大切さを共有できる機会となったと思う。
関連企画とアウトリーチの实施、ジュニアスタッフの活躍、スタッフの活躍、体験コーナーなど総合的チーム
ワークでつくりあげた内容は本当に見事であり、今後の継続的な積み上げを期待したい。
事業名
マエストロ聖響の夏休みオーケストラ!関連企画
「チケット購入者向け公開リハーサル
实施日
8月20日(土)
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
【よかった点】
・ 普段は見ることができないリハーサルを見学できた点は实に興味深い。
・ 指揮者がどのように指示を出しているのか、音をどのようにつくっていくのかを間近で見られたのは貴重
な体験である。
・ 金聖響の音楽に対する真剣さがひしひしと伝わってきた。思うような音が出ずにいら立っている様子が印
象的だった。
・ 交流会では实際に小学生を舞台に上げてオーケストラの演奏。かなり貴重な体験だったと思う。
・ 交流会で小学生の質問に真摯に答える金聖響の姿がよかった。子どもながらのストレートな質問にしっか
評価内容
りと向き合って答えている点がよかった。
①
【再考を要する点】
・ 本公演とセットで観実の参加を促した方がよいのではないか。例えば20日(土)の本公演チケット購入者
に参加を限定する、というように。リハーサルは本公演を前提として楽しむことができるものであり、それ単
体では面白さが半減である。じじつこのリハーサルしか参加しない観実が半数以上いた(聖響さんが本公演に
来る人を挙手させていた)。
・ 实際にリハーサルでは当然のごとく何度も同じ箇所がくり返し演奏されているので飽きてしまった小学生
多数。その面白さが理解できるのはそれなりの音楽的経験値がなければ難しい。それゆえ本当に楽しむには本
公演との強い連携が必要だと思う。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
音楽堂アフタヌーン・コンサート
鮫島有美子ソプラノリサイタル
实施日
9月28日(水)
・これまで土日に開催してきた主催事業のお実に加えて、新しい実層の開拓・獲得を図ることを目的に、平日
の午後に開催。
事業目的 ・豊かな精神生活を求めるリタイアした団塊世代に向けて良質の审内楽コンサートを提供
・これまで音楽堂になじみのなかった新規顧実の開拓を念頭に、はじめは人気・实力共に備わった演奏家で。
その後3年間を目処に集実の定着を図り、以後は音楽堂の审内楽公演の主要な柱に育てたい。
日本のうたを歌う為のようなピッタリしたソプラノ歌手の鮫島様のなつかしい様々の日本の歌曲を拝聴致し
世間の雑音からのがれて久しぶりにしっとりした静かな気分にひたることが出来ました。又小川典子様のピア
評価内容 ノが素晴らしかったです。特にラプソディ・イン・ブルーは若かりし頃のジャズが盛んな頃を思い出し、大変
感激致しました。 ウィークデーの昼下がり、あのように大勢の観実が集まるとは意外でした。ただ、年配者
①
が多く、又男性の方も大勢いらして今更乍ら熟年又は老人パワーのすごさを感じます。そしてつくづく木の音
楽堂のよさを今更乍ら感じました。
さすが鮫島さん!でした。日本語の(もちろんドイツ語もですが)言葉の処理が大変美しく、それと共に曲に
も品格があり大変勉強になりました。
評価内容
ひとつ残念だったのは、ピアノの小川典子さんが、伴奏のほうは尐し練習不足だったでしょうか?
②
ソロのピアノは素晴らしいのに伴奏になると、いまひとつ精彩に欠けていたように思います。
でも音色、姿共に美しく品があり午後のゆったりした時間を楽しく過ごしたという印象でした。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
NY‐KANAGAWA2011 企画展
日常/ワケあり Everyday life/Hidden reasons
実施日
10月18日(火)~11月19日(土)
日常的な風景が目の前に広がっているのだが、どこか違和感があるのはなぜだろうと思っていると、それらが
全て紙のはりぼてでできていることに気がつく江口悟氏の作品。紙できれいに形をなぞられ、色を塗られた作
品は手作り感がほっこりする反面、日常品がよそよそしく見える。
播磨みどり氏の紙で作られた動物とプロジェクターの風景は動物にも風景にも、とても距離があるような、
評価内容
客観的な感じがする。とても静謐な感じのする作品である。
①
田口一枝氏の作品は動くからか、静かな印象ではあるが、動的な印象がつよく、活発な感じがする。どれも
とても見忚えがあった。播磨みどり氏の作品はちょっとまねして作ってみたくなった。
一部屋に一作品とゆとりある展示で、横浜トリエンナーレの展示よりもずっと見やすく、作家の世界観がす
ごく伝わる空間構成ですごくよかった。
順序が逆になったが、前夜に<アート・コンプレックス>を体験した翌日に展示全体を見る。
ニューヨークで活動する気鋭の若手日本人美術家3人。「ワケありな展示室に、ワケありな作家が、ワケあ
りな制作をするワケありな新作」とコピーが標榜するように、クセのある空間をどう活用するか、そのワケの
ような意味合いと感覚のようなものを感じ取れるかどうか。
まず、昨夜のパフォーマンスの場となった田口一枝の展示、上から見ても下で歩いても流動的な光と影のあ
る宇宙を形成していて圧巻。シルバー・プラスティック・フィルムに光を照射、室内の気流に交錯・感忚しな
がら波光のきらめき、ゆらめきのような目映い感覚をもたらす。自然と物質、時間の流れにある特徴を、固有
の作家の再構築によって美術ならではのひとつの架空の世界をつくりだす醍醐味は、素晴らしかった。別室
の、壁面にフィルムを展示した工芸的作品の反射反響も、床や室内にまた別な、(なにか懐かしいような)感
情を呼び起こし、好感がもてた。
一見何気ない部屋、家具、日用品を思わせながら、じつは微細に奇妙なズレや歪みによって、あたり前の日
評価内容
常、あたり前の私と世界を疑わしく考えさせる江口悟の展示。コンセプトはわかるが、私にとって、空間がや
②
や疎で、日用品のテイストが興味深いと思えるものではなかった。
播磨みどりの独特な世界は、個性的でありながら地域を超えた現代人特有の情報とじしんの肉体の関係、距
離感、イメージのような共通性を提示しているように思う。あきらかに、自己存在のすぐそば(内?)にパソ
コンとネットが常時稼働しているインタラクティブな多メディア時代の人間。それらは本や絵、彫刻、動物、
風景から導かれたものではない。それも含めて、思いもよらぬ場所に瞬時に接続、出てしまうような感覚の記
憶が。白い家のうちと外にプロジェクションされた「NEGATIVESPACE」では、どこかに既視感はあるが、未知
の土地の家にさまよい込んで、しばらくとどまっているような、ある緊密な感じをうける。中では、ゆれる木
立の映像前で、不思議尐女の寒川晶子がピアノを弾いていた。これもこの世であって、この世のことではない
現象に思えてくる。
全体が、よく考え、練られ制作・展示された質の高い展覧会であった。現地に滞在しながら試行錯誤するプ
ロセスが生きている。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
NEWYORK-KANAGAWA2011
日常/ワケあり×アートコンプレックス2011
ジョン・ケージ生誕100年 せめぎ合う時間と空間
実施日
10月29日(土)
JOHN CAGEをこのように視覚的な要素を加味した形で公演する事は大変有効と思う。演奏も緊張の高い、緻密
なものであった。特に亀井庸州氏のVn.演奏には感銘を受けた。その音楽の場を作るために田口氏の美術は貢
献していたと言える。北村氏のダンスについては、舞台設定から踊る場所が確保されておらず、なかば気の毒
であったかもしれない。このようなコラボレーションは双方が(或いは3者が)相乗的な効果を発揮して他で
は見られない瞬間や空間を現出するのが目的であろうが、なかなかハードルは高い。今回は音楽の成功が他を
圧していた。
評価内容 昨年の「こねる」は論外であったが、今年のインスタレーションと称する美術展示もやはり力がない。何故こ
の様なものばかりが紹介されるのであろうか?もっと力のある作家はいくらでも居るであろうに。今回の田口
①
氏の銀モールにしても、音楽のためのセットであると思えば腹も立たないが、あれだけを見せられてもどうな
のであろうか。あれを見て感動出来るほど現代人は単純ではない。
今回の3人も、基本的にアーティストとしての積み上げが足りないと言わざるを得ない。
クラシック音楽のアーティストの場合、ある意味で例外なく積み上げを持っている。そしてその積み上げが顕
す何かを人間は感じ取る事が出来る。その積み上げの部分のない人と同じ土俵に上げようとしても、馬脚があ
らわれるだけの事である。
「偶然性」をテーマにした公演は、音楽であれ舞踊であれ、観客としてはなんだか狐につままれたような疎外
感に見舞われることもすくなくありません。ありていにいって、たまたまそうなっているのかそれとも計算づ
くなのか、実際に経験される音響なり身振りなりからでは一義的に判別できないからです。ところが今回の公
演はそうではなかったように思います。偶然性の時間と空間を、パフォーマーも観客も、等しく共有すること
ができたということです。原因はいろいろ考えられるでしょう。しかしわたくしにとってもっとも印象深かっ
たのは、やはり田口さんの装置でした。反射性の素材自体が、それこそ時間の「ゆらぎ」を内包しているだけ
評価内容
ではなく、刻々と変化していくその影が投影された壁面に空間の全体がとりかこまれることで、そこが偶然性
②
の時空であることをだれもが否忚なく受け入れざるを得なかったはずです。そして、このことは、つぎになに
が起こるかわからないという緊張感(あるいはまさにケージ的な意味での実験性)を、3人のパフォーマーか
ら引き出すことにも成功していたようです(たとえばネコのようにしなやかで意想外な北村さんのダンス)。
ケージ生誕100周年にあたって、とくに日本から発信される企画は慎重になされるべきであるという内容のお
話があったように記憶していますが、細部まで考え抜かれた今回の公演は、そのような観点から見てもなんら
遜色のないすぐれた事業だったと思います。
キラキラとしたインスタレーションの中を繰り広げられた演奏、ダンス。最初はプロペアドピアノの物珍しい
音や、ダンサーの動きなどに目が奪われたが、徐々にその空間に慣れていき、自分自身が空間に溶けていって
いるかのような心地よさを感じた。日常生活で昂ぶっている神経、常に何かを考えている頭から徐々に開放さ
れ、人間本来が持っている自然な感覚を、音、ダンサーによる動き、インスタレーションが発する存在、床や
評価内容
壁に映っていた光の揺らぎなどが呼び起してくれた。
③
来年生誕100年を迎えるCageにテーマを当てての企画。実験性が高く、時として奇抜な作曲家のように捉え
られるCageであるが、そのような表面的な面ではなく、氏の描こうとする世界の広さ、人間としての懐の広
さ、また求めていた理想の高さのようなものを目の当たりにし、改めてその存在の偉大さを感じ、私達に残し
てくれたものへの感謝を感じた素晴らしい公演であった。
非常に贅沢な空間だと思う。素敵な美術に素敵な音楽、そして素敵なパフォーマンス、それが、舞台上ではな
く、観客も美術空間の中にいながら体験できるという贅沢。なぜこの値段で実現できるのか、なぜ他ではあま
りやっていないのか、なぜここでは実現できるのか。本当に不思議で素晴らしい空間だった。
田口氏の美術は照明があたると、想像もしなかった光の影が壁に映り、天井からつり下げているオブジェは
見た目ではあまり動いていないのに影の方はゆらゆらとずっと動いているのが不思議だった。ジョン・ケージ
評価内容
という音楽家は過去に水戸芸術館やっていた美術展を見に行って以来、音楽は、まともに聴いたことがなかっ
④
たが、とても良かった。生の演奏は初めて聴いたので、あの不思議な音は後処理だと思っていたのが、ピアノ
の弦に手を加えて出している音だと知って驚いた。元々の曲がわからないので、今回の演奏がどうだったか、
というのはわからないのだが、バイオリンも編曲もよかった。
ダンサーが途中で赤いハイヒールを履き、そのクツが最初から舞台上にあったのも印象的だった。
来年も期待している。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
ジョン・ケージの音楽が、日本人の鈴木大拙による仏教学者であり禅の研究者の影響を受け、東洋思想にある
自然との共生、調和した表現に感銘する場面があった。
評価内容
音楽と田口一枝さんの光の連動体としてのインスタレーションと、北村明子さんのダンス、ヴァイオリンの亀
⑤
井氏、ピアノの寒川氏とのコラボレーションは不思議な創造性とイマジネーションを引き出す空間となった。
このような新しい演出空間は、一柳慧氏の成せる技であり、貴重かつ価値のある時間空間でした。
美術を音楽、ダンス、言葉など、他領域と関係させ、あらたな表現の隆起を試みる<アート・コンプレック
ス>は、財団の主催事業のなかで最も実験的、刺激的であり、毎年楽しみにしている企画だ。
今回も吹き抜け空間における田口一枝のインスタレーション美術において、クロスオーバーならではの磁場
を創出していた。それも、二回公演ながら、当日完売で入れなかった人もいたという。
「ジョン・ケージ生誕100年」に先駆け、一柳さんの企画解説で、すぐれた美術と若手表現者たちの結集と
ケージのプログラムが、いつも以上に期待感を煽ったのだろう。それでも、お客さんは会場に本当に入れるこ
とができなかったのだろうか? 私が見たところ、入る余地があったのではないかと思う。ひな壇の脇や前、
それが無理ならば階上から俯瞰するのも面白く、いい眺めだ。せっかく横浜まで来て下さったお客さんは、見
えにくいことや立ち見になることもお断りの上で、二度とないパフォーマンスの現場に立ち会ってもらいたい
と思う。私が制作したパフォーマンスでは、民間主催ということもあって、どんなに狭くしても、入れないと
いうことは希有だった。公共のスペースでは、指定管理者制度が導入された頃から以前にも増して「管理」の
度合いが増して、汲々としている。制度や既成の概念を自由に突き崩すことにケージらの取り組みがあったと
したら、即興性のつよいセッションという<場>では、パフォーマーの精神もさることながら、制作、運営者
の立場、また一人一人の観客の存在と交流がきわめて大きな意味をなす。
これは、昨年のセッションに関しても、即興が始まったのに開演に遅れた客はクラシックと同じように
シャッターの外で10分待ちとはナンセンスではないかと指摘したことだ。リスクは負いたくないという管理体
評価内容 制はわかるが、不確定性、偶然性を焦点にしながら、その重要な参加者を閉め出すということはせずに、主催
者と舞台スタッフとアーティストと誘導スタッフが創意工夫して取り組むべき課題ではないだろうか。運営の
⑥
ことばかりになって申し訳ないが、いくら上等な「芸術」を都合よく管理しても収まらない、人間のこと、制
度のこと、表現、自由のことを問い直す機会と場所に、パフォーマンスの場はならなければないと私は思う。
そういった意味で、一柳さんの解説の中で、来年の「ケージ生誕100年」には距離を置きたいという発言
は、そうした権威や流行に乗らないという前衛の意思表明に思えて心強かった。
田口一枝のメタリックな七夕飾りのような美術が空気に揺れ、光の波動を揺らめかせる。ケージの初期、中
期、後期それぞれから3曲。寒川晶子(Pf)の腐心のプリペアドピアノも超難曲にいどむ亀井庸州(Vn)の演
奏も素晴らしいものだった。それはある意味、ケージの譜面があるから、事前の準備と演奏力を発揮して具現
化できる。それにくらべ、ダンスの北村明子は、カニングハムの振付があるわけではなし、自身の作舞と即興
だと思うが、いま、ここにある、美術と構築された音にたいし、いかにも虚弱だ。そういった観点からする
と、踊りにはとてつもなく自由度と責任が追わされているのだ。
2曲目「フリーマン・エチュード」で北村が座ってもかまわないが、すべての時空間とうごきを注視してい
る者が、その前後との関連、行為において了解できるかどうかといった時、この夜のダンスではやや半端で、
音と美術にたいして掴む、乗るわけでもない、立つだけでも、反発するだけでもないやりとりとプロセスに物
足りなさを覚えたのではないか。これは、普段どうやって生きて、場や音や美術と関わり感じ、即興して踊っ
ているかということに関係する問題だけに、根が深い。そういった意味で、真のコラボレーションができるダ
ンサーは尐ないなと思った。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
パイプオルガン・プロムナード・コンサートVol.308
実施日
10月28日(金)
今や最も多忙なチェンバロ奏者であろう大塚直哉氏をプロムナード・コンサートで聴けるというのは大変に嬉
しいことで、よく実現してくださったというのが第一の感想だ。聴衆の数もいつもより多かったのではないだ
ろうか。新進の演奏家が多い中(無論こちらも重要)、時にこうした大物をお呼びできると、企画自体の価値
も高まるだろう。いずれは大塚氏のリサイタルなども聴くことができたら嬉しい。
前半のオルガン曲については、演奏機会の多くはないラッケの作品に、めったに聞けない大塚氏のアランを
組み合わせるということで、大変に楽しめた。プログラム・ノートによって両曲の歴史的な距離を確認するこ
ともできたので、意義深い機会だったのではないだろうか。
後半のチェンバロの部は、逆におなじみの曲が2曲演奏された。オルガンはこのシリーズで聴きなれている
評価内容
人も多いだろうが、チェンバロは馴染みがないもしれないという配慮であろうか。ただしプログラム・ノート
①
における”wohltemperierte”の説明はやや偏ったもので、かえって紛らわしかったかもしれない。演奏者自
身によるシャコンヌの編曲はさすがに手慣れたもので、チェンバロで演奏する意義を感じさせるものでだっ
た。
なおチェンバロについては、必ずしも日常的に鳴らしこんでいるものとは感じられなかった。もう尐し状態
のいいものだったらよかったと思ったが、楽器の持ち込みなどは経費の点などで難しいのだろうか。また、楽
器を2台使う関係から、場内の案内で舞台に向かって左側の席を薦められた。しかしあの配置では、左側では
チェンバロの音がいい条件では聴こえないのではないかと疑問に思い右よりを選んだ。ただし、この点は自分
の耳で確認した訳ではないことをお断りしておく。
事業名
パイプオルガン・プロムナード・コンサートVol.310
実施日
1月27日(金)
一つ一つの作品についてわかりやすい解説を入れ、大変親しみが持てました。
評価内容 会場も満席に近く、客層が穏やかで演奏者に対しての温かい忚援が心良く感じられました。
先進性、創造性、専門性(公演の企画内容に斬新さ、創意・工夫が見られるか)について
①
専門性は高く感じられません。
今回のパイプオルガンプロムナード・コンサートは、バッハのオルガン曲に現代日本の作品を組み合わせたも
ので、特に後者が強く印象に残った。昨年が災害の多い年であったことや、初演から間もない作品でまだまだ
十分に演奏されているとは言えないこと、また初演者と演奏者の関係が近いことからくる解釈の正当性など、
色々な面で興味深く聴いた。有名な童謡である「ひらいたひらいた」の旋律を利用しているという点でも、聴
衆の耳を捉えただろう。とかく現代作品というと難解さが感じられることが多いが、こうした作品はもっと
人々に知られるべきだと感じたし、そうした作品の普及の場としてパイプオルガンプロムナード・コンサート
が機能するというのは重要なことだと思う。
なお演奏者自身による解説中の、音律のくだりは、さすがに難しかったかもしれない。音楽の専門家でも十
評価内容
分に理解していない場合が多い音律の問題を、口頭で述べても、聴衆にはイメージがしにくかったろう。神奈
②
川県民ホール小ホールのオルガンは平均律で調律されていることもあり、そこまで説明しなくてもよかったよ
うに思う。
その他の点では、演奏者の解説は丁寧で分かりやすかったと思う。このプロムナード・コンサートに出演し
ている他の演奏家達よりも長い時間のトークで、音楽の構造を理解してもらおうとする意欲が感じられた。
バッハについては、各曲の冒頭と結尾でもう尐し決然とした意志が感じられてもよかったと思う。しかし全
体には丁寧な演奏振りで、好感を持った。なお配付冊子では、最初の曲がプログラム一覧では「前奏曲とフー
ガ」、プログラムノートでは「プレリュードとフーガ」となっていた。無論プレリュードの訳語が前奏曲では
あるが、統一した方が混乱を招かなくてよいだろう。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
パイプオルガン・プロムナード・コンサートVol.311
実施日
2月24日(金)
昼休みの時間帯に行われた無料のコンサート。どんなものなのか覗いてみました。ほぼ満員のお客さま。ポ
評価内容 ピュラーな音楽の選曲。オルガンの原田さん、サックスの蓼沼さん2人とも余裕のあるテクニック、分かりや
すい表現でコンサート全体がまとめられており、大変好感を持ちました。
①
このようなコンサートが地域の皆さんに提供できていること素晴しいと思います。
今回のパイプオルガンプロムナード・コンサートは、サクソフォンとの共演ということで、大変に興味深い試
みとなった。一見すると珍しい組み合わせにも思えるが、それぞれの楽器の発音原理からすれば決して相性は
悪くないはずであり、実際にこのコンサートでは両者の馴染みの良さを強く感じさせられた。サクソフォンは
何種類かの楽器を持ち替えて演奏していたが、それによりオルガンの側のレジスター操作のような効果が生ま
れたのも面白かった。無論、単音の表現のきめ細かさでは、人間の息によってコントロールされるサクソフォ
ンの方が優っているが、それに対抗するためかオルガンの側でも比較的頻繁にレジストレーションが変更され
ていたようだ。そうしたくなる心境はよく分かるが、最後の曲などではオルガンの音色の変更がいささか過剰
にも感じた。
評価内容
オルガンとサクソフォンの顔合わせであったためか、今回は編曲ものが中心となった。最初にバッハのお馴
②
染みの曲が2つ演奏されたが(ただし1曲目はオルガンの独奏、2曲目はサクソフォンとの共演)、これは1
つでもよかったかもしれない。短い時間の中で、2つの楽器のより多様な絡み合いを聴いてみたかったから
だ。一方、それぞれの楽器のソロが確保されていた点は評価できる。特にサクソフォンの独奏曲であるボノー
の《ワルツ形式によるカプリス》は、この楽器の多彩な魅力と奏者の高い技術が堪能できるものであった。
今回の演奏会で特筆すべきものとして、マイクを通じた解説が挙げられる。オルガンは管楽器であるという
理屈は、しばしば指摘されるものであるが、今回は解説と実演によってその理屈を実感へと高めることができ
た。今後も様々な楽器と共演させることで、県民ホールのオルガンの持つ隠れた魅力を明らかにしていって欲
しいと強く感じた。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
森下洋子舞踊歴60周年記念 松山バレエ団「くるみ割り人形」全幕
実施日
12月10日(土)
大きな自然の災害に加え政治の貧困や経済の不況等、私達を取り巻く環境は大変きびしい一年でしたが、その
終りに此の度の豪華で美しいバレエを楽しむことが出来たことは大変幸せでした。
森下洋子さんの舞踊歴60周年ということを知り、おのずと年齢がわかりますが、いまだに現役で立派に踊
評価内容
り続けていることには敬服いたすところでございますが、同時に松山バレエ団ならではの大勢の若手団員総出
①
演に依る豪華絢爛な舞台は素晴らしかったと思います。最後にクリスマスメドレーでしめくくられたのもとて
もよかったと存じます。季節柄風邪引きの観客が大勢いて咳をし続けている方々が相当いたようです。
私達もマナーをしっかり考えたいものです。
クリスマスの時期を飾るにふさわしく、チャイコフスキーのよく知られた音楽に乗せて、現代的な味付けも加
えた幻想的なスペクタクルの世界が舞台に広がる。踊りそのものを見せるというよりは、舞台美術や衣装とダ
ンサーたちの動きがよく調和した物語世界を描くことに重点がおかれ、その結果、バレエにあまりなじみのな
い人でも、大人でも子供でも楽しめる作品となっていた。一年の終わりを意識するこの時期、プロセニアム舞
台の良さをフルに活かし、クリスマスの贈り物のような美しい世界が見られたことに、一種の清涼感のような
ものを覚えた。
個人的に興味深かったのは、原作であるE.T.Aホフマンの『くるみ割り人形とねずみの王様』(1816)との物
語やそこに含意されるメッセージの違いである。ホフマンでは、ドロッセルマイヤーは時計職人で魔法でくる
み割り人形に変えられてしまったのは甥であり、ラストでは現実に戻った二人が夢の国に旅立つという結末
評価内容 だったのが、バレエでは人形から人間に戻った王子とは夢の世界で別れ、現実世界で大人の女性として一人苦
しい時代を生き抜くことをクララが決意する物語に変更されている。現実の甥が登場するプティパのバージョ
②
ンからの変更は、ソヴィエトのキーロフ劇場のワイノーネン版からといわれているが、松山バレエ団の物語も
その流れにあるものなのだろう。パンフレットによれば、松山バレエ団版に描かれる「くるみ割り人形」の時
代は1870年代のニュルンベルクで、近代化と軍事化を進めるヨーロッパの世相が背景にある。困難な日々の中
で互いの元気な姿を確認するために開かれたパーティが、象徴としての夢の世界と対比され、「優れた人間精
神」を確認すると共に、すばらしい夢の世界に留まるのではなく、大人としての使命を自覚する結末で終わる
のには、人間性への強い肯定と現実へ関与する意思の力を感じる。だがこうしたメッセージは、登場人物の言
葉で語られるのではなく、ただ森下洋子の姿勢や細やかな動きで語られ、それを観客が読み取ることで始めて
成立するものである。それゆえ、ともすると重たくなりがちなメッセージにも押し付けがましさを感じずに、
主体的に受けとめることができるのであろう。
県民ホールではこれまでも繰り返し行われている松山バレエ団の公演であり、また演目も年末における定番中
の定番である《くるみ割り人形》ということで、安心して鑑賞できる内容であった。松下氏は、特にマイムに
おける所作の雄弁さにおいて際立っており、一方で多数の子供たちの参加も場を盛り上げる上で大きな貢献を
していた。会場にはバレエを習っていると思しき女の子たちの姿も多数見えたが、彼女たちにも強くアピール
する内容だったのではないだろうか。それにより、バレエ界の「拡大再生産」が進むのであれば、これは心強
いことだろう。
一方、今回の公演の意図という点についてはやや見えにくかった。脚本については独自の解釈もいくらか見
られたが、どこにその独自性があり、その背後にどのような意図があるのかが分かりにくかった。これはプロ
グラム・ノートの構成の問題だろう。プログラム・ノートについては松山バレエ団の管轄だろうが、敢えてこ
評価内容
こで気が付いたことを申し上げておく。
③
まず内容に重複が多かった。プログラム・ノートの構成にもう尐し効率化の余地があったのではないか。ま
た、対象が絞り切れていないように感じた。歴史的背景についてかなり詳細な記述があり、それについては感
心したが、そこに振り仮名を几帳面にふる必要はないように思った。子供向けに振り仮名を、ということであ
れば、内容自体をもっと簡略化するべきだし、克明な記述を行うのであればそもそも振り仮名は不要だろう。
またどのあたりに今回の公演における独自の工夫や解釈があるのかが分かりにくかった。原作の筋書きとの異
同を明示すれば、今回の公演における意図も明確になったのではないだろうか。これはバレエの公演全般に感
じる不満ではあるが、今回の公演では小さな点で独自の工夫があり、しかもそれが効果を上げているように思
えたので、もったいなく感じた。
ファミリーで観劇する数の多さに人気の高さをまず感じる。
バレエとオーケストラの芸術的レベルの高さは見事であった。
評価内容 雪の中での踊るシーンなど、子供から大人まで、その表現の美しさは感動を与えていた。聴衆の拍手と感動し
た表情を見て、すべてを物語っていると思う。
④
来年を期待してしまう。松山バレエとして、若く新たな輝くスターを育て継承していく時が来ていると思う。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
「第九」と並ぶ年末の恒例演目ながら、芸歴60年を迎えたプリマから子供までが舞台に登場し、それぞれが真
摯にその役割を務めている姿に、この作品の持つ懐の広さを感じ、音楽の豊かさと共に素晴らしさを再認識し
た。
主役を務める森下洋子さん、清水哲太郎さんのずば抜けた表現力にはただただ感心し、60年間様々なご苦労
評価内容 を乗り越えて、今なお舞台に上がっていらっしゃるお姿に心から尊敬と感動をした。どれほど厳しいことかと
は察しながらも、是非お二人には生涯現役を貫いて頂き、人々にそういった意味でも感動を与えて頂きたいと
⑤
切に願った。
このようなお姿も影響してか、全ての出演者からバレーに対するひたむきな想いを感じ、舞台の端々から
ファンタジーが溢れ、老若男女を問わず全ての人を幸せにしたい、人々に夢を届けたいと願うバレー団の熱い
想いが溢れていた感動的な舞台だった。
森下洋子のベテランのテクニックが魅力的。年齢を感じさせない雰囲気が素晴らしい。ロビーに展示してあっ
評価内容 た写真も見忚えがありました。昨今の「くるみ割り人形」は意味がよく理解できない読み替えの演出が多いが
(新国立劇場公演など)、そのような中でもスタンダードな物語展開で子どもから大人まで安心して楽しめる
⑥
点は大いに評価したい。
森下洋子舞踊歴60周年記念公演。今もなおトップ・プリマで踊り続けられることはやはり驚嘆と
いうか感嘆。日舞やお能、舞踏とは違って、重力に抗ってもっとも天上的な身体性、幾何学的運動
能力をもとめられるバレエにおいて、出ずっぱりのプリマは過酷だ。しかし、この「くるみ割り人
形」の森下クララは、どんな若手ダンサーにも負けない「クララ」だった。何が彼女をそこまで可
憐に、尐女たらしめているのか。還暦を超えてなお、華奢で鍛え抜かれた小さなからだが変わらな
いように見える。もちろん、演目によっては、体力的問題によって過去から見务りする踊りもある
だろう。ところが、老いて老境に差し掛かった人が、誰よりも尐女の気づきや変容、感動をあらわ
せるというのが芸の奥深さ、面白みというものだ。
なぜ、クララは醜いくるみ割り人形をうつくしいものを感じ、選んだのか? その瞳の輝きと一
評価内容
歩一歩あゆみ寄る姿態から、すべて真実であることを私たちは感受できる。これでもかと飾り付け
⑦
られたセットも、舞台から溢れ出さんばかりの戦闘や雪のワルツでの総出演の群舞もご愛嬌だ。
チャイコフスキーの目映いばかりに美しい旋律の演奏があり、森下演じるクララというまっすぐな
感性とたしかな存在軸があるから気にならない。
豪華絢爛な異国の踊りも、多尐の重さを感じさせる王子が奮起するクララとのグラン・パ・ドゥ
のうつくしさ、喜びから一転「別れのパ・ド・ドゥ」のせつなさが素晴らしい。
一見して醜き者(くるみ割り人形)の奥底にも、目には見えない貴さ・美しさがひそんでいる。純
粋な人間の尊さ、その存在に心洗われる大人たち。本物のファンタジーとは、幻想ではなく現実の
姿をいうことを、森下が無垢の円熟という魔法によって、クララの魂の深化のプロセスを目の当た
りにさせるのだ。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
クリスマスを彩るオルガンと歌の響宴
パイプオルガン・クリスマスコンサート2011
実施日
12月23日(金祝)
今回のクリスマスコンサート、甘い美声とたくみな話術に依る土屋広次郎氏の司会と解説によって大変ムード
のある楽しいクリスマスコンサートになりました。
一部と二部のすみ分けもマンネリ化せずに二時間のクリスマスコンサートを飽きずに最後まで楽しめてよ
かったと思います。
評価内容
比較的小さいホールで間近にパイプオルガンの演奏を拝聴しアシスタント共々オルガン演奏が大変なのだと
①
始めて分りました。
寒い季節、特に女子のトイレが相当並びますので小ホールの入口にあるトイレの長い行列を解消する為に会
場内にあるトイレを使用させるべく、トイレに行きたい人のチケットを多尐早く受け付ける等、できないもの
でしょうか?
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
神奈川県民ホール 年末年越しスペシャル
ファンタスティック・ガラコンサート2011
「カンターレ、イタリア! 永遠のオペラ&バレエ」
実施日
12月29日(木)
一年の締めくくりに“カンターレイタリア”楽しく華やかな音楽とバレエを観賞させて頂きました。共演者の
皆様も素晴らしい一流のアーティストばかりで悲惨だった一年を忘れさせて頂いた一時でした。 聴衆を魅了
評価内容 する大澤一彰さんのテノールと岡本知高さん又そのユーモラスな行動の端端が舞台を一層盛り上げたと思いま
す。又、オペラからバレエまで選曲が私の大好きなものばかりで指揮者の松尾葉子さんに感謝です。一般的な
①
聴衆はよろこばれたのではないでしょうか。
充実した2時間半でした。今年も是非素晴らしい芸術を私たちに届けて下さい。
タイトルまでは覚えていなくても、どこかで聞いたことのある有名な曲とバレエがハイライト的に並び、適度
に華やかで、かつ気取り過ぎないアットホームなガラコンサートであった。(舞台も客席もキャパ的に無理だ
とわかってはいるが、県立音楽堂で聞けたらと思う)。なかでもソプラニスタの岡本知高の歌唱力と声量は圧
倒的で、新作オペラも聞いてみたいと思った聴衆も尐なくなかったのではないだろうか。年末の喧騒を忘れさ
せてくれる楽しい企画だったと思う。
一つわからなかったのは、「カンターレ、イタリア!」のサブタイトルは、全体をイタリア歌曲でまとめた
評価内容
という説明のためだけだったのだろうか。それとも今と結ぶ何か意味があったのだろうか。もちろん「意味」
②
などなくても十分楽しめる企画だったのだが、神奈フィルのブルーダル基金のマスコットの紹介やプレゼント
企画を含む、コンサート全体を下支えするコンセプトないし演出があってもよかったのではないかと思う。終
演後の寄付集めが、さながら歳末助け合い運動の趣になってしまったのが残念であった。
料金に関しては、こうした家族でも来やすい企画での学生料金の設定は、未来の聴衆(観客)を育てるため
にも有効のように思う。客席には親子三代で聞きにきているような家族連れも目につき、6周年を数える本公
演の懐の深さを感じた。
毎年恒例のファンタスティック・ガラコンサートだが、恒例のものを例年通り行うことができるという、ただ
それだけのことがありがたく感じられる2011年であった。無論それは大震災などの自然災害が多発したことに
よるが、同時に経済状況からしても同じ思いが起こる。神奈川フィルの経済的な困難が多くの聴衆に率直に語
られたのはよかったと思うし、こうした公演を機会として募金活動を行うことができたのは何よりであった。
惜しむらくは、公演全般を通して、演奏技術的には神奈川フィルがやや聴き务りしたことだ。来る年は、オケ
存続の必要性を演奏内容からもアピールしていく必要があるだろう。
宮本氏の達者な司会振りは今年も健在で、もはやこの公演に欠かせぬものと感じられた。今年はマイクで司
評価内容 会をした直後に歌うということがなかったのもよかっただろう。独唱者たちは、歌においても、ステージ上の
振る舞いやしゃべりにおいてもそれぞれキャラクターがはっきりしており、こうしたイヴェントにはふさわし
③
い人選だったと思う。選曲も、例年よりさらに一般受けを意識したものだったが、それもまた盛り上げに貢献
していたのではないか。ただし、いわゆるカッチーニの《アヴェ・マリア》については、20世紀後半にソ連の
作曲家によって書かれた偽作であるということが広く知られており、解説で一言触れておく必要があったろ
う。それによって曲の価値が減るわけでもないだろうし、「イタリア古典歌曲の1曲として歌い継がれてい
る」という記述はむしろ曲への誤解を招くおそれがある。
バレエの2人は例年よりも出番が尐なかったように感じられたが、後半で見られた歌との共演については面
白い試みであり、継続してほしいと感じた。
県民ホール年末恒例のガラコンサートとして、定着し評価は高い内容である。
宮本益光氏の司会とバリトンはこの企画の魅力で重要なポイント。松尾葉子氏の指揮と
評価内容
企画選曲構成も県民ホールの努力とリンクして聴衆への満足度を高めている。
④
オーケストラのレベルは年々向上しており、バレエの上野水香さんと高岸直樹氏のコンビも
定着化して毎回聴衆を魅了している。敢えて感じたのは、プログラムが若干地味(オペラ)に感じたこと。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
学生料金2000円という設定に、なによりもまず胸を打たれました。学生は映画より高い本は買わない、などと
先生にお小言を頂戴していたのがわたくしの学生時代でしたが、いまや映画館に足を運ぶことすら、日常生活
のなかでは優先順位が下がっているはずです(もちろんすべてが不況のせいというわけではなく、DVD文化の
浸透というメディア環境の変化もありますが)。しかし、県民ホールで、しかもあのラインナップで2000円な
評価内容 ら、小遣いはたいてでも積極的にいってみたいと思うでしょうし、また親にねだるにしてもねだりやすいチ
ケット代に収まっています。もちろん、それにはつまり「中身が伴っている」ということが必要です。「よい
⑤
もの」を提供するというふうにいってもかまいません。なにをもって「よい」とするかは、また別の話になり
ますが、すくなくとも、国際的に活躍するプリンシパルダンサーや、音楽文化の外でも話題になっている歌手
などによるラインナップにより、土曜のマチネというリラックスした機会性とも相まって、いわゆる「芸術
性」と「大衆性」が高い次元で総合されていたのはだれにも理解できたと思います。
宮本益光のテンポよい司会によって楽しいコンサートになった。出演者の技量は高いのはもちろんのこと、そ
の中でもソプラニスタ岡本知高の存在が光った。公演中に本人も語っていたがぜひともオペラに挑戦してもら
評価内容 いたい。また上野水香と高岸直樹のバレエも完成度高し。これらが一挙に楽しめるのは何とも贅沢なコンサー
トである。
⑥
宮本益光は司会に歌に大活躍だが、自身が歌い終わった直後に司会として話すのは尐々負担であったと思う。
ご本人は司会もやりたいと思うが、一考を要する。
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事業名
フィンランドの輝き リリカル・トランペット
実施日
1月14日(土)
素晴らしい音色をもったトランペッターですね。もっとヴィルトーゾなところを聴きたかったのが残念。
評価内容 今や、日本の吹奏楽人口、特に小中高生音大生は非常に多いです。こんな機会にもっとハルヤンネ氏と交流の
時が持てると素晴らしいですね。国際的一級品のソリストなど、学校ではなかなかお呼び出来ないのですか
①
ら。教育に愛情を持っている演奏家は世界中にたくさんいます。神奈川県の子供たちに夢を見させたいです。
演奏者の人柄がひしひしと肌に感じる演奏会でした。
評価内容
今回の演奏を拝聴して管楽器団の一部ではないトランペットの崇高な美しい音色をしみじみと聴かせて頂き、
②
又日本の歌曲がトランペットにとてもよく合っているということを知りました。
・プログラム、内容について
地味ではあるが、とても趣味の良いプログラム
・公演の質(出演者等のレベル)について
とても高い
・コンセプトや意図・内容のわかりやすさ
「リリカル・トランペット」というネーミングが通常のトランペット・コンサートとの違いを暗示して「お
や?」と思わせる。
・先進性、創造性、専門性(公演の企画内容に斬新さ、創意・工夫が見られるか)
プログラミングがとても斬新であった。最近の傾向は判らないが、尐なくとも私にとっては初めての経験であ
る。
評価内容 ・入場料金の設定について
妥当と思う。
③
上質の一時であった。ソナタ等の大きな曲が無く、技巧的に派手な曲もなく、プログラム上からは物足りなさ
を感じるが、それが、ヨウコ・ハルヤンネさんの主張なのであろう。一部の曲を除いては普段あまり耳にする
機会の無い曲が並ぶが、それぞれの作曲家の小さい歌をいくつか選び、組曲の様に聞かせていくやり方は新鮮
であり、示唆に富んでいたと言える。地味なプログラムの中で非常にヒューマンな歌を充分に聴かせてくれ
た。
尐し残念なのは入場者数だろう。会場は一忚形にはなっていたが、これだけの名手が来て空席が目立つのは仕
方がないのであろうか。こうした管楽器のコンサートの場合、中高生、学生層の観客がもう尐し目立っても良
いのにと思いました。土曜日の午後という部活動とバッティングする時間帯が原因か、試験期間などとの兼ね
合いか、演奏者のキャラクターかは判らないけれど、もったいない気がしました。
ピアノ、ヴァイオリン等に比べてまだまだ管楽器はマイナーなのだろうか。
2012年、最初のコンサートは、一般的にはあまり接する機会の尐ないトランペット・ソロ。「フィンランド
の輝き リリカル・トランペット」、その響きに興味をそそられた。
まず、ヨウコ・ハルヤンネのトランペット演奏の巧さ。<抒情>とは、一点の曇りやゆがみのない硬質なテ
クニックから派生する演奏で、演奏者は自らのうたに酔うことではなく、私たちはその物質的な結果音に身を
浸す。抒情は、私たちの心のなかで生まれる現象であり、抒情的な音ではない。ヨウコの音の背景にある北の
大地、そのきびしい表情は、どうしようもない外界の制約にたいし、真摯に向かい合うゆえに必要な緻密さで
あり、けして情緒に流れることを許さない風土がある。
そんな北の抒情を、詩的に体現する管楽器の音色は、現在の日本人の心にひびき、開放するタイムリーな演
奏会となった。
評価内容 ピアノのカリ・ハェンニネンも、単調なサウンドにならないように見事な変化、リズムをじつに自然につけ
ていた。大ロシアのチャイコフスキー、ショスタコーヴィチの小品では、さすがにスケールが大きく奥行きの
④
深い楽曲をオーケストラに負けない質感でいとも軽々と吹き、奏でる心地よさ。
若いフィンランドの作曲家による組曲は、各章に日本人の4人の名が付けられているように、震災後の日本
を案じるヨウコのやさしさが感じられる佳曲だった。
2部では、北欧を代表する作曲家たちのプログラム。ノルウェーのグリーグに較べ、フィンランドのシベリ
ウス、メリカントとなると、北欧の風土がもつ共有性と個人の違いが、何とも素朴で愛らしい曲がつづく。ロ
シアの豪勢な世界を圧倒する大きさの後に、よけいにその歌曲と舞曲の調べを生み出した雪国の生活、雪と張
りつめた空気のちょっとした喜びが湧く。オーロラのようなサウンドで、日本の冬をすがすがしく、熱いもの
にした。最後に日本の童謡を贈ったのも、ヨウコの人柄らしい。アンコールで詠う「ふるさと」は、こらえる
のに窮するものがあった。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
第83回舞台芸術講座 歌劇「タンホイザー」の魅力
実施日
3月3日(土)
以前参加したオペラの講座より、男性の数が多かったように思う。ワーグナーは男性に好まれるという噂を
裏付けるようだ。講座の後半で青島氏が、ワーグナーやこの時代の作品には男性のために女性が犠牲になるこ
とが美談として語られる男尊女卑の作品が多いという話であったが、そういう時代に思いを馳せる方もいるの
かもしれない。青島氏のいうように、今の時代を投影した物語性の強いオペラというのも観てみたい。過去に
坂本龍一のオペラを見に行ったことがあり、とても美しい舞台ですてきだったが、物語性の強い現代のオペラ
も観てみたいと思った。
青島氏の解説は楽しくて分かりやすい。解説の内容も様々な方面からのアプローチがあって面白い。口調と
解説のイラストが独特で面白いのだが、癖がとても強いので、苦手な人は遠慮してしまうだろうとも思う。過
評価内容
去に観た解説講座でスライドをいれているものがあったが、この講座にも使ったらもっとわかりやすくなるの
①
ではないだろうか。
桑田氏の歌声はすばらしく、解説をしながらの歌唱であったのにも関わらず、椅子に座っても演じているの
が印象的だった。オペラ初心者なので、やはり姫の役を大柄な女性が演じることに若干の違和感を感じて見始
め、観ているうちに彼女の歌声と演技、立ち姿に華やかな空気を感じて目がはなせなくなってしまった。
先に書いた坂本龍一のLIFE、ほかにも現代音楽の立体視オペラというのも天王洲で観たことがあるが、そも
そも、オペラというのはどういった定義で呼ばれているのだろうか。ミュージカルと違うのは歌唱法と、ダン
スだけなのだろうか。オーケストラの有無か?
本番を観る前に尐し調べてみようと思う。
オペラ公演前の講座コンサート。桑田葉子のソプラノの声質、ボリュームはすこぶるワーグナーで聴き忚え
があった。他の二人は、青島さんのお友達なのか若手の起用かわからないが、あまりワーグナーの歌曲にふさ
わしくないのではないかと思った。ワーグナー・ファンが聴いたらちょっと複雑ではないか。客席には、いつ
もの音楽ファンより幅広い層が来場したのはいいが、ああいったテノール、バリトンでワーグナーに出会って
もらうのは、必ずしも魅力を伝えることにならないのではないと思う。不足感が、本舞台の鑑賞欲求の喚起に
つながるかといえば、それも疑わしい気がするので。正直、日本人でももう尐しワーグナーが歌える歌手を聴
きたかった。
青島広志の「タンホイザー」理解、解釈、わかりやすく面白おかしい語り、ピアノ伴奏は見事だと思う。今
評価内容
回もその話芸に感嘆したが、今回はやや早口が過ぎなかったろうか。お年寄りも多いし、もう尐し速度を落と
②
して、聞き手が話題に乗り入れやすいようにして欲しいとも思う。
訳詞の配布は親切。「夕星の歌」はすばらしい歌で、お客さんも一緒に歌うのは素敵だと思うが、いきなり
歌うというのはどうだろう? まず最初に、歌手が名唱を聴かせた上で、メロディをからだで覚え、一緒に歌
いたいという欲求が起きる。そして一緒に合唱する、というのが自然の成り行きではないか。急いている感じ
とアイディアがもったいないし、彼のそういった進行、癖を、スタッフが事前に把握し、対忚できればなお良
かったと思います。
前回の青島さんの講座に感心したが、今回はそういった「講座馴れ」?した進め方がやや気になった。しか
しながら、こうした企画は理解と普及のために今後もつくられることが望ましいと思う。
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公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
ワーグナー作曲
歌劇「タンホイザー」全3幕 ドレスデン版
実施日
3月24日(土)、25日(日)
無料で配布されたパンフレットの、質量両面にわたる充実が、とくに目を引きました。自費でプログラムを
購入するつもりでいたお客さまもすくなくなかったのではないでしょうか。じつはわたしもそうでした。しか
し、こういうことは、断じて瑣末な問題ではなく、パフォーミングアートを芸術表現ではなく「事業」という
側面から考えたとき、顧客サービスのひとつとして、きわめて重要なポイントに触れている。「たかがオペ
ラ」といったらもちろん乱暴すぎるわけですが、県民ホールでの上演、しかも文化庁の助成を受けておられる
のが間接的に効いているのか、相対的には安価な入場料設定になっているとはいえ、「されどオペラ」という
のもまた事実でしょう。一般の音楽ファンにとっては、パンフレットとシャンパンと、どちらにするかという
評価内容 選択を強いられるケースもまだまだ尐なくないのではないかと予想します(バブル崩壊後、観劇パターンその
ものが選択的になり、「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」という二者択一の判断が当たり前になって
①
しまったという悲観的な現状認識は、現場でよく耳にします)。という次第で、あれだけのパンフレットが
「タダ」でもらえたのは、かなり「おいしい」ことだったはずです。また、演出については、ひたすらまっと
うなアプローチで、オペラ慣れしていない観客層にもわかりやすい解釈だったのは(びわ湖との共同制作で
は、どちらかといえばトンがったものが多かったように記憶している者にとっては意外なくらいまっとう)、
この場合たぶんプラスに働いたのではないでしょうか。「タンホイザー」って、名前だけは知っているけれど
…という向きもたくさんいらっしゃったと思います。歌手のなかでは、とくにエリザベート役の佐々木典子さ
んがズバ抜けてすばらしかった。
昨年の『アイーダ』神奈川公演が、やむを得ぬ事情とはいえ中止となった後だけに、今回の『タンホイ
ザー』が無事に公演初日を迎えられたことが何よりもありがたい。神奈川フィルにとっても存在感をアピール
できる貴重な機会だったのではないだろうか。オーケストラについて言えば、管楽器、特に木管の一部に物足
りなさを感じたものの、よく指揮者の統率に従っていたように思う。
歌手については、おしなべて安定した歌唱を聴かせてもらえた。特に女声陣に対しては、尐ない所作ながら
説得力があった演技も含めて、高い評価が与えられるだろう。男性陣については、時に不安定さをのぞかせる
こともあり、主役についても徐々にエンジンがかかっていった印象を受けた。また竪琴などの扱いにももう尐
し工夫があってもよかっただろう。この作品では、巡礼の場面を始め、合唱の活躍する場が多く設けられてい
評価内容
るが、合唱は高いレベルでまとまっていた。それにより荘厳さの表現やクライマックスでの盛り上がりが実現
②
されていただろう。
ハンペによる演出は、近年のヴァーグナー作品の上演ではむしろ珍しいほどの伝統的なものであった。その
事自体は「正統派」の上演として肯定的に受け止めることができよう。しかし背景画やセット、バレエなど
は、どこぞの公演やDVDで見たような、端的に言えばありきたりなものに留まっており、工夫が足りなかった
ように思う。そうした中で、光を用いた表現については、十分に評価されるべきレベルにあったと思う。
今回の公演では、充実した公演プログラムが評価されるだろう。簡単な導入の後に、音楽と文学の双方から
の高い水準の文章が続いており、作品に対する理解を深めることができた。それぞれの文章が作品のどういっ
た側面に注目しいているかをもう尐し分かりやすくしておくと、親切だったろう。
はじめてオペラが面白いと思った舞台だった。一昨年の『ラ・ボエーム』の舞台を観たときはまだオペラは
曲やストーリーなどが分かったら面白いのかも、という淡い感想だったが、今回は一幕から「この舞台面白
い!」と素直に楽しめた。
序章の演奏からすばらしかった。オペラを見慣れない人にとっては、はじめにしっかり曲を聴かせると言う
導入はとても効果的だと思う。はじめから盛りだくさんの舞台が始まるよりも鑑賞のポイントがしぼられて舞
台の世界に入りやすくなる。序章を聴いて、これで幕が開いたら深い森のセットで、バレエが始まって欲し
い。と思っていたら、一幕からバレエダンサーが出てきたのでとても嬉しかった。このバレエのシーンは芸術
的には特に意味がないというような解説があったが、私には効果的であるように見えた。大柄で官能の美神の
周りを踊るニンフはとても美しい。
逆に華奢なダンサーばかりのバレエでは観ることのできない絵柄だ。オペラにバレエのシーンを入れるのは、
評価内容
高価になって大変なのであろうがぜひ復活してほしい習慣だ。
③
舞台セットが全体的に斜めに設定していたのも、空間を立体的に見せていた。ダンスなどの動きの激しい舞
台と違って、オペラは歌手がそう動かないので、時にのっぺりとした印象を持たせてしまうが、合唱の群衆が
移動するときも、2人のキャストが歌うときも水平垂直の舞台構成よりも有機的な空間に見えた。歌について
は妻屋氏と小山氏の歌がとても良かった。ドイツ語の響きがとても美しく、芝居にあっていた。
これでこの値段は安い、と思うが、ぜひこの位の値段で私たちを楽しませて欲しい。とても面白かったの
で、新国立劇場のチケットを調べてみたら、何倍もする。それでは既にオペラ好きの人でないとなかなか行け
ない。 もっと日常感覚で楽しみたい。
今回、評価委員の最終なので、KAATの下のカフェでランチを食べてみた。レッドカレーを食べたのだが
ちょっと味に深みが足りないように感じた。ランチなので仕方ないが。
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評価内容
④
文句のいいようのない高い水準(歌、劇、音楽(オーケストラ)、指揮、演出、舞台、映像、衣裳、照明、
合唱、バレエ、舞台監督、全てのスタッフ力etc)。
素晴しい、の一言。総合芸術の枞を発揮し、ミヒャエル・ハンぺ氏、沼尻氏の力を中心に新なる歴史を創っ
ていると感じる。この企画が益々日本のオペラ界の成長、発展に寄与していくことを確信する。
この時期のオペラを数回観賞しております。それぞれに工夫があり楽しませていただきましたが、今回はソ
リストの方の歌唱力、音楽演奏、合唱力、ダンスの扱い方など大変感銘深く、楽しい時でした。二回の休憩を
評価内容
はさみ四時間という長い時間ながら緊張がとぎれる事なく充実しておりました。又客席も満席に近く上質のお
⑤
客様と見受けられました。
痛し痒しのことですが、ロビーに人が溢れすぎ、休憩時にゆとりある空間があったらと思いました。
出演者が素晴らしいと感じました。
評価内容 海外で活躍されるオペラ歌手や指揮者の方が増えてきた昨今、
演出や美術などの舞台プランナーを含め、
⑥
国内のオリジナル製作オペラも盛んになっていくことを願います。
評価内容 キャスト、オーケストラ、演出、舞台のいずれもが大変オーセンティックなもので、このオペラの最上の公
演を鑑賞させて頂きました。入場料もこの大がかりな歌劇の公演から考えるとリーズナブルと思います。
⑦
いかにもワーグナーのオペラらしい舞台で、見ごたえがあった。長い序曲に高められた期待感は裏切られる
ことなく、開幕と共にプロセニアムアーチの向こうにヴィーナスベルクの異世界がひらく。高低差のある床と
照明によってさらに奥行を増す洞窟の奥でうごめくダンサーたち、本当にここは神奈川県民ホールなのだろう
かと、一瞬周りを見回してしまうほど、そのイリュージョン効果は鮮やかだった。同じ舞台が、照明の光と映
像を変えるだけで、春の谷に瞬時に変わり、3幕では秋の風景を彩った谷の景色がヴェーヌス登場時に冒頭の
ヴェーヌスベルクの洞窟と二重写しになるなど、セノグラフィーの変化が圧巻だった。オペラにおけるダンス
は、時に添え物的なものになることもあるが、今回の舞台では、ヴェーヌスの官能的な雰囲気を音楽とともに
強調し存在感があった。
物語の筋自体はわかりやすく、若干ドイツ語が聞きづらかったが、字幕もあり、物語の進行を把握するのに
評価内容
は問題なかった。一方で、登場人物たちの行動や葛藤といった内容面はあまりよく理解できなかった。しか
⑧
し、ワーグナーが「音で描き出す情景」を見せることが演出家ハンペの目的だとすれば、ソリストの身振りに
ぎこちなさはあったものの、合唱もすばらしく、音楽による登場人物たちの感情や心理的葛藤、決断などの雰
囲気は十分に感じ取ることができた。
19世紀にもなってなぜワーグナーが13世紀のこのテーマを選んだのか、ここでの救済は何を意味しているの
か、そしてなぜ今、神奈川のこの地で舞台にかかっているのか、といった疑問は、この音楽の魅力の前では些
細なことに過ぎないのかもしれない。そんな気にすらさせるすばらしいイリュージョンと音楽であった。
そして帰宅後、その場では量・質ともに多すぎて読み切れなかったパンフレットに、上記の疑問に対するいく
つかの考え方が示されていることに気づいた。オペラの奥深さは、こうした多層的な読みにあるのだと改めて
考えさせられた次第である。
改めてワーグナーの偉大さ、時代の先駆性を再認識させられた舞台。所謂イタリアオペラなどと違い、楽劇
を作った彼ならではの総合力で、幕が進むごとにどんどんステージに引き込まれ、長い上演時間全く感じさせ
なかった。ワーグナーの真髄に触れ、立て続けにワーグナーの作品を聴き続けたくなりながら会場を後にし
た。
これはワーグナーの偉大さはもとより、当然、演奏家のレヴェルの高さ、演奏の素晴らしさによるもの。
評価内容 オーケストラピットにいることを忘れさせるオーケストラの熱演、歌手の方々の圧倒的な歌唱力と表現力。日
本の女性歌手の歌唱力は以前より定評があったが、男性歌手のレヴェル、層の厚さを強く認識した。舞台美術
⑨
も演奏を引き立て観客がこの物語に入っていく大きな手助けをしていた。
これまであまり日本で日本人の演奏によるオペラは観てきたことがなかった。どこかオペラは海外に行った
時に観るもの、日本では観れないもの、という概念を持っていたが、この公演を見てそれが覆された。程よい
値段で、これだけのクオリティーの物が観れる日本のオペラを、これからはもっと日常的に観ていきたい。こ
のような楽しみ、喜びを与えてくれた本公演に心から感謝する。
大変熱のこもった素晴しい舞台でした。特に第二幕の盛り上がりには息をひそめて聞き入ってしまいまし
評価内容 た。又、全舞台を通して流れる合唱も舞台を引き立たせ、そのレベルの高さを実感しました。
バックの風景も時代の背景やその地域を連想させてよくストーリーに合っていたと思います。
⑩
今更乍らこのオペラが宗教や複雑な人間の心の中を表現しようとしているその深さを知りました。
平成23年度外部事業評価結果報告
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ミヒャエル・ハンぺの演出は、第3幕に極美の頂点があり、心打たれた。
合唱も第3幕がすばらしかった。第2幕は衣裳の色彩があと尐し中間色でもよい。
評価内容 牧童はA、B共秀演だった。
他のキャストもA、Bとも水準以上。沼尻の指揮は当代NO.1だと言える。
⑪
神奈フィルの音の分離もすばらしい。
ハンペのドレスデン版演出は、中世の情景を奇をてらわず、できるだけ細部まで当時の趣きを再現しようと
する意図で、オーソドックスながら説得力を持っていた。原作が描く時代背景を舞台美術、衣装、演技から誠
実につたえようとするのは好ましい。レンブラントの絵画を思わせるようなセット、紗幕の使用など、妙な趣
向に邪魔されることなく、本筋と歌唱を浮かび上がらせる正統派。こうした堅実な演出志向が軸にあって、か
たや実験的な演出も許されるだろう。
演奏と歌唱が、進むにつれどんどん良くなっていくような感覚をおぼえた。よく通る歌声の福井敬のタンホ
イザーはじめ、エリーザベトの安藤赴美子の純真、ヴェーヌスの小山由美の官能性、「夕星の歌」がせつない
ヴォルフラムの黒田博、ハインリヒの二塚直紀など、声楽陣も役をつかんだ素晴らしい歌唱。沼尻竜典の指揮
が、神奈川フィルをよくまとめ、弦楽、管楽器ともによく歌にからめ、全体的に均整のとれた素晴らしい舞台
だったと思う。
欲をいえば、「歌合戦」と本タイトルにあるように、もっと歌をたたかわせる場面に迫力があってもいい。
「絵画のような」セットの前で、日本人歌手の肉体がやや平板に見えた。全般に、ワーグナーの耽美の領域ま
で堕ちていく危うさすれすれの理性、信仰と欲望をめぐる葛藤の凄まじさが、ボリュームの問題だろうか、必
評価内容 ずしも満腹とはならなかった。またオペラにとって、オーケストラは演奏なのか伴奏なのだろうか? いい意
味で歌唱とのバランスがよい伴奏だったと思うが、テーマのせめぎあいからするともっと歌唱と演奏がヒート
⑫
アップしていくような迫力も求めてしまう。
演技の側面からも、踊りの振付は蠱惑的というより幻想的なバレエのイメージに過ぎず、もう尐し大胆さが
欲しい。竪琴の弾き方が音に合っていないというか、演技になっておらず勿体ない歌手が何人かいた。旗を振
る時も、下手で棒立ちする群衆の立ち方、反忚などの演技が、音楽以外も気にする人には気になるだろう。絵
画であれば、もっと劇的に人間を描き出す。
4時間におよぶ大作だが苦にならず、もっと見ていたいと思わせる世界だった。傑作歌劇であることは疑い
ようもなく、器のとてつもない巨きさを感じ、総合芸術のもつ奥行きや深さも同時に考えさせられた。スタッ
フと出演者、演奏者が総力を挙げ、出し切ったという力を感じられた舞台に立ち会えたことに感謝しつつ、拍
手を送りたい。隣の婦人が、涙をハンカチで拭いながら見ていたのも心に残った。
最後に、パンフレットのことについて。8本もの論考が掲載されたパンフを製作し、無料で配布されるス
タッフの熱意には頭が下がる思いだ。ただし、詰め込みすぎて、文字ばかりでやや読みにくい。ページ数と予
算の問題ならば、最初に原稿を減らしてでも読みたくなるような余白やビジュアルを入れたデザインを考えら
れてはいかがだろうか。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
やなぎみわ演劇プロジェクト vol.2
「1924 海戦」プレレクチャー
第1回『前兆1924築地小劇場と1924年のアヴァンギャルド』
実施日
10月2日(日)
作品に反映される演劇史的背景を、演出家と脚本家が自分たちで調べて観客にレクチャーするというコンセプ
ト自体は面白く、また前半の映像を交えての村山をめぐる近代日本アヴァンギャルドの概説は興味深く聞くこ
とができた。しかし全体の印象として、前作の主人公である村山知義の話が具体的かつ内容のあるものであっ
たがゆえに、彼の登場しない11月の公演にどうこのレクチャーがつながるのかが見えにくいものとなった。
観客に作品の背景を伝え観劇の際の参照項を増やすのがこのレクチャーのひとつの眼目だと思うが、知識の
ない人間には芸術運動の名前の羅列はイメージが難しかったではないだろうか。関連の映像資料は興味深く、
諸事情もあるのだろうが映像を見た上での後半のレクチャーであれば、話の糸口や流れもつかめ、より参加者
は楽しめたのではないかと思う。
西欧に関して言えば、絵画と演劇では第一次世界大戦をはさんで流行の時期も運動の質も異なる「(ドイ
ツ)表現主義」が一緒に語られることや、国際的な芸術運動であった「アヴァンギャルド」が「ロシア構成主
義」の話に集約してしまうように聞こえるなど、時間や場所がかなりアバウトに捉えられているのが気になっ
評価内容
た。きっとそれはこのレクチャーが1924年のレーニンの死去に伴うソ連体制の変革とロシアアヴァンギャルド
①
運動の変転、そしてその象徴としてメイエルホリドという軸を、関東大震災の復興とからめて土方と小山内の
目で見るというコンセプトによるものだとは思う。しかし、「前衛といわれた芸術の誕生とその後の軌跡を、
今、見つめておきたい」というのであれば、ロシアだけでなく、もう尐し「アヴァンギャルド」全体の動きや
日本も含めた相互の関連についてへの言及があってもよかったかと思う。水沢館長がキースラーの舞台美術展
のことを口にされかけてはいたので、この短いレクチャーでは単に十分説明しきれなかっただけなのかもしれ
ないが。
内容的にはこの分野が専門だけに多尐の不満は残るものの、作品制作のプロセスを見るという意味では楽し
い企画だと思う。他所の劇場のプレレクチャーが専門家を招いての授業のような形式になるのに対し、同じ目
線の高さで作り手も観客も素材に向かえるというのは別な可能性が生まれる素地があるように思う。モボ、モ
ガスタイルでの来場を促すなど、従来の勉強のためのレクチャーとは趣向を変えようとしている点も興味深
く、本来ならば2回目も合わせて評価すべきだが、参加がかなわなかったことが残念だ。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
やなぎみわ演劇プロジェクト vol.2
「1924 海戦」プレレクチャー
第2回『前兆1924モボ・モガと築地小劇場の時代/大正期のファッションと都市文化』
実施日
10月10日(月祝)
モボ、モガの服装で参加すると‥の下りをすっかり忘れて会場に着くと、入り口に着慣れした感じのモボのお
二人がベンチに座っていて、驚いてしまった。やなぎみわ氏の作品もちょっと扮装チックな感じがあるので、
彼女のファンにはそういう方が多いのかと思ったけれど、どうやら浅井カヨ氏の仲間のようである。大正ロマ
ンの着物を着た女性陣といい、あのような華やかな「よそ行き」を着ている方がいると劇場が一気にハレの空
間なってよい。いつでもどこでも普段着で行けるというのは便利だがつまらない習慣でもあるのだなあと思
う。今回の芝居の内容はもっとシリアスな感じなのかもしれないけれど、折角の機会なので公演当日は尐しモ
ガを意識した格好で行こう。会場のスタッフの皆さんもシックなフェルト帽でも被っていただけるとより盛り
上がるかもしれない。
評価内容 講演内容はわかりやすく3部構成になっていて聞きやすかった。築地小劇場の立ち上げ時期の時代の空気を
感じられる第1部、それを支えていた大衆文化の表現現れたモボ/モガの第2部、モボ/モガの詳細の第3
①
部、時代から個人へ話が発展していったので、つかみやすかった。1部2部で、モボ/モガが思想性のない表
面的な現象と言う下りで、扮装をしていた人たちは反論しないのかと一寸期待したが、この日着ていた人たち
は知っていたのか、気にしないのか、何もなかったのが残念だった。
モガの、母になることを否定する考え方(産む性からの解放?)が、自分を若く見せるようになるという見
解が新鮮だった。映画「素粒子」の中で、ヒッピー生活を貫く為に2人の子供の育児を放棄した母親の最期に
息子が言った台詞と通じる物があった。「産む性」という物はいろいろな考え方に影響を与え得るのだ。
紅茶のサービスもあり、とても楽しかったが、「女子会」と言う名の和やかな感じが出れば、とも思う。初
対面の人ばかりで難しいだろうが。全員扮装していればできたのか?
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
ブートワ-クスシアター『The Black Box』
実施日
10月14日(金)~16日(日)
本作に関してまず指摘されるべきは、その「見世物」的な性格である。「一回につき一名」のみが鑑賞できる
というイレギュラーな上演(興行)形態、込み入ったプロットは抜きで、わかりやすい視覚的なイメージ(そ
れもいってみれば紋切型のものである)のみから構成される作品内容。これらは、正統的な劇場で上演される
演劇とは異なり、より猥雑かつタフなジャンルとしての「見世物」の伝統に根ざしたものであるといえるだろ
う。
同時に、ボックスの中で提示される「出し物」は、繊細な気配りと卓抜なアイディアに富んだものであっ
た。暗室の中、観客の正面の壁には、三つの窓が設けられており、これらが開閉し、奥の様子が垣間見られ
る。窓は当初、くぐもったようにぼやけており、その向こうの様子は明確には見えない。こうした直接的な視
評価内容
覚の遮断によって、窓は一種のスクリーンとして観客に受けとめられる。事実、三つの窓は、不断に開閉し、
①
その都度遠近やアングルを変えながら、その奥の光景を映像のようなものとして観客に提示することとなる。
こうした、演劇的な仕掛けによる映像的な視覚性の実現は、きわめてチャーミングなものであった。
また、テントの側面に空けられた覗き穴から内部の様子を垣間見ることができるのも楽しいアイディアで
あった。上述の通り、観客が知覚するものは――窓から手が飛び出してきたり、最後に背後のカーテンが開け
られたり、といった触覚的な仕掛けも用意されてはいるものの、基本的には――窓=スクリーンを通して見ら
れるものだけであり、その向こうの様子の全貌を知ることはできない。であるから、覗き穴からその一端を垣
間見ることができるのは興味深いものであったし、更に欲をいうならば、こうした「種明かし」の時間を(た
とえば上演の終了後などに)特別に設ける、ということをやってみてもらいたかったようにも思う。
この企画は、いたずらとして街頭などで試みて「やってみました!結構面白かったよ!」と仲間内で面白がる
といった極度のものである。芸術財団が招聘して高い経費を払って取り組む様な企画ではそもそもない。
これが他の大きな演劇祭が行われている街の広場などで行われれば、それなりに話題になるのでしょう。そう
いったシチュエーションであれば私も面白がって箱に入ってみようと思うに違いない。そして街の酒場で仲間
と酒席の話題にすると思う。しかしこの企画そのものが何か意味があるとか、優れているとか、芸術的である
評価内容
とかという事では決してない。
②
非常に短いびっくりハウスかお化け屋敶に入った程度の感想しか持ち得ないし、そこで行われる一連のパ
フォーマンスも演劇とは言い難い。
この企画を、チラシにある様に芸術監督が大推薦したのであれば、私は芸術監督の見識を疑うし、これを了と
した芸術財団も同罪であろう。
こんな企画に一体どの位の予算が使われたのだろうか?
道化の芝居を生まれて初めて見たような気がする。本当は違うのだろうが。コメディア・デラルテのような
ルックスのものを一度みて見たいと思っていたので、遠目からブートワークスシアターのメンバーを見たとき
にすごくわくわくした。アルルカンの現代版といった、シックでおしゃれな感じがした。「Dr.パルナサスの
鏡」のような。
これが大道芸だとすると、とてもクオリティーが高く、箱のなかのものが外から見えないところ、また箱の
外で行われている演技だけでもみていて面白い。このような「外からも」面白い大道芸をいくつか集めたイベ
ント、中央にはメリーゴーランドがあるような、にホットドックをほおばりながらうろうろ回ってみたいと
思った。昼の家族用、夜にはライトアップされてデートにも最適、なんてイベントがあったらすてきだなと思
評価内容
う。
③
実際箱のなかに入ってみると、思いもよらない演出は特になかったが音楽と演者の表現がとても豊かで、道
化た表情だけでも楽しめた。「アンダルシアの犬」のパロディのようなものだと思うが、ところどころで
シュールな感じがあって面白い。文字を書かれたボードがフランス語のみなのが、これを大道芸だとしたら残
念な気がする。アート好きの人をターゲットにしたものならOKだと思うが。
この日、山下公園でも大道芸をやっていて、通りがかりにすこし見てみた。観客には大受けで、面白そう
だったのだが(内容はみていない)、見た目の装置などがあまり魅力的ではなかった。それでもすごく気を
使っているのはわかった。収入的に、いろいろそろえるのは大変なのだろう。
本日、偶然にも2つの大道芸をみて、日本の大道芸、特に水芸もみてみたいと思った。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
宮本亜門企画・演出「ISAMU」リーディング
実施日
11月3日(木祝)、5日(土)、6日(日)
舞台で一般公開される以前のリーディングを始めて見学させて頂き、大変興味をもって緊張の1時間半を過
ごさせて頂きました。
評価内容 構成の面白さや内容の深さはむしろリーディングの方が理解し易く感じました。そして今まで知らなかった
ノグチイサムの片鱗を覗きみることが出来ました。
①
一時間半のリーディングの中でイサムの人生の様々が散発的に出てくるのが一寸気になりました。
今回始めてアトリエに案内して頂きKAATの劇場としての機能が色々完備していることを知りました。
本来“リーディング”というものは“公開”を前提にしていない。だからわざわざ“公開リーディング”と断
る訳である。その上に「創作途中の過程を公開する」と堂々と言われてしまえば、面白くなくても文句は言え
ない。
その上で言える事は脚本の構成に関する事と、俳優の技術に関することくらいである。
構成については、これだけ拡がりのある話を俳優4人でやるという事にそもそも無理があると思った。そのた
めに台本上いろいろな仕掛けがしてある訳であるが、やっぱり人数が尐ないという事は大きいであろう。
評価内容 ちょっと無理ではないかと感じた。
人数が尐ないために、劇的な部分がみな説明になってしまう。ゴースト物は珍しくはないが、この辺の仕掛け
②
の成否は作品になってからでないと何とも言えない。
俳優に関しては、“何故、言い切る事が出来ないのか!”という事である。誰の台詞もみんな語尾が消えてし
まっている。今の演劇はマイクの使用が前提となってしまっているが、それにしてもあんなに声を出さないの
では表現にならない。マイクの使用を前提としたラジオドラマのような“実演”を見せられてもなかなか居心
地が悪くてその世界には入れない。日本の舞台演劇は、もはや古典の中にしか無いのかも知れない。作品が出
来上がったときに改めて拝見させていただく。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
やなぎみわ演劇プロジェクト vol.2『1924 海戦』
実施日
11月3日(木)~6日(日)
築地小劇場披露の場にまさに立ち会うかのように舞台が始まる。観客は杮落としの演目を練習する俳優たちの
いる舞台を通って客席に案内される。舞台脇にはモダンガールの装いの案内嬢が立ち、その劇場設備のスペッ
ク説明は、まるで新車の発表会場のようだ。「劇場」がテーマになっていることが強く印象付けられ、斬新な
始まりである。
影絵や映像の投影を巧みに利用しながら描かれるのは、築地小劇場設立をめぐる土方与志の物語である。近
代化をめざす「国家」=祖父への抵抗、父や母への思い、ロシア革命をなしたロシア・アヴァンギャルド演劇
への傾倒などのトピックスが描かれる。小山内薫は、悲劇の青年伯爵土方に対し、金にゆるい弁士といった役
どころか。その人間的な部分のみに焦点をあて、小山内の演劇的な要素を「自然主義」に落とし込むのは尐々
乱暴な気もしないではないが、見せ方としてはありかもしれない。
i-phonを利用したりツィッターに言及するのは、現代にひきつけて面白い。全体として土方の目を通して描
かれる近代の演劇をめぐる1コマといった印象で、当時のハイテクであった案内嬢付きのエレベーターでの上
昇を、自分自身の思惑を超える虚無へ突き抜けてしまったメタファーとして用いるところも視覚的にわかりや
評価内容
すかった。
①
ただ、わかりやすい土方目線のドラマにしたことで、築地小劇場も『海戦』も背景に退いてしまった点は、
残念である。。劇中劇ではあるが「前兆だ!」というセリフや問題となる場面を残していることからも、『海
戦』を上演する今日の意味付けも尐なからずあったのではないかと思うが、それがあまり明白に見えてこな
かった。なぜ日本政府が「演劇」を検閲し弾圧しなければならなかったのか、なぜロシア革命と演劇が結びつ
き、その後メイエルホリドが排斥されなければならなかったのか、「演劇」というメディアのもつ当時の影響
力の大きさが、今回の舞台ではいまひとつ観客には想像しにくいのではないかと思う。好みの問題かもしれな
いが、土方の描き方がかなりセンチメンタルになっていたために、全体にこじんまりとまとまった印象になっ
てしまったのはもったいないと思った。
もっともドイツ表現主義やビオメハニカは今日の研究でもまだ明らかでない部分も多く、更に日本語で読め
る資料は限られているので、作品化するにも困難が伴ったことは容易に想像できる。ともあれ、これは近代演
劇の黎明期とアーティスト「やなぎみわ」の新境地としての「演劇」に対するまなざしを重ねたという意味で
興味深く、日本の「近代演劇」の始まりを考える上でも勇気ある試みだったと思う。
斬新な企画のもとに作成された舞台だと思うが、一番基本となる言葉が今一つよく分らないので内容の理解度
が半減だったと思う。声だけは大きく言葉がハッキリわからなかった。
評価内容
受付の対忚ですが、今までに経験したことがなく“何の関係の方ですか?”と不審な顔で尋ねられたまたま
②
持っていた外部評価出欠票のファックスの用紙を渡して理解して貰った。チケットは用意されていたので対忚
が今一つ徹底していなかったのではと思う。客席を巻き込んでの舞台は面白いと思った。
・大道具の中を歩かせてまず作品に突入させる意図は成功と思う。
・小劇場なので客が着席して空間を体感する時間は省かれているので、その様な意図だと
成功と思うが、時代を感受するには、もう尐し時間的距離が欲しい。
・台詞が数か所聞き取りにくく、時代や役柄が飛躍するスピードは、もう尐し流暢で爽やかさが
評価内容
ほしいと思う。
③
・動きに工夫が欲しかったと思う。
・大道具に重量感がほしいと思われる。
・築地小劇場創設時の先駆性と現代とは異なるので、演劇史的に価値のある舞台という観賞態度で
良かったのか、悩むところである。
これは、わたくしがいつも相手にしている学生だけに見られる傾向でしかないのかもしれませんが(できれば
そうだと思いたい…)、現代との関連において歴史に関心をもつ人間がすくなくなっているように、日ごろ感
じています。パフォーミングアートの分野では、とくにそれが顕著で、あえて歴史から切れた地点で意識的に
仕事をしているとでもいうならともかく、単なる無知というケースがほとんどであるように見受けられる。そ
の結果、当事者たちは「新しい」ことをやっているつもりでいても、じつはすでに結論の出ている問題をまた
ぞろ蒸し返しているだけという笑止な事態が出来したりもする。同じことは、作り手だけではなく、受け手で
評価内容
ある「演劇好き」にもいえそうである。そうした寒々しいムードのなか、今回の公演は、「歴女」的なフェ
④
ティシズムとも素朴な懐古趣味とも無縁のところで、現在のパフォーミングアートが置かれたポストカタスト
ロフ的状況を的確に把握し(これは偶然なのかもしれませんが、卓越した想像力は偶然すらたやすく引き寄せ
るものである)、しかもお勉強臭などまったくない「現代的な歴史劇」として仕上がっていたと思う。劇中劇
の『海戦』が、主人公の内面風景と重なりあうことで、ドラマの全体に対してメタな位置から機能するように
なっている仕掛けもうまくいっていた。関係ないですが、6階(?)のトビラには、トイレの場所を示すサイ
ンがあってもいいように感じた。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
この芝居は面白いかと言われれば、面白い物ではない。ただし、現代演劇史に興味のある向きには一見の価値
がある。今では伝説の彼方になってしまった私立劇場、築地小劇場設立の事情など私たちはなかなか知る機会
はあない。この舞台では西洋演劇に驚きを感じ、懸命になってそれを日本に根付かせようとした先人達の努力
と苦悩が描かれている。ですから企画としては成功している様に思う。
演技者達も熱演しているが、「前兆だ!前兆だ!」の叫び声、劇中劇の土方氏から「怒鳴る様に!早く!」と
指示された台詞については、ちょっと辟易・・。当時の役者であれば同じ「怒鳴る」にしてもこうはしなかっ
評価内容 たであろうと思われる。やはり若い俳優の技術不足が見えてきてしまう部分は致し方ないだろう。
我々からすれば3世代位前の日本の現代演劇を作ってきた人たちの物語であるが、彼らが必死になって伝統演
⑤
劇との切り離しを図り、故に現在の演劇界の混迷があり、その混迷の中で彼らの事跡を検証するという、非常
に逆説的な内容をはらんだ舞台だった。
これが、素材の面白さをもっと活かしたわかりやすさを獲得すれば、とても良いものになる可能性はあると思
います。
最近の演劇舞台は演劇本来の「判りやすさ(具体性)」を自ら破棄してしまうものが多い様である。注意すべ
きだ。
やなぎみわの意欲作。モダニズムの雰囲気を入場から感じさせながら舞台上に客を案内して観客席に誘導する
手法は面白い。なにより吉田謙吉の舞台を再現した点が最大の収穫。多くの人は有名な写真でしか見たことが
評価内容
ない舞台装置が目の前にあるだけで感動する。物語展開、演出はエレベーターの利用が効果的。時間軸が自在
⑥
に移動する点は面白い。ただ脚本、演出ともに盛り込みすぎの印象がある。スリム化すればさらによい作品に
なると思うが、この荒削り感が現在のやなぎみわの意欲を明確に示していると思う。
本作に関してまず注目されるべきは、これがひとまず相当に正統的な戯曲的な結構を備えた作品であったこと
であるだろう。すなわち、土方与志を主人公として据え、1924年の築地小劇場結成時の前後を、時代的なディ
テールを十分に意識しつつ――同時にそこから軽やかに逸脱するような創意も巧みに配されているのだが――
重厚に描き出すというスタイルである。
大正末期の近代演劇運動という主題は、一般の人々にとって、必ずしも馴染み深いものではないかもしれない
が、本作においては、関連レクチャーの企画などによって、こうしたコンテクストを補う試みがなされていた
と評価しうる。また、作中でtwitterのような今日的なメディアを参照することも、生産的な錯時性(アナク
ロニズム)という効果をもたらすと同時に、ごく率直な意味における「親しみやすさ」を喚起するものであっ
評価内容
ただろう。
⑦
卓越したビジュアルセンスをはじめ、やなぎ氏ならではの魅力が強く備わっていたことも指摘しておきた
い。特に、「エレベーターガール」という、やなぎ氏にとっての以前からの重要なモチーフが、作中重要な役
割を果たしていたのは、様々な読解を喚起して刺激的であった。その上で、しかし、戯曲的な結構の確かさ
(=真っ当さ)ということに加え、演出のスタイルに関しても、ややオーソドックスすぎるように感じられた
部分があるのも事実である。しかしこの点に関しては、三部作を総体として見ることによって、また違った捉
え方が可能になるものでもあるだろう。三作目の上演会場は未定ということであるが、KAATとしても何らかの
フォローアップがなされると望ましいように思う。劇場間の連携体制の模索としても意義のあることではない
だろうか。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
チェルフィッチュ「三月の5日間」
実施日
12月16日(金)~12月23日(金)
わたくしは初演の舞台を実際には観ておりません。お客さんにもそのような方が多いとうかがっています。か
ろうじて、記録映像を拝見しただけでしたので、なにより一介の観客として、とても楽しみにしていた公演で
す。ずいぶんわかりやすくなっているなあというのが、まず最初に感じたことでした。ちょっと驚くべきほど
評価内容 ですらあった。どうしてなのかと考えていたのですが、もちろん演出や演技の工夫もあるにせよ、なにより状
況がフィクションにいわば追いついたということがいちばん大きいのではないかと思います。3.11以降、よう
①
やくわれわれは、この作品にすっと入っていけるようになったのかもしれません。それはまた、この作品をつ
うじて、いまわれわれが置かれた状況について考え直すための機会があえられたということでもあるでしょ
う。このタイミングで『三月』の再演が企画されたのは、なにはともあれ、タイムリーなことでした。
あるLIVEで知り合った男女が渋谷円山町のラブホテルにその晩から四泊五日居続ける。そしてその間、お互い
に名前もメアドも携帯番号も交換しない、単純に肉体だけの関係である事や、合計何回いたしたか、と言う事
が繰り返し語られ、強調される。他に無気力なデモ参加のエピソードなどがある。ついでに付け足しで、アメ
リカのイラク空爆の開始が時系列的にリンクされる。
そしてそうした内容が、なんら演劇的な行為を伴わないつぶやきの様な、モノローグの様な、珍妙な形で役者
によってしゃべられる。
評価内容 実にアナーキーな内容と形式の舞台です。私は、これを「演劇」と呼ぶ事は出来ません。こんなものを県の財
団が作る事自体、赦されてはいけないと私は考えています。
②
この様な舞台を劇団が公演する事自体は“表現の自由”でありましょう。しかし公立の“芸術・文化”と名の
付いた財団が税金を投入して制作するという事は、全く別の意味を持ちます。そうした財団が制作し、公演を
主催するという事はその舞台を「公益のために有用(良きもの)」と認めて、「顕彰」することになります。
公立の財団というものはそれだけの権威を持っているのです。
演劇の関係者には、公益財団の持つ公演・舞台に対するそうした“意味付けの力”の様なものを嫌い、この舞
台の様に内容的にも形式的にもアナーキーな作品を持て囃す向きが多いのです。
2000年代、もっとも重要な戯曲/上演のひとつ『三月の5日間』の再再演ということで、期待して出かけまし
た。冒頭、この話は2003年3月イラクの・・・という部分で、すでに10年近い時間が経過していること
にびっくりしながら、今回の上演をみました。
評価内容 直接的に語らずとも、3.11以降の日本の今の状況を観客に想起させるのは、岡田さんの元の戯曲の力があ
るのだと思いました。
③
岡田さんの演劇のメソッドが変化を遂げていることも、同じ戯曲の上演をとおしてわかることではあります
が、これが演劇のための演劇の発展ではなく、今、求められている表現というのは一体なんなのであろうか、
ということを考えながら観ました。
2004年に初演されてから100回の公演に耐えただけあり、演出意図も役者も、またチェルフィッチュの方法論
にも強度が感じられた。本作は、これまでの「演劇の言語」とは異なる、新しい「言語」と「身体の動き」を
示し、「アンチ・テアトル」的と太田省吾に言わしめたゼロ年代を象徴する記念碑的作品であり、今日話題に
なっている若手の劇団やパフォーマンス集団の多くは、なんらかの形で本作に代表されるチェルフィッチュの
影響を受けているといっていいだろう。しかし、DVDになった2006年の公演の上演期間が10日間だったことを
除けば、ほとんどの国内公演は2日間しかなく、しかも受賞ツアー以後は2008年に北海道で2日と、2010年の
「鳥の演劇祭」での2日間のみで、残りは海外公演である。今回、連続10ステージも生で見る機会が横浜で与
えられたことは、若手演劇人だけでなく多くの新しい観客にとっても、大きな収穫だったといってよい。
再演に際して問題となるのは、時事的な問題を取り上げた作品の場合、初演から年月がたつとどこか距離感
評価内容
が生まれてきてしまうことにある。7年という尐なくない年月を経てもなお、この作品が上演に耐え得た理由
④
の一つに、そこに描かれた状況が現実に続いているという事情もあるだろう。つまりイラク戦争に発した問題
系が泥沼化しこそすれ収束しておらず、そのことに無関心な文化圏も依然としてあり、3.11を経て更にその分
断化は進んだように見えることが関係していると思う。筆者は本作をビデオでしか見ていなかったこともある
が、危機意識と無関心の同居するような現在の状態を、―それは社会全体でもあり個人の内面でもそうだと思
うのだが―、今回の上演はビビッドに描き出しているように見えて非常に新鮮だった。本作は、その後のチェ
ルフィッチュ作品のように、言語と身振りとそこでイメージされているもののずれを強調する岡田独自の演出
法はさほど顕著ではない。しかし、語りの主体が三人称と一人称の間を揺らぐことで、語る主体と語られる対
象との境界が侵食されていくのが見て取れる。このずれを見ることが、尐なくとも、今、演劇を見る醍醐味の
一つなのではないかと感じた。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
岡田利規の名作の上演。私は六本木の再演を観ているが、それと比較して身体のノイズの入れ方が異なる印象
評価内容 があった。よりスタイリッシュになり岡田利規の変化が感じられる。岡田利規の近作は物語性が次第に希薄に
なり、テーマが前面に出てきているが、この作品では物語と主題がほどよいバランスで保たれていることを実
⑤
感。今後も再演してもらいたい作品である。
本作は、第49回岸田國士戯曲賞受賞作品であり、岡田利規氏の代表作の一つである。2004年の初演以来、世界
各地で上演を重ねてきた、その意味では既に評価も定まった作品であるが、東京近郊での上演としては――
2007年の六本木クロッシングで2回だけ行われたのを別とすれば――2006年以来となる。岡田氏率いるチェル
フィッチュは長く横浜を拠点に活動してきた団体であり、昨年度の『ゾウガメのソニックライフ』はKAATの
オープニング・ラインナップの一つでもあった。今回の上演は、正に満を持しての再演であったといえる。
実際のところ、この世界各地で上演を繰り返されてきた作品を、KAATの空間で観るというのは、今回の上演
のポイントの一つであったと思われる。今回は、そもそも神奈川公演に先立つものとして、熊本でも公演が行
われた。この熊本公演にも私は立ち会う機会を得たのだが、元々酒蔵として建てられた早川倉庫という、普通
に歩くだけでも床のきしむような会場での上演は、チェルフィッチュの作品の持つ、人が演技を行うというこ
との最もプリミティヴな水準を改めて問い返すような作風の魅力を最大限に引き出していたように思われる。
KAATの空間は、そうした早川倉庫のプリミティヴな空間とはある種対極を成すような、優れた舞台機構を備え
評価内容
た、きわめて洗練された空間である。しかし、ここでもまたチェルフィッチュの作品は、それに忚じた素晴ら
⑥
しい魅力を獲得していた。舞台機構の利用は最小限に抑えられていたと思うが、最後の場面での照明の利用
は、簡素でありつつ、決定的に鮮やかな印象を残すものであった。また、そもそも、劇場というものが、単に
優れた舞台機構を提供しうる空間というだけでなく、ホワイトキューブ的に均質化された空間、いわば過剰な
情報を排して上演のために最適化された空間であることの意味も、本作はあらためて提示していたように思わ
れる。物質性の剥き出しになったプリミティヴな空間と、物質性を消去した透明な空間、そのいずれともそれ
ぞれに親密な関係を結ぶ簡素なパフォーマンスの確かさ。今回二つの空間で『三月の5日間』を観て、そうし
たことを強く感じた。
いずれにせよ、先の2006年の上演も、会場であるスーパーデラックスはライブハウスであったわけであり、
今作に関しては、オーセンティックな劇場の中で『三月の5日間』を観る、という経験がもたらされたこと
が、何より大きな成果であった。チェルフィッチュのようなスタンスの作品の公演を行うことは、KAATという
劇場の広がりを指し示す点でも、きわめて意義があるように思う。
大盛況、おめでとうございます。友人ら2組がチケットを取ろうとしたら完売でとれなかったそうです。とて
も話題になっているのですね。4月の新作は是非自分で取って見に行きたいと思います。
今回はチェルフィッチュ2回目で、不思議な公演であることがわかっていたので、先にリーフレットに目を
通してみた。この公演が今のスタイルになる最初の公演だったこと、独特な身体性を取り入れるきっかけに
なったコラムなど、とても興味深かったが、公演の演出に解説が先についてしまったようで、私にとっては
評価内容 ちょっと先にネタバラシをされてしまったような感があった。当然、もらったものを後に読むか先に読むかは
⑦
個人の自由なので、結果しか受け入れられないけれど。
人称がころころかわる台詞、何度も繰り返されるエピソード、だらだらと意味があるのかないのかわからな
い動き、何度も繰り返されるエピソードをずっと見ていると、自分は睡眠中であるかの様な錯覚がおこる。
入り口で書籍が売っていたので、単行本を購入してみた。台詞そのままのような文章が書かれていて展開が
楽しみだ。チラシもいつもいいデザインのもので持っていて嬉しい。
文庫本のカバーをチラシで作ってみた。カワイイ。
なにゆえにチェルフィッチュがこれほど国内外で注目を集め、とくに「三月の5日間」が上演を重ねている
のだろうか? ひとえに、岡田利規の独自の方法論が、当時のイラク・アメリカ戦争という世界的な状況にお
けるハイテク戦力と内政干渉の泥沼化の現実への無力感、などの共有からくるものなのだろうか?
戦争と対比されるのは、あまりにも瑣末な、いまどきの若者の内向き過ぎるラブホテルを中心とした話題で
ある。それをあるイメージを形成、喚起するために岡田は「代話」という手法を使う。それに、一人の人格
を、だらだらとした現在の若者の日常的な口語を、複数の役者が語り継ぐ。意味と無関係な運動所作、ドラマ
評価内容
ティックなストーリー、音響効果、照明を徹底的に排した演出。そのフラットな表出感に、今どきの(一部
⑧
の)若者とコンテポラリー表現好きが共鳴しているように認識する。
方法論はたしかに「新しい」。桜井圭介のいう「コドモ身体」といまどきの日本の若者のダンス的な感覚も
あるのかもしれないが、私には「リアル」という感覚は持てない。共鳴できないというか。
「代話劇」という新しい?手法とはいえ、やはり「話劇」だ。延々とセックスを続けた二人なのに、何ひと
つ肉体からは痛みや経験を感じさせない芝居。文学的ではあるが、私が関心を寄せる演劇ではないということ
か。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
KAAT theツアー 劇場体験型ナゾ解きゲーム
「消えた衣裳をさがせ!」
実施日
1月13日(金)~15日(日)
人気のゲームソフト「レイトン教授シリーズ」を彷彿させる体験型ナゾ解きゲームで、普段KAATではあまり見
かけない親子連れやグループの参加が多く目についた。コンセプトはわかりやすく、用意された謎も、筆者の
ように慣れない人間にとっては簡単ではないものの、ゆっくり考えればなんとかクリアできるものだったのだ
と思う。謎が解けないまま舞台から降りて客席に戻った人数と、衣裳までたどり着き舞台で拍手された人数に
それほどの開きがなかったことからも、全体としては良質な謎で、ゲームとしてはかなり精度の高いものなの
ではないだろうか。エンターテイメントのイベントとして、入場料1,000円はお得感があるといっていい。
客席ロビーを探す第一段階を見る限り、何人かでグループを組んでいる参加者の方が謎解きは早く、写メで
撮影し情報を共有して課題解決のスピードアップを図る姿が、情報化社会の縮図のようで興味深かった。比較
的後まで残っていたのは親子2人連れや一人での参加組で、即席でもグループを組んで助け合えばクリアでき
そうなものだが、なかなかそうはならないようだ。第二段階での舞台での謎は、雰囲気づくりが面白く、最初
はあまりのわからなさに解く気力もなかったのだが、その場で起きていることを繰り返し見聞きことで不思議
と解けるようになっていたのは、作り方のうまさだと思った。しかし、筆者はこのコードの数字がわかった時
評価内容 点でタイムアップ。セリフは無論見つけておらず、バックステージに至らないステージツアーで終わった。ク
イズの答えは客席で解説され、「ナゾ解き」に関してはフラストレーションを持ち帰らずに済んだが、「劇場
①
の裏も表も楽しめる新感覚のバックステージツアー」というキャッチ・コピーに対する期待の地平からは、残
念なイベントというよりは「残念な自分」を持ち帰ることになった。
答えの解説では、早替えの衣裳部屋や最大規模のエレベーターへの言及はあったが、なぜ舞台ではブラック
ライトを使うのか、「奈落」とはなんなのか、など、実際に現物を見るにいたらなかった人間、あるいは見て
もなんのことやらわからなかった人間にも理解できるような説明があると、劇場への興味も多尐は満足できた
のではないだろうか。あるいは言葉では説明があったのかもしれないが、筆者の場合、謎解きで普段使わない
頭を酷使したため解説の言葉をちゃんと理解することができなかった。謎の映像だけでなく、説明されている
劇場内の「物」の映像があったら尐しは理解が楽だったかと思う。
かつて参加したドイツのベルリーナー・アンサンブル劇場のバックステージツアーでは、劇中で使われていた
人形などの小道具が無造作に置かれているのが垣間見え(実際にはツアーのために展示されていたのだろう
が)、回り舞台の仕組みなども見ることができたが、今回の企画でも、劇場に関しては尐し物知りになった気
分が味わえる演出があったら、謎が解けなくてもより楽しくなったのではないかと思った。
体験型の謎解きゲーム、一度参加して見たいと思っていた。1人で参加しても面白くないだろうとは思って
いたが、やはりその通りで、周りはわいわいとグループで参加していて、とても楽しそうなのが羨ましかっ
た。仲間同士で手分けしてヒントを探す人たちもいて、こういうイベントになれている人たちの様だった。
クイズは思っていたよりも難しく、また、本当に劇場の中をいろいろ回らないと謎が解けなくて、子連れの
親御さんは大変だなあと思う。そんな中でもスタッフさんが参加者の様子をこまめに見ていることと、話の仕
方が子供番組の出演者のようにうまいのに感心した。
劇場の裏側やスポットライトのあたった舞台上にも出られたり、普段見ることの出来ない場所が見られてと
評価内容
ても楽しかった。(想像より狭かった)楽屋で化粧している俳優さんなどがいたらもっと楽しい。ゲーム上の
②
悪役が出てきたり。
比較的安価で家族で楽しめる企画で、是非またやってほしい。
そのときは家族か友人と一緒にわいわいと参加したいと思う。
劇場の踊り場の中華街のチラシが置いてある所に、観劇後に食事が 楽しめる店のリストがあった。これは
とても嬉しい。是非中華街以外にも、横浜の洋食、フレンチ、カフェなど、いろいろな
周辺の情報もお知らせして欲しい。演目と関連したメニューを置いてあるお店があると嬉しい。
KAATとより身近に、親近感をつくるバックヤードをゲーム感覚で企画した内容は面白く、真剣になり夢中と
なった。
問題が難し過ぎて解答できず悔しさが残ったが、心の中には印象としてKAATの想い出が残った。
評価内容 達成感を残すなら70%以上の人が解答できる問題の方が今後に好印象を残すだろう。
③
このような企画は実際の公演へ結びつける上でも、マーケティング戦略の一環として、地道なKAATファンをつ
くる種まきとして、大事な試みであり高く評価したい。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
三浦基×太宰治
地点『ト カト ントン と』
実施日
2月9日(木)~2月14日(火)
『トカトントン』の男性が語る熱情と突然襲ってくる虚無感、『斜陽』の女性が語る無感動の中に突如沸き起
こる執着、原作の描く粘りつくような虚無と情念の交叉が、一種淡々と距離をもって描かれる。太宰の文章特
有の耳に快い響きを生かしながらも、語る主体を分散させ、擬音などで分断しながら、作品世界に観客を引き
込む舞台である。まず目を引くのが、背景となる舞台美術である。それは、きらきらと反射する光の動きが、
波を、爆撃を、風呂屋のタイルを、語り手の心象風景を「リアル」に描写する。そしてスタジオの空間全体が
作品世界に変わる時、この光の動きは、雄弁なもう一人の語り手となる。俳優らの歌声や爆音などの効果音の
包み込むような効果も、作品世界を構築する臨場感に一役買っている。その意味でこれは、KAAT大スタジオな
らではの作品ではないかと思う。
本作は、よく知られている太宰の原作によるため、地点の作品の中ではわかりやすい部類に属するといえる。
原作に描かれる虚無感は今日の我々の社会にも通底するものであり、さらに言えば「震災復興」という名でな
される突如沸きあがる熱情と、その断念も予感されている。敗戦から今日まで、「日本」がたどってきた道の
りは、「軍国主義」というイデオロギーが玉音放送とともに断念されたように、「革命」も「芸術」も単なる
新しいイデオロギーに過ぎなく、「トカトントン」という幻聴とともにふっとそこに向かう情熱が消えてしま
う、そうした挫折の繰り返しだったのである。
「人間はみな同じものだ」というのは、思想でもなく、イデオロギーですらなくて、「民衆の酒場から沸いて
評価内容 きた言葉」である。「貴族」を捨てきれなかった直治の遺言にあるこの言葉は、俳優の身体によって多声的に
語られる時、「同じ」という言葉のもつ「権力」が、原作以上に可視化される。世間を覆う見えない同調圧力
①
が、現状を刷新する方向へ向かおうとする努力や、幸せを夢みようとする努力をこの「同じ」という言葉で、
すべて奪い去っているように見えるのだ。これが「近代文学」で太宰が描こうとしたものであり、舞台がわか
りやすい形で示したものである。
が、本作の難解さは、太宰の主張を今日的意味に置き換えるだけで終わらず、その問いも引き受けている点に
あろう。原作の語りは「芸術」を扱う小説家に向かうが、それは彼らが小説家の中に「芸術」を見るからであ
る。そして『斜陽』のかず子は、幻想する姿とは似ても似つかない凡庸な人物とわかってもなお、どこかに向
かおうとする。三浦の作品も、言葉が届こうとする先は「芸術」という不在の場であるようにみえる。それ
は、近代における「芸術」の革命的意義を問うた1960年代や、芸術と恋愛関係にあろうとした1980年代のあり
方がもはや不可能になっている今日的状況に向けられている。三浦はそれでも舞台を作ろうとする意義を問う
ているのだろうか。作品世界に没入して見るような近代演劇の見方そのものも、ここでは批判されている。た
だ、それにしては、実際の子供を舞台に載せるラストはどこか違和感があり、この点に関しては筆者の深読み
のし過ぎなのかもしれない。
これは『海戦』の時も感じたことだが、2Fに展示してある関連書籍コーナーは大変有意義である。作品内容を
理解する上でも、また作り手側がどこまで考えて舞台を作っているのかを推測するためにも最低限の資料とな
るので、ぜひ他の劇場でも真似してもらいたいと思うほどである。
本作は、太宰治のテキストを原作とした作品である。そのタイトルは、端的に、これが『トカトントン』を
ベースにしたものであることを示唆しているが、しかしそこにはまた余剰も含まれている。『トカトントン
と』の末尾の「と」。この「と」は、『トカトントン』をまた別の何かと接続する。本作においては、字義ど
おりには、それは太宰のもう一つの作品『斜陽』である。二つの小説をベースとすることは、ごく一般的に考
えても、その作品世界を重層的なものにする。しかしながら、あらゆる構築的な意志がなし崩し的に脱臼され
ていく様を形象化した『トカトントン』と、「恋と革命」という今日ではむしろ戯画的にすら聞こえてしまう
ほどに峻烈なモチーフを、ヒロイックな破滅主義を基調としつつ描く『斜陽』という組み合わせは、互いの意
味を相互に異化しつつ活性化させるという意味で、特に巧みなものであった。
『トカトントンと』の末尾の「と」はまた、音韻的効果を担うものでもある。「to」の音が韻律を成しなが
評価内容 ら構成される「トカトントン」という擬音語に、さらなる韻律的反復をこの「と」は付け加えるのである。こ
の、「と」のもう一つの含意は、言うまでもなく、三浦演出のトレードマークとも言える、台詞の音節的構造
②
を自由に解体・再構成する発声法として作中に見出される。この点においても、本作のパフォーマンスの洗練
度は特筆に値するものであっただろう。
また、山本理顕氏による舞台美術は、本作の最大の見どころの一つであっただろう。舞台背面を埋め尽く
す、無数の金属製パネルのグリッドは、風にあおられて光を乱反射し、さざめく水面のようにも、あるいは陽
炎の揺らめきのようにも見える。それらが醸し出す「美しすぎる破滅」といった風情は、本作にとってこの上
なく適切な背景を成していたといえるだろう。
そして、最後の場面における子供の登場もきわめて印象深い。意志の脱臼としての「トカントン」を、しか
し、単なるずらしとしてではなく、〈大人〉=旧態的な世界からの離脱へと読み替えるある種の希望――それ
はまた、本作によって捉えられた太宰作品のアクチュアリティでもある――もそこには見出すことが出来た。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
舞台装置がおもしろい
登場退場を視界の可能、不可能を意識させているところに建築家としての思考を感じ、
感服いたしました。又、風の表現方法も興味深く、内容を効果的に伝達する事に成功していると
思われました。(ただ贅沢な効果だとうらやましく思いました。)
衣裳・・・今風でおもしろい。一人一人わずかに変化し、調和している。ただ一時間半重そうに
ひきずるのではなく一瞬ノーマルに静から肉体を感じさせてほしかった。
評価内容
発声・・・劇場が狭いので発声法はあの様で良かったのですか?
③
もう尐し抑揚のある台詞まわしがあっても・・・・内容が大変わかりやすいのでもう尐し
浮遊感のある時を期待いたしました。
私は芝居には門外漢なのでつい内容を追ったりして集中してしまうので尐し苦しくなって
しまうのでしょうか。戦後は何もなく、もっと何もない明るさを感じてました。(黒でなく)
ほんとに日本は貧しかったのです。父親の居ない友達も沢山おりました。今の様に離婚ではなく。
トカトントンはもっとやさしい発声の場があってもよかったのでは。
演劇の知識が余りないので適切な評価はよく分りませんが、舞台のバック大変よかったと
思います。
評価内容 玉音放送から始まるビックリするようなスタートでしたが、あの当時の驚きと人生の一大転換と
又安堵感と不安が入り混じった一瞬を味わった人々が段々尐なくなってきておりますが、終戦直後の
④
闇市や物々交換等、あの当時をひたすら夢中で生きてきた私たちには感慨深いものがあります。
現在の日本の状況からトカトントンと叩く精神状況が分るような気がします。
太宰治の作品を演劇にすることへの興味。終戦直後の日本を現在の姿に(生活や精神状況)つなげて表現した
い演出家の意図。工夫をこらした舞台美術。5人の役者の熱演。
評価内容 坦々なコンセプトも今の時代に演劇で観客へ投げかけるテーマとしても的を得ていると思った。
しかし、感動する場面がなかった。伝えたいことが演劇表現の中から見えてこなかったのは残念だった。
⑤
正直、こんなに評価するのが難しいことはなかった。
複雑な時代であればあるほど単純でやさしく、わかりやすい方が良い。
文化芸術の持つ力(本質)は人にうまれ、感動を伝えていくことにあると思っています。
劇場に入って一面に見える、張られたミラータイルのような装置が美しい。背面が映像を投影されるような装
置はみたことがあるが、ミラーと照明、空気の動きのみで表現されたものは今までみたことがない。また、舞
台のグランドラインというか表面が見えずに下がっているので、正面からは見えない舞台で寝転がっている役
者の姿などが抽象的に映し出されて、見えないのに存在のみを表現しているところが印象的だった。
衣装は、それ自体は面白かったけれど、役者とのなじみ、着こなし感があまり感じられなく、着せられてい
るように見えた。あれも、自分では望まなかった境遇におかれた太宰の表現なのであろうか。美術・衣装の仕
上がりはとても高いのだが、ちょっとバラバラな感じがした。
好みの問題であろうが、強く言い放つような台詞のやりとり、太宰の文体をそのまま読む様子、役者の発声
評価内容 方法や声質が私にはとても聞きづらかった。小気味よいおかしさ、を感じるまでにはいかなかった。この戦時
中や混乱を思わせる衣装と、叫ぶような台詞のやり取りから、反戦・反体制のような内容を想像してしまう。
⑥
全体としてはそうなのかもしれないけれど、ちょっと目的とは違うものを想像してしまうのは、見方の問題だ
ろうか。
役者全員がトンカチで舞台をたたき、背面のミラーには赤い色と波紋が現れた「トカトントンと」のノイズ
による音楽のシーンはエネルギッシュでとてもよかった。「トカトントンと」たたいているときに、役者の一
人がくちの動きで「トカトントンと」一緒にいうように促していたような時があったのだが、この流れで観客
はいわないだろう、という感じがした。あれは乗って口ずさむべきだったのか、空回りしている様子を見るべ
きだったのだろうかわからない。
私には難しくてよくわからなかったのだが、違う演目を見てみたいと思う。
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公益財団法人 神奈川芸術文化財団
三浦さんの手法は、それこそ文字どおり「手」のうちに入っていて、まったく見事なものでした。とくにこの
公演では、太宰の内面的な自己分裂(アイロニー)と日本の歴史的な自己分裂(敗戦)を重ね合わせて提示し
ようとしているように思いましたが、そのとき「地点語」の途切れ言葉は強力なツールになったでしょう。は
じめから成功を当てこんで、というか規定事項として折り込みながら制作される商業演劇ならともかく、小劇
場系の芝居でほぼ満員大入りというのはよほどのことです。もっともこれには、単に公演の質が高いというだ
評価内容 けではなく、企画段階からの状況把握が深くまた的確であったということも意味しているはずです。それはパ
ンフレットに掲載されたインタビューを読むとわかります。公共劇場の公共性とはなにか、と考えたとき、
⑦
もっとも安易な結論は「なんでもやる」という判断ですが、これは下手をすると責任回避のロジックにもなり
かねません。KAATは、たとえば地点のような劇団と共同制作をすることで、「うちはこういう劇場である」と
いう、いわば「顔」のようなものをみずから示された。なかなかできることではないですし、またその「顔」
のセレクトが正しいということは、繰り返しになりますが、観客動員が証明しているとおりです。将来の展開
が、とても楽しみになりました。
KAATが三浦基を招聘した『Kappa/或小説』は拝見していないが、これまでの三浦の作品(『三人姉妹』、
『ところでアルトーさん、』など)を見る限り、素材とするテクスト以前に、舞台上の要素を「断片化」して
いくことで何かが生まれる、という演出家の信念が先にありきで、テクストが入念に読み込まれていないとい
う感想をもたざるをえず、そうした見解は、『トカトントンと』を見たあとでも、覆されることはなく、むし
ろ深まった。
もっとも、三浦作品が2000年代以降の構造的な不況や偶然的な災厄をなぞるような雰囲気を醸し出してい
評価内容
る、というような評は可能だが、それはいつものことであり、それゆえに素材としたテクストが新しい作品提
⑧
供の口実(プレテクスト)となっているような印象を受ける。
また、「ポストドラマ」(「断片性」「コロス性」)などという言辞を伴って、こうした上演の傾向を称揚
する向きが仮にもあれば、わたしはそれに賛同しない。雰囲気で観客を煙に巻くだけの公演は、思わせぶりの
プレイボーイのようなものであり、それ以前の問題である。
以上のような観点からすれば、この演出家の起用がKAATのテーマ(「NIPPON文学」)に適っていたかどう
か、ひとまず再考の余地があろう。
6年ほど前だろうか、セゾン文化財団の会合で顔を合わせ、「地点|京都」という劇団名と、取り組んでい
る演劇の方向性を知って三浦基の才能を感じたのは。すでに四半世紀前、演劇に醒めてしまった私は、現代の
演劇はほとんど観ていない。昨年の公演も震災の影響で観られず、地点の公演を観るのは初めての体験となっ
た(昨年、三浦基構成、阿部聡子と舞踏家の踊り?は観たが)。大判の気合いを感じさせるチラシ(兼ポス
ター?)からも、劇場のやる気というものが推し量れた。
だが端的にいって、意欲作ではあったが、けして成功作とはいえるものではなかったと思う。
演出の三浦は、現代演劇をよく識り、研究していると思う。演劇の概念・構造を疑い、安易な演劇手法に乗
らず、構成から台詞の分節化と発語法、舞台空間、音、照明ふくめ、新たに劇的なものを隆起させようとして
いることはわかる。かつての鈴木忠志や太田省吾らの演出の影響もうかがいしれる。
なにもない更地。戦中戦後の太宰治の小説と現在をつなぎ、日本人の批判的にとらえ直すにあたり、遠景が
低くなる逆さの八百屋舞台という構造はいい。衣装は、地名もあったり意味付けされた新しさを感じたが。最
大の特徴である舞台美術の背後銀幕。それによって、焼け野原から現在まで吹く「風」を現せたかといえば、
そういった感覚は抱けなかった。ただの物質、美術として襞のような銀幕が海や夕陽に色付いたり、風に揺れ
評価内容
るのは美しい。ただ、劇と結びつき、風を感じさせるにいたっていない。
⑨
山本理顕はすぐれた建築観をもった人だが、舞台はどうか。演出家の観念、建築家のコンセプトの強さが見
えてくる。もしこの美術ならば、私は扇風機など使わずに人間の手で扇いだと思う。機械音など気にせずに、
最大限、有機的に美術を生かし、感覚に働きかけることに手間ひまをかけ、その効果を信じただろう。
俳優たちは、舞台での立ち位置を指示されたまるでオブジェのようだ。発語文体を複雑化しても、その役者
固有の内面との関連、表情が、言葉とからだから立ち上がってこない。阿部聡子のように、すこしニュアンス
を持っている存在はある。しかし、詰まるところ、どんな舞台設定、演出であっても朗読劇の印象は拭えな
い。劇と役者に肉体がないのだ。動けば、演じればいいというものではない。ただ立っていることの、歩くこ
と、発語することの磨き方、深め方と、他者や世界との関わりが、演出ともどもまだ成熟していないのではな
いだろうか。太宰治が悶々と身を焦がし、捻れるような想念と言語、戦後日本の空間はこのようなものではな
いと思う。
日本の劇場で、仕込みやリハーサルが1ヶ月も取れて、予算と手間暇をかけられるようになったことは素晴
らしく、画期的なことだ。そして、若い有望な演劇人と組んで、意欲的な実験劇を創作発表することは頼もし
い。ただし、チェルフィッチュにしても、若い演劇人の不足を補うような劇場力をもって推進して欲しい。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
ウィル・タケット×首藤康之 『鶴』
実施日
1月13日(金)~1月15日(日)
いつにも増して今回は、いわゆる「芸術的水準」の高さが他の評価項目のなかで突出していたように思いま
す。そもそも、日本人ならだれでも知っている(原作を読んだことのある人間は、わたくしも含めて、ほとん
ど存在しないといっていいくらい微々たる数であるにもかかわらず)物語を、外国人のスタッフとキャストを
中心に制作するとなると、その時点ですでに、まったく不毛な文化ナショナリズム的な言説(と対抗言説)が
発生することは、実際そういうことがあったかどうかは寡聞にして存じませんが、理論上はやはり避けがた
い。ところがこの公演は、「観ればわかります」とでもいうのか、具体的な舞台表現において、それをあらか
じめ解決してしまっていたかのようにも思われます。たとえば、全体の構造を赤/白/灰色の色彩によって抽
象的に規定したり、あるいはまた、空間構成の観点からするなら、機織機の装置を巨大化させ、しかも舞台面
評価内容 に対して垂直に屹立させたりといった工夫が、個人的にはとくに目を引きました。ナショナルな物語をグロー
バルな環境で作品化していくときの、模範的な解答のひとつですらあったと思います。同時にこれは、「鶴の
①
恩返し」に対するわれわれの解釈の幅を広げてくれることにもつながるので、たとえばあの機織機の装置にお
つう役のダンサーが身体を絡めとられるかのようなシーンを見て、「自己犠牲としての恩返し」という機制の
アイロニーに対する認識をあらたにする観客もいるでしょうし、あるいはまた、巨大な生産機構を作動させる
ために、人間が文字どおり自分の身を削らざるを得ないという状況のアレゴリーを読み取る人もいるでしょ
う。ともあれ、いまやKAATでは、先端的な舞台表現とその一般的な受容が理想的なレベルで緊密に連動してい
るように思います。首藤さんの人気や、それを下からささえるバレエカルチャーの盛り上がりということも、
むろんあったでしょうが、それはそれとして、KAATならばちょっと難しそうでも面白いだろうという安心感
が、もはや観客のなかには定着しているようにも思います(さしたる根拠はありませんが、予感として)。
首藤康之氏を始めとするダンサー陣の健闘は良しとする。しかしトータルな舞台上の成果という事になると、
どうにもちぐはぐな印象である。
舞踊劇はそのダンサーが持つダンスのスタイルと舞台上の様式、題材の持つ必要性をどうマッチさせるかが大
きなポイントになる。この舞台の場合、そこがうまくいっていたとは言えない。
まずウィル・タケット氏であるが、日本の題材に英語のナレーションを入れ、さらに字幕を出すという事の意
味がまったく判らない。そしてこの題材を彼流に翻案したのであろうが「鶴の恩返し」とは全くそぐわない夫
評価内容
婦不和の様な背景を無理矢理押し込んで来るのが理解出来ない。
②
我々があちらの題材をあちらで公演するのであれば、細心の注意を払うはずであるがその様な謙虚さは感じら
れない。白人特有の文化的優越感を感じてしまう。
又、人形表現に関しては未熟である。舞台美術に関しても疑問が残る。
この題材は、最大の見せ場になるべき鶴の機織りが隠されている、という事が舞台や映像にする時、とても難
しい問題になる。この部分はやはり解決されているとは言えず、凡庸な表現に終始した。
出演者達の「ダンス」という最大の武器を生かし切れていないもどかしさが残る舞台であった。
演出家は日本を表現するのは止めようと思われたそうですが、それならなぜ首藤氏だけが日本の具象的な民族
衣装、しかも貧しいイメージの田舎者の衣裳だったのか?
他のダンサーばかなりデフォルメされた衣裳でおもしろかったが・・・・
又、セットを抽象的にしたとありますが、むしろ日本の障子をイメージした動くセットは、とても立派でどう
しても貧しいイメージは受け取れませんでした。
評価内容
鶴役のダンサーも表現力はありましたが、乙女のイメージではないし、衣裳も他のダンサーの様な現代的に
③
デフォルメされたものではありません。
日本的にしなかったとおっしゃるなら、人間の相反する感情を表現する別のストーリーでもよかったので
は?日本の民話をとりあげ、日本で上演するなら、もっと日本人の気持ちを研究し、更に一歩進んだ演出を手
掛けてほしい。贅沢な舞台であった事は強く感じられましたが・・・・
鶴の操作と立派なセットが印象に残り、ダンス不在でした。残念です。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
まさにコラボレーションの粋であり、総合芸術の舞台であろう。表現力と演技力を兼ね備えた質の高いダン
ス、視覚的に物語を支えるセノグラフィー、ドラマの内面を表現する尺八の音と英語による詩の発話、それら
が一体となって稀に見る美しい舞台を作り出していた。特に冒頭のプロジェクションによる葦や鶴を背景に踊
る首藤の動きは、日本人が持っている「鶴」のイメージを見事に描き出し、「民話」という寓話(Fabel)的
世界観をシンボリックに示していたように思う。
英国人の視点による「鶴の恩返し」の読み換えは、3つの点で興味深かった。民話では嫁にせよ娘にせよすぐ
に「恩返し」を始めるのであまり問題にされない点だが、『鶴』では家族の捉え方が1つのテーマとなってい
る。子供のない夫婦の元に子供が来る話は「桃太郎」「輝夜姫」など多くあるが、日本では夫婦関係はあまり
問題にされない。しかし本作では西洋の文脈にふさわしく、夫婦が家族の基調となっていた。子がいるべき
「家族」に子供がいないのではなく、子の不在は夫婦の愛の埋められない溝なのである。
貧困問題もより強調されていたように思う。寂寥感を表す「灰色gray」が繰り返しナレーターにより発話され
る。灰色は彼らの家から立ち上る煙の色であり、妻が織る布の色であり、若さを失った彼らの活気のなさも表
している。「からっぽのゆりかご」など子供がいないことが二人の不和の原因として暗示されるが、貧しさも
またその原因である。鶴=娘が彼らの子供になって「幸福」と言いながらも、貧しさは変わらないため灰色の
影が彼らを取り囲んだままなのだ。
3つ目は「鶴」の身体性の強調である。ダンスやプロジェクションによるイメージだけでなく、具体的にパ
ペットの「鶴」が登場するのに尐なからず驚いた。たぶん実際の動きをまねたであろうパペットの動きは、鶴
評価内容 といえば滑空している姿か羽を日航のマークのように前に向けて広げる姿が焼き付いている筆者にはどちらか
④
といえば白鳥や鷲を連想させるものではあったが、ダンスとパペットの組み合わせは具体的で面白いもので
あった。また布に織り込められるのは羽毛だけでなくその血や肉までというのも、キリスト教文化にある西洋
人ならではの視点のように感じる。血や肉をもつ存在として見るとき、単なるイメージとしてではなく、実体
としての鶴=娘の「死」が感じられた。胸から血を流し、肉や羽を失った鶴=娘は二度と彼らの前に姿を見せ
ることはない、それは飛び立つからではなく、死んでしまうからだということがneverの繰り返しではっきり
と伝わってくる。鶴=娘は見るなの約束を破ったからではなく、人の消費欲のために死んでいくのだ。
物語の筋行動は主として詩の言葉とダンサーの動きで示されていたが、全体として雄弁に舞台を物語っていた
のはセノグラフィーである。経糸と横糸を表す綱は機織りをイメージさせるとともに、人間を縛るしがらみに
もみえる。妻が灰色の布を織る場面はその意味でも印象的である。布を織る娘を影で表現することで、身体の
大きさを実寸ではなく心理的な大きさで見せる。舞台上方から落ちてくる綾錦は、その存在感で舞台と観客席
にいるもの皆の目を奪い、くずおれている娘の存在を一瞬忘れさせる。富や美にいかに我々は弱いことか。と
同時に、縦のラインが強調されることで、ダンサーの身体周辺に偏りがちな観客の視線は、舞台全体の表現空
間に向かい、全体を覆う暗さに気づかされる。照明で「暗さ」を作り出すことで、物語のもつ悲劇性を表現し
ていた点は非常に興味深かった。
「NIPPON文学シリーズ」の斬新さを文字通り示すような舞台であっただけに、チラシが著名なキャスト・ス
タッフの紹介でしかないのを改めて尐し残念に思った。
舞台も衣装も詩も詩の朗読も音楽もダンサーも、すべて素晴らしかった。今回の公演を観て、KAATが日本文
学のシリーズで言いたいことはこういうことではないだろうか、というのがわかったような気がする。今まで
自分が日本文学を楽しむ場合に、日本語の響きが美しい、という点に重きを置いていたのだが(もちろんそれ
はとても大切なことだが)、外国文学も翻訳で十分楽しんでいるということに改めて気がついた。音の響きと
いうこと以外にも物語そのものを持って、世界の文学の中に日本文学の存在を明らかにしようという思いが感
じられた。そしてそれは今回の作品で達成されているように思う。前回の八雲の朗読で、英語訛が聞きづら
かったと思ったが、そういうことではないのだ。
障子、移動可能なパーテーション(白いパネルと、照明に寄る空間の仕切り)、パーテーションの後ろの存
評価内容
在を、存在だけ感じさせて姿は見せないといった日本建築をイメージした美術、そこに映し出される、空間性
⑤
豊かな美しい映像空間だけでもとても美しかった。「鶴」であり、「尐女」であるダンサーのリフトに続くリ
フトも鳥のような、尐女の軽やかな感じと、夫婦の喜びがとてもよく表されていた。そもそもあんなに続くリ
フトを観たことがない。そのリフトも持ち上げられるダンサーのポーズも、支える方のポーズも高い位置で
キャッチできていて全く重さを感じなかった。。
尺八の生演奏もとても空間に奥行きを持たせていて、その他の音楽とともにサントラが欲しいと思ったが売っ
ていなかったのが残念だ。鶴のパペットは作りがとても美しかったが、なぜあれを黒子でなく、ダンサーが
操っていたのかがわからなかった。料金価格について、この舞台では安いと思うがこのくらいの設定だととて
も嬉しい。ぜひもう一度観てみたい舞台である。
日本の民話が外国人に依ってダンスという形で公演されたことに大変な驚きを感じました。
ストーリーは私達のよく知っているものだったことに助けられましたが難しかったです。
評価内容
私は2Fに席を取って頂きましたが舞台の天井に近い部分に取り付けられていた2ヶもしくは3ヶの閃光が
⑥
非常に強く、字幕の字がよく読めない時がしばしばありました。
ダンスと和洋の協奏は素晴しかったです。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
日本人ならば誰もが知っている「鶴の恩返し」が、国籍などは関係なく普遍的な人間性を感じさせる物語に変
化していた。幸か不幸か日本人として日本的な精神でどうしても見てしまう点が多々あったものの、日本的な
要素に固執せず、よりインターナショナルな感性で創り上げられたこの舞台を、海外で公演し、その地の観客
評価内容
がどのような目で見るのか、という興味が非常に湧いた。
⑦
ダンス、朗読、尺八と一見ばらばらなジャンルの出演者たちは、全く違和感、異色感を感じさせない一つの
世界を創り、それぞれの出演者の高い技術、芸術表現による洗練された舞台に贅沢な上質の時を過ごすことが
出来た。
評価内容
大変質の高い本当の芸術作品を鑑賞させて頂きました。
⑧
日本の絵巻物を思わせるパネル・映像の要素と、奥行きの構成が立体的に組み合わり、空間構成に見忚えがあ
りました。
海外での上演を考えれば、ストーリーテラーが入る可能性が大いにあると思いますが、ダンサーの身体性と、
セノグラフィで充分に物語が伝わること、また日本では『鶴の恩返し』という物語はとてもなじみのあるもの
評価内容
だということを考えると、今回の上演ではストーリーテリングと字幕は不可欠な要素とは思いませんでした。
⑨
字幕があることにより、上演を物語で見てしまい、ダンサーの身体を直接受け取ることを制御してしまったよ
うに思います。
チラシを見た段階では、首藤さんが鶴の役をするのかと思っていましたので、配役が意外でしたが、出演者の
方たちも素晴らしかったです。
KAAT主催のダンス公演として、とてもオリジナリティのある公演だったように思う。作品自体についての評
価ではないが、『鶴』はクラシック・バレエをベースにしたダンス公演であった(そのため非常に「まじめ
な」作品であった)ため、時に「悪ふざけ」のあるコンテンポラリー・ダンス、あるいは演劇的なダンスな
ど、今後さらなるダンス公演を展開する制作の手腕が期待される。
一例として、さいたま芸術劇場でイデビアン・クルーの井手茂太などが、日本の昔ばなしをダンスで綴るシ
評価内容 リーズを展開している(そして好評を博している)。もっとも、このシリーズは「子どものためのダンス」で
あるが、とはいえダンスを「楽しむ」ための作品の提供こそが、日本のダンス文化を豊かなものにしていく以
⑩
上、公立劇場におけるこうした取り組みは重要である。
芸術監督がミュージカル専門であることから、KAAT主催のダンス公演は残念ながら多くはなかった。しか
し、コンテンポラリー・ダンスやパフォーマンスの類いの公演は、亜門氏のいう「なぜ生きるのか、どのよう
にして生きるのか」という劇場のテーマを、より具体的に提示する力をもっている。それゆえ、この種の主催
公演が企画され、「美しいものを見る」だけの(保守的な)劇場観を打破するだけの力を発揮してほしい。
残念ながら、これは「ダンス」ではない。「ダンスシアター」ではあるかもしれないが。
踊りの美質をそぐ方向性と演出(ウィル・タケット)で、私にとってはひどく演劇的な舞台。それは今、欧
米の劇場に乗せることを前提にした、ダンスの要素をつつんだ「演劇」といえまいか。長年、ダンスの領域
で、言葉で言い表せない感情や感覚をからだ一つ(を軸として)で表現する格闘を見てきた立場からすると、
延々と詩のようなストーリーを役者が語り、それをマイムと動きで説明する様は、言葉、意味、物語という病
に肉体と踊りの感覚を埋もれさせるような手法に見えて残念だった。
それに、日本人誰もが知る「鶴の恩返し」を、さも意味ありげな詩的言語の英語でつたえ、日本語に訳した
大写しの翻訳字幕は舞台上部に投影される。意味や物語をもとめる観客は、からだそっちのけで字幕を見てし
まうではないか。勿体ないことに、踊りを見ずして言葉・筋を追う。
演出全般に、日本の芸能の仕組み、機能を取り込んでいる工夫は良かったが、西洋的に額面(空間)を埋め
ようという志向だろうか。これでは、ダンスの感覚を求めて観に来た人には到底満足を得られない。日本人誰
も知っている物語だからこそ、脚色で普遍的のものを狙っても、言葉や意味を凌駕して、自由な想像力や驚
き、喜びに心とからだがうごくものでなくてはならないと私は思う。
評価内容
和風の美術や衣装、スクリーンの影絵などは視覚的にきれいだった。しかし、せっかくの美しい布や鶴の印
⑪
象が、物語ほど変化が感じなかったのは、藤原道山の尺八演奏とずっと同じ質感のサウンドにも起因している
ように感じた。終盤、開けてはいけいない機織り部屋の戸を開けて、鶴娘がみずからの血肉をもって機織りし
ているシーンはすごみのある美しさだったが衝撃とはいえなかった。最後、脱力した鶴娘のからだをリフトさ
せるあたりから、人形で飛翔するシーンまでは、人類共通の哀しみの原質にすこしだけ触れ得たのはよかった
が。
首藤ファンは、見せ場が尐ない作品で残念だったかもしれないが、比類のない舞踊的身体は、老父の歩行や
ちょっとした仕草でも存在感と踊りを感じさせ、鶴娘とともにバレエ的な優美さを醸し出した(機織りの影の
踊りなども見事だった)。鶴の人形遣いは、黒子的にもっと遣い手の肉体感を薄めてはどうか。すべてを躍動
的に見せるというのは、日本的感覚からすると過剰だ。
国際共同制作が、グローバル化した舞台の産業化に貢献するだけであれば残念だ。ダンスと演劇は違う。ダ
ンスを好む人の質も違う。KAATには、世界の商業的劇場の流行や、多数の演劇ファンに受けることなどあまり
気にせず、「これが踊りだ」「これも踊りだ」という踊り好きの魂とからだを惹き付ける舞台を創って欲しい
と思う。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
ブルガリアン・ヴォイス
実施日
10月10日(月祝)
この演奏については民謡だと思うので、ヨーロッパの声楽的な見地からは評価は出来ないが、東欧の生ではな
評価内容 かなか触れられないジャンルなので貴重な演奏会だと思う。それぞれの声の力強さはさすが東欧人と思った
が、欲を言えばもう尐し繊細な表現があっても良いかなと思った。
①
でも合唱ファンの多さにはいつも驚かされる。会場一杯のお客様を見るのは本当に嬉しいことだ。
今回5度目の来日となるブルガリアン・ヴォイスの合唱を拝聴し、そのボリフォニーの響きに魅了された。一
人一人がソリストとしての実力を持たれるメンバーが、その実力を十分に発揮し乍らの合唱が素晴らしかっ
た。特に第二部の(2)娘よ、一日中ひとりぼっちで・・・・、と(8)のダニョの母が感銘を受けた。その
評価内容 歌唱力とハーモニーがよかったと思う。きれいな民族衣装と共にその原点となる民俗の文化や歴史、宗教の根
強さを感じた。
②
私は今回はじめての参加ですが、一般的な近代的な音楽と同時に今回のようなプログラムを時々揺入して頂
き広く世界の文化に触れることも楽しいことだと思う。特殊なプログラムかと思っておりましたが、観客の多
さと熱烈なファンに意外さと自分の未熟さを感じた。
「懐かしい」といってはいささか失礼かもしれない。私の世代だと、かつて世界の民俗音楽が盛んに紹介され
はじめた時代にその先駆けとなった音色の様に記憶している。
当時といささかも変わらない独特の音色が音楽堂に響き、大変気持ちの良い一時であった。私にとってはその
評価内容 様にいささかのノスタルジーを感じるものなので、果たして現代の観客が足を運んでくれるのだろうかと心配
したが、杞憂であった。やはり人を引きつけて放さない魅力があるのだろう。
③
このブルガリアン・ヴォイスを聞くと、「声の力」というものを強く感じる。肉体の暖かさ、強さ、美しさが
伝わってくる。これは声だけの魅力であり、地声の強みであろう。
又聞く機会がある事を祈る。
評価内容 大変興味深く聴く事ができた。日本の文化も海外に紹介できるものが多くあると思っているが、それができて
いるのだろうかと逆に思った。いずれにしても、各国の文化は様々であると実感した。
④
興味を持って聴かせてもらった。
但し純粋な響きやハーモニーの美しさ、芸術性は期待できなかった。
素朴な民族音楽として楽しむコンサートだった。はっきり言ってあの地声とハーモニーのいい加減さはには、
評価内容
一度聴いたらもういいという感じである。伝統あるクラシック声楽(コーラス)とは比べても仕方がないだろ
⑤
う。
でも、お客様は喜んでいた、高尚なばかりが芸術ではないですから。せめて、言葉(歌詞)が尐し解る工夫が
あっても良いと思った。
評価内容 素晴らしい声、独特の歌唱法、個性的なハーモニー、この合唱団の魅力を十分に味わうことが出来ました。人
の声が持つ多様な可能性に改めて気付かされたコンサートでした。
⑥
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
第46回クリスマス音楽会「メサイア」演奏会
実施日
12月11日(日)
クリスマス音楽会として、キリストの生涯と聖書を紐解く機会となり、日本は震災による甚大な被害と尊い命
を失う中、この「メサイア」の歌詞は心に響いてくる。自然との芝生から生まれる音楽文化の尊さと価値が希
薄になる中、現代の物質的文明社会の発展への一つの警鐘としても、宗教音楽の持つ役割は大きなものになっ
評価内容 ている。ルネッサンス、バロックの時代と現代をつなげていく価値のある素晴らしい企画であり、若い世代の
高校生も合唱に参加して幅広い内容で継続していくことは大きな意義がある。46年の長期に亘る熱意と情熱に
①
は頭が下がる。今後さらに継続し成長していくことを願っている。音楽は人々の心を豊かにし、潤いと癒しを
与え、生きる力へとつなげていく為にこの世に生まれてきたもの。宗教音楽がクラシック音楽の原産であるこ
とを伝えている。
年末の「第九」と並ぶ風物詩ですね。クリスマスシーズンにうってつけの格調高い「メサイア」
これからもずっと続けて欲しいです。
評価内容 但し、声楽Soloや合唱そしてオーケストラにはがっかり・・・。
芸術文化財団の指名するSoloの歌手にはいつも満足したことがない。もっと実力者、我々を惹きつける魅力あ
②
る歌手を雇わないのでしょうか。オーケストラ(神フィル)も小編成のせいか手抜き、特にVnはいただけな
い。合唱は一生懸命でしたがアマチュアなので致し方ないですね、声圧の貧弱さは盛り上がりに欠けますね。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
音楽堂ニューイヤー・コンサート
日本の音でお正月!
実施日
1月21日(土)
華やかに、雅に日本の音に満ちた音楽会でした。
第一部「茂山家の舞初式」厳粛に緊張感ある所作と舞と謡に感動しました。
「春の海」では新しい表現の探求でしょうかマリンバと尺八のアンサンブル。おもしろい試みであり一定の効
評価内容
果があったと思いますが、即興演奏の部分に違和感もありました。
①
「三番三」によせては出演した皆さんの御苦心が語られましたが、非常におもしろく聴かせて頂きました。こ
の曲では一転マリンバのオスティナートが非常に効果的に扱われこの楽器の良さがうまく生かされていたと思
います。舞楽は古の雅を堪能しました。
今回の企画のような公演は始めてで大変興味深く、楽しく観賞しました。
「三番三」によせては素晴らしかったです。尺八とマリンバのコラボレーション。あのようにピッタリ息の
評価内容 合った演奏をするには相当の御苦労があったことと思いますが是非これからも生かしていって頂きたいと思い
ました。年の始めに日本の伝統文化との様々なコラボレーションに依って幅広く日本の音が広がり末長く多く
②
の人々に愛され続けてゆくことは大変よろこばしいことです。年の始めにこのような企画を続けて頂けるよう
のぞんでいます。
日本人に生まれてよかったと純粋に思えたステージ。日本の舞、音楽の持つ深さ、出演者の方々の所作の美し
さは同じ遺伝子を持つ者として誇りに思い、その魅力を再認識した。
前半と後半の大掛かりな舞台チェンジや舞台を格調高く演出した仮屋崎氏の「花」や鮮やかな衣装、伝統楽
器の演奏のみならずその可能性を探る現代楽器とのコラボレーション、そして狂言から舞楽までととにかく多
彩な内容に、休憩中の箏と尺八の演奏。音楽堂からの福袋とでも言った感の贅沢なそしてお祝い感溢れる会場
評価内容
に、ご来場の方々も心から楽しんでいたように思う。
③
とかく西洋の文化に囲まれ、古来からの伝統文化に触れることの尐なくなってしまった私達に伝統を教えてく
れるこのようなコンサートは、数も尐なく貴重なものである。その上、行ってみたいという興味はあっても、
自ら探し、行ったこともない場所(能楽堂など)に足を運ぶことはなかなかないこと。しかしこのように普段
行き慣れているホールの年間スケジュールに入れて頂くと途端にとても身近な事になる。是非ともこのような
機会をこの先も私達に与えて頂きたいと願う。
前日の雪が残っているとはいえ、正月気分がすでに抜けた頃なので、もう尐し早く開催できたらよかった。
しかし、これだけ豪華に盛った“おせち料理”の会だからそのへんはやむなし。日本の伝統音楽・芸能・華道
に新味も加えながら、豪勢に振る舞った音楽堂スタッフの心意気にこそ感謝したい。
まず、ホワイエでの筝と尺八の演奏が華やかさを添える。舞台では、茂山家の年頭の行事「舞初式」を拝見
できるとは思わなかった。京都の旧家で長らく続いてきた儀礼が、音楽堂で違和感なく、私たちが立ち会って
いる不思議を感じながら、松を神様に見立て、次々に拝礼。拍手を打ち、謡や小舞を演じる様は、芸能と祈願
の原点にふれた貴重な体験だった。
「春の海」を、尺八とマリンバの編成で演奏する試みは、今までにない演奏の緊張感や新しさを生んでいる
が、私にはちょっとフィットしない。藤原道山の尺八の音色が西洋音楽的な巧さが、尺八本来の風味を削いで
いると思っている。SINSKEのマリンバとともに意欲は感じるものの、名曲のちょっとした新アレンジといった
評価内容 ところか。そういった点で、「『三番三』によせて」は、舞の千三郎、囃子の田中傳次郎が加わったことで、
よりフュージョン的実験性が高まり、傳次郎の絶妙な音頭取りもあって、謡と尺八とマリンバと舞のハーモ
④
ニーが「新春に、“むくりむくり”と起き出す地の神様…」、この芸能事始めをうまく導きだす楽しさがあっ
た。狂言「福の神」はまさにふさわしい演目。木の音楽堂は、芸能にもよく合う空間で素晴らしい。
東京楽所の舞楽「春庭花」。前回の雅楽公演の時は、篳篥の山田文彦の音が抜きん出てよかったが、今回は
アンサンブルとしてよりまとまっていた気がする。四人の舞も、左方平舞らしく、うごきの緩急の情緒が華や
かで、正月にふさわしかった。中央にあった假屋崎省吾の「松」も、左右の袖近くに別れ、その引き締まった
緑が場内を清め、しめた。
ひとつ残念だったのが、休憩時、ホワイエでの筝と尺八の演奏がまだ終わらないのにチャイムが鳴り、聴い
ていたお客さんが一斉に場内に戻ってしまったこと。そのことにある男性が声を荒げて抗議していたが、演奏
者、聴衆双方のためにも、演奏後にチャイムを入れることが妥当でしょう。せっかくの大盤振る舞いなのに、
目出たい気分に水を差されるのは何とももったいない話です。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
モンテヴェルディ作曲
聖母マリアの夕べの祈り
実施日
1月27日(金)
平日/ソワレ/クラシック(しかも古楽)という組み合わせはひさしぶりでした。アントネッロの「聖母マリ
ア」に、賛否両論があるのは知っていましたが(休憩中のロビーでも驚きの声が聞かれました)、さすがに手
慣れた演奏で、むしろ安心して聴いていられたというのが個人的な感想です。それよりわたしの目を引いたの
は、演劇やダンスの場合とは客層がまったく異なるということでした。ざっと拝見したところ、後期高齢者男
性の割合が、他ジャンルの公演よりずっと多いように思われます。これが平日の夜のクラシックコンサートゆ
えのことなのか、それともアントネッロのファンということなのか、さらには音楽堂の固定客ということなの
評価内容 かはわかりません。しかし、このコンサートで学生3000円というのは、きわめて良心的な、というかほとんど
破壊的な価格設定であるにもかかわらず、予想していたほど客席が若やいでいなかったのは事実です。もちろ
①
ん、キャピキャピしていればいいという問題ではないのですが、たとえばこれで字幕がついていたらどうだっ
たろうか(演奏者側のご意向は考えないとして)とか、またなにしろバッハよりも古い音楽ですから、簡単な
解説のようなものがあったらどうだったろうかとか、そんなことを想像しもしました。ひとくちに文化芸術事
業といっても、その企画立案や実施、さらには評価においてすら、相当に複合的な要因を、長期的な展望に
立って考慮しなければならないようです。以上はすべて「ないものねだり」というもので、逆に申し上げるな
ら、「ないものねだり」をしたくなるくらい、とても充実したコンサートだったいうことです。
音響的、音楽的な事を考えての事と思いますが、動きがありすぎ、舞台上の人の動きが大変気になりました。
評価内容
そして音楽的効果があったとは感じられませんでした。効果は目で出すのではなく耳で得るものと考えます。
②
音楽堂ではの判断が必要だと思います。全体に雑然としたものを感じてしまい残念でした。
モンテヴェルディ、しかも演目は「聖母マリアの夕べの祈り」のみ。これだけではいかにも通好みで分かる
人にしか分からない世界なのかと思いきや、この時代に詳しくない人でも飽きることなく大変楽しめる舞台で
あったと思う。
これは一つには演奏に使用された様々な古楽器の中には普段なかなか見ることのない楽器もあり、その響き
評価内容
を楽しめたこともあるが、何よりも偏に演奏者の質の高さだと思う。一人一人の奏者のなんと生き生きとして
③
いたことか。全ての人がこの作品をそして何よりも古楽を心から愛し、真摯に古楽に向かい合っていることが
伝わってきた。その個々の熱い想い溢れる演奏、そして高い演奏技術に支えられた絶妙なハーモニーが“木の
ホール、音楽堂”の木々と共鳴し、心身の琴線に優しく触れる響きを生み出し、得も言われぬ時空を創造して
いた。
初期イタリア・バロックを代表する宗教音楽の大作で、期待通りの充実した公演だった。演奏も、我が国にお
ける初期イタリア・バロック音楽の第一人者である濱田芳通氏と、氏が長く率いているアンサンブルであるア
ントネッロ、そして合唱団であるラ・ヴォーチェ・オルフィカによるもので、さすがに見事なものだった。濱
田氏は、時に自ら楽器を演奏しながらよく全体を統率していたと思う。また曲間の時間のとりかた、息の入れ
方もよく考えられていた。器楽陣では、ヴァイオリンの2人と、アントネッロのレギュラー・メンバーである
チェンバロ&ハープの西山氏、ヴィオラ・ダ・ガンバの石川氏が優れていた。特に西山氏は楽器の持ち替えを
行うことで、音楽の色彩をいっそう豊かにしていた。また舞台袖からの演奏も見られたが、うまくホールの構
評価内容 造・音響を活用できていたと思う。
合唱のラ・ヴォーチェ・オルフィカは、職業的な合唱団ではないものの、この大作をよくこなしていた。時
④
にテンポやピッチに不安定さが感じられたが、そうした所よりも全体の勢いのよさを評価するべきだろう。ま
た合わせるべきところではとても純度の高い和音が実現していて感心した。さらに、合唱団員の中から器楽を
もまかなうあたり、メンバーの多才さが感じられた。
やや心許なく感じたのは独唱であろうか。声楽家にとってかなり要求の高い曲ばかりだったとは思うが、も
う一歩のレヴェル・アップが望まれた。そうした中で、弥勒氏のカウンターテナーは強く印象に残った。
プログラム冊子は説明の行き届いたもので、この曲の背後にある宗教的な意図や儀式についてよくまとめら
れていた。欲を言えば、訳詞だけでなく原語歌詞があればより分かりやすかっただろう。
こうした曲目はBach, Havadel以前の大作でありますが実はこれら二人よりも“声”そのものの極美を追求
し一定以上の到達点にあるものです。出演者の質が高く、古楽器の魅力が完全に出ている。
評価内容 指揮者、ソリスト(カウンターテナー、テノール、ソプラノ、バリトンなど全て)の力量が企画に上質のイ
メージをもたらし、多々あるコンサートの中でも心にしみるものであった。
⑤
(時代の演出の中で減っている若い人のクラシック人口をもっと増やす工夫をして下さい)
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
寒い寒い晩であったが、それを忘れさせるような熱いコンサートに興奮をおぼえた。
はたして、この音楽を宗教音楽の名曲と称するのが正しいのだろうか? たしかに、聖母マリア賛も含め、
聖歌が重要な軸を成していることはいうまでもないが、その多くは旧約聖書からのものということも合わせる
と、荘厳壮大な祝祭音楽という感情の昂まりを実感とした。
はるか紀元前から数千年におよぶ神を求める人間の信仰心が、イエスとマリアを授かっても、歴史的にも文
明的にもカソリック信仰に収斂され得ない文化・音楽というものが背後にあり、噴出してくる。ルネサンスと
いう復古運動の熟成が、古代や1610年当時のイタリアに流れ込む東欧に西域ヨーロッパ、はたまた東方のイス
ラム、オリエンタル文明まで。時空間、技法として混淆している音楽。バロック以降の新しい音楽の扉を開け
る、歴史的ダイナミズムに溢れた音楽といえまいか。これが、晩課として歌われるとしたら、それこそすごい
教会のあり方だが。
評価内容
毎章にグレゴリオ聖歌の定旋律を用いて統一感を出そうとしているものの,冒頭の《オルフェオ》のファン
⑥
ファーレの転用に始まり、多彩な技法と音色を散りばめたきらびやかさで、劇的な構造。メリスマの限りを尽
くしたテノールに下手袖から遠いエコーの、同じくリコーダーなどの器楽でもエコーが気持ちよく響く。私は
常々、音楽は時間芸術であると同時に空間芸術であるべきと思っているが、こうしたエコーを巡る的確な演出
と歌唱、演奏は、音楽をより大きな営みに還流させる。楽器の交替や立ち位置の変更など、ピッチと合わせ自
由度の高い表現であることをつたえてくれた。
そうした意味において、器楽のアントネッロ、合唱のラ・ヴォーチェ・オルフィカ、ほか歌手のソリスト達
を正しく導く濱田芳通の手腕は確かなものだ。ソロから二重、三重唱、壮大な小栄唱まで、ポリフォニックな
絡みから歌手、演奏、合唱もよかった。キリスト教宗教音楽でくくれない、雑多な文明性をおびたこの大曲に
は、非クリスチャン、非ヨーロッパ的肉体、精神の持ち主である日本人には合っているのではないかとも思っ
た。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
音楽堂建築見学会Vol.2
実施日
2月1日(水)
ホール見学、建築専門家によるレクチャーにミニ・コンサートと盛りだくさんの内容で、1500円は相当リーズ
ナブルな料金設定に感じた。タイトルにふさわしいのは、レクチャー開始前の「見学コース」。さらっと見る
だけだろうとあまり期待していなかったのだが、楽屋や床下、オーケストラピットなどなかなか見られない場
所だけでなく、ホワイエの柱や外壁の穴あきブロックなど、目にしていても意識されていなかったものにもス
ポットがあてられ、思いのほか充実した内容であった。簡単に説明するテクストが掲示とハンドアウトで用意
されるだけでなく、そこにいるスタッフが気軽に説明や質問に忚じてくれた点が大きいと思う。
続く藤森教授のレクチャーは、どこの世界にもいらっしゃる、いわゆる名物教授の名講義。思いつくまま話
を紡ぎだしているようで、思わずその内容、語り口に引き寄せられる。バウハウスのグロピウスやローエの話
はちょっと乱暴(急速な工業化に伴う都市の労働者に対する安価な住宅量産の要請という戦後ドイツの事情も
評価内容
あり)と、まがりなりにもバウハウスを研究している身としては思うものの、一般向けのレクチャーならばこ
①
ういった断定も観客をひきつける要素のひとつかとそれなりに納得。ただあまりに堪能な藤森教授の話に、松
隈教授のせっかく用意した資料写真やプレゼン用のテクストなどがほとんど省かれてしまったのが、尐し残
念。図書館の冊子「<神奈川県立図書館・音楽堂>と建築家・前川國男の求めたもの」に気になっていた内容
のいくつかが記されていたので、これがいただけただけで満足すべきかもしれないが。
その後、「音響チェック」を自称して行われたミニ・コンサートは、うってかわって肩の力が抜け、リラック
スムード満点だった。地声と歌声のギャップにまず驚かされ、楽しいMCを交えながらのポピュラーな歌の数々
が繰り広げられる。カウンター・テナーののびやかな声にリュートの響きが美しく、「木の音楽堂」の真骨頂
をここで味わえた。3つの異なる面からのアプローチで音楽堂を見せてくれる有意義で、かつ敶居の低い良い
企画だと思う。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
親愛なる言葉 藤原真理チェロ・リサイタル
実施日
2月7日(火)
高い技術を持ち、自然に紡ぎ出すメロディーは心地よく、素晴らしい音楽会でした。
ピアニストも力強く、弦の雰囲気と相まって自然に音の世界を創り上げ魅力的でした。
評価内容
又、曲の合間のストークも自然で藤原氏の幅の広い人間性を垣間見た思いで寒空の中
①
暖かい気分で帰路につけました。
お客様も皆専門家の様で音楽をよくご理解して観賞していた様子でした。
ソリストは、まず演奏の佇まいに人格すべてが滲みでる。藤原真理は、チェロを持つと、弓の長さが目を引
くくらい思ったより小柄な奏者であったが、それを感じさせない美しい姿勢で、内から凛とした気迫と音楽と
文学が血肉化したような自然なぬくもりを感じさせる音を紡ぎだす。それは、曲間のトークの言葉をとっても
同じ。話さなきゃいいのにというような音楽家と違って、よく思惟が練られていて、曲や楽器と自分のつなが
りを温かで包容力のある語り口で心をつかむ。さすがに、宮沢賢治の音楽会を続けるだけに、世界ぜんたいに
対して関心の深い人だということがわかる。クラシックの音楽家が、西洋音楽のことだけに詳しく、ほかの世
界をあまりに知らない人が多いのとは対称的。
前半は、ベートーヴェンの作品が2曲。「魔笛の主題による12の変奏曲」は、まだ若いベートーヴェンの
意欲と才が、まだ誰も試みたことの変奏の展開で、軽々とパパゲーノと戯れる。その緻密な構造を明確に聴か
せてくれた。「チェロ・ソナタ第2番」は、相性のいい倉戸テルのピアノとの掛け合いも楽しい。ピアノが軽
快にリズムを刻みながら中音域の響きをたっぷりと聴かせつつ、緊密な音楽を構築、推進と同時に、あの手こ
の手といきいきと動機が繰り出される。ベートーヴェンのその知的な構成力とあくなき探求心をもった真摯さ
評価内容 を女性的な包容力を融合して聴かせてくれた。
後半1曲目、カサドが恩師カザルスへあてた尽きせぬ敬慕の思い「親愛なる言葉」。バルセロナ、カタロニ
②
ア、そしてカザルス。永遠に一体となることができないことの遠さ、切なさの思慕を形象化した佳作。本来は
もっと荒々しい感じだと思うが、「親愛なる」母性を感じた。グラナドスの歌劇「ゴイェスカス」より「間奏
曲」は、かれの勢いのある歌曲にくらべるとだいぶ静かで大人しい印象だ。幕間のために一晩で書いたという
が、まもなく生涯を終えることになるという予感のようなものがあったとも思えないが…。本編にたいし邪魔
にならないように書かれた哀切な感情が引き出された。
後半のメイン、シューベルトの名曲「アルペジョーネ・ソナタ」。難曲にもかかわらず、シューベルトの心
情をうたい上げた清々しい演奏。何しろ、6弦楽器のために書かれた曲だ。時折感情が跳躍するようなフレー
ズやピチカートも、緩急自在にチェロと一体となった演奏。シューベルトの甘く切ない抒情と憂愁とうた心が
遺憾なく聴くことができた。
アンコールに4曲の贈り物。フォーレ「シチリアーナ」、ファリャ「7のスペイン民謡より」、サン=サー
ンス「白鳥」とくれば、チェロという楽器が奏でる歌の魅力が最大限に生かされた名曲中の名曲で、木のホー
ルを満足と幸福感でいっぱいにつつんだ。
平成23年度外部事業評価結果報告
公益財団法人 神奈川芸術文化財団
事業名
至高の弦楽四重奏曲を聴く 東京クヮルテット演奏会
実施日
2月21日(火)
「弦楽四重奏の醍醐味とはこういうことだったのか。」と言うことを感じさせてくれた公演。派手と言うより
むしろ地味なこの編成が独特の世界を創り上げ、このジャンルを非常に愛する人々がいることの意味を体感で
きた。普段日常的に表に出ることはあまりない、それぞれの人間の持つ内なる感情の世界。その内なる世界を
4丁の楽器が代弁して音として奏でてくれているかのようであった。ただアンサンブル能力の高いカルテット
評価内容
とは全く次元の違う演奏に、得も言われぬ素晴らしい時空が流れていた。
①
メンバーの日本人お二人は来年夏でこのクヮルテットから退かれるとのこと。お二人の本当に素晴らしい演
奏、音楽を目の当たりにして、残念でならないが、新生東京クヮルテットになっても、また今回のような時を
過ごさせてもらいたいと心から願い、そして磯村氏、池田氏にはこの先東京クヮルテット以外のこれまで以上
の多彩な場で私達に至福の時を与えて下さることを心から楽しみにしている。
木のホールと弦楽四重奏の相性の良さが、はっきりとわかるコンサートである。決して狭くはないホールにも
関わらず、すぐそばで演奏しているかのような臨場感があり、音に包まれている感触が肌で感じられる。実際
に音を出しているのは目の前で奏でられている小さな楽器のはずなのだが、ホール全体がまるでひとつの楽器
にでもなったような錯覚を覚えた。
選曲も、弦楽四重奏の父ハイドンに始まり、最盛期のベートーヴェンの作品の間に20世紀のバルトークと、弦
楽四重奏作品の幅広さがわかる構成になっていて、筆者のような素人にも親しみやすい。演奏内容を評価でき
る知識も素養も持たないが、それでも東京クヮルテットの演奏が非常に高度なものだろうことはわかる。音楽
のニュアンスで舞台と客席の距離感が変わるのはもちろんだが、弦をつまびく指先のタッチや、細く糸のよう
評価内容
な高音の響きが、聴覚というより触覚的に感じられたのには、驚きを覚えるしかなかった。
②
これほど丁寧に演奏を聴くことができたのは、同じ客席に座る聴衆によるところも大きいのだろう。演奏が
始まると同時に、息をつめ関心が舞台に向かうのが気配でわかる。客席の一体感ではないし、個々人の舞台へ
の没入とも違う、周りにいる人を意識した上で舞台へと意識を向ける高い集中力に知らずと引きずられる。東
京クヮルテットの県立音楽堂での演奏会は15年ぶりだというが、その頃からのファンなのだろうか。年配者が
目立つ客席は、静寂と拍手で舞台と会話をするようで、休憩時間の20分の方が長く感じられるほど、あっとい
う間の2時間であった。
アンコールでの2曲もまた別の趣があり、演奏者の懐の深さを感じた。その上、サイン会まで忚じるサービ
ス精神には脱帽である。音楽のリフレッシュ効果というものを実感できた夕べであった。
2013年6月をもって池田、磯村両氏が引退するという事を今回知って、その為の
東京クヮルテットの演奏会に参加できたことは大変幸せだったと思います。
評価内容 音響の素晴らしい県立音楽堂ではありましたが弦楽四重奏の素晴らしいハーモニーに
魅了されました。又、演奏者たちの誠実さや暖かさが伝わってくる演奏でした。
③
又別件ですが、チケットを切る入口で一寸変わった老人がモタついていた時に素早く別の
ドアをあけて、待っていたお客様を対忚し渋滞をふせいだのは大変よかったと思いました。