ポアトゥ・シャラント 図版博物館 vol.25 I 土地の記憶 13 Musée imaginaire philatélique Région Poitou-Charentes au travers des timbres français 4e éd. 2013 【4-1-1 地域圏の構成と紋章切手】 ポアトゥ・シャラント地域圏 Région Poitou-Charentes は、ヴィエンヌ県 Vienne(旧州のポアトゥ Poitou に相 主邑ポアチエ Poitiers)、ドゥセヴル県 Deux-Sèvres(旧州のオニス Aunis 当 の一部 主邑ニオル Niort) 、シャラント・マリチム県 Charente-Maritime(旧州の オニスの一部とサントンジュ Saintonge に相当 主邑ラロシェル La Rochelle)、 シ ャラント県 Charente(旧州のアングゥモア Angoumois に相当 主邑アングレーム Angoulème)からなる広域行政圏である。地域圏の首都はポアチエ である。地域圏を表象する切手は、右に見るように紺とグレイの色 使いは悪くないが、図柄が何を表しているのか私にはよくわから ない。背景の建物はポワチエのノートルダム・グランド大聖堂であるが、前 景の水流と女性を取り合わせたようなデザインはわかりにくい。公募による素人画家の入賞 作ではなく、プロの切手画家のものであるだけに戸惑いを感じた。 YT-1851 YT-952 ポアトゥ州 YT-1004 オニス州 サントンジュ州 YT-1005 アングゥモワ州 YT-1003 境界は異なるが、4 つ の州、4 つの県からなる この地域でアングレーム市の 紋章だけが切手にならず に終わった。理由ははっ きりしない。4-1-1 ポチアエ 市 YT-555 オニル 市 YT-1351A ©bibliotheca philatelica inamoto ラシロェル 市 YT-554 1 【4-1-2 5 本マストの帆船】 YT-1762 この地域につい ても、大西洋岸から見ていくのが順当であろう。 これまで、ブルターニュの帆船と共通のシリーズでありな がら、地域圏が異なるということで先送りにして きた 5 本マストの帆船があるからだ。この巨大帆船の 姿が最も美しく映ったと言われる歴史的にも重要 な港町ラロシェルを訪ねることを順路としよう。上の切 手が描 く 5 本マス トの名は 《France II》。1911 年にボルドォの「ジロンド造船所」で建造され、就航 して 10 年余の 1922 年、ニューカレドニア沖のウアノ暗礁で 座礁し、見捨てられた悲劇の女王である。船の主 要な用途はニッケル、クロムなどの鉱石の運搬であったが 豪華な 7 室の客室、ピアノや贅沢な家具を具えたラウ ンジ、食堂、図書室、静養室など他に類を見ないも のであった。しかし、この帆船を世界一にしたの はその大きさである。20 世紀の帆船のランキング上位 25 隻を見ると、数本の横帆と最後尾 に縦帆をもつ「バルク」タイプ 11 隻のう ち 5 本マストは 4 隻、4 本マストは 6 隻で あったが、 《France II》は全長 142m, 船幅 17m, 排水量 10,710 トン、帆の延 面積 6,350 ㎡と飛びぬけて大きかっ た。船主の交代もあったがすべてルー アンの業者間の移動で船籍地も同所 に置かれていた。座礁後のことに触れておこう。技術的には曳引して離礁させ修復するこ とが可能であったが、運賃相場の低迷から船主はそれを躊躇って放置し、第 2 次大戦中は 米軍機の演習目標とされ、海底に沈んだ。しかし、美しい巨大な船に寄せる人々の思いは、 現実の悲劇によっても色褪せたものにならない。1973 年 6 月 10 日の初日発売はラロシェルで行 われ、船舶と切手の愛好者多数で賑わったという。初日印は借用したアンチエ(エンタイア)で見てい ただく。 4-1-2 【4-1-3 ラロシェル港】 ラロシェルの港について。フランス切手史上、誰からも好かれ、かつ, ©bibliotheca philatelica inamoto 威厳と落着 2 きを感じさせるラロシェル港の 1 点がある。図柄と枠取りのデザインの双方があいまって醸し出す 古典的な雰囲気の故であろう。まず、港外から港に入ってくるときの全景であるが、塔が 3 つ見える。左から灯塔 la tour de la Lanterne, 鎖塔 la tour de la Chaîne、サン・ニコラの塔 la tour Saint-Nicolas である。少し 近づくと下のように右 2 つの塔だけとなり、さらに近付く と 10 フラン切手の絵図となる。この切手が愛好されるもう 1 つの理由はヴァリエーションで、タイプ I, II, III がある。I は〈POSTES〉 の E の上の横棒にカギが付いているが、II にはそれがなく 10F の下の輪郭が途切れている。III はカギがなく、輪郭は途切れていない。これに加えて色 調が明銅色(タイプ I YT-261A), 茶黒色(I YT-261B), 鮮紺色(III YT-261C), 青色(II と III YT-261), 紺色(I YT261d), 淡い紺(II YT-261 b)と多 彩である。市場では使用済みでも、ヴァリエーションによっ て 620 倍もの価格差があるようだ。 ラロシェルにはもう 1 つ風変わりなものがある。大型帆 船が西回りで太平洋に出るときに経由するホーン岬のサン ジュアン・ド・サルヴァメント灯台のレプリカ「世界の果ての灯台」 である。美しいというより南極海の怪しげな雰囲気を 湛えた切手が 2000 年に発行された YT-3294。2008 年に は、下のような横長の 観光切手が作られた。 凹版仕立ての美しい 構図である YT-4172 。 4-1-3 【4-1-4 ロシュフォールの 2 つの橋】 ラロシェル市の人口は 74,708 人(2009 年)広域都市圏としては 20 万人余である。その南 40km のところにロシュフォール Rochefort、さらに南東 50km ほどのと ©bibliotheca philatelica inamoto 3 ころにサント Saintes の町がある。いずれも人口 26,000 人 ほどの由緒ある地方都市である。大西洋を望めば、ラロシ ェルの地先にはレ島 Ile de Ré が、ロシュフォールの地先にはオレロン 島 Oléron があり、現在ではいずれも大きな橋でつなが っている。後者は 1966 年に切手となった。デザインとし て優れた図柄である YT-1489。 このロシュフォールにはもう 1 つ変わった橋がある。シャラント河の対岸と結ぶマルトルゥ Martrou の吊下げ移動橋 transbordeur で、 水面上 50m に渡した 175m の橋床に籠をつるして移動 させる仕組みである。乗っ てから降りるまで 4 分で通 常は歩行者と自転車を運ぶ が、自動車の運搬も可能。 27 カ月間の工事を経て 1900 年に竣工、1967 年に開閉 橋が建造されて供用を終了した。現在では、下流に固定の車道橋が完成し、開閉橋は取り 壊わされ、マルトルゥ橋も 1975 年に取壊しの予算がついたが、翌年歴史的記念物に指定された ため保存されることとなった YT-1564。 4-1-4 【4-1-5 ブルアージュの城郭】 ロシュフォールの近くに非常に立派なブルアージュ Brouage の城郭がある。 この城郭が建設された 16 世紀には、ブルアージュは港であり、また塩の取引で内外に知られた 交易の拠点であったが、シャラント河とスードル河 Seudre の砂土の堆積によって海岸線が遠のき、 今日では内陸の都市となった。この町は次項[ポワトゥ・ シャラント 2]で取り上げるカナダ・ケベックの創設者サミュエル・ド・ シャンプランの故郷でもある。国王レベルの話としては、宰 相マザラン Mazarin の姪でルイ 14 世と相愛の仲であったマ リ・マンチニ Marie Mancini が政治的理由でこの町に身を 寄せていたところ、ピレネエ条約 traité des Pyrénées によ ってルイ 14 世はスペインの王女マリ・テレーズ・ドートリシュと結婚 すべきこととなり、その想いを達せられなかった、ということを読んだことがある YT-1042。 4-1-5 【4-1-6 ロワイヤンとヴォー・シュル・メール】 ロシュフォールから南に 下ると大河ジロンドに達する。これを渡るともうメドク 地方で言わずと知れたボルドォ・ワインの産地である。し かし、このあたりでは河幅があまりにも広いのでいま フ ェ リ ー だ架橋されず、渡船が連絡している。シャラント・マリチム側 の町は、海浜リゾートで有名なロワイヤン Royan である。1954 ©bibliotheca philatelica inamoto 4 年にその美しい海浜が観光切手 6 点シリーズに一つとして取り上げられている(前頁右)YT-978。 シャラント・マリチム県ではこのほか、ヴォー・シュル・メール Vaux-sur-Mer のサンテチエンヌ Saint Etienne 教会が 2004 年の観光 切手(左)とし て採用された。 色調が鮮やか で、評判の 1 点 で あ っ た YT-3701。この 地域にかかわりがある切手としては、オーディオ・ヴィジュアル言語教育世界協力第 5 回大会がロワイヤ ン市で開催された際に発行されたものがある(上右)YT-1554。 さて、ロワイヨンだが、この町は第 2 次大戦でドイツ軍に最後(1945 年 4 月)まで占領され、かつ それまでの間、連合国側からの攻撃(同年 1 月 5 日および 4 月 14-15 日)によって徹底的に破壊された(市街の 85%)。 場所がジロンド河の河口であって戦略的に重視され、ナチス・ ドイツの最後の軍事要塞とし て維持されたようだが、戦争 の結末は悲惨そのものであ る。戦後、全市が戦災復興の 対象となり、国内外の都市計 画、建築、土木、港湾、交通 の専門家が競合して再建に 当たった。そのモニュメンタルな作 品として、ノートルダム教会がある。全体が鉄筋コンクリート造で、V 字 型の 24 本の柱で支えられ、収容人員 2000 人という。尖塔に 当たる部分の高さは 60m で、入港する船舶はこれを遠くから望 むことができる。設計はギヨーム・ジレ Guillaume Gillet とマルク・エブラ ール Marc Hébrard が当たり、ベルナール・ラファーユ Bernard Lafaille が建築 の総指揮を執ったが竣工を見ずに死去した。同教会に対する各 方面からの評価は極めて高く、1988 年には歴史的記念物として 認定・登録された。竣工より 50 年を経て、2011 年に切手が発 行された YT-4613。4-1-6 【4-1-7 金融都市ニオル】 次に、ドゥセヴル県を訪ねる。ここの中心 はニオル市で、人口 6 万人の中規模都市であるが、パリ-ボルドォ間の 鉄道・高速道など交通の結節点で、ラ・ロシェルとポアチエの中間点にも位置している。また国外で ©bibliotheca philatelica inamoto 5 は知られていないが、パリ、リヨン、リールに次ぐ銀行・保険等のセンターが立地する金融都市でもあ る。パリ・モンパルナス駅から TGV で 2 時間 15 分。この町 はまた、熱心な郵趣家が多い所で、フランス郵趣団体連合 の全国大会が 1966 年と 92 年の 2 度開催されている。 その記念切手を掲げておく。39 回大会の 40 サンチーム切 手 YT-1485 はサンタンドレ教会 Eglise Saint André とセーヴル 河の伝統的図柄であるが、65 回大会の 2.50 フラン切手は 少し変わっていて、ニオルで開催されたヨーロッパ工芸展 L'Europe d'Art d'Art の記念を表に出したデザインとなった(上)。YT-2758 ヨーロッパとのつなが りを強調するためではないだろうが、フランス郵政は、郵便局の近代化を過去との対比で明確 にする目的で下掲の切手 2 種を発行し、それをヨーロッパ切手とした。「今」はドゥセヴル県のスリゼ ィ Cerizay 局 3.2 フラン切手 YT-2643、対比される「昔」はブルゴーニュ地方マコンの中央局で、どう見 てもこの方が数等上である。このマコン局 2.3 フラン切手 YT-2642 も対比上ここに掲げておく。 なお、ドゥセヴル県 にあるサ ン・メ クサン 陸軍士官学校に ついては、[ブルタ ーニュ 2]でサン・シル陸 軍特別士官学校 と併せて述べた ので、ここでは省略する。4-1-7 【4-1-8 ポアチエの教会と修道院】 つづいて、地域圏の首都ポアチエがあるヴィエンヌ県に行く。見て いただくのはすべて教会関係のものである。ポアチエにはサン・ピエール大聖堂がある。さほど巨大 ではなく落ちつた雰囲気の教会であるが、その外観を切手にしたものはない。切手に取り 上げられたのは 200 年を経たオルガンである YT-2890。記録による と、1365 年にはすでにオルガンがあったよう だが、建造の史実がはっきりしているの は 1460 年のものと 1611 年のものである。 この 1611 年のオルガンも当時のフランスで屈指の ものであったが 1681 年 11 月、竈の火の消 し忘れが原因の火災で焼失した。1770 年 代になって再建への運動がフランソワ=アンリ・クリ コ Francois-Henri Clicquot によって始めら れ、動乱の時代であるにかかわらず 1791 年に息子のクロード=フランソワ・クリコの代で完成した。切手はその 200 年を記念したものであるが、 ©bibliotheca philatelica inamoto 6 2 年ほど遅れた発行であった。今日存在するオルガンの中で最も優 れたものの 1 つである。 ポアチエには有名な修道院がある。正確にいうと、ポアチエ郊外の サン・ブノワという町だが、都市圏としてはポアチエの一部である。紅 色の切手に描かれたサント・クロワ修道院で創設は大層古い。552 年と いうことであるから切手が発行された 1952 年は 1400 周年に当 たる。このように古い修道院が存続しているのは珍しいことで ある YT-926。とはいえ、1400 年も同じところに同じ建物があっ たわけでなく、現在の建物も 1960 年代にポアチエの都心からラコソニエ ール la Cossonière というサン・ブノワの一角に引っ越してからのもので ある。さらに遡ればフランス革命期以降荒廃した状態 にあったのを部分的な改修・建替えを通じて修道 院を再開するなど、苦難に満ちた 1400 年であっ た。 「法灯を守って 1400 年」というところであろ うか。ただし、その名は全国の信徒によく知られ ていることはたしかである。 ポアチエの東 80km ほどのところに、ガルタ ンプ Gartempe という美しい川が流れてい る。サン・サヴァンという町で、そこの修道院 も由緒あるものだが、何よりも一見に値 する(ポアチエからの日帰りツアーがよい)の は修道院付属の教会の壁画である。それ が大型の美術切手になった YT-1588。 ロマ ネスク期の壁画 36 点がよい状態で現存して おり、それとの関連でこの町には Le Centre International d'Art Mural という 壁画の研究・保存のための専門機関が 20 年も前から置かれていて、大きな業 績を挙げている。 最後に、ディセイ城 Dissay の礼拝堂のフレ スコ画が赤十字付加金付き切手の画材と なった。題して「領主さま」 (緑)と「鞭 を持つ天使」(赤)。全体のリストがないの でこれ以上の説明はできないが、領主と ©bibliotheca philatelica inamoto 7 天使のほかダビデ王、アダムとイヴなども描かれているようである YT-1661, YT-1662。 【4-1-9 アングレーム】 4-1-8 ポアトゥ・シャラント地方の南部がシャラント県である。シャラントは本来河の名前で、リムー ザンの山中から一旦北上して南下し大きく 90 度右へ転じるところがアングレームである。この河 はそこから西へ下っていくのだが、 40km ほどでジャルナク Jarnac の町となり、 そこを過ぎるとほどなくコニャク Cognac となる。河はさらに西に流れてサント Saintes に至り西北に方向をかえてロシュ フォールで大西洋に注ぐ。この流路を追っ てみると、サントが切手に現れないのは 残念だが、それ以外の町は見つかった。まず、アングレームは 1944 年 発行のサン・ピエール大聖堂のファサドで、50 サンチームにその 3 倍の 1.50 フ ランを付加している。フランス共助運動 L’Entraide francaise のための付 加金というが、この時代においてどのような活動をしていたかは不明である YT-663。 4-1-9 【4-1-10 ジャルナクからコニャクへ】 ジャルナク、多くのフランス人はこの地名をさまざまな意味合いで知 っている、という。まず「ジャルナクの一撃」coup de Jarnac という言葉がある。詳しいことは一切省略して、本 来は「巧みな一太刀」ともいうべきものであったが 次第に誤用され「不意討」の意味で用いられがちで ある。ことは 1547 年 7 月 10 日のジャルナクの領主ギィ・ド・ シャボ・ジャルナクとラシャテニュレの領主フランソワ・ド・ヴィヴォンヌの ひかがみ 決闘でシャボが刀の裏側で相手の膝裏を切ったことの 評価にかかわるが、省略。また、この決闘は国王(フランソワ 1 世)の愛人と王子(のちのアンリ 2 世)の愛人の間の確執・憎悪に由来するが、なぜ決闘に至ったかも省略して、言葉の意味 が変わってしまったということを述べるだけに止めたい。第 2 に, 第 3 次宗教戦争でコンデ 公(プロテスタント)と国王が 1569 年 3 月 13 日に激突した 「ジャルナクの戦い」Bataille de Jarnac によって。第 3 は フランソワ・ミテラン大統領の出身地として(この点については のちに「人国記」で述べよう)。第 4 はコニャクよりもお いしいコニャクを生産するが、原産地呼称の問題で微妙だ、 という訳知りがいるために。とかく騒がしい話だが、 切手は静かな河辺の町の佇まいを伝えている YT-2287 。そこでコニャクに到着。全世界にその名を知られた葡萄酒蒸留酒の総本山である。 《Cognac》という名称は法令、条例および生産者組合規則で定められた地域的範囲でしか ©bibliotheca philatelica inamoto 8 用いることができない。その他の土地では、単に《fine》という(ただし、シャンパーニュ地方で は, 法令等によって定められる地域の蒸留酒について《fine de Champagne》の名を独占使 用することができる〈わが国でシャンペンといわれるシャンパーニュ酒は醸造酒であってここでの話 とは一切関係がない〉 )。切手は Cognac 村でもさらに地域区分がなされていることを暗示す るような奥の深いデザインで通人の間で評価が高いが、そうでない人たちもこの図柄には現 代絵画を見る不思議さがあるようだ YT-1314。 4-1-10 【4-1-11 ポアトゥ沼沢地】 ロワール地域圏南部のヴァンデー県からポアトゥ・シャラント地域圏のドゥセヴル県、 シャラント・マリチム県にまたがって「ポアトゥ沼沢地」 Marais poitevin と総称される広大な湿地帯がある。その主要 な部分はいはば「水郷」の景観を備え、農業生産や 地域内物流に古くから利用されてきた。この優れた 景観を表現する切手が「行ってみたいフランス」の最終 シリーズ(2008 年)に登場した YT-4168 ので、沼沢地な らではの写真とともに掲げておく。4-1-11 Coulon-Promenade en barque Le quai Louis Tardy 【4-1-12 オレロン島のシャシロン灯台】 Canal de la Vieille Autize YT-4117 フランス郵政は 2007 年に「灯台」シリーズ 6 種を発行し た。うち 3 か所はブルターニュであったが、ポアトゥ・シャラントにも 1 つある。さきに「ロシュフォールの 2 つ の橋」として紹介したオレロン大橋を渡った先のオレロン島北端の断崖の上に 1836 年に建設された シャシロン灯台 Chassiron である。港のあるペルチュイ・ダンチオシュ に戻る入口に暗礁があって海難事故が多発したため築 造された。私はこのことを忘れていて過日、法学部の 大先輩の K 先生(画伯)から「行ったことがあるよ。バ スの運転手が親切だった」と教えて頂いた。K 先生への 畏敬の念がさらに強まった。4-1-12 【4-1-13 タルモン・シュル・ジロンド】 YT-2352 シャラント・マリチム県は、アキテーヌ地域圏に属するジロンド県と は大河ジロンド河によって劃然と切り離されている。川幅は広いところで 13km ほどとはいえ、 対岸の町に陸伝いで行こうとすれば、いったんボルドォまで南下し改めて北上して都合 ©bibliotheca philatelica inamoto 9 200-250km も走らなければならない。現実には、シャラント・マリチム県ロワイヨンと対岸のヴェルドン・シ ュル・メール Verdon sur Mer の間はフェリ-があるので必要 ならそれを利用すればよいが、離隔感にはなお強い ものがある。 1985 年 の 観光切手 5 点 のうちの 1 つ はその端正 な図柄で好評であったが、描かれた対象はタルモン・シュル・ ジロンド Talmont sur Gironde の岬の突端にある大変い かめしい教会で 12-14 世紀の建築である。フランス郵政は これに「サントンジュ・ロマヌ」という説明を付けた。これは、シャラント・マリチム県のかなりの部分が旧州 のサントンジュ Santonge であり、この地域にはロマン様式の純粋型のような教会がかなり多く存在 していることを言うようだ。直訳して「ロマンのサントンジュ」である。私見ではあるが、フランス的 ではなくローマ的なロマン様式で直線的な構図が悪くない。この ように一概に言えないところがロマンだと仏文の旧友がかつ ていったが、それはそれとして、ジロンド河に突き出た岬に なぜこのようなものを建てたのか調べてみる必要がある。 対岸はイギリス領のメドックであるからそれに対抗してこの様 式にとも考えたが、そもそも、この教会の長きにわたる建 設過程と並行してタルモンの城塞をつくらせたのはイギリスのエ ドワード 1 世であったから、先の予想は成り立たない。答えはこうであった。パリからサンジャク・ コンポステラを目指す Tuonensis 道[オォヴェルニュ 3]はポアチエからボルドォに向かうが、一部はサントから タルモンを通り、船で対岸のスゥラク・シュル・メール(大西洋岸にバジリカ聖堂がある)に渡った。タルモンは巡 礼者の渡し場であったため、そこにサン・ラドゴンド教会 Saint Radegonde を建設した。この教 会は世界遺産ではないが、1890 年にフランスの歴史的記念物に登録された。4-1-13 【4-1-14 ポワチエのノートルダム・ラグランド参事会教会】 YT-4062 ポワチエの教会がようやく切手の画 材となった。といっても、先に[ポワトウ・ シャント 1]でふれたオルガンがある大聖堂 Cathédrale Saint Pierre et Saint Paul では なくノートルダム・ラグランド参事会教会 Eglise collégiale Notre Dame la Grande である。 切手発行の契機は 2007 年にポワチエ市で フランス郵趣団体連合の第 80 回大会が開 催されたことで、恒例によってその地の代表的な建築物などを取り上げるフランス郵政のルーティン ©bibliotheca philatelica inamoto 10 に従ったものだ。この大会を引き受ければ切手が発行されるので、観光の面でのリソースが少 ない地方都市にとっては重要な機会であったが、大会を引き受ける財力と人手がないとこ ろでは頭の痛いところであった。他方、郵政の側では、1997 年のヴェルサイユ大会で横長タブつ き切手を発行したところ好評であったため、2005 年以降はナンシィ(2005)、パリ(2006, 2008)、 メス(2011)など開催地が大都市である場合に限ってこの様式を採用した。 史上有名なポワチエの戦い(773 年)でカルル・マルテルの軍勢がモール人を撃退し、キリスト教文化をアラブ の手に委ねなかったこの町には 宗教上重要な施設が多く、観光資 源も豊富である。取り上げられた ノートルダム参事会教会は、ゴシク様式 の大聖堂(12-14 世紀)より古い ロマネスク様式の建造物(11-12 世紀) で、教会建築としてはこの方が重 要で訪問者も多い。教会正面のファ サドのフリーズ上部には、写真で見る とよくわかるように、円形の彫刻 があり、そこには受胎告知のモチーフ が表現されている。フランス郵政がタブの部分に採用したのはそのデザインであった。4-1-14 【4-1-15 ポワトゥ・シャラントの植物・味覚】 ポワトゥ・シャラントを代表する植物として選ばれたのはサリコルヌ(アツケシ草)。好塩性で浜辺に叢生する。 ポワトゥ・シャラントを代表する郷土料理として選ばれたのはエクラド(ムール貝の松葉焼) ←Salicorne YT-AA308 (2009) Eclade→ YT-AA443 (2010) エ クラ ト ゙に つい ては 知るところが少ない。 Wikipedia によると、 オレロン島の料理でムール 貝を立てて並べ、松 の葉を被せて焼くと いう。 ©bibliotheca philatelica inamoto 4-1-15 11
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