モンゴル交流協会ナイラムダル案内

<ナイラムダル活動予定>2002.01-03 **交流会企画のご意見お寄せください**
01月05日
福島県国際交流ネットワーク・イベントの打合せ/大島
01月22日
モンゴル紹介授業/鹿沼市立西小学校/大島
01月25日
モンゴル紹介授業/塩谷町立大久保小学校/大島
02月02日
モンゴル紹介授業/塩谷町立船生西小学校/大島
02月∼3月
モンゴル訪問(コンサート・グループの準備)
01月∼02月<展示物貸出>塩谷町立大久保小学校、船生西小学校
3月17日
福島県国際交流イベント
<ナイラムダルの主な動き>2001.10−12
BKYUKL
YEMUNAY VGLHN
10月14日
“とちぎインターナショナル・フェスティバル2001”参加
11月29日
事務局会議/小野寺、冨永、馬場、関川、大島
12月06日
モンゴル紹介授業/塩谷町立田所小学校/大島
12月08日∼09日
地球市民セミナー IN ふくしま(ネットワークづくり会合/二本松)/大島
12月21日
モンゴル紹介授業/今市市立小林小学校/大島
12月<展示物貸出> 塩谷町立田所小学校、宇都宮市立桜小学校、宇都宮市立細谷小学校
モンゴル交流協会ナイラムダル案内
URL http://:www.d6.dion.ne.jp/‾nairamgo/
E-mail [email protected]
Z"KY−BKYUKLSY
HGJNLWGGYS
YGAJGB:GL
YNAUTBLTU
ナイラムダル ・ ・ ・ “YGAJGB:GL”「友好」という意味です。
なぜ、モンゴルとの交流 ・ ・1984年個人的なモンゴルの仲間との交流をきっかけに、モンゴル
の生活・文化に興味ある仲間が集まり、身近に友だちができるような交流を通じて
「豊かな社会を互いに考えながら、理解と友好を深めていきたい」と設立。
モンゴルの仲間 ・ ・ 「モンゴル・日本“友好クラブ”」会員は、演奏家、科学者、学生、勤労者、
遊牧民など。ホームステーの受入。
活動していること
*モンゴル民族音楽ナイラムダル・コンサート/1992年から毎年開催。この間、各
地で199公演。内小中学校・養護学校・施設などで75公演。
開
催/東京都、千葉県、神奈川県、栃木県、山梨県、佐賀県、長崎県、兵庫県、福岡県、長野
県、埼玉県、宮城県、青森県、愛知県、福島県
tel.fax. 03-3976-9183/富永
*夏、モンゴル交流の旅/1991年から、ホームステー、特設
ゲル滞在と乗馬、遊牧民ゲル訪問。
<年間を通し、ホームステー、遊牧民ゲルステ―可能>
tel.fax. 0288-26-0130/大島
*通信「モンゴルからの風」1993.7 創刊/季刊 A5 版24 P.
*貸出、展示、所有、収集/子供たちの絵、写真パネル、書
籍、民具、民族楽器など。
会員は ・ ・ ・全国各地に200人程。年会費2000円。
郵便振替/「モンゴル交流協会ナイラムダル」 00150−1−763089
扱っています ・ ・ ・会話集、民族音楽CD、ビデオ「草原の子たち」、モンゴル関係小冊子など。
夏、高宗さんが遊牧民ゲル・ステーのお母さん
URL http://:www.d6.dion.ne.jp/‾nairamgo/
発
行 モンゴル交流協会ナイラムダル
321-2345 今市市木和田島 1526−152
携帯 090-4200-8099
tel.fax.0288−26−0130 /大島 武行
Z"KY−BKYUKLSY
HGJNLWGGYS
NO.35/2002.01冬
YGAJGB:GL
YNAUTBLTU
モンゴル交流協会ナイラムダル
ホテル利用者と、金持ちということでしょうか。食料品、衣料、靴、電気製品、貴金属品、モンゴル
いま モンゴルは
製品、雑貨などです。品数は、モンゴル国内としては、たいへん豊かになっています。
2001.07.08−08.05/モンゴル
デパートより、安価なものもありますが、さほど変わりません。
この10年間で、一般庶民にとって、デパートは、高いというイメージが強いので、今回のショッピ
ング・センターが生き延びられるのか疑問です。
往復チケットより、片道チケットで買う方が安い!
私は、この夏、5週間(7月8日から8月11日)の滞在の予定で、関西国際空港からウランバート
アニメ“大草原と白馬”テレビで放映!チョッと疑問!
夏、滞在中、テレビをふと見ると、日本のアニメ“大草原と白馬”池田大作原作をやっていました。
ル便のチケットを購入。162,000円です。急きょ1週間早く帰国することになって、チケットの変更
遊牧民の生活を良く知っての製作なのでしょうか。見ていると、知人は「モンゴルや遊牧民のこと
は出来ないとのこと。やむなく帰国のチケットをMIAT事務所で予約。すると、料金は401ドル。円
知らない人がつくっているんじゃないか」と。私も同感! また、「何のために、日本人がモンゴル
にすると約52,000円。安い!!改めて、関西国際空港から片道のチケットは、いくらか聞くと78,
の遊牧民のアニメを作るんだ」と。頭をひねっていました。
400円だ!すると、片道切符で買うと約13万円になります。往復のチケットを買うより、約3万円も
安い!!
日本人は、モンゴルについて知らずして、いや、実情や歴史を知ろうとせず、関わっている人が
目に付く。おごった意識が無いだろうか。
なんと往復チケットを買うより<片道チケットを買うほうが、安くなるとは!
ビリアード
オーストラリアのビザが2500ドル也!?
10年前、資本主義経済になって、多くの人が生活苦に追い込まれる中で、当初は、ヨーロッパ
に仕事をしにいく流れがありましたが、4∼5年前からは、ソウルへ行く人が急増しました。よく、話
以前からモスクワを通じて入ってきました。モンゴル人は、結構好きです。よく休養施設などには、
以前、よく日本の旅館などに卓球台があったのと同じ感覚で、ビリアード台ありました。
資本主義経済が進む中で、屋外に出されて商売に利用されてきています。
に聞くのは、ソウルに行って一儲け、不法滞在して肉体労働をして収入を得る。現在も1万人を越
える人が出かけているそうです。2∼3年前からは、日本にも仕事をする傾向がでてきています。
新たに聞いた話では、オーストラリアのビザが2500ドルで手に入り、英語を話せなくとも、仕事
を見つけようという話があるとのこと。また、アメリカのビザも割合簡単に手に入るようになってきて、
資金があることが前提ですが、1度のアメリカ訪問でも、10年間有効のビザが出されることが。
特に、若い人は、海外に出て、金儲けするとの流れが強くなってきています。
“ポケット版日本語会話集”大ヒットしてコピーが大量に出回る!!
ナイラムダルは、夏モンゴル滞在交流を企画していますが、その際、参加者がホームステーして、
自ら積極的に交流出来るようにと、モンゴル語会話集をつくってきたところです。その後、ステー先
の家族から、日本語にキリル文字をふってとれないかとの声。そして、できたのが、モンゴル会話
集を基礎にした、日本語会話集。そして、日本で印刷するには、費用が必要なことから、昨年、ウ
ランバートルで300冊印刷しました。モンゴルの仲間が、ステー先以外にも、日本語を習っている
レストラン、ビアホールが次々と開店しても、多くはガラ∼ン!?
この10年、ウランバートルは大きく変わってきています。新たに新築、改装されているのがホテル、
商店、レストラン、そして、バー、ビアホールなど。
しかし、レストランでも繁盛しているのは、数少なく、昼飯時でもガラ∼ンとしているところが多い。
人に売りたいということから、小さな商売ということで1年過ぎたところです。
ところが、今年、コピー本が大量に出回っていました。デパート内の本屋はもちろんのこと。街の
中の本屋、さらには、ザハ(自由市場)の書籍売り場にも置かれていました。
さっするところ、私が頼んだ印刷所で働いている人が、原版をもとに印刷したと思われます。
安く、うまく、量が多い食堂は、待ち時間が必要。これは日本でも同じだ!また、中国人や韓国人
の経営しているレストランが目立ちます。新たに出来たというビアホールも、夏場で観光客が多い
中でも、客数は少ないのが実情。これからは、倒産が目立つようになることでしょう。
ある演奏があるビアホールは、数日か前まで入場料が2000トグルク、そして急きょ観光客目当
ずいぶん気を使った商売に!
よく、街頭では、アイスクボックの光景が目立ちますが、最近、気がついたことに、以前は、アイス
ボックスに、買い手がアイスを手で取るというのが一般的でした。最近は、衛生的に、売り手がはさ
てに5000トグルクに値上げ!!
んで取ってくれるようになっています。
スカイ・ショッピング・センターが開店!!
ンは、裸のままでしたが、ビニールに入れて売るようになっています。
また、以前、果物の扱いは、以前、投げて荒い扱いでしたが、ていねいになってきています。パ
7月初め、チンギスハン・ホテル内の裏手に、韓国資本のショッピング・センターが開店。対象は、
02
(おおしま)
03
2002年
ナイラムダル活動予定
4.モンゴル映画、紹介のビデオ鑑賞会を始めたい/企画・担当者募集!!
5∼6年前、ビデオ鑑賞会をやったことがありますが、新たに4月から、月1回、東京都内で、
ナイラムダル所蔵のビデオの鑑賞会をやっていきたい。企画、担当者になってみませんか!
ビデオ選定、場所設定、解説者を頼むことなど、及び、当日の準備
1.第11次 モンゴル民族音楽ナイラムダル(友好)コンサート開催!!
コンサート日程/2002年10月<日程最終確定/2002年03月末日>
*コンサート希望は、ご相談ください!!
1992年から毎年開催。この間、各地で199公演。内小中高学校・養護学校・施設などで75公
演してきました。昨年は、長野県、千葉県、栃木県、福島県、山梨県、東京都、埼玉県で、小学
校、高等学校、福祉施設を含め11ヶ所で開催され、大好評でした。しかし、3人の女性演奏家
5.交流会
昨年は、5月、比留川宅(市原市)で行いました。また、コンサート終了後に、その地区で行っ
てきました。また、11月の「遊牧民ゲル・ステー体験者を囲んで」は、延期しました。
会員の親睦と、モンゴルの想いなどを交流できるようにしていきます。
*「遊牧民ゲル・ステー体験者を囲んで」は、5月に予定したい。
が失踪という事態をまねきました。
運営委員会は、これまでの成果や事件を受けて、今後どうするのか検討してきました。当初は、
今後の演奏家との信頼関係について不安を抱えていましたが「これまでの継続を大事にしてい
こう」としました。しかし、その後「モンゴルの混乱した状況を考え、無理せず、当面中止しよう」と
6.物販売で活動資金つくりに協力ください
特に、小学校では、“スーホの白い馬”を学んでいる地域があります。モンゴルを理解してもら
う補助教材として、“CD、ビデオ”の案内、販売をしていきたい。
なりました。そして、11月には、「中断したくないね」との意見が出され、また、会員からは「来年も
販売価格の30%は地域の活動資金に、10%はナイラムダル活動資金にしたい。
開催する準備をしている」との声などが寄せられていることを大事にして、「今回の問題を乗り越
協力していただける方は、ご連絡ください。
えて続けよう」との方向が出されました。
*2月、1∼2週間の予定で、コンサート準備のためモンゴル訪問をします(大島)。
冬のモンゴルを訪れたい方がありましたら、ご一緒しませんか!
7.その他/意見・提案などありましたらお寄せください
夏のモンゴル交流の旅、年間を通してのモンゴル訪問については、ご相談ください。
2.あなたの地域で小学校などへの展示物貸し出しをしてみませんか!!
小中学校の国際理解として、また、特に“スーホの白い馬”を学んでいるところでは、モンゴル
の紹介・理解のために利用してもらいたい。
国際交流・協力団体
「ふくしま地球市民ネットワーク」設立準備委員会に参加します!!
新たに貸出し展示物2組(写真パネル、民族服子供用男女、馬頭琴)を用意します。
<管理/案内>各地で責任を持って管理していただける会員を募る。
貸出しは、無料(送料/自己負担、又は、取りにきていただく)
*ただし、会員になっていただく(年会費2000円)
これまで栃木県内では、20ヶ所の小学校に展示の貸し出しをしてきたところです。ぜひ、他の
地区でもすすめていければと思います。
12月8∼9日に開催たれた「地球市民セミナー IN ふくしま」の第6分科会「ネットワークつくり
を考えよう」に、“うつくしま未来博”に出展した団体が中心に参加して話し合いがもたれました。
そして、「未来博に参加し出会えたとことを財産にしていこう」と、地域の国際化、地球市民教育、
NGO活動の推進をすすめるためにネックワークをつっていくことになりました。
NGO活動の情報提供・広報活動・交流、イベントの開催、人材の育成、他セクターとの連携、
製作への提言をすすめていくことにしています。
3.あなたの地域で展示会/イベントを開いてみませんか!!
写真パネル、モンゴル民具、民族服、民族楽器、子どもの絵画など
公民館など、1日でも開催可能です。日時と場所を設定してみませんか。
予定/とちぎインターナショナル・フェスティバル/10月
/入間市インターナショナル・フェスティバル/10月
/ふくしま/3月17日
/展示会・・・・・東京都内、栃木県内
04
>ふくしま地球市民ネットワーク設立にむけてイベント開催!!<
ナイラムダルのスタッフとして参加してみませんか!!
◆3月17日(日)
10時∼17時
◆郡山「ビックパレットふくしま」
*ナイラムダル/展示、民族服試着、スーテーツァイ試飲、物販などを検討しています。
(希望者は、相談ください/0288-26-0130
090-4200-8099)
05
人以上出したと云われている。
(国境線の主張は、日本
三度、モンゴルを訪れて
軍の誤りであった)
ノモンハン桜(スターチス)/日本兵が名づけた⇒
山梨県/和光昌俊
ノモンハン事件は、日本軍部にとって明治37∼3
8年年に行われた日露戦争以来の本格的近代戦であり、
日露戦争に勝った(辛うじて)思い上がりでソ連軍を
甘くみくびって戦争をしたが、武器、弾薬、千社、航空機
私は、平成5年、10年、13年と都合
3回「ノモンハン事件現地慰霊団」に加
全てソ連軍が質量共に数段上で、日満軍はソ連軍の戦車に蹂躙され大敗北を喫し、これ以
わり、モンゴル東部ハルハ河々畔の激戦
上戦争を続ける事は出来ないと判断し政治解決を図り、停戦協定が結ばれ終結した。
地を訪れました。
今回の旅は、8月19日∼26日迄の
スンベルの丘に建つソ連軍の戦勝記念塔
この戦争を日本側ではノモンハン事件と云
8日間で、85歳の元参戦者永井様を団
い、ソ蒙側では、ハルヒンゴル戦争と呼び、モ
長に戦死した祖父、父、兄弟、夫、戦友等の
ンゴルでは建国以来経験した唯一の戦争だそ
関係者と、ノモンハン事件に関心の有る
うです。
一般有志の方、そして、千葉県成田山新
勝寺の貫主様の御名代として3名の僧侶
ノモンハン事件が日本の歴史の上や国民に
の方が御同道下され総勢17名が2台の
余り知られていないのは、軍部が敗北の事実を
小型ワゴン車と、モンゴル軍の軍用トラ
隠蔽するため責任有る中堅将校は、ピストルで
ックに分乗して道無き草原をかき分け、
自決させ、また帰還兵には厳しい緘口令をしいたためです。
主だった激戦地10数ヶ所で僧侶の方々の懇ろな読経法要と、私たちも御霊に額ずき香を
日本軍部は、ノモンハン事件敗北の原因をうやむやのまま2年後の昭和16年真珠湾攻
撃に始まる無謀な太平洋戦争に突入し、同20年8月惨めな敗戦を迎えたのです。
手向け合掌して参りました。
ノモンハン付近は、1960年代、中国毛沢東とソ連フルシチョフの不仲による中ソ国
九州より参加された82歳の御婦人は、毎年現地に赴き戦死した夫の墓参りをしており
境紛争もあり、外国人の立ち入りは禁止されていたが、ソ連のゴルバチョフ政権によるペレ
ます。この方は、新婚3ヶ月で夫は戦死、妊娠していた赤ちゃんを無事出産し、母子2人で
ストロイカで外国人の立ち入りが認められ、平成元年より日本人による現地慰霊団が訪れ
生きてきたそうです。
彼我の英霊の供養が行われております。
ノモンハン事件は、昭和14年5月より9月中旬まで満州国北西部の国境不明確な地ノ
モンハン付近で日本軍(関東軍)と満州国軍対モンゴル軍とそれを支援したソ連軍との間
私が初めて参加したのは、第5回目の時で、モンゴル事態が社会主義経済体制を捨て市場
経済に移行した直後でした。
に国境を巡って激しい戦闘が行われ、戦
プロペラ飛行機をチャーターして、ウランバートルから東へ約2時間30分
死傷者は、18,000余人、ソ連軍2万
ハルハ河畔での昼食
左/和光(私)
右/徳原さん87歳
読経する成田山の僧侶
06
スンベルの空港
07
スンベル村の草原の滑走路に降りた時、何とも云えぬ
MAIL 届きました−34
感動がありました。また、戦場跡に立った時も何と広い
★近況などお便りお待ちしています★
所か、気の遠くなるような広さです。ホロンバイル平原と
云われ茫漠とした波状平原であり、見えるものは平原と
空だけです。目印になる大きな山や樹木は全く有りませ
ん。土地は、砂地や半砂漠化した決して肥沃とは云い難い
お元気でしょうか。ウランバートルは、ずいぶん寒くなって来ています。
所に、やっと生きていると感じられる雑草が生きている
コンサートは、来年、出来なくなって残念です。10年間続いたコンサートが止められてしまった
ことは、私の責任もあると思います。本当に申し訳ありません。
だけです。現在は、一見のどかであり62年前激しい戦争
モンゴルについての本など、私の出きるものがあれば、出きるだけ頑張りたいと思います。
があった事が信じられない地であります。
2週間前、エギー(馬頭琴奏者)に電話をしましたが、彼は北京へ演奏に行く事になったとのこと
しかし、今も昔も国境である事には変わりありません。
中国との国境は、草原の中に有刺鉄線が張られ双方の緩
私/和光
です。3人の犯罪人について情報が入っていますか。彼女達から電話がありますか。富永さんにメ
ールを書いていないけど富永さんに宜しくお伝えてください。
<ミーガー/コンサートの際の通訳/11月>
「モンゴルからの風」読ませていただきました。モンゴル事情がよくわかります。3人の女性演奏
家が失踪した件、林さんから聞いてビックリしました。日本も含め市場経済の結果といえます。変え
てはいけないものをしっかりと守る必要を感じます。
ホルステン河での経木流し
今年は雨が少なく水量が少ない
<鳰川/千葉県>
夫の墓前で額く夫人
衝地帯が設けられており、モンゴル側、中国
側とも国境警備隊員が監視塔より監視しており、緊張感が肌で感じられます。
ノモンハン事件より62年の歳月が過ぎ、今さらどうにもなりませんが、戦争は愚かです。
加茂中の文化祭に初参加の朝樹です。実行委員として、また、1年B組の劇の役者としても初体
験。「すべてが感動」(あさきの感想)
どんな事態になっても戦争は避けなければならないと思います。ノモンハン事件、太平洋戦
なんと、琢磨も3年C組の劇に登場、みなさんありがとう。
争は、日本軍国主義の恥部であり、五族協和、大東亜共栄圏、八紘一字等のスローガンは、
題は、「THANKS FOR LIFE」・・・あと3日の命といわれたら、世の中のためにつくす。という言葉
夢め幻であります。日本の政治家の一部に太平洋戦争を美化する人も居ますが、大いなる誤
が主題の劇です。この劇は、朝樹のクラスの担当であられる山口先生の雑草魂というクラス新聞に
りだと思います。ヨーロッパ列強
よると、全校の劇の中で3Cが一番印象に残ったという生徒さんが27人中19人という(朝樹もふく
の支配からアジアの国々を解放
む)ことです。3Cの生徒の皆さんの一生懸命さが伝わったのですね。
した聖戦であった云々、笑止千万
である。
ちょっと内容を・・・場所は学校、生徒 A 君、B君・・・・・担任の先生、Sさん、お母さん、たくま(たく
じ)の会話劇。
最終場面、勉強のできるSさんが成績、勉強に苦しみ自殺するところ、たくじが「君がそんなにま
バインチャガンで最後の慰霊 ⇒
ノモンハン事件で日本軍の旭川第7師
団須見連隊安達大隊がハルハ河を渡
河した場所です。(逃げ遅れて多数戦
死)ハルハ河の左岸なので僅かの遊牧
民が居り、集まって来て一緒に記念写
真を撮る
で苦しんでいたなんて知らなかった。気づいてあげられなくてゴメン....。ぼく、この3日間世の
中につくしたつもりだったけど、君のためにぼくは何もしてあげられなかった。だから3日目の今日、
君の命をすくいたい。僕たちがついているんだよ。大人になって君は、ずうっと友だちだよ。みん
なだってそうだよ。君は、ひとりじゃない。ひとりで悩まないで、苦しまないで....。みんながつい
ているんだから。」
<比留川さん(市原市)家族通信“オラシオン”>
08
09
伝わせてもらった。何も考えず楽しくやって
モンゴル奮闘記
09.12
ると、ジャットンバが何やら慌てて話している。
え!?この山羊は私のゲルのじゃない!?
∼長年の夢ついに叶う!∼ 2
どうやら、家畜は一緒に放牧しているが、
<髙宗 郁子>
〔家長、娘(姉)夫婦、娘(妹)夫婦〕が同じ家
畜で、もう一つのゲルに住んでいる、家長の
奥さんの姉の家畜は別らしい。見分けている
* ヤマ(山羊)の解体
のがすごい!!
ダバースルン(15歳女)に呼ばれ、家長のゲルに行くと、ヤマの解体をしている所だった。テレ
ビでチラッと見たことがあるが、本物を見るのはもちろん初めてだった。実に器用に皮を剥いでい
∼∼絞った乳は・・・
るが、結構力がいる様だ。家長の仕事なのだろうか?
当番制で、3つのゲルの奥さんたちが毎日
皆、もろもろの仕事をしながら、終わるのをジッと待っている。内臓が取り出されると、女性が調理し
鍋で沸かしている。水で溶いた小麦粉を、沸騰した乳(スー)に入れ、飲みたい人は飲む。私はス
始めた。腸の中には糞が沢山詰まっていて、腸を破かない様に手際良く糞を押し出し、中をザッと
ーが好きで、よく飲ませてもらっていた。そのスーを、鍋ごと放置しておくと、次の朝には、牛乳に
洗った。(なんか、まだ糞が残っているけど・・・まぁ気にしな∼い!)
膜が張るより、もっと厚い膜が出来るのだ。それがウルム。ボルツック(小さな揚げパンみたいな物)
腸の血詰めである。大きな鍋に湯を沸かし、血詰めと内臓を塩茹でする。一番いい所を、まず私
の上に乗せてよく食べた。残りのスーはタルッグ(ヨーグルト)にして、小腹が空いたときやデザート
に食べさせてくれた。塩で茹でしただけ
として食べる。蓋付きの入れ物にタルッグと砂糖を入れ、子供達が大切そうに持ち歩いて、シェイ
なのに、なぜこんなに美味しいのだろうか。
クして‘飲むヨーグルト’にしていた。
ナイフでこそいで、きれいに食べる。
*ゴルへ!!(川)
解体を見てから、すぐにいただいたの
で、ありがたみもひとしおである。残った
川は、歩いてほんの五分ちょっとの場
肉は干し肉に、内臓はボーズの中身に、
所にあり、生活の一部になっている。天
皮は干した後2cm 程の幅の紐にし、毛を
気がいいので皆で泳ぎに行く事にした。
剥いでから編み、様々な物に使われる。
たまった洗濯物も持って、美しく咲いて
無駄になるものがないというのは、本当だ
いる沢山の花の中を通り抜け、やって
な、と思った。
きたのは意外に浅い川だった。深さは
膝くらいまでで、深いところでも腰ほど
* 乳搾り(山羊)
しかなかった。
自慢じゃないが、当然山羊の乳搾りなんてやった事はない。見ていると、マザー牧場での牛の
石鹸で服を洗っていると、子供達は服
乳絞りの様に、サクサクッと搾っていたので、『なぁ∼んだ、簡単そう』と思った、が!まったく絞れ
のまま泳ぎだした。負けじと私も泳ぎだ
なかった・・・・・。
す。彼らの泳ぎは、なんと犬掻きだった
最初に乳が出るまでが難しく、そういう時
のだ!クロールをやって見せると、
は乳首に少しお乳を付けるとスムーズに出
次々に真似をし始めたが、思うようにい
てくる。根元の方から搾り出し、出なくなると
かない。
乳房をバシバシ叩く・・・とあら不思議!ま
10
泳ぎの嫌いな子もいるみたいだ。中
たまたお乳が出てくるのです。何回か手伝
学生の4人は深いところで泳ぐが、6.7さいの二人は、川原での遊びしかさせてもわえない様であ
うと、結構絞れるようになり、ニャムツェツェ
る。服を着たままだと、体力を結構使う・・・。浅い方で、着ている服も、そのまま洗ってしまった。子
ク(6才)のバケツを引ったくり!?楽しく手
供に返ったような気持ちになり、彼らと思いっきりはしゃいだ。
11
∼∼洗った物は・・・
草っぱらに放置!!数時間置いておくと、気
持ちよ∼く乾ききっていて、すごく嬉しい。川が
そんなにきれいではないので、草や泥のカスな
どがついている。
*新たな命の誕生!
夜(と言っても明るいが)20時位から、牛の子の出産を、今か今かと待つ。まだまだの様なので、
一度ゲルに戻る。22時前になり、のんびり歯磨きをしていると、もうすぐ産まれるとの事。歯ブラシ
をほおり投げ、牛の元へかけて行った。草の後ろに隠れて、息を殺して見ていた。苦しそうに唸る
牛・・・しばらくすると、家長と奥さんがおもむろに近づいた。出産の手伝いである。牛の息も荒くな
り、私たちも息をのんで、その瞬間を待った。デロンとした塊りが出てきた、子牛だ!!産まれた!
緊張した空気が瞬時に和み、皆の顔もほころんだ・・・。
∼∼私もようやく家族と馴染んできた。
*『あやこエゲチェ(お姉さん)』
モンゴルでは、8歳から小学校へ通うらしい。
来年から学校へ通うナッスンジャルガットと、一つ下のニャムツェツェクは、姉妹のように育ち、喧嘩
も絶えない。二人の遊びに、
私はよく招待された。
私が何をしていてもお構い
なし、「あやこアクチ、あやこ
アクチ!!」しつこいほど呼
んでいる。
バイチ(待って)という言葉を
覚えた私は、早速使いまくっ
た。(ところでアクチって何だ
ろう、来てっていう事かし
ら・・・?)∼アクチではなく、
エゲチェだったみたい!
聞こえ方の違いっていうのは
ある様で、私の聞こえたよう
にカタカナにしても、
本当のモンゴル語とはズレがあるというのを感じた。
∼∼余談∼∼
モンゴルに二年間滞在していた知人がいて、一年位前にモンゴル語で手紙を書いてもらった。
当時、図書館の分厚い辞書とにらめっこして、幾つかの単語を解読していた。その時は、全くピン
とこなかったが、つい先日その手紙を発見し、見返してみた。「あ!!この訳合ってるよ∼∼!」ま
だ、全然解読出来ないが、とても嬉しかったひと時でしたー!!
12
13
遊牧民との生活体験2ヵ月
1995年4月29日∼7月15日
モンゴルを感じて−10
こなかった。
アルヒ(酒)を飲み気持ちよくなってしまった
夕方、エンクマの妹とその旦那が来て、外にじゅうたんを敷き、ホードゥ(うどん)やアルヒ(酒)を
飲み気持ちよくなってしまった。ウシ
田 口
治/1996.09.10
ェーも来ていたので、日本の酒のこ
パンフレットから転載**モンゴルを感じて**300円
とや日本に帰ったらモンゴル料理を
作るといったことに時間をだいぶ掛
けて話した。
6月29日/ドァーに対し近い方の足を立てる
目を見て話すことで通じ合うこともある。子供や大人は、私に対して真っ直ぐ見てくる。その目の
表情で感じることができるのだ。
ゲル内において座る時もルールがあるらしい。ドァーに対し近い方の足を立て、そうでない足を
折る。正面のときはどうでもいいらしい。
7月2日/わざと背中の方に
まで水をかけてやった
イッテレと馬に乗ってバガナのい
る井戸の所まで馬を走らせていた。
今日はだいぶ調子がいいようだ。尻
が痛くならない。その変わり、あと少
しでタラバガン(ねずみの大きいも
6月30日/自分が子供のように感じた
麻袋に羊の毛を詰め込んだが、うまく入らずホイックと一緒にきゅうきゅうに詰め込んだ。簡単な
ようなので、気を抜いてやったらこのざまだ。ホイックに関心。すごいと思う。モンゴルの青年は立
派な大人のように感じ、自分が子供のように感じた。
ドンド一家はラクダの肉を食べないらしい。モンゴル全体でもそんなにいないようだ。牛の乳と
の)の巣である穴の中に馬の足が入る所であった。入ったらズッテンゴロリンである。井戸に着くと
バット(サイハナの弟)もいて2人で山羊や羊に水を飲ませていた。その合間に頭を洗わせてもらっ
た。とても冷たく、頭が痛くなるほどであった。私はイッテレに水を頭にかけてやることになったが、
わざと背中の方にまで水をかけてやった。すると飛び上がって「オサム」といってきたので「オーチ
ラーラィ」(すいません)と言ってごまかした。バガナもイッテレの水で頭を洗っていた。
山羊の乳は匂いも味も違う。お腹がすていいるとき、山羊の乳を飲むと満足してしまう。
モンゴル語を話している姿を見ていると、なんだかうらやましくなってくる。現地の人なのだから
あたりまえだが、私も普通に会話の中に入りたいと思うことがある。
ツーツー、クーとかチャック
その後、山羊、羊をゲル近くまでイッテレと一緒に移動させたが、ツーツー、クーとかチャックな
ど声を出していないと動きが鈍くなってしまうようだ。
7月1日/テレビでは、虫の多さや尻の痛さは伝わってこなかった
ドンドと共に馬に乗ってウシェーゲルへ向かった。バートル(エンクマの弟)と、彼の母親、そして、
その娘と旦那もいた。ウシェーのゲルは、ストーブをとなりのゲルに置いているせいか広く感じた。
バートルは以前会ったときから分かっていたが、働き者で、いろいろとごちそうを持って来てくれた。
ウシェーが話し掛けてくれ、最近のことを話した。その後、ドンドの友人がいるラハシャブのゲルへ
向かった。そこのゲルでは、以前会ったことのある女の子がいた。また、トゥーアイマクでラマをして
エリティン・バエルラーが2匹のタラバガニを鉄砲でしとめた。どちらも頭を打ちぬかれていた。ド
ンドの姉さんやその娘エンク・トヤも来ていた。彼女は12才くらいで日本やアメリカに興味があるら
くし、言葉を教えて欲しいといってきた。「ありがとう」「こんにちは」を繰り返し覚えようとしていた。ア
メリカの言葉を知っているようなので、何をかくのかと思ったら「I
love
you」よく知っているなあ
と驚いた。正面切って言葉を覚えようとしてくる姿勢が、とても新鮮に感じた。あと、2、3日後に今
住んでいるところから移動するらしい。やっぱり遊牧民なんだなあと感じた。
いる人もいて、日本の寺のことや飛行機のことを話した。
帰りはドンドゲルまで馬を走らせた。晴れ渡った空のもと、草原の上を走る心地はたまらない。
英雄にでもなったたような気分だ。でも、虫の多さと尻の痛さにはまいった。以前テレビで草原を走
る馬を見たことがあるが、そこには効果音や映像も映っていたが、虫の多さや尻の痛さは伝わって
7月3日/肉汁だけでこんなにおいしいなんて
何と、あのおいしいとうわさされているタラバガニを食べられることになった。内臓を取ってひっくり
返した中に丸い焼石を入れ、外側をバーナーやアラカルを燃やして、その火で焼いたりしていた。
しばらくたつと汁がでてきて、子供たちは競ってその汁を飲もうとしていた。私も飲ませてもらった
14
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が、肉汁だけでこんなにおいしいなんて、これはすごいと思った。その後、肉も食べたが、やっぱり
おいしかった。
夕方、オチル(エリティンの兄)のゲルへギターを持っていった。そこで、ザブハンゴルと私の好
きな曲を数曲唄った。後から来たおばあさんが、もう一度歌ってくれといってきたので、唄った。み
んな「サイン」と言ってくれた。おばあさんが月か太陽の歌はないのかと聞いてきたので数曲頭に
サブハンゴルをうたえ
井戸へ水くみに牛車でバガナとバットと私とで行った。サブハンゴルをうたえというようなことを言
われたので、大きな声で唄ったら気持ちよかった。次ぎはと言われたので「上を向いて歩こう」を唄
った。バットがまねをしようと声を出してきたが難しいようだ。
水を汲み終え、アマル
フーのゲルへ行った。ひさ
浮んだが、わからないので、口ずさんでもらった。「まあるいまあるい...」と唄っていたので、ああ
そうかと思い、本で確かめたら「月」だった。本を見ながら3番まで唄った。おばあさんは喜んでくれ、
覚えている日本語を話してくれた。「おじいさん」「おばあさん」と...。
ビスケット、肉、アルヒをごちそうになった。アルヒはおじいさんと飲むことになり、左手で薬指と
親指をくっつけた状態で盃にひたし、それを天、ナル(太陽)に向けて軽くはじき上げるようにする。
その後飲む、きつい酒なのですぐ酔ってしまった。
しぶりにサム・フーリンに会
い、ボダー(おかゆ)やボル
7月5日/ゲルの下をめくり風通しをよくすると、昼寝に最適
ック、肉をごちそうになった。
昼間、外で手伝いをしているとすごく暑い。日本ならば梅雨時で蒸し暑くじめじめしている頃だ
バットが唄えとせかすので、
ろうが、ここの暑さはまた違う。さすような暑さという気がする。ゲル内も暑いので、ゲルの下をめくり
ザブハンゴルの一番を唄
風通しをよくすると、気持ちよい風が吹いてきて、昼寝に最適である。そんなゲルの中で子供たち
った。(歌っている途中、バ
とザブハンゴルを歌っていると、独りじゃないような気がしてよかった。
ットとボルトが吹き出してし
まった)サム・フーリンは「サ
ここに来て「つとめる」ことを教わった
今、バガナとエンクマは、知人のマシーンに乗ってトゥーアイマク
に行っている。そのためか、にぎやかさが幾分足りない気がする。
夕方近く、突然ドンドがテーブルを足に出して乗って、外でお茶を
飲もうということになった。
イン」(すばらしい)といって
くれたので、ホッとした。ま
た、私がどんな歌が好きですかと聞くと「サブハン・ゴル」と言ってくれた。ウーリン・ツアットフン(バ
ットの姉)に会うのも久しぶりだった。
ドンドが今年車を買うらしく、ロシア製がいいのか日本製がいいのか聞いてきたので、モンゴル
ドンドは、私がプレゼントしたインスタントコーヒーと冷たいスーティーツァイ(牛乳茶)を混ぜて飲
の道ならロシア製の方がいいのではないのかと、素人ながらいってしまった。ドンドの家族も近代
んでみたいらしく、私にどうかと訪ねて
化していくのだろう。
きたので、おいしくないといったが、ド
ンドはコーヒーと混ぜて私や子供たち
7月4日/尻尾の所にうじがわいていた
に飲ませてくれた。すると、意外なこと
牛のバースを運び、羊の毛を刈るのを手伝った。やり方は山羊のときと同じだ。エンクマは、ウ
においしく、まずいといった自分が恥
シェーゲルに行くらしく、蒼くきれいなデールを来て、白い馬に乗った。大丈夫なのかなとみてい
ずかしかった。どうも頭で考えることが
たが、さすが地元人、余裕ある乗りこなしであった。ホニー(羊)をみていたイッテレは、尻尾に傷が
多くまずいなと思った。
あることに気がつきつかまえてきた。私が見ている限りでは、健康のようにみえたが、近くで羊を見
ここに来て「つとめる」ことを教わっ
ると尻尾の所にうじがわいていた。イッテレはそれをとり水で洗って、油をかけペンキを塗ってやっ
たような気がする。話せないなら、つと
た。よくあんなに小さな傷なのにわかるなと感心してしまった。
めて話せるようにする。会話がなかっ
たら、つとめて何か他のことをやって
おばあさんが、もう一度歌ってくれと
名前を忘れてしまったが22才で20才の妻を持ち、男の子も1人いるという人と話した。ここから
7km離れた所に6人で住んでいるらしい。日本のことはわからないようだ。彼を見ていて、この年で
1人の子を持っているなんて、ほのぼのしてていいなあと感じてしまった。
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話題をつくる。仕事がなければ、つと
めてさがす。これは積極的になるということなのだろう。それにしても、子供たちを見ていると力強
い。
<つづく>
17
ビザ申請・発給に対して
外務省、在外大使館へ要望書提出!!
査証発給については、最近、モンゴル人の不法滞在など問題が増加していることをあげていま
すが、申請書類の事務処理、審査基準への疑問、要望がありますので、よろしくお取り計らいくだ
さい。
以上、査証発給に当たっての問題は、当協会だけではなく、友好・協力・援助団体や、モンゴ
昨年、日本大使館は、5月のコンサート演奏家招聘のビザ申請に対して、不当、かつ、無知で
傲慢な対応をしてきました。どうにか来日には、ビザ発給が間に合いましたが、いくつかの問題を
以下のように整理して、“要望書”として、近日中に送付することにします。
ルとの関わりをもっている人からも多く出されてきているところです。
ぜひ、モンゴルとの友好を広げることから査証発給に際しては、以下の要望と共に、公正、かつ、
明瞭、スムースにされることを要望します。
また、この一年、日本大使館のビザ発給については、いくつかのモンゴル関連団体から、同じよ
<参考資料/通信「モンゴルからの風」>
うな大使館の対応に怒りの声が寄せられているところです。
<査証発給に関わる質問・要望と、NGO活動への理解について>
1.査証発給の審査基準を具体的に明らかにしてください。
① 文化交流(“興行”ではない/短期滞在)の目的で、“コンサート”演奏家招聘について
外務省 査証室モンゴル担当 御中
の審査基準は、どのようになっていますか。
在モンゴル国 日本大使館 大使殿
2002.01.
モンゴル交流協会ナイラムダル
代表 大島武行
② 査証発給優遇のため企業などのリスト作成がされていますが、その判断基準は、どのように
なっていますか。
③ 地方住む申請者は、信頼できる代理人による申請を以前同様可能にしていただきたい。
321-2345 栃木県今市市木和田島 1526-152
TEL.FAX. 0288−26−0130
要
望
2.査証発給の際、NGOの友好・文化交流の実績をどのように評価されていますか。
書
3.外務事務官の資質の向上をはかっていただきたい。
<要望に当たって>
私たちモンゴル交流協会ナイラムダルは、この10年間、モンゴル民族音楽コンサートを中心に
査証発給に伴い審査基準の公正な判断能力の育成をはじめ、傲慢な対応を改めて公務員
としての資質の向上をはかっていただきたい。
約20回の文化交流のため、多くの仲間を日本に招聘し、民間交流を深めているところです。そし
て、この間、査証発給には、必要書類の提出によって、申請から1週間後になされていました。ま
4.NGO活動への理解をしていただきたい。
た、地方の演奏家の招聘ということから、申請に当たっては、当協会、または、モンゴル側友好組
① NGOは、外交政策として、どのような位置付けをしていますか。
織“モンゴル・日本交流協会?O{K(友好)クラブ”(日本大使館のHPにて関連団体として紹介)代
② 現在、どのようなNGOと、どのような関係を持っていますか。
表が代理申請し、問題なく査証発給されてきたところです。
③ NGO活動は、国の友好関係を土台から支えていること。モンゴルの具体的状況は、NGO
しかし、当協会が、昨年、4月に日本大使館に査証申請した際、申請内容や、当協会活動の実
績を判断することなく、単に“コンサート”ということから、“興行”扱いとして法務省に判断を仰ぐと
いう対応でした。これについて、わかるような説明がされませんでした。また、査証発給に1ヶ月も
かかることになりました。さらに、申請は、申請者本人(地方在住)で、代理人は認めないとの対応
がより具体的に把握している点が多いこと。ODAについて、その必要性は、より具体的に把
握していることなど理解していただきたい。
④ 外務省、在外大使館は、NGOと対等に情報交換をするシステムをつくっていただきたい。
以
上
です。
合わせて、1年ほど前から、在モンゴル国日本大使館での査証申請手続きに際しては、対応す
る職員の傲慢な態度に驚きます。
18
19
<2年/杉内佳実>
8人の子どもたちに囲まれて
この間は、モンゴルのことをいろいろおしえてくれ
てありがとうございます。馬頭琴の音色が目の前で
12月06日/塩谷町立田所小学校2年生
聞けて、よかったです。あと、みんぞくいしょうをきて
しゃしんをとったついでに、3時間めのとき、みんぞ
私(大島)の住む今市市の隣町、塩谷町の小学校で、モンゴルの話をすることになりました。2年
くいしょうをきたままべんきょうして楽しかったです。
生は8人です。2時間の授業では、みんなから次々と質問が出されました。遊牧民の生活、子ども
コンサートをするときに見にいってみたいです。また、
たちの学校生活、遊び、食べ物などや、デール(民族服)を着たりと、8人に囲まれた楽しい一時
学校にきてくださるのを楽しみにまっています。
でした。
担任の先生からは「・・・お話を伺ったことで、子どもたちは生き生きと学習に取り組むことができ
<2年/和だ剛知>
ました。また、保護者の方には、現在、CDとビデオを貸し出しています。モンゴルという国、馬頭
この間は、ありがとうございました。ぼくは、モンゴ
琴の音色の素晴らしさに感動したという手紙が寄せられました。・・・・児童をはじめ、保護者、そし
ルと日本のちがいが大島先生の話でよく分かりました。たとえば、一週間におふろに入る回すうは、
て、私までもが、国語の一教材を通して、こんなにも素晴らしい国際理解教育が深められたことに
1∼3回ぐらいとか、学校は、おとうさんとおかあさんとはなれてとまってべんきょうしたり、このほかも
心から感謝申し上げます。今回の大島様との触れ合いは、子どもたち一人ひとりの胸に深く刻み
分かったことがいっぱいありました。また、田所小に来てください。楽しみにしています。
込まれたことと思います。・・・」との感想が寄せられました。
<2年/野滝裕生>
<2年/君島由奈>
この間は、どうもありがとうございました。もんごる
このあいだは、馬頭きんの音色をきか
のことがよくわかりました。わたしは、モンゴルは、日
せてくれたり、しつもんにこたえてくれて
本とぜんぜんちがうんだなと気づきました。大島先
ありがとうございました。わたしは「モンゴ
生の馬頭きんの音色がとってもきれいな音色だなと
ルでのくらし方や、ごはんは、何を食べ
思って聞いていました。こんど田所小に来た時は、
るか」など、くわしくわかりました。大島先
また、馬とうきんの音色を聞かせてください。
生の話を聞いて、モンゴルの生かつは、
たいへんなんだなと思いました。モンゴ
<2年/手塚涼太>
ルは、水どうなどはなく、いどから水をひ
この間は、馬頭琴の音色を聞かせてもらってあり
いてくることがわかりました。また、田所
がとうございました。もののねだんもわかってよかっ
小学校に来てくれることを楽しみに待っ
たです。一番よかったのは、みんぞくいしようをきたと
ています。
ころとブーツをはいたところです。とてもあたたかかっ
たです。もやすものなどもわかりました。ぼうしの高い
<2年/金井むつみ>
この間は、モンゴルのことをおしえてく
ほうは男、ぼうしのひくいほうは女ということもわかっ
てよかったです。来年の10月のコンサートがんばってください。ぼくもぜひ聞いてみたいです。
れて、ありがとうございました。ばとうきん
の楽きが白いうまのどこでできているか
<2年/柿沼奈桜>
ということも、モンゴルの人がどんなせい
この間は、馬頭琴の楽きをひいてくれてありがとうございました。お話をしてくれたのでモンゴル
かつをしているかとか、どんなものをた
のことがよくわかりました。みんぞくいしょうもきせてくれましたね。モンゴルと日本のちがいがわかり
べているかを、おしえてくれてありがとう
ました。大島先生のお話はとてもよくわかりました。また、田所小学校にきてくれるのを楽しみにし
ございました。また、田所小に来てください。
ています。
20
21
とちぎインターナショナル・フェスティバル
2001
<援助金・物資 預かりました>(敬称略)今後、モンゴル滞在の際に、渡してきます。
* 大田原ゆみ子/日光市(衣類9キロ)
◆ 10月14日(日)10時∼16時
◆ 栃木県子ども総合科学館(宇都宮市)
<新会員紹介>2001年10月∼12月 納入分(敬称略)
<ナイラムダルの参加内容>
*塩谷町立田所小学校、*宇都宮市立細谷小学校
*写真展もなど展示
*民族服試着コーナー/大人用、8歳用、12歳用/男女
<ナイラムダル活動援助金>2001年(敬称略)計/16,000円
*モンゴル関連物販/CD、ビデオ、小冊子、小物など
宮坂義忠/3000円、伊元富士子/1000円、岩本正義/8000円、和光昌俊/4000円
昨年までは、栃木県国際交流センターでの開催でしたが、今
―――<あとがき>―――――――――――――――――――――――――
回は、“子ども総合科学館”ということで、子ども連れの親子が大勢
新たな世紀も、自爆、報復戦争、飢餓、自然破壊など、人間社会が“人の命を絶つ”“殺人”が引
き続き起こるという、幕開けになってしまいました。私たちは、人類の歴史から、物事の起こった“原
因”を考えるという知恵を得てきました。また、“人間ひとりの命は、地球より重い”ということも学んで
きました。しかし、この人としての知恵・心は、一人ひとりの中にあっても、国家や組織になると、忘
れ去られることになっているようです。なぜなのでしょうか!
また、言葉のごまかしも大手をふっています。“自爆”とは、好きで命を絶つことはありません。家
訪れて、賑やかに行われまし
族や民族を守るための最後の手段になっているのではないでしょうか。“戦争”は、国家間で行わ
た。
れる殺人、人間社会の財産の破壊です。“飢餓”は、救うことのできるものです。“自然破壊”は、一
また、夏の“ う つく しま未来
部の人が富を得るための開発です。身近にもあります。“リストラ”は、以前は、「首切り」といってい
博”で準備し、たいへん好評
ましたが、まさに生活を破壊することです。“国債発行”は、借金ですが、政治家自ら懐を痛めず、
だった“子ども用のデール(民族服)”があったことから、親子で着てみる人もいました。
税金引き上げということです。
<スタッフ参加者>
立花みち子、渡辺道雄、板谷夏美(小学生)、山崎安佳里(小学生)、山崎友子、大島武行
◆
◇
◆
◇
◆
ナイラムダルにとっても、新しい世紀のはじまりは、“ビザ発給”“失踪”の問題が起こりました。し
かし、友好コンサートは、10周年を迎え、“うつくしま未来博”にたくさんの会員が参加しました。交
流も比留川さん宅で行われました。国際理解教育の一環で、小学校の子どもたちに、モンゴルの
“入間市万燈まつり”国際交流に参加◆ 10月27日∼28日
昨年は、ナイラムダルとして参加しましたが、今年は、昨年知り合った入間市近くに住むナルサ
ルマーさんが出店するということで、アドバイスなど協力しました。
ナルサルマーさんは、日本人の知人9人が協力してくれて、“ホーシュル”を160個あまりを売り、
また、スーティー・ツァイ(牛乳茶)の試飲をして、モンゴルの食べ物を多くの人に紹介できたと、喜
んでいました。
異文化を紹介する機会も多くなってきました。
今年から、ぜひ、意識的に異文化を理解すると共に、“共通点”も見出しながら、それぞれが身
近な生活での生き方に生かされていければと思います。
そのためにも、一人ひとりの学んだことを大事にすることとあわせて、人と人とのつながりを大事
にしていきたいと考えています。
ナイラムダルの活動は、希望がある会員が、少しでも身近に活動できるようにと考えているところ
です。ご意見がありましたら、お寄せください。
◆
◇
◆
◇
◆
「日曜日は雨が降りました。初めて、準備が大変でしたが、モンゴルの料理を多くの人に紹介す
私は、3年半ほど前に、東京から田舎に戻っていましたが、昨年11月に父を亡くし、時間も取れ
るということで、やりました。モンゴルがどこにあるかわからない人も多く、いろいろ尋ねられることも
るようになったので、6月にでも1ヶ月間モンゴル全土をまわって、じっくりと人々の生活を見てきた
あって、まだまだ、知名度は低かった。」(ナルサルマー)
いと考えています。そのなかで、新たな生き方を見出せればと考えています。/おおしま
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