講演録

2003年(第14回)福岡アジア文化賞 市民フォーラム
アジアポップスセミナー ∼ディック・リーの夕べ∼
「音楽にのせて ∼アジアのアイデンティティを探す旅∼」
ディック・リー
【日
【会
時】
場】
2003年9月20日(土) 18:00∼20:00
イムズホール(福岡市中央区天神)
【プログラム】
趣旨説明・出演者紹介
パフォーマンス
チャリティーオークション
ラストソング
司会:ジェームス天願
藤井 知昭(中部高等学術研究所副所長)
ディック・リー(芸術・文化賞受賞者)
ディック・リー
Ⅰ
趣旨説明・出演者紹介
藤井知昭:初めにディック・リーさんがどうして福岡アジア
文化賞芸術・文化賞の対象になり、こうして賞をもらわれた
かという背景を少しだけお話させていただきます。
オリンピックは、スポーツだけじゃない!
オリンピックというのはまさにスポーツの大イベントです
が、一方では文化振興にも一役買っています。それで皆さん
思い出していただきたいのですが、前回のシドニーオリン
ピックの開会式では、オーストラリアの先住民アボリジニの
音楽を中心として式典が展開されました。私は、アジア太平
洋音楽学会の会長をしている関係で、何回もシドニーの開会式について議論しました。その
中で、オーストラリアでオリンピックをやる以上、その地域の文化の特性を出さなきゃいけ
ない、ということで選ばれたのがアボリジニの音楽だったわけです。今まであまり重視され
なかった少数民族、あるいは先住民を大事にしていこう、その文化を大事にしようというメッ
セージがそこには込められていたと思います。
世界芸術文化会議
1999年パリ、2000年サンパウロで、世界芸術文化会議が行われました。その時に、グロー
バル化していく中で、それぞれの国あるいは民族、その地域社会の芸術文化をどうするか、
という問題が大きなテーマになったわけです。その中で特に話題になったのが、インドネシ
アのスンダ地域の地方語で歌ったスンダポップや、タイやラオスなどのモーラムという伝統
芸能とポップスをあわせたポップモーラムや、先ほどお話しましたアボリジニの音楽とポッ
プスをあわせたアボリジニポップなどです。地域にきちんと根をおろし、さらに世界に通用
する音楽を広げていくという動き、これこそ21世紀の芸術文化を考える大きなひとつの流れ
ではないかというのがこの会議の焦点でした。
ユネスコの「人類傑作宣言」*
2001年5月ユネスコが「人類傑作宣言」をだしました。その中で、日本からは能楽が選ば
れました。今年もまた二回目の「人類傑作宣言」がでる予定です。グローバル化がすすむ中
で、また、どんどん近代化する中で、それぞれの地域の中で大切にされてきたもの、そして
それが国際的にも共通の理解を生むようなものを大事にしていこうという動きだと思います。
こういう流れの中で、今、一番注目されているのがアジアポップです。ポップといわれる文
化の中には音楽だけではなく、映画もあればもちろん美術もあります。それだけ非常に多く
の人々の中に影響力を持って広がっているアジアポップを重要視する国際的な流れが出てき
ているわけです。
*正式名称は「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」。ユネスコが1998年に規約を採択。日本からは第1回目の
2001年5月に能楽、第2回目2003年11月には人形浄瑠璃文楽が指定されている。
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ディック・リー氏が賞に選ばれたわけ
今までの話で、皆さんお分かりいただいたと思いますが、ディック・リーさんのお仕事は
まさにそこにあったのです。日本で1990年にアルバム『マッドチャイナマン』を出され、そ
れが非常に高い評価を受けました。ディックさんの音楽活動というのはきちんとアジアに根
をおろしている。そしてロックという形に乗せて、しかもそれが極めて洗練されている。そ
して分かりやすい。理解しやすい。そういう音楽を作ってこられた一番のアジアポップスの
旗手であり、先導者であります。
また、ディックさんは、シンガポールという多様な文化が融合する中で成長されました。
イギリスへ留学された時に、自分の母国へ帰ったような安らぎを覚えたということでした。
一方で、やはり自分はアジア人ではないかという思いが生まれてきたそうです。そこで、ア
ジアのいろいろな文化、そしてそれを重視した音楽を創るようになった。例えば、彼は作品
の中で「シングリッシュ」という、シンガポール訛りの英語をあえて使った。つまり自分た
ちの日常生活の中で使われている言語、これを大事にしなければならないという主張の中で、
彼はそういう歌を創りつづけています。彼にはいろいろな作品がありますけれども、自分自
身のアイデンティティは何か、自分はやはりアジアの人間ではないかということをきちんと
考えて、ポップスというひとつの様式の中で、みごとに洗練され、聞きやすく、深みのある
音楽を創っているのです。それぞれの地域の文化、特にアジアを重視しながら、ロックとい
う世界共通の言葉に置き換えて作品を創っています。音楽制作において、本当にアジアを大
事にし、さらに世界に広げていくという大切な役割を担っています。このような彼の業績と
いうのは、まさに福岡アジア文化賞にふさわしいということで賞に選ばれたわけです。
ディック・リー氏の新しいアルバム『ライス』
新しい彼のアルバムは『ライス』つまり米です。これも上手に彼の主張が現れています。
アジア人は皆お米を食べるじゃないかと。そのお米を基本にして暮らしているアジア人のた
めの音楽を、というのが新しいアルバムで出てくると思います。
それでは、私がいろいろ言うよりも、直にディックさんの音楽そのものに触れていただき
ましょう。それでは、どうぞゆっくりディックさんのお話、歌を聴いてください。
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Ⅱ
パフォーマンス
ディック・リー氏によるミニコンサートが行われ、リー氏の音楽に対する思い、アジアに
対する思いを語り、歌った。
****
ジェームス天願(以下J)
:
皆さんディック・リーさんです。大きな拍手を
お願いします。
ディック、福岡へようこそ。そして受賞おめで
とう。
あなたは、音楽やパフォーマンスという形で
アジアの文化を表現してきましたね。あなたの
前に座っているファンは今朝早くからこの時を
待っていました。遠くから来てくれたファンも
大勢いると思いますよ。
今日の舞台セットは、ディック・リーさんのお宅のリビングルームに招かれたかのような
雰囲気ということです。私もここで皆さんと共に楽しんでまいりたいと思います。じゃあ、
ディック、スタンバイをどうぞ。
ディック・リー(以下D)
:私の新しいアルバム『ライス』の中から一曲演奏します。このア
ルバムはインストゥルメンタルアルバムです。
『セラドン』です。聞いてください。
♪セラドン♪
♪エイジア・メイジア♪
D:今日は皆さんに私のアジアの旅についてお話しようと思います。
私はシンガポール生まれです。シンガポールは多民族国家で、私は異なる文化が隣り合う
環境の中で育ちました。そして、小さいときからこの違う文化を当然のものとして育ちまし
た。シンガポールはマレーの一部で、マレー国家の一つでしたので、シンガポールの言葉は
昔も今もマレー語です。イギリスの支配下にもおかれましたので、イギリス英語も広く話さ
れていました。今日まで、その英語が公用語として残って話されています。子どもの時はこ
んな環境下で、自分のことをあまり深く考えることなしに育ちました。
曲を作りたいと思ったときにどんな歌を書けばよいのかわかりませんでした。マレー語も
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しっくりこないし、中国語は話せないし、もし英語で歌えばイギリス人の英語を真似してい
るように思ったものです。
子どものときに聴いた音楽は様々でした。母は中国のポップスをよく聴いていました。父
はジャズファンで、グレン・ミラーのような大人数のジャズバンドやアメリカのバンド音楽
のファンでした。ですから、いつもこういった音楽が家に流れていたのです。
これからお聞かせするのは、母が好きな中国のポップスで、いつも家で歌っていた曲です。
ウォーウォーニーニー
♪ 我 我 你你♪
D:この歌は、自分の中で非常に強いイメー
ジがある曲だったのでアルバム『マッド・
チャイナマン』にいれました。
もう一曲学校でよく聴いたのはこの歌です。
『リトル・ホワイト・ボート』といいます。
中国語で教わって歌っていましたが、実際
は韓国の歌です。今日は、歌詞を英語に直
して歌います。
♪リトル・ホワイト・ボート♪
D:とてもシンプルな曲でしょう?この曲を最初に歌ったのは、7歳か8歳の頃だと思います。
学校で歌い始めた頃、音楽の時間は大好きでした。でもピアノの練習は嫌いだったですね。
ある時、母がくじでピアノをあててしまいました。突然、ピアノが家に来て、それから無
理やりピアノの練習をさせられたのです。当時はそんな母が嫌いでしたが、今ではピアノを
習わせてくれた母に心から感謝しています。
シンガポールは歴史が非常に浅く、まだ自分達の愛唱歌がないことに私は気付きました。
私は自分の音楽が、将来シンガポールの愛唱歌になればいいなと思います。
これから聞いていただく曲は、『カンポン・アンバー』というミュージカルの中の1曲で、
シンガポールの大統領がとても気に入ってくれて、国歌として採用したいとおっしゃってく
ださった曲です。
♪ブンガ・サヤン♪
J:ディック、この曲の題名『ブンガ・サヤン』の意味を教えてください。なぜこのタイトル
をつけたのですか。
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D:
「ブンガ・サヤン」はマレー語です。
「ブンガ」は花、
「サヤン」は愛。ですから「愛の花」
という意味になります。
今度は、16歳の時に音楽の道に入ったときの歌を歌います。自分で作曲しました。藤井先
生からシンガポールの英語、シングリッシュのお話しがありましたが、例えばシンガポール
ヤ ー ラー
ノー ラー
では「Yeah-lah」
(Yesの意)とか「No-lah」
(Noの意)とか言いますが、これがシングリッシュ
です。どこの真似でもないシンガポールの歌を書こうと思いました。ですから、シングリッ
シュをたくさん使って曲にしたんです
そしてこれは30年前に私が始めてレコード契約をした曲でもあります。
『フライド・ライス・パラダイス』です。
♪フライド・ライス・パラダイス♪
D:89年と90年にこのアルバムをレコーディングしたのですが、自分の人生を変えることにな
りました。
80年代に、何枚かアルバムを出しましたが、そのアルバム全部の中で自分の音楽の方向性
を模索していました。この頃は主に西洋のスタイルを真似て曲を作っていました。
そして89年、最後にもう一枚ださないかという話がきました。私は「わかった、最後の一
枚にしよう」とその時考えました。
これが自分にとって最後の一枚だから、自分の思うとおりのことを何でもしてみようと
思ったのです。そこで、自分が影響を受けた音楽、今の自分を作り上げた音楽を山のように
盛り込んでみました。中国のポップス、マレーのポップス、インドの歌等など、それまで自
分が聴いてきた音楽を曲の中で表現しようとしました。
そしてこの要素を全部含んでできたのがアルバム『マッド・チャイナマン』でした。
♪マッド・チャイナマン♪
D:私が、アルバム『マッド・チャイナマン』を持っ
て日本に来たときに、突然アジアの大使になってしま
いました。1990年のことです。シンガポールにこんな
男がいたのかと驚いたようです。少なくとも、日本で
は、シンガポールに私のような人物がいることは大き
な驚きだったみたいです。
「別に、何も特別なことはあ
りませんよ。私はただの皆さんと同じアジア人です。
私達はみんなアジア人でしょう。」と私は答えました。
私達は誰もが同じです。日本は島国ではありますが、我々は皆同じ大陸の出身です。そう
でしょう?それぞれ文化は違います。でもアジア人という同じ魂を共有しているのです。
そしてこの魂が「ライス−米」です。そう思って今度のアルバムのタイトルを『ライス』
にしました。
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こんなわけで、『マッド・チャイナマン』に続く次のアルバム『エイジア・メイジア』で、
『マッド・チャイナマン』でやろうとしたことをもう一度やろうと決めました。つまり、古
いものを新しく創り直そうと思いました。日本風にした曲もあります。
♪スキヤキ♪
D:
『スキヤキ』でした。
私はアジアの様々な音楽を研究し、アジア
中を旅してまわりました。その中で、最も感
動したのがバリ島でした。私はガムランの音
が大好きになりました。とてもなじみのある
音に聞こえました。その後まもなくしてバリ
の音楽、ガムランの音階が日本の三味線の音
階と全く同じだということに気付いたのです。
例をあげましょう。アルバム『ライス』の中
の一曲『セラドン』の曲にバリの音階をたく
さん使いました。こんな感じです。
♪音階♪
日本の音楽のような響きがあるでしょう。これがバリの音階です。
今度ガムランの音楽を聴く機会があったら、皆さんは日本の音楽と似ていることに気付くと
思います。
1993年にミュージカル『ナガランド』を作りましたが、バリの音楽に感動して作ったもの
です。それでは『ナガランド』からラブ・ソングを。
♪ナガランド♪
D:アジアを旅しているうちに自分に流れている中国人としての側面にも気付きました。香港
に行き、そこで有名なシンガポール人、サンディ・ラムに会うことができました。 私は彼女
に自分の曲『ラバーズ・ティアーズ』を歌ってくれるよう頼み、その後、私達はすっかり仲
良しになりました。彼女は香港ではじめて行った大きな規模のコンサートで、私をゲスト・
パフォーマーとして呼んでくれました。この香港で6,000人の観客を前にしてステージに立っ
たとき、私は自分がとても誇らしく思えました。そして母を思い浮かべました。母は私にずっ
と中国のポップ・シンガーになって欲しいと思っていたので、喜んでくれているだろうと思っ
たのです。その後、多くの中国人のポップ・シンガーと仕事をしました。その中で最も人気
のあるシンガーの一人がレスリー・チャンでした。彼が自らの命を絶ったことはとても悲し
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いことですが、いつも彼のことを思います。これから、彼の出演した映画のために作ったこ
の歌を彼に捧げたいと思います。
♪追−The Search of My Life♪
D:レスリーのために・・・。
私は最近、中国の音楽業界でよく仕事をしま
す。この中国の音楽はどんどん洗練されてきて
いると思います。シンガポールを代表する最も
優れたチャイニーズポップの歌手が今福岡にき
ています。タニヤ・チュアです。明日7時にア
ジアマンスのステージに立ちます。とても才能
ある歌手です。
私はシンガポールを取り上げた曲をたくさん創りました。今から聴いていただきたい曲は、
日本滞在中、ホームシックにかかったときに書いたものです。
♪シンガポール・ナイト♪
J:ありがとう。ところで、ディック。その若さはどうやって保っているの?
D:それは秘密だよ。というのは嘘で、特別なケアはしていません。普通に石けんで顔を洗っ
ているだけ。せいぜい、髪の毛を染めているぐらいですよ。
次は『モダン・エイジア』という曲を聴いてください。アジアを歌った曲です。
♪モダン・エイジア♪
D:次の曲は、大阪のなみはや国体の時に天皇・皇后両陛下の前で歌った曲で、とても誇りに
思っている曲です。
♪WE CAN CHANGE THE WORLD∼いまこのとき∼♪
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Ⅲ
チャリティーオークション
チャリティーオークションでは、今では既に廃盤になっているレコードなど、ディック・
リー氏の秘蔵品が出品され、5人の熱心なファンが落札した。収益金は、福岡国際交流協会
の留学生基金に寄付された。
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オークション出品物5点
23歳の時リリースし、現在は
廃盤となっている貴重なレコード盤
サイン入りノート・生写真
1990年『マッドチャイナマン』ツアー
1990年『マッドチャイナマン』
の時、お守り代わりに身につけていた
ネックレス・ブレスレット
ツアーのポスター・Tシャツ
リー氏デザインのメンズシャツ
エイジア・メイジアの缶バッチ
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Ⅳ
ラストソング
J:それでは、お別れに一曲歌っていただきます。
♪見上げて♪
D:ありがとう。
J:ディック・リーさんへ大きな拍手をお願いします。ディック、ありがとう。
アジアと日本ではなく、日本もアジアの一員だというディックのメッセージを感じていただけ
たと思います。皆さんありがとうございました。
この内容は、2003年(第14回)福岡アジア文化賞芸術・文化賞受賞者ディック・リー氏のコンサートの様子をまと
めたものです。
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