なぜ日本の財政赤字は拡大したか?*1

<財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」July―2
0
0
2>
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?*1
−9
0年代の「ニュース」からの視点−
福田 慎一*2
要
約
景気の低迷が長引くなか,財政赤字の累積は,今日の日本経済においてもっとも深刻な
問題の1つとなっている。90年代における日本の国債累積は,長引く景気の低迷による税
収の落ち込みが原因の1つである。しかし,もう1つの重要な要因は,度重なる経済対策
による財政支出の拡大があげられる。そこで本稿では,なぜ9
0年代に財政支出の拡大が継
続されたかを考察する。
この問題に対する標準的な解答は,90年代は不況が長期化したため,ケインズ政策によ
って財政支出が拡大されたというものであろう。しかし,本稿では,株価の上昇が当面の
政策の指標として用いられたという観点から,9
0年代に財政支出の拡大を加速させた要因
を検証する。株価は,企業収益の割引現在価値を反映した forward−looking な変数である
ため,同じように企業収益にプラスの効果をもたらす政策であったとしても,予想されな
いニュースのみが株価を押し上げる効果がある。したがって,株価の動向が過度に注目さ
れたなかで,ニュースによって株価を上昇させるためには,常に予想以上の財政支出の拡
大が必要となり,それが90年代を通じて財政支出拡大のスパイラルを引き起こした可能性
がある。
以下では,このような財政赤字拡大のプロセスを,大規模な経済対策のニュースに対す
る株価の反応をみることによって,イベント・スタディーの観点から検証する。分析の大
きな特徴は,『日本経済新聞』の記事を調べることによって,どの時点で政府が財政支出
を拡大することを決定したのかを明らかにし,そのニュースに対して株価がどのように反
応したのかを測ることにある。分析では,昼と午後の日次データという頻度の高いデータ
を使うことによって,政策決定のアナウンスがどのようなインパクトをマーケットに与え
たかが調べられる。頻度の極めて高いデータを利用することのメリットは,ほぼ同時に起
こったその他のイベントの影響と財政支出拡大の決定の影響とを識別できることである。
特定の政策決定のアナウンスメントが与えたインパクトを正確に検証することは,より頻
度の高いデータを使った分析で初めて可能となる。
本稿では,1990年代に政府によって実施された8度の経済対策が株価に与えたインパク
トをみることによって,財政赤字拡大のメカニズムを検証する。政府が決定する「経済対
策」は,政府があらかじめ補正予算の内容を金額も含めて具体的に発表するものであり,
詳細では曖昧さも残るが,日本における財政政策に関するもっとも重要なニュースである。
*1
本稿をまとめるにあたっては,倉澤資成(横浜国立大学)
,植草一秀(野村総合研究所)
,河合正弘(財
務省)の各氏をはじめとする財務総合政策研究所のワークショップ参加者から貴重なコメントをいただい
た。ここに記して謝意を表したい。
*2
東京大学大学院経済学研究科教授
−8
3−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
分析では,はじめに,90年代における経済対策の事業規模が,回を追うごとに増額された
ばかりでなく,各決定プロセスにおいて当初の見込み案から最終案が決定されるまでに数
兆円単位で必ず増額されていったことが明らかにされる。次に,各経済対策のニュースが
株価に与えたインパクトは,事業規模の増額にもかかわらず,9
8年4月の経済対策を例外
として,90年代を通じておおむね低下する傾向があったことが示される。
これらの結果に対する1つの解釈は,財政政策のファンダメンタルズに与えるインパク
トが90年代を通じて低下し,その結果として,財政支出拡大による株価押し上げ効果も低
下したというものである。しかし,もう1つの解釈は,財政支出の拡大が頻繁に行われた
結果,民間は同様の財政政策が今後も継続して行われるとあらかじめ期待するようになり,
これまで通りの財政政策を行うというコミットメントでは株価を押し上げることができな
くなったとするものである。
9
2年8月と93年4月の経済対策や98年4月の経済対策はいずれも,それまでの財政再建
路線を転換し,財政拡大への政策転換があった直後の経済対策である。このため,これら
の経済対策でのみ大きな正のインパクトが観察されたという事実は,この第2の解釈をサ
ポートするものと考えられる。また,各経済対策の決定プロセスにおける株価の推移をケ
ース・スタディーとして検討した場合でも,第2の解釈が妥当性を持つケースは少なくな
かった。
第2の解釈が正しい場合,市場の予想を上回る規模の追加的な財政支出は,市場でファ
ンダメンタルズの改善に効果があると認識される限りにおいて,株価を上昇させる。また,
予想された財政支出のアナウンスメントがその期の株価を上昇させないからといって,財
政政策が無効という主張には必ずしもつながらない。しかし,政府がニュースによって株
価を押し上げようと考える限り,財政支出は前年度の規模を大幅に上回ることが必要とな
り,その結果,財政赤字は着実に拡大する。特に,財政支出の限界的効果が歳出規模の拡
大とともに逓減するならば,追加的な財政支出拡大のニュースは,株価にさほどプラスの
影響を及ぼすことなく,財政赤字を着実に拡大させることになる。
より深刻な問題は,その期の追加的な財政支出の拡大が1つの既成事実となり,次の期
には市場はそれまで以上の財政支出の拡大を期待するようになってしまうことである。そ
の結果,経済対策のニュースによって株価を上昇させるためには,毎期少なくとも前期よ
りも大きな財政支出の上積みが必要となり,それが財政支出の加速度的拡大という「財政
赤字拡大のスパイラル」を生み出すことになる。
経済対策に関するケース・スタディーの結果では,9
0年代終わりになると,財政の拡大
が必ずしも経済のファンダメンタルズの改善に役立たないのではないかという認識もマー
ケットに広がり始めた可能性が示唆されている。その意味で,9
0年代終わりには,巨額の
財政支出による株価浮揚策は限界にきていたといえ,財政赤字拡大のスパイラルを断ち切
る政策転換が不可避であったと考えられる。
−8
4−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
Ⅰ.はじめに
景気の低迷が長引くなか,財政赤字の累積は,
いうものであろう。9
0年代の実質 GDP 成長率
今日の日本経済においてもっとも深刻な問題の
は,9
0年代初めと9
5年末から9
7年初めを除けば,
1つとなっている。19
9
0年代初頭の段階で主要
ほぼ一貫して低迷していた(図2)
。このため,
先進国の国債残高(対 GDP 比)を比較した場
景気を下支えするために,
「ケインズ政策」の
合,日本の国債残高はさほど際だったものでは
名の下に,財政支出の拡大が継続されたことは
なかった。しかしながら,90年代を通じて多く
事実であろう。
の先進国が国債依存度を減少させるのに成功し
しかしながら,各経済対策では,ケインズ政
たのに対して,日本の国債残高は90年代ほぼ一
策がどれだけ有効かどうかの議論が十分に検証
貫して増加を続け,日本の国債残高(対 GDP
されることなく,
「緊急性」という視点から実
比)は今日ではイタリアを抜いて先進国でもっ
際の財政支出の額が政策的に決定された。とり
1)
とも大きな国となってしまった 。
わけ,各経済対策の決定プロセスを振り返って
このような90年代における日本の国債累積は,
みると,新聞紙上などでの政策の評価は政策が
長引く景気の低迷による税収の落ち込みが原因
発表された当日に株価が上昇したかどうかとい
の1つである。しかし,もう1つの重要な要因
う観点から行われることが少なくなかった。こ
は,度重なる経済対策による財政支出の拡大が
のため,当面の政策の「緊急性」は,目先の株
あげられる。たとえば,図1には,国民所得統
価の動向に左右されて判断されたという側面が
計(93SNA)において,政府消費支出と公的資
少なからずあったと考えられる。
本形成の合計が1980年代後半以降どのように推
本稿では,9
0年代の財政政策では株価の上昇
移してきたかを対 GDP 比でグラフに表したも
が当面の政策の指標として用いられたという観
のである。図から,8
0年代後半には対 GDP 比
点から,9
0年代に財政支出の拡大を加速させた
で2
0%程度であった政府消費支出と公的資本形
要因を検証する。株価は,現在から将来にかけ
成の合計が,93年度以降,23%程度にまで上昇
ての企業収益の割引現在価値を反映した for-
し,その後もわずかながら上昇する傾向があっ
ward−looking な変数である。このため,同じよ
たことが読み取れる。政府消費支出と公的資本
うに企業収益にプラスの効果をもたらす政策で
形成の合計には,用地取得など付加価値を生ま
あったとしても,予想されないニュースのみが
ない政府支出や減税は含まれないことを考慮す
株価を押し上げる効果があり,あらかじめ予想
れば,90年代における政府負担の増加は,図が
されたニュースは株価をほとんど押し上げるこ
示すよりもさらに膨らんだ可能性が高い。
とはない。したがって,株価の動向が過度に注
本稿の目的は,なぜ90年代に財政支出の拡大
目されたなかで,財政政策のニュースによって
がこのように継続されたかを考察することであ
株価を上昇させるためには,常に予想以上の財
る。この問題に対するもっとも標準的な解答
政支出の拡大が必要となり,それが9
0年代を通
は,90年代は不況が長期化したため,ケインズ
じて財政支出拡大のスパイラルを引き起こした
政策によって持続的に財政支出が拡大されたと
可能性がある。
1)日本におけるこれまでの財政運営に関しては,浅子(2
0
0
0)
,浅子・福田他(1
9
9
3)
,井堀他(2
0
0
0)
,貝
塚編(2
0
0
1)などを参照のこと。
−8
5−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
図1
政府消費支出と公的資本形成の合計(対 GDP 比)の推移
0.25
0.23
0.21
0.19
0.17
0.15
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
00
年度
図2 9
0年代の実質 GDP の増加率(対前年同期比)
8
6
4
2
99.III.
99.I.
98.III.
98.I.
97.III.
97.I.
96.III.
96.I.
95.III.
95.I.
94.III.
94.I.
93.III.
93.I.
92.III.
92.I.
91.III.
91.I.
90.III.
-2
90.I.
0
-4
「ルーカス批判」でも知られるように,同じ
財政支出の拡大が不可避となる2)。
政策が過去に何回か行われると,民間主体はそ
本稿では,このような財政赤字拡大のプロセ
れに応じて,期待や行動を変化させる(Lucas
スを,大規模な経済対策のニュースに対する株
(1
97
6)
)。このため,9
0年代の日本経済のよう
価の反応をみることによって,イベント・スタ
に,財政支出の拡大が頻繁に行われると,それ
ディーの観点から検証する。分析の大きな特徴
に対応して民間は同様の財政政策が今後も継続
は,
『日本経済新聞』に掲載された記事を詳細
して行われると期待することになる。その結果, に調べた福田・計(2
0
0
2)の結果を利用するこ
これまで通りの財政政策を行うというコミット
とによって,どの時点で政府が財政支出を拡大
メントでは株価を押し上げることができず,政
することを決定したのかを明らかにし,そのニ
府が財政政策のアナウンスメントによって株価
ュースに対して株価がどのように反応したのか
を上昇させようとする限りにおいて,持続的な
を測ることにある3)。
2)これは,Kydland and Prescott(1
9
7
7)の「動学的不整合性(time inconsistency)
」が発生したものとも解釈
することができる。
3)サンプル期間は多少異なるが,福田・計(2
0
0
2)では,同様のイベント・スタディーを株価に加えて,長
期金利,為替レートについても行っている。
−8
6−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
分析では,昼と午後の日次データという頻度
かりでなく,各決定プロセスにおいて当初の見
の高いデータを使うことによって,政策決定の
込み案から最終案が決定されるまでに数兆円単
アナウンスがどのようなインパクトをマーケッ
位で必ず増額されていったことが明らかにされ
トに与えたかが調べられる。頻度の極めて高い
る。次に,各経済対策における財政支出拡大の
データを利用することのメリットは,ほぼ同時
ニュースが株価に与えたインパクトは,事業規
に起こったその他のイベントの影響と財政支出
模の増額にもかかわらず,9
8年4月の経済対策
拡大の決定の影響とを識別できることである。
を例外として,9
0年代を通じておおむね低下す
四半期や月次レベルのデータでは,現在起こっ
る傾向があったことが示される。
ているマクロ的な変化が,財政支出のニュース
これらの結果に対する1つの解釈は,財政政
によるものなのか,それ以外のニュースによる
策のファンダメンタルズに与えるインパクトが
4)
ものなのか区別することは難しい 。特に,財
9
0年代を通じて低下し,その結果として,財政
政政策は金融政策など他の政策手段とほぼ同じ
支出拡大による株価押し上げ効果も低下したと
時期に決定される傾向にあるだけでなく,一定
いうものである。しかし,もう1つの有力な解
期間に複数の財政政策のパッケージが順を追っ
釈は,財政支出の拡大が頻繁に行われた結果,
て決定され,変更されていくのが通常である。
民間は同様の財政政策が今後も継続して行われ
したがって,特定の政策決定のアナウンスメン
るとあらかじめ期待するようになり,これまで
トがどのようなインパクトをもったかを正確に
通りの財政政策を行うというコミットメントで
検証することは,より頻度の高いデータを使っ
は株価を押し上げることができなくなったとす
た分析で初めて可能となる。
るものである。第2の解釈は,9
0年代を通じた
本稿では,1990年代に政府によって実施され
財政支出拡大のニュースが株価に与えたインパ
た8度の経済対策が株価に与えたインパクトを
クトが,過去に財政支出が緊縮的であったかど
みることによって,財政赤字拡大のメカニズム
うかで大きく異なるという結果とも整合的であ
5)
を検証する 。これら経済政策の決定に注目す
る。
る理由は,それが補正予算による財政支出の拡
本稿では,いくつかの経済対策決定プロセス
大に対するコミットメントと考えられるからで
の中で株価がどのように推移したかをケース・
ある。日本の財政政策では,慣例として,各年
スタディーとして取り上げながら,第1の解釈
度の当初予算は前年度の当初予算を踏まえて決
に加えて,第2の解釈がある程度説明力を持つ
定される傾向にある。このため,不況期に景気
ことを議論する。そして,株価の動向が過度に
対策を実施する必要が生じた場合には,補正予
注目されるなかで,大規模な財政支出拡大が株
算を組むことによって財政支出を行うことにな
価に与えるインパクトが低下した結果として,
る。政府が決定する「経済対策」は,政府があ
財政赤字拡大のスパイラルに陥る傾向が生まれ
らかじめ補正予算の内容を金額も含めて具体的
たことが検討される。
に発表するものであり,詳細では曖昧さも残る
が,日本における財政政策に関するもっとも重
要なニュースである。
分析では,はじめに,90年代における経済対
策の事業規模が,回を追うごとに増額されたば
4)四半期レベルのデータを使って9
0年代の財政政策の効果を分析した研究としては,谷内・宮川・板倉
(1
9
9
4)
,伴(1
9
9
6)
,堀・鈴木・萱園(1
9
9
8)
,山澤・中野(1
9
9
8)
,Bayoumi(2
0
0
1)などがある。
5)9
0年代の経済対策の効果を分析した過去のケーススタディーとしては,清水・伊藤・楜沢(1
9
9
5)がある。
−8
7−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
Ⅱ.なぜ株価が政策指標として使われたか?
公式ベースでは,政府が90年代を通じて株価
第2は,9
0年代になって株価など資産価格の
の上昇を政策のターゲットとして財政政策を実
下落が,日本経済のファンダメンタルズに深刻
施したという明確な証拠はない。しかし,経済
な影響を及ぼしたことである。特に,それまで
対策が発表される前後の新聞報道を読み返して
株式の持ち合いによって大きな含み益をかかえ
みると,経済対策によって株価がどれだけ上昇
ていた企業や金融機関は,株価の下落によって
するかが経済対策の効果を測る尺度となってい
バランスシートが大きく悪化した。また,バー
たケースが非常に多い。特に,政府が経済対策
ゼル合意による自己資本規制(移行措置を経て
の内容を発表した直後の株価がどのように反応
9
3年より本格導入)を受けた銀行は,株価の含
するかに関しては,当時の政策当局者は極めて
み益の減少による自己資本比率への影響が大き
敏感であったことが当時の報道内容から観察さ
く,その結果,
「貸し渋り」が発生しているの
れる。このため,政府が株価の上昇を政策のタ
ではないかという議論も多くなされた。このた
ーゲットの1つとして財政政策を発表すること
め,これまで含み益に大きく依存してきた銀行
は,90年代を通じて1つの暗黙のコンセンサス
などの財務内容を改善させ,景気を回復させる
があったと考えられる。
ためには,株価を上昇させることが重要である
それでは,なぜ90年代に株価が政策指標とし
という認識が広がっていた。
て重要視されたのであろうか?90年代に,政府
第3は,株価は,為替レートや利子率などと
が株価を重要な政策の指標と考えるには,大き
ともに,リアル・タイム(real time)で観察可
く分けて3つの根拠があったと考えられる。
能な数少ない経済指標である点である。仮に裁
まず第1は,80年代バブル期に行った経済政
量的財政政策の最終目標が景気の安定にあり,
策の反省である。それまでの経済政策では,と
その目標達成のためには GDP の安定が望まし
りわけ金融政策において,経済変動の動向を判
いとしても,GDP は四半期データである。特
断する上での政策指標は,CPI に代表される一
に,日本は,先進国の中でも GDP の速報値が
般物価水準であった。しかしながら,19
8
0年代
発表されるラグがもっとも長い国の1つであり,
後半の日本経済では,株価や地価といった資産
かつ9
0年代はその速報値がその後しばしば大き
価格が急騰し,景気も過熱気味であったにもか
く修正される傾向にあった。したがって,
「緊
かわらず,一般物価水準は比較的安定していた。 急」
の政策決定を行う必要がある場合には,GDP
その結果,一般物価水準の安定により重きをお
は適切な指標とはいえない。もちろん,GDP
いた金融政策は,19
80年代後半,引き締めのタ
以外にも,鉱工業生産指数,失業率,物価指数
イミングを大きく遅らせてしまい,
「バブル」
といったマクロ指標が,より頻度が多く利用可
の発生および崩壊という大きな歪みを日本経済
能である。しかし,これらの指標も利用可能な
にもたらすこととなった(たとえば,香西・白
のは月次データであり,9
0年代の日本経済のよ
川・翁編(200
1)を参照)。この教訓から,9
0
うに,景気の動向が急変する場合には十分な指
年代には,株価をはじめとする資産価格も政策
標ではない。このため,株価など資産価格のデ
の指標の1つとして使うべきではないかという
ータは,必ずしも景気の動向を正確に反映して
考えが,政策当局の間でも,幅広く受け入れら
いるとは限らないものの,日本経済の動向を瞬
れるようになった。
時に知る重要な指標と考えられるようになった。
−8
8−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
Ⅲ.株価など資産価格を政策目標にすることの問題点
前節で述べたように,90年代の日本経済では,
株価の上昇を政策のターゲットの1つとするい
くつかの根拠があったと考えられる。しかし,
政策の効果を評価する上で,株価の上昇を用い
∞
r s‐t)
(1) St =∫t e‐(
Dsds
ただし,r は割引率,Ds は s 期の配当。
(1)
式が成立するもとでは,現在の株価 St は,
現在の Dt は変化しなくても,将来的に Ds が大
ることには2つの大きな問題がある。
まず第1は,株価など資産価格は,企業業績
きく改善することが見込まれていれば上昇する
などのファンダメンタルズを反映するだけでな
し,逆の場合には下落する。したがって,s=T
く,心理的・投機的要因から実態と乖離して発
期に Ds を改善する政策的ショックが発生する
生するバブル的要素を含んでいる可能性がある
とした場合,それが予想されないものであれば,
点である。一般に,株価を政策の指標とした場
株価は,図3
(2)
のように,ショックの発生した
合,経済政策の対応のあり方は,株価の変動が
T 期に初めて上昇する。しかし,この政策が0
ファンダメンタルズを反映したものなのか,そ
期から既に予想されたものであれば,株価は,
れともバブルによるものなのかによって大きく
図3
(3)
のように,T 期に至る前から緩やかに上
異なる。しかし,株価の変動がファンダメンタ
昇をはじめているため,政策ショックが発生す
ルズを反映したものなのかどうかを瞬時に判別
る T 期にはほとんど反応しない。
することはほぼ不可能であり,したがって,政
政策があらかじめ予想された図3
(3)
のような
策指標としての株価はしばしば誤った情報をも
状況下では,政策内容を発表した際に株価が上
たらすことになりかねない。
昇したかどうかで政策の効果を判断することは,
第2は,株価など資産価格は,現在の動向だ
適当でない。しかしながら,9
0年代の経験を振
けでなく,将来の動向も割引現在価値として反
り返ってみると,このロジックが必ずしも十分
映する forward−looking な変数であるという点
に理解されていなかった可能性がある。実際,
である。株価が forward−looking な変数である
それ以前の株価は比較的上昇していた場合であ
場合,同じ様に企業収益を改善する政策であっ
っても,具体的な経済対策が発表された当日に
ても,それが「予想されない」ものであれば,
株価が上昇しないと,
「期待はずれの緊急経済対
株価は政策発動のニュースとともに上昇する。
策」
(9
3年9月1
7日『日経』朝刊),
「経済対策に
しかし,それがあらかじめ「予想された」もの
新鮮味なし」
(9
8年1
1月1
6日『日経』夕刊)
,
「対
であれば,株価は政策が発動される前から上昇
策の効果の即効性は期待薄」
(9
5年9月2
1日『日
をはじめているため,政策発動のニュースが伝
経』朝刊)
,
「総事業規模は,市場の予測の範囲
わった時にはほとんど反応しないことになる。
内」
(9
9年1
1月1
1日『日経』夕刊)といった論
したがって,政策があらかじめ「予想された」
評が新聞紙上を賑わわせることもしばしばであ
状況下では,政策内容を発表した時に株価が上
った。本稿の以下の節では,この問題点に特に
0年代に forward−looking な変数であ
昇したかどうかで政策の効果を判断することは, 注目し,9
る株価の上昇が事実上の政策目標になったこと
適当でないということになる。
たとえば,人々が危険中立的な場合,t 期の
が,不況の長期化や財政政策のインパクトの低
株価のファンダメンタルズ(St )は,配当の割
下とともに,過大な財政支出を生み出す1つの
引現在価値として,以下のように決定される。
重要な要因となった可能性について考察を行う。
−8
9−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
図3
政府ショックのインパクト
(1) Dt へのインパクト
Dt
0
T
time
(2) ショックが予想されない場合の St へのインパクト
St
0
T
time
(3) ショックが予想されていた場合の St へのインパクト
St
0
T
time
−9
0−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
Ⅳ.分析で検討する問題
本稿の以下の節では,前節で議論した問題点
め,経済対策が本格的に開始された9
2年度や9
3
に注目して,90年代に財政支出が継続して拡大
年度初めは政策の大きな方向転換の時期であり,
された背景を考察する。一般的に90年代になぜ
その分,9
2年度や9
3年度初めでは,財政支出の
財政支出の拡大が継続されたかを考察するにあ
拡大のニュースが「予想されない」ものとして
たっては,不況の長期化や財政政策のインパク
とらえられた可能性は高い。したがって,9
2年
トの低下を考察することも重要であろう。これ
8月や9
3年4月の経済対策における財政支出拡
は,経済の低迷が長期化すれば,それを下支え
大のニュースは,それがファンダメンタルズに
するべく,90年代を通じて継続的な財政拡大が
プラスの効果があると認識される限りにおいて,
必要となるからである。特に,財政政策のイン
株価を大きく上昇させる効果があったと考えら
パクトが低下すれば,これまで通りの下支え効
れる。
果を上げるためには,より大きな財政拡大が90
これに対して,財政構造改革法が決定された
年代末には必要となったといえる。また,90年
9
7年度の直後を例外とすれば,9
4年度以降は,
代に実施された経済対策に関しては,そもそも
過去に何度も大型の経済対策が行われたことも
財政支出の拡大が日本経済のファンダメンタル
あって,政府が大型の経済対策を打ち出すこと
ズにどれほどのインパクトを与えたのかは,そ
はかなり事前に予想されるようになったと考え
れ自体,重要な研究テーマである。しかし,こ
られる。このような状況下では,仮に財政政策
れらの点は,これまでさまざまな研究者によっ
がファンダメンタルズにある程度の効果があっ
て議論されてきた問題である。
たとしても,財政支出拡大のニュースは,それ
そこでここでは,かりに日本経済のファンダ
がこれまで通りの金額である限り,株価にほと
メンタルズを改善する上である程度の効果があ
んど影響がなくなる。したがって,9
4年度以降,
った場合でも,90年代に財政支出が継続して拡
経済対策のニュースによって株価を上昇させる
大される背景が日本経済に存在していたことを
ためには,常に予想以上の財政支出の拡大が必
検討する。議論を簡単化するため,この節で
要となる。
は,90年代の財政政策は,日本経済のファンダ
市場の予想を上回る規模の追加的な財政支出
メンタルズを改善する上である程度の効果があ
は,市場がファンダメンタルズの改善に効果が
った,あるいは,効果があったと市場は判断し
あると認識する限りにおいて,株価を上昇させ
ていたという前提のもとに議論を展開する。特
る。しかし,そのような財政支出は,前年度の
に,財政支出の拡大がどれほどファンダメンタ
規模を上回るものであるため,財政赤字は着実
ルズを改善したのかの問題はブラック・ボック
に拡大する。特に,財政支出を拡大することに
スの中に入れ,その代わりに,株価の上昇が事
よる限界的効果が歳出規模の拡大とともに逓減
実上の政策目標となったことが過大な財政支出
するならば,追加的な財政支出の拡大のニュー
を生み出すメカニズムにより明確に説明するこ
スは,株価にさほどプラスの影響を及ぼすこと
とにしたい。
なく,財政赤字を着実に拡大させることになる。
まず,199
0年代の財政政策を振り返ってみた
より深刻な問題は,その期の追加的な財政支
場合,90年代初めは,赤字国債の発行がゼロと
出の拡大が1つの既成事実となり,次の期には
なるなど,財政支出は緊縮的であった。このた
市場はそれまで以上の財政支出の拡大を期待す
−9
1−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
るようになってしまうことである。その結果,
め,株価の上昇を目標とした政策運営が財政支
経済対策のニュースによって株価を上昇させる
出拡大のスパイラルを生み出すという上述の仮
ためには,少なくとも前期よりも大きな財政支
説が,9
0年代を通じて厳密には成立しているわ
出の上積みが必要となり,それが財政支出の加
けではない。しかし,財政構造改革法は1年で
速度的拡大という「財政支出拡大のスパイラル」
凍結されることになり,9
8年度と9
9年度は再び,
を生み出すことになる。
財政支出の拡大が再開されることになる。した
もちろん,90年代の日本においては,財政政
がって,
「財政支出拡大のスパイラル」に陥る
策が一貫して増加しつづけたわけではない。9
7
可能性は,9
0年代を通じて潜在的に存在してい
年の財政構造改革法がそれであり,その結果,
9
7
たと考えられる。
年度は財政支出が一時的に抑制された。このた
Ⅴ.9
0年代の日本における経済政策の特徴
本稿の以下の分析では,1990年代に政府によ
と95年4月の緊急・円高経済対策の2回を例外
って実施された経済対策が株価に与えたインパ
として,経済対策の総事業規模が回を重ねるご
クトを検討することによって,前節で示した財
とに大規模なものとなり,総事業規模の金額は,
政赤字拡大のメカニズムを検証する。以下で経
9
0年代はじめの経済対策に比べて,9
0年代末に
済政策の決定に注目する理由は,それが補正予
行われた経済対策では2倍近くになったという
算による財政支出の拡大に対するコミットメン
点である。たとえば,9
2年8月に実施された総
トと考えられるからである。
合経済対策は,その当時としては過去最大規模
表1にまとめられているように,19
90年代,
の経済対策であったが,その総事業規模は1
0兆
政府は具体的な財政支出を伴う大規模な経済対
7千億円であった。これに対して,9
8年1
1月に
6)
策を9度にわたって実施した 。各経済対策を
行われた緊急経済対策の総事業規模は,減税分
比較した場合,いくつかの特徴が観察される。
を含めて2
3兆9千億円,減税分を除いても1
7兆
まず第1の特徴は,93年9月の緊急経済対策
6千億円にも達している。また,9
9年1
1月の経
表1 9
0年代の主な経済対策
名称
時期
首相
事業規模
総合経済対策
新総合経済対策
1
9
9
2年8月
1
9
9
3年4月
宮沢喜一
宮沢喜一
1
0兆7
0
0
0億円
1
3兆2
0
0
0億円
公共事業 中小企業対策
新社会資本整備 公共事業
緊急経済対策
総合経済対策
1
9
9
3年9月
1
9
9
4年2月
細川護煕
細川護煕
6兆1
5
0
0億円
1
5兆2
5
0
0億円
公共事業
所得減税
緊急・円高経済対策
経済対策
総合経済対策
緊急経済対策
1
9
9
5年4月
1
9
9
5年9月
1
9
9
8年4月
1
9
9
8年1
1月
村山富一
−
村山富一
1
4兆2
2
0
0億円
橋本龍太郎 1
6兆6
5
0
0億円
小渕恵三
2
3兆9
0
0
0億円
阪神大震災復興 輸入促進
公共事業 特別減税
公共事業
社会資本整備 所得減税
経済新生対策
1
9
9
9年1
1月
小渕恵三
公共事業
約1
8兆円
主な内容
規制緩和
公共事業
創業支援
(注)事業規模には減税分などを含む場合がある
6)1
9
9
7年1
1月にも,経済対策が行われているが,規制緩和が主であるため,ここでは含めていない。
−9
2−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
済新生対策でも,総事業規模が18兆円と,減税
された過程が明確に読み取れる。また,最終的
分を除けばほぼ98年11月の緊急経済対策に匹敵
な増額は,少ない場合でも当初の2割増,多い
するものとなっている。
場合には8割近くの増加になっている。
このような総事業規模の拡大は,90年代を通
そのなかでもっとも増額率が大きかったの
じて補正予算が慣例化し,本来一時的なもので
は,9
2年8月の総合経済対策と9
9年1
1月の経済
あるべき財政支出の拡大が半恒常的なものとな
新生対策で,前者では当初の6∼7兆円という
ったことを示している。この状況は,経済対策
表明が2
0日間余りの間に1
0兆7千億円に膨れ上
のニュースによって株価を上昇させたいという
がり,後者では当初の1
0兆円超という表明が1
立場から,各経済対策の規模は少なくとも前回
ヶ月余りの間に1
8兆円となった。特に,9
2年8
の規模を上回るべきだという議論が一般化した
月の総合経済対策では,8月2
8日午前中に最終
ことを示唆しており,前節の仮説と整合的であ
的な決定が行われる直前の数日間に2兆円を超
る。そして,その結果として,財政支出の規模
える上積みが駆け込み的に行われ,その後の経
は90年代を通じて飛躍的に拡大し,結果的に大
済対策決定過程での規模増額の「モデル・ケー
きな財政赤字の累積を生むこととなったと考え
ス」となってしまった。
られる。
このような各経済対策の決定プロセスにおけ
第2の特徴は,各経済対策の決定プロセスに
る総事業規模の拡大も,経済対策のニュースに
おいて,当初に見込まれていた事業規模が減額
よって株価を上昇させようとした結果として総
されたことは一度もなく,最終案が決定される
事業規模が増額したとする前節の仮説と整合的
までに数兆円単位で必ず増額されたことである。
である。しかも,そのような決定プロセスは,
表2は,90年代に行われた9つの経済対策のう
事業規模が当初案から最終案が決定されるまで
ち,事業規模が明確にされなかった95年4月の
に数兆円単位で増額されるという期待を市場に
緊急円高対策を除く,8つの経済対策において
生み出すことになり,結果的に,その後,経済
その事業規模が,当初の公約から最終的な決定
対策のニュースのインパクトを低下させると同
までの間にどのように変化したかをみたもので
時に,大きな財政赤字のスパイラルを深刻化さ
ある。表から,すべての経済対策で当初の金額
せることとなった。
が,最終決定までの間に複数回にわたって増額
Ⅵ.ニュースが株価に与えたインパクト
前節では,90年代に実施された経済対策の特
表2で見たように,ほぼすべての経済対策は,
徴を概観し,経済対策の事業規模が回を追うご
当初の案が何度も修正されながら最終案が決定
とに増額されていったこと,また,各経済対策
されている。そこで以下では,各経済対策の策
の決定プロセスにおいては,当初に見込まれて
定プロセスにおいて事業規模が増額されたこと
いた事業規模の最終案が決定されるまでに数兆
のニュースが,その後の株価を恒常的に上昇さ
円単位で必ず増額されたことを明らかにした。
せる上でどれだけのインパクトを与えたかを検
これらの結果を踏まえ,本節では,各経済対策
証する。計測は,株価の対数値の差分(∆St )
の決定プロセスにおいて発表された事業規模増
を被説明変数とし,それを事業規模の増額に関
額のニュースが,株価にどのようなインパクト
するニュースが報道された時点で1,その他の
を与えたかを推計する。
時点で0の値をとるダミー変数に回帰させた。
−9
3−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
表2
経済対策策定過程における事業規模の変化
9
2.
8.
2
8午前,総合経済対策決定
9
2.
8.
7
9
2.
8.
2
1
6兆―7兆円
自民政務調査会
9
2.
8.
2
5
9
2.
8.
2
6
7―8兆円
8兆円超
9兆円超
政府案の骨子
自民党方針決定
政府原案
9
2.
8.
2
8朝
1
0兆7千億円
自民党案最終決定
9
3.
4.
1
3午前,総合景気対策決定
9
3.
3.
1
6
1
0兆7
0
0
0億円超
自民4役意向
9
3.
4.
2
9
3.
4.
1
3
1
2兆円規模
1
3兆2
0
0
0億円
政府の見通し
政府最終決定
9
3.
9.
1
6夕方,緊急経済対策決定
9
3.
9.
1
0
5兆円超
政府案の骨格
9
3.
9.
1
6
6兆1
5
0
0億円
政府最終決定
9
4.
2.
8午後,総合経済対策
9
4.
1.
7
9
4.
1.
2
5
9
4.
1.
2
8
9
4.
2.
3
9
4.
2.
8
事業規模
(含む減税)
事業規模
(除く減税)
減税
7兆円超
1
3兆2千億円
1
5兆円超
1
5兆1
0
0
0億円
1
5兆2
5
0
0億円
7兆円超
9兆円弱
9兆円
8兆8千億円
9兆7
8
0
0億円
0
6―7兆円?
6―7兆円
5兆3
0
0
0億円
5兆4
7
0
0億円
与党案の骨格
政府案の骨格
消費税増税
政府案見通し
消費税増税
政府案見通し
消費税増税撤回 政府最終決定
9
5.
9.
2
0昼,経済対策決定
9
5.
9.
1
3
9
5.
9.
1
8
9
5.
9.
2
0
1
0兆円超
1
1―1
2兆円
1
4兆2
2
0
0億円
政府案骨格
政府・連立与党案の見通し
政府最終決定
9
8.
4.
2
4夜,総合経済対策
事業規模
(含む減税)
事業規模
(除く減税)
特別減税
9
8.
3.
2
5
9
8.
3.
2
6
1
2兆円超
1
6兆円超
1
2兆円超
1
6兆円超
0
0
9
8.
3.
2
9
9
8.
4.
9
1
6兆円超
1
6兆円超
1
2―1
3兆円超
1
2兆円超
3―4兆円
4兆円
9
8.
4.
2
4
1
6兆6
5
0
0億円
1
2兆6
5
0
0億円
4兆円
−9
4−
政府・自民党方針
与党3党の基本方針
政府・自民党方針
首相表明
政府最終決定
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
9
8.
1
1.
1
6午前,緊急経済対策決定
事業規模
事業規模
恒久減税
(含む恒久減税)(除く恒久減税)
9
8.
1
0.
6午前
1
7兆超
1
0兆超
約7兆
首相の閣議発言
9
8.
1
1.
1
2
9
8.
1
1.
1
6午前
2
0兆超
2
3兆9千億円
1
3兆円超
1
7兆9千億円
7兆円規模
6兆円
政府案の見通し
政府最終決定
9
9.
1
1.
1
1午前,経済新生対策成立
9
9.
1
0.
8午前 1
0兆超
9
9.
1
0.
2
2
1
1―1
2兆円
首相の方針表明
政府・与党案の骨格
9
9.
1
1.
3
9
9.
1
1.
1
0
政府見通し
政府最終案の報道
1
5兆円
1
7兆円
9
9.
1
1.
1
1午前 1
8兆円
政府最終決定
ただし,金融政策の影響を考慮するため,コー
2にまとめられたものを使用した。推計式では,
ル・レートも同時に説明変数に加えて,以下の
被説明変数が株価の対数値の差分であるため,
7)
ような式の推計を行った 。
ダミー変数の係数が統計的に有意に正である場
合,当該のニュースは株価水準を恒常的に上昇
(2) ∆St = constant + Σj α j Djt + β ∆Callt,
させたと判断できる。
ここで,Djt はニュースが報道された時点 t=j
表3が,推計結果をまとめたものである。株
でのみ1の値をとるダミー変数,また,∆Callt
価に対するインパクトを見ると,まず9
2年8月
はコール・レートの差分を表す。
と9
3年4月の経済対策では,すべてのニュース
以下の推計で対象とする経済対策は,90年代
が正の影響を与えている。とりわけ,9
3年4月
に行われた9つの経済対策のうち,事業規模が
の経済対策では,ニュースのインパクトはすべ
明確にされなかった95年4月の緊急円高対策を
て有意に正で,常に株価を2%以上押し上げて
除く,8つの経済対策である。以下の分析で使
いる。また,9
2年8月でも,統計的な有意性は
用するデータは,株価が日経平均株価(22
5種)
少し低いものの,株価を2%以上押し上げるニ
の12時4
5分時点と終値の日次データ,また,コ
ュースが大半で,5%以上の株価の上昇をもた
ール・レートが正午および終値の日次データで
らすニュースもあった。
ある。推計では,コール・レートの差分(∆Callt )
一方,9
8年4月の経済対策では,3月2
6日の
の代わりに,t 期と t−1期のコール・レート
与党3等の基本方針による事業規模増額のニュ
のレベルを用いた回帰も行った。また,サンプ
ースと4月2
4日の政府最終決定のニュースが,
ル期間中に公定歩合の変更が行われた19
9
3年9
統計的に有意な正のインパクトを持ったことが
月と95年9月については,公定歩合が引き下げ
観察される。その他のニュースではほとんど事
られた日の昼のデータが1の値をとるダミー変
業規模の増額がなかったことを勘案すると,こ
数を説明変数に加えた。
の結果は,この経済対策でも,ニュースが株価
各推計は,経済対策が実施された前後の約2
を押し上げる効果があったことを示している。
ヶ月間の昼と午後の日次データを用いて行った。
また,事業規模の増額に関するニュースは,表
これに対して,9
8年4月の経済対策を除く9
3
年9月以降の経済対策では,ニュースが株価に
7)説明変数に被説明変数のラグを加えたケースも推計したが,その場合でも,以下の結果は基本的に変わら
なかった。
−9
5−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
表3
1
9
9
2年8月
(8/4―9/2
4)
1
9
9
3年4月
(3/1
2―4/3
0)
0.
0
2
8
5
0.
0
2
8
9
*
*
(1.
6
9
0)
(1.
7
6
0)
D2
0.
0
0
7
7
0.
0
0
7
4
(0.
4
7
1) (0.
4
4
8)
D3
0.
0
5
7
4
0.
0
5
7
6
**
**
(3.
3
8
7)
(3.
3
3
5)
D4
0.
0
2
5
5
0.
0
2
5
3
(1.
5
7
6) (1.
5
4
8)
0
0
3
△Callt −0.
(−0.
1
4
6)
−0.
0
0
6
Calltt
(−0.
2
0
0)
0.
0
0
1
Callt−1
(0.
0
4
6)
Dummy
D1
1
9
9
5年9月
(9/1―1
0/1
3)
D1
D2
0.
0
0
8
0
0.
0
0
8
0
9
5
0)
(1.
0
1
0) (0.
−0.
0
0
4
2
−0.
0
0
3
8
5
0
3)
(−0.
4
6
4) (−0.
D3
D4
D5
△Callt
−0.
0
4
4
2
(−1.
3
6
3)
−0.
0
4
5
6
(−1.
3
9
4)
0.
0
4
1
9
Callt−1
(1.
2
7
1)
0.
0
2
6
3
0.
0
2
5
5
Dummy
*
7
0
3)
(1.
6
7
1) (1.
Calltt
ニュースのインパクトの持続性
1
9
9
3年9月
(8/3
1―1
0/2
5)
1
9
9
4年2月
(1/4―2/2
8)
0.
0
2
9
5
0.
0
0
6
9
−0.
0
0
2
9 −0.
0
0
2
7
0.
0
2
8
4
0.
0
0
6
9
**
**
(2.
8
4
7)
(−0.
5
3
5)
(−0.
4
8
1) (0.
5
7
1) (0.
(2.
7
5
5)
5
7
1)
0.
0
5
5
1
0.
0
2
1
2
0.
0
2
0
2
0.
0
5
5
1
**
**
**
**
(4.
5
5
8)
(2.
0
4
5)
(1.
9
6
2)
(4.
5
5
8)
0.
0
2
4
5
0.
0
2
3
9
0.
0
0
1
6
0.
0
0
1
6
**
**
(2.
3
6
8)
(2.
3
2
7)
(0.
1
3
2) (0.
1
3
2)
−0.
0
1
9
7
−0.
0
1
9
7
*
*
(−1.
6
6
1)
(−1.
6
6
1)
−0.
0
0
4
7
0.
0
0
1
−0.
0
5
6
0
(−0.
5
3
5)
(0.
1
8
2)
(−0.
8
6
8)
−0.
0
0
5
3
−0.
0
0
3
−0.
0
4
4
1
(−0.
8
2
0)
(−0.
6
0
8)
(−0.
6
7
3)
0.
0
0
4
2
−0.
0
0
5
0.
0
6
7
1
(0.
6
4
9)
(−0.
9
0
6)
(1.
0
2
6)
0.
0
0
8
9 0.
0
0
8
9
4
5
4)
(1.
4
6
3) (1.
1
9
9
8年4月
(3/4―5/8)
1
9
9
8年1
1月
(1
0/1―1
1/3
0)
1
9
9
9年1
1月
(1
0/1―1
1/3
0)
0.
0
0
9
9
0
0
5
9
0.
0
1
9
7
0.
0
1
9
2
−0.
0
0
5
9 −0.
0.
0
0
9
5
*
*
2
8
2) (1.
(−0.
3
9
7) (1.
(1.
9
5
6)
(1.
9
2
0)
(−0.
4
0
7)
2
2
5)
0
1
3
8
0
0
0
5
6 0.
0.
0
0
0
6 0.
0.
0
1
4
6
0.
0
0
5
0
0.
0
0
5
0
*
*
8
2
2)
0
3
8) (1.
0
3
9) (0.
(1.
8
9
0)
(0.
5
0
2) (0.
4
8
9) (0.
0.
0
1
4
0
0.
0
1
6
8
−0.
0
0
3
8
−0.
0
0
4
2
(1.
3
7
2) (1.
6
1
8)
(−0.
4
9
5) (−0.
5
4
2)
−0.
0
0
9
2
−0.
0
0
9
9
(−0.
9
1
5) (−0.
9
8
6)
0.
0
2
7
5
0.
0
2
7
0
**
**
(2.
7
3
2)
(2.
6
9
9)
−0.
0
0
4
1
0.
0
1
6
3
−0.
1
6
1
7
(−0.
1
3
1)
(1.
6
4
3)
(−1.
4
0
4)
−0.
0
0
3
9
0.
0
2
5
8
−0.
0
5
5
2
(−0.
3
9
7)
(2.
0
8
2)
(−0.
2
8
3)
0.
0
0
0
6
−0.
0
0
7
6
0.
2
6
9
9
(0.
0
3
8)
(−0.
6
3
1)
(1.
3
7
1)
注1)推計値の下の括弧の中は,t 値。 **=5%有意水準,*=1
0%有意水準。
2)日付の後の括弧の中は,推計期間。
3)定数項の推計値は,省略。
4)Dummy は,公定歩合の引き下げダミー。
5)各推計期間のダミー変数が1の値をとるのは,以下の通りである。
9
2年8月:D1=8月2
4日昼,D2=8月2
5日昼,D3=8月2
7日昼,D4=8月2
8日昼。
9
3年4月:D1=4月2日昼,D2=4月7日昼,D3=4月1
2日終値。
9
3年9月:D1=9月1
7日昼。
9
4年2月:D1=1月2
6日昼,D2=1月3
1日昼,D3=2月3日終値,D4=2月9日昼。
9
5年9月:D1=9月1
9日昼,D2=9月2
0日昼。
9
8年4月:D1=3月2
6日昼,D2=3月3
0日 昼,D3=4月6日 昼,D4=4月1
0日 昼,D5=4月
2
4日昼。
9
9年1
1月:D1=1
1月1
3日昼,D2=1
1月1
6日昼。
9
9年1
1月:D1=1
0月2
5日昼,D2=1
1月4日昼,D3=1
1月1
1日昼。
−9
6−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
与えるインパクトは大幅に低下し,マイナスの
月の経済対策で,統計的に有意な正のインパク
影響を与えるケースさえ観察される。また,影
トが観察されている。しかし,これらの経済対
響がプラスの場合でもそのインパクトは統計的
策でも,ニュースのインパクトは全体としては
に有意でないケースも少なくなかった。もちろ
小さく,同じ経済対策の他のニュースではマイ
ん,それらの経済対策でも,94年4月,99年11
ナスの影響を与えるケースも観察されている。
Ⅶ.結果の解釈
前節では,90年代に実施された経済対策のニ
ュースが株価に与えたインパクトは,92年8月
れたという事実は,この第2の解釈をサポート
するものと考えられる。
と93年4月では大きかったが,93年9月以降の
もちろん,いずれの解釈に立つにしても,株
経済対策では,98年4月の経済対策を例外とし
価に対するインパクトの低下は,株価の上昇を
て,その値は大幅に低下したことを明らかにし
政策のターゲットに用いる限りにおいて,追加
た。経済対策の規模自体は,93年9月と95年4
的な財政支出の拡大を引き起こし,持続的な財
月の2回を例外として,回を重ねるごとに大規
政赤字の拡大が不可避となってしまう。このた
模なものとなっていることを考えると,この結
め,なぜ9
0年代に財政支出の拡大が継続された
果は,経済対策に対するニュースのインパクト
かという問いに答えるだけであれば,必ずしも
が,経済対策の事業規模の増額にもかかわらず,
2つの解釈のどちらが正しいかを区別する必要
9
0年代を通じて低下していったことを示してい
はない。しかし,どちらの解釈がより説明力を
る。
持つかによって,9
0年代に行われた財政政策や
この結果に対する1つの解釈は,財政政策の
政策目標に対する評価は大きく異なると考えら
ファンダメンタルズに与えるインパクトが90年
れる。特に,第1の解釈が正しい場合,財政赤
代を通じて低下し,その結果として,財政支出
字を拡大させる原因として,必ずしも株価の上
拡大による株価押し上げ効果も低下したという
昇を政策の重要な指標としたことに問題があっ
ものである。90年代を通じた経済の低迷を考え
たとはいえなくなる。
ると,その側面はおそらく無視できないもので
そこで,以下は,いくつかの経済対策の決定
あり,それ自体重要な研究テーマであることは
プロセスの中で株価がどのように推移したのか
間違いない。
をケース・スタディーの観点から検証し,Â節
しかし,もう1つの有力な解釈は,財政支出
で述べた仮説が,9
0年代の日本経済においてど
の拡大が頻繁に行われた結果,民間は同様の財
れだけ妥当性があったかを考察する。以下で取
政政策が今後も継続して行われるとあらかじめ
り上げる経済対策は,9
2年8月の総合経済対
期待するようになり,これまで通りの財政政策
策,9
3年9月の緊急経済対策,財政構造改革法
を行うというコミットメントでは株価を押し上
見直し後に行われた9
8年4月の総合経済対策,
げることができなくなったとするものである。
それに9
8年11月の緊急経済対策と9
9年1
1月の経
9
2年8月と93年4月の経済対策や98年4月の経
済新生対策である。
済対策はいずれも,それまでの財政再建路線を
転換し,財政拡大への政策転換があった直後の
経済対策であった。このため,これらの経済対
策でのみ大きな正のインパクトが表3で観察さ
−9
7−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
Ⅷ.ケース・スタディーⅠ:9
2年8月の総合経済対策
党の中でも意見の一致があったわけではない9)。
9
2年8月28日に決定された総合経済対策は,
「バブル崩壊」後に出された最初の本格的景気
特に,大蔵省は補正予算の早期提出に慎重な姿
対策であり,それまでの財政再建路線を修正し
勢を示していた(8月7日『日本経済新聞(朝
8)
2年
た大きな政策転換であった 。このため,9
刊)
』5面)
。このため,自民党が8月2
8日を目
8月の総合経済対策における財政支出拡大のニ
処に総合経済対策の全容をまとめることを決め,
ュースは,市場にとって予想されないものであ
全体の事業規模も「6兆円を超え7兆円に近い
り,予想されない財政支出拡大のインパクトを
額」になる見通しを示した(8月8日『日本経
知る上で有益である。そこでこの節では,92年
済新聞(朝刊)
』1面)後も,株価は下落し,
8月の総合経済対策のニュースが株価に与えた
日経平均は,8月7日(金)の終値で1万5千
インパクトを,図4で表された株価の推移を見
5
0
0円台へ,そして週明けの1
0日(月)には一
ることによって検討する。
時1万5千円を割り込むこととなった。
この景気対策を補正予算に盛り込むことが本
下落した株価が本格的に回復し始めたのは,
格的に議論されるようになったのは,92年8月
総合経済対策の政府案の骨格が固まった2
1日以
6日ころからである。しかし,その当時は必ず
降であるといってよい。この案は,当初の想定
しも財政再建路線を転換し,景気浮揚策を柱と
を上回る事業規模7∼8兆円というものであり,
した補正予算を組むべきかどうかは与党・自民
一般会計公共事業でも3兆円を超すものであっ
図4
日経平均の推移:9
2年8月上旬から9月初頭
円
20000
19000
政府案の骨子
固まる
18000
17000
16000
自民最終案決定
15000
14000
9.2
8.28
8.25
8.20
8.17
8.12
8.7
8.4
13000
月.日.
8)それ以前では,9
2年3月に9
2年度の公共事業を年度上半期に7
5%以上前倒しして発注することを柱とする
緊急経済対策を決定している。
9)たとえば,9
2年8月7日の『日本経済新聞(朝刊)
』
(2面)は,
「景気浮揚策を柱とした補正予算の編成
と秋の臨時国会の招集時期をめぐり,自民党中の意見が割れている。
」と報じている。
−9
8−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
た。これを受けて,日経平均株価は,21日終値
インパクトは大きかった。特に,それぞれ1兆
で1万6千円台,週明けの24日には一時1万7
円を超える事業規模の増額を伴うその後4回に
千円台を回復するなど大幅な続伸を続けた。
わたるニュース(8月2
1日,24日,26日,およ
その間,事業規模の総額も毎日のように増額
び2
7日−28日)は,いずれもマーケットに大き
され,26日の政府原案では9兆円超,27日の政
なプラスのインパクトを与え,株価は8月2
4日
府・自民党案では9兆50
00億円超になり,結果
のニュースを除けば大幅に上昇した。ただし,
的に28日朝に自民党が決定した総額では1
0兆
ニュースでも,事業規模総額の変更を伴わない
7
00
0億にものぼった。21日の時点では事業規模
8月2
8日夜の政府による経済対策の正式決定は,
7∼8兆円と考えていたわけであるから,1週
午前に発表された自民党案をより具体化したも
間のうちに約3兆円の増額が行われたこととな
のであったが,マーケットにはインパクトがな
る。ただ,この大幅な増額に対するマーケット
く,株価は逆にわずかながら下落した。
の捉え方はおおむね好意的で,金融市場におけ
この結果は,この時期,財政支出の拡大がマ
る政策不信は薄らぐこととなった(29日『日本
ーケットにポジティブなインパクトを与えたの
経済新聞(朝刊)』3面)。また,株価も自民党
は,具体的な事業規模総額の拡大を伴ったとき
の最終案が出された28日には一時1万8千円台
であったことを示唆している。また,財政支出
を回復した。
の拡大が予想されないニュースであればあるほ
以上のように,92年8月の経済対策は,株価
ど,マーケットの反応も大きく,株価が forward
の大幅な下落を受けて急きょ策定されたもので
-looking としたⅢ節の議論と整合的であったと
あり,8月21日以降はそのマーケットへの正の
いえる。
Ⅸ.ケース・スタディーⅡ:9
3年9月の緊急経済対策
93年9月16日に決定された緊急経済対策は,
次補正)には必ずしも積極的ではなかった。し
細川連立内閣のもとで行われた最初の景気対策
かし,経済企画庁が9月7日午前に発表した
「9
であった。しかし,表1で見たように,その事
月の月例経済報告」で景気回復が足踏み状態に
業規模は前年の8月に行われた経済対策を大幅
あるという景気判断が示されると,財政面での
に下回るものであり,その意味で93年9月の経
支出を伴う景気対策に関する議論が政府からだ
済対策に関する一連のニュースは予想を上回る
されるようになった。その結果,9月8日に官
財政支出の拡大ではなかったといえる。そこで
房長官と首相がそれぞれ景気対策を盛った2次
この節では,93年9月の緊急経済対策のニュー
補正を組むことを表明し,1
6日に事業規模6兆
スが株価に与えたインパクトを,図5で表され
1
5
0
0億円の緊急経済対策が決定された。
た株価の推移を見ることによって,予想されな
ただ,9
2年8月や9
3年4月の経済対策とは大
い財政支出拡大を伴わない経済対策のニュース
きく異なり,9
3年9月の緊急経済対策のアナウ
が株価に与えたインパクトを検討する。
ンスメントは株価にほとんどインパクトがなか
93年9月の緊急経済対策の事業規模が小さか
った。むしろ,景気対策が表明された9月8日
った1つの理由は,すでに4月の総合経済対策
以降や,正式決定された1
6日以降は,日経平均
によって補正予算が決定されていたためである。
株価が逆に下落する傾向さえ観察された。これ
このため,政府は当初,景気対策を規制緩和策
は,公定歩合の引き下げ期待があったにもかか
と円高差益還元策に限定し,追加的財政支出(2
わらず引き下げが行われなかったことに加え
−9
9−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
図5
公定歩合の
引き下げ
28
9.
22
9.
17
9.
8
9.
経済対策の
正式決定
13
3
9.
首相、
2次
補正を表明
9.
8.
31
円
21400
21200
21000
20800
20600
20400
20200
20000
19800
19600
19400
日経平均の推移:9
3年8月末から9月下旬
月.日.
て10),2次補正であったため,事業規模,特に
下回った9
3年9月の緊急経済対策は,その意味
国が直接負担する支出が限られていたことが大
で予想を下回る財政支出であり,この時期に株
きかったとも考えられる。実際,17日の『日本
価が下落したのは,予想を上回る財政支出の拡
経済新聞(夕刊)』は,株式が続落した理由と
大のみがプラスのインパクトをマーケットに与
して,「前日発表された緊急経済対策は景気浮
えるとする仮説と整合的といえる。また,この
揚面での即効性がない」とのマーケットの見方
経済対策の教訓から,その後の経済対策では,
を示している。
少なくとも前年度の規模を上回る支出を行うべ
マーケットは,経済対策の事業規模を予想す
きだという議論が一般化し,それがその後の財
る際,前年度の実績を目安とする傾向がある。
政規模の大幅な拡大につながった可能性は否定
事業総額が,前年8月の総合経済対策の規模を
できない。
Ⅹ.ケース・スタディーⅢ:9
8年4月の総合経済対策
9
8年4月に決定された総合経済対策は,97年
に決定された財政構造改革法を見直し,再び財
株価に与えたインパクトを,図6で表された株
価の推移を見ることによって検討する。
政支出拡大による景気刺激を行った最初の経済
9
8年4月の総合経済対策の議論が本格的に始
対策であった。このため,92年8月の総合経済
まったのは3月初めであり,3月8日には山崎
対策と同様に,98年4月の総合経済対策のニュ
自民党政調会長が事業規模で1
0兆円を超える景
ースは,市場にとって予想されない要素を多く
気対策を行う方針を表明した。景気対策が議論
含むものであり,予想されない財政支出拡大の
されるようになった背景には,当時の国内景気
インパクトを知る上で有益である。そこでこの
の低迷に加えて,米国からの再三にわたる内需
節では,98年4月の総合経済対策のニュースが
拡大要求があり,それを受けて財政構造改革法
1
0)結果的には,公定歩合は,緊急経済対策が決定されてから5日後の9月2
1日に引き下げられた。
−1
0
0−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
図6
日経平均の推移:9
8年3月初頭から5月初頭
円
17500
17000
16500
16000
15500
15000
経済対策の基本方
針の骨子固まる
14500
経済対策の政府正式
決定
14000
5.6
4.28
4.23
4.20
4.15
4.10
4.7
4.2
3.30
3.25
3.20
3.17
3.12
3.9
3.4
13500
月.日.
の見直しを含めた対策の具体的な内容が議論さ
末以降特に行われなかったことを考慮すれば,
れた。経済対策の基本方針の骨子が固まったの
これらの結果は,1
6兆円を超える規模の事業規
は,3月26日であった。特に,26日午前の段階
模が,この時期,株価の下支えに一定の役割を
では12兆円超と見られていた事業規模は,その
果たしたと解釈することができる。
日の午後発表された与党3党(自民,社民,さ
当時のマーケットにとっても,財政構造改革
きがけ)の決定では一気に16兆円超と過去最大
法の改正は財政政策の大きな方針転換であり,
のものへと増額された。この方針決定を受け,
その意味で9
8年4月の総合経済対策は予想を上
25日には1万6千円台であった日経平均は,26
回る財政支出のニュースであったといえる。こ
日には一時1万7千円台を一気に回復した。
のため,この時期に株価がニュースに正に反応
もっとも,その後,財政構造改革法を改正す
したのは,予想されない財政支出の拡大のみが
る方向で議論が進み,総合経済対策で真水の財
プラスのインパクトをマーケットに与えるとす
政出動の規模をできるだけ大きくする方針が明
る仮説と整合的といえる。ただし,この経済対
らかにされたにもかかわらず,株価は伸び悩み,
策の成功が,その後の2回の経済対策において
景況感の大幅悪化を示す日銀短観が発表された
財政規模の大幅な拡大につながった可能性は否
4月2日には1万6千円を割り込むこととなっ
定できない。
11)
た 。特に,金融危機による景気の大幅な悪化
もあって,株価は下落の傾向をたどり,日経平
均株価は,4月末には1万5千円台半ばと3月
初めの水準に比べて1万5千円近く下落するこ
ととなった。
しかし,深刻な景気悪化を背景に株価が低迷
する中でも,98年度予算が成立した4月9日前
後や財政改革法の改正と総合経済対策の政府決
定が行われた4月24日には,株価は回復傾向を
見せている。経済対策の事業規模の増額が3月
1
1)日銀短観は,総合経済対策の方針が明らかにされる前の調査に基づくものである。
−1
0
1−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
!.ケース・スタディーⅣ:98年11月と99年11月の経済対策
!−1.2つの経済対策の特徴
では最大のものであった。その大きな特徴は,
6
98年1
1月の緊急経済対策と99年11月の経済新
兆円の所得・法人課税の減税が実施されたこと
生対策は,事業規模がそれまでの経済対策の規
と,当時の金融危機に対応して,貸し渋り対策
模を上回る大規模なものであったという点で共
として5兆9千億円が計上されたことである。
通した特徴を持つ。特に,最終的に決定された
この景気対策の議論が出始めたのは1
0月初め
事業規模がそれ以前の経済対策の金額を上回っ
であり,1
0月6日午前には小渕首相が閣議で事
たというだけでなく,経済対策の決定プロセス
業規模1
0兆円を超える補正予算と約7兆円の恒
において当初に見込まれていた事業規模が最終
久減税の前倒しと額の上積みを行う方針を表明
案の決定に至るまでに約6兆円という巨額なレ
した。ただし,その当時の経済状況は,日経平
ベルで増額された点で,2つの経済対策は共通
均株価がバブル後の最安値となる1万3
0
0
0円割
の特徴を持っているといえる。ただし,減税分
れとなるなど,金融不安・信用収縮による経済
を除いた事業規模はいずれも18兆円程度で,金
の低迷は深刻なものであった。このため,金融
額自体は巨額であったが,98年4月の総合経済
危機の回避がより重要な政策課題となり,緊急
対策の事業規模に対する上積み額は,1兆円余
経済対策に関する具体的な議論は,金融の早期
りと,ある程度予想の範囲内であった。そこで
健全化法案の成立後に行われることとなった。
この節では,これら2つの経済対策のニュース
その間,
9
8年10月の日経平均株価は,
1万2
80
0
が株価に与えたインパクトを,株価の推移を見
円台から1万4
4
0
0円台の間を激しく乱高下した。
ることによって検討する。
これは,金融早期健全化法案の成立に時間がか
!−2.98年11月の緊急経済対策
かったこと,成立の見通しが立っても詳細に不
明な部分が多かったこと,成立後も実際にどれ
98年1
1月に決定された緊急経済対策は,総額
23兆9
00
0億円と90年代に行われた経済対策の中
図7
円
15500
15000
14500
14000
13500
13000
12500
12000
11500
だけの銀行が公的資金を受け入れるかがはっき
りしなかったことなどが大きな原因である。
日経平均の推移:9
8年1
0月初頭から1
1月末
首相、経済対策の
方針表明
11.30
11.13
11.6
10.29
10.22
10.15
10.8
10.1
11.20
経済対策最終
決定
事業規模増額に関す
る政府案の見通し
月.日.
−1
0
2−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
ただし,10月下旬以降,大手行の資本注入へ
の財政拡大に関するニュースは,ある程度予想
の姿勢が明らかとなり,長銀の国有化や富士銀
されない要素も含んでいたと考えられる。しか
行と第一勧業銀行の提携など,金融市場の安定
し,それにもかかわらず株価がニュースにほと
化に関するニュースが相次いで流れるなか,日
んど反応しなかったのは,この時期,財政の拡
経平均株価は11月4日以降,ようやく1万4
0
0
0
大が必ずしも経済のファンダメンタルズの改善
円台で安定するようになる。特に,日経平均株
に役立たないという認識に加えて,事業規模は
価は,11月中旬以降,アップ・ダウンを繰り返
増額されても当然という予想がマーケットに広
しながらも上昇し,24日には1万5000円台を回
がり始めたからだと考えられる。実際,緊急経
復することとなる(図7)。
済対策の最終決定に対する新聞報道では,対策
しかしながら,ニュースの内容を対応させて
の内容を「新鮮味に欠く」としてネガティブに
みると,この時期における株価の上昇分のうち,
とらえている。また,1
1月1
7日には,ムーディ
緊急経済対策の貢献度はさほど大きくないと考
ーズによる日本国債の格下げが行われ,長期金
えられる。実際,11月12日の事業規模を増額さ
利は大幅に上昇した。
せる政府案の見通しが発表された直後の日経平
!−3.99年11月の経済新生対策
均株価は,昼から終値にかけて2
0
0円程度下落
した。また,16日午前の緊急経済対策の最終決
9
9年1
1月に決定された経済新生対策は,緩や
定に対する株価の反応は,事業規模が増額され
かな景気の回復が報告されるなか行われた9
0年
たにもかかわらず,非常に鈍く,株価が本格的
代最後の経済対策であった。この景気対策の議
1
2)
に上昇したのは1
1月20日以降のことであった 。 論が出始めたのは9月末であり,1
0月8日には
表2でも示したように,事業規模という点で
首相が閣議で「全体の事業規模は1
0兆円を上回
みた場合,98年11月の緊急経済対策の最終案で
るものとする」との方針を表明した。ただし,
は,10月6日の首相の閣議発言から比べて大幅
7月の概算要求基準作りの段階で「1
5ヶ月予算」
な上積みがなされている。このため,この時期
に言及し,第2次補正予算の編成を事実上宣言
図8
日経平均の推移:9
9年1
0月初から1
1月下旬
円
19500
19000
18500
18000
17500
17000
16500
首相、経済対策の
方針表明
経済対策最終
決定
事業規模、
増額の見通し
11.24
11.16
11.9
11.1
10.25
10.18
10.8
10.1
16000
月.日.
1
2)1
1月2
0日以降に株価が上昇した理由としては,自民党と自由党との政策合意がなされたことや,米株式市
場の安定があげられている。
−1
0
3−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
したことを考え合わせれば,それより以前から
であったにもかかわらず,経済対策のニュース
実施が決まっていた予想された対策であったと
による株価の上昇は一時的で,すぐに下落して
もいえる。
しまうケースが多かった。特に,1
1日午前に対
この経済対策の事業規模は,10月時点での見
策が発表された後は,発表された額は1
0日の政
通しでは,おおよそ10兆から13兆と見られてい
府案よりも1兆円の上積みがあったにもかかわ
た。それが,11月3日には事業規模が15兆円に
らず,事業規模が「市場の予測の範囲内」であ
なる見通しが伝えられるなど,規模の上積みが
るとして株価はむしろ下落した。
行われ,11月11日午前に正式決定された際には
これらの結果は,この時期,財政の拡大が必
18兆円にまで膨れ上がった。その意味で,この
ずしも経済のファンダメンタルズの改善に役立
時期の財政拡大に関するニュースも,ある程度
たないのではないかという認識がマーケットに
予想されない要素を含んでいたと考えられる。
広がり始めたことに加えて,経済対策の決定プ
その間,株価は1万8千円台を維持し,緩や
ロセスにおける事業規模の増額が慣例化してし
かな上昇をみせた。特に,事業規模の大幅な増
まい,かなり大きな増額を行っても予想されな
額が伝えられた後の11月4日や対策が決定され
い財政拡大とはとられなくなってしまったこと
る直前の10日午後は,株価の大幅な値上がりが
を反映しているものと考えられる。その意味で,
観察された。この結果は,この時期でも,予想
この時期の株価の動きは forward-looking を 重
されない財政支出拡大のニュースが株価を上昇
視したⅢ節の主張をサポートするものであると
させる傾向にはあったことを示している。しか
いえる。
し,事業規模が20兆前後ときわめて大きなもの
!.おわりに
本稿は,なぜ90年代に財政支出の拡大がこの
この結果に対する1つの解釈は,財政政策の
ように継続されたかを,大規模な経済対策のニ
ファンダメンタルズに与えるインパクトが9
0年
ュースに対する株価の反応をみることによって
代を通じて低下し,その結果として,財政支出
考察した。90年代に実施された経済対策の特徴
拡大による株価押し上げ効果も低下したという
を概観した場合,経済対策の事業規模が回を追
ものである。しかし,もう1つの解釈は,財政
うごとに増額されたばかりでなく,各経済対策
支出の拡大が頻繁に行われた結果,民間は同様
の決定プロセスにおいて当初に見込まれていた
の政策が今後も継続して行われるとあらかじめ
事業規模が最終案が決定されるまでに数兆円単
期待するようになり,これまで通りの財政政策
位で必ず増額されている。しかし,90年代に実
を行うというコミットメントでは株価を押し上
施された経済対策のニュースが株価に与えるイ
げることができなくなったとするものである。
ンパクトは,92年8月と93年4月では大きかっ
9
2年8月と9
3年4月の経済対策や9
8年4月の
たが,93年9月以降の経済対策では,98年4月
経済対策はいずれも,それまでの財政再建路線
の経済対策を例外として,そのインパクトは大
を転換し,財政拡大への政策転換があった直後
幅に低下した。これらの結果は,経済対策に対
の経済対策である。このため,これらの経済対
するニュースのインパクトが,経済対策の事業
策でのみ大きな正のインパクトが観察されたと
規模の増額にもかかわらず,90年代を通じて低
いう事実は,この第2の解釈をサポートするも
下していったことを示している。
のと考えられる。また,各経済対策の決定プロ
−1
0
4−
なぜ日本の財政赤字は拡大したか?
セスにおける株価の推移をケース・スタディー
より深刻な問題は,その期の追加的な財政支
として検討した場合でも,第2の解釈が妥当性
出の拡大が1つの既成事実となり,次の期には
を持つケースは少なくなかった。
市場はそれまで以上の財政支出の拡大を期待す
第2の解釈が正しい場合,市場の予想を上回
るようになってしまうことである。その結果,
る規模の追加的な財政支出は,市場でファンダ
経済対策のニュースによって株価を上昇させる
メンタルズの改善に効果があると認識される限
ためには,毎期少なくとも前期よりも大きな財
りにおいて,株価を上昇させる。また,予想通
政支出の上積みが必要となり,それが財政支出
りの財政支出のアナウンスメントがその期の株
の加速度的拡大という「財政赤字拡大のスパイ
価を上昇させないからといって,財政政策が無
ラル」を生み出すことになる。
効という主張には必ずしもつながらない。しか
経済対策に関するケース・スタディーの結果
し,政府が財政支出拡大のニュースによって株
では,9
0年代終わりになると,財政の拡大が必
価を押し上げようと考える限り,財政支出は前
ずしも経済のファンダメンタルズの改善に役立
年度の規模を大幅に上回ることが必要となり,
たないのではないかという認識もマーケットに
その結果,財政赤字は着実に拡大する。特に,
広がり始めた可能性が示唆されている。その意
財政支出を拡大することによる限界的効果が歳
味で,9
0年代終わりには,巨額の財政支出によ
出規模の拡大とともに逓減するならば,追加的
る株価浮揚策は限界にきていたといえ,財政赤
な財政支出の拡大のニュースは,株価にさほど
字拡大のスパイラルを断ち切る政策転換が不可
プラスの影響を及ぼすことなく,財政赤字を着
避となっていたと考えられる。
実に拡大させることになる。
参 考 文 献
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