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研究者とは何者なのか?
「研究のすすめ」とその環境作りの為の提言
-- 研究者の生態を理解し貴方も研究者になる為に読んで頂きたい本の紹介--
(新村正信、UCLA 物理)
はじめに: ロングアイランドに在るブルックヘイブン国立研究所を尋ねた時のこと、その研究
所の方角を私に教えたあと、まるでそこは悪魔が住む城であるかのように話すモーテルの主人を
今でも忘れられない。実現した暁(あかつき)には良い意味での【世界革命】が起こる事を信じて
ひたすら情熱を注いだ吾々の《プラズマ核融合炉による発電研究》の米国政府予算が比較的無知
な市民の投書によって瞬く間にカットされてしまった苦い経験もある。研究者は悪魔なのか?
それとも『研究者の【偽りのない純粋な究明の心】からは決して人間を不幸に陥れるようなもの
は出て来ないのである』という湯浅年子の言葉を信じて良いのか? 私は今こそこの紙面を借り
て《研究者とは何者なのか?》を説明する責任を感じる。研究者の生態が理解され、沢山のパー
ソナリティー溢れる研究者が生まれ、そしてその者達が研究者本来の使命を心行くまで発揮出来
る環境が出来上がるならば、それが混迷の日本に黎明をもたらす と信ずるので。 [April, 2002]
I. 余は如何にして物理学徒となりし乎(か)?
これは明治の啓蒙家である内村鑑三の本[1]のタイトルを拝借し物理学徒と書き変えたものである。
代々步士の家柄の出身でありながら基督(キリスト)信徒となることを決意した彼と、電子工学とはいえ所謂
Engineering の出身でありながら物理学と言う Science(科学)の徒たらんと決意した自分との間には同種の
求心欲と内的歓喜 Joy が存在したのかも知れないと思ったからである。
早稲田の電子工学専修科では電気回路理論が必修科目だった。この授業では電気回路を四角の箱で
表わし、それにある信号を入力したときにどんな波形が出力するかを勉強する。然し先生はその箱の中味
が何であるかは全く教えてくれないのだ。どうも電子素子の組み合わせらしいと自分で推測して電子工学
の授業を取ってみる。すると今度は横向き三角形の箱で表わされる電子素子オプアンプを使ったいろいろ
な忚用を勉強するが、先生はその箱の中味が何であるか全く教えてくれない。中味はトランジスターの組
み合わせらしいと推定して今度は個体物理の授業を忚用物理学科に行って取ってみた。此処ではイオンが
出てくる。しかしイオンの中味には一言も触れてくれない。私は高まる不満を癒すには物理学徒に鞍替え
し, それでも不十分な箇所は 自分で学習するしかないと悟った。
運良くフルブライトと TOEFL の試験に受かりアメリカではプラズマ物理を専攻することになる。
これでイオンは原子の変形であることが良く分かった。然し私の求心欲は止まる事を知らず、次は原子の
中味の構造を知りたくて原子物理を2年間勉強した。原子の中味である原子核や、そのまた中味の核子、
核子の中味のクオーク等は理化学研究所サイクロトロン研での5年間の在任中に独学する機会を得た。
思えば相当の道草を喰ったものだ。電気回路理論の先生がざっとでも良いから箱の中味を教えてく
れていたなら私は物理屋になる必要はなかったかも知れない。然し物理学は私の求心欲に答えてくれた。
ヴェールで隠されていたものを一つずつ発見するときの内的歓喜は研究物理学において顕著であった。
II. 研究者とは何者なのか?
A. 貴方も今日から研究者になれる!
「貴方の職業は?」と聞かれれば、私は物理屋で只今はポスドク、教授、大学職員(Staff), ハイ
テク会社社員、国立研究所の科学者、大学講師、そして政府研究科学者などとその時々に忚じて私は答え
たであろう。然し Who are you? と尋ねられたら「私は研究者, Researcher!」と常にためらわずして
1
答えたい。そのとおり, 研究者 とは自ら決意して成るものであり、職業名である場合とそうでない場合、
つまり無給でも自己の使命として新たに開始するか又は生涯継続する場合とがある。因みに英語 Researcher は【探究を繰り返し実行する者】の意味である。
生活態度すなわち自らの姿勢が問われているのだから、この早稲田大学 交友会会報の読者も《あ
なたの分野での研究者》となる事が出来るのである。純粋な頭脳作業である以上、年齢、性別、国籍、ハ
ンディキャップその他一切関係ない。資本金も要らないのだから、貴方も明日から研究者になれる。それ
に依る利益は貴方にも貴方が選ぶ国にも将来必ずあると保証する。
福沢諭吉は【学問のすすめ】を説いた。私はそのあとに必要とされる【研究のすすめ】を説きた
い。学問つまり純粋に学ぶだけでは内的満足はあっても内的歓喜は味わえない。また経済効果もあまり
ない。文学研究、教育学研究、医学研究などではなくて研究文学、研究教育学、研究医学などのすすめ
(勧め)である。言葉ではわずかな差だが内容的には絶大な差がある事を今この場で感じて欲しい。
研究文学は例えば寺田寅彦の随筆集[2]のような形をとるかも知れない。あたりまえと思われて
いる事物のからくりを研究してそれを文学的に説明するのである。福沢諭吉は彼の伝記 [3]を読むかぎり
英語教育研究者の傾向が強い。1866 年彼が出版した“西洋事情”は当時で25万部も売れたと言うでな
いか。彼は明治の日本と言う世間がまだ分かっていなかった西洋のからくりをつきとめて日本人が理解
出来るやさしい言葉で説明すべく 少なくとも2週間位は本の構想に自らの知恵をしぼった事であろう。
この作業は研究者のそれと合致している。
知恵と時間がかかる研究書を書かなくても医者は技術と知識だけで経済効果を上げられると言う
かも知れない。しかし研究医学によって医者は初めて患者の心を真に理解出来るようになるのである。
何故そのようになるのかは、この先で分かる。
B. 研究科学者による経済効果
ノーベル賞を獲得する者はもちろん研究者の筈である。それは孤独な個人的学術作業の結果であ
る場合が一般的だが、彼/彼女が与える世界経済へのインパクトは計り知れないものがある。自然科学の
分野で言えば、たとえばレーザの発明は新に光通信の可能性を生み、近い将来六兆円規模の産業へ発展
すると言われている。然りレーザは20世紀最大の発明であった。また地元カリフォルニア工科大学
(Caltech)のなみいるノーベル賞獲得者の中の一人ファインマン教授が初めて提唱したナノテクノロジー
の概念は、現在のゲノムブーム, バイオブームの後を追いかけるように、その実用化に向けて世界の大
学及び研究所がいま急速に動き出している。
このように研究は個人活動でありながらその成果は一国の経済を活性化する起爆剤となり得る。
クリントン時代の繁栄はビル・ゲイツの友人ジョブから発火した「IT 産業」の産物であるといっても過
言ではない。そして IT 技術は、もともと物理屋が発明して使用していたものである。
C. 研究者のパーソナリティーが与える他者への効果
経済効果のみならず研究者の人格(生態?)そのものが精神の高揚ひいては一国の文化の転換に影
響を与える場合がある。
昨年(2001 年)の暮れ 私が働きに来た直前に当 UCLA 物理学部の教授 John Dawson が亡くなった。
彼の偉業と類まれな人柄を偲ぶ "Dawson Memorial Lectures"が今月の 5 月 18 日から開かれる。彼の死
を惜しむ世界中の学者が此処 Westwood に集う事になっている。【彼は生前、物理科学は最も高貴な職
業であると言いつずけた、そして それは彼の生活スタイルそのものでもあった】と新聞が報じている。
私もプリンストンで彼が未だプリンストン大学付属プラズマ研究所(通称 PPPL)で働いていた時に紹介さ
れて以来彼は私の Role Model (模範)でありつずけた。既に世界的名声高く超多忙な彼が、駆け出しの私
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を親しく自分のオフィスに招待して彼が日本訪問で受けた土産品をひとつひとつ丁寧に説明してくれたの
だった。彼こそは研究者の鏡であった。
こうした素晴しいパーソナリティーとの出会い が研究者の世界では珍しい事ではない。日本で
最初の女性物理学者である湯浅年子がキューリー婦人の娘むこであるジョリオ・キューリーの下で働きは
じめるきっかけがまさにそうであった。詳しくは《湯浅年子の“パリ随想,”みすず書房》[4]を是非読ん
で頂きたい。湯浅年子が日本人版 John Dawson であったことも自ずと知れるであろう。戦中戦後の猛
烈に苦難な時代に彼女が如何にして物理学研究者の道を再三決意して選び取る必要があったのか、それ
がこの本には彼女自身の美しい文章で切々と語られている。
札幌農学校の初代教頭として現職のまま赴任してきた Amherst College 総長の Dr. William
Smith Clark は農学博士号を持つ科学者であった。彼の教えを受けた一期生は全員が変えられた。彼等は
冒頭に述べた二期生の内村鑑三を変えた。同じ二期生の新戸部稲造は後の矢内原忠夫 及び 南原繁と続
く3人の東京大学学長 並びにキリスト信徒を作った。正に一人の研究科学者が日本の文化の転換に偉大な
影響を与えた良い例である。彼等の影響は早稲田大学の教授陣の中にも、そして吾が両親の上にも大なる
影響を与えた事を私は知っているからである。いやもしかするとクラーク博士無くしては私は生まれてい
なかったかも知れないのである。この大河の源はたった一人の研究科学者であった事を忘れないで欲しい。
何故彼が研究科学者であったと想像できるのかは、これを最後まで読んで下されば分かる。
III. 研究者の道を選んだ理由(私の場合)
A. NHK 技研での出来事と35才伝説(?)
早稲田大学理工学部では四年生になる前に米国のインターン制度と似た学外での卒業実習を課す。
級友三人と私は今でも世田谷区砧にある NHK 技術研究所(通称技研)に出向いた。春休みを利用しての実
習だからお昼は外の芝生で皆と一緒に食べて居た時の事である。私担当の技官がそそくさと弁当をしま
い乍ら『昨日も夜鍋して考えたけれど未だ僕には分からないことがあるので、お先に失礼、研究室に戻
って勉強して居ますから、』と言ったのである。それを聞いて私は内心ぶったまげた。
当時私が受けていた日本での教育は【研究は35才まで】というものであった。「35才までに
良い仕事が出来なかったらもうお前達は望みが無いのだから研究はさっさと止めたほうが良い」と幾度
もクラスで聞かされた。なるほど自らの手を汚し実験を年ふるまでも継続している教授方の姿を見るこ
とは無かった。
それなのにこの技官は未だ勉強すると言っている。魔法の年(35才)をすでに越えて居るらしい
のに。15年以上も同じ技研で同じ種類の実験研究を続けているはずの彼に、依然として分からないこ
とが本当にあるのだろうか?《勉強》と言う言葉を 既に社会人である人間のくち(口)から聞いた事自体
が大きな驚きだった。就職試験を最後に永久雇用の日本ではもう試験勉強は必要無いのだから勉強は社
会人にとっては無用の字になるはずだと学生の私は単純に考えていたのある。勉強とは試験をパスする
為の一時的な道具とだけ思っていたらしい。勉強は学生のみに必要だと信じていた。
この技官が放った何気ない言葉はそれ以後今日までの私の長い研究生活に決定的な影響を与えた
事は言うまでもない。“大学出てから十余年”経ってもまだ真面目に勉強しなければ解けないような難
問が世の中にはあるらしいと知って、あのとき私は密かな希望と興奮も覚えたのだった。その記憶は
【断絶の時】が吾が身を襲う度によみがえり私を励ましてくれた。
学士論文でレーザと取り組んだ関係で私は早稲田大学卒業後の一年を『レーザによる非線形現象』
で全国に名声を馳せていた東京大学物性研究所矢島研究室の特殊研究生として過ごす事が出来た。劣等
感に苛まされた一年であったが此処での経験は私をして大学院進学と研究者への道を最終的に選ぶ事に
役立った。
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さて、アメリカでもブラジルでも聞いたことがない上記の35才説は当時の早稲田大学理工学部
を風靡していた単なる伝説だったのだろうと私は自分に言い聞かせて来た。ところが現在でも例えば日
本物理学会誌の掲示板内にある人事公募の広告を見ると【年齢は35才まで】と言う活字が頻繁に使わ
れている事が分かった。大学も研究所も其の点では同じである。するとこれは延々と続く日本の常識な
のだろうか?【私共は Affirmative Action and Equal Opportunity Employer(差別撤廃と機会均等法を
遵守する雇用者)です】と広告の最後に必ず宣言することを義務ずけている米国物理学会会報の Physics
Today とは大きな違いである。研究とは若者だけの特権であり彼等の能力だけで勝負する競馬みたいな
ものと日本では現在でも誤解しているのではないだろうか? 単純に一人の公的活動期間を70年と仮
定すれば潜在研究者人口の半数をこれで日本は失っていることになる。それでなくても日本の博士研究
者の数は極端に少ないのである。一人の博士研究者を生むだけでも国は相当な出費をする。博士研究者
は新しい仕事を作る使命もおびている。35才伝説によって日本国民が被る損失額は従って膨大なもの
となるはずである。日本のシンクタンクは正確な損失額を計算して内外に発表すべきだ。因みに日本の
博士人口はアメリカのそれの十分の一以下である。アメリカは人口が多いから当り前と思うのは誤り、
日本のたった二倍半である。
IV. 研究者の定義と生態
A. 定義
統一された定義はないが、《研究者とは世界がまだ分かっていない問題や自然現象のからくりを突
きとめる為に、そして第三者に言葉やモデルでその答えを矛盾なく説明できるようにする為に、己の知恵
の全てをたぐって2週間以上 集中 して 思考継続できる者》と私は定義したい。世の中にはいろいろな分
野の自称研究者がいるが、大切なところは最後の部分、2週間ぐらい考えを【集中して継続】出来る者で
あることである。何故2週間かは私の経験による。2週間以下で解決に至る道が発見出来たらそれは世界
的に見てオリジナルな研究テーマではなかろう。研究科学者を単なる技術屋(Engineer)や単なる科学者
(Scientist)や単なる教授(Professor)から区別出来る別れ目がここにある。
B. 研究者の生態
単なる技術屋、科学者、および教授は、単なる会社員と同じように、時間が来れば考えることを
止め、家に帰ると絵に描いたような家庭生活がおくれる人達である。
研究者にはそうしたくても出来ない事情が沢山ある。彼/彼女は真実の究明に魅了されているの
で実験や沈思の過程から、たとえ家族の為であっても、途中下車する事を好まない。同じ敷地内に家庭
がありながら実験室内の小さな木のベンチで眠るトーマス・エジソンの有名な写真はこの事情を良く物語
っている。研究者は真空ポンプの音やコンピュータールームの冷房をものともせずに椅子や床で《眠た
くなったら直ぐ眠る》事が出来る人間である。これが 24 時間を越えて考え続ける事ができる秘訣だ。勿
論彼等も頭脳の明晰度を維持するために眠るのだけれど、その合計時間は馬上でのナポレオン級(4時間
睡眠)であることが多い。時間を惜しむ研究者にとって即席ラーメンほど有難いものはない。
家族と子供を研究所内の砂地に遊ばせておいて実験の続きをする週末の研究者、実験室から競技
ダンスに参加したあと直接また夜の実験室に戻ってゆく研究者、そして先述の湯浅年子で代表されるよ
うに研究を良き伴侶として生涯独身を貫く研究者も少なくない。超多忙であるがゆえに理想的な家族に
恵まれながら超すれ違い人生をおくる米沢富子のような研究者の話しも我々の世界では良く耳にする。
因みに彼女は1996年女性では初の日本物理学会会長をつとめた人物である。
しかしだからと言って研究者が非人間的だと早合点してはいけない。米沢富子“二人で紡いだ物
語”出窓社 2000 年初版[5]を読まれた方は, 無味乾燥な業界用語を駆使して議論ばかりしている研究科
学者が何故ここまで人間的でありうるのか不思議に感じたかも知れない。<<その秘密は何か?>>が今日の
大切な主題の一つでもあるのだ。
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V. 客観的な感情移入
A. 研究者は電子の気持ちにもなれる?!
先に述べた湯浅年子をジョリオ・キューリーに橋渡ししたのは同じ物理学者のランジュヴァン教
授だった。なぜ彼が一つの紹介状さえ持たない無名の外国人学生のためにそれだけの労を厭わなかった
のか? それは『客観的な感情移入』つまり己れと他を交換して考えてみると言う心持ちのゆとりが科学
者には属性として備わっているからだ と湯浅年子は気ずく。
朝永振一郎著“量子力学と私,”岩波文庫 1997 年初版[6]の中にも先日面白い下りを発見した。
彼は京都大学を卒業して三年目以後の六年間を理化学研究所仁科研究室(現サイクロ研の前身)に在任した。
その最後の年の十一月から丸六か月を彼はライプチッヒ(ドイツ)に留学する。然し仕事がうまくゆかず,
憂鬱になっている自分の心を打ち明けた手紙を彼は日本に書き送った。すると間もなく仁科芳雄から同
情と励ましに満ちた返事が届く。朝永はそれを読んで涙が出てきたと正直にこの本に書いている。それ
は仁科が朝永の気持ちにたやすく『客観的な感情移入』が出来たからだ。仁科も同じような経験をコペ
ンハーゲン留学中にしただろうからそれは当り前と人は言うかも知れない。それもあるがそれだけでは
ないと私は考える。
研究者にとって『感情移入』が比較的たやすい理由は何故かを考えてみよう。例えば私は良くお
風呂の中で自分が電子になったりイオンになったりして遊ぶ。浴槽に蓄えられた水は背景の電子やイオ
ン達である。彼等が浴槽の中心から波を作って押し寄せてきたらテスト電子である私はどんなふうに感
ずるだろうか?イオンだったなら?などと想像してみるのである。背景の粒子等が浴槽の内壁を回り始
めたら彼等は私を浴槽の外に追い出そうと思うだろうか?それとも彼等の回転に私を引き込もうとする
だろうか? などと考えを巡らせているとつい長湯になってしまう。周囲の四角いタイル達が作る白線が
個体の中の格子(Lattice)に見えてくると電子の私はまた新たな気持ちになってその"結晶"の中に入って行
くのである。電子やイオンがどんな環境の時どう反忚するか良く理解していなければ電子やイオンの正
しい気持ちになる事は出来ない。仁科はそのとき朝永その人だったと私は考える。
手元の雑誌サイエンスを開けて見たら私と似た研究者の記事が簡単に見つかった。彼はリヴァモ
ア研究所の超大型コンピューターを使って X 線パルサーの模擬実験をしている間中『自分はその発生源
である中性子星の上にずっと立って"居た"』と書いている。地球上のどんな摩天楼よりも高い X 線の柱
が多数自分の回りで激しく上がったり下がったりする情景を見ていたと言う。彼が宇宙の彼方にある中
性子星 (Neutron Star)の気持ちになってひたすら其処に住み続けていた事は間違いない。
このように物や事象への『感情移入』を頻繁に試みている研究科学者にとって、勝手の分かった
人間への『感情移入』はいともたやすい事である。研究者はさらに学会出席や留学および客員研究員な
どを通して頻繁に世界を飛び回る【渡り鳥的存在】つまりコスモポリタンである。従って大抵の国の人
と同じ様な気持ちになることが出来る。これが研究者には『感情移入』が素早く抵抗なく出来るもうひ
とつの理由であろう。
研究テーマの解決に向けて行動を開始した途端『こんな簡単なことの原理(からくり)を自分はま
だ理解していなかったのか!?』と驚きあきれる。自分は全ての事を知っていると誤解している人間ほ
ど高慢な者は居ない。己の無知を認め一つずつ実験出来る事は実験をして確かめ、ひたすら上へ上へと
登るとき究明の心は次第に純化して敬虔な気持ちになってゆくから不思議である。敬虔な心を持ち【集
中の継続】を実行する研究者の生活は何故か《禅》修行 [7]または巡礼の旅(Pilgrimage)と共通点を持つ。
B. 何故クラーク博士は研究科学者だったと分かるのか?
此処まで読んで下さった読者にはもう答えられるであろう。彼は単なる宣教師でも単なる科学者
でも無かったと言える。単なる科学者はコスモポリタンでは無い。宣教師は大抵コスモポリタンであるが
単なる宣教師はそれが職業なのでじっくりその場所に留まり何年も掛けて宣教に励む。クラーク博士は当
時でも既に54年の伝統があった名門カレッジ(現在マサチュウセッツ大学)総長現職のまま一年の休暇を
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取って Amherst 市から東に75マイルを旅してボストンに出たあと更に地球を半周して北海道に来た、
そして8か月で急ぎ帰国した。これは研究科学者に典型的な行動パターンとぴったり合致している。彼は
招かれた期間を利用して考えるなんらかの研究テーマを持ってやって来たと私は信ずる。一期生全員は
彼等の頭の中にあった宣教師のイメージとは違った彼の研究者態度にびっくりしながら魅了されていった
に違いない。彼は集中して考え続ける自分の研究生活だけで超多忙であったと思う。然しその求道的すが
たこそ16名全員にとって最善の説教となったと想像できる。研究科学者である彼にはそうした学徒達の
心の変化の様子が手にとるように分かった。8か月後彼は手持ちの研究テーマの一つに対して或るを発見
をした。だからそれを残り4か月の休暇中にまとめるため、彼は急いで帰国の途についた。 Boys be
Ambitious!の言葉を残して。この言葉は新しい考え方(Ambitious Thinking)や新しい実験を恐れるなと言
う研究的態度のすすめの言葉と私には聞こえる。
VI. 研究者としての心と身体の準備
A. 研究者の苦難と内的歓喜の瞬間
研究者の【苦難】と言えば、先ほど書いた様に、絵に描いたような家庭生活は無理であることが
まず挙げられる。研究者にとって一番大切なものはお金ではなくて時間であるので残念ながら両者の価
値観が合わない。時間が長引くスポーツや試合には参加出来ない。そうした種類のスポーツ愛好者にと
って研究生活は苦難であろう。野球、ゴルフ、マージャン類は駄目である。カリフォルニア工科大学に
は野球部やフットボールチームが存在しない事はこの理にかなっている。二時間以内で充分の運動量を
得られる水泳やダンスなら良い。 JPL/Caltech での私のボスはアエロビックスを続けていた。自分だけ
が男のメンバーだと笑っていた。
朝永振一郎でさえ、専門を同じくする先生が存在せず教科書も無かった 1930 年代に量子力学を
勉強する事は非常な苦難であったと書いている。難解な問題をあまりに真剣に考え続けると気持ちが悪
くなり、物が食べられなくなるのも苦難である。胃を悪くすることもある。運動は考え続ける前の準備
体操である。然し2週間( 336 時間)ほど全ての活動を断ち考え続けた挙句遂にその問題解決の糸口
(Clue)が見つかった時はまさに《内的歓喜》の瞬間である。この時ほど研究者は祝福されている!と全
身幸せな気分に浸れる瞬間はない。336 時間は約 90%の確率で答えが見つかる魔法の時間である。
B. 研究テーマの例
たとえば私が JPL/Caltech でしていた『電子のエネルギーロス法を用いた鉄の多価イオンの励
起断面積の測定』は研究とは言えない。実験は超難しく超時間がかかるが、データを採って解析し、
NASA と原子物理学会のデータベースにその結果を送れば良いだけなので、頭脳作業はあっても24時
間以内でひとまず片ずいてしまうから。しかしどうやったら電子サイクロトロン共鳴を利用したイオン
源から極低温の多価イオンを効率良く大量に生産出来るかは未だ世界で分かっていないので、『イオン
源を根本的に改良する方法』は研究である。
その点 UCLA での仕事はどれも研究と言ってよい。答えが全く無いからだ。『陽イオンと陰イ
オンを RF 四重極加速器で加速合流させて高エネルギー中性ビームを発生する方法』、『イオンのサイ
クロトロン共鳴を利用した同位元素分離エンリッチメントと収集の方法』などのテーマが目下遂行中の
テーマである。いずれもプラズマ物理の忚用であるが、将来 答えが見つかって実現した暁には大きな経
済効果が期待できることに注目されたい。
C. 良いアイデアが浮かぶ時?
研究テーマは無限に存在する。それらは実験室や日常生活の実体験の中から生まれる場合が多い。
「こんな事が出来たら」「こんな物があったら」と思う時や、自分がイライラした理由、物が壊れた理
由、人の失敗談や苦労話し等を反復して考えて見る時に良い研究テーマはみつかる。そのうち約 20%
は未解決のまま将来に残るのでその分は忘れないようにメモしておくのが良い。
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JP/Caltech では『彗星からの X 線発生過程の研究』のテーマを貰い『中性原子との間で電子交
換をするイオンからの X 線放射』を測定していた際、私は世界で未だ一度も作られたことがない【連続
でコヒーレントなソフト X 線レーザー(CW-SXL)】をテーブルトップの大きさで実現する答えを発見し
た。生物物理に役立つ【連続 X 線レーザ】は既に私の研究テーマの一つにリストアップされていたのが
幸運だった。
ただし研究者としての仕事は勿論これで終わりではない。それを図や数式にし言葉で分かりやす
く説明した研究計画書なりプロポーザルを作成しなければ 良いアイデアであってもサポートされずア
イデアが形になる事も無い。誰が読んでも全てに渡って矛盾なくかつ明快な論文とかパテント忚募資料
とかの作成ともなると一年も二年も孤独な時間が続く。誰の助けも助けにならない。どんなに沢山の名
前がそこに並べられていても論文の著者は必ず一人だけである。たとえ今流行のチームワークの研究だ
ったとしても、それは極く最初の話しであり、発表出来るデータ取りと論文作成は全くの個人作業であ
る事は昔も今も変わりがない。研究者は演奏が終わったあとも一人で何日も何日も指揮棒を振り続ける
オーケストラの指揮者のようだ。実際、私は実験に使う測定機器は全て楽器で, 実験する自分
はその指揮者と感ずる事が良くある。どの一つの測定器が不協和音を出しても直ぐ分かり、行って修繕
出来るまでにならないと最後のデータは取っても意味が無い。うんざりするこの繰り返しに耐えられる
実験パートナーと言うのはおのれ(己)以外には存在しない。
研究テーマを探す段階ではチームワークも役に立つ。ある人には超難問でも他の人には比較的優
しいと言う研究テーマもあるので出来るだけ沢山の研究者と交わる事が望ましい。他者の論文やインタ
ーネットもその代用となる。自分がリストアップした研究テーマを頭の中にイメージしながら次のよう
な状態に自分をおくとその問題解決の糸口が突然に浮かぶものである。
・闇夜にレーストラックを走る (目を閉じて昼間走っても良い)。
・構内や近所をボーっと歩いたり走ったりする。
・ベッド以外の場所で眠る(椅子に座ったまま、TV の前、お風呂の中、映画を見ながら)。
・プールでガムシャラに泳ぐ。
・人に自分の答えを説明する (すると突然自分の答えは間違いだと分かり、次の瞬間本当の答えを発見
する)。
答えはイメージとして(絵または映画の大スクリーン上に書かれた文字や図形で)脳裏にはっき
り浮かび上がる。得た答えは勿論その日のうちに日付けと共にノートに書き留めておく。何故かと言う
と、その後色んな疑惑が押し寄せるからである。 他の答えも見つかったりして雑然としてくるが、大
抵の場合最初のヒラメキが一番自分への参考になる。
VII. 研究ができる環境つくりの為の提言
A. 永久雇用制の弊害
日本の何処かの研究所のように毎日まいにち同じ同僚と何十年も昼食を共にしているような環境
では究明すべき研究テーマをみつける事が出来ない。出来るだけ異種の人間を交え、自分も異種の人間
として外のグループと交わることが大切である。この点でも日本の永久雇用制度には弊害がある。
日本人一世(日本生まれの在外者)の研究者は他国のそれと比べて極端に少ない理由は永久雇用制
度が原因だと分かってきた。出身機関又は会社のひもつき留学でない限り帰国後は永久雇用制の枠から
はみ出してしまう。それを恐れる結果であるらしい。
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熟練した研究者の欠如は豊富な経験と技術を必要とする真にハイテクノロジーな研究テーマを解
くべき人間の欠如に繋がっている。経済効果が失われるばかりか解決を迫られているテーマの先送りが
慢性化することになる。永久雇用制が無ければ定年制も必要無い。
同じ職場で同じ同僚と何十年も過ごす永久雇用制の下では再就職も必要なく過去と決別する転地
転職も殆んどない。彼等にとって情報交換は必要であっても不可欠では無い。 永久雇用制の弊害はそ
の恩恵を受けた被雇用者にも認められる。組織の中で育てられた彼等の多くは独立が必要になった時に
も一人でゼロから始める技術と知恵を学んでいない。もちろん例外はある。
日本にも公民権法**を制定することが是非必要な時代が始まっている。これは伝統的な日本の永
久雇用制度と対立するが故に既に40年間も無視され続けている。然し、公民権法が無いまま永久雇用
制度が継続するならば、機会『不均等』が益々充満して日本人の士気はさらに悪化する事になるであろ
う。研究ができる環境とは、すなわち、条件の極度に異なる研究者達がその条件とは全く関係なく共に
議論でき働ける環境である。働く意志のある者に差別なく機会が与えられるならば、既に学ぶ材料が無
い職場は新しい研究者に譲ろうと考えるであろう。この種のローテーションならば人は更新され活性化
されるのだ。
**此処で、公民権法とは1964年に米国で制定された年齢、性別、国籍、ハンディキャップ、
宗教、出身民族、及び出身国を理由とする(計7つの)差別を撤廃する法律のことである。
B. シュプレヒコール!
我々は今こそ早稲田大学の伝統であるシュプレヒコールの大声を上げて日本を呼び起こす必要が
ある。熱的平衡状態にある日本には外からの刺激だけが方向転換を促す力を持つ。次のようなスローガ
ンはどうだろうか。
・皆んな自分の分野の研究者になろう!
・日本の研究者人口を増やす環境を作ろう!
・1964年の公民権法を日本にも40年遅れで制定しよう!
・『差別撤廃と機会均等法を遵守する雇用者である』と広告に宣言することを義務ずけよう!
・35歳伝説を粉砕せよ!
・安心して研究が出来る環境を作ろう!
VIII. 読んで頂きたい本のリスト
1. 内村鑑三著, 余は如何にして基督信徒となりし乎, 岩波文庫 1994 年 (初版 1938 年).
2. 寺田寅彦著、小宮豊隆編, 寺田寅彦随筆集, 岩波文庫, 1948 年初版.
3. 福沢諭吉の伝記(英語版): The Autobiography of Yukich Fukuzawa, E. Kiyooka,
Columbia University Press, First American Edition 1966, New York & London.
日本語版:福翁自伝、岩波書店、1978 年初版.
4. 湯浅年子, パリ随想, みすず書房, 1980 年発行.
5. 米沢富子, 二人で紡いだ物語, 出窓社、2000 年初版.
6. 朝永振一郎, 量子力学と私, 岩波文庫, 1997 年初版.
7. 赤根祥道, 禅に学ぶ人生の知恵, 三笠書房, 1985 年初版.
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