PDFファイルを読む - Arabic ISlamic Institute in Tokyo

序
2005年、日本とサウジアラビアの国交樹立50周年を迎えました。また
今年、2006年4月6日には共同声明『日本・サウジアラビア王国間の戦略的・
重層的パートナーシップ構築に向けて』が発表され、両国の関係は新時
代に踏み出しました。
アラブ イスラーム学院では、この新しい節目に際し、両国間のさらな
る文化交流促進の一助となるべく、本年5月27日に「日本のアラビア語の
現状̶教育と業界のニーズ̶」と題したシンポジウムを開催いたしまし
た。
本研究論文集はシンポジウムにおける発表ならびに討論の結果をさら
に深め、研究論文集として編んだものです。この本校の目標である両国間、
ならびにアラブ・イスラーム諸国との文化交流・相互理解にもとづく友
好関係の強化がよりいっそう推進される一助となることを願ってやみま
せん。
なお、広く日本のみなさまにお読みいただけるよう、アラビア語で寄
稿されたものは日本語に翻訳して掲載しております。予めご了解くださ
い。
2006年10月
アラブ イスラーム学院
論文集刊行によせて −イマーム大学学長のことば−
世界の主へ称賛を、そして最も誉れ高き預言者ムハンマド、その家族、
教友及び支持者たちに、最後の日まで祝福と平安を 。
サウジアラビアの諸大学の下では、国の内外を問わずアラビア語を母
国語としない人たちへのアラビア語教育が精力的に進められています 。
イマーム大学も従来よりかかる努力に参画しており、その各種出版物
によりその評価や改善にも努めています 。
2006年5月27日、在東京アラブ イスラーム学院で実施された本シンポ
ジウムは「日本のアラビア語の現状―教育と業界のニーズ―」と題され
て、同学院が日本でのアラビア語教育の発展とその水準向上のために実
施した事業の一つです 。
ここにその記録を作成し本大学も寄与できたことは、私の喜びとする
ところです 。 これにより専門、非専門を問わず、日本の現状や業界の需
要のあり方を知る一助となり、報告記録として広く活用されることを切
望する次第です 。
なお本シンポジウム実現に向けては、多くの方々のご協力、ご指導を
仰いで参りました 。 まずは二聖モスクの守護者アブドッラー国王とスル
ターン皇太子殿下、中でもアルアンカリー高等教育大臣らが本事業に示
されたご配慮とご指導がありました。また在日サウジアラビア大使ファ
イサル・トラッド閣下には日頃より多大なご支援を頂いています 。 これ
らの方々全員に、深く感謝と評価の言葉を申し述べます 。
本シンポジウムとその記録が、日本におけるアラビア語教育をますま
す前進させるように願ってやみません 。 またそれがひいてはアラブ・イ
スラーム世界と日本間の相互理解と共通の知的活動を強化するように祈
念いたします 。
預言者ムハンマドとその家族に祝福と平安あれ
ムハンマド・ビン・サアド・アッサーリム
イマーム・ムハンマド・イブン・サウード・イスラーム大学学長
論文集刊行によせて −アラブ イスラーム学院学院長のことば−
世界の主であるアッラーに称賛を、
そして誉れ高く最も信頼される預言者であり使徒である
ムハンマドとその家族並びに教友全員に祝福と平安を
在東京アラブ イスラーム学院は、サウジアラビア王国がイスラーム諸
国民に対してのみならず、全世界的に果たそうとしている文化的・教育
的な奉仕の生きた事例です。王国はアラブ文化とイスラーム文明を紹介
し、もって知識・学術と相互理解の橋渡しをすることを望んでいます。
そうして善と平和のための協力が達成されることを願っています。聖ク
ルアーンに、
「人々よ、われは一人の男と一人の女からあなた方を創り、
種族と部族に分けた。これはあなた方を、互いに知り合うようにさせる
ためである。アッラーの御許で最も貴い者は、あなたがたのうち最も主
を畏れる者である。(部屋章49:13 )」といいます。
ヒジュラ暦1402年、西暦1982年、サウジアラビアはこの友好国日本の
首都である東京に、本学院を創設しました。その運営面・学術面の監督
と面倒見を、同国でも国内外の教育機関行政に多く携わってきたイマー
ム大学に委ねました。それは多くの崇高な目的を遂げるためです。
本学院は熱心なご支援を、サウジアラビア政府から継続して受けてい
ます。同政府を導かれるのは、二聖モスクの守護者アブドッラー・ビン・
アブドゥルアジーズ国王、並びに皇太子殿下スルターン・ビン・アブドゥ
ルアジーズ副首相・国防・航空大臣兼監察長官――両名にアッラーのご
加護あれ――のお 2人です。こうして学院はその学術的・文化的・文明
的な使命を果たし、両友好国民間の相互理解と橋渡しに努めてきていま
す。
このようにサウジアラビアと日本の協力関係強化を目途とし、ヒジュ
ラ暦1427年4月29日、西暦2006年5月27日、イマーム・ムハンマド・イブン・
サウード・イスラーム大学所属在東京アラブ イスラーム学院において、
アッラーのお恵みを持って、今次のシンポジウム「日本のアラビア語の
現状―教育と業界のニーズ―」が開催されました。これはサウジアラビ
ア王国駐日大使ファイサル・ビン・ハサン・トラッド閣下の御配慮と、
イスラーム・アラブ・日本の関係者、外交団の御出席を得て実現された
ものです。
本シンポジウムには、サウジアラビア・日本双方の研究者や学術関係
者が参加し、主に以下の3点を中心に議論は進められました。
1.在東京アラブ イスラーム学院の経験
2.日本の大学教育
3.日本の業界のニーズ
本シンポジウムは、アッラーの思し召しにより、日本でのアラビア語
教育を推進したいとの所期の目的に沿って、熱心な参加者と建設的な研
究発表、そして有益な対話に恵まれました。それらを通じて、アラブ・
イスラームと日本の二つの世界が、学術的で文化的な協力の紐帯を強化
し、将来達成される様々な過程を見守ることが期待されます。
最後に参加者全員は、二聖モスクの奉仕者アブドッラー・ビン・アブドゥ
ルアジーズ国王、並びに皇太子スルターン・ビン・アブドゥルアジーズ・
アール・サウード殿下――彼ら2人にアッラーのご加護あれ――に対して、
重要な本シンポジウムがアラブ イスラーム学院――それはサウジアラビ
ア及びイスラームの文化、社会と文明を日本に紹介する光の窓口になっ
ている――で開催されたことについて、多大な謝意を表明しました。
本学院として、シンポジウムでの研究発表をまとめてその記録として
読者、研究者の方々に提供できることを喜ばしく思います。それによっ
て様々な見解や提言が広く裨益することを切望します。
また、本学院として、本シンポジウムを巡って、サウジアラビア高等
教育大臣ハーリド・ビン・ムハンマド・アルアンカリー博士から頂いた
支援、並びにイマーム大学学長ムハンマド・ビン・サアド・アッサーリ
ム教授・博士に監督と計画・実施を継続的にして頂いたことについて感
謝を表明します。
最後に、サウジアラビア王国駐日大使ファイサル・ビン・ハサン・トラッ
ド閣下に対して、本会合への配慮、並びに日頃の学院に対する支持につ
き謝意を表明します。
全世界の主たるアッラーへ称賛を
アッラーこそは成功の支援者である
アラブ イスラーム学院学院長
ムハンマド・ハサン・アルジール
目 次
序
論文集刊行によせて ─ イマーム大学学長のことば ─
論文集刊行によせて ─ アラブ イスラーム学院学院長のことば ─
論文
1
1. 日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
門屋 由紀
51
2. 24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
ムハンマド・ハサン・アルジール
調査報告
85
邦人企業が求めるアラビア語スキル
鈴木 健
日本におけるアラビア語の現状
教育と業界のニーズ
【論文集】
参考
109
1. シンポジウム最終提言
112
2. 安倍内閣官房長官(当時)からの祝辞
̶第3回アラビア語オリンピックによせて̶
114
3. 日本・サウジアラビア共同声明「日本・サウジアラビア王国
間の戦略的・重層的パートナーシップ構築に向けて」2006年
128
4. アラブ イスラーム学院概要
130
5. アラブ イスラーム学院研究叢書
日本の大学におけるアラビア語教育の
現状とその問題
―アラビア語教育の歴史とアンケート調査の結果から―
Arabic Language Education at Japanese Universities
‒
Current Situation and Issues‒
門屋 由紀
KADOYA Yuki
─1─
Ⅰ.はじめに
本稿では、日本の大学において実施されているアラビア語教育の現状
とその問題について論じている。その際に、アラブ イスラーム学院東京
分校によって 2005年12月から翌年2月まで実施された、「日本の大学にお
けるアラビア語教育の現状」調査の結果を反映したい。
1925年に大阪外国語専門学校(現大阪外国語大学。以下、大阪外語と略)
でアラビア語教育が始められてから、約80年が経過した。昭和の初め頃
にはこの大阪外語で学ぶか独学や外交官となって現地に留学するしか方
法がなかったアラビア語も、2004年には 48大学で勉強することができる
ようになっている。昨今の中東事情を鑑みると、今後、アラビア語学習
熱はより一層高まっていくであろう。
この 80年の間に、残念ながらアラビア語教育に関する実地調査が行わ
れた気配はない。もちろん、大学などが学内で小規模なアンケートを実
施することはあるだろう。言うまでもないが、それらは公表・共有され
ることはなかった。つまり、このような調査の不在は、既存のアラビア
語教育の内容について検討し、それを改善する機会がなかったというこ
とを意味している。そこで、今後のアラビア語教育に資するため、当学
院は大学とアラビア語講師を対象として「日本の大学におけるアラビア
語教育の現状」調査を行った。本稿では、過去に行われたアラビア語教
育については文献から、現在行われている教育についてはこの調査の結
果を用いて、日本におけるアラビア語教育の現状とその問題を明らかに
したい。
先行研究の整理をしておく。管見の限り、日本のアラビア語教育に関
する論考の多くは、指導の実践報告などである。まず、大阪外語の名誉
教授である池田修氏の報告がある。この報告の中で、池田氏は日本にお
けるアラビア語教育の歴史を簡単に紹介した後で、報告当時にアラビア
語講座を設置していた教育機関を 3種類に区分している[ 2 ]。そして、中
学校や高等学校ではアラビア語教育が行われないので[ 3 ]、すべての学生
は大学入学後に初めて学習するということを述べている。大阪外語のカ
リキュラムを紹介し、最終的に、「現在のアラビア語教育の問題点は、中
─2─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
東研究に携わる人は皆まず最初にアラビア語習得に非常な時間と努力を
[4]
しいられることであろう」
と結論付けている。アラビア語教育の対象
を一般的な語学の学習者ではなく、「中東研究に携わる人」と表現してい
るのが注目に値するだろう。アラビア書道家の本田孝一氏[ 5 ]は、日本の
アラビア語教育の問題は「文法重視」であると指摘している。また、現実
的に初心者が数ヶ月程度文法を勉強しても古典などの購読は難しいと考
えている点で、池田氏の言う「中東研究に携わる人」のみを対象とした教
育を、必ずしも念頭においていないことがわかる。榮谷温子氏[ 6 ]は、正
則アラビア語(フスハー)の学習および指導の際に生ずる問題について、
外国語教授法が全体的にはコミュニカティブな方向へ流れていると述べ
た上で、主にアラビア語文法の面から考察している。大阪外語や天理大
学などで講師を務める河井知子氏[ 7 ]は、初級レベルにおける指導に限定
して、その工夫などを紹介している。その際、「学習者の動機や目的、学
習者の望む到達レベルを想定」し、それによって教育内容を変えている
点は、特筆すべきことであろう。以上から、従来、アラビア語教育は主
にアラブ・イスラームの研究者などを対象としたものであった。当然、
研究に必要とされるのは主に文法と訳読であり、それを中心とした指導
がなされてきたのであろう。しかし、徐々に研究者志望以外の多様な学
習者にも向けた教育が行われるようになっているのが明らかである。た
だし、この傾向は個々のアラビア語講師の経験から得られたものであり、
これらのみで日本の大学における同教育の現状を説明できるとは考えら
れない。
本稿の章構成は以下の通りである。
Ⅰ.はじめに
Ⅱ.日本におけるアラビア語教育の歴史
Ⅲ.アラビア語教育を行っている大学
Ⅳ.アラビア語教育の現場
Ⅴ.おわりに
─3─
本稿の構成を簡単に説明しておく。まず、Ⅱでは日本におけるアラビ
ア語教育の歴史を概観する。その際に、日本で最初に同語教育が始めら
れた大阪外語のアラビア語教育の歴史と、アラブ・イスラーム研究の流
れを機軸とする。続いてⅢでは、大学を対象とした調査の結果や講義要
項から得られた情報を基に、その教育体制を明らかにする。Ⅳでは、講
師に向けた調査の結果と、前章と同様に講義要項の情報も適宜利用して、
アラビア語教育の現場について考察する。終章では、すべての考察から
得られた結果を踏まえて、大学におけるアラビア語教育の問題とそれを
解決するための提案を行いたい。
〈凡例〉
・ 大学でアラビア語の指導を行う者を、その職位に関わらず、
「講師」
と統一する。
・ アラビア語を必修科目としている学部・学科などを、
引用を除いて「ア
ラビア語学科」に統一する。
Ⅱ.日本におけるアラビア語教育の歴史
本章では、大阪外語のアラビア語学科と中東・イスラーム研究を中心
にして、アラビア語教育の歴史について概観する。大阪外語を中心に据
えたのは、日本において最初にアラビア語教育を開始し、最も経験豊か
な大学ということだからである。その際、①日本における中東・イスラー
ム研究の転換期となった 1945年以前、②1945年からアラビア語教育に影
響を与えた 1973年の石油危機まで、そして、③石油危機以降に分けて記
述する。
1.1945年以前
最初に、大阪外語においてアラビア語科目が開設されるまでの経緯に
ついて、簡単に触れておこう。まず、アラビア語科目の設置については、
1921年に同校が設立された時点で決まっていた。それは、初代学長であ
─4─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
る中目覺の影響があるといわれている。彼は西洋史を専門としていたが、
東洋史にも造詣が深く、その言語に関心を持っていたからである。アラ
ビア語講師としては、松本重彦[ 8 ]に白羽の矢が当たった。なぜならば、
彼は東京帝国大学文学部国史科を卒業していたが、西南アジアにも関心
を持っていたからである。文部省(当時。以下同じ)からの指示を受けて、
1922年に彼はドイツへ渡って、ベルリンで 2年間アラビア語を学んだ[ 9 ]。
こうして 1925年、インド語部・マレー語部の選択第2語学としてアラ
ビア語科目が設置された。当然、日本語で書かれた文法書や辞典などは
存在せず、学生たちはドイツ語や英語で書かれた教本を用いて勉強に励
んだ[ 10 ]。当時の学生にとって、外国語で書かれた本でアラビア語を勉強
することに、さほど苦労はなかったと思われる。なぜならば、日本の伝
統的な外国語教育は書物の訳読を中心としており、概して彼らはすぐれ
た読解力を持っていたからである。また、このような伝統はアラビア語
教育においても当てはまっていたであろう。つまり、当時のアラビア語
教育も訳読を中心としていたと推測できる。
1929年に松本が京城帝国大学へ栄転した後、大阪外語では数年の間ア
ラビア語科目が中断された[ 11 ]。しかし、これは同語教育が不要となった
ことを意味しない。というのは、1931年の満州事変を経て、その翌年に
は満州国が建国された。それから間もなくして五・一五事件で犬養毅首
相が暗殺され、政党内閣制が終焉を迎えたのである。つまり、軍部の台
頭によって日本は大陸への関心を強めていた時期であった。これを受け
て、東洋史の研究対象が中国よりさらに西へ、つまり中東地域へと広がっ
ていったのである。1937年頃には、回教圏研究所や大日本回教協会など、
主な中東・イスラーム研究機関が設立された。このような時代を背景に、
1940年、大阪外語でアラビア語学科が誕生したのである[ 12 ]。その定員は
15名であったのに対し、49名の応募があった。また、当時は毎年募集さ
れていたのである。
2.1945年から 1973年の石油危機まで
1945年の敗戦を境に、日本のアラブ・イスラームに関する研究成果は
─5─
すべて失われた。なぜならば、貴重な研究資料は焼失または散逸し、前
嶋信次や日本におけるイスラーム研究の基礎を築いたといえる井筒俊彦
といった一部の例外を除いて、ほぼすべての研究者がこの分野から離れ
てしまったからである[ 13 ]。このような事情はアラビア語教育にも影響を
及ぼしたといえるだろう。なぜならば、大阪外語も大学に昇格したものの、
アラビア語学科は 1949年頃には隔年募集となってしまったからである。
しかし、パレスチナ問題に端を発する中東での一連の戦争を契機とし
て、アラブ諸国が国際社会の関心を集めるようになったのである。また、
この頃は日本の経済成長のため、石油の確保が必須となっていた。その
ため、経済界がアラビア語教育を必要とし始めたのである。1960年に大
阪外語のアラビア語学科が再び毎年募集できるようになったのも、この
ような事情があったからと考えられる。また、その翌年には東京外語で
もようやくアラビア語学科が開設された。さらに、戦前からの歴史を持
つ私立大学などでもアラビア語教育が始められた[ 14 ]。特に、拓殖大学か
らはエジプトのアズハル大学などへ留学してアラビア語やイスラームを
学び、後に石油系企業などで活躍する者も出てきた。松本と同時期にイ
ンド語部で教壇に立っていた澤英三は「アラビア語は、今や就職界にお
[ 15 ]
と指摘している。
ける寵児にのし上がってしまった」
3.石油危機以降
以上のように、パレスチナ問題や 1960年代の日本の高度経済成長は、
アラビア語教育事情に大きな影響を与えた。その決定打となったのが、
1973年の石油危機である。「オイル・ショックを境として、アラビア語の
クラスが一度に増えたし、その前後から、アラビア研究の若い世代の層
[ 16 ]
がやや厚くもなった」
という記述から、アラビア語の学習熱の高まり
がわかるだろう。大阪外語でも、アラビア語学科の定員が 15名から 25名
へと増やされたのである[ 17 ]。
さて、石油危機の時期、経済発展がアラビア語を必要としていたとい
うのであれば、それは会話などを中心とした「実用的な」語学であったと
考えられる。それでは、当時の大阪外語で実施されていたアラビア語教
─6─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
育の内容を見てみよう。
この頃には既に、追手門学院大学の磯崎定基が非常勤としてコーランやハ
ディースを中心とする講義を担当していた。つまり、語学教育を基本としつつ
も、それを基礎に森本の歴史学、磯崎のイスラーム学、竹田の地理学や文化論
などの講義が、伴の古典文学とセム語学、池田の現代文学と文法学、福原のア
ラビア語 / セム語学と、それぞれの専門に追った講義内容へと発展していった
のである。[ 18 ]
石油危機の頃、「語学教育を基本とし」ながらも、「それぞれの専門に
追った」授業が行われていた。その「専門」から分かるのは、アラブ・イ
スラームの歴史や文化などを理解するための一方向的な研究が行われて
おり、コミュニケーションに資するような研究はほとんど行われていな
かったということである。これは当時に限ったことではなく、「いまだに
包括的な日本語によるアラビア語の辞書がないという状況を考えるとき、
アラビア語と日本語の対照研究を含めた研究がもっとなされるべきであ
[ 19 ]
ろう」
という西尾氏の指摘からも明らかであろう。つまり、講師たち
がまずしなければならなかったのは、研究者として、戦後の混乱で失わ
れたアラブ・イスラーム研究の蓄積を回復することであった。その結果
として、当時の経済界が必要とした「実用的な」アラビア語教育を実施す
るに至らなかったと言えよう[ 20 ]。このような状況では、時代にあったア
ラビア語の教育内容について、十分に議論する余裕はなかったと推測さ
れる。
1980年頃の大阪外語のカリキュラムについて、池田氏は「講義は主に
言語、古典文学、イスラームの文化と社会制度の外観に集中しており、
それに対して、アラブ世界における現代の動向についての講義はない。[中
略 ] それは、大阪エリアにおいて専門家が不足しているためである。事実、
[ 21 ]
アラブ世界の現代の動向について学びたい数多くの学生がいる」
と述
べている。また、池田氏は、続けて「このような状況は、現代アラブ世
界の動向の専門家がいる東京エリアの状況と大きく異なっている」と述
─7─
べている。その「東京エリア」におけるアラビア語教育の中心である東京
外語の創設以来の教育方針は、以下のようになっている。
そして、とりわけ、学生の教育と教官の研究について、我々は根本的に次の
ように考えた。本学では世界の諸言語と、その背景をなす地域の政治、経済、
国際関係、社会、歴史、文化などについて教育・研究する場合、現代に力点を
かけ、また、どちらかといえば、実践的知識を重視する。アラビア科も本学の
一学科として、基本的にはもちろん、この線に沿うのであるが、他方では、単
なる時局的情報の追求や現状の表層の分析に終始するのではなく、さらに深く
掘り下げて、例えばアラビアの政治・経済・国際関係などの領域での動きを深
層から規定している根本的動因、世界観、価値観を、考え抜かれた可能な限り
厳密な方法を駆使して探究し解明していくことを目指す。そしてアラブ世界を
その根底から支えている世界観、価値観の解明のためには、何をおいてもまず
イスラームという宗教についての根本的理解が絶対必要なのである。[ 22 ]
東京外語のアラビア語教育は、「現代に力点をかけ、また、どちらかとい
えば、実践的知識を重視」しているものの、その根幹には「イスラームと
いう宗教についての根本的理解」が存在している。つまり、同校におい
ても、アラビア語は語学としてのみならず、その背景にあるイスラーム
を理解するための手段として教えられてきたと言えよう。以上のように、
日本におけるアラビア語教育の 2大拠点は、ほぼ同じような方向性を持っ
ていたのである。
さて、大阪外語のアラビア語教育に新しい要素が入ってきた。それは
現地への留学である。石油危機の後、同校では文部省の奨学金によるア
ラビア語圏への留学制度を整え始め、1979年には、この制度を利用して
カイロ大学で学ぶ学生が登場した[ 23 ]。
1980年代の終わり頃には、「西尾哲夫、竹田真理、森高久美子等有能な
[ 24 ]
若手の力を借りて学生の世代感覚にあった教育が」
できるようになっ
た。残念ながら、この「学生の世代感覚にあった教育」の具体的な内容は
書かれていない。しかし、前述の通り 1980年代初頭には「アラブ世界に
─8─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
おける現代の動向」について学ぶ講座がなかったということなので、こ
のような教育にも対応できるようになったと考えられる。
1990年代半ばにようやく中東情勢が安定し、アラブ諸国に在住する邦
人も徐々に増えていった[ 25 ]。推測に過ぎないが、この中には現地の教育
機関でアラビア語を学ぶ学生も、少なからず含まれていただろう。なぜ
ならば、現在でも多くの留学生が滞在するエジプトやシリア、ヨルダン
といった国々は、日本と比べて物価が安い。また、インフラも過去に比
べれば大幅に改善されていた。その上政情が安定すれば、大学での勉強
に飽き足らなくなった学生が、現地への留学を考えてそれを実行に移す
ようになるのは無理もない。このように、比較的容易に留学できるよう
になったことは、大阪外語のアラビア語教育の方針にも影響を与えたと
考えられる。すなわち、大学では文法や訳読を中心に教育し、会話など
のコミュニカティブな分野については、留学に期待するようになっていっ
たのではないかと推測する[ 26 ]。
Ⅲ.アラビア語教育を行っている大学
本章では、アラビア語が学習できる大学とその教育体制について、調
査の結果や講義要項の内容を基にして考察する。アンケートについては、
合計31 カ所[ 27 ]の大学または学部から回答を得た。
1.大学の背景
(A)アラビア語科目が設置された年
アンケートに回答した大学または学部において、アラビア語科目が設
置された年を尋ねた。その結果をまとめたのが図0-A である。今回の調
査は、2005年11月以前に同語科目を廃止した大学は考慮されていない。
そのため、その数は純増しているとは決して言えない。しかし、アラビ
ア語科目が設置されている大学または学部の数自体は増えていることが
わかるだろう。
(B)所在地
─9─
回答のあった大学の所在地をまとめたのが、図1-A である。この図か
ら明らかなのは、アラビア語を学習できる大学は、やはり東京・大阪(そ
れぞれ 14大学と 8大学)などの大都市に集中していることである。また、
回答がなかった大学を加えれば、さらに関東の割合が増えると思われる。
前述の通り、同語を学ぶことができる大学は年々増えているといって
もよいだろう。もちろん、大学は大都市に集中しているものであり、ア
ラビア語科目を有する大学が地方より多くなるのは当然である。しかし、
地方では民間の語学学習機関もあまり見当たらない[ 28 ]ため、都会と比
較して学習の機会が少なくなるだろう。
2.アラビア語科目の概要
(A)科目の位置付け
回答のあった 31 カ所の大学または学部のうち、3 カ所( 3大学)ではア
ラビア語が必修科目とされている学科を有している(以下、
「区分A」と
する)
。残りの合計28 の大学または学部では、アラビア語科目を選択す
ることができる(以下、「区分B」とする)
。アラビア語科目は、①必修科
目、②全学部間の共通科目、③学部の選択科目、④学部の「選択必修」科
目に分けられる。
区分Aの大学は当然として、区分Bの大半の大学または学部で、アラ
ビア語科目の単位は卒業単位として必ず認められるか、一定の条件で認
められる[ 29 ]。
次に、区分Aを除いて、初級・中級・上級レベルの講座が設置されて
いる大学または学部の数は、表5.2-A の通りである。初級レベルがほぼす
べての大学または学部に設置されていても、中級レベルとなればその半
数の 16 カ所( 57.1%)となる。上級レベルに至っては 6 カ所( 21.4%)で
学べるに過ぎない。また、前述の地理的な分布から見れば、中・上級ク
ラスを設置しているのは東京・大阪の一部の大学または学部にしか過ぎ
ず[ 30 ]、それ以外の地域で中・上級レベルのアラビア語を学ぶのは難しい
であろう。
1 クラスあたりの受講生数の平均は、初級で 36.4人、中級で 17人、上級
─ 10 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
で 5.7人である。講師としては 1 クラス 20人程度が好ましい[ 31 ]という意
見もあり、初級クラスの受講生数については若干多く感じられる。なお、
初級レベルの中には、100名前後の受講生を有するクラスも見受けられた。
(B)科目が設置された理由
アラビア語科目が設置された理由について尋ねたところ、最も多く選
[ 32 ]
ばれていたのは、
「 1. 大学の特色を出すため」
と「 3. 国際化に対応する
ため」
(それぞれ 18 カ所、62.1%)という理由である。興味深いのは、こ
れらの選択肢を選んでいたのが、アラビア語を「全学部間の共通科目」と
している大学のみならず、選択科目または選択必修科目としている学部
も、決して少なくなかったことである。調査前には、学部はアラビア語
科目をイスラーム研究や西アジア地域研究などに資する目的で設置して
いると考えていた。しかし、実際には「 7. その他」を選択した 7 カ所のう
ち 4 カ所[ 33 ]がこのような研究の手段としてアラビア語科目を設置したと
回答するのみであった。
(C)アラビア語クラスの授業時間数
アメリカ国務省 Foreign Service Institute によると、アラビア語学習に
は 2,760時間( 92週)を必要とすると考えられている[ 34 ]。しかし、日本の
大学で卒業するまでに学習できる時間数は区分Aの大学においては年間
300時間以上[ 35 ]であるが、実際には 1,000時間前後にとどまっていると考
えられる。区分Bの大学に至っては卒業するまでに平均約130時間――多
い大学で約360時間、少ない大学で約45時間[ 36 ]とかなりの差がある――
で、4分の 1 にも満たない。限られた時間数でどのような内容の教育を行
うのが適切か、よく検討しなければならないということであろう。
3.講師の構成
区分Aでは、当然ながら教授・助教授・常勤講師などの専任教員がア
ラビア語を教えている。一方で、区分Bの大学または学部では、講義要
項で確認できた 26 カ所のうち 11 カ所( 42.3%)のみで専任教員が担当し
ているにすぎない。それ以外は、非常勤講師のみ[37]で授業を行っている。
ネイティブ講師の在籍についても調べてみた。概して、実用的な語学
─ 11 ─
を身に付けるために、彼らの存在は欠かせない[ 38 ]。しかし、実際にアラ
ビア語のネイティブ講師が所属しているのは、区分Aの大学を含めても
10 カ所( 34.5%)程度である[ 39 ]。
残念ながら、この段階では、専任教員が少ないともネイティブ講師が
少ないとも断定できない。なぜならば、アラビア語以外の語学科目につ
いても、同じような状況かもしれない。また、大学や講師が「十分である」
と考えるならば、それは充足していることを意味するからである。もっ
とも、非常勤講師が複数いる場合は、しっかりとした連絡体制がなければ、
授業の連携をとるのが難しいであろう。
Ⅳ.アラビア語教育の現場
本章では、講師に向けた調査票Bの回答や講義要項を基にして、アラ
ビア語教育の現場を考察する[ 40 ]。
1.講師について
まず、回答のあった講師の数は区分Aから 10名、区分Bからは 14名で
ある。ネイティブ講師については、区分Aで 1名(助教授・女性)、区分
Bで 1名(非常勤講師・男性)のみである(表0-B )。講師の平均年齢は、
区分Aの講師で 52.6歳、区分Bの講師で 48歳となり、全体では 54歳となる。
特に区分Aの講師についていえば、1960年代末から 1970年代にかけて学
生時代を送った講師が多い。つまり、池田氏の言う「中東研究に携わる人」
として、アラビア語を勉強していた世代といえよう。
次に、講師の専門分野を見てみよう(表14-B )。Ⅰで考察した通り、日
本においてアラビア語はアラブ・イスラームを理解する手段として学ば
れてきたと考えていたので、同語それ自体を専門としている講師は少な
いと予想していた。その結果は、歴史学や地理学など、アラビア語を研
究の手段とする分野を専門とした講師が過半数を占めており、やはり予
想していた通りであった。区分Aでは、いわゆる「アラビア語学」を専門
としているのは、1名のみである。そして、6名が言語学や文学など、ア
─ 12 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
ラビア語それ自体と比較的深く関わる学問を専門としている。一方で、
区分Bの講師9名は歴史学や地理学など、どちらかといえばアラビア語を
研究の手段として用いる分野を専門としている。また、アラビア語を学
んだ契機が「専攻(例えば中東の歴史など)がアラビア語を必要としてい
たから」と認識している講師は、やはり全体で 13名である。
講師の専門分野は、必ずといってよいほど授業方針に影響すると考え
られる。もちろん、文法を中心としている初学者レベルのクラスではあ
まり関係ない。しかし、基礎事項を一応終えた中・上級レベルの授業では、
利用するテキストの内容などに少なからず反映されるだろう。
2.指導内容について
(A)指導の際に重視している分野
アラビア語の授業を具体的にみていこう。講師が「発音・文法・会話・
ライティング・リーディング・アラブやイスラームに関する知識」の中
で重視している学習の内容を、学年・レベル別に 2 つずつ選択してもらっ
た。それをまとめたのが、表3.1-B と表3.2-B である。
この結果によると、まず、区分A・区分Bの講師に共通する特徴は、
①「文法」を 2年間で教える、②学年・レベルが高くなると「リーディング」
を重視する、③「会話」と「ライティング」については、高学年または中・
上級クラスではほとんど重視していないということである。やはり、
文法・
訳読を中心とした従来の指導とあまり変わらないということがわかる
[ 41 ]
。また、講師は文法の指導に 2年程度必要と考えて指導しているが、
特に区分Bについていえば、アラビア語科目に 1年しか割り当てていな
い大学または学部もある。その場合、講師が文法を中心に教えると、中
途半端な結果に終わってしまうのではないかと思われる[ 42 ]。
(B)テキスト・副教材
授業で使われているテキストについては、表7-B の通りである。まず、
全講師が「 1. 大学が独自に開発したもの」を選んでいるのは、区分Aの中
で も 1大 学 の み で あ る。 ま た、 別 の 大 学 に は、 ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 の
Elementary Modern Standard Arabic など、海外で発行されている文法
─ 13 ─
書を挙げている講師がいた。区分Bの講師は、主に自分で作成する場合と、
他のアラビア語講師による教本を利用する場合にわかれる。そこで、シ
ラバスを確認したところ、比較的多く利用されているテキストは、『現代
[ 43 ]
[ 44 ]
アラビア語入門』
と『新版アラビア語入門』
であった。双方の教本
とも文法説明を中心としており、やはり、会話についてはやや手薄であ
る[ 45 ]。
補助プリントなどの副教材については、18名( 75.0%)の講師が作成す
ると答えている(表8-B )。その際、参考にする文献を学年別・レベル別
に分けて尋ねたのをまとめたのが、表8.1-B と表8.2-B である。
区分Aの講師が参考とする文献は、3年生で古典( 5名、71.4%)、4年生
で学術論文( 5名、71.4%)が圧倒的である。この内容からすれば、これ
らの副教材は主にリーディングに利用されると考えられる。一方で、区
分Bにおいては、初級と中級レベルで絵本や小学生向けの本などが参考
にされている。また、中級クラスの一部では、新聞や古典も用いられる。
アラブ・イスラームの歴史や文化の理解という点において、古典を訳
読するのは必要である。しかし、研究者にならない限り、古典の知識を
活かすのは難しいといえよう。また、学術論文についても、内容が読む
のにふさわしいか十分に検討する必要があるだろう。前述の通り、上級
生のクラスでアラブ・イスラームに関する知識が重視されているならば、
それを得るために学術論文を訳読していると考えられる。しかし、最近
は日本語によるアラブ・イスラーム研究論文も増えているので、アラビ
ア語文献から知識を得る必要がない場合もあると考えられるからである。
(C)ランゲージ・ラボラトリーと視聴覚教材の利用
ランゲージ・ラボラトリー(以下、LL教室)の利用について尋ねてみ
た。なぜならば、講師がアラビア語を母語としない限り、正確な発音の
教授は難しいので、たいていの講師は視聴覚教材に頼ることになるから
である。その結果が表5-B である。回答を寄せた講師の大半は日本語を母
語としていることもあり、LL教室の利用が比較的多いと考えていた。
しかし、実際には 24名のうち区分Aで 1名(ネイティブ講師 )、区分Bで 2
名(両名とも日本人講師)がLL教室を使用しているにすぎなかった。
─ 14 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
しかし、この利用が少ないという結果は、視聴覚教材を軽んじている
ことにはならない。なぜならば、授業における工夫を尋ねたところ、
「 2. ア
ラビア語の映画を見る」と「 3. アラビア語のニュースを見る」を、それぞ
れ 6名( 35.5% )が選択していた。さらに、
「 5. その他」には、
「アラビア語
の歌をきかせる」や「アラビア語のニュース録音テープを利用」、
「アラブ
地域に関するビデオを見る」といった回答も見られた[ 46 ]。つまり、多く
の講師はLL教室を利用していなくても、視聴覚教材について注意を払っ
ている様子がわかる。
ただし、初級・中級レベルが大半を占める区分Bの大学に限っていえば、
ニュースや映画[ 47 ]、歌などの視聴覚教材を利用することについては、若
干の疑問が残る。なぜならば、義務教育で勉強する英語でさえ、ニュー
スや映画を聞き取れるようになるまでには相当の習熟度を要するからで
ある。このような教材に至るまでに、それよりも簡単な教材をいくらか
経験しなければならないはずである。そのため、このような視聴覚教材
の利用は、リスニング力を鍛えるというよりも、アラビア語の発音それ
自体に慣れたり、アラブ世界の映像を見ることによって視覚的なイメー
ジを掴むためと考えられる。
3.講師の意見
勤務している大学のアラビア語教育カリキュラムについて、満足して
いるかどうかを尋ねてみたところ、9名( 40.9%)が「満足している」と回
答し、13名( 59.1%)の講師が「不満である」としている(表10-B )。
その不満の内容について具体的に答えてもらったところ、13名のうち
9名が「時間不足」と回答していた。その内訳は、区分Aで 3名( 50.0%)
、
区分Bに至っては 6名( 85.7%)である。アラビア語学科の講師でさえ時
間不足と感じているので、選択科目で教えている講師がそのように思う
のも無理はないだろう。
「時間不足」以外に、区分Aからは「アラビア語教授法、日本人向けア
ラビア語教材が十分確立していない」や、「初級文法書が英語で書かれて
いるものを使用しているため、日本人所学者に対しては不向きだと思う」
─ 15 ─
といった回答が寄せられている[ 48 ]。これは、アラビア語学科の講師でも、
同語のカリキュラムが確立してないことを認めている講師がいることの
証拠であろう。区分Bの講師からは、
「専門教育者の不足」という回答が
見られた。また、大学のカリキュラム全体に関連する不満もある。例えば、
「教養でアラビア語を履修しても、それを生かせる専門科目が少ない(存
在しない)」
「地域研究の一環としての位置づけがよい」といった意見であ
る。
Ⅴ.おわりに
以上、
「日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題」につい
て、同教育の歴史とアンケート調査の結果から考察を加えてきた。その
結果として、以下の問題点があると考えられる。
まず、日本におけるアラビア語教育の歴史から明らかになった問題は、
現在の同教育が時代の要請に対応しきれなくなっているということであ
る。つまり、従来のアラビア語教育は、文献の購読を通してアラブ・イ
スラームの文化や歴史などを研究するためのものであった。しかし、日
本が高度成長を迎えた 1960年代頃から、実用的なアラビア語も必要とす
る状況になっているのである。残念ながら、その変化には対応できてい
ないといえるだろう。
次に、大学を対象とした調査の結果からは、主に以下の問題がある。
まず、アラビア語科目を有する大学は増加しているものの、その多くが
大都市に所在しているため、民間教育機関も多くない地方では、同語を
学ぶ機会が少ないということである。それに関連して、上級レベルの講
座が設置されている大学は大都市に集まっているため、地方では上級レ
ベルのアラビア語を学習する機会がやはり少ない。次に、
大学によっては、
アラビア語科目は一般教養的に解釈されているので、目的に沿った学習
をするのは難しいこともある。授業時間数も、アメリカの事例などに照
らし合わせてみると、決して多いとはいえない。
講師を対象とした調査の結果からは、主に以下の問題がある。まず、
─ 16 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
講師のほとんどがアラビア語それ自体を専門としていない。次に、指導
にあたって文法やリーディングを重視しており、やはり、従来のアラビ
ア語教育と変化が見られない。これらはカリキュラム内容の問題のみで
はなく、授業時間が十分にとられていないことが、過半数の講師が「時
間不足」と感じていることからも推察される。
以上のような問題を解決するために、いくつかの提案をしておこう。
最初に、時代に即したカリキュラムが確立されていないことに対しては、
すべての問題の根幹にあるといっても過言ではない。まずは、従来のア
ラビア語教育を評価して、その良い部分を明らかにする。例えば、古典
や学術論文などの訳読も、その内容如何では会話――日常用のみならず、
自己主張のための会話――に応用できると考えられる。その上で、会話
やライティングも満遍なく学べるようなカリキュラム案を考えなくては
ならないだろう。そのためにも、地道な基礎研究は必要である。例えば、
西尾・中道の両氏が指摘しているような、日本語とアラビア語の対照研
究である。なお、今回の調査でアラビア語を専門としていない講師も、
指導について様々なアイデアや意見を持っているのが明らかになった。
それらを共有するために、講師による定期的な会合があればよいと思わ
れる。
次に、都会と地方のアラビア語教育の距離を縮める方法としては、や
はりIT技術が欠かせない。そこで、既存のオンライン教材[ 49 ]をより
一層充実させるのは当然として、新たな教材の開発も考えられるだろう。
なぜならば、既存のオンライン教材は、一部を除いてその多くがエジプ
トやシリア、モロッコ方言で作られているからである。私見ではあるが、
文法を中心に学習する傾向にある日本の大学では、汎用性の高いフスハー
(正則アラビア語)による会話を学習したほうが効率的であろう。もっと
も、それにはカリキュラムの開発が前提となるのは、言うまでもない。
もちろん、アラビア語教育を充実させるために、大学も様々な試みを
行っている。それらの中からいくつかを紹介しよう。まず、文部科学省
の支援を受けて、「アラビア語のレベルチェックテスト」を開発する研究
に着手した大学があるのは、特筆すべきことである。この研究が完成さ
─ 17 ─
れれば、統一的な学習目標が確定されるだろう。また、東京外語では、
「モ
ジュール制」というカリキュラムが平成16年度入学の学生から実施され
ている。このカリキュラムにおいては、履修すべき学習内容が 6 つ――
文法、作文、読解、聴解、コミュニケーション、方言――に分けられて
いる。そして、学生はそれぞれの学習内容の初級レベルを必ず学ばなく
てはならないが、高いレベルのものは選択的に学ぶことができる[ 50 ]。つ
まり、
「現地の人々と会話することを第一に考える人は、コミュニケーショ
ンや方言の比重を高くし、新聞、雑誌から情報収集をしたいという人は
[ 51 ]
読解の割合を大きくするというように、自分の目的にあわせて学習」
することができるのである。このカリキュラムは、目的に合わせた語学
学習ができる[ 52 ]という点で、画期的であろう[ 53 ]。ただし、このカリキュ
ラムは実施されてからまだ間もないので、その効果は明らかになっては
いない。また、東京外語全体のカリキュラム改革の一環なので、アラビ
ア語教育に適したものかもわからない。外国語大学以外では、早稲田大
学のオープン教育センターのカリキュラムが興味深い。同センターでは、
文法説明を中心としたクラスに加えて、「コミュニカティブアラビア語入
門・初級」という講座が設置されている[ 54 ]。それぞれ 1 セメスターずつ、
授業時間は週2 コマである。その名の通り、会話などコミュニケーショ
ンに重点が置かれ、6名から 15名程度の少人数クラスである。また、会
話のみならず、エッセイの作成などライティングにも力を入れている。
日本人教員[ 55 ]のアドバイスのもと、ネイティブ講師が実際の授業を担
当しているのが斬新である。
カリキュラムの一例として、当アラブ イスラーム学院の例も挙げてお
く。当学院では、
「アラビア語をアラビア語で教える」という教育方針か
ら、まず講師陣がすべてアラブ人である。概して、ネイティブ講師は会
話などコミュニケーションを重視した授業を期待されている。しかしな
がら、当学院の講師は、会話のみならず文法やリーディング、ライティ
ングも教えている。さらに、日本語・英語を交えることなしに、フスハー
(正則アラビア語)で授業を行っている。授業時間は 4 セメスター(約2年
間)で 1,200時間であり、現地に留学でもしない限り、このような環境は
─ 18 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
得られないだろう。ただし、当学院のカリキュラムをそのまま大学生に
適用することについては、疑問の余地がある。なぜならば、当学院が対
象としているのは「アラブ・イスラーム文化に興味を抱く人たち」だから
である。また、
彼らの年齢は20歳代前半から80歳代後半まで分かれており、
その学習目的も「趣味としての語学学習」から「アラビア語留学」まで多
岐に及んでいるため、特定の世代や目的に合わせた指導――例えば、大
学院入試のための学術的な論文の購読といった内容――には、現在のと
ころ十分に対応できていない。
最後に、本稿およびその基礎となる「日本の大学におけるアラビア語
教育の現状」調査自体の問題点についてふれておこう。最初に挙げられ
るのは、調査票の回収率が高くない点であろう。これは、当調査を開始
したのが 2005年末であり、大学の休講期間を挟んだためである。また、
時間的な制約のため、調査票の内容を十分に検討できなかったことも問
題である。例えば、調査票Aのアラブ イスラーム学院に関する質問は、
大学のアラビア語教育と直接的な関係はないのだから、「参考質問」とす
べきであった。また、当学院について尋ねるならば、その背景や活動に
ついて若干の説明を加えるべきであった[ 56 ]。調査票 B については、同じ
講師が複数の大学で教えているということを十分に考慮していない内容
となってしまった。さらに、最も残念であるのが、ネイティブ講師のた
めにアラビア語の調査票を作成しなかったことである。このような不備
の目立つ調査を基に本稿を作成するのは、まさに薄氷を踏む思いであっ
た。しかしながら、アラビア語教育の現状や講師の意見を、目に見える
形で示すことができた。それに今回の調査と本稿の意義があると考えた
い。
謝辞
本研究を行う機会を与えてくれた方々や、アンケートに協力して頂い
た各大学、および諸先生方に厚く御礼を申し上げて、本稿の結びとさせ
て頂きたい。
─ 19 ─
注釈
[ 1 ]文部科学省高等教育局大学振興課「大学における教育内容等の改革状況について」調査
より。平成18年6月6日(平成16年度の内容)
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/1
8/06/06060504/001.pdf. その内訳は、国立9大学、公立4大学、私立35大学である。なお、
平成15年度の同調査では、42大学(内訳は国立9大学、公立2大学、私立31大学)であっ
た。それぞれ、2006年7月20日に採取。
[ 2 ]すなわち、①学生が 4年間アラビア語を専攻する学科を持つ大学、つまり大阪外語や東
京外語、②主に 1950年代に設立された、中東研究に関連し、アラビア語が選択科目や
随意科目として行われている様々な学科を持つ大学、③主に 1973年の石油危機以降に
増えた、一般向けにアラビア語を教える多くの施設やセンターなどである。Osamu
ARAB ― JAPANESE RELATIONS Tokyo
Ikeda (1981)“ Arabic Teaching in Japan,”
Symposium, Tokyo:Japan National Committee for the Study of Arab-Japanese
Relations,pp. 79-80.
[ 3 ]2005年11月段階で、慶應義塾大学附属志木高など 2校のみではあるが、高校でもアラビ
ア語教育が行われている。なお、中学校は未確認である。
[ 4 ]Ikeda、前掲、p. 157。和文の要旨を引用。
[ 5 ]本田孝一( 1989 )
「日本人のためのアラビア語教育方法の改善および多様化のためのい
くつかの試み」
『日本中東学会』4:2、p. 271。
[ 6 ]榮谷温子( 1998 )
「アラビア語と外国語教授法」
『地域文化研究』3月号、pp.85-95。東京 ,
東京外国語大学大学院地域文化研究会
[ 7 ]河井知子( 2005 )
「初級レベルにおけるアラビア語指導について」
『外国語教育―理論と
実践』29、pp. 47-54。
[ 8 ]Ikeda、前掲、p. 77。大阪外語において、松本はアラビア語のみならず、ドイツ語と日
本史も教えていた。なお、戦後は中央大学に移り、同大におけるアラブ・イスラーム
研究の伝統を作った。
[ 9 ]日本を出国した 2 ヵ月後、松本は大阪外語の教授に任命された。なお、この研修の間
にシリアとエジプトに立ち寄っている。同上、p. 77。
[ 10 ]Ikeda、前掲、p. 77。
[ 11 ]大阪外国語大学70年史編集委員会編( 1992 )
『大阪外国語大学70年史』大阪外国語大学、
p. 326。
[ 12 ]このアラビア語部の設置について、伴氏は「当時はかなり戦争の色が濃くなっていま
したし、軍部や外務省の指示なんかもあったように聞いています」と述べている。伴、
前掲、p .3。
[ 13 ]満鉄の東亜経済調査局が所有していたモーリツ文庫など、貴重なイスラーム研究資料
がGHQによってアメリカに持ち去られた。板垣雄三( 1981 )
『イスラーム文明と日本
文明―相互理解を目指して―』国際交流基金、pp. 161-164。
[ 14 ]大学以外でも、アラビア語教育を行う教育機関が登場し始めた。例えば、1962年に設
立されたアジア・アフリカ語学院などがある。
[ 15 ]澤英三( 1961 )
「定年退職に当りて」
『アーリア学会会報』37、ページ数不詳。大阪外国
語大学70年史編集委員会編、前掲、p. 326 より再引用。
─ 20 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
[ 16 ]板垣雄三( 1980 )
「日本のアラブ研究」
『月間言語』
9:8、p. 59。
[ 17 ]大阪外国語大学70年史編集委員会編、前掲、p. 331。
[ 18 ]同上、p. 331。
[ 19 ]西尾哲夫・中道静香( 2000 )「 日本におけるアラビア語研究文献目録 」『国立民族学博
物館研究報告』26:3、p. 513。
[ 20 ]石油危機の当時、ネイティブ講師は在籍していたものの、非常勤のみであった。1979
年に、ようやく客員教授をカイロ大学から招聘した。同上、pp. 330-331。
[ 21 ]Ikeda、前掲、p. 80。
[ 22 ]東京外国語大学史編纂委員会編( 1991 )
『東京外国語大学史』東京外国語大学、p.
1102。
[ 23 ]大阪外国語大学70年史編集委員会編、前掲、p.332。なお、板垣雄三氏によれば、ほ
ぼ同時期のカイロは「何百という企業派遣アラビア語研修生がたむろしていて、その
大半が高い授業料で有名なカイロ・アメリカン大学の語学コースでひしめいている」
という状況であった。板垣雄三( 1980 )
「日本のアラブ研究」
『月間言語』9:8、pp. 61。
[ 24 ]大阪外国語大学70年史編集委員会編、前掲、p. 333。
[ 25 ]平成4年には 4,672人であった中東地域における在外邦人が、平成12年と 13年に前年度
比マイナスとなったものの、17年には 7,062人まで増えている。外務省ホームページ
平成4 ∼ 8年のデータは「海外在留邦人数統計」
( 1997年度版)
、http://www.mofa.go.jp/
mofaj/toko/tokei/hojin/97/index.html
平成9 ∼ 13年のデータは「平成13年の海外在留邦人数調査統計」、http://www.mofa.
go.jp/mofaj/toko/tokei/hojin/02/1_3.html
平成14 ∼ 17年のデータは「平成17年度海外在留邦人数調査」、http://www.mofa.go.jp/
mofaj/toko/tokei/hojin/06/pdfs/1.pdf
を参照。それぞれ、2006年7月20日に採取。
[ 26 ]
「日本の大学におけるアラビア語教育の現状」調査において、調査票 B の設問9 でアラ
ビア語講師に「受講生にアラビア語留学を奨めますか?」と尋ねたところ、区分Aの
全10講師が「はい」と回答し、その理由として「 4.アーンミーヤの勉強になるため」
を選択していた。添付資料、pp. 41-42 を参照。
[ 27 ]大学でいえば、合計26大学の協力があった。
[ 28 ]インターネットで調べてみたところ、東京・大阪は当然として、名古屋など大都市に
集中しているようである。
[ 29 ]必ず認められるのは 23 カ所、一定の条件下で認められるのは 4 カ所で、1 カ所のみ「認
められない」と回答していた。この「認められない」を選んだ大学の講義要項を確認
したところ、アラビア語科目が「手話」と同じカテゴリに含まれていた。
[ 30 ]関東と関西以外では、2 カ所のみである。
[ 31 ]河井、前掲、p. 52。
[ 32 ]推測に過ぎないが、1991年の「大学設置基準の大綱化」による影響もあるだろう。つ
まり、少子化で激しい競争にさらされることになった大学は、学生の確保のために入
試改革や個性的なカリキュラム作りを行った。アラビア語科目の設置は、受験生に向
けたアピールの 1 つであったかもしれない。
─ 21 ─
[ 33 ]参考回答とした 1 カ所も含めるならば、計5 カ所となる。
[ 34 ]河井、前掲、p. 49 より再引用。このデータは古い上に、アメリカ人学習者を対象とし
ているので、日本人にそのまま当てはめられるかどうかはわからない。しかし、アラ
ビア語は双方にとって外国語であるから、その点では比較の対象となろう。
[ 35 ]河井、前掲、p. 48。なお、1年で 300時間以上ということから、単純に 4年間で 1200時
間以上とはならない。なぜならば、4年生は就職活動などで忙しく、十分な時間がと
れないからである。
[ 36 ]大学によっては、ある学部では週1 コマでも、他学部の聴講を認めている。この時間
数は、そのような例を除いたものである。
[ 37 ]講義要項を確認すると、非常勤講師は 2大学以上で教えている場合が多い。ネイティ
ブ講師も同様である。
[ 38 ]調査票Aの設問13 で、「アラブ イスラーム学院は、日本におけるアラビア語教育の促
進に貢献したいと考えています。もし貴校が当学院と提携できるとして、特に関心の
あることは?」と質問したところ、7 カ所( 46.7% )が「ネイティブ講師の紹介」を選択
している。添付資料、p. 34 を参照。また、2006年度から新たにネイティブ講師による
科目を設置した大学もあった。
[ 39 ]回答のあった大学の講義要項を確認したところ、区分A・B合わせて約11 カ所である。
[ 40 ]調査票の回収率は決して高くないと思われる。そこで、各大学のアラビア語科目シラ
バスもできる限り収集し、本稿に反映している。
[ 41 ]ネイティブ講師の意見がもう少しあれば、結果は変わっていたと思われる。なぜなら
ば、講義要項に掲載されている学習目標が、ネイティブ講師の場合、コミュニケーショ
ンを中心としているものが多く見られるからである。
[ 42 ]河井氏は、1年間で 37時間程度の授業の場合、「学習者がアラブ諸国へ旅行した時に、
遭遇すると予想される場面での最低限の会話がこなせること、始めて出会う現地の人
と簡単なコミュニケーションを交わせること、アラビア文字を正確に読めること」に
限定している。河井、前掲、p. 49。
[ 43 ]黒柳恒男・飯森嘉助( 1999 )
『現代アラビア語入門』大学書林。
[ 44 ]佐々木淑子( 2005 )
『新版アラビア語入門』翔文社。
[ 45 ]収集したすべての講義要項を確認したところ、主にネイティブ講師が会話中心の教本
を利用している。
[ 46 ]この他に見られた工夫として、
「アラビア語の作文集を作成。アラビア語などのスピー
チコンテスト」というものがあった。現時点ではアラビア語能力検定制度がないので、
学習意欲の維持または向上のためにも、これらのような試みは貴重であろう。
[ 47 ]概して、アラビア語の映画は方言によるものが多い。この点においても、初学者に適
した教材であるかは疑問である。
[ 48 ]調査票Aの設問13 で、8 カ所が「アラビア語教材の共同開発」を選んでいる。私見で
あるが、多かれ少なかれ、大学も講師も教材には不備があると感じているのであろう。
添付資料、p. 34 を参照。
[ 49 ]東京外国語大学のモジュールがその代表であろう。このインターネット教材には、同
大学大学院の 21世紀 COE プログラム「言語運用を基盤とする言語情報学拠点」の成果
─ 22 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
が利用されている。音声のみならず動画もあり、様々な場面に即したアラビア語会話
について勉強できる。ただし、これらはエジプト方言・シリア方言のみであり、フス
ハーの教材がない。
[ 50 ]東 京 外 国 語 大 学「 ア ラ ビ ア 語 専 攻 」、http://www.tufs.ac.jp/common/fs-pg/portal/
senko/ara.html. 2006年7月20日に採取。
[ 51 ]同上。
[ 52 ]目的に合わせたアラビア語教育を目指すならば、同語科目について大学間で単位互換
制度を設けるといったことが、現実的には可能であろう。
[ 53 ]英語教育では、すでに 1960年代から The English Specific Purposes(通称ES P )の概
念がある。すなわち、「特定の目的のための英語」である。また、そのための言語研
究や言語教育も意味している。
[ 54 ]早稲田大学オープン教育センター語学科目ホームページ「コミュニカティブアラビア
語入門・初級」、http://www.wui.co.jp/support/course/arabia.html. 2006年7月20日に
採取。
[ 55 ]ただし、講義要項に挙げられていた教員はアラビア語講師ではない。
[ 56 ]例えば、当学院の学内イベントで、アラビア語の習字やコンピュータ操作のスキルを
競い合う「アラビア語オリンピック」の説明がなされていない。
著者略歴
門屋由紀
KADOYA Yuki
早稲田大学教育学部在学中の 1999年、クウェート政府奨学
生としてクウェート大学ランゲージセンターでアラビア語を
学ぶ。早稲田大学卒業後、2001年に早稲田大学大学院アジ
ア太平洋研究科国際関係学専攻へ入学し、修士論文のテーマ
として「大川周明のイスラーム研究」を選んだ。2003年に大
学院を修了し、一般企業勤務を経て、2005年11月よりアラ
ブ イスラーム学院「日本・サウジアラビア国交樹立50周年
特別プロジェクト」研究員を務め、現在に至る。
─ 23 ─
添付資料「日本の大学におけるアラビア語教育の現状」調査報告書
目次
Ⅰ.調査の概要
Ⅱ.調査票Aの設問および集計結果
Ⅲ.調査票Bの設問および集計結果
Ⅰ.調査の概要
( 1 )目的
日本の大学におけるアラビア語教育の現状について知るため。
( 2 )調査の期間
2005年12月から 2006年2月まで。
( 3 )調査の内容
①調査の対象
ⅰ)2005年11月時点で、アラビア語科目が設置されている大学または学
部である。ただし、アラビア語史料読解など、語学学習以外を主な
目的とした科目のみがある学部は除いている。
ⅱ)2005年11月時点で、大学において常勤・非常勤を問わずアラビア語
を教えている講師である。
②調査方法
ⅰ)
「日本の大学におけるアラビア語教育の現状について」調査票Aを
日本語で作成し、上記の大学または学部に配布した。
ⅱ)
「日本の大学におけるアラビア語教育の現状について」調査票 B を
日本語と英語で作成し、それぞれ日本人講師とネイティブ講師に配
布した。
─ 24 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
( 4 )回答数
ⅰ)合計31 カ所から回答を得た。なお、2005年度のアラビア語科目を
休講としていた 1大学から回答があった。内容は 2004年度を踏まえ
ているため、「参考回答」として計上していない。
ⅱ)合計24名の講師から回答を得た。
( 5 )回答の分類
ⅰ)調査票Aの設問4 において、「 1. アラビア語を必修科目として設置
している」を選択した大学を「区分A」、
「 2. アラビア語を主に選択
科目として設置している」を選択した大学または学部を「区分B」
と分類する。
ⅱ)調査票Bの設問1 において「 1.アラビア語は必修科目である」を選
択した講師を区分A、
「 2.アラビア語は選択科目である」を選択し
た講師を区分Bに分類する
( 6 )有効回答数
( 4 )と( 5 )から、それぞれの区分の有効回答数は以下の通りである。
全体
区分A
区分B
調査票A
31
3
28
調査票B
24
10
14
なお、上記に満たないものについては、別途に有効回答数を記入している。
( 7 )備考
・今回の調査は、通常の 4年制大学のみを対象としており、防衛大学校
と放送大学は含まれていない。 ・調査票の設問は、誤字の修正と番号の振り方変更のみ行っている。
・表の最上段の数字は、選択肢を表している。
・表中の数字は回答数を示している。またカッコ内は有効回答数中に
おける各回答の比率である。
─ 25 ─
Ⅱ.調査票Aの設問および集計結果
最初に、回答のあった大学の所在地をまとめた。アラビア語科目が設
置されている大学は、やはり東京や大阪といった大都市に集中している。
東北 1
関西 8
関東 14
東海 2
九州 1
図0-A
1.アラビア語講座が開講されたのはいつですか?(記述式)
アラビア語科目が設置された年を以下の図にまとめた。この調査は
2005年11月時点の状況を基準に回答してもらっており、それ以前に同科
目が廃止された大学・学部を考慮していない。そのため、純増している
とは限らない。しかし、アラビア語科目が設置されている大学または学
部の数自体は、増加していることがわかる。
図1-A
─ 26 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
2.アラビア語クラスを設置した理由は何ですか?
(複数選択可)
1.大学の特色を出すため 2.大学関係者から要望があったため
3.国際化に対応するため 4.学生のスキルアップのため
5.アラブ人の留学生が増えたため 6.周辺地域でアラブ人の住民が増えているから
7.その他( )
表2-A
全体
区分A
区分B
1
18(62.1)
2 (66.7)
16(61.5)
2
9(31.0)
1(33.3)
8(30.8)
全体
区分A
区分B
7
有効回答数
7(24.1)
29
1(33.3)
3
6(23.1)
26
3
18(62.1)
3 (100)
15(57.7)
4
6(20.7)
0 (0)
6(23.1)
5
0(0)
0(0)
0(0)
6
0(0)
0(0)
0(0)
「7. その他」を選択した 7 カ所のうち 4 カ所は、そのすべてが学部であり、
東洋史研究や神学研究に対応するために、アラビア語科目を設置したと
回答している。
3.設置に関しての主な提唱者と、その提唱者の経歴を簡単にご記入く
ださい(記述式)
残念ながら、当設問は多くの大学または学部が未記入であった。ただし、
数少ない回答の中には、著名な財界人やアラブ・イスラーム研究者の名
前が散見している。これらの情報は大学が特定できるため、不掲載とする。
4.貴校でアラビア語講座はどのように位置付けられていますか?(選択式)
1.アラビア語を必修科目として設置している
(外国語大学のアラビア語科などはこちらを選んでください。)
2.アラビア語を主に選択科目として設置している
前述の通り、アラビア語を必修科目としているのは 3 カ所、選択科目
としているのが 28 カ所である。科目の属性によってさらに細かく分類し
─ 27 ─
たのが、以下の表である。
表4-A
区分A
区分B
合計
アラビア語科目
の位置付け
必修科目
全学部間の
共通科目
学部の
選択科目
学部の
「選択必修」
科目
―
回答のあった
大学または学部
3大学
14大学
12学部
2学部
31大学
または学部
5.2005年現在、どのような講座がいくつ設置されていますか?
(記述式)
区分Aの大学については記述があったものの、その講義要項を確認し
たところ、アラビア語科目以外の科目が混在している可能性があるため、
分類するのを断念した。以下は区分Bの大学または学部のみを集計した
ものである。
表5.1- A
区分B
初級
中級
上級
1以下
2
11(64.7) 2(11.8)
5 (29.4) 1 (5.9)
2 (11.8) 1 (5.9)
3
3(17.6)
2(11.8)
1 (5.9)
4
0(0)
0(0)
0(0)
5以上
0(0)
0(0)
0(0)
※学期制を採用している大学または学部のみである。有効回答数17
表5.2- A
区分B
初級
中級
上級
1以下
2(16.7)
2(16.7)
1 (8.3)
2
5(41.7)
5(41.7)
2(16.7)
3
2(16.7)
0 (0)
1 (8.3)
4
1(8.3)
1(8.3)
0 (0)
5以上
1(8.3)
1(8.3)
0 (0)
※セメスター制を採用している大学または学部のみである。有効回答数12
なお、初級・中級・上級レベルの科目をそれぞれ設置している大学ま
たは学部の数は、以下の通りである。
─ 28 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
表5.3-A
初級
27(96.4)
区分B
中級
16(57.1)
上級
6(21.4)
表から明らかなように、半数強の大学または学部が、初級のみならず
中級レベルのクラスも設置している。しかし、上級クラスになると 2割
程度となる。
6.アラビア語講座をどのように開講していますか?(複数選択可)
1.前期・後期(1年間で1クラス) 2.セメスター(半年で1クラス)
3.冬休みや夏休み中(集中講義で1クラス) 4.その他( )
表6-A
全体
区分A
区分B
1
19(61.3)
2(66.7)
17(60.7)
2
15(48.4)
2(66.7)
13(46.4)
3
2(6.5)
0(0)
2(7.1)
4
0(0)
0(0)
0(0)
7.1コマの授業時間は何分ですか?また一学期の総コマ数は?(記述式)
一部に例外が見られるものの、1 コマにつき 90分である。また、1週間
に 1 コマ程度あると考えて、学期制をとっている大学では 1学年につき 26
コマから 30 コマ程度、セメスター制をとっている大学または学部では 1
セメスター(約半年間)につき 12 コマから 20 コマ程度の授業が行われる。
ここで、設問5 から本設問までの回答を用いて、区分Bの大学または
学部のみ、卒業までにアラビア語を学習できるおよその時間を算出した
(表7-A )
。卒業するまでに学習できる時間数は、平均129.3時間である。
ただし、多い大学で約360時間、少ない大学で約45時間とかなりの差があ
る。
表7-A
区分B
59時間以下 60∼99
4(18.2) 9(40.9)
100∼199
5(22.7)
200∼299
1(4.5)
300以上 有効回答数
3(13.6)
22
8.2005年現在、受講生数を記入ください。
(記述式)
─ 29 ─
区分Bの大学についてのみ、報告しておく。設問5 で得られた設置講
座数と受講生数を用いて、1講座あたりの受講生人数を算出した。それぞ
れ最も多いクラスで、初級が 36.4名、中級が 16名、上級が 5.7名であった。
なお、私立大学の中には、100名近い受講生数を持つ科目も見受けられた。
9.アラビア語講座の受講料は、大学の授業料の中に含まれていますか?
(複数回答可)
すべての大学・学部が「 1. 含まれている」を選択している。ただし、そ
の中で 1 カ所のみ受講料が別途必要な科目も有する大学がある。その科
目は「ネイティブ講師による少人数指導」を特徴としており、1 セメスター
内に週2 コマの授業が行われるという内容である。
表9-A
全体
区分A
区分B
1.含まれている 31(100)
3 (100)
28(100)
2.含まれていない
1(3.2)
0 (0)
1(3.6)
10.アラビア語講座の単位は、大学の卒業単位として認められますか?
(選択式)
1.認められる 2.認められない 3.
一定の条件下で認められる
表10-A
全体
区分A
区分B
1
26(83.9)
3 (100)
23(82.1)
2
1(3.2)
0 (0)
1(3.6)
3
4(12.9)
0 (0)
4(14.3)
区分Aの機関は、卒業単位として認められるのは当然として、区分B
では、1 カ所が「 2. 認められない」を、残り 27 カ所が「 1. 認められる」ま
たは「 3. 一定の条件下で認められる」を選択している。
11.アラビア語留学の手段として、
各種奨学金があるのはご存じですか?
─ 30 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
(選択式)
表11-A
全体
区分A
区分B
1.知っている
15(50.0)
3 (100)
12(44.4)
2.知らなかった
15(50.0)
0 (0)
15(55.6)
有効回答数
30
3
27
以上の奨学金に限定したのは、年齢や学歴など一部に制限があるもの
の、大学におけるアラビア語学習者ならば、ほぼ全員が申請できるから
である。
区分Aの大学はほぼすべての奨学金の存在について認知している一方
で、区分Bの大学は「 2. 知らなかった」
( 15 カ所、44.4% )が「 1. 知っている」
( 12 カ所、55.6% )を若干上回っている。この「 1. 知っている」と回答した
15 カ所に 11.1-2 を質問した。
11.1 次の中でご存じのものを選んでください(複数回答可)
。
1.エジプト政府奨学金 2.クウェイト政府奨学金 3.チュニジア政府奨学金 4.文部科学省の奨学金 5.その他( )
表11.1-A
全体
区分A
区分B
1
13(86.7)
3 (100)
10(83.3)
2
7(46.7)
2(66.7)
5(41.7)
3
6(40.0)
2(66.7)
4(33.3)
4
12(80.0)
3 (100)
9 (75.0)
5
1 (6.7)
1(33.3)
0 (0)
有効回答数
15
3
12
「 1. エジプト政府奨学金」
( 13 カ所、86.7%)の割合が高い理由は、この
政府奨学金がかなり古くからあり、募集人数が約20名と多いことが考え
られる。
11.2 これらの奨学金の広報はしていますか?
(複数選択可)
─ 31 ─
1.これらの奨学金で留学した学生にレポートを作成してもらい、そ
れを閲覧できるようにしている
2.これらの奨学金を得た受講生の人数を把握している
3.募集が出れば、必ず掲示板などに貼っている
4.受講生から問い合わせがあれば、対応している
5.特に広報はしていない 6.その他( )
表11.2-A
全体
区分A
区分B
1
2
3
4
5
1 (6.7) 2(13.3) 8(53.3) 6(40.0) 4(26.7)
1(33.3) 1(33.3) 2(66.7) 1(33.3) 1(33.3)
0 (0) 1 (8.3) 6(50.0) 5(41.7) 3(25.0)
6
1(6.7)
0 (0)
1(8.3)
有効回答数
15
3
12
これらの奨学金の扱いについては、
「 3. 募集が出れば、必ず掲示板など
に貼っている」
( 8 カ所、53.3%)や、「4. 受講生から問い合わせがあれば、
対応している 」( 6 カ所、40.0%)という程度である。また、「 5. 特に広報
はしていない」
( 4 カ所、26.7%)という回答も見られた。ただし、この調
査票を回答した部署が奨学金の広報を担当していないことも考えられる
ので、一概に奨学金の広報について積極的でないと言えないだろう。
なお、当設問で「文部科学省の奨学金」という漠然とした選択肢を設け
た。同省の奨学金といっても様々あり、不適切な選択肢であったことを
お詫びしておく。
12.アラブ イスラーム学院はサウジアラビアの国立イマーム大学の東京
分校です。当学院についてはご存じでしたか?
表12-A
全体
区分A
区分B
知っている
11(36.7)
2 (66.7)
9 (33.3)
知らなかった
19(63.3)
1 (33.3)
18(66.7)
有効回答数
30
3
27
残念ながら、当学院の認知度は決して高くない。なお、関東以外の地
─ 32 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
域では、4 カ所が知るのみであった。なお、本設問と 13 は、当アラブ イ
スラーム学院に関する質問である。当学院の存在自体は大学のアラビア
語教育に直接関係がないので、これらの設問は「参考設問」という位置付
けにすべきであった。
「 1. 知っている」と回答した 11 カ所に、12.1 を質問した。
12.1 どのようにして知りましたか?
1.アラブ イスラーム学院ホームページ
2.アラブ イスラーム学院のパンフレット
3.NHK アラビア語講座テキスト 4.各種シンポジウム
5.口コミ 6.その他( )
表12.1-A
全体
区分A
区分B
1
2
3
4
5
6
2(18.2) 4(36.4) 2(18.2) 1 (9.1) 4(36.4) 3(27.3)
0 (0) 1(50.0) 0 (0) 0 (0) 0 (0) 2(100)
2(22.2) 3(33.3) 2(22.2) 1(11.1) 4(44.4) 1(11.1)
有効回答数
11
2
9
予想していたよりも少なかったのが、「 1. ホームページで知った」
(2カ
所、18.2%)である。なぜならば、主なサーチエンジンで「アラビア語」
を検索すると、当学院のページが比較的上位に表示されるからである。
この結果から、当学院ホームページには学習者が参考にするようなコン
テンツは有しているが、大学またはアラビア語教育関係者が参考とする
ようなものはあまりない、ということが言えるだろう。
13.アラブ イスラーム学院は、日本におけるアラビア語教育の促進に貢
献したいと考えています。もし貴校が当学院と提携できるとして、
特に関心のあることは?(複数回答可)
1.アラビア語ネイティブ講師の紹介・派遣
2.アラビア語教材の共同開発
─ 33 ─
3.貴校の卒業単位に認定できるようなアラビア語の集中講義の開講
4.アラビア語翻訳講座の開講 5.アラビア語の PC スキル講座(タイピングなど)の開講 6.アラブやイスラームの文化講座の開講
7.アラビア語を利用したインターンシップの実施
8.アラビア語オリンピックの開催
9.アラブ イスラーム学院への訪問
10.その他( )
表13-A
全体
区分A
区分B
全体
区分A
区分B
1
2
3
4
5
6
7
7(46.7) 7(46.7) 3(20.0) 2(13.3) 2(13.3) 8(53.3) 5(33.3)
1(50.0) 2(100) 0 (0) 1(50.0) 0 (0) 2(50.0) 1(50.0)
6(46.2) 5(38.5) 3(23.1) 1 (7.7) 2(15.4) 6(46.2) 4(30.8)
8
0(0)
0(0)
0(0)
9
10
有効回答数
3(20.0) 4(26.7) 15
1(50.0) 0 (0) 2
2(15.4) 4(30.8) 13
本設問については有効回答数が合計で 15 と少なかったものの、その結
果は興味深い。
まず、アラビア語教育自体に関するものとして、
「 1. アラビア語ネイティ
ブ講師の紹介・派遣」
( 7 カ所、46.7%)がある。ネイティブ講師を必要と
するのは、実用的なアラビア語教育のためと考えられる。また、
「 2. アラ
ビア語教材の共同開発」
( 7 カ所、46.7%)を選んだ大学または学部は、適
切なアラビア語教材が見当たらないことを認識しているといえよう。
大学のアラビア語カリキュラムに関連するものとして、
「 6. アラブやイ
スラームの文化講座の開講」
( 8 カ所、53.3%)があった。調査の前に、ア
ラビア語講師は同語を専門としていない講師が多いのではないかと推測
していた。つまり、このようなアラブ・イスラーム文化に関する講義は、
充足していると考えていたのである。しかしながら、結果の通り、実際
のニーズは少なくない。この理由はとして考えられるのは、①アラビア
─ 34 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
語科目の時間数は十分ではなく、言葉の背景にある歴史や文化などを交
えた講義ができないこと、または、②アラビア語を語学ではなく、これ
らの知識を得るための手段として認識していること、であろう。
「7. アラビア語を利用したインターンシップの実施」
( 5 カ所、
33.3%)は、
アラビア語を学んでも活用する場所がないことの現れと思われる。
Ⅲ.調査票Bの設問および集計結果
調査票Bには、合計24名の講師から有効回答が得られた。アラビア語
科目を有している大学のシラバスを確認したところ、全体で約60 ∼ 80名
の講師がいると推定される。そのために回収率は高いと言えず、この調
査の精度はあまり高くないといえよう。しかしながら、少ない回答の中
には非常に興味深い意見が見られた。
最初に、講師の平均年齢と男女比、職位の比率をまとめて表にした。
ネイティブ講師は、区分Aに 1名(助教授・女性)、区分Bに 1名(非常勤
講師・男性)と計2名含まれている。
表0-B
平均年齢
全 体
区分A
区分B
50
52.6
48
教授
男 女
8
1
4
1
4
0
助教授 講師(常) 講師(非)
男 女 男 女 男 女
3
2
1
0
6
3
2
2
1
0
0
0
1
0
0
0
6
3
全体
24
10
14
合計
男 女
18
6
7
3
11
3
1.勤務している大学で、アラビア語講座はどのように位置付けられて
いますか?(選択式)
1.アラビア語は必修科目である。
2.アラビア語は選択科目である。
1.1 担当しているクラスのレベルは?
(複数選択可)
─ 35 ─
(該当するものの番号をすべて○印で囲んでください。
)
1.1年生 2.2年生 3.3年生 4.4年生
表1.1-B
区分A
1年
9
2年
9
3年
7
4年
8
1.2 担当しているクラスのレベルは?(複数選択可)
(該当するものの番号をすべて○印で囲んでください。
)
1.初級 2.中級 3.上級 4.その他( )
表1.2-B
区分B
初級
12
中級
7
上級
2
その他
0
2.授業で主に用いている言語は?(複数選択可)
1.アラビア語 2.日本語 3.英語 4.アラビア語と日本語
5.アラビア語と英語 6.その他( )
表2-B
選択肢
全体
区分A
区分B
1
1 (4.2)
1(10.0)
0 (0)
2
14(58.3)
4 (40.0)
10(71.4)
3
1 (4.2)
1(10.0)
0 (0)
4
11(45.8)
7 (70.0)
4 (28.6)
5
0(0)
0(0)
0(0)
6
0(0)
0(0)
0(0)
全体的に見れば、「日本語」または 「 アラビア語と日本語」を用いてい
る講師が圧倒的である。もちろん、これは科目の学習内容に関係する。
3.次の項目のうち、担当されているレベルでは特に何に重点を置いて
指導していますか?( 2項目選択式)
①発音 ②文法 ③会話 ④ライティング ⑤リーディング
⑥アラブやイスラームに関する知識
表3.1- B
─ 36 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
区分A
1年
2年
3年
4年
①
6
2
1
1
②
7
5
1
1
③
0
1
1
0
④
0
0
0
0
⑤
2
4
5
3
⑥
1
2
5
5
①
4
0
0
②
8
6
1
③
5
2
0
④
3
1
0
⑤
1
4
1
⑥
1
0
0
表3.2- B
区分B
初級
中級
上級
2項目選択を指定したのは、科目毎に設定されている学習目標以外に、
どのような学習内容を重視しているかを知るためである。
この結果によると、まず、区分A・区分Bの講師に共通する特徴は、
①「文法」を 2年間で教える、②学年・レベルが高くなると「リーディング」
を重視する、③「会話」と「ライティング」については、高学年または中・
上級クラスではほとんど重視していないということである。区分Aに特
徴的に見られるのは、「 6. アラブやイスラームに関する知識」が進級する
につれて増加していることである。これは、前述の「リーディング」を重
視する傾向と関係があるだろう。
─ 37 ─
4.最近の受講生のアラビア語スキルについて、以前と比べてどのよう
な印象を持っていますか? 5段階評価でお答えください
3.4
3.2
3.7
3.0
2.9
3.2
3.3
3.3
3.2
3.0
2.9
3.1
3.1
3.1
3.1
3.4
3.3
3.4
アラブやイスラー
ムに関する知識
図4-B ※図4-B は、それぞれの評価の度合いを加重平均値として表したものである。
指導において比較的重視されていない「①発音」
( 3.4 )と「③会話」
( 3.3 )
の評価が若干高めである。それとは反対に、重視されている「②文法」
(3.0)
と「⑤リーディング」
( 3.1 )の評価は厳しい。つまり、講師はこれらに時
間をかけている割に十分な効果が出ていないと感じているのだろう。「⑥
アラブやイスラームに関する知識の豊富さ」の評価が 3.4 とやや高めなの
は、過去に比べて研究書も多くなり、また、インターネットの普及で得
られる情報が飛躍的に増えているからと考えられる。
5.アラビア語の授業でLL教室(視聴覚教室)を利用していますか?
表5-B
全体
区分A
区分B
1.はい
3(12.5)
1(10.0)
2(14.3)
2.いいえ
21(87.5)
9 (90.0)
12(85.7)
─ 38 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
本アンケート調査では、日本人講師から回答が多く寄せられたため、
LL教室の利用の割合は高いと考えていた。なぜならば、非ネイティブ
講師にとって視聴覚教材は必要不可欠だからである。しかし、予測に反
して、LL教室を利用している講師は 3名( 12.5%)のみであった。なお、
区分Aの 1名はネイティブ講師で、区分Bは両方とも日本人講師である。
6.講義ではどのような工夫をしていますか?
(複数選択可)
1.アラブ人のネイティブスピーカーをゲストに招く
2.アラビア語の映画を見る 3.アラビア語のニュースを見る
4.生徒とアラビア語圏に旅行する
5.その他 ( )
表6-B
全体
区分A
区分B
1
5(29.4)
3(42.9)
2(20.0)
2
6(35.3)
1(14.3)
5(50.0)
3
6(35.5)
3(42.9)
3(30.0)
4
1 (5.9)
0 (0.0)
1(10.0)
5
有効回答数
9(52.9)
17
2(28.6)
7
7(70.0)
10
前設問では、多くの講師がLL教室を利用していないことが明らかに
なった。しかしながら、本設問で「 2. アラビア語の映画を見る」と「 3. ア
ラビア語のニュースを見る」を、それぞれ 6名( 35.5%)が選択していた。
さらに、「 5. その他」には、
「アラビア語の歌をきかせる」や「アラビア語
のニュース録音テープを利用します」
、
「アラブ地域に関するビデオを見
る」といった回答も見られた。つまり、LL教室を利用していなくても、
視聴覚教材について多くの講師が注意を払っている様子がわかる。
なお、
「 5. その他」には、上記の他に「暗記ものはリズムにのせたり、ジェ
スチャーをつけたりして、楽しく覚えられるようにしています」といっ
たユニークな回答が寄せられている。また、
「アラビア語の作文集を作成。
アラビア語などのスピーチコンテスト」といった試みも興味深い。なぜ
ならば、アラビア語については検定制度もなく、学習意欲の維持が難し
─ 39 ─
いと考えられるからである。
7.授業のテキストはどのようなものを使用していますか?
(複数選択可)
1.大学が独自に開発したもの 2.自分で作成したもの
3.他のアラビア語講師が作成したもの
4.NHKアラビア語講座テキスト(ラジオ用)
5.NHKアラビア語講座テキスト(テレビ用)
6.その他( )
表7-B
全体
区分A
区分B
1
5(20.8)
5(50.0)
0 (0)
2
13(54.2)
5(50.0)
8(57.1)
3
12(50.0)
4(40.0)
8(57.1)
4
1(4.2)
0 (0)
1(7.1)
5
3(12.5)
0 (0)
3(21.4)
6
2 (8.3)
2(20.0)
0 (0)
区分Aにおいて、すべての講師が「 1. 大学が独自に開発したもの」を選
んでいるのは、1大学のみである。また、別の大学には、ケンブリッジ大
学の Elementary Modern Standard Arabic など、海外で発行されている
文法書を挙げている講師がいた。区分Bの講師は、「 2. 自分で作成したも
の」と「 3. 他のアラビア語講師が作成したもの」に分かれる。
8.アラビア語学習用の補助プリントをご自分で作りますか?
表8-B
全体
区分A
区分B
1.作る
18(75.0)
8 (80.0)
10(71.4)
2.作らない
6(25.0)
2(20.0)
6(28.6)
「 1. 作る」と回答した 16名の講師に、8.1 を質問した。
8.1 参考にするアラビア語文献は?
(複数回答可。該当するものがない場合、記述する。
)
①絵本 ②小学生向けの本 ③中高生向けの本 ④小説 ⑤新聞 ⑥雑誌 ⑦学術論文 ⑧古典
─ 40 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
表8.1-B
区分A
1年
2年
3年
4年
①
1(20.0)
0 (0)
0 (0)
0 (0)
②
0(0)
0(0)
0(0)
0(0)
③
0 (0)
0 (0)
0 (0)
1(14.3)
④
1(20.0)
1(20.0)
3(50.0)
2(28.6)
1年
2年
3年
4年
⑥
1(20.0)
2(40.0)
2(33.3)
1(14.3)
⑦
1(20.0)
1(20.0)
0 (0)
5(71.4)
⑧
2(40.0)
3(60.0)
5(83.3)
5(71.4)
有効回答数
5
5
6
7
⑤
2(40.0)
3(60.0)
4(66.7)
3(42.9)
区分Aの講師で特徴的なのは、3年生の「⑧古典」
、4年生の「⑦学術論文」
である。この内容から判断すると、これらの副教材は主にリーディング
に活用されると考えられる。
表8.2-B
区分B
初級
中級
上級
①
4(66.7)
3(60.0)
0 (0)
②
3(50.0)
3(60.0)
0 (0)
③
0(0)
0(0)
0(0)
④
0(0)
0(0)
0(0)
初級
中級
上級
⑥
1(16.7)
0 (0)
0 (0)
⑦
0(0)
0(0)
0(0)
⑧
0 (0)
2(40.0)
1(100)
有効回答数
6
5
1
9.受講生にアラビア語留学を奨めますか?
表9-B
全体
区分A
区分B
1.勧める
16(72.7)
8 (100)
8 (57.1)
2.勧めない
6(27.3)
0 (0)
6(42.9)
有効回答数
22
8
14
「勧める」と回答した 16名の講師に、9.1 を尋ねた。
─ 41 ─
⑤
2(33.3)
4(80.0)
1(100)
9.1 その理由は?(複数回答可)
1.発音が良くなるため 2.文法力がつくため
3.アラブ人の友達ができるため 4.アーンミーヤの勉強になるため
5.アラブの文化や風習に慣れるため 6.就職がよくなるため
7.その他( )
表9.1-B
全体
区分A
区分B
1
10(62.5)
5 (62.5)
5 (62.5)
2
2(12.5)
1(12.5)
1(12.5)
3
7(68.8)
5(62.5)
2(25.0)
全体
区分A
区分B
6
1 (6.3)
0 (0.0)
1(12.5)
7
1 (6.3)
1(12.5)
0 (0.0)
有効回答数
16
8
8
4
11(68.8)
8(100.0)
3 (37.5)
5
16(100.0)
8(100.0)
8(100.0)
まず、学習面については、10名( 62.5%)の講師が「 1. 発音がよくなる
ため」を選択している。その一方で、
「2. 文法力がつくため」を選んだのは、
2名( 12.5%)のみである。つまり、現地に留学することによって発音の
練習はできても、文法を学ぶことはできないと講師は考えているという
ことである。また、区分Aの全講師が選択していたのは、
「 4. アーンミー
ヤ(方言)の勉強になるため」である。方言の勉強は、現地で行ったほう
が効果的・効率的と考えるからであろう。このように学習効果を期待す
る一方で、「 3. アラブ人の友達ができるため」
( 7名、68.8%)や「 5. アラブ
の文化や風習に慣れるため」
( 16名、100%)といった学習意欲の向上に関
する期待も高い。
以上から明らかなように、現地で効率よく勉強できるような発音や方
言といった学習内容については期待しているが、日本でも十分学ぶこと
ができる文法には、ほとんど期待していない。そして、学習への効果と
同じ程度に、学習意欲の維持や向上に期待している。
なお、区分Aに「 6. 就職がよくなるため」を選んだ講師がまったく見ら
れなかったのは、予想外であった。なぜならば、区分 B の大学はともか
─ 42 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
くとして、区分Aの大学では、石油企業やアラブ諸国に進出している商
社などに就職する学生も少なくはないと考えたからである。推測ではあ
るが、このような結果の理由として、区分Aの講師は①1、2年程度の留
学では、就職活動でアピールできるようなアラビア語が身に付かない、
または、②学生のアラビア語スキルに関わらず、企業はそのスキルを評
価しないと認識しているといったことが考えられよう。
続いて、「 2. 勧めない」と回答した 6名の講師に 9.2 を尋ねた。
9.2 その理由は?簡潔にご記入ください。
(記述式)
6名ほぼすべての講師が、「選択科目としてアラビア語を学んでいるの
だから、留学は必要ない」といった内容の回答をしている。ただし、私
見ではあるが、学生がアラビア語科目を「選択科目」として認識している
のかについては疑問が残る。というのは、アラビア語は難しいというの
は周知であり、「選択科目であるから」といった理由で受講するとは考え
られないからである。そのため、受講生は何らかの目的を持ってアラビ
ア語を学習している――受講後も学習を続けるかどうかは別として――
と考えるからでる。なお、「専門分野によるが、アラビア語習時(文語)
にはあまり留学しても意味がない」という回答があった。
10.ご自分の勤務している大学のアラビア語教育カリキュラムに満足し
ていますか?
表10-B
全体
区分A
区分B
1.満足している
9(40.9)
3(33.3)
6(46.2)
2.満足していない
13(59.1)
6 (66.7)
7 (53.8)
有効回答数
22
9
13
半数強の 13名が「 2. 満足していない」と回答している。これらの講師に
10.1-2 を質問した。
─ 43 ─
10.1 その理由を簡潔にご記入ください。
当設問は非常に重要であるため、できる限り詳しく紹介したい。まず、
全体的に見て、①大学のカリキュラム全体に関わる不満、②アラビア語
教育それ自体に関わる不満に分けられる。まず、①の中で見られたのは
「時間が足りない」ということである。これは、9名(区分Aで 3名、区分
Bで 6名)である。また、区分Bの講師1名から「教養でアラビア語を履
修しても、それを生かせる専門科目が少ない(存在しない)
」という回答
が寄せられている。②の「カリキュラムの未確立」は、
「アラビア語教授法、
日本人向けアラビア語教材が十分確立していない」
、「初級文法書が英語
で書かれているものを使用しているため、日本人所学者に対しては不向
きだと思う」との回答があった。これらは、区分Aのそれぞれ別の大学
の講師が回答している。
10.2 ご不満の点を改善するアイデア等をお持ちでしたら、簡潔にご記
入ください。
残念ながら、本設問の回答は少なかった。
「時間不足」や「適切な教授法・
教材の不在」といった不満は、大学全体のカリキュラムに関わっている。
そのため、講師は改善策を講じづらいと考えているのだろう。その数少
ない回答には、
「大学間での単位互換をアラビア語について促進する」
、
「ア
ラブ史、現代政治等の専門科目との関連付けを行う」という回答があっ
た。
11.アラビア語教育に携わって何年ですか?
(記述式)
表11-B
区分A
区分B
平均教授年数
22.0
15.7
11.2
区分Aと区分Bの講師で 10年近い差が見られるのは、前者は教授・助
教授など職位の高い講師が 9名も含まれているからと考えられる。
─ 44 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
12.アラビア語が母語ですか?
表12-B
1.はい
2 (8.3)
1(10.0)
1 (7.1)
全体
区分A
区分B
2.いいえ
22(91.7)
9 (90.0)
12(92.9)
有効回答数
22
9
13
アラビア語を母語としない 22講師( 91.7%)の背景を知るため、12.1-4
の質問をした。
12.1 母語は何ですか?
1.日本語 2.英語 3.仏語 4.その他( )
表12.1-B
全体
区分A
区分B
1
21(95.5)
8 (88.9)
13(100)
2
1 (4.5)
1(11.1)
0 (0)
3
0(0)
0(0)
0(0)
4
0(0)
0(0)
0(0)
有効回答数
22
9
13
12.2 なぜアラビア語を勉強し始めましたか?
(複数選択可)
1.アラビア語に惹かれたから
2.アラブ人と話したいと思ったから
3.専攻(例えば中東の歴史など)がアラビア語を必要としていたから
4.アラビア語圏に住んでいたから
5.イスラームに興味があったから
6.ムスリムになったから 7.アラブ人と結婚したから
8.その他( )
─ 45 ─
表12.2-B
全体
区分A
区分B
1
9(42.9)
3(37.5)
6(46.2)
2
1 (4.8)
1(12.5)
0 (0)
3
13(61.9)
5 (62.5)
8 (61.5)
4
0(0)
0(0)
0(0)
全体
区分A
区分B
6
0(0)
0(0)
0(0)
7
0(0)
0(0)
0(0)
8
1 (4.8)
1(12.5)
0 (0)
有効回答数
21
8
13
5
1(4.8)
0 (0)
1(7.7)
全体「 3. 専攻(例えば中東の歴史など)がアラビア語を必要としていた
から」
( 13名、61.9%)が過半数を占めている。「 1. アラビア語に惹かれた
から」
( 9名、42.9%)というのも、学習者によく見られる理由であろう。
12.3 アラビア語を初めて学んだ場所は?
(記述式)
表12.3-B
全体
区分A
区分B
外国語大学
9(42.9)
6(66.7)
3(25.0)
外国語大学以外
12(57.1)
3 (33.3)
9(75.0)
有効回答数
21
9
12
外国語大学の内訳は、大阪外語が 6名、東京外語が 3名である。外語卒
が 5割近くを占めるその理由は、全体で 50歳という講師の平均年齢から
明らかであろう。すなわち、彼らが学生であった 30年ほど前は、アラビ
ア語を学べる機関が外国語大学や、長い歴史を持つ一部の国公立・私立
大学に限られていたからである。なお、大学以外では、やはり東京大学
や京都大学などの旧帝国大学や、アジア・アフリカ語学院など老舗の教
育機関が見られた。
─ 46 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
12.4 アラビア語圏にアラビア語習得のために長期滞在( 1年以上)した
ことはありますか?
表12.4-B
全体
区分A
区分B
はい
16(72.7)
8 (88.9)
8 (61.5)
いいえ
6(27.3)
1(11.1)
5(38.5)
有効回答数
22
9
13
13.信仰している宗教は?(選択式)
1.仏教 2.ユダヤ教 3.カトリック 4.プロテスタント
5.イスラーム 6.その他( )
表13-B
全体
区分A
区分B
1
8(40.0)
3(50.0)
5(35.7)
2
0(0)
0(0)
0(0)
3
1 (5.0)
1(16.7)
0 (0)
4
0(0)
0(0)
0(0)
5
6
有効回答数
5(25.0) 6(30.0) 20
1(16.7) 1(16.7) 6
4(28.6) 5(35.7) 14
昨今はイスラームに入信する日本人が増えており、アラビア語講師は
どのような状況にあるか関心を持っていたので、
尋ねてみた。結果として、
ムスリムの講師は、ネイティブ講師2名と日本人講師3名の計5名( 25.0%)
のみであった。なお、「 6. その他」で「なし」と答えた講師が 2名いたり、
未回答の講師が 4名いたりするのもまた、現代の世相を反映しているよ
うに思われる。
このイスラームを信仰している講師で、当初は別の宗教を信仰してい
た講師に 13.1 で入信した年を質問したが、この質問は回答した講を特定
できる可能性があるため、割愛する。
14.専門としている分野は?
(記述式)
記述されていた分野を分類して、表にした。
1.言語学 2.歴史学 3.地理学 4.イスラーム学 5.文学
─ 47 ─
6.アラビア語学 7.人類学 8.文献学 9.地域研究
表14-B
全体
区分A
区分B
1
2
3
4
5
6
6(27.3) 8(36.4) 2 (9.1) 2 (9.1) 1 (4.5) 1 (4.5)
4(50.0) 1(12.5) 1(12.5) 0 (0.0) 1(12.5) 1(12.5)
2(15.4) 6(46.2) 1 (7.7) 2(15.4) 0 (0.0) 0 (0.0)
全体
区分A
区分B
8
9
有効回答数
1(4.5) 1(4.5) 22
1(12.5) 0(0.0) 9
0(0.0) 1(7.7) 13
7
1(4.5)
0(0.0)
1(7.7)
区分Aには、言語学や文学、イスラーム学など、アラビア語に深く関
係した分野を専門とした講師が多い。一方で、区分Bの講師は、その半
数が歴史学や地理学などを専門としており、アラビア語は研究の手段と
していると考えてもよいだろう。全体的に見れば「アラビア語」それ自体
を専門と考えている講師が 1名いるのみである。
15.日本以外の国の大学や教育機関でアラビア語を教えたことはありま
すか?ある方はその国名もお答えください。
表145-B
全体
区分A
区分B
はい
1(4.3)
0(0.0)
1(7.7)
いいえ
22 (95.7)
10(100.0)
12 (92.3)
有効回答数
23
10
13
回答のあった講師は 1名のみで、教えたことがあるのは「中国」として
いた。なお、本設問は、主にネイティブ講師から見た日本のアラビア語
学習者に対する意見を期待していたものである。しかし、ネイティブ講
師自体の回答が少なかったこともあり、残念ながら本設問は活かされな
かったといえよう。
─ 48 ─
日本の大学におけるアラビア語教育の現状とその問題
15.1 外国人学生と比較して、日本人学生を教える際に注意しているこ
とはありますか?(記述式)
回答のあった講師は「日本人は動詞の活用が苦手」と記している。
─ 49 ─
─ 50 ─
24年間にわたる
アラブ イスラーム学院のアラビア語教育
Arabic Language Education at
Arabic Islamic Institute in Tokyo
‒
History of 24 Years‒
アルジール・ムハンマド・ハサン
ALZEER Mohammad Hassan
─ 51 ─
アラブ イスラーム学院のアラビア語教育について語れることは私の喜
びであるが、まず、アラブ・イスラームと日本、特にサウジアラビアと
日本の関係について簡単に述べたい。
I.序論
1.アラブ・イスラームと日本の関係
日本との関係は重要であり、研究・分析やそこから教訓を得る作業は
今なお必要とされている。いずれにしても、時代を遡るところから始め
ることになる。例えば、日本のとある博物館収蔵のガラス製品にラクダ
の絵が描かれていることや、古のペルシア製の品々があること、またそ
れらは聖武天皇(西暦701−756年)御物に入っていることなどがよく言及
される[ 1 ]。さらには、日本研究者であるサミール・アブド・アルハミー
ド博士は言葉の関係から次のように言っている。「アラビア語の海洋紀行
にはしばしばワーク・アルワークという言葉が出てくるが 、 それは世界
の果ての国や島々を指していた、一方、古く日本はワーク(倭寇)と呼ば
れており 、 従ってワークの島々とは日本の呼称ともなっていた、そこで
[2]
アラビア語のワーク・アルワークはワークの反復語なのかも知れない」
。
ところが、
「この関係は国民間の直接の強いものには高められなかった」
と、日本の中東研究の指導的立場にある板垣雄三氏は述べている[ 3 ]。そ
の原因としては、日本は極東というイスラーム世界の中心からは離れた
地点にあり、また海に囲まれているということがある。さらには、17世
紀から 19世紀中葉までの間、国内体制作りのために鎖国したこともある。
ただし、それに成功し、日本は個性豊かになったと言えよう[ 4 ]。1868年、
内戦を経て江戸幕府の徳川将軍の体制が終って明治時代が始まり、江戸
は東京と改められ京都に次いで日本の首都となった。そうして日本は外
の世界へ、イスラーム世界へと目を向けるのである[ 5 ]。
1871年、明治天皇はイスタンブールへ勅使を派遣し、それが直接にオ
スマーン帝国と連絡する初めとなった。それはまた双方使節の交換とな
─ 52 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
り、1872年、日本の使節団はトルコへ向かうこととなった。それに対して、
スルターン・アブドゥルハミードは、トルコ人、アラブ人、クルド人、
アルバニア人、ボスニア人など約600名を使節団として艦船エルトゥグ
ルール号で送り出した。同蒸気船はオスマーン・バーシャーを船長として、
1890年に横浜港に投錨したが、折からの台風のためにその帰路、1890年9
月16日に紀伊沖で沈没するに至った。約550名が亡くなり、残りの存命者
はイスタンブールまで 2隻の日本の蒸気船によって送り返された[ 6 ]。
この事件のため、若い日本人記者である野田乙太郎は、遭難犠牲者の
遺族のため人々から義捐金を集めてイスタンブールへ届けることになっ
た。イスタンブールで、彼はスルターン・アブドゥルハミードに謁見し、
またアブドッラー・キリヤムというリバプール市出身の英国人ムスリム
と知り合いになった。その英国人ムスリムと議論し、また思索に時を過
ごした後に、1891年、イスラームを受け入れることになった。関係情報
によると、こうして彼が日本人として初めてのムスリムとなったのであっ
た。
日本人の誠実さは彼のイスタンブールへの旅と、遭難の地では 5年ご
とに未だに追悼集会をしていること、また蒸気船が襲われた遭難場所近
くに犠牲者のための博物館を設立したことなどに現れている[ 7 ]。
その時以来、日本とムスリムの間の直接的な関係は明白となり、日本
という陽の昇る地においてムスリムの歴史の中で、この関係が一つの独
自の地位を占めるに至ったのであった。簡略化のために、以下にこの関
係強化になった諸事例を列記しておきたい。
・ 1880年、政府の公式派遣で吉田正春が送り出され、テヘランの前にバ
グダードを訪問した 。
・ 19世紀末に、エジプトの法制度調査を行った。
・ 1891年または 93年に、ハリール山田という 2人目の日本人ムスリムが
出た。
・ 1905年、アラブ・ムスリムであるアハマド・ファドリーが初めて日本
の軍人として士官学校に入り、日本に滞在した。1908年∼12年、彼は
諸井バラカトゥッラー女史と結婚して、一緒に英語雑誌『イスラーム
─ 53 ─
の同胞』を発刊した[ 8 ]。
・ 1905年、日本初のマスジドが大阪に建造された。
・ 1905年∼06年、インド人のアフラーズ・フサインが伝導のために日本
を訪問した。
・ 1906年、エジプトから『日本紀行』
(翌年発行)を書いた、アリー・ア
フマド・アッジャルジャーウィーが来日した。
・ 1908年、東京外国語学院でウルドゥー語を教えるために、マウラーイ・
バラカトゥッラー・アルヒンディーが来日、5年間滞在し、1913年、雑
誌『道』へ寄稿した 。
・ 1909年、日本人初の巡礼者が出た。その頃より日本政府のアラビア半
島への関心が高まり、情報収集を行った。しかし、その多くは特定の
視点を持っている西欧の東洋学者たちの書いているものに依存してい
た。
・ 1909年、明石大佐の介在もあって、タタール人アブドゥルラシード・
イブラーヒームが訪日した。彼は日本人初の巡礼者である山岡光太郎
に同伴することとなった[ 9 ]。 イブラーヒームは日本の政界その他各界
の指導者と密接な関係を持ち、日中の友好も訴えた。1933年、再来日
を果たし東京マスジド建造に貢献して、1944年に他界した。
・ 1915年、神戸市に日本第2 のマスジドが建造された。
・ 1920年、英語版クルアーンから、初めての日本語意訳を坂本健一が出
[ 10 ]
した(『コーラン経上下二巻』)
。
・ 1921年、日本初のトルコ系ムスリム共同体がカザフ周辺から移民とし
て到着した。
・ 1924年、日本人2人目の巡礼者、田中逸平が巡礼を果たす。
・ 1938年、東京マスジドが日本第3番目のものとして開所される。開所
式に、サウジアラビア代表としては、在ロンドン・サウジアラビア大使
館ハーフィズ・ワハバ公使が出席した。同年、名古屋マスジドも開所
される。
・ 1938年、林銑十郎の下に、日本初の大日本回教協会が発足した。
・ 1943年当時の、谷正之外務大臣より皇室への書簡の形で、日本の対ム
─ 54 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
スリム政策の基礎はムスリムの信条を尊敬し、その諸権利を回復する
ために誠実に支援するというものであった[ 11 ]。
・ 1953年、日本ムスリム協会が、日本でのムスリム数増加に鑑みて創設
された。
・ 1965年、イスラミック・センター・ジャパンが開設された。
・ 1974年、日本イスラーム文化協会が設立された。会員はムスリムに限
られない。
・ 1977年、大阪マスジドが開設された。
・ 1982年、東京にアラブ イスラーム学院が発足、この頃マスジドや礼拝
所の数は、20 を越え始める[ 12 ]。
・この他、日本イスラーム会議、アルファーティハ組織、日本イスラー
ム協会連合、日本イスラーム友好団体連合などもある。
2.サウジアラビアと日本の関係
両国の公式な接触は 1927年、それから間が開いて 1934年になるので、
かなり時間が経過して手間取ったという印象があるかも知れない。しか
し、関係の根はそれよりも古くから張られており、それは 1909年に日本
人としては初めてと見られる巡礼者が出たからである。その名前は山岡
光太郎で、彼はその巡礼の記録を2冊の本にして残した[ 13 ]。その後、日
本人巡礼者は続き、1924年と 1933年に田中逸平が聖地マッカを訪れ、そ
れから 1935年、37年、38年と 3回に渉り、鈴木剛(ムハンマド・サーリフ)
が巡礼した。彼も巡礼の記録『メッカ巡礼記』を残している[ 14 ]。
時間的な問題より重要で注目しなければいけないのは、巡礼によって
もたらされた両国と両国民の貴重な接近という、文化的抽象的な側面で
ある。それはまたサウジアラビアが持つ文化的な地位と、同国が現実の
イスラーム世界で占める指導的中心的な立場と原初的な精神を代表して
いるということにも注意を向けることになる。そこでは諸価値とその使
命が、人と土地により具現されているのである。
その後も、例えば中野英治郎など、日本人のサウジアラビア訪問は続
いた[ 15 ]。それらの訪問には文化的・精神的な要素と経済的なものとが入
─ 55 ─
り混じっていた。
このように両国の接触は開始された。文化と経済は入り乱れ、同時に
イスラームや文化の側面も、これらの接触を通じて明白な要素であった。
サウジアラビアと日本のやり取りにおいては、再び文化面と経済面が
重なって現れることになった。それは 1938年、東京マスジドの開所式が
執り行われた機会である。日本政府は、アブドゥルアジーズ国王が二聖
モスクの守護者であり、イスラーム世界の注目の的であるということか
ら、少なくとも同国王の代理を出席させるように要請したのであった。
そこで同国王は、在ロンドン大使館のサウジアラビア全権公使であった、
ハーフィズ・ワハバを送ることとした[ 16 ]。 次に、第2次大戦後の 1954年7月、日本は経済ミッションをサウジアラ
ビアに派遣し、サウード国王との謁見の際に、古式豊かな日本刀を代表
団の贈り物として献上した。これは 800年の間保存されてきた有名なも
のであった。この他、私的な贈り物も献上しつつ、日本の善意と国王陛
下に対する日本人の尊敬、また特にサウジアラビア国民、広くはアラブ
人に対する友好の気持、さらには日本とサウジアラビア両国間の外交経
済関係の発展に対する強い願望の象徴として、これらの贈り物を見てい
ただきたいと述べた[ 17 ]。
両国間のこれらの諸努力は、1955年、外交関係の設立として実った。
1956年には、土田豊が初代の全権公使として任命された[ 18 ]。 また、
1958年には東京にサウジアラビア大使館が開設され、他方1960年には
ジェッダに日本大使館が開かれた。同年には、日本サウジアラビア友好
協会が設立されて、東京におけるその開会式には、サウジアラビア側よ
りスルターン殿下が出席し祝辞を述べることになった。この訪日はその
後両国の重要な相互の歴訪の端緒を切る格好となり、友好的な双方国民
間の紐帯となり、また積極的な対話を続行させることとなり、関係強化
と共通利益の実現へ向けて前進することとなった。
この進展は学術的・文化的な方面でも強力に推進され、学術的・文化
的協力というチャネルによって、直接的な接触の新しい時代の幕が切っ
て落とされたのである。その事例は多数あるが、いくつか例示しよう。
─ 56 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
・観光の促進 ・青年交流 ・展示会開催 ・両国協力のための事務所開設
・協力プロジェクト推進 ・双方対話の支持
・諸会議、セミナーの開催と諸文化活動
・両国における日本語とアラビア語教育
サウード国王大学では日本語教育を実施しており、それは文学部の日
本語学科という位置づけになっている。すでに何人もの卒業生を出して
きている[ 19 ]。
1982年には、在東京アラブ イスラーム学院が設立された。同学院は両
友好国の間における文化的協力と学術的相互交換の強化のための、サウ
ジアラビアからの強い支持を物語るものである。それにより、より深く
より生き生きとした理解が得られ、またより広い展望がもたらされ、建
設的な対話に貢献することが望まれる。ヒジュラ暦1427年3月7∼9日、西
暦2006年4月5∼7日、スルターン皇太子(副首相、国防兼航空大臣兼監察
長官)の歴史的な訪日の際に出された、サウジ・日本共同声明において、
「日本側は日本語教育促進におけるキングサウード大学、及び、アラビア
語教育とイスラム文化の日本社会への紹介において在京のアラブ・イス
[ 20 ]
ラム学院が果たしている重要な役割に対する謝意を表明した」
。この
学院の開けた展望や積極的な責務については、さらに本稿の後で触れる
こととしたい。
Ⅱ.日本のアラビア語教育
1.関係強化と相互理解に関するアラビア語の重要性
接触が人間の進歩をもたらす基礎であり、人間社会の特徴でもあるこ
とは疑いない。またそれは理解と経験交換の共通の基でもあり、それが
欠如するか、あるいは十分でなければ誤解、さらには闘争と殺戮へと導
くのである[ 21 ]。どの言語であれそれを知ることは、知識の終わりなき世
界の広い扉へその人をいざなうことを意味し、人間世界とその生活ぶり
─ 57 ─
についての様々な状況を知ることを意味する。なぜならば、その人は人々
の間の接触と理解への最重要な鍵、すなわち言葉を持っているからであ
る。言葉は文化、思想、ならびに文明の諸相を包含し、文化的・社会的・
文明的な生活の諸相についての色々の見解を担っているのである[ 22 ]。そ
して、当該言語が状況に応じる自律の力と情報力を持っていればいるほ
ど、他の人々や物事についての知識を得る潜在力を有しているというこ
とにもなる。これらの視点からアラビア語を見直してみると、他の言語
にはないような諸特徴を見出せる。
これらの諸特徴の利点を以下に簡略に述べると、アラビア語が意思疎
通と理解を深めるのに理想的な手段であることを示している。つまり、
人々の紐帯を支持し、共通の理念と経験の交換を行い、さらには国々や
人々の間で情報と人間関係の基礎付けをするに当たり、強力な橋渡しが
できるからである。
以下がその諸特徴と最大の利点と考えられるものである。
( 1 )表現力が卓越し、明確さと理解させる力で完璧であり、またはっ
きりした伝達力を持っていること。
( 2 )語彙選択の幅が広く、単語が多くその種類も豊かであること。
( 3 )発音上の可能性が大きく、喉からの凡ての音声を活用すること。
特にアラビア語はあらゆる発音を集大成していると考えられ、
アラビア語を良くする者は世界のあらゆる他の言語を学ぶこと
ができる。他の言語の発音は容易にマスターできるが、逆は真
ならずである。
( 4 )意味を伝えるのに、どれほど細かく特殊であっても、それに適
した言葉や表現が見出しうること。
( 5 )様式、表現、あるいは構文上の多様性。これによって、良く馴
染んで描写に優れ形式の美しさが可能になる点は、卓越してい
る。ここにその魅力と格別の表現上の魔術を見るごとくである。
いずれにしてもアラビア語は世界的な理想的な相互理解の手段として、
実に多方面 ̶̶ 学術研究者、アラブ人以外のムスリムたち、東洋学者、
西洋学者や外交関係者たち、ビジネスマン、経済人、移民たち、学生な
─ 58 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
ど̶̶から何らかの固有の目的を持って使われ、様々な目標を果たして
きたのである。
アラビア語は聖クルアーンの言葉であり、その聖性や信条と思想並び
にイスラームの文明や文化と不可分に結びついている。したがって、そ
れを学ぶことは、クルアーン、イスラーム文明、アラブ文化などを深く
直接に理解するための登竜門となったのである。クルアーンの世界に入
り、その深みを知り、その意味に分け入り、その意図を理解するためには、
誰であれアラビア語の履修は必須である。イスラームを学ぶ重要性を指
摘した日本の大思想家、大川周明はこの点について、聖クルアーン理解
のためにアラビア語学習は不可欠であるとして、またその意味を汲み取
るためにはそれは不可欠であるとして、次のように言った[ 23 ]。
「イスラー
ムを信じず、またアラビア語が読めない人は、聖クルアーンの意味を翻
[ 24 ]
訳する資格はない」
。
慶應義塾大学の奥田敦教授も、アラビア語教育と文化の関係に関する
その論文において、アラビア語学習が特に日本人学習者にもたらす利点
について「アラビア語学習の利点を、次のようにまとめたい。日本人履
修者を念頭に置いて、主として次のように絞られる。そしてそれらをま
とめて、対話と相互の意思疎通と呼びたい」と述べている[ 25 ]。
第一は現在との対話です。アラビア語を学ぶことによって、日本人にとって
なじみの薄かった人々あるいはオリエンタリズムによって著しくマイナスのイ
メージが付されている人々や地域と直接コミュニケーションが取れるようにな
るからです。
第二は、過去との対話です。アラビア語には、さまざまな学問領域にまだ紹
介されていない重要な文献が数多くあります。古文書についても同様です。ヨー
ロッパにおけるいわゆる 12世紀ルネッサンスは、アラブ文化経由のギリシア・
ローマの古典復興だったとされますが、アラブ文化とルネッサンスの研究は
もっと進められてよいと思います。そうすると、近代西欧文明の源流が一層明
らかになるはずです。そしてアラブ社会の歴史を知ることは、ユダヤ教、キリ
スト教といった先行する一神教の歴史とその思想を相対化することにもつなが
ります。
─ 59 ─
最後の第三には、神との対話です。それは、聖クルアーンがこの言葉によっ
てアッラーのお使いであるムハンマド(彼の上に祈りと平安あれ)を通じて下
されたことによります。ご承知の通り、聖クルアーンは、アラビア語以外の言
葉に訳されたとたんに、クルアーンであることを止めてしまいます。したがっ
て、アラビア語によってのみ、われわれ 8億とも 13億とも言われるムスリムは、
アッラーからのメッセージを直接読むことができるのです。私は、現在実際使
われている言葉で、神からのメッセージをこの様な形で保っている言語をアラ
ビア語以外に知りません。つまり、この対話はアラビア語によってのみ可能だ
ということになるのです。
〔中略〕
この様に、私自身は、アラビア語を通じて、われわれは現在とも過去とも自
分とも闇とも神とも対話することができるようになると考えています。現在と
の対話は、われわれを真の意味でグローバルな視野を持った人にしてくれるで
しょう。過去との対話は、本当に幅広い教養の人にしてくれるはずです。自分
との対話は、異なる他者を受け入れることでしたから、寛容な人になれるはず
です。闇との対話においては、闇を理性の光で照らしていくことに他なりませ
んから、理性の人になれるでしょう。そして神との対話においては、来世まで
を念頭に置いた人間の生き方、人類社会全体のあり方についての深い叡智に触
れることになりますから、叡智の人と言えましょう。グローバルな視野を持ち、
幅広い教養を持ち、寛容にして、理性的でかつ叡智に満ちた人間。宗教が元来
「人間性の完全を示すもの」だとすれば、アラビア語の習得は、それに近づくた
めの最も有効な道の入り口とさえいえそうです。[ 26 ]
2.日本のアラビア語事情寸描 日本では比較的早くからアラビア語への関心が払われた。その理由に
はいくつかある。経済的・商業的なもの、外交上、あるいは原典に戻る
必要のある学術的・文化的な理由もあった。関係責任者のアラビア語の
重要性に関する認識は、大阪外国語大学を創るときにも明白であった。
当時日本政府は、松本重彦に対してアラビア語教授の責任をゆだね、
その準備のために彼をドイツ、シリア、
エジプトに派遣した。彼は 1924年、
帰国し直ちにアラビア語の授業を開始したのであった。それは選択科目
として、ヒンドゥー語学科、マレー語学科におかれたが、とにかくそれ
が日本におけるアラビア語教授の初めとなった[ 27 ]。
しかし、この授業は 1929年、松本教授がソウルへ赴任したために一時
─ 60 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
中断された。だが、日本でのアラビア語教育の関心は継続され、例えば
1935年、東京マスジド開設のために日本を訪れたインド・ムスリム連盟
の元会長は、日本の大学でアラビア語を専攻しようとしている学生がい
ると、某教授から聞いている。また、1934年に第2回目の巡礼を果たした
田中逸平は、アブドゥルアジーズ国王やその他のサウジアラビアの責任
関係者と会見した後帰国し、幾度かの講演をしたが、その中においてア
ラビア語への関心の重要性を説き、またそれが聖クルアーンとアラブ・
イスラーム文化の唯一の正しい理解への入り口であることを語っていた
[ 28 ]
。
実際に、日本政府の関心は増大し、アラビア語教育を強化すべしと考
え始め、大阪外国語専門学校におけるアラビア語学科を設立することと
した。そこには 15名の学生が入学したが、1949年には、外国語専門学校
から大阪外国語大学と改められた。当初はアラビア語学科への学生の受
け入れは、2年に一度とされた[ 29 ]。しばらくしてから事態は発展して、
1960年以降、学生の受け入れは毎年に増加された。同年には、東京外国
語大学においてアラビア語学科が創設され、翌61年から授業が始められ
た[ 30 ]。 この学科は順調に進展し、専攻の学生を 4年間教え、その後は同
大学か他の大学において修士課程に進むことができて、専攻の学生数は
延べ 100名を越えることになった[ 31 ]。
また、1959年から拓殖大学がアラビア語の授業を始めたが、当初は夜
間コースだけであった。1962年には、いくつかの改革が行われて、本学
科についても文法、会話、読み方などを強化することとなった[ 32 ]。
その後1961年、もっとアラビア語を本格的に学習したいとの希望が強
まり、それはアラビア語を母国語としているところで学ぶ願望となり、
日本の大学を卒業すると同時に、アラブ諸国へ派遣されるケースが出て
くるようになったのであった。
日本人のアラビア語に対する関心は引き続き高まり、学生数も増え続
けたが、その背景には経済的な事情もあった。それは具体的には、1976
年の石油危機という緊迫した状態に陥ったことであった。大阪外国語大
学のアラビア語学科の学生数は 25名に達し、拓殖大学では 70名に達した。
─ 61 ─
この数は学外の団体や他の大学と協力して作られたコースに入っていた
人たちも含んでいる。日本サウディアラビア協会の実施するコースにも、
100名ほど集まり、東京外大では学生数は 100名を越していた[ 33 ]。
その後も増大する傾向は続き、上記以外の大学や諸組織においてもア
ラビア語教育が選択科目として設けられるようになった。それは中東研
究や比較宗教学や社会学、アフリカ関係学科などであった。1981年には、
大阪外大においてアラビア語学科内にスワヒリ語講座が設けられた。
1982年に同学科には 35名の学生がおり、そのうち 10名がスワヒリ語を選
んだ。次いで 1991年、アラビア語学科学生数は 25名となり、翌92年、大
学側は同学科の改革を志した。その内容は次の通りであった。
( 1 )アフリカ・スワヒリ研究専門講座設置
( 2 )外国語履修の後、国際関係学に移行するための講座設置[ 34 ]
これら以外にも選択科目としてアラビア語を教える大学はあった。そ
れらは研究目的や、新しい言語を学んだりその文化や思想を学ぼうとす
る学生の欲求を満たしたりするためであった。例えば京都大学も早くか
ら関心を示していたし、1962年には東京外国語大学アジア・アフリカ言
語研究所が設立された[ 35 ]。
さらにはイスラミック・センターもアラビア語講座を開いており、そ
れは日本人ムスリムとムスリム以外にも開かれて、初級と上級の 2 段階
に分けられている。そのほかイスラーム関連の講座も開いている[ 36 ]。
このほか、多数のマスジド、礼拝所、センターや大学が日本の諸都市
にあり、アラビア語やイスラーム文化を教えており、さらには檜晶が開
いたアラビア語「塾」のように私的なものもある。そこでは、アラビア語
教育が広められている。
1982年、アラブ イスラーム学院が設立されたことは、日本におけるア
ラビア語教育の歴史が新たな重要な段階に入ったことを意味する。それ
については、また後で詳しく述べることとしたい。いずれにしてもこの
学院は、サウジアラビアが日本に対して実施しているアラビア語・アラ
ブ文化の分野における大きな奉仕事業の象徴となっている。
さらに、同学院は幅広い仕事を手がけてきており、早くにはイスラミッ
─ 62 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
ク・センターのアラビア語教育を支持し、またその後も次のような様々
な事柄を扱ってきている。例えば、ムハンマド・バシール・ビン・アリー・
クルディー前駐日サウジアラビア大使のシリーズものになった挿絵入り
出版物『旅行のためのアラビア語 さー!サウジアラビアに行こう』にお
ける支援や、日本の青年たちに広く歓迎された、リマー鈴木女史の絵入
り『日本語̶アラビア語、アラビア語̶日本語辞書』にはクルディー大使
が序言を書き、その辞書の出版も支援した[ 37 ]。
最後に日本におけるアラビア語教科書を一覧しておきたい。それは日
本における教育事情を如実に物語るであろう。その多くの書籍を見ると、
西洋の出版物に頼っていた昔の段階をはるかに超えてきていることが分
かる[ 38 ]。
3.日本のアラビア語教科書参考書一覧
以下に日本でのアラビア語関係出版諸例を一覧する 。
1. 慶応義塾語学研究所『アラビア語文法』慶応出版社、1932年 。
2. 井筒俊彦『アラビア語入門』慶応出版社、1950年。
3. 田中四郎『アラビア語会話』江南書店、1957年。
4. 内記良一『基礎アラビア語』大学書林、1983年。
5. 内記良一「アラビア語明義論の展開」
『東京外国語大学論集』pp. 75‐
89+163.1965年 。
6. 内記良一『やさしいアラビア語読本』大学書林、1986年。
7. 佐久間偵・川崎寅雄・多田利雄(監修)
『日・英・アラビア語会話と
語彙』南雲堂、1960年。
8.中田吉信「アラビア語の学習について」
『アジア・アフリカ資料通報』
1963年‐64年 。
9. 矢島文夫『アラビア語基礎1500語』大学書林、1966年 。
10.矢島文夫「アラビア語文法ノート」
『アジア・アフリカ語学院紀要』1、
pp. 109-118。同掲書、2.pp. 35-42. 同掲書、3.pp. 119-124。
11.同上「アラビア語の学習における基礎語彙について」
『東洋研究』1、
pp. 43-47、1961年。
─ 63 ─
12.川崎寅雄「アラビア語入門(1)−( 12 )
」
『サウディアラビア』
、1962
年 -65年 。
13.川崎寅雄「アラビア語への招待‐入門書と辞書案内」
『学灯』65:8、
pp. 46-49、1968年 。
14.川崎寅雄『アラビア語入門』みき書房、1974年 。
15.飯森嘉助「アラビア語学習の手引き」
『海外事情』20:10、pp. 43-50、
1972年 。
16.飯森嘉助「ハムザの正字法」
『語学研究』
1、pp. 1-28、1972年 。
17.飯森嘉助「アラビア語基礎単語( 1 )
‐
( 10 )
」
『語学研究』2:11、1973
年 -77年 。
18.飯森嘉助『日・英・アラビア語‐実用アラビア語会話単語集』東京・
ウラオカプリンティング出版部、1974年 。
19.飯森嘉助「古典文法とKanaとその類似動詞に見られる用法上の変遷」
『スカラベ』6、pp. 1-7、1975年 。
20.飯森嘉助、黒柳恒男共著『現代アラビア語入門』大学書林、1999年 。
21.飯森嘉助「アラビア文字の系譜」
『日本サウディアラビア協会報』67、
pp. 2-6、1976年
22.飯森嘉助「アラビア語における双数形‐文語編」
『語学研究』14、pp.
45-58。同15、pp.1-5、1978年 。
23.飯森嘉助 、「アラビア語における双数形(口語編)
」
『語学研究』15、pp.
1-5、1978年。
24.飯森嘉助「アラビア語における翻訳借用について( 1 )
(
- 2)
」
『季刊ア
ラビア語』pp. 72-79、pp. 113-117。
25.飯森嘉助「アラビア語講座」
『アッサラーム』1981-82年、1986-88年、
1989-94年 。
26.飯森嘉助「アラビア語基本単語( 6 )
(
- 14 )
」
『語学研究』42-49、51、
1985年 -87年。
27.飯森嘉助、岡野利雄共著『アラビア語会話‐現代正則アラビア語&
クウェイト・イラク・ガルフ方言』豊文社、1978年。
28.池田修『アラビア語入門』岩波書店、1976年。
─ 64 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
29.池田修「 Sa と Sawfa 」
『季刊アラビア語』
1、pp. 17-22、1980年 。
30.池田修「 Qad の用法」
『季刊アラビア語』2、pp. 19-32、1981年 。
31.サーレフ・アルスレイマン『アラビア語会話とガイド』ジャパン・ア
ラブ・アソシエイテッドマーケッツ(編)豊文社、1979年 。
32.
『実用アラビア語会話集』日本サウジアラビア協会、日本クウェート
協会、1969年 。
33.大西圓「見本市のアラビア語」
『季刊アラビア語』2、pp. 105-112、1981
年。
34.小池百合子『 3日で覚えるアラビア語』学生社、1983年 。
35.中野暁雄・サラーフ・アルアラビー(編)
『アラビア語エジプト方言会
話入門2 』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1982年。
36.中野暁雄・サラーフ・アルアラビー(編)
『アラビア語エジプト方言会
話入門‐ローマ字・アラビア字テキスト』東京外国語大学アジア・
アフリカ言語文化研究所、1982年 。
37.奴田原睦明「エジプトの現代小説に見る方言」
『月刊言語』9:8、pp.
38-43、1980年 。
38.同上「アラビア語に見られる特徴点について」
『学習院大学言語共同
研究所紀要』10、pp. 39-48.1988年 。
39.
『旅行のためのアラビア語 さー!、サウジアラビアへ行こう』リマー
鈴木(図)、2001年 。
40.ムハンマド・ビン・アリー・クルディー『アラビア語̶日本語、日本
語̶アラビア語辞書』リマー鈴木(図)
、2002年 。
41.本田孝一『たのしいアラビア語』東京、たまいらぼ、1982、83、85年。
42.平田伊都子『アラビア語の初歩の初歩』南雲堂、1979年 。
43.平田伊都子「アラビア語のすすめ( 1 )
(
- 6)
『月刊言語』、1986-87年 。
」
本雑誌は矢島文夫教授の指導の下に出され、序言には次のように書
かれている 。「日本におけるアラビア語への関心の増大を踏まえて、
本月刊誌の刊行を企画した 。 これを機会に『日本アラビア語学会』の
[ 39 ]
創設へ向かうことを希望したい」
。日本オリエント学会や中東研
究所などの創設もこのような流れの中で実現したものである 。
─ 65 ─
44.平田伊都子『バグダードの泥棒物語』東京、1986年 。
45.平田伊都子『アラブ詩の天才達』東京、1987年 。
46.平田伊都子『聖コーラン』東京、1978年 。
47.平田伊都子『言葉のジハード』東京、1987年 。
48.平田伊都子『開けゴマ』東京、1987年 。
49.平田伊都子(訳)、サミール・アブド・アルハミード(著)
『アラビア
語のきまり文句』南雲堂、1986年 。
50.師岡カリーマ・エルサムニー、本田孝一共著『アラビア文字を書い
てみよう読んでみよう‐アラビア文字への招待』白水社、1999年 。
51.四戸潤弥『現代アラビア語入門講座(上・下)
』東洋書店 、1996年 。
52.アラブ イスラーム学院「東京シリーズ」は学院使用の教科書であり、
未だ引き続き出版作業中である。読み書き、聞いて話す、の四方面
を網羅し、また教師用のテキスト、画面付き録音も準備されている。
第1巻では、挨拶、自己紹介や旅行に必要な事柄も取り入れられてい
る。それ以降の巻では、さらに文化的な脈絡を前面に出すことで、
言葉とその背景を理解するように配慮されている。
53.田村秀治『詳解アラビア語・日本語辞典』中東調査会、1980年 。
54.中東カウンセリングサービス(編)
『科学技術基本用語集 日本語‐
英語‐アラビア語』凡人社、1993年 。
55.本田孝一、石黒忠昭(編)
『パスポート初級アラビア語辞典』白水社、
1997年 。
Ⅲ.アラブ イスラーム学院について
1.発展と目的
当学院は、ヒジュラ暦1398年5月17日の国王認可11751・ m ・5号によっ
て裁可され 、 ヒジュラ暦1402年2月25日、西暦1982年12月10日に開校され
た。それは学生達にアラビア語とその文化や諸学を教えるためであった。
それは友好的な日本人に対するサウジアラビアの贈り物で、中でも日本
─ 66 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
人ムスリムへ向けられたものである。相互理解と直接的な方法による文
明対話の橋渡しとなって、それらの強化と確かな知識を広めようとする
ものである。元々人間は 1 つの基礎にたち、また性向や知的な目的も同
一であるからである。クルアーンにアッラーは、
「人々よ、われはあなた
方を男女、そして様々な部族や民族に分けて創ったのは、互いに知り合
うようになるためである。アッラーの御前で最も誉れ高いのは、アッラー
を最も畏れる人である」と言われる。
運営的・学術的に、同学院の監督責任はイマーム大学に委ねられるこ
ととなった。同大学は高い学術水準で知られる古い国立大学であり、国
内だけではなく、アジア・アフリカ 、 そしてアメリカと海外にも広くそ
の支部を持っている。ヒジュラ暦1398年8月17日付の内閣決定第1100号に
基づく勅令50m号により、サウジアラビア政府は大学を高等教育機関と
してその様な組織をもつことに同意したのであった。
ここに学院が実現すべき崇高な諸目的を掲げておきたい。
・日本とサウジアラビア王国ならびにアラブ・イスラーム諸国間の文化
交流、相互理解を図り、友好関係の強化に尽力する。
・アラブ・イスラーム文化に興味を抱く人たちに、アラビア語授業を提
供する。
・イスラームの紹介ならびにアラブ・イスラーム文化に関する情報を提
供する。
・アラビア語とイスラームに関する研究および学術著作を日本語に翻訳
する。また日本におけるイスラーム研究の成果をアラビア語に翻訳す
る。
学院は幾つもの段階を経て発展したが、簡略に説明する。
渋谷校舎( 1982−86年)
1982年に開校した時には、渋谷区にイマーム大学は校舎を借りざるを
えなかった。東京の中央にあり優れた地の利があった。それが事始で、
1986年末までその校舎は使命を果たすことになった。
麻布旧校舎( 1987−96年)
─ 67 ─
1987年、学院はサウジアラビア大使館の旧館に移転した。サウジアラ
ビア政府の限りなき支援を得つつ実現し、それは高級で便利な地区の麻
布にあった。それによって学院は安定し確立されたので、これは歴史的
で質的な移転であったと言える。
改築( 1996−99年)
ファハド前国王は 2700万リヤールを当てて、大使館旧館の撤去と学院
の新校舎建設に同意した。敷地面積は 1,398㎡で、素晴らしいセンスの良
いデザインで登場した。
麻布新校舎( 2000年)
イマーム大学とアラブ イスラーム学院が受けるありがたい支援と、サ
ウジアラビア政府の熱意によって、ヒジュラ暦1421年6月6日付の勅令m
710・9号が発出された。それによって、初年度(ヒジュラ暦1420−21年)
事業費として、130万5,600米ドルが充当された。
ランゲージラボ、事務・教育器具など最高級のものが備わった。アブドッ
ラー国王とスルターン皇太子のこの気前の良い支援によって、学院は今
日までのところその知的・文化的・文明的な使命を果たし、両友好国の
協力継続を支えてきているのである。
その後の発展
1982年、発足当時の学院では、いくつかのアラビア語講座やアラブ・
イスラームの文化や文明紹介、説明のための講演会を行っていた。日本
人学生らには好評を博していたが、語学については夜の部しかなかった。
後に学生数が増えてきて、やがて昼の講座、さらには土曜日と日曜日の
講座も設けられた。また、教材としては、「生活のためのアラビア語」と
いったタイトルで 1983年に印刷されたものがあった。それはアラビア語
の専門家達が編纂したもので、マハムード・スィーニーやナーシフ・ム
スタファー・アブドゥルアジーズ、さらにはムヒー・アッディーン・サー
リフといった人たちの名があげられる[ 41 ]。また、サミール・アブドゥル
ハミード・イブラーヒーム博士などは、
『アラビア語会話表現』というア
ラビア語会話の本を著して、それで当初は学院で教えていた。平田伊都
子もその編集に加わり、また教授にも当った。この教科書は 1988年まで
─ 68 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
の初期段階の教科課程のまとめでもあった[ 41 ]。
当時の特筆されることは、学院で教えていた檜晶らが、その好評ぶり
に押されてアラビア語「塾」といった名前で私塾などまで始めたことで
あった[42]。また、前述の平田女史は1982年−86年の間、学院の学生であり、
1989年には『アラビア語夜話』を著し 、 歴史上のアラブ・イスラーム文明
の諸側面を描き写真、絵画、アラブ書道も盛り込み、さらにアラブ詩や
クルアーンの引用とそれらの日本語の解説などで、過去と現在を結びつ
けた[ 43 ] 。
このように学院は、順調な発展振りを示し、特に渋谷から麻布の校舎
に移転してからの発展は顕著であった。新校舎は最新の設計で、学院が
知的機関として機能するのに必要な施設と教育設備を備えていた。これ
は実に新しい出発であったと言え、それにより外国人にアラビア語を教
える権威ある組織としての地歩を固めたと言える。もちろんその背景と
して、サウジアラビア政府は改築工事のために 2,700万リヤールを投じた
ということがあったし、その政府の指揮の下、サウジ財務省は現在もしっ
かりとした予算を配賦している。
学院の運営部門もアラブ・イスラームと日本の橋渡しをするという学
院の目的達成のために、十分の備えを持って業務に従事している。また、
学院長は現在、教授・博士号を保持する者で、そのことも学院に対する
大学の関心と評価の表れであるといえる。さらに、教師の陣容も十分に
備わっている。
学院内には学院長と各部長による運営委員会があり、学院の教育面、
運営面、技術面、学生関係などについて議論、検討し、所要の意見や提
案は本部のイマーム大学海外分校部に伝えている[ 44 ]。
2.第2語学としてのアラビア語教育
人間社会の平和と協力、そして文化と文明の基である相互理解に大き
な影響があり、諸民族と諸国家間の接触を実現するのが言葉の責務であ
る。また、それは知識と学問の最大の手段でもある。ここに、言語教育
とその問題点検討の重要性がある。同時にそれはその教育方法の探求で
もある。
─ 69 ─
( 1 )問題点
もちろん外国語を学ぶというのは容易なことではないが、困難な面そ
れぞれに対して固有な格別の努力が求められる。というのは、その困難
さは言語によりまた学習者によって異なるからである。したがって、そ
の解決方法も、異なってくる可能性がある[ 45 ]。その幾つかの諸例を見て
みよう。
・音声上の違いから来る問題
・文字の違いと様々な書法のあること
・文章構造の違いと慣用的なパターンのあり方
( 2 )学習の環境
・学習者の年齢。幼いときは成人より長時間を必要とする。
・学習者が該当言語の使用国以外に居住している場合は、努力と時
間がより必要となる。
( 3 )教授法
必ずしも有効でない方法が語学教育において取られていることがある。
不備を指摘されることが多い方法もあるし、アラビア語を含む第2語学に
当てはまる場合もある。
様々な方法があることについてマッケイの挙げた具体例を見てみよう
[ 46 ]
。
①直接的方法 ②自然的方法 ③心理的方法 ④音声的方法 ⑤読み方
⑥翻訳法 ⑦翻訳と読み方 ⑧翻訳と文法 ⑨混合法 ⑩単位法
⑪意味把握 ⑫模倣と暗記法 ⑬繰り返しと文法 ⑭類義語から入る方法 ⑮同義語法
ここではそれぞれについて詳論はできないが、教育上あまり効果的で
はないというものもある。また、その活用が障害になることさえもある。
しかし、ここで重要なことは、これらの困難性の認識であり、また教
育上に影響のある諸点を知るということである。そこで言語教育関係者
は研究や現場の経験を経て色々の助言や意見を出してきた。
外国人に言語を教えるには種々の要因が絡むことになるが、それらは
相互補完的かもしれないし、その成功のためには色々の技術的な事柄も
─ 70 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
必要となるかも知れない。そこで必要条件とされるのは、以下のような
要素である。
ア.教師の水準と熟練度、その必要性を満たすこと。
イ.教育・情報技術の更新。
ウ.教科課程のあり方 。
( 4 )最善の方法
言語教育には 4 つの学問が必要となるであろう。言語学、社会言語学、
心理言語学、そして教育学である。そして色々の側面にわたる語学的な
熟練度をバランス良く高める必要もある。また、学習者らにはそのこと
についてよく考え、その言語をうまく使えるようにさせる必要もある。
採用された手法によって、学習者がその言葉を好んだりあるいは嫌っ
たりする場合もある。それが容易にもするし、あるいは難しくもするの
である。また、その言葉に関する知識、あるいはそれを取り巻く理論、
意見や情報と、その言葉を学ぶこと自体とは峻別する必要もある。
そして、学習者の環境に適した言葉のテキストを選ぶ必要があるし、
その知的内容に沿った言葉によるテキストでもなければならない。つま
り、生活実態に即したものであるということであり、以下にその諸側面
を列記する。
ア.言語も知識、文化の一側面であるから、文化的に適合していること。
イ.教育上の目的に沿った手段が使用されていること 。
ウ.生きた言葉の習得、つまり学習中は他の言葉を使わないこと、また
学習者の生活、文化と関心に沿った生きたサンプルを使うこと 。
エ.言語学の成果を取り入れること。また、応用言語学の成果も用いる
こと 。 そして最新の経験や見解、そして研究成果を取り入れること。
オ.新しい教育・情報技術を取り入れ、ラボやインターネットなどを活用
すること 。
3.アラブ イスラーム学院の教育経験
─ 71 ─
語学教育の観点から、当学院の諸特徴について特に技術的な側面につ
いてまず説明したい。それを纏めると以下の 3点になるが、何れも重要
であると考える 。
・アラビア語の本当の発音に依存していること。これはアラビア語を母
国語としている教師たちが揃っていることによるが、結局、言葉を学
ぶとはその音声を身につけるということであるので、この特徴は極め
て重要であると言える。
・同様に大切なのは、アラビア語の中でも正則アラビア語に従っている
ということである 。 それは必ずしも全てが古典アラビア語というわけ
ではないが、文法に従った正則である 。
・自分の席から直接に学習の技術的設備を使用できるということ 。 視聴覚
室やスマートボード、インターネットを完備している。さらに、これ
らは授業の時間以外の、日中や夜でも学生は使用できる。また、学院
に通学できない人たちには、遠隔教育もできる。
( 1 )学院のプログラム
種々のプログラムが準備されている 。
ア.昼間コース ̶ これは 1年を 2学期に分けて、2年間で 4 つのレ
ベルを修了する。1学期は、15週間で構成され、毎週20時間を当
てる 。
イ.夜間コース ̶ 仕事があり昼間コースに出られない人たちは、
この夜のコースに出ることになる。1年半の間に、3 レベルをマ
スターする。半年間の毎学期は 15週間で、毎週6時間を 3日間に
割当てる。
ウ.集中コース ̶ 学期の間に 2 つの集中コースが設けられる。
それぞれ 1週間毎であり、卒業生も卒業後のブラッシュアップ
に活用できる。
エ.アラビア語オリンピック(作文、スピーチ、書道、タイピング)
̶ 年1回実施している。
オ.教師の研修コース
─ 72 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
( 2 )学院の教科課程「東京シリーズ」
ア.成り立ち
イマーム大学のアラビア語教育に関する姿勢を反映し、学院の教育課
程も研究結果を踏まえた方法をとっている。それはアラビア語を母国語
としない人たちへの、最新の教授方法を取り入れた開拓的な試みである。
なお、イマーム大学でも、外国人に対するアラビア語教育を実施しており、
そこでの経験も十分踏まえることとしている。
学院が依拠する方法を「教科課程」と呼んでいる。それは「日本・イス
ラーム(サウジアラビア)対話シンポジウム」において、学院は最新の技
術を取り入れた教授法を探求すべしとの提言が行われたことにも基づい
ている[ 47 ]。また、リヤードのイマーム大学にある外国人のためのアラビ
ア語学院での教科書も基礎になっている[ 48 ]。そこでこの「教科課程」の
具体的な教科書作りに没頭してきており、それは「東京シリーズ」と名称
づけられた。それはレベル 1 とレベル 2 については完成されている。学問
的基礎と教育目的によりつつ執筆されている。
イ.東京シリーズの諸目的
以下のような色々の側面の実現を目標としている。
・言語的側面 − 聞く、話す、読む、書く、という 4側面に加えて、音
声、単語、文章構成などがある。そしてこれら全てをバランスよく、か
つ全段階で習得することが大切だと研究結果は示している[ 49 ]。これらの
結果を学院は踏まえつつ準備されてきており、さらには教師用の研修参
考書の検討も進められている[ 50 ]。
・意思疎通の側面 (学習した内容で意思疎通を試みる)
・文化的側面 (学んだ言語の文化も吸収する)
ウ.その対象者
学院の学生が一義的な対象者であるが、人名や地名を工夫すれば十分
に他国における学習者にも活用しうると思われる。
エ.時間配分の仕方
合計300時間で学習するが、それは上に見たように、毎週20時間、15週
─ 73 ─
間を想定している 。 それは 4 ヶ月を 1学期として、年2学期制である 。
オ.その文化的内容
アラブやイスラームを知る機会にもなるので、挨拶や慣用表現の多く
はその文化を反映した形で教えられる。レベル 4 では更に歴史上の人名
やアラブ・イスラームの地理も顔を出す。同時に学習者が必要とするよ
うな事柄、例えば氏名、国籍、職業、住所、家族、家のことなど互いに
自己紹介をする場面や、郵便局、銀行、空港などの場面、学生が海外、
特にアラブ・イスラーム諸国へ行って出くわす場面なども考慮されてい
る[ 51 ]。
カ.その教科内容
次の様に構成されている 。
̶ レベル 1.会話とヒアリング、書き方、読み方と文法(レベル 1 は読
むうちに文法事項が身につくようにできている)
̶ レベル 2.会話とヒアリング、書き方、読み方、文法
̶ レベル 3.会話とヒアリング、書き方、読み方、文法
̶ レベル 4.会話とヒアリング、書き方、読み方、文法
キ.教授手段
̶ 録音
̶ CDに言葉の訓練と遊び、また自分で試験をして能力を確かめるプ
ログラムを収録
̶ CD辞書、これには音声と画像が入っている
̶ ビデオ
̶ 写真と掲示用カード
̶ 学生用のインターネットサイトについては、後述する 。
̶ ランゲージ・ラボと学院内のネット
この東京シリーズの活用に当たっては、最新の手法で学習者自身に作
業をさせるという方法が取られている。教師は一例を示すだけで、学生
がそれ以外のシチュエーションに応用するのである。そこにおいて教師
は指導、修正、学生間の討論の方向付けをするだけであり、教室はあた
かもワークショップのようになる。こうすればより優っている部分を互
─ 74 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
いに学びあう結果も期待できるのである。
( 3 )学院のホームページについて
言語教育の技術進歩を反映して、インターネットは学習者と教師、そ
れから教材の間の距離をないものにしてくれた。それにより学院に足を
運べない人たちも学習できる。また、他のレベルに比べて最初のレベル
に多数の学生が固まりがちな傾向も解消してくれることになった。ある
いは学院から退学してしまうケースも防げることになる。こういった諸
事情全ては、このサイト運営を支えるものであった。こうして学生達は
学院と一層結ばれ、さらには日本社会をアラビア語と結びつけることも
期待されうるのである。将来的には日本全国のアラビア語学習希望者に
対応するのが夢である。
アラビア語カフェは一般に公開しているサイトであり、様々な話題に
ついてアラビア語会話を容易にできるように工夫されている。アラビア
語に対応する日本語の翻訳文、それから単語や派生語の説明もある。こ
の「アラビア語カフェ」は、発音、会話、書き方などを含んで、日本では
五つの指に入るとされる優れものとなった。この他日本語に入ったアラ
ビア語起源の単語集や、その他の学習方法なども示されている。
一方、学院生向け(イントラネット)サイトは、第一段階が終了し、レ
ベル 1 の音声、アニメ、練習の課目が収録された。それは約300 ページに
上っている。アニメだけでも、会話に 400画面、読み方に 350画面、練習
に 250画面用意されている。テーマに応じた単語に関する質問・答え集に
は、JAVA スクリプトや HTML( Hyper Text Mark up Language )が用
いられている。
4.活動、知的作業、文化的・協力的関係
学院は日本社会との連携にも力を入れるべしとの当初からの考えに基
づいて、種々の活動を展開してきている。
─ 75 ─
( 1 )研究・翻訳・出版
学院の諸目的に沿った形での、研究、翻訳、出版事業を展開しており、
多くのものはアラビア語・日本語の双方で発表されている。また、学院で
の会議やシンポジウムでは、同時通訳もこの部門で行っている。これら
によって、双方文化の接近、真実と正しい情報の伝達、客観的な取り組
みが可能になるように図られている。
( 2 )図書館と情報センター
アラブ・イスラーム関係、特に学院の関係する言語、文学、イスラー
ム諸学、歴史などの専門書や古典を所蔵する図書館を運営して、多数の
研究者や学生の利用に供している。また、情報センターではインターネッ
トによる各種情報入手を図っている。図書館には、良い環境の閲覧室も
ある。
( 3 )シンポジウム
種々のシンポジウム、知的会議、文化的講義の機会を学院に設けてき
ている。それらの諸例としては、2001年5月8日∼9日、「日本とアラブの
文化関係シンポジウム」
、2004年5月28∼30日には「日本とイスラーム・サ
ウジアラビアの文化対話シンポジウム」、さらに「石油・サウジ経済セミ
ナー」、会議「日本のイスラーム・現状と希望」、それからサウジアラビ
アの学術会議メンバーと日本側の衛星通信会議などがある。また、講演
会は次のようなものがある。
・ 2004年11月8日、静岡市文化センター講演会
・ 2005年3月13日、愛知万博サウジアラビア館での講演会
・ 2005年6月8日、愛知県豊根村講演会。なお、同村は万博を機にサウジ
アラビアをフレンドシップ対象国とし、交流を促進している。
( 4 )図書・著述の支援
研究・翻訳・出版部や図書・情報センター部が研究者や文化人を支援し
ていると同様に、世界に広がるインターネット活用によっても、学院は
─ 76 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
アラビア語普及やイスラーム文化紹介に努めている。2004年に出された
『コーランの世界』
(河出書房新社)や 2005年のイスラーム紹介の出版物
(ポプラ社)
、2005年、学院の学生である中山達郎が出した野口英雄に関
する本には、学院の名前を言及してその支援振りは触れられている。
2004年のアラビア語教育関係の出版物(中経社)では、学院のサイトを推
奨している。
( 5 )ホームページの運営
インターネット活用は、国内では遠隔地で、さらには海外にいる人た
ちにも学習の機会を提供する。学院がそれを縦横に使いたいと考えた理
由である。しかも、それは個々人や大学、あるいは報道関係など諸組織
を対象にできる。
サイトにはアラビア語、英語もあるが、以下は日本語を中心に述べる。
また、
「アラビア語カフェ」というサイトはアラビア語教育用であり、既
に前の節で取り上げた 。
ホームページのアドレスは、http://www.aii.org であり、以下に主な
サイトを紹介する。
ア.「アラブ・マガジン」̶社会、歴史、文学など様々な方面のテーマが
扱われる。
イ.「イスラーム広場」̶イスラーム関係の情報を提供している。
ウ.「サウジアラビア館」̶サウジアラビアの歴史、建設、対日関係などで、
サウード国王の生涯、前に触れた両国の成績優秀者による衛星通信
会議など。
エ.「サウジアラビア紀行」̶学院の活動紹介や、2002年と 2003年初頭に
サウジを訪問した人達を学院が接遇して、彼らによって「日本人の
目を通したサウジアラビア」が掲載されている。
オ.「アラビア村」̶日本の小中学生向けにサウジアラビア、アラブ、イ
スラームについて、言葉や文化面での情報を提供している。適切な
写真や絵なども用いている。
以上のほか、携帯電話利用のサイトもあり、日本の携帯システムはア
─ 77 ─
ラビア文字を扱わないので、現在は日本語と英語だけで運営されている。
内容は聖クルアーンの教え、アザーンの仕方や礼拝時刻のお知らせなど
である。
( 6 )学術的な関係
学術的な方面との橋渡しも学院は望んでおり、それは公的私的を問わ
ない。また様々な協力関係も構築してきている。
( 7 )渉外関係と社会奉仕
ア.外務省との協力 ̶ 例としては 2004年11月29日、クウェート
副首相と日本の経済産業大臣間の、日本・クウェート・ビジネ
スマン委員会会合の通訳を手伝った。
イ.環境省との協力 ̶ 2004年9月、日本・アラブ環境大臣会議の
最終報告文作成を手伝った。
ウ.冬季スペシャルオリンピックスへの協力 ̶ 長野県冬季スペ
シャルオリンピックスに際しては、アラブ諸国参加チームの通
訳と調整作業のボランティアとして 26名の学院生が協力し、そ
の取りまとめは学院の斎藤智子に委ねられた。また、参加チー
ムのためにアラビア語・日本語・英語の単語帳も作成した。そ
の後、組織委員会から学院は感謝状を受け取った。
エ.学校訪問 ̶ 特に小学校訪問を重ねてきており、当日は 1日
アラブ文化の日などを実施する。東京都内他、2005年6月8日、
豊根村小学校を訪れ、サウジアラビアやアラブ文化の紹介をし
た。
オ.報道関係 ̶ 報道界との関係にも重点をおき、それはインター
ネットを通じるものと直接のものがある。NHKではテレビと
ラジオを通じるアラビア語教育番組があり、2005年、それへの
協力は音声資料、画像資料のほか人材面でも協力してきた。
カ.アラブ・ムスリム社会への奉仕
̶ 精神的・文化的奉仕(礼拝、金曜日や二大祭の説教、聖クルアー
─ 78 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
ンの配布など)。
̶ 子弟の教育(サウジアラビア同様の教科課程でイスラーム関係、
アラビア語を教育し、文化的・イスラーム的な伝統を保つ)。
̶ サウジアラビア人が互いに知り合う機会を提供(日本在住の研
究者などサウジアラビア人が互いに知り合い情報交換の場とし
て、1月に 1回、土曜日に集まる機会を提供する)。
5.最後に−コメントと提言
( 1 )一般的コメント
ア.アラビア語教育の発展とその拡大は、日本社会に資するところ
大で、さらにはその文化生活に活力を与える。また、経済を支え、
日本とアラブ・イスラーム世界の前向きな協力の大きな扉とな
る。
イ.両世界の基本は善意に満ちており、紛争や後ろ向きな関係には
汚されていないということが特筆される。これは共通の地盤と
して重要であり、文化的な対話や互いの文化・文明についての
知識を深めるのにも好条件となる。研究やアカデミックな協力、
相互訪問や経験の共有、日本語アラビア語教育の相互補助など、
多くの仕事が達成可能になる。それらはまた、誤った情報や西
洋人の東洋学者による非中立的で否定的な考え方を脱却するこ
とにも繋がる。そして、日本人の考えが自由で客観的な基礎に
裏付けられることにも繋がるのである。
( 2 )提言と勧告
ア.1980年、前嶋信次監修『アラビア語』が出版されたが、1992年、
その新版が出され、そこで矢島文夫教授が序言を記した。その
中で彼は、
「日本アラビア語協会」の設立を訴えた。そこでこの
機会に、特にアラビア語教育の実績があげられてきたことを踏
まえて、また未だ実現されていない実情も踏まえ、改めて「日
本アラビア語協会」の設立を提案する。
─ 79 ─
イ.言語教育は応用学であり、他の諸学と関係が多い。また、アラ
ビア語教育の整備の重要性、アラビア語教科書や教授方法の議
論の重要性に鑑みて、いずれかの大学かあるいはこの学院が推
進する形で、アラビア語教育の体験や教授法のあり方について
議論するため、会議、あるいはセミナーを開催することを提唱
する。これは大学、学院、センター、公立・私立を問わず諸学
校の何れをも対象として良い。また、その様な会議やセミナー
の共同開催についても、各関係方面が関心を持つことを勧奨し
たい。
ウ.いずれかのアラビア語関係機関がアラビア語・日本語双方で互い
の文明の出会いに関しての文書集を作成し、それを政界、経済界、
学界、報道陣、文化人、図書館関係者などに配布することを提
案したい。
エ.学院の卒業生を結ぶ組織を作り、アラビア語の知識の継続とそ
の強化のための相互協力を図る。
オ.アラブ イスラーム学院や日本の学術機関の優秀なアラビア語学
習者で学院の推薦する学生には、サウジアラビアの大学で学べ
るように、奨学金や留学生受け入れを準備する。
カ.アラビア語と日本語の双方で、関係機関の協力と共同を得つつ、
文化関係情報の交換のために、図書の著述や翻訳を出版するこ
と。
キ.日本語のアラブ・イスラーム関係著述や翻訳に当たっては、現
代日本語を使用することを勧奨するように意を用いる。さらに
は古い言葉で出されているものについては、それを見直す。
ク.学院から二つの出版物を出すことを提唱する。1 つは学院の「定
期報告」で、これは半年に 1回とし、学生達もその編集に参画す
る。今一つは、
「学術雑誌」で、アラビア語・アラブ文学の研究
発表をする場として、多数の研究者、専門家の参加が望まれる。
─ 80 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
注釈
─ 81 ─
─ 82 ─
24年間にわたるアラブ イスラーム学院のアラビア語教育
著者略歴
アルジール・ムハンマド・ハサン
ALZEER Mohammad Hassan
イマーム・ムハンマド・イブン・サウード・イスラーム大学
教授。1972年同大学にてアラビア語学士号取得後、カイロ
大学文学部大学院で学び、博士号取得。1983年よりイマー
ム大学にて教鞭をとり、大学図書館長、アラビア語学部長な
どを務めた。1998年在エジプト・サウジ大使館文化アタッ
シェに任官。2005年よりアラブ イスラーム学院長、現在に
至る。近著に「アジア移民におけるハドラマウト文学入門」
ハドラマウト大学雑誌(第9号)、2006年など。
─ 83 ─
邦人企業が要求するアラビア語スキル
Japanese Companies’Requirements of
Arabic Language Skills (Report)
鈴木 健
SUZUKI Ken
─ 85 ─
1. 調査の背景と目的
1.1 調査の背景 近年、多くの邦人企業がサウジアラビアやアラブ首長国連邦(以下U
AE)をはじめとするアラブ諸国[ 1 ]に現地事務所を設けている。
2005年の貿易統計によれば、サウジアラビアと日本の両国間の貿易総
額は約3兆5,000億円[ 2 ]にのぼる。進出する邦人企業も 50社を超える。そ
してサウジアラビアは日本への原油供給国の第1位であり、その割合は
年間原油輸入量の 26.5%に達している。サウジアラビアにとっても日本
は第2位の貿易相手国であり、自動車や電化製品などだけで 4,000億円近
い取引がある。2006年4月に発表された共同声明「日本・サウジアラビ
ア王国間の戦略的・重層的パートナーシップ構築に向けて」からも今後、
あらゆる分野でこれらの国々と関係が拡大かつ深化していくことは明白
である。
UAEにおいても、日本と 3兆3,000億円を超える貿易取引を行ってい
る。UAEはサウジアラビアに次ぐ第2 の原油供給国でその割合は約
24%である。1985年から 2000年までは実に 16年間にわたり日本への原油
供給の第1位であった。進出している日本企業は 2005年の段階で 150社
以上に上り、また、在住する邦人数も 1,600人を超えている。
GCC(湾岸協力会議)加盟諸国全体[ 3 ]では、日本は年間10兆円の貿
易取引を行っており、これは日本の総取引額の 8%に相当する[ 4 ]。しか
しながら原油取引に関して見るならば、日本は総原油輸入額の実に 75%
以上をGCC諸国に依存している。また、本年度よりGCC諸国とのF
[5]
交渉を開始し、更なる関係強化に努めている。
TA(自由貿易協定)
1.2 調査の目的
このような背景から、日本においてアラブ諸国とのビジネス推進に資
する人材の需要が拡大することが想定される。本調査では、アラビア語
のスキルを中心に、この分野において邦人企業が求める人材像・スキル
をつかむことを目的とした。アラビア語教育機関ならびに企業がニーズ
─ 86 ─
邦人企業が求めるアラビア語スキル
に合致した人材育成を行う上での一助となれば幸いである。また、アラ
ビア語学習者にとって自己研鑽の指標となることを希求する。
1.3 調査の方法と期間 本調査では、まず語学に対する邦人企業の取り組みの一般的現状につ
いて調べた。次に、アラブ諸国との関係が深い 46 の邦人企業に調査票を
配布し、邦人企業が求める語学スキルについてアラビア語を中心として
調査した。回答は半数にあたる 21社から得られた。サンプル数が少ない
ことは否めないが、初めての試みであるということを考慮して読んでい
ただきたい。なお、調査期間は 2006年2月から同年5月までである。
2. 語学力に対する邦人企業の取り組み
2.1日本の語学教育の現状
言うまでもなく、日本において最も重要視されている語学は英語であ
る。第2次世界大戦後、ほぼすべての公立・私立の学校が中学校1年生か
ら英語教育を行ってきた。だが、実際に企業が求める語学スキルに到達
するには、不十分だと考える人々は多い。そこで、民間の語学教育施設
などに通って就職や、留学などの個々の目標に備えたりする。
国の政策を概観すると、文部科学省が国際社会に生きる人材育成のた
めに、「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」を 2003年に策
定しており、来年度までにその育成体制確立を目指している。英語以外
の外国語学習についても推進の必要性は明言しており、「高等学校におけ
る外国語教育多様化推進地域事業」において、現在は中国語推進地域と
して神奈川県、大阪府、和歌山県、長崎県の4府県、韓国・朝鮮語推進
地域として大阪府、鹿児島県の2府県を指定している[ 6 ]。しかしながら、
優先度は英語がはるかに高いことは明らかである。英語とその他外国語
の優先度の違いは、総務省統計局が2006年3月に発表した統計[7]において、
英語の学習者が英語以外のすべての外国語学習者の合計の 3倍以上であ
─ 87 ─
ることにも投影されていると考えられる。
日本においては、公共放送であるNHK[ 8 ]においてラジオとテレビで
「 ビジネス英会話 」 を含む、12種類もの英語の放送教育を行っている。英
語以外の語学に関して言えば、2006年度は、「アラビア語会話」を含む、
8 カ国語のプログラムが放送されている。アラビア語に関しては日常会
話に焦点をあてた内容となっている[ 9 ]。
他の言語に関しては、中国の急激な経済成長に伴い、中国語の学習人
口が、民間の語学教育機関や大学などの教育機関を含め、100万人を超過
している[ 10 ]。また、近年の韓流ブームの影響で、韓国語を学ぶ人々が増
加し、学習人口はおよそ 400万人と報告されている[ 11 ]。
2.2 語学力に対する企業の判断方法
邦人企業が、社員の語学力判断の参考とするものとしては、財団法人
国際ビジネスコミュニケーション協会[ 12 ]が日本で実施・運営している
TOEIC®( Test of English for International Communication )が最も一般
的であり、事実上、現在の日本企業の英語標準規格となっている。この
ため年間149万9,000人[ 13 ]が受験し、受験者数は 12年連続で過去最高を記
録した。今後も経済・社会のグローバル化を背景として、英語力の必要
性は益々高まるものと考えられる。それに伴い、2006年度は TOEIC テス
ト 151万人、TOEIC Bridge[ 14 ]は、12万4,000人の受験者数が見込まれて
いる 。 日本だけではなく、TOEIC は世界60 カ国で実施され、約450万人
が受験している。
TOEIC と並んで日本の企業が英語能力の判断基準としている英語検定
[ 15 ]
試験には、財団法人日本英語検定協会が行う、通称「英検」
が挙げら
れる。TOEIC では合否でなく 10点から 990点までの取得点数によって能
力が識別されるが、英検は級ごとに異なる試験が設定されており、どの
級に合格したかによって英語力が判別される[ 16 ]。
例えば、企業では入社時の採用基準として「TOEIC700点、
英検2級以上」
といった形で最低基準を設ける場合が多い。TOEIC が発表する語学力基
準(図1 )によれば 700点は、「 日常生活のニーズを充足し、限定された範
─ 88 ─
邦人企業が求めるアラビア語スキル
囲内では、業務上のコミュニケーションができるレベル 」 とされている
[ 17 ]
。
アラビア語に関して言えば、上記のような検定試験などは 2006年現在、
存在していない。
図1 TOEIC スコアとコミュニケーションレベルとの相関表
出典:TOEIC Official Website http://www.toeic.or.jp/toeic/data/data05.html
2.3 企業が求める語学力のレベル
企業が求める語学力のレベルについて、ビジネスコミュニケーション
において現在最も重要視されている英語を例にとって検証した。
前出の国際ビジネスコミュニケーション協会が 2005年1月に行った調
─ 89 ─
査によれば、回答した企業506社における TOEIC スコアに関する期待値
と実際値は図2 のようなものであった。海外部門の社員には平均でも 666
点、最も高い企業では 800点をとることが期待されている。これは、
「ど
んな状況でも適切なコミュニケーションができる素地を備えている」と
いうレベルの語学力を意味している[ 18 ]。 1 年社員
海外部門
営業部門
技術部門
点
840
800
800
750
750
665
640
750
690
650
650
650
600
500
450
400
590
600
477
479
550
436
495
400
295
295
295
200
期待値
実際値
期待値
実際値
期待値
実際値
期待値
実際値
図2 TOEIC スコア期待値と実際値
出典:「第13回 TOEIC テスト活用実態報告」
( 2005年7月)
資料提供:(財)国際ビジネスコミュニケーション協会
同調査によれば、「 TOEIC スコアを社員採用時に考慮するか」という
問いに対して、
「考慮する」と回答した企業は半数以上を占め、
「考慮し
ていない。しかし将来は考慮したい」と回答した企業をあわせるとその
割合は約4分の 3 に上る。また、
「 TOEIC スコアを昇進・昇格の要件にし
ているか」という設問に対しては、
「要件としている」と回答した企業は
約2割にとどまったが、「要件としていない。しかし将来は要件としたい」
と回答した企業をあわせると半数近くに達した。
─ 90 ─
邦人企業が求めるアラビア語スキル
無回答
36社
(7.1%)
要件としていない
今後ともその予定はない
219社
(43.3%)
要件としている
95社
(18.8%)
要件としていない
しかし将来は要件としたい
156社
(30.8%)
図3 TOEIC スコアを昇進・昇格の要件にしているか
出典:「第13回 TOEIC テスト活用実態報告」
( 2005年7月)
資料提供:(財)国際ビジネスコミュニケーション協会
中国語に関する動きとしては、近年、中国側と日本側双方の学習者、
教員、そしてビジネス界の人々からの強い要望をうけ、中国と日本の合
[ 19 ]
同試験(国際試験)として「中日通検」
が誕生したのは注目に値する。
先行モデルとしては英語・日本語間の通訳能力を証明する検定試験とし
て 1973年から 33年間にわたり行われてきた通訳技能検定試験(略称「通
検」)がある。
「中日通検」は、日中間のより良いビジネスと交流の進展の
ために、コミュニケーションとしての語学能力や異文化理解度を検定す
るものである。「 中日通検 」 は、「 プロの会議通訳者(通訳士)」 を認定す
る 「 専門通訳者認定試験( CILE )
」 とビジネスや市民交流に役立つコミュ
ニケーション能力を検定する「ビジネスコミュニケーション試験(BCT)」
と2つに大別されている。BCTは、初級レベルの一般的コミュニケーショ
ン能力を計る「 2級認定試験」とビジネス分野のコミュニケーション能力
を計る中級レベルの「 1級認定試験」にさらに分かれている[ 20 ]。
2.4 語学力向上に対する企業の取り組み
次に社員の語学力向上に企業がどのような取り組みをしているかに関
し、これまでに発表されている調査結果をいくつか紹介したい。
まず松下電器産業では、1960年代より、積極的なグローバル人事戦略[ 21 ]
─ 91 ─
に取り組んでいる。同社においては、語学はコミュニケーションツール
として全社員の必須のスキルと位置づけられている。
次に 2002年3月に大阪府立産業開発研究所[ 22 ]が行った「大阪の卸売業
のグローバル化への取り組みに関する調査」である。回答した 296社の内
の 9割が自社内に「外国語で商談のできる社員がいる」と答えた。そして
「事業のグローバル化に取り組む上で基盤となるのは人材である」と回答
した。一方で、回答した 9割の企業の 3割強が「海外ビジネスの為の外国
語や実務に優れる人材が不足している」と回答した。
そして前出の国際ビジネスコミュニケーション協会が 2005年7月に発
表した第13回 TOEIC テスト活用実態報告書によると、企業・団体を対象
に調査した結果、回答企業506社中4割近い 198社が社内の英語研修に、
過半数の 294社が自己啓発に TOEIC を利用していることがわかった。6
割強の企業が受験費用を全額負担していることからも、TOEIC を積極的
に英語研修カリキュラムに取り組んでいる姿勢が見えるといってよいで
あろう。
3. 邦人企業が求めるアラビア語スキル
本章では、今回アラブ イスラーム学院が行った調査「邦人企業が要求
するアラビア語スキルについて」の結果を報告する。調査対象群として、
アラブ諸国と関係が深い邦人企業46社を選択し、調査票を配布した。回
答は半数弱にあたる 21社から得られた。なお、回答企業の業種は大きく
分けて以下の 9 つに分類[ 23 ]することができる。これらの企業は、サウジ
アラビア、UAE を中心に合計53 の事業拠点(支店、事務所、工場など)
を有している(表1)。
① 石油開発
② 化学
③ 建設
④ 石油
⑤ 鉄鋼
⑥ 電気機器
─ 92 ─
邦人企業が求めるアラビア語スキル
⑦ 機械・輸送機器
⑧ 商業
⑨ 電力・ガス
表1 回答企業21社に関するアラブ諸国事業拠点数
事務所
サウジアラビア
UAE
クウェート
エジプト
カタル
オマーン
バーレーン
ヨルダン
リビア
イエメン
合計
4
3
2
2
1
1
0
1
0
0
14
関係
会社
3
2
1
0
1
0
0
0
0
0
7
合弁
会社
1
0
0
0
0
0
0
0
1
0
2
支店
工場
0
1
0
0
0
0
0
0
0
0
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
プロジェ その他
クト現場
3
9
0
4
0
1
0
2
1
1
1
1
1
1
0
1
0
1
1
0
7
21
合計
21
10
4
4
4
3
2
2
2
1
53
3.1 アラビア語
3.1.1 人材評価におけるアラビア語スキルの位置づけ 人材の採用時の語学スキルの取り扱いについて、まず「貴社への就
職希望者がそのアラビア語スキルをアピールした場合、評価の対象とし
ますか?」という質問に、「はい」または「いいえ」の二者択一で回答を求
めた。結果は 21社中11社( 52.4% )が「いいえ」と回答、
「はい」と回答し
た 10社( 47.6% )をわずかながら上回った(図4 )
。社内に活用部署を有し
ている 11社( 3.1.3参照)に限ってアラビア語スキルをアピールする就職
希望者に対する評価を調べたところ、6社( 55% )が評価の対象とすると
回答していた。さらに興味深い点として、評価の対象としないと答えた
残りの 5社のうち、すくなくとも2社はそのようにアピールする就職希
望者がビジネスで役に立つアラビア語が身についているとは思っていな
いことがわかった。設問設計の不備により、精度の高い統計値としては
通用しないものの、傾向値としての意味はあるものと思われる。
─ 93 ─
図4「貴社への就職希望者がそのアラビア語スキルをアピールした場合、評価の対象とし
ますか?」
(有効回答数21 )
補足質問として、評価の対象となる経歴を尋ねたところ、「外国語大学
アラビア語学科卒.アラブ諸国での留学経験、駐在経験」、「外国語大学
アラビア語学科卒が考慮の対象にはなる(評価の対象とは限らない)
」
「実
際にアラビア語が使えるかどうかが重要と考えます。経歴(語学の)には
こだわりはありません。」などの回答が得られた。
次に「アラビア語を事前に学習していることは、アラブ諸国を担当す
る判断材料となりますか?」を同じく二者択一で質問した。結果は 21社
中14社( 66.7% )が「はい」と回答、
「いいえ」と回答した 7社( 33.3% )を
上回った(図5 )。
図5「アラビア語を事前に学習していることは、アラブ諸国を担当する判断材料となります
か?」
(有効回答数21 )
─ 94 ─
邦人企業が求めるアラビア語スキル
また、「 2006年現在、アラビア語には公式的な検定試験などが存在し
ま せ ん。 ア ラ ビ ア 語 に も 客 観 的 な 評 価 の 基 準( 例 え ば ア ラ ビ ア 語
TOEIC )があればよいと思いますか?」との設問には、有効回答19社の
うち、8割近い 15社( 78.9% )が「はい」と回答した(図6 )。
図6「 2006年現在、アラビア語には公式的な検定試験などが存在しません。アラビア語に
も客観的な評価の基準(例えばアラビア語 TOEIC)があればよいと思いますか?」
(有
効回答数19 )
3.1.2 アラビア語人材の育成
「貴社ではアラビア語研修を実施していますか?」という質問に対
し、21社中17社(81.0%)が「いいえ」と回答、
「はい」と回答した 4社(19.0%)
を大幅に上回った(図7 )。
図7「貴社ではアラビア語研修を実施していますか?」
(有効回答数21 )
─ 95 ─
「はい」と回答した 4社のうち1社は自社で独自に作成したプログラム
による研修を、残り3社は社外の語学教育機関などが作成したプログラ
ムによる研修を行っていることが明らかになった。また、研修を行って
いる場所については国内が2社、アラブ諸国が2社と同数であった。研
修時期としては入社直後に2社、残り2社はアラブ諸国への赴任時など、
業務上必要になったときに行っていることがわかった。研修には4社中
3社が半年以上の期間をあてており、最長では2年間に及んでいる。こ
れらの研修の対象となるアラビア語は4社中3社ではフスハー(正則アラ
ビア語)であり、のこり1社がフスハーとアーンミーヤ(アラビア語方言)
の両方としていた。最後の「アラビア語研修の成果は出ていると感じま
すか?」との設問には、4社中3社が、「はい」と回答した。「いいえ」と
回答した1社は、短期研修では挨拶程度しかできるようにならないこと
を、その理由として挙げた。
3.1.3 アラブ諸国担当者に求めるスキル
「アラブ諸国に関連したプロジェクトの担当者に、どのようなスキルを
どの程度求めますか?項目ごとに評価してください」との質問により、
各スキルの必要レベルを5段階の点数制で評価するよう求めた(1:不
要、3:どちらでも構わない、5:必要である)
。結果を 5点満点の加重
平均値として表2 にまとめた。通訳、翻訳、交渉、パソコン、そして文
化理解の5分野において計13 の選択肢を設けたところ、その中で際立っ
て高得点( 4.4点)であった項目が「 13. アラブ・イスラーム文化の理解」
であったことは特筆に価するであろう。ワード、エクセルといった基本
的なパソコンスキル( 3.3点)とアラビア語通訳を介さない折衝( 3.0点)
がこれにつづく。アラビア語の通訳・翻訳に関してはすべての選択肢が
3点(どちらでも構わない)を下回った( 2.4 ∼ 2.8点)。しかし、後続の
質問「どのような業務でアラビア語人材が活用されていますか?」という
自由記入式の設問に対して、記入のあった 20社のうち半数の 10社が、人
材がいない、または該当部署がない、と回答していることから選択点数
が低めに誘導されている可能性がある。ここでは個々の点数よりもアラ
─ 96 ─
邦人企業が求めるアラビア語スキル
ビア語関連スキルのうちもっとも重視されているのが、直接的な折衝力
であるということに留意すべきであろう。企業が求めているアラビア語
スキルは日常会話レベルではなく、会議や契約交渉などを含む日常業務
における折衝をアラビア語で行えるレベルである。換言するならば専門
分野に関する知識や、交渉相手の論理や考え方の背景(多くの場合イス
ラームに基づいているといえよう)を理解した上で、アラビア語を駆使
した会話展開ができるきわめて高度なレベルである。これは、英語の
TOEIC において企業が求めるスコアレベルと同等のものであり、どんな
言語であれ、ビジネスでの活用にはこのレベルが必要であることが類推
できる。
表2 アラブ諸国関連プロジェクトの担当者に求めるスキル
合計点 有効回答数 平均点
スキル種類
1.通訳 日本語 → フスハー
2.通訳 フスハー →日本語
3.通訳 日本語 → アーンミーヤ
4.通訳 アーンミーヤ → 日本語
5.翻訳 日本語の新聞記事→アラビア語
6.翻訳 アラビア語の新聞記事→日本語
7.交渉 アラビア語でプレゼンテーション
8.交渉 アラビア語通訳を介さない折衝
9.PC アラビア語タイピング全般
10.PC ワード・エクセルの活用
11.PC パワーポイントでプレゼン用資料を作成
12.PC アラビア語検索エンジンの活用
13.アラブ・イスラーム文化の理解
(A)
51.0
52.0
48.0
48.0
53.0
55.0
57.0
59.0
49.0
65.0
65.0
51.0
88.0
(B)
19
19
20
20
20
20
20
20
20
20
20
20
20
(A/B)
2.7
2.7
2.4
2.4
2.7
2.8
2.9
3.0
2.5
3.3
3.3
2.6
4.4
※合計点は選択された必要度点数の合計
3.2 アラブ諸国関連業務・プロジェクトの担当者に求められる諸要素
本章では、アラビア語スキル以外の要件に関して調査結果を報告する。
3.2.1 担当者選定時における考慮点
「アラブ諸国関連の業務・プロジェクトの担当者を選ぶ際、どのような
要素を考慮しますか?重要度の高い順に番号をつけてください(空欄に 1
─ 97 ─
から 4 の数字をご記入下さい)
」との質問により、①語学スキル、②担当
する業務・プロジェクトへの専門性、③アラブ諸国での滞在経験、④体力、
の 4 つの要素の優先順位を調査した。21社からの回答を元にそれぞれの
要素の優先順位をポイント化(最も重要とされた場合は 4点、最も優先順
位が低いとされた場合は1点として合計点を算出)した結果、もっとも
重視される要素は②担当する業務・プロジェクトへの専門性( 80点)、つ
いで①語学スキル( 54点)
、
④体力( 41点)
、
③アラブ諸国での滞在経験( 35
点)の順であった(図8 )。
図8 アラブ諸国関連の業務・プロジェクトの担当者選定の際の要素別優先度(有効回答数
21 )
※重要度の最も高いものを4点、もっとも低いものを 1点とし、各考慮点別の 21社合
計点を算出
これを優先順位別の要素内訳で見ると図9 のようになる。もっとも重
要なものとして選択されているのは②担当する業務・プロジェクトへの
専門性( 18社)と①語学スキル( 3社)の 2 つであり、他の選択肢は選ばれ
なかった。
─ 98 ─
邦人企業が求めるアラビア語スキル
3
1位
語学スキル
18
担当業務の
専門性
11
2位
2
3
アラブ諸国
滞在経験
5
体力
2
3位
1
8
5
4位
0%
10
10
25%
50%
6
75%
100%
図9 アラブ諸国関連の業務・プロジェクトの担当者選定の際の優先順位別考慮点比率(有
効回答数21 )
上記語学スキルについての追加質問として、「アラブ諸国関連の業務・
プロジェクトの担当者は、英語とアラビア語の各スキルについてどのよ
うにお考えですか?」とし、5 つの選択肢からひとつを選んでもらった。
その結果は、21社中16社( 76.2% )が、「基本的に英語だが、アラビア語
ができればなおよい」と回答し、残り 5社( 23.8% )は「英語のみできれば
よい」と回答した。他の 3 つの選択肢である「アラビア語のみできればよ
い」、「基本的にアラビア語だが英語ができればなおよい」および「アラビ
ア語も英語も必要ない、日本語で十分」を選んだ企業はゼロであった(図
10 )。
図10 アラブ諸国関連の業務・プロジェクトの担当者の英語・アラビア語スキル(有効回答数21 )
─ 99 ─
さらに英語スキルのとりあつかいに関しては、「採用について、評価の
対象となる英語のスキルの程度は?」との質問に複数選択可能式で回答
してもらったところ、下記図11 の通り、4分の 3以上にあたる 21社中16社
( 76.2% )が英語資格試験の成績と答えている。これは 2 で述べた TOEIC
や英検が、今回の調査対象企業においても採用時の基準となっているこ
とを示唆している。
図11採用の際に、評価の対象となる英語のスキルのレベルは?」
(有効回答数21 )
補足として参考にしている資格試験とその基準となる成績を尋ねたと
ころ、TOEIC について下図12 に示す結果を得た。基準点を設定している
13社のうち 10社が、700点以上を求めており、これはアラビア語を学び、
ビジネスの現場で役立てたいと希望している学生にとって乗り越えるべ
きひとつのハードルと考えることができるだろう。
─ 100 ─
邦人企業が求めるアラビア語スキル
点
∼599
1
600∼699
2
700∼799
7
800∼899
2
900∼
1
0
2
4
6
8
企業数
図12 採用時に基準としている TOEIC のスコア(有効回答数13 )
3.2.2 アラビア語・英語の各スキルの関係
最後に、アラビア語と英語のスキルの重要度を図13 に示す 4種のスキ
ル別に 1 から 5点で評価してもらった( 5:必要、3:どちらでも構わない、
1:不要である)20社からの回答に関して評価点数の平均を求めたところ
下図13 の結果を得た。ここからも再び、英語が前提条件であり、アラビ
ア語は付加的スキルと位置づけられていることがわかる。
図13 各スキルにおける英語とアラビア語での重要度比較
─ 101 ─
4. 今後の課題
以上の調査結果より、邦人企業に資するための今後の課題が浮き彫り
にされた。まず、邦人企業が求めるアラビア語スキルについて具体的に
識別し、現在のカリキュラムが目指しているものとのギャップを正しく
認識すること。次にその結果に基づいた明確な目標設定の上で、アラビ
ア語の教育カリキュラムを策定すること。この過程において、企業にお
ける先進的なアラビア語研修の事例研究が可能となれば、益するところ
大であろう。産学が協力してカリキュラム開発・人材開発に取り組める
ことを祈願する。
また、企業・学習者双方が習熟度の指標として活用できる検定試験の
創設が図られるべきである。
さらには、前述の取り組みと平行して、アラビア語がもたらす効用を、
ビジネスにおける成功事例研究などを踏まえた広報活動によって、広く
認知されるよう努力することも重要である。これにより、企業はアラブ
諸国とのビジネス成功要因を具体的に検証できるとともに、アラビア語
を学ぶものは目指すべきひとつの山頂の姿を見ることができるであろう。
これら 4点は、いずれも、地道で継続的な努力を必要とするが、この
枠組を強固にしておくことが、長く将来にわたって企業とアラビア語教
育機関、ならびにその学習にとって、相乗的かつ相互的利益をもたらす
ことを確信する。
謝辞
本研究を行うにあたり、日本サウジアラビア協会、(財)中東協力セン
ターの皆様には大変お世話になりました。そして、ご回答いただいた企
業の皆様のご協力がなければ本論文は書くことはできませんでした。深
く感謝の意を表したいと思います。
また、本調査のために色々な働きかけをしてくださった在日本サウジ
アラビア大使館のファイサル・ビン・ハサン・トラッド大使に深く感謝
の意を表させていただきます。ありがとうございました。
─ 102 ─
邦人企業が求めるアラビア語スキル
注釈
[ 1 ]アラブ連盟加盟国の 22 ヶ国を指す。
[ 2 ]日本原子力文化振興財団からの提供データに基づく。
[ 3 ]サウジアラビア王国、アラブ首長国連邦、バーレーン、オマーン、カタール、クウェー
トの 6 ヶ国を指す。
[ 4 ]財務省貿易統計、国別総額表2005年度12月を合算。
http://www.customs.go.jp/toukei/download/2005/12/d12/d12h05e001.pdf
2006年8月20日採取
[ 5 ]二国間または地域間(多国間)の協定により、モノの関税や数量制限など貿易の障害と
なる壁を相互に撤廃し、自由貿易を行なうことによって利益を享受することを目的と
した協定のこと。さらに現在では、モノだけでなく、サービスや投資なども含めたよ
り広範囲な分野での取引の自由化が含まれる。
[ 6『平成17年度 文部科学白書』
]
2006年3月、pp. 373-374。
[ 7 ]総務省統計局『日本の統計2006 』、2006年3月、p. 330。
[ 8 ]日 本 放 送 協 会( Nippon Hoso Kyokai )の 略。 英 文 名 称 と し て“ Japan Broadcasting
Corporation ”も用いられる。
[ 9 ]中国語、フランス語、イタリア語、アラビア語、韓国語、ドイツ語、スペイン語、
ロシア語の 8 ヶ国語。
[ 10 ]人民網日本語版 People ’s Daily Online、2004年8月3日付
http://j.people.com.cn/2004/08/03/jp20040803_41962.html
2006年8月20日採取
[ 11 ]韓国文化院 HP、『日韓友情年2005記念事業フォーラム なぜ韓国語を学ぶ若者がふえ
ているのか 結果報告書』より引用。
http://www.koreanculture.jp/Forum2005Miinutes_report.doc
2006年8月3日採取。
[ 12 ]グローバルビジネスにおける円滑なコミュニケーションの促進を目的として、1986年
2月に通産省の認可を受けた公益法人として設立された。
[ 13 ]TOEIC Official Website in Japan 発表
http://www.toeic.or.jp/toeic/
2006年7月20日採取。
[ 14 ]基礎的なコミュニケーション英語能力を評価する世界共通のテスト TOEIC への架け
橋として生まれた初中級者向けのテスト。
[ 15 ]英検の最高位である1級は、最年少は 11歳、最年長は 74歳の方が受験し、合格した。
5級に至っては、最年少記録は 3歳。2005年は約250万人が受験し、ほぼ半数にあたる
130万人が合格した。
[ 16 ]5級から 1級までの 7段階( 1級、準1級、2級、準2級、3級、4級、5級)に分かれている。
[ 17 ]TOEIC Official Website in Japan、『 TOEIC スコアとコミニュケーションレベルとの
相関表』を引用。
http://www.toeic.or.jp/toeic/about/about03.html
2006年8月4日採取。
─ 103 ─
[ 18 ]前掲、TOEIC Official Website in Japan、『 TOEIC スコアとコミニュケーションレベ
ルとの相関表』より引用。
[ 19 ]2005年の春、秋の計2回の試験で合計675名の受験者を得て、372名の合格者(ビジネス
コミュニケーション試験・各級の合計)を輩出。
[ 20 ]中日通検 Official Website より引用。
http://jipta.net/cj/html/about.htm
2006年10月3日採取。
[ 21 ]前掲、TOEIC Official Website in Japan、
『 TOEIC News Letter 』を参考。
http://www.toeic.or.jp/toeic/data/data03.html
2006年8月3日採取。
[ 22 ]大阪産業の再生を目指す、経済・経営の調査研究機関。
[ 23 ]
(財)中東協力センターの分類に準拠
著者略歴
鈴木 健
SUZUKI Ken
1978年仙台生まれ。1997年、アメリカ合衆国オハイオ州
フーバー高校卒業。2004年、東京国際大学大学院国際関係
学研究科にて修士号を取得。大学院在籍時は同大学にて補助
教員として働く。その後、外務省派遣「日本・サウジアラビ
ア王国青年交流使節団」メンバーなどを経て 2004年に財団
法人昭和経済研究所 アラブ調査室に入所。アラブ イスラー
ム学院「日本・サウジアラビア国交樹立50周年特別プロジェ
クト」研究員を兼任。2005年12月、アラブ調査室を退所し、
現在、アラブ イスラーム学院文化・研究部研究員。アラブ
石油戦略懇話会会員。
「豊根村・サウジアラビア王国交流促
進委員会」アドバイザー、東京事務局長。
─ 104 ─
参考
─ 107 ─
1. シンポジウム
「日本のアラビア語の現状―教育と業界のニーズ―」
最終提言
ヒジュラ暦1427年4月29日、西暦2006年5月27日、アラブ イスラーム学
院において、サウジアラビア王国と日本の関係強化という枠組みの中で、
アッラーのお恵みを持って、シンポジウム「日本のアラビア語の現状―
教育と業界のニーズ―」が開催された。これはサウジアラビア王国駐日
大使ファイサル・トラッド閣下の御配慮と、イスラーム・アラブ・日本
の関係者、外交団の御出席を得て実現された。
本シンポジウムには、サウジアラビア・日本双方の研究者や学術関係
者が参加し、主に以下の 3点を中心に議論は進められた。
1.在東京アラブ イスラーム学院の経験
2.日本の大学教育
3.日本の業界のニーズ
これらを巡って、3名の研究者が以下の通り発表を行った。
研究者
ムハンマド・ハサン・アルジール
門屋由紀
鈴木健
研究課題
24年間にわたるアラブ イスラーム学
院のアラビア語教育
日本の大学におけるアラビア語教育の
現状とその問題
邦人企業が要求するアラビア語スキル
本件シンポジウムには、アッラーの思し召しにより、日本でのアラビ
ア語教育を推進するという所期の目的に沿って、熱心な参加者と建設的
な研究発表、そして有益な対話に恵まれた。それにより、アラブ・イスラー
ムと日本の 2 つの世界が学術的で文化的な協力の紐帯を強化し、将来の
達成され得る諸段階を見守ることが期待される。
最後に当たり、参加者は以下の通り提言した。
─ 109 ─
1.
「日本アラビア語協会」の設立を提案し、アラブ イスラーム学院はそ
の呼びかけに当たる。
2.日本人学習者に対するアラビア語教育のあり方についての検討を進め
るため、定期的にシンポジウムやワークショップを開催することを
奨励する。
3.日本でのアラビア語とその教育方法についての研究を支援する。
4.アラビア語能力検定試験の開発を提唱する。
5.日本の大学で正則アラビア語(フスハー)教育を支援する必要性があ
る。
6.学生がタイピングやパワー・ポイントなどのコンピューター技能を獲
得できるように、日本でのアラビア語教育プログラムが作成される
ことを強く希望する。
7.日本の大学生達が学習時間として登録される教材をこなせるような形
で、アラビア語の遠隔教育システムが開発されるべく、最新技術を
駆使する。
8.アラブ イスラーム学院や日本の学術機関の優秀なアラビア語学習者
には、サウジアラビアの大学で学べるように、奨学金や受け入れ先
を準備する。
最後に参加者全員は、二聖モスクの守護者アブドッラー・ビン・アブドゥ
ルアジーズ国王並びに皇太子スルターン・ビン・アブドゥルアジーズ殿下
――彼ら二人にアッラーのご加護あれ――に対して、重要な本シンポジ
ウムがアラブ イスラーム学院において開かれたことについて、挨拶と多
大な感謝の言葉を伝えるように、また、イマーム大学が全面的に受けて
いる継続的な支援、なかでもサウジアラビア社会、広くはアラブ・イスラー
ム社会の文化的・社会的・文明的な諸価値を日本人が知ることになる光
の窓のような存在である、アラブ イスラーム学院に関しても、心からの
謝意を伝えるようにイマーム大学学長へ要望した 。
また、参加者は広くは日本政府に、特には東京都に対して、学院が受
けているご配慮と関心について謝意を表明した。
─ 110 ─
さらに、参加者は本シンポジウムを巡って、サウジアラビア高等教育
大臣ハーリド・ビン・ムハンマド・アルアンカリー博士が支援してくれ
たこと、並びにイマーム大学学長ムハンマド・ビン・サアド・アッサー
リム教授が監督と計画・実施を継続的にしたことについて、謝意を表明
した。
最後に、サウジアラビア王国駐日大使ファイサル・トラッド閣下に対
して、本会合への配慮と出席、並びに日頃の学院に対する支持につき、
謝意を表明した。
全世界の主たるアッラーへ称賛を
そして信頼されるその預言者に祝福と平安を
東京 ヒジュラ暦1427年4月29日、西暦2006年5月27日
─ 111 ─
2. 安倍晋三内閣官房長官(当時)からの祝辞
̶第3回アラビア語オリンピック開催によせて̶
ファイサル・ハサン・トラード大使閣下、ムハンマド・ビン・ハサン・
ビン・アブド・アル・アジーズ・アッズィール学院長、ご列席の皆様、
アッサラーム・アレイコム
アラブ イスラーム学院の「アラビア語オリンピック」表彰式に際し、
日本国政府を代表とし、一言ご挨拶申し上げます。
まず、私は今回で「アラビア語オリンピック」の開催が第3回を迎える
こととなり、関係者の方々に対し心から祝意を申し上げます。また、世
界で最も難解な言語の一つとされるアラビア語学習に日々取り組まれて
いる学院生のご努力に敬意を表します。
我が国にとって中東諸国は、エネルギーの供給源や貿易・投資のパー
トナーという観点から極めて重要であり、咋今、中東情勢に関する報道
のない日はありません。このような中東に対する関心の高さと相俟って、
国連の公用語であり、世界で2億2500万人以上の人々によって話され、
偉大なイスラーム文明を築いた言葉でもあるアラビア語への関心が一層
高まっており、我が国においてもアラビア語を学習される方が年々増加
していると聞いております。
アラブ イスラーム学院は、サウジアラビア王国イマーム大学の分校と
して、また、サウジアラビア王国大使館の広報文化センターとして、我
が国におけるアラビア語教育の促進や我が国と中東地域との文化交流を
─ 112 ─
強化するという極めて重要な役割を果たしています。アラビア語のスピー
チ・コンテストやタイピング競技等を通して、日頃のアラビア語学習の
成果を競う本件オリンピックは、アラビア語の学習やイスラーム教の普
及を通じた学院の貴重な活動が集約されたものであり、誠に有意義であ
ります。これは、我が国の中東との相互理解を一層深めることにおいて
大きく寄与するものであります。ここに関係者のご尽力に対し心から敬
意を表します。
また、我が国とサウジアラビア王国との関係につきましては、昨年、
外交関係樹立50周年の節目の年に、様々な記念行事が実施され、両国国
民の間で更なる相互理解を深めることができました。特に我が国国民が、
ともすればこれまでサウジアラビアに対して抱いてきた「砂漠と石油の
国」というイメージから脱し、この伝統ある若き近代国家をより身近な
国として感じ、王国に対する正しい認識が広まったと言えます。これら
の交流にもアラブ イスラーム学院が大きな貢献をなされております。
さらに、本年4月サウジアラビア王国のスルタン皇太子殿下が我が国
を公式訪問され、政治、経済のみならず、文化をはじめとした重層的なパー
トナーシップ構築に向け大きな成果がありました。今後とも、この重層
的なパートナーシップ構築において、アラブ イスラーム学院の貢献を強
く期待します。
最後になりましたが、私は本日アラビア語・オリンピックに参加され
た学院生の方々が、サウジアラビア王国、ひいては中東と我が国との交
流の架け橋になられることを祈念いたします。
シュクラン・ジャジーラン
─ 113 ─
3. 日本・サウジアラビア共同声明
「日本・サウジアラビア王国間の戦略的・重層的
パートナーシップ構築に向けて」
( 仮訳 )
2006年
写真:内閣広報室
日本国総理大臣小泉純一郎閣下の招待により、サウジアラビア王国皇
太子兼国防航空相兼総監察官スルタン・ビン・アブドルアジーズ・アー
ル=サウード殿下は、2006年4月5日から 7日(ヒジュラ暦1427年ラビーア
月7日から 9日に相当)まで、日本への公式訪問を行った。
スルタン・ビン・アブドルアジーズ・アール=サウード皇太子殿下は、
空港到着時に日本国皇太子殿下に出迎えられた。
日本国天皇陛下は、スルタン・ビン・アブドルアジーズ・アール=サウー
ド皇太子殿下に敬意を表して主催した午餐会にて同皇太子と会見した。
スルタン皇太子殿下と日本国総理大臣小泉純一郎閣下は、2006年4月6
日、東京にて会談を行い、次の声明を発出した。
1. 双方は、1960年に交通通信大臣としてスルタン・ビン・アブドルアジー
ズ・アール=サウード殿下が行った最初の訪日が、サウジアラビア
王室からの最初の訪日であり、サウジアラビア王室と日本国皇室と
の間の友好の絆の歴史の幕を開けたこと、また、1971年のファイサ
─ 114 ─
ル国王陛下の訪日、1998年のアブドッラー皇太子殿下(当時)の訪日、
1981年の日本国皇太子殿下及び同妃殿下(当時)
、及び 1994年の日本
国皇太子殿下及び同妃殿下のサウジアラビア訪問、2005年の日本国
皇太子殿下のサウジアラビア訪問を含む日本国皇室とサウジアラビ
ア王室からの相互の諸訪問が、日本・サウジアラビア間の緊密な絆
を更に強固にしたことを想起した。
2. 双方は、両国間の友好関係が双方にとって有益であり、また、特に
外交関係樹立50周年記念事業が二国間関係の強化に大きく貢献を果
たしたことを認識しつつ、繁栄した関係を更に進めるとの堅い決意
を表明した。その目的に向けて、戦略的パートナーシップ構築のた
めの歴史的機会を提供したスルタン・ビン・アブドルアジーズ・アー
ル=サウード皇太子殿下の訪日の重要な意義に留意しつつ、「日本国
外務省とサウジアラビア王国外務省との間の政策協議に関する覚書」
が署名された。
3. 双方は、そのパートナーシップを強固にするため、経済、文化、環境、
航空交通等の様々な分野において、あらゆるレベルで戦略的対話を
一層促進していく意思を共有した。双方は、両国外相間の対話を含
むハイレベルな政治対話を促進する意向を表明した。
4. 双方は、二国間の最近の経済・商業上の発展と活動を満足の念を持っ
て留意しつつ、経済関係の更なる発展が日本・サウジアラビア間の
戦略的・重層的パートナーシップに向けての主要な原動力となると
の見解を共有した。日本側は、サウジアラビアの WTO 加盟を、同国
国内のビジネス機会を拡大するものとして祝福した。また、日本側は、
在京サウジ商業事務所開設の発表を歓迎した。
5. 双方は、住友化学とサウジアラムコ(サウジアラビア石油会社)との
間のラービグ石油化学プロジェクト、SPDC(サウジ石油化学開発会
─ 115 ─
社)と SABIC(サウジ基礎産業会社)との間のシャルク・プロジェク
ト、昭和シェル石油株式会社へのサウジアラムコの投資等双方向の
投資の大幅な増加を歓迎した。また同様の観点から、双方は、日・
サウジアラビア・ビジネスカウンシル合同会合の枠組みにおける諸
活動の前向きな成果に特別の注意を払いつつ、両国企業関係者同士
の協力を歓迎した。
6. 日本・サウジアラビア経済関係の更なる発展に向けて、双方は、主
に二つのレベルにおいて同時に努力することの重要性を強調した。
第一に、双方は、相互投資の促進の方途について議論を活性化する
意向及び二国間投資協定の交渉再開の用意があることを表明した。
第二に、地域レベルにおいて、双方は、日本・GCC(湾岸協力会議)
諸国間における財及びサービス貿易を対象とする自由貿易協定
( FTA )が、日本・サウジアラビア間及び日本・GCC 諸国間全体の
経済・商業関係の一層の強化に資するものであるとの認識の下、同
協定に係る正式交渉を開始し、2006年5月に準備会合を開催する旨の
決定を歓迎した。
7. 双方は、世界石油市場の安定が世界経済の健全な成長のための礎石
であるとの見解を共有した。その観点から、日本側は、世界及び日
本への最大かつ信頼できる確実な石油輸出国であり、石油輸出国機
構( OPEC )における指導的な国家であるサウジアラビアが担ってい
る重要な役割に対して謝意を表明した。双方は、世界最大の炭化水
素資源を有するサウジアラビアとエネルギー関連の先進技術を有す
る日本との間の相互補完的な関係に基づいて、エネルギー分野にお
ける緊密な対話を通じた二国間協力の更なる促進の重要性を認識し
た。サウジアラビア側は、日本への石油の安定的供給を保証し続け
る意思を表明し、日本側はこれに謝意を表明した。双方は、国際エ
ネルギー・フォーラム( IEF )の世界石油市場の透明性向上における
役割を強調しつつ、同フォーラム本部がアブドッラー・ビン・アブ
─ 116 ─
ドルアジーズ・アール・サウード国王陛下(二聖地の守護者)によっ
てリヤドに成功裡に開設されたことを歓迎した。この観点から、双
方は、来る第2回国際エネルギー・ビジネス・フォーラム( IEBF )及
び 4月22日─24日に開催される第10回国際エネルギー・フォーラムに
おいて相互に協力することへの決意を再確認した。
8. 双方は、相互利益に基づく重層的な経済関係の重要性を認識し、合
同委員会の重要な役割について見解を共有した。その関係から、双
方は、次回会合を可能な限り早期に開催するとの強い希望を表明し
た。
9. サウジアラビア側は、日本が日本・サウジアラビア協力アジェンダ
を実施するために人的資源開発の様々な分野において、主に独立行
政法人国際協力機構( JICA )を通じてこれまで提供してきた技術支
援に対する感謝を表明した。双方は、両国政府及び民間部門間の連
携による努力の有益な成果であり、職業訓練のモデル的役割を担う
「サウジ日本自動車高等研修所( SJAHI )
」の業績を歓迎した。サウジ
アラビア側は、「プラスチック加工高等研修所( HIPF )」
、女性起業
家促進プロジェクト等の諸プロジェクトへの謝意を表明した。
10. 双方は、異文化・文明間の相互理解と相互尊重は、急速にグローバル
化する世界において基礎であることを確認した。その関係から、日本
側は、文明の衝突の思想を非難し、そのような思想が、諸文明間の建
設的平和共存の思想により置き換えられ、諸国・諸国民間の関係が互
いに他者を尊重し合う真の対話の段階に入るべきとのアブドッラー・
ビン・アブドルアジーズ・アール・サウード国王陛下(二聖地の守護者)
による呼びかけに対する支持を表明した。この文脈において、サウジ
アラビア側は、イスラム世界、アジア、西洋間を含め多様な諸文明間
の相互理解促進に日本がこれまで果たしてきた貢献に留意した。サウ
ジアラビア側は、偏見に満ちたステレオタイプに立ち向かい、諸文化・
─ 117 ─
諸文明間の理解を促進することを常に心がける日本の賢明な姿勢に対
する謝意を表明した。
11. 双方は、両国がその中心的メンバーであり、これまで三度の会合が開
催され(第一回会合は東京、第二回会合はエジプトのアレクサンドリ
ア、第三回会合はサウジのリヤドでそれぞれ開催)
、日本・アラブ間
の相互理解を促している日アラブ対話フォーラムの重要性に留意し、
第四回会合が 2006年5月に東京にて開催される予定であることを歓迎
した。また、サウジアラビア側は、この関連で、文明間対話、文化交
流ミッション派遣といった日本と中東との相互理解深化に向けて日本
が取っているその他のイニシアティヴを評価した。日本側は、日本語
教育促進におけるキングサウード大学、及び、アラビア語教育とイス
ラム文化の日本社会への紹介において在京のアラブ・イスラム学院が
果たしている重要な役割に対する謝意を表明した。
12. 双方は、以下の諸問題において、中東全体の平和と安定のための日本・
サウジアラビア間の連携的な共同努力の死活的な重要性を強調した。
13. 中東和平プロセスに関し、双方は、アラブ・イスラエル紛争の公正か
つ包括的な解決が中東地域の安定と繁栄への重要な貢献となり、国際
の平和と安定への緊張と脅威の主要な源のひとつを根絶するであろう
ことを強調した。双方は、2002年のアラブ首脳会合で採択されたアブ
ドッラー・ビン・アブドルアジーズ・アール・サウード国王陛下(二
聖地の守護者)による和平イニシアティヴとロードマップの重要性を
強調しつつ、独立し存続可能なパレスチナ国家設立への支持を表明し
た。双方は、パレスチナ人への継続的支援を確認しつつ、公正で包括
的な和平を実現すること、2006年1月に行われた選挙の結果を第242号
及び第338号を含む関連国連安保理決議に従った民主的なパレスチナ
国家建設に向けた一歩として受け入れること、及び、パレスチナ人へ
の人道的支援を継続することの重要性を強調した。
─ 118 ─
14. 双方は、より良い未来への切望の実現に取り組むイラク国民への支援
に対する両国のコミットメントを再確認しつつ、同国民がその資源の
最善の恩恵を受けることができるよう、安定及び領土の一体性を達成
し、イラク国民のすべてのグループの国民統合及び平等を促進すべく
支援するために、相互に緊密な調整を行うことを決定した。サウジア
ラビア側は、イラクの復興と安定に対する日本の重要な貢献に対して
謝意を表明した。
15. 双方は、アフガニスタンの平和及び安全への移行の重要性を評価しつ
つ、その目的達成に向けてアフガニスタンにおいて両国が共同で進め
ている取り組みの重要性を強調した。
16. 双方は、中東のすべての国家の核拡散防止条約への加盟を奨励するこ
と、及び、国際的に正当な関連諸決議に合致した形にて、中東をあら
ゆる大量破壊兵器とその運搬手段が存在しない地域のひとつにするこ
との重要性を強調した。また、双方は、核兵器不拡散のための国際的
努力を支援すること及びイランの核問題の外交的解決に向けて取り組
むことの重要性を確認した。
17. 双方は、国際の平和と安定に対する脅威となるあらゆる形態のテロに
対する非難を繰り返し、テロとの闘いにおいて国際社会が一体となる
べきとの見解を共有した。この文脈において、双方は、対テロの国際
合意及び国連安保理の関連決議の実施に対する強固なコミットメント
を再確認した。日本側は、2005年2月にリヤドにおいて、日本も参加
した国際テロ対策会議を開催するなどのサウジアラビアのテロ対策に
おけるイニシアティヴを評価した。双方は、アブドッラー・ビン・ア
ブドルアジーズ・アール・サウード国王陛下(二聖地の守護者)によ
る国際テロ対策センター設立の提案を含む同会議の提言の重要性、及
び、国際テロ包括協定交渉締結の緊急の必要性を強調した。
─ 119 ─
18. 双方は、世界平和及び安定と繁栄における国連の増大する役割を認識
しつつ、国連が 21世紀の新たな現実を反映するよう包括的に改革さ
れなければならないとの見解を共有した。また、双方は、総会、事務
局、経済社会理事会、安全保障理事会を含む国連諸機関の昨年9月に
採択された世界首脳会議成果文書に基づいた革新と活性化に向けた協
力を確認した。特に、双方は、安全保障理事会改革が全体の改革の不
可欠の要素であると認識しつつ、国連総会今会期中の早期の改革が必
要であるとの見方を共有した。サウジアラビア側は、期待される安全
保障理事会の改革にそのメンバーの拡大が含まれる場合には、日本の
安全保障理事会常任理事国入りへの支持を表明した。日本側は、サウ
ジアラビアの支持に深い謝意を表明した。
東京 2006年4月6日
出典:日本外務省ホームページ 2006年8月30日 http://www.mofa.go.jp/mofaj/
─ 120 ─
Towards the building of strategic and
multi-layered partnership between Japan
and the Kingdom of Saudi Arabia
At the invitation of His Excellency (HE) Junichiro Koizumi, Prime Minister of Japan,
His Royal Highness (HRH) the Crown Prince Sultan Bin Abdulaziz Al-Saud, Deputy
Prime Minister, Minister for Defense and Aviation, the Inspector General of the
Kingdom of Saudi Arabia, made an official visit to Japan from April 5 to 7, 2006,
corresponding to 7 to 9 Rabi’l 1427H.
His Imperial Highness (HIH) the Crown Prince of Japan received HRH the Crown
Prince Sultan Bin Abdulaziz Al-Saud upon his arrival at the airport.
His Majesty (HM) the Emperor of Japan met with HRH the Crown Prince Sultan Bin
Abdulaziz Al-Saud at the court luncheon hosted by HM the Emperor in the honor of
HRH the Crown Prince at the Imperial Palace.
HRH the Crown Prince Sultan and HE Junichiro Koizumi, Prime Minister of Japan,
held a meeting in Tokyo on April 6, 2006 and issued the following statement.
1. Both sides recalled that the first visit by HRH the Crown Prince Sultan Bin
Abdulaziz Al-Saud to Japan in 1960 in his capacity as Minister for Transportation
and Communication, which was the first Royal visit from Saudi Arabia to Japan,
opened the pages of the history of the friendly ties between the Royal family of the
Kingdom of Saudi Arabia and the Imperial family of Japan, and that the Royal and
Imperial visits between the two countries, including the visits of HM King Faisal
in 1971 and then HRH Crown Prince Abdullah in 1998, as well as the visits of
then Their Imperial Highnesses (TIH) the Crown Prince and Crown Princess of
Japan in 1981 and TIH the Crown Prince and Crown Princess of Japan in 1994
and that of HIH the Crown Prince of Japan in 2005, further enhanced the close
ties.
2. Recognizing that relations of amity between the two countries have been mutually
─ 121 ─
beneficial, and especially that various activities and events on the occasion of the
50th Anniversary of establishing the diplomatic relations have made a tremendous
contribution to strengthening the bilateral ties, both sides expressed their firm
determination to further advance their prosperous relations. Towards that end,
noting the great significance of the visit of HRH Crown Prince Sultan Bin
Abdulaziz Al-Saud to Japan, which has provided a historic opportunity to build a
strategic partnership, “Memorandum on Policy Consultations between the Ministry
of Foreign Affairs of Japan and the Ministry of Foreign Affairs of the Kingdom of
Saudi Arabia” was signed.
3. Both sides shared the intention to further promote strategic dialogues at all levels
in various fields, such as economics, culture, environment and aviation
transportation for consolidating their partnership. Both sides also expressed their
willingness to promote high-level political dialogues, including those between
Foreign Ministers.
4. Both sides shared the view that further development of economic relations is a
main driving force towards a strategic and multi-layered partnership between
Japan and Saudi Arabia, while noting with satisfaction the recent development of
economic and commercial activities between the two countries. The Japanese side
congratulated Saudi Arabia on its accession to the World Trade Organization
(WTO), which would further expand business opportunity in Saudi Arabia. The
Japanese side also welcomed the announcement of the opening of a Saudi
commercial bureau in Tokyo.
5. Both sides welcomed the significant increase of mutual investment between Japan
and Saudi Arabia, including Rabigh Petrochemical Project by Sumitomo Chemical
Co., Ltd. and Saudi Aramco (Saudi Arabian Oil Company), Sharq Project by
SPDC Ltd. (Saudi Petrochemicals Development Company) and SABIC (Saudi
Basic Industries Corporation), and Saudi Aramco’s investment to Showa Shell
Sekiyu K. K. In a similar vein, both sides welcomed the cooperation between
Saudi and Japanese businessmen, paying particular attention to the positive
outcomes of the activities within the framework of the Japanese-Saudi Business
Council Joint Meeting.
─ 122 ─
6. Towards further developing the economic relations between Japan and Saudi
Arabia, both sides underlined the importance of making efforts mainly at two
levels simultaneously.
First, both sides expressed their willingness to vitalize discussions on how to
further promote mutual investments, and readiness to resume negotiations on
bilateral agreement on protection and promotion of investment.
Second, on a regional level, both sides welcomed the decision to launch formal
negotiations on an Free Trade Agreement (FTA) covering trade in goods and
services between Japan and the GCC (Gulf Cooperation Council) States and to
hold a preparatory meeting in May 2006, recognizing that the Japan-GCC FTA
would contribute to further strengthening the economic and business relations
between Japan and Saudi Arabia as well as between Japan and the GCC States as
a whole.
7. Both sides shared the view that the stability of the world oil market is a
cornerstone for the sound growth of the world economy. In this regard, the
Japanese side expressed its appreciation for the significant roles being played by
Saudi Arabia - the largest, reliable and secured exporter of oil to the world as well
as to Japan and the leading figure of Organization of the Petroleum Exporting
Countries (OPEC). Both sides recognized the importance to further promote
bilateral cooperation through close dialogues on energy field, based on mutually
complementary relationship between Saudi Arabia with its largest hydrocarbon
resource in the world and Japan with its advanced energy-related technologies.
The Saudi side expressed its intention to continue to assure stable oil supply to
Japan, and the Japanese side expressed its appreciation for this. Both sides also
welcomed the successful inauguration, by the Custodian of the two Holy Mosques,
King Abdullah Bin Abdulaziz Al-Saud, of the International Energy Forum (IEF)
headquarters in Riyadh, stressing its role to enhance transparency of the world oil
market. In this regard, both sides reaffirmed their determination to cooperate with
each other at the upcoming 2nd International Energy Business Forum (IEBF) and
the 10th IEF on 22-24 April.
8. Both sides recognized the importance of multi-layered economic relations based
on mutual benefits, and shared the view on the key role of the Joint Committee. In
this connection, both sides expressed their aspiration to hold the next meeting as
─ 123 ─
early as possible.
9. The Saudi side expressed its gratitude for the technical assistance which Japan has
so far provided, mainly through Japan International Cooperation Agency (JICA),
in various fields of human resources development to implement the Japan-Saudi
Cooperation Agenda. Both sides welcomed, as a role model of vocational training,
the successful achievement of the Saudi Japanese Automobile High Institute
(SJAHI) project, which was a fruitful outcome of coordinated efforts by the
governments and private sectors of both countries. The Saudi side also expressed
its appreciation for the other projects such as the project of High Institute for
Plastics Fabrication (HIPF) and the project of Training on Female Enterpriser
Promotion.
10. Both sides confirmed that mutual understanding and respect of different cultures
and civilizations are the bedrock for this rapidly globalizing world. In this
connection, the Japanese side expressed its support for the call by the Custodian of
the Two Holy Mosques, King Abdullah Bin Abdulaziz Al-Saud to condemn the
idea of the clash of civilizations and to replace it by the idea of constructive,
peaceful co-existence between all civilizations, and his call that relations between
countries and nations should be a stage of a true dialogue in which every side
respects other side. In this context, the Saudi side noted that Japan has been
making important contributions to promoting mutual understanding between
various civilizations, among which are Islamic, Asian and Western. The Saudi side
expressed its appreciation for Japan’s consistent enlightened position to combat
prejudiced stereotypes and to promote understanding between cultures and
civilizations.
11. Both sides noted the importance of the Japan-Arab Dialogue Forum, of which the
two countries are the core members and which have so far held three meetings the first in Tokyo, Japan, the second in Alexandria, Egypt and the third in Riyadh,
Saudi Arabia -, in promoting Japan-Arab mutual understanding, and welcomed
that the fourth meeting will be held in Tokyo in May 2006. The Saudi side also
appreciated other initiatives by Japan in this regard, such as Inter-Civilizational
Dialogue and Dispatch of Japan-Middle East Cultural Exchanges and Dialogue
Mission, both of which have contributed to deepening mutual understanding
─ 124 ─
between Japan and the Middle East. The Japanese side expressed its appreciation
for the significant roles played by King Saud University in promoting Japanese
language education, as well as by the Arabic Islamic Institute in Tokyo in teaching
the Arabic language and introducing the Islamic culture to the Japanese society.
12. Both sides underlined the pivotal importance of Japan-Saudi coordinated joint
efforts for peace and stability in the entire Middle East, on such issues as follows.
13. As for the Middle East peace process, both sides emphasized that just and
comprehensive solution of the Arab-Israeli conflict would be a significant
contribution to the stability and prosperity in the Middle East region and would
eliminate a main source of tension and threat to international peace and security.
Both sides expressed their support for the creation of an independent and viable
Palestinian state, stressing the importance of both the peace initiative by the
Custodian of the Two Holy Mosques, King Abdullah Bin Abdulaziz Al-Saud,
which was adopted at the Arab summit in 2002, and the Roadmap. Both sides,
while confirming their continued support for the Palestinians, stressed the
importance of realizing just and comprehensive peace, accepting the result of the
elections held in January 2006 as a step towards building a democratic Palestinian
state in accordance with relevant United Nations Security Council’s resolutions
including 242 and 338, and continuing to provide humanitarian assistance to the
Palestinian people.
14. Reaffirming the commitment of the two countries to help the Iraqi people in
achieving their aspirations for better future, both sides decided to closely
coordinate with each other to support achieving stability and territorial integrity
and promoting its national unity and equality among all groups of the Iraqi people,
so that they could take advantage of optimum benefits from its resources. The
Saudi side expressed its appreciation to Japan’s significant contributions for
reconstruction and stability of Iraq.
15. Both sides, appreciating the importance of Afghanistan’s transition to peace and
security, stressed the importance of their ongoing joint efforts in Afghanistan to
help achieving that end.
─ 125 ─
16. Both sides stressed the importance of urging all the states in the Middle East to
accede to the Treaty of Non-Proliferation of Nuclear Weapons and making the
Middle East a region free from all weapons of mass destruction and their delivery
means in conformity with relevant internationally legitimate resolutions. Both
sides also confirmed the importance of supporting the international diplomatic
efforts which aim at non-proliferation of nuclear weapons as well as working for a
diplomatic solution to the Iranian nuclear issue.
17. Both sides reiterated their condemnation against terrorism in all its forms as a
threat to the international peace and security, and shared the view that the
international community must be united in fighting against terrorism. In this
context, both sides reaffirmed their firm commitment to implementing the counterterrorism conventions and protocols, and relevant United Nations (UN) Security
Council resolutions. The Japanese side appreciated Saudi’s initiatives on counterterrorism, including the hosting of the Counter-Terrorism International Conference
held in Riyadh in February 2005, in which Japan also participated. Both sides
stressed the importance of the recommendations of the Conference including the
proposal by the Custodian of the Two Holy Mosques, King Abdullah Bin
Abdulaziz Al-Saud to establish an International Counter Terrorism Center as well
as the urgent need to conclude the negotiations of the Comprehensive Convention
on International Terrorism to promote international cooperation on counterterrorism.
18. Both sides shared the view that the United Nations must be comprehensively
reformed to reflect new realities of the 21st century, recognizing increasingly
important role of the United Nations in promoting world peace, stability and
prosperity. Both sides also affirmed cooperation toward renewing and revitalizing
the UN organs including the General Assembly, the Secretariat, the Economic and
Social Council and the Security Council based on the World Summit Outcome
Document adopted last September. Especially, both sides shared the view that
early reform during the current session of the UN General Assembly is necessary,
recognizing that Security Council reform is an essential element of such overall
reform. The Saudi side expressed its support for Japan’s permanent membership in
the Security Council when the expected reforms of the Council include the
enlargement of its membership. Japan expressed its deep gratitude for the support
─ 126 ─
of Saudi Arabia.
Tokyo, April 6th, 2006
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