第132回:必然の輸贏を争う愚か者

ひと息コラム『巨龍のあくび』
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第132回:必然の輸贏を争う愚か者
日本でも大ヒットした映画「クロコダイル・ダンディー」は、オーストラリアの奥地で暮らすターザンのような
ワニ狩り名人がニューヨークに登場し、そこで騒動を巻き起こすアドベンチャー・コメディで、主演のポール・
ホーガンは本作で一気にスターダムに駆け上がった。そのホーガンが特別ゲストとしてアカデミー賞授賞式
に呼ばれ、大略こんなスピーチをした。20年くらい前のことだ。「主催者から、緊張している各賞候補者たち
をリラックスさせるようなスピーチをしてくれと言われたが、オレはいやだね。緊張の汗をかきたいからこそ、
君たちわざわざ酔狂にも会場にやって来たんだろう。しっかり緊張して恐怖に耐えてくれよ。これは生放送
だからね。世界中で10億人が見ている。君らの不注意な一言が輝かしき俳優人生を一瞬にしてパーにす
ることもあるからね。それを肝に銘じてよい夜を過ごしてくれ・・・バイバイ!」このスピーチを聞いた大御所
のジャック・ニコルソンやメリル・ストリープは手を叩いて笑い転げていたが、初めてレッドカーペットを踏んだ
俳優女優たちには笑えないジョークであったはずだ。
話はここでロンドンに飛ぶ。世界バトミントン連盟は、ロンドン五輪の女子ダブルスの一次リーグで無気力
試合があったとして、8強入りしたペアのうち、韓国の2組と中国、インドネシアの各1組、都合4組の8選手
を失格処分にした。連盟の発表によると既に準決勝進出が決まっている4チームは、今後の試合を有利に
運ぶために故意に負けたとのだという。実際テレビでその試合を見ると、実に見苦しい試合であった。世界
のトッププレーヤーが繰り出すサーブは何故かミスの連発、スマッシュはネットに掛かりまくり、まるで試合
の体をなしていない。おまけに緊張感が全く感じられない異様というか異常なゲームである。これを八百長
だと云えば八百屋の長兵衛さんが怒るだろう。日本語の「勝負」をより格調高い漢語的表現で云い変えると、
「輸(負け)贏(勝ち)」となり、難解な日本語を好む裁判官はチンチロリン博打のことを「偶然の輸贏を争う」と
判決文に記すようだが、無理やり敗戦に持ち込もうとして失点を競う八百長行為は偶然でもなければ輸贏で
もないから「必然の輸輸を争う」とでも表現するのだろうか、いちど中国人に聞いてみたいものだ。
失格処分となった彼らの戦術は、合否の線引きが難しいデリケートな問題でもあり、勝負の世界では時に
先の試合を見越して目の前の試合の結果をコントロールするケースもある。例えばサッカーや野球の試合
で、次の試合に備えてレギュラーメンバーの一部を外すケースはよくあることである。しかしメンバーを落と
しても勝利を目指すことに変わりはなく、故意にミスを連発して失点を重ねるようなチームはいない。無気力
試合に観客が激怒したのは当然であるが、問題はこれで終わらなかった。この前代未聞のゲームを追及さ
れた当事者たちの発言が更に凄まじかった。
中国と韓国との一戦は、互いにミスを競い合った結果、その露骨さで勝る世界ランキング1位の中国于洋、
王暁理組が予定通り敗れることに成功する。試合後に于洋選手は堂々と「既に準決勝進出が決まっている
のに、なぜ無駄なエネルギーを使う必要があるの」と言い切った。一方韓国のヘッドコーチは無気力試合が
あったことを認め、「中国チームが仕掛けてきたからだ」とこれまた開き直り、「彼らは準決勝で中国チームが
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同士討ちするのを避けようとした。だからわれわれも同様のことをした」と弁疏した。
この発言こそがポール・ホーガンが云った「人生を一瞬にしてパーにする不注意な発言」の典型例である。
オリンピック中継を観る世界の視聴者はアカデミー賞授賞式の10億人より多く、踏んだり蹴ったりというか、
中韓両国は八百長試合と事後対応で全世界に恥を晒した。連盟の失格処分に対し、中国は「連盟の決定を
尊重する」という遺憾声明を出し、選手も謝罪した。韓国とインドネシアは抗議したが、その後インドネシアは
抗議を自主撤回した。体面を一番汚したのはどの国だろう、興味ある三カ国の対応である。
中韓両国はスポーツ大国である。中国は大国だから強くて当然と云う側面はあるが、人口5000万人弱
の韓国が獲得するメダル数は驚異的である。オリンピックにおける彼らの異常な強さには理由があり、最大
のインセンティブが報奨金制度である。事情は中国も似たりよったりで、報奨金には一時金だけでなく、年金、
勲章、高級車から豪華マンションまで含まれるケースもある。選手だけでなくコーチや監督も一緒になって
勝利に拘る所以である。勝ちに拘泥するのが悪いわけではないがオリンピック精神どころか、国家代表とし
ての矜持、観客や対戦相手に対するリスペクトの欠片も見当たらない無残な試合を観ると、その裏に存在
するであろう金銭に対する浅ましい執着を勘繰りたくなるのである。
失格した連中には罰則としてイギリス映画「炎のランナー」を観させ、反省文を書かせたいものだ。今回の
五輪開会式でロンドンフィルと Mr ビーン(ローワン・アトキンソン)がコラボして演奏したのがそのテーマ曲、
名曲中の名曲である。ときは1924年のパリ五輪、主人公は英国の2人の若者。オリンピック競技の優勝者
になることによって上流社会への仲間入りを狙うユダヤ人のハロルド・エイブラムスと、神の栄光のために
走るスコットランド人の宣教師エリック・リデル。彼らの懊悩や熱望、信仰がオリンピック競技の中で気高い
精神として昇華するストーリーは実に美しい。これこそ五輪映画であり、その理念において4チームの行為
の対極をなすものである。これはフィクションではなく実話である。ハロルド・エイブラムスはその後40年に
わたり評論家やBBCラジオの解説者として活躍し1978年に78歳で亡くなる。(炎のランナーは彼の葬儀
シーンから始まる)エリック・リデルはロンドン五輪400メートル競走で優勝した翌25年、神との約束を果た
すため宣教師として天津に渡り、戦時中も大陸に止まり1945年、太平洋戦争が終結する直前に山東省の
濰坊で亡くなる。享年43歳。(了)
文中の見解は全て筆者の個人的意見である。
平成24年8月3日
筆者プロフィール
杉野光男
東洋証券株式会社 主席エコノミスト
一橋大学商学部卒、 三菱信託銀行(現三菱 UFJ 信託銀行)入社、上海華東師範大学へ留学
同行北京駐在員、上海駐在員事務所長、理事中国担当部長を経て、2007年より現職
著書
日本の常識は中国の非常識(時事通信社)、中国ビジネス笑劇場(光文社)等
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