伝統・文化 子ども時代から、練馬には愛着がある ねりま人 ♯100 万作さんが練馬に住んで、もう 40 年以上にな け答えに 誠実な受 えます。 伺 お人柄が が、 この人間性 に自然と 台 狂言の舞 もしれません か 表れるの ります。 「子ども時代、戦争で田端から焼け出され、仮 の住まいが椎名町にありました。練馬から肥と野 稽古場兼自宅にて 菜を交換するお百姓さんが来ていたこともあり、 練馬には愛着があるんですよ」 長男の野村萬斎さんをはじめ、4人のお子さん 狂言師 野村万作 さん 日本語の美しさを正しく伝えたい も、練馬で一時代を過ごしました。 狂言は喜劇と言われますが、表面だけで笑うの 「末娘の光和小学校での同級生の実家が魚屋さ でも、かといってあまり緊張して観るものでもな んで、今も自転車で買いに行くんですよ」 いそうです。 練馬区との文化的なつながりができたのは、昭 「中庸が大切です。リラックスして、よく言葉 和 58 年、練馬文化センターのこけら落とし公演 を聴いて味わう。日本の伝統的で豊かな感性を感 から。以来、文化センターで毎年狂言公演を開催 じてください。室町時代の現代劇であり、日本人 し、平成 23 年には名誉館長に就任されました。 が作った人間賛歌の劇なんです」と、万作さんは 今後の展望を伺うと、 「石神井松の風文化公園で、 語ります。 『薪能』を実現したいですね」と意気込みます。 「昔の言葉なので、今ではわかりにくいものも あります。舞台装置はありませんが、登場人物が ゆっくり舞台を一周して『さてもさても、にぎや かなことじゃ』と言えば、都の風景がイメージで きるでしょう? 想像力で成り立つ世界ですが、 ■プロフィール 野村万作(のむら まんさく) 昭和 6 年、人間国宝・故六世野村万蔵の次男として生まれる。3 歳 で初舞台。昭和 25 年、父の幼名「万作」 を襲名。昭和 32 年、パリで狂言初の海外公演に出演。以降、世界各 地をまわり、狂言を広める。紫綬褒章や芸術祭大賞など受賞多数。平成 19 年に人間国宝、平成 20 年に練馬区 名誉区民に。平成 23 年、練馬文化センター名誉館長就任。ジュリという名の猫を飼っている。 ●万作の会 http://www.mansaku.co.jp/ 狂言は日本人が作った 人間賛歌 先入観なしで観てほしい 感情を誇張表現するので、感じはつかめると思い ます。最初に解説もありますし、先入観なしに観 れば、面白さがわかりますよ」 万作さんを中心に公演を行うグループ「万作の 上/狂言「棒縛」 の舞台より 撮影・政川慎治 左/長男・萬斎さん、孫・裕基さんと 三代で演じた平成 26 年 狂言「成上り」 撮影・政川慎治 会」では、区内の小学生向けに、狂言のワーク ショップも開催しています。「将来、日本語の美 しさを感じ、美しく正確にしゃべれるようになる ことが大切」と、朗らかななかにも情熱がこもり ます。一方で、たくさんの弟子を教える、師匠の 顔もお持ちです。 ねりま人 100 回目記念! 人間国宝にして名誉区民 「弟子に『上手にやってほしい』とは思っていま である狂言師、野村万作さんの登場です。 練馬区とのご縁は、さかのぼること40 年前。 結婚を機に大泉学園に家を構え、一度文京区に移り、 その後、石神井公園に稽古場兼自宅を構えたそうです。 練馬とのつながり、そして狂言への想いを伺いました。 4 ねりま大好き! 〜ねりま人〜 せん。20 代なら 20 代、30 代なら 30 代の階段 練馬で を少しずつのぼるもの。それをきちっとやれば、 一番好きな場所 は? それでいい。年齢にふさわしい質を問うんです」 石神井公園 セリフを覚えるのに、 自転車でよく出かけるんですよ。 芸の道を追求してきた人の重みを感じます。練 練馬文化センターのロビーに、 狂言の衣装が展示されています 馬文化センターの公演でも、野村万作さんの世界 に浸りたいですね。 〜ねりま人〜 (平成27年2月掲載) ねりま大好き! 5 伝統・文化 「人が好き」の気持ちが、表現力に ねりま人 ♯87 北町寄席が始まって 10 年以上がたちます。そ の魅力を、 「世話人の皆さんが手弁当で協力してく ださる、練馬ならではの温かい寄席ですね」 と、語 る小きんさん。やさしい話しぶりは、 「人が好き」 という想いから来ています。 「人様の 10 倍、相手に関心を持っているのが噺 家。相手の心を感じる力が、表現力につながりま す。 よく 『細かいこと覚えてるね』 と言われますが、 人間が好きなんですよ」 上/北町寄席での高座の様子。 平成 26 年 1月で71 回目を数える 寄席についてのお問合せ TEL.03-3931-6902 (後援会) 右/北町寄席でお見送りする 小きんさん (写真提供:小きんさん) そんな小きんさんの師匠は、実の父親・6 代目 つば女です。幼い頃から身近にあった落語。その に 「この人のため ?」 何ができるか じる力が、 感 相手の心を 現力に 表 噺家としての 繋がる ! 道を志したきっかけは、中 1 の時に見た、父の襲 名披露でした。 「鳴り止まない拍手、 『よかったね、また来よう』 落語家 柳家小きん さん ■プロフィール 柳家小きん(やなぎや こきん) 昭和 42 年駒込生まれ、7 歳から向山に在住。18 歳で実父、六 代目柳家つば女に入門。 平成元年二つ目に昇進、小きん( 11 代)に改名。 平成 10 年、真打に昇進。 柳家の 十八番『時そば』 などの滑稽話のみならず、人情物やサスペンス物なども演じる。「北町寄席~柳家小きん独演会」 で は地元密着、「柳家小きん独演会」 では全国を駆け回る。趣味は、食べ歩きと利き酒。 ●オフィシャルブログ小きん集 http://ameblo.jp/poco1122/ 名を継ぐ、芸を継ぐとは、 命のベクトル を継ぐこと と言いながら帰る、お客さんの幸せそうな笑顔 …。我が父ながらすごい! と思いました」 高校在学中に、父に弟子入りすることを決意。 噺家としての尊敬があったので、公私を分けるの は意外にも難しくはなかったそう。それでも稽古 取材場所は向山庭園 「誠実であれ」という教えを守って は、厳しいものでした。 柳家一門は、4 代目小さん師匠の「心よこしま 「三遍稽古といって、1 日 1 度だけ師匠の落語を なるもの、噺家になるべからず」という教えが根 聞かせて頂き、3 日目に師匠の前でやって、稽古 本にあります。 をつけて頂きます。継承してきた落語を、自分勝 「たとえば師匠を想っての行動なら、しくじっ 手に壊してはいけないんです」 ても怒られません。でも隠れて手を抜けば、逆鱗 昔ながらの師弟関係に、先人の教えが詰まって に触れる。バカでもいい、誠実で心根の善い人間 います。 であれと」 噺家でなくともドキリとする格言です。今後の 目標として、7 代目つば女を継ぎたいという思い もあるそうです。 「私の師は 10 回忌を過ぎましたが、亡くなっ 奇数月第 3 土曜日夜、北町アートプラザで、 てからのほうが、より多くのことを学んでいると 地元密着の楽しい時間を提供する北町寄席。 高齢の方でも気軽に行けるご近所寄席は、 平成 14 年にスタートし、地元住民から愛され続けています。 高座を務める小きんさんは、練馬区在住。 噺家の道について、語っていただきました。 6 ねりま大好き! 〜ねりま人〜 思います。師匠と心で対話をしながら、自分を磨 練馬で き続けると、肝心な場面で道を間違えないんで 一番好きな場所 は? す。つば女の名を継ぐのは、芸が追いついた時。 としまえん 多 忙 な父を 交 えて家 族 で、また 友人ともよく行きました。 それは、 “命のベクトル” を継ぐことでもあります」 キセルを吸う動作を披露してくれました 脈々と継がれてきた教えの下、今日も高座にあ がります。 (平成26年1月掲載) 〜ねりま人〜 ねりま大好き! 7 伝統・文化 変わった作風も自分の持ち味に ねりま人 ♯84 「仕事がとにかく好き。プロとして第一線を走 り続けるために、いつもアンテナを立てて過ごし ている」。そう語る生駒さんの作風はとても斬新! の柄は、 ズ ー リ シ 虫 しくなる 着たら楽 だろうな、 した ! ま と直感し 虫がバーでお酒を飲んでいたり、オーケストラの 作品の基となる構想図案 演奏をしていたりと、着物の概念を覆されます。 「褒められると調子にのって、もっと面白いも のを作って驚かせたくなるんです」と、アーティ スト魂を見せながらも、美術工芸品と実際に着る 商品とでは作風も変えていると言います。 虫シリーズ。子どもの頃か ら虫好きだという生駒さん 「工芸品では着物全体をキャンバスに見立てて 作品についてのお問合せ TEL.03-3904-1030 自己表現を、商品としては“用の美”として着た時 にいかに美しいか、色や柄を考えています。着物 も現代のファッションですから」プロとしての矜 弟子を育てるうちに自分も成長する 持を支えるのは、確かな技術です。 東京友禅作家 生駒暉夫 さん ■プロフィール 生駒暉夫(いこま てるお) 昭和 29 年、長野県佐久市生まれ。練馬区南田中在住。高校まで は美術とは縁がなかったが、知人の紹介により呉服会社の専属デザイン部に入社。友禅や水墨画を学ぶ一方で、 武蔵野美術学園の夜間部にも通う。昭和 59 年、30 歳で独立。平成 7 年、41 歳の時、 日本伝統工芸の粋が集う 「日 本伝統工芸展」 に初入選。 その他、 日本伝統工芸染織展、 東京都染芸展など、 様々な展覧会で入賞・受賞を果たす。 (公社) 日本工芸会正会員。毎年、日本橋三越で個展を開催。 自己表現と、 “ 用の美 ” この道40年、飽きることはない 「ムラサキツユクサの絞り汁で描く下絵、モチ 自分の作風が出てくるまでには相当の年月がか 米の糊で覆って柄が染まらないようにする糸目な かる職人の世界。 ど、20 工程くらいあります。地染めのときは、 「生駒さんの作品はすぐわかる」と言われるよう 部屋いっぱいに布地を張って、大きな刷毛で染め になったのは、独立からさらに 10 年後のことで ていくんですよ」 した。この道 40 年を経て、今は後進を育てるこ それらを学んだのは、呉服会社のデザイン部 とにも注力しています。 でした。仕事後や休日には様々な工房を訪ねる 「私も弟子から見られているんです。成長し続 日々。さらに美術学校の夜間部にも通学。12 年 けなければ、ガッカリされてしまう。そうやって 修業し、独立を果たしました。 背伸びをしているうちに、背が伸びていくもので はないでしょうか」 もちろん、師匠として、時には厳しく指導にあ たります。 「人間、怒られないと成長しませんから。中途 半端な商品を作れば売れない。絶えず結果を出さ なければならない。プロに逃げ道はない。だから 厳しくするんです。今年の春には 7 番目の弟子が 京都、加賀に並ぶ三大友禅の一つ、東京友禅は、 独立を果たしました」 一人の職人が全工程に関わるので、個性が表れます。 そんな職人の一人である生駒さんは、 「地場産業として行政に守られていない分、自由。 かわりに新しいものを発信し続ける必要がある」 と、伝統工芸の魅力と厳しさを語ってくれました。 8 ねりま大好き! 〜ねりま人〜 グローバル化、高齢化が進むなか、後継者を育 練馬で てなければ先人たちから受け継がれてきた文化が 一番好きな場所 は? 石神井公園 春夏秋冬、様々な風景に出会え、 発見があります。 なくなってしまう、という危機感を感じている 「着物というキャンバスに何を描くか」 絵描きの感覚 生駒さん。日本の美しい伝統工芸を守るため、こ れからも弟子たちと切磋琢磨しながら歩み続けま す。 (平成25年10月掲載) 〜ねりま人〜 ねりま大好き! 9 伝統・文化 富士塚のコアな楽しみ方、教えます ねりま人 ♯33 身軽に「下練馬富士」へ登っていく有坂さん。す ぐにガイドは始まりました。 「富士塚は江戸時代以降各地に作られました が、 『富士講』 と呼ばれる信仰グループの子孫が残っ ているところでは、今も継続して富士塚をケアし 4つの 区内には あります。 富士塚が と登ったら 有坂さん ! 楽しめそう に プ ー ィ デ ています。解散した場合、氏子やその神社の宮司 さんが手入れをすることになります」 平成 20 年 12 月に出版した『ご近所富士山の 謎』 でも、ユニークな視点から各地の富士塚を紹介 上/大泉富士(八坂神社:大泉町1-44-1) いつでも登拝できます。 (写真提供:有坂さん) (P.25 参照) しています。 「富士塚には基本構造があって、まず土を盛った 円錐状の斜面が必要。昔はより本物に近づけるた アートも今は富士山オンリー め、頂上に富士山の土を乗せたそうですよ。次に 富士塚ツアーガイド・美術家 有坂蓉子 さん ■プロフィール 有坂蓉子(ありさか ようこ) 美術家。練馬区桜台出身、大泉育ち。東京藝術大学美術学部絵 画科油画専攻卒業。12 年間のアメリカ滞在中、個展やグループ展など多くのアートパフォーマンスを行う。平成 10 年より富士塚めぐりや、富士山をモチーフとした作品の制作も開始。著書に「古くて新しいお江戸パワースポット 富士 塚ゆる散歩」、「ご近所富士山の 『謎』富士塚御利益散策ガイド 」講談社 +α新書がある。 ●芙蓉庵の 【富士塚日記】 http://hibiscusfujizzz.blog.shinobi.jp/ 学者の話とは違う観点で、 富 士 塚 を見て知るのも楽しい 登山道とお中道をつけて、富士山の土台が完成し 同じ富士塚でも、足を運ぶ度に新たな発見があ ます。他に4つのパーツがそろって初めて、正式 ると言います。 な富士塚に。まず頂上に『奥宮』 。7 合目辺りに『烏 「宝探しみたいで面白いです。下練馬富士では、 帽子岩』 、5 合目右側に『小御嶽神社の祠か石碑』 。 猿の石像が好き。とっても人間らしい表情をして さらに山裾の右側に『胎内』として洞窟があれば完 いますよね?」 璧です!」 そんな有坂さんは、アーティストとしての顔も 下練馬富士には、胎内のかわりに角行の石像が お持ち。 大学卒業後、 アート活動のため渡米。 ボディ あってユニークですが、全パーツがそろっていま ペインティングなど大胆なパフォーマンスを手が した。予備知識があると、富士塚登拝の楽しみ方 けてきたそうです。 がグンと広がりますね! 「アメリカで日系人の新年パーティーがあり、そ こで鳥居を作ったら、 『初詣ができた!』と喜んで もらえました。その時 『かたちを通して、本当の気 持ちを再現できるんだ』 と気づきました。この発見 が、私の中で富士塚の理念とピタリと合ったので す。以来、創るのは富士山ばかり (笑) 」 本当の富士山に登ったのは過去2回。2度とも 夜中に、印象深い体験をしたそうです。やはり富 信仰の山・富士山を模した関東各地の「富士塚」を巡り、 士山には、霊力があるのだと感じざるを得ない その魅力を発信しているのが、有坂蓉子さん。 ロングヘアにハンチング帽を小粋にかぶった有坂さん からは、富士山が好きでたまらない様子が溢れてきます。 東武練馬駅南口にある商店街沿いの「下練馬富士」を ガイドしてもらいつつ、ご本人の魅力に迫りました。 10 ねりま大好き! 〜ねりま人〜 練馬で 一番好きな場所 は? 大泉富士 子ども時代から親しんだ場所で、 何度も登りました。 上/下練馬富士 (浅間神社:北 町 2-41-2) 、 平 成 21年 6月 の 様子。植え込みの奥が富士塚。 いつでも登拝できます 右/昔は、富士山の溶岩を運ん できて富士塚を造りました。レ クチャーするときに指す棒は、 先端が磁石になっているので、 鉄分を含んだ溶岩にだけくっつ きます と、有坂さんは言います。 「これからも、自分にしかできないことをしたい です。あっ、もしかしたら富士のパワーに動かさ れているのかな?」 富士塚を語れば、自然と笑顔がこぼれる有坂さ んでした。 (平成21年6月掲載) 〜ねりま人〜 ねりま大好き! 11 伝統・文化 男湯と女湯、全体で1枚の絵に! ねりま人 ♯17 てきぱきと足場を組み、 朝9時過ぎに制作スター ト。身長より高いはしごをひょいと上り、ロック クライマーが岩壁に張り付くような格好に。 「はしごが怖くなったら、この仕事は終わりだ ね」 と、言い切ります。 空や山の稜線などアウトラインは大胆なロー 完成した背景画 「赤富士」 ラー使い、松の枝には繊細な筆使い、タオルを丸 めてスタンプのように使って雲の柔らかな質感と 塗り替え前の背景画 奥行きを出し…と、様々な道具を使いこなす中島 るく ! 広く ! 明 ! つ 富士は一 大セオリー 三 背景画の さん。見る見るうちに、一面の水色ベタ塗りの壁 に絶景が現れ、昼 12 時過ぎには男湯の赤富士、 堂々完成! 細かい部分は筆で描き込む 「浴場をいかに広く、明るく見せるかが大事。広 いところはより広く、狭いところは川などで奥行 銭湯絵師 きを出す。露天風呂に入ったみたいにのびのびし 中島盛夫 さん どこまでも一徹、どこまでも一発勝負 た気分になるでしょ」 ■プロフィール 中島盛夫(なかじま もりお) 昭和 20 年福島県出身。昭和 39 年に上京して間もなく、背景画師 の故・丸山喜久男氏に師事。初めてローラー使いを考案し、背景画制作の時間短縮に貢献。銭湯の減少にともな い背景画師が減る中、丸山清人氏と並び、日本を代表する背景画師の一人として幅広いフィールドで活躍中。練 馬区北町在住。 背景画で浴場を広く、 明るく見せる。 露天風呂 に入ったみたいでしょ また、 「富士山が2つあったらおかしい」と男湯 もとは墨田区向島でゴム製部品の製造工場で働 と女湯で同じ絵を描かないのもルールです。 いていた中島さん。上京して間もなく、偶然に入っ 「男湯で富士山を描いたら、女湯では水辺などの た銭湯が、背景画の世界に踏み込むきっかけとな おだやかな風景にするなどのメリハリが必要。そ りました。 れでいて、全体では1枚の絵になるような構図の 「忘れもしない昭和 39 年、東京オリンピック 工夫をしないとね」 のあった年だよ。福島には銭湯なんてなかったか ここまで熟練するのに10年はかかるそうです。 ら、壁の富士山を見てびっくりしちゃってね。自 分も描きたい! って飛び込んだの」 師匠は故・丸山喜久男氏。現役で活躍する背景 画師、丸山清人氏の叔父にあたる人です。 「人には恵まれたね。もともと絵を描くのは好 きだったし、いやだと思ったことは一度もない。 お風呂に限らず、頼まれれば壁画でも何でも描く し、どこへでも行くよ」 銭湯の数が減るとともに、背景画(ペンキ絵)の 職人さんも、減少の一途をたどる現実…。 今や日本に数名しかいません。その背景画師の一人、 練馬区在住の中島さんの仕事現場を訪ねました。 今回の仕事場は、板橋区常盤台にある銭湯 「岩の湯」さんです。その仕事ぶりとは――。 12 ねりま大好き! 〜ねりま人〜 さかさ と言った次の瞬間、「ホラ、逆 富士! 自然光 練馬で 一番好きな場所 は? 上/描き始めは遠景から が入っているときがいいんだよね~」と、窓ガラ 右/休んでいるように見えても、 描きかけの壁面から目は離れない。 弟子の田中みずきさんと スに映った完成ホヤホヤの赤富士を指差す中島さ ん。ご自身の作品を眺めるまなざしは優しく、満 石神井公園 足感にあふれていました。背景画マイスターの手 よくスケッチに出かけたよ。 地元の「北町寄席」も面白い! 仕事、庶民文化の継承を心から願っています。 (平成20年2月掲載) 〜ねりま人〜 ねりま大好き! 13
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