SANE20年の歩みと成果 - NPO法人エクアドルの子どものための友人の

SANE 20 年の歩みと成果
① SANE の年表
SANE 年表
SANE の出来事
SANE 設立。奨学生 10 名支援。
初代代表 菰田宇市。
年
会員数
1989
27
1990
50
1991
54
1992
64
1993
80
1994
1995
78
85
奨学生 30 名。
奨学生 30 名。大学生援助開始。SANE 青年部設
立。
1996
100
1997
110
1998
122
1999
129
2000
130
奨学生 35 名。国際ボランティア貯金 95 年度は最
高額 1100 万円余を受領。
奨学生 35 名。エクアドル SANE との間で資金運
用について議論が活発化。
奨学生 40 名。SANE 青年部が活躍し、独自に図
書費などを寄付。
奨学生 40 名。エクアドル経済危機、銀行閉鎖・預
金凍結。SANE 設立 10 周年。
奨学生 44 名。エクアドル SANE と分離。
現地新組織準備会設立。
2001
120
2002
2003
120
128
2004
127
2005
2006
131
2007
2008
2009
143
2010
140
* 斜字はエクアドルでの出来事
日本・世界の出来事
奨学生 19 名。文通支援開始 (10 名) 。国際宅急
便 DHL 社の協力開始。
奨学生 20 名。エクアドル SANE 法人化、事務所
開設。教育環境改善事業開始。
奨学生 30 名。国際ボランティア貯金配分金事業
開始。 (以降ほぼ毎年受給。)
奨学生 30 名。この頃から委員の現地出張が毎年
行われるようになる。
奨学生 41-44。SOJAE 設立、事務所をエマウス
(キト市文化遺産) に置く。
奨学生 45 名。
奨学生 45 名。コンピューター室完成。学校菜園事
業開始。医学生基金開始。
奨学生 44 名。彩の国さいたま国際交流基金受給
開始。ホームページ開設。
奨学生 43 名。
奨学生 44 名。SANE 法人化総会決定。初代代表
東城康夫。第 1 回ツアー。
奨学生 42 名。関西地区活動報告会初開催。職業
訓練事業開始。ぺぺ米国移住。
奨学生 42 名。法人格取得。クエジャヘ支援終了。
国際ボランティア貯金廃止。
奨学生 43 名。専門家育成プログラム開始。カヤン
ベ車購入
奨学生 43 名。新版 SANE チラシ作成。
39
–
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–
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–
平成元年
ベルリンの壁崩壊
消費税 3%開始
スクレ・ドル換算 約 568 スクレ/$
小中で「君が代・日の丸」義務化
先住民全国組織 CONAIE 全国蜂起
ソ連邦解体
湾岸戦争勃発
日本バブル崩壊
PKO 法案成立
多くの国営企業を民営化
EU 発足
サッカー J リーグ開幕
エルニーニョによる被害甚大
日本米不足
阪神淡路大震災
地下鉄サリン事件
スクレ・ドル換算 約 2,565 スクレ/$
ペルー日本大使公邸人質事件
教育法改定、10 年間の義務教育
日本金融機関破綻相次ぐ
消費税 5%
長野オリンピック開催
多文化・多民族の国家宣言
日銀ゼロ金利政策
過去 70 年間で最悪の経済危機
カメラ付き携帯電話発売
スクレ・ドル換算 25,000 スクレ/$
(最終的にこのレートで FIX された。)
– 自国通貨を放棄、ドル化
– アフガニスタン空爆
– 米国同時多発テロ
–
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–
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–
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–
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–
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–
サッカー W 杯日韓同時開催
イラク戦争
日本出生率 1,29
連立政権誕生、先住民すぐに脱退
新潟県中越地震
裁判員制度法成立
郵政民営化衆院選挙自民党圧勝
日本郵政株式会社発足
ライブドア事件
–
–
–
–
–
–
–
猛暑、74 年ぶりに最高気温更新
コレア政権誕生
中国四川大地震
米証券会社リーマンブラザーズ破綻
オバマ氏、米大統領に
衆院選で民主党勝利、政権交代へ
第 20 憲法を元に改革と対立
② 事業成果表
 資料 1: 卒業生の軌跡
2009 年度までの卒業生一覧
Co.
フリガナ
誕生日
大学名
専攻
最終
学歴
入会
年
退会
年
退会
理由
支部
住所
卒業後の状況
1 ターニャ・イダルゴ
75/06/30
不明
1989 1990
退会
キト
不明
詳細不明。Tierra-Canela の歌手
2 ジョニー・メナ
74/03/23
高卒
1989 1993
中退
キト
キト
2004 年にコンタクトが取れるように
なる。最高裁判所のメッセンジャー
として勤務。支部会議に出席する
など、SOJAE に協力
3 ルス・ジャクリネ
76/03/23 中央大学
大卒
1989 1994
卒業
キト
キト-Pifo
Pifo 高校で教師として勤務。既婚。
4 ウェンディ・セロン
77/05/07 INSTUR
観光経営学専攻
大卒
1989 1995
卒業
キト
キト
5 ロベルト・ペニャフィエル
77/09/19
高卒
1989 1995
卒業
キト
キト
ガラパゴスツアープロジェクトで活
動。既婚。1児の母。SOJAE の活
動に参加
不明
6 エレナ・イダルゴ
77/10/30
高卒
1989 1996
卒業
キト
キト
7 サンティアゴ・コレア※
77/11/13 中央大学
商業科
大卒
1989 1995
卒業
キト
トゥンバコ
8 クリスチャン・トアパンタ
77/12/05 国立ポリテクニカ大学
電気工学部
78/02/08 専門学校
システムエンジニア学科
大卒
1989 1995
卒業
キト
キト
大卒
1990 1997
卒業
キト
キト
10 バネッサ・サンブラーノ
78/04/01
高卒
1989 1995
卒業
キト
キト
Dirección de Aviación Civil
(DAC) にて勤務
1999 年に結婚
11 ルイス・マイラ
大卒
1989 1996
卒業
キト
トゥンバコ
既婚
12 ジェオバニー・オルティス
79/02/28 中央大学
エコツーリズム専攻
75/01/30
高校中退
1990 1995
中退
キト
トゥンバコ
既婚
13 ヘンリーパジャスコ
78/10/07
高卒
1990 1996
卒業
カヤンベ
タバクンド
不明
14 エディス・テジョ
75/06/30
不明
1990 1993
キト
不明
不明
15 エリザベス・ガラルサ
75/09/15 中央大学
大学
1990 1994
卒業
キト
キト
16 グスタボ・ペンシャエレラ
76/05/29
不明
1990
不明
死亡
キト
死亡
17 ヘイディ・セバジョス
77/03/04 軍の商業大学
大卒
1990 1996
卒業
キト
キト
ピチンチャ銀行に勤務
18 エドワルド・ベルトラン
77/10/14 中央大学・経営学
大学
1990 1995
卒業
キト
キト
19 マイテ・グアンバ
75/02/17 不明
高卒
1990 1993
キト
不明
結婚して一児の父。大学で会計と
して働く
結婚
20 フレディ・ツルカナサ
79/01/13
大卒
1990 1996
卒業
キト
タバクンド
タバクンドで仕事をしている。大学
生奨学金貸与の最初の受益者
21 ベロニカ・アルメイダ
76/06/24
高卒
1994
卒業
カヤンベ
カヤンベ
生花産業に勤務。女児がいる。
22 アリシア・イダルゴ
76/08/22 不明
高卒
1994
卒業
キト
オーストラリア 結婚してオーストラリアに住む
23 マルコス・アリアス
77/10/31
高卒
1995
卒業
キト
プエンボ
不明
24 ヘンリー・チョチョス
78/07/18 エキノクシオ技術大学
会計
高卒
1996
卒業
キト
キト
結婚して1児の父。仕事をしている。
大学入学以降不明
25 エリアナ・セバジョス
78/12/26
大卒
1996
卒業
キト
クエンカ
結婚してクエンカに住む
26 ルス・エレラ
79/09/13
高卒
1996
卒業
キト
キト
眼鏡店に勤務
27 ルイス・キンチグアンゴ
79/03/26
高卒
1991 1997
卒業
キト
不明
28 ルイス・グアマン
79/09/06
高卒
1991 1998
卒業
キト
不明
3年生までキトで学んでいたことは
わかっている
不明
29 ファウスト・グスマン
80/08/15 中央大学
獣医学
大卒
1991 1998
卒業
カヤンベ
キト
30 ロドリゴ・タイペ
82/01/17
専門卒
1991 2000
卒業
キト
獣医。SOJAE の活動に参加を希
望
2005 に死亡 (事故死)
31 カルラ・ムエラ
79/01/03
高卒
1992 1996
卒業
キト
キト
不明
32 カリーナ・イマイセラ
80/03/09
高卒
1992 1998
卒業
キト
キト
不明
33 アドリアナ・アルキンガ
76/10/07 ITHI (旅行専門学校)
自然ガイド技術専攻
80/07/16 国立ポリテクニカ大学
情報工学
大卒
1992 1994
卒業
キト
タバクンド
大卒
1993 1998
卒業
キト
キト
85/03/24 国立ポリテクニカ大学
電気機械工学専攻
79/08/30 中央大学
システム工学専攻
80/08/10
大学
旅行代理店勤務。SOJAE 健康委
員会責任者。
キト支部の、元代表。結婚。
Logiciel で働き、大学でも講師とし
て教える。
キト支部で活動。
81/04/11 大学
教育学専攻
81/10/19
84/01/11 中央大学
企業経営
84/01/03 中央大学
会計学
9 エクトル・スリタ
34 ダニー・ディアス
35 クリスチャン・ディアス※
36 ジョアナ・ベドヤ
37 ファウスト・カルピンテロ
38 ダーウィン・バスコネス
39 エルサ・クンガン
40 グローリア・シンバーニャ
41 ジェオバニー・ベルトラン
結婚して1児の母。時折 SOJAE
を訪れる
Paris-Quito (繊維会社) にて仕入
れ責任者として勤務。SOJAE の
元代表。
企業に勤務。既婚
1993 2002
卒業
キト
キト
大学
1995 1997
卒業
キト
キト
高卒
1995 1998
卒業
キト
キト
機械工場に勤務
大学
1995 1998
卒業
カヤンベ
カヤンベ
カヤンベ支部で勤務
高卒
1995 1999
卒業
カヤンベ
カヤンベ
大学
1995 2002
卒業
キト
キト
カヤンベのチーズ包装の仕事をす
る
結婚して一児の母。Linktel で働く。
大学
1995 2002
卒業
キト
キト
不明
40
42 テレサ・プラド
84/07/27
高卒
1995 2002
卒業
キト
キト
結婚して一児の母。自宅で縫製業。
SOJAE に時折訪問
43 マイラ・バロス
84/10/24 中央大学
医学部
大卒
1995 2002
卒業
キト
キト
44 ディエゴ・チュンガンドロ
84/10/10 中央大学
大卒
1995 2002
卒業
キト
キト
SOJAE の活動に参加。医学生奨
学金 (月 80 ドル) の貸与を受け卒
業。インターン
水族館に勤務。キト支部の活動に
参加。一児の父
45 ディエゴ・モヤ
84/12/16 国立ポリテクニカ大学
大卒
1995 2002
卒業
カヤンベ
キト
46 ホセ・ランデタ
84/08/04 中央大学
エコツーリズム専攻
85/05/21 中央大学
会計学専攻
85/12/26
大学
1995 2003
卒業
カヤンベ
キト
大卒
1995 2004
卒業
カヤンベ
キト
仕事をしている。一児の母。
高校中退
1995 2001
中退
カヤンベ
カヤンベ
49 エロイ・デラクルス
80/09/05 サレシアナ大学
通信教育
大学
1996 1999
卒業
カヤンベ
カヤンベ
50 ブラウリオ・バレラ
83/03/27
高校中退
1996 2000
転居
カヤンベ
カルチ
2001 年10月に生花産業で勤務し
ていた。
結婚。ビスコチョ店で働く。時折
SOJAE を訪問。
2000 年にカルチに転居
51 パメラ・アリアス
大卒
1996 2002
卒業
カヤンベ
キト
大学
1996 2005
卒業
キト
53 ブランカ・リタ
84/12/03 国立ポリテクニカ大学
機械工学を専攻
85/03/30 中央大学
保育専攻。最終学期。
85/02/02
高校中退
1996 2001
中退
クエジャヘ
54 アンヘル・ビニャチ
86/09/09
高卒
1996 2005
卒業
クエジャヘ
55 アルキミデス・バカ
86/04/19
高卒
1996 2005
卒業
クエジャヘ
キト
キトで働いている。
56 ドリス・モロチョ
86/06/09
高校中退
1996 2004
中退
キト
キト
不明
57 ベルサベ・ヒメネス
88/07/21
高校中退
1996 1999
中退
クエジャヘ
キト
58 ルイス・チュケ
87/06/08
高校中退
1996 2001
中退
キト
キト
59 ディエゴ・バレラ
大学
1996 2005
卒業
キト
キト
60 セサル・ベラステギ
87/06/01 国立ポリテクニカ大学
石油工学専攻
87/08/05
結婚して一児の母。日本人学校で
夫と共に用務員。時折 SOJAE を
訪れる。エクアドルフォンドのメンバ
ーだった。
2001年にオリエンテで建設業に
従事
キト支部に所属
高校中退
1996 2002
卒業
キト
キト
不明
61 ルイス・ダビラ
87/11/13
高卒
1996 2005
卒業
クエジャヘ
クエジャヘ
コミュニティの女性グループで勤務。
ラジオ・インタグで活動。
62 ベロニカ・キシュペ
大学
64 ベロニカ・ラストラ
85/08/30 中央大学
会計学専攻
86/06/29 中央大学
法学部・法律
86/08/13
65 エディソン・エスピン
47 ディアナ・バスケス
48 ダーウィン・クスコ
52 アナ・カニャル
働いている。
キト支部に所属。アエロガル航空
会社就職。
キト
結婚し一児の母。SOJAE の活動
に参加。
オタバロ
夜間高校で勉学していたが中退後
不明
サントドミンゴ・ 道路標識関係の会社に勤務
デ・コロラド
1997 2004
卒業
カヤンベ
キト
女児の母。
大学
1997 2004
卒業
キト
キト
女児の母。時折 SOJAE を訪れる。
中学中退
1997
中退
クエジャヘ
オタバロ
レストランで働く。
87/11/29
不明
1997
カヤンベ
カヤンベ
不明
66 ナタリー・シエラ
87/08/13
専門
1998 2005
卒業
カヤンベ
カヤンベ
キトのエコツーリズム専門校で勉強。
67 ナタリー・ルアノ
大学
1998 2004
卒業
キト
ツンバコ
キト支部に所属
68 マウラ・ナバレテ
86/05/25 国立ポリテクニカ大学
経済学専攻
89/01/02
中学中退
1998 2001
中退
クエジャヘ
クエジャヘ
学校中退
69 ディアナ・ベドヤ
84/01/03 企業経営学部 3 年生
大学
1998 2002
卒業
キト
キト
一児の母
70 パトリシア・ネバレス
86/11/14
高校中退
1998 2001
中退
キト
キト
不明
71 グラディス・クリオジョ
85/02/26
高校中退
1998 2000
死亡
キト
死亡
72 アタワルパ・チリボガ
86/10/07
高校中退
1998 2004
中退
キト
キト
連絡取れず
73 アンドレス・ビニャチ
85/10/08
高校中退
1998 2001
中退
クエジャヘ
クエジャヘ
74 ホアン・キンチュアンゴ
86/01/05
中学中退
1998 2001
中退
クエジャヘ
タバクンド
コミュニティの副代表。エコツアーリ
ズムを仕事にしようと若者たちで努
力中。
タバクンドに転居。勉強している。
75 フランシスコ・バスコネス
89/03/12 国立ポリテクニカ大学
地理学
90/08/11
大学
1998 2006
卒業
カヤンベ
カヤンベ
高卒
1998 2006
留年
カヤンベ
カヤンベ
SOJAE の活動に参加。奨学生の
勉強を支援
留年
高卒
2001 2005
卒業
キト
ツンバコ
門番として働いている。
78 ミリアム・シンゴ
87/01/19 通信で勉強中
経営学
90/10/20
高校中退
2000 2004
中退
キト
キト
スーパーで仕事。結婚。
79 ナンシー・ペニャフィエル
86/07/13
中卒
2000 2004
中卒
クエジャヘ
80 エリザベス・レジェス
大学
1999 2008
卒業
キト
キト
父の家に同居。働き始める予定。
81 デイジー・アルメイダ
89/10/21 グアヤキル大学
医学部
84/11/13
高卒
2000 2002
卒業
カヤンベ
キト
修道院。医学部に入ると聞いた。
82 パブロ・カバスカンゴ
88/04/20
高卒
2000 2006
留年
カヤンベ
カヤンベ
留年して退会したが卒業した。
83 カルロス・カペロ
大卒
85/10/29 サレシアナ大学
社会コミュニケーション専攻
大学
88/02/18 カルチ技術大学
エコツアー
1999 2004
卒業
カヤンベ
1999 2005
卒業
カヤンベ
キトー
カヤンベ
キト
県の合唱団に所属。SOJAE の活
動に協力。
働きながら学んでいる。民族舞踊
のグループで活動「
63 アンドレア・モロチョ
76 ファウスト・ツティージョ
77 ホアン・サンチェス
84 ルイス・エスピノサ
85 ルイス・セバージョス
86/08/05
高卒
2000 2006
卒業
クエジャヘ
キト
現在、スーパーマーケットに勤務
86 パウリーナ・ヴェラスケス
85/06/07 中央大学
経済学部会計学専攻
87/07/07 カミロ・ガジェゴ高校
通信教育。
88/10/11 中央大学
獣医学専攻
大学
2001 2003
卒業
キト
キト
時折 SOJAE を訪れる。
高校
1999 2001
中退
カヤンベ
アヨラ・
父とアヨラで整備工として働く。
大学
1999 2005
卒業
キト
コタカチ
(クエジャヘ)
87 ルイス・カベサス
88 ジョナタン・プロアニョ
41
元クエジャヘ
89 マリセラ・ロドリゲス
88/07/05
高卒
2001 2008
卒業
クエジャヘ
クエジャヘ
一児の母。子育て中。
90 マリア・ジェペス
89/07/13
中卒
2001 2004
中卒
クエジャヘ
クエジャヘ
勉強をやめる。結婚
91 エステラ・ギターラ
87/11/06
高卒
2000 2007
卒業
クエジャヘ
アンバト
キト日本語学校事務。
92 ロサ・ロドリゲス
大学
2001 2006
卒業
キト
ツンバコ
中央大学 1 年生で医学専攻
93 ラウラ・ピント
88/05/10 中央大学
医学専攻
84/04/30
中卒
2001 2004
中卒
クエジャヘ
キト
パン屋で働いている。結婚し1児の
母。現在妊娠中。キト在住。
94 ノルマ・ペニャフィエル
88/05/25
高校中退
2001 2005
中退
クエジャヘ
オタバロ
不明
95 ソイラ・カレラ
83/10/27
高校中退
2001 2003
中退
キト
Yaruquí
不明
96 ロベルト・クアスコタ
87/01/03
不明
2001 2005
卒業
カヤンベ
カヤンベ
不明
97 ベロニカ・モラレス
87/09/04
高校中退
2002 2005
中退
カヤンベ
カヤンベ
携帯電話販売店に勤務。1児の母。
98 ナンシー・アンドランゴ
大学
2002 2007
卒業
カヤンベ
カヤンベ
カヤンベ支部の活動に参加
99 クリスチィアン・トゥンバコ
89/08/17 二言語異文化間大学
建築学
87/05/20
高卒
2002 2005
卒業
キト
キト
就業中。
100 マリア・レマ
87/12/23
高卒
2002 2005
卒業
キト
チェカ
現在、生花業者の事務として勤務
101 エドウィン・パスト
大学
2002 2005
卒業
キト
キト
時折 SOJAE を訪れる。
102 ジェシカ・ガルシア
87/09/18 中央大学
言語学専攻
86/02/20 中央大学
大学
2002 2005
卒業
キト
キト
中央大学 3学期目
103 ジョバンナ・グアニャ
90/07/22
不明
2002 2005
キト
ツンバコ
不明
104 ホセ・ベラステギ
87/09/07
専門卒
2002 2006
卒業
キト
キト
現在、警察官講習受講。
105 ディアナ・エルナンデス
大学
2002 2004
卒業
カヤンベ
カヤンベ
通信教育。既婚。
大学
2002 2008
卒業
カヤンベ
カヤンベ
働きながら学んでいる。
大学
2003 2006
卒業
キト
キト
キト支部に所属
108 マルシア・レスカーノ
87/04/18 ラテンアメリカ
クリスティアナ大学
会計監査
88/03/07 ボリバル大
システム専攻
88/10/19 中央大学
経済学専攻
88/02/09 大学中退
大学中退
2003 2005
卒業
キト
キト
現在、就業中。
109 ダマリス・モンテネグロ
87/08/08
高卒
2003 2005
卒業
キト
キト
美容院で受付として働く。
110 スリー・アジャラ
86/02/17
中卒
2003 2004
中卒
クエジャヘ
クエジャヘ
既婚。クエジャヘの活動に参加
111 サティア・パスプエル
91/06/26
高校
2003 2007
辞退
キト
キト
奨学金は辞退した。 (バレリーナ)
112 クレベル・ペレス
88/06/14 中央大学
土木工学専攻
90/04/22 中央大学
土木工学専攻
91/07/24 ノルテ技術大学
会計専攻
91/12/12 中央大学
社会コミュニケーション
91/03/07
大学
2003 2006
卒業
キト
キト
大学
2003 2008
卒業
カヤンベ
カヤンベ
大学
2003 2008
卒業
カヤンベ
カヤンベ
大学
2003 2007
卒業
キト
キト
高校中退
2004 2005
中退
キト
キト
奨学生を飲酒事件で一時退会後
復帰。
大会後飲酒事件に関わる。
専門
2004 2008
卒業
キト
キト
工場に勤務。
122 ルイス・エドゥアルド・ゴメス
90/08/09 高等技術大学(夜間)
自動車工学専攻
92/06/10
大学
2005 2006
辞退
キト
キト
奨学金を辞退した。情報なし。
124 アドリアーナ・ラストラ
92/10/14
不明
2005 2006
辞退
キト
キト
不明
125 ジェシカ・ロガチョ
90/02/07 中央大で監査
大学
2005 2008
卒業
キト
キト
コンサルタント会社に勤務。
126 ジェセニア・モラレス
大学
2005 2008
卒業
キト
キト
127 アンドレア・カテリーネ・ポソ
91/02/08 中央大学
システム工学専攻
93/06/14
高校
2005 2009 中途退会 キト
キト
129 クリスティアン・サンドバル
94/03/08
高校
2005 2007
辞退
キト
キト
奨学金を辞退した。情報なし。
130 グラディス・シンバニャ
90/02/20 中央大学で監査専攻
大学
2005 2008
卒業
キト
キト
コンサルタント会社に勤務。
133 マリア・キシュペ
90/11/11 会計関連に進む予定
大学
2005 2008
卒業
カヤンベ
カヤンベ
135 ビクトル・インバキンゴ
86/06/26
高卒
2005 2008
卒業
カヤンベ
カヤンベ
白血病の治療中下半身不随
136 アリシア・ピラタクシ
89/05/20 イバラの大学
マーケッティング
90/06/12 サン・パブロ・デル・ラゴの
教育学校
91/03/22
大学
2005 2007
卒業
カヤンベ
カヤンベ
美容院に勤務しながら学ぶ。
大学
2005 2008
卒業
カヤンベ
カヤンベ
小学校の先生を目指して学ぶ
高卒
2007 2008
卒業
カヤンベ
カヤンベ
貯金し、来年学校に入るために就
業中。
キト
キト
106 セサル・ルソン
107 ジョアナ・ギジェン
114 アンドレア・コヤギージョ
115 カリナ・ファリナンゴ
117 オスカル・フロレス
118 エディソン・プジャス
119 ワシントン・ウグシャ
150 エリカ・グアスグア
154 カルロス・カヤンベ
カヤンベ支部の活動に参加。
87/08/18
不明
2000 2000
転居
157 サンディ・アルグエジョ
94/01/29
高校
2007 2009
卒業
キト
128 マルコ・サリナス
91/05/24
高卒
2005 2009
卒業
キト
キト
働いている
131 アレックス・ソルダード
91/07/08 軍の工科大学
大学
2005 2009
卒業
キト
キト
137 サンディ・プラマリン
飲酒問題で一時退会したが復帰。
元キト奨学生代表。SOJAE の活
動に参加。
会計助手として働く。大学進学希
望
石工助手として働き、将来は大学
希望
* グレス・ルビオ
中途退会
91/11/29
高卒
2005 2009
卒業
カヤンベ
カヤンベ
161 アンダーソン・サンチェス
96/05/09
高卒
2008 2009
卒業
カヤンベ
カヤンベ
120 アドリアナ・モンテロス
91/12/06 中央大学
法律
91/02/25
大学
2004 2009
卒業
カヤンベ
カヤンベ
113 アナ・チマロ
高卒
2003 2009
卒業
カヤンベ
カヤンベ
116 ロレナ・インバキンゴ
91/10/24
高卒
2003 2009
卒業
カヤンベ
カヤンベ
42
キトに住み働く。調理を学びたい。
 資料 2: 教育環境改善事業リスト
教育環境改善事業の記録
支部: 1=キト、2=カヤンベ、3=クエジャヘ
千円以下は四捨五入
No.
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
年
学校
1987 サン・ホセ・チコ
1988 アベラルド・ヌニェス・アコスタ
1990 アベラルド・ヌニェス・アコスタ
アルヘレッド・ボアダ
エスパーニャ
〃
〃
サン・ホセ・チコ
ペドロ・ホセ・アルテタ
カプリート・ミオ
イタリア
1991 マヌエル・トバール
マルチンギ
プロビンシア・デ・オロ
ヘネラル・カリクチマ
ホセ・カネロス
マヌエリータ・サエンス
チャルトゥラ
1992 アベラルド・ヌニェス・アコスタ
カヤンベ
ダビ・マナンゴン
グスタボ・ハリン
マヌエル・アルバン
シン・ノンブレ
アヤクーチョ
ホセ・イグナシオ・カネロス
プロビンシア・デ・オロ
エルネスト・アルバン
マリスカル・スクレ
ルイス・N・.ディジョン
フェルナンド・ダキレマ
セグンド・A・アルテタ
ニニョス・エスペシアレス
マルコ・ロドリゲス
フランシスコ・A・マリン
マヌエル・キロガ
マリオ・コボ・バロナ
シモン・カストロ
ラファエル・アビレス
ナサコタ・プエント
ハルディン・ルイス・ハリン
マヌエリータ・サエンス
1993 パシフィコ・プロアーニョ
カヤンベ
フェルナンド・ダキレマ
レオポルド・チャべス
ガロ・ベラ・アルバレス
ペドロ・ホルヘ・ベラ
レオニーダス・プロアーニョ
ナサコタ・プエント
マルコ・ロドリゲス
ウンベルト・フィエロ
インガピルカ
ハルディン・ガブリエラ・ミストゥラル
アルヘレッド・ボアダ
ペドロ・ホセ・アルテタ
アルベルト・モンカヨ
1994 ガロ・ベラ・アルバレス
支部
予算額
2 13.5 万円
2 26 万円
2 50 万円
2
1
1
1
2
1
1
1
85 万円
2
2
2
2
2
2
2
2
2
1
2
2
2
2
2
2
1
1
2
2
2
2
1
2
2
1
2
1
1
2
2
2
2
2
2
2
1
1
1
583 万円
これに
加えて
車購入
資金
200 万円
499 万円
ただし
SANE
からの
送金は
含まれず
891 万円
所在地
タバクンド
モンハス・アルト・カヤンベ
モンハス・アルト・カヤンベ
タバクンド
サン・ミゲル・デ・カルデロン
〃
〃
タバクンド
ラ・メルデ・ピチンチャ
トゥンバコ
キト
モンハス・アルト・カヤンベ
ラ・コンバレセンシア
アンチョラグ
チュピロマ
エル・アト
ピエモンテ
グアチャラ
コチャパンバ
アヨラ
エル・チャウピ
サント・ドミンゴ
カリアク
プリサ
トゥルクーチョ
カヤンベ
ラ・コンパニーア
サンタ・クララ
トゥンバコ
カハス
アヨラ
アヨラ
ホアン・モンタルボ
ホアン・モンタルボ
コトコジャオ
タバクンド
ラ・コンバレセンシア
プリサ
ラ・エスペランサ
ラ・エクアトリアナ
オトンシート
パンバマルキト
ホアン・モンタルボ
ラ・コンパニーア
サン・パブロ・ウルコ
クスバンバ
タバクンド
タバクンド
ラ・メルセ
ジャノ・チコ
ラ・エクアトリアナ
43
事業名
教室
教室
台所・教室
給食室・ストーブ
水のタンク
下水
ポンプ
給食室・ストーブ
教室・給水タンク
ドア・窓
教材
教室
教室
給食室
教室
給食室
給食室
給水タンク
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
教室
給食室
給食室
教室
教室・トイレ
教室
教室
2 教室の統合
教室修理と給食室
給食室
給食室
中庭整備・壁・トイレ
食堂のテーブル・中庭
給食室・用務員の部屋・壁
教室・トイレ
トイレ
セリアノ・モンヘ
59
サン・ビセンテ
60
カルロス・ゲラ
61
サンタ・エウラリア
62
アタワルパ
63
プリメロ・デ・ノビエンブレ
64
レオポルド・チャべス
65
メルセデス・スアレス
66
マヌエル・ビジャビセンシオ
67
カヤンベ
68
ホセ・イグナシオ・カネロス
69
ニニョス・エスペシアレス
70
レオニーダス・プロアーニョ
71
マヌエル・アギラール
72
ルミニアウイ
73
フランシスコ・ロブレス
74
75 1995 ウンベルト・ゴメス
フランシスコ・スリタ
76
カミノス・デ・インカ
77
ラティノアメリカ・ウニダ
78
ハルディン・パキシャ
79
ガロ・ベラ・アルバレス
80
ホセ・ペラルタ
81
サン・ホアン・デ・キタソル
82
リベルタ
83
アウレリオ・アイジョン
84
ウゴ・アレマン
85
シンダ・デ・ガンテ
86
ベニグノ・マロ
87
トゥレインタ・デ・オクトゥブレ
88
レオニーダス・プロアーニョ
89
セントロ・インファンティル・カヤンベ
90
マヌエル・アギラール
91
シウダ・デ・イバラ
92
ガスパル・デ・カルバハル
93
ロドリゴ・デ・トゥリアナ
94
プリメロ・デ・ノビエンブレ
95
96
マリア・E・サラサル
アンドアス
97
ミゲル・デ・サンティアゴ
98
99 1996 コルディジェラ・デ・ロスアンデス
シン・ノンブレ
100
グスタボ・イトゥラルデ
101
サン・ホアン・デ・キタソル
102
パトリア
103
シン・ノンブレ
104
レオン・トルストイ
105
ホセ・ブルバニョ
106
107
ルイス・A・グランハ
ベインテ・ヌエベ・デ・マヨ
108
アウレリオ・アイジョン
109
ホアン・スアレス・チャコン
110
ハイメ・ロルドス
111
リリアナ・ロハス
112
113
メダルド・A・シルバ
ルイス・カデナ
114
115 1997 ベインティ・ドス・デ・フリオ
ドセ・デ・フェブレロ
116
ベイティ・シエテ・デ・フェブレロ
117
エスパーニャ
118
イスラ・サンタマリア
119
ハイメ・ロルドス
120
レオネス・デ・オイオ
121
ルス・デ・アメリカ
122
マリスカル・スクレ
123
ロサ・ロペス
124
シン・ノンブレ
125
1
1
1
1
1
1
2
1
1
2
2
2
2
2
2
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
2
2
2
2
2
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
3
3
3
3
1
1
1
1
1
2
2
2
3
3
1
3
2
1
1
1
2
1
3
グアマニ
オチョ・キロメトロ・ビア・サント・ドミンゴ
グアマニ
ヘルサレム
オヤコト
ルンドゥ・パンバ
ラ・エスペランサ
トゥピガチ
トカチ
ラ・コンバレセンシア
コチャパンバ
カヤンベ
パンバマルキト
ラ・パクチャ
イサカタ
サン・ホセ・アルト
1074.5 万円 プエンガシ
トゥルバンバ
エル・ベアテリオ
プラン・ビクトリア
パキーシャ
ラ・エクアトリアーナ
ホセ・ペラルタ
サン・ホアン・デ・キタソル
タンラグア
カピスガシ
エル・ランチョ
カンガウア・プンゴ
クスバンバ
ピングルミ
パンバマルキト
カヤンベ
ラ・パクチャ
グアジャバンバ
ピンタグ
ピンタグ
ウンドゥパンバ
ビア・ロス・バンコス
アンドアス
ユンギージャ
アロアグ
843 万円
ロメリージョス
ただし
タニクチ
サン・ホアン・デ・キタソル
SANE
からの
サン・アルベルト
送金は
エル・パライソ
含まれず
エル・クリスタル
ラ・ロマ
プラン・テチョ
サン・アントニオ・デ・ピチンチャ
カスピガシ
サン・ホアン・デ・カルデロン
ククプロ
ピタナ
ラ・チンバ
チュピエスタンシア
1033 万円 ラ・マグダレナ
ナポレス
車購入
エル・キンチェ
資金
ペニャエレラ
含む
カンガウア
ククプロ
プルラウア
エル・ロザリオ
サント・ドミンゴ
ラ・ビクトリア
プラヤ・リカ
44
トイレ
教室完成・給食室
教室・トイレ
教室
給食室・トイレ
トイレ
給食室
給食室
給食室・トイレの修理
教室
教室
給食室
トイレ
教室・トイレ
教室・トイレ
教室
トイレ
教室
トイレ
教室・トイレ
トイレ
教室
教室
教室
給食室・トイレ
トイレ
トイレ
給食室
給食室・トイレ
給食室・トイレ
給食室
保育園の園舎
給食室
給食室・トイレ
給食室・トイレ
給食室・トイレ
給食室
給食室。トイレ
給食室
トイレ
トイレ
給食室の修理
給食室
給食室・宿泊室の修理
トイレ
教室
トイレ
給食室
給食室
教室
給食室
教室
トイレ
トイレ
教室
トイレ
トイレ
トイレ
給食室
教室
給食室
トイレ
トイレ
教室
給食室
トイレ
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
171
172
173
174
175
176
177
178
179
180
181
182
183
184
185
186
187
188
189
190
191
192
シン・ノンブレ
1998 ミゲル・デ・イダルゴ
ベリサ・リオ・ケベド
ドス・デ・アゴスト
ホアン・V・モラレス
グスタボ・A・ベッケル
イスラ・サンタ・イサベル
ヘネラル・スクレ
ホセ・ペラルタ
シン・ノンブレ
フリアン・キト
レプブリカ・デ・コロンビア
リカルド・オルティス
マンコ・カパク
1999 セントロ・インファンティル・エマウス
シン・ノンブレ
フランシスコ・デ・オレジャナ
ホアン・デ。ベラスコ
ベインティ・シエテ・デ・フェブレロ
アウレシオ・エスピノサ
キンセ・デ・ヂシエンブレ
ホアン・V・モラレス
ハイメ・ロルドス
アウレリオ・エスピノサ
ベジョ・オリソンテ
ベジョ・オリソンテ
2000 ホセ・ルイス・モレノ
キト支部
カヤンベ支部
2001 パトリア
パトリア
パトリア
フランシスコ・デ・オレジャナ
サンタ・クルス
ドセ・デ・アゴスト
ジェオバニー・カリス
プロビンシア・デ・オロ
マルコ・ロドリゲス
フランシスコ・アンドラデ・マルティン
2002 ドス・デ・アゴスト
エスパーニャ
フランシスコ・デ・オレジャナ
ホセ・ブルバニョ
ホアン・V・モラレス
カヤンベ
マリオ・カボ・バルナ
モンセニョール・プロアーニョ
2003 グスタボ・アドルフォ・ベッケル
リリアナ・ロハス
アルキレス・ペレス
カヤンベ
2004 ルミニャウイ
ホセ・I・カネロス
メラルド・アンヘル・シルバ
ウンベルト・フィエロ
グスタボ・A・ベッケル
アキレス・ペレス
ウンベルト・フィエロ
タバクンド高校
2005 アタワルパ
イスラ・サンタマリア
マヌエル・アギラール
サルウク
セミジタス・デ・フツロ
M・L・プロアーニョ
オルランド・ペロン
ルイス・U・サルガド
1
3
3
3
2
2
2
1
1
1
1
1
1
1
1
3
3
2
1
3
1
2
1
3
1
1
3
1
2
3
3
3
3
3
3
2
2
2
2
3
3
3
3
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
サチャプンゴ
696.3 万円 クエジャヘ
クエジャヘ
クエジャヘ
カヤンベ
カヤンベ
カヤンベ
キト
キト
キト
ピチンチャ
ピチンチャ
ピチンチャ
ピチンチャ
626.8 万円 エル・キンチェ
エル・パライソ
プラヤ・リカ
プカラ
エル・キンチェ
プチェス・カルチ
カウピチョ
エル・プラド
エル・キンチェ
プチェス・カルチ
エル・キンチェ
エル・キンチェ
クエジャヘ
70 万円
キト
カヤンベ
サン・アルベルト
165 万円
サン・アルベルト
サン・アルベルト
サン・アルベルト
エル・パライソ
サン・ホアキン
カヤンベ
アヨラ
アヨラ
アヨラ
164.4 万円 サン・ホアキン
ペニャエレラ
プラヤ・リカ
ラ・ロマ
カヤンベ
ラ・コンバレセンシア
アヨラ
カンガウア
101.2 万円 カンガウア
カンガウア
カンガウア
カヤンベ
143.2 万円 イサカタ
コチャバンバ
ラ・チンバ
サン・パブロ・ウルコ
カンガウワ
カンガウワ
サン・パブロ・ウルコ
タバクンド
352.9 万円 イサカタ
ラ・カンデラリア
ラ・パクチャ
エル・ベルデ
ピングルミ
パンバマルキト
ピエモンテ
ピタナ・アルト
45
教室
トイレ
給食室
給食室
教室
給食室
教室
トイレ
教室
教室
トイレ
給食室
給食室
給食室
教室
給食室・食堂
給食室・食堂
給食室・食堂
給食室・食堂
給食室・食堂
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
トイレ
教室・倉庫
給食室・食堂
図書室
図書室
給食室・食堂
宿泊室
トイレ・教室
トイレ・給食室・食堂
教室・給食室・食堂
給食室・食堂
教室
トイレ
教室
トイレ
トイレ
給食室・食堂
トイレ
教室・給食室・食堂
トイレ・教室
給食室・食堂・教室
トイレ
教室・食堂
学校菜園
学校菜園
学校菜園
学校菜園
食堂、調理室、教室、トイレ
調理室、食堂、教室
トイレ
調理室、トイレ
学校農園
学校農園
学校農園
学校農園
食堂
教室
教室、貯水タンク、トイレ
衛生設備
トイレ
トイレ
教室、貯水タンク、トイレ
貯水設備、教室
193
194
195
196
197
198
199
200
201
202
203
204
205
206
207
208
209
210
211
212
213
214
215
216
217
218
219
220
221
222
223
224
225
2006
2007
2008
2009
パドレ・ファン・デ・ベラスコ
グスタボ・A・ベッケル
アキレス・ペレス
ウンベルト・フィエロ
タバクンド高校
ホセ・ルイス・モレノ
サラウク
アタワルパ
グスタボ・A・ベッケル
グスタボ・A・ベッケル
アキレス・ペレス
ウンベルト・フィエロ
タバクンド高校
アントニオ・アルセド
ヘネラル・A・エルサルデ
カリアク保育園
カレーラ保育園
グスタボ・A・ベッケル
アキレス・ペレス
ウンベルト・フィエロ
タバクンド高校
ウンベルト・フィエロ
コンバレセンシア
グスタボ・A・ベッケル
アキレス・ペレス
ウンベルト・フィエロ
タバクンド高校
ウンベルト・フィエロ
グスタボ・A・ベッケル
ルイス・U・サルガド
バレド・ファン・デ・ベラスコ
ヘネラル・A・エルサルデ
オルランド・ペロン
2
2
2
2
2
3
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
2
274.9 万円
159.5 万円
171.5 万円
車資金
として
200 万円
送付
158.4 万円
プカラ
カンガウワ
カンガウワ
サン・パブロ・ウルコ
タバクンド
クエジャヘ
エル・ベルデ
イサカタ
C・ロテ・ドス
C・ロテ・ドス
カレーラ
サン・パブロ・ウルコ
タバクンド
クニブロ
ピサンビージャ
カリアク
カレーラ
C・ロテ・ドス
カレーラ
サン・パブロ・ウルコ
タバクンド
サン・パブロ・ウルコ
カヤンベ
C・ロテ・ドス
カレーラ
サン・パブロ・ウルコ
タバクンド
サン・パブロ・ウルコ
C・ロテ・ドス
ピタナ・アルト
プカラ
ピサンビージャ
ピエモンテ
46
教室、貯水設備
学校農園
学校農園
学校農園
学校農園
学校管理施設
学校施設塗装
教室、調理室、
雨水灌漑施設
学校農園
学校農園
学校農園
学校農園
教室建設 (個人寄附金)
調理室、教室
保育室
調理室、食堂、教室
学校農園
学校農園
学校農園
学校農園
職業訓練
食堂、調理室 (個人寄附金)
学校農園
学校農園
学校農園
学校農園
職業訓練
学校農園
学校農園
学校農園
学校農園
学校農園
 資料 3: 学校菜園
学校菜園実施地区一覧
コミュニティ名
ピタナ・バホ
カレラ
ロテ・ドス
サン・パブロ・ウルコ
教区名
カンガウア
カンガウア
カンガウア
オルメド
標高
2600-2900m
3096m
3464m
3200m
地勢・自然条件
痩せた傾斜地
痩せた急勾配の土地
灌漑用水は少ない
森林生育限界より上の草 パラモの後退
原地帯 (パラモ) 肥沃な黒
土
1.5ha
3-7ha
5-6ha
4.5ha
自給用、トウモロコシ
大麦、自給用
長ネギ
自給用、牧畜
収入
キトへ出稼ぎ、生花産業
被雇用労働
外部への移動は少ない
被雇用労働収入は、31%
が 50 ドル以下、30%が
100 ドル以下、35%が
200 ドル以下
当初の
農業改善の
可能性
広い面積を必要としない
非伝統的耕作
水路ができる。
農牧業発展の可能性。
市場向け生産物の多様化 パラモの適切な利用によ
の可能性
る生産性向上
パラモの復活と保存を試
みる。
伝統作物の栽培に適して
いる。
学校・教師の
状況
一年間で校長が 2 度変わ
る。
2 ヶ月にわたる教員のスト
ライキ。教師はケチュア語
を話せない。
教師の交代が頻繁。ストラ
イキに入らず。学校とコミ
ュニティがうまくいっていな
い。教師はケチュア語を
話せず。
教師は外部者であるが、
先住民であり、協力的。同
じ教師が勤務している。ケ
チュア語を話す。ストライ
キに入らず。
全教師コミュニティの出身。
バイリンガル教育に熱心。
授業に地域の人が参加。
ストライキと授業の両立。
コミュニティの
状況
コミュニティリーダーが交
代しやる気のない人にな
った。3 ヶ月以上に及ぶ用
水路の修理によって、地
域全体に水がなくなる。
コミュニティの組織は良い
状態。しかし、女性グルー
プ、保護者の会が、自己
主張を強め学校と対立す
ることがあり、学校菜園の
進行にも影響を与えてい
る。
コミュニティにはアルコー
ル依存症が存在し、コミュ
ニティリーダー等と話し合
いが困難なこともある。女
性の力が弱い。水の使用
を含めて、菜園に協力的。
コミュニティの組織が強く
教育委員会に地域出身
の教師を要請し、これを実
現。先住民運動のリーダ
ーを輩出。貧しいが人び
との結びつきが強い。
学校菜園の
プロセス
当初事業に積極的。後に
変化。学校非協力的。事
業中止決定。
【失敗】
当初コミュニティが水供給
の許可を出さず。 (その後
解決)
【継続しているが発展が見
られず】
保護者が中心になって、
活動。保護者も独自に菜
園事業開始。教師が教科
書制作に意欲。
【継続。一定の発展】
見事な菜園。先生自身が
伝統知識を活かして苗木
を育成。他校と交流し、影
響を与える。【継続。他地
域への発展】
1951 人 226 家族)
人口
土地所有
農作物
その後の進展
保護者の意見が学校菜園 サンパブロ・ウルコの協力
の目的と相違し、中止。
で木工研修も始まる。
47
木工・溶接研修も開始さ
れ、地域に人材が残る努
力が継続。
 資料 4: 専門家育成奨学金貸与一覧
専門家育成奨学金貸与一覧
Nº
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
氏名
現状
貸与額
返済額
残額
クリスチャン・トアパンタ
ベロニカ・ペドラサ
パメラ・アリアス
マイラ・バロス
ディアナ・バスケス
ディエゴ・チュンガンドロ
ヘンリーチョチョス
カルロス・カペロ
クリスチャン・ディアス
ダニー・ディアス
アラセリ・エルナンデス
ルイス・マイラ
ナタリ・ルアノ
グローリア・シンバーニャ
ベロニカ・キシュペ
フレディ・ツルカナサ
ディアナ・バスケス
エクトル・スリタ
ロドリゴ・タイペ
ジェッシカ・ガルシア
アナ・カニャル
ルイス・エスピノッサ
ウラディミル・ベラステギ
ロサ・ロドリゲス
ジョアナ・ギジェン
エルナン・セバジョス
エドウィン・パスト
国立工科大学
ロハ私立校
国立工科大学
国立中央大学
国立中央大学
国立中央大学
エクノクシアル技術大学
サレシアナ大学
国立工科大学
国立工科大学
国立中央大学
国立中央大学
国立工科大学
国立中央大学
国立中央大学
専門校
国立中央大学
専門校
専門校
国立中央大学
国立中央大学
国立中央大学
国立警察学校
国立中央大学
国立中央大学
国立職業専門校
国立中央大学
工学部
観光
機械工学
医学
経営
エコツアー
経営
社会コミュニケーション
電気
システム工学
公共事業
エコツアー
財政
経営
会計学
システム工学
会計学
システム工学
システム工学
ソーシャルワーク
保育
医学
下級警察官
医学
経済
機械工学
語学
卒業
卒業
卒業
卒業
在学
卒業
退学
卒業
卒業
卒業
退学
在学
在学
退学
在学
卒業
在学
卒業
死亡
卒業
卒業
退学
警官
在学
在学
退学
退学
360.00
170.00
518.00
310.00
69.30
65.00
127.50
900.00
870.00
909.00
45.00
146.00
100.00
130.00
126.40
934.07
130.40
100.00
70.00
360.00
100.00
100.00
150.00
100.00
200.00
50.00
100.00
360.00
170.00
0.00
250.00
0.00
0.00
0.00
30.00
0.00
909.00
45.00
0.00
0.00
0.00
20.00
0.00
0.00
40.00
0.00
0.00
100.00
30.00
40.00
5.00
0.00
20.00
35.00
0.00
0.00
518.00
60.00
69.30
65.00
127.50
870.00
870.00
0.00
0.00
146.00
100.00
130.00
106.40
934.07
130.40
60.00
70.00
360.00
0.00
70.00
110.00
95.00
200.00
30.00
65.00
28
29
30
31
32
33
34
ワシントン・ウグシャ
カリーナファリナンゴ
セサル・ルソン
グラディス・シンバーニャ
クリスチャン・キルンバ
ジョアナ・ギジェン
マイラ・バロス
専門校
国立中央大学
専門校
国立中央大学
専門校
国立中央大学
国立中央大学
機械工学
会計学
システム工学
会計学
電子工学
経済
医学
在学
在学
在学
在学
在学
在学
在学
720.00
238.00
400.00
410.00
300.00
150.00
300.00
0.00
0.00
0.00
0.00
0.00
0.00
0.00
720.00
238.00
400.00
410.00
300.00
150.00
300.00
●
●
●
●
大学名
専攻
中途退学した学生でも他校に入りなおして勉強している元奨学生も多い。この表では貸与を受けた時の資料のみ掲載。
太線より上は旧専門家育成 (大学生基金) で、資金は SANE からと富本氏からの直接寄付による。
太線から下は新プログラムで、資金はスペンサー氏の寄付の利子と個人寄付
マイラ・バロスへの医学生特別基金はここには含まれていない。 48
 資料 5: SANE・SOJAE の奨学生プログラム
1. 目的
SANE・SOJAE の奨学生プログラムは、基礎教育の修了と、より良
い社会の実現のために活躍する青年の育成をめざします。
2. 対象者
学業に強い意欲を持つ経済的に困難な中・高校生 (現在 43 人) 。
3. プログラムの内容
奨学金の授与、学業・生活支援、社会活動への参加、 SANE 会員と
の毎月の文通を通して交流します。
活動の大きな柱1 SANE 会員との文通制度
奨学生は、毎月自分の生活をふり返って、日本の文通相手 (パドリーノ・マドリーナと呼んでいます) のために手紙を
書きます。これは、自己を見つめ、表現するという大切な機会となっています。
SANE 会員にとって文通は、直接できる教育支援の機会となっています。一人の奨学生と SANE 会員とが文通を通
して卒業まで交流することで、深いつながりを作ることができます。
【SANE の約束】
•
個人のつながりは文通に限られ、奨学金は個人ではなく会から支給されます。
•
同様に贈り物や会の外での交流は行いません。余計な期待を奨学生に抱かせないための約束です。
【手紙のやりとり】 (→DHL は日本・エクアドル間で手紙を無料送付して下さっています。)
日本→エクアドル
パドリーノ・
マドリーナ
翻訳者
文通担当
DHL でエクアドルへ
奨学生
エクアドル→日本
奨学生
SOJAE 中央
各支部
DHL で日本へ
文通担当
翻訳者
パドリーノ・
マドリーナ
活動の大きな柱 2 社会活動への参加
奨学生達は積極的に次のような活動をしています。
【中・高校での講座】
キトの奨学生達は、毎年1年を通して一つのテーマ (昨年はジェンダー、権利) の学習に取り組みます。そして、他の
青年達に学んだことを伝えるためにファシリテーターとなって高校等を訪問し、講座を開き議論します。
【コミュニティの子どもたちへの講座】
カヤンベの子どもたちも子どもの権利保護などのテーマを学習し、人形劇にして子どもたちにわかりやすく伝えるため
の準備をします。コミュニティの小学校や、空き地などで講座を行い、子どもたちとゲームなどを交えて伝えていきます。
このような活動の中で、奨学生達は社会の現状やあり方を考え、自分の意見を表明し、他に働きかける中で多くのこと
を学びます。
49
③ SANE コンサートの歴史
 SANE エクアドルコンサート 20 年の歩み
SANEコンサートの歩み
No.
1,2
3
4
5
開催年
テーマ
出演者
会場
自由の森学園
マヤ・アイレス、自由の森学園音
飯能市民会館
楽科、ロス・トレス・アミーゴス、ネフ
大ホール
ェティティ
ネプチューン海山、マヤ、舞鼓、
飯能市民会館
大ホール
チャカ・トゥンバ (アングシャ)
88, 89 年
90 年 06 月 30 日 南米エクアドル
チャリティーコンサート
91 年 07 月 06 日 LA MUSICA
*LA FIESTA 同時開催
92 年 07 月 12 日 えくあどる ちゃりてぃ こんさーと
7
93 年 07 月 04 日 太陽と人生の物語
LA RAZA
94 年 06 月 12 日 大地 LA TIERRA
ロス・トレス・アミーゴス
エイサー・サバド
マヤ、ロス・トレス・アミーゴス、ラ
ス・ニンジャス、村田三郎
ラ・パルティーダ、シサイ
8
95 年 06 月 18 日 GAMBATEANDS
インティ、ピガピガ、ウィニャイ
9
96 年 06 月 30 日 エクアドル子どもたちのコンサート
日出克、シサイ
10
テゥパク・アマル、ルイス・リオス、
打木進太郎、シサイ
11
97 年 05 月 24 日 風にのって
EL VIENTO
97 年 09 月 21 日 QUITO からの便り
12
98 年 05 月 02 日 GOSPEL CELEBRATION
13
99 年 05 月 29 日
14
00 年 07 月 02 日 再会 REENCUENTRO
15
01 年 07 月 15 日 SANE エクアドル・コンサート
16
02 年 06 月 23 日 SANE エクアドル・コンサート
ザ・チョウズン・ワンズ、ビバ・ムシ
カ
ロス・ソリスタス (木下尊惇、菱本
幸二、ロス・トレス・アミーゴス、
マヤ)
ロス・ソリスタス、高橋昌宏、打木
進太郎、小林智詠、小松邦彦、東
京大学民族音楽愛好会、日本女
子大学フォルクローレ愛好会、飯
能 1 丁目・2 丁目囃子保存会、ホ
セ・アルメイダ
ロス・トレス・アミーゴス、シサイ、岡
田浩安、西元寺哲史、
ホセ・アルメイダ
シサイ
17
03 年 06 月 22 日 SANE エクアドル・コンサート
NORA y su ORQUESTA
6
18
本谷美加子 (オカリナ)
薗田憲一とデキシーキングス
19
SANE エクアドル・コンサート
「世界は日の出を待っている」
05 年 06 月 26 日 SANE エクアドル・コンサート
20
06 年 09 月 24 日 SANE エクアドル・コンサート
NORA y su ORQUESTA
21
07 年 07 月 15 日 SANE エクアドル・コンサート
「Encuentros/出逢い」
08 年 10 月 12 日 エクアドルふれあいコンサート実行委員
会主催「アンデスのほほえみ」
10 年 04 月 02 日 エクアドルふれあいコンサート実行委員
会主催「EL PASO・歩み」
木下尊惇フォルクローレユニット
1
2
04 年
シサイ
50
木下尊惇 & 上松美香
カチート寺沢、岡田浩安、
ホセ・アルメイダ
飯能市民会館
大ホール
飯能市民会館
大ホール
飯能市民会館
大ホール
飯能市民会館
大ホール
飯能市民会館
大ホール
飯能市民会館
小ホール
飯能市民会館
小ホール
飯能市民会館
大ホール
飯能市民会館
大ホール
杉田
杉田
杉田
杉田
佐々木
パブロ
マローネ
亀山
飯能市民会館
大ホール
亀山
飯能市民会館
大ホール
東城
飯能市民会館
大ホール
飯能市民会館
大ホール
飯能市民会館
大ホール
飯能市民会館
大ホール
飯能市民会館
大ホール
飯能市民会館
小ホール
東城
飯能市民会館
小ホール
飯能市民会館
小ホール
東城
東城
栗原
東城
佐々木
東城
東城
座談会: SANE のコンサートの歩みと私たちの思い
―木下尊惇・東城康夫・杉田優子
SANE コンサートは SANE にとって、とても大切なイベントになっています。
度々、心よく出演くださっている木下尊惇さんを囲んで、コンサート主催責任者の東城康夫理事、代
表理事の杉田優子が本音を吐露しながら木下さんのコンサートに対する「こだわり」「優しい眼差し」に迫
ってみました。
木下尊惇さん…日本を代表するフォルクローレ演奏家。SANE のコンサートには何度
も出演。
難しいペペとの共演も何度もお願いしている。
東城康夫理事…フルート職人を生業とする。自らの音楽的こだわりを大切にしたコン
サート作りで独自の質の高いコンサートを実現してきた。現地事業の責任
者としても活躍。
杉田優子代表理事…SANE コンサートが現地音楽グループの出演で行っていた頃の実
行委員長を務める。たくさんの問題を抱えて奔走した。現在代表理事。
司会: 櫨本稲子…飯能市で一市民として様々な活動をしている。SANE の良き友人。
今回は、一観客としてわからないことを質問する形で進める。
司会:今日司会を務めさせていただきます、櫨本です。私は SANE
会員ではないのですが、いつも市民ネットワークで SANE
の話は聞かせていただいています。わからないことが多い
かと思いますが、一観客として色々ご質問させてください。
まずは、みなさん自己紹介を兼ねて、一言ずつお願いします。
杉田:私の場合、SANE との最初のかかわりがコンサートでした。
佐々木玲子さんが、今回この記念誌に書いて下さったのを
読んで、私がコンサートの後で皆さんにお礼状を出しまし
ょう、と言った最初の人らしいことを知りました。でもまっ
たく覚えていないのですが。 (笑) それまで、来る人が来れ
ばいいというスタンスだったようです。そんなこともあっ
櫨本さん
て、コンサートの実行委員長なども何回かやるはめになっ
てしまって…。とにかく大変で、コンサートが終わると「こんな大変なことは、絶対やりた
くない! 」という感じでしたね。櫨本さんも何度もイベントの主催者をやっていらっしゃる
ので、お分かりかと思いますが、大きいイベントをやって、関係者が疲れ果ててしまうとい
うのは良く聞く話ですね。でも SANE のコンサートはその後も毎年続きました。不思議な
ことですが。
司会:わかります。SANE が毎年やっているのはすごいです。今年で何回になりましたか。
東城:23 回目です。ノラさんが 2 回目に来てくれた時が第 20 回だったんです。その後、木下さん、
シサイ、木下さん…と続いてきました。これは大きいコンサートだけで、小さいコンサート
51
を入れたら、僕が関係してから平均年 2 回やっています。
杉田:毎年 1000 人規模のコンサートをやって事業資金を作るという考えについて、信じられな
いことだとある方に言われました。コンサートをやらなきゃ事業ができないわけですよね。
「そうことを誰が決めたんですか! 恐ろしいことを決めましたね」って言われて、そういえ
ばそうだなと気がついて。 (笑)
東城:さすがに大ホールに 1000 人集めるのは難しくって、21 回目のシサイまでで終わりにして、
その後、木下さんにお願いした 22 回目から小ホールに変えました。
杉田:あの時ぺぺに、大ホールを諦めてもらうのがとても大変でした…。ぺぺは、本当は大ホール
で続けたかったんです。
東城:聴かせたいという思いが強かったのだと思いますよ。僕だって未練はありました。でも、だ
んだん人を集めるのが難しくなって…当初はぺぺ一人で 100 人以上集めていましたね。で
も、ノラさんにお願いしたときに、彼女でも大ホールは埋められなかったのです。その時大
ホールはもうやめなくてはと思いました。
司会:その転換期に出演して下さった木下さん、当時の様子を覚えていらっしゃいますか。
木下:はい、 (当時のコンサートチラシを見ながら) ペペと知り合
ったのが、98 年でしたね。小さなコンサートも含めて、ずい
ぶんやらせていただきました。
単にぺぺを友達として付き合うのであれば、多分、今までつ
きあっていなかったと思うんです。ご承知のとおり、ペペは
マイペースで、振り回されるんです。でも、いつも思うのは
ペペの「志」ですよね。つきあっていて困ることもありまし
たが、やっている目的は、真似の出来ることではないです。
将来、未来に向けて絶対必要なことは《教育》だと、僕も思い
ます。彼の始めた「志」がこれだけの大きな輪になったこと
に学ぶことは多いし、僕に出来ることがあれば、ペペとケン
コンサートのチラシ
カしてでもやろう! と…。そういう気持ちは未だに揺らいで
いないですね。
杉田:ぺぺへの思いはみんな似たようなものなのですね。 (笑)
木下:僕はボリビアに長く住んでいたので、エクアド
ルとの違いは多少あるでしょうが、向こうの人
達の考え方も分かるし、向こうの音楽や業界に
ついてある程度知っているので、ペペの音楽に
ついての考えが違っている、誤解しているので
はと感じる点も実はあるのです。一方でぺぺの
思いもよくわかります。だからこそ、コンサート
を作っていく段階で、彼の意見をそのまま受け
入れるのではなく、厳しくズバズバと言って来
ましたね。最高のものを作りたいと考えていました。
52
ぺぺと木下さん
(コンサートでの一場面より)
杉田:ペペは木下さんをすごく信頼していました。ですから、木下さんとのコンサートをとても
楽しみにしていました。木下さんご自身も、この 10 年変わられましたね。
木下:はい、すごく変わりましたよ。
杉田:最初のころは、ピリピリしていて恐かったです。今は随分丸くなりましたね。
木下:自分でもそう思います。音楽はこうあるべきだ! という思い
が強かったですね。自分はボリビア、アンデスの音楽を背負
っているつもりだったので、絶対に正しく日本に知らしめ
たい! 間違いはいかん! と思っていたんです。もうひとつは、
音楽に上流、中流、下流があるとすれば、上流に引き上げる
ことが音楽にとっていいことだと思っていましたから、そ
れに全力を傾けていました。
その後、年齢的なものも含めて、いろいろな経緯、経験を経
て、特に最近では音楽の本来の姿は、無名性にあると…。高
い低いなど人間界のことです。しいて言うならば文化、文化
と人の関係、文化ってなんだろう、音楽ってなんだろう…。
木下さん
最近僕は農業を始めましたが、その理由を考えてみると、興
味ということもありますが、音楽家として、そういうことを体験していくと、音楽ももっと
柔軟な方向へ、皆がそれぞれ自由に携わりながら、形を変えながら浮遊している状態がい
いのではないか…ということを、最近すごく思うようになったのです。取りとめもない表
現になりましたが…。
東城:実は僕も農業を始めました。わかるような気がしますね。木下さんの歌を聞かせていただ
いて、最近、特にラテン音楽ってなんだろうと考えることがあります。垣根を取り払って、
人々の暮らしとか生活に生きるとか、そういうものを歌で表現する、それが「ラテン」では
ないかと。そういう音楽を柔軟に表現するには、大ホールは無理な気がしますね。大ホール
は強いインパクトを作らないと人を呼べないし集まらないからです。その点小ホールです
と、もっと自然に、音楽が好きな人が集まる。小ホールで、自然体でできるようになって、コ
ンサートを作る楽しみが増えたように思います。可能性が広がってきました。いろいろな
ジャンルのコンサートも出来ます。
杉田:大ホールでやっていた時は、音楽的なことは別として、SANE を知らせなくちゃいけない!
資金を作らなくちゃいけない! という思いが強かったです。それはそれで意味があったと
思います。小ホールだとそれほど苦労しなくても出来るけれど、その分「広がり」というこ
とを考えるとどうだろうか…と思うこともあります。
東城:それはありますね。ただ、収益性でみるならば、さほど変わらないのです。大ホールだと支
出も大きかったですから。
木下:コンサート実行委員会のミーティングで、
「がんばって 500 人集めよう」という発言が出た
時に、僕が「異議申し立て」をしたのを覚えていらっしゃいますか。
杉田:そんなこともありましたね。1000 人のホールでしたから 500 人は半分でした。
木下:目標はあくまでも満席にしていただきたい、最初から目標を半分に設定するのはいかがな
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ものかと。ただ単にお客さんを呼んで、資金を稼ぐのであれば、有名人を連れてきて集客数
を上げればよい、そうやってエクアドルにお金を送る考えはありますか? と聞いたら、当時
の実行委員長の西脇さんから「そういう気持ちは全くありません! 」とお答えいただきまし
た。それが、僕ができることはできる限りさせていただこうと思った大きな理由です。
東城:そうですね。大事なこだわりです。でも、実行委員長をやっていると、つい、お客さんを集め
るにはどうしたらいいかとばかり考えるようになってしまいます。
司会:音楽を聴いてもらうのか収益性をあげたいのか、その狭間で葛藤があるわけですね。
SANE としての立場、コンサートを作る人側の思い、出演者の考え、三者三様の立場がある
のですね。ところで、大ホールから小ホールに変わって、どのような変化があったのでしょ
うか。それぞれの会場にまつわる苦労話などお聞かせください。
東城:大ホールでの苦労は、まず出演者選び、それから
チケット売りです。本当にチケットを売るのは
大変な苦労でした。
木下:コンサートはチケットをうまく売ることさえ出
来れば、なんだって出来るんです。どんな小さな
コンサートでもチケットを売ることが一番の苦
労です。自主コンサートをしている音楽家と、し
ていない音楽家の違いは、その苦労を知ってい
るかどうか、ということに尽きます。僕のような
東城理事
無名な音楽家のコンサートには、お客様に丁寧に頭を下げないと来ていただけません。大
手興行会社の場合は、新聞広告や TV とタイアップしてお客様を集めるわけです。
東城:以前、木下さんが「私は演奏に責任を持ちます。あなた達はチケット売ることに責任を持っ
てください」とおっしゃったのを記憶しています。
司会:先ほどの話ですが、500 枚売ればいいというのは責任を持っていないと言うことですね。気
合が足りないと言うことですか。
木下:はい、当時僕は血の気が多かったですから。 (爆笑)
杉田:あの時のコンサートは、飯能市の子どもたち、お祭り保存の会の人たちが出て、飯能市民と
一緒に何かをするという姿勢がありました。
木下:ミーティングで SANE の活動は飯能市で知られていますか? とお聞きしたら、残念ながら
あまりいない、お客様はわざわざ遠いところから来てくださることが多いということでし
た。もっと、飯能で SANE の活動を知ってもらえたら良いなと思ったものですから、お祭囃
子の人達と競演することにしたのです。そして、子どもたちのためのコンサートなので飯
能の子どもたちにも参加してもらいたいと考えました。日本の子どもたちとエクアドルの
子どもたちがつながればと思って。
杉田:そうでしたね。でも、コンサート自体はよかったのですが、出演してくれた人達の理解があ
まりなかったんです。それは SANE 側が、きちんと説明できなかったからだと今は思いま
す。私たちが何のために、どのようなことをしているのか、このコンサートがどういうもの
なのかということを、きちんと説明するべきだったのです。
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司会:当時はチャリティに対する環境も今とは違っていたのでしょうね。
杉田:そうですね。人々が自分自身も参加しようという関心は低かったかもしれません。
東城:高度成長真っ只中で、チャリティだと人が集まるという側面もありましたね。そこに
SANE も甘えていたと思います。特にゴスペルのコンサートはひどかった。
杉田:あのゴスペルですね。あの時はとても嫌な思いをしました。
東城:とてもじゃないけど、人に聞かせるようなコンサートではなかったですね。
杉田:こういってはなんですが、出演してくださった方達が「出演してあげる」という感じでした。
ペペも随分苦労したと思います。出演交渉に横田基地まで行ったのですが、「エクアドル?
どこにある国? 」とやられた…。
東城:それでも、結構収益はあったのですよ。お客さんは少なかったにもかかわらず。ペペが必死
でチケットを売ったのだと思います。その時から、印象に残るコンサート、楽しんで帰って
いただくというコンサートにするにはどうしたらいいか考えるようになりましたね。そう
いう意味で SANE コンサートも主催者側として、少しは質が上がったと思います。
杉田:佐々木さんが実行委員長をされていたころは「エクアドルの子どものために」ということ
ではなく、ちゃんとコンサートの魅力で来てほしいという考えがありました。ですから、コ
ンサートの目的はパンフレットに小さくしか書かれていなかった。その後、きちんと説明
しようということになりました。両方のバランスが大切ですね。東城さんがコンサート実
行委員長になられてから、このバランスが取れるようになったと思います。SANE コンサ
ートと東城さんは赤い糸で結ばれていると思います。音楽にしっかりと視点を持った人が
コンサートを担当しているので、SANE コンサートはここまで続いているんだと思います。
東城:私は事務局長より、どちらかというとコンサートの方が自分の仕事だと思っています。今
は仕事でフルートを作っていますが、若いころは音楽学校に通っていました。才能がない
自分に嫌気がさして止めてしまいましたが、その時にやりたかった仕事がコンサートを作
ることでした。根っからコンサート作りが好きなのです。
杉田:本当に適材適所というか、SANE にとってありがたいことでした。さて、コンサート作りは
小ホールになってから楽になりましたか、何か変わりましたか。
東城:先ほど言いましたように、選択肢が広がりました。それと 300 席という客席数になって、楽
になりました。1000 席が埋まらなかったときの落胆はとても大きいです。
杉田:以前は 500 人しか集まらないとガッカリしていたのですが、小ホールで 300 人集まったら
「やった~! 」という達成感があるのです、以前より少ないのに。
東城:小ホールの雰囲気は大ホールと全然ちがいます。まとまり感、連帯感があって、とてもいい
感じです。ほんのりと嬉しくなり、主催者冥利につきます。
司会:演奏する方も、やはり大ホール、小ホールで何か違いはありますか。
木下:大ホールで出来ることと小ホールで出来ること、やりたいことは全く違いますね。大ホー
ルは舞台が広い。広いから出来ることも沢山ありますが、大掛かりにしないと 2 時間を持た
せるのがつらいです。小ホールだと制約がありますが、逆に制約の中で出来ることを考え
る面白さもあります。大ホールだといろいろなお金がかかります。お客様をお呼びするに
しても半ば強引に呼ばなくちゃいけない。それは、農業で例えると、大規模農業のようです。
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たくさん作ってたくさん売る必要がある。資本主義的やり方でお客様を呼んで、舞台を作
り上げないと成り立ちません。エクアドルやボリビアの子どもたちは、ある意味、そういう
システムの被害者だと思います。その被害者を救済するためにそういうシステムを使って
コンサートをすることは大きな矛盾です。ですから、自分の出来る範囲内で親身に出来る
ことをする。それを皆で手をつなぎ、輪を広げ、無理をせず出来ることからする。その方が
確実に広がると思っています。最近はそのように思うので、僕は小さなコンサートを沢山
やりたいと思っています。
東城:SANE のコンサートは、来てくれた人と近くなって、SANE の活動を知ってもらって、楽し
んで帰っていただき、輪を広げてもらう。小さなコンサートを沢山したほうが今の SANE
には効果的だと思っています。
杉田:ちょっと話がそれますが、若い理事の森田さんが「国際協力の限界を感じる」と言うのです。
どういう点が問題なのか聞いてみましたら「国際協力することに馴れてきて、これでは援
助する人と、される人の関係がいつまでたっても変わらないと思った」というのです。たと
えば、カレンダー販売についても、現地の写真をのせ、一冊い
くらと決めて売ると収益金はいくらと、毎年同じように行い、
特に意味を考える必要もなく進んでいくと。
SANE の活動はどうでしょうか。たとえば文通事業ですね。と
ても効率が悪い、手のかかる事業なわけです。この間、あるマ
ドリーナが相手の子どもの手紙の内容も発展しないし
U
UNICEF や国境なき医師団といった、もっと困っている人を
助けている団体に変わりたいので SANE を退会したいとい
う申し出がありました。ちょうどそんな連絡を受け取ってい
た時に、奨学生とこの方の手紙の翻訳担当の方から、連絡をい
杉田代表理事
ただきました。翻訳者は二人の間の交流を一番知っているの
です、きっと心配されたのでしょうね。最後の手紙を見せても
らったところ、手紙の内容が変化していて、奨学生が初めて心を開く内容だったのです。そ
れで、このまま終わるのが残念で、マドリーナの方に電話をしましたら、彼女も実は迷って
いたとおっしゃって、結局退会しないで、文通を続けて下さっています。こういうのが
SANE なんだなぁと思います。戦争とか飢餓とか、このお金で何人の子どもが助かります、
という緊急性のある支援ではないのですが、時間をかけて、お互いの心が少しずつ開き、信
頼関係ができるという経験は、他では中々できないのではないかと思います。それがコン
サートのやり方などに通じるものがあるのではないでしょうか。
司会:心のこもった活動、つながる感じを大事にする…ということでしょうか。
木下:一つ一つの活動が、手段というより目的でありたいと思いますよね。助けるとか援助する
とかいうよりも、お互い死なないことだと思います。
「集う」とか「コンサートをする」こと
を目的ととらえ、その一つに収益金がある。それによって演奏家も幸せ、来てくれた人も幸
せ、スタッフも幸せ。その幸せなことでエクアドルの子どもたちも幸せになると思います。
東城:確かにそうですね。最初のころは収益金の心配ばかりしていました。ですが、最近は僕自身、
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このコンサートを通してどうやって楽しむか、来てくれる人や演奏してくれる人達にどう
やって気持ちよく帰っていただくかを考えるようになりました。これが達成できた時は、
「成功だった! 」と感じます。
杉田:終わったときに「また、やろうかな」と思えるようなコンサートをやりたいです。疲れきっ
て荒れ狂うようではダメ。
木下:その気持ちわかりますよ。はっきり言って、素人があの入場料で 1000 人のコンサートを毎
年開催すること自体、信じられないことでした。
司会:なんだかコンサートが楽しみになってきましたが、今後のコンサートの予定はどのように
なっていますか。
東城:はい、2010 年は 4 月と 7 月にやります。面白い、意味のあるコンサートを続けていきたいと
思います。何か主張するテーマを設けること、そしてなんらかの形でラテンにつながるよ
うにしたいです。SANE のコンサートに来てくれる人は、どこかでラテンにつながってい
る人が多いですから。そこを離れると、今までの経験からいうと、失敗になることが多い。
いろいろやりたいことは沢山あります。僕は将来千倉に住む予定ですが、千倉でコンサー
トをしたいなあ…。
司会:私も農業を楽しんでいますが、田んぼでしてほしいですね…。
東城:棚田など青空の下で…パーっ! とやりたいですね。
木下:コンサートの入場料はやはり安いほうがいいですよ。日本は高すぎます。音楽家は、まあ、
生きていければいいわけです。暴利をむさぼる職業ではないはずなのです。皆が満足でき
る入場料でどこにも無理がいかない入場料を考えると、やはり安い方がお客様も来やすい
し、スタッフも売りやすい。僕はそれが理想だと思っています。
杉田:会場など制約が多すぎますよね。規則が厳しく、一分でも遅れると割り増し料金が取られ
るので、時間に終わらせるのに苦労しました。
木下:そういえば、この前アンコールがなかったですね。あれ? 僕は今まで余裕でアンコールをや
っていましたが…? ? そっか! 僕が終了時間を守らなかった訳ですね。大変申し訳ありま
せんでした。 (大爆笑)
杉田:具体的ではないのですが、もう一度、99 年に木下さんと行ったコンサートのような、飯能市
の人が参加するコンサートができればいいなと希望しています。やろうと思ったらできる
のではないでしょうか。市民活動ネットワークを立ち上げ、飯能市の中に SANE の存在が
認められるようになってきているので、実質的に何かできそうな時期に来ている。
東城:そうですね。今の飯能市内でできることを考えていけば、できると思います。
杉田:たとえば、飯能自然保護団体の「てんたの会」と何か一緒にやりましょう…と声をかければ
できるかな…。てんたの会のコンサートに使われた飯能の自然を写したスライド、とても
よかったですね。SANE とも合うような気がしますが・。
司会:ああ、私も見ました。あれはきれいでしたね。バックに流れているだけでもインパクトがあ
りますよね。
東城:木下さんや杉田さんがエクアドルやボリビアで撮ってきた写真を写すのもいいですね。こ
の辺も最近は、小さなコンサートができそうな場所が増えてきました。いつも近くを通り
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がてら「ここでどんなコンサートができるかなぁ」って考えるんです。
木下:舞台に上がる演奏家も、主催者と同じ方向をむいているかどうかが大切ですね。音楽家が
一緒に音を出さないとちゃんとした音がでないんです。当初は、僕もフォルクローレの外
の人はあまり知りませんでしたが、今は幅広いジャンルの音楽家達との横のつながりが出
来てきています。出来る事の幅も広がっていると思います。
杉田:演奏する人、企画する人、観客で来る人と皆がつながって、同じ方向を目指す…とても素敵
なことですね。
東城:それはいいなあ。主催する側、演奏してくれる人、特に演奏家の人達が、その時だけの雇わ
れ仕事として集めたコンサートと、皆が同じ思いで集まったコンサートでは全然違います
からね。
杉田:そういうのも SANE らしさ…という感じがします。主催者だけではなく、チケットを売っ
て下さる方も、買って下さる方も、毎年毎年本当に飽きずに待っていて、快く引き受けて下
さる。障がいを持っている方も、子どもも大人もみんなが同じように楽しむ…それが
SANE のコンサートですね。とてもいい結論が出ました。
東城:これからのコンサートもなんだかイメージが湧いてきました。今日は農業の話も盛り上が
りましたし、ぜひ田んぼのコンサートもいつかやりましょう。
司会:じゃあ、その時は私も実行委員をやりますね。(笑) みんなでいい気持ちになったところで、
ちょうどお時間となりました。本日はとても有意義な座談会となりました。 木下さん、皆
さん、ありがとうございました。
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④ SANEVISION
吉澤 とも子
会報「SANEVISION」は、創刊号 (89 年 8 月) 以来 3 ヶ月に一度、休むことなく 20 年間発行されて
きました。2007 年 1 月よりスペイン語版も発行され、菅沼敏幸さんが翻訳、校正、レイアウトなど全て一人
でこなしています。本会報の内容はエクアドルや奨学生の状況、SANE、国内活動・現地活動報告の他
に、SANE スタッフがエクアドルに出張した際には臨場感あふれる「現地からの生の声」を何度となくお
伝えしました。また、SOJAE メンバーにもスポットをあて、彼らの活躍ぶりは誌面からのみでなく、「エクア
ドルツアー」に参加された会員の皆様も実感されたかと思います。2008 年は数人の方にモニターをお願
いして誌面の改善を行いました。
SANEVISION の特徴は、その表紙にもあります。牧昌利さん (当時高校生。牧久仁子さんのご子
息) の迫力ある絵、吉田節子さんのほっとするような温かい絵に続いて、2006 年 1 月より、入間市在住の
プロの画家・遠藤欣子さんが、毎回、素敵な絵を無償で提供して下さっています。
また、当初は担当者が一人で引き受けていた印刷、発送業務も、数年前から事務局とボランティアが
手分けして行うようになり、現在は「NPO 法人あおーら」と「所沢市職員労働組合」の皆様がこの活動に
協力して下さるようになりました。名簿管理はボランティアの奥名さんです。
今 後 81 号 よ り 編 集 担 当 者 は 若 手 の 理 事 、 宮 地 友 美 子 さ ん に 代 わ り ま す 。 「 愛 さ れ る SANE
VISION」作りのために、会報作りに興味のある方、絵やパソコンが得意な方、是非、ご連絡ください。会
報作成を通して、多くの会員の皆様と関わりたい・・と願っています。
SANEVISION 担当者と「表紙の絵」作者の変遷
1 号 ~ 11 号
佐々木 浩章、飯田 靖子
12 号 ~ 16 号
飯田 靖子
17 号 ~ 18 号
松本 美知子、太田 まり子
19 号 ~ 42 号
松本 美知子、牧 久仁子
43 号 ~ 50 号
松本 美知子、牧 久仁子、仮屋 晴子
51 号 ~ 62 号
松本 美知子、仮屋 晴子
63 号 ~ 80 号
吉澤 とも子、 (杉田 優子)
スペイン語版 (1 号~ )
菅沼 敏幸
*10 周年記念誌
今井 裕美
*20 周年記念誌
菅沼 敏幸、吉澤 とも子、 (杉田 優子)
❤ 表紙の絵
佐々木 浩章
牧 昌利
吉田 節子
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遠藤 欣子