脊髄小脳変性症の病態機序

 上原記念生命科学財団研究報告集, 24(2010)
132. 脊髄小脳変性症の病態機序
矢部 一郎
Key words:脊髄小脳変性症,ミトコンドリア病,
CACNA1A,PRKCG,片麻痺性片頭痛
*北海道大学 大学院医学研究科 神経病態
学講座
緒 言
本研究では,1)P/Q 型カルシウムチャンネル α 1Aサブユニット (CACNA1A) 遺伝子変異を伴う家系の臨床像の検討,
2)ミトコンドリア遺伝子重複変異を伴う家系の臨床像の検討,3)ポリグルタミン病における筋エネルギー代謝の解析,
4)SCA14 モデルマウスの作製を行った.以下に現在までのその研究成果につき報告する.
方 法
1.P/Q 型カルシウムチャンネル α 1Aサブユニット(CACNA1A)遺伝子変異を伴う家系の臨床像の検討 1)
片麻痺性片頭痛を含む多彩な神経症状を呈する1家系を経験した.症例1(発端者)46歳男性.30歳ころより閃輝暗
点を前兆とする片頭痛発作を自覚するようになった.また頭痛発作時に左または右半身の知覚異常と同側の片麻痺を必ず伴うと
いう特徴があった.複数の脳神経外科病院を経て46歳時に当科初診.両下肢に軽度の小脳性運動失調を認め,脳 MRI で
は純粋性小脳萎縮を認めた.症例2(発端者の母)79歳女性.76歳ころより一過性のふらつきを年一回程度経験してい
る.頭痛発作の経験はない.診察上,両下肢に軽度の小脳性運動失調を認め,脳 MRI では純粋性小脳萎縮を認めた.症
例3(発端者の兄)50歳男性.30歳頃より,前兆を伴わない頭痛発作を自覚しているのみで他に自覚症状はない.診察
上,両下肢に軽度の小脳性運動失調を認め,脳 MRI では純粋性小脳萎縮を認めた.これらの症例を対象に臨床的解析およ
び遺伝子解析を行った.
2.ミトコンドリア遺伝子重複変異を伴う家系の臨床像の検討 2)
発端者(症例1)は 23 歳女性.17 歳時にミオクローヌスてんかんにて発症し,四肢体幹の運動失調が加わった.筋病理
所見より myoclonus epilepsy with RRF (MERRF) と診断.症例 2(症例 1 の母方叔母)は 38 歳女性.26 歳時にミオク
ローヌスが出現し,38 歳時に頭痛,体幹失調が加わった.高乳酸血症,MRI での脳梗塞様病変,筋病理所見を含め
mitochondrial encephalopathy with lactic acidosis and stroke like episode (MELAS) と診断.症例3は 17 歳女
性.15 歳時 にミオクローヌスてんかんにて発症した.この家系を対象に臨床的解析,筋病理学的解析,ミトコンドリア遺伝子解
析を行った.
3.ポリグルタミン病における筋エネルギー代謝の解析
ポリグルタミン病の病態機序は未解明であるが,発症に関する分子機構の解明により,近い将来,新規薬物療法の開発も期
待されている.しかしながら,新規薬剤が開発されたとしても,疾病の性質上,症候と重症度による効果の判定には年単位の
時間がかかることが予想されている.そのため,短期間で効果を評価できる指標の開発が急務である.そのような指標の候補
として,ポリグルタミン病における筋エネルギー代謝異常に注目し,汎用機である 1.5T MRI を用いた 31P-MRS による筋エネ
ルギー代謝測定を行った.対象疾患はポリグルタミン病である Machado-Joseph 病 (MJD) とした.対象は健常男性 11 名
(30-72 歳), MJD 男性患者 8 名 (30-65 歳).実際に得られたスペクトグラムを図に示す (図1).
*現所属:北海道大学 大学院医学研究科 神経病態学講座神経内科
1
図 1. 腓腹筋における 31P-MRS.
安静時のスペクトラムの例.
4.SCA14 モデルラットの作製
SCA14 ノックインマウスを以下の手法にて作製した.1)ターゲットのマウスゲノム領域(protein kinase C γ を含むゲノム
領域)を long arm 及び short arm として pBSⅡSK(+)Vector にクローニングした.2)このマウスゲノム DNA にヒト由来
protein kinase C γ cDNA 及びオワンクラゲ由来 GFP を挿入した.マウス由来 protein kinase C γ の開始コドンにフレー
ムを合わせて挿入するのでマウス由来 protein kinase C γ はノックアウトされる形になった.3)ヒト由来 protein kinase C
γ cDNA には点変異を挿入した.さらに C 末側に GFP を融合した.さらに下流にセレクションマーカーとして Neo 耐性遺伝子
を挿入した.4)Targeting Vector のコンストラクト:Short-Prkcg(mutation)-GFP-polyA-loxP-Neo-loxP-long.5)
上記 Targeting Vector を ES 細胞へエレクトロポレーションし,相同組み換え ES 細胞を作製した.6)相同組み換えの確認
は PCR 及びサザンブロッティングで行った.7)相同組み換え ES 細胞をマウス胚にインジェクションしキメラマウスを作製し
た.8)キメラマウスと Wild-type マウスを交配させ,germline transmission を確認した.
結 果
1.P/Q 型カルシウムチャンネル α 1Aサブユニット (CACNA1A) 遺伝子変異を伴う家系の臨床像の検討
いずれの症例においても同意を得て行った遺伝子解析にて CACNA1A 遺伝子 T666M 変異を認めた.発端者は FHM,母
は発作性運動失調症 (episodic ataxia, EA),兄は migraine without aura がその主たる臨床像であり,同一遺伝子変異
でありながら phenotypic variability を認める家系であった.しかも,同一家系内に FHM と EA を伴う家系は世界的にみて
も希有な例であった.このように臨床像は多様であるにも関わらず,全ての症例で若年期より頭位変換によるめまいと頭位変換
下向き眼振 (downbeat nystagmus, DPN) を認めた.
2.ミトコンドリア遺伝子重複変異を伴う家系の臨床像の検討
3 症例ともにミトコンドリア遺伝子 tRNA 領域に T8356C と A3243G の 2 つの変異を認めた.両変異とも病的意義が確定し
ている変異であり,このような病的意義の確定したミトコンドリア遺伝子変異を持つ家系の報告は世界初である.臨床病型は
MELAS と MERRF の重複型であり,筋病理所見もそれに合致するものであった.また,この遺伝子変異は血液では両者とも
heteroplasmy であるのに対し,筋肉では T8356C は homoplasmy であった.
2
3.ポリグルタミン病における筋エネルギー代謝の解析
患者群と健常者群で安静時 PCr/(PCr+Pi)および Vmax を比較検討した結果,両者とも有意に患者群で低値であった (Vmax;
P=0.001, PCr/(PCr+Pi); P=0.033).また Vmax 値は SARA 総点数と逆相関していた(r=0.34, P=0.035).Vmax 値の
経時的変化については,2年間に渡り経過観察可能であった患者5名と健常者5名を比較すると,患者群において有意に経
時的に減少する傾向にあった(P=0.049).
4.SCA14 モデルラットの作製
ヒト野生型と変異型 PRKCG を組み込んだノックインマウスが完成し,現在繁殖作業を行っている.
考 察
1.P/Q 型カルシウムチャンネル α 1Aサブユニット (CACNA1A) 遺伝子変異を伴う家系の臨床像の検討
本家系は同一遺伝子変異でありながら phenotypic variability を認める家系であった.しかも,同一家系内に FHM と EA
を伴う家系は世界的にみても希有な例であった.このように臨床像は多様であるにも関わらず,全ての症例で若年期より頭位変
換によるめまいと頭位変換下向き眼振 (downbeat nystagmus, DPN) を認めた.これは CACNA1A 遺伝子の allelic disorder
である SCA6 と共通する症状であり,CACNA1A 変異による疾患において,共通する特徴である可能性がある 3).また,今回
の家系内には片頭痛のみの臨床症状を呈する症例も認めた.ありふれた疾患である片頭痛の中には同様の原因で発症してい
る患者も含まれているかもしれない.そのような患者においてはトリプタンではなく,アセタゾラミドの方が治療薬としては有効であ
る可能性がある.この点については更なる検討が必要である.
2.ミトコンドリア遺伝子重複変異を伴う家系の臨床像の検討
本家系では両変異とも病的意義が確定している変異であった.今後,家系内調査を行い,これらのミトコンドリア遺伝子変異
の家系内での広がりや同一ミトコンドリア遺伝子内での変異である可能性や組み換えを起こしている可能性を検討することで,ミ
トコンドリア遺伝子変異の起源を解明できるのではないかと考えている.
3.ポリグルタミン病における筋エネルギー代謝の解析
今後症例数の蓄積や測定値と病態との関連も含め,更なる検討が必要であるが,本研究の結果は,筋エネルギー代謝が
Machado-Joseph 病において有効性判定の生化学的指標になり得ることを示唆している.
4.SCA14 モデルラットの作製
ヒト野生型と変異型 PRKCG を組み込んだノックインマウスが完成し,現在繁殖作業を行っている.この変異は我々が過去に
報告したものである 4).今後,神経病理学的解析,および神経症候学的解析を行う.特に我々が見つけた遺伝子変異を伴う
SCA は小脳性運動失調に加え,発作性の不随意運動という特異的な症状があり,マウスにおいても小脳性運動失調と不随意
運動の両面を念頭に検討する予定である.
共同研究者
本研究は北海道大学大学院医学研究科神経病態学講座神経内科教授佐々木秀直先生にご助言を頂いて行った研究である.
文 献
1) Yabe, I., Kitagawa, M., Suzuki, Y., Fujiwara, K., Wada, T., Tsubuku, T., Takeichi, N., Sakushima, K.,
Soma, H., Tsuji, S., Niino, M., Saitoh, S. & Sasaki, H. : Downbeat positioning nystagmus is a common
clinical feature despite variable phenotypes in an FHM1 family. J. Neurol., 255 : 1541-1544, 2008.
2) Yabe, I.(co-first author), Nakamura, M., Sudo, A., Hosoki, K., Yaguchi, H., Saitoh, S. & Sasaki, H. :
MERRF/MELAS overlap syndrome:A double pathogenic mutation in mitochondrial tRNA genes. J.
Med. Genet., in press.
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3) Yabe, I., Sasaki, H., Takeichi, N., Takei, A., Hamada, T., Fukushima, K. & Tashiro, K. : Positional
vertigo and macroscopic downbeat positioning nystagmus in spinocerebellar ataxia type 6 (SCA6). J.
Neurol., 250 : 440-443, 2003.
4) Yabe, I., Sasaki, H., Chen, D. H., Raskind, W. H., Bird, T. D., Yamashita, I., Tsuji, S., Kikuchi, S. &
Tashiro, K. : Spinocerebellar ataxia type 14 caused by a mutation in protein kinase C γ. Arch.
Neurol., 60 : 1749-1751, 2003.
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