境界線におけるW.B.イェイツ ―“ The Lake Isle of Innisfree ”分析―

境界線におけるW.B.イェイツ
―“ The Lake Isle of Innisfree ”分析―
栗 原 晶 江*
“The Lake Isle of Innisfree”
W.B.Yeats on the Borderline : An Analysis of“
Akie KURIHARA
19世紀、ダブリンに生まれたアイルランドの代表的詩人William Butler Yeats(1865−1941)を、
その土地から切り離して捉えることは、さまざまな点で難しい。アイルランド文学・文化をすなわち
ケルト的と定義することには複数の解釈があるが、イェイツの詩や演劇その他の書き物には、アイル
ランドが担ってきた複雑で困難な歴史が重なって存在する。文学史的には、20世紀になりようやくイ
ギリスからの独立を果たしたヨーロッパ辺境の地が、この詩人を育て、読者はその作品にアイルラン
ド民族(国家)の背負わされた境遇を読み込む、という図式があるといってよいだろう。イェイツを
読むことはアイルランドを読むことであり、またさらにはケルトを読むことになる、と多くの読者は
考えていると思われる。
時代的には、19世紀末から20世紀初頭という現代への移行期で、20世紀文学の流れを大きく変えた
「意識の流れ」派が現れる変革期にあたる。その時代にあってイェイツは、実践的演劇活動によって
アイルランド文芸復興運動を興し、それまでイギリス文学圏内に従属させられていたアイルランド文
学に復権を与えたのである。この二国家の文学をイギリスという政治的強者の枠においてではなく、
英語圏という枠内で捉えなおすならば、同じ言語文学圏において影の存在であったアイルランドから
表の存在のイギリスに向けて発信された新しい時代の挑戦であった、と位置づけることができる。
イェイツの位置づけに関しては、場所(地域・国)的視点と時間(時代)的視点の両軸から、変革
者としての力強い存在意義を見ることができる。しかし、この詩人の代表作品のひとつで多くの人々
によって親しまれてきた初期の作品、The Rose(1893)所収“The Lake Isle of Innisfree”には、
「アイルランド性」復権の解釈だけでは説明できない曖昧さがあるように思われる。それは初期作品
Akie KURIHARA 国際言語文化学科(Department of International Language and Culture)
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であるための詩人の文学的未熟さとして片付けられない側面をもつと思われる。本論では、上記の作
品“The Lake Isle of Innisfree”
(以下、Innisfreeと略して記す)をイェイツの「アイルランド性」を
探る手がかりとして取り上げ構造的分析を試みるとともに、ほぼ同時期、イェイツ自身により編集さ
れたA Book of Irish Verse(1895)の中で、編集指針として述べられている詩人自身のアイルランド
文学論を重ねて考察することにより、イェイツにおけるアイルランドとはどのようなものか、その特
質を論じてみたい。
1
The Lake Isle of Innisfree
I will arise and go now, and go to Innisfree,
And a small cabin build there, of clay and wattles made:
Nine bean-rows will I have there, a hive for the honey-bee,
And live alone in the bee-loud glade.
And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow,
Dropping from the veils of the morning to where the cricket sings;
There midnight’
s all a glimmer, and noon a purple glow,
And evening full of the linnet’
s wings.
I will arise and go now, for always night and day
I hear lake water lapping with low sounds by the shore;
While I stand on the roadway, or on the pavements grey,
I hear it in the deep heart’
s core.
上記作品の一般的な読み方を、作品構造から次のように予測することができる。第一に挙げられる
のが、自然の美しさを描いた作品と解釈するものである。第1スタンザで小さな小屋と畑と蜜蜂に包
まれた生活、第2スタンザにおける静寂な時間の中の研ぎ澄まされた感覚の世界、第3スタンザの湖
畔に打ち寄せる波の音、いずれも社会から切り離された別次元の自然をそこに読むことができる。繊
細な感覚的表現が特に第2スタンザを特徴づけ、また“bee,”“dropping,”“cricket,”“glimmer,”
“purple glow,”
“evening,”
“linnet”などイェイツが好んで使う表現に満ちていて、読み手は心地よ
い感覚的自然の情景を思い描き、共感と願望を覚えると思われる。題名中のInnisfree島は、Sligoの
Lough Gillに浮かぶ小島で、イェイツがInnisfreeと名づけたものである。自然と同化した生活を人里
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離れたこの小島に思い描いている。この場合、作品の前後にくり返される“I will arise and go now”
は、反復されるために強い意味を持つはずであるにもかかわらず、二つのリフレイン間に展開される
別次元の自然美の背後で、いわば単なる機械的な枠組みとして、対比的役割を果たす額縁のように中
央の自然世界を囲み、引き立てる役割として読まれることになる。ここにおいてイェイツのアイルラ
ンド性を求める読み手は、現実から隔離され一切の人工的なものに汚染されない自然を、アイルラン
ドそのものとして作者が提示している、と読むことが想像できる。
第二の読み手(同じくアイルランド性を読もうとする)として考えられるのは、上述の枠組み“I
will arise and go now”を前面に出し、その間に挟まれた自然描写部分を背後に押しやる読み方であ
る。第一と第二の読みの違いは、単に枠と中央部分のいずれに力点を置いたかの違いに過ぎない。
「さあ、立ち上がり出かけよう」という強い語り手の意思が、わずか3スタンザからなる作品の性格
を決定的にし、読み手はどこから立ち上がりどこに行くかについて判断を任されることになる。この
場合構造的には、語り手の強い意思表示に挟まれた中間部分―自然描写部分―は、単なる「自然」一
般として語り手の背後に退き、「出かける」ための理由として存在意義を持つことになる。あるいは、
背後に後退しないとしても、枠組みにおける語り手の強い意思と対比的に、中間の繊細な感覚描写は
コントラスト的機能にとどまり、繰り返し主張される語り手の意思表示を際立たせる結果となると思
われる。そして、語り手がいる場所、すなわち“on the roadway, or on the pavements grey”から立
ち去らなければならない状況とはいったい何なのか、そこにアイルランドに関わる問題を感じとる読
み方である。
作品背景を前提としない素朴な読み手がとると思われる読みは、上記のようになるであろう。この
作品の短かさ、だれにでも共鳴可能なテーマ、感覚的描写などから、多数の読み手に受容されそして
高い評価を得てきたロマン派的詩であるといえよう。いわゆるpopular poetry としての性格を備えた
作品ということができる。
2
Harold Bloomは、イェイツの初期作品に対して従来低い批評がなされてきたことを、Yeatsにおい
て次のように述べている。
Current criticism has been unfair to the early Yeats, too kind to the middle Yeats, and
mostly uncritically worshipful of the Later Yeats. I find a remarkable number of lasting
poems in both Crossways and The Rose, both in their original and their revised versions. . . .
No poem in The Rose is altogether a failure, and several are inevitable expressions of themes
central to Yeats’
s imagination: (Yeats, p.106)
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The Rose のいかなる詩も失敗ではなく、イェイツの中心的テーマを表現しているとして、“Fergus
and the Druid”,“The Sorrow of Love”などの作品名を挙げる。ただし、Innisfreeはそこには含まれ
ていない。
初期作品に高い評価を与えるべきだと主張しながら、Innisfreeについてブルームは次のような解釈
を加える。
The same dream of freedom animates the most renowned (and now deprecated) of Yeats’
s
early lyrics, The Lake Isle of Innisfree. But this poem, despite its obvious pleasures, is less
intense than Who Goes with Fergus?, and less moving, for lacking the dialectic of nature and
imagination, the war between the sky and the mind. We see again what Romantic tradition
gave even the young Yeats, to save him from inconsequence. (Yeats, p.112)
初期作品中もっとも有名であったが今では非難されているとして、この作品の力強さの不足と、「自
然と想像力の対立、空と心の葛藤に欠けるために、あまり感動をもたらさない」と指摘する。
この作品に対するブルームの指摘はさらに次のように続く――
Even Thoreau, the reputed source for The Lake Isle of Innisfree, interests the attentive reader
because the attained peace of solitude in Walden is a mark of the power of mind over outward
sense, a mark missing in Yeats’
s plangent but drifting poem. (Yeats, pp.112-3)
Thoreau のWalden と比較しているのは、次章で触れるが、イェイツが自伝において模倣すべき対象
としてソローに言及しているためである。ブルームによれば、同じように自然における孤高を意識し
ていたにもかかわらず、イェイツの単なる哀調を帯び漂うような詩には、表面的な感覚以上の力強い
意思が感じられない。ブルームはそれを補う救済的役割として、
“Romantic tradition”を作中に認め
るが、それは“Romantic tradition”本来の役割ではないと思われる。作品としてのこの物足りなさ、
あるいは明確な伝達意思の欠如は、popular poetryとして受け止められる種類の詩が、時にもつと思
われる弱さではないかとも考えられるが、しかし、イェイツにはそれだけではない部分があるように
思える。その弱さはどこから来るのであろうか。
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Innisfree創作時の状況が、イェイツ自身によりAutobiographiesで説明されている。ロンドンでの
不安と孤独な生活の中で、この大都会と対極にあるSligoを思い起こす場面である。
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I had still the ambition, formed in Sligo in my teens, of living in imitation of Thoreau on
Innisfree, a little island in Lough Gill, and when walking through Fleet Street very homesick I
heard a little tinkle of water and saw a fountain in a shop-window which balanced a little ball
upon its jet, and began to remember lake water. From the sudden remembrance came my
poem Innisfree, my first lyric with anything in its rhythm of my own music. (Autobiographies,
p.155)
スライゴーは少年時代の自然豊かな故郷で(ただしイェイツ自身のではなく母の出身地である)、ギ
ル湖に浮かぶ無名の小島に自分でInnisfreeと名づけソローの模倣を志した詩人が、都会で突然スライ
ゴーを感じるのが、店のショーウィンドーの噴水であった。それは小さな水の音から始まり、見ると
ショーウィンドーの中で小さなボールをその先端で躍らせている噴水である。ロンドンの都会におけ
るこの些細な日常的光景が、作品成立の契機となっている。水の音が第3スタンザ“ lake water
lapping with low sounds by the shore”を連想させ、同時に作者に“on the roadway, or on the
pavements grey”という現実を認識させる。イェイツにおけるアイルランドとイギリスの二極構造が、
小さな水音により喚起される。
“I hear it in the deep heart’
s core”で終わる詩行は、二重母音と長母
音の効果とともに、韻律的にも作者の心情を読み手に強く訴える結果をもたらしている。
Autobiographiesでは、さらに石に圧倒されるロンドンの町並み、オックスフォードでの勉学生活、
社会への鬱積した感情、文学者たちの停滞した活動など、すべてに対する不満や非難が書かれている。
アイルランドとイギリスを行き来し、ロンドンにあって彼が求めるものはそこにないもの、つまりア
イルランドであり、「自然」だと主張する。また、女性像におけるロンドンとアイルランドの差異に
ついても次のように書いている。
In Dublin I had often seen old women walking with erect heads and gaunt bodies, talking to
themselves with loud voices, mad with drink and poverty, but they were different, they
belonged to romance. Da Vince had drawn women who looked so, and so carried their
bodies. (Autobiographies, p.155)
自信に満ちた生活感あふれるアイルランド女性像が、ダビンチをも引き合いに出し賞賛とともに描か
れ、そこに詩人は生命の力強さを感じている。都会対田舎、ロンドン対スライゴー、イギリス対アイ
ルランドの2項対立の構図は、人工対自然、偽り対真実、死対生の関係として繋がっていると考えら
れる。
しかし、このスライゴーに代表されるアイルランドへの賛辞(すなわち、イギリス否定)が作品成
立の背景として述べられる中で、興味深いのがスライゴーを連想させるきっかけとなったショーウィ
ンドーの噴水である。心の奥深く、常に聞こえているのが岸辺の寄せる水音である、と最終スタンザ
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で詩人は訴えるように詩行を終えるが、Autobiographiesにおける噴水の光景は、それが事実である
にしても何か読む者に違和感を感じさせる。ひとことで言うなら、その噴水自体が持つ非現実性であ
り、虚像性である。ショーウィンドーという限られた空間にミニチュアとして飾られた噴水は、自然
の水ではなく、それを眺めている詩人とは空間を異にした次元にある。ショーウィンドーもそこに吹
き上がる水も、彼が置かれている日常の現実に対する非現実、すなわち虚構であり虚像である。さら
にその噴き上げる水先に踊るボールは、商業的意図により見るものをひきつけるために置かれた、い
わば都会そのものの象徴ということができるのではないだろうか。虚像の象徴として水の上で回され
るボールに、都会の人間が自己の姿を投影しても不思議ではない。イェイツが聞いた水の音は、この
虚の音であった。非現実すなわち虚像からスタートしたInnisfreeといえよう。
さらにこの視点から作品を読み直すと、いくつかの類似点が浮かび上がる。先に述べたように、
Innisfree島は本来無名の無人島にイェイツが勝手につけた名前であり、静寂に包まれたスライゴーの
湖の小島に、詩人が想像上ソロー流の自然生活を重ねるための特別の場所であった。つまり、詩人に
とり儀式的意味を持つ場所を表していると考えられる。アイルランドの、しかも自然の象徴としての
み意味を持つ島であり、具体的な背景である郷土がそこには見えてこない。架空の名前が、この作品
全体を支配しているのである。
最後に、スライゴーという土地の持つ意味である。イェイツは1865年ダブリンに生まれ、2年後父
親の勉学のため一家でロンドンに移り、1872年家族はスライゴーに引っ越す。その2年後ロンドンに
戻りイェイツが入学、しかし家族はまたダブリンに4年後に戻る。このように、さまざまな理由で一
家はアイルランドとイギリス、またアイルランドでは都会ダブリンと田舎町スライゴーを往復し、ど
の地が彼にとって故郷であったか疑問が生じる。子供のころスライゴーにいたのは数年で、それ以外
は都会の喧騒からの逃避として、母の故郷であるスライゴーを大切にし、毎年訪れていたようである。
生まれ育った故郷ではなく、いわば詩人により選択され、特別に位置づけられたた故郷、といっても
いいであろう。作られた故郷であり、
「自然」と考えることができる。
Autobiographiesを重ねたときに見えてくるものは、いわば虚像を起源とし、作られた名前を用い、
選択された故郷を設定として持つ、人為的(虚構)構造を持つ作品といえるのではないだろうか。詩
行から読み手が受ける感覚的自然美と、創作背景に見える人為性の二重構造が、この作品の性格を決
定づけていると思われる。作品は自然への憧憬としてのみとどまり、それ以上の力を持たない。ブル
ームの指摘もその点に関わっていると思われる。そして、さらにそこには、どの土地にも深く関われ
ない詩人自身の姿が見えてくると思われる。
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先にイェイツ家族のアイルランド・イギリス往復の状況から、故郷の位置づけに関して疑問を述べ
たが、このイェイツの定住意識の欠如について考えてみたい。Innisfreeが人為性を持たざるを得ない
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のは、詩人の根底に「土着でない」という意識があるのではないだろうか。生まれ育ったダブリンを
故郷とせず、母親の故郷を自己の故郷としたのは、いわば代理故郷を作ったのであった。アイルラン
ド・イギリス間の移住がこの家族に定住感を持てなくさせた一因であろうし、また、ダブリンの都会
が自然を求める詩人の理想に合わなかったことも考えられる。しかし、母親の家系つまりスライゴー
出身という出自を、イェイツは意識の有無にかかわらず選んだことは、ある意味をもつと考えられる。
つまり、もっともアイルランドらしい土地・スライゴーと、詩人自身を直線的に結び付けることにな
るからである。彼のアイルランド同一化願望の表れだったのではないかと解釈できる。
イェイツの父親は「Anglo-Irishの、教区牧師も出た家系にもかかわらず懐疑論者で、Yeats自身も
正統派信仰からいつしか神秘思想に惹かれていく」
(『20世紀英語文学辞典』、p.1506)。辞書的定義か
ら、イェイツ一家がAnglo-Irishであるにもかかわらず、次第にアイルランド的神秘主義に傾倒してい
くことがわかる。歴史的・民族的に背負っているものと、新たに背負うことになるものとの二文化
(国家)間を、父親とその息子のふたりにはあまり抵抗なく移行していく姿勢が感じ取られる。つま
り、イェイツはアングロ・アイリッシュとしてアイルランドに住み、宗教的にはプロテスタントであ
り、アイルランドにおけるProtestant ascendancyであった。プロテスタント・アセンダンシーとは
「刑罰法の時代に、アイルランド社会を支配したプロテスタントの土地持ちのエリートたちを評する
のに使われた言葉」で、
「政治・社会からカトリックを排除し、プロテスタントの特権的地位の保持を
意図して1765年に導入された」
(
『アイルランド文学小事典』
、p.222)
。その後19世紀から20世紀初期に、
政治的色彩が薄れ、アイルランド社会の特権階級を指すようになる。つまり、イェイツは土着的では
ありえない、半ばアイルランドのアウトサイダー、あるいはそれ以上の権力を影として引きずってい
る、アイルランドに同化願望の存在であることを、余儀なくされていたのである。
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最後に、Innisfreeとほぼ同じ頃出版されたイェイツ編集のA Book of Irish Verseにおいて、アイル
ランドの国民的詩歌に対し、詩人がどのような評価を下しているかを見ることにする。1899年版序文
において、イェイツはアイルランド西部の農民文学に対し、 Gaelic language ではなく English
languageによる新しい文学を提唱し、同時に政治色を可能な限り取り除くべきであるという厳しい要
求を出している。さらに、自国の文学にまったく興味をもたないアイルランドの有閑階級を読者層と
捉え、次のように述べる。
We cannot move these classes from an apathy, come from their separation from the land they
live in, by writing about politics or about Gaelic, but we may move them by becoming men of
letters and expressing primary emotions and truths in way appropriate to this country. (A Book
of Irish Verse, p.xviii)
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アイルランドの土地から遊離したこの無感動な有閑階級は、政治を語ることによってではなく、文学
者としてこの国にふさわしい方法で“primary emotion and truth”
(第一義的感情と真実)を表現す
ることによって、目覚めさせることができる、と確信を持って述べるのである。ただし、実際に選択
し詩集に収めたアイルランド詩歌には序文の趣旨に沿わない作品も含まれている、とJohn Banvilleは
A Book of Irish Verse(Routledge Classics Edition)で指摘している。本論ではこれについて触れる
余地はないが、仮にそうであるとすれば、ここにもイェイツの中にある対立項目がそのまま表れてい
ることになるであろう。文学において、アイルランドを復興させようとする急進的動きを目指しなが
ら政治的手法を否定し、いっけん無縁に思える階層を文学の感情的手法に訴える方法で復活させよう
と試みる。それは、アイルランド救済の強い願望と、それに反して置かれた現実の自己の歴史的背景
の間で、揺れ動いた結果であったと考えることができるのではないだろうか。
アングロ・アセンダンシーについて社会構造的に捉らえるTerry Eagletonは、Heathcliff and the
Great Hunger : Studies in Irish Cultureにおいて、アセンダンシーのおかれた状況をイェイツを挙げ
て次のように述べる。
No such articulation with popular consciousness was available to the Ascendance, on any
sufficiently strong basis; and when some of its sons and daughters turned to the realm of
culture, it was as a form of counter-hegemony to the status quo, a weapon wielded against
their own class. Men like Parnell and Yeats, and women like Maud Gonne and Constance
Markiewicz, sought to make the difficult transition, in Gramscian terms, from‘traditional’
to‘organic’intellectuals, place themselves in the van of a popular radical movement rather
than act as apologists for the class culture from which they had sprung. (Heathcliff and the
Great Hunger, p.71)
アセンダンシーがアイルランド社会の国民と意識レベルにおいて連結することは不可能であり、文化
的側面では自分自身に向けた刃となってしまう危険性を指摘する。Parnellやイェイツ、Maud Gonne
という復興運動を代表するこれら困難な立場の人々は、その中で「伝統的」知識人から「有機的(組
織的)
」知識人“from‘traditional’to‘organic’intellectuals”への移行を模索していた、とその姿
勢を理解する。急進的国民運動への参加の形を取ることが、アセンダンシーにとって唯一自らをも含
め効果的な復興運動であり、アイルランドとともに自己主体性の確立に向かう方法であるとしている。
イェイツがアイルランド詩歌編集を手がけたこと、そこでアイルランド国民の文学および文化を守
るためには文学における政治的要素を拒んだこと――そこには、この詩人自身がもっているアセンダ
ンシーとしての必然性が現れていると考えられる。
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以上、イェイツ初期のロマン派的色彩をもつとされるInnisfreeの作品分析から読み取れるのは、作
品的価値の高低にかかわらず、あるいはその評価の差異の中にこそ、この詩人の置かれた不確かな存
在、いずれの領域にも確実に属すことのできないいわば境界領域にあって模索する姿があり、それ自
体がアセンダンシーを内包するアイルランドがもたらした結果であると解釈することができる。イェ
イツはさまざまに変化しながらアイルランドと向き合っていくが、初期に見られるロマン派的伝統、
その後の神秘主義思想、民話・神話世界への傾倒は、すべてこの初期の曖昧性、イギリス・アイルラ
ンドの二カ国間にあって揺れ動く本質を根底にもつのではないかと思われるのである。
テクストとして以下を使用する。
Finneran, Richard J. ed. The Collected Poems of W. B. Yeats ― rev. 2nd ed. New York: Scribner Paperback
Poetry, 1996.
引用・参考文献
ムーディ, T.M. /F.X.マーチン編著/堀越智監訳『アイルランドの風土と歴史』論創社、1987年。
松村賢一編『アイルランド文学小事典』研究社出版、1999年。
Bloom, Harold. Yeats. London: Oxford University Press, 1972.
Eagleton, Terry. Heathcliff and the Great Hunger: Studies in Irish culture. London: Verso, 1995.
Howes, Marjorie and Kelly, John ed. The Cambridge Companion to W. B. Yeats. Cambridge University
Press, 2006.
McCormack, W.J.ed. The Blackwell Companion to Modern Irish Culture. Oxford: Blackwell Publishers,
2001.
Yeats, W. B. ed. A Book of Irish Verse. London: Routledge Classics,2002.
Yeats, W. B. Autobiographies. London: Oxford University Press, 1973.
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