インド・FSL HIV and AIDS Awareness

最善の自己満足
インド・FSL HIV and AIDS Awareness
日下都
インドでのボランティアは、完全に自己満足だと自覚していた。それを尊敬する同業者のかたに話すと「ボー
と過ごしたら自己満足にすら達さないよ。しっかりデータをもらってきて、学会発表して人に伝えなさい。」と
言われた。自己満足にすら達しない。厳しい言葉だった。
そのせいか、Sneha Care Home(以下、SCH)で活動を開始してからすぐテーマ探しをしていた。その過程で色々
なスタッフの方々からお話を聞く機会を頂いた。その中の一人の修道女の方とのお話で、これまで持っていた悩
みが完全に払拭された気がした。この方に会うためにインドに来たのだと思った。70 才近い方で、カルナータ
カ州の村々を廻り、特に若い女性に HIV 血液検査をうけるように啓発活動をされていた。2ヶ月間に2週間ほ
ど、他の修道女や牧師とともにキャラバンを組んでバンで廻られる。カルナータカ州の面積は、関西の面積の丁
度7倍にあたる。村々と一言に言っても遠い。
「成人間の HIV 感染は止めるのは難しい。だが、母子感染は母親
が血液検査に行ってくれれば防げる可能性は高い。子供の犠牲者を減らしたい。」その活動は成功しているのか
と伺うと「全く成功していないよ。けど、私たちが動けば5人の女性のうち1人は理解してくれるかもしれない。
それが第一歩だ。ゼロじゃない。一人いる。
」人差し指を軽く上げて微笑みながらおっしゃった。カルナータカ
州の識字率は 60%ほどだ。それでもインドの全州の中では高い。だが、村々の女性はおそらく識字率は高くな
いだろう。また、たとえ血液検査を受けたいと思って病院に行こうにも、HIV 血液検査は現在無料で受けられる
が、村からは病院が遠くその交通費を払えない人が多い。調べれば調べるほど、インド政府の HIV への対応も
今ひとつだと思った。マスコミを通しての啓発活動が全くといっていいほど行われていない。実際、
SCH に
CSR の授業の一環で来た MBA の学生はエリートだが、インドの HIV 感染数が世界第3位であることを知らず
絶句していた。宿泊していたアパートの IT エンジニアの女性たちもほぼ関心がないようだった。HIV に対する
社会の問題意識の低さ、識字率、貧困など無数の障害がある中で絶望するしかないように思える。だが、さきほ
どの修道女の方は違った。困難なことはあるが、できることはある。できることをしよう。続けよう。明確なメ
ッセージを頂いた。
日本では、
「仕方ない。受け入れよう。
」という考えが私も含めて主流な気がする。確かに現実を受け入れる事
は大事だ。だが、肝心なのはその次だ。事実を受け入れ、その事実にどんな問題があるのか。その問題をどう解
決すべきなのか。解決のために何ができるのか。できることを探せたら行動しよう。たとえ、その先に希望がな
くとも。行動する事で変わる事がある。希望があるから選択するのではない。希望がなければ、自ら動いて希望
をつくるのだ。修道女のかたに教えてもらった。
今回のボランティア活動の中で、バンガロール日本人会や日本大使館デリー及びバンガロール事務所また
JICA デリー事務所の方々にご親切にお応え頂いた。抗 HIV 薬についてわからないとき、メールで日本人研究者
の方に伺った。ご丁寧なご回答を頂いた。帰国してからわかったのだが、日本の HIV 治療についてガイドライ
ンを執筆されている権威の先生だった。人々に親切にして頂くたび、自分のちっぽけさや非力を恨んだが同時に
励まされた。その方々に直接お返しすることなどできないが、私でもできそうな事を探しベストを尽くしたい。
インドのボランティア活動で学んだこと。私は、役になどたっていない。だが、どんな状況であれできる事を
探しそのできる事に最善を尽くす。自己満足であるのなら、最善の自己満足を目指す事が大事なのだろうと遅ま
きながら思うようになった。
ボランティア活動後は、コルカタに飛び そこからデリーまでの聖地を旅した。そこで出会った人々との交流、
またインドと日本の文化の共通性も見出せた。充実した旅だった。
最後になりましたが、
この活動の機会を与えてくださった NICE 及び FSL の各位に心より感謝申し上げます。
日下 都
SCH 記念式典で子供たちが踊る様子
ガネーシャ祭の日、授業はなく子供たちが手作りの
ガネーシャ像を作って飾った。知恵の神、ガネーシャは
象の首を持つ。キリスト教の施設でありながら、
宗教について寛容。ヒンズー教のお祭りもする。
医療課の看護師さんによる薬のチェック。
毎日 100 人の子供たちの薬を一人で管理するのは大変だ。
SCH からの最終日の帰路。
SCH から出ると細い田舎道が続く。
データを手書きで写していたため帰る時間が遅くなった。
夕方のきれいな景色。