「星の王子様」 (Le Petit Prince) の解説 SWHE Tp 植村 哲 大人になり、仕事に就き、家族もできて、SWHE の活動(飲み会?)も忙しくて・・・ と日々の営みがせわしくなってくる中、ふと、ぽつんと独りで星空を眺めて言いようのない 感傷に浸ることがありませんか(あっこらこら、そこの人、酔っ払って道に迷って繁華街にぼーっ と突っ立っているのは違いますよ)?そんなあなたに、ふと子供の頃の純真な疑問や不条理な思 いが浮かんでくることもあるでしょう。 そんなどこかで経験した思いを言い当てるような言葉に出会えるのが、 サン=テクジュペリの名作「星の王子様」かもしれません。読んだことが ない人でも、この表紙の絵はどこかしらで見かけたことがあるはず。 日本人は特にこういうセンチメンタルな内容が大好きですから、キャラ クターとしても流行りますし、ついには音楽まで創られてしまう。という ことで、今度の定演、そしてコンクールで取り組む曲はこの「星の王子様」 となりました。長丁場のお付き合いですから、やはりシンプルな中に詩的情緒や哲学的な問 いかけのあふれる作品・作家の世界に少し足を踏み入れて、音で表現してみませんか? 1 サン=テクジュペリの解説 アントワーヌ・サン=テクジュペリ(正式名は Antoine Marie Jean-Baptiste Roger de Saint-Exupéry、ふう、長い・・・)(1900-1944)はフランスの作家・詩人 であり、現役のパイロットでもあった人です。名前に de がついている 人によく見られるのですが、実は貴族の出身で(たまに de 付きでも歴史 的にはまがい物がありますので注意!)、20 歳そこそこで軍のパイロットに、その後は民間の航 空郵便会社のパイロットとしてアフリカ路線や南米路線を飛び、仕事が難しくなった 1930 年代は作家兼ジャーナリストとして経験を積みました。 1939 年に第二次世界大戦が勃発、ナチスドイツの電撃作戦で フランス政府はあっけなく休戦協定を結び、事実上の傀儡政権が 統治する時代になります。この頃、軍隊で飛行機に乗っていたサ ン=テクジュペリは、休戦と同時にアメリカへ亡命、アメリカを 参戦させ、祖国のレジスタンス活動を活発化させようと尽力しま す。ノルマンディー上陸作戦と呼応する南イタリアからの進攻準備のため、1944 年春から 地中海岸の航空写真を撮る任務にあたりますが、同年 7 月 31 日、おそらくドイツ軍の飛行 機に撃墜され、消息を絶ちました。彼の乗った飛行機は 2004 年になってやっと発見された のですが、この結果が明らかになった際、当時撃墜をしたかもしれないドイツ軍パイロット が「星の王子様」の愛読者で、「パイロットが彼だと知っていたら撃ち落とさなかっただろ う」というコメントを残しています。 1 2 「星の王子様」 サン=テクジュペリの作品中、最も有名なのはこの「星の王子様」(Le Petit Prince)。アメリカ亡命中の 1943 年に自身の水彩挿絵を付してニューヨーク で発刊されたこの物語(仏語版と英語版)は、フランス本土では彼の死後(そ して終戦後)の 1946 年になってやっと出版されました。今や全世界で最も 読まれているフランス文学作品だと言っても過言ではないでしょう。昨年は ちょうど 70 周年記念でした! この作品は 27 の章から成っていますが、その哲学的な作風は彼の経験と想像力の賜物で あり、個性的でありながら普遍的な物語が展開されています。物語の中での主要なテーマは、 二項対立的な形で設定されています。見えるものと見えないもの(visible et invisible)、大人と子 供(adulte et enfant)、愛と友情(amour et amitié)、旅と定住(voyage et sédentarité)、空間と時間(espace et temps)、 危険と破壊(danger et destruction)、象徴と意味(signes et significations)、質問と答え(questions et réponses)、 幸福と悲しみ(bonheur et chagrin)といったものです。 【あらすじ】 エンジンの故障によりサハラ砂漠に不時着したある飛行士。彼はそこで、「お願い、羊の 絵を描いて下さい!」(S’il vous plaît... dessine-moi un mouton !)と いう小さな王子様に出会います。どこから来たのか尋ねて も話そうとしない金髪の王子様。しかし、一緒に過ごすう ちに次第に彼のことが分かってきます。 王子様はアステロイド B612 に住んでいて、そこには3つの火山、バオバブの木々と気難 しいバラが生えています。ある朝、王子様は彼の星を発ち、ほかの星々を訪ね、王様、うぬ ぼれ屋、酔っ払い、ビジネスマン、街灯の点火人、地理学者に出会います(こういう人選にな る感覚自体、サン=テクジュペリの独特な個性が表れていますね。ん?2番目や3番目は結構ここにも いる?)。 最後に訪れたのがこの地球。アフリカでは蛇と話をします。地球をあちこち訪ね、キツネ と知り合いになります。王子様はキツネから、友達を作るには世話をしてやらないといけな いと、また、世話をしたものに対しては常に責任を負わないといけないと教わります。また 王子様は、大人は存在の感覚を忘れてしまっていると見て取ります。 8日目、飛行士と王子様は井戸を探しに夜のとばりが落ちるまで探し回ります。明け方に 彼らは井戸を見つけました。次の夜は、王子様が故郷の星を離れてちょうど1年となる日で、 彼はその夜に星に帰ることを決意します。王子様は重過ぎる体を片付けるために、毒蛇に自 分を噛んでくれと頼みます。心配する飛行士に気遣って言うには、「僕は死んだように思わ れるかも。でもそれは間違いなんだ」(J’aurais l’air d’être mort et ce ne sera pas vrai.)。 6年後、飛行士は自分の故郷へ帰り、王子様の帰りを待っています。空に瞬く星々を眺め る飛行士は、その中の一つにいる星の王子様のことを思い起こすのでした。 2 【作品中の名文】 不思議なもので、この作品は星の王子様たちが発する数々の 詩的又は哲学的なセリフが有名なのですが、どうも見ていると、 日本語や英語で有名なものがフランス語では必ずしも代表的 なものに採り上げられていなかったりするみたいです。やはり、 それぞれの言葉で人々の心の琴線に触れるものが違っていて、 それがこうした微妙な差に表れているのかもしれません。登場 人物が子供だったり動植物だったりと、一見お子様向けのように見えて、実は解釈が難しい。 不思議な文章ですね、ほんと。 こんなセリフもあります。 ・すべての大人はもともと子供だったが、ほとんどの大人はそれを覚えていない。(序文) Toute les grandes personnes ont d’abord été des enfants, mais peu d’entre elles s’en souviennent. ・謎があまりにも印象深いと、それに従いたくないと思わざるを得ない。(第2章) Quand le mystère est trop impressionant, on n’ose pas désobéir. 星 の 王 子 様 の 解 説 HP と い う の が 世 の 中 に は あ り ま し て ( 例 え ば フ ラ ン ス 語 版 だ と http://www.lepetitprince.com/oeuvre/thematique/)、そこにはこの作品のテーマ設定についての 解説があります。ちょっと読んでみましょうか。 例えばよく引用される、キツネが言った「大事なものは目では見えない」 (L’essentiel est invisible pour les yeux.)という名フレーズ。 物語の中で星の王子様はこのフレーズを覚えるために 何度も繰り返します。それは、作者にとっては、読者にこの話の理解のためにその重要性を 示すための手段なのです。同じようなことは、作者が文章を「口を開けたボア(蛇)」と「口 を閉じたボア」の挿絵で始めていることからも見えてきます。それぞれのもの、それぞれの 存在は宝物を、我々が見抜かなければならない神秘を隠していることを暗示しているかのよ うに。うわべの見かけを越えて、心で発見しなければならないこころ(l’esprit)があるのです。 こころは物事を唯一無二のものにします。それは人々の選択、努力、友情、愛情の行きつ く先です。庭にある千のバラは星の王子様が彼の星に残してきたバラと似ていますが、彼の バラは、彼が水をやり、守ってやり、 「世話をしてやった」もの (キツネの言葉が響きます)。こころは絆を作ります。こころの おかげで、この世界は象徴にあふれているのです。麦畑が星の 王子様の金髪を想い起こさせ、星々は彼の微笑みを想い起こさ せる鈴であり、空には井戸のきいきいという音が響く星々があ り、その中の一つに飛行士が砂漠で出会った友達の一人が住ん でいるのです。本当の命は、物質、あるいは「うわべ」を超えていくこころの中にあるので す。彼のバラに再会するため、星の王子様はその肉体を犠牲にしますが、毒蛇にかませた後 の最後の言葉が、 「僕は死んだように思われるかも。でもそれは間違いなんだ」なのです・・・。 3 なぜ星の王子様はメランコリックなのでしょうか。彼がバラに対する自分の思いを悟るに は1年の旅路を要したのです。出会いの喜びは別れの苦しみに終わることを理解するために。 誰かの世話をすることは、いつの日かその誰かがいなくなることを目の当たりにすることを 受け入れることなのです。彼のバラの「来るべき消滅」、それが王子様をメランコリックに させ、B612 でまた出会うために蛇に自らをかませる動機になったのです。 年を経ると、子供はこころとの関係で自然に生きることのできる才能を失い、唯一気にす ることが有益かどうかということになる「大人」になります。物質的な側面に騙され、虚栄 心や強欲、知的な怠惰の犠牲者として、大人は誰かの言葉をその服装で判断し、家の美しさ を値段で計り、若い友人とその父親の収入から知り合いになろうとします。しかしかつての 子供は死んではいません。ただ隠されているだけで、(少し年老いた)飛行士と星の王子様 との出会いのような経験により息を吹き返すのです。 ・・・比較的忠実に訳していているのですが、何だか宗教家になったみたいな気分なので ここらでやめにしておきます。まあ、理屈の枠をはめつけずにこころで感じてみること、昔 僕らが子供だったころの純粋な気持ちを思い出して、音に息吹を吹き込んでみましょう。そ れこそ音は「目には見えないもの」なんですから・・・。 4
© Copyright 2024 Paperzz