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【L-b】-「快適生活と、科学の進歩と、自然との調和」
2016 年(平成 28 年)10 月 23 日 30 日 楽明
☆
* 前書き*
東電の原発事故から 5 年 8 ヶ月が過ぎ国をあげて原発に替わる電源を探してきたが、本当に換わる方法は
出てこなかった。故に浜崎一成氏の提言どうりに、再び日本は各原発の再稼動を始めた。
それに加え、北朝鮮の核&ミサイル技術が一段と進み真の脅威と成って来たので、核戦略としての原子
力技術の維持展開は、日本の浮沈問題と成ってきた。自分は何れは核を持たねば成らない時が来ると思っ
ている。
いずれにしても、電源としての核利用は止めるべきである。結局は、古来西欧文明が追い求めた理想の
動力機関としての永遠駆動機関を発明する以外にない。が、太陽がまさにその「無限核反応核炉」である。
地球に無限に届き続ける熱と光りを電気に転換利用するのがベストである。此れには残留放射能問題は無
い。どの国・宗教・民族・文明でも方法さえ具体化すれば利用できる。
「原材料の購入費用は 0 である」
この視点から当初は産総研の「温度差発電シート」が良いと、開発を心待ちにしてきたが、現実化する
には余りに多くの問題がある様である。⇒未来の電源の一つにはなっている。
しかし、川内原発に続き伊方原発が再稼動したので、本ウェブのカテゴリー『【L】-快適生活と、科学の
進歩と、自然の調和』は8月で廃止した。
ところが、先月の 10 月 6 日にネット上のニュースで、福島民友新聞に「東北大学が印刷できて曲がる太
陽電池」の記事を読んで、目が覚めて本コーナーを【L-b】として再開する事にした。その紹介ウェブ(P-7
へ)を読むと、当面の課題は変換効率 10.7%を 20%以上に上げることらしい。
☆
*[A]*-化学工場の建設現場での地震体験(阪神淡路震災)
*[B]*-物作りの苦労と達成感
P―2
P―2/5
*[C]*-人間が作る物は耐用年数が有り、点検保守が不可
P―5
欠である。
*[D]*-[C]の必要性の吾が体験談
P―5/6
*[E]*-電気の電源は、永遠に燃え地球に届く光と熱を
P―6/7
利用し、電気に変換するのが最適である
☆
1
* [A]*-化学工場の建設現場での地震体験(阪神淡路震災)
旧・
【L】-「快適生活と、科学の進歩と、自然との調和」の抜粋編集-001
2013 年(平成 25 年)1 月 28 日:記載文 を編集して転載
『化学プラント製造(オムツ等の吸着剤)設備建設現場にて』
昨日 21 日(H28/10)に此れを整理していると鳥取に M6.6 の地震が!
21 年前の、1995 年 1 月 17 日の 5 時半は、SCEC 本社(幕張)での設計(90%CAD)が終って建設現場「姫路」へ
出張と成り、姫路駅から 3 ㌔程南の「ビジネス旅館」へ泊まる(四月中頃まで)現場に一番近(必須)い。20 人程の
同宿者は皆現場職人であった。
[鉄骨 3 階建て、一部が 4 階】ポンプ等の各種メーカー機三十数台。釜・タンク類の制作物が二十数器・・・総工費
20 億円。の概要である。其の建屋の基本組立(塗装未)が完了して前日から機器の据付が始まった。そして、4 階
にクレーンで最初に吊り込んだ小型タンク 2 個の据付状態を、設計担当者としてチエックする為に、職人より先に
現場に行かねば!と、五時に起床した。1 階浴室でシャワーを浴び終えてパンツを履こうと、木枠の脱衣箱(50cm
□)に右手を入れると、・・・ゴオーー・・・と地鳴り・・・オヤ?・・旅館脇の道に大型ダンプカー!?”と”!?・・・次に
⇒グラグラー⇒天井から何かがパラパラ・・・「地震」・・・3~4 回大きく揺れ、次に来たら台の下へ!・・・と治ま
る・・・?<震度 4 強だった>
一気に着衣して廊下に出ると、寝ていた職人がドッと出て来た。挨拶もソコソコに、借りている自転車で五百m程
先の工場へ。事務所(2 階プレハブで 2F)のロッカーが倒れていた。工事現場に入るとレンタル発電機(溶接用ディ
ゼル)が床の端に動いていたり、仮荷物が崩れている程度で済んだ。鉄骨建屋の組上げが終ったばかりで、他の
業者の荷物が殆んど運び込まれていなかったので救われる。⇒問題のタンクの据え付は担当業者が優秀だっ
た。つまり借り止めではなくて、増し締め「トルク掛け締め」までしていて事なきを得た。⇒しかし、震源地「神戸」の
被害の実態は昼近く成っても全く分からなかった。昼食後に成って作業員用の大きなプレハブ休息場のテレビ(普
通作業時間内に成ると消している)には時間を追う程に。延焼が続く神戸の町・高速道路の横倒し・潰れたビルの
映像が!・百数十名入っている職人の多くが帰宅して行った!
☆
* [B]*-物作りの苦労と達成感
上記の姫路建設工事の二年前に、「W95・簡易CADソフト(AUTO CAD)」が世に出て仕事内容が一変した」作図
はCADオペレーター(2 次元数値打ち込みのみ)がして、それまでの自分ら鉛筆ドラフトマン仕事は、工事が完成
するまで責任を負わねば成らなくなった。(否ならオペレータに専従仕事)
「大学、各研究機関等の研究室で論文+試薬or試作物」⇒「マテバラ(material balance)」立証⇒パイロットプラ
ントを作り実証確認⇒「PFD」確定⇒「EFD+UFD+配置」作成(此処から自分の仕事)⇒設計部門としての機械・建
築・電気・計装他各科の実務担当者が決まって動き出す。⇒自分らは責任がイチランク上がって”その仕事と心
中“する覚悟が必要となった。!。⇒『昼夜、就業時間無視が必須』
⇒『数百枚のCAD図(W95 が世に出ると鉛筆作図職人は不要に)を纏める』⇒『それらの図面と共に建設現
地へ設計担当者として出向』⇒『建設現場を走り廻り、問題点を職人に直接指示・・・』⇒工事が完成して、消防や
高圧ガス等の官庁検査が終わり客先に引渡して自分ら当事者は引き上げる。⇒実設計担当者(吾が上司)指示
2
の元に総ての機械を動かす⇒実液ロード≒20%くらいから始まり 100%稼動。⇒其のつど出来た製品の分析⇒
可が出るまで各機器他の微調整⇒OKの報を聞いて各担当者と一斉に飲食店へ繰り出してカンパイ!⇒【最高
の達成感】!
自分は、自慢、自賛文を言ったり書くのは、心底嫌である。がしかし、今回は此処で書かないと、三人の息子
や五人の孫に、父の、叔父いの、己自身が現役の仕事の証しにはならないので、あえて書き込む。-「お世話に
成った人への感謝への意も表せるので!」
◆中学 3 年の卒業学校新聞に「工業デザイナー」に成りたいと書き、工業高校の機械科に入ったが、そこからの
就職先に失敗した。
◆⇒此処から、真剣に我が生涯の仕事とは?、と探し始めて先ず製図会社に入る。3 年後(21 才)に成って新居
浜市にて「化学プラント配管製図」に取り組み始めたが、単なる単一(水やガス等)の配管ではなく、数十種類
(高・低圧/高・低温/腐食/可燃性液/毒性ガス)の液体&気体を、各種の配管素材にて何百本も組み合せ
るのである。総延長は何十kmの知恵の輪の塊と成る。ソコソコ自信が付くのに十年かかった。(今改めて振り返
れば、完璧なコンピュータの仕事である)
◆まさに七転八倒、死苦八苦、苦悩のうの果てに掴み取った鉛筆製図の極みであった。その自分の様子を見守
っていてくれて、大チャンスを与えてくれたのがSCECの、京大卒派(先輩・後輩十名近く)グループであった。鉛筆
ドラフトマンとしての吾が仕事への賛助等、その人らのサポートが無ければ不可能な仕事でもあった。
◆50 歳までの現役時代は知多市の仕事が皮切りで 5 工場の全体纏めをした。その充実した仕事をさせて貰った
感謝の気持ちの一部を此処に書く。そのグループで最初にお世話に成った人は既に亡くなった。他の人は現役
を引退しているが皆様健在でおられる。
◆さらに工都にて、仕事以外の社会人としてお世話に成った他の多くの人の事は次に書くことにする。
そうした、人らの支えのお蔭で自分が、家庭を持ち子を育てられた。それから障害者に成ってから苦難は別の
テーマにする。しかし、東電原発事故で吾が仕事は実質終わった。そこで自分の半生のまとめ文を書くには、己
を此れまで通り卑下したまま(座右の書のカントに申し訳ない)では、現役の時にお世話に成った人らの恩に背く
と考えなおして、吾が最高の仕事の一端を書く事にした。しかし、この工場は今も可動しているので、具体的に書
くと企業秘密のリークに繋がる。極さわりを、一般の人にも伝わるべく数枚の画像で表してみる努力をす。1985 年
(昭和 60 年)に全作図を一手に請け負った、知多半島コンビナートへのシクロヘキサン製造設備である。(材料集
計始め他 2 割近を外注に出した)
☆
☆☆JXエネルギー(日本鉱業)知多製造所-(洗浄液や接着剤用の溶剤)☆☆☆
3
(左)鉛筆で図面を書くのは W95 が世に出るまで
だった。
「左壁図のアイソメトリック図が残って無
いのが残念至極である」-(飛行機の製計図面と同
様に、二度と手書きする人は現れないだろうし、
必
要
な
い
ゆ
え
に
!
( www.rakuaki.com/item2016-10-07/01-hon_sei
zu_dorafuto-02-500.jpg)
自分が最高の勇姿と思っている。
(右)
( www.rakuaki.com/item2016-10-07/01-hon_seizu_dorafut
o-02-sikuro-waga-gennba-ga-500.jpg)
(左)施工主出資⇒請負会社⇒設計部門⇒
⇒施工業者=完成(総工費≒7 億円)
www.rakuaki.com/item2016-10-07/03-sikuro-ka
nnsei-gazou-500.jpg
(右)同業者で 1 プラント全体を纏められる人は非常に少な
か
っ
た
。
www.rakuaki.com/item2016-10-07/05-sikuro-sakuzu-genba
-hokori-001-1100.jpg
(右)「世に認められた最高の期間で、インドネシア PL:某原
発設計:JGC:SCC と勧誘が有った。が“母子家庭に成ってい
る”との女房の悲鳴で愛媛県に帰省して、再度 SCEC の下請
けに成る。⇒が、このタイミングに W95 の簡易版が世に登場
し仕事内容が激変した。
(上)3 年後~5 年間、西向の四日市市で仕事
www.rakuaki.com/item2016-10-07/04-sikuro-tit
a-tizu-satkuzi-ga-genba-500.jpg
ハイレベルな業界故に己の相対的視点上での客観
的な価値は分かり難かった。特に CAD が登場して
か
ら
!
)
www.rakuaki.com/item2016-10-07/06-kanto_002
_doutoku_zen-700.jpg
カントの指摘の如く、己を必要以上に認めないことは、偽りの卑下に相当すると考え治した。
全てが完了後、少なくとも 3 年は、頭の何処かに何か問題が起きないか?・と気に成る。吾が生涯での一番大
4
きな失敗は昭和 51 年(28 才)に担当(既に作図責任者)した設備が 15 年後に壊れた事「この機械は年 2 回の定
期検査期間(1 回は 20 日前後停止)以外は 24 時間稼動)凡そ 1 千万円相当(全体は 300 億円だったから、極一
部???)のガス吸引ブロアー(微引火性管を繋ぎ込んでしまう)だった。周りは無人で罅割(本体は鋳物なので
×)れす。保障期間外だったのでお叱りだけで済んだ!
☆
* [C]*-人間が作る物は耐用年数が有り、点検保守が不可欠である。
戦後の高度経済成長に全国におよそ 75 ヶ所へ石油・化学・プラスチック・薬品等の、コンビナートを作った。自分
は 10 ヶ所以上への各種製造工場の設計(製図以上の纏め)に深く関わった。
<この元文を作成したのは 2012 年である>⇒他会社が担当した工場で、2012 年 4 月 22 日に広島県大竹市の
「ゴム工場」の爆発事故(1 人死亡 22 人負傷)や、同年 9 月 29 日の「姫路アクリル酸製造所」の爆発(1 人死亡 39
人負傷)・・・さらに人為的ではないにしても、同年 12 月 2 日山梨県中央道路の「笹子トンネル天井崩壊」事故(9
人死亡 2 人負傷)。これはメディアには施工ミスが原因と報道された。しかし天井へのケミカルアンカーは業界では
常道である。つまり施工業者の基本的な手抜き工事といえる。(根本を疑ったら通れるトンネルが無くなる)
「物造りの実務経験者の見解として<人間が作る構造物の限界が表面化していると断言できる>つまり極端な
独裁(個人・イデオロギー)社会を作り、経済性等を無視したエジプトの「ピラミッド」や、中国の「兵馬俑」などを造
るのなら別だが、人の手ででは「永遠不滅」な物は造れないし、作る必要は無い。
建物・橋・トンネル・各種工場などの構造物(原発も例外ではない)は、定期的な点検補修だけでは済まないし、
作り直しの時期が来るのは必然である。「第2次大戦後埋設した上下水道管始めとする公共インフラ設備は総て
全面的な更新時期に入っている」
此の度の東北震災で、原発の持つ問題が正面化して政府は全てを見直している。耐用年数は 16 年から 40 年
に成り、更に~との案が出ているが、原子炉本体の素材の粗鋼的には可能。しかし、設備その物をメンテナンス
する人間の現役年数からして長過ぎる。(政府が世界に如何に自慢しても、しょせん人間が作った物の塊である)
『おじいさんが作った原発設備を、孫が責任を持って「保守点検」をする等は「孫への負の遺産である」・・・40 年
以下として、漫然点検と成りがちな、人間の本質に如何に対するかであると思う。
今後は原発の「非常用電源」は充分確保するであろう。その非常用電源其の物の定期点検とテスト運転は如
何するのだろうか?殆んどこのテーマが聞えてこない?。予備電源を何台備えようと、メンテナンスをしない機械
は、お札に成ってしまう。
☆
* [D]*-[C]の必要性の吾が体験談
自分が第三(第一伊予/第二広島)の古里である工都・新居浜(市へ昭和 44 年~)の新田町の新居浜港際
に、市が水害に備えて巨大な排水ポンプを設置していた。自分は他の工場(大江・菊本)への打ち合わせ等で月
一は側を通る。“しかし、自分らの仕事でも使わない程大きい!”と関心して見ていた。
処が昭和 50 年頃だったが、台風での大雨が住友鉱山/重機/化学の門前町であるその町を襲ったのである。
数十戸の民家が床下浸水した。
5
この新田町は明治以降に海岸を沖に向って順次埋立造成して工場を作っていったので、住友の工員町だった
が下町として残されてしまう。(自分はホボ海抜 0m に近かったのを気が付かなかった?)
踝まで浸水している市道の通勤路を、自分は革靴で水を切って出勤してビックリした。⇒あんなに大きな排水ポ
ンプを設置しているのに???⇒タイムカードを押しながら廻りに聞くと、何と動かなかったらしい。⇒町どころか
新居浜市全体の大問題となった。⇒公表されたのは、非常用ポンプだったので、昭和 30 年代の設置以後は一度
も運転していない(自分が失敗ブロアー機械と対極である)との事だった。(人を其の周りに良く見かけたが、あくま
で建物の清掃だけだったのである)⇒すぐに大工事をしたし、住友の膝元町だから二度と無いだろう。
しかし、この事実は半世紀を過ぎ様としているので、当の新居浜市の若い人は知らないであろう。自分らが水の
中に革靴を潜らせて出勤しているのに、側をトラックが行く。当然の結果として水面に大きな波が生まれ「洋服店
の店主が怒鳴り声は忘れられない」-(懸命に商品を水面より上に挙げ様としている所へ波だから・・・当然だっ
た!)
この経験談は、何事も緊急用・非常用として、準備/用意しても、人間が作る物は保守点検補修が必要との教
訓である<新居浜市の過去の汚点を、書き改めてすみません>-ネット検索しても出ませんので、原発の非常用
電源に不安を覚えるので、あえて書き込みました。こうした実話での経験談でも、文系の人に事の重大性を伝える
のは難しい様な気がする。⇒こんなに科学が進歩しての政治には、理工関係者の意見が入らないと、取り返しの
付かない過ちを犯す(文系の人は非常用に設けたとの事だけで、何時でも使える筈とお思い込みそうである)
チックリストによる定期点検(恐らく目視が中心の筈)だけでなく、原発の定期修理時は、非常用設備や電源&器
械等は、メンテナンスは無論のこと周期的に動かすことが絶対に必要である。
☆
* [E]*- 電気の電源は、永遠に燃え地球に届く光と熱を利用し、電気に変換するのが最適である
今後爆発的に増える世界人口からして、産業血液の電気としての電源たる原発は、「G8」以外の後進・途上国
核戦略とは別に作らざるを得ないだろう。
結果、今の技術レベルでは処理出来ないのに増え続ける「使用済み核燃料」-(オバマ政権は 2016 年度中に
サウスカロナイナ州の MOX 工場中止方針を打ち出す!)。ユダヤ人の同胞民族救済の為の開発が、いまや全人
類の巨大な負の遺産に成った。 ☆少し前に表面化したロシアの「日本海溝への核遺物投棄」 ☆太平洋や大西
洋、等々への海洋投棄量は不明。 ☆アメリカの[WIPP]にしても地下 655m への貯蔵である。(2016 年の明けに、
東海村から返還されたプルトニューム 331 ㌔も搬入された。)
『人類共通の負の精神要素。他が己と同等及び、より以上の武力を手中にしたら、自分らの生存が危うく成る。
と感じる不安心理。極端な例が米が銃社会と核保有国としての保身。他国の核保有への不安心理である。
「自分が十五前に、家へ退院する決心がついたのは、他の人(含女房)の手を煩わさないで、誇りを持って
日々の生活が出来る。と、この電動車椅子「ローバー」・(走・昇降・リクライニング付き)を交付(県:厚生省)して
くれたからである⇒「担当してくれた I・リハリビ病院の OT「SB」さんの強力なサポートのお蔭でもある。:『この事
は、改めて感謝せねば成らないと思っている』 しかし、吾が身体が普通の老体&高齢者に成ってしまったと自
覚(3 年前)出来るまでは、如何なる事態で何時本当にオムツ/ベット人間に成ってしまう?との不安の塊であ
6
った。そう成った時を恐れて某リハリビリ通院を絶てなかったのである。この吾が不安心理がドレダケ多くの病
院の、看護師等の皆様へ不快感を与えた事か?・・・今更、誤っても取り返しが付きませんがお許しください。
この自分の心境を思い合わせば、アメリカの国民が優れた武器を手にした時、二度と手放す事が出来ない
心理が分かる様な気がする⇒『人類は石斧・弓矢から始まり原子爆弾を持ってしまった!』
⇒核を、使うか使わないかは人類の善なる良心に期待する以外に無いが、不可抗力による事故で発生した残
留放射能処理と、増え続ける使用済み核燃料の問題は、未来に優秀且つ天才的な人が表れて、『無機質化』
技術を発明&確立してくれるのを待つ以外に無さそうである?。(太陽に打ち込むのが一番手っ取り早い?)
原発の基礎たる核反応爆弾。米国が広島・長崎を実験場としたのち其の技術は確実に拡が
っている。使うとその後の放射能処理が不可能な事は、「チェルノブイリ」「スリーマイル島」から
始まり「東電」の事故で実証した。(反対に使っても即人類が滅亡しない事も!)
原発以外の発電は風・潮干満・太陽光・地熱等を考えられているが自分は下が望ましい思う。
「温度差発電シート」
「印刷出来て曲がる太陽電池」
発表・2011 年 9 月 30 日
発表・2016 年 10 月 6 日
www.aist.go.jp/aist_j/press
www.fukushima-u.ac.jp/press/H28/
_release/
pdf/94-04.pdf
pr2011/pr20110930/pr2011
0930.html
独立行政法人「産業技術総合研究所
「東北大」
ガソリンエンジンを「カール・フリードリヒ・ベンツ」が発明したとホボ同時期に電気自動車は考案
されていた。人間社会構造的に貢献度が薄い故に無視される。社会への裾野の拡い、可能な
限り多くの人々が経済活動に参加出来て共益を受けられ、生活が出来る業態でなければ成ら
ない。上は電気自動車の延長線上に至ってしまうのだろうか?-(最近は電気自動車が、見直
されて急劇な進歩の過程に入ったようだ。)
☆-この度の本再発起は上右、東北大の発表を、ネット上の「福島民友新聞」の記事を読
み、検索すると記入したアドレスで内容を知ったからである。-☆
2013 年(平成 25 年)1 月 28 日:記載文 を編集して転載
2016 年(平成 28 年)10 月 23 日 30 日 大石正明
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