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シ
シ ネ
ネ マ
マ &
&
篠田監督をお迎えして
シネマ&トーク 『私の少年時代』
平成17
平成
17年9月
年9月25
25日シネコレ
日シネコレ・
・スペシャルとしてシネマ&トークが開
催されました。『瀬戸内ムーンライトセレナーデ』上映後、
催されました。『瀬戸内ムーンライトセレナーデ』
上映後、篠田正浩監
篠田正浩監
督が舞台に登場。1931
督が舞台に登場。
1931年に生をうけてから満州事変、
年に生をうけてから満州事変、太平洋戦争、
太平洋戦争、ベ
ベ
トナム戦争がおき、なぜ、人類は戦争をやめられないかを考えてきたと語
トナム戦争がおき、なぜ、
人類は戦争をやめられないかを考えてきたと語
られました。戦後、
られました。
戦後、グレンミラー楽団の
グレンミラー楽団の『ムーンライトセレナーデ』
『ムーンライトセレナーデ』が
が
聞こえてきた時「この音楽をつくった国に負けたんだな」と痛感されたそ
聞こえてきた時「この音楽をつくった国に負けたんだな」
と痛感されたそ
うです。トークショーを聴いたお客様はとて
うです。
トークショーを聴いたお客様はとて
も有意義な時間を過ごせましたと喜んでいらっ
しゃいました。
監督へのインタビュー
質問: 映画界に入るきっかけは?
戦後、母と名古屋で歌舞伎を見ました。
戦後、
母と名古屋で歌舞伎を見ました。
当時アメリカから演目に制限が加えられてい
たため、 近松門左衛門の心中物でした。 道
行きとは死ぬための旅立ちです。これはカミ
行きとは死ぬための旅立ちです。
これはカミ
カゼ特攻隊と同じだと思いました。日本人は
カゼ特攻隊と同じだと思いました。
日本人は
いかに生きるかではなく、いかに死ぬかとい
いかに生きるかではなく、
いかに死ぬかとい
う文化を持っている国民です。日本の演劇は
う文化を持っている国民です。
日本の演劇は
死者の演劇で、いわばお葬式と同じだと思いました。
死者の演劇で、
いわばお葬式と同じだと思いました。お能も芝居も非業の最期を遂げた人への鎮魂がテーマです。
お能も芝居も非業の最期を遂げた人への鎮魂がテーマです。
これが日本人の精神の根底にある民族の共通する意識だと思います。その原点を見極めたいと思いました。
これが日本人の精神の根底にある民族の共通する意識だと思います。
その原点を見極めたいと思いました。
質問:
質問
: 「いかに死ぬか」
「いかに死ぬか」は作品のテーマとしていつも考えていらっしゃいますか?。
は作品のテーマとしていつも考えていらっしゃいますか?。
いつも、考えています。
いつも、
考えています。あまりの悲しみに普段はニコニコしています。
あまりの悲しみに普段はニコニコしています。
質問:
質問
: 作品の中で最も印象に残っている作品は?
すべて自分の子どもです。できの悪い子どももかわいい。
すべて自分の子どもです。
できの悪い子どももかわいい。「瀬戸内ムーンライトセレナーデ」
「瀬戸内ムーンライトセレナーデ」はある高名な
はある高名な
批評家で私の作品を全部見てくれている人が一番優れている作品だと言ってくれました。本日のトークショーでも
批評家で私の作品を全部見てくれている人が一番優れている作品だと言ってくれました。本日のトークショーでも
それは何故かを話したいと思います。
質問 : 監督、 脚本、 脚色、 編集、 俳優など一人で何役もこなされていますが、 一番ご苦労されることは?
いつも自分の思った映画を作ろうとします。しかし、自分が気に入った素材をお客が気に入ってくれるかど
いつも自分の思った映画を作ろうとします。しかし、
自分が気に入った素材をお客が気に入ってくれるかど
うか判りません。 相反する場合もあります。 「儲かるか?」 と 「感動するか?」 は別物です。 そこで企画段
階でそれをどのように調整するか。 そのための説得力が必要で、それが苦労ですね。
階でそれをどのように調整するか。そのための説得力が必要で、
それが苦労ですね。でも、
でも、それは監督の仕事
それは監督の仕事
であり、その苦労がいやなら監督は出来ません。
であり、
その苦労がいやなら監督は出来ません。私が味わう苦労は他の映画監督も味わいます。
私が味わう苦労は他の映画監督も味わいます。
質問:
質問
: 監督の若手養成について?
映画を教える事、不可能です。自分で悟るしかありません。
映画を教える事、不可能です。
自分で悟るしかありません。立派な仕事をしている人の近くにいることが大
立派な仕事をしている人の近くにいることが大
切です。若い人にそういう機会を与えたいと思います。
切です。
若い人にそういう機会を与えたいと思います。
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