-水素社会に向けた研究開発動向の俯瞰- I.水素製造

VN Technology Trend Watch(2016.8.16)
-水素社会に向けた研究開発動向の俯瞰-
I.水素製造
VALUENEX 株式会社
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たします。
易に発火する 2)。加えて水素は原子半径が小さく透過
1.はじめに
水素は燃焼しても水しか排出しないクリーンなエネ
性が高い、鋼材に対し水素脆性を引き起こすなどとい
ルギー源として注目されている。とくに近年では家庭
った特徴も有しており、取り扱いが難しい物質でもあ
用燃料電池や燃料電池自動車などの登場により、その
る。そのため、水素社会を実現するためには、水素を
注目度はますます高まっている。
「作る」
、
「運ぶ」
、
「貯める」といった要素に対する研
エネルギー源としての水素利用は、政策的にも重視
究開発が不可欠となる。
されている。日本では経済産業省が平成 26 年に水素・
注目を集める水素エネルギーであるが、その研究開
燃料電池戦略ロードマップを策定し、平成 28 年 3 月
発はどのようになっているのであろうか。本報では水
に改訂を行っている。その中で、2020 年までに家庭用
素社会の実現に向けた 3 つの要素のうちの一つである
燃料電池を 140 万台、燃料電池自動車を 4 万台、そし
水素製造に着目し、その研究開発動向を、学術文献を
て水素ステーションを160か所程度国内に設置するこ
リソースとして分析した。
となどを目標として掲げており、
2040 年にはトータル
水素製造に関連する論文の収集にはエルゼビア出版
で CO2 フリーな水素供給システムを確立するとして
の学術文献データベース Scopus を利用した。収集対
いる 1)。水素社会に対する政策的重点化は日本に限っ
象としては、タイトル、要約あるいはキーワード中、
たものではない。米国では Hydrogen Fuel Initiative
「hydrogen」と「production」
、
「evolution」あるいは
を、欧州では The Fuel Cell and Hydrogen Initiative
「generation」が 2 ワード以内に登場する、2001 年以
(FCH)を立ち上げるなど、世界的な取り組みとなって
降に発表された英語で記載された査読付き雑誌
いる。
(Article)とした。該当する論文数は概ね 25000 件であ
期待の高まる水素エネルギーであるが、
その一方で、
った。
水素は単独では天然にほとんど存在せず、水や炭化水
素など、水素を含む原料から何らかの手段で製造する
2.水素製造に関するマクロ動向
ことが必要である。さらに水素は空気中、約 299℃で
水素製造に関する論文発表における主要国を Fig.1
発火し、爆発限界は 4vol%から 75vol%、最小発火エ
に、また全体および上位 3 か国の論文数推移を Fig.2
ネルギーは 0.02mJ となっており、都市ガスの主成分
に示す。Fig.2 では、全体件数のみ図中右側のスケール
であるメタン(5~15vol%および 0.33mJ)よりも容
となっている。
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当該研究領域において、とくに論文数が多いのは中
および要約を用いた。クラスター解析結果を Fig. 3 に
国と米国であり、これに日本、韓国、ドイツが続いて
示す。図中に示した破線は、おおよその領域を識別す
いる。国別での論文数推移で見た場合、米国も学術文
るためのアイキャッチである。
献数を伸ばしているが、中国からの論文が 2011 年以
降顕著に増加していることが分かる。水素製造全体の
水素製造等の
効率等評価
論文数推移が 2010 年ごろから急速に立ち上がってい
るのは、中国発の論文数の急速な増大が大きく要因し
ているものと考えられる。
ヒドロゲナーゼ
バイオマス等のガス化
発酵
燃料改質
膜リアクタ
微生物電気分解
論文数(2001~2016/4)
0
2000
4000
グリセロール改質
触媒利用改質
6000
ヨウ化水素等利用
China
プラズマ利用
TiO2光触媒
United States
Alによる水素生成
Japan
CdS光触媒
Mg合金の腐食
South Korea
水素生成反応
Germany
Si系材料(光電気化学反応等)
India
Fig. 3 関連論文のクラスター解析結果
Canada
France
クラスター解析結果を見ると、右上には発酵やヒド
United Kingdom
ロゲナーゼ(酵素)など、バイオ系の水素製造が集積
Fig. 1 水素製造関連研究論文における主要国
している。その左下側には各種水素製造方法の効率評
価などに関する研究が集積している。この中には再生
2000
論文数
1500
4000
China
United States
Japan
All
可能エネルギーの利用も含まれている。さらにその左
下には燃料改質や触媒利用など、改質関連研究が集積
3000
している。そして左下には光触媒に関する研究が集積
している。なお、中央下には関連する研究として Mg
1000
2000
500
1000
や Al 等の合金・金属の腐食等に伴う水素発生が見ら
れる。
クラスター解析における密集状況を見ると、水素製
造に係る研究中、とくに多いのは触媒を利用した改質
0
2000
2004
2008
2012
0
2016
技術であり、
次いで膜リアクタやバイオマスのガス化、
そして光触媒利用が多くなっている。
論文発表年
Fig. 2 全体および主要 3 か国の論文数推移
水素製造に関する研究領域の推移を、クラスター解
析結果を用いて可視化した結果を Fig.4 に示す。図で
は 2001 年以降、3 年間を一つの期間として分割した
3.水素製造関連論文のクラスター解析
水素製造に係る研究開発の全体像を俯瞰するため、
際の推移をカラーコンター図で示している。図中、赤
収集した論文のクラスター解析を行った。クラスター
い領域が研究の密集度合いが高く、順次黄色、緑、青
解析では解析対象とする文書情報の特徴量を tf/idf 法
の順で密度が低下している。
を用いて評価し、文書相互の類似度に基づき可視化し
2001~2003 年の期間では、触媒を用いた改質に係
ている。類似度評価には収集した論文情報のタイトル
る研究と水素生成反応に関する研究に集中が見られる。
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その次のスパン(2004~2006 年)では、水素生成反応
物質を利用した水素製造に係る研究である。
に関する領域が減少し、燃料改質や変換効率に関する
(2)米国
研究が活発になっている。また発酵に係る研究も増加
米国の水素製造関連研究では、通年では中央付近の
していることが分かる。この傾向は次のスパン(2007
燃料改質や触媒利用改質、そして光触媒利用などで研
~2009 年)でも同様である。2010 年以降になると、
究が多くなっている。直近について見ると、中央付近
光触媒の利用が活性化してくる。とくに 2013 年以降
の改質に係る研究の比率は低下し、TiO2 光触媒や水素
で顕著になっていることが分かる。
生成反応などが活発になっている。また中国同様、
2001~2003
MoS2 等層状物質を利用した研究が増加している。な
2004~2006
お、層状物質を利用した研究では、中国研究機関との
共著が複数確認できる。
(3)日本
日本の水素製造関連研究では、通年では触媒利用改
質と膜リアクタ、
そして光触媒に関連する研究が多い。
2007~2009
その傾向は直近でも大きな変化は見られないが、膜リ
2010~2012
アクタに関する研究がやや減少している。また MoS2
等の層状物質を利用した水素製造関連研究も見られる
が、中国や米国ほどの集積は見られない。
(1)China
2001~2016/4
2013~2015
2013~2016/4
ALL(2001~2015)
MoS2 利用
(2)United States
2001~2016/4
Fig. 4 水素製造に係る研究開発の推移
2013~2016/4
4.国別での研究領域
水素製造に関連する主要 3 か国(中国、米国および
日本)の研究領域の違いを Fig.5 に示す。図には通年
での研究領域と、直近の傾向を知るために 2013 年以
降の研究領域を示している。
(3)Japan
2001~2016/4
2013~2016/4
(1)中国
水素製造に関する中国の研究領域は右上のバイオ手
法から光触媒まで広く分布しているが、比較的触媒改
質や光触媒といった、クラスター解析中央から左下の
領域に研究が多くなっている。
2013 年以降について見
ると、その傾向はより顕著である。また、図中に示し
Fig, 5 主要 3 か国の研究領域。(左)2001 年以降、(右)
たように密集領域としてアサインされていない場所に
2013 年以降。
研究の集中が見られる。これは MoS2 などの層状構造
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状物質利用などである。また C3N4 の利用に関しても
5.主要国における研究助成状況
水素エネルギーは政策的にも注力されている研究開
発分野である。そこで Scopus に収録されている助成
比較的集中が見られる。
(2)NSF(米国)
金情報を利用して、主要国別の取り組みの違いを明ら
米国 NSF の出資する研究に関しては、Fig.5 に示し
かにした。主要な助成金機関を Fig. 6 に、また各助成
た 2013 年以降の研究領域と比較すると、光触媒関連
機関別の研究領域を Fig.7 に示す。
領域に特に集中している。対象としては TiO2 光触媒
主要な助成金提供機関について見ると、中国の国家
や Cu2O、Fe2O3 等酸化物による光電気化学反応、およ
自然科学基金(NSFC)が特に多くなっている(Fig.6
び MoS2 等層状物質の利用である。
は横軸が対数スケールになっている)。中国では
(3)DOE(米国)
NSFC のほか、中国科学院(CAS)による助成も上位
DOE の出資する研究領域に関しては、大きく分け
て 3 つの領域が見られる。一つは鉄カルボニル等の錯
に登場している。
中国に次いで多いのは米国の助成であり、アメリカ
体を触媒として利用した水素製造である。またナノ粒
国立科学財団(NSF)と国エネルギー省(DOE)が多
子利用や Si 系材料の利用などにも集中が見られる。こ
くなっている。アメリカ国立衛生研究所(NIH)から
れらの研究領域は NSF の領域から外れており、すみ
の助成も見られる。米国の場合、特定機関に偏らず、
分けができているものと考えられる。
複数の組織から助成されていることが特徴的である。
(4)JSPS(日本)
日本に関しては日本学術振興会(JSPS)からの助成
日本に関しては Scopus の助成金情報で見る限り、
が上位に登場している。そのほか、上位 10 件には登
最も多い JSPS で 60 件程度と少ない。クラスター解
場していないが科学技術振興機構(JST)などによる
析上で見る限り、特定研究領域にフォーカスしている
助成も見られる。
とは言い難い。
該当論文数(重複あり)
1
10
100
1000
NSFC(China)
NSF(US)
10000
NSFC(China)
C 3 N4
NSF(US)
TiO 2
TiO 2
酸化物光水分解
DOE(US)
CdS
NIH(US)
層状物質
NSERC(Canada)
層状物質
CAS(China)
DOE(US)
JSPS(Japan)
ARC(Australia)
JSPS(Japan)
錯体利用
DFG(Germany)
EPSRC(UK)
ナノ粒子
Fig.6 水素製造に係る研究開発における主要な助成機
Si系材料
関(Scopus 収録データによる)。
Fig. 7 助成金にフォーカスした場合の研究領域
(1)NSFC(中国)
NSFC からの助成を受けている研究領域は、中国に
以上のように、助成金という観点から見ると、改質
おける 2013 年以降の研究全体(Fig.5 参照)と比較す
系の技術ではなく、酸化物や窒化物、あるいは錯体を
ると、右上のバイオ系製造や中央付近の改質といった
利用した反応系に対し中国や米国では研究資金投資が
領域が少なくなっている程度である。研究が集中して
行われていることが分かる。なお、上記結果は助成金
いる領域は TiO2 や CdS といった光触媒や MoS2 等層
の有無のみを評価パラメータとしたものであり、より
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詳細には助成金の多寡なども含めて評価する必要があ
る。
6.おわりに
クリーンなエネルギーとして期待される水素に関し、
その製造方法に関し、学術文献をリソースとして研究
開発動向を俯瞰した。
水素製造に関する研究開発は、マクロには活性化し
ており、それをけん引しているのは中国であった。研
究領域としては発酵やヒドロゲナーゼ、微生物電気分
解といったバイオ利用、各種改質技術、光触媒や光電
気化学反応の利用、さらには関連研究として金属の腐
食に際する水素発生などがある。研究トレンドとして
は光触媒や光電気化学反応などの研究量が多くなって
いる。とくに近年活性になっているのは MoS2 等の層
状物質を利用した水素製造であり、米国、中国共に当
該領域での研究を行っている。
公的資金による助成状況を見ても、光触媒や光電気
化学的水素製造、および層状物質の利用への助成が多
くなっている。その一方で、日本について見ると、少
なくともScopusに収録されているデータで見る限り、
集中的な研究開発投資は見られない。水素製造に関し
ては、いかに変換効率を高めるかが重要であり、必ず
しも新規な材料や反応系に頼る必要があるものではな
い。その意味では学術文献だけでなく、特許情報など
も踏まえて評価するのが妥当であると考えられるが、
それでも米中に対し研究開発という観点から日本は後
れを取っている可能性があるのではないだろうか。
今後水素社会を実現するためには、エネルギーコス
1)
水素・燃料電池戦略協議会、
「水素・燃料電池戦略ロ
トがとくに重要となる。そのためには、まずは高効率
ードマップ~水素社会の実現に向けた取組の加速~」
な製造方法が不可欠であり、今後の研究開発の進展に
2)三宅淳巳、
「水素の爆発と安全性」
、水素エネルギーシ
期待する。
ステム Vol.22, No.2, P9-17(1997)
(著者紹介)
本多克也:研究開発本部長、博士(工学)
新技術事業団研究員、
三菱総合研究所主任研究員を経て 2008
年より現職。専門領域:ナノテクノロジー・材料等の先端科
学技術調査分析および海外の科学技術調査分析。
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