日本軍「慰安婦」問題の真実

日本軍「慰安婦」問題の真実
長谷川 了一(FC事務局長)
首相にお詫びと反省の気持ちはあるのか
ように隠蔽することのほうが、国際的には日本の信
現在、アメリカ議会下院において、日本軍「慰安
頼を大きく失墜させ、もっと「恥ずかしいこと」に
婦」問題に関する決議案(注1)の審議が行なわれ
なるのだということさえ分かっていない
「選良」
が、
ている。これに関連して、日本軍「慰安婦」
(注2)
国政の場に多くいることがとても恥ずかしい。
問題に関する基礎的事実を否定しようとする、日本
93年、ようやく政府は関与を認めた
政府高官・自民党の発言が喧しい。かれらは 1993 年
日本軍「慰安婦」問題に関する研究は、千田夏光
に出された河野官房長官談話(注3)の訂正・削除す
氏の先駆的な仕事(注4)以外にはほとんど無かっ
ら求めている。そうした言動に励まされるかのよう
た。1992 年、吉見義明氏の発見した軍の公文書の前
に、安倍首相は国会の論議で「河野談話」を継承す
に、ようやく政府は関与を認めた。翌 93 年、政府
るといいながら、
「強制性を裏付ける証拠がなかっ
は政府・軍の関与を認め、お詫びと反省の気持ちを
た」
、
「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れ
表した「河野談話」を表明した。これ以降、日本軍
て行くという強制性はなかった。狭義の強制性を裏
「慰安婦」問題に関する研究はすすんだ。しかし、い
付ける証言はなかった」などと全く別人のようにす
まだに政府所管資料−防衛庁資料、警察資料、朝鮮
ら思える発言をしている。
総督府・台湾総督府を管轄していた拓務省・内務省資
米紙は「安倍は国粋主義者だ」と非難
料、外務省の極東国際軍事裁判所関係資料、BC級
安倍首相の発言は、
「河野談話」を薄め、あるいは
戦犯裁判資料など−が未公開で、日本軍「慰安婦」
無効にしようとするものである、
と韓国・中国はじめ
政策の立案過程、日本軍「慰安婦」の徴集・使役の指
国際的に反発されている。韓国紙は「自分の姉妹や
揮命令系統など、全貌は解明できていない。このよ
娘がそのような経験をしても、
『証拠がない』という
うな状況の中で、今日までに明らかになっている問
言葉で目をつぶるのか」
(東亜日報)
、中国紙は「ア
題の要点を示すことにしよう。
ジアの女性を強制的に『慰安婦』にした日本の犯罪
植民地・占領地の女性を「慰安婦」にした
行為の動かぬ証拠は山のようにあり、否定すること
日本軍「慰安婦」とは、日本軍の管理下におかれ、
は許されない」
(新華社)と鋭く批判している。アメ
戦地や占領地に開設された軍慰安所で日本軍将兵や
リカ各紙も「日本の首相が慰安婦を否定」などの見
軍属に性的奉仕をさせられた女性たちのことである。
出しでいっせいに報じ、安倍首相を「歴史を修正す
公文書で確認されているのは、日本人・朝鮮人・台湾
る国粋主義者だ」
(ニューヨーク・タイムズ紙)と断
人・中国人・インドネシア人・フィリピン人・ベトナ
じた報道もある。日本軍「慰安婦」問題は、靖国問
ム人・オランダ人・オーストラリア人。これ以外に、
題と同様に、歴史認識・戦争犯罪・民族差別・戦争責
日本軍が占領した各地域の女性、マレー人・タイ人・
任・戦後責任が、
日本国及び日本人である私たちに問
ビルマ人・インド人などがいた。
日本人も決して少な
われている問題なのである。
くなかったが、朝鮮・台湾など植民地や中国・イン
国会の恥ずかしい「選良」たち
ドネシアなど占領地の女性の比率が非常に高かった。
ところが、参院予算委員会での日本軍「慰安婦」
「慰安婦」の総数は資料がなく不明である。下限 5
問題に関する質問に対して、自民党席から「恥ずか
万人∼上限 20 万人ではないかと推測されている。
しいことを質問するな」
というヤジが飛んだという。
慰安所は、誰がつくり、どこに設置したか
「恥ずかしいこと」
「悪かったこと」を無かったかの
資料で確認される最初の軍慰安所は1932年始め、
日本海軍によって上海事変の時に、上海に設置され
うとしていない。日本軍「慰安婦」制度は、居住の
た。日中戦争を始めた 37 年末から、日本軍は中国
自由はもちろん、廃業の自由や外出の自由すら認め
各地に大量に軍慰安所を設置し始める。戦争のため
ておらず、慰安所での使役を拒否する自由をまった
に日本軍部隊が派遣されたところには、最前線を除
く認めていなかった。故郷から遠く離れた占領地に
いてどこでも軍慰安所が設置された。軍慰安所が置
連れて行かれたケースでは、交通路はすべて軍が管
かれた範囲は、北は千島列島の占守島から南はイン
理しており、逃亡することは不可能だった。これら
ドネシアのスンバ島、西はビルマのアキャブから東
も重大な「強制」である。
はニューブリテン島まで及んでいる。42 年に陸軍の
担当課長は「北支 100 ケ、中支 140 ケ、南支 40、
「慰安婦」は性的奴隷そのものであった
日本軍「慰安婦」問題での最重要の「強制」は、
南方 100、南海 10、樺太 10、計 400 ケ所」という
“慰安”
の強要=性交の強要である。
先に見たように、
数字を挙げている。慰安所の開設、建物の提供、使
軍慰安所の管理・運営の主体は軍であった。利用時
用規則・料金などを軍が決定・施行し、運営におい
間は、兵士 9−16 時、下士官 16−20 時、将校 20
ても軍が監督・統制していた。
中曽根康弘元首相は、
時−翌朝などと決められていた。多くの場所では他
42 年に主計中尉として慰安所を設置したことを、後
に将校専用の慰安所があった。
部隊長には専用の
「慰
にとくとくと自慢している。
安婦」がいた。
「慰安婦」たちは 1 日数回∼数十回、
軍が慰安所を必要とした理由
性的奉仕を強要され続けた。日本軍「慰安婦」とは、
日本軍が慰安所を必要とした理由は、①占領地で
まさに日本軍の為の性的奴隷以外のなにものでもな
日本軍人による強姦事件が多発した。盗賊でも強姦
かった。長期にわたる性暴力は、
「慰安婦」たちに共
はあまりしないといわれる倫理観を持つ中国人の間
通して、
否定的自己評価、
婚姻と性関係の障害など、
に激しい憤激を呼んだので、強姦をさせないように
現在に至るも、
心と身体に大きな傷が残されている。
するために設けた、②大義名分のない侵略戦争であ
日本軍「慰安婦」問題と日本国憲法
り、勝利の見通しのない無謀な戦争だった。休暇制
それでは最後に、日本軍「慰安婦」問題の本質と
度もなく、長期間戦場に釘付けの将兵に、性的慰安
はいったい何か。①国家自身が政策として推進した
が必要と考えた、③民間の売春宿を利用して性病が
複合的な犯罪行為であった、②無権利状態に置いた
蔓延した。これを拡大させないために軍管理の慰安
女性を「輪姦」した性犯罪・組織的暴力であり、重大
所を設けた、
④軍の機密保持・スパイ防止のために軍
な人権侵害である、③日本人慰安婦はおおむね成年
管理の慰安所をつくった、
の4点が指摘されている。
の売春婦だった。しかし、他のアジア人慰安婦の大
しかし、一方で「慰安婦」に対する性暴力を公認し
多数は未成年者であるか、成年であっても売春婦で
ておきながら、他方で強姦を防止するということは
はなかった。そこには深刻な人種差別・民族差別及
不可能なことであり、当然ながら、強姦事件を防止
びアジア人女性に対する性的蔑視意識があった、④
する本質的解決に結びつかなかったという。
国際法違反行為であり、戦争犯罪であった。
首相のいう「狭義の強制性」はなかったのか
基本的人権を三原則の一つとしている日本国憲法
アメリカの決議案や河野談話を批判している人た
を保持している現在の日本国と、それを享受してい
ちは、
「慰安婦」
の連行において官憲による暴力的
「拉
る私たちにとって、性犯罪、戦争犯罪、民族差別で
致」のみを「狭義の強制性」と呼び、それは「無か
ある日本軍「慰安婦」制度の事実の解明と被害者の
った」と主張している。だが、人身売買や誘拐、人
名誉回復や補償の実現は避けることのできない責務
身御供として
「慰安婦」
とされた例は限りなくある。
である。それは同時に、私たち自身が日本国憲法の
また、これらの主張は「慰安婦」の移送や渡航が軍
精神を体現できているかどうか、私たちの人権と民
あるいは警察の統制下にあったという事実すら見よ
主主義の水準が問われている試金石であると思う。
注1:
「慰安婦」問題に関する決議案の要点
強制的な状況の下での痛ましいものであった。
日本政府は(1)1930 年代から第二次世界大戦を
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地について
通じたアジア太平洋諸島の植民地支配と戦時占領の
は、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占
期間、日本帝国軍隊が若い女性に「慰安婦」として
めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあ
世界に知られる性奴隷を強制したことを、明確にあ
り、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による
いまいさのないやり方で公式に認め、謝罪し、歴史
等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
的責任をうけいれるべきである。
(2)日本国首相の
いずれにしても、
本件は、
当時の軍の関与の下に、
公的な資格でおこなわれる公の声明書として、この
多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。
公式の謝罪をおこなうべきである。
(3)日本帝国軍
政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかん
隊のための性の奴隷化および「慰安婦」の人身売買
を問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を
はなかったといういかなる主張にたいしても明確、
経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたす
公式に反論すべきである。
(4)
「慰安婦」にかんす
べての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申
る国際社会の勧告に従い、現在と未来の世代に対し
し上げる。
この恐るべき犯罪についての教育をおこなうべきで
われわれはこのような歴史の真実を回避すること
ある。
なく、むしろこれを歴史の教訓として直視していき
注2:日本軍「慰安婦」という言葉について
たい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、
現在、
「従軍慰安婦」
「軍慰安婦」
「軍隊慰安婦」
「性
このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決
奴隷」などと多様な呼び方がされている。戦時中の
して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
軍の呼称は「酌婦」
「妓女」
「特殊慰安婦」もあるが、
<付記>河野官房長官談話に残されている問題点
おおむね「慰安婦」という言葉が使われている。
「従
(1)慰安婦の徴募、軍慰安所制度の運用の主体は業
軍」という言葉には自発的というニュアンスが含ま
者であるかのように読める余地を残している。
(2)
れているので適当ではないという批判がある。
また、
中国人・台湾人・東南アジア・太平洋地域の住民に
「慰安婦」という言葉については、女性が兵士を「慰
ついてほとんど言及していない。
(3)
「多数の女性
安」するというのは実態と違うという批判がある。
の名誉と尊厳を深く傷つけた」といいながら、
「お詫
そこで、日本軍「慰安婦」と記すこととした。
びと反省の気持」を言明したにとどまっている。こ
注3:慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官
とは国際法に違反し、戦争犯罪を犯したのではない
房長官談話(抜粋)
1993(平成 5)年 8 月 4 日
かという問題である。徹底した真相の解明、罪の承
…今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわ
認と謝罪、再発防止措置などが言及さるべきだ。
(吉
たって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在し
見義明著『従軍慰安婦』より)
たことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要
注4:千田夏光氏の仕事
請により設営されたものであり、慰安所の設置、管
1973 年、
『従軍慰安婦』
(双葉社)刊行。
理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あ
***********************
るいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集につい
【参考文献】
『従軍慰安婦』
(吉見義明著・岩波新書)
ては、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当た
『共同研究 日本軍慰安婦』
(吉見・林編
ったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人た
ちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更
に、官憲等が直接これに加担したこともあったこと
が明らかになった。また、慰安所における生活は、
著・大月書店)
『天皇の軍隊と南京事件』
(吉田裕著・
青木書店)