第9号 - 松山櫨復活委員会

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第9号
前号までのあらすじ
一ヶ所だけ残っていた「松山櫨」
「松山櫨」を復活させるためには、
の 生 息 地 に た ど り 着 き ま し た。
接ぎ木をしなくてはなりません。
松山櫨を復活させる唯一の方法
台 木 は 縁 の 下 の 力 持 ち。 穂 木
の 生 長 を ひ た す ら 助 け て や り、
その木は穂木の品種となります。
つ ま り、 接 ぎ 木 と は 穂 木 の ク
ローンを作る技術と言えます。
な ぜ、 私 た ち が 食 べ る 同 じ 品
種 の 柿 は 同 じ 味 か と い う と、 同
じクローン柿だったからです。
歴史のある接ぎ木技術
「どんなにいい種子を選んで
百 本 植 え て も、 五 十 本 ぐ ら い は
ていました。
(175 0年)には、 既に確立し
むけることです。
吸い取って育っていくようにし
つ け て、 穂 木 が 台 木 か ら 栄 養 を
を、台木(同じ品種の木)にくっ
接 ぎ 木 と い う の は、 増 や し た
い 木( 穂 木 ) の 一 部 分( 接 ぎ 穂 )
接ぎ木はクローン技術
「接ぎ木」って何?
江戸時代に田主丸町森部で発
見 さ れ た 櫨 の 優 秀 な 品 種「 松 山
江戸時代に松山櫨を発見した
実 を つ け な い 木 に な る。 残 り の
櫨の接ぎ木技術に関しては「農
人錦の嚢」が世に出た寛延三年
五 十 本 が 実 を つ け た と し て も、
現 在 で も、 実 の な る 果 樹 苗 は
こうした接ぎ木技術によって生
竹下武兵衛は 「*農人錦の嚢」の
中で、こう書いています。
武兵衛のススメ
つ ま り 親 は 親。 子 供 は 子 供 っ
てことです。
ならないのです。
そのまま親の柿と同じものには
んな他の種の遺伝を含んでおり、
種 に は、 も と も と の 花 粉 に い ろ
櫨」
。 回 り 道 を し な が ら、 つ い に
なぜ接ぎ木なのか
なぜ松山櫨を復活させるため
に、 単 に 松 山 櫨 の 種 を 播 か ず、
接 ぎ 木 を す る の か。 今 回 は 接 ぎ
木に焦点をあてたいと思います。
例えば美味しい柿を食べると
種 が 出 て き ま す ね。 そ の 種 を 庭
に 播 く と、 数 年 後 に は 同 じ 実 が
な る の か と 思 っ た ら、 そ れ は 大
間違い。ご存じの方も多いでしょ
う が、 種 か ら 育 っ た 木 は、 決 し
そのうち品質の悪い実をつける
続きは次号にて
いや〜な予感がしてきました。
か り 忘 れ て い ま し た。 な ん だ か、
ば か り 考 え て、 台 木 の 事 を す っ
と こ ろ で、 接 ぎ 木 に は 台 木 が
必 要 で す。 今 ま で 私 は 穂 木 の 事
大昔から定番だったわけです。
ロ ー ン で す が、 果 樹 苗 業 界 で は
す。 人 間 で は 禁 止 さ れ て い る ク
産、 と い う よ り 増 殖 さ れ て い ま
やり方である。」(現代語訳・古賀幸雄)
接ぎ木した苗を植えるのが賢い
も 全 て 上 々 の 実 が つ く。 従 っ て
仕 立 て て 植 え る と、 何 本 植 え て
ま う。 こ れ に 対 し、 接 ぎ 木 苗 を
あれこれ費用ばかりかかってし
あ る。 こ の よ う に 実 生 に す る と、
も量が少なく役に立たない木も
木 も 多 い し、 上 等 の 実 を つ け て
「ハゼと木蝋」福岡県特用林産振興会より抜粋
※本会報を許可なく複製・転載すること、または部分的にもコピーすることを禁じます。
* 資料・日本農書全集第 31 巻「農人錦の嚢」より引用
て元 の柿 と同じ 実は つけま せん。
櫨の花。毎年5〜6月に咲く。雌しべについた花粉により実を
つける。その実はもう親木とは違う種類の櫨になってしまう。
2007 年(平成 19 年)6 月1日
り
櫨(はぜ) 便
山
松
第九号
福 岡 県 久 留 米 市 田 主 丸 町 で 活 動 中!
編集・発行
松山櫨復活委員会
幹 事・ 矢 野 真 由 美
1日・15 日発行・櫨に関する情報求ム!
耳納山の片隅で失われてしまった櫨紅葉の景観を復活させることを目的に、櫨の素人がまったりとその様子を伝えていく会報です。
ブログ公開中「松山櫨復活奮闘日記」http://blog.goo.ne.jp/elster/
連絡先 e-mail : [email protected] ホームページ「松山櫨復活委員会」 近日公開予定