祝福になれ

主 題: 祝 福
説 教 日: 2010年 1月 3日
本 文: 創世記 12:1-4
礼拝区分: 主日礼拝 (3部)
祝福になれ
<御言葉>
<御言葉>
【主】はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝
福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわ
たしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって
祝福される。」 アブラムは【主】がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出か
けた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。
<挨 拶>
<挨 拶>
ハレルヤ、イエス様を愛しますか? イエスキリストは、昨日も今日もいつまでも変わ
りません。愛の主イエスキリストが、この時間、この場所に我々と共にされます。神
様が、私たちに祝福に満ちた新年をくださいました。今年も驚くばかりの恵みで私た
ちに溢れるぐらいに注いでくださいます。
昨日、韓国の元老牧師であるバンジイル牧師が新年祝福集会におみえになられ、100
才とは考えられないぐらいの力強い声でメッセージを取り次いでくださいました。
「今年は、涙の祈りを捧げよう。そして、悔い改めの涙を流し、感謝の涙、愛の涙を
流そう」このように取り次いでくださいました。主の恵みによりこのような涙で祈り
を主に捧げる時間になってください」と語られました。
ただ主の十字架の恵みに感謝し、感激して、一年を神様の栄光の為に生きる皆様と
なってください。
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<祈 祷>
<祈 祷>
愛と恵みと慈悲深い、父なる神様。感謝、賛美、尊貴、栄光を主に捧げます。私達をこ
れほどまでに愛してくださり主の恵みの中で一週間を勝利に導き、新年の感謝、感激を
主に捧げることができ感謝します。礼拝を通して主だけが栄光を受けられ、我々の人生
の中で主の貴重なる御志を悟る祝福の時間と導いてください。聖霊樣、今、臨まれてく
ださい。風の様に、炎のように、泉の様に来られ我々を生まれ変わらせてください。新
しく生まれ変わらせてください。そして、世を変える貴重なる働き人として用いられる
様に導いてください。イエス様の御名でお祈りします。アーメン
今日は、みなさんと共に創世記12章1節から4節までの御言葉で"祝福になれ"と言う
題目で恵みを交わしてみます。
私達が信じる神様は、良きなる神様です。神様は独り子であるイエス様の血潮で救い
を与えてくださり、罪と絶望の中にいた我々を救ってくださいました。そして、救い
を受ける神様の子供達が主の中で良くなる事を願っているのです。霊魂が良くなり、
全てにおいて幸せになり、健康を豊かに得る事を願っています。みなさん全てが、イ
エス様を信じてこのように神様の恵みと祝福を得ることを願います。
創世記12章1節から4節にみると信仰の親とも言われるアブラハムが神様から呼ばれる
場面が出てきます。ここで神様は彼を通した驚くばかりの奇跡が、今日、我々にも起
きるのです。この御言葉の中で主が下さる三つのメッセージを勉強します。最初に"
旅立て"、二番目に"行け"、三番目に"祝福になれ"です。
今日、この御言葉が皆さんに与えられる祝福の御言葉である事を願います。アブラハ
ムに下さった祝福の御言葉が今日、私達にも与えられ、それをしっかりと握り締め私
達が祝福の一年、勝利の一年、奇跡の一年になる事をお祈りします。
1. 旅立て
私達が祝福受ける神様の子供となる為には、最初に主が仰せられます。"旅立て"
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創世記12章1節です。
【主】はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
わたしが示す地へ行きなさい。
私達が、神様に御前に祝福を受けた子供として生きていく為には先ず、離れなければ
なりません。行くべきところに向かって行かなければなりません。アブラハムに、古
里と親と親戚の家から離れろと仰せられます。アブラハムの古里は、カルデヤのウル
です。ここは、ユーフラデス河が流れる所で土地が肥えて豊かな人生を送れる所でし
た。教育水準も生活水準も優れた所でした。それと同時に偶像崇拝が激しいところで
もありました。アブラハムの父、テラも偶像を崇拝してたと聖書に書かれています。
ヨシュア24章2節です。
ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、【主】はこう仰せられる。『あ
なたがたの先祖たち、アブラハムの父で、ナホルの父でもあるテラは、昔、ユーフラ
テス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。
皆さん、その当時、全ての偶像崇拝は、豊かさを願う為に神殿で淫乱行為をしまし
た。だからこそその様な罪が満ちてる古里にアブラハムがとどまっていては、正しい
信仰生活が出来ないのです。だから神様が新しい人生を送る為に祝福の人生を生きる
為にも古里から離れろと仰せられるのです。私達がイエス様を信じてから、何よりも
先にしなければならない事は、罪の深い古里を離れなければなりません。古い姿を脱
ぎ捨てなければなりません。イエス様を信じて新しくなってからも古い自分の姿を脱
ぎ捨てることが出来ず、罪を繰り返しながら犯す人生に捕らえられて報答しながら苦
む人生があります。私達は、この様な古い人生の姿から徹底的に離れなければなりま
せん。間違った環境から離れなければなりません。罪悪の人格から離れなければなり
ません。真な悔い改めの姿で信仰に戻ってくる時に本当の恵みが溢れるのです。
全ての人々が、罪の古里から離れなければなりません。そして、否定的な考えから離
れてなければならないのです。教会のリバイバルを妨げる要素が何かご存じですか?
否定的な考えです。"教会に問題がたくさんあります"、"出来ません"、"難しい
です"言葉で嘆きと恨み、不平、否定的な言葉では、絶対に教会のリバイバルはあり
得ません。絶対に我が人生の中でどんな神様に恵みを期待は出来ないのです。神様は
信仰の人々と働くのであって、嘆き、不平、否定的な人とは、働かないのです。
ですから私達が、イエス様を信じてからはこのような否定的な考えの根元から離れな
ければなりません。これが古里から旅立ちなのです。
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アブラハムに仰せられた古里からの旅立ち、親類から離れるとは、このような過去か
ら離れる事なのです。人々は、自分が成功する為に人脈を築こうとします。権力のあ
る人、権限のある人を通して何かを得ようとします。当時、古代社会に大家族が、威
力でした。だから家族の多い人は、その地方で重要なポストを占め地域を治め、権勢
を振るっていたのです。でもいくら人を頼っても人は、本当の満足と喜びをもたらす
ことは出来ません。人を頼るとそれは、すぐにでも崩れてしまうのです。
皆さん、私達の人生を生きる間、神様だけを信じ委ねて生きなければなりません。神
様を信じる時に神様が祝福を増して下さるのです。神様だけが私達を守り、義なる道
へと導いてくださいます。我々は、人間中心の環境から離れなければなりません。罪
を犯すことを繰り返す環境の中、人々の関係の中にとどまってはなりません。
韓国社会の中で問題の要素の一つは、集まる度に酒を飲むと言う事です。私が高校卒
業後、初めて同窓会に出席しました。なんとそこで酒を飲んでいるのです。私の学校
は、確かにミッションスクールだったのに酒を飲まない人は私だけでした。だから私
は、同窓会に良く行きません。最近は、皆が変わって長老にもなり、執事にもなり新
しく生まれ変わりましたが、最初は、罪の姿から抜け出すことが出来なかったので
す。親戚から離れろと言うことは、間違った人生を生きる人々との関係を切れという
事です。罪を繰り返す、その場所から離れろという事なのです。お互いに集まってグ
ループで罪を犯す人々がいます。また、教会の中でもこの様なグループを作る人達が
います。この様な姿から離れなければなりません。教会のなかでグループ派閥は、絶
対に有り得ない話です。お金が多いとか、学歴があるとか、何か特に持っているとか
で決めてはなりません。教会は、イエスキリストの血潮で一つになった兄弟姉妹で
す。どんな環境でも、どんな人でも、権力のある無いの関係無しに主の中で兄弟姉妹
なのです。だからこの様な集まりがあるのなら直ぐにでも離れなければなりません。
そして、主がアブラハムに仰せられます、父親から離れろ。自分の育った背景から離
れろと言う事なのです。アブラハムは、父親の長男としての特権がありました。それ
でたくさんの財産、親の養い、そして、自分だけを信じて生きていくルツもいまし
た。ところがアブラハムが祝福をうける人生になる為、正しい生活をする為には、こ
れらを放棄しなければならなかったのです。長男としての特権をあきらめ、家族に対
する全てを神様に委ねる信仰の為にも故郷を離れなければならなかったのです。
皆さん、イエス様を信じてからは、皆さんの人生の全てから離れなければなりませ
ん。ある人は、間違った自画像を持っています。心の深い底の傷です。"運悪く、環
境の良くない親にあったせいで私がこうなんだ。"だからいつも酒にはまって親を恨
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みながら生きていきます。この様な間違った姿から離れなければなりません。父の家
から離れろち仰せられるのです。皆さんが、どんな親に出会ったとしてもそれは、過
ぎ去った過去です。過去が皆さんを変化させるのではありません。迫ってくる未来が
皆さんを新しく創るのです。だから皆さんの中の間違った自画像を捨てなければなり
ません。心細くなって小さい事にも傷を受け、落胆してしまう姿を脱ぎ捨てなければ
なりません。過去のショックと苦しみ、傷の姿から離れなければなりません。何事で
もない小さな事に大きなショックと心に傷を受ける人がいます。また、ある人は、自
分の良くない性格に縛られています。直ぐに怒ったり、自分自身をコントロールでき
ません。感情がコントロールできないので人との関係の中でいつも問題が起きます。
この様な間違った姿から離れなければなりません。この様な古い姿を脱ぎ捨てなけれ
ばなりません。だからこの様に間違いだらけの古い過去の姿、過去の人生の背景から
離れるときに神様に祝福と奇蹟が臨まれるのです。
エペソ4章22ー24節です。
その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって
滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくさ
れ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべ
きことでした。
新しい姿になれ。ハレルヤ。明らかに聖書は私達に語りかけています。古い姿を脱ぎ
捨てて新しい姿になって信仰で進んでください。
17世紀初期、イギリスの清教徒達は、信仰の自由の為に古里と親類達から離れて大西
洋を横断する冒険をしました。当時、イギリスのキリスト教は、政治と妥協して堕落し
ていました。教会から聖霊様の奇蹟が離れていき、教会のなかに世の中の流れが入って
きて全てが儀式化され形式化され、本当の信仰生活をする事が難しかったのです。
だから"私達は、この様な国教に協力できない"立場をハッキリとし教会の改革を願い
ました。教会を新しく淨潔にしなければならない。自分等をプリタン(puritan)、清教徒
と呼びました。彼等は、教会を淨潔し、教会の元々の姿に戻ろう。礼拝と信仰の純潔を
もう一度求めようと言うスローガンをかけて改革運動を起こしました。そして、もっと
酷い迫害を受けるようになったのです。だから彼等は、神様によく仕え信仰の純粋性を
守る為に故郷と親戚、親の家を離れると決心したのでした。イギリスを離れてオランダ
に向かいましたが、定着できず、船に乗って長い旅路、今日のアメリカの東北部メサ
チューセツのプリマス地域の到着したのでした。そこは、荒野でした。何もありませ
ん。開墾されてない荒地でした。インディアンだけが住んでました。彼等は、晩秋に到
着して一番最初に教会を建てました。そして、そこで神様に礼拝を捧げたのです。そし
て、主に全てを委ねたのです。1年後、彼等が捧げた感謝礼拝が今日の収穫感謝祭の元
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となったのです。神様に彼等の信仰を捧げてアメリカを祝福してくださり400年が過ぎ
たいまでは、アメリカが世界最強国家となったのでした。
誰かは、言います。"いくらアメリカが堕落しても彼等の中にプリタンの血が流れる間
は、アメリカの歴史は永遠である"と言いました。それぐらい、彼等の信仰を見て神様
がアメリカを祝福してくださったのでした。
そうです。キリスト教の歴史は、離れることと分離の歴史でした。離れる事と捨てる
べき事は、捨てて神様が恵みを増して下さるのです。
私達が神様の大きな祝福を受ける為にも捨てるべ物は、捨てて離れなければなりませ
ん。ソドムとゴモラから離れなければならなかったロツの様に、エジプトの束縛から
勇敢に離れたイスラエルの様に我々も離れなければなりません。
罪の町から離れなければなりません。古い姿から離れなければなりません。離れて信
仰で進むときに神様が私達を変化させ、驚くばかりの恵みを増して下さるのです。
2. 行け
二番目に主が、私達に仰せられます。"行け"私達が間違った事から離れて目的地に
向かう事を願っています。
創世記12章1節に
【主】はアブラムに仰せられた。 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
わたしが示す地へ行きなさい。
主が仰せられます。"私が、貴方に示した地に行け"
どこに行けば良いのかハッキリしません'.ところが主は仰せられます。"私が示す
地へ行きなさい、私が導くので私を信じてついてきなさい"と仰せられます。
"神様が貴方を導く。貴方を守る。貴方の人生を責任取る"主が仰せられます。
祝福の一年、私達が主の前に信仰で進んでいくと主が驚くばかりの恵みを施してくだ
さるのです。主の約束の御言葉をしっかりと握りしめて前進、前進すれば、未来は神
様の祝福の日として導いてくださいます。アブラハムは、アブラの注ぎを受ける時に
どこに行けばよいかを分かりませんが御言葉に従い信仰で前進するので大きな祝福を
受けるのです。
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へブル章11章8節です。
信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを
受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
そうです。信仰は、行く先をしらなくても御言葉に委ねて前進するのです。目に見え
なくても、耳に聞こえなくても、手に掴めなくても、約束の御言葉だけを委ねると奇
蹟が迫ってくるのです。祝福が迫ってくるのです。
この命令が授けられた時にアブラハムがどうしたでしょうか?
創世記12章4節です。
アブラムは【主】がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラム
がハランを出たときは、七十五歳であった。
アブラハムが、何についていきましたか?神様に約束の御言葉についていきました。
主の前に御言葉を聞いて直ぐに立ち上がって従うと奇蹟が臨まれるのです。彼の歳、
75才です。白髪の老人となりました。彼が育った全てを放棄して離れた事がどんなに
難しかったでしょうか? 古里を離れたのです。親類を離れました。親から離れたので
す。それでも彼が信仰で古里から離れて前進したので神様が祝福を授けてくださった
のです。
今日、韓国の1200万クリスチャン、この様に祝福を受けれるのはこの地に福音の種を撒いた宣
教師達がいたからです。彼等は自分の故郷、親戚、親の家から離れて神様が示す地、朝鮮、韓
国に来たのです。だから、彼等はその人生をこの地に福音を伝え、この地に埋められ天国へと
行ったのでした。
1890年7月、アメリカの北長老会の宣教師であり韓国皇帝の侍医であったジョンへロン
宣教師が埋められ、始まったヤンファジン墓地には、現在、宣教師の墓地が167個あり
ます。彼等は、福音の為にこの地に来て20代から70代までの一生涯を主の為に献身
し、この地に人生を捧げました。彼等の姿がどのくらい美しかったのか言葉に言い表せ
ないぐらいです。
アペンゼラ-(H. G. Appenzeller)宣教師は、墓石に「仕えられる為でもなく、仕える為
にきました」その後に見ると1885年4月5日にジェムルポ(現在のインチョンの付近)に
上陸してから捧げる祈祷文があります。「私達は、イースターの時にここへ来ました。
その日に死の力に打ち勝った主が、この縛られた民達の束縛を切り、神様の子d藻とし
て自由と光をください。」
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ハルバート(Homer Bezaleel Hulbert)宣教師は、次のように記録しました。「私は、ウ
エストミントン聖堂より、韓国に埋められる方を願います。」
ルビーケンドリック(Ruby
Rachel
Kendrik)宣教師の墓地には、もっと感動的なメッ
セージが書かれています。「私に千の命が与えられても、その全てを韓国に捧げます」
例え私に千の命を与えられても、神様が示す地である韓国に行きます。ハレルヤ。
彼等は、永遠な故郷である天国に行く前にこの地である韓国に来て福音を伝える最後
の故郷として一生涯を捧げ献身したのです。彼等がいたので今日の韓国教会が祝福を
うける様になったのです。
私達が主の御前で御言葉を聞いて従うときに神様の祝福と奇蹟が臨まれるのです。い
つも主の御言葉に耳を傾け、御言葉を黙想し、今年一年、御言葉の導きを受ける様に
なってください。
詩篇1:1ー3です。
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着
かなかった、その人。まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もその
おしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がな
り、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
御言葉についてください。御言葉の中で主の恵みを悟ってください。御言葉を通して
主に出会い、御言葉を通して変化され、御言葉を通して癒され、御言葉を通して主の
奇蹟を体験してください。これが何の意味ですか?イエスキリストです。この御言葉
は、イエスキリスト一人だけを証しています。イエスキリストの働きが我々の人生の
中に十字架を通して主の恵みとして表われます。日毎に主の十字架をしっかりと握っ
て主の御言葉に委ねて前進する時に主の祝福が迫ってくるのです。
ハレルヤ、皆さん。御言葉を握りしめ信仰で前進してください。神様の祝福と奇蹟が皆
さんに臨まれます。
いつか、ある人が本をくれました。本の題目が、「目で希望を書く」でした。それは、
ルーゲーリック病に冒されているパクスンイルさんに関する感動的な証しの本でした。
読んでいく内に大きな感動を受けました。1990年代に大学のバスケットバールを導い
たスターの一人でした。ヨンセ大学のメンバーでした。2002年、アメリカに留学生活
を終えてプロ・バスケットボールで最年少コーチとしての記録されました。
彼が夢を現実に繰広げようとする時に病気になりました。ある日、運動するときに手か
ら力が抜けてきて病院に行ってみるとルーゲーリック病と診断されました。
ルーゲーリック病は、原因も知らず、治療方法もありません。ウィールスが運動神経に
侵入してきて細胞を殺します。段々と体が固くなって2年から5年の間に死んでしまい
ます。アメリカのメジャーリーグの有名選手であるルーゲーリックがこの病気にかかっ
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て死亡しました。それ以来、この病をルーゲーリック病と呼ぶようになりました。韓国
には、3万名を越える人がルーゲーリック病にかかって死んでいってるのです。
パクスンイル選手にこのルーゲーリック病が襲ってきました。発病1年目に車いすに乗
るようになり、20ヶ月目には寝たきりになってしまいました。背が2メートルが越える
人が寝たきりになってしまったのです。段々と体が固くなって最後には、目しか動けな
いようになりました。目玉だけを動かせます。それでもパソコンのマウスを目に連結さ
せ目の動きで意志を伝えます。これも段々と目も動けないようになりました。瞬きだけ
が唯一な動きとなりました。隣で介護人がキーボードを一つ一つ当てながら意志を伝え
ます。ここで重要なのは、彼が今8年目に死と戦っているという事です。彼は信仰の人
です。神様に委ねています。「神様、力をください。夢を叶えてください。今、韓国に
はルーゲーリック病を治療する病院がありません。ルーゲーリック病の専門病院が出来
るようにしてください。」
何故ならば、この病気は24時間、介護しなければならないからです。いつ、呼吸が止
まるかも知れません。だからこの病気にかかっている人は、死と戦っているのです。
彼は、死の前で人生を語り、絶対絶望から希望を語っています。彼は、信仰の人だった
ので死と戦ってるのです。少し前にSBS放送に彼に対する特集放送がありました。
皆さん、信仰を持っている以上、絶対に絶望しません。絶対にあきらめません。パクス
ンイルさんは、死の目の前で何回も死のラインを越えながら今でも信仰で希望をしっか
りと握りしめてるのです。彼の願いは、ルーゲーリック病専門病院を建てる事です。誰
かが敷地を寄贈しました。これで病院さえ建築すればよいのです。療養院を建てさえす
ればよいのです。
皆さんは、人生の中にどんな問題がありますか。絶対に落胆しないでください。絶対
にあきらめないでください。退かないでください。主が皆さんと共にされます。
主が仰せられます。「私が示す地へ行け、行きなさい」
主の中で皆さんの考えを変えてください。尊い夢を見てください。信仰で前進してく
ださい。信仰で告白してください。主が共にされ驚くばかりの奇蹟を施してください
ます。
3. 祝福になれ
私達が離れるべき事からは、離れ、主の御前で夢と信仰を持って前進する時にkマイ
様が私達に祝福になる様にしてくださいます。
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創世記12:2ー3です。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるも
のとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう
者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
離れるべき事から離れ、信仰を持って目的に向かって進む時に神様が私達に祝福に導
いて下さるのです。
イエスを信じてから、私達が祝福となりました。神様を信じて従順して主の御心を成
し遂げようとすると我々の人生が祝福となるのです。
アブラハムにどんな祝福が臨まれますか?
創世記12:2
あなたを大いなる国民とし、
彼は75才でまだ子供がいなく、単身で離れるのにも大きな民族となると約束されまし
た。年取った75才にどうやって子供を産めるのでしょうか?現実的に不可能です。
だけど全能なる神様の御前で不可能は有り得ないのです。
マルコの福音書9:23です。
するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなこ
とでもできるのです。」
信じる者に出来ない事はないのです。神様が約束された御言葉通りに100才の時にイ
サクを下さいました。そのイサクを通して何千、何万の子孫を授け大きな民族をくだ
さったのです。それだけではなく、イエスを信じ神様の子供となりましたが私達が霊
的なアブラハムの子孫となって神様が下さる驚くばかりの祝福をうけて生きていくよ
うにしてくださるんどえす。私達を通して神様の偉大な国を成し遂げられるのです。
創世記12:2です。
あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。
その名を高めてくださるのです。アブラハムの名を偉大にしてくださり有名にしてく
ださって高めて下さる約束の御言葉なのです。アブラハムは、私達と違わない平凡な
人です。彼がした事は、御言葉に従順して故郷と親戚と親の家から離れる事だけでし
た。ところがその信仰を見て神様が祝福を授けたのです。そして、彼を通して大きな
民族を成し遂げ、彼の名を高めてくださったのです。聖書に見るとその名を、たくさ
んの国の親よ呼ばれ、預言者とも呼ばれました。神様が立てた指導者、神様の友、神
の僕、イスラエルの先祖、信仰の先祖と呼ばれる祝福を受けました。だから神様がそ
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の約束通りにアブラハムの奇蹟の中でその様な偉大な人物として造りあげてください
ました。私達がイエス様を信じてから私達の名前が偉大になりました。神様の子供と
して名前が変わりました。私達の名前が命の本に記録されています。私達が行く所々
に神様に栄光が表われます。絶望がある所に希望が表われ、悲しみがある所に喜びが
あり、呪いがある所に祝福が生れる奇蹟が迫ってくるのです。ですから私達は、イエ
ス様を信じて私達が生まれ変わった事実を悟り、この驚きの事実を悟り、信仰で進む
主の子供となる事をお祈りします。そして、神様がこの様に驚きの御言葉を下さいま
した。
創世記12:2です。
あなたの名は祝福となる。
アブラハムが祝福となると語られます。アブラハムは今、何も持っていません。
全てを捨てて離れなければなりません。ところが主の御言葉で、「貴方は、祝福にな
る、祝福になる」
創世記12:3です
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての
民族は、あなたによって祝福される。」
ハレルヤ、イエス様を信じてからは、私達に同じ様な祝福を下さいます。霊的な祝
福、神霊な祝福を下さいました。
エペソ1:3です。
私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリスト
にあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
イエス様を信じてからは、私達の全ての罪を赦し、天の属している全ての祝福をくだ
さるのです。この祝福は、既に神様がアブラハムを通してくださると言われたので
す。
ガラテヤ3:9です。
そういうわけで、
信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるの
です。
イエス様を信じてからは、十字架の血潮の功労によりたましいがよくなり、全てにお
いて幸せになって、健康になる祝福が迫ってくるのです。十字架の恵みで救いの恵み
を体験させ、十字架の恵みで聖霊充満の祝福を受けられ、十字架により病が癒される
驚くばかりの奇蹟を体験します。
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十字架の恵みのよって私達がこの世を生きる祝福を受けながら、十字架の恵みにより
この世に生きる間、天国の希望を持って主が呼ばれる時に天国に行けるようになっ
て、再び来られるイエス様を迎える恵みを赦してくださるのです。ですから、私達が
この様な祝福をうけるので、祝福を受けた人にふさわしい姿で生きなければなりませ
ん。神様がもうこれ以上、祝福をくださるので、それにふさわしい姿で生きる事をお
願いします。私達を通して主の福音が所々に伝われ、主が下さった祝福が隣人に伝わ
なければなりません。悲しみと苦難、難しさを乗り越えて祝福を伝えなければなりま
せん。喜びと愛で分かち合いながら赦しを分かち合わなければなりません。
葛藤と対立で汚れた社会の中に我々が駆け込んで和解させる奇蹟が成し遂げられたの
です。ですから新年には、愛で和睦して、一つになる驚くばかりの奇蹟を起こして、
韓国社会が変わり、素晴らしくなると韓国社会がイエスキリストの愛の光で光る社会
にならなければなりません。これは、私達の力では無理です。能力でも無理です。聖
霊様が助けてくださらなければなりません。聖霊様が共にされ社会の隅々での葛藤と
対立の問題を解いて愛と和睦で一つと導いてくださるのです。何故ならば、私達を祝
福にかえてくださるからです。 これで私達が祝福となったので愛を実践しなければ
なりません。赦しを実践しなければなりません。赦しを求めましょう。お互いに一つ
になる奇蹟を体験しましょう。どこに行っても神様が私達を通して驚くばかりの奇蹟
を成し遂げました。私達を祝福と導き大きな民族へと、名前を高め、我々を通して主
の栄光が天下に響き渡るのです。
主の祝福の御言葉を心に刻み込んで創世記の12章1ー2節をもう一度、告白しましょ
う。信仰で告白する時にこの祝福が迫ってくる時に皆さんの人生の中に溢れるぐらいの
信仰を告白する事をお願いします。
創世記の12章1ー2節
【主】はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、 わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝
福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
貴方は、祝福になる。貴方は、祝福になる。貴方は、祝福になる、これらが全て受け
いられる人となるようにお祈りします。お祈りします。
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< 祈 祷 >
< 祈 祷 >
愛と恵みと慈悲深い父なる神様、感謝します。罪と汚れで溢れる我々を救ってくださり
感謝します。神様の子供として導いてくださり感謝します。アブラハムの祝福を赦して
くださる恵みに感謝します。「古里の親戚、父なる親から離れて神様が示す地へ行くよ
う導いてください。」
罪の故郷から離れます。まちがった姿から離れます。私達が信仰で前進する主と共にす
るとお祈りします。我々の人生が主の御前に祝福となる事をお祈りします。病にかかっ
た人、癒しを下さり。社会を癒す我々になるよう導いてください。
感謝をしてイエス様の御名でお祈りします。
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