オスカー・シュレンマー 「ピスカートアとモダン・シアター」 1) Oskar Schlemmer, « Piscator und das moderne Theater» (1928) 舞台芸術の重大な革新は、まぎれもなくロシアから ニヒリズムは、ロシア人のマレーヴィチが絵画技法の やって来た。始まりは、 『青い鳥』のカバレット・スタ 原点を見据え、究極の絵画の帰結として、「赤い正方形」 イルである。『青い鳥』は、もしかしたら同様に青い を発表するきっかけとなった。タトリン主義は、シュペ 「シャツ」がきっかけとなって、今ではその独特の美し ングラーの要請に呼応しつつ、画家たちを画像から技 さゆえに消えたと思われている。スタニスラフスキーの 術的構成へと移行させた。このような絵画の価値転換 演劇はラインハルトに影響を与え、ハビマ劇団やタイー は、ロシアのメイエルホリドの舞台にその反映を見出 ロフやネミロビッチ=ダンチェンコは、オペラや演劇に した。メイエルホリドは、従来の使い古された演劇の 影響を与えた。あるいはメイエルホリドは、今やピス ガラクタを全て白紙に戻し、幕や書割や小道具を一掃 カートアというドイツの使者を見出した。これらは誇る し、すっかりきれいになった床で新しく始めた。すなわ べき一連の重要な演劇における出来事であり、その明晰 ち、装飾的・イリュージョン的・自然主義的なものの代 さと明白さの点で我々ドイツにはこれらに匹敵するもの わりに、空間的・構造的・機能的なものを据えるような はない。その理由は?―明らかにロシア人の天性の演 ドラマのダイナミズムから引き出された舞台構成を用い 劇的本能である。また、一つの仕事への集中と際立った たのだ。映画は、メイエルホリドが使わないままであれ 連帯感も理由であることは確かだ。こうした重要な要素 ば、舞台の最悪の敵になっていたかもしれないが、舞台 は我々の場合、官僚支配と地方分権主義によって埋もれ に利用され、新たな目的を与えられて、ドラマの出来事 てしまっているように思える。さらに言えば、革命に の非凡な助け手であることが明らかになっている。映像 よって自由になった多くの理念とその実現の可能性、と を好きなだけ大きくしたり小さくしたり、好きなだけ速 りわけ革命的なものが新しいことと同義であり、その両 くしたり遅くしたり(クイックモーションとスローモー 方が国家専売であるという事実がその理由である。つま ション)できるということは、事物に対する我々の意識 り国立劇場が国家の見解の「道徳の施設」となり、そこ をすっかり変えてしまい、事物に新しい様相を与えるの からまた最後に、ある理念、新しい生活様式の理念が宣 で、カラーフィルムの問題さえ完全に解決したら、視覚 言され、実演されるのだ。 体験は途方もなく増大するだろう。映画と映画によって ところで、ドイツの最新の演劇であるピスカートア 生じた視覚の奇跡は完全な新領域である(ピスカートア が、ドイツの舞台を感化するのだろうか。―政治とい での紗幕!)。この領域にはさらに重要なことが期待さ う理念に従えば、おそらくほとんどありえない。なぜな れるだろう。既にあちこちで堂々と現れて近代都市の顔 ら我々はロシアのように 2 つの政党ではなく、20 もの に影響を与え始めている現代の建築熱の成果、日々我々 政党を持つからであり、そこからドイツの演劇の多様 を取り巻き、我々が望もうと望むまいと我々の意識を捉 で複雑な状況がおのずと生じている。劇形式によれば、 えている現代の技術と発見の成果。この現代を舞台にの ひょっとしたらありうるかもしれない。というのは、文 せることは当然の要請ではないか。この現代が舞台をも 学的欠乏の苦境にあれば演出家は自衛手段を講じ、文学 征服し、現代の造形手段からふさわしい形式が作り出さ 的素材をおのれの目的に合わせるために、ドラマトゥル れ、この矛盾をはらんだ時代に対し少なくとも仮象にお ギーの手法を鉄の拳に替えるからである。しかしはっき いての舞台の統一を対置するのは当然の要請ではない りしているのは、光学、力学、音響学といった上演手段 か? ―はっきりしているのは、本当の自動車が舞台 に対してのアピールが無視されることはない。こうした 上を走ったり、機関車が実際に現れたり、我々の歴史に 手段は、ここでは最新の芸術的・技術的成果の帰結とし おける「加速のモチーフ」として、タイプライターや電 て重要な意味を持つのである。 話、グラモフォンや拡声器が使われることで事が済むわ 1)[訳注]翻訳に際しては以下を底本とした。Oskar Schlemmer, «Piscator und das moderne Theater», Dessau (1928), in Das neue Frankfurt: Monatsschrift für die Probleme moderner Gestaltung, 2. Jahrg. Heft. 2, Februar 1928, pp. 22-26. ― 1 ― けではないということだ(次のセンセーションは、実際 れるべきである、それはカトリック教会の一体となった に発進し、飛行し、着陸する飛行機になるかもしれない 芸術の華やかなパレードに、飾り気のないプロテスタン が)。現代の小道具の単なる転用というような、その種 トの礼拝堂を対峙させた宗教改革に似ている。新しい理 の近代化で事が済むはずはない。依然として問題なのは 念・力強い理念は、世に出る際、簡潔明瞭に、簡素な単 芸術の事柄、リアルな現象の増強、象徴や崇拝の対象で 純さで示される。ピスカートアの政治劇ではそうであ ある。現代の演出家にとって既存の古い劇場の建物の中 る。つまり、ある理念が与えられ、理念を示すという目 で上演するジレンマは、メイエルホリドのような演出家 的の手段として現代の芸術と技術の全ての成果が結集さ が試みに上演の場を工場という空想的なリアリティへと れ、しかも印象深く活かされているので、なんとも矛盾 移すきっかけとなった。またこのジレンマは必然的にピ することに、それに夢中になるあまり目的や理念がほと スカートアを新しい劇場建築へと駆り立てている。グロ んど忘れられてしまうほどである。この視覚的、舞台技 ピウスの構想する全体劇場が実現すれば、すなわち、満 術的なものの威力は現代演劇の方向性をともかくも示し たされない願望の実現にあらゆる手を尽くす演出家の要 ている。現代演劇にとって特殊な政治演劇はその一部、 請と、新境地へと一歩を踏み出す現代建築家の現状から 舞台全領域の一部に過ぎないのだ。 建築芸術的現象が生じれば、この先 10 年の劇場様式は 哲学的なもの、形而上学的なもの、宗教的なもの、滑 ここを出発点に重要な使途を得ることは確かである。そ 稽なものから崇高なものまでの様々なスケールは、今 のような劇場建築では、初めての構造なのでまだ試され 日、現実性と更新可能性を同時に満たしていないか? ていないその使い方が問題になるのだ。上演の場の最大 どれほど多くの舞台手段が、まだ利用されず、知られず、 限の変革、アリーナにも額縁舞台にも、奥行舞台にも階 あるいは評価されないままであるか。空間やその法則や 層舞台にもなり、岬のように観客席に突き出した前舞 その秘密への究明や利用がいかに少ないか、なんと言っ 台、ワゴンステージ用の環状専用レーンで観客席は囲ま ても舞台芸術は空間芸術なのだから。色彩の固有の価 れ、映像や投影や透かし絵はあらゆる方向に使える― 値、心理学的意味での照明の魔法がいかに評価されてい こうしたことは現代舞台の要請でもあり、またその問題 ないことか! 言葉を鍛錬し、響きの出来事となるのは 性でもある。我々には、観客の静かでゆったりした状態 いまだになんとわずかであることか、今なお、音楽的な を、彼らの受容力をひどく損なうことなくどの程度まで ものの中に、この素材から解放された抽象の意味でもっ 乱すことが許されるのかはわかっていない。物質的効果 とも純粋な芸術の中に、なんと可能性が潜んでいること の累積がどの程度まで精神性に余地を残すかはわからな か! まさに音楽が示すのは、その 2 次的な役割がそも い。鉄とコンクリートとガラスでできた建築での音響効 そも肯定的なものだとして、純粋に芸術的なものを自由 果はまだ探究されておらず、どのような驚きをもたらす に展開するためのプロパガンダ的なものだということで のかは我々にはわからない。しかしながら、その要請は はないのか? ここでは形式主義ではなく、「芸術のため とても強く、新しい展望は非常に多いので、まずはドイ の芸術」にとっての言葉が語られるべきである。確かな ツの 1 ヵ所で思い切った実験が為されることが期待さ のは、芸術は芸術を支える理念を必要とし、それがより れる。 高く、より時間を超越し、より普遍的に理解されるほど 「残念だ! そのような劇場で『政治的な歌、不作法 芸術は良くなるのである。しかし、その理念はより密接 な歌』だけが歌われるとは」と言わるかもしれない。な に芸術自身から生じなければならず、素朴な芸術表現の ぜなら政治劇にはフォーラムはほとんど存在せず、政治 意図的でないもの、無意識的なものが生まれるのと同じ 的なものを越えてそもそも現代演劇一般の造形可能性を 根源から出てこなければならない。端的に言えば、理念 得ようと努力することなどほとんどないからだ。政治劇 は外側からではなく内側から出てくるものなのである。 を厳密に解せば、プロパガンダ舞台であればあるほど、 党大会であればあるほど、剥き出しの板の台上で論じら ― 2 ― (訳:柴田隆子)
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