1 学芸員課程とその周辺

1997 年度学芸員課程報告書ホームページ版です。印刷冊子を再構成しているため、目次
や構造が多少変わっていますが、内容は全く同じです。HTML 文書のほうが読みやすい
場合もあります。
1
学芸員課程とその周辺
夏の見学旅行、白川村での記念撮
影
1.1
平成 9 年度の実技実習
にて。
のクラス。白川村
明日への扉
学芸員への扉に向かって
学芸員課程統計
表 学芸員課程創設以来の資格取得者数 (table1.tex)
年度
昭和 57 年度 (1982)
昭和 58 年度 (1983)
昭和 59 年度 (1984)
昭和 60 年度 (1985)
昭和 61 年度 (1986)
昭和 62 年度 (1987)
昭和 63 年度 (1988)
平成元年度 (1989)
平成 2 年度 (1990)
平成 3 年度 (1991)
平成 4 年度 (1992)
平成 5 年度 (1993)
平成 6 年度 (1994)
平成 7 年度 (1995)
平成 8 年度 (1996)
平成 9 年度 (1997)
歴史系
8(2)
7(2)
5(0)
7(0)
5(2)
9(1)
7(3)
10(0)
8(3)
6(1)
8(1)
9(1)
12(1)
11(2)
8(2)
11(0)
民俗系
5(1)
9(2)
6(0)
13(2)
6(2)
11(1)
9(2)
10(3)
11(2)
10(0)
10(2)
2(1)
7(2)
5(1)
7(1)
4(1)
美術系
1(0)
2(0)
5(2)
6(1)
4(0)
4(2)
2(0)
3(0)
2(0)
5(1)
4(1)
11(0)
8(0)
9(2)
7(0)
11(2)
表 学芸員課程在籍学生数 (table2.tex)
計
14(3)
18(4)
16(2)
26(3)
15(4)
24(4)
18(5)
23(3)
21(5)
21(2)
22(4)
22(2)
27(3)
25(5)
22(3)
26(3)
経済学科
経営学科
金融学科
小計
欧米文化学科
日本文化学科
社会学科
小計
大学院等
大学合計
0(0) 0(0) 0(0)
0(0) 0(0) 0(0)
0(0) 0(0) 0(0)
0(0) 0(0) 0(0)
5(0) 10(0) 15(0)
14(3) 9(2) 23(5)
4(1) 4(0) 8(1)
23(4) 23(2) 46(6)
2(2) 2(1) 4(3)
25(6) 25(3) 50(9)
(table3.tex)
平成元年
都内見学館
東京民立博物館
台東区立下町風俗資料館
根津美術館
国学院大学考古学資料館
たばこと塩の博物館
明治大学考古学博物館
明治大学刑事博物館
研修旅行見学館
京都御所
京都国立博物館
奈良県立橿原考古学研究所付属博物館
奈良国立文化財研究所飛鳥資料館
国立民族学博物館
古代オリエント博物館
平成 2 年
都内見学館
紙の博物館
台東区立下町風俗資料館
サントリー美術館
松岡美術館
板橋区立郷土資料館
板橋区立美術舘
明治大学刑事博物館
明治大学考古学博物舘
研修旅行見学館
風俗博物館
京都文化博物館
奈良県立民俗博物館
奈良県立橿原考古学研究所付属博物館
奈良国立文化財研究所飛鳥資料館
元興寺極楽坊総合収蔵庫
日本民芸館
束京都近代文学博物館
平成 3 年
都内見学館
豊島区立郷土資料館
古代オリエント博物館
出光美術館
大倉集古館
台東区立下町風俗資料飴
横山大観記念館
板橋区立美術館
研修旅行見学館
徳川美術館
名古屋市蓬左文庫
博物館明治村
野外民俗博物館リトルワールド
名古屋市博物館
名古屋市美術館
新宿歴史博物館
板橋区立郷土資料館
文化学園服飾博物館
東京国立博物館
平成 4 年
都内見学館
清瀬市郷土博物館
国学院大学考古学資料館
東京都近代文学博物館
芸術教育研究所おもちゃ美術館
中野区立歴史民俗資料館
松岡美術館
板橋区立郷土資料館
東京国立近代美術館工芸館
深川江戸資料館
杉野学園衣裳博物館
研修旅行見学館
金沢市民俗文化財展示館
金沢市立安江金箔工芸館
石川県立歴史博物館
石川県立美術館
石川県立伝統産業工芸館
百万石文化園江戸村・檀風苑
水島衣裳雑貨博物館
五島美術館
東京都写真美術館
平成 5 年
都内見学館
中野区立歴史民俗資料館
たばこと塩の博物館
深川江戸資料館
根津美術館
東武博物館
東京都写真美術館
研修旅行見学館
東北歴史資料館
宮城県美術館
仙台市博物館
東北福祉大学芹沢介美術工芸館
日本金属学会附属金属博物館
平成 6 年
都内見学館
練馬区立美術館
日本民藝館
手で見るギャラリー・TOM
研修旅行見学館
金沢市民俗文化財展示館
石川県立伝統産業工芸館
石川県立美術館
埼玉県立博物館
台東区立下町風俗資料館
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
石川県立歴史博物館
藩老本多蔵品館
東京ガス・ガスの科学館
平成 7 年
都内見学館
新宿歴史博物館
深川江戸資料館
ジェイブ美術館
日本民藝館
虎屋文庫
研修旅行見学館
金沢市民俗文化財展示館
石川県立伝統産業工芸館
石川県立歴史博物館
石川県立美術館
原美術館
平成 8 年
都内見学館
文京ふるさと歴史館
日本民藝館
たばこと塩の博物館
世田谷美術館
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
創形美術学校修復研究所
台東区立下町風俗資料館
研修旅行見学館
兵庫県立人と自然の博物館
竹中大工道具館
神戸市立博物館
白鹿記念酒造博物館
兵庫県立近代美術館
虎屋文庫
1.2
学芸員課程を知りたい人へ
学芸員課程に興味はあるけれど、どんなこ
とをするの?どのくらい忙しいの?という
疑問や不安を抱く 1・2 年生もいると思いま
す。そこで、学芸員課程の選考から私たち
の一年間を流れに沿って簡単に説明します。
もちろん、年度によって多少内容や日程は
異なります。
2 年生 11 月∼12 月:選考。小論文と面接の
試験があり、履修者を 30 名未満に絞ります。
3 年生 4 月:実習 スタート。博物館実習 I は
金曜 5 限にゼミ形式で行われます。ただし、
見学実習や実技実習は土曜日です。土曜日
に実習を予定している週は基本的に金曜の
ゼミはありません。4 月中は実習館や担当班
を決めたり、研修旅行の場所や日程を話合
います。
5 月 6 月:第 1 回∼第 4 回見学実習。担当班
がレジュメを作りゼミで発表して、全員で
事前研究をしてから見学に行きます。担当
班は館を事前に訪問し学芸員と打ち合わせ、
当日の引率、支払いなども任されます。見学
後には反省会を行います。
夏:研修旅行。今年は 9 月 10 日より 2 泊 3
日の旅行で、世界文化遺産の白川郷・五箇山
や金沢の博物館や美術館を見学しました。
月 10 月:実技実習。美術品の扱い方、拓本
の取り方、古文書の修復。
11 月:実技実習。梱包の仕方。このころに
なると報告書の編集方針、分担、原稿依頼
などの話し合いが行われます。報告書は実
習 のまとめとして全員が携わる作業です。
12 月:報告書原稿締切。投稿してもらった
原稿を編集委員が編集します。そろそろ実
務実習館を真剣に考え、情報収集や下見を
行い、積極的に希望する館にアプローチし
ます。
2 月:報告書完成。
以上が実習 の流れです。具体的な内容に
ついては他のページを参照してください。
(藤倉千夏)
1.3
「私」のための「博物館実習」
4 月。私は多分、希望とやる気に充ち充ちて、
この実習に望んだと思う。それから 8ヶ月。
毎週のように 7 時過ぎまで授業していたり、
山のようなレジュメを作ったりで、はっきり
言って楽なことなど何一つなかった。もっと
言っちゃうと、半ばヤケになって、挫けかけ
ていたりもした。何でだ?答えは簡単。
「誰
かのために」実習をこなしていたからであ
る。例えば、丸橋先生。例えば、同じ班の人
たち。自分ではない誰かのために授業を受
けていたって、面白い訳はないのだ。
と言うわけで、この 1 年間、博物館実習 を
履修して一番強く感じるのは、この実習は
他の誰のためのものでもない、自分のため
のものだ、ということである。自分のため
になることを、積極的にやっていかなけれ
ば、実習の意味も面白さも半減してしまう。
実習というのはそういう授業なのだ。
これから学芸員課程を履修しようという人
たちは、是非考えてほしい。学芸員課程は、
大変である。勿論、大変さなりの価値はあ
るけど、でも大変である。それでも履修し
たい、大変でもやっていける。そう思うな
らば、選考を受けてみるといい。通った暁
には、きっと素晴らしい実習が待っている
だろう。
一方、既に履修することが決まった人は、今
更引き返すことは出来ない。後悔すること
がないよう、
「積極的に参加すること」を念
頭において、実習に取り組んでほしい。
どうせ大変なら、楽しくて大変の方が、きっ
と何倍もいいに決まっている。積極的に参
加しないと楽しくないなら、積極的に参加
するに限るだろう。
だって、
「私」のための「博物館実習」なん
だもん♪
(宮平佳奈)
1.4
学芸員課程必修授業内容
学芸員資格を取得するためには、一定の科
目の単位を取得しなければならない。武蔵
大学では、必修科目、選択必修科目、指導科
目に分けられる。このうち必修科目は分野
に関わらず全員が履修しなければならない
もので、履修登録以前から履修することが
できる。
博物館概論 (半期 2 単位)
「博物館の目的と機能」など、博物館に関す
る基礎知識を習得することを目的とする。
博物館学特講 (4 単位)
博物館資料論、博物館情報論、博物館経営
論を学ぶ。概論と共に、講師は中村俊亀智
先生。学芸員の基礎となる不可欠の授業で
ある。
視聴覚教育メディア論 (半期 2 単位)
「いま学芸員の資質として何が最も必要と
されているのか」を主題とする。講義内容
は、講師である国立歴史民俗博物館 (歴博)
歴史研究部所属の新井勝紘助教授が担当さ
れた歴博第五展示室の室内デザインに関す
る説明や、展示資料の扱い方、視聴覚メディ
アを利用した展示の導入に関する問題が主
であった。
社会教育概論 (4 単位)
社会教育とは何かを、前期はその歴史から、
後期には「社会教育と人権」というテーマ
を通して学ぶ。新聞記事や資料からの問題
点を数人の班で話し合うのが熊谷真弓先生
の特徴。
教育原論 (4 単位)
教職課程の授業ですが、学芸員も展示を通
して、また社会教育という立場から教育と
関わっているため、必要不可欠な授業。学ぶ
こと、教えることの意味を考えさせられる
黒沢英典先生の授業である。
選択必修科目及び指導科目は、志望分野に
よって履修内容が異なる。また、平成 10 年度
より、人文学部に考古学の演習が開講された
ことによって志望分野も従来の歴史、民俗、
美術に加え、考古でも履修することができ
るようになった。
1.5
学芸員課程室改造案
学芸員課程室の現状
学芸員課程室は、大学 2 号館 1 階の一角に
あります。現在は、学部事務室も移動して
しまった上に、なかなか分かりにくいとこ
ろにあるような気がします。もちろん、学
芸員課程での掲示板も別にあり今までに築
き上げたネットワークをもとに、色々な展覧
会、特別展の知らせが舞い込んできて、掲示
されています。一方、学芸員課程室は一歩中
に入るとそこは、まさに学芸員に係わる資
料と様々な助言が、学芸員課程履修者を問
わず踏み入れる全ての人を待ち構えていま
す。まさに、学芸員になるための「道」の部
品が、転がっているのです。しかし、もう一
方で、欲しいのにないというものもありま
す。ここでは、何故ないか、何が必要なのか
ということを考えていきたいと思います。
どのような学芸員課程室を望むのか
そう考えたとき、まず今この編集会議はど
こで行っているのかということを考えてみ
たい。学芸員課程の報告書を作るのにもふ
さわしい場所がないのです。編集会議は某
研究室の一部を間借りして行っていますが、
この他にも履修者間での見学実習や研修旅
行の打ち合わせの際にも利用できるという
ようなスペースがあると有益です。確かに
図書館内には、グループスタディルームが
用意されてはいるが、それは、人文学部の
学生を対象としたもの、もちろん学芸員課
程履修者も(当たり前のことだが)その中
には含まれます。しかし、専門課程として、
学芸員課程室にも、学芸員課程というもの
のあり方を考えた上で、このような施設を
併設していただきたい。
学芸員課程室の位置づけ
学芸員課程室は、まず学芸員課程に関する
一般事務が主な役割です。しかし、その他に
も、履修学生間の結びつきの場として、また いらしているかどうかも知らないのに。)後
「武蔵ミュージアムの会」の大学内の支部と 日運良くその学生は合格。さーて、今度は
して、学生を中心とした学芸員課程室とい 何て言うのかな?彼が窓口に来た。
「おめで
う側面もあっては良いのではないだろうか。 とう。よかったわね。」「ありがとうござい
特に昨今は、多くの学科から履修者が集ま ます。実はあの時、今にも泣き出しそうだっ
り、「タテの繋がり」が弱いと指摘される。 たんです。」と神妙に話す。そんな心境を微
武蔵大学のような規模の小さい大学の学芸 塵も感じさせない内面と外面の相違。大し
員課程では、小規模の大学だからこそ「繋 た度胸だ。そうですね。これからもその意
がり」をうまく利用して、学芸員の道を開 気で進んで行こう。
いていくべきではないだろうか。そのため またこんな『ドラマ』もあった。面接が終
にも、そうした「タテの繋がり」の交流の わった一人の女子学生がシクシク泣いてい
場として、事務室としての学芸員課程室と る。つづいて面接室から帰ってきた学生に
コミュニケーションスペースのような「繋が 「貴女のときはどうだった?」と尋ねられ、
り」の発見できる場所とを兼ね備えた課程 堰を切ったように一段と声を張り上げる。二
室を作るべきではないだろうか。
人は先生方を罵りながら、お互いに慰めあ
いながら抱き合って泣いている。これらの
みんなで部屋の名前を考えよう
そのコミュニケーションスペースが、皆さ 情景から判断すると先生方からよほど辛辣
んのかねてからの要望により、平成 10 年 4 な質問が為されたに違いない。
月より、2 号館 2 階の課程事務室のほぼ真上 が、しかし私は思った。メソメソしないで
に作られることになりました。これからは、 この面接を乗り越える気迫と根性を持ちな
話し合いなどしやすくなります。皆さんに さいと。これくらいのことに負けちゃいけ
何かいい名前を付けて頂きたいと思います。 ない。
思いついた方は課程室までご一報下さい。 皆が去った後、静かになった室で何故か私の
心はだんだん熱くなっていった。皆、色のよ
い新鮮な果実みたいな若者達。感受性の豊
1.6 次世代を担う若者達−学芸員課程選考
かな若者達。次の世代はあなた方の双肩に
風景より
懸かっている。あなた方の知恵と行動に委
学芸員課程事務担当 大窪博子
せられている。21 世紀を柔軟な広い視野を
平成 10 年度学芸員課程履修生の選考も無事 持って羽ばたいてもらいたい。
に終わった。今年の面接ほど『ドラマチック』
が展開されたことはない。選考の舞台裏で
1.7 課程室に壁いっぱいの図録達
もある面接控室での出来事。その控室は重
い緊張感に包まれていた。面接が始まり一 今回はその中から、テーマや作り方が「画
人、また一人と会場に入っていく。戻ってき 期的」と感じたものを選んでみました。
た学生に一斉に注目する学生達。
「あの人は 『日本の味覚 すし ―グルメの歴史学―』
何分だったわ。」と小声で話し合い面接の様 (岐阜県歴史博物館、1992)
子を探る。会場から戻ってくるなり或男子学 本来は保存食であったすしが保存性の低い食
生は、人を射るように人差指を私に突き付 品になるまでの多様な変化を、歴史と地域性
け、
「先生方に言っておいて下さい。今日は を柱に論じた展覧会の図録です。カラー(大
車では帰れませんからね。」と高飛車に、で 型図版)とモノクロ(解説)の頁が交互にあ
も明るく言う。
「お伝えしておきましょう。」 り、それが「観る頁」と「読む頁」といった
と微笑みをもって答える私。
(先生方が車で おもしろいテンポを創り出しています。1 つ
として同じレイアウトの頁は存在せず、迫
力があって(紙面の)無駄が無く、しかも見
やすいという驚きの図録です。すしが何と
も旨そうに見えます(笑)。ちなみに実際の
展示の際には、複製を用いたそうです。
虫館なんていうユニークな館まで、首都圏
の博物館を写真と地図付きでわかりやすく
説明している。
『―前田育徳会の名宝―百工比照』
(湯元豪一編、上:1994 下:1996)
(石川県立美術館、1993)
美術館・博物館の知られざる側面、そこに働
く職員の苦労や悩みなど、美術館・博物館活
動をめぐる様々な問題と多くのエピソード
を交えながら、
「現場からの報告」という形
で綴っている。現状を知り、館を今までより
も身近に感じることができる一方で、考え
させられる本。
前田綱紀が職人のための技術見本として収
集・整理・分類した工芸全般にわたる資料の
集大成、それが百工比照です。蒔絵・金工・
染織などの見本や図案が並んでいるのです
が、職人達の「最高の技術を伝えよう」と
いう静かな情熱が伝わってきて、ハッとさ
せられます。同時に、すでに江戸時代に博
物館学的な考えに立って収集をしていた綱
紀のコレクターとしての力量に驚かされま
す。地味ですが、味のある 1 冊です。
『美術館・博物館は「いま」』
『続 美術館・博物館は「いま」』
『ポンピドゥーセンター物語』
(岡部あおみ著、1997)
著者はパリで専門教育を受け、日本人でた
だ一人開館直後からポンピドゥーセンター
『サーカスがやって来た!』
(神奈川県立近 の一員となり、多くの展覧会に関わった人
物。彼女自身が現場にあって経験したポン
代美術館・兵庫県立近代美術館、1996)
サーカスが東西を問わず、いかに多くの画 ピドゥーセンターの軌跡とその舞台裏を紹
家に多様に描かれてきたか、まずそれに驚 介している。
かされます。そしてただ曲芸・軽業からサー この 3 冊の他にも課程室の本は図録や事典
カスへの変遷をたどるのではなく、描かれ など多種多様です。貸出もしていますし、一
たサーカスを通じてその時代の絵に対する 度読むだけでも大変勉強になり、多くのもの
考え方・絵画の変化の様をたどろうという を吸収できるはずです。
その意図に驚かされます。サーカスを見に さぁ、課程室へ急がなきゃ!
(山形晃子)
行きたくなる、そんな 1 冊です。
(菊池則行)
大学 2 号館 1 階に位置する学芸員課程室。
1.8 基本語句
少々手狭ではありますが、そこにはたくさん
の本たちが並んでいるのです。「御手に取っ
• 【常設展示】企画展示とは違って、恒
て、どうぞ私を見て下さい!」とあなたを誘惑
常的に公開されている展示。
するが如く、たくさんの魅力的で面白い本た
• 【企画展示】各博物館・美術館の調査、
ちがあなたを待っています。今回、私が取り
研究に基づいたオリジナルな自主企画
上げますのはこの 3 冊。いずれも三者(書?)
の展示をいう。常設展示とは別の期間を
負けず劣らずのべっぴんさんです。
限定して行なうものを指す場合が多い。
『首都圏博物館ガイド』
(都市生活を楽しむ会著、1993)
大きな博物館から小さな博物館まで幅広く
紹介されている。東京都江戸東京博物館や
地下鉄博物館から、凧の博物館や目黒寄生
• 【巡回展】全国をまわる、同じタイト
ル、内容の展覧会のこと。いくつかの
博物館・美術館が資金を出し合い、そ
の総額で一つの展覧会を行うので、い
ろいろな資料、作品を借りることがで
き、有名な資料・作品の展示もできる。
• 【題箋(だいせん)】個々の展示資料、
作品に関する最低限の情報(作者名、作
品題名、製作年代、所蔵者名など)が
記されたもの。
• 【ワークショップ】鑑賞を幅広くとらえ
る事を目的に、技法や表現などの実習
を行うもの。実技講座のこと。
• 【図録】図や写真を中心にした記録、資
料集。カタログのこと。
• 【解説パネル】展示を理解する際の補
助となるもの。題箋よりも詳しい情報
を提供する。文章パネル、写真パネル、
図表パネルなどがある。読み易さから
考えると、文章パネルの解説文は 200
字程度が最良とされる。
巻子の展示の仕方
• 【レプリカ】資料の複製品。原品資料の
収集が不可能であったり、原品の保護
や保存という理由から製作される。利
用目的も、展示用と研究用に大別でき
る。石造物などのような立体物もあれ
ば、古文書や絵図などといった平物も
ある。
• 【巻子(かんす)】巻物の形式にした書
物のこと。巻子本とも言う。
題箋
1.9
学芸員資格と埋蔵文化財保護行政
• 【軸装】書画を表装し仕立てたもの。 新宿歴史博物館学芸員 富樫雅彦
一般にいう掛軸のこと。掛物、軸とも 学芸員資格とは、一般的に自治体などの博
いう。
物館相当施設の専門実務を行うための専門
職員の採用資格であるが、この資格を条件
• 【折本(おりほん)】巻子本を折り畳ん
とする別の専門職種がある。埋蔵文化財担
だ形式のもの。必要な箇所をすぐに取
当職員がそれである。
り出せるが、折った所が傷みやすいと
全国には 47 都道府県と 3,255 の市町村があ
いう欠点もある。
るが、これらの全国の自治体に現在 6,500 人
• 【燻蒸(くんじょう)】常温で気体とな を超える埋蔵文化財担当の専門職員が配属
る薬剤を作用させて、資料に着生する されている。行政改革が叫ばれる昨今でも、
生物を殺滅すること。燻蒸剤は一種の 年間約 300 人の専門職員が採用されている。
これは、実際の全国の博物館学芸員の年間
毒ガス。
の採用数に劣らないもので、行政的には特
• 【ミュージアムショップ】博物館が刊行 異な状況にあると言える。
した書籍、出版物や、収蔵、展示物に この専門職員の大半は教育委員会の社会教
関係のある品物を売る、売場や売店の 育課に配属され、開発工事によって破壊さ
れる埋蔵文化財 (遺跡) の発掘調査などに従
こと。
事している。仕事内容は、文化財保護法に
基づく遺跡の発掘調査、出土品の整理調査、
調査報告書の作成、出土品の整理保管、出土
品の公開等で、これらの一連の仕事は、博物
館学芸員の資料の収集保管・調査研究・教育
普及などの一連の仕事と関連するものであ
ることは言うまでもない。
詳細に配属状況をみると、3,255 の市町村の
内、1,408 の市町村で職員の配置がなされて
いるが、言い換えれば 1,847 の市町村で未配
置である。比較的規模の大きい市では 2∼3
人あるいはそれ以上の複数配置のされた自
治体も少なくないものの、規模の小さい町
村での職員配置率は極めて低く、全体では
約 43
を計画しているためで、計画を考慮した将
来的な人事採用の場合か、すでに博物館を
有している場合は、専門職員の人事移動先
を考慮しての採用条件である。実際に、複
数の専門職員が配置されている場合は、博
物館への人事移動も定期的に行われている
ことも少なくない。このため、埋蔵文化財
担当専門職員の採用条件として、学芸員有
資格者が今後とも求められていくと思われ
るものである。
武蔵大学では平成 10 年度より人文学部に考
古学系の科目が設置される。今後、一人で
も多くの学生が考古学を学び、日本の埋蔵
文化財行政や博物館行政を担う一員として
全国に巣立つことを期待するものである。
ところで、なぜ埋蔵文化財担当職員の採用
にあたり学芸員有資格者が求められている 1.10 いっしょに作りませんか!武蔵ミュー
ジアムの会
のであろうか、自治体によっては、博物館
(課)内に文化財担当を設置し課内で文化財 武蔵ミュージアムの会 長野市立博物館 事務を処理するところもあるが、大半は、社 降幡浩樹
会教育課に配属される。文化財保護法には、
• 活動目的 博物館・美術館など文化活動
埋蔵文化財調査を担当する職員の学芸員の
に関する情報交換、研究交流を通して
有資格条件を問うておらず、そのような行
会員相互の親睦交流をはかる。
政指導も一切ない。それでは、なぜ採用に
あたりこの資格の有無を問うのであろうか。
• 活動方針 学芸員課程室と連携を取り、
職員募集の通知を見ると、概ね次のような
見学会・学習会・実技実習のサポート等
条件が付されている場合が多い、1. 大学に
を協力して行う。また会員の企画、自
おいて考古学を専攻したかあるいは同等程
主活動のサポート。
度の能力を有する者、2. 学芸員資格を有す
• 活動内容 1. ミュージアム見学会・学習
る者、である。1. は考古学専攻生あるいは
会・懇親会などを学芸員課程室、学生
考古学に関する知識と発掘調査の実務経験
と協力して企画、実行していく。 2. 会
を問うもので、実際は考古学を専攻してい
報「けやき」の発行
ない学生が学生時代にアルバイトで発掘調
査に参加し、その実務経験が評価され、その ネットワークと武蔵ミュージアムの会
まま試験で採用されたケースも少なくない。 情報化の時代と呼ばれて久しい。様々な情報
このように採用にあたり学芸員有資格が求
められているにもかかわらず、埋蔵文化財
担当職員は採用時に、学芸員として採用さ
れることはあまりなく、一般事務職員とし
て辞令交付されていることが多い。これは、
多くの自治体が将来、博物館施設の建設等
が飛び交う昨今、ビジネス情報誌には「必要
な情報を早く、確実に、正確に受けとること
が、現代を生き抜くビジネスマンの必要条
件!」などとよく目にする。この条件は何も
ビジネスに限った事ではない。研究や就職
も同じことがいえるのではないか。
「狭き門」と言われる学芸員への就職だが、
狭いなりに毎年何人かはその職に就いてい
る。就職できた人、できなかった人の違い
はどこにあるのだろうか。本人の日ごろの
努力はいうまでもないが、その原因の一つ
にこの「情報」があるのではないだろうか。
数少ない情報を確実にキャッチし、公立か私
立か、募集の分野(歴史・美術・民俗)は何
か、歴史であれば専攻(考古・古代・中世・
近世・近代)は何か、新規採用か欠員による
募集か、試験は論文か一般教養かなど。うま
く情報を引き出してその試験の傾向と対策
まで練れればベストである。就職はコネだ
という人もいるかもしれない。しかし、コ
ネ=コネクションも立派なネットワークで
ある。何もないところからいきなりコネは
生まれない。コネは自ら努力してつくるも
のである。
こうした時、学芸員課程室に就職情報・最新
の博物館、美術館の情報・研究情報をしっか
り集める事が大切である。ミュージアムの
会では、今年から事務局を学芸員課程室に
移し、会員のもっている情報を課程室に集
中させ、そこから新たに情報を発信できる
ようになった。また、コンピューターを利用
した情報のやり取りもできるようにと考え
ている。そして月に 1 度、事務局員が学芸員
課程室で事務をとることとし、その時に学
生と直接コミュニケーションを取りながら
共同で会の活動を進めて行ければと考えて
いる。
武蔵ミュージアムの会には、現職の学芸員を
はじめ、文化活動に携わる人、博物館・美術
館好きの人、通信教育で学芸員資格を取得
中の人、先生、学生など様々な人が入会し、
会員数は現在 111 人。こうした人達の持って
いる情報・ネットワークを、ミュージアムの
会というさらに大きなネットワークとして
相互に利用でさるようにと考えている。
学生諸君には是非入会してもらい、一緒に
ミュージアムの会を作り、自らがこのネット
ワークの一端を担い、その情報を大いに活
用して欲しい。
1.11
思文閣訪問記
思文閣東京店の見学・学習会
ミュージアムの会を紹介するにあたり、その
ためには実際にその活動に参加することが
一番分かりやすい方法であると思われたの
で、見学・学習会にご一緒させて頂きました
11 月 22 日 (土) 13:30∼15:00
参加者:降幡浩樹さん、大窪博子さん、3 年
生 11 名、2 年生 2 名、1 年生 1 名
思文閣の歴史
思文閣は日本で最大手の古美術商である。京
都に本社と美術館を構え、東京、名古屋、九
州に支店を持っている。
創業は昭和の初め頃にさかのぼる。当時、上
流階級が家財を流出し始め、その中から本
や短冊などを集めて古書店を開いたのが始
まりである。興味深いのが、今で言うダイ
レクトメールを大学や博物館に送り、通信
販売の先駆を始めた点である。ここで扱わ
れていた商品は、学者たちによって研究対
象として注目されるようになった。しかし、
趣味の延長としての商売であり、このよう
なかたちが戦前まで続いた。
その後も古書類を中心に扱っていたが、昭
和 40 年代末、東京と名古屋に支店を置くこ
とをきっかけに近世・近代絵画の扱いへ比
重が移っていった。そして昭和 50 年頃から
会社の規模を拡大し、現在では出版部門も
含めて約 60 名の社員を抱えている。この出
版部門は、再版制度に着目してスタートし、
昭和 40 年代に復刻版から始め、今では研究
発表の場としての新刊の出版も行うように
なった。
美術商という仕事 ∼山本麿さんの話から
∼
古美術を扱う世界は上下関係がなかなか厳
しいそうである。資格に関しては、特に何か
必要ということはなく、山本さんも持ってい
ないとおっしゃっていた。ただ、最近入社し
た女性は案外、学芸員の資格を持っているか
もしれないとのことだった。では、美術商と
して何が必要なのか。山本さんいわく「とに
かく良いものを、数を見なくてはいけない。
自分に関係のないものでも。そのため休日
は美術館・博物館へ足を運ぶべきだ。」つま
り、見る目を養うということである。また接
客の面では、客の質問に対して即座に必要
なことを答えられなくてはならない。やは
り日頃からの勉強が重要だといえる。
いく気持ちが必要だ。つまりリレーのバト
ンのようなもので、次世代につなげていく
役目を担っている。」とおっしゃっていた。
古美術との関わり ∼私達が学んだこと∼
博物館や美術館と比べて、展示品と商品の
違いについては、展示品が公開を前提とし
た公共性や客観性を持ち、入観者の目で鑑
賞できるのに対し、商品は公開の必要はな
く、個人の思い入れで楽しめる。但し、古美
術商の責任として、次世代に伝えていくこ
とを忘れてはならない。
このようにミュージアムの会では、授業と
はひと味違う活動をしています。今回のよ
うに学生達が参加させていただける活動も
あり、また学生の方からの要望によって見学
会等開催することができます。
五島美術館で解説を聞く
商品の入手経路
商品の入手経路にはいくつかあるが、代表
的なものとして「業者間での交換会」があ
る。古い家屋や寺社の取り壊しや個人コレ
クターから、書画類が交換会や骨董市に持
ち込まれる。そこに持ち寄られた商品は競
り落とされ、各美術商の手に渡っていく。交
換会での流通価格というものは、周囲の経
済状況、業者の長年の勘等で、ほぼ相場は
決まってくるそうだ。
97 年度におけるその他の活動内容としては、
6 月に定例会、7 月・9 月に武蔵井戸端会議
が実施されました。ミュージアムの会は学
生と OB・OG を結ぶ架け橋となる活動を続
けています。学芸員としての広い視野を持
つためにも活用しない手はないでしょう
(担当;岡田典子・渡部朋美・小川淑恵・鹿
野詩乃)
物の流れ
思文閣の取り引き相手は主に、美術館や博
物館、大学図書館などの公共機関や個人コ
レクターである。公共機関の購入品の 9 割が
古文書などの古書類であるが、個人コレク
ターでは 8 割が美術品である。もともと金
銭的余裕のある人達がコレクターとなって
いたが、最近はサラリーマンコレクターが
出てきた。山本さんは「個人コレクションと
いうのは美術品を自分のものにするという
ことではなくて、あくまでも一時所有にす
ぎない。従って、所有者は美術品を好き勝
手にできるのではなく、それを次に伝えて
歩み始めた学芸員への道
・武蔵ミュージアムの会への入会方法
1. 学芸員課程室にいく。
2. そなえつけの会員証に氏名、住所等必要
事項を記入する。
3. 会費を納入します。一般会費 2,000 円、学
生会費 1,000 円です。
入会していただいた方には、会報「けやき」、
学芸員課程報告書、その他、見学会、博物館・
美術館情報等をお届けします。
※くわしくは学芸員課程室へ!
2
実習
∼学芸員への出発∼
学芸員への扉を押して
2.1
明治大学刑事博物館見学
事前研究のねらい
明治大学刑事博物館を訪問し、特別展「ヨー
ロッパ拷問展∼人類の権利・自由を考える∼」
を見学し、大学博物館とは何か、拷問とは何
か、そして人権について考えるために事前
に研究を行った。
明治大学博物館は刑事博物館、考古学博物
館、商品陳列館の三館から成り立ち、大学
の附属施設であり、学芸員は大学職員とい
う枠内ということに大変驚いた。またこの
特別展の開催場所については、多数の博物
館や美術館から「暗すぎる」と断られ、最
終的に国内外の拷問器具のコレクションを
収集、公開している明治大学刑事博物館が
学問の延長ということで引き受けた。
構想されているデジタルミュージアムは、収
納物にオープン、誰にでもオープン、場所と
時間にオープンという「オープンミュージア
ム」を基本コンセプトとしており、その点が
かなり斬新であり、今後どうなっていくのか
非常に気になるところである。
ヨーロッパの拷問・日本の拷問
ヨーロッパではローマ法以前、拷問は自白を
強要するためのものではなく、刑罰であった
ことが日本と大きく異なる点である。中世
以降の拷問の目的は、異端に対する審問、社
会的弱者に対する支配、懲罰、背徳的な快楽
や一種のサディズムなどである。また、魔女
裁判の話は人間が人間に対して行った行為と
は思えないほど残虐極まりなく、痛々しく、
ショッキングであった。
ヨーロッパと比べて、日本での拷問や刑罰
がどういうものであったかを歴史的に認識
し、その背景を探ることを目的とした。し
かし拷問に関する資料が予想以上に少なく
て苦労した。そのため全時代を網羅できな
今回の見学のメインとなる「ヨーロッパ拷問
かったことが残念だった。
展」について、展示の仕方やその内容などに
関してあえて事前に説明を加えなかった。こ 調べていくうちに拷問自体が刑罰ではない
れは展示を直接見てインパクトを受けたり、 かということに気付いた。ここで二つの境
理解してもらうためであり、ヨーロッパにお 界が曖昧になってしまった。しかしどちらに
ける拷問を歴史的に見ることを主眼とした しても拷問が残虐かつ非人道的であること
は言うまでもない。
からである。
円山応挙が江戸時代の刑罰に関する絵画
大学博物館について
1996 年現在、大学博物館は 139 ある。その (『難福図巻』)を描いていたことが興味深
うち、登録博物館 0、博物館相当施設 47(国 く、その意味もあって事前研究の資料に掲
公立 19、市立 28)、その他 92(国公立 45、 載した。また小林多喜二の遺体の写真は多
市立 47)となっている。海外の大学博物館 くを物語っていると思う。このようなことが
に関しては、韓国の話が興味深かった。韓国 実際に行われていたとはとても恐ろしいが、
では国立の人文系総合大学に大学博物館設 事実として受け止めなくてはならない。
置の義務があったが、それが解かれた現在
でも国立、私立にかかわらず設置され続け、
これらは日本の市町村博物館の役割も十分
に兼ね備えているとのことであった。アメ
リカ(1990 年現在 526 館)と比較すると日
本は数が少ない。しかし大学博物館の試み
として、東京大学総合研究博物館において
日本では、日本国憲法 38 条の規定にもかか
わらず、自白が犯罪認定の拠り所となる伝
統がある。そのため暴力的、生理的、心理
的に追い込むことによって虚偽の自白をさ
せることもある。これは一種の拷問であり、
そのような状況を生みやすい代用監獄にも
問題があるといえる。
人権について
なるというパンフレットのあり方や、それ
最初、
「拷問」から直接「人権」へとつなげ を補う口頭説明の重要さについても考えさ
て考えることが難しかった。しかし拷問禁止 せられた。
条約やアムネスティの活動を知り、それらを 最後に、考古学博物館の見学。学芸員は島田
通してこの関係が理解できた。日本がまだ 和高さん。報告書とは遺跡の記録を保存す
この条約を批准していないとは非常に驚い る物であると同時に、遺跡の破壊に対する
た。人権運動後進国といわれる所以である。 報告書でもあるとの説明が記憶に残る。ま
世界に共通して見直すべき問題が数多く残 た、大学博物館ならではの、OB・OG との
情報交換など参考になった。考古学史上の
されていることを痛感した。
重要性を考えての学史的展示を心がけると
見学記録
の言葉には、他の博物館との差異化をはか
14 時 20 分、明治大学大学会館前に集合。14
ろうとする意気込みが感じられた。博物館
時 30 分に用意していただいた部屋に入り、
は、見学者の受けを意識してしか展示をし
事務長の熊野正也さんから明治大学の三博
ていないと思っていた。認識の足り無さを
物館について、その概要を聞く。館内の組
思い知らされ、いちいち耳が痛い。昔教科
織面、法人との問題点、それに関係した施
書で見た埴輪など、有名な物を多数見るこ
設面の不備などに関しても、決して満足し
とができた。学芸員という「専門性」につい
ていないことがわかった。
て日ごろから考えるようおっしゃっていた。
その後、今回の見学のメインである「ヨー その後部屋に戻り、お礼を述べ、アンケート
ロッパ拷問展」を開催している刑事博物館 をとって、17 時 30 分解散。見学担当班は、
の見学に移る。刑事博物館学芸員、伊能秀 今後の打ち合わせを兼ねて、食事。
明さんに説明をしていただきながらの見学。
伊能さんは見学慣れしていない私たちを相
手にとても丁寧に説明をして下さった。ま
た「ヨーロッパ拷問展」が単に中世ヨーロッ
パの拷問を展示するだけの企画に終わらず、
実は現代の諸問題(いじめ、犯罪など)と関
係があることを示していた。この企画展の
奥の深さを知るとともに、最初の見学に選
明治大学考古資料館
んだことにより、より多くのことを吸収で 明治大学考古学教室の研究成果を前に説明
きたように思う。
を聞く
次に、商品陳列館の見学。学芸員は外山徹 見学後の活動
さん。商品陳列館の方針は各地の伝統的工 見学後の報告として、見学に関するアンケー
芸品を集めることである。商品陳列館に限っ トの結果と、マスコミによる「ヨーロッパ拷
た話ではないが、外山さんと館長さんの二 問展」の取り上げ方をレジュメにまとめ発表
人だけで、商品の収集にいくことの苦労。ま した。
た、物の価値ということに関して、たとえ安 「ヨーロッパ拷問展」は、テレビや新聞・雑
くても資料価値とは関係ないという話。そ 誌等のメディアで取り上げられており、私た
の一方で、安い物をすぐ壊すよりは、高い ちが見つけただけでも朝日新聞と雑誌「ぴ
物を長く使うという話は、伝統工芸品を収 あ」に載せられていた。この二つは特に取
集する外山さんならではと感じる話だった。 り上げ方が両極端で、朝日新聞が人権につ
どうしても写真が少なくなり、文字が多く いて触れているのに対し、
「ぴあ」は拷問の
残酷さを全面にだし、おもしろく、興味を引 物館はアメリカなどに比べるとその数も少
くように書いていた。そのほかテレビでは なく、職員、組織等の面でさまざまな制約が
「アド街ック天国」(テレビ東京)、「新日曜 多いという状況にあることを知った。
美術館」(NHK 教育)でも放映された。
明治大学刑事博物館の見学後私たちの班で
は、見学の際にとったアンケートの中で学生
から出た質問をまとめて、後日、直接学芸員
の伊能さんを訪ねた。伊能さんは忙しい中
私たちのために時間を割いてくれ、とても
丁寧に学生の私たちにも対応してくれた。
話の主な内容は、企画展が開催される経緯
に絞られた。企画展が開催されるまでには
何百人という人の協力が必要で、この仕事
は私の担当だなどと言うことはないそうで
ある。時間もなかったので、残りの細かい質
問は、後日 FAX で送ってもらうことになっ
た。最後に伊能さんは、
「実習で来る学生さ
んの中には、学ぶというより、批判する側
にたってしまう人がときどきいますが、そ
うではなく、私どもの活動を分析していた
だいた上でそこから学ぶことは学んでほし
いのです。」とおっしゃっていた。見学後も
学芸員の方に個人的にお話しを伺えたこと
も、この実習の収穫ではないかと思う。
活動全体を通しての感想
明治大学商品陳列館
ユニークな商品陳列館
見学当日は、一日に 3 館(刑事博物館の他
に、商品陳列館と考古学博物館)という長
時間かつハードなスケジュールで、初めて
の見学班担当として緊張と不安の一日だっ
た。自分たちのレジュメではうまく表わせ
なかった「拷問と人権」についてを、学芸員
の方が実にわかりやすく説明されていたこ
とに感心し、一方で、狭い館内で皆をうま
く誘導できなかった、そして、皆がじっくり
展示を見学できなかったのではないかとい
う反省も残った。
見学後も、それぞれの館の学芸員さんにお
礼の手紙を出したり、レジュメの作成等、予
想以上にやることがたくさんあった。見学後
の活動の一つとして、見学時に質問できな
かったことを、後日改めて学芸員の伊能秀
明さんに直接聞きに行き、企画展の経緯等
貴重なお話しをいろいろと聞くことができ、
非常にためになった。
私たちが見学館として明治大学刑事博物館
を選んだ理由は、大学博物館というものに
ついて調べたら面白いのではないかと思っ
たことからである。また、
「ヨーロッパ拷問
展」が開催されており、これは刑事博物館な
らではの企画展であり、「人間の負の歴史」 4 月に担当班になってから見学を終え、伊能
はそれぞれの分野に関係なく知っておくべ さんから最終的な質問の回答をいただき、さ
き事実であると考えたからでもあった。
らにそれをレジュメにまとめ、一応の区切り
班員だけで初めてこの企画展を事前見学し がつくまでの約 3 ヵ月間、本当に長い活動
たときは、衝撃的な内容にかなりのショック であった。この間には館側との交渉等のや
をうけ、まさに感想も出てこないほどであっ りとりが何度かあり、手紙などの形式的な
た。しかし、その後レジュメ作成のために拷 ことでも苦労したが、そういう常識を身に
問について実際に調べてみると非常に奥深 つけるという点でも良い経験になった。長期
い問題であることがわかり、特に人権という 間の活動で、大変だと感じることも多々あっ
観点から拷問について考えさせられた。一 たが、
「拷問と人権」と「大学博物館」とい
方、大学博物館については、日本の大学博 う 2 つのことについてはかなり深く知るこ
とができ、担当班としてもたくさんのこと 処刑が行われているという。拷問は今だに
を得られたのではないかと思う。
根絶されず、拷問廃止と人権の尊重こそ人
類の永遠のテーマといえる。ちなみに宗教
審問での拷問を図式化すれば、審問官の指
示で拷問する刑吏、犠牲となる異端者、およ
び最期の公開処刑を見物する一般公衆とい
う三者で表現できる。奇しくもいま社会問
題化している「いじめ」も、いじめる強者、
いじめられる弱者、およびそれを見つつ許
容する周囲の人々という三者に図式化でき
明治大学刑事博物館などの見学実
る.ここに宗教審問といじめとの類似性を
習後、アンケート中
見学後、アンケートをクラスで書いてもらっ 見いだして不気味に感ずるのは、私だけで
て訪問後のゼミに備える
はなかろう。
この展覧会が、人間の心の奥底に潜む残虐
性について眼を向けて頂く契機となったな
2.2 「ヨーロッパ拷問展」あれこれ
らば望外の喜びである。
明治大学刑事博物館学芸員 伊能秀明
展示品は拷問の生き証人
駿河台の明治大学刑事博物館で開催された
「ヨーロッパ拷問展」は、アジアでは初めて
の特別展覧会だった。拷問は、犯罪の疑いあ
る者や被告人等に対し、自白を得るために
暴行などの肉体的苦痛を与えることである。
古くはローマ法や唐の律令にも、罪人を拷
問する規定があった。中世後期から近世(15
∼18 世紀)のヨーロッパ社会では、訴えが
なくても裁判所や教会が職権で裁判でき、自
白の強要や拷問が許されるなど、裁判官や
宗教審問官の権限が広い糾問主義的な訴訟
が行われていた。そこでは拷問具や処刑具
は、民衆の日常生活にいつも恐怖の影を落
としていた。展示した拷問・処刑器具やその
光景を描いた図版は、かつて行われた拷問
の「生き証人」たちである。
拷問廃止は人類永遠のテーマ
残虐非道な拷問を目的別に分類すると、1. 異
端者への宗教審問、2. 社会的弱者への支配、
3. 懲罰としての処刑、4. 背徳的な快楽の追
求の 4 つとなる。国際的な人権擁護組織アム
ネスティ・インターナショナルによると政治
思想・民族・宗教・人種・性等の違いに基づ
き、現在 75 か国で非人道的な拷問、残虐な
2.3
虎屋文庫
私たち 1 班は、第 2 回見学実習先として「虎
屋文庫」をあげた。この見学のねらいは、企
業博物館というものの理解、この館独自の
研究活動、学芸員の役割等を把握すること
であった。これから、この見学実習に際し
行った調査研究の過程、訪問時の状況等に
ついて述べていくことにする。
虎屋文庫について
虎屋文庫は、室町時代頃に創業された株式
会社虎屋の 1 セクションである。開設され
たのは昭和 48 年で、赤坂にある虎屋本社の
2F にあり、年に 2∼3 回企画展が行われてい
る。今年は、50 回目を迎えるということも
あり、3 回の企画展が開かれている。企画展
に関しては、主に和菓子を中心として、美
術作品や文学作品と絡めて展示されている。
専任の職員は我々が訪れた時点で 9 人で、う
ち学芸員の資格を所有しているのは 6 人で
ある。全国に博物館施設は数あるが、学芸員
が 1 人もいない所も数多く存在するので、6
人の学芸員をこの小さな施設が備えている、
ということは非常に素晴らしいことである
と思われる。
また、年に 1 回、
「和菓子」という研究紀要
雑誌を発行している。これは、武蔵大学の
学芸員課程室にも贈られて来ているもので、
和菓子に関するさまざまな研究論文が掲載
されている。これには、虎屋文庫の学芸員
の論文も掲載されている。
事前研究
親しみやすい、身近なものを扱った博物館
をということで、私たちは和菓子を扱った
虎屋文庫をとりあげた。この館は私立博物
館の中でも、ひとつの企業によって経営さ
れる企業博物館に属することから、まず企
業博物館がどういうものであるのかについ
て調べることになった。また、和菓子の老舗
ということで、その歴史や和菓子について
も知っておきたいと思い、事前に虎屋文庫
を訪れた際に、学芸員の方からお話を聞い
たり資料を戴いたりした。今回の展示内容
は「源氏物語と和菓子展」であり、源氏物語
の場面のイメージにあった和菓子が展示さ
れていた。あまり広くないスペースだった
が、ひとつの雰囲気が出来上がっているよ
うな気がした。企業の宣伝色の強いものを
イメージしていたため、そのようなテーマ
をもった展示であることを目にし、少し意
外な気がした。
訪問の後、事前研究として行うべきことに、
企業博物館についてや虎屋の歴史について
等の研究の他に、源氏物語についてや虎屋
文庫の展示について(過去の展示や研究に
ついて)の研究等が加わった。一言歴史と
いっても、虎屋に関するものにも伝統があ
り、歴史がある。素材に関してもそうであ
り、私たちのやることは急に増えて少し忙
しくなってしまった。このような慌ただし
い状況だったこともあり、運営状況や展示・
研究活動などについての調査において、つ
めが甘いところが目立った。内容の充実し
た見学実習を行うためにも、やはり時間を
かけて深く調べていくことが大切だと実感
した。
見学記録
13 時 20 分集合のはずであったが、事前研究
発表時の位置確認の不備や地図のわかりに
くさもあったのだろう、何名かが遅刻した。
事前ゼミにおいて詳しい説明をし、スムー
ズに見学が進むよう誘導する必要があった。
その後自由見学時間を設け、各自で展示を見
学。これは、展示ギャラリーが狭いため、説
明を受けながら見学も同時にするのは限界
があるということで、まず各自でじっくり
と展示を見てある程度の予備知識を持って
から説明を聞く方がより効果的である、と
いうことになったために行われた。感想に
もう少し長い時間見学したい、という意見
もあったので、自由見学時間は不足してい
たのかもしれない。
虎屋文庫の学芸員で、武蔵大の OG(平成 4
年日本文化学科卒)でもある浅田ひろみさ
んによる説明は 20 分程度で終了したが、や
はりギャラリーが狭いということもあり、一
般の方の迷惑になってしまった。ギャラリー
は壁面に設置されている展示スペースの他
に、部屋の中央にガラスケースを設置、さ
らに休憩用の椅子等が置かれているために、
20∼30 人の人が一度に入ったら殆ど身動き
とれなくなるような狭さ。説明を一緒になっ
て聞いている人はまだしも、普通に自分の
ペースで見学する方の迷惑ということは勿
論考えねばならないが、あのスペースでは
現実的に不可能であろう。
その後、質疑応答の時間になったが、虎屋文
庫が所蔵している古文書などを浅田さんが
持ってきてくださったということもあり、ビ
ジュアル的にも貴重なものを身近に見られた
のは大きい。質問も時間として 1 時間くらい
出て、学生はかなり色々なことを聞くことが
出来た。浅田さんの仕事の話を中心に、虎屋
文庫の現状、今抱えている問題点など、詳し
く説明して頂いた。そして最後に、所蔵庫を
多くの人が見学した。その後、他の人々がど
うしたのかは我々の知るところではないが、
虎屋ビルの地下には虎屋の和菓子を味わえ
る喫茶店もあるので、そちらへ向かった人
も多いのではないだろうか。そして、1 階に
は、よくテレビでも紹介されている和菓子
の店舗がある。ここが、いわゆる虎屋の本
店である。
訪問後のまとめ
見学後のアンケートの結果には、展示・施設
などについて、庭園や生花、和紙を使った
ディスプレイが視覚的に楽しめ、全体的に
華やかな雰囲気だった、がコンパクトにま
とまっている、などの意見が多かった。特に
今回は片野孝志氏の平安朝和紙が和菓子の
展示に効果的に用いられており、雅やかな
印象を与え好評のようだった。その他には
障害者に対する対処がすばらしい。文字が
大きくて見やすい、和菓子が悪くなったらす
ぐ変えるという展示物に対するスタンスが
普通の展示物と違っておもしろいという意
見があった。この館では障害者対策として、
展示室入り口の段差を無くしたり、エレベー
ターや化粧室などを整備したりと改善を重
ねてきた。見学方法については、展示室が
狭いせいか、一般の方の迷惑になってしまっ
たように思うという意見や説明を聞くとき
もっと小さく集まった方が良いという意見
など今後に課題を残すことが多かった。ま
た、質疑応答が別室でゆっくりできたこと、
各自見学が先にあったことがよかったとい
う意見があった。
題性・流行性を重視していることだ。展覧会
や講演会は客を呼ぶことにつながる重要な
要素となっている。そのため、企画展ひと
つひとつにかける期待は大きい。浅田さん
は展示の構成、収蔵品の管理、和菓子情報
の収集などの多くの仕事を任されているが、
コンピュータを扱うことで、予算などは自分
しか出来ないことや、古文書の複製にたず
さわるなどの話からは、そのはしばしに浅
田さんの学芸員という仕事に対する自信や
誇りといったものが感じられたように思う。
また、不満点として、建物の構造上の不便
さを挙げている。展示会やマスコミらの取
材のおかげで、文庫ができた頃と比べると、
今では本当にたくさんの人が見学に訪れる
ようになったが、建物は築 20 年ほど経って
いて、老朽化が目立ち、地震や火災などの
災害対策の設備は全くといってもいいほど
整っていないということだ。特に、展示室、
収蔵庫の建築設計の見直しはこれからの課
題ということだ。財団法人にはしないのか、
という質問が出たのだが、財団化すると宣
伝ができなくなってしまうからとのことで
あった。財団法人になると、企業との関わ
りがなくなり、独立したものになってしま
うため、直営のように店の名前を使って広
報宣伝活動ができなくなってしまうからだ。
その他、展覧会を開催するまでの苦労話、海
外のお菓子の収集や展覧会の冊子制作のと
きのエピソード、和菓子の原材料の確保が
年々困難になってきていることなどの虎屋
の現状、学芸員になってから今までやって
きた仕事のことなど率直な話を聞くことが
できた。
2.4
明日の光
次に、浅田さんのお話をまとめてみること
にする。企業博物館ということで特徴的だ
と感じたことは、あくまで虎屋文庫は広告
塔であり、根本は客と社員の関係であり、話
虎屋文庫
虎屋文庫学芸員 浅田ひろみ
武蔵大学学芸員課程の皆様をご案内したの
は 3 回目です。今年の見学は 6 月で、実習
が始まってから間もない頃でした。そのせ
いか博物館のどういったことに注目してい
いのか、まだ試行錯誤といった感じでした。 展」見学の予備知識として中国の陶芸につ
きっと今頃は多くの博物館を見学し、いろ いて、以上 3 点に焦点をあてて事前研究に
いろな特色や問題点が見えてきたのではな 取り組んだ。
いでしょうか。
五島美術館について
学芸員というと展示や保存の仕事が中心と 五島美術館は東急グループの創始者である
思われがちですが、データベース、社史、機 故五島慶太氏が、半生をかけて収集した日
関誌の編集、和菓子情報の収集と提供など、 本・東洋の古美術品を基に設立された私立美
それ以外の仕事も沢山あります。また、虎 術館である。約 2000 点の蔵品には国宝 5 点、
屋文庫は企業博物館ですから、企業におけ 重要文化財 49 点、重要美術品約 100 点が含
る資料保存や博物館活動の役割、公立の博 まれる。その中でも特に『源氏物語絵巻』や
物館にはない特色やサービスについてお話 『紫式部日記絵巻』が名高い。他にも、中国
するようにしています。他所の企業博物館 の古鏡は世界中で一番充実しているといえ
との重複は避けたいので、見学前に、これ るほどのコレクションで、専門家にはよく知
まで見学したところ、これから見学すると られているという。建物は『源氏物語絵巻』
ころ、研修旅行の行き先を伺えると助かり 『紫式部日記絵巻』をイメージして、王朝風
ます。
寝殿造になっている。また、4000 坪を超え
他大学の見学に比べて、武蔵大学の特徴は る庭園があり、庭園のみの見学も出来る。
先生が大変熱心だ、ということです(もち
文化財保護法について
ろん学生も熱心です)。毎年担当の先生は変
日本の文化財保護処置は、明治 4 年の古社
わりますが、先生ご自身博物館についてよ
寺保存法によって初めて近代的立法として
く研究されていますし、ご質問も一番多く
制度化された。戦後は昭和 24 年の法隆寺金
なさいます。特に私が密かに「聞かれたくな
堂壁画焼失などを契機に、昭和 25 年に、国
い」と思っているような、他館に比べて遅れ
宝保存法と重要美術品等ノ保存ニ関スル法
ている部分や問題点に気が付かれています。
律と大正 8 年制定の史跡名勝天然記念物保
また、学生の方にお話を伺ってみると、2 カ
存法を統合し、更に無形文化財を保護対象
所程見学先に武蔵の卒業生が勤務している
にすることで文化財保護法が誕生した。文
ことを、ご存じありませんでした。卒業生
保法はその後、現在までに 4 度改正されて
の 1 人として少々残念です。武蔵大学の学芸
いる。文保法の中で博物館や美術館と大き
員実習は、学生に多くのことが任され、大
く関わってくるのは、指定・管理・修理など
変だとは思いますが、時には経験豊かな先
の項であろう。
生や大窪さんにアドバイスを頂いては如何
でしょうか。学生だけでは思い至らないよ 文化財の「指定」は、保護策の中核を成すも
ののように考えられる。しかし、実際は当事
うな情報も得られると思います。
者と行政当局との間で十分に話し合いがな
され、その最終確認として行われるものに
2.5 五島美術館
なっている。重要文化財の管理に関してそ
の責任者は所有者にあり、要する費用は原
事前研究
見学にあたり、国宝・重要文化財を数多く含 則として所有者の負担である。これに対し、
む所蔵品をどのように保管・展示しているの 修理の場合は国庫補助を受けることが可能
かという疑問から 1. 文化財保護法について、 である。
2. この館の設立に至る経緯とコレクターの 保護のための規制としては、保存に影響を
存在について、3. 企画展「館蔵 中国の陶芸 及ぼす行為(型取り・拓本取り・撮影)は許
可を要するとあるが、実際は都道府県教育
委員会の判断に委ねられている。また、日
本からの文化財の輸出は禁じられているが、
海外からの不法輸入については全く対策が
立てられておらず、それを防止するユネス
コの条約を日本は未だ批准していない。
当日は、各自 30 分間自由に見学してから、
学芸員の名児耶明さんに施設の見学説明と
様々なお話をしていただいた。お話の内容
はおおまかに五島美術館についてと、美術
館の学芸員についてに分けられる。
五島美術館については、開館に至るまでの
ことやその後の来歴、蔵品やスタッフにつ
日本のコレクター・世界のコレクター
コレクターについて調べ始めた時、まとまっ いてなどを語っていただいたが、一番印象
た資料や著書の少なさにとまどった。そこ に残ったのは展覧会についてのお話だった。
で、学芸員課程の先輩で武蔵ミュージアム
の会の毛塚万里さんに伺って、コレクター
へのアプローチの仕方を模索した。そして、
特に日本近代のコレクターは旧財閥系が多
く、会社史、またその人物の伝記からアプ
ローチが可能であることを知った。
個人コレクションを根幹とした美術館は、コ
レクターの没後などに「収集した美術品を
広く一般の愛好家に供する」ため設立され
ることが一般的である。コレクターの美意
識が、そのまま収集品などを通して、館自体
の特色につながっていく。それがこの形態の
美術館の長所であり、また短所でもある。
五島美術館で解説を聞く
五島美術館では年に 7∼8 回の展覧会を行っ
ており、うち 1∼2 回が特別展になっている。
特別展はなるべく五島のコレクションに絡ん
だものをテーマにして、今までに「古今集の
名品展」
「万葉集の古筆展」
「伊勢物語展」な
どが行われた。名児耶さん曰く「アイディア
五島美術館と中国の陶芸
を出すのが、学芸員の腕」だそうで、昨年行
五島美術館の中国陶芸コレクションは、広い われた「牧谿展」に関してとても満足げに話
時代をカバーしており、その上、様々な技法 して下さった。
を駆使して制作された名品が揃っている。今 牧谿は南宋末の画僧で、日本では鎌倉時代
回の展示作品(59 点)にも重要文化財 2 点、 末から宋元画人中最高の評価を与えられ、水
重要美術品 5 点が含まれていた。この 7 点 墨画に大きな影響を与えた人物である。そ
のうち、3 点が『金襴手』と呼ばれる明代の の名蹟の多くは日本に伝存しているが、こ
作品である。金襴手とは多くの色彩を駆使 れまで牧谿の作品のみを集めた展覧会は開
した五彩と呼ばれる磁器に金彩を加え、あ かれていなかった。
たかも織物の金襴のように文様を描いたも 秘蔵の作品を借りるのは並大抵のことでは
のをいう。色彩の見事さもさることながら、 なく、所蔵者側も、今まで国立博物館にし
磁器自体の細工も非常に凝ったものになっ か貸したことがないような作品でも「牧谿
ており、重要文化財はもちろん指定外のも の作品がそれだけ多く集まるのなら」と貸
のも、技術力の高さが偲ばれる逸品揃いで して下さったそうだ。
「積極的に動いたから
ある。他にも『祥瑞』『南京赤絵』『呉須赤 出来た」という名児耶さんの言葉通り、企
絵』『青磁』『砧青磁』『白釉鉄絵』『天目茶 画から出品交渉(名児耶さん曰く「人間対
碗』
『三彩』など、本当に様々な技法の質の 人間の勝負」)に至るまでの、学芸員の仕事
高い作品を所蔵している。
ぶりが、展覧会の出来を左右するのだと思
見学記録
う。名児耶さんのお話はそれだけ実感がこ
もっていた。「(作品を)貸した人が『出し
てよかった』と満足する展示にしなきゃ。特
別展はそこまで考える。」という言葉通り、
牧谿展に『観音猿鶴図』
(牧谿の代表作)を
出品した大徳寺の御住職も、展示には満足
なさっていたという。
牧谿については、
『芸術新潮』1997 年 1 月号
で特集が組まれて(牧谿展については、名児 五島美術館の庭の風景
耶さんご自身によって語られて)いるので、 美術館の学芸員についてのお話で印象に残っ
興味のある方は是非ご一読願いたい。作品 たのは学芸員の心得と美術品取扱い上の注
が集まれば良い展示が出来るという訳では 意の 2 点である。学芸員の心得は「確実に早
ないのは当然だが、では出品者をも満足さ く美しく」。そして体力、知識より知恵(知
せた五島美術館では、展示にどのような工 識をいかに利用するか)、好奇心(これがな
夫が成されているのだろう。一番の工夫は いと立ち遅れる)、思いやり(=愛情)との
照明であろう。館内はかなり照明が落とし こと。美術品取扱い上の注意として一番最
てあり、展示品にスポットライトが当てら 初に挙げられ、また強調していらしたのが
れているが、このライトは直接目に入らな 「品物の弱点を知り、愛着を持つこと」であ
いようになっており、また熱が 0 に近い(と る。これは信頼を得るために絶対必要なこ
言われている)ファイバーを用いているそ とだそうだ。
うだ。蛍光灯も赤白の 2 色入れてあり、調光 名児耶さんのお話は全体的に、学芸員とい
できるようになっている。2 色入れてある館 う仕事に対する自信とやりがいのようなも
は意外と少ないらしく、名児耶さんは「何で のが溢れていた。すごく羨ましく感じたが、
2 種類あったら両方使わないのかなあ。」と 「恵まれた環境だけでなく、自分で作り出さ
不思議そうだった。また、黒いものは見やす なきゃ」チャンスも逃げていってしまう。学
いように下に白い紙が敷いてある。これも 芸員というのは、何事においても、常に積
どうしたら見やすいか、必ず実験してみる 極性が求められる仕事なのだと思った。
そうだ。こういう努力を惜しまない姿勢が、 学芸員という仕事に対するやりがいや自信
出品者をも満足させる展示につながるのだ のオーラが、全身から溢れるような名児耶
と思う。
さん。これからも素晴らしい企画展を見せ
てくださることだろう。私たちが「理想の
展示だけでなく広報にも力を入れており、何
学芸員像」を考える際、思い浮かべずには
と「やすみ」ポスターまで作ってしまうほど、
いられないような方だった。
ポスター宣伝に関しては「積極的だと思う」
とのこと。図録も「図録ありきで展示をや 感想・反省
ることもある。」とおっしゃるほど力を入れ 実際に館を見学して印象深かったのは、国
ているそうだ。普通、多くの図録は入稿の 宝や重文といった肩書きに関係なく、所蔵
関係で写真と説明が別ページになっている 品が非常に丁寧に扱われているということ
ことが多い(写真の方が印刷に時間がかか だった。年間の展示計画も「できるだけ展示
るため)。しかし五島美術館の図録は、写真 品に影響の少ない季節に最適の方法で展示
と説明がすぐ傍らにあり、とても見やすく できるように」という配慮から組まれたも
なっている。これも学芸員の方々の努力の のだった。
結果だろう。
美術館同士での蔵品の貸し借りは、それが
相手にとって本当に必要なものだと納得した
ときのみ貸し出すのだという。これが「モノ
を保存し、伝える」ことなのだと感じた。
見学を終えての反省点は、まず担当班とし
てみんなをまとめられず、先導にもたつき
があった事や、事前学習会で満足な発表が
出来なかった事。これに関しては、日程が
立て込んでいて、ゆとりのある実習が実現
不可能であり、またそういった事前学習が、
実習の際余り役に立たなかったという反省
もある。
1 年間を振り返って、他館では学芸員による
展示説明があり、私たちの質問もそれに対
する内容が多かった。今回五島美術館では、
展示についてはあまり触れず、学芸員とし
ての現場の実状・姿勢などのお話を聞くこ
とが出来た。そういった意味で、今までの
見学の中で、最も学芸員という見方で学習
できた。実習 では、展示をじっくり見る
のがいいのか、それとも学芸員に「学芸員
という仕事」について話を伺うのがメイン
なのか?実習 のあり方とは?実習 に何を
求めるべきか?そういった根本的なことを考
える貴重な機会となったことは確かだろう。
2.6
川崎市市民ミュージアム
事前研究
川崎市市民ミュージアムという公立の、大規
模な総合博物館を見学するにあたり、テーマ
を挙げた。それまでに見学した大学の施設
としての博物館(明治大学刑事博物館)、企
業博物館(虎屋文庫)、個人美術館(五島美
術館)と比較すると、公共性が高いと考えら
れる市民ミュージアムが人々に与える印象を
調べ、その性格を知るということをテーマ
とし、まず、川崎駅とミュージアム横の公園
で、アンケートを取った。普通に博物館とし
て利用する人、ビデオを見るために行く人、
ミュージアムは敷地も広く開放感があってい
いと言う人、税金の無駄遣いだという辛口
の意見など、利用法も意見もさまざまだった
が、誰もがミュージアムを“ 川崎市の施設 ”
であると深く認識しているようだった。さら
に、建物内外の設備に注目し、事前見学を行
なった。駐車場は約 150 台収容可能(有料)
で、建物内部にはスロープやエレベーター
が完備され、授乳室や無料コインロッカーな
ども設置され、誰もが見学しやすい建物に
なっていて、公共の建物としてのミュージア
ムの性格が顕著に現れているように感じた。
また、ミュージアムができたことにより、川
崎市の他の公立博物館の入館者数などに影
響があったのかどうかを、実際に訪問して
調べた(資料 1)。
資料の整理と分析 駅前ととどろきアリーナ
横で行った、アンケートの質問事項とその回
答である。(川崎駅前 6 人、とどろきアリー
ナ横 24 人)
1. 市民ミュージアムを知っていますか。は
い:24 人 いいえ:6 人
2. 行ったことはありますか。
3. 感想は?
4. 川崎市の他の博物館、美術館に行った
ことはありますか。伝統工芸館(0 人)、
日本民家園(5 人)、大山街道ふるさと
館(0 人)、青年科学館(3 人)、アート
ガーデンかわさき(1 人)、平和館(4
人)、その他(1 人)、ない(16 人)
5. 市民ミュージアムと他の博物館と比較
して市民ミュージアムをどう思います
か。
1 については、川崎駅前で聞いた 6 人全てが
ミュージアムを知らなかったわけではない。
アンケートを実施した場所は、初め川崎駅
前であったが駅という場所柄、協力があま
り得られず、やむなくミュージアム横のと
どろきアリーナで収集した。3、5 について
は、本文中に一部記載するにとどめた。
川崎市民ミュージアム
1998 年にミュージアムが開館したことによ
り、川崎市内にある博物館(博物館相当施
設)の利用者数に変化があるかどうか調べ
たものが資料 1 である。この表をみるかぎ
り、ミュージアムの開館が他館の利用者数
に、急激な減少などの影響を与えたとはい
えない。実際に各館の方にその影響を聞い
たところ全ての館で、
「何の影響もない」と
のお答えをいただいた。その要因を質問し
てみたところ、つまりは、各館の展示内容・
展示形態が全く違うので棲み分けができて
いるのではないかとのことだった。予算面で
の増減に影響がみられないかとの問いには
(各館とも数字的な資料や行政の細部までの
取材を行っていないため、信頼性は欠くが)
「全くない」とのことだった。
りにくいなどの問題点があるが、設計者の
著作物なので、なかなか直すことができな
いと話してくださった。企画展については、
学芸員の研究を反映させたものと、市民の
関心を集めやすい巡回展(マスコミ関係が
中心となって、幾つかの博物館がお金を出
しあう)の 2 種類があるという話をして下
さった。
この解説の後、
「自分が資料・作品になった
つもりで」という設定で館内を案内し
ていただいた。防災・防犯のため作品を運ぶ
時に使用する扉の他に、作品が持ち出せな
いようになっている職員用の小さいドアが
あり、通常はこちらを利用しているとのこ
とだった。資料運搬用エレベーターの扉は、
資料・作品を安全に運ぶため、ゆっくり開閉
するようになっていた。資料・作品を収蔵庫
に入れる前に、虫を殺す(休館日に業者が行
なう)燻蒸室も見せていただくことができ
た。収蔵庫は、校倉造と同じ原理で湿度 40
∼50 %、室温 24 度に保たれていた。収蔵品
は増加する一方なので、収蔵庫を 2 階建て
にしたいが、消防法によりできないとのこ
とだった。浜田さんが提案してくださった
この設定により、普段は見ることのできな
この調査を行い、見えてきた問題は利用者
い所を見ることができ、資料の流れをわか
数の減少傾向である。こうした施設の利用
りやすく理解することができた。
者の減少について原因を考えると娯楽が多
様化し、テーマパーク・遊園地などの施設等
が増加したため、人々の関心がそちらに流れ
てしまい、以前ほど人が集まらなくなったの
では、という分析をなさっている方もいた。
見学記録
はじめにレジュメにそって学芸員の浜田晋
介さん(考古学専門)から、設立の経緯、建
築、施設、展示などについて話していただい
た。立地条件については、スポーツ公園で市
民ミュージアムとは利用者層の違う等々力緑
地より、文化施設のある生田緑地に設置すべ
きだったという話をして下さった。建築につ
いては、デザイン重視の建物のため、無駄な
スペースがでてきたり、トイレの表示がわか
ウエストポーチ
館内見学の後、質疑応答となった。
「展示に
触れないで下さいという注意書きがないが
触れても良いのですか?」という質問には
「触って良いのだが、触りすぎて壊す危険が
あるから、チケットの裏に『陳列品には、お
手を触れないでください』と一応書いてあ
る。」、補修についての質問には「補修は業
者に頼むこともある。膨大な量なので展示 て同一の事柄が違う感想・意見となり万人
するものを優先的にやる。この作業はバイ に受け入れられる博物館づくりの難しさを
トの人にはやらせない。」、逍遥展示空間の 実感として感じた。
イベントについては「他の博物館・美術館と また、私たち担当班が川崎市市民ミュージア
は違うことをやって、お客さんに来てもら ムを見学館として選んだ理由は、公設・財団
おうと、クラシック音楽会(年 3∼4 回)、人 型・総合博物館の現状(予算等諸問題につい
形劇、紙芝居、手品などのイベントを行って て、私立・企業博物館との比較)、普段見る
いる。ただ、予算の都合もあり、日々頭を悩 ことができない学芸員の仕事・博物館の裏側
ませている。」と答えて下さった。また「広 (収蔵品の管理・保存方法)を知ることだっ
報活動はどのように行っているのですか?」 たのだが、アンケートには「見学の目的は何
という質問には「広報は、広報部門が行って だったのか」という意見もあり、見学の意図
いるが、電車・バスの中づりや市の情報誌で が伝えきれていないように感じた。その原
の宣伝は浸透しなかった。人に来てもらうの 因は、レジュメの分量が無駄に多すぎて見
は難しい。」と、JR 武蔵小杉駅のミュージ 学の意図がぼやけてしまったことだと考え
アムの大きな看板については、
「以前ミュー らえる。レジュメは、浜田さんから年報を
ジアムの宣伝コーナーがあった名残で、無料 お借りして制作したのだが、大きなミュー
で置かせてもらっており、ミュージアムで管 ジアムだったことと、テーマの設定が広す
理している。」と答えて下さった。ミュージ ぎたことから盛り沢山になってしまい、説
アムに対する市民の声については、館内に 明も行き届かなかったということが反省点
設置してあるアンケートから聴くことがで として残る。
きる。例えば、「『税金の無駄遣いだ』とい しかし、学芸員の裏方としての仕事を知る
う意見もあれば、
『おもしろい』と良い評価 ということはできたと思うし、お話してい
する人もいて、すべての人に肯定的に評価 ただいた学芸員の浜田さんの簡潔でわかり
されることは不可能である。」とおっしゃっ やすい解説、相手を飽きさせず疲れさせな
ていた。
いような案内の仕方も、また学芸員の仕事
質疑応答の後、常設展示、特別展示(『漫画 の重要な一側面であるということが学べた
作家 畑中純の挑戦』)などを各自自由見学 ように思う。
して、ガイダンスルームで担当班のアンケー 資料 1 川崎市他館の利用者推移表(比較
のためミュージアム分も記載)
トに協力してもらい、解散となった。
*:昭和 63 年度利用者数は 11 月∼翌年 3 月
訪問後のまとめ(アンケート結果から)
まで
訪問後の学生のアンケート結果を検討して
みると一つの項目(特に施設・展示方法)に
2.7 金沢研修旅行
ついて両面的な見解が示されている箇所が
いくつか見てとれた。「施設として美しく、 日程
広くておもしろい」
「とても立派な建物だが、
• 1 日目 (9 月 10 日)
広すぎるし税金の無駄」
「展示スペースの使
い方がうまい」
「展示スペースに無駄が多い。
• 羽田空港より JAL141 便、小松空港へ
スペースを生かし切れていない」
「展示物が
• 小松空港よりバスで「世界文化遺産」五
低めの位置にあり、子どもや車椅子の方な
箇山・白川郷へ
どに優しい」
「逆に一般の人には多少見にく
いのではないか」など、見学者の視点によっ
• 2 日目(9 月 11 日) 班行動
• 歴史班:石川近代文学館、金沢市老舗 とを深く掘り下げて考えるということがで
記念館、石川県立図書館
きる見学であった。
研修旅行をどのような形式で行っていくか
• 美術班:中村記念美術館、加賀友禅伝
は、学生自身が中心となって、どんなこと
統産業会館、からくり記念館
をしたいのか、何が目的なのかということ
• 民俗班:石川市立民俗文化財展示館、白 をあらためて考えることが大切である。
山比め神社宝物館、鶴来町立博物館
• 輪島班:石川県輪島漆芸美術館、石川 2.8 白川郷見学記
県輪島漆芸技術研修所、惣領漆器店
事前研究
• 3 日目(9 月 12 日)
岐阜県大野郡白川村「荻町集落」は、文化
• 石川県立美術館、石川県立歴史博物館 財保護法による「重要伝統的建造物群保存
地区」、世界遺産条約による世界文化遺産の
研修旅行のねらい
「建造物群」に選定されている。このことか
研修旅行の目的は、何であるのか。わざわ ら、世界遺産条約と合掌造りの構造と民俗
ざ地方の博物館・美術館を研修旅行の場所 についての事前研究を行った。
と選ぶのにはそれなりの理由がある。今年 世界遺産
度の研修旅行の地として、金沢という地域 世界遺産条約は、1972 年ユネスコ総会で採
が選ばれた背景には、過去に 2 度訪れてい 択された。日本は、この条約を 1992 年に批
る実績と比較的に見学の対象となる施設が 准、133ヶ国目の締結国になっている。「世
集まっていて、見学計画を立てやすいとい 界遺産」は、この世界遺産条約を批准して
うことがあった。
いる国が申請、ユネスコが「世界遺産リス
ところで、今年度の研修旅行は今までの形 ト」に登録したものを指す。リストへの登
式を踏襲するだけにとどまらず、新たな試 録は、基準があり、白川郷は「ある様式の建
みを 2 つ取り入れた。まず 1 つが、今までの 築物あるいは景観の優れた見本となるもの」
ように見学対象を博物館・美術館だけに限 「単一あるいは複数の文化を代表する伝統的
定するのではなく、最近日本でも幾つかそ な集落、土地利用を示すもの」として 1995
の指定を受けている「世界文化遺産」と呼 年に登録された。
ばれる地域を見学したことである。実際に
展示、収蔵されているものではなく生の雰
囲気を見学すること、また、地域全体を博
物館としてとらえようと考えることを目的
とした見学である。
もう 1 つは、2 泊 3 日の全日程を課程履修者
全員で団体行動をとるのではなく、それぞ
れの学芸員課程履修の分野の専門性を生か 夏の見学旅行、白川村での記念撮
した班構成による、動きやすい分野別班を 影
作り、各班で事前に計画、交渉をし、2 日目 建築構造と民俗
に見学を行ったことである。全体で見学す 屋根が左右の掌を合わせたような形をして
る場合と違い、各分野での専門的な説明や いることから「合掌造り」とよばれてきた。
質問をすることをスムーズにすることがで 屋根は、豪雪に耐えるため 60 度程の急勾配
きた。そして、何よりも各自が思っているこ にし、叉首構造により成り立っている。建物
内を 2∼4 層に分け養蚕業に利用していた。
大規模建築の理由としては、塩硝生産のた
めとする説や、大家族制への対応によるた
めとの説がある。
さんのおっしゃった「住む人の心も文化財。
世界遺産になったからといって気持ちは変
わらない。」という言葉にも現れているよう
に思う。
見学記録
14 時より白川村教育委員会事務局長上手重
2.9 班別行動
一さんに、村が一望できる展望台に案内し
ていただき、そこでお話を伺う。
輪島班 (新井、塩川、中野、福井、渡辺)
荻町では 1971 年に住民自ら「荻町集落の自 まず訪れたのは、漆芸美術館である。ここ
然環境を守る会」を発足させ、合掌家屋を では、説明をして頂く予定はなく、見学は
「売らない」
「貸さない」
「壊さない」という 30 分程度しかしていないが、気づいた点を
三原則の住民憲章を策定するなどの保存活 述べていくことにしよう。常設展示「輪島
動を積極的に行ってきた。守る会では構成 の漆芸」は大正時代からの輪島塗の先駆と
員が若く、2 年交替制になっているので将来 なってきた作家たちの作品が展示されてい
にわたって守るための工夫などが受け継が る。その数は 31 点にのぼり、そのうち 25 点
れてゆくようになっている。本来、この地 までが個人からの寄贈となっている。そし
域には組や結といった集落内の相互扶助の て、残りが輪島市の所蔵である。
社会組織があるが、これも、このような守
訪問時には、企画展「輪島の現代漆芸作家」
る会の制度のよって受け継がれていくのだ
が行われており、輪島市に在住している漆
ろう。
芸作家の中から 83 名、134 点が、前後期に
保存の中で最も注意を払うべき点は火災で 分けて展示されていた。我々が訪れた時は
ある。白川郷内のほとんどの建造物は木造で 後期となっていて、68 点が出品されていた。
あるため、毎晩 4 回の見回りや、年 1 回 600 その後、10 時に隣接する漆芸技術研修所に
トンの貯水池から各所に設置されている放 おいて、前史雄さんにお話を伺いつつ、見
水銃での放水訓練が行われている。住民は 学した。この施設は、文化庁及び石川県教
景観基準によって新築は認められず、生活の 育委員会が、人間国宝の技術伝承者養成と、
ための改築も厳しい審査があるなど、文化 それに関連する漆芸技術の保存育成、調査
財に指定されたがゆえの不満や、面倒もあ 研究、資料収集等の事業を行うために設置
るという。
したものである。
その後、国指定重要文化財である和田家を
見学、実際の建物を見ながら建築構造や民
俗等の説明をうける。和田家は現在も住宅
として使用されており、生活と保存、観光の
折り合いを考える上で興味深いものだった。
研修期間は 5 年で、はじめの 2 年は専修科で
基礎的なことを身につけ、次にそれぞれの
専門分野に分かれて 3 年間学ぶ。研修生は
石川県内だけでなく、県外や外国からも入
学している。研修生の中には意外にも女性
事前研究との比較
が多かったことや、技術面だけでなく精神
今回、私達は世界文化遺産、人が生活して 面についても、漆造りのためには重要だと
いる中での文化財保存という観点から白川 考えていることに気がついた。
郷を訪れたが、住民は「世界遺産」の肩書 これは、次に訪ねた惣領漆器店でも同じで
きに依存するのではなく、自分達の地域を あった。ここは、代々輪島塗の職人を養成し
愛する心を第一に、それらの肩書きを利用 つつ、惣領誠司さん自ら職人としてのステ
しているように感じた。そのことは、上手 イタスを築いている。惣領氏の紹介で、実
際に輪島塗の椀を作っている所も見せても した。
らうことができた。
美術班 (岡田、佐藤 (樹)、藤倉、松井)
歴史班 (石川、大庭、小川、菊池、斎藤、佐々 中村記念美術館は、茶道具を中心に所蔵し
木、鹿野、田中、蓮花)
ている落ち着いた雰囲気の美術館だった。今
私たち歴史班は、他の博物館とは性質を異
にする「文学館」について学ぶ為、事前に都
内近郊の文学館を各自見学した上で、地方
の文学館としては先駆け的な館である石川
近代文学館を訪れた。
旧第四高等学校の本校舎であり、重要文化財
建造物にも指定されている館内に入る。始
めに副館長の井口哲郎さんに石川近代文学
館の概要等についてお話を伺う。特に館長
の新保千代子さんについてのお話は興味深
かった。
『室生犀星ききがき抄』という著書
で、犀星の出生に関して重要な研究もなさ
れた新保さんは、開館からこの館をつくり
あげてきた方である。時には「主観的すぎ
るのでは」とも言われるという、ポリシー
ある展示がこの館の個性となっている。井
口さんは「作家の生の姿、またそれがどの
ように作品に投影されているかが感じられ
る展示にしたい。」とおっしゃっていた。
回行なわれていた秋季展「棗と茶器」では、
鎌倉時代や江戸時代の古い作品だけでなく
昭和・平成の現代作家による作品も展示され
ていた。展示台には畳が使われており、展示
品やそれを見る人のイメージを大切にして
いるように感じた。学芸員の薮下宏さんは、
レジュメや資料を用意して説明してくださ
り、私たちの質問にもひとつひとつ丁寧に
答えてくださったので、とてもわかりやす
かった。作品の貸し借りについては、交渉
の難しさなどをエピソードをまじえながら
話してくださったので、とても印象に残って
いる。また、個人蔵のものは美術商を通して
借りるという話は、今まで知らなかったこと
なので興味深かった。
館内を案内していただいた際に、機材庫で
は、実際に照明の調節もやって見せていた
だけたし、収蔵庫では、地震で棚が倒れな
いように、棚と棚を木でつないだり、収蔵
品が落ちないようにひもが張られているの
を見せていただくことができ、防災対策は
できることから始めれば良いのだと感じた。
中村記念美術館は、薮下さんもおっしゃって
いたように、
「潤いのある美術館」でまた行
きたくなる館だった。
次に、同館学芸員の原田可南子さんに館内
を案内していただきながらお話を伺う。石
川県に縁のある思想家と作家に関する展示
が、各テーマごとにまとめられており、特
に泉鏡花、室生犀星のコーナーは、写真パ
ネルや書斎の復元など石川近代文学館なら
ではの展示であった。展示資料のほとんど その後、加賀友禅伝統産業会館と石川県金
が本物であるという。
沢港大野からくり記念館に行き、説明は聞
館内見学後、引き続き原田さんに質疑応答 かなかったものの、当地の伝統工芸のしく
をお願いする。文学館協議会のこと、文学館 みや歴史を興味深く吸収することができた。
としての問題(資料公開時のプライバシー
について等)、作品を読んでいない人にも興
味を持ってもらうための工夫、読書会など
の活発な展示外活動等、色々と伺うことが
できた。
民俗班 (猪野、氏家、佐藤 (亨)、宮平、
渡部)
民俗班では金沢市内近郊にある民俗系の博
物館を探し、金沢市民俗文化財展示館、白
山比め神社宝物館、鶴来町立博物館の 3 館
その後、金沢市老舗記念館を見学。文学館 に決めた。午前中は金沢市民俗文化財展示
との関連から石川県立図書館も訪れ、国文 館から見学していくことにした。この館は
学者藤岡作太郎の『李花亭文庫』等を閲覧 旧石川県立金沢第 2 中学校校舎としてあっ
た建物を、昭和 42 年から 44 年にかけて取
り壊しが行われた際に、その一部を保存し、
金沢市内初の博物館として転用したもので
ある。その後、明治の建築様式を今に残し
ている貴重な建物として、昭和 49 年金沢市
の文化財の指定を受けた館である。私たち
は学芸員の西村信彦さんの案内で、全部で 6
室からなる展示室と収蔵庫を見学させてい
ただいた。この館の展示品の多くは一般の
人から直接譲り受けたものが多く、現在、昭
和 30 年∼40 年代初頭のテレビなどの電化製
品の収集に力を入れているそうだ。この館
はもともと、博物館として建てられた建物
ではなく老朽化も進んでいるため、設備は
決して整っているとはいえないが、展示品
の獅子舞いの面を実際に触らせてくれるな
ど、他の館にはない親しみやすさを感じる
ことができた。
午後からは、北陸鉄道に乗り鶴来町へと足
をのばした。白山比め神社宝物館には、旧
国宝木造狛犬が在る。これは、運慶の作と
言われるだけあり、いかにもたくましい肉
づきの男性的な作品だった。神社から徒歩
で 20 分程行くと、天守閣(収蔵庫)が目を
引く。村上和生雄さんの話によると、内部は
3 階まで展示室で、鶴来町に関する展示をし
ており、年一回常設展示を撤去して「ふるさ
と写真展」などの特別展を開催していると
のことであった。ホールには、県内外の館
の図録や遺跡等の調査報告書、社会教育関
係の雑誌や県、町関係機関の小冊子が山の
ように置いてあった。また、史跡見学バスツ
アーや基礎古文書講座の開催など町内外か
らの参加者も募るなど、町だけに留まらな
い活動に取り組んでいた。
今回、どちらかというと小規模な館を見学
し、学芸員の方から直接、予算の面での苦
労、そのために設備の改良ができない等の
苦労話を聞く事ができた。その一方で、地
域の子供からお年寄りまで利用できる館に
しようと努力している姿を垣間見ることが
できた。
2.10
石川県立美術館
事前研究
石川県立美術館は昭和 34 年に設立され、地
方の県立美術館としては早くに設立された
館であった。しかし、近年の大型化、多様化
する展覧会への対応が困難となり、また、新
美術館の建設の要望もあり、昭和 58 年に今
の兼六園の隣りに新美術館を開館した。
石川県立美術館は昭和 55 年度から平成 7 年
度までの年報と多くの図録等を学芸員課程
に寄贈して下さった。年報には、新美術館
誕生までのいきさつやこれまでの活動が詳
しく記されているため、事前研究をする上
で大変参考になった。また、図録を見ると企
画展の回数の多さ、テーマの多彩さに驚い
た。中には、前期に見学実習を行った五島美
術館の所蔵品を扱った企画展の図録もあり、
とても興味深かった。
まず、10 年分の年報をもとに展覧会の年表
を作り、特徴を調べてみた。石川県立美術館
では常設展(古美術部門・近代部門)と企画
展がある。古美術部門の前田育徳会展示室
では加賀藩主前田家伝世の文化財を展示し、
また近代部門では石川県ゆかりの作家や作
品を紹介することが多い。このように地元
を中心に考えた展示が多く、コレクション
を公開する場としての美術館よりも作品発
表の場としての要素の方が強い。企画展示
では美術館主催のものと新聞社等が主催す
るもの、また団体に展覧会場として貸す事
もある。特色ある展覧会としては、昭和 60
年と 61 年に行われた「石川県作家選抜美術
展」がある。これは、新人や中堅作家の作
品を選抜し、展示することによって作家の
育成を図ろうとするものであった。
石川県立美術館の所蔵作品には寄託作品も
多い。年報からは、毎年寄託作品の数が増
えていることが分かる。平成 7 年の寄託作
品は全部で 795 作品もある。特に絵画は 238
作品も寄託を受けている。寄託作品が多い
のは、それだけ石川県立美術館が地元の芸
術家たちやコレクターたちと関わりが深い
からではないだろうか。石川県立美術館は
美術品の保存・管理に定評があり、信頼され
ている。
次に、昭和 55 年から平成 7 年までの 16 年
間、石川県立美術館がどの館と作品等の貸
し借りを行ってきたのか調べた。貸与先につ
いて見てみると、金沢市立中村記念美術館、
寺井町九谷焼資料館、加賀市美術館などが
多く、富山県など県外の美術館も多かった。
また、地元の観光協会や教育委員会、青年
会などにも作品を貸与しており、地域に根
ざした活動をしている。借り入れ先につい
ては国立や県立などの規模の大きな美術館・
博物館が多い。例えば、東京国立近代美術
館、京都国立近代美術館、東京国立博物館
などである。日本全国いろいろな地域から
作品を借りている点で、石川県立美術館の
規模や信頼性の大きさがうかがえる。
の地域は歴史のある街なので文化財等が多
く、また作家も多い。事前研究においては、
石川県立美術館が地域に根ざした活動を行っ
ていることが分かった。
見学記録
まず、普及課長の南俊英さんに案内してい
ただきながら、最初にホールを見学。ピア
ノやチェンバロ・16 映写機などが揃った、
209 席の立派なホールだ。毎週日曜日に、コ
ンサートや講演会・映画会などが行われて
いる。とても充実した活動を行っているが、
展覧会優先になってしまいがちな広報活動、
美術館までの足の確保などの問題もある。
次に、第 1∼第 6 展示室を見学。まず、驚い
たのは館内の細かなところにまで配慮が行
き届いている点である。疲れや音を防止す
るゴム質タイルの床。展示室内だけ灰色に
なっている非常口ランプ(普通は緑色のも
の)。電気抵抗の音がしない蛍光燈 (器材室
に騒音や発熱を防止する安定機を収納)。照
明については、自然色に近い特注蛍光燈や
万全な劣化対策などこだわりがあり、照明
石川県立美術館では展示替えが頻繁に行わ
学会から賞をもらっている。
れている。展示室は全部で 9 室あり、常設
展の古美術部門は 1ヶ月に 1 度、近現代部門
は 1∼2ヶ月に 1 度の割合で展示替えが行わ
れる。
展示のほかにも石川県立美術館では様々な
活動を行っている。例えば、講演会、ミュー
ジアムシアター、ミュージアムコンサート、
文化財現地見学、移動美術展などがある。移
動美術展は、地理的条件により日頃来館す
ることの少ない地域の人々に対して美術作
品鑑賞の機会を提供し、石川県の美術文化
振興を図る目的で昭和 62 年から開催されて
いる。美術だけにこだわることなく、芸術に
深く親しんでもらおうという美術館側の意
図が感じられる。
石川県立美術館は規模が大きく、また保存・
管理の面でとても信頼が厚い。展示におい
ては、地元の作家や作品にも重点を置き、地
元の作家育成にも貢献しているようだ。こ
タイタニック
講義室で美術館の概要を聞く
展示室は独立したブロック式で、各展示室
には 2 個所非常口があり、防火区画そのも
のとしての役割も果たしていた。図書閲覧
室には、学芸員が常に 1 人待機しており、監
視と質問への対応を行っている。図書閲覧
室はフリースペースなので、観覧料なしで
誰でも利用することができる。質問も割合
あるという事で、開かれた美術館としての
役割を果たしているようだ。また、美術作
品を展示するだけでなく図書や映画などさ
まざまな角度から扱っていることに新鮮さ を優先させることもあるそうだ。とても多
を感じた。
彩で理想的な活動を行い立地条件も良いと
石川県立美術館では、ビデオを独自で制作 思っていたが、実際には近くの学校から授
している。業者に依頼すると、制作日数や 業として見学に来ることは少ないという。
費用がかかるためだ。私たちは、ビデオ制
作の部屋も見せていただいた。ビデオは学
施設は想像以上にとても充実していて、見
芸員 2 人が 2∼3 日でつくることもあるとの
学者のために細かなところまで配慮されて
ことだ。
いた。これは新美術館建設時に地元の作家
その後、搬入口・荷解き場・写真撮影室・収
団体などを中心として何度も話し合いが行
蔵庫を見学した。荷解き場では、展示物を
われた結果だと思う。
館内の条件に合わせるため、
「ならし」をす
る。急激な環境の変化はよくないので、す
ぐに荷解きをしない。また、薫蒸は取り扱 石川県立美術館では展示替えが頻繁に行わ
い免許を取得した館職員によって行われる。 れており、展示替えを行う期間はとても短
写真室も設備が整っていた。現像は業者に いが数日で仕上げてしまう。また展示替え
依頼するが、撮影は学芸員の仕事である。 期間中は休館日となるが、年末年始以外に
収蔵庫は、石川県産の能登杉を使った木造 定休館日を設けていない。石川県立美術館
である。最初、収蔵庫内の棚は高さ 4.2 mで では、できる限り開館日数を多くして、多
設計されていた。しかし、棚が高いと踏み台 くの人に美術品に親しんでもらいたいとい
が必要になり危険なので途中で設計を変更 う思いから、展示替えを短い期間で行うよ
し、収蔵庫内を 2 層にした。そのことによっ うに努力しているそうである。
て棚は手の届く範囲になり、収蔵庫の延べ
床面積が増えた。
訪問後、見学して気付いたことについてア
最後に講義室に戻り、質疑応答の時間を設
ンケートを取った。その結果、床や照明な
けた。このとき南さんは、金沢市で美術館
どの工夫や、移動美術展に関心を持った人
を作る計画があることをお話してくださっ
が多かった。その他、
「文化サロン的機能を
た。石川県立美術館は、石川県内の作家・作
持つ設備や、学芸員さんの意気込みもある
品を扱っているがその中でも金沢市の作家
のに市民がのってこないのが残念」
「学芸員
が多いということである。
が館の建設から携わることの必要性を感じ
県立美術館では、県内の作品を偏りなく収集
た。」という問題意識を持った意見もあった。
するという目的があり、そのためには、作家
学芸員が館の建設から携わるということに
の数と質が必要である。その点、石川県は恵
関しては、川崎市市民ミュージアムとの比
まれていてレベルも高い。いい意味でのロー
較が参考になると思う。石川県立美術館の
カルであると南さんはおっしゃっていた。
場合は、あえて著名な建築家に依頼しない
事前研究との比較・考察
ことで、学芸員の意見を上手く取りいれて
事前研究の段階で私たちは、所蔵作品や寄 いった良い例だと思う。
託作品が多いことを長所としてとらえてい
た。しかし、実際は増え続ける作品をどこ
に収蔵するかという新たな問題も起こって 石川県立美術館での実習は、美術館の施設
いることを知った。また地元中心の活動と 面教育普及活動について学ぶところが多か
はいっても、やはり新聞社主催の企画展示 った。
前期に行った訪問実習では、担当班が事前
見学し、担当の学芸員の方と話し合うなど
して事前研究を進めたが、私たちの担当し
た金沢での研修の場合、それは不可能であっ
た。そのため、館については送付されてきた
資料や課程室にある資料など、情報が限ら
れていた。
石川美術館
体験コーナーで縄文人の暮らしを体験
2.11
石川県立美術館
石川県立美術館学芸員 南俊英
当館では、旧館時代の昭和 46 年より、地元
の金沢美術工芸大学学生を中心に博物館実
習を引き受けています。その初期の実習生
の中から、現在の館の学芸員として採用さ
れた者も数名います。
学生が卒業後学芸員として採用される機会
が極めて少なく、ほとんどの学生が資格取
得のみのために実習を受けるという現状で
すが、実習を引き受ける者としては、教員
となる方には児童生徒を当館へ鑑賞に連れ
てきていただきたい、また、他の人達にも
当館のよりよき理解者となっていただきた
い等を願いつつ行っています。近年は、教
員となった人達と、児童生徒対象の展覧会
出品作品・常設展示作品の観賞用パンフレッ
ト作成を共同で行うなど、教育普及活動で
は、当館の応援団ともいうべき協力を得て
います。
さて、貴大学の見学実習ですが、本年お相手
をさせていただき、ビックリしました。事前
の調査の周到さ、調査項目決定のプロセス、
そして現場での調査等、どうしても施設見学
だけに終わりがちな見学実習の中にあって、
特筆されるべきものとの印象を持ちました。
今後の活躍を祈ります。
2.12
石川県立歴史博物館
事前研究
各県に一ヶ所以上配置されている県立博物館
は、地域博物館として地域の文化財を収集、
保存し、一般に公開して文化的財産として
共有することなどが求められている。具体
的に石川県立歴史博物館(以下、歴博)では
どのように社会教育にアピールし、それに
対する県民の反応はどのようなものか、建
物が重要文化財であることの長所、短所は
何か、不利な点をどううまく利用している
か、といったことに興味が沸いた。また、今
回石川県を訪れるにあたり、石川県がどの
ような所なのかを知るべく、その歴史を一
向一揆、日本海における交易、前田家の文
化振興の観点から調べて見た。これらの内
容については、実際に展示を見学すること
で理解が深まった。
加賀一向一揆に関して
一向一揆のなかでも、本家の石山本願寺一
揆、三河の一向一揆などと並んで大きな勢
力であったとされる加賀の一向一揆である
が、領国支配権を手中にし史上唯一の門徒
領国制を引くまでの力を持っていた事はあ
まり知られていない。またこの事態により、
能登・越前・越中の一揆は刺激され周辺も騒
がしくなり、一向一揆の内部で主導権をめ
ぐっての争い(亨禄の乱)が起きるに至る。
そうしてこの後、各地の一向一揆は、戦国
の覇者・織田信長とそれに対峙する大名と
共闘することになるのだが、加賀の一揆も
例外ではなく当初信長と上杉謙信の戦場と
化していた加賀で、本願時の動きに合わせ
謙信と共闘することになる。だが、謙信の
死後は信長と直接対決を強いられることに
なる。そして、元亀元年 (1570) 本願寺法主
顕如と信長の和議により一向一揆の戦いは
終わった。しかし、この和議は信長により破
られ、本拠の「金沢御堂」を陥落させられ加
賀一向一揆の歴史も閉幕となった。
タイタニック
日本海を中心とする交易
近世の海運は年貢米の輸送を中心として成
立し、鎖国後沿岸航路として発達した。河
村瑞賢による西廻り航路・東廻り航路の確
立によって米穀以外の特産物や納屋物も海
上輸送されるようになり、特に西廻り航路
の発展はめざましかった。なかでも北前船
の台頭は海運史に新たな局面を拓くもので
あった。
北前船の船主は北陸を中心とした日本海地
域の人々で、船主が商人を兼ねて自分の資
金で積み荷を仕入れ、自分の船で各地に運
び、地域による物資の価格差を利用して利
潤を上げる買積船の形態を取っていた。北
前船は大阪から日本海各地で商売しながら
蝦夷地に向かい海産物を仕入れ、大阪に戻
り荷物をさばいた。船主の商才によっては
莫大な利益をあげることができ、二度の就
航で造船費が出来るほどだと言われている。
上方からは酒・煙草・砂糖などが、蝦夷地か
らは昆布・数の子・にしんなどが運ばれた。
他に伊万里焼や九谷焼、京人形が運ばれ、東
西文化を大きく交流させた。実際に活躍し
た船主には、
「海の百万石」として天下に知
られた銭屋五兵衛、広海二三郎、西村屋中
兵衛らが挙げられる。
武家が文化の担い手であったことが上げら
れる。この流れは、前田綱紀という学者肌
の藩主が現れたことで助長されたが、それ
以前に加賀藩が幕府からの警戒心を和らげ
るため、藩創立当時から掲げてきた政策で
あった。
文化の担い手が武家であったということは、
江戸・大阪のような町人文化圏とも、京都の
ような貴族や寺社中心の文化圏とも異なっ
た気風があったといえる。この文化は歴博
の中に展示されている「モノ」からだけで
なく、街の情緒からも感じ取れる。
見学記録
ここの赤レンガ造りの建物は、旧軍兵器庫
として建てられたものを歴史博物館として
補強復元したものである。3 棟に分かれた建
物の中に展示室は 11 室ある。第 1 棟は第 1
から第 3 展示室と特別展示室、第 2 棟は第 4
展示室と歴史体験コーナー、第 3 棟は第 5 か
ら第 8 展示室と特別展示室をそれぞれ配し
ている。
14 時に歴博前に集合し、学芸員の村上尚子
さんに説明を受けながら第一展示室から見
学していった。ここでは見学途中及び学習
ホールにおいて、村上さんから伺ったお話
をまとめてみたい。
まず特別展について。歴博では特別展にお
いて後援・協賛をつけずに館が主体となって
開催する。そのため、準備には 2 年を要する
という。そして特別展のための調査は、特別
展を開催するしないにかかわらず随時行わ
れている。調査対象は地元県民の皆さんか
ら寄贈された資料であることも多いそうだ。
第 2 棟の第 4 展示室でも寄贈資料を展示す
る。寄贈の際に資料にまつわるエピソード
を伺うのも調査の一つであり、また寄贈品
を展示・紹介することは、寄贈してくださっ
前田家の文化振興
た方への感謝にもつながる。他館との交流
金沢市が加賀百万石・前田家の城下町である について、注目したのは大韓民国国立全州
ことを踏まえて、加賀藩の文化振興政策に 博物館との交流だ。両館職員の相互訪問や
ついて注目した。加賀地方の文化の特色は、 資料の貸し借りを中心に、地道な友好関係
と共同研究の土台を作る段階であるという。 りだが、同時に、担当班として進行の要領
将来的には両館共同の特別展の開催を目指 が悪かったという反省材料が残ってしまっ
しているそうだ。
た。また、帰りの時間の都合から、全員揃っ
歴博の職員組織と年間活動については、プ て見学を終了できなかったのも残念だった。
リントで村上さんに説明して頂いた。その 見学後には村上さんに御礼状と写真を送付
なかで正規の職員・学芸員が 20 名程度で、 して、それに対しての御返事をいただいた。
歴史体験コーナーなどの解説員の多くを嘱
託に頼っているとは驚いた。最後に私達が
来年行う博物館実習のアドバイスと、村上
さんが担当された実習生の様子を伺った。電
話のかけ方や場合に応じた身だしなみなど、
基本的なことが出来ていないそうだ。
「武蔵
大学の皆さんは大丈夫ですね。」という言葉
に、安心もしたが改めて自分のまわりを見
回してしまった。常識的なことを見られる
のだなと、来年の実習 へ向けての心構え
の大切さを痛感した。
活動全般に関しての感想
今回、金沢実習での全体見学に際し歴博を
選んだのは、金沢・石川の歴史を総合的に展
示してある館であること、過去の実習でお
世話になった経緯から見学依頼を受け入れ
てもらえるであろうといった点などを考慮
して本館を選ぶに至った。
館の場所が遠方という事から、事前研究に
よる館の「予習」こそできなかったが、石川
歴史を展示すると文字情報が多くなりがち
だが、ここでは見学者の目を惹きつけ歴史を
体感するための工夫がなされていた。それも
音声や電飾、映像の利用だけではなかった。
明治初期の学校のコーナーでは、実際に利
用されていた机・椅子と共に当時の教科書
もオープン展示してあり、見学者はその椅
子に座り、当時と同じ明るさの電灯の下で
教科書を読める。また「体験し学習する博
物館」をコンセプトに設けられた歴史体験
コーナーも注目すべきものである。ここに
は常時解説員がいて質問に答えてくれるだ
けでなく、縄文期の太鼓から火の起こし方、
貫頭衣などの衣服の着用もできる。どれも
見学者が歴史を身体で学び、文字からだけ
では知りえない情報を得ることができる。は
じめて歴史を学ぶ子どもに対して、学校の
授業とは違うおもしろさを提供しているの
ではないだろうか。
県の歴史を知る上で重要と思われる「加賀
一向一揆」・「日本海交易」・「前田家の文化
振興」
2.13 石川県立歴史博物館
についてのレジュメをまとめることで、概
略的とはいえ学ぶことができたのは、見学
石川県立歴史博物館学芸員 村上尚子
に際して有益であったと思う。
見学の当日は、金沢実習の最終日の上、一日
に 2 館の見学(午前中に石川県立美術館を見
学)というハードスケジュールであったため
に、疲れきった見学になってしまうのでは、
と不安だったが、みんな何とか乗り切った
様子だったし、学芸員の村上さんのキャラ
クターに救われたりして無事にこなせたか
と思う。また、閉館時間を過ぎても解説を
続けて下さった村上さんには感謝するばか
館内案内の後、学習ホールで質疑応答を行っ
ていた時、丸橋先生が「あなたは何故、いつ
から学芸員になろうと思ったのですか」と私
に訊ねられた。私は博物館施設に勤務して
三年になるが、毎年何本もの実習希望の電
話が鳴る。その度に我々も必ずこの質問を
行うのだが、私はあの時思わず考え込んで
しまい、質問にはっきりと答えることはで
きなかった。
石川美術館 2
思えば「好きな歴史や美術と係わっていける
職業=学芸員」という、私の動機も甚だ単純
だった。しかし「今なぜ学芸員の仕事をして
いるのですか」と聞かれても、こうは答えな
いだろう。それは人との出会い、作品(もの)
との出会いがあるからこそ、というのが今
の私の答えだからである。
皆さんが館内で見るものはただそこにある
のではない。歴史的に見て云々だからとい
う理由でもない。そのものを守り続けた人、
関わった人がいるからこそ、今そこにある
のである。そんなものに対する人々の思い
に触れた時、そして来館して下さった方が
そんなものへの理解を深めてくれた時、学
芸員になって良かったと私は感じている。
A:指輪や爪でも作品に傷を付ける可能性が
あるから、実習用の教材なのに国宝でも触っ
ている気分でした。
Q:掛軸も同様でしたか?
A:はい、巻物もそうでしたが、巻緒の結び
方や壁に掛けるときに重力まで考慮に入れ
て作品を扱うことなど知らないことがいっ
ぱいありました。
A:展示品の横についている説明書きのこと
です。
Q:つくるってどうやって?
A:ワープロなどで作品名とキャプションの
大きさの枠を打った紙を、片面が接着面の
板に貼り、定規をあててカッターで切るん
です。切断面を美しくしなければ、使えな
いんです。
Q:結構気を使うんですね。
A:はい、今回一番感じたことはそこでした
ね。学芸員が扱うものは古かったりこの世
にひとつしかなかったり、ほんの少しでも
気を抜いて触れれば、その価値を失ってし
まうようなものばかりな訳ですから、普段
の自分の生活の中では気づくことのない危
険性に気づかなければならないんです。実
際に巻物を触ったとき普通に呼吸もできな
くなった自分に少々驚きましたけれど、そ
れだけ、大事なものを扱う仕事なのだと痛
感しました。
Q:今日はどうもありがとうございました。
武蔵大学の皆さんも博物館での研修や実習
を通して、たくさんの人やものに出会ったと
思うが、その「出会い」を大切にしていって
欲しい。最後に、私の実習先であった館の
学芸員の方が薦めてくださった本を一冊紹
介したい。小松茂美『平家納経の世界』
(中
公文庫)。現在その方とは仕事の話をしてい
る。四年前には思いもしなかった、これも不 2.15 拓本と古文書修復
思議な出会いである。
講師 埼玉県立民俗文化センター 渡政和
まずは拓本墨作り、オリーブ油を鍋で熱し、
松煙を煮とかし、火を止める。もぐさを入
2.14 実技実習と見学実習の巻
れてかきまぜ、墨をもぐさに浸透させる。オ
美術品の取り扱い 巻子と掛け軸
リーブ油ともぐさは後から足せるが松煙は
講師 センチュリーミュージアム 森住恵子 追加がきかないので分量に注意する。油を
Q:何をしたのですか?
新聞紙に吸わせ、出来た墨は密閉できる容
A:巻物と掛軸の取り扱いとキャプションづ 器に保存する。元々ある墨を、もぐさを入
くりを教えていただきました。
れるときに一緒に入れて作り変えることも
Q:巻物を広げてみた感想は?
できる。師匠・先輩から墨を分けてもらって
自分のものにすることもあるそうだ。墨は
作ってから 10 年たったものがよいとされて
いる。
次に拓本を採った。まず、採拓物より二回り
大きめの画仙紙を、表を上にしてのせる。水
を含んだ脱脂綿で、空気を抜きながら凹凸
に紙をうまく張り付ける。タンポに墨を付
け、別のタンポに取り直し、生乾きの紙面に
墨をのせていく。この時、紙が湿りすぎだと
墨がにじんでしまうし、乾きすぎると採択
物から外れてしまう。タンポは紙にこすり
つけず、ポンポンとたたくように墨をのせ
ていき、色むらのないようにする。拓本は
水を使うことで、墨がにじむ可能性もあり、
行うたびに資料が傷むものである。資料の
扱いには十分注意しなければならない。
最後に、資料の修理と表装の方法を教えて
いただいた。古文書の虫食いを実際に直して
みた。水にとかしたのりを資料の裏から虫
食いの周りに塗り、資料と同じタイプの和
紙を虫食いの大きさに合わせてちぎり、張
り付ける。のりは化学合成物質の入ってい
ないものを使って再修理が可能なようにす
る。その後、渡さんが裏打ちを実演して下
さった。いづれの場合も、水を多くつけれ
ば安全で作業はしやすいが、資料の傷みは
その分大きくなるということだった。
2.16
梱包と体験学習
講師 小山市立博物館 山田淳子
今回の実習では、資料の梱包作業を行った。
「ウス」と呼ばれる薄葉紙と綿で布団を作り、
それを使って資料を包んだのだが、思った以
上に難しかった。私が包んだのはお札だった。
一枚の紙を包むのに、ダンボールの板で挟
み、ウスや布団で覆って、ウスで作ったひも
で結ぶ。仕上がったものは、中身がたった一
枚の紙とは思えない大きさで、展示の際、何
枚もお札を使う時は大変だろうなと思った。
大きさに関係なく、資料である以上は真剣
に扱うという当たり前のことを、実際の作
業を通して改めて学んだ気がした。また、資
料を取り扱う上での注意点も、ふだん意識
しない細かいことや、当たり前だと思うよ
うなことがほとんどであったが、そういった
心がけが、資料を安全に扱う上でとても大
切なことだということも、実感することが
できた。
作業の後は、山田さんが勤めていらっしゃる
小山市立博物館で行っている、体験学習の火
おこしと、くるみ割りを戸外で体験した。昔
の人の生活ぶりを、楽しみながら学ぶこと
ができた。展示を見るだけではなく、実際に
やってみることでよりよく分かるので、体験
学習というのは良い企画だと思った。同じよ
うに、実技実習も、今まで話に聞くだけだっ
た学芸員の仕事に実際に触れることを通し
て、より多くのことを学べる場だと思った。
2.17
創形美術学校修復研究所
修復研究所概要
1964 年、すいど−ばた美術学院プロフェッ
ショナルコース造形科に材料研究室として
創設された。1972 年、プロフェッショナル
コースは創形美術学校と改称され、独立し
た美術教育専門機関として国立市に移転し
同時に材料研究室も修復研究室と改称した。
1979 年、創形美術学校修復研究所と改称し、
西池袋に移転し現在に至る。
業務内容は、1. 絵画作品の修復、2. 絵画作
品の状態調査と光学的調査、診断の記録作
成、3. 絵画作品の損傷原因の解明、修復技術
の研究、4. 絵画技法、材料の分析及び研究、
5. 絵画作品の保存及び技法、材料に関する
相談・助言・指導、6. 研究所報告の発行、7.
展覧会等の作品及び環境のコンディション
チェックの 7 点を行う。
この研究所では、これまでに、日本の各地の
美術館の所蔵作品の修復を行ってきた。近
年、美術館は増加する傾向にあるが、それ
に伴って修復の需要も高まってきている。
見学記録
説明してくださった木島隆康さんが技術研
修で留学したイタリアでは、養成学校に入
る為に、3 カ月にわたる試験(競争率 700 倍)
を通らなければならない。修復家は社会的
に認められた職業であり、数多くの修復家
(90 %は女性) がいる。このように女性が多
く携わるようになったのは、修復の方法論
ができあがってきたからではないかとの指
摘がある。
役立つだけでなく、再修復の際の資料にもな
り、修復例として将来へも向けられている。
見学後の感想
今まで授業を通して、作品自体については
あまり考えてこなかったように思う。作品を
展示し保存する学芸員にとって、修復家の仕
事は非常に重要なものであろう。
一年間の見学実習を振り返り、今回の見学
は学芸員を違う視点から見直す機会になっ
日本では修復に関する公的な機関はほとん たといえるだろう。
どない。修復家がいくつかの美術館にいる
が、コンディションチェックだけであったり、 2.18 実習 I 訪問館と担当リスト
人手不足から展示業務を手伝わなければな
• 明治大学刑事博物館(5 月 17 日)明治
らず、修復の仕事に集中できる場所自体が
大学商品陳列館、明治大学考古学博物
少ない。日本でも、修復事業に関して、積
館、東京都千代田区神田駿河台 1-1
極的に乗り出す必要があるだろう。
スライドを用いた説明によって修復作業の
工程を知ることができた。古茂田守介「踊
り子達」はアトリエの火災時に被害を受け
た状態のまま置かれていた作品のうちの 1 点
である。通常の油絵の修復は、「経年劣化・
技法上の欠陥・不適当な保存環境・人為的な
扱いの失敗などを原因として、作品そのも
のの健全な維持管理ができなくなった場合」
に行われるものである。しかし、この被災し
た作品は特殊で、適切な処置を探しながら
行わなければならなかった。そのようなこ
とを相談し、試しながら作業することはお
もしろく、だからこそ仕事を続けていける
のだと話されていた。修復作業というのは
非常に緻密で根気のいる作業で、オリジナ
ルと修復との違いがわかる補修の仕方でな
ければならない。作業を進めていく上で必
要となるのはそれまでの経験や知識だ。ま
た経験がなければ、作品ごとに適した処置
を判断することはできない。修復家の方々は
仕事に自信と誇りを持っている。
修復過程の中では、多くの記録が残される。
研究所に持ち込まれた作品に対する、写真
撮影や数量サンプルの化学分析などの状態
調査記録が、その作品の作業を進める上で
• 虎屋文庫(6 月 7 日)、東京都港区赤坂
4-9-22
• 五島美術館(6 月 21 日)、東京都世田
谷区上野毛 3-9-25
• 川崎市民ミュージアム(6 月 28 日)、神
奈川県川崎市中原区等々力 1-2
• 石川県立美術館(9 月 12 日)、石川県
金沢市出羽町 2-1
• 石川県立歴史博物館(9 月 12 日)、石
川県金沢市出羽町 3-1
• 創形美術学校修復研究所(11 月 29 日)、
東京都豊島区西池袋 4-8-20
• (明治班)石川真由美、岡田典子、佐々
木創、渡部朋美
• (虎屋班)新井浩恵、塩川葉子、中野
祥子、渡辺賢
• (五島班)菊池則行、齋藤美由紀、宮
平佳奈、山形晃子
• (川崎班)氏家達哉、小川淑恵、福井
優子、松井夕佳
• (金沢班)猪野義信、大庭由起子、長 企画展の協賛・共催団体の名はしっかりと列
田聡子、佐藤樹里、佐藤亨子、鹿野詩 挙しておくこと。そうすると、意外な趣旨
乃、田中千絵、藤倉千夏、蓮花行嗣
や展示事情が別の形でみえてきます。
• (掛軸班) 新井浩恵、福井優子
• (拓本班) 大庭由起子、佐々木創
• (梱包班) 塩川葉子、中野祥子
見学記という側面もある割には、具体的な
学芸員の態度や言葉、主張への指摘が少な
い人が多いのが気になります。正確に発言
を記録するのも技術です。自分が感じた要
約だけでは不十分です。
• (修復班) 齋藤美由紀、石川真由美 詳細な参観時間や説明時間、スケジュール
割りなどが欠如しているのが多いのも気に
なりました。展示解説ではどれくらいの言
2.19 実習 I を担当して
葉の量や間が、適当であったのかなど、もっ
と自分自身が学芸員となって、原稿を作った
武蔵大学 丸橋珠樹
りしゃべったりすることを想像してみてくだ
私が担当した本年度の実習では、1. 訪問実
さい。
習にあたっては訪問館や特別展の内容調査の
他に二つくらいのテーマを持って事前研究を 訪問館には、工夫したパンフレットなどが山
行うこと、2.「コンピューターは文房具」を 積みです。入り口付近にある無料パンフレッ
合言葉に新しい手段を気軽に使いこなすこ トの収集やその周辺の資料への具体的な記
とを目標としました。テーマを持つことで、 述が少ない。学芸員から配布してもらった
多様な視点をもって館選択を行え、学芸員課 パンフレットそのものを十分読みこなして、
程の専門科目の講義内容をも生かせると考 その内容と工夫に注目したコメントがほと
えたからです。報告書作製は、実習 の大き んどないのも気になります。
な課題の一つですが、編集作業とコンピュー 夏の研修旅行では、石川県各地の美術館、博
ターを使った DTP を体験しようというのが 物館、資料館などに資料の送付依頼を出し
ねらいです。この報告書の版下は、TeX で て、できるだけ情報を集めてみました。約
作成されています。組み版から版下まで、学 80 館から資料を送って頂きました。武蔵大
生が製作しました。もうひとつ、訪問実習や 学の先輩である金沢在住の岡能久さんから
実技実習は、大学の外で多くの方々の助けに は、輪島の塗師、惣領誠司さんを紹介してい
依っているわけですが、知力足りて礼節を知 ただきました。石川県立美術館からは、開館
当時からの出版活動のほとんどすべて、60
るも大切な目標としました。
実習 ・ で最も大切なのが実習ノートで 数冊もの展覧会図録、年報、研究報告を学
す。私達の第一回訪問実習後の、クラス全 芸員課程に寄贈していただきました。一つ
員のノートを読んでのコメントのいくつか の美術館の活動の全貌を知ることができる
です。これから履修する学生も実習ノート 類希な資料として大切に活用していきます。
資料請求のお返事をメイルでいただいた館
を創る際のこつにしてください。
自分史として、後で読み返して、自分の成長 もあり、新しい時代のうねりを感じさせら
が確かめれるノートをめざしましょう。積み れました。
重ねれば個性と力量が歴然としてきます。実
習 では、このノートを実習館の学芸員が
見ますし、思わぬ評価につながり、就職に直
結することもありえます。
最後にうまく行かなかったことをいくつか。
近頃の学生気質なのか、何かの担当や決定
でのオープンな議論があまりに少ないのに
はいささか驚きました。面接では、あれほど
熱心に受け答えしていたのに。全ての学生
が時間に正確というわけではなかった。時
間厳守は、人と出会うことが財産の学芸員
の基本です。一番残念だったのは、実技自習
の教材が活用されなかったことです。実技自
習に欠席した学生が棚から出してくれるだ
ろう待っていた教材たちは、棚の暗闇できっ
と涙したことでしょう。ともあれ、課程での
体験が、学生達の長い人生の中で生かされ
るよう願ってやみません。
3
3.1
実習
∼実務実習を終えて∼
日本の博物館の現状
国立民族学博物館名誉教授 中村俊亀智
この春、ある美術館が閉館するという。古
文物から現代美術、現代デザインまで、意
欲的な活動を続けてきた美術館。いま最も
人の集まる場所のビルの上階にある美術館。
それが親会社の都合なのか、館自体の状況
が思わしくなかったのか。とにかく私自身、
もっと利用しておけばよかった。
ておきなさい、そのうちに役に立つから」と
言って下さった。
学芸員、研究員の部屋は展示室の横にあり、
何かあったらすぐ出られる状態だったし、粗
末な研究室には訪れる人が絶えなかった。
今はどうだろう。展示場は警備の人、現場の
人に任せてあるからといって、学芸部は黙っ
ていられるだろうか。展示や収蔵の場所と
学芸部との距離がある博物館。それはこの
美術館だけのことではない。著名な建築家
の代表作と思えるりっぱな博物館でさえ、い
や、だからこそそこで働く人たちは不便に
耐え、ランニングコストに泣かされている
ところが少なくない。
ざっと四半世紀前。歴史民俗資料館が文教政
策の一環として各地に建てられた頃。新し
く建った資料館へいってみると、ある事務所
の名(実名は忘れた)が出てくる。なんでも
予算が通ると、どこで聞いたか「設計は私に
任せて下さい。専門ですから」と言ってくる
という。民俗文化財も、考古資料も、それま
での有形・無形の文化財とは違い、一般に大
量の資料を扱わねばならない。その整理法
も保存法もほとんど知られていなかった時
代。果たして使い易い施設・設備をどのよう
に考え出すのだろう。さらにそこで働く人、
使う人の話は「あなたは建築の方は専門で
はないでしょう」で片づけられてしまうら
しい。私は不思議でならなかった。
開館当時、私は早速行ってみた。飾ってある
のは名だたる名品。客の入りもよさそうで、
さすがだと思うとともに,そこの学芸員の
方に会いたいと思い、係の人に聞くと、
「こ
こにはおりません」との答え。一寸びっくり
した。少なくとも駆け足で 20 分はかかると
思われる、あるビルの上階に学芸員の研究 入れ物も設備も展示も情報処理も高度化し
たはずの博物館。不況下では注文も減少し
室や事務室があるという。
東京保谷の関東大震災後の復興事務所とし てくるだろう。こういう時こそ博物館で働
て某私鉄会社が使ったという巨大な平屋の く人の立場に立ち、建築に、展示業に、情
木造建築。雨漏りがして、決して立派とは 報処理に携わる人たちの手の内を勉強する
言えない建物の博物館(財団法人日本民族 つもりで建物・展示法・企画・収蔵の仕方に
学協会附属民族学博物館)。そこで私は現在 ついて、その道の人たちにどんどん質問し、
の専門と博物館の仕事を学んだ。中学三年 自ら調べ、自ら考えて再検討し、使い易く、
生の時に遊びにいったのが縁だった。研究員 働き易い博物館をめざして、改むべきは改
の先生や職員の人たちは珍しかったのか、質 め、新しい構想があればそれを生かす途を
問すると何でも丁寧に教えて下さったし、と さぐるべきではないだろうか。
ても読めそうにない洋書まで、
「これは買っ また、例え良い入れ物がなくても、入れ物
なしで博物館活動はやっているところもあ のことを自覚していないと博物館でとんだ
るし、考えるべきだと思う。国の行政もよ 「粗相」をしかねませんので、老婆心ながら
うやく方向付けがなされ、金融不安も一息 ここにそれを伝えておきます。
入れようとする当節。地方・地域の行財政も
さて、実習館の選定についてですが、これ
視野に入れつつ新しい博物館の方向を探し
には実習生各自の事前研究が必要不可欠に
出す。そこから新しい研究も生まれてくる
なってきます。この事前研究は単に実習希
に違いないし、それが博物館で働く人たち、
望館の研究を行うものに留まりがちですが、
博物館をよりよく利用する私達に科せられ
実際に博物館についての研究を始める前に、
た仕事ではなかろうか、いま博物館はそう
自分が博物館に対して何を求めているのか、
いう所にきている、そう思えてならない。
またどのような博物館が自分には向いてい
るのかなど、自分自身の博物館に対する「意
3.2 実務実習記録
識」の分析を行っておくことが望ましいと思
います。こうした作業は、就職活動でも同様
表 平成 9 年度博物館実習 実務実習館リ
のことを行うはずなので、一般企業への就
スト
職を前提としている人達にとっても決して無
平成 9 年度も上記のように実務実習を行うこ
駄にはならず、むしろ一石二鳥のことと思っ
とができました。武蔵大学学芸員課程では、
て然るべきでしょう。このような作業を行っ
1982 年から 1997 年までの 16 年間に、実務
た上で実際に実習希望館の検討を行うと、今
実習を行った学生の総数は 348 人、実習館の
まで漠然と「どこにしようかなあ?」と思っ
総数は 116 館となります。これらの館での実
ていたものが、
「ここだ!」と明確に考えら
習経験は、学芸員を目指す私たちにとって貴
れるようになると思います。
重な財産となっております。本学の学芸員課
程が発展しているのは、これらの館ならび 実習希望館の研究では、今までに自分自身
に学芸員の方々の御尽力の賜物だと深く感 が得た「情報量」がものを言います。自分が
謝を述べるとともに、今後とも、より一層 実習を希望している博物館では実習生の受
け入れがあるのかどうか、実習の期間はい
の御協力を御願いいたします。
つからいつまでか、性差や住んでいる地域
或いは所属する大学によって実習が受け入
3.3 実習館:中野区立歴史民俗資料館
れられないことがあるか、自宅から希望館
人文科学研究科 2 年 藤岡貴介
までの距離・所要時間はどれくらいか、実習
実習館決定の前段階として
のカリキュラムはどうなっているのか、実習
実習 では博物館において実務実習を行い の内容は講義中心か実務中心か等々、様々な
ますが、この実務実習はあくまで「実務実 項目についてその「情報」を多く持っている
習のようなもの」であって、学芸員の方々の ことが望ましいと私個人は思います。このよ
仕事の一端をわずかながらも体験するとい うな「情報」−すなわち予備知識は、実習
うのが現実です。そしてまた実習生の受け での見学実習は勿論のこと、普段の個人的
入れは、博物館・美術館にとって日常の実務 な博物館見学の時でも多少なりとも得られ
に支障をきたす「迷惑なもの」であるとい るものですし、各博物館から発行されてい
うことも実際問題としてあります。これら る紀要などからも得ることができます。ま
のことは実習前の諸君等にとっては「うる た学芸員課程室をフルに利用するのも一つ
さいな」と思うことかもしれもせん。しか の手です。課程室内にある資料や、課程室
し、同時に非常に大事なことでもあり、こ に出入りする先生方・先輩方から参考とし
てお話を聞くのも良いと思います。このよ
うに機会を充分に活かしながら「情報」を
得るということは、学芸員課程に限らず他
の活動においても役立つはずなので、こう
した積極的な姿勢は是非とも持っておきた
いものだと思います。
以上、実習館決定に至るまでの過程につい
て文を進めてきました。上にあげた作業は
私自身が実際に実習館の選定にあたって行っ
たもので、これが本当に良い方法かどうか
は分かりません。ただ、これくらい入れ込
んで実習館を選定すれば、実習がおろそか
になるということは恐らくないと思います。
そしてこのようなことは実習館決定間近に
なってから考えるというのではなく、学芸
員課程履修生としては常々考えていて良い
ことだと思います。また事務的な面におい
ても円滑に話を進めることができ、一挙両
得というものです。
そして最後にもう一つ。
「自分で選定した実
習館で実習を行う」−このことの持つ意味
と責任を自覚して実習にのぞめば、より深
くまた豊かに学べることと思います。
3.4
実習館:羽村市郷土博物館
欧米文化学科 4 年 倉林恵美子
家から近い小さい館。それが実習館を選ぶ際
の基準だった。毎日通うこと。お互いの十分
な意志の疎通。この二点を考えてのことだ。
はじめは美術館で探したが、上の二つを満
たした所とうまく折り合いがつかなかった。
早く実習館を決めなければと焦っているう
ちに、別に美術館にこだわる必要はないの
では、と考えるようになった。そこで地元
の羽村市郷土博物館に実習受入れをお願い
した。美術以外の分野にも興味があったし、
郷土博物館ならではということが学べるか
もしれないと思ったからだ。
それが二月中旬。依頼したその日のうちに
面接を受けた。面接ではやはり専攻の違い
が多少ひっかかった。館が美術専攻の私に何
を与えられるのかという理由からだ。しか
し最終的には本人が納得していて、やる気
があるのならと承諾してくれた。
次に呼ばれたのは実習の約一ヶ月前。ここで
実習の詳細を知らされ、市の歴史に関する
本や館の紀要、学芸員や博物館についての
事前アンケートが配られた(これとは別に、
実習最終日にもアンケートを提出)。六冊の
本を前にしてようやく実習への実感がわく。
そして、ついに実習本番。期間は十一日間。
内容は講義、寄贈資料のクリーニング、基本
カード作成、キャプション作り、体験学習会
運営、受付業務、拓本採取、資料撮影、古文
書・掛け軸・巻物の取扱い等々。
特に印象に残っているというか、忘れられな
いのは資料のクリーニング。これは実習の大
きな部分を占めており、体力的にも結構きつ
いものだった。基本的には寄贈された民具の
汚れを水とタワシで洗い落とすというもの
だ。その際には墨字や塗料を落とさないよ
うに注意しなければならないし、展示する
ことを考慮に入れて、どこまで汚れを残す
か決めていかなければならない。資料によっ
ては錆止めも必要だ。しかも、後ろには洗わ
れるのを待っている資料が大量に控えている
のである。最初はともかく、何日も続くとさ
すがにため息が出てくる。けれども非常に
貴重な体験をさせてもらったと思っている。
博物館はこうした地道な作業の上に成り立っ
ているのかと身に沁みて感じることができ
たからだ。
現場ならではの声もしばしば聞くことがで
きた。中でも強く残っているのは、担当学
芸員さんが「学芸員は雑芸員であればある
ほど楽だ」と言っていたことである。今ま
で私は、
「雑芸員であること」をネガティヴ
にとらえていた。しかし、そうではないと
いう。確かに実働は増えるけれども、その
かわり様々な経験を積むことができる。そ
れはあとで必ず活きてくるというのだ。問
題は、それらを関連づけていく力だと言う。
既にあるものをいかに関連づけ、一つのも
のにしていくか。こうした応用力は、博物
館で働く上で必要になってくるという。そ
う言われてみればそんな気もする。展示を
例にとっても、まったく同じ資料を使って二
通りも三通りも、場合によっては百通りもの
展示ができてしまうかもしれないのだ。自
分の力量次第でどんどん可能性が広がって
いく。当たり前のようでいて実はすごいこ
とだ。学芸員というのは、私が思っている
よりずっと大変でずっと面白いものなのか
もしれない。
3.5
実習館:台東区立下町風俗資料館
社会学科 4 年 嶋田りほ
実習館と決定までのプロセス
一昨年の 11 月に行われた実習 報告会で台
東区立下町風俗資料館(以下、下町風俗資
料館)における実習を知り、大変興味を持っ
た。下町風俗資料館では実際に実習生が展示
を計画するなど、とても充実した実習がで
きそうに思えたのである。また、それ以前
に個人的に下町風俗資料館に行って、展示
に興味を感じたり、障子に触れていて、さ
さくれが手のひらに刺さった時に職員さん
が親切に手当をしてくれて好感を持ったこ
とも、ここで実習をしたいと感じた動機の
ひとつだ。実習 報告会の翌日、実習 で
下町風俗資料館を見学することになってい
たため、見学時に実習 をさせていただき
たいと申し込みたいと思い、大窪さんにそ
のことを相談した。すると、大窪さんが瀬
田先生にそのことを頼んでくださり、館に
は先生から学芸員さんに話してもらったの
である。そうしたら、意外なことにその場
で、実習をすることが決まってしまった。
下町風俗資料館の特徴
下町風俗資料館の特徴は、大きく分けて、展
示面と立地面の特徴が考えられる。
展示は、来館者に下町の庶民生活や風俗を
体験し、実感してもらうことを目的に、独自
の展示をしている。一番の目玉は、下町の風
景を実物大で復元した展示だろう。大正 12
年(1923)の関東大震災で失われた風景(特
に長屋)にこだわり、駄菓子屋と銅壺(どう
こ)屋が入っている長屋とおみくじ、小さな
稲荷があり、洗濯物が干されている路地、た
らいと洗濯板が置いてあるポンプ式井戸な
どを全て実物大で再現している。お店にあ
がりこんだり、たんすを開けたりするなど、
展示に自由に触れられるのがうれしい。
立地面では、下町風俗資料館は上野公園内
の、不忍池のほとりにあり、来館者も多い。
外国人も来るので、パンフレットには英語
版、仏語版が用意されていて、館内のあち
こちに置かれている展示解説のプリントも
英語版がある。
実習の感想
物事を実感することの難しさ
物事を実感することは大変難しい。そのこ
とについて何度も見聞きし、自分で考え想
像しないと実感できない。例えば、長屋の
展示にただ上がりこんで物に触れるだけで
は、昔の生活を本当に実感するのは難しい。
触れたものにどういう役割があり、なぜそ
こにあるのか、当時の人々はいつ何をして
いたのか、そこまで知って想像しないとわ
からない。
展示の大変さ
1 階の受付の前にある展示ケースの展示を任
され、学芸員さんの助けを受けながら約 1 週
間かけて計画から準備、完成までやった。そ
して、それほど大きくないケースでもこれ
ほど時間がかかり、展示には大変な努力と
根気がいると感じた。ものを並べて何を伝
えたいのか、どう伝わるか、見やすくて面
白い展示か、限られたスペースにどのよう
に並べるかなど難しい。また、作業では十
分にない模造紙をいかにうまく使うかも大
変であり、パネル作りなどは重労働である。
本当の展示ではケース内のみならず、壁も
あるので、それだけのスペースを埋める幅
広い知識が必要だ。学芸員は幅広く関心を
持つことができて、調べることに喜びを感
じる人でないと勤まらない。
学芸員の喜び
学芸員さんから昔の浅草の繁栄ぶりなどい
ろいろなお話を聞いたり、資料に触れたりし
て、多くの人々が滅多にできないことができ
るのは学芸員の醍醐味である。また、展示に
よって自分の仕事の成果が目に見える形で表
せるのも喜びの一つだろう。
3.6
実習館:日本民藝館
社会学科 4 年 倉品和枝
実習館として、民藝館を選んだのは、
「美の
基準の提示」という観点が貫かれているか
らです。私は、
「人にこういうことを伝えた
いんだ」というはっきりとした姿勢がある
博物館で、実習をしたいと考えました。実
習は、講義と展示替えを中心に行われまし
た。館側の受け入れ態勢は、とても寛容で、
収蔵庫の作業や、中国民間版画の採寸など、
実習生に任され、収蔵品を直に手にとり作
業を行いました。
講義では、学芸員の仕事・民藝館の運営・民
藝美論・海外での評価など、について行われ
ました。学芸員だけではなく、運営委員な
ど、さまざまな仕事をしておられる先生の
お話しを伺うことができました。柳宗悦の
思想が、館全体に浸透しているということ
がよく分かりました。
展示替えは、前半の実習生が展示した「染
め・三人展」の展示を撤収し、
「かご・ざる・
みの―編み・組みの技―」の展示作業を行い
ました。実習生は、大広間の、かご・ざる・
みの・ばんどり・しょいかご・み・かさ・くつ、
などの編組品 (へんそひん) の展示を行いま
した。来館者として訪れたときには、染色
品が天井から展示されているのをみて、感
心していました。しかし、それを撤収して、
しょいかごなどを一つ一つ高いところに展
示するのは、想像以上に大変な作業でした。
脚立に乗っての展示作業を経験し、
「高いと
ころにモノがあるということは、そこに展
示をしたヒトがいるからなんだ。」というこ
とを実感しました。
民藝館の展示の特徴は、モノの展示の仕方
にあります。創作活動という言葉が使われ
ることもあります。作業中、展示品がいろ
いろな場所に移動し、横に寝かされ、立て
られ、上下さかさまになり、角度がつけら
れ、向きが変り、同じものが二つ並べられ、
ほかのものと組み合わせて展示され、また
その組み合わせが変わり、あるいは、ひと
つで展示されていくのを何度も何度もみま
した。展示の組み合わせ、向き、角度ひと
つでも、こんなにいろいろな見せ方、見え
方があるものなのだということを学びまし
た。実際に、展示を行ってみて、細かい作業
の積み重ねなのだという事が理解できまし
た。展示作業は、肉体労働であると同時に、
微調整の繰り返しで、とても緊張するもの
でした。
実習で、民藝館に見学に来たときに、友人
が、
「独特な力が流れている。モノからでて
くる何か『気』のようなものかもしれない。」
と感想を書いていました。展示を終えた時、
この言葉を思い出しました。このような空
間を創る仕事の苦労と同時に、実際にモノ
に触れる事のできる喜びも理解できたよう
な気がします。説明を控えて直にモノをみ
る、という館の姿勢も、このような細心の
注意が払われてはじめて、生きてくるのだ
と思います。
実習の概略
5 月 27 日:実習受け入れの承諾。
面接では、作文に書いた、創立者である柳宗
悦の思想や、民藝館の活動を実際に体を動
かし、肌で感じたいといったことについて、
質問をうける。また、柳宗悦の著作につい
ての質問をうけた。
実習期間は、6 月 24 日から 27 日、9 月 30
日から 10 月 5 日の 10 日間。6 月 24 日から
27 日までは、12 名で講義と館務実習。その との大切さ、難しさがよくわかりました。私
後、6 名づつ前半と後半に分かれ、展示替え は大学で学芸員課程を履修していて、博物
の実習。
館、学芸員の抱える理想と現実を一通り学
んだつもりでした。しかし、実習という形
でいざ現場に入ってみたら、知らないこと
3.7 実習館:板橋区立郷土資料館
だらけでした。今の自分では学芸員にはな
日本文化学科 4 年 川端英子
れないと思いました。
実習館の選定
学芸員になりたい、もしくは学芸員ってい
地元の博物館教育はどのようになされてい いなと考えている人は少なくないと思いま
るのか知りたかったので、実家から通える す。でもそんなぼんやりした夢がすぐ叶う
博物館で実習を希望しました。しかし、ど ほど世の中甘くはないです。もし学芸員に
この館からも受け入れてもらえませんでし なるとしたら、どのような形でなりたいの
た。静岡県東部、中部の数館に連絡しまし か。学部を卒業してすぐなりたいのか、専
たが、実務実習の受け入れ自体を行ってい 門知識をさらに学ぶために、大学院に進学
ないところがほとんどでした。では下宿先 したいのか。博物館に勤めるとしたら、公
(東京都練馬区)に近い館で探そうと思い、 立がいいのか、私立がいいのか。自分は何
練馬区立郷土資料館・板橋区立郷土資料館・ をしたいのかをまずはっきりさせる。そし
板橋区立美術館等を考えました。練馬区立 て、夢を叶えられるよう自分なりに何かし
郷土資料館は今年度は実習を受け入れない らの努力をする。そうすれば、いい結果が
とのことであきらめ、最終的に板橋区立郷 出てくるのではないでしょうか。博物館ボ
土資料館か板橋区立美術館かどちらかでお ランティアをやってみる、ゼミで活発に発
願いしてみようと思いました。結局、美術館 言してみる、学芸員課程をもっと充実した
の方は、私の学芸員課程における専攻が歴 ものにしたいなら、自分たちの問題として
史だったため受け入れてもらえず、郷土資料 もっと真剣に受け止め、行動をおこす。そん
館で実習させていただくことになりました。 なことを一つ一つすることで大きな成果が
実習館決定までの活動のプロセス
出せるのではないでしょうか。
地元の館には私が直接電話をかけました。板 実習の内容
橋区立郷土資料館・板橋区立美術館について 言葉で言うと、大した事はやっていないよ
は、大窪さんが電話してくださいました。板 うに思えるかもしれませんが、慣れないこ
橋区立郷土資料館は毎年といっていいくらい とをやったので、私はまごまごしてばかり
武蔵大生を受け入れてくださっている館のた でした。
め、電話したら即決定したといった状態でし
た。12 月には決定していたと思います。
実習を終えて
3.8 実習館:浦和くらしの博物館民家園
学芸員資格を取ること一人前の学芸員とし
て働くことでは本当に大きな差があると感 日本文化学科 4 年 小平奈央
じました。私が人一倍不器用なせいもありま 実習館を選ぶ基準
すが、頭でわかっていても、体がついていか 自分のやりたいことができる館を選ぶこと
ないということがよくありました。学芸員 が大切。館によって実習内容が違うし、
の仕事は思っていた以上に地道な作業が多 私はその館が何を目玉にしているかで決め
かったです。作業の内容も本当に様々です。 た。
多くの地道な作業を迅速に的確にこなすこ なぜその館に決めたのか
館の敷地内に畑をつくって、作物を育てて 自宅近くに存在してくれるのが適意であっ
収穫するハーベストクラブがあり、博物館 たという、全くもってフザケたものでした。
という枠組みにとらわれずに自由な発想で しかしながら、
“ 我が市(マチ)=埼玉県与
館づくりを進めていく姿勢に興味を持った。 野市 ”は、大宮市と浦和市に挟まれた一見何
また、
もない小市のようで、その実は、やはり何も
子供向けの講座が充実しており、子供にとっ ありません。よって博物館もないわけです。
ての博物館とはどのような存在なのかとい そこで、隣接都市の博物館群から選択した
うことをこの機会に考えてみたいと思った。 のが、交通至便な戸田市立郷土博物館だった
のです。
実習の内容(子ども向けの講座の補助)
子供 2、3 人に実習生が 1 人ついて教える。
個人的に館へと直接、実習のオファーに伺っ
子供達は思い思いに作っているが、その時
たのは、私の記憶が正しければ確か前年度
に遅い子供がいる場合、一生懸命自分でや
11 月の下旬頃であったと思います。その後、
ろうとしているのなら待つことは必要であ
12 月 17 日に依頼書、年が明けて1月 17 日
るし、立往生しているなら手をさしのべて
には推薦状・身上書といった書類が武蔵大学
あげる。
“ 助けてあげる ”のは“ 全てやって
(学芸員課程事務)から館の方へ送られ、承
あげる ”ことではなく子供が自分で出来る
諾書が送返されたのが 4 月 18 日のことで、
ように導いてあげることである。
これを以て戸田市立郷土博物館での実習が
拓本・資料整理、来館者調査
決定と相成りました。かくして、6 月 14 日
拓本・資料整理は、破損状況や材質等、資
の実習生全員を集めた館でのガイダンスを
料をまた違った視点からみることができた。
経て、7 月 12 日∼26 日の 15 日(実質 11 日
来館者調査は、どんな人がどの時間帯に多
間)に及ぶ実務実習がスタートすることな
く来ているのかということを客観的にみて、
りました。
講座や展示に活かしていくことができると
思う。この他にも、わらをうったり、七夕馬 戸田市立郷土博物館は、開館当初から教育普
をつくったり、マコモを刈ったり、実習生の 及活動、特に学校教育との連携(博学連携)
ための体験学習がたくさん用意されていた。 に特に力を入れており、例えば先駆け的に
話や本ではなく実際に体験することによっ 12 年前から指導主事を配置する等、全国で
て、学芸員以外の知識や経験も幅広く積む もエポックな存在であるそうです。それ故
「資料の取り扱い方」、
「展
ことができたと思う。この館で、実習して に、実習内容も、
みて、学芸員というのは、幅広く、奥深く、 示についての技法」という本来学芸員の業
何でも通用する仕事であると実感し、真の 務上知って然るべき技能の修得についての
学芸員になるためには、知識だけではなく 実践的実習に加え、同館を特色づける「教
育普及活動の取り組み方」の三つの内容に
様々な体験が必要であると実感した。
大きく分けられ、2 週間の期間(実質 11 日
間)で数多の実習が実施されました。私の
3.9 実習館:戸田市立郷土博物館
場合、殊、教育普及活動についての内容が
日本文化学科 4 年 北田建二
印象的でした。と言うのも、今まで、どう
実務実習館に関して私は、地元(近所)の博 しても“ 博物館=主に資料を研究・保管・展
物館を考定していたのですが、その理由に 示する場 ”というイメージが大きく、社会教
ついて言明すれば、朝っぱらから雨にも風 育施設としての機能は副次的なものとして
にも盛夏の砌の暑気にもメゲず、且つ毎日 捉えがちでした。ところが、今回の実習を通
「博学連携」の時代か
遅刻することなく通うとなると、実習館が して、現在はもはや、
ら「博学融合」の理念の構築へと向かいつ
つある状況下であることを教わり、博物館
が地域社会・学校と相互的関係を築き、蓄積
された資料・情報を教育普及活動として人々
に伝達していくことも重要な責務であると、
痛感した次第なのです。
館の『学芸員実習受入要項』に「学芸員の職
務のすべての分野を体験できるよう(以下
略)」とあるように、実習期間中、多岐に渡
る実習内容が用意され、懸命に取り組んで
きました。非常に充実した 2 週間で、得るも
のも多かったと思います。ただ今に至り翻っ
て検分すると、抑も「なぜこの館で、どのよ
うな目的で実習を受けるのか」というよう
な、強固なモチベーションに欠けていたよう
な気がします。そのためでしょうか、内容を
よく理解しモノにすること以上に、期間中
の多用なスケジュールを乗り切ることに多
くの労力が費やされてしまったという心残
りもあります。先述の通り、ナイスな実習
をして頂きましたが、さらに意に満ちた実
習にするには、自分自身の態度如何による
のです。例えば、実習生の中に大学で生涯教
育を専攻している人がいましたが、彼女は
「生涯学習社会における博物館の役割」とい
う自分なりのテーマをもって能動的に実習
へ臨んでいましたが、これも一つの有効な
アティテュードであると思います。何れにせ
よ、実務実習に際するときには、積極的な姿
勢で参加し、そうして学び取ったことを確実
に、後考に附していくことが肝要なのでは
ないでしょうか。
3.10
学芸員とキュレイター
国文学研究資料館 大西廣教授
人文学部で日本美術工芸史講義・演習を担当
していらっしゃる大西廣先生は、アメリカの
メトロポリタン美術館においてキュレーター
としてご活躍し、日本国内においても企画展
の監修をされたこともあります。そこで今回
は大西先生にアメリカの博物館及びキュレー
ターと、日本の博物館と学芸員についてお
聞きしました。本来は 2 時間におよぶロン
グ・インタビューですが、紙面の都合上、抜
粋させていただきました。アメリカと日本
の博物館の社会的な役割の違いが感じられ
るのではないでしょうか。
Q:アメリカのキュレ一夕ーというのは、日
本の学芸員と同じでしょうか。
A:キュレーターの仕事は、大きく言って三
つあります。 一つは展覧会の計画実行、二
つ目は作品の購入収集、そして三つ目が出版
なんです。これはメトロポリタンがキュレイ
ターの課題として設定しているものです。こ
の三つ目の出版というのが 日本の場合には
特に課題にはなっていないかもしれません。
カタログを見るとその違いが分かります。
Q:日本では、博物館概論や社会教育概論な
どの授業をとるんですが、アメリカにおい
ても大学でそういう勉強をするのですか。
A:そこが不思議なところです。ミュージア
ム・スタディーズというのが有るんですが、
これはそのまま訳せば、博物館学とか美術
館学ということで、日本のと似ています。と
ころがこれは、個々の授業ではなくて大学に
学科として、或いはそれ専門の学部として
あるものなんです。しかもキュレーターにな
るための学科ではないのです。キュレーター
になるには、美術なら美術史学科で勉強し
た人、それから歴史とか民俗学とか、それ
からナチュラルヒストリー、自然史博物館
とかありますよね、そういうものにはそれ
ぞれの分野の学部で勉強した人がなるわけ
です。で、一方ミュージアム・スタディーズ
というのは、むしろ博物館の運営のための
スタッフになる人たちのためのものなんで
す。これが日本にはないんですね。これは
実をいうと博物館の仕組みに関係がありま
す。日本の学芸員の人達からよく、外国の、
特にアメリカの美術館と比べて、一種の不
満というか改善しなければいけないと思っ
ている点を聞かされることがあります。そ
れは学芸員以外の、美術館・博物館の運営に ン」と呼んでいますけど、直接物を扱う専
関わる、専門の訓練を受けたスタッフがい 門のスタッフがいるんです。それからカタ
ないということです。
ログを始め、パブリッシングのためには専
門部局が有ります。
Q:違いを詳しく説明して下さい。
A:第一に、財政面。これは社会の違いが大
きいですね。日本の場合は、博物館、美術館
が大体まあ決まった予算を持っていて、それ
で作品を購入するとか展覧会のための費用
を出すとかしますね。でなければ貸し会場
になっている。ところがアメリカの場合、ほ
とんどがそういう決まった予算で動く国の機
関ではないですからね。ワシントンのナショ
ナル・ギャラリーをはじめとするスミソニア
ン・インスティテューション以外は、メトロ
ポリタンなども基本的には民間ですから。で
予算の中で仕事をするんではなくて、逆にプ
ロジェクト次第で予算を作るのです。だから
お金集めのための専門のスタッフがいます。
そういうスタッフの養成もミュージアム・ス
タディーズでやります。
さらに、展覧会一つとってみても、それに携
わるいろんな人がいるわけで、キュレイター
はその一部に過ぎない。例えば、作品を借り
たり、貸したりというそれ専門の「レジスト
ラー」というのがいます。。日本にもそれ専
門の人がいたら、研究とか展覧会の実質的
な計画に打ち込める!という風に学芸員た
ちが不満を持つところなんです。レジスト
ラーというのは、基本的にはそういう物の
管理、出し入れの管理を行うんです。日本
では、それも学芸員がやらなきゃいけない
ので大変なんですね
これは一例ですけど、他にもアメリカでは
展示の実務においても各種専門のスタッフが
います。確かに美術館の規模にもよると思い
ますが、メトロポリタンをはじめ、一応しっ
かりとした組織を持っているところの場合
には、例えば展示のための専任の「デザイ
ナー」とかがいるわけです。そして、キュレ
イターやデザイナーの下で仕事をする実務
的な、メトロポリタンの場合「テクニシャ
日本の場合だと外注方式で、そのための実務
をやはり学芸員がやらないといけないんで
す。学芸員が外の業者と仕事を進めていく、
つまり注文を出して、業者にやってもらう。
これは実はカタログだけの話ではない。例
えば、国内の大きな国立の博物館とかを除
きますとね、展示を自前でやっているところ
は少ないんじゃないですか。どこがやってい
るかというと、日通とかヤマト運輸という
運送会社に立派な美術部があって、他の関
連業者と共に、展示の実務まで相当部分を
担当している。貸し借りだけじゃないんで
すね。だからね、皮肉な話ですけども、学
芸員はそれに任せてしまうということも起
こっちゃうということですよね。自分たちは
物に触れないですべて任せてしまうという
ことにも成りかねない。もっともアメリカ
のには逆の意味で似た状況がある。テクニ
シャンや「コンサーヴァター(修復家)」に
お任せで、物の扱い方を知らないキュレイ
ターもたくさんいますから。
Q:アメリカで仕事を分ける理由は?
A:美術館・博物館は物を管理する単なる倉
庫ではない、総合的な社会教育の場だとい
うことでしょうか。そのための各種専門ス
タッフが必要になる。日本のと違って、アメ
リカでは展覧会の果たす社会教育の役割が
比較にならない程大きいと思うんですよ。そ
の端的な一例ですが、文字通りの意味での
教育部門がすごいんです。子どものための
教育がその一つですね。これは美術館の中
でしょっちゅう学校をやっているんですよ。
いろんなプログラムを作って宣伝して、そ
れも専門の広報部門があって盛んに宣伝し
て、いろんな学校から参加してね。一つの
展覧会を立ち上げるとしたら、早い段階か
ら計画し、プログラムを組んで。僕も何度
か経験がありますけど、自分が計画した展
覧会について、専門の部門から相談を受け
て、それでスケジュール組んで、レクチャー
をするとかやります。詳しいスタッフの数
とかは僕は知らないんですけども、相当規
模が大きいと思いますね。で、そういう部
門が子ども向けはもちろん、一般の人に向
けた講演会も盛んにやってますね。その他、
音楽会を催したり、パーティーを開いたり。
パーティーも教育の一部です。そして、そう
いうプログラムは広報部がいつも報道機関
に知らせる。また、ミュージアムカレンダー
と呼んでますけど、要するに毎月の今何やっ
てますということを常にわからせるパンフ
レットになっていて、それを定期的に出し
ているわけですよ。行ったら必ずそれを貰
えます。
Q:日本の博物館にもありますが。
A:そうですね。段々充実して来ていますね。
で、メトロポリタンの場合なんというか商
売も熱心だから、同時にミュージアムショッ
プで儲けて、お金を作って、ほかにもいろい
ろ寄付も貰って、いろんなプロジェクトに注
ぎ込む。基本にある思想は、僕は本当に痛感
したんですけども、
「予算があります、さあ
使いなさい。」ではないんです。まず、プロ
ジェクト。そのためにお金を作らなくてはな
らない。ですから、展覧会や出版を計画する
場合はもちろん、作品を購入するんでも、す
ごく訴えなくてはならないんです。これは学
芸員に求められる一つの大きな要素なんで
すね。それでキュレイターで作る委員会から
始まって、運営面での委員会、そして全体の
理事会へと次々と訴えていってね、納得させ
ていく。意義のあることだと分かったら、お
金を作る部門(ディヴェロップメント)が動
き出すということです。
つかある。この作品をなぜ必要とするか、も
ちろん芸術的価値が高いものであるとか、歴
史的に重要なものであるとか、いろんなこ
とが全部あった上にですね、これによって
この美術館のコレクションがいかに独自性
が出せるか。つまり同じようなものがあっ
てまた買うというのではなくて、その作品
があることによって加わっていく付加価値を
特に強調することが求められますね。それ
からもちろん将来の展覧会計画や出版計画
にそれがどのように役立つとかですね。そ
れを全部チェックポイントとして訴えていっ
て、納得させる。それはもう大変なことで、
すごい努力がいることなんです。結構タフ
じゃないとできない。だから、そうですね、
日本の学芸員も日本の美術館にいていろい
ろ組織面なんかで不満とか不平があるとい
うことを、どんどん訴えていく必要がある
と同時に、他方でそういう努力をすること
も大切なのかもしれませんね。で、そういっ
た努力をして成果が生まれると、すごくや
り甲斐があるんですね。いいものを見つけ
た、それを是非購入したいと思う場合でも
ですね、それだけの努力を重ねていってやっ
と購入できるというときの達成感と言いま
すか、やり甲斐はね、非常に大きいものが
あります。
Q:資金調達のことなんですけども、日本の
博物館とかは、たまに友の会とかを作るの
ですが、同じような組織はありますか。
A:あるんですがそこがやはりまた大分違う
んですよ。
「フレンズ」というのですが、こ
れはまた社会の違いってことになってしま
うのか、アメリカって日本から見れば、あ
る意味で信じられないような階級社会なん
だと思うんです。そのフレンズは、何階級に
も分かれているんですよ。比較的少ない金
Q:たとえば絵を購入するにも明確な目的を 額を出せば、特典として自由に入場できる
持って、購入しているわけですね。
などから始まり、金額によって特典が違うわ
A:理想的にはそうです。ですからそのため、 けですよ。例えば、美術館の上のほうに特設
ちゃんと訴えるための基本的なポイントが幾 の豪華なレストランがあるんですが、そこ
を利用できる。しかもそれが、ある金額の人 博物館というところは。例えば、教会にあっ
にはランチだけ、ある人はディナーというよ たものは教会から剥がして博物館に来るわ
うに。
けですね。で、そのことによって、いわば
博物館や美術館が歴史を捏造してしまうと
Q:最後に来年の学生に向けて一言。
いうことがあるわけです。でそういう、常に
A:博物館、ミュージアムというものに明ら
良かれ悪しかれ博物館・美術館が歴史を再構
かに、二つの側面があると思うんです。一
成することで、歪めたり、拡大してしまった
つは、博物館でなければ、これだけのもの
り、方向を変えてしまうということも常に起
を集めることが出来ないと言う点。いろん
こっているということを、ーつまり全く逆の
なものがそういう意味では出会うわけです。
ようだけども、出会いの創造性ということ
勿論、
「人」と「物」も出会うけど、
「物」と
と歴史の捏造というものがいつも行われる
「物」も出会う。そういう博物館で初めて出
という、その両方の可能性にいつも意識し
会うものが、生み出す創造性。そういうもの
てもらえるといいと思いますね。
に夢を持ってもらいたいということが一つ。
(取材:渡辺賢、鹿野詩乃)
そして、その反対のことのようなんですが、
それによっていわば歴史的なコンテキスト
から、剥がされたものが来ているんですね、 3.11 実習 実務実習館リスト
表 平成 9 年度博物館実習
実務実習館リスト (table4.tex)
欧米文化学科
小林美冬
秋庭リン
伊藤亜紀
倉林恵美子
小山瑠璃子
齋藤智恵子
勅使川原明子
橋田亜美
土方美和
山口真樹子
日本文化学科
安部麻由子
海保巳巳
川端英子
北田建二
黒澤由香
後藤香苗
立花利枝子
豊田望
古市恵子
社会学科
小関綾
倉品和枝
小平奈央
嶋田りほ
大学院
藤岡貴介
科目等履修生
岡野麻子
4
分野
美
美
美
美
美
民
美
美
美
美
弥生美術館
東京ステーションギャラリー
千葉市美術館
羽村市郷土博物館
練馬区立美術館
行田市郷土博物館
古代オリエント博物館
東郷青児美術館
弥生美術館
笠間日動美術館
歴
歴
歴
歴
美
民
民
歴
民
埼玉県立博物館
羽村市郷土博物館
板橋区立郷土資料館
戸田市立郷土博物館
畠山記念館
板橋区立郷土資料館
くにたち郷土文化館
明治大学刑事博物館
新宿歴史博物館
民
民
民
民
世田谷区立郷土資料館
日本民藝館
浦和くらしの博物館民家園
台東区立下町風俗資料館
民
中野区立歴史民俗資料館
美
埼玉県立近代美術館
座談会
「武蔵の学芸員課程を考える」
博物館実習
履修生主催座談会
とき:平成 9 年 11 月 26 日(水)
時間:16 時 30 分∼19 時
場所:武蔵倶楽部青山ホール 2 階
座談会
ここ何年かで、少しずつ定着してきた座談 座談会の参加者、記念撮影
会ですが、今年のテーマはズバリ「武蔵の学 参加者
芸員課程を考える」というわけで、他大の学 1 年生 岡田まどか・神田真由美・田中文・
芸員課程についても触れながら武蔵の学芸 堀越恵三乃
員課程をいろいろな視点から切っていこう、
という気持ちで、担当者はこの会に臨みま
した。他大の課程と比べながら改めて武蔵
の課程の特徴についても気づかされたひと
ときでした。
2 年生 小島香・古賀優子・成川恵理砂・野
口晶子・星野涼子・三浦宏美
実習 履修生 猪野義信・佐々木創・藤倉千
夏・松井夕佳・宮平佳奈・渡辺賢
実習 履修生 岡野麻子・倉品和枝・藤岡貴
介・豊田望
担当班
司会 佐藤亨子・菊池則行
記録 佐藤樹里
写真 長田聡子
Spetial thanks
実習 担当 丸橋珠樹教授
実習 担当 瀬田勝哉教授
学芸員課程事務 大窪博子さん
かその周辺の部分(この時は源氏物語に関
する展示だったのでそれについてとか)を
調査した上で行ってみようということで。
〔見学実習に行ってみて〕
渡辺
虎屋文庫ですね。ちょうど浅田さんという
武蔵大学の OG が学芸員をなさっているの
で、仕事内容から、どういうところが困る
かなどいろいろ質問しました。そういうこ
とを聞けることは実際の見学実習で自分た
4.1 Part1 武蔵の学芸員課程の特徴って ちにとってはプラスになるし、仕事をみて
いけばどれだけ自分が学芸員に向いている
何?
かとか判断材料になる。世の中に職業なん
課程の歴史
ていっぱいあるんだから、そういうのを見
瀬田
極める期間として実習 ・ を使っていただ
学芸員課程って言うのはこうでなくちゃい
けると僕はいいなと思います。
けないっていうもんはないわけね。文部省
宮平
で決められた単位を満たせば、あとはどう
五島美術館では去年「牧谿展」ていう特別展
いう特徴のある課程をそれぞれの大学が作
があったんです。日本に有名な作品が多いん
るか自由なんです。武蔵では当時の担当者
だけどそれを全部集めて展示をしたことは
の条件から、見学実習という形で見学に重
なかったんです。が、(学芸員の) 名児耶さん
点を置こうということになった。初めは見学
がすごくがんばってその特別展を開いたって
者がすごく多かったのね。1 日 2・3 館回るっ
いう経緯を誇らしげにお話しして下さって、
ちゅう大変なことで、実際中身よりも移動
学芸員という仕事の大変さや、やりがいを
時間に追われて。それを予習復習も含めて、
感じることができた実習でした。見学実習
もう少し中身のあるものにしましょうと 1 日
ではもちろん、博物館ごとの展示の方法や
1 館にした。こういうふうになってきたわけ
理念も学んでほしいと思うのですが、その
ですね。で、その中で、実技も欲しいという
学芸員さんのものの考え方から学芸員とい
学生からの要求が出てきて、それも含めて
うものを考えてほしいなあと思いました。
だんだん変わってきたわけ。だから報告書も
ね、初めは全部教職員がやってたわけ。でも 菊池
それじゃ面白くないので 3・4 年前から、そ じゃあ、去年実習 を経験された藤岡さん、
れも実習の中に含めて学生にやってもらい どうでしょうか?
ましょうと。展示実習はできないけれども、 藤岡
報告書という形で学生の主体性で制作する 正直言うと実習 で行ったどの学芸員よりも
と。徐々に変わっていったんですよね。
実習 で担当してもらった学芸員の方が強く
丸橋
印象に残っているんです。僕が実習に行った
今年の見学実習では、事前研究に特徴があ のは中野区立歴史民俗資料館という地域博
るんですよ。館の特徴を理解する部分と、も 物館なんですけれども、そこにいらっしゃる
う 1 つか 2 つテーマを設けて見学しましょう 学芸員の方は大変厳しい方で、ものに打ち
というのでね。企業博物館ということでは、 込む姿勢というのが実習 で接したどの学
虎屋文庫を訪問したけど、和菓子のことと 芸員よりも強烈だった。自分自身に対する
自信ていうのも相当強く持っている。展示
では民俗もあれば美術も考古もあって、
「私
は民俗」とか言ってそれだけできればいいっ
てもんじゃない。本当に大事なのは、ものを
使ってどう見せていくか。より好みをしてい
るような段階でダメなんだ、というような
言い方をされてね、すごいと思いましたね。
目標があって、それがよく出たんじゃない
かと思います。原稿を依頼する際にも内容
を細かくお願いしたので、より私たちの顔
が見えるものになったと思います。
藤岡
学生が作った今までの報告書はいつも実習
の声がなくて実習 の報告書のようだっ
《このお話について「ものをどう見せるか たり、字体が不統一で読みづらかったり、そ
ということは専攻に関係ない」とおっしゃっ ういう分析や検討もして、その目標になっ
ていたのは博物館実習の実習館を決める参 たんです。作る過程は苦労があったんです
考になる、という意見がありました。》
けど、出来上がったものについては今まで
菊池
の中で一番いいと思っています。
では伺いたいんですけど、実習 に行く時、 菊池
実習 でやっておけば良かったこととかやっ ただやったことが列挙されてる他大学の報
ておいて良かったことはありますか?
告書と比べると、武蔵のは学生自身が自分
藤岡
達の課程について話し合ったり報告するな
見学実習が多かったのは良かったと思うこ ど、内容があって面白く読める。それじゃあ
とかな。一人で行って気付いたことをメモ 今年、僕達はこれまでのものを超えるよう
して、っていうのはいくらでもできるんで ないい報告書をいかにしてつくるか。どう
しょうけれども、みんなで行って復習の時 でしょう、猪野くん。
に他の人の話を聞ける。授業で聞けなくて
も、飲みに行ったりした時とか、電車の中
とか、いろいろ話せる。それがやっぱり一
番大きいことかな。で、もっとやっておけば
良かったなっていうのは、もっとみんなで話
をすれば良かったな、と。
猪野
3・4 年生
方針としては、実習 と のバランスに注意
しつつ、それから先の話、例えば武蔵ミュー
ジアムの会というのがあるんですが、これ
との関連など、いろいろな結びつきを考え
て編集を進めていく予定です。まぁ、あとは
来年出来てからのお楽しみということで。
うん、うん。(同感のうなずき)
菊池
座談会風景
この報告書なんですけれども僕達は選考に
通ったからこうやって 1 冊ずつ持ってるん
ですが、実際 1、2 年生がこれを見たいとい
う時は課程室に行くしか方法がないんです。
予算の問題もあるわけですが、特に 2 年生
は選考の前に目を通したいと思った時、もっ
と自由に見られればいいな、とか思いませ
んか。
〔報告書について〕
佐藤亨子
1 年の締めくくりとして、実習 の学生が報
告書を作るということになっています。さっ
き瀬田先生のお話にあったように、(他大学
のような) 展示実習はないけれど学生同士で
企画を出しながら作っているわけです。去年
やってみて、苦労された点や出来上がってみ 佐藤亨子
1 年生はこういう報告書があることは知って
ての感想など伺いたいのですが。
いましたか?
岡野
これ (96 年度の報告書を持って) を作る時に 岡田
“ 私たちの顔が見えるものを作ろう ”という 知りませんでした。
佐藤亨子
(笑) もっと大学が出来ることはどんどんやっ
そうですよね。あんまり気軽に見れる所に ていったらいいと思うんですけどね。そうい
置いてない、あると知っている人でなければ う学生とのやり取りの中で新しい価値を見
(しかもそれが課程室にあることまで知って 出していく。実際この課程がやってきてる歴
史もそういうものだと思います。
いないと)見れない。
堀越
どういう目的で作ってるんですか?
佐藤亨子
4.2
Part2 学芸員課程の就職はどうなの?
《学芸員課程を履修していると友人に言った
ら、じゃあ将来は学芸員になるんだねと言わ
れ、ドキッとしたことがあります。そりゃな
りたいんだけど、実際はそんな簡単になれ
るものじゃないんですよ。私たちにだって就
職は非常に厳しい、難しいというだけでよ
くわからないんです。》
〔武蔵の就職状況について〕
菊池
瀬田
次に就職の話に行きたいと思います。大窪
それはね、そう思うたら、君ら要望書出した さん、学芸員課程を卒業した人で現在学芸
らええのや。「予算をこう使いたいんです」 員として働いている人は何人くらいいるん
と。学芸員というのはいかに資金繰りの苦 ですか?
しいところで仕事をするか、君ら見てきた 大窪
でしょ?そこでどうやって何かを生み出して 学芸員の資格を取得した総数が平成 9 年の
いこうか、っていうことが彼らの仕事だとい 3 月現在で 315 名、そのうち 66 名です。で、
うことを僕は実感したから、我々も「学芸員 そこにいます豊田さんが学芸員になりまし
課程のお金の無い中からどうして生み出そ て、67 名となります。
うか、考えるのも学生の勉強やよ」というの 菊池
で、最初の金額から徐々に学長に交渉して、 大体 20 %くらいの人が学芸員になっている
「もうちょっと増やしてくれ」などとやって ということですね。
るわけ。部数もやっとここまできた。だけど 大窪
今度君ら読みたい!って言うんだったら、要 ええ。ただ厳密に言うと、
「何らかの」仕事
望書出して「もっと作って下さいよ」って言 に携わっているということですね。必ずし
えば、大したお金じゃないんだから可能だ も博物館、美術館、資料館に勤めるという
と思うんだよね。
ことではなく、関連する会社などにも就職
丸橋
しています。そのような部類も含め、また
「こんないいものがあるならもっと刷ってく 身分上の事だと嘱託なども含めてという意
れ」と言わせるように作ろう、というのがみ 味です。
なさんの力だし、逆に言えば「そういうもの 丸橋
があるんだったら見たい」という要望をクリ 学芸員の資格を取得する人のうち、実際に
アーに打ち出していかないとね。
「新しい道 学芸員として専門職で就職できる人は 1
はね、自分で押して開きなさい!」って、そ 〔学芸員になるには…〕
んなことだけ言っちゃいけないんだけどね。 菊池
その対象を考えると目的も変わってくると思
うんですよね。みんなで話したんです、
「こ
の報告書が図書館に入ってたらいいのに」っ
て。そしたら気軽に興味のある人が見れる
わけですよね。そのことによってまた内容
も目的も変わってくると思うんですよ。課
程自体の知名度を上げるというか、広告の
役割にもなるわけですよね。
実際に豊田さんはどういった経緯で就職が ね。最初から専任になるほかに、まず嘱託
決まったのでしょうか?
として数年間仕事してから専任になった人
もおるわけや。いろんなケースがあるから
豊田
僕は四国の神社に就職が決まりました。そ ね。だから就職に関してはね、学芸員とい
ちらには 1 年生の時から毎年資料調査で行っ うのは、普通の就職とはちょっとタイプが違
てまして、今年また 8 月の調査のときに「ま うよっていうことを知っておいた方がいい。
だ就職決まってないんですよ。どこかあり
ませんかね?」って話しら、「じゃあ、ここ
の試験受けてみたら・
・
・」と言われ、とんと
ん拍子にいきました。
大窪
ちにやっておいた方が可能性は広がると思
います。調査というのは、他大学の先生に
付いていろいろな仕事を手伝わせて頂いて
いたんです。自分の学校だけじゃなくて、他
のところにもいろいろチャンスがあれば行っ
てみて、可能性を探ってみるのは良いことだ
と思います。
菊池
佐藤亨子
それはあるよ。この頃、運搬屋は多いよね。
日通とかね。そういう形の就職もおもしろ
いとは思うけど、そういう人たちは企業的意
識の方が強いからね。やっぱり学芸員さんの
研究に対する情熱とか人に対してアピール
していこうという姿勢とはちょっと違うな。
けれども、資格を生かす方向としてはそう
いうのもあるってことやね。
私も先日、(美術商である) 思文閣見学に参
加させてもらったんです。資格を取った人が
ね、こういうところに入り込んでもすごく
良い勉強になるんじゃないかと思いました。
菊池
今までの経験の積み重ねが就職に結びつい 学芸員の職場は探せばまだまだあるんじゃ
ないかな、もう少し職場を広げてもいいん
たんですね。
じゃないかなと思ったんです。
豊田
そうですね。できることはなるべく今のう 〔学芸員の資格を生かす道は他にもある?〕
課程室で紹介してくれるアルバイトなんか
も可能性を作るひとつですよね。
猪野
学芸員として仕事に就くのではなくても、美
術専門の運送業とか、博物館で流すビデオ
をつくる映像制作の会社などに就職された
方は、学芸員の資格が就職採用の決め手なっ
たと聞いたのですが・
・
・。
瀬田
武蔵学園記念室がありますよね。僕はあそ
こで資料整理のバイトをやったことがあり
ます。普段の生活では扱わない、巻物に触
るとかいう体験ができたのは良かった。そ
れと課程の授業の先生から紹介で歴博 (国立 丸橋
歴史民俗博物館) でアルバイトしたこともあ 金沢の石川県立歴史博物館には多くのアル
ります。
バイトの解説員がいました。見ると家庭の
瀬田
主婦かなという感じの方が多いんですね。家
君らの手の届くところであればね、やっぱ 庭を持った後でも、学芸員の資格、あるいは
り実習の時に目かけられることや。実習の そういうことを学んだ経験を生かすボラン
時に態度が良かったとか、忘れないで挨拶 ティア参加もあるのかなと。就職という形
しに来てくれたとか、それから卒論のテー のこだわりだけじゃなくて生涯学習の中で
マが面白かったとかが重なってポンと (学芸 自分が学ぶ、そして自分を生かす場所を探
員として) 入った人もいるわけね。そういう していく、就職とはまた別のやり方もある
ふうに実習が生きた例もいくつかあります のではないかと思います。
〔1・2 年生の就職に関する質問〕
田中
私は 1 年生でぜひ学芸員課程を取りたいん
ですけど、でも学芸員になりたいという訳
じゃないんでよ。私は将来やりたいことが今
のところあって、それに役に立つという意味
で履修できたらと思っていて。そういう人に
はふさわしくない課程なんですか (笑)。
丸橋
(笑) いやいや、そういうことじゃなくて。学
芸員課程で学ぶことが自分の人生にとって役
に立つだろうということでみんな目指すわ
けだから。
「職業に就きたい」ということは、
面接ではみんな目標だと言うけども、そう
じゃなくてもっとクリアーに「この課程に
入ることが私にとってこういう目標につな
がる!」ということを言ってもらえれば。大
学として準備しているカリキュラムを履修
し、学業や実習を積めば資格は与えられる。
資格を活かすには、多様な道があると思い
ます。
役立つと思います。だから嫌いになることは
ないと思います (笑)。
菊池
今のことでちょっと僕の意見なんですけど
も、実習 を通して学生同士一緒に事前学
習とかすることもあれば、実際に博物館に
行って学芸員さんと交渉したりとか、お話
伺ったりとか、たくさんの出会いの一つ一
つが糧になった。学芸員の皆さんは社会に
出て厳しい状況の中で (仕事に) やりがいを
見つけて一生懸命努力されている方なんで、
そういう方のお話をうかがうのは、こう言っ
ては何ですけど、一種の社会勉強で、
「職業」
について深く考えさせられました。だから
学芸員という枠を取り払ってもすごいプラ
スにはなると思います。
佐籐亨子
私も「学芸員になりたい」ということはそ
んなに考えてなくて、いろんな学生ともっ
と話とかするチャンスが欲しくて学芸員課
程自体に興味を持って入ったというのが結
構強かったんです。だから専門のことをす
田中
るだけじゃなくても、まったく別のことを
(実習) 内容が実技とかで細かい注意ばかり
自分の中でメインに考えても結構楽しんで
を教えて頂くようなイメージで。私は博物館
いけると思います。
を観にいくのは純粋な意味で好きなんです
けど、そういうのが嫌いになっちゃうという 成川
か、あまり専門的になりすぎて、今のところ あの、心配しているのは、学芸員課程に入っ
学芸員などを目指していない者にとっては、 て学芸員を目指して一生懸命やっていくか、
苦痛という言い方は変ですけど (笑)、観に もちろん目指すんですけど、本当に就職は
行ったりすること自体の興味が失せてしま 難しいと言うことで、学芸員での就職では
なく普通の企業に就職するかどうか・
・
・、そ
う心配が ・
・
・。
の辺は今のうちにきちっと決めておく必要
丸橋
があるのでしょうか。
それはむしろ逆でしょうね。モノというの
佐藤亨子
はどうしてここにあるのか、どうしてこの
ような見せ方がなされているのか、それが 3 年の私達も同じ (思い) です (笑)。
どうしてこのような順序で並んでいるのか。 成川
それを単に観覧者として見るんじゃなく、そ それと大学院に進むんだったら、などと考
れを準備・企画した側の意図を読み込むこと えると焦ってしまうのですけど、皆さんど
によって、一層その関心が高まり、自分の中 うなんですか。
で納得できる。そういう伝え方を、見せる側 宮平
の苦労を知ることは、後々さまざまなことに そんなに焦らなくてもいいんじゃないかな
と思うんです。現在の勉強をちゃんと積み
重ねていけば、いざ「院に行こう」と思った
ときにも、
「学芸員本当に目指すぞ」ってい
うときにも対応できると思います。実習な
り必修の科目なりをちゃんとこなしていく
「日々の積み重ね」がやっぱり大切だと思い
つつ、私たちは日々を積み重ねているのか
なという気も (笑) するんですけど。そんな
ふうに自分を追い込まなくてもいいと思い
ます。
大窪
今とりあえず出発点にいる訳ですよね。可
能性は十分ある。勉強は一生懸命やる。で、
実習館行ったときでも中途半端な気持ちで
実習するんじゃないんですよ。最近では実
習の態度が買われて卒業と同時にすぐ学芸
員になった人もいる。本当にいいチャンスに
恵まれた、そういうことがあるんですから、
そう夢を捨てない方がいいです。なにしろ
自分がまだわからない。でもその過程は全
力投球するのが当然だと思います。それと
履修登録を許可されなかった人がいること、
それだけは忘れずにがんばってください。
のひとつだと思うんですけど。ミュージア
ムの会はどのような理由でできたのですか?
瀬田
6、7 年くらい前かな、降幡君 (長野市立博物
館学芸員) と毛塚さん (国文学研究資料館勤
務、97 年度本学日本史講義担当) が武蔵の後
輩たちのためにね、これだけ小さな大学の
中で学芸員課程をもっと盛り上げていこう、
そしてかつ自分たちの勉強会をしていこう
という理由で、情報交換というか勉強会を始
めたわけ。よその大きい大学の人たちはびっ
くりしてる。このような形で学生と先輩た
ちがチームを組み、ネットワークを作りな
がら勉強会をしていくようなものはないと。
降幡君は長野県でしょ。大変不自由しなが
らも何回も自費でやって来ては面倒見てく
れるわけ。結局先輩ががんばってくれれば
情報 (例えば学芸員募集の情報など) が入っ
てくる。しかも (学芸員の募集などで他大学
の人と) 競争になったときに推してくれる。
降幡君たちが武蔵学芸員課程に対して思い
入れを強くして頑張ってくれているという
ことでね . . . あの世代が今の武蔵ミュージア
ムの会を作った、つまり武蔵学芸員課程の
育ての兄貴分みたいな感じですね。
《他にも課程を取りたい方がいたというこ
とを改めて認識し、ますますがんばろうと
思いました (アンケートより) というように 大窪
原点に帰れた気がしました。》
そもそも、武蔵ミュージアムの会は 2 人が考
えたのですが、根本的な目的には後輩の育
成があります。武蔵の学芸員課程はまだ歴史
が浅いから世間にもあまり知られていない。
だから自分たちの利害とかそういうものを
抜きにして、やはり学芸員課程をもっと盛
り立てたいそして後輩達の力をもっと伸ば
してあげたい、そういう気持ちが強かった
集合写真
んです。
瀬田
4.3
Part3 武蔵ミュージアムの会のススメ
〔武蔵ミュージアムの会設立の経緯〕
実技実習も今は、そういう先輩達がやって
くれるやろ。
佐藤亨子
佐藤亨子
ミュージアムの会に入って先輩達と一緒に はい。日本文化学科卒業生・森住恵子さん、
活動していくことは、今身近でできる勉強 渡政和さん、山田淳子さんにお世話になり
ました。
瀬田
それより以前はいろんなよその人を呼んで
たんや。
〔学生の参加者が少ない!
?〕
佐藤亨子
ミュージアムの会を知っている方はどれく
らいいらっしゃいますか?(多くの人が挙手)
入っていらっしゃる方は?(3人ほど挙手) 成
川さんは何か (ミュージアムの会の活動に)
参加したことはあるんですか?
成川
行う体制になっています。
「その時は随時い
らっしゃいって下さい、会員の方でなくても
できることはしますから・・・」と言う格好
で。実際働いている学芸員の先輩方と出会
うチャンスを増やしたいということで、だい
ぶ改革はしているんですね。そういう現状
をみなさんに知ってもらって、
(実際に OB・
OG の方々に)何か手伝うことはありません
かと声をかけた方がいい・・・。そうして始
まっていくんです。
4.4
Part4 座談会 本番はどうだった?の巻
まだ参加したことはないけれど 。今度行っ
長田
てみたいと思っています。
先生や大窪さんの話ってすごくためになった
丸橋
よね。一生懸命語っていただいたし。
実は、実習 の中でね、ミュージアムの会の 佐藤亨子
人に来てもらって勧誘の演説をしてもらった 課程の歴史とか、今まで知らなかったこと
んですけど、相変わらず入会者は少ないで だったから、課程を見直すいい機会になっ
すね。この現状はどうしてでしょうか?
たと思う。でも、もうちょっと 1・2 年生の
佐々木
積極的な発言が欲しかったね。
ミュージアムの会に入った方がいいのは分 佐藤樹里
かっているんですけど、
「会」と言われると そうだね、1・2 年生の話をあまり聞けなかっ
行きづらい。OB と会話する機会がそこにし たのが残念かな。でも、参考になる話をた
かないのは分かっていますが、いきなり行っ くさん聞けて良かったね。座談会を通して、
て何をすればいいのかなって感じで ・・・。 学芸員課程で学んだことはどんな場でも生
入ってないんですけどね。
かせるんだなあと思った。
《武蔵ミュージアムの会に入会している学 長田
生はまだまだ少ないようです。今回の座談 うん、学芸員課程を取っているおかげで、い
会を終えてのアンケートでは、
「ミュージア ろいろな職業への入口みたいなものも見出
ムの会に入ろうと思った」と答えてくれた せた気がする。学芸員になれなくても、こ
方が数人いました。ミュージアムの会の存 の会で聞いたことは後々役に立つと思う。
在自体は知られているものの、この会が発 菊池
足した経緯や活動内容は実際よく知らない ただ学芸員課程を取っている、そんな漠然
人も多かったように思います。》
とした気がしてたんだけど、歴史や就職な
〔事務局、長野から課程室へ移る〕
どの話を聞いて、課程に対する考えや見方
丸橋
が変わった、広い視野が持てたね。
長野県に事務局を置きながらやるのは大変 佐藤亨子
だというんで、今年から学芸員課程室の方 これからのことも考えるようになったよ。い
に事務局を移したんです。月に一回三時間 ろんな先輩、先生方にすごく支えられてる
くらいミュージアムの会に参加している学 んだ、って感じたから、自分もそういう風に
芸員さんが来て、会の運営のために事務を 役立てていけたらと思う。それに、これから
どんどん新しいことも導入されていくんだ
と思う。例えばパソコンとか。課程のパソ
コンも入ったことだし。今年の学生もメー
ルくらいは出来るようになったもんね。
佐藤樹里
うん、課程ではいろいろなことを学んだよ
ね。座談会で話を聞いていて、学芸員課程
では専門的な知識以外でも学ぶことが多い
なと改めて思った。
菊池
自分で話しているうちに、課程に対する姿
勢が自分の中で問われているようでなんと
もいえない気持ちになった。同時にいろん
なことを学んだ、学ばせてくれた課程に愛
着を持った。ミュージアムの会の先輩の気持
ちがわかってきたね。
〔最後に〕
というわけで、担当班の反省もいろいろで
ましたが、1・2 年生の印象としては就職と
いう話になったせいもありますが、先を急い
でるという感じがしました。2 年生の課程に
受かった人は、ま、色々考えずに課程を気楽
に楽しんではいかがでしょうか。色んな尊
敬すべき人たちにたくさん出会えます。そ
の人たちが一生懸命話している言葉を素直
にしっかりと受け止めることが、これから、
あなたたちにとって、必要なことであるし、
これからの人生のなかでもきっと役立つこと
になると思います。簡単ですが、これから実
習 を履修する人たちへの励ましの言葉に
かえさせていただきます。この座談会を開
くにあたってたくさんの人にお世話になり
ました。本当にありがとうございました。
編集後記
5
5.1
編集後記
• 夏休みが明けたある日。編集委員とし
て、総勢 9 名の迷える子羊達が誕生し、
気が付くとボクが編集長になっていた。
このときから編集委員会は、盲目の船
頭が操る船の乗員の如くただ闇雲に、各
人、忙しい中を毎週のように会議を開
き、企画・編集計画を話し合うように
なった。驚くのは、集合時間に遅れる
こと多数、無断欠席数回というこの編
集長の下にあって、なんとしたことか、
まさに親はなくとも子は育つとはこの
ことだ。私以外の優秀なる編集委員の
努力の甲斐あって、この度、この報告
書の完成を見ることができた。ここに、
編集委員及び、博物館実習 I の方々・卒
論、就職活動でお忙しい折、寄稿して
頂いた実習 の方々、また寄稿、御尽
力して頂いた諸先生方、訪問館の皆様
に心より御礼申し上げます。(大学院・
民俗 氏家達哉)
• 編集委員をして残ったものは、少々の
充実感と倍の後悔。綾波の幻影と芥子
の香り。鳴らないエチュード。
(大学院・
歴史 渡辺賢)
• 予想以上に私の気力・体力・時間を奪
い去った編集作業。それが内容に反映
されていれば幸いです。
(日文・歴史 田中千絵)
• 栗鼠は 1 日に 6km はしります。私は一
日に 6 時間以上ねます。6km もはしれ
ません。(涙σ)(日文・歴史 鹿野詩乃)
• 「やってて良かった編集委員」なんて
思う日が来るのかな。来るかもね。来
るといいな。(日文・美術 松井夕佳)
• 表紙デザインの時、前衛的な絵をたく
さん描いてなぜか笑われた。自信あっ
たんだけどなあ。みんなみんなおつか
れさま。(欧米・美術 山形晃子)
• いつも、いつでもうまくいかないけ
ど・
・
・。みんなよく頑張ったでチュウー!
「ばんざーい、なしよ。」
(社会・歴史 蓮花行嗣)
• 知らなかったことを知ること、できな
かったことができるようになるのは楽
しい。世界は広く、地球は丸い。世界は
限定されたものではないのだ。(社会・
歴史 小川淑恵)
• やりたいことをやるのが、一番良い。で
も、それこそが一番難しかった。
(日文・
民俗 猪野義信)
• 最後に、この報告書は TEX で編集しま
した。操作について、熱心な御指導と
援助をいただいた福田純子さんと中村
5.2
仁美さんに編集委員一同より御礼申し
上げます。
• 武蔵大学 学芸員課程報告書 第 9 号
• 平成 10 年 3 月 31 日 発行
• 編集・発行 武蔵大学学芸員課程
• 〒 176-8534 東京都練馬区豊玉上 1-26-1
• tel 03-5984-3730
• 印刷 三協社
添付資料 過去 10 年間の実務実習館
表 実習 2 実習館経年リスト (table5.tex)
実習館
1 練馬区郷土資料室
2 板橋区立郷土資料館
3 中野区立歴史民俗資料館
4 練馬区立美術館
5 台東区立下町風俗資料館
6 埼玉県立近代美術館
7 埼玉県立博物館
8 平塚市博物館
9(財)日本民芸館
10 松戸市立博物館
11 神奈川県立歴史博物館
12 川崎市市民ミュージアム
13 早稲田大学坪内博士記念演劇博物
14 町田市立国際版画美術館
15 明治大学刑事博物館
16 原美術館
17 埼玉県立歴史資料館
18 三芳町立歴史民俗資料館
19 東京都近代文学博物館
20 東京富士美術館
21(財)畠山記念館
22 たばこと塩の博物館
23 安田火災東郷青児美術館
24 浦和市立郷土博物館
25 沖縄県立博物館
26 群馬県立歴史博物館
27 山種美術館
28 神奈川県立金沢文庫
成元
4
2
1
1
1
1
1
2
1
1
-
成2
3
2
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
-
成3
1
1
2
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
2
-
成4
2
3
2
1
3
1
2
1
1
1
1
1
1
1
1
成5
1
1
2
1
1
1
1
1
1
1
2
1
1
1
1
1
-
成6
2
1
1
2
1
1
1
1
1
2
1
1
成7
1
1
1
1
1
1
1
1
2
1
1
1
1
1
1
1
-
成8
1
1
2
1
1
1
1
1
1
-
総計
14
12
11
9
8
6
6
6
4
4
4
4
4
4
4
3
3
3
3
3
2
2
2
2
2
2
2
2
29 長岡市立科学博物館
30 島根県立博物館
31 東京都公文書館
32 福島県立博物館
33 麻布美術工芸館
34 練馬区立郷土資料館
35(財)出光美術館
36 いわき市立美術館
37 セゾン美術館(旧西武美術館)
38 ブリヂストン美術館
39 茨城県つくば美術館
40 浦和市青少年宇宙科学館
41 横浜マリタイムミュージアム
42 科学技術館
43 古河歴史博物館
44 古代オリエント博物館
45 戸田市立郷土博物館
46 埼玉県立博物館 47 埼玉県立民俗文化センター
48 三春町歴史民俗資料館
49 山口県立美術館
50 市立市川歴史博物館
51 春日部市郷土資料館
52 春日部市立郷土資料館
53 新宿歴史博物館
54 杉並区立郷土博物館
55 世田谷美術館
56 清瀬市郷土博物館
57 仙台市博物館
58 千葉県立中央博物館
59 千葉県立美術館
60 千葉県立房総風土記の丘
61 千葉市立郷土博物館
62 川村記念美術館
63 船の科学館
64 船橋市郷土資料館
65 長野県信濃美術館
66 土浦市立博物館
67 東京駅ステーションギャラリー
68 東大和市立郷土博物館
69 栃木県立博物館
70 畠山記念館
71 板橋区立美術館
72 飯能市郷土館
73 府中市郷土の森博物館
74 平塚市立美術館
75 弥生美術館
76 立川市歴史民俗資料館
- - - - - 1 - 1 1 - - - 1 1 - - - - 1 - - - - - 1
- - - - - 1 1
- - - - - - - - - - - 1 - - - - - 1 1 - - - - - - - - - 1 - - - - - - 1 - - - - - - - - - - - - 1
- - - - - 1 - - - - - 1 - - - - - - 1
- - - - - - 1
- - - 1 - - - 1 - - - - - - 1 - - - - - - - - 1 - - 1 - - - - - - - - 1 - - - - - - - 1 - - - - - - 1 - - - - - - - 1 - - - - - - 1 1 - - - - - - - - - - - 1
1
1
2
1
1
-
2
2
2
2
2
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
- - - 1 - - - 1
- - - - 1 - - 1
- 1 - - - - - 1
- - - - - - 1 1
- 1 - - - - - 1
- - - - - - 1 1
- - - - - 1 - 1
- - - 1 - - - 1
- - - - - - 1 1
- - - - - 1 - 1
- - - - 1 - - 1
- - - - - - 1 1
- - - - - - 1 1
- - - - - - 1 1
- - - - 1 - - 1
- - - - - - 1 1
- - - - - - 1 1
- - - - - - - 1