- 1 - 1972.密航は日英交流の原点 長州5藩士の身元引受人に顕彰碑

1972.密航は日英交流の原点 長州5藩士の身元引受人に顕彰碑
朝日新聞2013.7.2.
ウィリアムソン教授夫妻の顕彰碑。英語と日本語で夫妻をたたえる文言が刻まれている=ロンドン
近郊のブルックウッド墓地、山口県萩市提供
長州や薩摩など幕末の日本からの留学生の世話をしたUCLのウィリアムソン教授
=「The World of UCL1828~1990」から
密航留学中のロンドンでの長州ファイブ。(右上から時計回りに)
伊藤博文、山尾庸三、井上馨、遠藤謹助、井上勝=山口県の萩博物館蔵
【加藤勝利】幕末に長州藩の5人の若者が英国に密航留学した。それから150周年にあたる
今年、身元引受人となった英国人夫妻の顕彰碑がロンドンに建立され、7月2日に除幕式があ
る。日本からは子孫らが出席し、安倍晋三首相の感謝状も贈る。留学先の大学側は、両国間の
学術交流を記念して式典を催す。
若者たちは伊藤博文、井上馨(かおる)ら20代の5人で「長州ファイブ」と呼ばれた。帰国後に
明治政府で初代の首相や外相といった要職に就き、国の近代化に大きな役割を果たした。
5人が1863(文久3)年に英国に留学した際、身元引受人となったのがユニバーシティー・カ
レッジ・ロンドン(UCL)のアレキサンダー・ウィリアムソン教授。人種や身分などにとらわれない
自由な発想の持ち主で、5人を自宅などに寝泊まりさせ、教授の化学教室に籍を置かせた。エ
マ夫人も英会話や洋服の着方、食事のマナーを教えた。長州ファイブ以外にも薩摩藩などから
の留学生も受け入れ、長州藩の留学生が客死すると埋葬もした。
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教授夫妻の功績をたたえようと、山口日英協会などが顕彰碑建立を計画。夫妻の墓があるロ
ンドン郊外のブルックウッド墓地内に建てることにした。夫妻の墓 を2007年に見つけた元UC
L客員教授の佐藤顕明さんや、鹿児島のNPO法人日英友好協会なども協力し、費用を集め
た。
顕彰碑のデザインは、ジョン・ホワイト元UCL副学長(88)が担当した。ホワイト元副学長は
「夫妻と留学生の出会いは日英交流の始まりでもあった」と考え、20年前には、長州ファイブと
薩摩の19人の顕彰碑をUCLの構内に建てた。
7月2日の除幕式には、留学生の子孫ら約200人が参列。夫妻に対する安倍首相の感謝状
が、UCLのマルコム・グラント学長に贈られる。山口日英協会などが 山口県選出の安倍首相に
依頼したところ、首相が快諾したという。
3日夕方には、英国側が主催する「日英学術交流150周年記念事業式典」がUCLで催され
る。長州ファイブの渡航を手配し、ウィリアムソン教授夫妻を紹介した総合商社「ジャーディン・マ
セソン社」が支援する。英国政府関係者や日本企業の代表ら約500人が出席。日英の大学や
企業、国家間の今後の結びつきの強化を図る。
〈長州ファイブ〉 江戸幕府が鎖国政策を取っていたにもかかわらず、西洋文明を学ばせる目
的で、長州藩(今の山口県)が英国に密航留学させた若者たち。伊藤博文(俊輔)=初代首相▽
井上馨(聞多〈もんた〉)=初代外相▽山尾庸三(ようぞう)=工部卿(きょう)▽遠藤謹助(きんす
け)=造幣局長▽井上勝=鉄道庁長官=の5人で、留学中、現地の新聞などで「長州ファイブ」
と紹介された。
ヨシダコメント:
歴史を学ぶ機会が少なかったヨシダ。現在にして、しかもフィリピンに渡って少しは学ぶ機会を
得ていることを嬉しく思います。このコラム編集には2時間を要しました。でも、悔いはありませ
ん。なお、「顕彰碑」に関する別のサイトに接しましたので、末尾に掲載します。
おって、「長州ファイヴ」に関連する別件コラムを下記に添付します:No.1933:
新たな国づくりを担う決意を抱いていたに違いない。幕末に藩の命で英国に密航し西洋…
伊藤博文
井上馨
山尾庸三
遠藤謹助
井上勝
1841.10.161909.10.26
1836.1.16.-
1837.11.5-
1836.3.31-
1843.8.25-
1915.9.15.
1917.12.21
1893.9.13.
1910.87.2
150
長州ファイブ渡英150
150周年 ウィリアムソン教授夫妻をたたえ顕彰碑
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今年は、長州ファイブが「生きた機械」となるべく英国に密留学してから150周年。ユニバーシティ・カ
レッジ・ロンドン(UCL)のアレキサンダー・ウィリアム・ウィリアムソン教授夫妻は、彼らの生活や修
学を物心両面で支え、志を全うできるよう尽力した人物だ。
ロンドン市中心部に本部があるUCLに、日本人として初めて留学した5人。当時英国化学協会長
でもあったウィリアムソン教授は彼らの身元引受人となり、自宅にも住まわせた。異文化で育った20
代の若者たちに、夫婦そろって手厚い生活援助をしてくれたことは、想像に難くない。
夫妻は、その後も日本人留学生を支援し続けた。病で床に伏した長州藩士・山崎小三郎は自宅
に引き取り看病し、彼が病死すると墓をつくって埋葬。また、長州ファイブの2年後に渡英した薩摩藩
留学生19人や、明治になってからの長州留学生の面倒も見た。さらに、明治政府の依頼に応じて、
英国から多くの教育者を日本に派遣。わが国の化学教育制度の立案および指導にも、多大な功績
がある。
ところが、その後長い年月にわたり、教授夫婦のことは忘れられていた。しかしながら 07(平19)
年に、ロンドン郊外のブルックウッド墓地で彼らの荒れた墓が発見。そこで山口日英協会(安田武勝
会長)は、この墓の修復を実施した。そして、夫妻の功績をさらにたたえようと、NPO日英友好協会
(鹿児島)などと協力して、同墓地内に顕彰碑を建立。同協会の 20人ら、日本からも大勢が列席し
て、7月2日午後2時(現地時間)に除幕式が執り行われる。
同協会は「長州、そして日本の恩人である教授夫妻を、後世まで語り継ぎたい」と、その意義を話
す。碑の建立および今後20年の墓地維持管理に必要な資金は500万円で、1口1千円の募金活動
もしている。
問い合わせは、(英国から帰国後の同7日以降に)山田禎二理事(TEL083-925-8722)へ。
No.1(1-300) No.2(301-400) No.3(401-500)
No.4(501-700)
No.8(1101-1300) No.9(1301-1500) No.10(1501-1700)
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No.5(701-900)
No.7(996-1100)
No.11(1701-1900) No.12(1901-2000)