する を再 発 見 ー、 3号! い ね が こ ーパ 第 ペ ・ ル イ フリースタ 特集 ムカシこがねい 【 いち・はち・よん】vol.3 こ、何があったっ 上の白黒写真は、 年 前の武蔵小金井駅北口の るかもしれない。 町を見る目も変わってく 振り返ってみれば、この 足を止めて地域のことを 過ぎ去る日常に、しばし がスタート。慌ただしく 画のもとに、今号の取材 ちょっと昔の小金井を 訪ねてみよう。そんな企 ずの踏切」を作っていた。 ついこの間までは「開か に 高 架 を 走 っ て い る が、 だって、あたり前のよう にはビルが建つ。中央線 け? 駅前の景観 は変わり、大きな家の跡 こ カプセルになればと思う。 げる、ささやかなタイム 金井の昔と今を未来に繋 名付けて「ムカシこが ね い 」。 こ の 特 集 が、 小 と撤去されてしまった。 この歩道橋も、撮影のあ に重ねてみた。そうそう、 様子。それを現在の駅前 49 小金井市内の 3 鉄道駅に発想 を得て誕生した三姉妹キャラ。 小金井のことならおまかせ !! September 2013 この夏、50 年の営業に終止符 さらば、長崎屋 気が付けばMEGAドン・キホーテに生まれ変わっていた 長崎屋。閉店を惜しむ声を受けその歴史を振り返ります 田村秀美(緑町在住/子どものころの夢: いがらしゆみこのような少女まんが家) 963年、長崎屋は大規模団 1 地が建設され人口急増中の小 店 65 金井に進出。平塚の布団屋から転身 24 年間で 階建て前面 7 したチェーンストアは 舗 に。1971 年、 総ガラス張りの新店舗を武蔵小金井 駅北口に開店。屋上遊園地で仮面ラ イダーショーが開かれ、ソフトクリ ームやベーカリーなど当時まだ珍し かったハイカラな食べ物が並んだ。 そう、当時の小金井市民にとって 長 崎 屋 は、 「まちへ行こう」と家族 で 出 か け る 特 別 な ハ レ の 場 だ っ た。 外 食 が 日 常 で な か っ た 時 代、 『レス トランおあしす』で食べるお子様ラ ンチの味は格別。母親たちは洋裁用 品 を 買 い 求 め、 「肌着は長崎屋」と いうこだわりを娘に伝授。ピンクレ 1 2 なだらかな丘をわたる風、とんがり屋根のサイロ、木陰で休む牛 そんな日常が80年前の小金井にはありました 3 ディーの新譜発売日にはレコード店 小金井に牧場があった に行列。休憩スペースのベンチに座 “ MUSASI - MILK ” 40 る男子生徒の視線を気にしながらエ “わたしと長崎屋 ” スカレーターに乗る女子中学生。 代以上の小金井市民の脳裏をよぎる 今の西友駐輪場の 北側に開店 現在の場所に移転し 新店舗開店 7階「レストランおあしす」 閉店 八王子店がドン・キホーテに リニューアルし、小金井店が 都内最後の長崎屋に 都内で唯一の MEGAドン・キホーテに リニューアル のは、そんな思い出の数々だ。 1963年 1971年 2008年 2011年 2013年 今や激安ジャングルに生まれ変わ った同店。毎日がハレの日の賑わい 長崎屋小金井店 略年表 を見せる。 昭和にタイム・スリップ 貫井北町 3-4-4 ☎ 042-383-5757 16:00 〜 23:00 毎月 5 日・15 日・25 日定休 (日曜、祝日の場合は翌日) 1964年に開業。ほとんど変わらないという その佇まい。昭和を感じる銭湯の内側は? 岡 本 実 希( 中 町 在 住 / 子どものころの夢:幼 稚 園の先 生 ) の暖簾をくぐるのは、少々勇 気が要る。若い世代にとって、 古い銭湯とはそんな存在かもしれな い。では家にお風呂が当り前の時代 に、人はなぜ銭湯へ行くのか。その 理由が知りたくてぬくい湯へ。一番 風呂にはリハビリを兼ねて毎日通う 老婦人。番台で挨拶を交わす常連さ んは、自然と安否確認。一人暮らし のお年寄りは、もしものときに安心。 子どもは大人を見ながらお風呂の所 作を覚える。何かと敬遠されがちな 他人の目が、ここでは温かなものと して感じられた。ぬくい湯に残る昭 和そのままの空間と人付き合い。そ の安心感を求めて人は銭湯へ行くの だろう。 そ ぬくい湯 に潜 入 ぬくい湯の佐藤さんご夫妻。本 業の工務店が建てた銭湯を引き 継いだ。燃料の 1 割は薪で、機 械が壊れても薪で焚くため休業 したことがない。青森ヒバの浴 槽はゴシゴシと磨きこまれてい る様子。ヨーロッパ調のタイル 絵は今では職人がおらず貴重 ©小金井市 1 シンボルマーク「サン バード」は長崎屋の頭文字 「n」 を 平 和 の 象 徴 ハ ト に アレンジ。目の部分は太陽。 2 1963 年旧店舗の店内。 3 1971 年新店舗開店。4 長崎屋社内報「おあしす」 4 長崎屋にまつわる思い出をお聞きしました 丸 山 芳 己さん 石 川 理 麻さん 岡 田 誠さん 1965 年生まれ。小金 井生まれの小金井育ち。 小さい頃は家族で長崎 屋に行くのがつつまし い暮らしの中のたまの 贅沢。帰りは決まって タクシーで、車に乗れ るのが嬉しかった。お あしすで食べたラーメ ンが、人生初ラーメン 1971 年生まれ。国分 寺市在住。小 1 までの 5年間、小金井で育つ。 長崎屋の催事で描いて もらった似顔絵が怖す ぎて泣く。ピンクレデ ィーグッズを求めて何 度も長崎屋に通うも、 お目当てのミーちゃん がいつも売切れで涙 1945 年生まれ。立川 市在住。1968 年より 長崎屋に 32 年間勤務。 小金井店には 1972 年 以降、通算で6年。当 時は 19 時閉店・定休 日ありで、出社前に早 朝野球をしたり、夜は 社員食堂に住職を呼ん で習字を習ったりした 大垣喜世(貫井北町在住/ 引っ込み思案な子どもでした) 5 宅や店舗が建ち並ぶ貫井北町 る和光堂(株)の初代社長、大賀 3 丁目、仙川北岸から中央大 彊二氏が 1934 年、この地に「武蔵 学附属中・高等学校のあたりにかけ 農場」をつくり乳牛の飼育を始めま て、かつては乳牛が草を食むのどか し た。1936 年 に は 36 頭 の 乳 牛 か な風景が広がっていました。ベビー ら“こい、うまい、新しい”がキャ フードやシッカロールなど、ママな ッチフレーズの MUSASI-MILK を製 らいちどはお世話になったことのあ 造販売していたなんて、モ~すてき !! 住 6 7 8 きょうじ © 小 金 井 市 教 育 委員会 MUSASI-MILK の当時のチラシには北原白秋作詞の童謡「乳の 壜」が使われています。意外なつながり! また、武蔵農場で の乳牛飼育や牛乳配達の仕事は、近隣住民の副収入源にもなっ ていました。農場は 1942 年、戦争の影響を受け閉鎖しました 5 今はなき駅前ブツ切り歩道橋とサンバードのコラボ。 6 外壁の看板設置によりはめ殺しとなった3 階の窓。休憩用ベンチは開店当初から設置。 7 見上げると天井一面にレトロなスプリンクラー。8 7 階から上は閉鎖中。おあしす閉店を告げる立て看板にひっそりとサンバードの姿が Photo:はしも 3 2
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