香港・広東地域の宗教文化に関する邦文文献:回顧と展望 志 賀 市 子* 1.はじめに 3年前、東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所から、『台湾民間信仰研究文献目録』 (林美容、三尾裕子編1998)という文献目録が出版された。これは台湾漢人の民間信仰に関する邦文文 献を戦前、戦後を通じて網羅的に集め、紹介したものである。この文献目録を見ると、日本における 台湾民間信仰研究の蓄積の大きさと研究者の層の厚さに改めて驚かされる。戦前50年間にわたって日 本の植民地支配を受けた台湾では、日本人によって台湾の風俗習慣や歴史についての調査・研究が行 われた。もちろんこれらの調査は、植民地支配を円滑に進める目的で行われたものであるが、『民俗 台湾』 (1941年7月∼1945年1月)など学術的に価値の高い研究成果も少なくなかった。戦後も、中国 の民俗や宗教を現地調査によって研究しようとする文化人類学者、民俗学者、宗教学者は、まず台湾 を訪れた。日本の中国宗教研究において、台湾は間違いなく最もよく研究されている地域と言ってよ い。 一昨年、香港の歴史学者、人類学者を中心に組織された「華南研究中心」という研究グループから 「日本における華南地域の宗教文化研究」について書いてほしいという依頼があった。当時、台湾民間 信仰の文献目録に触発されたこともあって、同じ華南地域でも、香港・広東地域の宗教文化について は日本でこれまでどのような研究が行われてきたのかを改めて調べてみた。だが実際に調べてみると、 最初からわかっていたこととはいえ、台湾をフィールドとした研究の豊富さに比べて、香港・広東を フィールドとした研究のあまりにもの少なさに、少々がっかりしたのも事実である。 戦前における研究蓄積の差はいたしかたないにしても、戦後、香港において日本人による現地調査 が再開されたのは1960年代後半と、台湾の場合と時期的にはほとんど変わらない。それにもかかわら ず、その後香港を訪れた日本人研究者の数は、台湾に比べて圧倒的に少ない。50年代から70年代にか けて中国本土での人類学的調査の道が閉ざされた時期において、香港は「残された中国」とも呼ばれ、 欧米の人類学者の拠点となってきた。なぜ日本人研究者は香港をフィールドとして選ばなかったのだ * Ichiko SHIGA 日本語・日本文化学科(Department of Japanese Language and Japanese Culture) 127 東京成徳大学研究紀要 第 8 号(2001) ろうか。その要因としてはおそらく、言語と人脈の問題が大きいと思われる。かつて日本の植民地で あった台湾では、日本語を話せる台湾人も多く、日本語で調査することが十分可能であったし、学術 界の古い知己を通して交流を復活させることが比較的容易であった。だが香港の場合、まずは英語が 必要とされ、人脈どころか、占領時代の悲惨な体験から、日本人に対してあまりよい感情をもってい ない香港人も多かった。 しかしながら研究の層の薄さは現地調査を行う研究に限った問題ではなく、香港研究全般に言える 傾向である。日本では、香港といえば中国と英国の政治的駆け引きの道具として、あるいは80年代以 降は躍進する国際金融都市として、政治や経済的側面ばかりが関心を集め、歴史や文化については軽 視されがちであった。可児弘明の編著による『香港および香港問題の研究』の末尾には、戦前から 1991年までの香港に関する邦文文献目録が掲載されている。これを見ると、日本人の香港に対する関 心が、これまでいかに政治、経済分野またはショッピング、グルメなどに偏ってきたかが一目瞭然で ある(可児編1991:227-289) 。 本稿は、台湾を除く華南地域―ここでは香港・広東地域を中心とし、場合によっては福建、東南 アジア華人社会を含めることとする―の宗教文化に関する邦文文献を中心として紹介することを目 的とする。中国研究はここ20年ほどの間に、地域研究の手法をとったものが分野を問わず主流になっ ている。広大な中国を十羽ひとからげにして論ずるのではなく、共通の生態的、文化的環境を具えた 一つの地域を設定した上で、さまざまなトピックを論じるのである。宗教や民俗は、とりわけ地域差 が大きいため、地域別の研究が必要とされる分野である。一般に香港・広東は華南地域の中に括られ るが、一口に華南地域といっても、粤語方言圏に属する広東と 南語方言圏に属する福建、台湾とで は、言語の面でも宗教文化の面でも大きな差異がある。これまで日本において香港及び広東地域の宗 教文化に関して、どのような研究が行われてきたのかを回顧し、今後の展望を行うことは、今後の香 港・広東地域研究に役立つだけでなく、他地域との比較を進めていく上でも意義があると考える。そ こでまず、戦前から戦後にかけての研究動向を簡単に述べ、次にテーマ別に主要文献を紹介すること にしたい。 2.戦前及び戦後の研究状況 戦前の研究については、台湾総督府外事部の発行した『南支那文献目録』 (1943)が参考になる。本 書は広東、福建、広西、貴州、雲南等の華南地域の政治、文化、経済全般にわたる日文、中文、欧文 の文献を網羅した文献目録であり、華南地域に関する戦前の文献目録としては最も詳細なものの一つ といってよいだろう。宗教関連のものは多いとは言えないが、風俗習慣関連の文献はかなり含まれて いる。 また先述した『民俗台湾』は、台湾民俗に関する記事が大部分を占めているが、広東民俗について の記事も、ごく僅かではあるが掲載されている。中でも中国語学の専門家で、戦後何冊もの中国語の 128 香港・広東地域の宗教文化に関する邦文文献:回顧と展望 教科書や辞書を編集している香坂順一が、広東語の隠語や広東の習俗を紹介している「広東通信」等 の記事は大変興味深い(香坂1943a,b,c) 。当時台北高等商業学校の助教授であった香坂は、時代の要請 に従い『広東語会話辞典』や『南支華僑会話要訣』等を編纂していたが、後に『広東の民話』を出版す るなど、民俗についても強い関心を寄せていた。この他『民俗台湾』には、「広東歳末風景」や「広東 の竈祭り」といった、戦前の広州市の街角や台所を写した貴重な写真も掲載されている(松山、宮本 1942) 。 宗教研究を主に紹介するという本稿の趣旨からは多少はずれるが、戦前から戦後にかけて盛んであ った歴史民族学、文化史の分野が、早くから華南の民族文化に注目していたことは記しておく必要が あるだろう。中でも牧野巽は、 「広東原住民族考」で、史書の記述や方言学の成果をもとに南越国=タ イ族説を展開するとともに、南越の文化や風俗について論じている(牧野1985) 。戦後この分野は、白 鳥芳郎等の民族学者に受け継がれた。 戦後は1950年代から60年代初頭にかけてしばらく空白期間があり、60年代後半になってようやく、 現地調査を行う研究者が出てくる。その先駆けとなったのは、60年代後半から香港中文大学新亜書院 研究所に所属していた東洋史学者の可児弘明である。当時可児は香港の水上居民の調査を行っていた が、同時に道教や民間信仰、口承文芸にも大きな関心を寄せていた。また70年代に入ってからは次に 述べる大淵の海外学術調査団に加わり、民衆道教関連の論文を数多く発表している。 70年代以降の、日本人による香港・広東地域をフィールドとした現地調査の進展に関しては、可児 の「「残された中国」の現地調査」という研究動向紹介の中に詳細な記述がある(可児1986:180-188)。 これによれば、戦後華南地域をフィールドとした宗教関連の調査の中では、道教研究者大淵忍爾を研 究代表者として、1970年度、72年度、74年度に行われた文部省科学研究費による海外学術調査「道教 儀礼の調査」が最も早いものであった。この調査は、台湾、香港、マカオをフィールドとし、道教研 究者の他、仏教、民俗学の研究者が参加した。調査の成果は大淵忍爾編『中国人の宗教儀礼―仏教・ 道教・民間信仰』としてまとめられ、第一篇仏教儀礼は鎌田茂雄、第二篇道教儀礼は大淵忍爾、第三 篇民間信仰儀礼は可児弘明が香港、民俗学者の直江広治が台湾をそれぞれ担当している(大淵編1983) 。 ちなみに70年代には、道教研究者を代表者とした文部省科学研究費による東南アジアの海外調査が 3件続いている。その一つは「東南アジア華人社会の宗教文化に関する調査」 (研究代表者窪徳忠)で、 1977年度と79年度にマレーシアやシンガポールをフィールドとして民間信仰や仏教儀礼の調査・研究 を行っている。その成果は窪徳忠編『東南アジア華人社会の宗教文化』 (耕土社、1981)にまとめられ ている。もう2件は、1979年度に実施された「シンガポール・マレーシア地域の華人会館の実態調査」 (研究代表者酒井忠夫)と、その成果を基礎として行われた「近現代のシンガポール・マレーシア地域 における華人文化と文化摩擦」 (研究代表者酒井忠夫)である。これらの調査の成果を集めた酒井忠夫 編『東南アジアの華人文化と文化摩擦』には、野口鐵郎の真空教、徳教を扱った論文や福井文雅の仏 教に関する論文等がおさめられている(酒井編1983) 。以上はいずれもマレーシア、シンガポールの華 人を対象とした調査・研究ではあるが、もともとこの地域の華人は中国華南地域からの移民によって 129 東京成徳大学研究紀要 第 8 号(2001) 構成されているので、香港、広東、福建の民俗宗教とも深い関わりがある。 80年から84年にかけては、香港、マレーシア、タイをフィールドとした「東南アジアにおける華人 伝統芸能の研究」 (研究代表者尾上兼英)が実施された。香港の調査では、尾上兼英が香港の人形劇、 田仲一成が香港の福 演劇を担当した。また81年から84年にかけては民族学者の白鳥芳郎を代表者と する学術調査「香港の龍舟祭」が組織され、香港各地で開催される龍舟祭の儀礼過程や祭祀組織に関 する調査が行われた。 80年代に入ると、個人による調査も行われるようになった。中でも最も精力的にかつ緻密に行われ たものとしては、何といっても田仲一成が行ってきた祭祀演劇や宗教儀礼に関する調査が挙げられる だろう。その成果は『中国祭祀演劇研究』 (1981) 『中国の宗族と演劇』 (1985) 『中国郷村祭祀研究』 (1989) 『中国巫系演劇論』 (1993)という4冊の大著にまとめられている。ここに盛り込まれた香港の 多様なエスニック・グループ(1)の宗教儀礼や祭祀演劇に関する詳細なデータの中には、92年に解散 した海陸豊福 系の劇団のように、今日ではもはや見ることのできなくなった貴重なものも数多く含 まれており、資料的価値は極めて高い。 80年代半ばに入ると、若い世代の中に、留学して言語(北京語、広東語)を習得し、長期間村に住 み込むなどの形で調査を行う研究者が出てきた。その先駆的存在となったのが、人類学者の瀬川昌久 である。瀬川は1983年から2年間香港新界に住み込み、中小宗族に関する調査を行ったが、それに関 連して大平清 などの祭礼や祖先祭祀、墓地風水など民俗宗教関連の論考も多数発表している。 80年代はまた、中国の代価物としての香港ではなく、香港を独自の歴史と文化をもった地域として 研究する「香港研究」という分野が確立していった時期でもある。1984年には弘文堂の『もっと知りた い∼』シリーズから香港・マカオ編が出版され、香港の歴史・文化・社会に関する概説書として普及 した。ここで「宗教」の項目を担当したのは、香港、東南アジアの潮州人社会と徳教、あるいは同郷 会、宗親会等の研究で知られる吉原和男であり、廟の祭祀からキリスト教、ヒンドゥー教等の外来宗 教まで、香港の宗教の多様性をわかりやすくまとめている(吉原1984) 。なお同書は1999年に新しい執 筆者を加えて改訂された(可児編1999) 。 90年代以降について若干補足しておくと、1987年から89年まで外務省の専門調査員として香港に滞 在していた中生勝美は、長州島の大平清 や風水に関する調査・研究を行っている。また92年から94 年にかけては志賀市子が、香港中文大学の研究生、香港大学アジア研究センターの訪問学員として滞 在し、民間道教教団に関する調査・研究を行っている。 1997年の香港返還前後には、香港に関連した一般書や論文集が出版されたり、雑誌でも香港特集が 組まれるなど、香港への関心が一気に盛り上がった。宗教文化への関心は相変わらず高いとはいえな いが、雑誌『しにか』の特集「香港小百科」 (1996年、8月)には、 「年中行事」 、 「冠婚葬祭」 「民間信仰」 などの項目が取り上げられている。 130 香港・広東地域の宗教文化に関する邦文文献:回顧と展望 3.テーマ別文献解題 次に、前節で詳しくとりあげられなかった個々の研究の内容について、テーマ別に紹介したい。 盧 道教儀礼 道教儀礼の調査では、文献に強い道教研究者が、実際に行われている儀礼を、パフォーマンスとテ キストの両方からアプローチするのが理想であるが、道教学者大淵忍爾の一連の儀礼研究は、それが 実現した一つの成果といえるだろう。 『中国人の宗教儀礼』の香港編では、新界の正一派道士によって 執り行われる太平清 、都市部の「喃嘸 」と呼ばれる道士の功徳法事、青松観、黄大仙廟の儀礼が 取り上げられている。儀礼の過程だけでなく、そこで用いられる科儀書の内容のほとんどすべてを一 字一句違わず掲載しているので、資料的価値は極めて高い(大淵編1983) 。この他、先述した田仲一成 も、たとえば『中国の宗族と演劇』の中では、洪朝祭祀など新界の道士によって執り行われる儀礼、 『中国郷村祭祀研究』では、中元建 や太平清 で挙行される道教儀礼に関する詳細な報告を発表して いる(田仲1985、1989) 。 盪 祭 礼 同じ太平清 を取り上げるにしても、儀礼を中心に観察する道教学者と比べ、文化人類学者は祭礼 を支える地域の共同体や祭祀集団に目を向ける傾向がある。文化人類学者の瀬川昌久は、香港新界太 平清 における神々の祭祀と日常的な祭祀との比較から、漢人社会における村落共同体の特質を論じ ている(瀬川1987b)。蔡志祥は専門は歴史学だが、長年太平清 1988年の論考では、 のフィールドワークを行っており、 を主催する郷村の村人の人名リスト「人縁榜」を資料として、単一宗族村と複 数宗族村における祭祀集団の結合原理の違いを論じている(蔡1988) 。 長州島の太平清 に関しては複数の論考がある。田仲一成は1979年と1983年に儀礼の調査を行って いる(田仲1985) 。また蔡志祥は、長州島太平清 の儀礼の歴史的変化と祭祀集団に関して詳細な報告 を行っている(蔡1987)。蔡は90年代以降も継続して太平清 成して、最近香港で『打 の調査を行い、これまでの成果を集大 ―香港的節日和地域社会』を出版した(蔡2000)。本書は一般書の体裁をと ってはいるが、長年のフィールドワークで地道に集めた膨大なデータに基づく優れた研究書である。 中生勝美も数度にわたり長州島の太平清 の調査を行っており、祭祀集団の結合原理に見られる都市 的性格や観光化のもたらす影響について論じている(中生1997) 。 この他、渡邊欣雄は旧暦五月五日の端午節に行われる長州島龍舟祭の儀礼過程を詳細に報告し、そ こに反映された世界観について論じている(渡邊1985) 。 蘯 祖先祭祀 祖先祭祀に関しては、中生勝美が広東省の地方志を資料として、広東の宗族と祖先祭祀の特徴に論 じている(中生1985) 。瀬川昌久は新界農村で行われる祖先祭祀慣行の概要を詳細に記した上で、家族 レベルでの祖先祭祀と宗族の祠堂における祖先祭祀の違いについて分析し、宗族の持つ再統合的性格 について論じている(瀬川1989) 。また瀬川には、祖先祭祀の事例と日本の祖先祭祀の民俗資料とを比 131 東京成徳大学研究紀要 第 8 号(2001) 較した論考もある(瀬川1986) 。 盻 シャーマニズム研究 中国のシャーマニズムといえば、台湾の「童 」のように神仏を自らの身体に憑依させ、託宣を述 べたり身体を傷つけるなどの荒行を見せる霊媒(主に男性)が知られているが、香港ではあまりさか んではない。それは香港で大多数を占める「本地人」と呼ばれる粤語方言集団においては、童 のよ うな荒々しいシャーマンはあまり好まれない傾向があるからだと思われる。香港で童 のような霊媒 に会いたければ、同じ広東省出身でも、 南語系の方言を話す潮州系や海陸豊福 系の人々が建てた 廟に行かなければならない。 童 信仰の盛んな台湾やシンガポールをフィールドとした民間信仰研究が、この分野の事例報告や 事例をもとにした理論研究を多く蓄積してきたのに対し、香港からの事例報告はほとんど無く、霊媒 廟に対する関心も薄い。だが、香港の霊媒廟が潮州系や海陸豊系の移民によって持ち込まれ、移民の コミュニティの結節点となってきたという事実は、霊媒廟をシャーマニズム研究という観点からだけ でなく、移民の定着過程やエスニシティの観点からも研究していく必要があることを示している。志 賀市子は既にこうした観点に基づき、海陸豊福 人の信仰の拠点となってきた観塘地区の霊媒廟の歴 史を取り上げている(志賀1998) 。 フーチー 香港では童 信仰の代わりに、扶 という、日本のコックリサンに似たシャーマニズムの形態が盛 んである。扶 は一般に「道壇」 「道堂」と呼ばれる民間道教教団で行われている。志賀市子は、中規 模の道教教団である信善紫闕玄観の扶 儀礼と 手の養成等について論じ(志賀1995a)、吉原和男は 潮州人が中心となって創設された宗教教団「徳教」の扶 儀礼(吉原1979)について紹介している。ま た可児は扶 の歴史的起源について論じるとともに、台湾と香港の宗教団体で見聞した扶 の様子を 紹介している(可児1972a)。また可児弘明には、清代の筆記類の記述をもとに、広東の巫俗の特徴や 巫術における鶏の通霊性について論じた論考もある(可児1994) 。 眈 墓地、葬儀 香港の超過密都市としての性格は、死者の埋葬空間にも反映されている。 「壁龕」と呼ばれるロッカ ー型骨壷収納空間を高層化させた、香港独特の骨灰安置施設に最初に注目したのは、都市社会学の大 橋健一である(大橋1994) 。また沢田ゆかりは、香港の超過密性が香港の葬儀の形態に及ぼした影響に ついて、葬儀専門企業としての殯儀館の設立と隆盛という観点から論じている(沢田1994) 。志賀市子 は青松観等の道教教団が骨灰安置施設や追善供養のための功徳法事といった喪葬関連事業から多くの 収入を得ている点に注目し、香港の都市化との関わりや、広東の伝統社会において葬儀を執り行って ナーモウロウ きた「喃嘸 」と呼ばれる職業道士の儀礼との比較から論じている(志賀1997) 。 香港は人口の大多数を広東省出身の中国人が占めているが、同じ広東省であっても、風俗習慣は地 域によって細かな差異がある。だが移民が持ち込んだ故郷の独特の習慣も、香港に定着し、世代深度 が深まるうちに同化が進み、出身地グループ間の差異は目立たなくなってきている。そうした中で、 死者供養のための功徳法事は、出身地グループ別の特徴が比較的よく維持されている数少ない習慣の 132 香港・広東地域の宗教文化に関する邦文文献:回顧と展望 一つと言える。 香港の葬送儀礼をエスニック・グループ別に取り上げた研究はまだわずかだが、先に挙げた大淵忍 爾編『中国人の宗教儀礼』では、大淵が香港都市部の「喃嘸 」が執り行う葬儀の儀礼過程について詳 細に取り上げている(大淵編1983) 。志賀市子は海陸豊福 人の功徳法事について、特に過橋儀礼に焦 点をあてて報告している(志賀1994) 。また田仲一成は、シンガポールに移民した海南人の功徳法事の 詳細を報告し、その中に含まれる演劇的所作を含む鎮魂儀礼から、中国の演劇の発生について論じて いる(田仲1990) 。 眇 その他の民間信仰 祖先祭祀や葬送儀礼以外のさまざまな民間信仰に関しては、先述したように可児弘明の人形芝居か ら契子女の慣行に至る一連の民衆道教に関する論考がある(可児1967, 1970, 1972b, 1973, 1975) 。中で も1970年代初頭の香港の紙紮専門店の状況や、そこで売られている紙銭、紙衣、紙符の種類や用法に 関する詳細な報告は、この分野での先駆的な研究であるばかりでなく、現在と比較する上でも資料的 価値の高い研究である(可児1973) 。瀬川昌久は、やはり香港の紙紮舗やスーパーマーケットで売られ ている紙銭、紙衣、符の類を豊富な写真とともに紹介し、こうした紙銭の普及は現代の都市生活に潜 在する不安感の一つの表われと論じている(瀬川1987a)。また中国式おみくじとしての霊籖、薬の処 方を記した薬籖に関しては、酒井忠夫が台湾、香港、東南アジア各地で収集した霊籖、薬籖の内容分 析と分類を行っている(酒井1992) 。 この他、中生勝美は香港の冥婚の事例を挙げ、台湾や中国の他地域の事例と比較分析している(中 生1992) 。また日本語ではなく中国語で書かれたものであるが、『媽祖信仰の研究』 (李1979)で知られ る李献璋が、香港在住の潮州人、広州三邑人、広東嘉応客家を対象として、誕生から生育、結婚、死 に至るまでの人生儀礼に関する報告を行っている(李1972,1973a,b) 。 眄 風 水 日本では80年代後半から風水思想に対する関心が高まり、風水の歴史学的、社会人類学的研究も盛 んになってきた。香港は華南地域の中でもとりわけ風水信仰が盛んな地域であることから、比較的早 い時期から、風水にテーマをしぼった調査が行なわれている。たとえば、風水の社会人類学研究に先 鞭をつけた渡邊欣雄は、香港新界や台湾の墓地風水の事例を取り上げながら、風水判断をめぐる知識 や世界観に、風水の生気が祖先や子孫のもつ性格とはまったくかかわりなく外在する自然に影響され るとする機械論的風水観と、祖先が墓地環境や子孫の埋葬処置に満足しているかどうかで決定される 人格的風水観という両極の考え方が見られることを指摘している(渡邊1989) 。瀬川昌久は、新界村落 に伝承されてきた族譜を資料として、渡邊の議論を発展的に検討している(瀬川1994) 。さらに中生勝 美は現代香港の都市における陽宅風水について、高層ビルの場合などさまざまな事例から分析してい る(中生1994) 。 昨年(2000年)には、中国の風水に関する文化人類学的研究を集めた論文集『大地は生きている―中 国風水の思想と実践』 (てらいんく)が出版され、論文集の執筆者を中心とした風水のシンポジウムも 133 東京成徳大学研究紀要 第 8 号(2001) 開かれた。この論文集の中で、志賀市子は「香港風水戦争」等、三つのエッセイを担当し、香港の風 水説が高層ビルの立ち並ぶ超近代的な都市景観をテキストとして生み出されていく様相を描き出した (志賀2000) 。また日野みどりは香港のインテリアにみられる風水を紹介している(日野2000) 。日野み どりと張展鴻は、香港新界の先住民の土地・財産に関わる権利の主張に、風水が交渉の道具としてい かに利用されてきたかを論じている(日野、張展鴻2000) 。 眩 宗教結社 日本では、香港の宗教結社に関する関心は非常に乏しく、まとまったものでは、吉原和男の「徳教」 に関する研究(吉原1978)と志賀市子の民間道教教団に関する研究(志賀1999)がある程度である。香 港には先天道、天道(一貫道) 、天徳聖教、紅卍字会道院など、戦前戦後を通じて中国大陸から香港に 伝播した民間教派の道堂や仏堂が数多くある。先天道や天徳聖教については、1970年代に欧米の研究 (2) 宗教結社によっては、信徒の高 者による研究が出ているものの、その後はあまり進展していない。 齢化や移民により、口述資料を得ることが困難になっているので、調査を急ぐ必要がある。 眤 仏 教 香港の仏教に関する研究も極めて少ない。管見では、香港仏教の歴史と仏教系宗教団体の社会福祉 事業について紹介している江上秀雄の報告(江上1976)と、鎌田茂雄の仏教儀礼の研究(鎌田1973、 1986)しか見出せなかった。現代中国仏教に対する関心の低さは、台湾の宗教研究においても同様で ある。こうした状況は、日本の中国仏教研究者の多くが経典研究中心で、近世や近代仏教への関心が 低いこと、一方現地調査を行う文化人類学者や民俗学者は、もっぱら地方の廟や祖先祭祀などに目を 向け、仏教については知識が乏しいなどの理由もあって敬遠しがちであるという要因から来ていると 考えられる。 だが実際のところ、台湾仏教界も香港仏教界もともに多くの信徒を獲得し、大きな政治力を持った 宗教勢力であり、現代台湾及び香港社会においてその社会的影響力は見過ごすことのできないものと なっている。たとえば昨年5月香港では、香港の仏教団体「志蓮浄苑」の新しい仏殿が竣工し、一般 開放されて話題を呼んだ。志蓮浄苑は66年の歴史を持つ、香港では中規模クラスの仏教団体であるが、 ここ数年仏教徒を称する著名な映画スターを前面に立て、仏殿修復のための募金活動を行って知名度 を高めた。他の仏教団体もさまざまなメディアを利用して、チャリティーや仏殿修復資金を集めるた めの社会活動を行っている。仏教団体はこうした得た資金の多くを、病院や老人ホームなどの福祉施 設の運営にあてており、香港の福祉制度に大きく貢献している。仏教団体の社会活動は、今後もっと 注目していかなければならない分野の一つと言えるだろう。 4.おわりに―今後の課題 以上、日本における香港・広東地域の宗教文化に関する研究状況を簡単にたどってきた。全体とし て言えることは、一つには、研究者の層が薄いため、一つのテーマが複数の研究者によって継続して 134 香港・広東地域の宗教文化に関する邦文文献:回顧と展望 調査されることがほとんどないという点である。唯一の例外は、複数の研究者が異なる時期に調査し、 報告を残している香港新界や長州島の大平清 くらいのもので、他はほとんどが一人の研究者の単発 的な報告にとどまっている。今後は共同研究などの形で、一つのテーマを複数の研究者によって、さ まざまな角度から長期的に取り組む研究が求められよう。 もう一つは、これまで香港・広東地域の宗教文化研究を主として担ってきたのは文化人類学者や民 俗学者ということもあり、研究対象がどちらかと言えば廟の祭礼、祖先祭祀、風水などの民間信仰に 偏り、仏教、道教などの成立宗教に関する研究がとびぬけて少ないという点が挙げられる。だが、複 雑な現代社会を対象とする場合、小さなコミュニティにおける民間信仰研究に終始し、教義、制度、 歴史を持つ成立宗教を避けて通るのは極めて不十分と言わざるを得ない。従来の参与観察を主体とし た人類学のフィールドワークでは、規模が大きく、歴史ある宗教組織の全容はなかなか把握しにくい ことも確かだが、文字資料を積極的に利用したり、歴史学や宗教学の研究者と共同研究を行うなどの 形で、成立宗教にももっと目を配っていく必要があろう。 最後に、香港・広東地域の宗教研究は、今後特にどういう分野に関して、新しい視点や資料を提供 し得るかという観点から、今後の課題を三つ指摘しておきたい。 第一に、これまでの研究では、伝統的な村落社会を基盤として行われる宗教活動が多くとりあげら れ、都市部に居住する人々が実践する宗教活動やその宗教的世界観については、十分研究されてこな かった。だが、アジアの都市の中でも際立った近代性を持つ都市空間において、民俗宗教が形を変え ながらも根強く生き続けている香港の状況は、従来の都市化と宗教に関する理論、すなわち都市化= 近代化=世俗化という図式の再考を促すデータを豊富に提供している。また香港はイギリスの植民地 であったことから、植民地政府の現地宗教に対する政策という点でも興味深い資料を提供してくれる はずである。公文書を扱う香港档案館(公文書館)では、廟の土地をめぐる訴訟や香港の廟宇を管理 する半官半民組織「華人廟宇委員会」に関する档案資料を閲覧することができる。こうした資料を用 いた研究も今後期待されるところである。 第二に、中国が改革開放路線を取るようになった80年代以降、外国人による中国大陸での現地調査 も少しずつではあるが開かれるようになった。欧米人研究者が既に残している実績にはまだまだ及ば ないが、日本人研究者も大陸での調査を始め、一定の成果を挙げている。華南地域では福建省が割合 よく調査されている。日本では、台湾をフィールドとしていた研究者が、台湾とつながりの深い福建 省を選び、調査を行うケースが少なくないからである。たとえば台湾の王爺信仰の研究で知られる三 尾裕子は、福建省での王爺廟の分布や台湾との関係等について報告している(三尾1997) 。香港とつな がりの深い広東省では、瀬川昌久が客家の研究で積極的に大陸での調査を進めている(瀬川1993) 。今 後、中国本土での調査が開放されるにつれ、台湾をフィールドとしてきた研究者が大陸の福建省を射 程に入れたり、あるいは香港の研究者が広東省での調査にのり出すといった動きはさらに盛んになっ ていくだろう。 宗教の分野に関していえば、広東省では改革開放政策以降、文化大革命中に断絶していた宗教伝統 135 東京成徳大学研究紀要 第 8 号(2001) が目覚しい勢いで復興し、廟や道観、仏寺の修復、再建事業が活発化している。ティモシー・ツーは こうした状況に早くから注目し、宗教復興の要因を国家の政策、華僑からの援助などいくつかの項目 に分けて論じている(ツ−1995) 。志賀市子は、広東省の道観復興事業を取り上げ、香港道教界がイニ シアチブをとる形で、香港と広東の道教界が一体化を強めている現状を報告している(志賀2001) 。広 東省の宗教調査は北京や上海周辺に比べて比較的自由なので、今後もっと多くの研究者に参入を期待 したい。 第三に、歴史的に香港は、中国本土と東南アジア各地や北米の華人社会をつなぐ華僑ネットワーク の拠点となってきた。とりわけ民国期における仏教、道教団体の活動展開や、廟の再建、修復事業に は、海外華僑からの資金援助など、華僑ネットワークが必ずといっていいほど関わっている。近代を 対象とした中国宗教研究は日本ではまだ少ないが、たとえば『現代中国の構造変動』5に収録された、 足羽與志子の福建省の仏教復興に関する論考などは、今後の研究の方向性を示すものと言えるだろう。 足羽は、仏教復興を可能にした中国内外の仏教ネットワークの形成を19世紀末から20世紀中期にかけ ての時期に見出し、改革開放期の仏教復興は、以前のネットワークを下地として活性化したとする歴 史的な見方をとっている(足羽2000) 。今後の香港・広東地域の宗教文化研究もこのように、近代中国 の宗教的潮流と華僑ネットワークを視野に入れた歴史的な研究が求められていくだろう。 〈文献目録〉 足羽與志子 2000「中国南部における仏教復興の動態―国家・社会・トランスナショナリズム」(菱田雅晴編『現代中国 の構造変動』5、東京大学出版会) 江上秀雄 1976「香港の仏教社会事業」『仏教福祉』3. 大橋健一 1994「香港―超過密都市の墳墓空間」(小島麗逸編著『アジア墳墓考』勁草書房) . 大淵忍爾 1971「香港・台湾における道教儀礼に関する調査報告」『岡山史学』24. 1980「香港の道教儀礼」(『池田末利博士古稀記念東洋学論集』柳盛社) . 大淵忍爾編 1983『中国人の宗教儀礼―仏教・道教・民間信仰』福武書店. 尾上兼英 1984「伝統芸能」 (可児弘明編『もっと知りたい香港』弘文堂) . 可児弘明 1967「香港中国人の宗教思想の一端について」『史学』40-2,3. 1970「香港農村の民間歌謡―“哭歌子”の様式と伝承の構造」『文学』38-6. 1972a「扶鸞雑記―民衆道教の周辺盧」『史学』45-1. 1972b「人形芝居と道教―民衆道教の周辺盪」『史学』45-2. 1973「符疏に関する調査(香港)―民衆道教の周辺蘯」『史学』45-3. 1975「誼子の慣行について―民衆道教の周辺盻」『史学』47-1,2. 1986「「残された中国」の現地研究」(秋月観暎編『道教研究のすすめ その現状と問題点を考える』平河 出版社). 1994「広東巫俗〈贖魂舞〉について」(宮家準、鈴木正崇編『東アジアのシャーマニズムと民俗』慶応義塾 136 香港・広東地域の宗教文化に関する邦文文献:回顧と展望 大学地域研究センター叢書2、勁草書房) . 可児弘明編 1984『もっと知りたい香港 付マカオ』弘文堂. 1991『香港および香港問題の研究』東方書店. 1999『もっと知りたい香港』第二版、弘文堂. 鎌田茂雄 1973「香港の仏教儀礼―大悲懺法について」『印度学仏教学研究』22-1. 1986『中国の仏教儀礼』東洋文化研究所. 香坂順一 1943a「隠語よりみたる広東社会層」(1)(2)(3)(4)『民俗台湾』3-3、3-4、3-5、3-8. 1943b「広東通信」 『民俗台湾』3-9、3-12. 1943c「広州の納妾」 『民俗台湾』3-11. 1944『広東の民話』竹井書房. 蔡志祥 1987「地を洗い疫病をはらう太平清 1988「 」『季刊民族学』40. 祭の人名リストにみられる親族の範囲」『文化人類学』5、アカデミア出版会. 2000『打 ―香港的節日和地域社会』香港:三聯書店. 酒井忠夫編 1983『東南アジアの華人文化と文化摩擦』厳南堂書店. 1992『中国の霊籖・薬籖集成』風響社. 沢田ゆかり 1994「香港の埋葬習慣の変容と葬式費用」(小島麗逸編著『アジア墳墓考』勁草書房) . 志賀市子 1994「香港海陸豊福 人の功徳儀礼−『過橋』儀礼を中心に」 『比較民俗研究』第9号. 1995a「香港の道教団体と扶 −意思決定にみる神意と人為のダイナミクス」『民俗宗教』第5集、東京堂 出版. 1995b「香港の『道壇』−近代民衆道教の一形態として」『東方宗教』第85号. 1995c「香港における『道壇』の社会的機能とその変遷−青松観を事例として」『東アジア地域研究』第2 号. 1997「都市社会香港における葬儀の担い手の変化―『喃嘸 』から『経生』へ」(瀬川昌久編『香港社会の 人類学―総括と展望』風響社). 1998「ある霊媒廟の選択―都市社会香港の成熟とエスニックな宗教文化の変容」 『宗教と社会』別冊Vol.3. 1999a『近代中国のシャーマニズムと道教―香港の道壇と扶 信仰』勉誠出版. 1999b「香港道教界の成立と展開―『伝統的中国文化』とアイデンティティ」(三尾裕子、本田洋編『アジ アにおける多中心性』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所) . 2000「香港風水戦争」他(聶莉莉他編『大地は生きている―中国風水の思想と実践』てらいんく) . 2001「広東省へ進出する香港道教―拡大する『香港経済文化圏』の中で」『アジア遊学』第24号. 白鳥芳郎 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の祭祀集団」(瀬川昌久編『香港社 会の人類学―総括と展望』 、風響社). 日野みどり 2000「住まいとインテリアの風水」(聶莉莉他編『大地は生きている』てらいんく) . 日野みどり、張展鴻 2000「租借地における風水と土地使用」(聶莉莉他編『大地は生きている』てらいんく) . 牧野巽 1985「広東原住民考」『牧野巽著作集』第5巻. 松山虔三、宮本延人 1942「広東の竈祭り」『民俗台湾』2-12. 松山虔三 1943「広東歳末風景」『民俗台湾』3-1. 三尾裕子 1997「中国福建省 南地区の王爺信仰の特質―実地調査資料の整理と分析―」『アジア・アフリカ言語文化 研究』54. 遊子安 1999「香港早期道堂概述―以先天道為例説明」『台湾宗教学会通訊』第5期. 吉原和男 1978「華人社会の民衆宗教―香港・潮州人社会の徳教」 (宗教社会学研究会編『現代宗教への視角』雄山閣) . 1979「華人社会の民衆教団―徳教の扶 儀礼」『宗教研究』238. 1984「宗教」 (可児弘明編『もっと知りたい香港』弘文堂) . 李献璋 1972「潮州人的人生過程儀礼―在香港的民俗採訪報告之二」『中国学誌』第6本、東京:泰山出版社. 1973a「広州三邑人的人生過関儀礼―在香港的民俗採訪報告之一」『中国学誌』第7本、泰山出版社. 1973b「広東嘉応客家的人生過関儀礼―在香港的民俗採訪報告之三」『中国学誌』第7本、泰山出版社. 138 香港・広東地域の宗教文化に関する邦文文献:回顧と展望 1979『媽祖信仰の研究』泰山文物社. 林美容、三尾裕子編 1998『台湾民間信仰研究文献目録』東京外国語大学アジア・アフリカ研究所. 渡邊欣雄 1985「香港・長州島における龍舟祭の儀礼過程―予備的報告」『武蔵大学人文学会雑誌』17-1(1991『漢民 族の宗教―社会人類学的研究』第一書房に再録) . 1989「漢族の風水知識と世界観―墓地風水をめぐる議論をめぐって」 『南島史学』33. 1990「香港水上居民の家族生活―長州島を事例とした予備的調査報告」(『白鳥芳郎教授古稀記念論叢・ア ジア諸民族の歴史と文化』六興出版社) . 〈注〉 (1) ここで言うところのエスニック・グループとは、「漢族」というエスニック・カテゴリーの下位にあって、 出身地域・方言を同じくする人々の集団を指す。 (2) たとえば、先天道については M. Topley,“Notes on Some Vegetarian Halls in Hong Kong belonging to the Sect of Hsien-T’ ien Tao (The Way of Former Heaven),”Journal of Hong Kong Branch of Royal Asiatic Society, Vol.8、天徳聖教については Welch & Yu,“The Tradition of Innovation : A Chinese New religion,” Numen, Vol.27 がある。なお先天道については、最近香港城市大学の遊子安が、新しい資料をもとに先天 道嶺南派の歴史についての論文を発表している(遊1999)。 139
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