回 想 る︶を王とする神々の館があったという。ゼウスは、父であ るクロノスを追放して絶大な権力を握っていた。父は、ティ タン族の首長だったので、ティタンは反乱をおこしたが、や ティタンのイーアペストには、四人の息子があったが、メ がて鎮圧される。 ノイティオスとアトラス︵アフリカ北西のアトラス山脈の語 源、それより西の海がアトランティック・オーシャン、大西 を知ってゼウスに味方したので、オリュンポスの神の仲間に プロメテウス︵先に考える者︶は、ゼウスが優勢であること 安 田 修 一 休日のひととき、机に向かってペンをとる。昭和三十二年 洋︶ は、 反乱に加わったということでゼウスから罰をうける。 から八年間、東京慈恵会医科大学の第一内科で、上田英雄、 加わることを許される。エピメテウス︵後で考える者︶は、 ①プロローグ 高橋忠雄両教授の指導の下に、診療と研究に従事していた日 兄の勧めに従ったので追放を免れた。 ある日、館で会があり、プロメテウスは食事の分配係を務 めた。一方には、脂肪に富んだ肉と内臓を牛の胃袋につめて おき、他方に、肉のついていない白い骨をつややかな脂肉で くるんで並べた。ゼウスは、先に選ぶようにすすめられ、う まそうに見えるが食べることの出来ない骨の方をとる。王は 怒り、肉と内臓を得た人間たちが料理するための火を隠して しまう。人類を創造したプロメテウスは、アテナ︵知恵の女 神︶の手引きでオリュンポスに忍びこみ、火のついたままの ういきょう 炭を大 茴 香 の茎の中に隠して地上に持ち帰った。 人間に文明の第一歩を踏みださせたプロメテウスを罰する のことが脳裡に浮かぶ。朝八時からの教授回診や夜の動物実 験。中央検査室はなく、研究室の片隅にチセリウスの電気泳 動装置があって、仲間たちと血清蛋白分画の測定を分担して いた。それから五十年が過ぎた。 昨年と同様、自然の風景、医学の歴史、診療メモ、かつて 読んだ本、映画のストーリーなどで、今一度、断片的な文章 を書いてみたいと思う。 ②肝臓の古い話 ギリシャ神話によれば、ギリシャの北方、テッサリアにあ るオリュンポスの山頂に、ゼウス︵語源は﹁天空﹂を意味す - 48 - ために、ゼウスは妙案を思いついた。美女をつくり、パンド ラと名づけて、 エピメテウスの所に贈ったのである。﹁これは、 ゼウスの陰謀だ。送り返した方がいい﹂とプロメテウスは弟 に忠告したが、 エピメテウスはパンドラの美しさに魅せられ、 妻にしてし まう。 彼女は、 神々からの 贈物の壺を 持参してい た。好奇心 からこの壺 を開けた途 端に、それ まで地上に 存在しなか った、あり わざわ とあらゆる 災 いや疾病が飛び出したのである。しかし、彼 女が急いで蓋をしたので、ただ一つ﹁希望﹂だけが残った。 プロメテウスは、ゼウスの王位を危うくする秘密を知って いた。ゼウスは、それを明らかにするよう迫ったが、彼は、 その命令に従わなかった。 『ギリシャ神話』 (岩波新書) 高津春繁著から ゼウスは激しく怒り、プロメテウスを世界の果て、コーカ サスの岩山に鎖で縛りつけ、大鷲を送ってプロメテウスの肝 臓を食い荒らさせる︵図︶ 。昼間食べられた肝臓は夜の間に再 生するので、毎日、食べにやってくる。プロメテウスの苦し みは、やむことがなかった。しかし、ついに時が至り、英雄 ヘラクレスが大鷲を射落とし、 プロメテウスを救うのである。 紀元前二〇〇〇年頃、チグリス河とユーフラテス河にはさ まれたメソポタミアは、 世界文明の中心として栄えていたが、 そこに住むバビロニア人とアッシリア人は、肝臓に生命が宿 - 49 - ると考えていた。又、紀元前五世紀、古代ギリシャのプラト ンは、肝臓が知的精神、思考力を映し出す鏡であるとのべて 古い時代の物語が、芸術家によって、再現されることがあ いる。 る。例えば、ベートーヴェンの作品に﹁プロメテウスの創造 物﹂というバレエのための音楽があり、その中の序曲は、今 世紀、中世のフ 日、演奏会の曲目となっている。又、ルーベンスの絵画に﹁鎖 に繫がれたプロメテウス﹂がある。 ③心臓と音 ﹁悪魔が夜来る﹂という映画があった。 に遣わした﹂という字幕と共にこの映画は始まる。 ランス。 ﹁悪魔は人間たちを絶望させようと、二人の者を地上 15 男爵の城で、娘アンヌと騎士ルノーの婚約の宴が開かれて いるとき、吟遊詩人に化けた悪魔の使者、ジルと男装したド ミニクが訪れる。彼等は、悪魔の命令によって、城を不幸に 落とし入れるためにやって来たのだが、ジルとアンヌは一目 で恋に落ちてしまう⋮⋮⋮。庭園に小鳥がさ えずり、清らかな泉のほとり。思い出の場所 で、アンヌとジルはたたずんでいる。美しい 音楽の流れ。悪魔が現われ、意に従わない二 ﹁何だろう? 何の音だ? 心臓の音だ、 人を石にしてしまう。 打ってる、心臓が打ってる、打ってる、打っ てる﹂ ﹁止まれ、止まれ、止まれ⋮⋮﹂と叫 びながら、石像を打ち続けるところでラスト シーンは終わる。 マルセル・カルネ監督によるこのフランス 陽が宇宙の心臓であるように、心臓 国のウィリアム・ハーヴェイは﹁太 長い年月を経て、一六二八年、英 ︶の やすためのものであり、この冷却の過程は粘液︵ Pituita 分泌によって効果をあらわすとされた。この粘液は、下垂体 の名称となっている。更に遠い昔、中国の皇帝、黄帝︵紀元 だいけい 前二六九八∼二五九八︶は、 ﹁内経﹂という医学書の中で﹁人 体内の全血液は、心臓の支配下にあ り、心臓によって調節されている。 血液は絶えず循環して流れており、 止まることがない﹂と記述している。 又、 ﹁心臓は王であり、肺はその大 臣たちである。また、肝臓がその将 軍で、胆嚢がその裁判官である。そ して、脾臓が五感を支配し、三つの 熱腔、すなわち胸腔、腹腔、および 骨盤が老廃物を始末する﹂と生理学 を面白く説明している。 れた作品で、悪魔によって石像にされてしま 映画は、一九四二年、第二次大戦中に発表さ ったジルとアンヌの恋人たちが刻む心臓の鼓 ルベルト・ケリカーによって、心臓の拍動で電気がおこるこ は生命の源泉であり、 ﹃小宇宙﹄の太 動に、ドイツの占領下にあっても失われるこ とのないフランス人の自由への願望を象徴させているという。 陽である﹂とのべ、血液循環の原理を発表する。一八五七年 に、ドイツの生理学者、ヨハネス・ミュラーとルドルフ・ア 古代ギリシャの時代、紀元前四世紀に生まれたアリストテ レスは、心臓を知性の座と考えていた。脳は、単に心臓を冷 - 50 - とが証明され、一九〇三年、オランダのアイントーヴェンに いにしえ は、ポーランド・ワルシャワの教会に納められている。彼の 祖国を限りなく愛したピアノの詩人、楽聖ショパンの心臓 れ故に、 古 の賢者たちは、医学と音楽と詩歌との不可分の 力を崇拝したのだ﹂ 直径五ミリの小さな結節が、心臓のリズムを作り出してい 音楽は、 永遠に人々の心に安らぎを与えてくれることだろう。 より、人体における心電図の記録が成功したのである。 た人がいた。その人の名は、ルネ・テオフィル・イアシント・ ﹁脾臓がのさばって胃腸や心臓をおしつけているので、食物 に、次のような記述がある。 永井隆という人がいた。彼の著書﹁この子を残して﹂の中 ④脾 臓 る。長年の間、心臓の音をはっきり聞きとりたいと望んでい ラエンネック︵一七八一∼一八二六︶ 。彼は、ある日、ルーヴ ル宮殿の中庭を歩いていたとき、一人の少年が板の一方の端 に耳を押しつけ、もう一人の少年が他の端を釘で叩いて送っ 彼は、大急ぎで病院に帰り、一帖の紙を円筒状に捲き、一 は多くは入らず、腸の通りは悪く、息切れはする、妊娠十ヵ てくる信号に聞き入っている姿を見た。 端を患者の胸に当て、他端に耳を押し当てた。すると、心臓 月の婦人が肩で息をついているのと同じだ。妊娠の方はやが 出てゆかない⋮⋮﹂﹁腹のまわりが、 へその高さで九一センチ。 て赤ちゃんが生まれたらめでたしめでたしだが、私の脾臓は の音が非常にはっきり聞こえた。更に、紙筒を曲がった木製 の筒にとりかえたところ、 もっとよく聞こえるようになった。 が途方もなく大きくなっているからである⋮⋮。私の腹の左 これ以上は皮が伸びないところまで膨れている。これは脾臓 彼は、この木の筒を聴診器︵ステトスコープ︶と名づけたの 映画﹁悪魔が夜来る﹂の中に、美しい音楽があった。ギリ 半分全部を占領してまだ余り、へそを越して右の方へかなり である。 シャ神話に登場するアポロンは、医学の神であり、音楽と詩 のさばり出ている﹂ 。 彼は、長崎医大の物理療法科の医師であり、原子爆弾で被 歌を司る神である。医師で詩人のスコットランド人、ジョン・ 爆し、慢性骨髄性白血病でその生涯を閉じた。 アームストロングは、このことについて次のようにのべてい る。 父・ヒポクラテスは、人間の体内には四種類の体液があり、 古代ギリシャの昔、紀元前四六〇年頃に生まれた医学の ﹁音楽は、全ての喜びを高め、全ての悲しみを静め、諸病を 追い払い、あらゆる苦しみをやわらげてくれる。そして、そ - 51 - 心臓の血液、脳の粘液、肝臓の黄胆汁、脾臓の黒胆汁が調和 ⑤ホルモン ﹁冬来たりなば、春遠からじ﹂と英国の詩人シェリーは書 いた。寒い冬がやってくると、草や木は遠からず新しい季節 が訪れることを知っている。路傍に並ぶプラタナスの小枝で、 つぼみ ほのお あまたの 蕾 があたかも小さな 焔 の如く、紅い光を放出する。 しているときは健康であると考えていた。 もので、それは鏡のそばのふきんのようなものであって、汚 植物には、種々のホルモンが存在することが明らかになっ る脾臓は、肝臓を常に明るく、ぴかぴかに磨いておくための ヒポクラテスの晩年に活動したプラトンは﹁肝臓の隣にあ れがたまると大きくなり、体が浄化されると小さくしぼむ﹂ た。花芽を作り出す花成ホルモン、フロリゲン、冬の間、花 芽の成長を抑えるアブシジン酸というホルモン、このホルモ と述べている。 ンが徐々に減少して、春になるとジベレリンが登場し、茎や 花が開いたり、閉じたりするのは、オーキシンの作用によ 花の生長を促進する。 又、紀元二世紀のローマ時代、ガレノスは﹁栄養に不適当 この臓器の構造と機能が解明されるためには、その後の長 な成分は、 脾臓から管で胃の中に放出される﹂ と語っている。 い年月が必要だったのである。 な関係があり、トマトでは、初期にオーキシンが増加し、次 クトン﹂が発見された。植物ホルモンは、果実の発育と密接 る。又、植物の枝分かれを抑える植物ホルモン﹁ストリゴラ 記録された。一八二七年のことである。そして、ドイツのウ いでジベレリン、最後に果実が着色し、成熟するときはアブ 白血病は、フランス人、ベルポーによって、初めて症例が ィルヒョウによって、一八四七年に白血病という名称がつけ 種無し果実が作られている。 シジン酸が増加するという。又、ジベレリン処理によって、 られたのである。 長期間にわたるX線の被曝、原子爆弾や原発事故による多 量の原子放射能は、白血病の病因となる。慢性骨髄性白血病 春になって日が伸びると、ウズラのオスで甲状腺刺激ホル モン︵TSH︶の分泌が増加するという記事があった。 は、腫瘍細胞の脾臓への浸潤によって著しい脾腫をひきおこ 海水、植物、動物に存在しているが特に海藻に多い。蒸気が 人体に約二〇ミリグラム存在する元素がある。大気中、 土、 す。 紫色を呈する。人間が生命を維持するために不可欠。消毒作 ゆううつ 脾臓は、かつて、黒い胆汁を宿す憂鬱の座とされ、体内の 黒胆汁が多くなると憂鬱症︵メラン↓黒い、コリー↓胆汁︶ になると考えられていた。 - 52 - のヨウ素︵I︶ 用がある。その不足を補うために食塩に添加している国があ みこむさまを詠んだ松尾芭蕉の有名な句である。岩があり、 これは、凝灰岩と呼ばれる多孔質の岩の中に、蝉の声がし る。あるホルモンの成分。それは、原子番号 蝉が鳴く自然の風景には、素朴な風情がある。 山の岩にも、さまざまの色や形や趣がある。渓谷の中の大 ば、やがて、石となり、砂となり、土となるであろう。又、 きな岩が、 年月を経て風化し、 打ち砕かれ、押し流されれ 生体の代謝を促進する甲状腺ホルモンには、サイロキシン ︶とトリヨードサイロニン︵ の方が う。 岩石や土砂によって、渓流が塞き止められることもあるだろ ︵ が分泌される。作用は 水の中のあまたの物質が、いつの日か沈殿し、固化して、 新しい石を作り出すこともある。 胆汁の流れは、川の流れにも似ている。胆石は、一五%の とが少なくない。ある調査によれば、胆石症105062例 人がもっているともいわれる。胆嚢結石が多く、無症状のこ ホルモンという名称は、一九〇五年に英国の生理学者、ス たという。総胆管結石症は、緊急の対応を必要とする。胆石 中、総胆管結石症は19465例で、一八・五%を占めてい く﹂とヒポクラテスは述べている。 ﹁体質が耐えられる以上に過多な栄養をとれば、病気を招 蝉は超音波を出していると言われる。 る。 いことがあるので、疑わしい場合は、再検、精検が必要であ 症の診断に、腹部超音波検査が行われる。胆石が描出されな 機能を目覚めさせ、興奮させるという意味のギリシャ語に由 甲状腺ホルモンは、冬になると分泌が亢進する。オタマジ 来しているという。 ターリングによって初めて使用された。ホルモンは、生物の る。 ホルモン放出ホルモン︵TRH︶などによって調節されてい 腺刺激ホルモン︵TSH︶ 、更に上位の視床下部の甲状腺刺激 力であるといわれる。甲状腺ホルモンは、下垂体前葉の甲状 は主として の約五倍強 ︶があり、甲状腺から となっている。 は、紫色を意味するギリシャ語に由 である。ヨウ素の Iodine 来するという。この元素は、大部分が甲状腺ホルモンの成分 53 T4 T3 T3 ャクシが蛙に変態するのは、このホルモンの作用によるとい われる。 ⑥胆石症 ﹁閑かさや岩にしみ入る蝉の声﹂ - 53 - T4 T4 ⑦高血圧 単調な川の流れの中にも、よく見れば日々刻々変化して止 まない色がある。まばゆい光や美しい空色の影をうつす静か な流れが、一陣の風と共に消え去り、降りつづく雨で水かさ よろず はじめ 苦しみ甚しけれど、益少なし。万 の事、始 によくつつしめ くい ば、後に悔なし。養生の道、ことさらかくのごとし﹂と益軒 は養生訓の中でのべている。 ⑧痛風 ﹁足の親指、まれに踵や足首、 を増せば、すさまじい力で周囲を圧倒することであろう。 私たちの体内をめぐる血液の流れは、心の状態や食事や運 足背部の激しい疼痛で目がさめ ロ、コロンブス、ゲーテなど、 れ、ローマ皇帝やミケランジェ ある。王侯貴族の病として知ら 載した。二百年余り前のことで 状についてはじめてくわしく記 時に痛風となり、この疾病の症 ーマス・シデナムは、三十歳の みである⋮⋮﹂英国の医師、ト 迫する様な、しめつける様な痛 動などのいろいろな要素によ ある職場の健康診断で、血 圧の上昇と肥満・飲酒・喫煙 との関係を比較し、上表のよ うな結果を得た。これらの三 つの要素は、それぞれ独立し 複数の危険因子を有する場合 て血圧上昇に関与しているが、 は、危険因子が相乗的に作用 することを示している。 歴史的に有名な人物がこの病気 をもっていたという。 痛風は、高尿酸血症によって おこる関節炎の発作で、激しい 疼痛と腫脹と発赤が、ある日突 - 54 - る。咬まれる様な痛みであり圧 尿酸値と痛風発作の関係(56 歳男性) って常に変化している。 肥満 飲酒 喫煙 血圧上昇(%) − − − 5.4 + − − 17.6 − + − 8.7 − − + 8.5 + + + 25.0 ﹁ 病 生じては、心のうれひ、身の苦しみ甚だし。其上、医 をまねき、薬をのみ、灸をし、針をさし、酒をたち、食をへ らし、さまざまに心をなやまし、身をせめて病を治せん、と せんよりは、初めに内欲をこらゑ、外邪をふせげば、病おこ らず。後に薬と針・灸を用い酒食をこらへつつしむは、その やまい 表1 生活習慣と血圧上昇の頻度 25.1 3 合 33.4 表3 肥満と尿酸値の増加の頻度 尿酸値の増加(%) 肥満なし 6.9 肥満あり 22.9 尿酸値の増加(%) + 26.9 1合 肥満 飲酒 表4 飲酒、肥満と尿酸値増加の頻度 2合 + 38.0 3合 + 48.5 全 職 員 17.7 る。 頁の図と表2、および表3、4 を参照=ある職場の健康診断から︶ ︵ すことがある。高尿酸血症は、飲酒や肥満と密接な関連があ ないことがある。また、尿酸値が比較的低くても発作をおこ を高尿酸血症としているが、尿酸値が高くても発作をおこさ ⑨回 想 ある記憶は、 時を経ずして容易に忘却の彼方に消え失せる。 苦しかったことが、あとになって懐かしい思い出に変わる 去ることが出来ず、思い出したくない日々がある。あの忌ま こともある。しかし、年月の経過にも拘わらず、決して忘れ わしい戦争の三年八ヶ月と一週間、それは、何と長く感じら れたことであろう。 ストーブに入れた石炭の煙が、薄暗い教室の中に立ち込め 誰かが戦争だと叫んだ。小学校五年生のときである。 ていた。信州の昭和十六年十二月八日。授業の休み時間に、 それからの新聞の記事は、大本営発表、戦艦、空母、巡洋 艦何隻撃沈、敵機何機撃墜などの戦果の連続であった。しか とか、グラマンとか、コ し、そのうちに﹁ガー、東部軍管区情報﹂とラジオが鳴り響 2 合 然出現する。高尿酸血症は、尿酸が過剰に生産されたり、腎 14.7 いて、 敵機の来襲を知らせるようになる。﹁敵機はこんな型だ﹂ 1 合 というタイトルで、ボーイングB 9.3 臓からの排泄が低下したり、あるいは、両者の混合によって 尿酸値の増加(%) 54 松本市立中学校の校長、田中長男は、その日も朝礼の訓示 で、予科練や幹部候補生などの学校に行く上級生の名前を読 み上げていた。学徒動員であった。教練という学課の時間に なると、膝から下にカーキ色のゲートルを着用し、木製の銃 かつ を肩に担いで﹁一つ、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。 食料の配給は、一層乏しくなって行った。 ンソリーデーテッドなどの写真が掲載されたことを思い出す。 29 - 55 - 飲酒量 飲酒なし 招来される。一般に、七・〇ミリグラム/デシリットル以上 表2 飲酒量と尿酸値の増加の頻度 一つ⋮⋮﹂と呼称し、四列縦隊で市内を行進する。 中学三年生のとき、私たちは工場で働くことになった。勤 労動員である。 天井をクレーンが騒音を立てて往来していた。 ある日、小型のトラックで、工場の物品を山の中に運搬し たことがある。荷台に積んであった薬品の中に、 ﹁神薬﹂とい う名の小瓶があった。それは、強壮剤だったかも知れない。 茶褐色の粘稠な甘い液体で、何人かがそれをこっそり飲んだ らしく、発覚した。若宮中尉は、クラスの全員を集合させ、 そして、学校での新しい日が始まる。本屋で参考書を購入 する。赤尾好夫の英語の辞典の序文には、次のような文章が あった。 ﹁永劫の焔を燃え立たせる油は、君が全身全霊をあげて努力 するその汗の中にのみ得られよう﹂又、 Where there is a will, there is a way. を記憶している。 映画﹁そよかぜ﹂を見る。戦後第一作のこの日本映画は﹁赤 いりんごに 唇よせて だまってみている 青い空 リンゴ 長い軍刀をチャラチャラさせながら一喝した。 ﹁お前らは、上 官の命令を何と心得るか!﹂と。 はなんにも いわないけれど リンゴの気持ちは よくわか っている⋮⋮﹂ 。 近づき、現在は矢の如く飛び去り、過去は永遠に沈黙して立 ﹁時の歩みには三様の相がある。未来はゆるやかな足取りで 品の中で、次のように述べている。 ドイツの詩人シラーは、一七九六年、思想詩と呼ばれる作 ⑩エピローグ まろうとしていた。 そして、 ﹁青い山脈﹂の歌や映画と共に、私の青春時代が始 歌声によって、この国に平和が訪れたことを知らせていた。 る リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ ⋮⋮﹂という明るい 工場での毎日はいやでたまらず、一体いつまで続くのであ ろうかと思った。この戦争は負けると級友が言った。そして 八月十五日、それは真実となった。この日、正午、直立して ラジオに耳を傾ける。天皇は、特長のあるイントネーション の声で語りかけていた。 放送が終わると、甘いチョコレートのような菓子が一枚配 られた。このようなものが、どこにあったのだろう。暑い日 であった。 かげろう 帰りは、いつも南松本という駅に行った。陽炎の立ちのぼ るレールの上に、小さな汽車が現われ、ゆっくりと上下左右 にゆれながら近づいてきた。もうここに来ることはない。太 平洋戦争は終わったのだ。 - 56 - 燕岳の近くの燕山荘から望む北アルプスの連山 あわただしく変化する現在の時をしばし離れて、過ぎ去り し日のことを追懐の念をもって書いてみたいと思う。 信州・松本駅 ちちはは 父母に 別れを告げし 汽車の窓 信濃の山は 遠く去り行く 昭和三十年四月、私は国立東京第一病院︵現在は国立国際 医療センター︶でインターンをするため、故郷を後にした。 病院長の坂口康蔵先生は﹁諸君に望む﹂と題して、次のよ うに述べたことを記憶している。 ﹁私は、従来、患者に対する心がけとして、患者が自分の 受けたら満足であるかという事を常に念頭に置いて患者に接 親兄弟、又は、妻子であった場合、如何なる診療や取扱いを するようにと、若い人々にも話し、自分でもこれを実行する ように努めているが、その時代の医学で最善と一般に信じら れている事はやってもらいたいが、やらずにすむ事、これは なるべくやってもらいたくない。このことは、単に私のみで なく、凡ての人に共通な希望だと思う⋮⋮﹂ 。 きびしい実地修練であったが、新しい友人たちとの楽しい 二百八十日であった。記憶の糸をたどって行くと、医学部の - 57 - (北アルプス) ノアザミやオヤマリンドウやアキノキリンソウなど、色とり どりの花を前景に入れて、いつか一枚の絵を描こうと思う 学生時代が到来する。記念アルバムの中で、恩師が語りかけ る ﹁自道精進﹂ ﹁ ﹂ ﹁ の如く、如何なる環境 Step by step Pilz を持つように ﹂ にでも適応出来るような vitale klaft 又、同級生の言葉が所狭しと記されていた。 ﹁平凡、雑誌の名にあらず﹂ ﹁考える人間の最も美しい幸福は、究め得るものを究めつ さかのぼ くし、 究められないものを静かにあがめることだ ︵ゲーテ︶ ﹂ 。 更に 遡 って行くと、昭和二十三年、高校は、新制高校第 一回であった。担任の国語の先生から送られた葉書には、歌 が書かれていた。 安田修一 行き止まずやれ や あかあかと 途ふみ出でて はるかなり 多くの恩師と友人たちの言葉が、頭の中をかけめぐる。時 は流れ、かつて、そこで過ごした家はない。私の故郷は、松 本市の郊外で、家の前の小径にそって小川が流れていた。あ たり一面に田畑が広がり、遠く北アルプスの山々が美しかっ た。 ざる 小川には、鯉やどじょうが泳ぎ、大きな笊を持ち出しては 川の中を歩きまわったものである。少し離れたところに奈良 - 58 - !! 井川という川があり、泳いだり、ハヤを釣りに行った。夏に きら なると、蛍の光が点滅し、夜空の星は限りなく美しく煌めい ていた。又、秋には、稲子を取ったり、栗や胡桃を拾って歩 いた。 幼友達と庭でビー玉やメンコで遊んでいると、家の中から 双葉山や羽黒山、名寄岩などの相撲の実況を伝えるアナウン サーの声が聞こえてきた。村の祭りに行って、アセチレンガ スのにおいがする夜店で綿アメを食べたり、舞台の余興や仕 掛け花火を見た。 か る た すごろく 新年には、弟や妹と加留多や双六などで遊んだ。模型飛行 機を組み立て飛ばして楽しんだこともある。家には蓄音機が あり、右側のハンドルをまわし、針を入れてはレコードを聴 いた。父と山や高原に行った日のことを鮮明に記憶している。 断片的な古い記憶の中で最も古い記憶は、もしかしたら、 母の歌った子守唄﹁ねんねんころりよ おころりよ⋮⋮﹂で あるかも知れない。 私は、いま一般病院の内科で診療に従事している。休日に は、演奏会に行って聴いたピアノやヴァイオリンの巨匠たち の音楽に耳を傾け、楽しんでいる。いろいろのことがあった が、人生において重要なこと、それは、夢をもって努力する こと、 人と人とのつながりが如何に大切であるかを知ること、 そして、人間の力の限界について考えることであると思って いる。 夏休みに、上信越高原国立公園にある山田峠に行った。山 道に近く聳え立つ丘のはるか彼方に、北アルプスの連山をみ た。 ノアザミやオヤマリンドウやアキノキリンソウなど、色と りどりの花を前景に入れて、 一枚の絵を描こうと思っている。 ︵カットと写真も筆者︶ - 59 - いのちありて 沼 口 満津男 ているのをおぼろげに覚えている。やがて病院に着いたが、 どのような検査が行われたのか私は全然覚えていない。私の 頭を撮影したCTの写真を医師が見せて、異常所見がないの 救急車のあとを追いかけて来た長男の俊介の自動車で練馬 で帰宅してもよいといわれたことを覚えている。 警察署の交通課に行く。加害者の運転手は二十四歳の青年で あった。たいした傷ではないというので安心した様子であっ 寝かされているのか分からなかった。救急車のピーポ、ピー の上に寝かされていた。一瞬、どうしてこのようなところに を渡らなかったのは君たちの不注意であって歩行者にも罪が 幅の道路は横断歩道がないので、二十メートル先の横断歩道 沢田君とともに警察署で事情聴取されたとき、四メートル た。 ポという音が耳のそばで鳴っていた。私には自動車にとばさ あるという。どうも腑に落ちない。少し酒を飲んでいたので ﹁大丈夫ですか﹂という声で目をひらく。私は救急車の担架 れたという意識が全くなかった。 怪我をさせても、双方に罪があるという。あまりにも杓子定 しかし、自動車が前方の歩行者の確認をしないで歩行者に 自動車の確認を怠ったのは我々の不注意ではあるが⋮⋮。 あった。道路の真ん中で自動車にはねられ、小雨の降る道路 今年定年退職になったM氏の送別会の帰り道での出来事で に横たわっていた。さしていた蝙蝠傘はみる影もなく、ぐし 翌日、あちこちの体が痛みだした。左足の股関節部より左 規な考え方に驚き果てて警察署を出た。沢田君は軽症なので 膝関節にわたって広範な内出血と挫傷があり、また右股関節 ゃぐしゃになり、かけていた眼鏡はとばされていたという。 救急隊員がたずねる。痛みは全然感じなかった。豊島区の目 を中心にして内出血と挫傷がみられた。右脚は歩行にも難渋 文句をいわないことにした。 白病院に行くというので、医師会の会員である田中脳外科病 ﹁どこか痛むところはありませんか。頭は痛いですか﹂と、 院に運んでくれるようお願いする。救急車の中に沢田君がな し曲げることもできないほどの痛みであった。両方の脚の痛 みは予想外にひどい。一ヵ月後、内出血は消えていったが、 ぜ乗車しているのか分からなかった。 深夜の練馬を救急車がピーポ、ピーポと鳴らしながら走っ - 60 - 未だに左股関節部のうづくような痛みは、夜間におこってく る。 しかし、八十路を過ぎた年齢で骨折もしないで、まがりな りにも動けるのは幸運であった。これはひょっとすると寒川 よ 神社の八方除けのお守りのせいかもしれない。 い。 君が代寺・妙香寺 横浜に﹁君が代寺﹂があると聞いて、四月のなかば、山手 駅前のタクシーの運転手に君が代寺といっても分からなか 駅付近の寺をたずねた。 自動車にはねられ前頭部内出血をおこし、未だに入院加療中 った。 ﹁妙香寺﹂とうろ覚えの名まえをいうと、運転手はその 二ヶ月前、 私の患者で元警察署長が、 私の医院に来る途中、 持っている運で骨折もせずに軽く経過しているのが不思議な である。そのことを考えると、私の場合、神のお加護と私の 傍らに、 ﹁君が代発祥の地﹂と書かれた石碑があった。 を通り抜けると、丘の上に山門が見える。寺の入り口の道の 横浜の山手地区は、坂の多い、丘のある町である。狭い道 寺に私を案内してくれた。 くらいである。 しかし、その後、道路で自動車が接近すると、理由もなく ある恐れを感じ家かげに身を寄せるような心境になる。更に 坂道を上りつめると、広い寺の境内に出る。法事でもある のか、 たくさんの自動車が駐車していた。 境内のまわりには、 大きな桜の木が何本も植えられていた。春の名残の八重桜の はなびら 花弁が、海からの風に吹きつけられて、ちらほらと散ってく る浮世ばなれした静かな寺である。 く り 庫裡の前の植えこみのなかに二つの碑が建っていた。一つ は﹁君が代発祥の地﹂と赤く書かれた碑があり、一つは、長 生は二つの永遠の間の一瞬なり カーライル づいてくる。生と死は人生の表裏である。 死はいつでも私の近くにある。死はなんの前触れもなく近 化していくのを感じる。 八十歳を過ぎた私にとって、これからの一瞬一瞬は大切な 方形の銅版に軍楽隊の人々が刻みこまれ、石碑に﹁日本吹奏 私の人生観が、この事件を境にしてしらずしらずのうちに変 時間である。永遠の未来と永遠の過去との間の限られた時間 楽発祥の地﹂と書かれていた。 妙香寺は、弘法大師が西暦八一四年︵弘仁二年︶に創立し の重大さを知れば知るほど、私は一瞬の老後の生を楽しみ、 この世に生きておられることを、神に感謝しなければいけな - 61 - 明治十三年、第二の﹁君が代﹂の旋律が悪いというので、 が代﹂である。 寺の敷地は百二十五町の広大なもので、立派なコンクリート 文部省独自の立場から国歌を作成するよう文部省取調係に下 た。 その後、 この寺は日蓮宗に改宗し妙香寺と名づけられた。 建ての本堂・庫裡・書院・七つの堂の外に山門のそばに鐘楼 命された。三ヶ月後に、四編十一首に改めた﹁音楽取調係議 古歌より選んだ。しかし、この第三の﹁君が代﹂は歌詞の流 案﹂を文部省に上申した。旋律は英国古代の大家ウェーバの この寺が、 ﹁君が代﹂とゆかりをもつようになったのは明治 れと曲の進行が不一致のため、国歌としての気品が全くなか 立ち並んでいる。 二年ごろである。禁裏警衛のため徴兵された薩摩藩の軍楽生 がある。寺の裏手は小高い丘になっていて、たくさんの墓が 三十名が、妙香寺に寄宿したのがはじまりであった。当時、 習を連日この寺で受けていた。 この軍楽隊は、英国公使館の軍楽隊長フェントンに軍楽の伝 ある日、フェントンが伝習生に国歌の必要性を説いたのが きっかけとなり、砲兵隊長大山巖︵後の大山元帥︶が中心と なり、古今集より歌詞を選定し、作曲をフェントンに依頼し 戦後の日本は、自由主義国家であるから、イデオロギーの なく、国歌への不信感を抱くのももっともなことと思う。 ため使用されたことは事実である。一部の人が軍部ばかりで たしかに、戦争中、日の丸の旗と﹁君が代﹂が戦意高揚の と非難された。 人専制の印象がつよく、一部の人から国歌にふさわしくない りがあり、民主的でないといわれた。そのうえ、戦争中の軍 った。これが第三の﹁君が代﹂である。 ﹁君が代﹂の歌詞は古今和歌集卷七の賀部にある読み人知 らずの歌でむある。﹁我が君は千代に八千代にさざれ石の巖とな りて苔の産すまで﹂ この歌は、むかしから神前や仏会で歌われ、鎌倉時代に﹁君 が代﹂が﹁君の世﹂となり、室町時代に﹁君が代﹂に定着し、 明治まで伝えられてきた。 第二次大戦後、 ﹁君が代﹂の歌詞は、封建的で君主制の名残 た。明治三年九月、御前演奏したのが第一の﹁君が代﹂であ った。 しかし、この曲は讃美歌調で歌いにくいため、明治九年の 天長節に廃止になった。 その後、明治十三年、宮中雅楽部でいくつかの曲が作られ た。雅楽部長中村氏・陸海軍軍楽隊長・伶人林氏・独人エッ ケルト氏など四人が審査委員となり、林氏の長男広季と奥好 義と合作の曲が選ばれた。 現代の雅楽風の日本的な曲である。 これが第二の﹁君が代﹂で、現在歌われているのは第二の﹁君 - 62 - 奈良県上北山村、国道 169 号線を南下し、大台ヶ原登山道 入口を通り過ぎ長いトンネルを抜け約 30 分、国道 309 号線の 標識に従い右折、行者還トンネル方向に入る。四駆車なら充分登れ る山道を 40 分、少しキツい勾配の左カーブを登りきったところが 写真の撮影ポイントです。 標高 700 米、道の対面に見える深い杉林の尾根の数々に、見事 な紅葉の帯が描かれます。もともとは、山林所有者の持分境界 違いによりいろいろの意見を述べることは自由である。共産 「尾 根 錦 繍」 有 馬 清 徳(西宮市) 国のように、これらの考え方を画一化する必要もない。 あったとのこと。この撮影には、紅葉のタイミング、撮影 しかし、日本で生まれ、日本で育ち、日本に住んでいる日 時間帯、光線状態などを知るためロケハンが必要で 本人であることを自覚すれば、国旗をかかげ、 ﹁君が代﹂を歌 うことはあたりまえのことである。 あとは如何に切り撮るかが鍵になる 場面です。 昭和五十一年、小中学校学習指導要領改訂の際、 ﹁君が代﹂ は正式の国歌と明記された。それにも拘らず、 ﹁君が代﹂を歌 わず、国旗をかかげることをしない一部の小中学校のあるこ どこの国の人でも、自分の国を誇りに思わない人はいない - 63 - とは、日本人として不思議な思いがする。 であろう。外国のオリンピック会場で、日の丸の旗がするす るとあがり、 ﹁君が代﹂の曲が会場に流れるとき、胸にこみあ げてくる感動を私は忘れることができない。 ﹁君が代廃止論の宗旨のほとんどが歴史的視野からの展望を 欠き、単なる感情論に終始して、君が代の︵君︶についての 戦争責任だけを問題視する議論が目立っている。⋮⋮﹂と、 ﹁三つの君が代﹂のあとがきに書いている著者内藤孝敏氏の 考えに、日本人として、私は、ふかい共感を覚える。 誉会員。日本光画会審査員としてご活躍です。 表紙の作者紹介 有馬清徳先生は早くから、写真家と しても二科展などに入選。現在は日本写真作家協会名 表紙の言葉 藤 倉 一 郎 二羽のカラスの対話 ︵1︶ 気の毒なことです。 A わたしたちカラスにしてみると人間をふくめてあらゆ る動物の寿命判定などというのは、自然と生まれながらに身 間は科学をもちだして、科学的に解明しようとする。しかし についているのですが、人間はそれがわからない。そこで人 この科学的解明が怪しげで、世界の真理を解き明かすには、 あまりにレベルが低いですね。 B 医者でさえあと何時間で生命が終わるかもわかんない んです。あきれたことです。私たちは後なん年寿命があるか なんていうことは、1キロ先からでもわかるというのに、驚 きです。 A つまり人間は未開発種族だからいろんな面で開発を進 めなければならないために、科学という道具をつかって、懸 程度の女王指導型君主国家になって、終焉を迎えることにな B しかし発展形態からみても結局はアリ社会かハチ社会 命に進歩を目指しているんでしょう。 ことを知らないものだから、自分たちの科学が絶対的なもの るでしょう。民主主義とか自由主義とか人間が平等で幸福そ A 人間はほかの動物が人間の知らない感覚を持っている で、人間を幸せにすると勘違いしていますが、それは単なる うにみえますが、互いに闘争だけがむき出しになって、いた A 人間の国家をどのような形態で維持していくかは、こ な生活です。 わりが足りないせいか、ギスギスしていがみ合っているよう 無知です。 B 超音波なども最近になって、やっと気づいて科学の応 りふれた自然現象で日常生活に使っているものです。それな れからの政治の問題ですが、 現在のままでは、 もう限界です。 用だなどと得意になっていますが、あんなものはもともとあ のに自分たちの無知を恥とも思わず、得意になっているのは - 64 - 強国が弱国を搾取する植民地主義と現在の民主主義はあまり 変わりばえしません。もっと平和でのどかな政治を案出しな ければ、人間社会は早晩終わりでしょう。 B 政治学の研究ですね。科学と経済だけを重視した人間 本位の政治でなしに地球上のすべての動物も植物も等しく平 和で健康であるために、現代の人間社会に方向転換が迫られ ているのです。 ︵2︶ A 人間の妊娠や出産、つまり生殖医療がずいぶん変わっ ているようですね B 人間が爆発的な人口増加で危機を感じている中で、子 A 執拗に子供を欲しがるもんですから、医学もそれにこ 供のない夫婦は必死になって、子供を持ちたがるんです。 たえようとするんですね。 B 男女産み分け、不妊治療、体外受精、最近では体外受 精した受精卵を赤の他人に委託して成長させたりしています が、これを依頼した夫婦が離婚してしまって、生まれた子供 が行き場がないというようなこともありました。こんなこと では困るというので、六十歳を過ぎた夫婦の母親がいろいろ と手を尽くして、妊婦をつとめ、代理出産を無事すませたと いう話も報告されています。 A 六十歳を過ぎたような老人に出産させるなどとは、と んでもないことです。危険が充満してますよ。それをよっぽ B 生んだ子供が母親や父親を殺しかねないような世の中 どいいことをしたと言いふらす医者もあきれたものです。 なのに、こんなにしてまで子供が欲しいいんでしょうか。 A 自然のままに生きるということが人間にとって、いか に大切であるかということが、わかっていません。 B 子供に過剰な期待を寄せるということは、人間の不幸 につながるのです。 A 自然の経過で、妊娠も出産もするのなら結構なことで すが、作為的にコントロールするのは、人間の将来にとって 不幸を招きます。 B 人間はあまりに自然に対しても、人間自身に対しても 余計な手をいれすぎています。これは十分反省しなければな りません。 A 夕焼け空を眺めて、こうして二羽で語り合っている自 然の美しさが、人間にはわからないのでしょう。 B 気の毒なことです。 ︵3︶ - 65 - 誰でもいいから殺せばいいとは、どういうことなんでしょう どうもよくわかりませんね。 A 人間のやっていることが、 ようですね。 らね。人間の寿命がのびれば、それに比例して増加している B 認知症もふえていますよ。あれは痴呆で、廃人ですか B いやそんなことはないでしょう。人間だって平和にの て、自然の偉大さを認識し、人間は蟻や蛙と変わることのな いますが、とんでもないことです。人間はもっと謙虚になっ にいじりまわして、それが人間の自然の征服だなどと考えて A 本来人間は楽観的な動物ですから、地球をわがもの顔 ね。われわれの世界ではとても考えられないことです。もっ とも、戦争などというものは仕事として殺人をしているわけ どかに暮らしている人だってたくさんいることを考えると、 い、ありふれた生き物であることを認識しなければならない ですから人間本来の本能なんでしょうか? 彼らは人口増加と機械文明の過剰発達のために精神構造の支 のです。 にとりつかれているものだから、脳の思考中枢が破綻してし B いたずらに機械文明をおしすすめ、科学という化け物 障をきたしてしまったのではないかと思いますよ。子供を育 てささやかな平和を守るというなりわいにつまづいて、精神 異常をきたしてしまったのではないでしょうか。 殺したりするということ自体、正常の精神状態ではできない ーターの仮想世界と現実が混乱してしまって、人口爆発とあ 人類は発狂し知的障害をおこしてしまったのです。コンピュ A 文明というとらえどころのない怪物におどらされて、 まったのでしょう。 ことです。これを繰り返し報道したり、新聞や雑誌が書き立 A 誰でもかまわず殺傷したり、母親を殺したり、父親を てるものですから、連鎖反応で同じような事件が次々とおこ ふれた廃棄物にまみれて、人類破滅の終局を迎えようとして すね。人類の後始末はわれわれカラスが担いますか。 B 人類が破滅しても、崩壊した地球の修復はたいへんで することになるでしょう。 いるのです。このまま進めばあと五十年くらいで人類は破滅 っているのではないでしょうか。 B つまり文明が人間のこころを蝕んでいるということで しょうか? A そうだとおもいますよ。機械文明が進み、政治も経済 も教育も医学もすすめばすすむほど、人間のこころが劣化し ていくのです。寿命がのびればのびただけ、こころが貧しく なって人間は地上最悪の動物になっていくのです。 - 66 - - 67 -
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