原注 (オンライン版) 本書を執筆するにあたって参照した資料は、複数のファイルキャビネットを埋め尽くすほど厖大なも のになった。さらには、ラックス家の人々をはじめ、科学者、ジャーナリスト、法学者、生命倫 理学者、医療政策専門家、歴史学者らに対して行った数百時間に及ぶ取材のノートも、複数の棚 を埋め尽くした。この原注では、ご協力いただいたすべての専門家を挙げることはできないが、 大半の方については、謝辞あるいは本文の中で名前を挙げさせていただいている。 厖大な資料をすべて掲載するのは無理であるため、本原注には、最も重要だと思われる情報だけを、 公的に入手できるという観点から選んで記載した。さらなる情報や他の出典については、 RebeccaSkloot.com にアクセスされたい。 オンラインに記載した原注は、章ごとにまとめてあるが、例外が二つある。ラックス家の人々とジョ ージ・ガイは数多くの章にまたがって登場するため、彼らについては、このすぐあとに、まとめ て記すことにする。オンラインの原注に、特定の章が見当たらない場合は、その章に関する資料 が、ラックス家の人々及びガイについてまとめた以下の説明の中に含まれているためである。 ヘンリエッタ・ラックスとその家族 ヘンリエッタの生涯と彼女の親族の人生を再現するにあたっては、ヘンリエッタの家族や友人、近隣 の人々、彼らが生きた時代や場所に関する専門家たちへの取材、家族の肉声と画像の記録、及び BBC のドキュメンタリー番組『The Way of All Flesh』の製作過程で撮影された未編集のセカン ドロールを根拠とした。そのほか、デボラ・ラックスの日記、カルテ、裁判文書、警察記録、家 族写真、新聞や雑誌の記事、地域のニュースレター、遺書、不動産譲渡証書、出生証明書、死亡 証明書なども参考にしている。 ジョージ・ガイと研究室 ガイ夫妻(ジョージとマーガレット)の生涯を再現するにあたっては、次の機関に保管されているジ ョージ・ガイに関する記録文書に依った─ジョンズ・ホプキンス大学医学校のアラン・メイソ ン・チェスニー医学記録保管庫(AMCMA: Alan Mason Chesney Medical Archives)及びボル ティモア郡にあるメリーランド大学の組織培養協会記録保管庫(TCAA: the Tissue Culture Association Archives) 。さらに、ガイ家所蔵の個人的な記録、学術論文、家族や同僚への取材、 及び癌研究と細胞培養分野の科学者たちへの取材も拠り所とした。 プロローグ ヒーラ細胞の潜在的な重量は、レナード・ヘイフリックの推定による。ヘイフリックは、正常なヒト 細胞株が達しうる最大限の重量を 2000 万トンと推定したが、ヒーラ細胞はヘイフリック限界の ルールに縛られないため「ヒト細胞株の推定値を際限なく超える」と言う。ヘイフリックは筆者 へのメールの中で次のように書いてきた。 「ヒーラ細胞を 50 回分裂させ、もしすべての細胞が回 収できるとすると 5000 万トンにもなってしまう。これは明らかに実行不可能だ」 。正常細胞の成 長可能性については、Hayflick and Moorehead, “The Serial Cultivation of Human Diploid Cell Strains,” 25 (1961) を参照されたい。 プロローグで言及したラックス一家に関する記事については、“Miracle of HeLa,” 及び “Family Takes Pride in Mrs. Lacks’ Contribution,” (June 1976) (April 1976) を参照のこと。 第1部「生」 第1章 運命の検査 ヘンリエッタが最初にジョンズ・ホプキンス病院を訪れた日については、相反する記録が存在する。 最もよく引用されている日付は 1951 年2月1日だが、この日付は、担当医が2月5日に誤記で あるとコメントを残しているため疑問の余地がある。それ以外の記録はみな、ヘンリエッタの腫 瘍検査が1月 29 日に行われたことを示しているため、筆者もこれにならった。 ジョンズ・ホプキンス病院の沿革については(本章及び他の章における言及についても)次の文献を 参照されたい ─アラン・メイソン・チェスニー医学記録保管庫(AMCMA) 、ならびに Alan Mason Chesney 著『 』 、Timothy R. B. Johnson, John A. Rock, and J. Donald Woodruff 編著 『 』 本章及びその後の章に記載したジョンズ・ホプキンス病院における人種隔離の記述は、取材及び次の 文献に基づく ─ Louise Cavagnaro, “The Way We Were,” 55, no.7 (September 2004) (この文献は、hopkinsmedicine.org/dome/0409/feature1.cfm で閲覧可能)、AMCMA 所蔵の未刊 行 原 稿(1989 年 ) で あ る Louise Cavagnaro, “A History of Segregation and Desegregation at The Johns Hopkins Medical Institutions”、及び “The Racial Record of Johns Hopkins University,” 25 (Autumn 1999)。 人種隔離が医療の提供及び治療後にもたらした影響については、次の文献を参考にした─C. Vann Woodward 著『 』 、P. Preston Reynolds and Raymond Bernard, “Consequences of Racial Segregation,” 10, no. 2 (June 1949)、Albert W. Dent, “Hospital Services and Facilities Available to Negroes in the United 18, no. 3 (Summer 1949)、Alfred Yankauer Jr., “The States,” Relationship of Fetal and Infant Mortality to Residential Segregation: An Inquiry into Social Epidemiology,” 15, no. 5 (October 1950)、“Hospitals and Civil Rights, 1945-1963: The Case of Simkins v. Moses H. Cone Memorial Hospital,” 126, no. 11 (June 1, 1997)。 ヘンリエッタの家族が筆者に提供してくれた医療記録は公的に入手することはできないが、彼女の診 断に関する一部の情報については次の文献で読むことができる─Howard W. Jones, “Record of the First Physician to see Henrietta Lacks at the Johns Hopkins Hospital: History of the Beginning of the HeLa Cell Line,” 176, no. 6 (June 1997): S227-S228。 第2章 クローヴァー ヴァージニア州におけるタバコ生産の沿革については、ヴァージニア歴史協会(The Virginia Historical Society) 、ハリファックス郡のウエブサイト、サウスボストン図書館(The South Boston Library)所蔵の記録文書とニュース記事、及びタバコの歴史を概観した一般向けの書物 である Tara Parker Pope 著『 』などの 書籍を参考にした。 ヘンリエッタが暮らした時代と場所を再現するにあたっては、次を含む多くの書籍を参考にした─ Henry Preston Young, Jr. 著『 』、Pocahontas Wight Edmunds 著『 』 、Karen Olson 著『 』 、Mark Reutter 著『 』、Jerome Watson 著『 』 。ターナーステー シ ョ ン の 沿 革 に つ い て は ま た、 ダ ン ド ー ク・ パ タ プ ス コ・ ネ ッ ク 歴 史 学 会(The Dundalk Patapsco Neck Historical Society)及びメリーランド州ダンドークのノースポイント図書館 (The North Point Library in Dundalk, Maryland)に所蔵された新聞記事や文献によって、年代 順に ることができる。 第3章 診断と治療 パップ検査の開発に関する情報については、G. N. Papanicolaou and H. F. Traut, “Diagnostic Value of Vaginal Smears in Carcinoma of Uterus”, 42 (1941)、及び George Papanicolaou and H. Traut, “Diagnosis of Uterine Cancer by the Vaginal Smear” (1943) を参照されたい。 上皮内癌と浸潤性癌におけるリチャード・テリンデの研究及び不必要な子宮摘出術に関するテリンデ の懸念については、以下をはじめとする数多くの論文にまとめられている ─“Hysterectomy: Present-Day Indications,” (July 1949)、G. A. Gavin, H. W. Jones, and R. W. TeLinde, “Clinical Relationship of Carcinoma in Situ and Invasive Carcinoma of the Cervix,” 149, no. 8 (June 2, 1952)、R. W. TeLinde, H. W. Jones and G. A. Gavin, “What Are the Earliest Endometrial Changes to Justify a Diagnosis of Endometrial Cancer?” 66, no. 5 (November 1953)、TeLinde, “Carcinoma in Situ of the Cervix,” 1, no. 1 (January 1953)。さらに Howard W. Jones, Georgeanna Jones, and William E. Ticknor によるテリンデの伝記『 』がある。 ラジウム及び癌治療のためのラジウム使用の歴史に関する情報は、次を参照されたい ─Timothy R. B. Johnson, John A. Rock, and J. Donald Woodruff 編著『 』 、 米国環境保護庁のウエブサイト epa.gov/iris/subst/0295.htm、D. J. DiSantis and D. M. Disantis, “Radiologic History Exhibit: Wrong Turns on Radiology’s Road of Progress,” 11 (1991)、Catherine Caufield 著『 』 。 1950 年代における子宮頸癌の標準的な治療計画については、主に次の文献を参考にした ─A. Brunschwig, “The Operative Treatment of Carcinoma of the Cervix: Radical Panhysterectomy with Pelvic Lymph Node Excision,” 61, no. 6 (June 1951)、R. W. Green, “Carcinoma of the Cervix: Surgical Treatment (A Review),” 42, no. 11 (November 1952)、R. T. Schmidt, “Panhysterectomy in the Treatment of Carcinoma of the Uterine Cervix: Evaluation of Results,” 146, no. 14 (August 4, 1951)、S. B. Gusberg and J. A. Corscaden, “The Pathology and Treatment of Adenocarcinoma of the Cervix,” 4, no. 5 (September 1951)。 L細胞(マウス由来の世界初の不死化細胞株)の樹立については、W. R. Earle et al., “Production of Malignancy in Vitro. IV. The Mouse Fibroblast Cultures and Changes Seen in Living Cells,” 4 (1943) にまとめられている。 ヒーラ細胞培養以前のガイの業績については、次を参照されたい ─G. O. Gey, “Studies on the Cultivation of Human Tissue Outside the Body,” 28, no. 11 (1929)、G. O. Gey and M. K. Gey, “The Maintenance of Human Normal Cells and Human Tumor Cells in Continuous Culture I. A Preliminary Report,” 27, no. 45 (May 1936)。さらに次 の 概 説 論 文 が あ る ─G. Gey, F. Bang, and M. Gey, “An Evaluation of Some Comparative Studies on Cultured Strains of Normal and Malignant Cells in Animals and Man,” (Winter 1954)。 第4章 ヒーラ細胞の誕生 ガ イ の 回 転 ド ラ ム の 発 明 に つ い て は、“An Improved Technic for Massive Tissue Culture,” 17 (1933) を、細胞撮影における初期の業績については、G. O. Gey and W. M. Firor, “Phase Contrast Microscopy of Living Cells,” 125 (1946) を 参照されたい。ヒーラ細胞株の最初の増殖についてガイがついに発表した論文の抄録は、G. O. Gey, W. D. Coffman, and M. T. Kubicek, “Tissue Culture Studies of the Proliferative Capacity of Cervical Carcinoma and Normal Epithelium,” 12 (1952): 264-65。ヒーラ細胞と 他 の 細 胞 培 養 に お け る ガ イ の 詳 し い 業 績 に つ い て は、G. O. Gey, “Some Aspects of the Constitution and Behavior of Normal and Malignant Cells Maintained in Continuous Culture,” (1954-55) を参照されたい。 第5章 「真っ黒なものが体中に広がってる」 「 子 宮 摘 出 術 が 与 え る 精 神 的 影 響 」 に 関 す る テ リ ン デ の 考 察 は、“Hysterectomy: Present-Day Indications,” , July 1949 で読むことができる。 第6章 初めての電話 第1回ヒーラ細胞シンポジウムの論文は、Roland Pattillo 編 “The HeLa Cancer Control Symposium: Presented at the First Annual Women’s Health conference, Morehouse School of Medicine, October 11, 1996” suppl. 176, no. 6 (June 1997) にまとめられている。 一般読者向けにまとめられたタスキギー梅毒研究の概要については、James H. Jones 著『 』がある。さらに Vanessa Northington Gamble が委員長を務 め た 会 議 の 報 告 書 で あ る “Final Report of the Tuskegee Syphilis Study Legacy Committee” (May 20, 1996) も参照されたい。 第7章 培養細胞の死と生 ジョージ・ガイが出演したテレビ番組については、“Cancer Will Be Conquered,” (April 10, 1951) を参照。 細胞培養の歴史に関するさらなる参考文献としては、Hannah Landecker 著『 』 を 勧 め る。 ま た、David M. Friedman 著『 』も参照された い。ジョンズ・ホプキンス病院が細胞培養に果たした役割の概要については、“History of Tissue Culture at Johns Hopkins,” (1977) を参照のこと。 アレクシス・カレルと彼のニワトリの心臓の話を再現するにあたっては、次に挙げるものの他、数多 くの文献を参考にした─A. Carrel and M. T. Burrows, “Cultivation of Tissues in Vitro and Its Technique,” (January 15, 1911)、“On the Permanent Life of Tissues Outside of the Organism,” (March 15, 1912)、Albert H. Ebeling, “A Ten Year Old Strain of Fibroblasts,” (May 30, 1922)、“Dr. Carrel’s Immortal Chicken Heart,” ‘Immortality’ of Tissues,” (January 1942)、“The (October 26, 1912)、“On the Trail of Immortality,” ’ (January 1913)、“Herald of Immortality Foresees Suspended Animation,” (December 21, 1935)、“Flesh That Is Immortal,” ’ 28 (October 1914)、“Carrel’s New Miracle Points Way to Avert Old Age!” (September 14, 1913)、 Alexis Carrel, “The Immortality of Animal Tissue, and Its Significance,” 7 (June 1928)、“Men in Black,” 31, number 24 (June 13, 1938)。ノーベル賞のウ エブサイトにも、カレルに関する多くの有益な情報が掲載されている。 ヨーロッパにおける細胞培養の歴史については、次を参照されたい ─W. Duncan, “The Early History of Tissue Culture in Britain: The Interwar Years,” 18, no. 2 (2005)、Duncan Wilson, “ ‘Make Dry Bones Live’: Scientists’ responses to Changing Cultural Representation of Tissue Culture in Britain, 1918-2004,” University of Manchester (2005)(博士 論文)。 カレルのニワトリの心臓細胞が実際には不死化細胞ではなかったという結論は、レナード・ヘイフリ ックへの取材から得たものだが、他にも参考文献がある ─J. Witkowski, “The Myth of Cell Immortality,” editor, (July 1985)、J. Witkowski に よ る letter to the 247 (March 23, 1990)。 第9章 ターナーステーション ヘ ン リ エ ッ タ の 家 の 住 所 を 掲 載 し た 新 聞 記 事 は、Jacques Kelly に よ る “Her Cells Made Her Immortal,” , March 18, 1997 である。マイケル・ロジャーズ(Michael Rogers)に よる雑誌記事は、“The Double-Edged Helix,” (March 25, 1976)。 第 10 章 霊の仕業 クローヴァーの衰退については、たとえば次のような文献を参照されたい─Virginia Electric and Power Company が行った経済性評価 “South Boston, Halifax County, Virginia”、“Town Begins to Move Ahead,” (May 23, 1974)、“Town Wants to Disappear,” (May 15, 1988)、“Supes Decision Could End Clover’s Township,” (May 18, 1998)、“Historical Monograph: Black Walnut Plantation Rural Historic District, Halifax County, Virginia,” Old Dominion Electric Co-operative (April 1996) な ど。 人 口 統 計 資 料 は、 census.gov で入手できる。 第二部 「死」 第 12 章 嵐 死体解剖に関する過去の判例と権利については、Susan Lederer 著『 』を参照さ れたい。 第 13 章 ヒーラ・ファクトリー ポリオワクチン開発の歴史についてさらに読み進めたい方のために以下の参考文献を挙げておく。 Debbie Bookchin and Jim Shumacher 著『 『 』、David M. Oshinski 著 』、Jeffrey Kluger 著『 』、Paul Offit 著『 ’ 』 。 ヒーラ細胞を使って行ったポリオウイルスの初期の増殖の詳細とその後の輸送手段の開発について は、AMCMA 及び小児麻痺救済募金運動記録保管庫(the March of Dimes Archives)所蔵の書 簡 で 知 る こ と が で き る。 さ ら に、J. Syverton, W. Scherer, and G. O. Gey, “Studies on the Propagation in Vitro of Poliomyelitis Virus,” 97, no. 5 (May 1, 1953) も参照されたい。 タスキギー研究所におけるヒーラ細胞大量生産設備の歴史については、マーチ・オブ・ダイムス記録 保管庫所蔵の書簡、経費報告書などに記録が残っている。包括的な概要については、Russell W. Brown and James H. M. Henderson, “The Mass Production and Distribution of HeLa Cells at the Tuskegee Institute, 1953-55,” 38 (1983) を参照。 ヒーラ細胞の培養成功にともなって生じた数々の科学的進歩の詳細については、AMCA 及び TCAA 所 蔵 の 書 簡 を は じ め と す る 文 書 類 で 知 る こ と が で き る。 包 括 的 な 概 要 に つ い て は Hannah Landecker 著『 』を参照されたい。本章で言及 した学術論文の多くは Robert Pollack 編著『 』に収録され て い る ─H. Eagle, “Nutrition Needs of Mammalian Cells in Tissue Culture,” 122 (1955): 501-4、T. T. Puck and P. I. Marcus, “A Rapid Method for Viable Cell Titration and Clone Production with HeLa Cells in Tissue Culture: The Use of X-irradiated Cells to Study Conditioning Factors,” 41 (1955)、J. H. Tijo and A. Levan, “The Chromosome Number of Man,” 42 (January 26, 1956)。さらに以下の 論文も参照されたい。M. J. Kottler, “From 48 to 46: Cytological Technique, Preconception, and the Counting of Human Chromosomes,” 48, no. 4 (1974)、H. E. Swim, “Microbiological Aspects of Tissue Culture,” 13 (1959)、J. Craigie, “Survival and Preservation of Tumors in the Frozen State,” 2 (1954)、W. Scherer and A. Hoogasian, “Preservation at Subzero Temperatures of Mouse Fibroblasts (Strain L) and Human Epithelial Cells (Strain HeLa),” 87, no. 2 (1954)、T. C. Hsu, “Mammalian Chromosomes in Vitro: The Karyotype of Man,” Pearlman, “Value of Mammalian Cell Culture as Biochemical Tool,” P. Salzman, “Animal Cell Cultures,” 43 (1952)、D. 160 (April 1969)、N. 133, no. 3464 (May 1961). 本章の内容に関する参考資料としては、他にも次の有益な文献がある。T. C. Hsu 著『 』 及 び C. Moberg, “Keith Porter and the Founding of the Tissue Culture Association: A Fiftieth Anniversary Tribute, 1946-1996,” (November 1996)。 第 14 章 ヘレン・レイン ヘンリエッタの氏名公表の是非に関するやりとりは、AMCA 所蔵書簡で ることができる。ヒーラ 細胞株が「ヘンリエッタ・レイクス」に由来すると特定した新聞記事は、“U Polio-detection Method to Aid in Prevention Plans,” , November 2, 1953、ヒーラ細胞株が「ヘ レン L. 」に由来すると最初に特定した雑誌記事は、Bill Davidson, “Probing the Secret of Life,” ’ , May 14, 1954。 第 17 章 人の道にもとる研究 癌細胞を注射したサザムの実験については、サザム自身あるいは共著者との発表による学術論文が多 数存在する。次にその一部を挙げておく。“Neoplastic Changes Developing in Epithelial Cell Lines Derived from Normal Persons,” Human Tumors,” letter, Human Cell Lines,” 124, no. 3212 (July 20, 1956)、“Transplantation of 125, no. 3239 (January 25, 1957)、“Homotransplantation of 125, no. 3239 (January 25, 1957)、“Applications of Immunology to Clinical Cancer Past Attempts and Future Possibilities,” 21 (October 1961): 1302-16、“History and Prospects of Immunotherapy of Cancer,” 277, no. 1 (1976)。 受刑者に対するサザムの実験を報じたマスコミの記事については、次を参照されたい。“Convicts to Get Cancer Injection,” , May 23, 1956、“Cancer by the Needle,” June 4, 1956、“14 Convicts Injected with Live Cancer Cells,” “Cancer Volunteers,” , , June 15, 1956、 , February 25, 1957、“Cancer Defenses Found to Differ,” , April 15, 1957、“Cancer Injections Cause ‘Reaction,’” “Convicts Sought for Cancer Test,” , July 18, 1956、 , August 1, 1957。 サザムが行った癌細胞注入実験とその後開かれた聴聞会に関して最も包括的にまとめた文献は、Jay Katz 著『 』である。本書には、Katz が収集した膨大なオ リジナルの通信文、裁判文書などが含まれている。これらの資料は、大学区理事会が保管しなか ったため、同書に採録されなければ失われていただろう。さらに、Jay Katz, “Experimentation on Human Beings,” した訴訟については 20 (November 1967) も参照されたい。ハイマンが起こ (42 Misc. 2d 427; 248 N.Y.S. 2d 245; 1964 及び 15 N.Y.2d 317; 206 N.E.2d 338; 258 N.Y.S. 2d 397; 1965) を参照のこ と。さらに患者が起こした訴訟については Alvin Zeleznik v. Jewish Chronic Disease Hospital (47 A. D. 2d 199; 366 N.Y.S. 2d 163; 1975) を参照。ビーチャーの学術論文については H. Beecher, “Ethics and Clinical Research,” 274, no. 24 (June 16, 1966) を 参照されたい。 サ ザ ム の 一 件 を め ぐ る 倫 理 的 論 争 を 報 じ た 記 事 と し て は、 次 の 文 献 を 挙 げ て お く。“Scientific Experts Condemn Ethics of Cancer Injection,” “Why the Big Fuss,” , January 26, 1964、Earl Ubell, , January 25, 1961、Elinor Langer, “Human Experimentation: Cancer Studies at Sloan-Kettering Stir Public Debate on Medical Ethics,” 143 (February 7, 1964)、及び Elinor Langer, “Human Experimentation: New York Verdict Affirms Patient Rights,” (February 11, 1966)。 Susan E. Lederer 著『 』 と George J. Annas and Michael A. Grodin 著『 』は人体実験の歴史とそれにまつ わる倫理的考察に関する必読書である。いずれも本章の執筆にあたり、重要な情報源となった。 受 刑 者 を 対 象 に し た 生 体 実 験 の 歴 史 に つ い て は Allen Hornblum 著『 』を参照されたい。同書の著者は生前のサザムに取材してお り、親切にも取材内容を提供してくれた。 サザムをめぐる論争にともなって生じた変化も含め、生命倫理学の歴史についてさらに理解を深めた い方は次の文献にあたることをお勧めする。Albert R. Jonsen 著『 』 (邦 訳『生命倫理学の誕生』アルバート・R・ジョンセン著、細見博志訳、勁草書房 2009 年) 、 David J. Rothman 著『 』 (邦訳『医療倫理の夜明け─臓器移植・延命治療・死 ぬ権利をめぐって』 (デイヴィッド・ロスマン著 酒井忠明訳 晶文社 2000 年)、George J. Annas 著『 ’ 』、M. S. Frankel, “The Development of Policy Guidelines Governing Human Experimentation in the United States: A Case Study of Public Policy-making for Science and Technology,” 2, no. 48 (1975)、R. B. Livingston, “Progress Report on Survey of Moral and Ethical Aspects of Clinical Investigation: Memorandum to Director, NIH” (November 4, 1964)。 インフォームド・コンセントの歴史に関する著作の決定版は、Ruth Faden and Tom Beauchamp 著 『 』である。 〝インフォームド・コンセント〟という 用語が初めて使われた裁判事件については、 (Civ. No. 17045. First Dist., Div. One, 1957) を参照されたい。 第 18 章 最も奇妙な雑種生命体 ヒーラ細胞を家庭で培養する方法の説明は、C. L. Stong, “The Amateur Scientist: How to Perform Experiments with Animal Cells Living in Tissue Culture,” Scientific American, April 1966 に掲 載された。 宇宙における細胞培養研究の歴史をまとめた文献には、次のものがある。Allan A. Katzberg, “The Effects of Space Flights on Living Human Cells,” Lectures in Aerospace Medicine, School of Aerospace Medicine (1960)、K. Dickson, “Summary of Biological Spaceflight Experiments with Cells,” 4, no. 2 (July 1991)。 ヒーラ細胞の研究を宇宙で行うことは合法かつ有益なものではあったとはいえ、実はソヴィエト連邦 の宇宙撮影を含む偵察計画を隠ぺいする工作の一環であったことが判明している。スパイ活動の 隠れ蓑として〝生物搭載物〟を使用した件については、Dwayne A. Day ら編著『 』を参照されたい。 ヒーラ細胞による汚染の可能性を示唆した初期の論文は、L. Coriell et al., “Common Antigens in Tissue Culture Cell Lines,” , July 25, 1958 である。培養細胞の汚染の懸念にまつわる初期 の 資 料 に は、 他 に 以 下 の も の が あ る。L. B. Robinson et al., “Contamination of Human Cell Cultures by Pleuropneumonialike Organisms,” 124, no. 3232 (December 7, 1956)、R. R. Gurner, R. A. Coombs, and R. Stevenson, “Results of Tests for the Species of Origins of Cell Lines by Means of the Mixed Agglutination Reaction,” 28 (September 1962)、R. Dulbecco, “Transformation of Cells in Vitro by Viruses,” 142 (November 15, 1963)、R. Stevenson, “Cell Culture Collection Committee in the United States,” in , edited by H. Katsuta (1968)。ATCC の 歴 史 に つ い て は、R. Stevenson, “Collection, Preservation, Characterization and Distribution of Cell Cultures,” (1963)、及び W. Clark and D. Geary, “The Story of the American Type Culture Collection: Its History and Development (1899-1973),” 17 (1974) を参照されたい。 雑 種 細 胞 の 初 期 の 研 究 に 関 す る 重 要 な 参 考 文 献 に は、 次 の も の が あ る。Barski, Sorieul, and Cornefert, “Production of Cells of a ‘Hybrid’ Nature in Cultures in Vitro of 2 Cellular Strains in Combination,” ’ 215 (October 24, 1960)、H. Harris and J. F. Watkins, “Hybrid Cells Derived from Mouse and Man: Artificial Heterokaryons of Mammalian Cells from Different Species,” 205 (February 13, 1965)、M. Weiss and H. Green, “Human-Mouse Hybrid Cell Lines Containing Partial Complements of Human Chromosomes and Functioning Human Genes,” 58, no. 3 (September 15, 1967)、B. Ephrussi and C. Weiss, ‘Hybrid Somatic Cells,” 20, no. 4 (April 1969)。 ハリスの雑種細胞研究については、さらなる参考資料として、ハリス本人による次の文献がある。 “The Formation and Characteristics of Hybrid Cells,” in (1970)、『 』、“Behavior of Differentiated Nuclei in Heterokaryons of Animal Cells from Different Species,” (1965)、“The Reactivation of the Red Cell Nucleus,” 206 2 (1967)、H. Harris and P. R. Harris, “Synthesis of an Enzyme Determined by an Erythrocyte Nucleus in a Hybrid Cell,” 5 (1966)。 包 括 的 な マ ス コ ミ 報 道 の 例 に は、“Man-Animal Cells Are Bred in Lab”, (February 14, 1965)、“Of Mice and Men,” [ ] (March 1, 1965) などがある。 第 20 章 ヒーラ爆弾 本章は、AMCA と TCAA 所蔵の通信文や他の文献及び 1966 年 9 月 11 日から 15 日にわたって開催さ れた The Tissue Culture Association 学会の論文集 “The Proceedings of the Second Decennial Review Conference on Cell Tissue and Organ Culture,” 58, no. 26 (November 15, 1967) を参考にした。 培養細胞の汚染問題に関する学術論文は厖大な数にのぼるが、参考として次のものを挙げておく。S. M. Gartler, “Apparent HeLa Cell Contamination of Human Heteroploid Cell Lines,” 217 (February 4, 1968)、N. Auerspberg and S. M. Gartler, “Isoenzyme Stability in Human Heteroploid Cell Lines,” 61 (August 1970)、E. E. Fraley, S. Ecker, and M. M. Vincent, “Spontaneous in Vitro Neoplastic Transformation of Adult Human Prostatic Epithelium,” 170, no. 3957 (October 30, 1970)、A. Yoshida, S. Watanabe, and S. M. Gartler, “Identification of HeLa Cell Glucose 6-phosphate Dehydrogenase,” 5 (1971)、W. D. Peterson et al., “Glucose-6-Phosphate Dehydrogenase Isoenzymes in Human Cell Cultures Determined by Sucrose-Agar Gel and Cellulose Acetate Zymograms,” 128, no. 3 (July 1968)、Y. Matsuya and H. Green, “Somatic Cell Hybrid Between the Established Human Line D98 (presumptive HeLa) and 3T3,” 163, no. 3868 (February 14, 1969)、C. S. Stulberg, L. Coriell, et al., “The Animal Cell Culture Collection,” 5 (1970)。 汚染問題をめぐる論争の詳細については、Michael Gold 著『A Conspiracy of Cells』を参照された い。 第 21 章 夜の医者 〝夜の医者〟及びアフリカ系アメリカ人と医学研究の関わりの歴史については、以下を参照されたい。 』 、T. L Savitt, “The Use of Blacks for Gladys-Marie Fry 著『 Medical Experimentation and Demonstration in the Old South,” 48, no. 3 (August 1982)、T. L Savitt 著『 』、F. C. Waite, “Grave Robbing in New England,” (1945)、W. M. Cobb, “Surgery and the Negro Physician: Some Parallels in Background,” (May 1951)、V. N. Gamble, “A Legacy of Distrust: African Americans and Medical Research,” 9 (1993)、V. N. Gamble, “Under the Shadow of Tuskegee: African Americans and Health Care,” 87, no. 11 (November 1997)。 この件に関して極めて詳細にまとめられているうえ、読みやすく、かつ入手しやすい文献は、 Harriet Washington 著『 』である。 ジョンズ・ホプキンス病院の沿革については、第 1 章の原注を参照されたい。 犯罪行動の遺伝的素質を調べたジョンズ・ホプキンス大学医学部を相手取って、1969 年にアメリカ 自由人権協会(ACLU)が起こした訴訟に関する文献及び関連資料については、Jay Katz 著 『 』の中の “Johns Hopkins University School of Medicine: A Chronicle. Story of Criminal Gene Research” の章を参照のこと。さらに詳しくは、Roelcke and Maio 編『 』(2004) に 収 録 さ れ た Harriet Washington 著 “Born for Evil?” を参照されたい。 ジョンズ・ホプキンス大学医学部が行った鉛研究の一件は、裁判文書、保険福祉省の記録、さらには . (24-C-99-925 及び 24-C-95-66067/CL 193461) の 訴訟関係者への取材に基づいている。次の文献も参考にされたい。L. M. Kopelman, “Children as Research Subjects: Moral Disputes, Regulatory Guidance and Recent Court Decisions,” (May 2006)、J. Pollak, “The Lead-Based Paint Abatement Repair & Maintenance Study in Baltimore: Historic Framework and Study Design,” (2002)。 第 22 章 明かされた名前 ヘンリエッタの実名が初めて公表された論文は、H. W. Jones, V. A. McKusick, P. S. Harper, and K. D. Wuu, “George Otto Gey (1899-1970): The HeLa Cell and a Reappraisal of Its Origin,” 38, no. 6 (December 1971) である。さらに、J. Douglas, “Who Was HeLa?” 242 (March 9, 1973)、J. Douglas, “HeLa,” Nature 242 (April 20, 1973)、B. J. C., “HeLa (for Henrietta Lacks),” 184, no. 4143 (June 21, 1974) も参照されたい。 ヘンリエッタの癌の誤診と、その件が治療に影響を与えたか否かに関する記述は、Howard W. Jones、Roland Pattillo、Robert Kurman、David Fishman、Carmel Cohen らへの取材に基づい ている。さらに、次をはじめとする複数の学術論文からも情報を得た。S. B. Gusberg and J. A. Corscaden, “The Pathology and Treatment of Adenocarcinoma of the Cervix,” 4, no. 5 (September 1951)。 ヒーラ細胞による汚染問題に関する論争については、第 20 章の原注を参照されたい。1971 年に発効 した米国癌法 (National Cancer Act) については、次のウエブサイトで閲覧できる。http:// legislative.cancer.gov/history/phsa/1971 継続中の論争については、次を参照されたい。L. Coriell, “Cell Repository,” 180, no. 4084 (April 27, 1973)、W. A. Nelson-Rees et al., “Banded Marker Chromosomes as Indicators of Intraspecies Cellular Contamination,” 184, no. 4141 (June 7, 1974)、K. S. Lavappa et al., “Examination of ATCC Stocks for HeLa Marker Chromosomes in Human Cell Lines,” 259 (January 22, 1976)、W. K. Heneen, “HeLa Cells and Their Possible Contamination of Other Cell Lines: Karyotype Studies,” “HeLa Cultures Defined,” 82 (1976)、W. A. Nelson-Rees and R. R. Flandermeyer, 191, no. 4222 (January 9, 1976)、M. M. Webber, “Present Status of MA-160 Cell Line: Prostatic Epithelium or HeLa Cells?” Investigative 5 (March 1977)、及び『 14, no. 』(Alan R. Liss, Inc., 1978) に収 録された W. A. Nelson-Rees, “The Identification and Monitoring of Cell Line Specificity” 。 本章はさらに、論争に直接関わった人々の公表・未公表の回想録にも基づいている。公表されている 論文には、W. A. Nelson-Rees, “Responsibility for Truth in Research,” 356, no. 1410 (June 29, 2001)、S. J. O’Brien, “Cell Culture Forensics,” 98, no. 14 (July 3, 2001)、R. Chatterjee, “Cell Biology: A Lonely Crusade,” 16, no. 315 (February 16, 2007) などがある。 第三部 「永遠の命」 第 23 章 「生きてるんだって!」 本章の記述には、AMCMA 所蔵の書簡、デボラ・ラックスのカルテ、及び “Proceedings for the New Haven Conference (1973): First International Workshop on Human Gene Mapping,” 13 (1974):1-216 を一部参考にした。 ヴィクター・マキュージックの経歴については、国立医学図書館 (the National Library of Medicine) のウエブサイト nlm.nih.gov/news/victor_mckusick_profiles09.html を参照のこと。マキュージッ クの遺伝子データベースは現在 OMIM と呼ばれ、ncbi.nlm.nih.gov/omim/ で閲覧できる。 ヒトを被験者とする研究に関する被験者保護規定については、次が参考になる。“The Institutional Guide to DHEW Policy on Protection of Human Subjects,” DHEW Publication No. (NIH) 72-102 (December 1, 1971)、“NIH Guide for Grants and Contracts,” U. S. Department of Health, Education, and Welfare, no. 18 (April 14, 1972)、“Policies for Protecting All Human Subjects in Research Announced,” (October 9, 1973)、“Protection of Human Subjects,” Department of Health, Education, and Welfare, 39, no. 105, part 2 (May 30, 1974)。 ヒ ト を 被 験 者 と す る 研 究 の 監 視 に 関 す る よ り 詳 細 な 歴 史 に つ い て は、『 ’ 』 (Oxford University Press、 hss.energy.gov/HealthSafety/ohre/roadmap/index.html で入手可)を参照されたい。 第 24 章 せめてすべきこと マイクロバイオロジカル・アソシエーツ社(Microbiological Associates)として創業された企業は、 より大きな複数の企業に吸収されることになった。同社を吸収した企業には、Whittaker Corp、 Bio Whittaker、Invitrogen, Cambrex、BioReliance, Avista Capital Partners などがある。これ らの企業の概要及びヒーラ細胞を販売している他の企業については、 『 』 、またはウエブサイト Hoovers.com を参照のこと。 ヒーラ細胞の価格に関しては、Invitrogen.com をはじめとして多々ある生体試料供給企業のカタログ を参照されたい。 ヒーラ細胞に関する特許情報はウエブサイト Patft.uspto.gov. で、“HeLa” と入力すると検索できる。 ATCC のヒーラ細胞カタログの閲覧は、ウエブサイト Atcc.org で “HeLa” と入力して検索されたい。 ヒーラ細胞と植物の融合に関しては、“People-Plants,” , August 16, 1976、C. W. Jones, I. A. Mastrangelo, H. H. Smith, H. Z. Liu, and R. A. Meck, “Interkingdom Fusion Between Human (HeLa) Cells and Tobacco Hybrid (GGLL) Protoplasts,” , July 30, 1976 を参照のこと。 「心霊療法」によりヒーラ細胞を殺し、癌を治療しようとしたディーン・クラフト(Dean Kraft)に ついては、彼の著書『 』及び YouTube.com に掲載されている動画(Dean Kraft と入力して検索)を参照されたい。 ラックス家の人々の血液標本について行われた研究については、S. H. Hsu, B. Z. Schacter, et al., “Genetic Characteristics of the HeLa Cell,” 191, no. 4225 (January 30, 1976) を参照。こ の研究は、NIH の研究助成金(5P01GM019489-020025)の交付を受けて行われたものである。 第 25 章 「ぼくの脾臓を売っていいなんて誰が言った?」 ムーアの一件は、裁判や政府の文献資料に数多く記録されている。とりわけ参考になるのは、 “Statement of John L. Moore Before the Subcommittee on Investigations and Oversight,” House Committee on Science and Technology Hearings on the Use of Human Patient Materials in the Development of Commercial Biomedical Products, October 29, 1985、 . (249 Cal.Rptr. 494)、及び . (51 Cal.3d 120、793 P.2d 479、271 Cal.Rptr. 146) で ある。 Mo 細胞の特許番号は 4,438,032 で、ウエブサイト Patft.uspto.gov で閲覧できる。 ムーア裁判及びその影響に関する文献資料は厖大だが、なかでも特に有益なものを次に挙げる。 William J. Curran, “Scientific and Commercial Development of Human Cell Lines,” 324, no. 14 (April 4, 1991)、David W. Golde, “Correspondence: Commercial Development of Human Cell Lines,” , June 13, 1991、G. Annas, “Outrageous Fortune: Selling Other People’s Cells,” (November-December 1990)、B. J. Trout, “Patent Law--A Patient Seeks a Portion of the Biotechnological Patent Profits in Moore v. Regents of the University of California,” (Winter 1992)、G. B. White and K. W. O’Connor, “Rights, Duties and Commercial Interests: John Moore versus the Regents of the University of California,” 8 (1990)。 ジ ョ ン・ ム ー ア 裁 判 に 関 す る 主 な 報 道 記 事 に つ い て は、 以 下 を 参 照 さ れ た い。Alan L. Otten, “Researchers’ Use of Blood, Bodily Tissues Raises Questions About Sharing Profits,” , January 29, 1996、“Court Rules Cells Are the Patient’s Property,” August 1988、Judith Stone, “Cells for Sale,” Told You You Could Sell My Spleen?” Law,” Industry,” , , August 1988、Joan O’C. Hamilton, “Who , April 3, 1990、“When Science Outruns , July 13, 1990、M. Barinaga, “A Muted Victory for the Biotech 249, no. 4966 (July 20, 1990)。 ム ー ア 裁 判 を 受 け て 施 行 さ れ た 規 制 に 関 し て は 次 を 参 照 の こ と。“U.S. Congressional Office of Technology Assessment, New Developments in Biotechnology: Ownership of Human Tissues and Cells -- Special Report,” Government Printing Office (March 1987)、“Report on the Biotechnology Industry in the United States: Prepared for the U.S. Congressional Office of Technology Assessment,” National Technical Information Service, U.S. Department of Commerce (May 1, 1987)、“Science, Technology and the Constitution,” U.S. Congressional Office of Technology Assessment (September 1987)。また、1993 年 2 月 18 日に提出され、否決された 法案 “Life Patenting Moratorium Act of 1993,” (103rd Congress, S. 387) も参照されたい。 チャクラバーティ訴訟の焦点になった、油を消費分解するバクテリアの詳細は、ウエブサイト Patft.uspto.gov の特許番号 4,259,444 で閲覧できる。この訴訟に関する詳細については、 (447 U.S. 303) を参照。 本章に記載した細胞株所有権にまつわる他の裁判に関する詳細については以下を参照されたい。 “Hayflick-NIH Settlement,” , January 15, 1982、L. Hayflick, “A Novel Technique for Transforming the Theft of Mortal Human Cells into Praiseworthy Federal Policy,” 33, nos. 1-2 (January-March 1998)、Marjorie Sun, “Scientists Settle Cell Line Dispute,” , April 22, 1983、Ivor Royston, “Cell Lines from Human Patients: Who Owns Them?”, AFCR Public Policy Symposium, 42nd Annual Meeting, Washington, D.C., May 6, 1985、及び . (89-56302)。 第 26 章 プライバシーの侵害 個人の医療記録の公表が HIPAA(医療保険の相互運用性と説明責任に関する法令)に違反するかど うかは、今日、多くの要因に依存している。最も重要な要因は「誰が記録を公表したのか」だ。 HIPAA は「あらゆる “ 個人が特定できる健康情報 ” を……電子的手段、紙、口頭などの形態を問 わず、あらゆる媒体において」保護するとしている。けれどもこの法令は、 「規定が適用される 実体(covered entity) 」─すなわち医療を「提供し、支払いを請求し、支払いを受け取る」医 療提供者及び健康保険会社であり、しかも規定が適用される医療情報を電子的に伝送する機関 ─ に対してしか拘束力がない。言い換えれば、「規定が適用される実体」でない機関は、 HIPAA に抵触せずに、個人の医療データを漏らしたり、公表したりできるわけだ。 プライバシーと守秘義務に関するアメリカ政府小委員会の議長を務めた、医療に関するプライバシー 問題のエキスパートであるロバート・ジェルマンによれば、今日、ジョンズ・ホプキンス大学に 所属する者がヘンリエッタの医療情報を公表した場合、同大学は「規定が適用される実体」であ るため、この HIPAA に抵触する可能性が高いという。 にもかかわらず、本書が印刷に回った 2009 年 10 月の時点では、ヘンリエッタの医療記録の一部が、 再び家族の許可なく公表されるという事態が生じていた。問題の文献は、ネリス空軍基地にある マイケル・オキャラハン連邦病院のブレンダン・ルーシーと、この論文が発表される二年前に亡 くなっていたヒーラ細胞汚染撲滅の闘士ウォルター・A・ネルソン=リーズ、及びジョンズ・ホ プキンス病院の解剖部のディレクター、グローヴァー・ハッチンスの三人が共同執筆して医学ジ ャ ー ナ ル に 発 表 し た 次 の 論 文 で あ る。B. P. Lucey, W. A. Nelson-Rees, and G. M. Hutchins, “Henrietta Lacks, HeLa Cells, and Culture Contamination,” 133, no.9 (September 2009)。 この論文に収録されている情報の一部は、Michael Gold 著『 』にも掲載されてい たものだったが、ルーシーらは、新たな情報も公表していた。たとえば、ヘンリエッタの子宮頸 部の生検標本の写真は、同論文で初めて公表されたものである。 ジェルマンは「この論文が HIPAA に抵触している可能性は極めて高い。とはいえ、抵触しているか 否かを知る唯一の方法は調査を行うことしかなく、そうするには、そもそも情報をどこから入手 したのかを含めて、複雑な背景を調査することが必要になるだろう」と言った。これを受けて筆 者は、主著者であるルーシーに電話をかけ、記録の入手経路と、記録の公表に関して家族の了解 を取った者がいたか否かを問い合わせた。ルーシーは、医療記録は共著者であるジョンズ・ホプ キンス大学のハッチンスから入手したものだと言ったあと、こう付け加えた。「理想を言えば、 家族の承認をとりつけたいものだ。おそらく、ハッチンス医師は遺族を探し出して連絡を取ろう としたが、見つけることができなかったのだろう」。論文の著者らは、検視報告書に基づく一連 の論文を発表する許可を施設内倫理委員会(IRB)から得ていた。そして、問題の論文以外で は、患者の身元を隠すためにイニシャルを用いている。ルーシーは、ヘンリエッタの医療記録の 一部と彼女の氏名がすでに公表されていた点を指摘した。「このような状況では、彼女の身元を イニシャルによって守ろうとしても無意味に終わっただろう。彼女の名前はヒーラ細胞にすでに 結びつけられていたのだから、たとえイニシャルを使ったところで、だれでも彼女の身元を簡単 に割り出せたはずだ」と。 死者とプライバシーの件については、概して死者には生者が享受している権利は与えられていない。 だが、例外がある。それは HIPAA だ。 「トマス・ジェファーソンの医療記録でさえ ─もしそ のようなものが存在していたらの話だが─“ 規定が適用される実体 ” によって保存されている かぎり、その記録には HIPAA が適用される」とジェルマンは言う。 「病院は、患者の生死に関 わらず、記録を第三者に渡すことはできない。HIPAA が保障する権利は、太陽が水素を使い尽 くすまで有効だ」と。 もうひとつ考慮すべき点がある。ヘンリエッタはすでにこの世を去り、そのため彼女には、生きてい る者が持つプライバシーの権利がないとはいえ、筆者が取材した法律とプライバシーに関わる多 くの専門家によると、ヘンリエッタの医療記録の公表が “ 家族の ” プライバシーを侵害するとし て、彼女の家族が訴訟を起こすことは可能だったと指摘していることだ。当時は前例がなかった が、以来そういった訴訟がいくつか起こされている。 医療記録の守秘義務に関する法律、及びそれらにまつわる議論の詳細については、以下の文献を参照 されたい。Lori Andrews 著『Medical Genetics: A Legal Frontier』 、Herman Schuchman, Leila 』 、M. Siegler, “Confidentiality in Foster, Sandra Nye, et al. 著『 Medicine: A Decrepit Concept,” 307, no.24 (December 9, 1982): 1518-1521、R. M. Gellman, “Prescribing Privacy,” 62, no.255 (January 1984) “Report of Ad Hoc Committee on Privacy and Confidentiality,” 31, no.2 (May 1977)、C. Holden, “Health Records and Privacy: What Would Hippocrates Say?” 198, no.4315 (October 28, 1977)、C. Levine, “Sharing Secrets: Health Records and Health Hazards,” 7, no.6 (December 1977)。 プライバシーにまつわる訴訟例については以下を参照されたい。 117 N.W. 831, 832, 1920)、 (104 Neb. 224, (37 N.J. 328, 181 A.2d 345. 1962)、 . (243 F. Supp. 793 N.D. Ohio, 1965)、 A.D.2d 482, 446 N.Y.S.2d 801, 806)、 l09, 7 Misc. 2d 549. 1939)、 (84 (11 N.Y.S.2d (191, A.D. 501, 181 N.Y.S. 481. 1920)、 Misc. 2d 201, 400 N.Y.S.2d 668, 677. 1977)、 352. S.D.N.Y. 1939)、 (93 . (30 F. Supp. (171 Ga. 257, 155 S.E. 194. 1930)、 (348 Mo. 1199, 159 S.W.2d 291. 1942)。 第 27 章 不死の秘密 ジェレミー・リフキンの訴訟に関するさらなる資料については以下を参照されたい。 . (No.87-3393)、及び . (756 F.2d 143)。 同 訴 訟 の 報 道 記 事 は 次 の 通 り。Susan Okie, “Suit Filed Against Tests Using AIDS Virus Genes; Environmental Impact Studies Requested,” December 16, 1987、William Booth, “Of Mice, Oncogenes and Rifkin,” , 239, no.4838 (January 22, 1988)。 ヒーラを新生物種とみなすか否かに関する論争については、L. Van Valen, “HeLa, a New Microbial Species,” 10, no.2 (1991) を参照のこと。 不 死 化 細 胞 に 関 す る よ り 詳 し い 資 料 に つ い て は、 以 下 を 参 照 さ れ た い。L. Hayflick and P. S. Moorhead, “The Serial Cultivation of Human Diploid Cell Strains,” , 25 (1961)、L. Hayflick, “The Limited in Vitro Lifetime of Human Diploid Cell Strains,” 37 (1965)、G. B. Morin, “The Human Telomere Terminal Transferase Enzyme Is a Ribonucleoprotein That Synthesizes TTAGGG Repeats,” 59 (1989)、C. B. Harley, A. B. Futcher, and C. W. Greider, “Telomeres Shorten During Ageing of Human Fibroblasts,” 345 (May 31, 1990)、C. W. Greider and E. H. Blackburn, “Identification of Specific Telomere Terminal Transferase Activity in Tetrahymena Extracts,” 43 (December 1985)。 老化と人の寿命延長についてさらに知るには、Stephen S. Hall 著『 』 (ステ ィーヴン・S・ホール著『不死を売る人びと─「夢の医療」とアメリカの挑戦』松浦俊輔、阪 急コミュニケーションズ)をお勧めする。 ヒーラ細胞を使用した HPV に関する研究については、次を参照されたい。Michael Boshart et al., “A New Type of Papillomavirus DNA, Its Presence in Genital Cancer Biopsies and in Cell Lines Derived from Cervical Cancer,” 3, no.5 (1984)、R. A. Jesudasan et al., “Rearrangement of Chromosome Band 11q13 in HeLa Cells,” 14 (1994)、N. C. Popescu et al., “Integration Sites of Human Papillomavirus 18 DNA Sequences on HeLa Cell 44 (1987)、E. S. Srivatsan et al., “Loss of Chromosomes,” Heterozygosity for Alleles on Chromosome 11 in Cervical Carcinoma,” 49 (1991)。 第 28 章 ロンドンの後 「ヒーラ癌対策シンポジウム」 (HeLa Cancer Control Symposium)に関しては、第 6 章の原注を参照 のこと。 コーフィールドの長い訴訟歴の一部については、次を参照されたい。 . (No.89-7787)、 (No.91-5957)、 97-33934)、 . (CV(99-5437)、 (1:08-mc-00110-UNA)。 第 29 章 デボラとの対面 本章に記載した『ホプキンス・マガジン』の記事は、Rebecca Skloot, “Henrietta’s Dance”, , April 2000 を参照されたい。 本章で言及した他の記事の出典は、次の通りである。Rob Stepney, “Immortal, Divisible; Henrietta Lacks,” , March 13, 1994、“Human, Plant Cells Fused: Walking Carrots Next?” , August 8, 1976 (via the Silcock, “Man-Animal Cells Are Bred in lab,” news service)、Bryan [London] Michael Forsyth, “The Immortal Woman,” , February 14, 1965、 , June 3, 1997。 第 31 章 死の女神ヘラ ヘラという名のキャラクターは、数多くのマーヴェルコミック誌に登場している。例として次のもの を挙げておく。“The Mighty Thor: The Icy Touch of Death!“ 1, no.189 (June 1971)。 第 33 章 ニグロ専用精神病院 ク ラ ウ ン ズ ヴ ィ ル 病 院 の 歴 史 に 関 す る 記 事 の 出 典 は、“Overcrowded Hospital ‘Loses’ Curable Patients,” (November 26, 1958) である。同病院の歴史をまとめたものとしては また、Howard M. Norton が “Maryland’s Shame” という題のもとに the 紙に連載 した記事がある(January 9-19, 1949)。さらに、クラウンズヴィル医療センターから提供を受け た資料 ─同病院の “Historic Overview”、“Census”、“Small Area Plan: Community Facilities” など─も本章の情報源である。 デボラと私がクラウンズヴィル・ホスピタル・センターを訪ねた数年後に、同センターは閉鎖され た。この経緯については、Robert Redding Jr., “Historic Mental Hospital Closes,” (June 28, 2004) に 詳 し い(Washingtontimes.com/news/2004/jun/28/20040628-1151428297r/#at で閲覧できる) 。 第 36 章 天に属すもの 筆 者 が ゲ ア リ ー・ ラ ッ ク ス か ら 贈 ら れ た 聖 書 は、『 』 (American Bible Society, 1992) である。 あとがき 体の組織が研究に使われているアメリカ人の人数、及び、組織がどのように使用されているかに関す る情報は、Elisa Eiseman and Susanne B. Haga 著『 』に依 った。米国国家生命倫理諮問委員会(the National Bioethics Advisory Commission)が行った ヒ ト 由 来 組 織 研 究 に 対 す る 調 査 及 び 同 委 員 会 の 政 策 提 言 に つ い て は、 , 及び (1999) を参照されたい。 研究におけるヒト由来組織の利用及びそれにまつわる倫理的・政策的議論に関する文献は厖大である ため、以下、その代表的なものを挙げることとする ─E. W. Clayton, K. K. Steinberg, et al., “Informed Consent for Genetic Research on Stored Tissue Samples,” 274, no. 22 (December 13, 1995): 1806-7、及びこの論文に関して同誌に寄せ られた投書。書籍としては、次の本を勧める ─Robert F. Weir and Robert S. Olick 著『 』 、 Robert F. Weir 編『 』 、E. Richard Gold 著『 』、David Magnus, Arthur Caplan, and Glenn McGee 編『 』、Lori Andrews 著『Body Bazaar』 。 ヒト由来組織にまつわる主な訴訟例については、次を参照されたい。 (74 T.C. 1229)、 ’ (78-5024)、 1064)、 (264 F.Supp.2d . (89-373N)、 . (CV-01065 and 06-2301)、 (04-CV-1290)、 (03-1120)、 、 .(訴訟書 類は aclu.org/brca/ で閲覧可能) 、及び cchfreedom.org/pr/pro31109.php で閲覧可能) 。 (訴状は
© Copyright 2024 Paperzz