僕たちがいる理由 イアン プリンス コンバンハ。はじめまして。わたしは、 私は この会に集うことになった私達の 言うかなんて心配しなくていいよ。22才 イアンです。アメリカのメリーランド州 職務の特徴をお話ししようと思います。 から30才の、日本にこれから1年から5年 からきました。あついですねえ。いっ 私達は、文化大使という貴重な機会をい 暮らすようになるこのグループの代表と しょうけんめいがんばります。よろしく ただきました。皆、日本に対して愛着や して、言いたいことを言えばいいよ、と おねがいします。 情熱を持っています。その情熱が私達 言われました。 皆さんこんにちは、つたない日本語で失 を、教えることに駆り立てます。教える 一緒に旅立った仲間の中には、日本で何 礼します。ワシントンDC日米協会の初心 ことを通して、日本の地域社会と共に、 年間働くかを決めている人もいました 者用の日本語教室のおかげで少し日本語 私達もきっと成長していけると思いま が、私は、何年勤務するかについては、 がわかるようになりました。今まで日本 す。私達のこれからに、どんな事が待っ 決めかねていました。時が経ち2013年、 語を勉強したのは、せりふを言うため ているかはわかりませんが、きっと、素 壁には何枚もの年賀状が貼ってありま に、聞こえるままに、まる覚えした事が 晴らしい事があり、生涯の友人が出来る す。そして、今年8月、私は日本を離れま 一度あったくらいです。そのとき、教授 ことでしょう。私達の任期が終わる頃に す。その頃には25才になっています。も に「私の発音はどうですか?」と尋ねる は、ただ単に教えるという事だけではな ともと、3年もいようとは思っていません と、「まあ、ちょっと英語なまりの日本 く、2国間をつなぐ橋にもなれる事を心か でした。実際、1年半程前には、3年も、 語かな。」と優しく言ってくれました。 ら望んでいます。 絶対にいないだろうなと思っていまし 私は、これから一年、あるいはそれ以上 ご静聴有り難うございました。皆様のご た。 になるかもしれませんが、愛媛県の大島 活躍をお祈りしています。 という島に赴任することになりました。 (2010年7月 ワシントンDCの日本大使 2年で帰国しようと思っていたのに3年に 日本の内海にある大島は、人口約8000人 の島です。確か、広島から約22キロ離れ た所にあり、広島からフェリーで2時間か かります。そういう場所ですから、日本 語はすぐに上達するのではないかなと期 待しています。 明日、こちらを旅立つという、人生に とってとても重要なこの時に、いったい 何を述べればいいのでしょう。とても難 しいです。私もここにいる沢山の人たち と同じように、5月に大学を卒業したばか りです。ここ一年間に聞いたことがある スピーチを参考にしてみると、どれもそ れまでに経験してきた事が反映されてい るようです。卒業に至る頃までには、い ろいろな出来事がありますから、スピー チ内容は、大学での思い出の数々になり ます。 卒業スピーチなら、それまでに成し遂げ たこという格好の話題があります。しか し、今これから起こることは、私達の誰 も知らず、みんな様々に状況が違うので す。いったい何を話せばいいのでしょう か? 館で行なったスピーチより) ALT(英語指導助手)として旅立つ前に、約 60人のワシントンDCのJETプログラム(語 学指導等を行う外国青年招致事業)参加者 のために、日本大使館にて、壮行会が行 われました。駐米日本大使、アメリカ教 育省事務次官が、お祝いの言葉を述べ、 前年度のJET プログラム参加者の代表が、 今後の将来性などについて話しました。 私は、JETプログラムのワシントンDC支 部の事務局から、短いお別れのスピーチ の依頼があり、出発に当たり、冒頭のよ うなスピーチを行いました。 何故、私が代表に選ばれたのでしょう か?それはおそらく、出発前の準備のた めにたくさん質問のメールをしたので、 名前が印象に残ったのかもしれません。 その時に、私が行ったスピーチをパソコ ンに保存していました。ほぼ3年ぶりに読 み返してみました。アメリカを出発した のは、2010年7月30日、大学を卒業して 2ヶ月後のことでした。当時、日本語はほ なったのには、大島に惹かれたからとい うことがあります。 教えるのも楽しかったですし、生徒達と の交流も楽しかったです。趣味も増えま した。地域での交流イベントもとても楽 しかったです。また、日本語ガイドブッ クからコピーしてスピーチを書き、発表 していた頃(発音が間違っていて、結局 誰もわからなかったのですが。)から較 べると、日本語もずいぶん上達しまし た。他にも、ALTとしての暮らしがより 大きく、また、実り多い物だった事もあ げられます。夢や、これからやりたいこ とや、家族の要望もあり、アメリカへ帰 ることになりました。私達ALTの中に は、日本にずっと暮らすと決めた人もい ます。人により、決断は様々です。日本 の一員になりたくて、日本での時を過ご してきました。日本は今、私達にとっ て、母国になりました。私達は、どこに 行こうとも、日本の一員であり続けたい と思っています。 訳:柳原 美智恵 (Michie Yanagihara) ぼわからず、赴任地についてもほぼ何も 知らない状態でした。担当者には、何を I-NEWS 93 August/September 2013 Late Summer Issue 8
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