064Osaka No.19

The Friendship Force of Osaka
会報 第19 号 2006年
2006 年 4 月 No.19
The Friendship Force of Osaka
ベレーンクラブ(ブラジル)を受け入れて
3月26日~4月2日
受け入れED
森本吉彦
2005年 11 月中旬に今般の「ブラジルのクラブ受け入れの ED」を務め
る事となり、それ以降ざっと 5 ヶ月。ベレーンクラブの 12 名を送り出して
「やっと終わったかぁ!!」との感慨に浸っております。途中経過ではいろ
いろ問題続出で大変でしたが、終わった今となれば「すべては収まる所に
収まった」というのが実感であります。幸せな結論だ、と申せましょう。
しかし、なぜ当初予定されていたベロ・オリゾンテクラブは来なかったの
かなどの疑問は残ります。ベレーンクラブの ED である Lira さんによると、
EDによるプレゼント交換
ベロ・オリゾンテクラブとの旅程のすり合わせで合意に至らなかったからだそうです。将来複数のクラブから
受け入れる場合はこの点は十分留意する必要がありそうです。さ
らにもう 1 つの問題点は、われわれはポルトガル語が出来ず、彼
らは日本語ができない。共通の言語は英語と言うことになります
が、英語がまったく出来ない方もおられました。コミュニケーシ
ョンの手段がないのが苦労でした。幸い大阪クラブに起因するよ
うな問題は何も起こらなかった。それは嬉しい事でした。12 人の
客人にも病気や事故がなかったのも有難かった。3 月 26 日の伊丹
到着時に 3 人の方の荷物が未着という事態がありましたが、幸い
興福寺でみぞれを避けて雨宿り。
後日ちゃんと届きました。3 月 26 日から 4 月 2 日の 8 日間、お天
気は“寒の戻り”なのか、まるで冬のような寒さでした。アマゾン河口の熱帯の町からやって来た方々には、
めったに経験できない体験になった事でしょう。京都では雷鳴轟く豪雨。奈良では一瞬の吹雪。日本の神々も
遠来の客人に粋な歓迎(?)をしたものです。3 月 31 日のパーティは、和
やかな雰囲気の中、みなリラックスして楽しく過ごすことが出来ました。
2 時間半があっという間に過ぎてしまいました。各々の行事はきちんと
企画・進行され成功裡に終わりました。やっぱり成功の原点は「人」で
す。今回も 11 月頃からそれなりに責任者を決めて対応し、その責任者
が各々の部門でキッチリと責任を持って仕事をこなした。その集大成が
「成功」という果実となって結実したのです。計画性・責任者の確定・
協力体制・責任者の献身的責務遂行。これこそが今後ともこういう企画
奈良ツアーでは、余りの寒さに昼食時
を成功に導く不可欠要件だと思います。
間を延長して、室内で過ごしました。
1
あんなこと・こんなこと
ホストの感想
「Boa noite(ボアノイチ)こんばんは、ロベルト」 伊丹空港での
出迎えは、こんな言葉でした。夜のドライブで我が家に向かう車の中で、淀
川をみて、「Yodo River」と、説明するとうまく伝わりません。なんで?彼は
「Rio」(ヒオ)ポルトガル語で、川と言っていたのでした。ポルトガル語が
わからない私たちは、次の日JTB6カ国語会話の本を買いました。インタ
ーネットで、英語をポルトガル語に翻訳するサイトにアクセスして、伝えた
い言葉を探していきました。熊本に行く時に、その本はプレゼントしました。どのルートで大阪に来たのかを
聞きました。ベレーン―サンパウロ―ミュンヘン―成田―伊丹に着いたそうです。なんと2日かかっているの
です。太平洋を渡っていないなんて!JTB によると、日本からはアメリカを経由していくのが一般的だそうで
すが。時差が12時間で、地球の反対側です。空中庭園にある大きな地球儀をみて、納得しました。彼がデジ
カメの充電をしたいと言ったのですが、日本のコンセントでは出来ないので、ヨドバシにコンセントのアダプ
ターを買いに行きました。奈良ツアーの日、東大寺で、彼はデジカメを落として壊わし、再びヨドバシへ。デ
ジカメとメディアを買いました。これは、ポルト
ガル語の説明つきの海外仕様のソニー製品で、と
っても優れ物です。時々使い方がわからず、夫に
聞いていました。
(ちなみに前のデジカメもソニー
製品。)もの静かな方でしたが、新大阪に行く朝は
「Oi、 Oi」(オイ・オイ)と、呼び合う家族にな
っていました。(朝倉隆夫・清美)
初めてのホスト 大いに不安でしたがブラジ
パーティでブラジル北地方の踊り・カリンボーを披露してくだ
ル出身のヴェラ松原さんの『私がサポートします
さったアンバサダーたち。リズム感の良さはさすが。女性の日
から』の励ましを唯一の頼りに、二人の女性を引
常生活を表現している踊りのようでした。
き受けました。初日、空港でアルシデマさんの荷物が届かなかった事がわかり、少しションボリの彼女に、な
んと慰めてよいやら。でも2日目、無事荷物到着を知ると『ヤーイッ』と彼女本来の明るさを取り戻しました。
もう1人のヨシエ・イチハラさんは、日系2世らしく落ち着きと奥ゆかしさがでて、明るい雰囲気になりまし
た。3日目、天候が悪く、外出の予定を急遽変更して、着物を着てもらい、彼女たちの手で「お雛様飾り」を
してもらいました。ヴェラさんに通訳してもらいながら、「これが King」「これは Musician」などと、説明し
ながら。並べ終わって、こんな時は「ばらずしと白酒」でお祝いをする
と説明したら、「その白酒がほしい」とのリクエスト。「ええ?!それは
売り切れ」と言い訳しながら、ばら寿司とお吸い物でごまかしました。
とにかく2人共、この機会に積極的に日本文化を経験しようと、なんで
も食べ、なんでも手にとり、なんでも楽しみ、その旺盛な知識欲に感服。
初めはオズオズの受け入れでしたが、いろいろバタバタしながらも「や
っぱり楽しかったなー」の1週間でした。東京在住の妹にも来てもらい、
協力してもらいました。(市原稔彦)
2
三世代で受け入れに参加
アンバサダーの Jane さんは英語がほとんど話せなくて、スペイン語が話せるというので、我が家ではなく、
スペイン語を少し話す娘夫婦の家で泊まることになりました。Jane さんは、とても礼儀正しい方でした。南
米の方は、時間を守るのは苦手と聞いていましたが、そんなことは全然なく、食事も「日本式のマナー」を心
がけていました。百均ショップが大好きで、
「今日が最後よ」と行ったときには、40 個も買いました。日本的
なおみやげから、洗濯ネットなどの生活用品までさまざま。ブラジルでは品物も少なく、プラスチック製品が
高いそうです。また、日本橋の電気屋筋の近くで、着物を
3 枚も買っていました。ガウンにして着るそうです。ご本
人と二人の娘さんとで着ている光景を想像すると楽しくな
ります。(宮城和子)
春休み中のことで、長女 11 歳、次女 9 歳が自宅におり、
三女 2 歳と私、Jane さんという女 5 人の楽しい生活でした。
早朝に出勤する夫にも気づかず、5 人でゆっくり起きだし、
遅い朝食です。
「お昼は作らなくていいよ、私もお料理作る
の好きではないし、おごってあげるからどっか食べに行こ
う」という Jane の言うまま、バイキングやくるくる寿司に
行ったりしたので、私は1週間で2kgも太ってしまいました。また、子供達は、「これ、おいしいよ」と、
たこ焼き・やきそば・餃子を作って食べさせて、毎回楽しい食事でした。2 歳の娘と「お母さんといっしょ」
のテレビを見たり、積み木でお城を作ったりして遊びました。また、折り紙でヒャーヒャー笑いながら遊んで
いました。Jane は、食器の片づけを手伝ってくれたり、荷物を持ってくれたり、
「私がいる間はあなたを助け
てあげる」と、細かい心遣いを見せました。私も慣れてしまって、
「ちょっとティッシュをとって」とか、
「こ
のランチョマット、洗濯籠に入れてきて」とか、あまりにも自然に接することができたので、とても楽しい 1
週間でした。最後に、私は料理を作るのが嫌いなどとは一言も言っていないのに、Jane はどうしてわかった
のでしょうか!?(岡田正子)
できる範囲で楽しもう!
ブラジル受け入れをする家庭が少なくて、ホストを探していると、実家か
ら連絡があったのが去年の 11 月。13 年前から大阪クラブ会員の両親を手伝って、何度かアンバサダーのお世
話をしましたが、本格的なホストは大変ではないかしら、何しろ下の娘がまだ 1 歳半だし…と不安を感じつつ
ED の森本さんに電話をしてみました。「大丈夫ですよ。ぜひお願いします。」力強い森本さんの言葉に励まさ
れ、ホストをすることを決めました。手紙やメールでやり取り
が始まると、お会いする日が待ち遠しく、自分たちが出来るこ
とを楽しもう、と言う気持ちになってきました。3 月 26 日に空
港で出会い、笑顔で抱き合った瞬間、
「楽しい受け入れになる」
と確信しました。65 歳で、5 歳と 0 歳のお孫さんがいるクルミ
テさんは、自らを日本語で「おばあちゃん」と呼び、うちの二
人の娘のすてきなおばあちゃん役をしてくださいました。私の
家事の間の子守、ポルトガル語の子供歌、かくれんぼ、パズル
にぬりえ等々、子供たちは彼女と過ごす時間が大好きで、気が
付くと彼女の部屋に入れてもらい、
「カリンボー(フェアウェルパーティで踊ってくれたダンス)」を一緒に踊
ったりしていました。明るく元気でおしゃれで、「お茶席はいかが」「着物を着て桜祭りに行かない?」
「大阪
3
城はどう?」
「友達があなたに会いに来たがっているけど」とこちらが提案したこと全てに「もちろん喜んで!」
と心から楽しんでくれました。カーニバルの話で大いに盛り上がっていた夫と共に、いつか、子供たちを連れ
て、地球の反対側の彼女の国に、会いに行きたいなあと思っています。(浦林直子)
運命の出会い
パーティの日は、イルマと福知山・綾部方面へ行きました。
帰り道が混んできて、気持ちははやるけれど、進みません。イルマが、
「そこの
け、そこのけお馬が通る」の意味のポルトガル語を叫びながら、ノリノリでは
せ参じました。彼女の英語は片言で、70パーセントくらいしか通じなかった
けれど、心の絆を強く感じました。偶然、色違いのセーターを買ったこともあ
りました。不思議なご縁を感じました。受け入れがご縁で熊本のホストとも親しくお話しをできて、楽しかっ
たです。これが FF の精神でしょう。楽しく、幸せな受け入れでした。(朝比奈美津子)
4 人家族のうち、お父さんのセザールと娘のイヴナが我が家にス
ボク、お金出す人
ティしました。生憎の寒さのせいかセザールは風邪を引いて咳をし
ていましたが、ホストの前では辛さを隠して元気そうに振舞ってい
ました。 大阪での買い物ではあれもこれも欲しい奥さんと息子に
黙ってカードを出していたのが印象的。(これってどこでも同じか
な・・・)なのに 15 歳のイヴナは自分のお小使いの中から小さな
可愛いものを 100 円ショップで買って喜んでいました。そして英語
の話せないお父さんのため通訳をしたり、夜中にお父さんの部屋へ
ホットレモンを作って運んだり、ほんとにいい子で自分の娘にしたいくらいでした。(大下すみ子)
ボク、お金使う人
13 歳のカイオは、日本の漫画が大好き。大阪で、欲しかった「ナルト」と言う漫
画の忍者のコスチュームを、やっと見つけて買ってもらい、奈良ツアーの時東大寺
の土産物やさんで買ってもらった日本刀も身に付けて、満足そうでした。焼きソバ
が好物で、ブラジルでもよく食べるそうです。お母さんのナザレは、明るくて、話
し好きで、正義感が強く、涙もろい。子供が小さかったときの話しをしながら涙ぐ
んだり、大阪クラブの人々の親切に感動し、熊本に出発するときには別れを惜しん
でまた涙。買い物も大好きで、カイオにノートパソコンとナイキのテニスシューズ、
ipod を二人の子供に、ヘアードライヤー、靴を自分に、防寒衣類を夫になど、いろ
いろ買い込んでいました。(四ノ宮楡里)
元気の素は…
ED を務めるリラさんとお友達のアジレスさん。お二
人とも 60 歳前後のご婦人で元大学教授。現役時代からの友人だそうです。
昨年秋にハワイからのお客様を受け入れた際の経験から妻は前もって滞在
期間中の予定表を参考にしながら「食事のメニュー」をすべて作って来訪
に備えました。こういう場合に「アレルギーの有無」などの事前情報は大
いに役に立ちます。またお二人には「2 部屋を提供しますが、ベッドのある
部屋と無い日本間の、どちらを選びますか?」と前もって希望を訊いておいたのも良かったです。神戸港から
4
明石大橋までのランチ・クルーズには長女一家も一緒に行き、6 歳と 3 歳の孫娘達とも楽しんでいました。妻
が習っている紙での日本人形作りを、お二人に伝授したら大喜び。親戚・縁者&友人達に渡したいので出来る
だけたくさん欲しいと言われ、数に限りがある妻はまさに嬉しい悲鳴でした。
「なんでも食べる」
「どこでも眠
れる」「何に対しても興味を持つ」というのが “元気の素”だそうですが、このお二人を預かった 8 日間で、
本当にそうだな、と思わせられました。(森本吉彦)
デイ・ホストの感想
FF 活動についてはほとんど知りませんでしたが、私はブラジル
出身なので、ブラジルからのゲストのお世話ができると思って参加
しました。委員の方から、英語を話さない方々に不満はないかとた
ずねられましたが、「言葉の壁を感じないで、楽しい生活だった。
京都ツアーの時だけは、ガイドさんが日本語で話し続けるので、意
味が分からず疲れを感じた。でも、違う話題で自分たちで盛り上が
っていた。」といわれていました。パーティでは、通訳として参加
しました。もっとフォーマルなものだと思って、ドキドキしていま
したが、気軽なパーティだったのでほっとしました。デイホストとして市原さんをサポートしながら、少しづ
つ活動の内容が分かってきたので、いずれはホストをしたいと思っています。(ヴェラ松原)
パーティーの責任者を務めました。各ホストのアンバサダー紹介の
内容が、みなさんに話題を提供していたようでした。プログラムは 2
時間の内容からして良かったと思います。各役割の仕事では委員が自
主的に動いてくださったので、本当にありがたくおもいました。会場
におられた委員以外の方もどんどん手伝ってくださいました。メニュ
ーはいつも通りでした。食べる時間が少ないのか、小食なのか、食事
はかなり残りました。後始末はあっと言う間に終りました。さすが大
阪クラブ。お見事。管理会社の会場のチエックも一発でOKでした。
パーティの準備。多くの委員・会員の力で、
パーティは予算内で納まりました。(長谷部純子)
パーティが成功しました。
やはりステイを受け持たれているホストに比べ親密感は欠
けるのは残念なところです。それでも国民性が底抜けに明るく
積極的に交流しようと言う姿勢は十分伝わってきました。一番
それを感じたのは奈良観光で、異常気象で雷雨あられに見舞わ
れ寺の門に一時避難した時でした。誰ともなく歌を歌い腰を振
りながらサンバを踊りだし、強風と寒さも笑い飛ばしてしまう
彼らのパワーに元気をもらいました。お寺に興味を持つ人、公
園の鹿にえさをやってはしゃぐ人、彼らにもう一度会えたら素
東大寺山門前で、鹿と一緒に説明を聞く。
敵だろうなと思います。(小林幸代)
5
初参加 World Friendship Day のバザー
3月 31 日、「ぴぴあ売布」での受け入れのパーティ会場の一角で行いました。前もって参加の皆さまに何か
1品をとお願いしていましたところ、それぞれに2,3品以上寄贈してくださり、お陰で品物も十分に集まり
ました。パーティの前のわずかな時間で、値段つけから陳列と大変でしたが、その場に居た合わせた方々がお
手伝いしてくださって、値段毎に並べてくださいました。そ
うしているうちから、品定めも始まり、パーティ開会前に予
約も入りました。値段は新品も含め本当に寄贈者には申し訳
ないくらいの安い設定で、購入された方々には喜んでいただ
きました。ブラジルの方々には日本的な小物が好評でした。
参加者の中には、重い物が残っても困るでしょうと、犠牲的
精神で買ってくださる方もあり、短い時間でしたが、出品の
約 80%が売れ、売り上げ金額は 26,780 円になりました。近々
に、FFI の World Friendship Day 基金へ送金の予定です。ご
協力ありがとうございました。
(大下すみ子)
4 月 16 日(日)大下すみ子会長宅にて。13:00 から。参
加者10名。講師は、アメリカ・シアトル出身で、兵庫
県立宝塚西高校 ALT のケーシー・モコ(Casey Mochel)
さん。今回のアンバサダーも旅の途中で自分の荷物が届
かない事がありました。そんな旅のトラブルに対応でき
るような会話を教えていただきました。まず、飛行機内
での機長の挨拶と安全についての放送の聞き取りに挑戦。
空港でのトラブルについて。たとえば、荷物のチェック
イン、航空券をなくした、出入国審査、税関、荷物の破
損・紛失、忘れ物、乗り継ぎ便を尋ねる、などたくさん勉強しました。一番大事なことは、必要なことをはっ
きり、ゆっくり、相手に伝わるように話す、ということでした。簡単なのに難しいです!預け入れた荷物のタ
グが、なくなったときに備えて、住所・氏名のメモを荷物に入れておくといい、といったアイデアも教えてい
ただきました。14:40 からは茶話会。ここからはヴェラ松原さんも参加されて、にぎやかな話しが尽きませ
んでした。会員以外の方も1名参加されました。
編集後記
受け入れ特集をお届けします。受け入
編集・発行 フレンドシップ フォース大阪クラブ
れホストの方々の感想文を中心にお届けします。
発行日
2006 年 4 月 30 日 第 19 号
編集委員の手違いで、京都の報告が掲載できませ
事務局
〒594-0013 和泉市鶴山台 3-1-40
ん で し た。 公 式行 事 な のに 申 し訳 あ りま せ ん
朝倉
m(__)m
[email protected]
京都ツアーは今回は観光バスを使って
行われました。新しい試みでした。紙面の都合に
隆夫
tel&fax 0725-43-8331
http://www.friendshipforce.jp/osaka/index.html
より、これからの活動予定は次号をご覧ください。
編集人
6
TFF大阪クラブ
広報委員会