1、はじめに 私たちの研究会では、様々な文献を用いて都市についての議論を交わしてきた。その中で、私たちが特 に興味を持ったのは、若林幹夫著『郊外の社会学』である。彼は著書において、郊外化が進み、7 割以上 の人が郊外出身である現在、郊外を研究対象とすることで、そこに生活する現代人の姿を描き出そうとし た。実際、私たちの班員の 5 人のうち 4 人は郊外生まれであり、私たちが郊外について調べることは、 「郊 外を生きる現代人」である自身のツールを知る機会になるのではないかと考えた。ゆえに、私たちは郊外 を研究対象として選択したのである。郊外の中から港北ニュータウンを選択したのは、その物理的距離の 近さが一つにある。日吉キャンパスから港北ニュータウンのセンター北駅まで、横浜市営地下鉄グリーン ラインを使って 10 分程で到着するが、班員 5 人のうち 4 人は日吉からセンター北までの間に住んでいた。 また詳細については後述するが、港北ニュータウンはニュータウンの高齢化といった「郊外の終わり」に は現在無縁である。そういった点から、「郊外の今」を俯瞰するのに適切な対象であると考えて選定した。 では次に具体的に調べた内容について述べる。若林は前掲書において、郊外について以下のように述べ ている。 なるほど、右に述べたように郊外とは“たまたま住んでいる”偶有的な居住地だ。だが、土地や家 はそれを持ったとたんに“たまたま”と言い切ることのできない重さと慣性を持つ。ここにもまた、 郊外を生きることの両義性がある。しかも、どの場所に立つどんな家に住み、そこでどんなライフ スタイルと共にある生活をしてゆくのかは、職場、所得、購入する家や庭の形態、市場で実際に購 入可能な商品の種類等によって構造的にかなり限定されてしまい、結局のところは限られた選択肢 のなかからどれをとってもいいような選択になりがちである1 とある。ここでは郊外に住むことの偶然性が述べられている。要するにそれは自分の条件と合致しさえす れば、 「どこでもいい」ということだ。しかし郊外における住居選択とは、本当にそのように半自動的に決 まるのだろうか。都心回帰の傾向が出てきた昨今においては、まず郊外を選択する理由があり、そして郊 外の中からどこかを選択するといった複数回にわたる選択があるだろう。確かに所得の余裕がない人は選 択肢が自ずと決まることが多く、それは若林が指摘する通りである。けれども港北ニュータウンのような 比較的高所得の人が行った選択においては、偶然性が後景に退くことが考えられる。つまり基本的に家の 購入価格に関して彼らの自由度は増しているので、その他の加価値を基に住居選択をしているということ が予測できるはずである。 このことを明らかにするために、二つの視点から論を構築しようと考えた。一つは住民へのアンケート による意識調査であり、もうひとつは「上演」という考え方である。アンケートによって住民に港北ニュ コメント [安齋まいこ1]: これから「上演」 ータウンをなぜ選択したのかを聞いたが、ここに何か思い入れがあるならば、その選択は偶然性を免れる って言葉いっぱい出てくるけど、これはみ と思う。またもう一方の「上演」という概念は、社会学者の吉見俊也がその著書『都市のドラマトゥルギ んな括弧つけたほうがいいんでないかな? ー―東京盛り場の社会史』2で提起したものである。若林はこの概念を郊外にあてはめて使っている。彼に よると、郊外という地域性を失った没個性的な空間においては、人々は演技をすることによって個性を演 1 2 同掲書、200 頁 吉見俊也『都市のドラマトゥルギー―東京盛り場の社会史』、河出文庫、2008 年 出しようとする。しかしどの郊外もローカリティを感じさせない同様の意匠に走り、結局個性を喪失して いると述べている。それが一様の郊外像を抱いてしまうことに貢献しているのである。とするならば、逆 に港北ニュータウンにしか見られない「上演」があるとすればそれは港北ニュータウンの個性であり、こ の個性が住民の選択に寄与したことが考えられる。 繰り返しになるが今回の論考の目的は、 「住民意識」と「上演」といった二つの側面から港北ニュータウ ンを選択したことの必然性を明らかにすることである。そしてその必然性を述べることで港北ニュータン の個性を探るとともに、他の郊外との簡単な比較を行い、で港北ニュータウンの郊外における位置づけを 考える。その結果最終的には、一様に見えていた郊外の多様性が浮かび上がれば本稿の目的は達成された ことになる。 2. 港北ニュータウンとは 港北ニュータウン事業は 1965 年に横浜市が発表した「横浜市六大事業」の一貫として行われた。港北ニ ュータウンは現在の神奈川県横浜市都筑区に位置する。開発に向けて横浜市は「乱開発の防止」 「市民参加 によるまちづくり」 「都市農業の確立」という 3 つの理念を掲げ、市民と横浜市と公団が港北ニュータウン 開発対策協議会(後の港北ニュータウン事業推進連絡協議会)を組織し会合を何回も繰り返した。この事業は 市民が参加した初めてのまちづくりであり、「ふるさとをしのばせるまちづくり」,「緑の環境を最大限に 保存するまちづくり」,「安全なまちづくり」,「高い水準のサービスが得られるまちづくり」の 4 つのまち づくり方針の下に推進された。 これらの方針実現にあたり、古くからある山裾の屋敶林や斜面林などを極力残すことにし、それらを公 園にすると共に公園へのアクセス性を向上させるために緑道や歩行者専用道路のネットワーク(住宅から 駅やバス停,学校などを結ぶ)を整備することによって安全安心に行くことができる公平なサービスも両立 させた。住宅地をつくる上でも緑を最大限に保存するために工夫をこらし、その結果形成された延長約 15 キロメートルの緑豊かな緑の幹線は「グリーンマトリックス3」と呼ばれ、港北ニュータウン独自の魅力資 源となっている。また、地下鉄を介さねばならないが、都心からのアクセスもよく、地下鉄ブルーライン であざみ野まで行くと田園都市線に、地下鉄グリーンラインで日吉まで行けば東急東横線に接続可能であ り、通勤通学に便利である4。加えて IKEA やノースポート・モール,モザイクモール港北など大きな商業 施設があり買い物にも事欠かない環境である。さらに都筑区は平均年齢が 38 歳と、横浜市で一番低い。こ のことからわかるように子どものいる家庭が多く、教育環境が良いまちという証明にもなっている。 緑が多い・安全・便利・教育環境が良い、とくれば当然人々から人気も出る。2003 年 2 月 21 日の週刊 朝日の『世代別・年収別「住みたい街」人気ランキング』では、港北ニュータウンの横浜市都筑区南山田 は平均推計年収 800 万以上で第 2 位に選ばれた。このほか港北ニュータウンから、平均推計年収 800 万以 上で、都筑区茅ヶ崎東が 4 位、牛久保東が 15 位、荏田東が 17 位、中川が 19 位、牛久保が 26 位にランク インしており、平均推計年収 700~800 万円でも北山田が 2 位、仲町台が 4 位、東山田が 6 位と上位を占 めている。このことから、港北ニュータウンが一種のブランド化しているということがいえる。 3 グリーンマトリックスシステムとは:既存の緑と公園緑地・緑地・せせらぎなどの緑を連続的に形成さ せ、さらに歴史的な遺産、水系なども結合させ、地区全体の空間構成の核とする街づくりの考え方です。 その軸となる緑道は、ニュータウン全体で五本、全長約 14.5km に及ぶ日本一の長さを誇ります。 4 センター北からあざみ野へ 5 分、日吉へ 11 分。また横浜へ 23 分、渋谷へ 25 分、大手町へ 41 分、目黒 へ 41 分といったアクセス環境にある。 △図 1 港北ニュータウンのグリーンマトリックスシステムと歩行者専用道路 △図 2 港北ニュータウン内の緑道 △図 3 ノースポートモール 3、アンケートより 私たちは以下の要領で、アンケート調査を実施した。 調査日時:11 月 1 日(日)15 時~17 時 調査場所:センター北駅前広場および、ノースポートモール前 質問項目:①港北 NT 居住者用②港北 NT 外からの来訪者用、にわけて作成した。 ①居住年数、居住決定の理由、港北 NT 以外で悩んだ地域、港北 NT のイメージ ②現在の居住地、来訪目的、港北 NT のイメージ 編集データ:章末に記載 結果の分析に入る前に、第一章で述べた若林の『郊外の社会学―現代を生きる形』における郊外論を今 一度詳しく紹介する必要がある。前記のとおり、若林は、郊外とはたまたま住んでいる偶有的な居住地だ と述べている。その理由は、今まで街のなかった地域を短期間で開発し、全国どこでも似たような名付け をして似たような街を作ってきたのが郊外だからである。つまり郊外には「都心に通勤する人々の居住に 特化した地域」という以外に土着性や地域性がないということだ。そんな郊外が居住地として選ばれる理 由は、職場からの距離・交通の便・間取り・価格帯などしかない。同じような条件の地域は都心を中心と して同心円状に無数に広がっている。その中からただひとつ選び取った郊外は、そこがどの街のどんな場 所であるかは偶然でしかないというのである。私たちはこの若林の論の検証として港北ニュータウン住民 にアンケートを行った。その結果には、特筆すべき点が二つある。 まずは、港北ニュータウンのイメージが統一されているということである。例えば居住者の居住決定の 理由と、来訪者の目的はかなり一致している部分が多い。居住決定の理由は上位から「自然などの環境」、 「子育てによい」、 「買い物に便利」 、 「職場の都合」である。一方、来訪者の目的は「買い物」、 「子供関連」、 「映画館」、「散歩」となっている。また、居住者・来訪者ともに聞いた港北ニュータウンのイメージとし て「街が若く、子供が多い」ことや「買い物など生活に便利」であることが双方から多く聞かれた。 以上のことから、港北ニュータウンは内外によく知られた特徴を持っている街だといえる。このことは さらに、テレビ東京系列の番組「アド街ック天国」や、雑誌『田園都市生活』 (エイ出版社)などのメディ アにおける港北ニュータウンの取り上げられ方が一様であることからも裏付けられる。このような現状を 考えると、はたして港北ニュータウンに住むということは若林のいう偶有的な郊外に住むことなのだろう か。港北ニュータウンの居住者の多くは、転居してくる以前からこの街に特定のイメージを抱えている。 そして居住を始めた今も当初と同じかどうかは不明だが、確固たるイメージを持っている。このように住 んだ理由が職場や価格などの物理的条件を超えて、ある種のまちの「ウリ」であるイメージに集約されて いることから、選択の必然性が言えると思う。 次に注目したのは、港北ニュータウンに転居する際に、ほかに悩んだ地域である。列挙すると、綱島・ 日吉・元住吉などの東横線沿線、鷺沼など田園都市線沿線、小田急線の新百合ヶ丘、横浜市営地下鉄の上 大岡、同じ港北ニュータウン内の別の駅があがった。このなかで特に重要なのは、東横線と田園都市線の 沿線である。この“港北ニュータウンと競合した地域”の大半を占めている二つの路線には、共通点があ る。それは港北ニュータウンと都心を結ぶ路線であるということだ。港北ニュータウンから都心に通勤す る際にはほとんどの場合、この二つの路線のどちらかを使う必要がある。 この二つの競合した地域に注目した理由は、若林の郊外論では職場からの距離と交通の便が重要な要素 となっているからだ。念のため繰り返すと、職場からの距離・交通の便・間取り・価格帯などの条件が同 じ候補の中から適当にひとつを選ぶから、郊外は偶然なのだと若林は論じている。しかしたとえば港北ニ ュータウンのセンター北駅と、東横線の日吉駅から渋谷に出る場合を比べてみよう。センター北駅から都 心に出ようとすれば、横浜市営地下鉄を使って日吉駅へ行き、そこから東横線に乗ることになる(もしく は横浜市営地下鉄を使ってあざみ野駅へ行き、田園都市線に乗る)。日吉駅からの場合はもちろん、そのま ま東横線を使えばよい。つまり交通の便で言えば、競合地域である東横線および田園都市線の沿線は、港 北ニュータウンよりも条件がいいともいえる。そのうえで港北ニュータウンに住むことを選んだというこ とは、ここに住む明確な理由があるといえるのではないだろうか。 以上アンケート結果の分析として、「港北ニュータウンのイメージが統一されていること」「居住地を決 める際に相対的に交通の便の悪い港北ニュータウンを選んでいること」の二点を挙げた。すると、港北ニ ュータウンが若林のいう郊外とは少し性格の違う街であることは言えそうである。 △図 4 班員がアンケートを行った場所の様子①(阪急モザイクモール付近) △図 5 班員がアンケートを行った場所の様子②(阪急モザイクモール横の広場) ≪アンケートの回答一覧≫ 港北ニュータウン居住者】 在住年数 決め手 ※()内は他の選択肢 現在のイメージ 1年目 自然 子ども・自然 11年目 街が新しい(横浜のどこかに住みたかった) 買い物・子ども 5年目 夫の友人が住んでいる。職場。モスクがある。 きれいな街。道が広い。物価が安い。住みやすい。 6年目 環境。将来性。 整備されている。 4年目 交通。買い物(日吉) 子連れが多い・ 3年目 子連れ(センター南・田園都市線) 遊歩道。公園。 40年目 緑が多い。 40年目 仲町台⇒センター北に移動 子ども多い。(学童保育を経営) 4年目 街が整備されている。子どものため。(東急線) 進化している。 8年目 公園。道が広い。遊歩道。 若い人でも住める地価。勢いがある。活気。 10年目 主人の実家が近い。 なんでも近い。徒歩で移動できる。 15年目 主人の実家が近い。 買い物しやすい。 8年目 駅近くに手ごろな物件があった。 生活に便利。 20年目 実家にずっと住んでいる。 特になし。 9年目 主人の実家が近い。 買い物に便利。 1年目 環境がよい。子育て。 環境がよい。子育て。 3年目 仕事の転勤。 子育てによい。つぶしがきく。 3年目 実家に近い。 自然が多い。 3年目 いい物件があったので。 買い物に便利。地の利。 4年目 子育てによい。環境がいい。 買い物に便利。 10年目 田園都市線の沿線にあった(?) 道路が広い。買い物に便利。 2年目 子どもの教育。 子どもが多い。学習塾多い。 3年目 景観がきれい。ちらし。 店が多い。 1年目 雰囲気がいい。(上大岡) 道が広い。 3年目 便利そう。(綱島・元住吉) 交通が便利。 3年目 街がきれい。(日吉) 便利。 3年目 環境がいい。 車と歩道が分離。緑が多い。 5年目 もともと近くに住んでいた。(北山田) 子育てによい。 20年目 いい物件があったので。 歩いて映画館にいける。 4年目 通勤に便利。 自然が多い。 11 年目 買い物に便利(鷺沼、日吉、新百合ヶ丘) 3年目 子育てによい。(新百合ヶ丘) 子育てによい。 【港北ニュータウン以外(外来者)】 現住地 来た理由(来訪頻度) イメージ 戸塚区 買い物 新しい、若い街 買い物 車で回りたいような街 新羽駅(BL) 散歩・買い物 便利な街だが、少し外れると静か。暮らしやすい 青葉区 買い物 青葉区(田 都) 高飛車で見栄っ張り。田舎からでてきたような感じ。子どもに過保 護。 あざみ野駅 映画館など(月に3,4回) ちっちゃい子どもがいても住みやすい。 宮前区 テニス、買い物(週に1度) 緑が多い。これからさかえる。 宮前区 テニス、買い物(週に1度) 空気がきれい。 新石川駅 (田都) 遊びに。(職場があるので毎日) 土地が高い。子を育てやすい。ニュータウンにしては道路が計画 的でない。 小机駅(JR) 映画館(あまりこない) 梶ヶ谷駅 ゴルフ用品、買い物(月に一回 (田都) 未満) 旭区 映画館 新しい街。高級。新興。昔は田んぼだったのに急にでてきた。 神奈川区 買い物(月に2回) ファミリー向け 田園都市線 買い物(月に1、2度) 買い物に便利 子供の習い事 若い人が多い。子育てによい。 日吉 買い物(月に1度) 新しい 鷺沼(田都) 子供服 高津区 散歩 日吉 買い物 川崎 買い物 三沢 買い物 川崎 ベビーザラス たまプラー ザ 新しい。大きなマンション 若い。開発が行きすぎ。犬を OK にしてほしい。 4.港北ニュータウンにおける上演 2 章でも見たように港北ニュータウンはまだ若い郊外であり、十分なブランド力がある。季刊紙で ある『田園都市生活』における今回の特集(2009/09/25 発売)では「港北ニュータウン」が取り上げ られ、そこには横浜市で一番子どもが多いということが大きく書かれていたことにもそれは裏づけら れている。区の職員によると、今後 50 年間人口が伸び続ける試算があるという。そんな港北ニュータ ウンにおける「上演」とは、市民と施設との密接な相互作用の上に成り立っていると言える。以下で はその様子を詳述していきたい。 (1)緑道と、車と分離された道路 緑道と、車と分離された道路といったものは、住民がこの地域を選んだ理由にも挙がっていたが、住 民がこの地に入ってくる以前、つまり計画段階から構想されていたものである。緑道は自然にあった ものをうまく生かしており、緑の多いまちが最初からそこに存在したことを感じさせる。車と分離さ れた道路は、子どもが事故に遭わないようにすることが目的である。これらは計画当初からあったた めに、住民をこの地に引っ張ってくる一方向の力である。まだこれを相互作用ということは難しいが、、 港北ニュータウンの暮らしを素敵に彩る役目をはたしているだろう。 (2)学習塾の多さ 市民と施設との相互関係が強く見られる例として、まずは学習塾を挙げる。学習塾と住民、果たして 最初に存在したのはどちらであろうか。答えはどちらともいえないである。住民の中には学習塾がで きる前にこの地に来たものもいれば、ある学習塾よりも先に来たが、ある学習塾よりは遅くきたもの もおり、それは学習塾においても同じことが言える。学習塾は通ってくれる生徒がいると思うから塾 を開く。その結果港北ニュータウン内の北山田駅の前のビルに顕著なように、全ての階に学習塾が入 っているという光景も存在してしまう。それはセンター北の駅前のビルも同様である。ではそれに対 して住民はどのように動くだろうか。まずはこの事実が、港北ニュータウンを選択したことに繋がっ た事例を見てみる。これに関してはアンケート時のある場面が印象的であった。 「どうして港北ニュー タウンを選んだのですか」という質問を 7 歳位の息子を連れた父親にした。するとその父親は息子の 頭に手を置き、なんの迷いもなく「この子がいるからです」と即答した。これに続けて「飲み屋より も学習塾が多いと聞くので」との回答。これには港北ニュータウンに住む班員の一人も、 「そういえば 飲み屋ないよなぁ」と納得した様子であった。では次に塾があることによって住民の生活にどのよう な働きかけがあるかを考えてみたい。同世代の子どもを持つ親が多く集まっている港北ニュータウン の場合、子どもに対する受験圧力が強くはたらくことが考えられる。近所の子どもたちが小学校受験 や中学校受験をしたならば、自分の子どもも、と焦燥感の駆られることは容易に想像がつく。しかも それが比較的所得の高い港北ニュータウンであればなおさらであろう。しかも近くには数多くの塾が あり、そこに出入りする子どもを日常的に見かけるのである。港北ニュータウン内の大きな本屋に行 ったときに、上述した『田園都市生活』が平積みされていた隣に『YkohamaWalker』、そして子ども 受験本が積まれていたのもとても興味深かった。ガイド本二つの近くにあったのはその本だけであっ たのである。以上みたように、住民と学習塾とは双方に引っ張り合う力を持ちながら増殖していくと いった相互作用があると言える。 (3)子ども用品を売る店 住民と学習塾と同様の共謀関係を、住民と子ども用品を売る店の間においても見ることができる。 具体的な店としてベビーザらスという商業施設について考える。ベビーザらスとは「マタニティグッ ズとベビー用品のすべてを豊富に取り揃えたマタニティ・ベビー用品総合専門店」との説明が自社の HP にある。“トイザらス”の低年齢対象版といえよう。この店舗はトイザらスと併設されたものが現 在全国に 40 か所、ベビーザらス単体のものになると 20 か所であり、その一つがここ港北ニュータウ ンにあることになる。アンケートをしているとこの店舗が目当てで川崎からきていた母親に出会った りした。またベビーザらスは一種の象徴的な施設ではあるが、他にも子ども用品が目当てで他の地域 から来ていた家族もあった。実際に休日の夕方にベビーザラスに入ってベビーカー売り場などを見て みると、そこには小さな子どもを連れた両親が軽く 10 組は見受けられるのが現状である。では子ども 用品が売る店が多く存在することが、人々の生活にどのように作用しているであろうか。 港北ニュータウンの商業施設では、ベビーカーの多さに驚くことがある。一度ノースポートモール というセンター北近くの商業施設のエレベーターに乗った時など、常時 5 台くらいのベビーカーがひ しめき合っていた。また違う日に見てみたときも、エレベーターを待つ 6 組全員がベビーカーを手に していた。確かにここ最近のベビーカー人気は港北ニュータウンに限ったものではない。英国社のマ クラーレンという会社のベビーカーを、セレブが使用していることがメディアで取り上げられたため に人気を博したことを、2007 年 08 月 17 日の朝日新聞朝刊は伝えている。残念ながら店舗ごとの販売 台数などは非公開のために、港北ニュータウンで特別人気だとすることはできないのであるが、その 記事において載っていたインタビューの解答者はベビーザらス港北ニュータウンの店員であった。こ れに加えて、子育てによいという理由からこのまちを選んだり、子ども用品を買うためにこのまちを 選んだ人がいることからも、住民と店の需要の相互作用が見てとれる。 (4)家具を売る店 2006 年に家具店の「IKEA」が国内二番目の店舗を港北ニュータウンのある都筑区にオープンさせた。 ここにオープンした理由を IKEA は、 「近くに港北ニュータウンや多数のマンションが位置し、若い世 代の家族が多い一帯は、家具店にとって魅力の立地だ」からと述べている。これは住民が店を引っ張 ったことの好例であり、港北ニュータウンの持つ磁力と言えるだろう。また「30~40歳代の女性 が主なターゲットで、出店にあたって500世帯を対象に、ニーズを調査した」というが、この年齢 はまさに港北ニュータウンの母親の年代である。そしてニーズが合致したものであることから当然そ のターゲットに受け入れられることとなり、今現在そうなっている。しかも IKEA にはテーマ別の豊 富な部屋が 69 も展示されており、家でのライフスタイルをまるごと提案してくれている。では、それ に対して住民はどのような反応を示すであろうか。これに関しては残念ながら住民側の意見をとれて はいない。けれどもこの近くにはもともと 99 年に「カリモク家具新横浜ショールーム」、01 年に「ニ トリ港北ニュータウン店」、03 年に「ルームズ大正堂」05 年に「ニトリ新横浜店」など大型家具店が オープンし、激戦区となっていた。ニトリの担当者は「インテリアに関心が高い層が多い」とこの地 域を分析しており、住民のライフスタイルが影響を受けていることは想像に難くない。5 (5)まとめ 以上(1)~(4)で見てきたように、ここ港北ニュータウンにおいては住民と施設が相互に働き掛け 合うことによって、港北ニュータウンにおけるライフスタイルというものが確立していっていること が分かる。しかもその相互作用とは、住民とテレビや雑誌といったメディアとの関係のように遠く離 5 以上の情報は 2006 年 09 月 14 日の朝日新聞の朝刊による れたものではない。 「対象となる消費者が多くいる」、 「企業が進出する」 、 「住民が実際に施設に赴く」 、 「ライフスタイルを体現する」、「他の地域の住民を呼び寄せる」といった要素が複雑に絡み合いなが ら、 「上演」がなされているのである。それが可能となるのは、やはりここ港北ニュータウンにはそれ を可能にするハードが存在するからであり、これは現在港北ニュータウンに見られる特徴だと考えら れる。 では、最後に私たちがアンケート調査において発見した港北ニュータウンにおける「上演」の例を 参考程度に取り上げたい。私たちが「上演」を発見するきっかけとなったのは、現在は他の地域で生 活している、元港北ニュータウン住民の話である。彼女は「このまちの大人は子どもに対して過保護 であり、みんな子どもの写真ばかり撮っている」と言っていた。その話を念頭に置いてまちを歩いて みると、確かに撮影しているのが目につく。もちろんここは観光地ではない。日常生活が営まれてい る場所である。ただのショッピングモールの噴水の前で撮影が行われていた。同じ施設のクリスマス の飾りつけの前でも他の親子達が代わる代わる撮影を行う。後日新聞の折り込みチラシで、そこで撮 影会のイベントがあることも知った。次に撮影を見たのはただの喫茶店のなか。何気なくケーキを食 べているだけである。また同じ喫茶店の中で、ある親子は一眼レフ、デジカメ、ビデオカメラといっ た三種類もの撮影機器を手に一人の子どもを撮っていた。この状況はもはや人々が演者であることを 超えて、住民自らが演出家になっていると言える。脚本も、監督も、撮影も、俳優も全てがセルフプ ロデュースで、「充実したライフスタイル」を「上演」しているのである。 5、結論 今まで港北ニュータウンの独自性についてみてきた。彼らは住宅の価格にさほど左右されず、若干の通 勤の手間さえ乗り越えて港北ニュータウンを選択し、住んでから後もその現状に満足している。その満足 は彼らの考えていたライフスタイルを実際に体現してくれる施設が多数存在していることも、深く関係し ているであろう。彼らの選択は必然の上に成り立っていたことをここで結論づけたい。 ではこれらを踏まえた上で、港北ニュータウンの位置づけを考えてみたい。ここでは『東京から考える ―格差・郊外・ナショナリズム』6という本のなかの対談を参考にして考えてみる。この本の第二章「青葉 台から郊外を考える」において、著者の東と北田は郊外の場合分けを模索している。そのおおまかな見解 をまとめると、①成城や田園調布などの高級住宅街、②青葉台や幕張ベイタウンなどのロハス的郊外、③ 国道沿いに TSUTAYA などのロードサイドショップがならぶジャスコ的郊外、という具合になっている。 この分け方を参考にすると、若林の論とは対照的に、郊外の多様な面を見ることができる。この分類にし たがって港北ニュータウンを位置づけるとしたら、②のロハス的郊外といえる。①でないことは明らかだ が、イオン系列の大型ショッピングセンターが存在しないことから③でもないだろう。また前述した「住 みたい街ランキング」も参考になるのだが、年収 800 万円以上の人が選ぶまちの第 1 位は「幕張ベイタウ ン」であるので、2 位に位置している港北ニュータウンの土地との性質の近さを考えたい。続いて②に位 置づけた中で、港北ニュータウンのその中での位置づけを考えてみたいが、その前に②の青葉台と幕張ベ イタウンの差異を考えてみる。それを東と北田の両者は、80 年代以降にテーマパーク的な郊外の物語をど れだけ体現、自覚しているかについて求めている。彼らの見解によると青葉台はまだその物語を徹底して 6 東浩紀、北田暁大『東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム』、NHKBOOKS、2007 年 おり信じている傾向にあるが、幕張ベイタウンはその物語の虚構性に自覚的でありながらも、それを体現 するニヒリズムがあると述べている。 このように分類分けした上で、港北ニュータウンを②の幕張ベイタウンと同様の位置づけにしたい。ど こに位置づけるかは、数値化できるものではない以上困難であるが、青葉台との違いを開発主体との違い から考えてみたい。青葉台の開発主体は東京急行電鉄つまり私鉄であるのに対し、幕張ベイタウン港北ニ ュータウンの開発主体は行政や都市再生機構である。その結果前者は東急田園都市線沿いにあるのに対し、 幕張ベイタウンは JR 京葉線であり、港北ニュータウンは市営地下鉄である。過去において私鉄は物語性 のある郊外を作ってきた経緯があるので、この両者の違いをもって位置づけができればと思う。このよう にみてみると、 「郊外」とひとくくりにされている場所にも、様々な位相が存在することが確認できたので はないだろうか。 <参考文献> ・吉見俊也『都市のドラマトゥルギー―東京盛り場の社会史』、河出文庫、2008 年 ・東浩紀、北田暁大『東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム』、NHKBOOKS、2007 年 ・若林幹夫『郊外の社会学―現代を生きる形』、ちくま新書、2007 年 ・「どんどん新しく、進化する街!港北ニュータウン」、『田園都市生活 Vol.34』、エイ出版社、2009 年 5 月 <参考資料> ・横浜市都市整備局 HP http://www.city.yokohama.jp/me/toshi/chiikimachi/nt/ ・出没!アド街ック天国 HP 在) (2009/11/18 現在) http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/060902/index.html (2009/11/18 現
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