説教要約 タイトル「恵みによる務め」 聖書 エペソ人への手紙 3 章 1-13 節 今日から 3 章に入ります。3 章では主にパウロの務めについて、また彼がその務め を果たすべき対象者である異邦人に対する祈りが綴られています。今日はその前半 部分、パウロの務めについて心を留めて参りたいと思います。 ①パウロは自らをキリストの囚人と呼びました。それは彼がその務めのために迫害 を受け、事実、ローマの獄中に繋がれていたからです。彼の務めは、神の奥義を明 らかにすることでした。その奥義とは、キリストの恵みによる異邦人の救いです。 神の恵みと掲示によって使徒パウロたちに示されたこの奥義は、ユダヤ人たちの反 感を買い、その結果パウロは異端者、反逆者のレッテルを貼られ訴えられました。 ですからパウロは自らを、異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった、と告 白しています。しかし彼は自由でした。なぜなら上訴したのは彼自身であり、自ら の主張を取り下げれば済む話だったからです。しかし彼は肉体的自由よりも、神を 愛し、神の御心に仕えることの自由を選びました。福音宣教は律法による強制では なく、恵みによる務めです。いかなる権威も束縛も、私たちを神の愛から引き離す ことはできません。 ②それまでは預言者や律法を通して、部分的にしか明らかにされていなかったキリ ストの福音は今や御霊の啓示によってその全容が明らかにされました。それは人の 知識や体験によってではなく、ただ神の恵みによってもたらされました。人は知識 や神秘体験によって救われるのではありません。御霊の啓示によって明らかにされ たキリストの福音によって救われるのです。私たちはこの福音に仕える者として召 されました。すなわち神の恵みであるキリストを知らずに生きている人々(異邦人) に、その福音を明らかにすることこそ私たちの務めなのです。聖書の知識は宝です。 霊的賜物や奇跡は大きな励ましです。しかしそれらがキリストの福音を不明瞭かつ、 人々の手に届かないものにしてしまっているとしたら本末転倒です。それらは本来、 福音をより明らかにし、確信をあたえるものだからです。私たちの務めは、知識に 仕えることではありません。また霊的体験や物質的な祝福を競い合うことでもあり ません。ただひたすらに神の恵みにより、キリストの福音に仕えることなのです。 ③最後にパウロは、神のこの豊かな知恵が教会を通して明らかにされること、また それは神の永遠のご計画に沿ったものであることを伝えています。神の願いは私た ちが個別に救われることではなく、共に救われることです。もし自己の救いだけが 目的であるならば、異邦人のためのパウロの労苦は無駄骨です。しかし彼は 13 節 において、自分の労苦を嘆くどころか、光栄であると告白しています。 私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づく ことができるのです。12 節 「私」ではなく、「私たち」なのです。福音宣教は個人プレーではなく、チームプ レーです。私たちの務めは、仲間と得点を競い合うことではありません。神の恵み により、互いに補い合い、助け合い、同じゴールを目指して共に前進することです。
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