現代語訳 - 粟谷能の会

現代語訳
詞章は喜多流謡本、謡曲全集等に拠っています。
お能初心者の方々のために作成しておりますので、意訳である部分も多いです。参考程度にお読み頂けれ
ば幸いです。
百 万(ひゃくまん)
登場人物
シテ:百万(わが子と生き別れ、狂女となって捜し歩く)
子方:百万の子(ワキの僧に拾われ、旅をしている)
ワキ:僧(和州吉野の人)
狂言:釈迦堂門前の者
囃子方が「次第」という種類の出囃子を囃し、子方とワキが舞台に登場する。
場面は、子方とワキが嵯峨の釈迦堂に大念仏に参詣しようとしているところ。
ワキ「俗世で竹馬の友と遊んだように、今度は仏道の法の友を尋ね求めよう。
私は都の方に住む僧侶です。この子供は迷子であったのを私が拾いました。今、ちょうど嵯峨の大念仏
の時期ですので、一緒に旅をし、大念仏に参詣しようと思っております。
子方が着座すると、ワキは狂言(門前の者)を呼び出し、何か面白いことはないか尋ねる。狂言は、百万とい
う物狂が面白い、と答え、早速呼び出します。
念仏を下手に唱えれば、もどかしさに出て参るでしょう、と、舞台で調子外れな念仏を唱えだす。
狂言が歌っているうちに、シテが揚幕から出てくる。
狂言「南無釈迦/\/\。
地謡「南無釈迦/\/\。
狂言「南無釈迦牟尼仏。
地謡「南無釈迦牟尼仏。
狂言「さみさ/\/\・・・
シテ、手に持った笹で狂言を打つ
狂言「蜂が刺した
シテ「何と下手な大念仏の節でしょう。この大念仏をこれ程調子外れに唱えるとは。私が代わりに音頭を取り
ましょう。
狂言「私は下手ですから、どうぞあなたが音頭をとって念仏の調子をお取りなさい。
シテ、歌いだす。
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シテ「南無阿弥陀仏
地謡「南無阿弥陀仏
シテ「南無阿弥陀仏
地謡「南無阿弥陀仏
シテ「阿弥陀如来を信じる…
地謡「人は雨夜の月のよう。迷いの雲が晴れなくても、西方浄土のある西へと導かれてゆくのです。
シテ「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と…
地謡「誰か阿弥陀如来におすがりしない人がいるでしょうか。
シテ「これは春ゆえの狂気というものでしょうか。
地謡「わが子を求めて乱れた思いは…
シテ「何台もの大きな車に…
地謡「積んでも尽きない程ですが…
シテ「重くとも一生懸命に曳きましょう。えいさ、えいさと
地謡「えいさえいさと、精一杯にお頼みする阿弥陀如来の力。おすがりしましょう。南無阿弥陀仏。
ト、舞台正先にて合掌する。
ここから「笹の段」と呼ばれる、百万の曲の見所の一つ。能では狂気の象徴でもある笹を持ち、わが子を思っ
て舞う。
地謡「なるほど親子の縁とは一世限りのものであるが、未だわが子への愛着の思いに纏われて、心の迷いを
晴れやることができない。
シテ「薄く霞んだ中にぼんやりと光る朧月のように
地謡「やっと住んでいるこの世であるのに、やはり子は三界の首枷、と申す通り、わが子への迷いは尽きるこ
とがない。牛に牽かれる車のように、いったいどこを目指して牽かれていくのでしょうか。
シテ「いやいや、我が子のためだ。一生懸命曳きましょう。えいさ、えいさ。
地謡「見物人の集まってきたものだ。
シテ「確かにこの百万の姿は
地謡「もともと長い黒髪を
シテ「荊棘のように乱して
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地謡「古びた烏帽子を引きかぶり
シテ「眉根も黒く、眉墨も乱れ
地謡「正気の者と誰が思おう
シテ「憂き思いをせよと、わが子は訪ねても来ず
地謡「そのわが子を捜し訪ね歩くうちに
シテ「親子の契の浅さに悲しみ、私の衣は
地謡「肩を結んで裾に下げたり
シテ「裾を結んで肩に掛けたり
地謡「筵ぎれや
シテ「菅薦のように
地謡「乱れ、見苦しい姿となり、心も乱れながらも、南無釈迦牟尼仏と信心申し上げるのも、全てわが子に会
いたい一心なのです。
笹の段、ここまで。
シテは合掌して
シテ「南無大聖釈迦牟尼仏。どうかわが子に会わせてくださいませ。
子方、ワキに向かって
子方「もうし。申したいことがあります。
ワキ「何事です。
子方「この狂女をよくよく見ると、故郷の母でいらっしゃるようです。恐れながらそれとなく尋ねて下さいませ。
ワキ「これは思いも寄らない仰せです。そうであれば早速お尋ねしましょう。
シテ「もしもし、法楽の舞を舞いますから、囃してください。
ワキ、シテに向かって問いかける。
ワキ「いかにこの狂女、御身の故郷はどこであるか。
シテ「私は奈良の都のものです。
ワキ「では、どうして狂気となってしまったのだ。
シテ「わが子に生き別れてしまったので、心が乱れたのです。
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ワキ「今でもその子どもがいれば、嬉しいか。
シテ「なんと。仰るまでもありません。このような乱れた姿をあちらこちらの人々に晒しているのも、もしやわが
子に巡り会えないか、と思う故。それでこうして念仏を唱え、わが子に会いたいと祈っているのです。
ワキ「なるほど。聞けばいたわしいことだ。本当に真っ直ぐに信心する心があれば、これほどの群衆の中、巡
り会わないということはきっとなかろう。
シテ「なんと嬉しい仰せでしょうか。唯々この御本尊を信心いたしましょう。恐れ多くもこのお釈迦様も、羅睺
という実子を大切にお思いになっていたと聞きますので。
地謡「わが子に会おうと舞う法楽の舞。親子再会しようと色々に舞う舞。百万の舞をご覧ください。
これより百万は笹を扇に持ち替え、曲舞を舞う。
シテ「百(もも)や万(よろず)の様々の舞。
地謡「わが子の行方を知らんと祈り、舞います。
イロエは、舞台を一周回るだけ
シテ「よくよく思ってみれば、何処であっても住めば我が家である。
地謡「住んでいなければ故郷はもない。この世にしても、仮の宿であり、いつまで住み続けるものか。
シテ「牛や羊はねぐらに戻り、鳥は枝の茂った木に集まる。
地謡「しかし私は寄る辺もなく雲水のように漂い歩く、梢の露のような儚い身の上。
シテ「故郷に物憂いながらも年月を送っていたのに、
地謡「二世までも、と契った夫とは永遠の別れとなってしまった。
シテ「添い遂げようという契も
地謡「何と儚い誓であったことか。
クセ。百万の曲の仕舞処。
地謡「そのような薄情な夫と死に別れ、袖に溢れんばかりの涙に泣き暮らし年月を送っていたところに、西大
寺にてわが子を見失い、どこへ行ったやら行方知れずとなってしましました。
一方ならぬ思いのうちに、奈良の都をたち出で、三笠山をかえり見、佐保川を渡り、山城国は井出の里
の玉水に我が身を映してみれば、何と浅ましい姿であることよ。
そうして月日を送り、足に任せて行くうちに、都の西は嵯峨野の寺に参詣し、四方の景色を眺めてみる
と
シテ「花が浮いたかのような亀山、
地謡「花が映って雲の流れのような大井川、盛りが過ぎ散りゆく嵐山、松尾や小倉の里に夕霞が漂うのが見
える。その中に、色々の装いに身を包み、華やかな人々が貴賎交わり参詣するこの寺の、何と尊いもの
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でしょう。何を置いても、ただただこのお寺の有りがたいこと。
この私のような者が申すのも恐れ多いことですが、釈迦入滅から弥勒菩薩出生までのこの無仏の世に、
私達のような迷いある衆生を導こうと、毘首羯磨がお作りになった赤栴檀の釈迦像はすぐに神力を発現
して天竺から震旦、わが国へと三国に渡り、有りがたくもこのお寺に御現れになったのです。
シテ「安居の御法と申すのも
地謡「釈迦の御母堂、摩耶夫人のご供養のためであったのを考えれば、仏も御母をいとしく思っていらした
ということでしょう。まして人間の身であって、どうして母を慕わないのかと、わが子を恨み、この身の上を
嘆き、心底より祈っているこの百万の舞を、ご覧下さい。
仕舞処、ここまで。
シテ「ああわが子
地謡「恋しいことよ。
イロエ。群衆の中にわが子を捜す。
シテ「これ程人の多い中に、どうしてわが子はいないのでしょう。ああ、わが子が恋しい、わが子に会わせてく
ださい。
地謡「南無釈迦牟尼仏と狂人の身であるが、わが子にもしや会えないか、ただそれだけの心なのです。南無
阿弥陀仏、南無釈迦牟尼仏、南無阿弥陀仏。ただただ子に会いたい一心の仏道に添わない願いでは
ございますが、どうかどうかわが子に会わせてくださいませ。
ワキ「見ているのも余りにいたわしい。この子こそあなたが求めている子だ、近くに寄ってよく御覧なさい。
ワキ、子方をシテに会わせる。
シテ「意地の悪いこと。もっと早くに名乗ってくだされば、この様に恥を晒さずに済んだものを。
地謡「…とは思えども、この様に偶然会うことができたのは、なんと稀なことでしょう。夢か現かはたまた幻でも
見ているような心地です。
よくよくこれを考えてみれば、この御本尊はもとよりも衆生の父。母子共に巡り会えたこの仏法の力は有
りがたいものです。こうして願いも叶い、母子は都へと帰って行きました。
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