偏態パズル

■連載小説『偏態パズル』
第
偏態パズル
回■
三浦俊彦
miura toshihiko
ガスが溜まると必ず、オレのうたた寝顔の真上にしゃがんでブッ放す妹の癖
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■
は、高一になった今も治らない。
家でうっかりうたたね寝してると必ず、オレの顔にすわって屁をぶっぱなす高
一の妹の、年間平均体重は九十三キロ。
九十三キロの妹(高一)がすかさずやってきて顔の上で屁をするので、家では
おちおちうたた 寝 も で き な い 。
家でうっかりうたたね寝してると必ず、オレの顔にすわって屁をぶっぱなす体
重九十三キロの 妹 は 高 一 だ 。
家でうっかりうたたね寝してると必ず、オレの顔にすわって屁をぶっぱなす体
重九十三キロの 高 一 は わ が 妹 。
家でうっかりうたたね寝してると必ず、オレの顔にすわって高一、九十三キロ
の妹がぶっぱなすのは紛れもなく屁。
高一、九十三キロの妹がすかさずやってきて屁をぶっぱなすのはいつも、うた
たね寝している オ レ の 顔 の 上 。
屁は必ず人にかいでもらうもの、
と信じつづけている妹(高一、
九十三キロ)よ、
なぜいつも寝ているオレなのだろう。
リビングのソファでうたた寝しているオレの顔に尻乗せて屁をするのが得意技
という妹は高一、九十三キロ。
九十三キロの妹(高一)ははっきり言ってかわいい。オレがうたた寝するたび
に顔にまたがり屁をかがせることさえしなければ。
妹(九十三キロ、高一)ははっきり言ってかわいい。オレの寝顔に尻でふたを
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して「隙あり!」なんて言わなけりゃ。
妹ははっきり言ってかわいい。オレの寝顔に屁をかましたあと「ヤッタね」じ
ゃなくて「くさい?」くらいにしてくれりゃ。
妹ははっきり言ってかわいい。オレの寝顔にぶすーっとやったあと「ヤッタゼ」
じゃなくてせめて「くさかった?」であれば。
妹が屁をしたくなると必ずオレの顔にケツを寄せてくると思うとむかつくが、
ケツを寄せてくれば必ず屁をしたくなるのかと思えばチョイかわいい。
悪夢にうなされて目覚めると必ず、妹(高一、九十三キロ)が顔いっぱいにま
たがって屁の余韻に浸っているところ。
高一、九十三キロの妹に顔屁かまされ目覚めるたびに懐かしい。にぎりっ屁ご
っこで騒いでた 子 ど も の 頃 が 。
オレの寝顔に尻密着させて屁ぇこくのが何の仕返しだったか、もう思い出せな
いのに仕返しは妹が高一になる今も続いている。
オレの寝顔に尻密着させて屁ぇこくのが何のお祝いだったか、もう思い出せな
いのにお祝いは妹が高一になる
今も続いている。
屁を一日中出さずにためて、
寝ているオレの顔へまとめ出し
するという特技を持つ妹は、高
一、体重九十三キロ。
オレがソファでうたたね寝す
るたびに必ず顔にまたがって屁
を か が せ る 高 一、九 十 三 キ ロ の
妹は、真顔でもえくぼがある。
オレがソファでうたたね寝す
るたびに必ず顔にまたがって屁
を か が せ る 高 一、九 十 三 キ ロ の
妹は、ハイレグが似合う。
オレがうたたね寝するたびに
顔にまたがって屁をかがせたが
る 高 一、九 十 三 キ ロ の 妹 は、 ボ
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ディシャンプー で 下 着 を 洗 う 。
ソファで寝ているオレの顔面に屁をするたびに「ヤッタね」と叫ぶ体重九十三
キロの高一の妹は空中浮揚にコッている。
妹(高一、九十三キロ)に言いたい。寝冷えするよと注意してくれるつもりなら、
なにも顔に屁をするまでもないだろと。
九十三キロ)に言いたい。
オレの寝顔にむかって屁をするのが得意な妹(高一、
鼻ではなくせめて耳にしてくれと。
九十三キロ)に言いたい。
オレの寝顔にすわって屁をするのが得意な妹(高一、
せめてズボンのときだけにしてくれと。
九十三キロ)に言いたい。
オレの寝顔にすわって屁をするのが得意な妹(高一、
せめてスカートはまくらずにしてくれと。
九十三キロ)に言いたい。
オレの寝顔にすわって屁をするのが得意な妹(高一、
せめてフリルのパンツはやめにしろと。
オレの寝顔にすぐまたがる妹(高一、九十三キロ)に言いたい。生理のとき一
瞬ためらうくらいなら、屁そのもの
をやめてくれと。
うたた寝中のオレの顔にまたがっ
ては屁をかがせる妹を、オレは最近
本 気 で 恐 れ て い る。 や つ の 体 重 が
八十キロを超えてからは。
屁のとき必ずオレの寝顔にまたが
る妹が、ほんとに本気だとオレが知
ったのは、放つ瞬間妹のかすかな息
み声を聞いた最近だ。
屁のとき必ずオレの寝顔にまたが
る妹の、屁直前のイキみ声にはなご
めても屁直後のお気楽溜息は許せな
いのはなぜだろう。
うたた寝中の顔面にいつもしゃが
んで屁攻撃を仕掛けてくる妹の、ケ
ツにも腿にも指一本触れる勇気のな
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い兄といえばこ の オ レ で す 。
うたた寝中いつも顔面に屁をかまされてる諸君。高校生になってから妹のにお
いがよそいきになったと感じるのはオレだけですか?
うたた寝中に妹(高一、九十三キロ)に顔にまたがられ屁をされた瞬間に自分も
下腹が鳴るのは、オレだけだろうか。
妹(高一、九十三キロ)は最近本気だ。うたた寝中のオレの顔にぶっぱなす屁
が無臭だったためしがないからだ。
妹(高一、九十三キロ)は最近本気だ。うたた寝中のオレの顔にぶっぱなす屁
が悪臭だったためしがないからだ。
妹(高一)は本気だ。オレの顔に屁をするとき、ほんとに眠ってるかどうか確
かめてからケツを乗せるようになったからだ。
妹(高一、九十三キロ)は最近本気だ。オレの顔にぶっぱなすとき、目を覚ま
させまいというのかケツを両手でかき分けて音消し処置をしてるから。
妹は本気だ。屁のときオレの寝顔に尻をのせてする日課は、失恋らしきすすり
泣きの日々も休まなかったから。
高一女子(九十三キロ)からなんべん顔屁をくらっても、リビングのソファで
うたた寝習慣を続ける兄というのはこのオレです。
オレの寝顔を見ればまたがってくる妹(高一、九十三キロ)の屁は、正直言う
と元カノの香水 と 同 じ に お い 。
オレの寝顔にまたがって屁ッぴる妹(高一、九十三キロ)の日課がピタリと止
んだのは、俺が股間テントを毛布で隠し忘れたあの日から。
以上はすべて、菅瀬慎次が『ヤングマガジン』BE─BOPアジア選手権に投
稿するためノートに記したさまざまなバージョンの下書きだが、端的な事実の記
述である。どれか一つが採用されたという情報もあるが、掲載号は突きとめられ
ていない。(このシチュエーションからして、菅瀬慎次が本格的こっち系体質の
蔦崎公一といずれ交わることになる因縁は察せられるだろう)
。
■ ニセ怪尻ゾロが川延雅志を最も苛立たせたのは、その拙劣な模倣ぶりよりむ
しろ、ブツの温度がいつまでも新鮮な湯気を立てるレベルに保たれているという
現象だった。チーマー退治に一区切りつけていた川延であるにもかかわらず、ニ
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セより本家の方が優れていることを確認したいあまり、罪のないほろ酔い会社員
を路上で殴り倒し、失神させて顔面脱糞、という所行を何度か繰り返した。チー
マー退治の初心に抗して年齢層をあえて引き上げたのは、対照実験の基本――ブ
ツの設置条件を等しくして比較するためである。結果は落胆ものだった。空気に
さらされるや犠牲者の顔上で速やかに湯気を失ってゆく川延ブツに対し、その二
時間も前に発見しておいたニセ怪尻ゾロブツは、モウモウたる湯気の勢いが衰え
ないのだった。
ニセ怪尻ゾロブツの上に自らヒリ出してみたり、ニセ怪尻ゾロブツを採取して
きて自分のブツにトッピングしてみたりとさまざまな実験を試みたが、ニセ怪尻
ゾロブツだけが(どんなちっぽけな断片だろうが)しっかり湯気を立て続け、川
延ブツは速やかに冷めてゆく、という構図はまったく同じなのだった。
「なんで! な ん で だ ! 」
川延は半狂乱になった。ブツの保温機能とは裏腹にニセ怪尻ゾロ本体の未熟さ
いい加減さを本能的に察知していた川延は理不尽感に身もだえた。平静でいられ
るのはい飯布芳恵と会っている間だけという有様だった。
探索的調査という輪郭をなぞりつつも、川延は紛れもなく「模倣路線」に迷い
込んだ。ネオおろち系少女の間では、不審な「ニセネオおろち」の存在が囁かれ
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始めたのである。ニセを糾弾する川延自身が、ニセを演じてしまったのだ。のみ
ならず自分自身の多重ニセモノと化していた――「ニセネオおろち」である以上
に「 ニ セ ニ セ 怪 尻 ゾ ロ 」 に な り 下 が っ て い た。 保 温 な ど と い う 恣 意 的 側 面 に い
かほどの価値ありやを確かめぬままその隠喩的含蓄を過大評価し錯乱した川延雅
志。他者のニセモノであることからはそれなりの創造性が立ち上がりうるが、自
己のニセモノに堕しては行き止まりである。そこを彼自身自覚できなかったとこ
ろに、おろち史主要人物通有の悲運が象徴されていると言えよう。
■
①みんなが本心うざったいと思ってるノーマルエッチを理屈総動員で否定
してくれる。しかも道徳じみたお説教とはいかにも無関係のノリで。
②おろちを強要することは決してない。ホテルに入って講義を受けてから「や
っぱやめる」と尻込みする子にも、残念だな、じゃあ半額あげよう、と気持ちよ
く送り出してくれたりする。(ちなみにそのような子の「リピーター率」は三割
に及んだという。街角で〈キョーソ〉を探しても再び出会えなかった子も多かっ
たらしいことを加味すると、実質リピーター率は六割以上になると推定される。
)
③サンスター「歯すべすべクリアタブレット」とワーナー・ランバート「クロ
レッツクール粒ガム」を常時携行し、女の子にはその尻穴にすらおじさん族特有
の口臭をかけまいとする配慮が感激。
④自分のおろちに関しては全く言及も尊重もしない。自分の場合はオナラがほ
んのわずか洩れそうなときですら、洗面所へ逃れてする。微妙に感激。
③と④は、自己の口中鼻腔と部屋内空気を無臭清浄に保ってビュアな環境でJ
K天然おろちの生の香りと味を堪能したいとの計算にすぎなかったのであろう
が、女子高生らにはもっと通俗ポジティブに解釈されたようである。(利己主義
に基づく利他的行為ほど効果的なものはないという巷の通俗教訓とおろち道徳と
生物進化論との共通部分が図らずも満たされている。
「
「僕はきみと結婚できたら
こんな幸せなことはない!」ってプロポーズと「きみを幸せにしたいので僕と結
婚しよう!」ってプロポーズとでは君たち、どちらが嬉しいかい?」)
ともあれ〈キョーソ〉が彼女らにコペルニクス的開眼をもたらしたのは、生物
進 化 論 的 基 本 命 題「 繁 殖 関 係 は 男 が 前 か ら 女 の 下 の 中 に 放 出 す る を 基 本 と す る 」
を疑うよう仕向け、「関係繁殖は女が後ろから男の上の中へ放出するのを基本と
する」へ脱却するモチベーションを、金銭的報酬構造によって裏付けてやったこ
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とだった。
危険で面倒なノーマルエッチなしで、身体の接触すらナシで、いそいそとさも
しい薄皮装着なんかのムード中断もナシで、すっきりできてお金もらえれば、潔
癖な少女にとってそんなラッキーなことはないではないか。
〈キョーソ〉が彼女らの中で大きな存在となっているのはもう一つ、直伝おろ
ちプレイの深み醍醐味がわかりかけてきたところで、肝心の〈キョーソ〉が姿を
くらましてしまった謎がでかいという。袖村の眼前の少女二人は〈キョーソ〉に
直接指導を仰いだことはなく、ネオおろち系としてのこの野外活動が超トレンド
であることは学校の友だちからのまた聞きであるというが、
もともとの発生源は、
噂ではどうやら、最後に〈キョーソ〉の密室的教えを直接受けた子たちがなぜか
何かの手違いだかハプニングだかで約束の報酬もらわぬままラブホテルの一室に
置き去りにされてしまったとのこと。援交における対価踏み倒しなどとんでもな
い こ と で あ る( あ ま つ さ え ホ テ ル 代 未 払 い の 遁 走 だ っ た と い う 説 が あ る )
。その
ときはまだ〈キョーソ〉は〈キョーソ〉としての崇拝対象となりかけ段階だった
ため被害者たちはやがてキョー
ソとなる人物のまさかの背信行
為にさぞ事情があったのかもな
どと訝ることも考えず単純に腹
を 立 て、 第 一 印 象 敬 愛 の 念 抱
けたおじさんだっただけに不意
の幻滅押しつけられて憎悪倍増
し、せっかく恥かしい思いをし
て大質量おろちを奮発した羞恥
パワーのやり場ともども、代わ
りの金づる求めて一昼夜街をさ
まよっていると、ちょうどほろ
酔い以上泥酔未満の馬鹿面五十
男に声かけられたのを幸いつい
ていったところが酔いがちと性
欲を上回ったかホテルへたどり
着く十数メートル手前にて股間
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に年甲斐なきテント張ったまま路肩に崩れ寝込んでしまった男。仕方ないので一
同、眠り男の顔の上に背中合わせにしゃがみ込み、ぱんぱんに溜まっていた一昼
夜分おろちをむっくりほっかり並べて内ポケットの革財布から〈キョーソ〉の約
束額だけ抜き取った。これがネオおろち系の始まりということだった。
期待値の理論はいつどう関わってくるのか、そもそもキョーソ自身が期待値理
論を吹き込んだのか、別の誰かが後から案出したものか、いまいち不明なゆえん
だ。
やがて、今や行方不明の〈キョーソ〉を崇拝しつづける少女たちの間で弁神論
が囁かれ始め、ああキョーソはただ意味不明に逃げたのではない試練をくださっ
たのだあたしたちは試されたのだと気づいたときにはもうこの「ネオ・オヤジ狩
り」がすっかり定着し、後戻りできない普及ぶりを示していたのである。むろん、
勘違いだったからといって「ネオ・オヤジ狩り」をやめる必要はなかった。それ
どころか、これこそおろち文化の正統的な実践であり、これを続けてさえいれば
この精進ぶりを目に留めた〈キョーソ〉がまた私たちの前に再臨してくださるの
だ、という再降臨伝説までが細部微妙に異なるさまざまなバージョンの劇画風ス
トーリーを伴って語り伝えられていたのである。
むろんこの少女たちの語る「ネオおろち創世記」はほぼ真実を伝えているのだ
ろうが、決定的な一契機が抜け落ちていると思われる。少女らが袖村に語ったネ
オおろちとは、例の川延雅志を苛立たせた「ニセ怪尻ゾロ」と同一であることが
明らかだからである。抜け落ちている契機とはだから、
「元祖怪尻ゾロ」川延の
暗躍である。ネオおろち系は、怪尻ゾロの模倣ではなく、
〈キョーソ〉起源の独
自のモチベーションに突き動かされていたという可能性ももちろんあるにせよ、
行為の類似性に鑑みると模倣仮説は棄却できず、元祖怪尻ゾロのチーマー退治の
現場もしくは痕跡が、ネオおろちの卵たちに目撃されていたという背景があって
こそ〈キョーソ〉による教育+失踪がネオおろち系デビューを可能にしたことは
どうも明らかであろう。ここに、印南哲治のおろち系養成/布教活動と、川延雅
志の怪尻ゾロ/ゲリラ活動との接点――印南系統と川延系統との二重決定作用の
接点があり、同時にこれはおろち文化史上超重要なネオおろち系=ニセ怪尻ゾロ
の誕生を導いた分岐点だったということができよう。
(教訓。接点こそ最大の分
岐点。)
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「さわらせ屋」を始めとする
■ 袖村茂明とネオおろちとの遭遇の時点では、
ソフト売春少女のほぼ九割以上がネオおろちに改宗していたと思われる。また現
役女子高生に限らず第三次風俗バイト娘、すなわち自分では体を張らない無形サ
ンドイッチウーマン遊撃系――たいてい二人で組んで、逆ナンパを装って男をつ
かまえ飲みに行き、盛り上がったところで「私たちの行きつけの店があるんだけ
ど行かない?」とボッタクリバーに誘い込むキャッチガールなど――も、それ系
バイトから次々足を洗ってネオおろちに転向しはじめていたという。折々の摘発
で営業中断が珍しくないボッタクリ店をスポンサーとすることにはステディなバ
イトとしてもともと限界があったことに加え、キャッチガールが以前だました会
社 員 に 繁 華 街 で ふ た た び 出 く わして後をつけられ、殴られた りレイプ され たり
といった報復を受けた事件が三、
四件報告されたため、同じく体を売らずにすみ、
後々報復の心配もないネオおろち方式に人気が集まったのだという。
■ 路上脱糞パフォーマンスとは、夕闇迫った路上で不意にしゃがんで脱糞し通
行人の反応を隠しカメラで撮るという、ネオダダ時代への憬れ露わなハプニング
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芸術的二人一組の活動であるが(その最終形態については、相原コージ『コージ
苑 』 第 一 版「 愉 快 犯 」 の 項 に 記 録 さ れ て い る )
、後に怪尻ゾロの噂が金妙塾に伝
わった時点で、犯罪との関連を恐れ中止された。このあたりの経緯は、後に刊行
される『先駆者・川延雅志伝』(金妙塾出版)に詳述されている。
金妙塾名物とも自称された糞山ゲリラというのは、男または女だけで 人のグ
ループを形成し、駅やデパートのトイレで個室内に二人ずつこもって排便し、水
を流さず入れ替わり立ち代り2×5排便を重ねてゆくというだけの迷惑ゲリラで
ある。あくまで芸術活動であって保安上の警戒を呼ぶ必要はなかったので同一ト
イレでは二度と行なわず、時間を置いてしかも地理的に離れたトイレにおいて計
二十回実行した。十人分の糞山で便器から溢れるほどの壮観を実現し後続の利用
者を驚かせるにあたっては単なる量的驚愕ではなく体質的驚愕を起こさねば芸術
とはなりえず、よってただ一人の超人的体質の人物による孤高排便であるように
見せるためになるべく色と組織を一致させる必要があった。虹合宿で体得した色
合わせの成果が試されるのだ。トイレの機能が麻痺するか否かにかかわらず純粋
ビジュアル面で驚愕を呼び、新聞や雑誌に報道されるほどの傑作を生むことが目
標だったが、ついに一度も報道されずに終わった。ただし相当数の人間が個別に
驚愕といおうか、人間の腸の生理的可能性に関して故なき認識に打たれたことは
事実であり、後のおろち文化の発展に不可視だがいや不可視なればこそ重大な貢
献をなしたこと は 間 違 い な い 。
電 車 内 ク ソ ゲ リ ラ と い う の は、入塾試験のように電車内とい う不特 定多 数空
間を重視する金妙塾の枢軸的活動で、満員電車内で初期の頃は放屁、ついで緊急
を装って小便失禁や大便失禁をし乗客の反応を撮るという二人一組の活動である
(大小便失禁が行なわれはじめたのは放屁ゲリラの実行役が何度か誤ってミをも
漏らしてしまうことが重なったからもはや余計な自粛を解除して容易化したとい
うことだった)。
その希釈版とも言える放屁ゲリラは、最古参の塾生たる主婦・雨宮祥子六十三
歳が、かつての自分の経験を反復再確認したい旨を塾に提案するところから、公
式人間観察プログラムとして開始された。雨宮祥子のかつての経験とは、彼女が
二十五歳のときのある印象深い体験で、奇しくも遠藤周作のエッセイに記録され
ている。
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A君は毎日、中野駅から東京駅まで出勤するサラリーマンなのですが、寿司づ
めの国電の中で若い女性に体を押しつけられる時と、スカシ屁を誰かがした時ほ
ど辛いことはないと言っていました。いつだったかA君が汗ダクで国電に乗りこ
み、やっとつり皮にぶらさがった時、
突然、
異様な臭気があたりに漂いだしました。
誰かが例のスカシ屁を一発やったんです。A君はその震源地は彼の前に腰かけて
いる妙齢のBGだとすぐにわかったのですが、そのBGは平然とした顔で、平然
どころか、いやまるでA君が犯人であるかのような眼つきでじっと彼を見上げて
いるじゃありませんか。「臭いなあ」たまりかねて、車中誰かが叫びました。「ひ
どい奴だな、この中で屁をするなんて。どいつだ」BGはまだじっとA君を見て
い る。 そ し て そ の 唇 の あ た り に 軽 蔑 的 な う す 笑 い さ え 浮 べ た の で す。 あ ん た で
しょう。おナラをしたのは。まるでそう言っているようだ。
(ボクじゃない)A
君は叫びたかった。(ボクじゃない)しかし彼女のいかにも自信ありげな顔をみ
ると、気の弱い彼は、(ボクじゃあ、ないんです。いいえ。ボクかもしれません。
ボクでした。申しわけありません)だんだん、そんな心境にさせられてきた。そ
して自分がスカシ屁の犯人のように
うなだれ、眼を伏せ、東京駅まで苦
しみながら乗りつづけた、というの
で す。
「 ぼ か あ、 モ ス ク ワ 裁 判 な ん
かで、
被告が自己批判をした気持が、
今こそよくわかりました」彼は後に
な っ て そ う 申 し て お り ま し た。( 遠
藤周作『ぐうたら人間学 狐狸庵閑
~ )
p.252
3
話』講談社文庫、
雨宮祥子は金妙塾月例会でこう語
っ て い る。
「 こ れ 私、 抗 議 の 手 紙 送
っ た ん で す よ、
『宝石』にこれが載
ったとき。編集部宛に。遠藤先生の
エッセイは楽しみにしてましたもの
でね、あ、あたしのことだ、とびっ
くりして、
嬉しいやら恥かしいやら、
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いえ、だから書かれたことに抗議したんじゃありませんよ、別に実名出されたわ
けじゃありませんものねえ、私は行きずりのBG――懐かしい言葉ですねえ――
ですから。解釈なんですよ、不満だったのは。あれっと思って。違うんですよ、
全然。事実はこのとおりですけどね、たしかに私が満員の国電の中でオナラをし
てね、で前に立ってるサラリーマンと目が合って、悟られちゃったみたいだった
んで開き直ってじいっと見つめて笑いかけたことは事実なんですけどね、あの男
がこんなふうに受け取っていたなんてねえ。いえ、このA君なるサラリーマンに
関しては、勘違いもいいでしょう、でもそれを本人から聞いて記録する遠藤先生
は小説家ですからねえ、真実を解釈してくださらないことには。A君と同じ勘違
いをそのまま記録されたのでは……小熊さんなら、小説家でいらっしゃるから本
当の解釈はおわかりですよねえ」
デビューして間もない小説家小熊誠子三十歳が応えて「もちろん。現代の小説
家にとってはこのシチュエーションの解釈は初歩レベルですね。狐狸庵御大とは
いえ当時ではねえ。雨宮さんは、決して罪をなすりつけようとか、軽蔑しようと
かしたんじゃないんでしょう。わかりますわかります。どぉお、いい匂いでしょ
う、嬉しい? うれしい? う・れ・し・い? って目でお尋ねになったんでし
ょう、そのサラ リ ー マ ン に 」
「そうですよもちろん。私は全然しらばっくれてなんていなかったんですよ、た
だ一人気づいたらしいそのサラリーマンに、そう、あたしがやっちゃった、嗅げ
てうれしいでしょー、うれしいっておっしゃい、うふふふふって」
「雨宮さんはおきれいですもんねえ、二十五歳のときってったらさぞかし」
「てっきりそのサラリーマンも車内偶然フェチプレイを楽しんでたものとばっか
り……、それがこんな勘違いだったなんて、ショック……」
「なるほど」と他の面々も「軽蔑だとか濡れ衣だとかそういう突っ放した対立的
なことじゃなくて、心理プレイというせっかくの包容的・融合的なコンセプトだ
ったんですね。行きずり放屁SM、なんてしかしその頃の一般の人には、いや遠
藤周作レベルの文豪でもちょっと洞察できなかったのかも……」
「いや、だけど雨宮さんは当時すでに理解しておられたんだから」
「いつでも文学者より一般人の方が感性は進んでるんです、文学者はせっせと追
いつかなきゃならん定めなんです」
「皮肉なことに、そのタイムラグの分が文学的価値なんて言われたりするんです
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ね」
「一般人が簡単に理解できることが理解できない鈍さゆえに、文学者はシャカリ
キに書いて安定を保たにゃならんのです」
「遠藤先生は私のこの、というよりA君のこのエピソードを『語るにたる〝気の
弱い奴〟』という表題で紹介されてるんですけど、
このA君てサラリーマンは「気
の弱い奴」じゃなくって単なる「鈍い奴」ですよ。私があんなにうれしい? っ
て以心伝心波を送ったというのに……」
「いや、そういう行きずりオナラフェチの機微なんてのは、やっぱ高度成長期の
通勤途上にある一市民にわかれといっても無理ですよ……」
「でも私が当時同棲していた彼氏は」と雨宮がうっとり夢見る眼つきで「オナラ
プレイが大好きで。だけどそうそうオナラって出せないでしょ。いつもベッドの
中じゃ私のお尻の真ん中にじっと鼻をうずめて待ってるのが、それ自体が、オナ
ラ出ても出なくても楽しみみたいでした。三十分でも一時間でも、そのうちその
格好のまま二人とも眠り込んじゃったりして、翌朝まで彼が私のお尻に顔埋めっ
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ぱ な し な ん て こ と が 何 度 か あ りましたっけ。私ほかの男は知り ません でし たし
だから殿方のお尻的感受性ってのはほんの目交ぜでわかりあえるものとばっかり
……、その思い込みがこともあろうに遠藤先生のエッセイで裏切られるなんて。
大ショックでした。で『宝石』編集部気付で遠藤先生に解釈を改めるよう手紙を
出したんですけど反応はありませんでした。訂正も載らなかったし」
「いや、私は遠藤先生を尊敬しとりますからね。先生がわかってなかったはずは
ありません。ちょっと読者には難しすぎると判断されたんでしょうねえ……後ろ
下ネタの好きな先生だったけど……」
「そういう迎合的姿勢? それだと逆に、遠藤先生は大衆作家にすぎなかったと
認めることになりますよ。いかにエッセイとはいえ、です」
「でね、そのオナラマニアの彼氏って実は後の主人なんですけど。おととし膵臓
癌で逝きましたけど、あの頃はねえ……、いえ、だからそう、今ならあの時のシ
チュエーションを再現して、目の前のサラリーマンを悪戯っぽく見上げてやれば、
きっと車内オナラプレイが実現すると思うんですよね……」
了)
(第 回
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