日露戦争中、米国で読まれた「日本」

[研究ノート]
日露戦争中、米国で読まれた「日本」
米国公共図書館で請求された日本及び
日本文化関連書物に関する考察(下)
塩 崎 智 *
Books on Japan and Japanese Culture Read in the U.S.
During the Russo-Japanese War(2)
Satoshi SHIOZAKI
The objective of this report is to provide additional information
on the hypothesis of my previous one—that is, the source of
knowledge about Japan that was mainly provided to American
readers during the Russo-Japanese War was the writings of
American writers, not those of prominent Japanese who
stayed in the U.S.
To support this hypothesis, the bestseller lists in the monthly
periodical The Bookman and the column of the most demanded
books in the New York Public Library, which appeared in The
Bulletin of the New York Public Library, are referred to.
According to these sources, almost the same result, though
different in some points, is proven.
As further research, the interest in Russia, Korea, China,
and Manchuria among American readers is compared with
*しおざき・さとし:敬愛大学国際学部非常勤講師 比較文化・日米文化交流史
Part-time Lecturer, Faculty of International Studies, Keiai University; history of
cultural intercourse between Japan and the U.S.
敬愛大学国際研究/第 16 号/ 2005 年 12 月 65
that in Japan in terms of both quality and quantity. It shows
that the Russo-Japanese War certainly inspired the intellectual
curiosity of American readers about the Far East in general.
Above all, Japan seems to have been the most outstanding
object of concern, as far as the themes of American publications showed.
In addition, the geographical difference in level of interest
in Japan among local readers is examined, and it turns out that
books on Japan were demanded most in Philadelphia and least in
Chicago.
The three materials used in these reports are to be examined in
more detail and from a different point of view by some
researchers, which is what I expect.
はじめに
本稿では、前回の結論で今後の研究課題として提起した三点に関して考
察し、日露戦争中米国で見られた日本、日本文化に対する関心の高まりを
包括的、相対的に把握することを目的とする(1)。その三点とは、①ロシア、
ロシア文化に対する日露戦争中の米国での関心の高まりを日本、日本文化
の場合と比較する、②アメリカにおける日本、日本文化への関心の高まり
(Bookman)に毎号掲載された
の地域性の有無、③月刊文芸誌『ブックマン』
全米各都市書店売上上位 6 冊の結果と『ニューヨーク・デイリー・トリビ
ューン』(New York Daily Tribune)紙の公共図書館請求リストの比較考察、で
ある(2)。
『ブックマン』全米書店月間売上上位 6 冊リスト
前回の報告に連続する内容でもあり、後出の考察の便宜をはかるため、ま
ずこのテーマを取り上げたい。
『ブックマン』は、日露戦争当時ニューヨー
クの大手出版社ドッド・アンド・ミード社(Dodd, Mead and company)で編集、
「月間書籍売上」
(Sales of
発行されていた月刊文芸誌である(3)。巻末に毎号、
66
Books During the Month)というコラムがあり、全米及びカナダの約 30 都市
の各書店の月間売上上位 6 冊のリストが掲載されている。
『ニューヨーク・
デイリー・トリビューン』紙の公共図書館リストと異なり、フィクション、
伝記などに分類されていないので、売上実数のみが問われる。
『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』紙公共図書館リストで日本関
連書中 1 位となったラフカディオ・ハーン『神国日本―ひとつの解釈』
は、ここでも登場回数がトップである。1904 年 10 月から 12 月にかけて 5 書
店で掲載され、ロードアイランド州プロビデンスの書店では月間 1 位を記
録している(4)。
これに次ぐのがオノト・ワタンナ『二条殿の娘』で、登場回数は 4 回で
ある(5)。ニューオーリンズやメンフィスなど特に南部の書店で人気があっ
たようだ(6)。ワタンナの日本風小説は日露戦争開戦前からよく売れたよう
で、1903 年に出版された『ヒヤシンスの思い』は、1903 年 7 月から翌 1904
年 1 月まで 9 回も登場している。プロビデンスを除くとやはり全て南部の書
店である(7)。
公共図書館リストに 5 回以上登場した書籍で、
『ブックマン』書店売上リ
ストに登場したのは、次の 4 冊のみで、いずれも 1 回のみの掲載である。
・ Ernest Wilson Clement, A Handbook of Modern Japan : 1904 年 2 月(コロラド
州デンバー、3 位)
。
・ Harrie Irving Hancock, Japanese Physical Training : 1904 年 2 月(ペンシル
ヴァニア州ピッツバーグ、5 位)
。
・ Esther Singleton, Japan : 1904 年 11 月(マサチューセッツ州ウースター、2
位)
。
・ Frederick Palmer, With Kuroki in Manchuria : 1904 年 12 月(ボストン、2
位)
。
公共図書館リストで 2 位を記録したブラウネルの Heart of Japan や同 3 位
のシャーラーの Japan Today はいずれも『ブックマン』書店売上リストに
登場していない。また、公共図書館リストに 5 回以上掲載されていた岡倉
天心『日本の覚醒』
、朝河貫一『日露衝突』
、終戦直後に同リストに何回か
日露戦争中、米国で読まれた「日本」
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登場した新渡戸稲造『武士道』などの日本人著作も登場回数ゼロである。
『ブックマン』書店売上リストの大半はフィクションが占めている。ノン
フィクション作品が総合売上 6 位に入るには、フィクション並みの売上が
必要で、相当の話題作でないと難しい。せめて上位 10 点だったならば、日
本、日本文化関連書籍の出番も増え、売れ方がより明らかになっただろう。
以上の結果を総合すると、
『神国日本』とワタンナのジャポニズム小説は
図書館、書店ともに相当人気があったことが分かるが、その他の日本、日
本文化関連書籍に関しては、図書館では人気があっても、全国的ベストセ
ラーと言えるほどの売上があったことを示す資料は今のところない。
ちなみに、新資料として、ニューヨーク公共図書館が発行していた『ニ
(Bulletin of the New York Public Library)に掲載されて
ューヨーク公共図書館報告』
(Circulation Department)が毎月集計発表する「月間人気図
いた、
「貸出部」
(The most popular books of the month)を紹介しておこう。詳細な説明はな
書」
いが、貸出回数か貸出請求が最も多かった書籍が、ノンフィクション(NONFICTION)、フィクション一般(ADULT FICTION)、児童向けフィクション
(JUVENILE FICTION)の各分野 3 冊ずつ選ばれている。日露戦争中に限ると次
のような書籍が挙げられている。
1904 年 2 月:クレメント、A Handbook of Modern Japan
0000 同 4 月:ブラウネル、Heart of Japan
0000 同 5 月:ブラウネル、Heart of Japan
0000 同 7 月:ブラウネル、Heart of Japan
0000 同 8 月:シャーラー、Japan Today
0000 同 9 月:リトナー、Impressions of Japan
0000 同 12 月:ノックス、Japanese Life in Town and Country
1905 年 1 月:クレメント、A Handbook of Modern Japan
0000 同 2 月:ハーン『神国日本』
;パーマー、With Kuroki in Manchuria
0000 同 4 月:岡倉『日本の覚醒』
;朝河『日露衝突』
0000 同 5 月:パーマー、With Kuroki in Manchuria
0000 同 6 月:ノックス、Japanese Life in Town and Country
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0000 同 7 月:岡倉『東洋の理想』
0000 同 8 月:ハンコック、Japanese Physical Training ; フォックス、
0000 同 8 月: Following the Sun Flag
0000 同 9 月:ハンコック、Japanese Physical Training ; フォックス、
0000 同 8 月: Following the Sun Flag
フォックスの著作は、John Fox, Jr., “Following the sun-flag; a vain pursuit
through Manchuria,” New York, Charles Scribner’s Sons, 1905 であり、
『ニュー
ヨーク・デイリー・トリビューン』紙公共図書館リストでは、8 月第 3 週に
ボストンでリストアップされているが、
『ブックマン』書店売上リストには
一度も登場していない。
「ノン・フィクション」分野の上位 3 冊のうち、少なくとも 1 冊を日本関
連書籍が占めた月が、20 ヵ月中 15 ヵ月あった。これはニューヨークの公共
図書館利用者の日本への関心の高さを十分示していると言えるだろう。し
かし、この『ニューヨーク公共図書館報告』からはハーンやワタンナ作品
の人気は見出せない。図書館の場合、各図書館の推薦図書の企画、展示な
どが貸出状況に与える影響が無視できず、統計資料の扱いや解釈が難しい。
ただし、他の諸都市の各図書館でこのような詳細な資料が入手できれば、今
後の研究に資することは間違いないだろう。
また、
『ニューヨーク公共図書館報告』1905 年 10 月号によると、貸出部
の統計によれば、1904 年 7 月から 1905 年 6 月までの 1 年間で、ニューヨー
ク公共図書館全 32 館において約 355 万冊の貸出があったが、その内訳は、
フィクション一般: 119 万冊(33 %)、児童向けフィクション: 88 万冊(25 %)、
科学: 32 万冊(9 %)、文学: 25 万冊(7 %)、歴史: 23 万冊(7 %)、旅行:
12 万冊(3 %)、伝記: 11 万冊(3 %)、芸術: 10 万冊(3 %)、哲学と宗教:
7 万冊(2 %)となっており、フィクションが半分以上を占めていたことが
分かる。当時の図書館利用者の借出傾向はフィクション偏重であり、大半
の日本、日本文化書籍が属する歴史、旅行、伝記、芸術などは合わせて
20 %弱だった。
日露戦争中、米国で読まれた「日本」
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ロシア、ロシア文化関連著作
『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』紙公共図書館リストを見ると、
日露戦争開戦前後から、アメリカ読書人の関心が高まったのは日本だけで
はなかったことが分かる。シカゴでは、戦争中ほぼ毎回、「歴史と伝記」
(History and Biography)部門や「旅行と冒険」
(Adventure and Travel)部門で
(たとえば Histories of Japan and Russia,
一般的に、
「日本とロシアに関する本」
Travels in Japan and Russia)と書かれており、日本と並んでロシアもまた興味の
対象だったことは明らかだ。また、1904 年 3 月第 1 週、サンフランシスコ
のメカニック・インスティテュート図書館の欄には、朝鮮、日本、ロシア
に関する全ての本の需要が非常に高いと書かれている(8)。
つまり、日露戦争は日本だけでなく、交戦国ロシア、戦場となった朝鮮、
満州、中国などへのアメリカ人の興味も喚起したようだ。そこで、アメリ
カにおける日本、日本文化に対する関心の高まりを相対化するために、同
じ資料を使用し、ロシアや朝鮮、中国への関心と日本への関心の量的、質
的相違を解明するべく、まずロシアに関する書籍を取り上げる。
『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』紙の公共図書館リストに登場
したロシア関連書籍に関しては、次のような分析結果が得られた。まず、日
露戦争中に登場した書籍は 66 冊で、日本関連の 64 冊とほぼ同数である。と
ころが、5 回以上登場した書籍が日本関連の場合 17 冊であるのに、ロシア
関連は 4 冊と極端に少ない。しかし、そのうちの上位 2 冊の需要は圧倒的で
ある。トップの Albert Beveridge, Russian Advance は 87 回リストアップさ
れ、2 位の Henry Norman, All the Russians は 52 回登場で、ラフカディオ・
ハーンの『神国日本』の 22 回をはるかに上回る(9)。ちなみに 3 位の Wolf Von
Schierbrand, Russia: Her Strength and Her Weaknes は 7 回 、 4 位 の Alfred
Rambaud, Russia(English Translation)は 5 回と、上位 2 冊との差が大きく、
日本関連書籍の 3、4 位の掲載回数(それぞれ 12 回と 11 回)をはるかに下回
る。
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つまり日露戦争中、ロシア関連書の人気は Russian Advance と All the
Russians の 2 冊にほぼ集中していた。注意すべき点は、この両書の人気はシ
カゴで圧倒的に高かったということだ。Russian Advance は 87 回中 46 回が
シカゴでのリストアップで 2 位のボストン、ニューヨークの 13 回に大差を
つけている。All the Russians は 52 回中 40 回がシカゴでさらに独占率が高
い。87 回と 52 回というリストアップ回数だけ見れば、その人気は日本関連
書籍を圧倒的に上回っているが、シカゴを除いた全米レベルの人気度で、ハ
ーン『神国日本』と数字通りの大差があったかは疑問である。
Russian Advance の著者ビベリッジはインディアナ州選出の上院議員で、
本書は 1901 年にロシア、シベリア、中国、日本を周遊した際の見聞を基に
書かれている。商人、兵士から外交官、政治家、実業家まで様々な現地人
へのインタビューを交え、ロシア人と日本人が双方を侮蔑する声などが生々
しく記述され臨場感がある。ビベリッジは基本的にロシアの南下政策を肯
定的にとらえているが、満州、朝鮮をめぐる日本人の反ロシア感情も取り
上げ、日露戦争開戦前後の極東の状況を理解するには格好の書物と言える
だろう。ロシアへの関心というよりは、ロシアが引き起こした緊迫した極
東情勢が、本書の広範な需要を生み出したのではないだろうか。
All the Russians はイギリス人ヘンリー・ノーマンが著者で、1902 年秋に
ニューヨークの大手、チャールズ・スクリブナーズ・アンド・サンズ社か
ら出版された。著者は過去 4 回、西はフィンランドから東はイルクーツク
までロシアを見聞して回った「知露派」であり、フィンランドの領有や極
東でのロシアの東進を賛美する「親露派」でもある。
『アウトルック』誌や
『ネイション』誌の書評では、辛口の注文を付けられながらも、ロシア関連
の必読書として薦められている。
『ネイション』誌によると、日露戦争以前に出版されたロシア関連書とし
ては、D. Mackenzie Wallace, Russia と Anatole Leroy-Beaulieu, The Empire of the
Tsars and the Russians(English Translation)が信頼できる良書として挙げられて
『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』紙公共図書館リストで
いる(10)。
は、前者は 3 回登場し、後者はゼロである。
日露戦争中、米国で読まれた「日本」
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アメリカでは本が手頃なクリスマス・プレゼントとして贈られていたの
で、11 月頃に各出版社はそれを見込んで宣伝・出版合戦を繰り広げる。朝
河貫一、岡倉天心、ラフカディオ・ハーンの著作が 1904 年の 10、11 月に一
気に出版されたのはこの国民的習慣と無縁ではない。クリスマス・ショッ
ピング前に出版されたロシア関連書籍としては、Geoffrey Drage, Russian
Affairs と Wolf von Schierbrand, Russia, Her Strength and Her Weakness さらに
Esther Singleton, Russia, Described by Great Writers が挙げられるだろう(11)。それ
ぞれ登場回数は、2 回、7 回、3 回で、岡倉 5 回、朝河 7 回、ハーン 22 回と
比べると劣勢は否めない。シングルトンは日本についても同じ趣旨の著作
を出しているが、それは登場回数 5 回でロシア編の 3 回を上回る(12)。Palmer,
Russian Life in Town and Country も 1 回しか登場していないが、同じシリー
ズの日本編は 6 回登場している(13)。
書評を読む限りでは、これらロシア関連書籍は賛否両論で、各書評でほ
ぼ手放しで誉められた朝河やハーンの著作とは異なる(14)。アメリカのマス
コミを席巻した戦争中の「日本びいき」の影響だろうか。日本の朝鮮、満
州進出は、日本の専守防衛のため、あるいはスラブ文明に対しアングロ・
サクソン文明を朝鮮、満州に広げるためという大義名分がアメリカでは罷
り通ったが、ロシアが周辺を文明化するために東進や南進を実行するとい
う主張は容易にはアメリカのマスコミには受け入れられなかった。
日本政府は、軍事機密保持のため、外国人従軍記者を体よく日本本土に
引き止めておいたため、記者たちは日本の情報を記事としてアメリカに送
った。その結果、日本人の生活、文化などについて多くの記事が書かれ、神
道、美術工芸、文学、女性などを始め、文化、社会の隅々までアメリカの
活字メディアで話題になった。ところがロシアの場合は、日本ほど多様な
話題を提供するに至らず、ロシア文化ではゴーリキーやトルストイの小説
の英訳、クロポトキンのロシア文学書などが数回リストに登場している程
度である。ロシアの一般的な旅行書や歴史書は読まれても、そのレベルを
超えてロシア人、ロシア文化に関心が高まったという兆候は見られない。
本の売上でも、
『ブックマン』書店売上リストに登場したロシア関連書は
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Russian Advance のみであり、アメリカ出版業界はロシア関連書出版に積極
的な商業的関心が持てなかったようだ。
日露戦争は、間違いなく両交戦国へのアメリカ読書人の興味を刺激した。
以上のように、日本とロシアの関連書籍の人気を比較してみると、全体的
に見ればアメリカ人読者は、ロシアより日本、日本文化により多くしかも
多様な関心を抱いていたと言えそうである。
日露戦争に好奇心が刺激されたという点では、戦場となった朝鮮、満州、
中国もまた例外ではなかった。『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』
紙公共図書館リストに見る、朝鮮、満州、中国に関して人気が高かった書
籍は次のようなものだった。
【朝鮮】
(3 回)
イザベラ・バード『朝鮮紀行』
Angus Hamilton, Korea, New York, Charles Scribner’s Sons, 1904.(4 回)
William Elliot Griffis, Corea, Hermit Nation, New York, Charles Scribner’s
Sons, 1882.(3 回)
【満州】
H.J. Whigham, Manchuria and Corea, New York, Charles Scribner’s Sons, 1904.(2
回)
Alexander Hosie, Manchuria; Its People, Resources and Recent History, London,
Methuen & Co., 1901.(3 回)
【中国】
J. Dyer Ball, Things Chinese: Being Notes on Various Subjects Connected with China,
London, Sampson Low, Marston, 1893.(6 回)
Dickinson G. Lowes, Letters from a Chinese Official; Being an Eastern View of
Western Civilization, New York, McClure, Philips & Co., 1903.(11 回)
Archibald Little, Li Hung Chang: His Life and times, London, Paris, New York,
Melbourne, Cassell & Co., 1903.(2 回)
Samuel Wells Williams, A History of China, New York, Charles Scribner’s Sons,
1901.(3 回)
日露戦争中、米国で読まれた「日本」
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著名なジャパノロジスト、グリフィスが「隠遁者の国」と形容したよう
に、当時、朝鮮はアメリカ人にとって未知の秘境的存在だったようである。
日露戦争の緒戦はその朝鮮を舞台に戦われたため、朝鮮への関心が高まっ
た。歴史、政治も含めた包括的な内容の書籍が読まれたようだ。しかし、中
国に関する書籍は傾向が異なる。Things Chinese や Letters from a Chinese
Official; Being an Eastern View of Western Civilization といった題から想像されるよ
うに、アメリカ人の関心は一般的レベルから比較文化的レベルに高まって
いる。もちろん、中国史や列強の中国分割といった時事的内容の書籍も読
まれているが、アメリカ読書人の関心は中国文明の思想、道徳を相対化す
る域に達していたのではないだろうか。
実際に関連書籍の内容を逐一吟味する必要があるが、日露戦争に刺激さ
れたアメリカ読書人の関心は次のように比較対照できると思われる。
・満州、朝鮮:これまでの知識、関心が限られていたため、現地長期滞
在者による包括的な知識が求められている。ちなみにハミルトンの Korea
は、
『ブックマン』書店売上リストには、ボストン、ウースター、ワシント
ン DC などの東部地区で 5 回登場している。
・日本:ロシアに対する戦いぶりが、日本の国民的精神文化、社会の特
質などに関心を向けさせた。それに応える書籍は、長年の日米文化交流の
賜物で、現地長期滞在経験のある宣教師、教育者、英語に堪能な日本人が
大量に提供した。世界で初めて西洋の大国に戦いを挑んだ東洋の小国とい
う「アンダー・ドッグ」的立場も関心を高めた。
・ロシア:特に新しくアメリカ人の関心を刺激したとは思えないが、世
界中で諸大国と利害の衝突を引き起こしているロシアの南下政策の実態、ロ
シア政府の意図、一般的なロシア市民の生活ぶりなどに関心があった。1905
年になると、ロシア内政の危機にも関心が高まった。文化的にはトルスト
イやゴーリキーなどの小説が読まれ、日本のように、女性、宗教、柔道、
劇、盆栽など多面的な文化への関心は見られなかった。
・中国:度重なる諸列強の進出で、アメリカ人にも関連知識がすでに蓄
えられているのだろう。大国の野望と無力な母国政府の犠牲になりながら
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も、たくましく生きていく庶民の、例えば生活の知恵のようなものに関心
が高まったようだ。かつてはクーリーとして排斥された段階から、アメリ
カ人の視点が冷静になってきていることが感じられる。
日本への関心の地域性
『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』紙公共図書館リストは、ニュ
ーヨーク、シカゴ、ボストン、フィラデルフィア、ワシントン DC、バッフ
ァロー、サンフランシスコと、南部と中西部を除いた全米地区をまがりな
りにも網羅している。そこでどの図書館で日本、日本文化書籍の請求が多
かったかを調べることにより、日本への関心に地域性が見られるかどうか
を最後に検討したい。
結論から述べると、参考程度の傾向は把握できるものの明確な結論は得
られなかった。まず、全図書館が毎週リストを送ってくるわけではない。バ
ッファローとサンフランシスコは戦争中 80 週のうちそれぞれ 36 週と 17 週
しか掲載されていない。また、1 回の掲載書籍数や分類方法も図書館によっ
て異なるため、公平な調査ができない。シカゴにおけるビベリッジやノー
マンのロシア書のように極端な人気の例は日本関連書籍にはないが、参考
までに 5 回以上登場作品の図書館の分布を見てみよう(15)。
ハーン『神国日本』
: PH(7),SF(5),DC(4),NY(3),BO(2),BU(1)
ブラウネル、Heart of Japan : NY(9),PH(5),BO(1)
シャーラー、Japan Today : PH(5),DC(4),NY(2),BU(1)
クレメント、A Handbook of Modern Japan : BO(5),NY(2),DC(2),BU(1),
PH(1)
ハンコック、Jiu-jits : CH(3),PH(3),BO(2),BU(2),DC(1)
パーマー、With Kuroki in Manchuria : SF(4),NY(3),DC(3),PH(1)
朝河『日露衝突』: PH(3),DC(3),NY(1),BU(1)
シャーラー、Young Japan : PH(4),BO(3),DC(1)
ワタンナ『二条殿の娘』: DC(3),BO(2),BU(2),PH(1)
日露戦争中、米国で読まれた「日本」
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フレイザー夫人、A Maid of Japan : BO(4),BU(2),DC(1)
ノックス、Japanese Life in Town and Country : NY(3),DC(2),PH(1)
ハンコック、Japanese Physical Training : CH(2),NY(2),PH(2)
岡倉『日本の覚醒』: PH(3),NY(1),DC(1)
シングルトン編訳、Japan as Seen and Described by Famous Writers : DC(2),
BU(1),PH(1),SF(1)
ギューリック、Evolution of the Japanese : PH(3),DC(1),CH(1)
シーマン、From Tokio through Manchuria with the Japanese : PH(3),DC(2)
合計: PH(43),DC(30),NY(26),BO(19),CH(6),SF(10),BU(11)
まず気がつくのは、シカゴの回数の少なさである。これはビベリッジと
ノーマンのロシア書がシカゴ図書館で圧倒的な人気を誇っていたことと無
縁ではあるまい。しかも、シカゴの場合、日本関連書といっても 6 回中 5 回
が柔道書ということで、書籍の内容に大きな偏りがある。シカゴ公共図書
館の方針が影響を与えたのか、それとも図書館以外の地域的要因が働いて
いるのか。この点は今後の研究課題として検討したい(16)。
合計回数トップのフィラデルフィアは、新渡戸稲造、津田梅子、野口英
世、内村鑑三らが留学などで滞在し、グリフィス、ベンジャミン・スミス・
ライマンなど日米交流史上の著名人も住んでいた地であり、日本への関心
が高かったとしても不思議ではない(17)。1876 年に当地で開催された万博で
日本の工芸品が絶賛され、これがアメリカ人の日本工芸品趣味に大きな刺
激を与えた。
日本の美術工芸品の宝庫ボストン美術館を擁し、古くから貿易などを通
して中国や日本との交流が深かったボストンの図書館は意外に少なかった
が、19 回中 6 回がフィクションという点に特色が見出せるかもしれない。
『神国日本』以外のハーンの著作が何回か登場しているのは、ハーンの作品
が主に掲載された文芸誌『アトランティック・マンスリー』出版のお膝元
だったからだろうか。
議会図書館の場合は以上の数字からはこれといった特色は見出せないが、
この図書館は他の図書館がリストアップしない書籍を掲載する傾向がある。
76
モース『日本人の住まい』
、マレー『日本』
、徳富蘆花『不如帰』
、ラファー
ジ『画家東遊録』
、ハーン『こころ』
、ミットフォード『日本の昔話』
、バー
ド『日本奥地紀行』
、アストン『日本文学史』といった具合で、さながら目
利きが選んだ日本文化関連古典的書籍紹介といった趣だ。中には日露戦争
の影響で再版されたものもあるが、
『不如帰』以外はどれも新刊書には程遠
く、首都ワシントンの人々が本当に当時このような書物を読んでいたのか
疑問である。可能性としては、議会図書館という国家の指導的地位にある
ため、図書館関係者が主要紙のコラムを利用し、ひそかに国民の啓蒙をは
かったと考えるのが妥当かもしれない。
『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』紙公共図書館リストがカバー
していない南部に関しては、
『ブックマン』書店売上リストでワタンナの小
説が圧倒的にニューオーリンズやメンフィスなどの南部で売れていたこと
を記しておく。
おわりに
本稿では、研究ノートという性格上、新たに発見された資料の紹介に重
点を置き、その試験的な解読を試みた。いくつかの観察結果をより広いコ
ンテクストにおいて検討し、どのような結論が得られるかは、今後の研究
の進展を待つことになろう。
近年、ワタンナなどのアメリカのジャポニズム小説の研究も進み、日本
人にはあまり知られていなかった「在米日本情報提供者」の個別研究に光
が当てられつつある。このような知識を総合し、日米文化交流史における
日露戦争の意義を多面的、相対的に論じる日がやがて来るだろう。本稿が
その日のための一つの布石となれば幸いである。
(注)
(1) 塩崎智「日露戦争中、米国で読まれた「日本」―米国公共図書館で請求された日本及び
日本文化関連書物に関する考察(上)
」(『敬愛大学国際研究』14 号、2004 年)。
(2)『ブックマン』全米書店月間売上上位書籍リストに関する報告は、塩崎智「日露戦争中読
まれたる日本・補遺」(『東日本英学史研究』4 号、2005 年)に発表した。
日露戦争中、米国で読まれた「日本」
77
(3)『ブックマン』は、出版社を変えながら 1895 年から 1933 年まで発行されていた。書店は
カナダを含む全米各地方満遍なく取り上げられており、アメリカ人の読書傾向を表す貴重な
資料と言える。なお売上リストは、発行月の前 1 ヵ月間の売上に基づき作成されている。
(4) プロビデンス以外の本書掲載書店は、1904 年 11 月にワシントン DC で 4 位、ウースター
(マサチューセッツ州)で 5 位、同年 12 月にボストンで 5 位、翌 1905 年 1 月にサンフランシ
スコで 6 位となっている。
(5) 前回(上)ではオノト・ワタナと表記したが、書名とともに本稿では羽田美也子『ジャポ
ニズム小説の世界―アメリカ編』(彩流社、2005 年)に従った。羽田氏によれば、ワタン
ナが長崎生まれという素性は正しくなく、1875 年、英国人の父と英国育ちの中国人の母との
間にカナダのモントリオールで生まれ、訪日経験はない。
(6)『二条殿の娘』は、1904 年 5 月にニューオーリンズ(ルイジアナ州)で 3 位、ノーフォー
ク(ヴァージニア州)で 4 位、7 月にメンフィス(テネシー州)で 4 位、8 月に同 3 位に登場
している。
(7)『ヒヤシンスの思い』は、1903 年 8 月にアトランタ(ジョージア州)で 6 位、11 月に同 6
位、ニューオーリンズで 5 位、同年 12 月にニューオーリンズで 4 位、メンフィスで 4 位、ノ
ーフォークで 2 位、プロビデンスで 3 位、翌 1904 年 2 月にアトランタで 6 位、ニューオーリ
ンズで 5 位となっている。羽田氏によれば、1901 年に出版された『日本の鶯』(A Japanese
Nightingale)は、200 版 20 万部以上売れたという。
(8) All books on Corea, Japan, and Russia are in great demand(1904 年 3 月 7 日)
。
(9) Albert J. Beveridge, The Russian Advance, New York, Harper & Brothers, 1903. シカゴではほ
ぼ毎週 1905 年 3 月までリストアップされていた。『ブックマン』書店売上リストにも計 21 回
登場し、1904 年 3 月の月間ベストセラー(Best Selling Books)6 冊に挙げられている。シカ
ゴの書店では、1904 年 1 月 10 日から 2 月 10 日まで 1 位、翌月も 1 位、さらに 3 月 10 日から 4
月 10 日までは 2 位と 3 ヵ月間にわたりよく売れている。
Henry Norman, M.P., All The Russians. Travels and Studies in Contemporary Europe Russia,
Finland, Siberia, the Caucasus, and Central Asia, New York, Charles Scribner’s Sons, 1902.『ブック
マン』書店売上リストには一度も登場していない。なお、ノーマンには、次のような 2 冊の
日本、極東関連の著作もあり、「知日派」としての経歴もある。
The Real Japan; Studies of Contemporary Japanese manners, morals, administration, and politics,
London, T.F. Unwin, 1892; The peoples and politics of the Far East; travels and studies in the British,
French, Spanish and Portuguese colonies, Siberia, China, Japan, Korea, Siam and Malaya, London,
T.F. Unwin, 1895. 後者は、公共図書館リストに 2 回登場している。
(10) 1904 年 11 月 17 日の『ネイション』誌、399 ページ。D. Mackenzie Wallace, Russia, New
York, H. Holt & Co., 1877. 1905 年には大幅に増補改訂された版が出されている。Anatole
Leroy-Beaulieu, The Empire of the Tsars and the Russians, 3v.,(English Translation)
, New York and
London, G. P. Putnam’s Sons, 1893–1896.
(11) Geoffrey Drage, Russian Affairs, New York, E. P. Dutton & Co., 1904. 当時の一般の書籍の価
格は 2 ドル前後だが、本書は 6 ドルと高価である。Wolf von Schierbrand, Russia, Her Strength
and Her Weakness, New York and London, G. P. Putnam’s Sons, 1904; Esther Singleton, Russia,
Described by Great Writers, New York, Dodd, Mead & Co., 1904.
(12) Esther Singleton, Japan as Seen and Described by Famous Writers, New York, Dodd, Mead & Co.,
1904.
(13) Francis H. E. Palmer, Russian Life in Town and Country, New York and London, G. P.
Putnam’s Sons, 1901. 日露戦争景気か、1904 年に新版が出ている。George William Knox,
Japanese Life in Town and Country, New York and London, G. P. Putnam’s Sons, 1904.
(14) 岡倉天心『日本の覚醒』に対するアメリカでの書評に見る反響に関しては、山崎新 『日
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露戦争期の米国における広報活動―岡倉天心と金子堅太郎』(山崎書林、2001 年)が詳し
い。
(15) BO: Boston, BU: Buffalo, CH: Chicago, DC: Washington DC, Library of Congress, PH:
Philadelphia, SF: San Francisco.( )内の数字は日露戦争中の登場回数を表す。このリストに
登場する著作の書誌情報は、塩崎智「日露戦争中、米国で読まれた「日本」―米国公共図
書館で請求された日本及び日本文化関連書物に関する考察
(上)
」
(『敬愛大学国際研究』第 14
号、2004 年 12 月)、96 ― 99 ページを参照。
(16) 日露戦争開戦とほぼ同時に、対米国世論広報外交の任を帯びて渡米した金子堅太郎は、
1904 年 3 月 16 日シカゴに到着するが、そこで清水精三郎領事から次のような現地事情を聞か
されたという。
「元来、当時のシカゴ市民の中には、ロシア人と姻戚関係にある者が少なくなく、同市全体
としても、ロシアと商業上の取引で因縁浅からぬものがあったのである。例えば、シカゴ市
の上流社会の儀表といわれたポーター・パーマー家はロシアの一貴族と姻戚になっていたし、
有名なグラント大統領の子息であるフレデリック・グラント中将の娘も同国の一公爵と結婚
していた。また当時の駐露大使マコミックはそのシカゴ市の出身者であった上に、同大使と
親戚関係にあったパタソン社長の発刊する同市の有力新聞デイリー・トリビューン紙も、そ
の人的繋がりから、暗にロシアを曲庇する風があると評されても無理からぬところであった。
加うるに、シカゴは米国商業の一中枢点を形成していたため、同地を出荷して旅順やウラジ
ボストック等へ輸出されていた小麦粉や缶詰類は、極めて多量にのぼっていた。従ってシカ
ゴ市民にとって、ロシアは好顧客であったことからすれば、商利を慧敏に考える同市民が、
どうしてロシア人の怒りを買うようなことを敢えてするはずがあったろう」
(松村正義『日露
戦争と金子堅太郎』、新有堂、1987 年、23 ― 24 ページ)
。
(17) 新渡戸はフィラデルフィアで、この地の米国人女性と結婚した。グリフィスはフィラデ
ルフィアで生まれ育った。ライマンはお雇い外国人の地質学者で帰国後はフィラデルフィア
に居を構えた。なお日露戦争中、フィラデルフィア近郊のハバフォード大学大学院で有島武
郎が学んでいたが、日露戦争騒ぎには関わらずひっそりと生活していたようだ。有島武郎『有
島武郎全集 第十巻』
(筑摩書房、1981 年)に当時の日記が収録されている。
日露戦争中、米国で読まれた「日本」
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