1 乳児期初期における顔認知の発達と運動情報の効果 大塚由美子1・山口真美2 1中央大学大学院文学研究科,2中央大学文学部 2 要旨 日常目にする顔は、顔全体や顔の内部特徴の動きを含むものであるが、乳児期の顔 認知についての研究の多くは静止した顔を刺激として用いてきた。一方で、物体知覚 の研究では運動情報が乳児の知覚を促進することが示唆されてきた[1- 2]。そこで、本 研究では静止画と動画での乳児の顔学習を比較し、運動情報が乳児の顔認知を促進す るかどうか検討した。実験ではまず静止画または動画で顔を提示し、乳児を顔に馴化 *脚注 させた。その後、馴化した顔と新奇な顔を対で提示し、乳児の顔再認をテストし た。乳児が馴化期間に顔を学習できた場合は新奇な顔に対し選好注視を示すと予測さ れた。実験の結果、動画で馴化した乳児は顔を再認したが、静止画で馴化した乳児は 再認できなかったことが示された。本研究の結果は、日常目にする顔に含まれている 運動情報が乳児の顔認知を促進する役割を果たすことを示唆する。 3 1.はじめに 乳児は生後間もない頃から顔と似た特徴を持つ刺激をそうでない刺激よりも選好 注視する[3-6]。顔に対し選択的な注視を示す乳児の特性は後の顔認知の素地を作る上 で重要な役割を果たすと考えられている[7-8]。この考え方を支持する証拠として、乳 児期に白内障になり回復手術を受けた子供に対する研究から、生後数ヶ月間の視覚パ ターン入力の剥奪が後の顔認知の発達に影響するという報告がなされている[9-12]。こ れまでに、乳児期の顔認知研究は乳児の様々な顔認知機能を明らかにしてきた。顔認 知能力が成人並みに発達するのは児童期以降であるが、乳児期の比較的早い段階から 成人と似た顔処理特性が機能し始めることが明らかにされている。 2.乳児期初期における顔認知能力の発達 先にも述べたように、乳児は生後すぐに顔のような刺激に対し選好を示す(図1)。 これは乳児が誕生時からいくらかの顔処理能力を備えていることを示唆している。実 際、生後数日の新生児でさえ母親の顔を他の女性の顔と識別することや[13-15]、未知の 女性の顔同士を識別することが[16]明らかにされている。しかし、生後 1 ヶ月以下の乳 児は母親と他の女性の髪形をスカーフで覆ってしまうと識別ができなくなることか ら[17]、この頃の乳児は目・鼻・口といった顔の内部特徴を処理していないと考えられ てきた。顔以外の図形の識別を調べた研究においても類似した現象が報告されている。 生後 1 ヶ月の乳児は三角形や円形、四角形が枠で囲まれていなければ、これらの図形 を識別できるが、これらの図形が同じ外枠で囲まれると、識別することができなくな るのである[18]。このように、同じ枠で囲まれた対象を識別できなくなる現象は「外枠 効果」と呼ばれ、遅くとも生後 4 ヶ月までには消失することが明らかにされている。 より最近の研究では、内部特徴が強いコントラストを持つ条件などでは、新生児でも 内部特徴を処理できることが明らかにされている[19]。新生児が顔の内部特徴を処理す ることを示す証拠としては、新生児がそれた視線を持つ顔よりも自分の方を見つめる 視線を持った顔を選好することや [20] ,成人が魅力的であると判断する顔をそうでな 4 い顔よりも選好する[21]といった驚くべき報告もなされている。 生後 3 ヶ月を過ぎるとさらに成人と似た顔処理の特性が発達し始める。成人は様々 な視点から見た同一人物を同定できるが、生後 1 ヶ月未満の乳児は母親の顔が横顔で 提示されると、再認できない[21]。異なる視点から見た顔を同一人物として再認する能 力は 3 ヶ月児頃に発達することが報告されている[23]。Pascalisら[23]の実験では、乳児 はまず複数の視点から撮影された顔に馴化した。その後、乳児は馴化期間に見ていな い新しい視点から撮影された馴化した人物の顔と新奇な人物の顔を対で提示される。 その結果、3 ヶ月児は新奇な顔を選好し、顔の再認を示したのである。 生後 3 ヶ月児とより幼い乳児の顔処理特性の違いとしてはさらに、個々の顔経験か らプロトタイプ表象を形成するか否かという点が挙げられる。成人は複数の刺激を提 示されると、実際に提示された個々の顔よりも一連の提示された顔の平均に相当する 顔(プロトタイプ)を、見たことがあるものとして再認してしまう傾向を示す。De Hannら[24]は 1 ヶ月児と 3 ヶ月児が、成人と同様に経験した個々の顔からそれらを平 均化した顔表象を作り上げるかどうか検討した。乳児は馴化期間に 4 名の顔を提示さ れ、馴化した。その後のテスト期間に,4 つの顔から作り出された平均顔と、4つの馴 化顔のうちの 1 つの顔が対で提示された。もし乳児が個々の馴化顔から平均顔表象を 形成するならば、馴化顔についての乳児の内的顔表象は馴化顔そのものよりも平均顔 に近いものであろうと予測される。実験の結果、3 ヶ月児は馴化顔を平均顔よりも長く 注視したが、1 ヶ月児は注視時間の差を示さなかった。これらの結果は、3 ヶ月児は馴 化期間に提示された 4 つの顔からそれらを平均した表象を形成したが、1 ヶ月児は平 均した表象を形成しなかったことを示唆する。 また、成人は非常に優れた顔識別能力を持つが、この顔識別の能力は顔の提示され る方向に依存することが知られている。顔が正立で提示されたときと比べ、顔が倒立 で提示されると顔の識別は困難になる[25]。この現象は倒立効果と呼ばれる。Turati ら[26]は倒立効果が生後 4 ヶ月児においても見られるかどうかを検討した。実験1にお 5 いて、乳児は単一の顔写真に馴化し、同一の写真でテストされた。すると、正立・倒立 の両条件で乳児は顔を識別し、条件間でのパフォーマンスの差はなかった。実験2に おいて、乳児は複数の視点で撮影された顔写真に馴化し、新しい視点で撮影された写 真でテストされた。その結果、正立条件では乳児は顔を識別したが、倒立条件では識別 を示さなかった。倒立効果は、多くの顔を正立で経験することによって生じると考え られている。Turatiらの結果は生後 4 ヶ月間の顔経験でも,ある程度の倒立効果を引 き起こすことを示している。 倒立効果と同様、性別の区別のようなカテゴリカルな認識もまた複数の顔への経験 を必要とすると考えられる。なぜなら、女性の顔に共通する特性や男性の顔に共通す る特性を抽出する必要があるからである。Quinnら[27]は 3−4 ヶ月児が顔を男女のカ テゴリーに分類するかどうか検討した。Quinnらは女性が第一養育者であった乳児は 男性の顔よりも女性の顔を選好するが、男性が第一養育者であった少数の乳児は女性 の顔よりも男性の顔を選好することを示した。これらの結果は、乳児が何らかの形で 男性の顔と女性の顔をカテゴリカルに識別していることを示唆する。さらに、女性が 第一養育者であった乳児は男性の顔よりも女性の顔の識別により高いパフォーマン スを示した。 Quinnらの結果は、乳児の顔識別能力は最も頻繁に目にすると考えられる第一養育 者と同じ性別の顔において、異なる性別の顔よりもよいことを示唆する。これは成人 が視覚経験の少ない他人種の顔の識別に困難をしめす 人種効果 と呼ばれる現象と 似ている。成人は目にする経験の多い自人種の顔に対してより経験の少ない他人種の 顔よりも優れた識別能力を示す。実際、3 ヶ月児でさえいくらか人種効果を示すと報告 する研究もある。Sangrigoli& de Schonen [28]は人種効果が乳児にも見られるかどう か白人の 3 ヶ月児を対象として検討した。乳児は白人の顔またはアジア人の顔同士の 識別をテストされた。第一実験において、乳児は 1 つの顔に馴化した後、馴化顔と新奇 な顔を対で提示された。その結果、白人の顔識別をテストされた乳児は新奇な顔に選 6 好を示し、識別を示したが、アジア人の顔識別をテストされた乳児は識別を示さなか ったのである。 このように、生後 3 ヶ月という幼い乳児でもいくらか成人と似た顔処理特性を示す ことが明らかにされている。しかしながら、この頃の顔認知能力はまだまだ未熟なも のである。顔の内部特徴間の詳細な配置(目と目の間の距離など)を処理する能力は 5 ヶ月過ぎにようやく発現するが[29]、10 歳になっても成人並みに達しないという報告 もある[30]。同様に、倒立効果は 3 ヶ月児でもいくらかみられるものの、6 歳から 10 歳 にかけてさらに効果が大きくなることが示されている[31]。また、 3 歳から 9 歳頃に異 国へ養子に迎えられた子供の研究から、顔認知システムはこの年齢では人種効果の逆 転を示す程の可塑性を持つという報告もなされている[32]。顔認知能力が成人並みに達 するにはより多くの年月を要するようである。 3.運動情報が乳児の顔認知に及ぼす効果 上記に紹介した研究の多くは静止した顔を刺激として用いて行われたものであっ た。しかしながら、我々が日常において目にする顔は、身振りに伴う頭部全体の動きや、 表情の変化と発話に伴う顔内部特徴(目・鼻・口)の動きを含んでいる。このような、 日常目にする顔に含まれる運動情報は乳児の顔認知に何らかの効果を持つのであろ うか。 いくつかの先行研究は顔に含まれる運動情報が顔認知に貢献すると示す証拠を報 告している。Stuckiら[33]は乳児が運動情報のみに基づいて、顔とマスクを識別するか どうか検討した。彼らの実験では、顔とゴム製のマスクに同じ三角形のテクスチャの ペインティングを施し、それぞれが運動する様子を撮影した画像を刺激として用いた。 顔の動き方は頭部全体が動きながら、内部特徴も運動する条件と、内部特徴のみが運 動する条件があった。マスクは手で動かされ、変形された。顔やマスクは同じ三角形 のテクスチャをペインティングされた背景上に提示されたため、画像が静止すると背 景と区別することができないものであった。乳児は顔が正立で提示された条件では顔 7 に馴化した後、マスクを提示されると脱馴化を示した。一方、顔が倒立で提示される と、乳児は脱馴化を示さなかった。成人においては、顔が倒立で提示された場合、正 立で提示された場合よりも識別が困難になることが知られている[25]。成人と類似した 結果が得られたことから、Stickiらは、乳児の識別が顔認知に基づくものであると結 論した。また、顔とマスクの識別は頭部全体の運動を含んだ条件と、内部特徴のみが 運動した条件の両方で示された。このことから、内部特徴の運動のみでも顔認知が成 立すると考えられた。 Johnsonら[34]は生後 1 ヶ月、3 ヶ月、5 ヶ月の乳児を対象として、顔模式図形に対 する選好を計測した。生後 1 ヶ月児と 3 ヶ月児は,顔模式図形の同要素をバラバラに 配置したスクランブル顔図形よりも顔模式図形(図1参照)を長く注視した。一方で、 5 ヶ月児はこの選好を示さなかった。Johnsonらはこれらの結果から、顔模式図形は 実際の顔よりも非常に情報に乏しいものであり、5 ヶ月児の選好を引き起こすにはよ り現実の顔に近い刺激が必要であると考えた。そこで、模式図形に顔特有の動きであ る内部特徴の運動を加えることにより、5 ヶ月児の選好を引き起こすことができるか 検討した。その結果、内部特徴が運動する条件では 5 ヶ月児も顔模式図形を選好した。 Johnsonらの結果はStickiら[33]の結果と同様、顔内部の特徴の運動が乳児の顔認知に 重要な役割を果たすことを示唆する。 さらにいくつかの先行研究は、運動情報が乳児の顔認知を促進する可能性について 検討した。しかしながら、これまでに明確な促進効果を示す報告はなされていない。 Wilcox & Clayton[35]は運動情報が加わることにより、乳児の表情弁別が促進される かどうか選好注視法を用いて検討した。彼らは、動画と静止画を用いて異なる表情に 対する 5 ヶ月児の注視時間を計測した。しかしながら、表情間での注視時間の差は動 画条件では示されず、静止画においてのみ示された。Biringen[36] はさらに、選好注 視法を用いて動画と静止画での 3 ヶ月児の表情弁別を検討した。Biringenは(1)静 止した顔、(2)内部特徴が運動する顔、(3)頭部全体が左右に回転運動する顔の 3 種 8 類の動きを用いた。実験の結果、(1)静止した顔、(2)内部特徴が運動する顔の条件 では微笑み表情への選好が示されたが、(3)頭部が回転運動する条件では選好は示さ れなかった。Wilcox & Clayton[35]やBiringen[36] の結果は、動画における顔の識別は 静止画における識別と同等,またはやや劣ることを示すものであり、運動情報を付加 することにより、表情の弁別が促進されることを示す証拠は得られなかった。これら 2 つの研究の結果は選好注視法を用いていたため、静止画においては相対的に魅力の 劣る表情も運動が加わることによって魅力が増し、天井効果が示されたと解釈するこ ともできる。異なる表情に対する選好は運動に対する選好よりも頑強ではないのかも しれない。 しかしながら,馴化法を用いた研究においても類似した結果が報告されている。 Nelson & Horowitz[37]のは馴化法を用い、静止画条件と動画条件において 5 ヶ月児が 表情とポーズの異なる顔を識別するかどうか検討した。刺激は微笑み表情でウィンク をする顔と、中立表情で投げキッスをする顔を映し出すホログラフィック・ステレオ グラムであった。動画条件の乳児は馴化期間・テスト期間とも動画を提示され、静止 画条件の乳児は静止画を提示された。実験の結果、馴化期間とは異なる表情・ポーズ の顔をテスト期間で提示された実験群の乳児は動画・静止画の両条件で脱馴化を示し た。しかしながら、テスト期間に馴化期間と同じポーズ・表情の顔を提示された統制 群の乳児も動画・静止画の両条件で実験群と同程度の脱馴化を示した。このため、実 験群の乳児によって示された脱馴化が表情やポーズの識別を示すものであるかは明 確ではなかった。Nelson & Horowitzは、統制群においても脱馴化が示されたのは、彼 らが用いたホログラム刺激に含まれていた両眼視差情報によるものであると議論し、 視差に対する感受性が発達途上にあると考えられる生後 2 ヶ月児を対象としてさら に検討を行った。その結果動画条件において、統制群の乳児は脱馴化しなかったが実 験群の 2 ヵ月児は脱馴化し、表情・ポーズの識別の証拠が示された。しかしながら、 Nelson & Horowitzは 2 ヶ月児を対象として静止画条件での検討を行っていないため、 9 2 ケ月児の結果が運動情報による促進効果を反映するものであるかは明確ではなかっ た。 Nelson & Horowitz[37]はさらに同一の刺激が動画から静止画へ、静止画から動画へ と状態が変化しても、乳児がそれらの刺激を同一のものとして再認できるかどうか検 討した。乳児はまず、動画または静止画で一つのポーズ・表情に馴化した。その後、 同一のポーズ・表情の顔が、馴化期間とは異なる提示条件(動画または静止画)で提 示された。その結果、動画で馴化した乳児は脱馴化を示さず,馴化刺激とテスト刺激 を識別しなかった.一方で、静止画で馴化した乳児は脱馴化を示し,馴化刺激とテス ト刺激と識別した。これらの結果は、乳児は動いているものが静止した場合は同一の ものとみなすことができるが、静止したものが動き出した場合はできないと解釈され た。これらの結果から、Nelson & Horowitzは動画で馴化した場合、顔が見慣れたも のであるという認識が促進されると議論した。 しかしながら、Nelson & Horowitz[37]の実験から運動情報が顔認知を促進したとい う結論を導くには、いくらか問題が残されている。この実験においては、動画で学習 した乳児に対して提示された静止画のテスト刺激は馴化期間に既に提示された複数 の画像の一部であったが、静止画で学習した乳児が提示された動画のテスト刺激は馴 化期間に提示されなかった画像を含んでいたと考えられる。それゆえ、静止画で馴化 し動画テストで脱馴化を示した乳児は、刺激の表情・ポーズが同一であると再認する ことに失敗したというよりも、むしろ馴化期間に含まれなかった画像への変化(運動) を検出できたことを示すと解釈することができる。上記の研究をまとめると、これま で顔認知の発達研究においては、運動情報による促進効果についての明確な証拠は得 られていない。 顔認知の研究とは異なり顔以外の物体を用いた先行研究は、運動情報が乳児の知覚 を促進することを示唆する。Kellman & Spelke [1] は生後 4 ヶ月の乳児は部分的に遮 蔽された棒が、遮蔽物の背後でつながっていると知覚するかどうか検討した。彼らは 10 部分的に遮蔽された棒が運動する場合には、4 ヶ月児においても棒のつながりを知覚 することが可能であるが、棒が静止している場合は不可能であることを発見した。主 観的輪郭の知覚を検討した研究においても、類似した報告がなされている。Otsuka & Yamaguchi [2]は生後 3 ヶ月から 8 ヵ月の乳児を対象として動画と静止画での主観的輪 郭の知覚を比較した。Otsuka & Yamaguchiは、動画においては生後 3-4 ヶ月児でさえ 主観的輪郭を知覚するが、静止画では 7-8 ヶ月児のみが主観的輪郭を知覚することを 発見した。 このように、運動情報による促進効果が他の物体の知覚においては示されているに もかかわらず、顔認知において示されていない。これは,日常の経験から導かれる予 測とは相反するものである。日常目にする多くの物体の中でも顔は常に動いている特 殊な物体である。写真などの特殊な例をのぞいては、動かない顔を目にすることは日 常においては稀なことである[38]。特に、身体の運動機能が未熟で自らの力で移動した り、対象を操作したりすることのできない幼い乳児の視覚世界においては、顔は他の 物体よりも頻繁に、動いているものとして観察されるであろう。このように考えると、 運動情報による知覚の促進効果は他の物体知覚よりもむしろ顔認知に対して示され ると予測される。本研究においては[39]、日常目にする顔に含まれている運動情報が、 乳児の顔認知に促進的効果を持つ可能性があるかどうかについてさらに検討を行っ た。 3-1 実験デザイン 本実験は生後 3 ヶ月と 5 ヶ月の乳児を対象として、馴化−新奇化法を用いて行った。 この方法では、まず乳児に対し特定の視覚刺激(馴化刺激)を繰り返し提示し、乳児 が刺激に馴れた後に新奇刺激と馴化刺激を乳児に提示する。一般に、乳児はより新奇 な刺激を馴化刺激よりも長く注視する(新奇選好)。このような注視時間の偏りが示 された場合、乳児が新奇な刺激と馴化刺激を弁別することができたと解釈することが できる。本研究では、乳児はまず動画または静止画で一人の微笑み表情の女性の顔(図 11 2a)を提示され、馴化した。その後、馴化顔の学習が成立したかどうかをテストす るため、新規な女性の顔と馴化した女性の顔(図2b)を対で提示した。もし、乳児 が馴化期間に提示された女性の顔を学習することができたならば、乳児は新奇な顔を 馴化顔よりも長く注視するであろうと予測された。 Nelson & Horowitz[37] は動画で提示された刺激を静止画で再認することができる と報告した。よって本実験ではテスト刺激としては全ての乳児に対し同一の静止画を 用いた。さらに、動画条件と静止画条件でテストの難易度を統制するため、テスト刺 激としては馴化画像には用いられていない中立表情の顔を用いた。本実験では馴化期 間を 30 秒間と比較的短く設定した。これは学習期間の乳児の刺激に対する注視時間 を統制するためであった。 3-2 実験参加者 健常な 24 名の生後 3 ヶ月から 5 ヶ月齢の乳児(平均日齢 128.6 日、範囲 81 日∼ 162 日)。この他に 11 名の乳児が実験に参加したが、実験中に泣いてしまったため(3)、 テスト試行で 90%以上のサイドバイアスを示したため(6)、または学習期間の刺激 注視時間が 20 秒に達しなかったため(2),分析から除外された。 3-3実験手続き 図3に示すように、乳児は個別にテストされた。PC モニターのすぐ下に、CCD カメラ が設置されており、実験中の乳児の行動がビデオに記録された。CCD カメラからの映像 は、ブースの外にある実験者用小型モニターにケーブルを通してつなげられ,実験者 はこの小型モニターで乳児の行動を確認しながら実験を行った。PC モニター画面のま わりはカーテンと同色の板に覆われ、モニター画面以外は隠されていた。PC モニター の左右にはスピーカーが設置され、全ての音声刺激はこのスピーカーから提示された。 乳児はおよそ 40cm 離れた距離で保護者のひざの上に抱かれ PC モニターを観察した。 乳児の保護者は実験前にあらかじめ,実験の間は画面を見たり乳児に話しかけたりし ないように教示され、実験はいつでも中断できる旨を教示された。 12 乳児の注意を画面中央に向けるため、各試行の開始前に、画面中央にキャラクター をビープ音とともに提示した。実験者は、乳児の画面への注視を確認すると同時に、試 行を開始した。試行の開始時に、刺激はビープ音とともに提示された。試行が終了す ると、再びキャラクターがビープ音とともに提示された。 実験は馴化期間 15 秒×2 試行と、テスト試行 10 秒間×2 試行で構成された。馴化刺 激は CRT モニターの中央に提示され、テスト刺激は CRT モニターの画面左右に対で提 示された。馴化顔と新奇顔の提示位置は 2 試行間で入れ替えられた。馴化刺激は 2 種 類あり、各条件の乳児は半数ずつ異なる顔に馴化した。このためテスト試行における 馴化顔と新奇顔の関係は乳児ごとに異なっていた。 3-4 結果 馴化期間 2 試行における乳児の馴化顔に対する注視時間を図4に示した。馴化期間 2 試行において、注視時間の減少や動画・静止画条件間の差が見られるかどうか、2 要因の分散分析を行った。分散分析の結果、有意な効果は示されなかった(条件:F (1,22) = 0.29, p = 0.59; 試行:F (1,22)=1.89, p = 0.18; 交互作用: F (1,22) = 0.08, p = 0.78)。 テスト試行における乳児の新奇顔に対する注視時間の割合を図5に示した。動画条件 においては、新奇顔に対する注視時間は偶然の値(50%)よりも有意に高い値を示し たが(t (11) = 3.2, p < .01)、静止画条件においては偶然の値との有意差は示されなかっ た(t (11) = 1.52, p = .16)。さらに、動画条件における新奇顔に対する注視時間の割合 は静止画条件よりも有意に高いことが示された(t (22) = 3.45, p < .01)。これらの結果 は動画を観察した乳児は 30 秒の馴化期間で顔を学習することができたが、静止画で は学習できなかったことを示すものである。 3-5 考察 本研究においては動画で馴化した乳児は、馴化顔と新奇な顔を対で提示されると、 新奇な顔を有意に長く注視した。一方、静止画で馴化した乳児は既に見た顔と新奇な 13 顔を同じように注視した。これらの結果は動画条件で顔を提示された乳児は 30 秒の 馴化期間で馴化顔を学習することができたが、静止画条件で提示された乳児は馴化顔 を学習することが出来なかったことを示すものである。本研究の結果は動画での学習 は乳児の顔学習を促進することを示唆する。 なぜ動画条件と静止画条件でこのような結果の差が生じたのであろうか。乳児は運 動する対象を静止対象よりも選好することが知られている[40]。よって、学習期間の顔 に対する注視時間の差が学習の差を引き起こした可能性がある。しかしながら、本研 究においては学習期間を 30 秒間と比較的短く設定したため、動画条件と静止画条件 において学習期間の注視時間に差は見られなかった。よって本研究の結果は、単なる 学習刺激に対する注視時間の差では説明できない。 他の可能性としては、顔の内部特徴の運動が重要な役割を果たしていた可能性が考 えられる。本研究においては、学習期間に提示された顔は外部特徴(髪型など)を含 んでいたが、テスト期間に提示された顔は同一のマスクによって外部特徴を遮蔽され ていた(図2b参照)。このため、テスト期間に提示された顔の識別に利用できたのは 内部特徴だけであった。先にも述べたように、生後 1 ヶ月までの乳児には枠で囲まれ た対象の内部の特徴を処理することが出来ない「外枠効果」という現象が見られる。 外枠効果は生後 4 ヶ月頃には消失するが、成人でも未知顔の再認は既知顔よりも外部 特徴に依存する傾向を示す[41]という報告もあり、本研究の結果と無関係であるとは言 い切れない。この外枠効果は、内部特徴が運動する場合には消失することが示されて いる[18]。本研究の運動条件において提示された刺激は顔全体の運動とともに、顔内部 特徴も運動していた。よって動画条件においては静止条件よりも内部の特徴の処理が 促進されたかもしれない。 本研究とは異なり、先行研究においては運動情報が乳児の顔認知を促進することを 示す明確な証拠は得られなかった。これらの結果の違いが生じた理由としては、先行 研究ではテスト刺激として動画を用いていたが、本研究では静止画を用いていたこと 14 が挙げられる。顔のような要素布置の図形は他の図形よりも選好され、動く図形もま た動かない図形よりも選好される[40]。よって「顔」と「動き」をともに含んだ刺激を 用いた場合、刺激の魅力度が非常に高くなり、刺激間の注視時間の差が示されにくか ったと考えられる。 本研究において、我々は運動情報が乳児の顔学習を促進することを発見した。これ は成人を対象とした先行研究からの結果とは異なるものである。成人を対象とした研 究においては、運動情報による促進効果は既知顔を再認する際には一貫して示されて いるが、新規な顔を学習する際の効果は明確ではない [42-43]。既知顔の再認に対する効 果についても、ネガポジ反転などで画像の質を落とした条件ではみられるが、十分な 画像の質が保たれた条件では消失することが分かっている。これらの成人を対象とし た研究からの結果と本研究の結果について考え合わせると、運動情報は顔認知能力が 非常に発達した成人よりもむしろ、顔認知能力が発達途上にある乳児において特に重 要な役割を果たしていると考えられる。 4.まとめ これまで、顔認知についての発達研究の多くは静止画、または静止した実際の顔を 用いて検討されてきた。しかしながら、日常において目にする顔は様々な動きを含ん でいることから、本研究では、顔に含まれる運動情報が乳児の顔認知に果たす役割に ついて検討を行った。 物体知覚についての先行研究[1-2]とは異なり、顔認知の研究においては運動情報に よる乳児の知覚・認知の促進効果を示す明確な証拠は得られていなかった。そこで本 研究では、静止画と動画での乳児の顔学習を比較し、運動情報が乳児の顔認知を促進 するかどうかについてさらに検討を行った。その結果、運動情報が加わることにより、 乳児の顔学習が促進されることが示された。本研究の結果は、他の物体知覚[1-2]と同様、 乳児の顔認知も運動情報により促進されることを示唆する。 15 本研究で用いた動画刺激は自然な微笑み表情の表出場面を撮影したものであった。 このため、動画像は顔内部特徴の運動と頭部全体の運動の両方を含んでいた。今後は さらに、内部特徴の運動,または頭部の運動のどちらか一方だけでも同様の効果が得 られるのか、動画刺激に含まれていたどのような刺激特性が乳児の顔認知に重要なの かさらに検討する必要があると考えられる。 16 参考文献 [1] Kellman P. 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Behavioral and Cognitive Neuroscience Reviews. 2(1), 15-46 (2003). 21 22 (a) Moving / Static (b) Static 23 24 Looking time at habituation stimuli (sec) . 18 17 M oving 16 Static 15 14 13 12 11 10 1 2 Habituation trial 25 75 Looking time at novel face (%) 70 65 60 55 50 45 40 35 Moving Static Habituation conditions 26 図表説明 図1 顔模式図形と同要素のスクランブル図形. 図2 実験刺激.(a)馴化刺激,(b)テスト刺激. 図3 乳児実験の様子. 図4 馴化期間の試行毎平均注視時間. 図5 テスト期間の新奇顔に対する平均注視時間(%). 27 脚注 乳児の刺激識別を検討するために用いる手法の一つ。乳児に特定の視覚刺激を繰り返 し提示することで、刺激に対する注視時間の減少(馴化)を引き起こす。その後、新 奇な刺激を提示し注視時間の回復が見られるかどうか検討するか(馴化-脱馴化法)、 新奇な刺激と馴化刺激を対で提示して選好注視が見られるかどうか検討(馴化-新奇 化法)。一般に乳児は新奇な対象を見飽きた対象よりも長く注視する。よって、新奇 な刺激に対する注視時間の回復や、選好注視が見られた場合、乳児が馴化刺激と新奇 な刺激を識別したと解釈することができる。
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