かるたバカ日記 中学二年 S・Y 序章 その日は、全くもっていつもと同じ朝に始まった。この国らしいうだるような蒸し暑さ と蝉の声。2、3年前なら何処からか涼しげな風鈴の音が聞こえてくるところだが、もう それも、日本家屋とともに「昔の夏」として日常から消え去った。 2012年の夏ももう終わりかけている。今、目の前にあるのは、毎年のことでしょ、 と澄ました顔をして勉強机に横たわる色白な宿題と、いまだに整理されていない1学期の 教科書達。何もしなかったと言えばうそになるが、かといって、しっかりと計画を立てた 訳でもない。それなりにやっておけば終わるかな、なんて思ってだらだらするからこうな る。しかもそれが毎年、毎回の長期休暇中に起こるのだった。どうすればいいのか位、解 っている。シッカリとケイカクを立てて、マイニチコツコツ。あきれるほど当たり前のこ とだ。 ―それができないのだから困っているというのに。 「運も才能のうち」なんてよく聞くが、 「やる気」も才能のうちだと思う。そして、自分に はそれが大いに欠けていると言わざるをえない。はぁ、ついついため息が出てしまう。こ うして私は朝から運をも逃がしていく。 でもこれは、あくまで勉強の話。 少し、目の前にある「現実」達から目を逸らすと、そこには丁度、近所のスーパーで売 っているような豆腐のパックと同じ位のサイズの厚紙で出来た長方形の箱がある。上面に は、「小倉百人一首 歌かるた 取り札」の文字と、いかにも趣のある鹿と紅葉の絵。 そう、競技かるたの取り札だ。 私、杉下 遥 は今、その競技かるたに夢中な訳で、例年はあと2日の時点で残りわずか となっている宿題も、今年はまだ半分も終わっていないという始末なのだ。 ―まあ、いっか。 今日はどうあがいても宿題なんてできないのだから。なにしろ― 「こらっ。ぼやぼやしているとまた遅刻するよっ。」 「はぁぁい。今行くっ。」 今日もそのかるたが1日中あるのだから! 「おはよーございます。」 「あ、おはよー。」 私の通っているかるた会は家から歩いて10分もしないところにある。今日はかるた永世 クイーンのフミエさんが本を出すにあたっての、ビデオ撮影らしい。 「永世クイーン」が模 範試合をするのだが、その相手役の1人に現在初段の私が選ばれてしまった訳で…。 ―ちなみに、永世クイーンってどの位強いんですか? ―「クイーン」が世界中の女性で1番強くって、それに合わせて5回以上なっているから そうとうだね。 脳内会話システムが導きだした結果、とにかく1枚取ろうということに決定。 「よろしくお願いします。」 「よろしくお願いします。」 裏向きの状態の札を25枚ずつ取り、開き、3段に並べる。いつもやっている動きなのに、 テレビの前だからだろうか、袴を着ているせいか、何だかぎくしゃくする。永世クイーン との試合それがどんなに素晴らしいものなのか。大会で当たるのとはまた違うけれど、ま だまだひよっこの私にはまたと無いチャンスだ。しっかりと攻めていこう。 ―そもそも、私は何故かるたを始めたんだっけ。 1 出会い その日の朝、私はいつもよりも軽い足取りで学校へ向かった。 (今日はかるた会予選。楽しみだなぁ。クラス代表になりたいなぁ。) 実際、私はクラス代表になるつもりだった。百人一首なんて所詮、覚えた者勝ちだと考 えていたのだ。だから、この後に私がクラス代表の足元にも及ばない結果に終わることや、 ましてや私の生活がこれから180度変化することなど誰も知らなかったのである。 「神の みぞ知る」とはまさにこのことであった。 始業式が終わり、かるた会予選が終わった頃、私の心の中は驚きと不思議さでいっぱい だった。(何故、あんなに早く札がとれるのだろう。いったいどうしたら、あんな風に札が 飛ぶのだろう)私の頭の中ではそんな疑問達がぐるぐるととぐろを巻くようにうねってい た。 家に帰ってまだ疑問がぬぐいきれない私に父が買ってきてくれた本がかの有名な「ちは やふる」である。その日のうちに1巻を読み終わり、今年の名人戦を見て、私のかるたへ の憧れは頂点に達した。母に相談し、ネットで一番近くのかるた会を探し当て、メールを 送った。確かこんな内容だった。 杉並かるた会の方へ こんばんは。 突然申し訳ありません。杉並区内に住む中1です。 かるたに興味があって、そちらのかるた会を見学させていただきたいのですが、1月 13日の勤労福祉会館での会は、やっているのでしょうか? また、私はつい最近競技かるたを知って、今日名人戦をネットで見た後杉並かるた会 のことを知ったような完全なる初心者なのですがこんな者でも少しは強くなれるので しょうか? 以上、どうぞよろしくお願いします。 ―今読んでも笑えてくるほどにつたない文章である。こんなに気負わなくてもいいのに、 と今だから言えるようなことを思わせる代物だ。 かるた会の方からいい返事をもらい、友達を誘って私は遂に1月13日の夜7時、西荻 にある勤労福祉会館(略してきんぷく)の3階にある畳部屋に足を踏み入れたのだった。 試合をしていない私達まで息をするのが申し訳ない位、ものすごく緊迫した空気、カセ ットから流れる読手の声に反応した選手の払う札の音は、想像以上のもので思わず試合に 見入っている私がそこにはいたのだった。今思えば私が見ていた試合はかるた会の中でも 初心者のほうの試合で、もう私が彼等と同じ席に着くことがないのだから、このような機 会に昔を振り返ると、自分でも驚くほどに人は成長するものなのである。 結局、一緒に来てくれた友達は入会を断念したのだが私はそのかるた会に入ることを決 めた。次の週から私は毎回金曜日に杉並かるた会の練習に参加させて頂くようになったの だ。そして私の人生の歯車は、徐々に逆回転を始めたのだった。 2 同期達と才能 こうして私は杉並かるた会に入会したのだが、初めての練習会の日に新しく紹介された のは、私1人ではなかった。 ミクちゃんと呼ばれた彼女は一歳年上の中3で、かの有名な進学校に通っているらしい。 ―かるたは「頭脳スポーツ」とも呼ばれているしね。 ―ハルはおつむがパーだけどかるたするもんね。 脳内会話システムが危機感をあおるが無視して行こう。 もう1人、チハヤちゃんという子も一緒に紹介された。例の「ちはやふる」の主人公「千 早」と同じ名前なので周りから注目されるのもいたしかたないだろう。かるたに興味を持 った理由も「ちはやふる」だというのだから面白い。 その日の1回戦目にミクちゃんと試合をしたのだが、まだルールのわからない者同士、 それなりに楽しく試合ができた。うん、仲良くなれそうだ。初めての試合の結果は7枚差 負けだった。 帰りにこの会の会長であるヨコヤ先生にあるプリントを渡された。 「ここに書いてあるのが『決まり字』よ。しっかり覚えて強くなってね。」 決まり字とは、31字からなる百人一首の歌の中で最初の何字かを聞くだけで、どの歌 が読まれているのかを知るためのいわゆる一つ一つの歌につけられた「記号」である。な るほど、他の強い人々がものすごい速さで札を取れるのは、これがあったからなのか。素 晴らしいマジックに魅せられてマジシャンの弟子となった凡人がマジックの種明かしを聞 くときに感じるあの感動を私は体験した。―マジシャンの弟子になった事は無いけれど。 私はその「決まり字リスト」を朝から晩まで読み続けた。このやる気の半分だけでも勉 強に使えば、一気に成績も良くなるだろうに。世間はそんなに甘くない。次のテストは追 試決定だな。 そんな努力の甲斐あってか、私のかるた面での成績は急上昇した。かるた歴の長い相手 や、入会時には及びもつかない相手だった人との試合に幾度となく好成績を収めることに 成功したのだ。初めての対戦で負けてしまったミクちゃんに12枚差での勝利を収めた時 だったか、先生に言われたのだった。 「ハルちゃんは、『感じ』がいいのね。」 「感じ」とは、なにも性格のことでは無い。かるたにおける才能の一つで、「決まり字」 を聞きわける能力の事である。いわゆる聴力。 「耳が良い」と言われた訳だ。昔から近所の おばさんなどに、 「ハルちゃんはお耳が良いのねぇ。」 なんて言われて育ってきたのだが、まさかこんな所でその才能が使われることになるとは。 「感じが良い」、これは後のかるた人生の中で私の大きな武器となるだろう。 3 のび盛り期 入会して2カ月ほどたった頃、かるた会内の連絡手段である「メーリングリスト」、通称 「メーリス」に会長からメールが届いた。 ―学生選手権大会結果 ユズリ君が優勝、モエノちゃんが準優勝でした! おめでとう。― ―そういえば、かるたにも大会があったなぁ。 その頃の私はまだ決まり字を覚えたばかりの「初心者」だったので、大会なんて出られる 訳もなく、ただ日々黙々と練習に励んでいた訳だ。だから、大会に出られるような人は皆、 きっと、ものすごく強いのだろうと思っていた。 ―でも一度でいいから、「○○大会」みたいなのに出場してみたいなぁ。 そして次の土曜日、 「じゃあ、ハルちゃん、今日はユズリ君とね。」 「―っ!」 その時初めてユズリ君を見た訳だが、一見するとかわいいのだ。しかし、まだ小学生のく せに、その強さはその頃の私とは天と地ほどの差。あっさりと15枚差で負けてしまった。 その日の帰り、確かその日の帰り道で会長に言われたのだ。 「ハルちゃんは、大会とか出ないの?」 びっくりした。自分にも出られる大会がある。生まれてこの方一度も全国的な大会に出 たことがない私にとってそれはものすごく大きな一言だった。 家に帰るや否や、母にこのことを話し、頼みに頼んで出場が決定したのが、 「第三十回全 国かるた吉野会大会」である。 練習した。それはもう沢山。大会に出るから、というよりは強くなりたかったからなの だが。そんなある日、 「じゃあ、次はサガヤマ君とハンデ有りで。」 サガヤマさんとは、―かるた用語ではない。A級というものすごく強い階級の方でその 頃E級の私にはもう雲の上の人だったのだ。 私が1枚サガヤマさんの陣を取れば、一気に2枚札を送れるというハンデを付けてもら っての試合。サガヤマさん残り1枚、私も1枚で次の自陣の札が読まれたほうが勝つ、 「運 命戦」にまでもつれ込んだ。大接戦だった。 自陣が「せ(瀬をはやみ の歌の決まり字)」、相手陣が「あらし(嵐吹く の歌の決ま り字)」だった。 「こういう時は、自陣死守ね。」 サガヤマさんの言葉通り死ぬ気で守ったのだが― 『せ―』 ―バシッ― 『―をはやみ―』 「―っ!」 あいた口が塞がらなかった。なんと私が札を取ろうとした時、もうそこに「せ」の札は なかったのだ。私が「せ」の音を聞いた時にはもう、サガヤマさんが札を払ったのだった。 「ありがとうございました。」 「ありがとうございました。」 ―こうして私の初めてのA級選手との試合はハンデ付きの1枚差負けに終わったのだった。 が、 「ねえ、ハルちゃんは『定位置』って決めた?」 「へ?」 「今の札の置き方、ものすごく覚えやすかったよ。」 「・・・。」 「定位置」とは、しばらくかるたをやっている人なら誰もが持っている自陣の札の配置。 かるたでより速く札をとるためには、それぞれの札がどこにあるのかを暗記する必要があ り、そのために試合を始める前に15分の暗記時間がある。その時間内で選手たちは場に ある全ての札を暗記するのだが、それを少しでも効率良く行うために、 「定位置」は存在す るのだ。100枚の札の位置さえ決めておけば、新しく暗記するのは敵陣のみで本当に楽 だ。かるたを始めてまだ3カ月の私にはこれが無かったのである。 次の日、夕方の6時から始まる練習会場に4時に行き、そこでサガヤマさんと一緒に考 えた。 「『たか』、 『たき』、 『たち』、 『たれ』、 『たご』、 『たま』は、2枚ずつ、3か所に分けよう。」 「じゃあ、『たか』と『たご』を左上段、『たち』と『たれ』を―。」 1時間半かけて出来上がった定位置は、この世界にたった一つの「杉下遥の定位置」な のだ。そう思うと、紙に書かれたその文字の列が自分だけの秘密のように思えて、自然と 心が温かくなるのだった。 作りたてほやほやの定位置での試合は今までと少し違った自陣の配置に惑わされてしま ったが、自分も今、目の前にいる格上の相手と同じように、 「定位置」を持っているのだと 思うといつもの練習がさらに楽しくなるのだった。 4 はじめての、大会 そんなこんなで練習を続け、遂にC級相手に2枚差勝ちというところまでいった。 そして吉野会大会当日。 その日の朝、行きはみんなで待ち合わせをして行った。朝8時30分に新宿駅。しょっ ぱなからホームを間違えるというミスを犯し、沢山の人に迷惑を掛けてしまったのをよく 覚えている。大会だ、という気負いはなく、遠足気分で到着したので、初戦からスムーズ に試合を進められそうな気がした。 1回戦目は25枚差パーフェクト。相手に1枚も取らせなかった。 良い調子で迎えた2回戦目は、よくモメる人が相手であまりいい試合では無かったが、 14枚差勝ち。 そして迎えた準々決勝も11枚差勝ち。 準決勝8枚差、決勝戦11枚差勝ち。 ほとんど全ての試合に大差勝ちして、私は生まれて初めての大会で優勝したのだった。 初めてもらったトロフィーは、重く、輝いていた。準々決勝で惜しくも敗退してしまっ たミクちゃんも、みんなの応援に来ていたサガヤマさんも、みんなが笑顔だったのが、嬉 しかった。 家に帰ってから盾をみると、そこには「D級優勝」の文字。 ―私は今日、E級で優勝してD級になったんだけどなぁ。 ―間違えたね。 ―まあいっか。 脳内会話システムはいつになく楽観的だった。 5 「団体戦」といふもの 吉野会大会で優勝してからしばらくたったある日、だしぬけにヨコヤ先生が言った。 「ハルちゃんとミクちゃんは団体戦、出ないの?」 団体戦とは、5人1チームで横に並んで試合をし、先に3勝したチームの勝ちというル ールだ。試合中にチームメイト同士で声掛けができる為、実際格上の相手にも、気持ちが 強くなって勝てたりするので、個人戦とは違った面白さが味わえる。 ―団体戦かぁ。 私は今まで個人戦しかやった事が無く、団体戦がどの様なものかを知らなかった。 ―まぁ、とにかくチームで3勝すればいいんだよね。 またまた親に頼んで出場を決定した。普通一つの大会にかかる参加費は1500円程度な のだが、今回は500円でいいと言うのだからお得極まりない。 まず、60余名の東京都にいる中学生選手の中から代表21名を選ぶ、 「選考会」が行わ れた。東京都にはC級以上の中学生選手が丁度21人いるので「とりあえず、C級なら大 丈夫」という雰囲気が会場に立ち込めていた。 ―それならそれで、格上の相手を1人でも多く倒せばいいんだ。 ―んですっ。 Cだから選ばれる?そんな事は無い。D級でも滑り込みでも代表になりたいと思った。 1回戦目は、C級以上の選手はお休みだった。ここでD級以下の選手を選別しようとい う訳だろう。D級は、C級以下の中では一番強いので、対戦相手は格下の選手だった。ど うしても代表になりたかった私は、早々と26枚差で勝利し、学校の宿題をしていた。 2回戦目の相手は、私と同様、吉野会大会で優勝してD級になった人で、とても守りの 堅い人だった。18枚差勝ち。 3回戦目は初めてのC級、格上選手だった。試合は出札の運にゆだねられたシーソーゲ ーム。ぎりぎり3枚差勝ち。 最後はまたE級、格下だったが彼女はC級選手相手に勝利を収めており、抜き合いの展 開になった。運よく相手のぬけ札が読まれ、結果は16枚差勝ちだったが、油断のならな い試合だった。 選考会は大会とは違い、負けても次の試合ができたりする。何を基準に選手を選んでい るのか分からないが、とにかく代表選手が発表される。 「では、発表します。呼ばれた人は、前に来てください。」 「カメイ君―」 1人目、 「マツムラさん―」 2人目、 「ヨシオカ君―」 3人目、 周りを見る。みんなが無表情だ。緊張が伝わる。 「ホンダさん―」 斜め前に座っていた背の低い女の子の顔がほころび、軽い足取りで前へ行く。選ばれたん だ。4人目だ。 「―さん、―さん、―さん、―さん、―」 どんどん呼ばれていく。名前を呼ばれた人から順に、それまで無表情だった顔が笑顔にな り、前へといなくなる。 「フジノ君―」 18人目、 「ウタダ君―」 19人目、あと2人― 「シモヅ君―」 あと1人― 「杉下さん―。以上21名です。」 「やったね、ハルちゃんっ。」 「・・・。」 「ほら早く前へ行くっ。」 「あぁ、はいっ。」 滑り込みセーフ 一瞬言い間違いだと思った。それ位びっくりした。選ばれたんだ。21番目だ。 「では、もう一度、代表の皆さんに拍手しましょう。これでお開きとします。あ、代表の 方々はチームTシャツのサイズを聞きたいので、少し残ってください。」 6 杉並大会 選考会の次の週の日曜日は、杉並大会だった。私は、東京都代表の中で唯一のD級だっ たので、この大会で優勝してC級になりたいと思っていた。もちろん、優勝などそう簡単 にできる訳もなく、中にはここ何年間も勝ち切れずにD級で、今度こそは、と死ぬ気でや ってくる人もいるので、優勝を楽観視していると痛い目にあうことになる。 みんなで明大前駅、8時20分に待ち合わせた。ここでは、沢山今まで知らなかった、 杉並かるたの会員にあった。前から知っていた人も含めて名前と級、学年だけ説明しよう。 マリさん F級 社会人 エンドウさん F級 社会人 ヨネヤマさん E級 社会人 セロリ D級 社会人 スエナガ映画監督 D級 社会人 アベさん C級 社会人 トラさん B級 社会人 ユズリ D級 小4 フミカちゃん モエノちゃん D級 D級 小6 小6 サナちゃん E級 小6 キサトとキヒロ D級 中1 マリコちゃん D級 中1 ゲンちゃん C級 中2 モッティ C級 中2 タンタン E級 中2 ナナミちゃん C級 中3 ミクちゃん E級 中3 トモミちゃん D級 高1 シホちゃん B級 高1 モモコちゃん D級 高2 マオちゃん A級 高3 タマオちゃん A級 高2 ミナミさん A級 大学生 サガヤマさん A級 大学生 ヨコヤ先生 A級 社会人 もっといっぱいいるけれど省略。 会場に到着したらまず、大会に使う機材運びを手伝った。まだ6月だというのにその日 はカラカラに晴れ渡っていて、暑いのなんのって。 「あぁづぅぅい。」 「こりゃ大変だわ。体育館だからエアコンないし。」 「マジで?ガチで?死人が出るぞ、おい。」 大会本部に着いた途端、全員で扇風機に詰め寄る。 「受付済ませた?」 「先に着替えだろ。」 「男子出てけ―。」 「女子更衣室行けばいいのに…。」 杉 並 か るた 会 私達の会は人数的にも性格的にも女性のほうが強いので、着替え場所や食事などの面で結 構楽ができる。 「袴、これでいいかな?」 「こんな日に袴とか可哀そ~。」 今日は初心者大会でもあるのでルール説明を兼ねてシホちゃんとタマオちゃんが模範試 合をすることになっているのだ。ジャージとTシャツに着替え終えて、ミクちゃんとモモ コちゃんと一緒に受付をしに行く。その階段の途中で… 「受付は、この階段を下りた、1階の体育館で行っていまーす。9時20分締め切りで、 遅れると失格になってしまうので、急いでくださーい。」 「声でかっ。」 …トラさんだ。 「おはよー。ハルちゃんたち受付済ませた?」 「まだです。」 「じゃあ、早くやってきなさい。」 「あーい。」 1階の体育館にはアベさんとミナミさんがいる。本当に「杉並」大会なんだなぁと思う。 「ていうか、まだ9時5分じゃん。」 「全然余裕だね。」 ミクちゃんと駄弁っているうちに受付の列が縮んでいく。 「はい、次っ。」 「あ、杉並かるた会の―」 「ミクちゃんね、知ってる。がんばってね。はい、次っ。」 「同じく杉並かるた会の―」 「ハルちゃんね、ええと…あれっ、名前が無いんだけど。」 「えっ、ウソっ。」 「いやほんとに、ミクちゃんの次はタンタンしかいないわよ?」 「・・・。」 いやいや、しっかり申し込みしたし、メーリスにも載っていたし、どうしよう、どうしよ う。頭の中が真っ白になった。その時、 「なんでハルがE級の列並んでんの?」 「えっ、あっ。」 「馬鹿だろ、お前。」 ユズリだ。こんなところで助けてもらえるとは思わなかった。小4のおつむのほうが中2 のそれよりも良質とは・・・。 「それでは、もうすぐ模範試合が始まるので皆さん集まって下さーい。」 無事に受付を済ませた後、みんなで模範試合を見に行く。 「そういえば、今日の大会は級の中でリーグが分かれてるんだよね。」 「うん。昨日メーリスに届いてたよ。」 「…知らなかった。」 「やっぱ馬鹿だ、お前。」 「五月蝿いなあ。」 「負けたら運営手伝えだって。」 「負けたくねー。」 「でも運営も楽しいよ。」 「優勝のほうが、嬉しいよ。」 この大会は杉並かるた会主催なので、負けた人から準備や片づけをしっかり手伝わなく てはならない。 「あ、試合終わった。」 「えー何にも見てない。」 「ほんと馬鹿だな。」 模範試合の後は開会式だ。隣の柔道場で行われるのだが、今回は、1回戦に出ないD級 の選手とそのほかの級の不戦勝だった選手だけが参加する。 「杉並主催だから、しっかり正座していいとこ見せようっ。」 モエノちゃんの提案で、開会式に出る杉並かるた会の選手はみな、主賓の席に1番近い所 を陣取って1列にきっちりとした正座で並んだ。 「本日は、えー、遠い所よりわざわざ、えー、お越しいただきまして、えー、誠にありが とうございます。えー、今日は、えー、素晴らしい、えー、かるた日和となりまして、え ー。」 長ったらしいどこかの政治家さんの挨拶が終わった時、私の脚は完全に感覚をなくしてい た。 「これをもちまして開会式を終わりとさせて頂きます。」 「さあ、帰ろう。」 「まって、立てないよぉ。」 「えー。本当に最後まで正座してたの?」 「みんな、して無かったの?」 「当たり前じゃん。」 「えぇぇぇぇー。」 「ははは。」 モエノちゃんやフミカちゃんに散々笑われた後、本部で一休みをした。さあ、もうすぐ1 回戦。 「そろそろ行こうか。」 「うん。」 下に行くと、もう前の試合が終わりかけていた。 「では、本日2回戦目の組み合わせを発表します―。」 私の1回戦の相手の方は白妙会のハルカさん。 「D級になられて長いんですか?」 「ええと、丁度1年ぐらいになります。」 「へぇっ。」 ―やっぱり、キャリアが違うなあ。 私はそんなハルカちゃんに19枚差で勝利した。 「ありがとうございました。」 「ありがとうございました。」 「私なんかじゃぁ、相手になりませんでしたね。」 そう言ったハルカちゃんの顔は、何とも言えない哀愁を帯びていて、あらためて私は1人 の勝利の陰に何人もの苦しみや悲しみを見た気がした。 「おかえり、ハルちゃんどうだった?」 「勝った。モエノちゃんは?」 「勝ったよ。他の人どうだった?」 「ユズリは勝ってる。」 「多分トモミちゃんも勝つよ。」 「いい感じだね、杉並。」 しばらく2人で駄弁っていると、ミクちゃん、タンタン、ユズリから次々と勝ったという 報告が来た。よしよし。 「それでは本日3回戦目の組み合わせを発表します。」 始まった、2試合目、疲れてはいない。大丈夫。 ―対戦相手の方は…。慶応かるた会っ。慶応にかるた会なんてあるんだ。 「ハルの相手、誰?」 「カミジョウさんって人。ユズリは?」 「十文字のカトウって人。負けたら一緒に手伝いしよう。」 「不吉なことを・・・。」 実際何度も負けそうになった。結果は8枚差勝ちでも気の抜けない試合だった。 ―ユズリは…あぁっ、負けちゃってる。 少し観戦してから隣の柔道場に行った。そこではミクちゃんがごろごろしていていかにも 余裕な様子だったので、ついそのまま蹴飛ばしたい衝動に駆られた。 「もう試合、終盤だね。」 「じゃあ、行くか。」 「今来たばっかりなんだけど・・・。」 ―そう言えば、ミクちゃんは選考会でもC級相手に惜しかったし、今日で上がる予定なん だったなあ。 結果、ユズリとモエノちゃんは惜敗。残る杉並かるた会の選手は、モモコちゃん、フミ カちゃん、セロリ、タンタン、ミクちゃんと私だ。 3回戦目の相手は、早稲田のサカイさんだった。 ―どうしてまた、有名私立大学・・・。 結果は19枚差勝ち。体力温存できてラッキー。 準決勝を勝ち残り、決勝戦に駒を進めたのは私とモモコちゃん、ミクちゃんの3人だっ た。 私とモモコちゃんはまさかここまで行くとは思っていなかったので2人でガチガチ震えて いた。 ―こんなこと吉野会大会では無かったのに。 私は前の大会で、あっさりと勝ちすぎてしまったのでこんなに緊張したことが無かったの だ。その点、ミクちゃんはいいな、落ち着いていて、モモコちゃんももう、震えてはいな い。 ―全員で優勝したいな。 「それでは、本日の決勝戦を行います。」 さあ、始まるっ! 『なにはづに―さくや―このはな―ふゆごも―り―いまを―はるべと―さくやこの―はな ―』 『いまを―はるべと―さくやこの―はな―』 『―たちわかれ―』 ―ああっ、つい触ってしまった「たき」の札。 「たき」と「たち」って似ているんだよなぁ。 「―送ります。」 「・・・。」 ―決勝戦で1枚目からのお手つき。相手24枚対自分26枚。辛い戦いになりそうだ。 相手の方はこれまた早稲田のカヤマさん。準決勝を私の横で戦っていたのだが、よくモ メる人相手にしっかりと勝利を収めたのだからそうとう強いのだろう。 試合はそのまま攻め合い、抜き合いのシーソーゲームへともつれ込んだ。 そして迎えた終盤、 『ひ』 ―ドフッ― 『とはいさ―』 「早いっ。」 「でも自陣引っかけたからお手つき・・・か。」 結果的に自分の取りだけど侮れない。しっかりH音を聞きわけているんだ、この人「感 じ」がすごくいい。集中しよう。 『う』 ―カンッ― 『らみわび―』 「よしっ。」 「今度はあっちが意地を見せたな。」 「まだ『うか』が残っているのに・・・。」 「どっちも『感じ』いいから見物だねぇ。」 ―やったっ。抜いたっ、敵陣右下段!相手が狙っている「なつ」を送ってどんどん攻めて いこう。 「ハルちゃんいい感じですね。このままいけば・・・」 「そうね。・・・ってあれ?ミクちゃん、決勝戦じゃあ・・・」 「あ、―。」 「―!」 ―でも知っている。やったぁ、と思った瞬間逃げていくのは―。 『なげけとて―』 「あうー、しまったぁー。」 ―集中力。これに限る。触ったのは「なが」の札。「なが(NAGA)」も「なげ(NAG E)」も両方NAG音があるから、「感じ」が良い選手は特に引っかかりやすい。やっぱり と言えばやっぱりお手つきした。 「送ります。」 「・・・!」 ―さっき送った「なつ」の札。送り返された。 相手は確実に狙ってくる。これで相手陣3枚、自陣3枚―追いつかれたっ。 ―集中して、負ける訳にはいかないんだ。せっかく手に入れかけたC級への切符は絶対に 手放さない。 『うしと―みしよぞ―いまはこい―しき―』 『―は』 ―パシッ― 『なさそう―』 「抜いたっ」 「自陣に『ほ』があるのに・・・攻めたね。」 ―さあ、何を送ろう?相手が狙っている自陣にあるのは「なつ」、一字決まりになった「い (まは)」、 「ほ」。 ・・でも「なつ」は動かしすぎだ。ここは「い」の札を送ろう。あと2枚。 まだ2枚あるんだ。 『いまはただ―』 「・・・!」 「送り1発!すごいいいタイミング!」 「ラッキーだったな。相手がもとあった場所に行ってくれた。」 あと1枚、あと1枚だ。もう迷わない。最後はこの札で―。 『なつのよは―』 「やったっ。」 「よしっ。」 「ハルちゃんっ。」 4枚差―か。 ―勝った。・・・勝ったんだ。C級だ。すごい。段持ちだぁー。 視力が良くなったみたいだ。周りがはっきりと見える。みんなが笑っている。自分も笑 っている。なんと、相手までも涙目の笑顔だ。良い勝利だった。しっかりと勝ち切った。 優勝だ。優勝なんだっ。 『これで、D級の部決勝戦を終わります。』 どくしゅ 対戦相手と札に礼をして。読手の方に拍手する。これで本当に終わりだ。 みんなのところに行く。マリさんが笑っている。セロリがねぎらいの言葉をかけてくれ る。ミクちゃんとモモコちゃんが抱きついてくる。トラさんが頭を撫でてくれる。 受付ではアベさんが笑顔だ。ミナミさんも、ヨコヤ先生も―。 「すぐ表彰式だからここにいてね、だって。」 ―ミクちゃんも笑っているなぁ。あ、そういえば・・・。 「ミクちゃんはどうだった?」 「もっちろーんっ―。」 ニカッとした笑顔とピースサイン。まあ、勝ったのだろうな、大差で。 表彰式でもらった賞状は吉野会の時よりも重く感じられた。これで東京代表は、全員C 級以上だ。 7 目指せ、ダンタイマスター 杉並大会が終わってしばらくした土曜日のこと、 「じゃあ、今日は団体戦やる?」 そんなわけで私は初めての団体戦を経験した。 試合は、サガヤマさん、ゲンちゃん、モエノちゃん、フミカちゃんと私のチーム対ミナ ミさん、ナナミちゃん、シホちゃん、ユズリ、セロリのチームだ。 私はセロリとの試合だったのだが、彼女の声掛けに圧倒され、パニックに陥り、負けて しまったのだ。 ―怖っ、団体戦って。 私はすっかり団体戦が怖くなってしまった。 次の日、団体戦代表練習会が茗荷谷の「かるた記念大塚会館」で行われた。一緒に代表 入りした、ナナミちゃん、ゲンちゃんと共にかるた会館に行った。 1週間前にチーム編成は決まっていて、私は東京都Aチーム7将、ナナミちゃんはBチ ーム4将、ゲンちゃんはCチーム6将だった。チームは強い順にA、B、Cとなっている ので、Aチームは私以外のほぼ全員がB級という有様だ。 ―また、1人だけ格下だな。 ―まぁ、上のチームに入れてもらえただけ儲けもんでしょ。 ―とにかく足を引っ張らない様に頑張ろう。 東京都Aチームのメンバーはこうだ。 監督 タカスさん 主将 ミサトちゃん B級 中3 副将 3将 カメイ君 B級 中3 ユキナちゃん B級 中3 4将 ヨシオカ君 B級 中1 5将 トモミちゃん C級 中3 6将 ユウカちゃん B級 中2 7将 ハル C級 中2 ―まあ、一試合に出るのは5人だし、補欠だと思えば楽だな。 「練習1回目のメンバーは、マツムラさん、カメイ君、ヨシオカ君、―さん、と杉下さん ね。」 「―っ。」 ―1回戦目からですか。 最初の練習試合は東京都Aチーム対東京都Cチーム。私の対戦相手は、調布かるたクラ ブのマイちゃんだ。 「よろしくお願いします。」 「よろしくお願いします。」 ―試合が、始まる。 『いまを―はるべと―さくやこの―はな―』 『―あけぬれば―』 「こっち抜いたよー。」 「マイちゃんナイスっ。こっちもキープ。」 「いいね、ナナコちゃん。次も攻めるよ。」 「ハルちゃん自陣気にしなくていいよ。」 「・・・あ、はいっ。」 ―良くないな。完全に委縮している。 『あまのはら―』 「また、抜いたよっ。2連取!」 「おお、いいねマイちゃん。流れ来てるよ。」 「うんっ。」 「ハルちゃん大丈夫だよ、こっち抜いたから。」 「はいぃっ。あ、ナイスっ、ミサトちゃん。」 「ありがとっ。」 申し訳ないな、これでは完全に足手まといだ。 『たごのうらに―』 ―よし、取った。 「…こっち…ええと、抜きま―」 「こっち抜いたよ!お、ウタダ君、キープ?ナイスつ。」 「はい。ナナコさんもナイス。」 「どんどん攻めてこ。」 ―うわぁぁぁぁ。声かき消された。早くも頭がぐるぐるしてきた。 『ひともおし―』 ―今度は守った! 「こっち4連取!」 「あ、カメイ君ナイス、こっちもキープ!」 「おぉ、杉下さんナイス!どんどん取っていこう。」 「はいっ。」 ―やったあ。生まれて初めて声掛けできた! 「ハルちゃんキープ?ナイス!こっちも抜いたよ。」 「あ、ミサトちゃんナイス!」 「ありがとう。」 いい感じだ。背中が軽くなってくるのが分かる。思えばマイちゃんもC級。勝てない相手 じゃない。 『ほととぎす―』 ―抜いたっ。すごい速かった。 「こっち抜きました。2連取!」 「杉下さんナイス!こっちは5連取。チャンスも来たよ!」 「カメイ君、ナイスチャンス!」 Aチームの雰囲気が良くなる。ながれが、来る。 「ただいまの試合は、Aチーム5勝、Cチーム0勝でAチームの勝ちです。」 「ありがとうございました。」 ―団体戦って楽しいな。 怖いとか言った舌の根も乾かないうちに、こんなことを思った。 その後、練習を続け、いよいよ当日。 結果は、三位入賞だった。本当に、良い経験ができて、心から来年も頑張りたいと思った。 ―また団体戦がしたいなあ。 8 杉並・ひさかた合同合宿 『は』 ―カンッ― 『るのよの―』 「えっ。」 「うそっ。」 「・・・ありがとうございました。」 「あ、ありがとうございました・・・。」 『これで、第3回戦を終わります。』 ―わかったのかな。 ―「感じ」良すぎだろ。 ―あて取りだろ、今のは。 ―危ない賭けに出たな。 そんな声が耳に届いた。 ―やっぱり、「はるす」は残っていたんだ。 相手が残り2枚、自分が1枚の状態で「はるの」が出る確率は2分の1。もしあの時「は るす」が読まれていたら―恐ろしい結果が待ち受けていたのだろう。 ここは武蔵嵐山のとある合宿場。今回が最後という杉並かるた会とひさかたかるた会の 合同合宿に参加させてもらったのだ。杉並からの参加メンバーは、ヨコヤ先生、サガヤマ さん、ミナミさん、トラさん、タマオちゃん、シホちゃん、フミカちゃん、モモコちゃん、 トモミちゃん、マリコちゃん、ミクちゃんと私の12人だ。 初日の夜、中日の朝と夜、最終日の朝にサガヤマさんの部屋でやった、合わせて4回の 裏返しかるたを含めて3日間で21試合取った。 終章 ―こんなに沢山の経験をたったの8カ月でやったのかと思うとくらくらしてきた。 クイーンとの試合は4枚差負けだった。前の試合がマオちゃんとでフミエさんが疲れて いたからだが、私はとてもいい試合ができたと思った。 「ハルちゃんはとってもいい『感じ』を持っているから、あとは払いのテクニックを付け て、クイーン、目指してね。」 私に生きがいを与えてくれた「かるた」。でもきっと私が大好きなのはかるただけじゃな い。かるたバカのみんな、100枚の札、そして何より1つの目標に向けてがむしゃらに 努力することだ。 競技かるたで出会った仲間との絆は一生涯続くだろう。 これからも永世クイーンお墨付きの「感じ」とかるたバカの精神で、上を目指していこ うと思う。 まだ続くけど、 お わ り
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