ピ ー プ ル ・ ぴ ー ぷ る 32 ピンクの脅威? リリ・ブランジェと姉ナディア — の活躍を「ピンクの脅威」と警告 し前にフランス音楽界の女性たち 言い放った。ヴュレルモはこの少 評家エミール・ヴュレルモはこう 門で女性初の大賞に輝いた時、批 歳のリリ・ブランジェが作曲部 わち脆弱化を危惧する愛国心とい とみなすのも、芸術の女性化すな 代でもあった。女性の受賞を脅威 らしさ」を求める声が強まった時 混沌を縫ってフランス文化に「男 北(1871年)以来、世紀末の である。だがそれは、普仏戦争敗 されて百年後、女性運動の絶頂期 たのは1903年。音楽賞が創設 ーマ大賞に女性の参加が許可され さて、リリを一躍有名にしたロ 後のインタビューで「眠れますか」 冷静に状況を見据えていた。受賞 と き、 自 ら の 短 命 を 予 知 し つ つ、 たリリは、ローマ大賞を目指した ナディアの苦労を身近に感じてい を 思 わ せ る 夢 見 る よ う な 眼 差 し。 に対照的だ。華奢な身体、美少年 と印象付けることとなった。 をかもし、ナディアを大胆な女性 ディアは言う。だがこの件は物議 た主題が器楽的だったから、とナ 入賞。指示に反したのは与えられ かわらず、その卓抜さゆえに2位 を弦楽四重奏曲に仕上げたにもか されようとしている。 史を越え、国を越えて豊かに共有 楽は創り手の性にかかわらず、歴 る時代は去った。 を創り出す女性が「脅威」とされ 多大な影響を音楽界に与え続けた。 作品を広め、教師・芸術家として らに ろう。 の壮大な迫力は想像もつかないだ ように。そのリリの姿から受賞作 西阪多恵子 したばかり。だが、リリのいった うわけだ。そこで求められている との質問に「ええ。ね、お母様?」 ヶ月で世 い何が脅威なのだろう。 歳 リリ・ブランジェは1893年 の は 強 い 女 性 で は な い。 む し ろ、 歳 上 に は 後 に 稀 代 の 名 教 師、 作 曲 男性の領域に進出するいわゆる新 ラを残し、わずか 家、指揮者となる姉ナディア。芸 と傍らの母親に同意を求め「小さ 「 私 の 警 告 し た と お り だ …」 術的環境と稀有な才に恵まれなが しい女が「ピンクの脅威」なので い頃、お人形にピアノを教えた夢 竜門ローマ大賞選考の結果、弱冠 パリの音楽一族に生まれた。 を去った。 ら、リリは生来病弱のため、学校 ある。実際、リリの姉ナディアは、 をみます」と答えるリリは、もし 1913年、権威ある芸術家の登 に通うことも楽器の練習もままな ある種の男性にとってそのような 応え、脅威と程遠い可憐な少女を かするとインタビュアーの期待に ナディアはローマ大賞に 演出していたのかもしれない。男 年余を精力的に生き、妹の 一方のナディアはリリの没後、さ らず、個人教授についてパリ音楽 存在であったらしい。 1906年から1909年まで毎 性社会に歩み入る当時の女性の多 幸いなるかな、すばらしい音楽 世紀の今、音 <<<<<<<<<<<<<<< Journal of the American Musicological (請求記号◦ P103 /51 ) Society /1 ◆ Annegret Fauser,“ La guerre en dentelles: Women and the Prix de ” Rome in French cultural politics 参考文献 ◆《フ ァウストとエレーヌ》他(請求記 号◦ XD51803 ) ◆ “ In memoriam Lili Boulanger ”リリ絶 》ナ 筆 作 品《 Pie Jesu , ディアの作品 他( 請 求 記 号◦ XD29652) *そ の 他 多 数 あ り。O PA Cで 検 索 して く だ さい。 CD <<<<<<<<<<<<<<< 21 リリはそのような姉と見るから 院のカリキュラムをこなした。そ レーヌ》によるローマ大賞受賞か 年参加している。1908年には くが摩擦を避けるべく心を砕いた してカンタータ《ファウストとエ ら 数 年 後、 数 々 の 合 唱 曲、 歌 曲、 声楽用と指示された課題のフーガ 60 7 ピアノ曲、室内楽曲、未完のオペ にしざか たえこ リリ・ブランジェについては 『女性作曲家列伝』 を ご覧下さい。 (請求記号⃝C63-497) 9 24 6 19
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