「慰安婦問題は古くて新しい問題だ!」

「慰安婦問題は
慰安婦問題は古くて新
くて新しい問題
しい問題だ
問題だ!」
郷土の会 岡村昭則
★韓国と日本は竹島の領有権争いに端を発し、昨年、李明博大統領が竹島に上陸したり、天
皇に謝罪を要求するなど一連の行動に日本も反発して両国の関係は冷え込んでしまった。維
新の会橋下代表の従軍慰安婦に関に関して「かつて戦時の日本軍には従軍慰安婦という兵士
の性処理装置が必要だった。日本だけの問題ではなく世界中の軍に共通する問題」と発言し
たことや、平沼代表代行は「従軍慰安婦は存在せず、戦地売春婦だった」と述べたり、稲田
朋美大臣(自民)「従軍慰安婦制度は戦時中合法だった」と発言するなどしたことから、特
に韓国社会の批判の的となった。新しい朴槿恵大統領は安部首相の右翼化と慰安婦問題につ
いての歴史認識を楯に、日本の対応を批判し世界中にPRしまくっている。これまでも韓国
は慰安婦像を韓国の日本大使館前に設置したり、世界へアッピールするために慰安婦像をア
メリカのグレンデール市に設置したりしてきた。また、朴槿恵(パク・クネ)大統領は外遊
の先々で反日をアピールしている。欧州訪問では「日本の政治家は歴史問題で不適切な言動
を繰り返している」「日本の政治家はドイツをモデルに歴史認識と態度を変えるべきだ」な
どと日本を批判している。
★戦争を知らない世代は、「慰安婦問題とは何かと?」と大方の人は思っているのではない
だろうか。実は私も半世紀前に都庁の建築局指導部に就職した折に、上司が軍隊上がりの方
で軍隊で何をしていたのか聞いた時に、建築屋だったので戦場での仮設建築を担当していた
という。その時に台湾から中国大陸への上陸作戦に失敗した時は、慰安所を急造し、兵隊が
周辺の若い女性を強制的連行して兵隊の相手をさせたことを語っていた。また、少年兵を経
験してきた先輩は軍から避妊具が支給されると、すぐに前らは使わないだろうからと上官に
取り上げられた話なども聞いたことがある。この時に私も初めて日本軍の従軍慰安婦を知っ
たのである。
これから先は、村山内閣の下で「慰安婦」問題を担当した東京大学大学院法学政治学研究
科教授 大沼保昭さんの言葉を借りると、次のように述べている。
●それから慰安婦問題がクローズアップされたのは、1991 年 8 月韓国の女性が自分は「慰安
婦」だったことを名乗り出て日本の責任を追及すべく東京地裁に訴えたことから、国会でも
審議され、大きな社会問題となった。1992 年 1 月朝日新聞が「慰安所」の設置、「慰安婦」
の募集、監督など日本軍が関与した史料的に示されたことを報じた。これが 1990 年代の日本
を揺るがす大きな問題となった。宮沢喜一内閣発足、慰安婦問題について調査を開始。1993
年フィリッピンの「慰安婦」が東京地裁に提訴。河野官房長官が従軍慰安婦問題第二次調査
結果を発表。
●1994 年 6 月、自民・社会・さきがけの連立による社会党の村山政権が誕生した。戦後 50
年という節目から、未決の「戦後処理問題」の解決を政治課題とした。
①朝鮮半島からサハリンに渡った炭鉱労働者の帰還問題 ②広島、長崎で被爆しながら帰国
したため、被爆者治療対象者にされなかった問題 ③日本企業で働かされた強制連行労働者
の問題 ④旧植民地出身の軍人・軍属の年金問題等に加えて、「慰安婦問題」についても取
組むことになった。
●慰安婦は 1930 年代初期から 1945 年にわたる、日本軍兵隊の性的処理を行うための「慰安
所」で日々セックスを強いられた女性を指す言葉である。具体的な人数ははっきりしないが
10 代の少女かを含む数万から 20 万という数の若い女性がそうした境遇にあったと云われて
いる。「慰安婦」制度の犠牲者は、日本、中国、韓国、北朝鮮、フィリッピン、インドネシ
ア、オランダ等と言われている。
●法的には、日本は 1951 年のサンフランシスコ平和条約、日中共同声明(対日戦争賠償問題
締結 1972 年)、日韓請求権協定(1965 年)等の 2 国間条約によって戦争と植民地支配にかか
わる賠償・補償・請求権の問題は解決してきた。しかし、問題を起こしたことの政治責任や
道義的責任は別である。慰安婦問題の多くの被害者個人は、戦後、過去を隠し、幾多の試練
に耐えながら暮らし、償いは放置されてきた。
●政治とは限られた資源の最適配分を行うことであり、村山内閣は優先順位として、道義的
責任のある「慰安婦問題」を一番に取り上げ、取組んだ。自民党右派は、法的に「賠償・補
償問題は解決済み」と、関係国との条約締結済みという官僚の抵抗で思うように取り組めな
かったが、慰安婦問題解決に向けて「アジア女性基金」の構想が打ち出され、具体化は四本
の柱を立てた。
①元「慰安婦」への国民的な償いのための基金の設置 ②彼女たちの医療福祉支援への政府
からの資金拠出 ③政府による反省とお詫びの表明 ④本問題を歴史の教訓とするための歴
史資料の整備
政府と市民の協働の基金(1995 年 7 月)がスタートした。「アジア女性基金」は日本政府が
自己の責任回避の手段として作った隠れ蓑という論調、法的に解決済みという意見や韓国や
左翼の主張で作られた不要組織との非難等があった。このことから「慰安婦問題」は、被害
者個々人の救済、個々の元「慰安婦」への償いというよりも、歴史認識、ナショナリズム、
フェミニズムをめぐる政治的・感情的な争いへと転化されてしまった。
●日本国内及び国際社会でも逆風が吹き荒れる中で「アジア女性基金」の償いを具体化につ
いては無数の課題を一つ一つ取組み、償いの方針の具体化を図り、日本、中国、韓国=北朝
鮮、フィリッピン、インドネシア=オランダ等に絞った。また、募金活動についても様々な
課題があったが一つ一つ乗り越えて償いの実施にいたった。日本人「慰安婦」がもっとも多
かったという説があるが、一人も元「慰安婦」名乗りでる人はいなかった。中国は元「慰安
婦」制度の犠牲者として把握。・認定していなかったことや日中共同声明(対日戦争賠償問
題締結 1972 年)から深くかかわることを避けた。フィリッピンとオランダは話し合いで「ア
ジア女性基金」の償いが円満に行われた。インドネシアは政府との交渉で色々と問題があっ
て、個人に払うのではなく高齢者福祉施設の整備事業として償いが成立した。
台湾政府は婦援会というNGOが「慰安婦」の認定・個人情報・生活支援金の支給代行を
行っていた。ここがすべての被害者に国家補償を求める方針を変えなかったので、36 名の認
定者の償い受け入れは個々人ばらばらになってしまった。
●韓国は、戦後一貫して反日ナショナリズムが社会の底流をなしてきた。1990 年代はじめに
「慰安婦」問題が知られるようになってからは、「慰安婦」問題は、日本の残虐、不実、傲
慢の象徴として、反日ナショナリズムの象徴と化していった。日本政府の態度に強い不信感
を抱き、激しい批判を加え続けていた。批判の中核は、アジア女性基金による償いは日本政
府が法的責任を回避する隠れ蓑であり、日本政府の謝罪、責任者の処罰、国家補償の実現に
より尊厳の回復を願う被害者の意思に反するというものだった。
韓国政府が認定した 207 名の元「慰安婦」のうち 11 名が償いを受け入れたが、この人たち
はその後韓国政府が支給した生活支援金から閉め出されてしまったという苦難がまっていた。
★この反日ナショナリズムが今日の嫌日べースとなって日本政府の歴史認識の批判を繰り返
すとともに「慰安婦」問題を世界へアッピールしているのだ。
明治以降、日本と関わりを持つようになった韓国の歴史を紐解けば、1904 年(明治 37 年)
の日韓議定書調印、日韓新協約調印」で日本が韓国の財政・外交権を掌握。翌年には韓国保
護条約(第二次日韓協約)調印で日本は外交権掌握=各地で反日暴動、1907 年(明治 40 年)
韓国皇帝高宗=退位の詔勅発布=各地に反日暴動勃発、第三次日韓協約調印で韓国内政を総
督の指揮下に置く。韓国皇帝=軍隊解散の詔勅発布=解散式で日韓軍衝突。韓国新皇帝即位式。
1909 年(明治 42 年)韓国人「安重根」は、「東洋の平和を撹乱し、韓国民 2000 万人憤慨して
います。私怨からではなく、韓国独立と東洋平和の維持」のためにと伊藤博文をハルピン駅
で暗殺。
1909 年(明治 42 年)韓国統監寺内正毅が韓国総理大臣と会見=日韓併合に関する覚書交付、
韓国併合に関する日韓条約調印。以降も様々な形で独立運動もあったが鎮圧されて、1945 年
8 月 15 日までの 41 年間にわたり韓国は日本の植民地として統治され屈辱の年月を過ごして
きたこと言える。
★簡単に紹介した 41 年間にわたり韓国を植民地支配した歴史を垣間見ただけでも韓国国民が
どれほどの屈辱を味わってきたのか窺い知ることができる。その中の一つに「慰安婦」問題
がある。1990 年代の日本は「慰安婦」問題が大きな社会問題となった。日本社会の「歴史認
識」が問われ、激しく論議された。法的には日韓請求権協定(1965 年)等の 2 国間条約によっ
て戦争と植民地支配にかかわる賠償・補償・請求権の問題は解決してきたということから、
政治責任や道義的責任について、これまできちんと歴史認識に向き合ってこなかった。その
ため「慰安婦」問題がクローズアップされたと言っても過言ではない。日本は法的に解決し
ているとの一言で、戦前の韓国国民の痛みや傷あとを理解することなく片づけることから対
日不信・猜疑心が反日ナショナルリズムへと高まったことは否めない。
●2007 年 3 月米国下院の「慰安婦」問題決議採択に対して、安部首相が「慰安婦」について
広義の強制はあったが狭義の強制はなかったという趣旨の発言から米国その他で安部首相、
ひいては日本全体の元「慰安婦」への冷淡さ、人権感覚の欠如とみなされ、批判・非難の嵐
が巻き起こった。1993 年の河野官房長官の談話を引き継いで元「慰安婦」への謝罪の意思を
示し、何とか訪米を乗り切った経緯がある。それにもかかわらず、6 年後、首相に返り咲くや、
河野官房長官の談話や侵略戦争の定義を見直すと発言したり、防衛力の強化や集団自衛権発
動のために憲法改正を前面に出しはじめた。これらかに警戒感を抱き韓国の朴槿恵(パク・
クネ)大統領の外遊の先々で反日をアピールしていることに繋がっていることは否めない。
●世界にもクローズアップした「慰安婦」問題には、様々な視点から、様々な捉え方がある。
日本政府は、政府と国民共同の「補償基金」を政策として打ち出すか、無為を決め込んで
「嵐が過ぎ去るのを待つ」かの 2 者択一を迫られていた。それぞれにプラス・マイナスはつ
きものたが、幾つかのマイナス面があるにせよ、政府と国民共同の「アジア女性基金」によ
る償いは国際社会における日本の評判の下落を防ぎ止めるのに貢献した政策だった。米国議
会で「慰安婦」問題に関する対日非難決議案が論議されたり、韓国や中国で日本を批判する
動きが出た時、日本政府が、日本は個々の元「慰安婦」に首相のお詫びの手紙を送り、金銭
的な償いも行ってきたと主張できるのは、「アジア女性基金」の 12 年間の働きがあればこそ
である。このことの意義を過小評価してはならない。予算は年間3億円という国家予算とし
ては慎ましかったが、基金が成し遂げた成果を考えるなら、基金による償いは費用効果の観
点からみても十分効果的なものであったといえるのではなかろうか。
●1995 年に「アジア女性基金」を設立して問題の解決にあったが、日本と韓国の両政府とも
問題解決をアジア女性基金と韓国挺身隊問題対策協議会をはじめとするNGOに委ねてしま
い、本来みずからの責任で解決すべき任務を放棄し、政府としての責任を果たさなかったと
いう批判がある。国連の人権小委員会や韓国の知識人の中にもアジア女性基金はよくやって
いるが、日本政府は基金の後ろに隠れて出てこない、という趣旨の批判が多かった。韓国で
の状況を打開するため、基金と韓国のNGOと交渉しても両国政府が動かないことには、問
題解決はできないことを痛感している。
★太平洋戦争の発端も白人支配、欧米人優位を打ち破ることから、中国や東南アジア諸国を
欧米帝国主義国の支配から解放し、日本を盟主に共存共栄の広域経済圏をつくりあげるとい
う発想から始まったにせよ、戦争で大日本帝国が犯した犯罪行為は、「慰安婦」問題だけで
はない。中国をはじめあらゆる作戦地域、占領地域で犯した民間人の殺戮、傷害、強姦。捕
虜への拷問と即決処刑。無責任な作戦立案・実施による無数の日本兵の斃死、その他の無数
の罪となるべき行為を、日本は 1931 年から 45 年の戦争で犯してしまったのである。しかし
ながら、特に植民地化されていたアジア諸国の人々に「独立」という希望を与えたことも確
かだ。だからこそ犠牲者や被害者の痛みを思い、なぜ戦争を起こし、各国国民に犠牲を強い
たのか突き詰めて反省し、歴史認識を改め中国・朝鮮や東南アジア諸国に対して未来志向で
お付き合いするしかないのである。
★さて「慰安婦」問題は様々な視点や捉え方が荒くるう中で、村山首相を先頭に大勢の方が
参加して、被害者への償いとして「アジア女性基金」を設立し、大勢の日本人が募金活動に
参加した。基金の償い実施の中で様々な問題を抱えながらも 12 年間の活動は評価される。
そこに垣間見るのは日本人の良心ではないだろうか。ふっと私の頭を過ったのは、ポルトガ
ル、スペイン、イギリス、フランス、イタリア、アメリカ、ロシアなど、ほとんどの先進国
が過去の植民地支配、侵略戦争で日本と同じことを行ってきたにも関わらず、償いを行って
いないことを考えると、日本は戦争に負けたからこそ、このような問題に直面したのである。
だからこそ日本人の良心として戦争被害者に対して思いやりの心をもって、平和な未来志向
の日本を目指す視点からして、「アジア女性基金」設立は大変意義のあることであったと言
っても過言ではない。当時、私たちも村山政権を支える側として、当時の職場の労働組合が
「アジア女性基金」へのカンパを呼び掛けていたので私も何がしをカンパした思い出が蘇っ
てくる。この「慰安婦」問題は、村山首相、五十嵐官房長官、河野用平、武村正義、大沼保
昭さん達が真剣に取組んだからこそ「アジア女性基金」という形で実現したと言っても過言
ではない。今回、ヒョンナことから改めて、「慰安婦問題とは何かと?」勉強させていただ
いたことに感謝したい。