第 33 回 沖縄戦跡基地めぐりに参加して 2016 年 3 月 29 日~31 日 【39歳女性】 初めての沖縄。小学3年生(9 歳)の息子と2人で親子コースに参加しました。 沖縄に到着し,参加者全員(約 260 人)が会場に集まったところで,お聞きした対馬丸事件 の体験者,平良啓子(たいらけいこ)さんのお話は想像以上でした。 沖縄から長崎への住民の疎開輸送中に,アメリカの潜水艦の攻撃で沈没し,乗船者約 1800 人(783 人の学童を含む)のうち,およそ 1500 人が犠牲になった対馬丸事件。生き残った 学童はわずか 59 人だったそうです。そのうちの一人である平良さんは, 当時まだ 9 歳で, 何人もの人が亡くなっていくのを目の当たりにしました。そしてなんとか救助され家に戻っ た後も,警察や憲兵から「撃沈の事実は決して語ってはいけない」という「箝口令(かんこ うれい)」がしかれていたことで、他の対馬丸の乗船者が帰ってこないし,手紙もないこと を心配した人から「○○ちゃんのこと知らない?」と,聞かれても何も答えることができな かったそうです。一緒に乗った友達や家族など失い悲しみの中,周りの人に何も言えず,一 人で背負い苦しんだ心を思うと,胸が締め付けられるようでした。また,偶然にも私の息子 と同い年。体験をお聞きしながら,「もし息子だったら・・・」と重なり,本当にやりきれ ない思いになりました。 アメリカ軍が沖縄に上陸し侵攻が進むと,ガマ(洞窟)に隠れていた日本兵が,幼い子供 が泣くとアメリカ軍に見つかるという理由で殺害したという悲劇がたくさん起こったこと を,メッセージ・シンガーの会沢芽美(あいざわめみ)さんが,一人芝居で教えてください ました。泣き叫ぶ子供を殺すよう日本兵に追い詰められていく,そして,ついに母親が幼い わが子を手に掛けてしまった。という内容で,沖縄の人たちはアメリカ兵だけでなく、守っ てくれるはずだった日本の兵隊からも逃げなければならなかったことを初めて知りました。 追いつめられた末に出る行動。人を追いつめてしまうとどのようなことになるのか,その怖 さを痛感しました。 ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館,南風原文化センターでは,中学生,師範学校生 まで戦争に駆り出されるようになり,どのように働きその後どうなったのかを知りました。 特に印象に残ったのが,ひめゆり学徒隊 239 人(13~19 歳の女子学生)が,戦場から次々 に運ばれてくる負傷兵の看護をしていた,沖縄陸軍病院の南風原壕(はえばるごう)です。 暗い壕(洞窟)の中で二段ベッドに負傷兵が寝かされているところが再現(南風原文化セン ター)されていました。次に,実際に使われていた20号壕も見学しましたが,再現のもの よりも,もっと狭く真っ暗で,さらにとてもジメジメした洞窟で,私の息子は,入口から中 をのぞいただけで怖がって中には入りませんでした。 当時は,この中で負傷兵のうめき声と血や糞尿のにおいがひどかったそうです。そのよう な環境で女子学生が,包帯の交換,食事,排泄物の世話,死体の埋葬等をしていたことを思 うと息がつまりそうでした。そして,さらに戦況が悪化し,ひめゆり学徒隊にも解散命令が 1/4 出ましたが,激しい砲撃で,逃げる場所もない絶望的な状況で,この後もっと多くの生徒や 教員が亡くなったことを知りました。 沖縄戦は本土決戦のための時間稼ぎが目的の戦争だったそうです。時間稼ぎのために,ひ めゆりの学生達も含め,沖縄にいる多く人が酷い状況に追い込まれ,たくさんの方が犠牲に なったと思うと,いたたまれない気持ちでいっぱいになりました。 沖縄戦跡・基地めぐりの特に親子コースでは,沖縄の音楽や踊り,首里城見学など沖縄の 文化に触れたり,海を見ながら芝生のきれいな公園での昼食,海岸でたくさんのサンゴのか けらや貝殻拾いなど,沖縄のきれいな所,豊かで楽しい面も体験させてもらいました。この ことは子供にとってとてもよかったと思います。「こんなにいいところでもう戦争はしてほ しくない。基地も出ていってほしい」と,帰宅後言っていました。 戦 争 の 現 実 を 知 ら な い ま ま 大 人 に な っ て ほ し く な い と の 思 い か ら ,子 供 と 一 緒に参加しました。インターネットなどで簡単に情報を得られる時代ですが, 実際に沖縄に行き,沖縄戦を体験された方のお話や,使用された場所を見て, また ,本 物の 沖 縄 の海 や 自然 ,音 楽 など の 文化 に 触れ たこ と で ,遠 く の 他人 事 ではなく自分のこととして受け止められたと思います。 親子での参加はとても貴重で有意義なものとなりました。 ありがとうございました。 【9歳男の子】 つしま丸に子どもが775人も乗っていたのに59人しか生きのこらなく てび っ くり し た。ぼく と 同じ 9 さい だし 、もし 自 分が つし ま 丸に 乗 って いた ら と考 え ると と ても こわ い と思 い まし た。理 由は 生 きの こっ た とし て も、まわ り の友だちはほとんどがしんんでいるからです。 お き な わ の お ど り は は く 力 が あ っ て 、が っ き は さ ん し ん と た い こ な ど い ろ い ろあったのでとてもたのしめました。 ひ め ゆ り の と う は 、高 校 生 な ど は た ち み ま ん の 女 の 子 た ち が ご は ん を は こ ん だり 、かん ご ふさ んと し て、ど れい のよ う にさ れ てい てか わ いそ う だと 思い ま した 。もし 自 分が どれ い の よ う にせ んそ う に行 か され てい た ら、い やだ と思 う のに 、この 子 たち はせ ん そう を 教え ても ら って い なか った か ら、み んな のや く にたつと思ってせんそうに行ったのがかわいそうだと思いました。 お き な わ の 海 は き れ い で 貝 が ら も い っ ぱ い あ っ て き れ い で し た 。だ け ど お き な わ に き ち が あ り 、し か も こ の き れ い な 海 を う め た て よ う と し て い る の を 知 っ てうめたてをしないでほしいと思いました。 ぼ く は お き な わ の こ と を い ろ い ろ 見 て お き な わ は 、緑 が あ ふ れ て い て 海 も き 2/4 れいだから、ここでせんそうをしないでほしいと思いました。 そしてこれからはおきなわだけじゃなくせかいぜんたいがせんそうをしな いでほしいと思いました。 【71歳女性】 今 回 、基 地 め ぐ り に 参 加 し た の は 実 際 に 自 分 の 目 で 沖 縄 の 現 状 を 見 た い と い う 思 い か ら で す 。新 聞 や テ レ ビ で 目 に し て い る 事 も 沖 縄 と の 温 度 差 が ど の く ら いあるものかという事もありました。 世界一危険と言われている普天間の位置関係も肌でしっかり実感する事が でき ま した 。東村 高江 の テン ト 村、辺野 古 のテ ン ト村 も訪 れ 何故 こ の素 晴ら し い自然豊かな場所に基地を作りたいと思っているのか米国の意図もはっきり 解りました。 2日間ご一緒頂いたガイドの山内さんのお話は本当に分かり易く多岐に渡 る説明をしていただき自分たちがあまりにも真実を知っていない事を思い知 らされました。 今 も 昔 も 変 わ ら ず ど れ ほ ど の 沖 縄 の 人 た ち に 苦 し み 、悲 し み を 押 し 付 け て き た か 。沖 縄 問 題 は 沖 縄 の 人 の 問 題 だ け で な く 私 達 一 人 一 人 の 問 題 で あ る と い う ことを胸に深く刻んできました。 今 回 学 ん だ こ と を 一 言 で も 二 言 で も 伝 え て い け た ら と 思 い ま す 。京 都 生 協 の 組合員さんの参加が少なくて残念でした。 今回は春休みという事もあり親子での参加がとても多かったように感じま す。親 子で 平 和の 学習 を する 、生協 らし い 取り 組 みで これ か らも 息 長く 続け て 欲しいと思いました。 日 生 協 の み な さ ん 、沖 縄 生 協 の み な さ ん 楽 し い 交 流 集 会 も 計 画 し て い た だ き 本当にありがとうございました。 厳しい現実の中でもほっとしたひとときでした。 【72歳男性】 今 回 の戦 跡・基 地巡 り は時 間 の制 約が あ る中 、各地 で聴 い た現 状 と行 動す べ き こ と 、差 し 迫 っ た 課 題 等 々 は 現 場 に 来 て み な け れ ば わ か ら な い も の ば っ か り であった。来て見るのと見ないのと後日の意識が違ってくると感じた。 バ ス 中 で の ガ イ ド さ ん の お 話 を 聞 い て 、沖 縄 の 戦 前 戦 後 の 歴 史 か ら 現 在 ま で の繋がりと嘉手納、普天間、辺野古、高江と繋がり米国の戦略が深く浸透して いっているかと感じた。 米 国 は 半 永 久 的 に 沖 縄 を 支 配 す る 勉 強 も し て き て い る と い う 事 を 聞 い た 。辺 野古吉は40年運用、200年耐用するものと米軍は要求しているという。 沖縄の基地と歴史とその背景を良く知らなければならない。 3/4 辺野古に於いても東村高江の座り込みテントに於いても昼夜別なく守って い る 地 元 住 民 の 方 が 極 め て 温 厚 な 感 じ で あ り な が ら 強 靭 な 意 志 を 感 じ た 。政 府 の 都 合 の い い 言 い 回 し と 本 土 マ ス コ ミ 評 に 騙 さ れ な い よ う に し ま し ょ う ね 、と いうお話に大変強い感銘を受けました。 時間が許せば高江の丘の上やテント泊まり込みの機会があればいい共同行 動 に も な る の で は な い か と 思 う 。人 数 を 増 や し て ア ピ ー ル す る の は 大 き い と 思 う。テント村での話しを聞いたりする機会が殆どなかったのが残念でした。 私たちもただ頑張って下さいだけではすまない。 沖 縄 で 何 が 起 き て い る の か 、常 に 関 心 を 持 っ て 考 え 政 治 を よ り い い 方 向 に 動 かす人を選んでゆかないといけないと思う。 お話や説明を聞くなかで沖縄の苦難や不幸な状態を経験し現在もその中で 苦 し ん で い る 人 た ち に 共 通 し て い た の は 、自 分 と 同 じ 様 な 苦 難 や 不 幸 を 押 し 付 け て は な ら な い と い う の が 人 の 考 え で あ る 。普 天 間 が 辺 野 古 に 行 っ て も よ く な い 、本 土 に行 っ て もよ く ない 、本 土 に行 っ ても 良 くな い 、世 界 一危 険 な もの は な く す べ き で あ る 。だ か ら 沖 縄 の 人 に 聞 く の で は な く 自 分 自 身 の 問 題 と し て 考 えて行動することであると結んでいる。そのことが大変印象に残った。 沖縄との関わりを深め平和の為に自分がライフワークとしてやっている染 織や藍染の世界を通じて出来ることを頑張りたい。 難しいかも知れないがテント村だけのコースもあればいいと思う。 4/4
© Copyright 2024 Paperzz