東日本大震災 『気仙沼日記』 - e-doctors

東日本大震災 『気仙沼日記』
医療法人社団 健永いずみ会 岩瀬クリニック HP
医療法人社団 健永いずみ会
岩瀬和泉
http://www.hospita.jp/890/
東日本大震災 『気仙沼日記』
医療法人社団 健永いずみ会
岩瀬和泉
『最近のイベント』 2015 年 1 月 25 日 5 時 46 分 『質の高い気仙沼出向』 2015 年 2 月 22 日 17 時 55 分 随分ご無沙汰していた気仙沼日記を開いてみた。昨年下半期は日記を書くこともままなら
ない濃密な毎日だった。今は 2 月 8 日に開催する当院開院 20 周年記念感謝の会@池袋東武
はやぶさ 104 号が一ノ関を後にした。今回は昨日今日のわずか 2 日の気仙沼出向であった。 バンケットホールと 4 月 18~19 日に当法人主催、1 部、私が講師の気仙沼市民健康講座、
しかし 18 回目を数えるものの、これほど濃密な気仙沼出向を経験したことがないかもしれ
2 部、3 組のミュージシャンによるチャリティライブ@気仙沼市民会館の準備で連日大わら
ない。2 月 8 日の岩瀬クリニック開院 20 周年記念パーティが終わってホッとしているまも
わである。もともと詰めて日々を過ごすことは嫌いではないのだが、睡眠時間まで犠牲に
なく 4 月 18 日の気仙沼元気講演&ライブの第一回全体打ち合わせ@気仙沼である。市民会
している感が否めない。2 月 8 日は 95 名の方々から参加のお返事を頂き、有難うございま
館元館長さんMT様を囲んで、会館のKさん、市役所のMJさん、音響、照明のO1 さん、
した。ただご案内を出したにも関わらず、期日過ぎても返事が届かず、毎日のように会っ
O2 さん、そして東京から足を運んだ私、家内、ライブプロデューサーMH氏の 8 名で昨夜
ていても何も言ってこない方々の数が多いこと、皆忙しいのだろと思うしかないが、多分
は 3 時間くらい情報交換、意見交換、食事、そして少しお酒も入り、未熟な私を周りから
私はあまり周りの人に好かれないタイプなのだろう。誰とでも仲良くしたいと思っていた
包んでくれるような温かい雰囲気の中で打ち合わせが終わった。結論としてポイントは集
私も今年 64 歳になる。苦手な気配り、同調や迎合の類を一切終了し、得意な真っ直ぐの性
客にあることがわかり、早速頭を使うこととした。3 つほど名案があるので手間の掛からな
格を存分に発揮、披露してみようかとも思う。4 月 18 日は楽しみだ。3 グループのミュー
いことから始めよう。約半年ぶりの気仙沼であったが、津波被災地の盛土は以前より速度
ジシャンが集まって下さり、家内と駒場東邦高校同級生のM氏が支えてくれるので、徐々
を増しているように思えるし、被災が軽微だった田中前はかなり活気も出てきて気分が弾
に現実味を帯びてワクワクしてきた。気仙沼のみんなとも早く会いたいし、みんなの楽し
んできた。また今回プロデューサーMH氏と沢山の有意義な話が出来たことが何よりも印
い話や愚痴を聞きたい。街はまだまだ復興とは程遠い状況だ。ゆえに、被災者の苦しみを
象に残っている。復興と新生、秘密と公然、友人と知人、知識と思考、理論と感覚、昔と
風化させないためにも、素敵だった震災前の気仙沼に少しでも早く戻れるように、努力を
今 etc. 尽きることなく話して、知らないうちに自然と会話が終わる。気遣い不要な仲間
惜しまず微力ながら活動を続けていきたいと思っている。 との触れ合いに、自分の奔放な発想や我儘な言動があたかも肯定されるかの如く誤解して
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しまう。これも一時の旅先の夢なのだろうと自問自答しながら、
『旅にでるのも悪くないな
いぁ』などと小さく呟く。明日からの現実を考えず、早く中野に戻って、お土産のメカブ
とビントロをぶら下げていきつけの居酒屋『野武士』へ少しでも早く駆け込みたい。今回
本日記は下記にて随時更新中です。
の気仙沼出向は 18 回のうちでもかなり質の高いところに位置づけられるものだった。