科学技術コミュニケーションの実践

学びの場としてのサイエンスショップ
山内保典(大阪大学)
1.問題と目的
本報告のキーワードは「メタ認知の育成」である。メタ認知とは「自己の認知活動を監視
し、行動目標にそって評価し制御する機能」を指す。ただし本報告では、監視、評価、制御
される対象が認知活動のみではないため、メタ的視点という語も用いる。「メタ認知の育成」
の STS における重要性として、以下の 3 点が考えられる。
【1.メタ認知能力は、効率的な自律的学習を促進する】
科学技術の進展に伴い、社会は時々刻々と変化し続けている。そのため、新しい知識の効
率良い学習が求められ、さらに生涯を通して自律的に学習し続けねばならない。
【2. メタ認知能力は、問題解決や意思決定を促進する】
科学の急速な発展は、専門家や市民を絶えず新しい局面に立たせ、かつてない問題解決や
意思決定に向かわせている。とりわけ STS 的な課題は、個人、集団、地方、国、宗教、文化
など、様々な層の要因が相互作用している。その解決にはメタ的視点に立ち、自分を社会全
体の一部として客観的に捉え、同時に、様々なアクターから見た物事の有様を理解した上で、
自分の認識とのギャップを埋めるための行動が求められる。
【3.メタ認知能力は、科学コミュニケーションをサポートする】
一般にコミュニケーションでは、メタ的視点に立ち、自身の持つ暗黙の前提や価値観の意
識化/言語化をすると同時に、
「話し手/聴き手である他者の認知過程やコミュニケーション
文脈」と「自身の振る舞い」の整合性をチェックし、見出されたズレを修正しなければなら
ない。科学コミュニケーションは、ズレが大きいことが多く、メタ的視点は不可欠である。
それでは、メタ的視点の育成に向けて、どのようなサポートが可能だろうか。
本報告では、教育を目標として掲げる大阪大学サイエンスショップのショートタームリサ
ーチ(以下、STR)の事例に基づき、メタ的視点の育成を目標とするプログラムと観察/評価
ポイントを提案し、学習環境の改善に向けた議論の基盤をつくることを目的とする。
2.メタ的視点育成に向けたプログラムの提案:ショートタームリサーチ概要
普通は目に見えない認知過程を明示できる環境の 1 つとして、教師と学生が対話しながら
問題解決を行なう「共同学習」があげられる。共同学習では教師も学生も、自分の意見やそ
の根拠をグループに説明し、批判を受け、それに対する再反論を行う。こうした対話を通じ
て、各人の認知過程が表出し、共有される。同時に教師は、グループの活動を記述し、今の
活動が問題解決全体のどこに位置づくのかを示す。こうしたサポートにより、対話の参加者
は、問題解決活動の中にある認知過程に気づき、認知過程がどのように記述され、コントロ
ールされるのかを理解する。これらの教師との対話やサポートは、次第に内面化され、もう
一人の客観的な自分との自己内対話が起き始める。こうしてメタ認知能力は獲得される。
STR は、こうした知見を援用し、実施されている。学生たちは STR の中で「自分たちの好
奇心に従って研究テーマを発見し、リサーチクエスチョンを設定し、研究計画を立て、デー
タ収集の分析を行い、成果を発表する」という一連の流れを、比較的短期間で経験する。
その活動では自律性を重視し、自身の研究やミーティングをメタ的視点から検討すること
を求めている。ただし初期段階では、スタッフが教師役として、アジェンダ設定、ファシリ
テーション、コメント等を行い、自己内対話が根付くように配慮している。
また調査は、5 人程度の専門を異にする学生が協働で行なう。実際に何気ない言葉づかい
や考え方に質問や批判が出ることもあり、自身の認知過程を意識するチャンスは多い。
3. 事例:STR におけるメタ的視点の移行
予備調査の結果を踏まえ質問紙を改善しようとする際の対話の例を示す。
A「3秒ルール」のほうがけっこう、みんな、分かんないみたいな感じだったんだけど。
B
分かんないっていうのは?
A
何か、ちっちゃい。
C
知らないっていうこと?
A
ううん、知ってるけど、いつだったかとかが覚えてないとか。
質問紙を改善する際に「どう分からないか」という情報が必要であるが、A は情報自体あ
るいは情報の価値を意識できておらず提供しなかった。B と C の質問や言い換えを受け、A は
「幼少期時の記憶の限界」という形で表現しなおした。こうした経験では、自分の用いる言
葉の不十分さを意識し、他者や状況を判断し、適切な表現を生み出す機会となる。
D
確かに出身地、どこって言われると、どこ何やろうねえみたいな。
E
いちばん長く住んでたところとか、そういう聞き方は?
F
うーん。どこにいちばん長く住んでたかを知りたいのではなくって。
D
ルールを知ったときの位置が知りたいわけなんやけれど。それがはっきりせえへんと、何
をどう書いたらええのか、よく分からへんっていうことになっちゃう、この聞き方やと。
F
そうやねえ。3秒ルールのアンケートに関しては、もうちょっと聞き方をいろいろ練らな
きゃいけないなあとか。
D の疑問に対する E の提案をきっかけとして、F と D が言葉をつなぎながら、研究の目標を
明確に設定した。さらに D が現在の質問項目を用いた際の予想を立て、それを受けた F が次
の行動を提案している。集団での問題解決を行うために、目標設定、結果の予想、行動のコ
ントロールが必要であることを体験から学ぶ機会である。特に「それ(目標)がはっきりせ
えへんと…になっちゃう」は、目標設定の重要性への気づきを含んだ発言である。
STR のミーティングは複合的活動であるため、分類カテゴリの設定が難しい。現段階では、
上記のような事例の読み込みをしながら、言及対象として「集団活動と個人活動」、「議論活
動と研究活動」
、発言機能として「モニタリング」、
「コントロール」、
「サジェスチョン」を想
定している。今後、これらの分類カテゴリを用いて、教育効果の測定のために量的分析や発
言の質(例:発言内容の詳細さ、バリエーション)の変化を検討する予定である。
文理融合におけるサイエンス・コミュニケーション
-プラネタリウム番組制作を通じて-
○松岡葉月(国立歴史民俗博物館), 阪本成一(総合研究大学院大学,宇宙航空研究開
発機構), 小池一隆(総合研究大学院大学), 稲見華恵(総合研究大学院大学)
1.研究の背景
自然科学、人文・社会科学の別を問わず、最先端学術研究の成果をわかりやすく社会に伝
え社会と共有化することは、学術研究による社会貢献という点で意義あるばかりでなく、そ
の作業を通じて学術研究そのものを鍛え上げ、ひいては社会的支持の上に学術をさらに発展
させていくという意味でも、今日ますますその重要性を増している。研究者にとっても、社
会とのコミュニケーションの術を身に着けることは、不可欠の素養となっている。
研究者と社会とのコミュニケーションは、サイエンス・コミュニケーションという場を通
じて行われるが、そもそもサイエンス・コミュニケーションが重要視されてきた背景には、
最先端科学と市民の隔たり、また、最先端の科学に期待しつつも、市民の側が、それに対す
る不安を抱いているという現状、さらに、科学技術の発展に伴う環境問題の深刻化があげら
れよう。サイエンス・コミュニケーションは未だ新しい学問分野であり、ひとつの体系とし
て定まっているわけではない。それゆえ直面する課題に対して、現在、実施されているサイ
エンス・コミュニケーションのあり方について、研究者に期待される資質、能力や役割を検
討すると同時に、研究者が発信する情報に対しての市民の受け止め方を検討することを通し
て、広く市民の方に、最先端学術研究の成果と社会の関係を考える場を提供することが必要
であると考えられる。
現在、自然科学の研究成果は、技術的側面から人間生活を豊かにするだけではなく、社会
や人間そのもののあり方を考える土台となっている。しかし、自然科学だけでは、人と社会
のあり方を解明することは不可能であり、さらに、自然科学が抱える課題を克服するにおい
ても、自然科学だけの枠組みでは収まらない。これらの課題を克服するには、人文・社会科
学との連携においた人々の思索や行動、あるいは、社会的諸現象の分析や考察が重要である
と考えられる。
以上のような観点に基づき、本研究では、自然科学・文化科学を横断する総合研究大学院
大学の多様な知的資源を生かし、文化科学と自然科学の分野の学生が連携し、研究者と広く
市民の方が、様々な学問分野を糸口として最先端学術研究の成果とコミュニケーションをで
きる手段として、プラネタリウム番組を制作した。視聴者からの意見を聞き、番組効果を検
証することを通して、プラネタリウム番組を通じた文理融合的アプローチからのサイエン
ス・コミュニケーションの手法を検討する。
2.番組制作の背景
(1)制作の経緯
今回制作したのは、「誰も知らなかった星座 — 南米天の川の暗黒星雲— 」と題したプラネ
タリウム番組であり、総合研究大学院大学平成20年度特定教育研究経費のうち、各専攻・各
研究科の枠を越えて共同して行う学生企画事業の助成金を得て制作されたものである。
この番組では、南米の夜空に見1える黒い雲(天の川の中で星の少ない領域)について、人文
科学的な視点と自然科学的な視点からアプローチしている。番組制作のきっかけとなったの
は、東京・白金 プラネタリウム BAR にて企画・開催したトークイベント「響きあう星と闇 -
南米インカの神話と暗黒星雲-」(2008 年 8 月 14 日)である。講師として木村秀雄教授(東
京大学/文化人類学)と、本研究の発表者の一人である阪本成一教授(総合研究大学院大学
/電波天文学)の二人を招いて、
「南米の夜空で見える黒い雲(天の川の中で星の少ない領域)
」
をテーマに、それにまつわる南米インカの神話と天文学によって解明されたその正体につい
て、一般市民と語りあうというイベントを行った 1。当日の様子や来場者からのアンケート結
果から、このイベントは好評であったこと、また、
「南米の夜空で見える黒い雲」というテー
マは話に広がりを持ちやすいことなどが分かった。つまり、我々の目的のひとつである、人
文科学および自然科学で互いの分野に興味関心をもつ新たな層を開拓するために、非常に有
効なテーマであると言える。そこで、このトークイベントでの内容を軸にしたプラネタリウ
ム番組を制作するに至った。
(2)研究者によるプラネタリウム番組制作の特徴 2
番組はプラネタリウム投影用の全天周映像である。従来の全天周映像制作では、大きく分
けて、①上映館が独自に制作、②番組制作会社が制作した番組を上映館が購入、③上映館と
番組制作会社が共同で制作、という 3 つのパターンがあった。この構図においては、研究者
や研究機関の立場は画像等の素材の提供や番組の監修にとどまり、内容も興行成績を伸ばせ
るものに偏りがちになる。これに対して、研究者による番組制作には、研究者が取り上げて
欲しいテーマを設定可能であること、非営利のため上映館への無料での番組提供が可能であ
ること、という、双方にとっての大きな長所がある。その反面、研究者は映像制作に関して
素人であること、研究機関の多くは上映施設や販路を持たないこと、番組制作のための資金
力に乏しく編集等の追加作業への対応も難しいこと、多様な投影形式への対応が難しいこと、
などの課題も見えてきた。とはいえこれらの課題は解決可能なものと思われるため、これら
の解決法を模索し、番組投影に向けて準備を進めている。
また、研究者による番組制作は、研究者が取り上げて欲しいテーマ設定が可能であること
から、単に娯楽的な要素に着目した素材選択でなく、最先端の科学を伝えるという意味での
素材選択ができ、視聴者はそうした素材を通して最先端科学とコミュニケーションをする機
会が期待できる。
1
実施報告書「最先端科学と社会を接合するサイエンス・コミュニケーションの手法に関する研究 ~文理
融合的アプローチ~」 第 1 回トークイベント「響きあう星と闇 -南米インカの神話と暗黒星雲-」
http://www.soken.ac.jp/education/kenkyu/pdf/h20inami_h.pdf
2
阪本成一ほか:研究者が作るプラネタリウム番組,第 53 回宇宙科学技術連合講演会,京都大学,2009
3.番組の内容
このプラネタリウム番組の内容は、星の少ない領域に注目したインカの星座観に焦点を当
てることで、その領域に対して現在の科学で理解されていることの説明、および日本の天文
学の最先端を紹介するものである。このねらいは、理化学、あるいは民俗学、文化人類学な
ど、人文科学系や自然科学系の特定の分野に関心が留まっている人に対して、文理融合とい
う新たな手法から、多様な手がかりを用意して「科学」に触れる機会を提供することである。
さらに、そこから「科学」への興味関心をどのように啓発できるのか、あるいは、再構築で
きるのかということを調査する。また、自分たちの文化とは異なる星座観を提示することで、
同じ星空でも地域や文化によって別の捉え方があるということを示すねらいもある。
番組は大きく分けて2つのパートから成る。前半では、南米インカに伝わる神話を番組の
導入に用いて、そこから科学の話題に転換していくことによって、科学に興味関心がない人
たちや、あるいは科学そのものに嫌悪感を抱く人たちができるだけ無理なく科学の話題に触
れられるようにした。導入では、主に民俗学的な話題を中心に、世界各地に見られる星空の
捉え方を紹介する。その後、南米では「星そのものではなく、星の少ない領域に注目して星
座が作られていた」ということに観客の意識が向かうようにし、この星座にも神話があり、
インカの人々の生活に密着したものであったことを紹介している。
後半では、その星の少ない領域が、天文学の
発展により、どのようにしてその存在や正体が
解明されてきたのかということ中心にサイエン
スにまで話題を展開している。
ここでは、科学の発展につれて変遷する「科
学的な理解、考え方」を科学史と共に辿ってい
く構成にし、つまり、科学事実そのものではな
く科学者の思考を追うことにより、一歩一歩科
学への理解を深めていけるよう発見学習的な要
素を持たせた。また、かつてのプラネタリウム
番組が避けがちであった、科学(今回の場合、
特に物理)を前面に表現することに挑戦し、教
材として十分に使用できるレベルの番組を目指
した。背景にある物理現象を解説、観測原理や
方法の説明もしており、基礎科学を学べる内容
図1 番組紹介用のポスター
でもある。番組の最後は、科学者である阪本成
一氏のトークによる代言で、サイエンス・コミュニケーションに必要な手だてが述べられて
いる。それは、最先端の科学が生み出されるプロセスにも着目することの重要性、基礎科学
の意義、様々な入口から最先端科学への手がかりを掴めることへの誘いであり、これらの語
りで番組は締め括られている。
4.研究の経過と今後の課題
まず、最先端の科学の成果を伝えるという意味で、番組の素材として着目した「暗黒星雲」
への関心度について調査を行った。調査では、天文学者による講演や教育普及活動で得られ
た参加者からのアンケートなどの記述事項を分析し、暗黒星雲に関するキーワードの出現度
を分析した。小学校低学年の児童から、天文学について極めて専門性が高い大人について検
討した結果、いずれの層においても、暗黒星雲は極めて関心度が低い素材である傾向が見ら
れた。このことから、一般市民に関心を持たれにくい研究素材を取り上げて、それに興味を
もたせ、様々な視点から科学への関心を誘うという意味から、当番組の意義を見出せる。
さらに、サイエンス・コミュニケーションを行う場として選択したプラネタリウムへの関
心度についても調査を実施している。当番組は、かつてのプラネタリウム番組が避けがちで
あった物理現象の解説などにも積極的に取り組んだことから、特に中高生の視聴者を期待し
ている。本研究の発表者である阪本成一氏が今年度実施した中高生対象の科学セミナーにお
ける科学や宇宙に関するアンケート調査から、プラネタリウム経験は、宇宙や科学に関心や
理解が深まる初期の段階で多い傾向が見られた。つまりプラネタリウムは、宇宙や科学への
関心も未熟で、知識も凝り固まっていない人が利用する傾向が高いのであれば、このプラネ
タリウム番組は、サイエンス・コミュニケーションを柔軟に行わせる手がかりを持たせる意
味での十分な条件を持ち合わせていると考えられる。
サイエンス・コミュニケーションの手法の検討においては、いくつかのプラネタリウムに
おいて、様々な年齢層、および利用機会に訪れた視聴者を対象に、アンケートなどを用いて
番組の効果検証を行う。これらを通じて、研究者の意図の伝わり方、および視聴者の番組内
容に対する理解度・興味関心の広がり具合を分析し、プラネタリウム番組を通じた文理融合
的アプローチからのサイエンス・コミュニケーションの手法を検討する。(調査・分析の詳細
は、当日発表資料参照)
研究室を取材し映像コンテンツをつくる
~大学から直接発信する参加型メディアの構築~
○早岡英介, 杉山滋郎(北海道大学)
1.大学発・参加型メディアの構築
1-1.概要
北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニットは 2009 年 8 月、研究内容や研究者の素
顔といった情報を、大学から直接、社会に発信するための映像メディアを、インターネット
上に構築するプロジェクトをはじめた。
学生などに学内の研究室を訪問させ、先生にインタビューを行い、研究内容を取材して、
3~5分のショートムービーにまとめてもらう。対象となるのは、動物を使って実験などを
している自然科学系の研究室である。
制作した映像作品は、youtube をベースに「アニマ・ムービー・プロジェクト~動物たち
に学ぶ~」1と題したサイトに随時まとめている。そしてこのサイトを中心に、今後もプロジ
ェクトへの参加を広く募っていく予定である。
制作者にとっては、取材力や表現力、メディアリテラシーを向上させることができ、科学
技術コミュニケーターとしてのスキルアップになる。また科学者の素顔が市民には見えない
と言われる中、大学からの情報発信力を強化することにもつながる。そして研究者が社会と
コミュニケーションをはかるための接点を作ることもできる。
本稿では、こうした大学発メディアを作るプロセスで分かった事実や課題を報告し、映像
コンテンツとインターネットを活用した科学技術コミュニケーションの可能性を探る。
1-2.プロジェクトの背景
大学や研究機関が、テレビなどの外部メディアに頼ることなく、自ら映像コンテンツを制
作して発信する。このようなアウトリーチは、かつては夢物語であった。
しかし近年、撮影機材や編集ソフトは大幅に簡素化し低価格化した。そして動画配信サイ
トの充実、ブロードバンドの普及によって、今では大学から直接、情報を発信できる環境は
じゅうぶんに整ったといえる。
しかし理屈で分かっていても、実践に至るのは容易ではない。市販のデジタルビデオカメ
ラやノンリニア編集ソフトの操作、動画の圧縮・変換作業などは、一般のユーザーにとって
はまだ敷居が高い。さらに取材という行為も未経験者には心理的に大きな壁がある。
それゆえ最新の「道具」を手にしても、コンテンツの制作や発信、そしてそのフィードバ
ックを生かした科学技術コミュニケーションが、活発に起きているとは言い難いのが現状だ。
こうした状況を一歩前へ進めるためには、何らかの具体的なプロジェクトを立ち上げ、参
加を呼びかけてみることが有効である。また映像コンテンツ制作の経験をもつ教員などが、
支援することを明言し、少し背中を押してあげるだけで、活発な動きにつながるはずだ。
1
アニマ・ムービー・プロジェクト: http://costep.hucc.hokudai.ac.jp/anima/
1-3.参加型メディア構築の手法
そこで出来る限り身近な機材と簡単な編集ソフトを使うことで、映像制作のプロセスを簡
略化し、参加することへの敷居を下げることにした。
原則として取材にはコンパクトデジタルカメラのみを使用した(一部、メモリーに動画を
記録するタイプのビデオカメラも使用)。建物や研究室の様子、先生の姿、実験対象などは基
本的に写真で記録し、インタビューや、動物の動きなどはデジカメのムービー機能を使って
撮影した。このように簡単な機材を使うことで、取材する側、される側の負担を少なくした。
編集には、パソコンにプリインストールされている簡易編集ソフトを使った。Windows で
はムービーメーカー、Mac では iMovie といったソフトである。専門の編集ソフトを買わなく
ても、多くの人が参加できる可能性を担保するためである。
また同様の理由で、インターネットによる公開も、大学のサーバーは使用せず、誰でもア
カウントをとって無料で使うことができる youtube を活用した。
このように制作プロセスを簡素化し、金銭的なコストを極力かけないことで、可能な限り
多くの人が映像制作に参加できる環境を整えた。こうして、映像作品の量と多様性を確保す
ることが、参加型メディアを成功させる前提条件ではないかと考えるからだ。これは、近年
インターネット上で広く普及している CGM2の思想に基づいている。
こうした簡易的な手法によってメディアを構築することで、映像コンテンツを見た他の研
究室や学生、引いては他大学や研究機関などに刺激を与えることが期待できる。その結果、
他の大学や研究機関からも、より多様なコンテンツが直接発信されるようになれば、科学技
術コミュニケーションを、コンテンツの側面から活性化することにもつながるだろう。
2.大学1年生向け・映像制作の授業
2-1.授業のねらい
参加型メディアを形作る映像コンテンツを、どのような形で集めるか。映像コンテンツの
制作は、報告者の杉山が 2009 年度前期に開講した授業の中で行った。全学教育科目「科学技
術の世界」の一つ、
「北海道大学の『今』を知る」という学部 1 年生向け授業である3。この
授業のねらいはおおよそ以下のようなものであった。
1) インターネットや図書館など、学内の情報ツールの使い方を教え、リサーチ能力を養う。
またそれによって膨大な知のリソースが大学に存在していることを理解させる。
2) 違う学部の友人とグループワークさせ、未知の教員に取材させることでコミュニケーシ
ョン能力を高める。
3) まだ「高校 4 年生」ともいえる学生たちに、大学の研究機関としての側面も理解させ、
早くなじんでもらう。
4) やや高度な研究の概要を理解し、それを映像コンテンツという形でアウトプットさせる
ことで、情報を分かりやすくまとめ、プレゼンテーションする能力を養う。
2
CGM とは Consumer Generated Media の略。情報媒体(メディア)の中でも、従来情報の受け手だった
消費者(コンシューマー)が自ら制作、公開、共有することで成り立つもの。
3
授業に関する詳細な報告は「科学技術コミュニケーション」第 6 号に掲載されている。
http://costep.hucc.hokudai.ac.jp/jjsc/
2-2.映像制作を授業に取り入れるメリット
上記のようなねらいのもと、授業の最終的な成果物を映像コンテンツとした。調べたこと
を発表する上では、パワーポイントなどのプレゼンテーションソフトが一般的であるが、あ
えて映像制作を取り入れたのは、以下のようなメリットがあると判断したからである。
1) 多くの学生にとって、パソコンで映像作品を作るのは未体験であり貴重な経験になる。
2) 最近のプレゼンでは、テキストだけでなく、写真、イラスト、時には動画や音楽さえ駆
使する。映像制作を経験すれば、こうした表現手段をもれなくカバーできる。
3) 大学 1 年生というフレッシュな感性が、どのような視点や切り口で研究現場を映像化す
るのか、未知の可能性に注目した。
4) 撮影、編集機材の簡便さに加え、1年生でも映像作品を制作できるという事実を提示す
ることで、より敷居が下がり、閲覧者に参加意識が芽生えることが期待できる。
2-3.取材と映像制作のプロセス
取材先は授業に統一感をもたせるという意味もあって、前述のように動物を使って研究し
ている分野に絞った。動物実験なら文系の学生でも内容を理解しやすく、対象も理学部、農
学部、医学部、獣医学部等と幅広い。また動物は動きがあって映像的にも表現しやすい。
この授業と、前述の参加型メディア「アニマ・ムービー・プロジェクト」のコンセプトメ
イキングは、同時進行的に行われた。学生たちはインターネットで学内の研究をリサーチし、
最終的に、生物学、獣医、畜産、ロボット工学など8つの研究室を選んだ。動物も、マウス
のような実験動物や、ウシのように研究対象そのもの、またヘビやミミズといった生物型ロ
ボットのモデル動物など、様々なケースがあった。
興味深い作品も多く生まれた。例えば、その出自が不明とされ、メスしか存在しないザリ
ガニ「ミステリークレイフィッシュ」を取材したもの。身近だが意外と知られていない「睡
眠の謎」についてマウスを用いて迫る研究。また生物を模したロボットの動きをユーモラス
に演出した個性的な作品など、計 13 の映像コンテンツが作られた。
これらは既に「アニマ・ムービー・プロジェクト」初のコンテンツとして公開中である。
3.考察
3-1.映像コンテンツ制作の教育的効果
映像制作を授業にする場合、ビデオカメラや編集ソフトの操作スキルが重要であり、教員
の側にも専門的な知識が必要だと思いがちである。だがこの授業では、参加したいと思わせ
る動機付けに主眼を置いたため、あえてそうした技術的スキルにはこだわらなかった。
むしろ大事なことは、コミュニケーション能力と、科学技術を理解し自分なりに表現する
プレゼンテーション能力を磨くことである。
取材を依頼するプロセスで、学生たちは要点を押さえた取材依頼文書の作成や電話での応
対など、取材のスキルを学ぶ。また、誠意をもって取材相手と接するなどの社会的なマナー
や、常識が身につく。そしてグループ作業を通して、チームワークも涵養できる。
さらに研究内容を理解し、得られた情報を簡潔にまとめて分かりやすくアウトプットする
構成力、的確にテロップで表現する言語能力が、プレゼンテーション能力として身につく。
訪問した研究室の先生も、彼らがまだ 1 年生であることを配慮して、できるだけ分かりや
すく説明し、きめ細かく対応してくれた。研究内容の紹介だけでなく、これからの長い学生
生活を有意義にするためのメッセージを伝えてくれるケースも見られた。
例えば理学部の先生方が話した以下のような言葉である。
「学問は進化し続け、終わりはな
い」「研究とは先輩方が作ったものを、下の世代が受け継いでいくもの」「自分にしかできな
い研究がきっとあるはずだから、それを探しチャンスをつかむための努力を怠るな」。
映像編集とは、こうしたメッセージを繰り返し自分の中で反芻し、それを何らかの表現と
してアウトプットする過程でもあり、通常の授業では得られない教育的効果がある。学生が
高校を卒業したばかりの 1 年生だったことが、コンテンツの内容にも影響したことが伺える。
3-2.取材された研究者側からの反応
この授業は幸い、学生だけでなく、取材された研究者からも高い評価を受け、新たな学び
や満足感を提供できたことが、最後に実施したアンケートから分かった。
また、普段接することのない、大学 1 年生と実験で忙しい研究者との間に、貴重なコミュ
ニケーションの場を作ることもできた。これについては研究者側からも得難い機会として好
意的に受け止められたことが、以下の感想からも伺える。
「短時間のそれも私のつたない話の中からエッセンスを抽出し立派な作品に仕上がっており
感心いたしました」
「大変な力作でびっくりしました。自分のことを扱っていただいているの
にちょっと感動したといったほうがいいかもしれません。そして、学生の皆様が自分たちな
りに考えて消化してくれたのだなと分かり、うれしくもありました」
。
また次のような感想からは、これを機会に映像作品を活用していきたいという期待が伺え
る。
「一生の宝とさせていただきます。1 年生の授業等で使わせていただけたらと思います」
。
3-3.参加型メディア構築の課題
これから「アニマ・ムービー・プロジェクト」への参加を呼びかけていくことになる。だ
が、いくら簡単な機材で制作できるといっても、第一線の研究者に時間をとらせて取材する
ことへの躊躇や、全く未知の作業にとりかかる不安など、様々な心理的な障害が予想される。
今後、参加者を増やしていくのが難しいことは、現段階でも容易に想像がつく。我々は講
習会などを開くことで、こうした参加意識への障害を取り除くつもりではある。しかし、根
本的な解決にはならないだろう。
大切なのは、こうした映像制作のプロセス自体をとらえ直し、創作という行為がいかに楽
しいものであるかを伝えていくことではないだろうか。参加者にとっては、体験を通した学
びや、クリエイティビティの湧出自体が、ある種のエンタテイメントにもなりうるはずだ。
コンテンツの閲覧者を楽しませるために質を上げることよりも、あくまでこのメディアプ
ロジェクトを通して、小さなコミュニティを生み出せるかどうかが重要なのである。それが
参加型メディアと称する所以でもあり、コンテンツ自体はその副産物という見方さえできる。
いかにして、参加のプラットフォームを有効に設計するかが、今後の課題となるだろう。