くりあんさブラジル通信 No.76号

Queridos amigos do Japão,
Queridos voluntários que tiveram a
experiência na Monte Azul,
親愛なる日本のみなさん、親愛なる元モンチアズール・ボランティアのみなさん
diferente da ocidental. Por isto a tragedia de
きました。それゆえ、今回の福島の悲劇は私た
Fukushima abalou nossos corações e sempre
ちの心に衝撃を与えました。皆さんや皆さんの
de novo nós nos perguntamos: como estão
家族は大丈夫かしら ? 危険な目にあってないか
nossos amigos, seus famílias, será que estão
しら ? とずっと心配をしていました。危機と悲
em perigo? Admiramos muita a força de união
劇を前にしての、日本の皆さんの団結する力に
dos japoneses na hora do perigo e da desgraça.
は感嘆しています。
Aqui no Brasil, eu e Elisete Onuki estamos
現在ブラジルでは、私とエリゼッチ・オヌキが
lutando dentro do Movimento de Paz contra
平和活動としてブラジルの原発に反対する運動
as usinas nucleares no Brasil. Lançamos essa
をしています。モンチアズールが参加するサン
campamnha no Conselho Parlamentar de
パウロ州議会の平和委員会でこのキャンペーン
Paz da Assemblêia legislativa de São Paulo do
を発表し、ブラジル弁護士団体やサンパウロ大
qual a Monte Azul faz parte e juntamo-nos
学の教員たち、その他の平和文化活動をしてい
a Organização Brasileira dos Advogados, aos
る人たちといっしょになって、これ以上原発を
professores da USP e outros ativistas da cultura
作らせない活動をしています。このように意識
de paz para impedir a construção de mais
が高い人たちと集まり、また人々の意識を高め
usinas nucleares. É so assim, juntando pessoas
て市民社会運動を作っていくことではじめて、
conscientes e conscientizando todos para criar
経済界の私利私欲や利己主義的な政治に反対す
um movimento popular da sociedade civil
るだけの十分な力を持つことができるのです。
que temos a força suficiente de atuar contra
そうしてはじめて、私たちは目先の利益だけで
os interesses econômicos e políticos egoistas.
なく遠くを見渡し、今を生きる子どもたち、そ
Só assim temos uma política que veja as coisas
して未来の子ども達のことを考える政治をうむ
além do lucro imediato e pensa na crianca de
ことができるのです。
hoje e tambem do futuro.
人類を滅ぼしてしまうかもしれないこの危機に
Espero que o Mundo todo e mais ainda
対して、世界中が、そして何より日本の市民社
a sociedade civ il do Japão acorde pa ra
会が目を開きますように。
estes perigos que são capazes de destruir a
21 世紀の鍵を握る言葉は「愛と意識」です。
A MOR E C ONS CI E NCI A SÃO A S
みなさんがモンチアズールと、ブラジルの私た
PALAVRAS CHAVES PARA O SECULO 21.
ちにしてくれたすべてのことに感謝しています。
TCHAU E MUITO OBRIGADA POR TUDO
ウテ・クレーマー
QUE VOCÊS JÁ FIZERAM PARA NOS DA
MONTEAZUL E DO BRASIL.
UTE CRAEMER
1
平成 2 3 年 12 月発 行
東海大学国際学科気付
4-1-1
Humanidade.
76
CRIチ
- ルドレンズ・リソース・インターナショナル
た文化に触れる素晴らしい体験をすることがで
発行
conhecer seu país e uma cultura totalmente
宮ヶ迫ナンシー理沙 編集 安藤将 西原里依 橋口博幸
ヘナーチや私は日本を訪れ、西洋とは全く違っ
代表
eu tivemos esta grande oportunidade de
神奈川県平塚市北金目
259-1292
た。またリンダウバ、エビーニャ、ソランジェ、
住所
Linda lva , Eva n ilda , S ola nge, Renate e
0463 - 50 - 2407
東海大学国際学科小貫大輔研究室
ズールは日本と関わりをもつことができまし
Fax.
voluntários e amigos no Japão. Tambem
cr iinfo @cribrasil.org
たボランティアのみなさんを通じて、モンチア
E-mail.
de ter contato com o Japão at ravés dos
CRI - Children's Resources International 子
= どもたちのための国際的資源
ポ
- ルトガル語で﹁子ども﹂、スペイン語で﹁子育て﹂の意。
23 年の間、日本のみなさんやブラジルを訪れ
くりあんさ
Há 23 anos que a Monte azul tem a chance
その取組みが参考にされるようになりま
外 か ら い ろ い ろ な 人 た ち が 視 察 に 来 て、
置かれているのが実情です。
決 し て﹁ 良 い ﹂ と は 言 え な い 労 働 環 境 に
ど ん な 環 境 に い た ん だ ろ う と、 衝 撃 を 受
れ し い ﹂ と 話 し て く れ ま し た。 い ま ま で
宮ヶ迫ナンシー理沙
二〇〇五年モンチアズールボランティ
ア の 宮 ヶ 迫 ナ ン シ ー 理 沙 で す。 世 代 交 代
し た。 だ か ら、 モ ン チ ア ズ ー ル か ら 遠 く
会員のみなさま CRI
というこ
す る の で は な く、 ウ テ さ ん が 世 界 へ と 飛
モンチアズールに対して何かをしようと
地 球 の 反 対 側 に い る 私 た ち が、 日 本 か ら
校 外 で も 安 心 で き て、 楽 し い 課 外 活 動 は
分 に 取 組 み が で き て い な い 現 状 で す。 学
必要とする子どもたちへのサポートを十
す。 今 後 は、 ブ ラ ジ ル 支 援 と い う 今 ま で
ることがあるのではないかと考えていま
モンチアズールでボランティア経験を
し て き た 私 た ち だ か ら こ そ、 日 本 で で き
けました。
若い世代へバトンタッチ
ぎました。
び立っていくボランティアたちに託して
な か な か な い し、 家 で 留 守 番 を す る こ と
の活動から日本で生活をしている子ども
だ
また、﹁外国人﹂への教育が義務とされ
な い 法 律 の も と で、 学 校 教 育 で は ケ ア を
ここ十年くらいの間にモンチアズール
でのボランティア活動に参加し日本へ
く れ た 種 を、 自 分 た ち が 生 活 し て い る こ
の 多 い 子 ど も た ち は、 母 国 の テ レ ビ 番 組
たちの支援へと大きな方向転換をしてい
の
と で、 小 貫 大 輔 さ ん か ら バ ト ン を 引 き 継
戻 っ て き た メ ン バ ー が 中 心 と な り、 今 後
の地で育てることに力を注ぎたいと思っ
を 見 た り、 テ レ ビ ゲ ー ム な ど を し な が ら
す。 ブ ラ ジ ル か ら 帰 っ て き て、 ほ と ん ど
の メ ン バ ー が 日 本 で の 日 常 に 忙 殺 さ れ、
が活かせないとそれぞれが心の隅でもど
所 へ 労 働 移 住 が 生 じ る よ う に、 世 界 の 経
ブラジル国内の経済格差を原因として、
貧しい地域から都会などの仕事のある場
に 来 ま し た。 母 が 初 め て 働 き に で る よ う
ブラジルの経済状態がよくなかったと
き に、 私 も 同 じ よ う に 日 本 へ 家 族 と と も
これではブラジルでの経験や培った思い
か し さ を 感 じ て い ま す。 そ こ で、 で き る
済 格 差 は、 国 境 を 越 え て 人 の 移 動 を 引 き
に な り、 初 め て の 一 人 で の 留 守 番 に 慣 れ
めてブラジルへ行った八十年代のモンチ
た 活 動 を 行 っ て き ま し た。 大 輔 さ ん が 初
︵ 二〇 〇 九︶な ど プ ロ ジ ェ ク ト を ベ ー ス と し
、保育園建物再建
ホームの開設 ︵一九九六︶
、 エ イ ズ 孤 児 の ケ ア・
への協力 ︵一九九一︶
の場所でブラジルでの経験を還元するこ
の 学 び を 活 か し、 今 自 分 た ち が 生 き る こ
に 会 話 で き る ︶ を 活 用 し て、 ブ ラ ジ ル で
料 の イ ン タ ー ネ ッ ト 電 話・ 複 数 名 が 同 時
大半が工場などの単純労働に従事してい
住ビザ﹂で来日できるようになりました。
て、 日 系 人 は 就 労 活 動 に 制 限 の な い﹁ 定
言 え ば、 一 九 九 〇 年 に 入 管 法 が 改 正 さ れ
言 え る と 思 い ま す。 ブ ラ ジ ル 人 に 関 し て
日本へ来る理由はみなそれぞれですが、
仕事を求めてくることが圧倒的に多いと
外国人の数は増え続けています。
て 減 少 傾 向 を 見 せ ま し た が、 そ の 後 ま た
大 勢 が 失 業 し 帰 国 を 余 儀 な く さ れ、 初 め
二〇〇八年のリーマンショックのときに
者 数 は ず っ と 記 録 を 更 新 し て 来 ま し た。
日 本 に は、 今 二 百 万 人 を 超 え る 外 国
人 が 住 ん で い ま す。 戦 後、 外 国 人 登 録
分たちに寄り添って理解しようとしてく
なによかったのかと聞くと、﹁こんなに自
激 の あ ま り に 泣 い て い ま し た。 何 が そ ん
今年のマルチカルチャーキャンプの終
わ り に、 ブ ラ ジ ル 学 校 の 高 校 生 た ち が 感
ちとの関わりの中で知りました。
校へ入って行けない子どもたちがいるこ
会 い に 恵 ま れ ず、 柔 軟 性 の な い 日 本 の 学
な く 生 き て こ ら れ ま し た。 し か し 良 い 出
は幸い友達に恵まれ学校嫌いになること
な 時 期 を 過 ご し た こ と が あ り ま し た。 私
の改札口で母の帰りを待つハチ公みたい
る ま で は、 毎 日、 帰 宅 時 間 に 合 わ せ て 駅
︵一九八八︶、ブラジルでの文化センター建設
は こ れ ま で、 小 貫 大 輔 さ ん や 定
CRI
森 徹 さ ん た ち を 中 心 に、 エ イ ズ 予 防 活 動
とを話し合っています。
ア ズ ー ル と、 今 の モ ン チ ア ズ ー ル と で は
ますが、﹁ワーキングプア﹂などとマスメ
れ る 日 本 人 と 出 会 っ た の は 初 め て で、 う
ぬ応援をお願いいたします。
流を一緒にやってきた人たちでもあります。四月の総
ジル学校﹁アクアレーラ﹂︵神奈川県厚木市︶との交
くさん集めて遊びまくる二泊三日のキャンプ︶やブラ
マルチカルチャー・キャンプ︵外国籍の子ども達をた
アズール経験者が集まっています。それは、ここ数年
彼女の回りには、二十代後半から三十代前半のモンチ
︵二〇一一︶の半ばに、会の代表を私から宮ヶ迫
今年
ナンシー理沙さんにバトンタッチしました。二十代の
して、それぞれの人生を生きています。これだけの﹁ブ
したそうです。その大部分の人が、その後日本に帰国
のお宅には、短期・長期で二百人以上の日本人が宿泊
ように私たちを受けいれてくれているリンダウバさん
け で も ︶ 五 十 人 は 下 ら な い で し ょ う。﹁ 日 本 人 宿 ﹂ の
い っ た 日 本 人 は、︵ 三 ヶ 月 以 上 と ど ま っ て 働 い た 人 だ
の二十三年の間に、モンチアズールにボランティアに
リソース・インターナショナル﹂と改称しました。こ
チルドレンズ・
グループを創設し、一九九三年に﹁ CRI-
ンド 二〇一一年子ども分野 組織診断事業﹂の配分が決定しまし
た。 こ ち ら の フ ァ ン ド は 事 業 に 対 し て 配 分 さ れ る も の で は な く、
そんななか嬉しいお知らせです。﹁
委員を中心とするメンバーが話し合いを重ね、日々、問題解決や、
のですが、全く迷うことないわけではありません。しかし、運営
て は い け な い 部 分 は 温 め 続 け て い く。﹂ と て も シ ン プ ル な こ と な
改 革 に 取 り 組 ん で い ま す。﹁ 変 え る 必 要 の あ る 部 分 は 変 え、 変 え
七月より世代交代を行い、国内事業へと活動の力点を移しまし
。小貫大輔さんにもご指導いただいて、日々組織
た、私たち CRI
事務局スタッフ 大嶋敦志
サポートファンド 二〇一一年子ども分野 組織診断事業の配分決定について
Panasonic NPO
と を、 ブ ラ ジ ル 学 校 訪 問 や 沢 山 の 子 供 た
見 違 え る ほ ど に 変 わ り ま し た。 現 在 で は
デ ィ ア で 記 事 に さ れ る こ と が あ る ほ ど、
小貫大輔
ズールからの︵そしてブラジルの他の教育グループか
創設から二十三年になる
が今、生まれ変わろうとしています。﹁若返り﹂
CRI
と、﹁ み ん な で で き る こ と、 み ん な に 見 え る こ と を、
ら の ︶ 支 援 を ど ん ど ん 取 り 付 け て い こ う じ ゃ な い か、
はないか、私たちのネットワークを利用してモンチア
日本の国内で﹂という、会員の参加を重視したスタイ
ということになったのでした。
会では、これから活動の場をブラジルから日本にシフ
ラジル好き人間のネットワーク﹂、しかもモンチアズー
組織基盤強化のために必要なコンサルティング・プログラムを受
て
トして、ブラジルを知っている人たちの力を集めて国
ルというモデルケースのような教育・社会活動を身近
け る た め の 助 成 金 で す。﹁ 組 織 診 断 ﹂ は、 世 代 交 代 を し て 生 ま れ
一九八八年に﹁モンチアズール・ジャパン﹂とし
内でブラジル国籍の︵そして他の外国籍の︶子ども達
に 体 験 し た ネ ッ ト ワ ー ク で す。 日 本 に 帰 っ て か ら も、
これまでの活動は、たしかにブラジルでの活動が中
心でした。それも、主に郵便局の国際ボランティア貯
運営委員の一人として新しい
していきたいと思います。私も、代表は退きましたが、
今後とも応援どうぞよろしくお願いします。
んでいきます。
援いただいている活動がさらに大きな花を咲かせるよう、取り組
す。これから半年間かけて、運営委員が一丸となり、皆様にご支
サポートファ
Panasonic NPO
の将来の構築に取り組んでいます。
CRI
への支援を充実させていこうということになりまし
変わったばかりの私たちが、未来を築くために重要なプロセスで
敦志さん︵通称:アチン︶のフットワークの軽さと、
理沙さんのネットワーク、いろいろな力があわさって、
金の制度を利用しての、建設プロジェクトやセミナー・
きたいと思います。
今、グループ全体が転換点を迎えた感じです。
シリーズ的なものが多かった。しかし、郵政民営化を
の活動を支えてい
CRI
機にボランティア貯金の制度が廃止になって、大きな
んできたことを日本の社会に活用するときが来たので
れからは、モンチアズール経験者たちがブラジルで学
国の方が元気がない。そういう状況をかえりみて、こ
自身が発展しているのに対して、私たちの住む日本の
資金源を失いました。また同時に、ブラジルという国
のことを応援してください。よろ
これからも、 CRI
しくお願いいたします。
どもたち、特にブラジル 人の子どもたちのために実現
来像を描く︱という発想を、これからは日本に住む子
モンチアズールで学んだ﹁教育芸術﹂という発想︱
教育を通じて人間を育てる、社会を変える、世界の未
私たちにしかできない重要な仕事があるはずです。
2
3
た。今年からスタッフとして働いてもらっている大嶋
いでしょう。
ルへのシフトを目指している、と言ったらわかりやす
の転換点 CRI
他 の フ ァ ヴ ェ ー ラ の モ デ ル と な り、 国 内
だけ集まり、集まれないときは
起こしています。
く こ と に な り ま す が、 ぜ ひ 以 前 と 変 わ ら
ています。
!
︵無
skype
時間を過ごす事が多いのです。
についてたくさん話しあっていま
CRI
!
2011 年 CRI 主な活動
ESCOLA AQUARELA BRASIL
ブラジル人学校アクアレーラ
1月
モンチアズールからヘナーチさん来日「ヘナーチさんを囲む会」開催
2月
味噌づくりキャンプ開催(神奈川県)
O movimento dekassegui se intensificou após os anos 90. A falta
ブラジル経済への不安から、マイホームや独立した生計を持ちた
3月
郵政国際ボランティア貯金プロジェクト終了(ブラジル カノアケブラーダ)
de confiança na economia brasileira associado ao sonho da casa
いという夢が後を押し、デカセギの流れは 90 年以後に激増しまし
4月
Pascoa <復活祭>開催(厚木市「青年の家跡地」) própria e independência financeira foram fatores determinantes.
た。当初、単身で来ていたブラジル人たちは、時がたつにつれ妻
CRI総会・モンチアズールボランティア・大嶋敦志(あちん)帰国報告会
No início os brasileiros vinham sozinhos, mas com o passar do
子を呼び寄せるようになりましたが、日本の言葉や文化を知らな
5月
あちん、厚木市にて活動開始
tempo trouxeram suas esposa e filhos, mas com um agravante,
いことは彼らを困難な状況に追いやることになりました。子ども
6月
Festa Junina <フェスタジュニーナ>開催(厚木市「青年の家跡地」)
sem conhecimento do idioma e da cultura japonesa. As crianças
達はさらに苦しい状況でした。言葉が全く分からない状態で、何
7月
キャンプ開催(茨城県 ブラジル人学校オプソン) foram as mais afetadas, foram inseridas a escola japonesa sem
の準備もなく日本の学校に入った子ども達は、適応できず、その
モンチアズールボランティア・古賀翼帰国報告会
preparo e com total desconhecimento do idioma , tornando
結果学校に行かなくなってしまうことがありました。当初、私た
8月
うどんづくりワークショップ(茨城県 ブラジル人学校オプソン)
difícil a sua adaptação e em conseqüência a evasão escolar.
ちのプロジェクトは、子ども達が将来ブラジルへ帰っても大丈夫
9月
異文化交流合宿開催(滋賀県)ブラジル人学校 HIRO 学園訪問(岐阜県)
Nosso projeto inicial era auxiliar as crianças a manter a língua
なように彼らのルーツを大切にし、母国語を維持できるように手
10 月
マルチカルチャーキャンプ(神奈川県 東海大学湘南キャンパス)
materna fortalecendo as raízes para que pudessem se adaptar
助けすることでしたが、時がたつにつれ、ブラジルへ帰る可能性
no seu retorno ao Brasil. Ao longo do tempo percebemos que
はだんだん少なくなっているのではと思い直しました。 2009 年に
o retorno ia ficando cada vez mais distante. A crise econômica
経済危機が起こり、日本の公立学校へ通わなくてはならない子ど
de 2009 nos fez ver que havia uma necessidade muito grande
も達のために日本語を教えなければならない必要性にせまられま
2011/10/28 CRI メーリングリストへの投稿より転載
de ensinar o idioma japonês para que as crianças pudessem
した。この厳しい状況の中、日本人ボランティアの方々が助けに
70 億人の世界、人類の相転移 小貫大輔
ingressar nas escolas publicas japonesas. Os voluntários japoneses
来てくれましたが、ポルトガル語やスペイン語しか話さない子ど
vieram para nos auxiliar nesta árdua tarefa, mas como ensinar
も達にどうやって日本語を教えたらよいのか?と悩みました。そ
japonês para crianças que só falavam o português e o espanhol?
こで私たちはこう考えることにしました。子ども達が幸せなるに
はどうしたらよいのだろう ?
昨日( 10/27 )、国連大学で開かれていた 70 億人のアクション
4000 年にわたって「万人化」しなかった文字というテクノロ
Então pensamos : O que a criança precisa para ser feliz?
というシンポに行ってきました。昨年国連が 発 表した人口推 計
ジーが、ほぼ 万人化を達 成し、かつ、電子文字を使った「双 方
As atividades desenvolvidas pelos voluntários são voltadas para
では、アフリカの人口増が止まらず 2100 年ごろまでには 世界
向コミュニケーション」のネットワークが極度に緊密化します。
o brincar.No brincar dirigido pode-se propor desafios a partir
ボランティアたちが考案したのは「遊びながら学ぶ」ということ
には 100 億人が 住んでいるだろう、との話です。 2004 年の推
人間の脳って細胞がいくつあってあれだけの機能を果たしてい
da escolha de jogos, brinquedos ou brincadeiras determinadas
でした。遊びの中で、大人または保護者がアクティビティを考え
計では、 2075 年頃には 90 億人といくらかで人口増加が止まる
るか 知っていますか ?1000 億 だそうです。人 類の 個 体 数の 10
por um adulto ou responsável. Estes jogos orientados podem
展開するといった挑戦が始まりました。アクティビティは、算数、
と言っていたのと違って、いくらか危機感をあおるための「政治
倍、それだけの細胞がただ繫がっている。ただひたすらつながっ
ser feitos com propósitos claros de promover o acesso a
言語、科学、歴史、物理、美術、文化、自然、道徳などの知識を
的意図」も加わっていたように思います。
ている。そのコネクション ( シナプス ) の数は、平均して 1 万個
aprendizagens de conhecimentos específicos como: matemáticos,
得られるように明白な意図をもって作られました。また、認知、
いずれにせよ、私たちの子ども達・孫達が生きているうちに、
だそうです。100 億の人類が、一人平均 1000 人の人とネットワー
lingüísticos, científicos, históricos, físicos, estéticos, culturais,
感情、運動、言語能力の発達と道徳心の樹立を促す意図も含んで
世界は新しいフェーズに入ります。戦後の 1950 年頃に始まった
クしたら、人間の脳の 100 分の 1 のレベル の「システム」とな
naturais, morais etc. E um outro propósito é ajudar no
いました。結果は素晴らしいものでした。新しい言葉を覚えただ
大変化(私は平等と自由の世界的な拡大が原因と思います)が、
るのです。
desenvolvimento cognitivo, afetivo, social, motriz, lingüístico e
けでなく、子ども達は日本の学校に行きたいと思うようになった
わずか 100 年∼ 150 年の間に人間を「別の存在」に変えようと
その日が来たら、人類は、集合体として一つの「意識」を宿す
na construção da moralidade (nos valores). Os resultados obtidos
のです。一年目の 2010 ∼ 11 年に入学した子どもたちは少しずつ
しているのです。
ようになるのかもしれません。そのことを、私は「人類の相転移」
são maravilhosos, pois além de aprender um novo idioma, as
慣れて、もう新しい友達ができました。入学前に日本の文化を少
と呼んでいるのです。
crianças se sentem motivadas a frequentar a escola japonesa. As
し知っていたということは、学校の音楽や紙芝居、雛祭りや七夕
crianças que ingressaram nos anos de 2010 e 2011 no primeiro
などの行事活動にも積極的に参加することにつながりました。
1950 年から 21 世 紀後半( 2075 年くらい)にか け てこの 生
(現在は 70 億)、
物種の個体数は 25 億から 100 億へと 4 倍となり
人類の相転移に向けて、これから私たちは早足の歩みを始め
ano, aos poucos estão se adaptando e já fizeram novos amigos.
ボランティアのみなさん、ここに心からのお礼を申し上げます。
平均寿命は 48 歳から 80 歳ぐらい(現時点で 70 歳)に、個体
るのだと思います。あと 60 年ほど。私のセンスでは 2075 年に
O fato de terem conhecido um pouco da cultura japonesa faz
あなたたちの助けがなければ、そして子ども達の優しさと頑張り
が産む子どもの数は 5 から 2(現時点で 2.5)になり、そして何
「脳」がそうである
向けての、あと 64 年間が勝負と思います。
com que participem mais das atividades escolares, na musica,nas
がなければ、私たちの活動は不可能だったでしょう。ボランティ
よりも識字率が 55% 程度から 90% 強(現在は 80% 強)にま
ように、
「人類」の発達にも臨界期、敏感期、というものがある
histórias de kamishibai e nas festividades, como Hinamatsuri,
アのみなさん一人一人の頑張りが私たちの活動の幅を広げてくれ
で変化することが予想されます。これを私は「人類の相転移(氷
ように思います。
「平等」と
「自由」を学ぶのが最初。それで、
「 国家」
Tanabata e outros.
ました。そして子どもたちは以前にもまして楽しく学校に通って
→水→水蒸気の現象)」と呼んでいます。
や「社会 ・ 文化(教育、メディアを含む)」が生まれ発達すること
Aos voluntários, nossos sinceros agradecimentos, sem o apoio
います。
この大変化が 1950 年から今日までの 60 年ちょっとで「前半
が最初に大切でした。
de vocês, o carinho e a dedicação pelas nossas crianças, nosso
本当にありがとう !
戦」を終えた。そして、これからの 60 年ちょっとで「後半戦」
これからの課 題は、間違いなく「経 済」です。経 済活動と環
trabalho não seria possível. Com o esforço de cada um de vocês
に取り掛かるのだと思います。
境問題。それに答を出すことのできる「概念」、つまり平等、自
ampliamos o alcance de nossas ações, a cada ano, tornando a
由にならぶ力強い概念が必要になると考えています。
vida escolar de nossas crianças mais feliz.
100 億 で 安 定する( であろう) 人 類は、 高 度に識 字化され、
ジュリア・マツムラ
Muito Obrigado !
かつ高度に「つながった」存在となっていることが予測できます。
Julia Matsumura
5
4
アチン奮闘記 大嶋敦志
ロジェクトで建てた託児施設の現地訪問で、小貫さん
通信に寄稿するのはこれで四回目ですが、一度もきち
事務局でお世話
そしてご縁をいただいて今日、 CRI
になっています。
ました。
たちがモンチアズールに来ていた時に初めてお会いし
んと自己紹介をしたことがないので、簡単に。
こんな感じでいかがでしょう。﹁アチン﹂のイメー
ジを思い浮かべていただけましたでしょうか 補足し
事務局の大嶋敦志です。
皆さん、こんにちは。 CRI
み ん な に は﹁ ア チ ン ﹂ と 呼 ば れ て い ま す。 私 が CRI
東京生まれ東京育ちです。現在三十一才で、五才か
ら新宿に住んでいます。二十一才の時にシンガーソン
グライターとして、﹁蝸牛︵エスカルゴ︶﹂のアーティ
ますと、僕の見た目は﹁ながほそい﹂で形容されるこ
ア ル バ ム を 二 枚 と、 コ ン ピ
とが多いです。以上、自己紹介でした。
ま し た。 オ リ ジ ナ ル
アルバム への参加が二 枚、ラジオや
子どもを対象にエコ工作教室などを開いて、ドラック
ブラジルにはおよそ一年いました。ブラジル現地で
は﹁文化の橋﹂というプロジェクトで、ファベーラの
てブラジルに行きました。
て、それまで少しずつ貯めてきた有り金を全部はたい
たのを思い出し、五ヶ月間、がむしゃらにバイトをし
に以前から、﹁ブラジルおいでよ﹂という誘いがあっ
さあこれからどうしようかというときに、ブラジル
フリークの北川美香ちゃん︵二〇〇八年ボランティア︶
才のときに所属事務所をやめました。
という分けにはいかなそうです。
しかし、厚木市役所の話だと、なにぶん建物が古く、
床が抜けるなど、中の物をどかして、すぐにどうこう
ていたのでした。
とで、地域の活性化に結びつけられないものかと考え
いるレトロな建物の価値を考え直し、有効活用するこ
まいを残して建っています。この、今は物置になって
地 自然園﹂には﹁旧セイガ小学校﹂という木造の建
物が、草むらからポッコリと生えたように、昭和の佇
進 展もあり ますが、 課題が多 いです。﹁ 青年の 家跡
く、私たちの野外保育などのアイデアに、とても興味
率
Guida
いる﹁モンチアズール講演活動﹂一座に参加して、約
をもってもらえました。
ときに、福井俊紀君が﹁郵政ボランティア貯金﹂のプ
さんとは、私がドイツからブラジルにまた戻ってきた
うしたものか。
さ あ ど う し ま し ょ う。﹁ 建 物 の 床 が 抜 け る ﹂ っ て。
いきなり結構大きな壁にぶつかってしまいました。ど
ラムに書かれていなかった。そのせいか、日付が変わっ
ても、まだみんなで即興音楽を奏でていました。
︵笑︶
さて、この原稿を、目下、大きな企画のない十一月
四日に書いています。新宿のマクドナルド、時間は夜
ラ・アクアレラ・ブラジル﹂の子どもたちを連れ出し
ている活動に参加することにしました。その活動の中
の 十 時。 来 年 の
の活動に必要な書類がパソコン
CRI
で、先生方や学生達と話しているうちに、こんなこと
のとなりに山積みになっています。正直、書類作業に
はまだ慣れていません。タイプを叩き続けていると、
のメンバーが
CRI
手足を動かしたくてうずうずしてきます。しかし、小
貫さんや宮ヶ迫さんを始めとする
期 待 を か け て く れ て い る の で、 な ん と か 応 え た い と
﹁よし、やってみよう。
﹂
思っています。何事も経験。
捕まえよう﹂といった野外保育だけにとどまらず、
﹁う
﹁とにかく、やってみよう﹂
くそう﹂﹁納豆巻きで納豆を克服しよう﹂といった食
育アイデアまで、楽しいアイデアを次々に実現してい
きました。東海大学生はなんでこんなにすんなりと話
が進むのかというくらい、彼らは柔軟で、意欲に溢れ
ていて、実に会議が楽しい。精力的に活動を盛り上げ
てくれます。
このアクアレラでの企画以外にも、彼ら学生達が企
画する、七月の茨城のブラジル人学校﹁エスコーラ・
の代表者として
CRI
オプソン﹂でのキャンプと、十月の東海大学でのマル
チ カ ル チ ャ ー キ ャ ン プ で、 私 は
運営サイドに加わり、準備や当日の運営に参加しまし
た。
ここでの主なる私の役目は、ポルトガル語の簡易通
訳と、当日の﹁騒ぎ﹂を﹁大騒ぎ﹂へ起爆する役目で
す。ギターを手に取り、楽器に心得のある学生をけし
かけて、
音楽で屋根が飛ぶくらい盛り上げます。
︵
﹁役目﹂
といいつつ、自分が一番楽しんでいるんですが。
︶
語を超えて一つになる
屋根は飛びませんが、音楽で言
瞬間を毎回感じます。気付けば﹁消灯時間﹂がプログ
今年も応援ありがとうございました。来る年がみな
さんにとって素晴らしい年になりますように。
どんをこねよう﹂﹁ 野菜たっぷりピザで好き嫌いをな
﹁川に行ってみよう﹂﹁みんなで山に登ろう﹂﹁セミを
全部やってみよう。
よし、やってみよう。
んでいきました。
したいあんなことしたいというアイデアが豊かに膨ら
年の家跡地﹂に、厚木市のブラジル人学校﹁エスコー
ここで立ち止まるわけにもいきません。悩んでいて
も仕方がないので行動です。東海大学の学生達が﹁青
て旅しました。小貫大輔さんや、宮ヶ迫ナンシー理沙
大雪の中を、役者として、また、ミュージシャンとし
一ヶ月間、三十年に一度と言われるスイス・ドイツの
さんと
藤 将 さ ん の 記 事 に あ り ま し た、 Ute
への関心をそらすための活動をしたり、七十二号で安
聞くことが出来ました。
貫さんと何度か足を運び、関係者の方々からもお話を
五月から、厚木市下川入の﹁青年の家跡地 自然園﹂
の活用法について調査を開始しました。市役所にも小
ストネームで、インディーズレーベルからデビューし
?
ただ、厚木市も、この豊かな自然に恵まれた公園を
な ん と か で き な い も の か、 議 論 が 停 滞 し て い た ら し
しかし、中々ヒットに恵まれず、そして、ヒット路
線を追求しつづけることも自分の肌に合わず、二十八
雑誌などの媒体にも登場していました。
レーション
C
D
6
7
C
D
あの日、あの時、あの場所で
ヴー・ホアン・ミン
一生思い出に残る三日間
す。 こ の 一 味 違 っ た や り 方 は、 皆 で 最 大
す が、 こ れ が 思 う 以 上 に 本 当 に 楽 し い で
絵 の 具 を 投 げ 合 っ て 大 き な﹁ 平 和 の 絵 ﹂ を 完 成 さ せ た り、
当に素敵な三日間でした。ジャズバンドの音楽に包まれて
事かは測り知れません。
大学生や、参加者と楽しい時間を過ごす事がどれだけ意味のある
思いをしているのかも知れません。そんな彼らにとって、日本の
すると、言葉や文化や見た目を理由に普段日本社会の中で寂しい
語をしっかり話せる子はさほど多くはありませんでした。もしか
まってきました。およそ半分がブラジル人の中高生。日本
月のこのキャンプには、総勢二百人の参加者が各地から集
の 壁 を ぶ ち 壊 し な が ら、 巨 大 な 絵 を 完 成
な り、 ラ イ ブ バ ン ド の 音 楽 の 中 で お 互 い
に も 気 に す る こ と な く、 絵 の 具 ま み れ に
り し ま し た。 い つ の 間 に か 一 人 一 人 が な
と 一 緒 に 歯 を 磨 い て、 と な り で 目 覚 め た
づいたらブラジルの血が流れる仲間たち
今年のマルチカルチャーキャンプもま
た、 一 生 思 い 出 に 残 る 三 日 間 で し た。 気
したのは二回目です。
供達とマルチカルチャーキャンプに参加
ム か ら の 留 学 生 で、 今 回 ブ ラ ジ ル 人 の 子
東海大学教養学部国際学科二年生の
ヴ ー・ ホ ア ン・ ミ ン と 申 し ま す。 ベ ト ナ
う に 触 れ 合 う こ と が で き ま し た。 こ の 素
の子供達と絵の具がまざりあったかのよ
イ ベ ント だ っ た け ど、 す ぐ に ブ ラ ジ ル 人
当 日、 無 事 に 皆 で 大 き な 布 の 上 で 楽 し
む 事 が 出 来 ま し た。 初 日 の 始 め に や っ た
ンプの日まで楽しみに待っていました。
を 準 備 の 時 か ら わ く わ く し て、 こ の キ ャ
このどうなるか想像もできないイベント
し い こ と に 挑 戦 す る の で す。 だ か ら 僕 は
ん で 欲 し い と い う 気 持 ち が あ る か ら、 新
自 身 が 楽 し む と 同 時 に、 み ん な に も 楽 し
ん な 事 に 挑 戦 し て い ま す。 そ れ は 僕 た ち
いつでも僕たち自身も楽しむ気持ちで色
限に楽しむために考えて生まれたもので、
東海大の広いグランドを走り回ったり、ビオダンスをしたり。様々
させました。
大嶋敦志
な場面で一つに解け合う人と人のエネルギーを見ました。それは
晴らしい団体と楽しく活動することがで
本
十
美しい色をしていて、その場を温めながら、ふんわり漂っていま
終日のお別れのとき。風船をひとつずつ手に取り、一斉に
わ り で 踊 っ た り、 歌 っ た り、 楽 器 を 演 奏
と、 大 学 生 達 が 演 奏 し て い る バ ン ド の ま
金子和樹
マルチカルチャーキャンプに参加して
きて幸せです。
私にとって一番印象に残ったのは夕食
後 の サ ラ ウ で し た。 学 生 達 皆 で 作 成 し た
した。
空 に 放 ち ま し た。 澄 み 渡 る 空 に あ ま り に も よ く 映 え る 赤、
し た り す る 光 景 で し た。 ま さ に す べ て が
今回行ったマルチカルチャーキャンプ
で、 私 は 言 葉 の 大 切 さ を 改 め て 学 ぶ こ と
照 明 の ラ イ ト の 下 で、 ブ ラ ジ ル の 子 供 達
黄、青。風船は空を転がるように上に上に吸い込まれていきます。
一つとなった瞬間でした。
最
﹁ありがとう﹂
﹁おめでとう﹂あちこちから歓声が飛び交いました。
この三日間は私たちにとっても、彼らに
と っ て も お 互 い の人 生 に か な り の イ ン パ
本語で意思疎通を図ることは出来ました
じなくてもボディランゲージや簡単な日
が 出 来 ま し た。 交 流 す る 中 で、 言 葉 が 通
クシャクシャにして泣くんです。目の前でありがとうと言いかけ
クトを与えた思い出になったと思います。
不思議です、人の心って。あんなに楽しく笑い合った最後に顔を
て い た 顔 が、 急 に ホ オ ヅ キ の 実 が 割 れ た よ う に 泣 き だ す ん で す。
楽しさから育むマルチカルチャーキャンプ
し、 訳 し て も ら っ て お り、 そ の 度 に 情 け
は、 ポ ル ト ガ ル 語 が 話 せ る ス タ ッ フ を 探
が、 重 要 な 連 絡 や お 願 い ご と が あ る 際 に
いて泣かれたら、もう私も我慢できません。のどふるわせて泣い
宇都野真利夫
で、﹁ ボ ク ガ ン バ リ マ ス、 ボ ク ガ ン バ リ マ ス ﹂ っ て 肩 に し が み つ
ちゃいました。このキャンプをきっかけに、彼ら︵ブラジル人学
ションを取るためには会話が不可欠だと
なく感じました。もっと深いコミュニケー
校の生徒たち︶が日本語を学び、勇気をもって社会で活躍してく
こ の 三 日 間 で 一 番 印 象 的 だ っ た の は、
皆でやった大きな布に絵を書くイベン
い う こ と に 気 付 き、 今 後 ポ ル ト ガ ル 語 を
勉強していく中でよい目標が出来たと思
の中で、
Beijo Me Liga
﹂について
beijo-me-liga
大嶋敦志
﹁
の で は な く て、 み ん な 絵 の 上 に 立 っ て 絵
待 し て。 ま た た く さ ん の 人 と の 再 会、 出
います。また、私は
ンプ終了後キャンプの写真を全て集める
会 い を 楽 し み に し て ま す。 Saudade de
の 具 を か け あ っ た り つ け た り し て、 遊 び
こ と が 出 来 ま し た。 そ の 写 真 の 一 つ 一 つ
︵また会いたいわ!キス︶
voces!!!!!Beijos
ています。
成功に終わったことをとても嬉しく思っ
る こ と が出 来 て お り、 こ の キ ャ ン プ が 大
限 に そ の 場 を 楽 し み、 沢 山 の 事 を 吸 収 す
で す が、 ゲ ス ト だ け で な く ホ ス ト も 最 大
ゲストを楽しませることは最も重要なの
い る こ と に 気 づ き ま し た。 ホ ス ト と し て
時にキャンプ参加者の一人として目一杯
と っ て 今 ま で に な い 程 充 実 し て い て、 同
の一員として参加した私に
Beijo Me Liga
ンプの準備段階から最終日までの時間は、
チャーキャンプ﹂が開催されました。キャ
人 の 子 ど も た ち を 招 い た﹁ マ ル チ カ ル
二〇一一年十月八日から十日にかけて
東 海 大 学 湘 南 校 舎 で、 主 に 在 日 ブ ラ ジ ル
大塚紀巴
マルチカルチャーキャンプ参加を通して
の架け橋となれるように活動を始めまし
外 国 に ル ー ツ を も つ 子 ど も と、 日 本 社 会
藤 本 夏 実、 高 橋 沙 織 ︶﹂ が 中 心 と な っ て、
久美子、善村翼、黄海友絵、松下友紀菜、
終 え て 帰 国 し た 東 海 大 学 の﹁ 六 人 娘︵ 星
ラジルでの半年間のボランティア活動を
れ 際 の 挨 拶 の 一 つ で す。 二 〇 一 〇 年 に ブ
と い う 意 味 で、 ブ ラ ジ ル の 若 い 子 達 の 別
は様々な活動を東海大学
今 年 も、 CRI
﹂ベ
生グループ﹁ beijo-me-liga
( イジョ・メ・
たくさんの出会いに感謝して
このキャンプを楽しめたことをとても嬉
た。 現 在、 当 時 の 中 心 メ ン バ ー 六 人 は そ
で き ま し た。 言 葉 が 通 じ な く て も、 人 を
て い た だ き、 楽 し い 時 間 を 過 ご す こ と が
先 日、 東 海 大 学 で 行 わ れ た マ ル チ カ ル
チ ャ ー キ ャ ン プ。 た く さ ん の 人 に 参 加 し
さんの出会い、思い出に感謝です。
たくさんの思い出ができました。毎回たく
参加することで、たくさんの人と出会い、
機会が全くありませんでした。この活動に
科の生徒なので、普段外国人の方と関わる
こ の 経 験 を 通 し て、 自 分 の 目 標 を 見 つ
け る こ と が で き た の で、 こ れ か ら そ れ に
りで驚きと嬉しさで一杯でした。
今までに経験したことのない出来事ばか
に多くの人がお互いに涙を流していたり、
り、 三 日 間 一 緒 に 過 ご し た 仲 間 と の 別 れ
と思いっきり一緒に楽しむことが出来た
た。 違 う 言 語、 文 化、 習 慣 を 持 つ 人 た ち
も内容の濃いもので良い経験になりまし
普段自分たちがほとんど交わることの
な い 文 化 圏 の 人 と 過 ご す 三 日 間 は、 と て
ら し い、 人 々 の 心 に 残 る キ ャ ン プ に な り
と 意 欲 的 に 取 り 組 ん だ 結 果、 本 当 に 素 晴
を
活 動 が あ り ま す。 今 年 も 二 回 の キ ャ ン プ
今も彼女達から引き継いで実施している
ア レ ラ で の 様 々 な ア ク テ ィ ビ テ ィ な ど、
東海大学湘南キャンパス内で実施して
い る マ ル チ カ ル チ ャ ー キ ャ ン プ や、 ア ク
れ ぞ れ 別 の 国・ 地 域 で 自 分 の 人 生 を 歩 み
﹂とは日本語で、﹁電話してね、キス﹂
liga
リーガ と
) 実施してきました。﹁ beijo-me-
村田美帆
しく思います。
動かすことができることを実感しました。
む け て 精 一 杯 取 り 組 み ま す。 そ し て、 多
の 後 輩 が﹁ も っ と も っ と 良 い も の を
﹂
と実施しました。﹁六人娘﹂
beijo-me-liga
始めています。
同時に、言葉の大切さも実感しました。
います
し、 充 実 し た 人 生 を 築 い て い き た い と 思
ました。
楽しかったかな
いろいろ考えます。
く の 人 と 出 会 い、 更 に 多 く の こ と を 経 験
な
二泊三日の短い時間で見たたくさんの
笑顔を思い出すとまた胸がドキドキしま
す。 こ れ か ら の た く さ ん の ワ ク ワ ク を 期
!
?
みんな楽しかったかな
?
?
?
参加してくれた子たちの記憶に残る時
間だったかな 何か感じてもらえたか
で活動させてもらっています。私は経済学
BeijoMeLiga
こんにちは。はじめまして !BeijoMeLiga
の 村 田 美 帆 で す。 四 月 か ら
でに見たことがないほどいい表情をして
を 見 て い く 中 で、 私 は 参 加 者 全 員 が 今 ま
写 真 担 当 だ っ た と い う こ と も あ り、 キ ャ
!
な が ら 絵 を 書 い て、 騒 ぎ な が ら や る の で
ト
普通に皆でペンとか筆を使って書く
@東海大学湘南キャンパス
!
8
9
の学生たちの原稿です。
れる事を願います。以下、 Beijo Me Liga
マルチカルチャーキャンプ 2011
元モンチアズールボランティアは今
その後の人生は人それぞれ 福田太志
僕がブラジルから帰ってきたのは二年半前、モンチアズールとカノアケブ
ラーダには全部で一年半お世話になっていました。ほぼ世捨て人でした、福田
簡単に言うと、さぁ、子供達よ大
太志です。僕は今、長野県にある野外保育﹁風の森﹂で保育者をしています。
まず野外保育 森
( のようちえん と
) は何か
な人生の第一歩を踏み出すのだ といった感じです。多少オーバーな気もしま
自然に飛び出せ!君たちの五感、いや十二感を研ぎ澄ましこれから始まる豊か
?
すが、三つ子の魂百までという言葉があるようにとても大事な幼児期にボタン
でポンの便利な今の社会は好奇心旺盛な子供にとってあまりにも退屈すぎる気
がします。何もかもが生まれて初めて体験するものばかり、だからこそ見たり
ウィリアム ワーズワース
聞いたりだけでなくできるだけ触ったり匂ったりいろんな角度から体験させて
あげたいですよね。
の感動は人間や道徳的な善悪について
緑の森の中で
どんな賢者からよりも多くのことを教えられる ︱
しかしこの野外保育というのは、新鮮なようでやっていることはとても原始
的です。毎朝火を焚いて、おやつを作り、食べ、そして散歩に行く。森や山や川、
大体コースは決まっているけど、四季を通じて変化していく植物や昆虫、いろ
いろなものを観察、体感していきます。遊具や課題など与えられるものはほと
んどありません、あるのは自然、友達そして自分の想像力だけ。なんてことな
い一本の枝から次々に遊びが発展していき、それを友達と共有し、そして宝物
のように持って帰り、次の日にはまた新しい宝物を見つけていく。家は宝物だ
らけです、きっと。そして、そんな当たり前を見ていると僕はなんだかブラジ
ルで朝早く子供たちと一緒に森の中にカジュー カ
( シューナッツの実 を
) 取り
に行ったことを思い出します。
まではこんな世界に飛び込むなんて、夢にも
そもそも僕はブラジルに行く
思っていませんでした。でもブラジルでの生活で気づかされたこと︵他のボラ
ンティア経験者もあると思います︶
、人生とは豊かだということ、そしてそれ
を共有する楽しさ。捨てる神あれば拾う神あり。今僕は日本の子供たちとそれ
を共有しています。
10
11
!
このそれぞれのコミュニティーが生み出す空気は、私の知
る限りの現代都会ビジネス社会、経済至上主義社会では瀕死
ています。この点もモンチアズールと似ていると思います。
くありません。メンバーも職員も施設利用や仕事のために来
一、 都会にあるコミュニティー﹁
ガルバルド﹂の話 まっさ︵安藤将︶ でモ障ン害チ者アとズとーもルにボ働ラきン、テ同ィ時アに。シ現ュ在タスイコナッート学ラ校ンにドてにシてュシタュイタナイーナ教ー育思教想員に者基養づ成い講た座障を害受者講施し設、
Garvald
そこで子どもたちにインターナショナルクッキングクラスという教室を受け持っています。
先日私の働く障害者施設の創立四十二周年パーティがあり
ました。会場には職員、障害者の人たちとその家族が来てい
の状態にある人間味のある空気だと感じます。このような﹁温
ファベーラの住民の子供を預かるニーズ、障害者たちや職員
や、職員でさえもシュタイナー思想にかかわっている人は多
て全部で三百人ほどが集まりました 私
( たちは障害者の方た
かい空気のコミュニティー﹂がどのように出来上がったのか。
が生活をして行くためのニーズ、それらが先にあり思想はそ
ちをメンバーと呼びますので文中でもその言葉を使います 。)
パーティ会場に到着した瞬間は雰囲気のきらびやかさと沢山
い。みんなで何かに向けて心を一つにする瞬間があると、それぞれの人生
て行っている人には、その瞬間です。大輔さんの家では私が行くといつも
に、CRI の活動にさらに活気を与えてくれると思う。それともビオダンサ
マス・リースの 4 本のろうそくの一本に点火します。その後ろうそくの詩
食事の前にお祈りをしていました。一昔前までは生活の一部としていろい
を毎回会議が始まる前にするとか。ついでに美しいコーラス曲を何曲かレ
を口ずさみながら隣人に点火しました。数曲とても美しいメロディーのク
ろな場面でそのような心を持つ瞬間があったと思います。しかし現代社会
パートリーを作って、いつでもみんなで歌えるようになることを提案しま
は効率経済至情主義によってその習慣が日常から消えつつあります。キリ
す。そしてもし可能なら年に数回季節の祭事を子供たちと行うのはどうか
スト教の地域スコットランドでも、普通校に通う子供にはクリスマスキャ
な(もうすでにしていたら失礼)。こんな時代です。少しでも精神的に豊
物語が終わった後にまた静かに他の美しいキャロルを輪唱して、最後にそ
ロルはクリスマス商戦のイメージの方が強いことでしょう。
かになれるような、心との対話できる瞬間、心を一緒にする瞬間を作って
れぞれの火を順番に消して、ろうそくの白い煙が静かに上昇して行事は終
モンチアズールの木曜集会が始まる前を思い出してください。「アッシ
いってください。
了します。その間一切の私語はありません。私の友人はイラク人の両親で
ジのサンフランシスコの祈り」をみんなで手をつないで歌った瞬間を。毎
アドベントの祈りが、そんなことを教えてくれました。
いつもキリスト教的な言葉に懸念を示しているのですが、この祭事が終わ
週木曜日にあの祈りの瞬間がモンチアズールの人々の結束を強固にしてい
の背後に控えている。
アドベントの祈り まっさ(安藤将)
今回この季節季節の祭事を行う意味を少し理解した気がします。私たち
ものを感じます。
の生活は日常日々の生活に忙殺され心を落ち着ける暇なく生活をしていま
祈りとは希望なのだと思います。希望とは私たちの心の元気の源だと思
す。そのような生活の中、この季節の行事を行うことで心安らぎ、何かが
います。現代社会はこの祈り、見えない世界への敬畏、他人や困っている
シュタイナー学校でアドベント(降臨節=キリスト降誕前 4 週間を厳粛
心に響き、染み入るものを感じます。まるで美しい音楽に感動した後や、
人への思いをはせるちょっとした瞬間を失ってしまったことで心の栄養源
の人々に少し落ち着かない気持ちでした。しかしなじみのメ
ると感じることがある。私はあの祈りをみんなでするとき、心温かくなる
思います。
の祭事だと思います。食事の前に「いただきます」の一言だって心を込め
この﹁ガルバルド﹂の生い立ちを簡単に説明いたします。
スコットランドの首都、人口四〇万人都市エディンバラの住
心にして障害者と共同生活を送る活動で成功していて世界に
入る前にろうそくを手渡され電灯の点いていない教室に静かに入ります。
それぞれが見渡せるように車座に着席し、一人が教室の真ん中あるクリス
ンバーたちと会うと旧友に会ったようなリラックスした気分
この気分にモンチアズールの時の生活を思い出しました。
月に一度行われる全体集会の朝、場が少し緊張気味なのです。
一〇〇箇所以上あります。日本にも北海道にその思想を取り
た。みんなでアッシジのサンフランシスコを歌うとか、美しい詩でもい
宅地と工業地域に施設はあります。この団体はシュタイナー
しかしすぐブラジル的挨拶、キスと抱擁に大きな笑い声が聞
入れた団体があると聞きます。
まる前にちょっとだけ、心が温かくなる瞬間があるといいなと思いまし
分、お寺や仏像・仏壇、大きな木などの前で手を合わせる行為も日常の心
になりました。そしてテーブルからテーブルへと知っている
こえ始め温かい気持ちになるのでした。
﹁キャンプヒル﹂と違う点を簡略して説明すると当団体は
基本的に﹁給料﹂が支払われる。キャンプヒルの基本的方針
祭事とは宗教などの特別なことでなく、日本なら正月、お盆、秋分・春
12/13 に学校で行われたアドベントをちょっと紹介します。朝、教室に
この団体の活動がモンチアズールとはことなるものの、い
ろいろな点が似通っています。そのことをこれから数回に分
パーティの話の続き。団体のトップが、先週亡くなったば
かりのメンバーを追悼しながら涙と笑いで当団体を紹介し
は﹁ 無給 ﹂ で 共 同生 活 の 中 で 生 活を 保 障さ れ ま す。﹁ ガ ル バ
在は元小学校と工場跡地を利用して二つのデイサービス施設
の人たちは体験済みだと思います。
思 想 障 害 者 施 設 の 中 で 有 名 な 活 動﹁ キ ャ ン プ ヒ ル コ ミ ュ ニ
て、その後今は引退した創設者が団体の草創期を話しました。
ルド﹂はキャンプヒル活動の郊外型農業・芸術・教育ベース
パーティ会場にいる間、モンチアズールにいるとき感じて
いた親戚の中にいるような気持ちになりました。まさしく創
があり、居住施設は三箇所あります。今現在職員だけで百人
そこで提案です。CRI でも会議や飲み会などで集まるときに、会が始
メンバーと挨拶をして回り、毎日会っているのに同窓会のよ
彼の﹁創設時と変わらない温もりがこの会場にも漂っていて
のシュタイナー思想からいいエッセンスを残しつつ都会に住
設者が指摘した空気だと思います。親戚でもない人々との間
以上、一日の施設利用メンバー数は百五十人を越えます。
を失ってしまったのではないかな。
けて紹介してコミュニティーということを考えていきたいと
安心した﹂という言葉が印象的でした。そしてメンバーたち
む 障 害 者 の 人 た ち と 職 員 を 対 象 に し た 団 体 で す。 創 設 者 も
にどうしてこのような空気が作られるのか。モンチアズール
小さな子供が自分もほしい年頃なのに妹のために我慢して譲る姿を見たと
きのような、心打たれる気持ちと似ている。
ティー﹂を基のアイデアとしてできたコミュニティーです。
の演奏するバンドと共にみんなでケルトダンスを踊り、四時
キャンプヒルを経験したことのある人です。
という遠い国で文化も違うブラジルとスコットランドのコ
デ イ サ ー ビ ス は、 陶 器、 木 工、 織 物、 人 形 作 り、 ケ ー キ、
パン工房、コミュニティーの料理作り・台所仕事に演劇、絵、
に過ごす期間)の行事がありました。シュタイナー学校は季節の祭事をと
ても大事にします。モンチアズールでも同じ祭事をします。ボランティア
うな気分でした。
間があっという間に過ぎました。最後は別れを惜しむように
ミュニティーがなぜ似た空気を育んでいるのか。﹁経済的障
音楽教育などのワークショップを運営しています。午前の部
ると幸せな気持ちになると喜んでいます。
﹁キャンプヒルコミュニティー﹂とは郊外で農業と芸術を中
スコットランドが生んだ有名な民謡﹁蛍の光﹂を手をつない
四十二年前、街中に障害者と職員が共同生活を送ることが
可能な大きい家を借りました。そこの倉庫で昼間木工製作な
害﹂や﹁心身的障害﹂という社会的制限が人々に人間として
と午後でメンバーは好きにクラスを選べます。
で歌ってパーティはお開きになりました。
の優しさを生み出してるのだろうか。それとも﹁シュタイナー
シュタイナー思想を元にして作られた施設ですがメンバー
どのワークショップを始めたのがこの団体の始まりです。現
思想﹂が影響しているのか。
鈴木真由美
カノアでの活動は保育園の設立に始まり、その活動自体は二〇〇六年
より﹁光の子どもたちの会﹂︵私が代表を務めています︶に受け継がれ
より﹁国際ボランティア貯金﹂の助
CRI
ました。そんな中、﹁光の子どもたちの会﹂で行なっている活動以外で、
地域からニーズの高い事業を
成金をいただき、二〇〇七年より四年に渡り実施してきました。
二〇〇七年、安藤将さん︵通称:まっさ︶が大きな責任を担い、エス
テーヴァン村住民協会の長年の夢であった﹁コミュニティーセンター︵事
業名では多目的教育センター︶﹂の建設を行いました。その後、コミュ
ニティーセンターを地域に根ざした活動の場として広く使用していって
欲しいという目的から、教員養成講座、青少年職業訓練講座等を実施し
てきました。
そんな中、エステーヴァン村の青年のひとり、﹁ホビーニョ﹂は持ち
前の手先の器用さと、木工という天職に気づきました。現在では自分の
木工所を 構え、木工職人として家具の製作から修理、玩具や木工細工に
至るまでを手掛けています。残念ながらまだ、〝パートナー〟と呼べる
助手とさえも出会えていない状況ではありますが、村の新たな職業が開
拓され、村の青年が自分自身の力で木工所を構えるまでに至ったことは、
私たちにとって大きな力であり、宝となりました。
による支援が完全
二〇一一年三月末をもって、カノアに対する CRI
に終了することとなりました。これまで﹁国際ボランティア貯金﹂を通
じて行なってきた事業は、エステーヴァン村の中で今後も育ち続けてい
くと思っています。コミュニティーセンターは当初、青少年グループに
より運営されていましたが、継続的な活動の実現には程遠く、今まで何
人もの日本人ボランティアがもがき苦しみ、悩み続けてきました。それ
が現在では、女性グループが中心となって管理・運営するようになった
ことで、今まで以上に有効的な建物の活用が実現されるように なりまし
た。私達日本人の手を離れ、地域住民が自ら管理・運営することができ
るようになってきたことは、最大の目的の達成とも言えます。
これからも﹁光の子どもたちの会﹂を通じて、カノアの活動は続けて
を通じてカノアでの活動を支えてくだ
いくこととなります。長年 CRI
さった皆様、本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。
2011/12/14 CRI メーリングリストへの投稿より転載
12
リスマスキャロルを歌い、ストリーテリングの教師が冬の寒さの中での人
間の温かさを感じさせる物語を語りました。心の温まる物語の世界に入り、
13
スコットランドでシュタイナー思想と
コミュニティー生活
CRI によるカノアでの活動、終了報告
報告会についてとのことだったが、この三ヶ月色々
なことがあり過ぎて、大方忘れてしまったので、どう
University of
︵ブリティッシュコロンビア大学︶
British Columbia
︵ 成 人 教 育 ︶ を 勉 強 し て い る。 お
Adult Learning
本 に 帰 国 し、 こ の 九 月 か ら カ ナ ダ の
で
かげでブラジル滞在中は、入試勉強のため、沢山のフェ
何が起きたのか、全く知らなかった。最初に教えてく
ランティアハウスにいたこともあり、確か十三日まで、
それは、あの日、三月十一日、僕はモンチアズール
にいたということ。インターネットもテレビもないボ
︵持続可能な社会のためのリーダー養成講座︶という
こで参加している
にすんだともいえるのだが。それはさておき、現在そ
のせいもあって、日本の彼女︵今は奥さん︶を忘れず
スタを断らざるをえなかった。まあ、逆に言えば、そ
れたのは子ども達。最初は冗談だと思っていたが、彼
︵リナックス︶という誰でも開
コースの中で、 Linux
システムがなぜ成功したかについ
OS
Sustainability Leadership Program
らに、ツバサの家族は大丈夫?と聞かれた時、これは
発に参加できる
ての課題が出た際に、こんな事実に出会った。 Linux
うニュースが流れてきた。もう自分の知っていた日本
その普通でさえ人間には難しい。でもきっと、これか
社会。それは自然界が普通にしていることだけれど、
うこと。もらうことではなく与えることを基準とする
開 発 者 た ち の 合 言 葉、 そ れ は﹁ You give more than
﹂ つ ま り、 与 え よ、 汝 が 得 る 以 上 に、 だ と い
you get
は無くなってしまうかもしれない。そんな不安が胸を
日に募っていく中、本気で日本に帰ろうと何度も思っ
で知った。自分も何かしなくては、そんな思いが日に
大きな波に、自分が少しでも寄与できたのだとしたら、
きいけれど、モンチアズールコミュニティを創り出す
ルで得たものは、確実に自分が与えられたものより大
のは、そういうことなんだと思う。自分がモンチアズー
らのコミュニティを創ること、社会を創ることという
た。でも、帰らなかった。それはいつ会っても日本の
それ以上の宝物はない。
Facebook
家族や友人の安否を気遣ってくれるモンチアズールの
サンパウロのモンチアズールからボンジーア こちらは昨日から、夏時間
に切り替わりました。みなさんはじめまして。私は九月二十三日から七週間
そ の 後、 六 月 に 約 八 ヶ 月 滞 在 し た ブ ラ ジ ル か ら 日
人々に伝えることができた。
一緒に、かたちばかりのありがとうをファヴェーラの
りながら、もう一人のボランティア青山ゆかちゃんと
交流協会や岩手県人会を始め、色々な人にお世話にな
走した。反省はいろいろあったけれど、ブラジル日本
ブラジル祭をするため、言葉通り、サンパウロ中を奔
そこから約二ヶ月、ファヴェーラの人に喜ばれる日本
にしっかり、 ありがとうで 応える事だ、 そう思った。
いる自分にできるのは、とてもシンプルなこと、それ
れている人たちがここにいる、ならば今サンパウロに
からだ。そうだ、これだけ日本を心配し、応援してく
人々の温かさが、その想いを違う方向に導いてくれた
ティアとして次々と東北に発っていくのを
しめつけていた。そんな中、広島の友人たちがボラン
が写っていた。数日後、今度は、原子炉が危ないとい
そこには、見たことのない津波と、見たことのない街
で﹁大地震 日本﹂
何か尋常ではない、と感じ、 youtube
と検索してみた。そして目の前の映像に言葉を失った。
しても忘れられない事実をひとつ。
古賀翼
堀内京子
﹂とハグされるなど、日本人どころか東洋人さえあまりみ
﹂と声をかけられ、お姉さんにも﹁お好み焼き、おいしかったわ∼。私、
!
広 く て 明 る く て、 台 所 も 清 潔 で す ︶
子連れで﹂とメールしていました。今、私が保育園︵日本からの支
援で素敵にできあがった保育園ですね
ますか
しいだろうなあ﹂と思い、思わず、大輔さんに﹁モンチアズール、私も行け
間に、﹁仕事に復帰したらもう、ブラジルに行けるだけの休みをもらうのは難
夢になりかけていました。それが、子どもが生まれて育児休暇を取っている
新聞記者をしている私は十年前、取材で初めてブラジルに来ました。その
ときにブラジルに魅せられて以来、もう一度行きたいと思っていながら遠い
誠実な仕事をして、どれだけ愛されてきたかを感じる毎日です。
たという二〇〇人以上の日本からのボランティアたちが、これまでどれだけ
年もの長い間、もはや名誉住民の大輔さんはもちろん、リンダウバ家に泊まっ
ちに囲まれるとは思ってもいませんでした。それから三週間がたち、二十三
かけないようなこの地域で、こんなにも日本を身近に感じてくれている人た
日本料理大好き
シ
唱でした。サッカー広場周辺では、そのあたりの男子から﹁ヤキソバ ﹂﹁ス
つくと子どもたちがこっちを見ながら歌ってくれていて、すぐにみんなで合
は懐かしい日本の歌、﹁大きな歌﹂や﹁大きなクリの木の下で﹂でした。気が
ルチャーセンターの校庭を歩いていると、どこからともなく聞こえてきたの
の予定で、モンチアズールで過ごす機会をもらいました。到着してすぐ、カ
!
は笑顔になり、子どもたちが競うように﹁名前は
﹂﹁何歳
﹂と聞いて抱っ
?
した報告は次の機会に。乞うご期待
!
ることが幸せです。帰国したらたくさん、みんなと話したいです。ちゃんと
ありますが、いろいろな人たちがつないできたバトンリレーに参加できてい
︵民族祭り︶ が開かれる予定で、ボランティアのマリコさん
festa dos povos
と一緒にヤキソバと太巻き寿司のブースを出す予定です。限られた日数では
する日も遠くありません。帰国の一週間前にはちょうど、シャカラの学校で
こしてくれます。始まったばかりのモンチアズールの生活、でももうお別れ
?
習得しました。息子と歩いているとまるで海に道ができるように、大人たち
家に預かってもらい、お腹一つこわすことなく、日焼けして、投げキッスを
や厨房に入っている日中、一歳六ヶ月になる息子はモンチアズールの女性の
!
?
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15
!
!
3.11
子連れで楽しさ二倍 ! モンチアズール便り
CRI 会員の募集
メーリングリスト参加のお願い
CRI - チルドレンズ・リソース・インターナショナル(「子
CRI ではメーリングリストを設けて、会員間での意見
どもたちのための国際資源」の意)は、参加するメン
や情報の交換をおこなっています。下記 URL を開く
バーがそれぞれに自分の持つ能力、知識、情報、時間、
と、過去の投稿を見たり、参加登録や退出の手続き
資金などを「資源」として提供することで、ブラジル
がおこなえます。皆様のご参加をお待ちします。
と日本の両国で生きる子どもたちの「子ども時代」を
ht tp://w w w.freeml.com/criopen
守り、支援することを目的とするグループです。
CRI への参加の方法としては、ブラジルや日本での活
動に直接参加することの他に、CRI 会員として会の活
動を精神的、経済的に応援する仕方があります。CRI
の会員になっていただいた方には、活動の最新情報
を載せた「くりあんさブラジル通信」
(旧「CRI 通信」)
を年に 2 回お送りしています。
会費について
CRI では、それぞれが可能なリソース(資源)を持ち
寄るという考えから、一定の会費を定めていません。
参考としては年に 3,000 – 5,000 円振り込んでいた
だく方が大半です。継 続した活動を可能にするため
に毎月 2,000 円(年間 24,000 円)、5,000 円(年間
60,000 円)と決めて振り込んでくださる方もいます。
会費納入方法
■
郵便振替
口座番号
00200 - 9 - 62458
加入者名
C.R.I
■
銀行振込
振込先
みずほ銀行 麹町支店 (021)
口座番号
普通預金 1734036
口座名
シーアールアイ
ダイヒョウオヌキダイスケ
*通信欄に「CRI 会費」とご記入ください。
*銀行振込の方は、会費納入の際に下記連絡先へメー
ル、ファックス、郵便のいずれかの方法で連絡先をご
連絡いただきますようお願いいたします。
連絡先
〒 259-1292
神奈川県平塚市北金目 4 -1-1
東海大学国際学科気付
FAX: 0463 - 50 - 2407
e-mail: [email protected]
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