標題:急がば読め!!! - NIKKEIBP Blog

2003年度商学部学生懸賞論文
標題:
急がば読め!!!
論文要旨
1980年の一号店のオープンから22年、セルフサービス式コーヒー店の
火付け役となり、それまでの喫茶業界に革新をもたらしたドトールコーヒー。
成熟市場と言われる喫茶業の中でコンビニ並の多店舗出店で今も順調に売上を
伸ばしている。
しかし、長く独走状態にあったドトールだったが外資系チェーンの参入によ
りドトールコーヒーの影が薄くなった。このまま過去の存在になってしまうの
か。ところがドトールコーヒーは過去どころか未来形で日々進化していた。何
が消費者の心をつかんでいるのだろう。ドトールコーヒーの多業態展開の真髄
に迫った。
《学籍番号・名前》
代表者
35010258 大石
多恵子
女
35010517 神吉
記親夫
男
35010771 澤中
孝仁
男
35011157 鶴間
陽子
女
35011572 松井
香織
女
-1-
―目次―
☆
序論
∼研究動機∼
☆
第1章
喫茶市場トップシェアを誇る二大スターの歩み
第1節
ドトールコーヒー
・ ドトールコーヒーの会社概要
・ ドトールコーヒーの沿革と事業内容
第2節
スターバックスコーヒージャパン
・ スターバックスコーヒージャパンの会社概要
・ スターバックスコーヒージャパンの沿革と事業内容
☆
第2章
二大スターの比較から見るドトールの特徴
第1節 ドトールコーヒーとスターバックスの違い
・ ドトールコーヒーの取り組みと姿勢・考え方・業績
・ スターバックスの取り組みと姿勢・考え方・業績
第2節 ドトールコーヒーとスターバックスの比較
☆
第3章
ドトールコーヒー多業態展開の全貌
∼時代背景とドトールコーヒーの展開∼
・ 1960年代
・ 1970年代
・ 1980年代
・ 1990年代
・ 2000年代
☆
終章
時代と鳥羽氏のラブゲーム
☆
文献表
-2-
序論
街や駅構内でいつ頃からカフェというものを目にするようになったか覚えているだろう
か。そして、数年前コーヒーブーム・カフェブームという言葉がメディアを飛び交ってい
たことはまだ記憶に残っているだろうか。
メディアでカフェブームと騒がれていた頃、わたしたちは「お茶しよう」という言葉を
ショッピングしている最中や、友達と会う際によく使用するようになっていた。それは、
“カ
フェで何か飲みながら話をする”ということなのだが、その際、場所を探すのに苦労はし
ない。なぜなら街や駅構内のいたるところにカフェが軒を連ねるからである。ドトールコ
ーヒー・スターバックス・サンマルクカフェ・タリーズコーヒー・エクセルシオールカフ
ェ・・・。今すぐ名前を思い出せないものも含めるといくつあるのかわからない。
このようにカフェはわたしたちの生活に定着し、生活の一部となったが、今になって思
う、あの頃メディアがカフェブームの中で一番に騒いでいたドトールコーヒーVS スターバ
ックスというのはどうなったんだろうと。そして、その当時の新聞記事を見ていたところ、
一面に大きく「ドトールコーヒー、からめ手からライバル包囲」という記事があり、目を
引いた。そのときにドトールコーヒーは多業態を展開している企業であることを知り、何
故ドトールコ−ヒーは多業態展開をしているのだろう、という疑問がふと浮かんだ。
そもそもドトールコーヒーとスターバックスは大きく違う。ドトールコーヒーは日本の
企業で、スターバックスは外資である。そんなことは周知のところだと思うが、カフェブ
ームの始まりはスターバックスの日本参入であり、スターバックスはカフェとして作られ
たが、ドトールコーヒーはカフェに仕立て上げられたのだ。
その辺りの話も含め、わたしたちが日頃お世話になっているドトールコーヒーが何故多
業態展開をしているのか、その理由は客の声なのか、客を飽きさせないためか、競合企業
に対抗するためか、社員のアイディアか、社長の気まぐれなのか、・・・・などの私たちの
疑問を解き明かしながら、カフェブームによりカフェに仕立て上げられたドトールコーヒ
ーの現状と今後について検討したい。
そこで、今やカフェという言葉は日常会話にもよく登場している言葉だが、本来はどう
いった意味合いをもっているのだろうか。また、カフェは喫茶店とどう違うのだろうか。
『カフェ』と辞書で引いてみると、“大正から昭和初期、女給が接客して洋酒などを飲ま
せた洋風の飲食店”と記してあり、『喫茶店』と辞書で引いてみると、“コーヒー・紅茶な
どの飲み物やケーキ・パンなどの軽食を客に供する飲食店”、と記してあった。
喫茶店に関しては、辞書の意味合いそのものであるが、カフェに関しては、今わたした
ちが日常で使用している意味合いと異なるようだ。そこで、以下で述べる『カフェ』とは、
コーヒーや紅茶などのドリンク類・軽食をメニューとし、やすらぎとくつろぎを提供する
テーマ性のある空間、だと定義する。
-3-
第1章
第1節
喫茶市場トップシェアを誇る二大スターのあゆみ
ドトールコーヒー
『ドトール』といえば「ドトールコーヒーショップ」という喫茶店を経営している会社、
と思っている人がいったいどれほどいるだろう。確かに今は店舗数の多さからドトール=
喫茶店・カフェとすぐに連想できるが、なんとその喫茶という顔はドトールの一部にすぎ
ないということを知っているだろうか。
実はドトールはもともとコーヒー豆の輸入・焙煎・卸をメイン事業としてスタートした
会社なのである。これに店舗運営や小売、そしてハワイ自家農園での生産部門も加わり、
一貫した自社管理システムを確立。ハワイの自家農園で収穫されるコナコーヒーをはじめ、
厳しいドトール基準をクリアした高品質の生豆だけを輸入、その豆を焙煎機までを独自に
開発した自社工場で、最新のテクノロジーと熟練した職人技との調和を図りながら、常に
最良の状態で焙煎される。まさに苗木からカップの中のコーヒーまでの全てをまかなう「コ
ーヒー専門商社」なのだ。もちろん現在もコーヒー豆を喫茶店、レストラン、ホテルなど、
首都圏を中心にお得意様に卸している、コーヒー流通業界の大手、それが『株式会社ドト
ールコーヒー』の実像だ。
また、ドトールコーヒーでは以下の7つの業態でフランチャイズ事業を展開している。
● ドトールコーヒーショップ
日本でのセルフスタイルコーヒーのパイオニア。「さりげなく小粋」がコンセプト。
● カフェ・コロラド
「明るく健康的で老若男女が共に親しめる店」がコンセプトのコーヒー専門店。
● オリーブの木
独特の生麺パスタと前菜ドルチェが中心のカジュアルイタリアンの店。
● エクセルシオール
カフェ
イタリアン・モダンをテーマに本格エスプレッソが楽しめるエスプレッソカフェ。
● マウカメドウズ
ハワイアンリゾート感覚。ハワイ島の自家農園で収穫したコナコーヒーと焼きたてワ
ッフルが人気の店。
● サロン・ド・テ・マドレーヌ
紅茶とケーキをメインメニューにし、女性をターゲットにしたフレンチカジュアルテ
ィーサロン。
● ル・カフェ・ドトール
ドトールが展開するセルフスタイルコーヒーショップの中で最高級業態。
ドトールコーヒーの会社概要は図表1のとおりである。
-4-
図表1.会社概要
名称
㈱ドトールコーヒー
代表者
代表取締役社長
本部
東京都渋谷区神南 1-10-1
鳥羽
博道(とりば
ひろみち)
Tel. 03-5459-9007(代表)
設立
1962 年 4 月 26 日
資本金
60 億円
事業内容
1.コーヒーの焙煎加工並びに販売
2.食品の仕入、販売及び輸出入
3.飲食店の経営
4.フランチャイズチェーンシステムによる飲食店の
募集及び加盟店の指導
ドトールの沿革の沿革は図表2のとおりである。
図表2.ドトールの沿革
1962 年
有限会社ドトールコーヒーはコーヒー焙煎加工卸販売を目的に設立。
1972 年
4月:
神奈川県横浜市に「カフェ・コロラド」(チェーン加盟店)第1号を
開店。
1976 年
1月:有限会社ドトールコーヒーを株式会社ドトールコーヒーに組織変更。
1980 年
4月:東京都渋谷区に「ドトールコーヒーショップ」チェーンのフランチャイズ
第1号店を開店。
10月:東京都港区に「ドトールコーヒーショップ」チェーンの直営第1号店を
開店。
1982 年
1月:直営店の拡充を図るため喫茶部門を分離独立し子会社株式会社ドトールシ
ンボライズを設立。
1985 年
7月:東京都目黒区にカジュアルイタリアン「オリーブの木」チェーンの直営
-5-
第一号店を開店。
10月:大阪府大阪市に西日本地区の販路拡大のため西日本 FC 本部(現
DC
S 西日本事業部)を新設。
1988 年
4月:東京都国立市に「オリーブの木」チェーンのフランチャイズ第1号店を開
店アメリカの民間企業として初めて、パートタイマーを含む従業員に自社
株式購入権を提供する、ビーンストック制度を開始。
1993 年
12月:米国ハワイ州に子会社株式会社ドトールコーヒーハワイを設立。
1996 年
4月:東京都豊島区にハワイアンリゾートがコンセプトの「カフェ・マウカメ
ドウズ」直営第1号店を開店。
1997 年
4月:東京都豊島区にイタリアンエスプレッソ「エクセシオール・カフェ」直
営第 1 号店を開店。
1998 年
11 月:東京都中央区にドトールが展開している業態の中でも最高級の「ル・カ
フェ・ドトール」直営第1号点を開店。
2000 年
1月:東京都港区に株式会社マドレーヌコンフェクショナリーをケーキ類の製
造・販売を目的として設立。
2002 年
7月:東京都豊島区に女性向ティールーム女性向けティールーム「サロン・ド・
テ
マドレーヌ」直営第1号店を開店。
10 月:子会社株式会社ジャマイカコーヒーを、コーヒー豆の販売を目的として
設立。
2003 年
11 月:東京証券取引所市場第1部に株式を上場。
2004 年
3月:株式会社ドトールコーヒーハワイに当所有者ハワイ農園の全資産を現物出
資。
近年では、消費者にアッと驚かせるような場所へ出店してきた。昭和女子大付属病院の入
口、ガソリンスタンド併設型ドトールコーヒーショップなどである。また、コンビニエン
ス・ストア(CVS)や量販店向け商品開発を本格化し、食品メーカーとしての基礎を築
-6-
くことに力を入れてきた。その結果として、コーヒー関連商品からココア、ティーといっ
た新商品を次々と開発し、消費者に「ドトールコーヒー」というブランドを認知させる原
動力となっている。
第2節
スターバックスコーヒージャパン
スターバックスコーヒージャパンはエスプレッソを主体にしたコーヒーを、バリスタと
呼ばれる従業員が顧客の好みに応じて作る「スペシャリティーコーヒー」が売り物で、オ
フィス街の中心部などに出店し、おしゃれな雰囲気がサラリーマンやOLの人気を集めて
いる。
スターバックスの日本進出は95年10月。米スターバックス・コーポレーションと、
日本の服飾・雑貨販売やレストラン経営を手掛けているサザビー社が折半出資でスターバ
ックスコーヒージャパンを設立したのがスタートだ。96年8月の第1号店の開店から、
わずか5年で300店舗に急成長した。97年3月期でわずか3億5600万円だった売
上高は、2001年3月期には80倍の291億円に急増した。この間の経常利益も2億
6600万円の赤字から、14億円の黒字に転じた。
外食産業で低価格競争が激化している中、スターバックスコーヒージャパンの価格帯は
300円前後からと、競合相手と比べて安くない。「価格は高めでも、手の届くぜいたく」
を提供することで、デフレ下の日本経済での消費者心理を巧みにとらえることに成功した
と言える。既存店舗の売上高の伸びだけにはこだわらない、「くつろげる空間」づくりにこ
だわりをもち、リピーターをつなぎとめることが重要と考えている。
また、リピーターをつなぎとめる要素は「くつろげる空間」づくりだけでなく、事業内
容の一つである関連商品の販売もその要素である。それはお菓子やコーヒー用器具、飲み
物を飲むためのコップ、マグカップ、水筒にまで及んでいる。その中で、なんといっても
オリジナリティ溢れるのはタンブラー(硬いプラスチックで出来たカップ)は、地域・国・
シーズンによって作られる限定商品が多く、この商品目当てで来店するお客も少なくない。
スターバックスコーヒージャパンは、出店の際の立地選定を、喫茶店「アフタヌーンテ
ィー」を展開するサザビーのノウハウを生かし、お客様に「くつろげる空間」の提供と、
関連商品の充実によってリピーターを増やし、今や喫茶市場を語るのに欠かせない企業と
なっている。
ではここで、スターバックスコーヒージャパンの会社概要(図表3)と沿革(図表4)
についてみてみる。
図表3.スターバックスコーヒージャパンの会社概要
名称
スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社
代表取締役 最高経営責任者(CEO)
-7-
角田雄二
代表取締役 最高執行責任者(COO)
サ ポ ー ト セ ン タ 〒150-0001
桝田
直
東京都渋谷区神宮前 2-22-16
ー(本部)
Tel. 03-5412-7031(代表)
設立
1995 年 10 月 26 日
資本金
83 億 3,064 万円
事業内容
コーヒーストアの経営/コーヒー及び関連商品の販売
スターバックスコーヒージャパンの沿革は図表4のとおりである。
図表4.スターバックスコーヒージャパンの沿革
1995 年
東海岸市場向けに、最新鋭のロースト工場をペンシルベニア州ヨークに開設。
10 月、スターバックス コーヒー インターナショナル社(米スターバックス社
の国際事業部門を担う子会社)と日本の株式会社サザビー(小売・飲食店業)が、
日本での店舗開発を目的とする合弁事業提携を結び、スターバックス コーヒー
ジャパン株式会社を設立。
1996 年
8 月、スターバックス コーヒー ジャパンが、北米・カナダ以外で初めての店舗
を東京・銀座に開設。
スターバックス コーヒー インターナショナル社は、ハワイでの店舗開発を目的
としたコーヒーパートナーズハワイ社との設立契約を結び、ホノルルのカハラモ
ールに 1 号店を開設する。
1998 年
日本における店舗数:3
11 月、関西地区における 1 号店、スターバックス コーヒー 梅田 HEPFIVE 店が
オープン。
1999 年
日本における店舗数:40
11 月、キャラメルマキアートが日本市場で定番商品として販売される。
日本における店舗数:97
2000 年
2 月、日本市場における 100 号店が、東京・赤坂にオープンする。スターバック
ス コーヒー 山王パークタワー店は、日本人アーティストによる絵画を店内装飾
に用いた最初の店舗となる。
3 月、愛知県名古屋市に、東海地区第 1 号店がオープンする。
4月
福岡県に
九州地区第 1 号店がオープンする
-8-
10 月、宮城県仙台市に、東北地区第 1 号店がオープンする。
11 月、岡山県に、中国地区第 1 号店がオープンする。
日本における店舗数:194
2001 年
1 月、日本市場における 200 号店が、東京・立川にオープンする。
3 月、スターバックス コーヒー ジャパン(株)は、一定基準を満たすアルバイ
トと従業員を対象にストックオプション制度を導入する。
4 月、北海道・札幌に、北海道地区第 1 号店がオープンする。
5 月、東京・新宿に豆専門店の第 1 号店がオープンする。
10 月、
・大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場(現ヘラクレス)に上場する。
・日本市場における 300 号店が新大阪にオープンする。
11 月、営団地下鉄日本橋駅構内にテイクアウト専門店第 1 号店「スターバック
ス コーヒー 日本橋メトロピア店」がオープンする。日本における店舗数:321
2002 年
1 月、2001 年度 日経流通新聞最優秀賞を受賞する。
2 月、香川県に、四国地区第 1 号店がオープンする。
3 月、環境マネジメントシステム 国際規格 ISO14001 の認証を取得する。
4 月、石川県に、北陸地区第一号店がオープンする。
6 月、沖縄県に、沖縄地区第一号店がオープンする。
9 月、日本市場における 400 号店が横浜にオープンする。
12 月、プリペイド方式カード『スターバックス カード』を導入する。
日本における店舗数:434
第2章 二大スターの比較から見るドトールコーヒーの特徴
第1節
ドトールコーヒーとスターバックスの違い
①ドトールコーヒーの取り組みと姿勢・考え方・業績
1962年に、ドトール1号店がコーヒー焙煎加工卸販売を目的に設立されてからFC
展開を開始したのが、1972年7月「カフェ・コロラド」。ドトールコーヒー自体のFC
展開は、1980年から現在の形態で展開をしている。現在、店舗数は海外を含め800
店舗を超えている。都心部なら、駅ごとに1∼2店は必ず出店している。
1杯150円という革命的な安さでコーヒーを販売しはじめ、大きく成長した。現在で
もコーヒーを180円という低価格で提供しつづけている。言わば、セルフ方式の安売り
-9-
コーヒーショップの先駆けといえるお店であるのだが、“喫茶店の価格破壊”というイメー
ジでも見られがちだ。しかし、ドトール社長の鳥羽博道氏はこのように述べている1。「価
格破壊という認識はありません。開店当時は一杯150円でしたが、立ち飲み式だったの
でそれでも高過ぎるかと思っていました。いかに安くておいしいコーヒーを合理的に飲ん
でもらうかを考えたらセルフ型になっただけです。」と。喫茶店の進化型ともいえるドトー
ルは、このようにしてできあがったのだ。また、チェーン展開についてもこう言っている2。
「私がやりたくないことは、人にもさせないという考え方です。例えば、絶対にやらない
のは24時間営業の店はやらない。自分は、夜は寝たいから、人にもということです。従
属して仕事をするのが私は嫌いだし、従って人を従属させるのも嫌だということです。自
分の嫌なことは相手にもしない。だから、従属したような生き方、属国化、従属化、もし
くは下請け、そういう従属したような仕事は嫌だ。自分の主体性を持ってできる仕事をし
たい。そのかわり、自分がそうなのだから、仮にチェーン本部をつくっても、それに従属
させるようなチェーンはつくらない。」と。各店舗ごとに本部に従属しない、アイディアや
独自性を持たせることを重要視していることがわかる。
近年における業績について見ていこう。平成12年3月期から平成15年3月期までの
売上高・経常利益を図表5・6にまとめた。
図表5.ドトールコーヒーの売上高
65000
60000
55000
50000
45000
40000
35000 32638
30000 30508
25000
平成10年
多業態含む
ドトール単独
売上高
(百万円)
59345
52319
44463
39258
39713
42492
37933
34809
平成11年
55886
50033
平成12年
平成13年
平成14年
平成15年
図表6.ドトールコーヒーの営業利益
営業利益
多業態含む
ドトール単独
(百万円)
5000
4500
4530
4189
4000
4146
3593
3500
3213
3000
2500
2164
2000
1992
1500
平成10年
4253
4426
3584
2760
平成11年
平成12年
- 10 -
平成13年
平成14年
平成15年
ドトールコーヒーの収益を見てみると、主にコーヒー豆の卸売業務とFC事業の2つで構
成されている。しかも、通常のFCとドトールコーヒーのFCが根本的に異なる部分があ
る。それは、ドトールコーヒーが主力商品の素材(それも圧倒的な売上比率を有するコー
ヒー)のメーカーでもあるというところだ。いわば、ロイヤリティのみに依存する他の飲
食FCよりも、構造的に強いビジネス基盤を持っている。ドトールコーヒーでは、加盟時
に徹底した教育・研修を行なうことで、店舗運営・オペレーションに関してのアイデンテ
ィティを確立するのが難しい難問をクリアしている。具体的にその教育を行なっているの
は、「IRP経営学院」で、本社内の 1 事業部としての位置づけである。「IRP」とは、
アイデアル(理想)、レボリューション(革新)、プロスペリティ(繁栄)の略である。I
RPによって、主に加盟店オーナー、またはスタッフとなる人を対象に、調理、接客、運
営など店舗経営に必要なノウハウだけでなく、ドトールコーヒーの理念までも 32 日間にわ
たり徹底的に叩き込まれる。研修は、業態ごとに別プログラムとなっているが、FC主力
でありながら、レギュラーチェーンにひけをとらない同社の店舗運営力は、こうした徹底
的な教育によるものである。
ドトールコーヒーのFC業態は、コーヒー専門商社としてコーヒー豆の生産・輸入を手
がけるかたわら、「ドトールコーヒーショップ」
「エクセルシオール カフェ」「カフェ コロ
ラド」「オリーブの木」「マウカメドウズ」の 5 業態でFC事業を行っている。喫茶店やホ
テル等へのコーヒー豆の卸売業が全事業に占める割合は、2000 年 3 月期現在約 58%で、収
益を支える柱の一つになっている。
主力のドトールコーヒーショップでは、既に一部で試みが始まっているガソリンスタン
ドや銀行との併設店などの新形態店舗の開発に力をいれ、FC 加盟店の拡大も計画している。
またエスプレッソコーヒー需要に対応した「エクセルシオールカフェ」の出店を積極化、
全国展開も視野にいれ、現在の 22 店から 92 店前後に拡大する方針である。
また新業態への参入にも積極的に行っており、2000 年 7 月 15 日、紅茶をメインに提供す
るセルフスタイルの「サロン・ド・テ マドレーヌ」を東京池袋に開店した。12 種類の紅
茶と 15 種類のケーキ、10 種類のパン、
2 種類のサラダを提供する紅茶専門の喫茶店である。
横浜銀行との共同店舗、ガソリンスタンドでの併設店。昭和女子大付属病院の入口に組み
こまれるようなかたちで営業している店舗がある。いずれも、何らかの理由で待ち時間が
発生する場所に出店する所に出店するところが、ドトールコーヒーの経営理念でもある「一
杯のおいしいコーヒーを通じて、お客様にやすらぎと活力をお届けしたい。」ということが
表れている。
また本屋の店内に読書スペースを設けたのは、関西本社のジュンク堂書店がそのさき
がけだったように、こうした流れを受けて、文教堂との共同店舗の話をまとめてしまうあ
たりが、常に市場調査をかかさないドトールの企業姿勢が出ている。
このように、様々なところにビジネスチャンスを見いだし、新たな試みに挑戦している
点がドトールコーヒーの強みであると私達は考える。
- 11 -
世間でライバル社として名を挙げられるスターバックスについては、鳥羽氏はスターバ
ックスを「生活提案型」と位置づけ、「生活密着型」のドトールコーヒーとの客層の違いを
強調している。ドトールコーヒーにとって、外食他業態は競争相手であるとともに、実は
有力な顧客でもあるとの考えのもと、ドトールコーヒーの前期の売上高(連結)のうち、
その17%はFC以外への一般卸売りであり、取引先には外食と中食の産業が含まれてい
る。
商品は、コンビニでも売られている「ドトール・カフェ・オ・レ」などのプライベート
ブランドがあるが、現在ドトールコーヒーは2003年10月28日に、98年から自社
生産していた「ドトール」ブランドのペットボトル入りコーヒー飲料の生産・販売を日本
たばこ産業(JT)に委託する、と発表した。これにより、ドトールコーヒーはJTへの
コーヒー豆の卸販売に注力し、コンビニや量販店の販売網に強みを持つJTが販売を担当
することになる。また、ファーストフード店や外食レストランなどに供給するドリンク類
(OEM供給)も、卸売りも行なっているドトールコーヒーならでわの強みである。これ
らのコンビニ・量販店向けの販売額が、現在、好調に推移してきており、2001年上期
だけで16億 9000 万円と前期の一年分を稼ぎ出し、2002年3月期は47億円を達成す
る勢いだ。単体売上高の1割を超えるまでに成長した。この事業の戦略メリットについて、
ドトールコーヒーは「相乗効果」を指摘する。
たとえば、コンビニエンスストアの顧入客にブランドが浸透することで、自社店舗への
利用度も拡大できるからだ。さらに、卸売先の拡大に向けては、コーヒー関連商品のため
新たな設備投資が最小限ですむ。自店の販売機会のロスを一定レベルにとどめる限り、ウ
マ味のあるビジネスなのだ。ドトールコーヒーは、一般卸売業を今後の大きな柱に育てる
方針で、他業態との攻防が進展する今、水面下で外食産業そのものを顧客に取り込む効果
は、その売上げのみならず、自社の商品開発力のアップにもつながる。卸売機能は、他業
態との攻防戦を乗り越えて勝ち残る戦略でもあるのだ。他業態とのさらなる競合が続く中、
複数の業態展開で類似店とのつぶしあいの痛手が少なく、一般卸売事業の進展で他業態と
の競合部分も減らせるドトールコーヒーは、今のところ市場を一歩リードしている。
②スターバックスの取り組みと姿勢・考え方・業績
スターバックス店内では、品質の高さで定評のあるスターバックスコーヒー社のコーヒ
ーやエスプレッソ・ドリンクを、経験豊かなバリスタ(店員)がお客様の注文に応じて一
杯一杯丁寧に作り、提供している。メニューの中心は、エスプレッソをベースにし、ミル
クなどを加えたラテやモカなどである。そしてサイズはショート、トール、グランデの3
種類ある。これまで日本ではなじみの薄かった、ラテ、モカといった本格的なエスプレッ
ソのドリンクの登場で、またたく間に人気商品になった。また、スターバックスでは、オ
プションでシロップや低脂肪乳、ハチミツなどを加え、自分だけの一杯を作ることもでき
る。こういった点から、スターバックスの独自性が見えてくる。
- 12 -
また、世界のコーヒー生産地から厳選された世界最高級のアラビカ種のコーヒー豆を、
現地に直接出向いて厳選し、開封後7日以内の豆しか使わないというこだわりから、品質
管理の厳しさを徹底していることが分かる。
スターバックスコーヒー独自の芳香と深い味わい、そしてコーヒー知識に富んだフレン
ドリーなバリスタが醸し出す雰囲気は、新鮮でユニークなスターバックスコーヒー店なら
ではのもので、今までのコーヒー店では得られなかった“スターバックス・エクスペリエ
ンス”を味わうことができる。これは、アメリカのサービス、インテリア、レシピをその
まま日本に持ち込んだことから言える。店内にはひきたてのコーヒーの香りとオシャレな
雰囲気が満ち、職場とも家庭とも違う第三のオアシス「サードプレイス」を提供したい、
というスターバックスの考え方がそのまま表現されている。これこそ、小さなぜいたくを
提供する安らぎの空間であり、女性が一人で来ても入りやすい雰囲気を持ち、これまでの
「コーヒーは男性、紅茶は女性」というイメージを崩して女性客を獲得し、現在では店内
の7∼8割が女性客となっている。
さらに、コーヒーによく合うフレッシュなサンドイッチやペストリー、チョコレートや
クッキー、またお洒落なカップやエスプレッソマシンなどのコーヒー関連商品も販売して
いる。
取り組みと姿勢を考えていくにあたり、近年における業績について見ていこう。平成1
3年3月期から平成15年3月期までの売上高・経常利益を図表5・6にまとめた。
図表7.スターバックス売上高
(百万円)
58000
53000
48000
43000
38000
33000
28000 29134
平成13年3月期
スターバックス売上高
54599
47557
平成14年3月期
平成15年3月期
図表8.スターバックス営業利益
(百万円)
1800
1570
1300
スターバックス営業利益
1530
800
300
-200
平成13年3月期
平成14年3月期
- 13 -
-134
平成15年3月期
スターバックスコーヒージャパンの最高経営責任者(CEO)の角田雄二氏は今の状況
を次のように述べている3。「外食、小売りセクターの経済環境が厳しい状況にあり、既存
店売上高が予想以上の減少になったが、2002年12月現在では、まだ成長の初期段階
にあります。現在、厳しい消費環境でありますが、スペシャリティ・コーヒー・マーケッ
トにおいて、今後ともマーケットシェアを維持・拡大し、継続的な成長を目指していきま
す。」さらに、今後の価格引き下げやフランチャイズ展開について、「まったく考えていな
い」と述べた。価格の引き下げについては、同社はコーヒー豆の生産から販売まで、トー
タルのコストから価格を設定しており、値引きするつもりはない。なぜなら、「最高級のコ
ーヒーの世界一の供給者となる」ことを掲げており、スペシャリティーコーヒーと自称す
るいわば高級コーヒーの提供が基本であるからである。
このグラフから、売上高は増加したにもかかわらず、営業利益が赤字転落したことが分
かる。これまで、平成15年9月末での500店舗体制の構築のために急速な出店速度を
持って事業を拡大してきた。現在も1週間に延べ200万人以上の顧客を獲得している状
況であり、スペシャリティ・コーヒー・マーケットにおいて確固たるシェアを獲得し、広
く日本の顧客に受け入れられたと考えられる。そして将来的には1000店舗以上の出店
を目指している。しかしながら、現在、既存店増収率は前年を下回る状況にあり、売上高
は当初想定した水準を下回る結果となった。
こういった厳しい状況の中でも、中長期的な出店ポテンシャルは1000店舗以上ある
という見方に変更はなく、これまで事業基盤の構築に重点をおいてきた。しかし成長企業
およびブランドとしては現時点ではまだ成長の初期段階にあると考えられる。現在、厳し
い消費環境ではあるが、スペシャリティ・コーヒー・マーケットにおいて、今後ともマー
ケットシェアを維持・拡大し、継続的な成長を目指している。1店舗あたりの平均売上高
も業界で最も高く、1週間の来客数も200万人を超えている結果から、いまだスペシャ
リティ・コーヒー・マーケットが非常に大きく、成長余地が大きいことを示唆していると
考えられる。
第2節
ドトールとスターバックスの比較
ドトールとスターバックスの比較をするにあたり、店舗経営が挙げられる。ドトールコ
ーヒーは5業態を含むとFC加盟店が1067店舗、直営がわずか230店舗である。ド
トールコーヒーショップのみでもFC加盟店が878店舗、直営が108店舗である(2
003年9月末現在)。それに対し、スターバックスは全店舗493すべてが直営店である
(2003年10月26日現在)。
この状況について、喫茶市場の関係者は「ドトールの場合、ショップのそれぞれのオー
ナーがいわば一国一城の主。デフレ不況の中、それぞれが必死になって生き残りをかけて
いる。それに対して直営のスタバの場合、どうしてもサラリーマン店長ではドトールのオ
ーナー社長に比べて現場での真剣さというか、営業力に差がつくだろう。事実、スタバの
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既存店は前年に比べて10%余りも落ちているが、ドトールの既存店はわずか1%しか落
ちていない。ドトールショップ各店のオーナー社長の懸命な営業努力が伝わってくる数字
と言えるのではないか。」と述べている4。
出店戦略について鳥羽氏は、
「立地に応じてすべてを埋め尽くしていきたいという考えが
あります。ドトールコーヒーショップの出来る場所、それからコロラド(コーヒー専門店)
の出来る場所、オリーブの木(スパゲティ店)の出来る場所、それぞれの立地があります
ので、それを満たせる業態を持とうということで、5業態になった。」5と述べている。つ
まり、あらゆる消費者をターゲットにしているドトールコーヒーにおいて、立地に応じて
すべてを埋め尽くすことは必要不可欠であり、そのために5業態展開を行っている。
ドトールコーヒーショップの出店の8割は首都圏で、地方への出店が課題となっていた。
その解決策として、2001年に設備費を従来の1/2の2000万円で済むローコスト
店舗を開発した。これにより、損益分岐点が下がり、出店の範囲が大きく広がった。競合
他社にはないバリエーションに富んだ多業態を持ち、FC、直営の2種類の出店形態があ
ることにより、顧客のニーズや社会構造の変化にもフレキシブルに対応して出店している。
一方、スターバックスでは、先ほど述べた通りFC展開をしておらず、すべて直営で店
舗展開している。FC店と直営店ではコスト面でも大きく違っている。スターバックスで
は、次々に好立地な場所に出店していき、2001年∼2002年に起きた「カフェブー
ム」により、消費者に対するブランド意識が確立された。例として六本木ヒルズには3店
舗もある。銀座、新宿と言った繁華街では数百メートルに複数の店舗を出店し、1 つの商業
圏を抑え他社が出店しにくい状況を作っている。その際、約1億7000万円の費用がか
かっている。出店戦略について比較すると、ドトールコーヒーはローコスト戦略で、スタ
ーバックスは高コストドミナント出店である。
これらの出店戦略は経営戦略の違いから出てきた。ドトールコーヒーはリーズナブルな
価格のコーヒーが「売り」である。しかも、出店地域は都心一等地に限らず、消費者の身
近な所に出店している。例として、都心の駅ごとに1∼2店は必ず出店している。同社は
基本方針について、「創業以来、“一杯のおいしいコーヒーを通じて、お客様にやすらぎと
活力を提供する”という基本理念のもと、顧客第一主義を徹底し、お客様に満足していた
だける商品の品質、店舗の雰囲気、接客レベルを高めることに努めてきました。
」と説明し
ている6。
それに対しスターバックスでは、米国スターバックス・コーポレーションをはじめとす
る全世界のスターバックスの共通の経営理念として「最高級のコーヒーの世界一の供給者
となる」ことを掲げている。スペシャリティ・コーヒーと自称する、いわば高級コーヒー
の提供が基本である。
これらを総括すると、今現在デフレ不況の嵐が吹き付けられている喫茶市場において、
高級感を掲げるスターバックスは大きな打撃を受け、リーズナブルな価格を掲げるドトー
ルコーヒーが消費者に多く受け入れられるようになった、と言える。
- 15 -
また、「自分の存在を脅かす強敵が現れたら、いかに全勢力を注いでそれを退けるか。も
し、全勢力を注がずに負けてしまったら、川の真ん中の流れをとうとうと流れていくこと
になる。それを黙って見ているのは屈辱に他ならない。だから、常に全勢力を注いで戦っ
ていかなければならない。ドトールコーヒーの歴史をいうのは、まさにその繰り返しを言
うことができるだろう。」7と鳥羽氏は言う。これが勝者ドトールコーヒーにはあって、ス
ターバックスにはない根本的な考え方である。
ではこれから、勝者ドトールコーヒーが消費者に広く知られるようになった、多業態展
開の全貌を見ていこうと思う。
第3章
第1節
ドトールコーヒー多業態展開の全貌
時代背景とドトールコーヒーの展開
鳥羽氏は16歳で上京、コーヒー豆の焙煎加工・卸の会社に勤める。このサラリーマン
時代にブラジルのコーヒー農園で現場監督として働き人生観が変わった。当時コーヒー一
杯30円。それが40円、50円、100円と段段値上がりしていき、その様子をみた鳥
羽氏は、このままでは喫茶店はだめになると思い立ち上がった。これがドトールコーヒー
誕生のきっかけである。
①1960年代
・有限会社ドトールコーヒーをコーヒー焙煎加工卸販売を目的に設立
1940年代に復興と安定をほぼ達成した日本経済は、朝鮮動乱ブームの不況を乗り越
え、1954年末から景気上昇局面に入った。1955年には景気が着実に上昇していき、
1957年6月にピークに達する。しかし、その夏から卸売物価、鉱工業生産は下落を示
し、景気は後退し始めた。以後、1965年まで幾度の景気の上昇と下落を繰り返し、時
代はめまぐるしく変わった。
戦後、街は日ごとに喧騒の度合いを増し「ストレス」という耳慣れない言葉が日本で使
われ始めた頃、鳥羽氏の目には、時代にあわせて毎日めまぐるしく働く人々が少し疲れて
いるように映った。やがて、喫茶業とはこのような人々に一杯のコーヒーを通じてやすら
ぎと活力を提供すること、これが喫茶業の存在意義にほかならないのというひとつの答え
にたどりつく。
1962年、ちょうど景気が下落している頃、ドトールコーヒーがコーヒー焙煎加工卸
販売をしたのは、めまぐるしく変化する時代に翻弄され疲れた人々の姿が時代背景にあっ
たからだった。
②1970年代
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・ 1972年7月
神奈川県横浜市に「カフェ・コロラド」第一号店を開店
「いざなぎ景気」と呼ばれた1970年は1960年代の景気下降に終止符を打つ、戦後
経済史上で最も息が長く本格的な回復となった。しかし、1973年 10 月の第一次石油危
機によって日本の経済は異常なインフレ、国際収支の大幅赤字、戦後最大の不況というい
わゆるトリレンマに直面することになった。特に物価面においてオイルショックは 1973 年
初来の景気過熱に伴う物価の騰勢に拍車をかけ、「狂乱物価」と呼ばれた異常インフレを引
き起こした。わずか数ヶ月の間に卸売物価、消費者物価ともに急騰を示し、一部では品不
足でパニック状態に陥った。そうして政府は物価の安定を最重要課題として取り組んでき
た結果、物価は1974年 2 月をピークに徐々に沈静化していった。そして1975年以
降、緩やかな回復過程をたどりはじめた。
いざなぎ景気と世間が騒ぎ、大阪万博の翌年の1971年夏、鳥羽氏はヨーロッパにい
た。喫茶業界が初めて試みるヨーロッパ各国のコーヒー業界の動向を探る視察旅の話が舞
い込み、その視察に参加していたのだ。「喫茶店先進国、コーヒー文化先進国を訪れるその
中に日本の喫茶業の将来像が見えてくるに違いない。」8と期待した故の参加だった。その
期待通り、鳥羽氏は数々のカルチャーショックを受けた。
鳥羽氏は早朝のシャンゼリゼ通りで出勤途中の人々がカフェに立ち寄り、カウンターに
幾重にも並んでクロワッサンを食べ、コーヒーを飲んでいる様を見て吸い込まれるように
その現場を見ていた。皆カウンターの前で幾重にもなって立ったまま飲んでいる。席はガ
ラガラだった。よく見ると立って飲むと 50 円、座って飲むと 100 円で、テラスで飲むと
150 円といった具合に価格が違うシステムだった。この光景を見た鳥羽氏は「これだ!!」
と心の中で叫んだ。それまでの日本にはなかったセルフサービス方式。「やがて日本でも立
ち飲みコーヒーの時代が必ずやってくる。」9と強烈な啓示を受けた。イタリアでも同様な
光景を目にし、ことにドイツではコーヒースタンドの店先でコーヒー豆の挽き売りまでし
ていることに新たな衝撃を受けた。この頃日本ではコーヒーの文化は定着しておらず、コ
ーヒーそのものは主従の関係でいうと「従」だった。喫茶店と言っても薄暗い店内で、漂
う香りはコーヒーの香ばしい香りではなく充満するタバコの煙、コーヒー目的で喫茶店に
来るのではなく、喫茶店はクラシック音楽を聴く場所、仕事をさぼっているサラリーマン
や暇を持て余す人間の溜まり場になっていたのだ。景気が良いもののコーヒータイムを楽
しむ日本人はどこにもおらず、喫茶店は不健康で暗いイメージだった。鳥羽氏は日本のこ
うした現状を頭に思い浮かべながら「フランスのようにおいしいコーヒーを安く飲ませた
い」という気持ちでコーヒーを「主」にした店を立ち上げようと決心した。
こうして視察で得た知識と夢を片手に日本に帰国、鳥羽氏が出した答えは「健康的で老
若男女ともに楽しめる店」というコンセプトに基づいたコーヒー専門店「カフェ・コロラ
ド」であった。
③1980年代
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・東京都港区に「ドトールコーヒーショップ」チェーンのフランチャイズ第1号店を開店
・東京都目黒区に「オリーブの木」チェーンの直営店第1号店を開店
日本経済は、1973年秋の第1次オイルショック発生後、5年に及ぶ調整過程を通じ、
景気の自律的な上昇に必要な条件を次第に整えてきた。1978年にはそうした調整の動
きはほぼ完了し、国内需要を中心とする景気の着実な回復、国際収支の均等化、1978
年秋までの物価安定など、経済の各分野でバランスの回復がみられた。
数年前のオイルショックの影響が根強く尾を引いて、人々の財布のひもはかたくなり、
日々の生活はますますせわしなく、時間がより貴重なものとなっていく。一方、コーヒー
はもはや限られた人の贅沢な嗜好品ではなく、大衆の必需品としての地位を獲得していた。
確実に時代の追い風が吹いている。そう感じとった鳥羽氏は、今こそヨーロッパの国々
で見てきたあの立ち飲みスタイルのコーヒーショップをつくろう、人々のやすらぎと活力
のためにもつくらなければならないという義務感にも似た思いにかられ、ドトールコーヒ
ーショップ第1号店は設立したのだった。
また1980年以降、スピードや便利さを兼ねそろえているコンビにエンスストアやフ
ァーストフード店・自動販売機などが顧客を魅了するようになってきた。またフランス料
理やイタリア料理といった外食産業がやっと産声をあげ、現在のファミリーレストランチ
ェーンも続々と1号店を開業する。特にパスタの2大定番商品「ナポリタン」、「ミートソ
ース」は、安定した売れ行きをみせた。このような時代、
“オリーブの木”は誕生する。か
つて鳥羽氏がブラジルにいった頃、親友の奥さんにつくってもらったスパゲティのおいし
さに感動し、それがきっかけで設立された。「こんなにスパゲティというのは、うまいもの
なのか」と、ブラジルでスパゲティを食べた時の大きな感激がひとつの商品となり、ひと
つの業態になったのだった。
④1990年代
・1991年2月東京都港区に「カフェ・エクセシオール」第一号店を開店
・1996年4月東京都豊島区に「マウカメドウズ」第一号店を開店
・1997年4月東京都豊島区に「エクセシオール・カフェ」第一号店を開店
・1998年11月東京都中央区に「ル・カフェ・ドトール」第一号店を開店
・1999年12月東京都品川区に「エクセルシオール・カフェ」第一号店を開店
1987年から長期にわたり高い成長を続けてきた日本経済だったが、1990年末頃
から拡大テンポの鈍化がみられ、1991年には、低い成長へと減速していった。これが
いわゆるバブル崩壊である。
1970年代前半までは、「ココロの豊かさ」より「モノの豊かさ」を求める人の方が多
かったが、1970年代後半に入ると、ほとんど同程度になり、1980年代以降は徐々
に、「モノの豊かさ」よりも「ココロの豊かさ」を求める人の方が多くなり、その差が次第
に開き始める。さらに、バブル崩壊以降は消費者ニーズの多様化が進み、消費者ニーズそ
- 18 -
のものが不透明になり、顧客のニーズが読めるという構造が怪しくなってきた時代である。
日本経済が急な下り坂を転がり落ちていこうとしている、まさにその時期、ドトールコ
ーヒーには大きな転機がおとずれようとしていた。
1991年、鳥羽氏は世界のグルメコーヒーを代表するコナコーヒーの産地を見るため
ハワイ島の土を踏む。それは、青年時代にブラジルで抱いた「コーヒー園の農場主になり
たい」という大きな夢を現実のものにするためでもあった。同年、鳥羽氏はこの夢を現実
のものとする。ハワイ島コナ地区に「マウカメドウズ・オーシャン」を開設したのだ。そ
して、その4年後の1995年には「マウカメドウズ・マウンテン」というふたつ目の自
社農園を開設した。そして、1996年「マウカメドウズ」農園で収穫された本物のハワ
イコナ・コーヒーを、ぜひ日本でも多くの皆さまに楽しんでいただきたいと生まれたのが、
ハワイアンテイストいっぱいのカフェ、その名も「マウカメドウズ」という。
「ハワイ島に作った農園で世界一おいしいコーヒーをつくろう。いや、それだけで終わ
らせてはもったいない。ここに世界でも例を見ないようなコーヒー観光農園を作り上げよ
う」を鳥羽氏の夢がさらに大きな夢となって膨らんでいった10。そのころ、今後ドトール
コーヒーに大きな影響を与えることは間違いないとされるスターバックスが、1996年、
東京は銀座で産声を上げる。スターバックスは日本に上陸したのち、最初はもの珍しさも
手伝ってか、瞬く間に顧客を獲得していき、他の企業をも巻き込むカフェブ−ムを呼んだ。
店舗数を着々と増やすスターバックスを横目にドトールコーヒーは新たな新業態を生む。
そして、この新業態が新しい時代に向けて走り始めるドトールコーヒーの大きな出来事と
なった。その新業態とは、1998年末に銀座にオープンした「ル・カフェ・ドトール」
という、それまでの喫茶店のさらにワンランク上をゆくコーヒーショップだ。ドトールコ
ーヒーショップはコーヒー一杯150円という価格だが、ル・カフェ・ドトールはコーヒ
ー一杯350円という価格にしている。つまり、価格の二極化である。ル・カフェ・ドト
ールの価格は銀座の平均的な喫茶店と比べるとおよそ半分の価格だが、ドトールコーヒー
ショップの倍以上の価格である。根強いデフレに対応するかたちでより低い価格へと各チ
ェーンが進めているなか、一方で、価格にとらわれず高品質なものを求める傾向も強くな
っており、高価格でも内容を重視する消費者が増えていて、そのようなニーズに応えた出
店戦略をとったのが、価格の二極化であり、ドトールコーヒーもそのような戦略をとった。
もう一段階高いレベルの喫茶店を実現しようと店舗デザインからロゴマークに至るまで寸
分の妥協すら許さない業態を作った。
1999年、スターバックスが店舗数前年比2倍をいう驚異的な成長をみせているころ、
さらにドトールコーヒーは新たな業態を出店する。それは、「エクセルシオール・カフェ」
というイタリアン・モダンをテーマにした本格イタリアンエスプレッソが楽しめるエスプ
レッソカフェである。市場にスターバックスが浸透し、街中のあちらこちらにスターバッ
クスの看板が立ち並ぶなかでの、エクセルシオール・カフェの開店だったため、当たり前
のようにロゴに関しての問題が勃発した。当初エクセルシオール・カフェのロゴなどは緑を
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基調としたものだったが、あまりにスターバックスにそっくりで、スターバックスに行こ
うとした客が間違えるということが起きたため、裁判沙汰になったということは有名。結
局、エクセルシオール・カフェが現行のようにロゴの「E」と「C」の文字を青を基調とす
るものに変更することで、2000年8月16日和解した。
ちなみに、このエクセルシオール・カフェは着々と店舗を出店しており、ドトールコー
ヒーショップに次ぐドトールコーヒーの柱となりつつあるが、実はここに至るまでには何
度かの展開を行ってきた。「カフェ・エクセシオール」を1991年に開店。ここではコー
ヒーもお酒も提供するが、実際にはコストもかかるうえ日本市場には合わなかったようで、
必ずしも成功とはいえなかった。次に「エクセシオール・カフェ」を1997年から3店
舗開店。ここでは若い女性をターゲットに主にデザートを中心とする、パリの街角で出会
うような洒落たカフェをイメージ。
「パリの小粋なデザートカフェ」をコンセプトに生まれ
た。インテリアデザインのキーワードは「フルーティー」
。店舗デザインにはフランス人デ
ザイナーを起用し、オレンジ・イエローグリーンのフルーティーカラーが特徴で、女性好
みの優雅な空間に仕上がった。
現在「カフェ・エクセシオール」「エクセシオール・カフェ」は健在するが、新たな出店
展開は行っていない。なぜならスターバックスの急激な成長を遂げたことで、ドトールコ
ーヒーの存在が影に隠れてしまい、スターバックスへの対抗策を打ち出さなければならな
かったからだ。それが「エクセルシオール・カフェ」だったのだ。
⑤2000年代
・東京都豊島区に「サロン・ド・テ
マドレーヌ」第1号店を開店
バブル崩壊以降の 90 年代は更に消費者ニーズの多様化が進み、今日では消費者ニーズが
読めない時代である。企業が事前に消費者ニーズを把握することが極めて困難な時代を迎
えており、日頃から、顧客との関係性を維持しながら顧客ニーズを収集できる体制を備え
ていないと市場環境に適応していくことはとても難しくなってきた。また、女性の高学歴
化が進み、学校を卒業したら社会に出て働くのが当たり前になった。これまでは男性が働
く場だったところに女性が参入する時代になったのだ。さらに近年、「男女雇用機会均等
法」・「労働基準法」が改正され、「育児・介護休業法」も施行されている。これまでは結婚
したら女性は仕事をやめて家事に専念することが多かったが、今は結婚しても仕事を続け
る女性が多く、仕事でキャリアを積んでやめられないといった理由から仕事に専念する女
性も多く、結婚年齢も遅くなってきている。
街には仕事で疲れたサラリーマンや OL が溢れ、そんなサラリーマンやOLたちの憩いの
場であるカフェが首都圏のみならず全国各地に雨後の竹の子のごとく現れ、業界メディア
によって、「カフェ」の名を冠した業界誌がいくつか創刊されるまでになった。それもドト
ールコーヒーやスターバックスのようなセルフサービスのコーヒーショップが主流で、街
によっては一つのエリアに競合するコーヒーショップが乱立しているところもある。では、
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紅茶の専門店はどうだろう。これまでも紅茶の需要は女性を中心に広くあったが街で本格
的な紅茶を飲もうとすると喫茶店や高価な専門店に行くしかなかった。ドトールコーヒー
やスターバックスのようなコーヒーショップは多く存在しても、セルフスタイルの紅茶専
門店はまだ存在しないのだ。鳥羽氏はここに目をつけた。ドトールコーヒーで築き上げて
きたノウハウを活かし、セルフスタイルのコーヒーショップのような気軽さで経済的負担
なく紅茶を楽しめる業態を開発しようと考えた。ちょうどこの頃、出店候補地を探る中で
赤坂・自由が丘の物件を新たに確保していた。しかし、いずれの地域にもドトールコーヒ
ーショップ・エクセルシオールカフェの2業態が既に出展しており、ほかにも競合するコ
ーヒーショップが近辺に集中して建ち並んでいる為、赤坂・自由が丘というエリアの特性
と客の利便性を考慮した結果、紅茶の業態をあてはめることで客の選択肢を増やし、コー
ヒーショップ以外の喫茶需要を広く取り組む戦略をとることにしたのだ。店舗は性別を問
わないコーヒーショップと違って、女性をメインターゲットにした店作りにしている。セ
ルフでありながら高感度の女性客が気軽に路用でき、そしてリラックス&リフレッシュで
きる店作りを目指した。
終章
時代と鳥羽のラブゲーム
第3章で分かるように、ドトールコーヒー多業態展開の裏には、まさしく時代背景にマ
ッチした消費者のニーズがあった。特に「ドトールコーヒーショップ」の設立までをもう
一度例に挙げるならば、71年、パリ・シャンゼリゼ通りのカフェでコーヒーの“立ち飲
みスタイル”に出会ってから、ドトールコーヒーショップ1号店出店まで約10年。焙煎
加工卸販売や「カフェコロラド」を展開しながらも、この空白の10年間には、次の鳥羽
氏の時代を読み取った考えがあった。
当時、日本には立って飲食する習慣がなかった。マクドナルドもまだ上陸しておらず、
立ち食いをする子供は、行儀が悪いとお尻をたたかれていた時代。時期尚早と考え、72
年からコーヒー専門店の喫茶店「カフェコロラド」のチェーン展開を始める。喫茶店の暗
いイメージを変え、健康的で、明るく、おいしいコーヒーを楽しめる店づくりがヒットし
た。第1次オイルショック以降の最盛期には、コーヒーを毎朝一杯飲まなければ仕事が手
につかないサラリーマンのために、何とかコーヒーを安く飲んでもらうようにしなくては
ならないと考え、“立ち飲みスタイル”の「ドトールコーヒーショップ」をはじめた。もう
かるだろうという見込みがあったのではない。
「世の中がこういう方向に向かう」という予
想があったのだ。
ドトールコーヒーの多業態展開と時代背景を照らし合わせていくうちに、事業で成功す
る要素というのは、結局消費者の生活変化を生み出すという仕事なのだと分かった。それ
と共に、ドトールコーヒー社長「鳥羽博道」氏の凄さを思い知った。その凄さは、ドトー
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ルコーヒーのフランチャイズ展開について答えた鳥羽氏の言葉でもわかる。
「私はフランチ
ャイズというものを、知っていて始めたわけではないんですよ。たまたま、最初に自分で
40㎡の店舗面積でコロラドを始めたら、他の100㎡程度の店の売上高が上がるように
なった。成功例をつくって、皆さんに紹介したら、口コミで店を開きたいという人が集ま
ってきたんです。それがどんどん進んでいった時、これがフランチャイズシステムである
という指摘をうけました。自分でも、えっ、という感じで驚きました」と。(注:日経サー
ビス 1996.3.4p78)多業態展開でもそうだ。時代に合わせて新業態に進出していったので
はない。つまり、フランチャイズ展開、多業態展開は、「自分がこうなるんだ」「絶対にこ
れを実現するんだ」という明確な目標をもち、その目標を心に強く念じつづけてそれに向
かって突き進んでいった。その目標・信念に他人が共感した、あるいは偶然に消費者が求
めていたものにピッタリ当てはまったという結果にすぎないのである。
まるで時代が鳥羽氏についてきた、そう思えるほど時代のニーズにしっかりとあったや
り方が、事業成功の鍵となってくるのだと考える。そう考えると、ドトールが消費者に受
け入れられたのも15年前だからであって、25年前に“立ち飲みスタイル”に出会った
直後始めていたら成功はしていなかっただろうと思う。
急ぎ過ぎず、世の中のトレンドを読み取ることが大事なのである。
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文献表
鳥羽博道、『想うことが思うようになる努力』、プレジデント社、1999年
尾原茂夫
新版、『年表で見る日本経済の足どり』
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http://www.doutor.co.jp/service/exc/exc_bs.htm
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http://homepage.mac.com/h_saito/html_Talking/Talking_2000_3.html
http://www.bbt757.com/servlet/ShowSummary?prg_id=2139
http://www.zasshi.com/kaishya/data/1134.html
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実業界 2003年、3月、p120
鳥羽博道、『想うことが思うようになる努力』、プレジデント社、1999年、p.31
鳥羽博道、『想うことが思うようになる努力』、プレジデント社、1999年、p.61
ドトール・ピント・フェライス通り、株式会社ドトールコーヒー
鳥羽博道、『想うことが思うようになる努力』、プレジデント社、1999年、p.18
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