道民カレッジ「ほっかいどう学」大学インターネット講座 外国曲から始まる

道民カレッジ「ほっかいどう学」大学インターネット講座
外国曲から始まる日本の学校唱歌~リタが歌いマッサンは驚いた?!~
講師:北海道教育大学釧路校
小野 亮祐 准教授
◆学校唱歌
・日本の音楽教育は明治期に始まったが、当初は『唱歌』という言葉そのものが教科名でもあった。
◆リタとマッサン
・北海道の余市を舞台にウイスキー造りに奮闘した「マッサン」
こと、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝とスコットラン
ド出身のリタ夫人である。
・実はこのリタとマッサンが過ごした時代と『唱歌』が育まれ
た時代は同じ時期にあたる。
・『唱歌』は当初、日本に持ち込んだ外国曲に日本語の歌詞を
つけたものであった。
・そこには、当時の音楽関係者の努力と紆余曲折があった。
・私には、『唱歌』が誕生するまでの過程とマッサンが当時普及していなかった西洋のウイスキー
を日本で蒸留する姿が重なって見える。
・そして、ヒロインのモデルとなったリタ夫人の故郷がスコットランドということもあり、劇中歌
にスコットランド民謡が登場したことも記憶に新しいところかと思う。
♪ 蛍の光
◆蛍の光
・この『蛍の光』の原曲は、リタの母国・スコットランドの民謡『$XOG /DQJ 6\QH』である。
・実は、『蛍の光』と『$XOG /DQJ 6\QH』、メロディーは同じだが、歌詞の意味は大きく違う。
・日本の『蛍の光』が「別れの歌」であるのに対し、スコットランドの原曲は、「旧友との再会を
祝う歌」である。
・想像をたくましくすれば、マッサンがスコットランドに留学中、リタが口ずさむ『$XOG /DQJ
6\QH』を耳にして、さぞかし驚いたのではないだろうか。
・なぜなら、この曲は日本で初めて作られた学校用唱歌集『小学唱歌集』に含まれている曲だった
からである。
・マッサンの経歴を見ると、高等教育に至るまでしっかりと学校教育を受けていたことがわかるの
で、学校で『蛍の光』を歌っていた可能性が高い。
・ただ、当時の日本人は、唱歌は歌えたとしても、曲の由来までは知らなかった。
・リタが歌う姿を見てマッサンは、
「なんで、僕が小学校で習った歌を知っているんだ」というや
やりとりがあったのではないかと私は推測する。
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◆小学唱歌集
・『蛍の光』も含まれている日本初の唱歌集『小学唱歌集』とは、どのようなものか。
・日本の音楽教育と唱歌のはじまりについて話を進めていく。
・まずは、全3巻で構成されている『小学唱歌集』について、VTRで紹介する。
全3巻で構成されている「小学唱歌集」について 取材 975
・『小学唱歌集』には、欧米由来の曲がたくさん存在している。
・全 曲中、少なくとも 曲がドイツ由来、そして、 曲が英語圏由来の曲であることが最近の
研究で明らかになった。
・なぜ、外国の曲が『小学唱歌集』に多く含まれているのか。
・その答えは、学校での音楽教育の始まりと深い関係にある。
・現在まで続く近代日本の学校制度や教育は「明治期」に始まった。
・当時の日本は、長い鎖国の時代から大転換し、欧米を手本に「脱亜入欧」「富国強兵」を合言葉
に『近代化』という名の「欧米化」を果たす。
・学校教育は、まさに『近代化のための道具』であった。
・つまり、近代学校制度を整えて、
「欧米流の教育」を始めようとしたのである。
◆唱歌の位置づけ
・「唱歌」は、学校での教科として設けられた。
・これは、欧米での学校教育でも「歌の授業」があったことに由来している。
・欧米流の学校教育を取り入れるにあたり、明治初期には多くの外国人が『お雇い教師』として招
かれ、逆に、日本人も欧米へと留学した。
・国内では教師を育成する学校、つまり「師範教育」の整備が急務だったのである。
・そのような中で、教科である『唱歌』は、
「当分之を欠く」、つまり、しばらくは授業を実施しな
いことになった。
・当時、日本は開国したばかりなので、外国人との接触がなく、長崎の出島以外は、ほとんどの日
本人が欧米の音楽や音楽教育の方法を知らなかった。
・教える人もいなければ、教材もないという環境にあって、授業の実施が困難だったというわけで
ある。
・そのような状況のなか、日本の音楽教育を積極的に進めた人物が現れる。
・アメリカに留学した伊澤修二と監督官として帯同した目加田種太郎である。
・渡米の目的は、
「師範教育」を学ぶためであったが、その過程のなかで、アメリカの音楽教育を
受けた。
・留学の成果をもとに、伊澤と目加田は、
『唱歌』を教科にすべきとの上申をする。
・これを機に、文部省の音楽教育機関である『音楽取調掛』が設置された。
・ちなみに『音楽取調掛』は、現在の東京芸術大学音楽学部である。
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◆音楽取調掛の つの目標
・『音楽取調掛』には、 つの目標が掲げられた。
・ つ目は、東西二洋の音楽を折衷し、国楽を興すこ
と。
・つまり、欧米と日本の音楽を融合して、国楽…日
本人の手で独自の音楽を作って、盛んにしていく
こと。
・ つ目は、将来国楽を興すべき人物を養成すること。
これは音楽家の養成を指す。
・ つ目は、諸学校に音楽を実施すること。
・全国の学校で音楽教育を施すため、教材や教育方法の研究と音楽教員の養成を目指すものである。
・残念ながら、当時の状況では目標をすぐに実現することは難しかった。
・欧米流の手法で作曲ができる日本人がいないため、急いで育てなければならない。
・そのため、その間は、曲は欧米から、そして歌詞は日本人がつけるという唱歌が作られたのであ
る。
・これが先ほどの『小学唱歌集』ということになる。
◆原曲との比較
・
『小学唱歌集』にあるいくつかの曲を原曲と比較
しながら、当時の音楽教育の意図を読み解いて
みたい。
・
『小学唱歌集』の歌詞の特徴は大きく4つの関係
に分けられる。
・それでは つずつ、この実像に迫っていく。
・まずは つ目、
『原詞とほぼ同じ意味の日本語詞』
である。
・このタイプの代表曲として挙げられるのが
『小学唱歌集』の第 編第 曲、卒業式でおなじ
みの『仰げば尊し』である。
・この原曲は『621*)257+(&/26(2)6&+22/』
で、アメリカの『7KH6RQJ(FKR』という
学校用の歌集に入っている曲である。
・
『仰げば尊し』は、原曲に日本語の歌詞がつけら
れた歌である。
・まずは、歌詞を確認しながら聞いていただきたい。
♪ 仰げば尊し
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・では、原曲の歌詞と比較していく。
・こちらは原曲『621*)257+(&/26(2)6&+22/』
の歌詞の日本語訳である。
・このように、原曲の歌詞も、日本語でつけられ
た歌詞も、ほぼ同じような意味を歌うパターン
が つ目の特徴である。
・続いて つ目の『原詞と異なり、日本の花鳥風
月を歌う歌詞』の代表曲、
『小学唱歌集』第 編
はなとり
第 曲の『花鳥』を紹介する。
・この『花鳥』という歌は、歌詞を見ただけでは
ピンとこないかもしれないが、実は、皆さんに
よく知られている曲である。
・
『花鳥』の原曲は、世界的にも有名なドイツ語曲、
ウェルナー作曲・ゲーテ作詞の『野ばら』であ
る。
・早速、歌詞を比較しながら聞いていただきたい。
・ちなみに、今回は近藤朔風が日本語に訳したも
ので原曲の歌詞にほぼ忠実な名訳となっている。
♪ 野ばら
・では、もう一度、先ほどの『花鳥』
のフリップを見ていただきたい。
・原曲『野ばら』が日本人の手でどう
なったのか。
・歌詞を見ながら、
『花鳥』をお聞きい
ただきたい。
♪ 花鳥
・淡い恋の歌が、花鳥風月を歌う歌詞に変身してしまったという印象である。
・このようなパターンの曲が、 つ目の特徴といえる。
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・ つ目、『原詞と異なり、天皇やその祖である日本
の神を賛美する歌詞』についての代表曲である。
・ここでは、第 編第 曲の『栄行く御代』を取り
上げるが、まずはこちら、原曲となった『神の御子
は今宵しも』の日本語詞を見ていく。
・では、この原曲に日本ではどんな歌詞が
つけられていくか。
・こちらの『栄行く御代』の歌詞を見なが
ら、聞いていただきたい。
♪ 栄行く御代
・この歌詞に出てくる神は、イエスキリストではなく、「天皇」や「天皇の祖たる神」を指してい
る。
・曲が同じでも、場所が変われば歌われる「神」も変わるというわけである。
・最後に つ目の『原詞と異なり道徳を説く歌詞』に
ついてお話しする。
・代表曲は、第 編第 曲の『誠は人の道』である。
・原曲はW.A.モーツァルトのオペラ『魔笛』のア
リアの一部である。
・日本語訳を見ていただきたい。
・登場人物のパパゲーノがもうすぐ好きなタイプの女
性が目の前に現れるだろうと浮かれている場面を
表した曲である。
・さて、この曲が日本ではどんな歌へと変わるのか。
・『誠は人の道』を、歌詞を見ながら聞いていただき
たい。
♪ 誠は人の道
・ 番を要約すると、
「誠実であることは人の道であ
る」「その道に背いてはならない」という内容であ
る。
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・ 番は「人の心は神、ここでいう天皇が与えているもの」で「その心を汚してはならない」とい
うものである。
・オペラの俗っぽい欲にあふれた歌が一転して道徳を説く歌へと変わった。
・さらに 番には神が登場するなど、現代の我々は、そのギャップに驚かされるほどである。
・ここまで、
『小学唱歌集』における原曲の詞と日本でつけられた歌詞との つの関係を見てきた。
・歌詞にこめられた日本の美しい「花鳥風月」や「天皇やその祖たる神への敬い」、そして「当時
の日本国民としてのモラル」は政治情勢を如実に反映している。
・これらを音楽教育を通じて教えることが非常に大切にされたと言えるのである。
・この傾向は、第 次世界大戦まで続き、明治期以降「軍国主義」をあおるような唱歌も多く誕生
している。
・先ほども解説したが、やはり当時の教育そのものが「近代化の道具」であり、「音楽」もそのよ
うな役割を果たしていたと言えるのである。
◆尋常小学唱歌
・ここからは『小学唱歌集』の成立以降についてお話
しする。
・こちらの写真の人物、皆さんもご存じではないだろ
うか。
・作曲家の滝廉太郎と小山作之助である。
・この 人に代表されるように『小学唱歌集』が作ら
れた後、関係者の努力によって、音楽教師や音楽家、
作曲家が次々に輩出されていく。
・そして、我が国オリジナルの唱歌がたくさん生み出
されていくことになるのである。
・その後、日本の唱歌づくりの技量が高まりを見せた明治期の終わりに、新たな唱歌集が誕生する。
・それが『尋常小学唱歌』である。
尋常小学唱歌を紹介します。取材 975
・『尋常小学唱歌』は誕生後、改定されながら使われ続けている。
・また、この一方で、この『尋常小学唱歌』に対抗する形でもっと子供の心に寄り添うような歌を
目指して『童謡運動』が展開していく。
・その結果、『七つの子』や『赤とんぼ』などの名曲が誕生し、日本人の手で『子供の歌が豊かに
生み出される時代』へと移り変わっていくことになる。
◆まとめ
・今回の講座では、ウイスキー造りに奮闘したマッサンやリタ夫人の話をきっかけに、時を同じく
近代化のなかで唱歌が生み出されていった過程を解説してきました。
・時に「唱歌」は政治の道具とされたが、現在まで歌い継がれているという事実からも唱歌自体に
時代を超える素晴らしい価値があると私は捉えている。
・それはマッサンがウイスキー造りに懸命になっていたのと同じように、黎明期の日本人音楽家た
ちが「唱歌」に力を尽くしてきたことの証なのである。
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